2017ずぼら絵日記(年末)     今年もあっという間に師走となりました。
                                                     季節は冬で、特に意味もありませんが項を改めます。 2017/12/02 親爺 拝



12/31
 さてお良いよ大年となった。
 里帰り中だった長女も、大晦日の今日は婿殿の実家で過ごすことになっていて、さっき孫を連れて黒部に帰った。
 次女も、結婚して初めて迎える年末年始は夫の勤務の状態もあり、年明けの二日にならぬと帰省できない。
 で、今年は帰省中の残る三女と親爺とオカカの3人だけでの越年となるわけで、少し寂しくもあるが、年が明けて
元旦には又長女夫婦が孫とともにきて泊まり、二日には次女、三日には次女の夫と、賑やかな正月となる予定であ
るので、今日も親爺とオカカはお節づくりに朝から一生懸命だった。
 親爺が先ず、煮物雑煮など兼用の出汁を大鍋一杯にとる。これは昆布と鰹節でしっかりと取る決まりで、材料を
惜しまない。で、オカカがその出汁で煮物を造り、親爺もオカカの邪魔にならぬように、田作りを炒り上げ、生麩を煮
て、海老の酒蒸しを作った。更にオカカは、ブリの幽庵焼きを焼き上げ、酒の粕漬を焼き・・・・・。
 雪も今のところ一段落、何とか余り雪の心配をせずに正月を迎えられそうだ。


 例年通りのお節作りもほぼおわって、すでに造りおうぉ損してある幾品かを加え、重箱に詰めればお節の準備が終わる。
  

 

 

 

 


12/30
 叔母の野辺の送りを済ませ、午後2時前に帰宅した。
 人間とはおかしなものだ、厳粛な気持ちで故人を送り、帰宅するやお節料理の段取りに気を配り、さほどの違和感も
覚える事は無い。けれどそうしなければ明日へと進めず、命をつなぐこともできないのだ。
 山口市にお住いのFさんから、紅白の蒲鉾の詰め合わせを頂いた。
 Fさんは剱御前小舎時代の常連さんで、写真を趣味にされており、親爺と親交の有る方だが、親爺のこのHPで、初孫
の誕生をご覧になり、年越しのめでたいかまぼこをお送り下された由。有難い話だ。
 今日は流石にお節にはあまり集中できない。明日朝から仕切り直しで頑張ろう。
 山里に青ぞれが広がった。


12/29
 親爺は朝からソコソコ活躍しており、オカカの支持の元、ゴキブリ亭主に徹している。とは言えこれは好きでやっている
事で、親爺の道楽でもあるから、全く苦にならず楽しんでいる。
 しかも昼頃から山里に青空が戻り(実に久々である)、気温も10℃を超えてきて、今日帰省する三女や、愛娘とともに
里帰りする長女の道中の心配も半減した。
 で、オカカも買い物に出かけ、帰路、岩峅寺駅で待ち合わせの三女を載せて帰宅するとの事。
 青空の下、今朝は未だ凍っていた道路も、すっかり氷が緩んだ。
F

 親爺はお節用のチャーシューを仕込み、更に蛸の柔らか煮も仕込みストーブで時間をかけてコトコト煮込んでいる。
 

更に、お節よりも婿殿たちが喜ぶだろう、スジ肉シチューを、2Kgも一気に煮込み、余勢をかってクワスまで仕込んだ。
 


12/28
 親爺も前期高齢者の列に加わったが、一族郎党周りが皆高齢化してしまって、この年の瀬になって叔母の訃報が入
った。病気療養中とは聞いていたが、何とあっけないものだ。
 訃報は来たが年の瀬、しかもこの大雪の最中である。取り急ぎ、村内に住む母方の唯一の叔母を連れて、弔問に行
って来た。亡くなった叔母は父方の最後の叔父の連れ合いである。叔父とともに富山市内に住んでいたが、ここ半年ほ
どは、長男である従弟の家で暮らしていたそうだ。義理の叔母ながら、我が一族に連なる人故、一抹の寂しさが残るし
連れ合いに先立たれた、叔父の心情を想うと言葉がない。
 眼の手術(白内障)を二月後に控え、夜の運転がどうにも危ない親爺であるので、従弟と叔父に理由を話し、明晩の
通夜は出ず、明後日の葬儀だけで失礼する旨、伝えて来た。どうも今年の暮れは、葬儀で終わりそうである。
 山里の積雪は112cmで、遂に1mの大台に乗った。


 頂き物の牡蠣をスモークした。長女がこれが大好きなので、オイル漬けにし、長期保存できるようにした。
 

 玄関先も正月飾りをもう飾った。


12/27
 山里は昨日から大凡50cm余りの雪が降り積もった。残雪が30cm程有った上への積雪だから、芦峅寺観測点の現
在積雪量は82cmだそうだ。正月前にこれだけ降り積もるとはやはり大雪なのかもしれない。
 今の時期になると、間もなく帰省する娘たちを迎えるのに、オカカと二人お節の準備をしたり、部屋の準備をしたりと、
結構忙しいのだが、今年も29日に三女が帰省し、長女も孫を連れて来る予定だが、次女は仕事の都合で、年明けの2
日に帰省し、その婿殿は3日に我が家に来る予定だ。長女は31日に自宅へいったん帰り、1日に婿と又我が家に来て
、婿はいったん帰り、3日に又長女と孫を迎えに来ると云う予定で、何やら出たり入ったりの慌ただしい年末から正月に
なりそうである。
 オカカはこの間大変で、親爺もそれなりの役割分担があるので、さて明日辺りからはオカカの作成したスケジュール表
に従って、親爺も料理の仕込みに精出さねばなるまい。これも一年に一度の楽しみでもある。
 雪国らしくなってきた我が山里である。


 ミギヲムイテミテモユキガフリツモリ、ヒダリヲムイテミテモマタユキガフリツモル、コレガワガヤマザトノフユデアル。
 

 猟人日記はツルゲーネフの作品だが、そこに書かれたロシアの農奴の生活は、厳しく貧しい。ロシア文学には
殆どなじみのない親爺だが、この作品は好きである。
 で、その中に出て来た、”クワス”なる農奴ビール?にかなり興味を持っていた(親爺の癖で、文学作品中の食
に関する記述は、何であれ見逃さず強い興味を持つ。)ので、ネットで調べていたら「クワスの素」なるものを発見、
早速取り寄せ、朝からこれを仕込んでいる。ロシアでは国民的な飲み物で、ジンジャービールに近いものかもしれ
ない?ドライイーストを入れ発酵を待っている。さて何ができるやら・・・・・。


12/26
 今年も後わずかである。親爺にしてみれば山小屋を離れた最初の年であり、初孫を授かった年である。
 山小屋経営を離れたのは、世間一般の定年退職と同じような事なので、正直なところ気楽になって惚けはせぬかと
の心配があるばかりだ。
 初孫を授かったことは大きな喜びで、待ち焦がれていたことだったから、これはもう手放しで、爺馬鹿に徹している。
 また、次女が良き伴侶を得て、もう新婚生活に入っているのだが、式や披露宴が来春5月であるからか、まだ実感が
わかないのだが、次女の結婚の年でもある。
 今年もいろいろな事があった訳で、こうやって一つ一つを思い起こして行くと、僅か一年という歳月の大きさに気付く。
 そんなことをぼんやり考えている今朝の親爺である。
 今朝の庭は粉雪が薄く積もった。


 山仲間のYさんから又生ガキを送って頂いてオカカと二人大喜び。 今朝はマー君が用事で我が家を訪れた。元気そうだ。
 

 閻魔同の杉木立が又雪化粧をした。今年も雪の中で暮れて行く。


12/25
 今日はクリスマス。子供の頃はたまに何かプレゼントをもらう事もあって楽しかった記憶もあるが、今のようなクリスマ
スが定着したのは、もっと後、昭和も40年代に入ってからだろう。
 娘たちが子供の頃には、ツリーやらプレゼントやら、ケーキやらと、毎年毎年クリスマスをしたが、これは子供たちが高
校受験生になった頃から、規模が縮小され、末娘の大学受験の頃が最後になっているかもしれない。
 親爺とオカカの二人暮らしになってからは、まあ形だけ何かクリスマスらしいものが、一つさえあれば良い程度のクリス
マスで、ほとんど何もしていない。
 でも、今年は初孫が生まれ、まだ何もわからぬ3か月の乳児ながら、ディズニーのプロジェクターのおもちゃを贈り、娘
が気を利かせツリーの横に孫を座らせ写真を撮って送って来た・・・と、この程度のクリスマスを祝ってみて、夕食にはチキ
ンをメインにして食べた。
 で、クリスマスではあれど異教徒故、この後は普段通りに過ごすだけの親爺とオカカである。
 コリンストリートベーカリーの缶入りフルーツケーキ。重いケーキだが親爺もオカカも食後にいただいた。
 古き良き時代のアメリカの味?がした。


 昨日もウインナーソーセージを作った。スモークせず、ボイルしただけのウインナー。焼いて喰うと美味い。


 一本だけ味見。心持プリプリ感に欠けるが、下手な市販品を超えている。美味い。雪解けが進む山里だ。
 


12/24
 クリスマスイブの今日だが、親爺とオカカにはあまりこだわりは無い。去年は二人でフライドチキンを買いに行ったら、
凄い長蛇の列に並ばねば買えぬ状態だった。ミーハーな親爺オカカの考えることは皆考えている様だ。で、今年はそ
の愚を繰り返さず、大人しく我が家で過ごすことにしており、親爺が気まぐれで取り寄せた、コリンストリートベーカリーの
コテコテフルーツケーキと、山賊焼き風チキンでクリスマスディナーとする予定だ。
 出窓にはオカカが、何とも細やかなクリスマスツリーを飾り、窓にはクリスマスのタペストリーも張り付けた。


 タペストリーをぶら下げた窓の向こうから、Lineで奇麗なツリーの下にプレゼントを置いてもらった孫の写真が送られて
来た。ジジババからのプレゼントもちゃんと届いた様だ。
 

 日曜日で休みで普段は忙しい、大好きなパパが傍にいるのでご機嫌な孫。パパとのお遊びはクリスマス最高のプレゼントかな。
 このLine で長女が送ってくる孫の写真が、ジジババには最高のクリスマスプレゼントだ。山里はかなり雪が解けている。
 


12/23
 小雨の降る山里の朝、寒さは大したことも無い。打が夕刻にはこれが霙になる可能性がある。
 屋根の雪は嵩を減らし、木立の雪も落ち、道路の凍結も無いから、オカカと二人今のうちに正月用の食材を買い込んで
置こうと思っているが、、冷凍庫斜での満杯、鮮魚などは未だ購入するには早すぎる。


 家の中では親爺が又ソーセージ作り。長女リクエストのレモン風味のソーセージ。生ソーセージを70度の低温で、小一時
間茹で、冷水で冷やし真空パック。
 

 こんな状態で保存する。冷凍庫なら完璧.。            前回作ったサラミ風も、ベビーサラミ宜しく真空パック冷凍。
 

 ソーセージスタッファー(腸詰器)という、頼もしい助っ人が手元に届いたが、まだ未使用。



12/22
 高岡の義父を見舞いに行って、元気な様子に一安心し、帰宅して居間に落ち着いたら、それを待っていたように、宅急
便やら、郵便小包などが届いた。
 注文していた品々が一気に届いたという感じだが、先ずはタブレットカバーで、2,3年使って破れてしまったので、プラス
チック製のタブレットホルダーのついたカバーにしたら、これが粗悪品で、プラスチック部分がボロボロ壊れてくる。今時こん
な酷いプラスチック製品は珍しい。で、また昔の合成皮革製のカバーに変えたのだが、これは最低でも2、3年の使用に耐
えるはずだ。
 山里は雲がちだが暖かい、いや寒くない、雪もこんなに解けたし、閻魔同の杉木立もゆきをおとした・・・


 で、次いで届いたのは国際小包で、これは3週間ほど前に親爺が注文しておいた、缶入りケーキだ。コリンストリートベ
ーカリーと云う会社の出しているフルーツケーキで、一寸日本ではお目にかかれぬ一品だ。娘たちが子供の頃、何でだっ
たかこれを何所かで買って、クリスマスに食べさせようとしたことがあって、このフルーツケーキが気に入ったのは親爺だけ
で、3人の娘も、オカカも、当時健在だった爺ちゃん婆ちゃんも殆ど手を出そうとしなかったという事があった。とにかく7〜8
割はナッツやらドライフルーツで、それを飴のように甘く、こってりした生地で固めてあるケーキなのだ。味も激アマで、多く
はとても食べられぬと云った、いかにもアメリカンな一品なのだ。が、これが何故か突然懐かしくなり、食べたくなり、いろい
ろ調べたが、日本での販売代理店と云うのは無く、直接アメリカに注文したのだ。
 それが届いた。如何ですこの缶の色彩、更にはケーキ本体のコテコテ感。クリスマスにオカカと食べる予定です。
 

 缶の蓋は、アメリカの古き良き日を彷彿とさせる絵柄で、これが実に嬉しい親爺だ。


12/21
 親爺のソーセージ作りも、結構様になって来た。思っていたほど難しいものではない・・・。が、これは入門時点での親爺
の感想。恐らくこの調子でどっぷりとはまってしまうと、業務用機械など買いそうだから、ほどほどにしておかねば・・・。
 昨夜は氷点下の物乾場につるし乾燥させていて、今日は一寸孫に会いに行っていたのでうっかりしていたが5℃を超え
ると余りよろしくないとの事。まあいいか。僅か6℃だったから。


 腸詰直後のソーセージ。ソーセージ種、約500gをウインナー用のケーシングと、フランクフルト用のケーシングに詰めた。
写真手前の1本と、短いのがフランクフルトサイズで、その他がウインナーサイズ。これだけを全部絞り袋式の一番シンプ
ルな方法で、詰めた。後片付けも簡単で、慣れるとこれが一番良い。が、親爺はそれに気づく前に、グリスガン式のスタッ
ファー(腸詰器)を注文してしまっていた・・・。まあいいか。


 腸詰が終わったら、オーブンで80℃の低温乾燥。たまたま我家のオーブントースターが80℃の最低設定が出来た。
大凡45分ばかり、温熱乾燥する。


 全体に少し縮んで、ケーシングにしわが入りややサラミっぽくなった。これで、内部まで滅菌させているはずで有るの
で、後は自然乾燥だが、気温が5℃を超えぬ寒冷な場所がベストとか。で、冬の物乾場にぶら下げている・・・。




12/20
 今朝も昨日とあまり変わらない雪景色の中で、寒い寒い朝を迎えている。
 オカカは今年最後の美容院へでかけ、買い物をして帰って来るとの事で出かけた。道路が凍っているので、親爺の軽4WD
に乗って出かけたが、ミニながらパジェロであり、流石に雪道や悪路は強い。が、ホイールベースが短いので、スピードを出
しすぎると、ややきついカーブなどではクルリと来るので気をつけねばならぬ。もっともこんな雪道で飛ばすなどあり得ないが。
 親爺は今PCに向かっているが、背中が寒くて、娘たちが子供だった頃のお昼寝毛布を背中にかぶっている。で、ふと昔の
毛皮を背中にはおっていた村の年寄りを思い出した。
 それは猿の毛皮が柔らかく良いとされ、ちゃんちゃんこ状に羽織れるようになっていたが、ただ、毛皮にひもが取り付けて
あっただけやも知れぬ。何分半世紀以上前の記憶故、定かではない。まあ、職猟師も多くいた、山里のわが村の事だから
隣の、「ヤソジイ」や最期の猟師だった「カネモリノジイ」などは多分そんな恰好をしていたのだろう。
 で、今少し背中が温かくなってきた親爺だが、いよいよ自分も背中に毛皮を羽織りたくなるような年になったのだと思った。
 とにかく今朝も寒い山里だ。


 どこもかしこも寒々と凍てついている。
  


12/19
 気温も朝で3℃あったので、雪が少しずつだが解けている様だ。もちろん戸外も凍ってはおらず、薄暗いが過ごしやすい
日だ。
 孫が帰ったので朝から静かで、淋しくは有れどオカカと二人ゆっくりと過ごしている。
 と、何やら冷え込んできたと思ったら、雪が降り始めた。大したことはあるまいがやはり冬だ。
 今日はオカカが座敷を掃除。昔の様な大掃除ではないが、時間があるから少しずつ小分けに掃除してゆくことにしている。
年の瀬ではあるが昔の様に、餅つきやら大掃除やらと云った風物詩は、どんどん遠のいて、時のかなたに埋もれて行って
いる気がする。が、それもまた好し。時の流れの中で全てが変わって行くのだ。
 受け継ぐべきは受け継ぎ、変わることも受け入れて、自らの時代を過ぎてゆくだけだ。


 積雪は60cmだそうだが、我が家の庭にはもっとあるような気がする。


 マアでもそんなところかもしれないななどと、あちこち首を回して見まわしているが、何所を見ても雪である。
 


12/18
 雪が緩み、曇天の今日、気温は昨日より5℃程高い6℃前後。
 孫と一緒に二日間泊まっていた長女が間もなく帰る。孫と午前中いっぱい遊んで、少しオネムになった孫が今オッパイ
を飲んでいるが、もう帰る時間だ。
 と、今チャイルドシートに孫を乗せて、荷物も積みこんで、娘が自分たちの家に出発していった。
 少し、いや、ずいぶん寂しくて。孫の可愛い笑い顔を思い出してはため息をつく親爺である・・・・・。
 婿は今日も忙しく、青年会議所やら商工会の集まりやらと一生懸命だ。でも子煩悩で、昨晩も我が家に飯を食いがてら
来て愛娘を抱っこして帰って行ったし、今夜も遅くはなるが帰宅すれば、明かりのともった家に妻と愛娘が待っている事が
堪らなく嬉しい様だ。とにかく愛妻家で、子煩悩な婿が、親爺にもオカカにも微笑ましく好もしく頼りがいのある男に映る。
 さて今夜は又オカカと親爺二人の食卓だ。せめてうまいものでも食って、勢いをつけねば。


 居間の片隅のコート掛けには大きなダウンや大人物のコートばかりだったが孫が出来て可愛いベビーコートが掛かる様に
なった。出窓の風鈴の向こうは雪景色、外そうかと思ったら地震が来た時に揺れるお知らせを兼ねているそうで、そのまま。
 


12/17
 折角量を減らした雪も、また元の木阿弥、昨夜半からの雪が今なお降り続いている。現在の積雪は80cm程に戻った。
 気温も氷点下、とても師走半ばの雪とは思えない。
 これはもう根雪だろう。よく言われたクリスマス寒波とかよりも1週間以上早いではないか。
 昨日スキー場開きをした、川向かいのスキー場も、折角の日曜日にこんな雪では客足も伸びない。降らずとも困り、降り
すぎても困る。中々に難しい商売である。
 まあ、これだけ降ったら、もうこれ以上降らずとも好い。穏やかな晴天が恋しい。
 親爺は朝から、孫と暖かい居間で遊んでは眠りの長閑な日だが。


12/16
 曇天だが寒くはない朝。
 今日は隣の、剣山荘の前親爺、功麿さんの50日祭(神道)だ。親爺も親戚なのでこの後、参拝に出かける。
 古い山の仲間だし、大先輩だし、家も隣、山小屋も隣だったし、とても身近な人だったので寂しい想いがする・・・。
 雪は随分量を減らした。
 

 昨日は又ソーセージを作った。今までの中では一番よくできた気がする。
 左は腸詰が終わった生のソーセージ。このまま焼いてもいただけるが、右側の様に、1時間余り60〜70℃の温燻をした。
 もちろんこのままでも頂けるが、更に70℃程のお湯で30分余り茹で、急冷してから保存する。
 美味いのだが、手間暇がかかることを考えると一寸大変である・・・・・。
 親爺の暇つぶしと云うか、惚け防止というか、面白いことは面白いし、美味いし、時間のある人向きのホビーだなこれは。
 


12/15
 寒い朝だが青空が広がっている。昨日に引き続いての晴れなので、融雪装置で解け残った雪が屋根のふちにずり落
ちて来て、大きな雪庇の様になっている。今日はあまり気温が上がらぬから、これは落ちるか如何か分からないが、杉
木立にしがみついている雪は落ち始めた。根雪になるかならぬかの時期の積雪で、薪ストーブを炊いている向かいの家
など、大屋根の半分以上の雪がもうずり落ちた。落ちた雪の後始末が大変だ。
 我が家もいい加減で融雪装置をストップしたので、大屋根に残った雪が雪庇の様に軒先からぶら下がった。


 向かいのイッチャンとオトシサンの家は大屋根の半分近くの雪が落ちた。


12/14
 今朝は少し晴れて、雪も一段落してほっとした。
 昨日は雪の中を、軽4WD を駆って黒部の長女宅まで出かけ、可愛い孫の子守をしてきたが、今日の天気ならもっと
快適だったろうにと思うほどの好天になった。しかも帰りは立山町のスーパーへ回り、二日三日分のしょくりょうも買い込
んで来たのだが、これとて慌てる事は無かった様だ・・・。
 今朝は久々にドローンを上げた。雪景色を撮影したかったからだが、庭がすでに雪で埋まっており、離着陸に苦労した。
離陸は一気にある程度の高度まで上げれば問題ないが、ピンポイントの着陸は難しいので、ハンドキャッチで取り込んだ。
こっちのほうが楽だ。ドローン動画はこちら。
 完全に冬の我が山里、まだ師走半ばである。
 

 富山方面からの村の入り口には庚申塚があり、その先には立山公園口派出所がある。しばし家はまばらだが・・・
 

 旧保育所の現在は交流館を過ぎると、宿場町の様に往来両側に家が立ち並ぶ。正面の山が不動山。
 

 一週間ぶりに在った孫は首がほぼ座り、コンビラックにお座りが出来るようになった。2か月と20日である。


12/13
 雪は昨日から降り続き、今朝の山里の積雪は67cm、この時期としては大雪だ。ヨータローが生まれた5年前、心平
が陣痛の始まった緑を産院に連れてゆくのに苦労した話は、今でも時々思い出す。
 今日は親爺とオカカ、孫の子守を頼まれて、今から雪の中1時間余のドライブだが、軽4WDは頼りになる。
 雪国暮らしは大変だが、考えてみれば、東京で過ごした4年間以外、親爺はこの雪国で生まれ生きて来たのだ。今更
雪国の暮らしがどうだこうだ云った処で、これが親爺の暮らしなのだ。
 それにしてもこの景色、ゾッとしてしまう。


 屋根の融雪装置はフル稼働、灯油がぐんぐん減っていく・・・。庭の垣根も雪に埋まってしまった。
 


12/12
 一晩で30数センチの雪が降り積もった。我が山里では当たり前の事だが、今の時期ではやはり大雪となるかな。
 黒部に引っ越した、長女夫婦だが、そろそろ孫の顔が見たくなってきた親爺だ。親爺の軽ジープで、明日辺り雪の中を
ドライブして、オカカの旅の土産を届ける口実で、押しかけようかなと考えている。今日はお籠りだが、雪に降り込められ
てばかりいるのもつまらない。軽ジープで雪道だから、恐らく1時間と少しかかるだろうが、帰路に食料の買い出しもして
来れば良いし、とにもかくにもあの可愛い孫を抱っこして、赤ちゃん語のお話を聞いてきたいのが本音ではあるが・・・。
 この雪は果たして根雪になるだろうか?去年も今頃一度降り、正月に雪は無かった・・・。


12/11
 薄暗い朝の割には寒さを感じなかった今朝だが、時間が経つにつれ気温が下がってきている様だ。だんだん寒くなっ
ているのが部屋に居てもわかる。
 オカカが帰ってくる21:00過ぎ頃にはもうかなりの積雪があるのではなかろうか。
 長女夫婦が孫と一緒に、写真スタジオで記念撮影をしたそうな。主に可愛い2ヵ月の赤ん坊の孫を、可愛いまま写真
にとどめておきたいとの親心からの撮影だった様だが、今朝電話があって、その写真データーをLine で送ってきた。
 いやいや驚いた。その愛くるしい姿は流石に専門家の撮ったものである。伊達に高い金は請求せぬ。親爺などその
十数枚の写真を見ながら、涙腺が緩んでしまった・・・。孫とはかくも可愛いものなのだろうか。爺馬鹿である。
 今朝の山里は、本当に薄暗かった。


 Line で送って来た可愛い初孫の晴れ姿?さすがプロは上手に写すものだ。爺馬鹿は手放しで大喜び。

 


12/10
 今日明日の二日間、親爺は一人でお留守番。
 年に一度の恒例で、オカカはお仲間と一緒に一泊二日の小旅行に出かけて行った。さて、この全くの自由時間に何を
して過ごそうかと考えていたが、「今年の年賀状お願いね。」と宿題を出されていて、これはさっさと片付けてしまおう。
 で、今朝、オカカの出発が早かったので、親爺はオカカを見送ってから自分の朝飯の準備。
 面倒だからベーコンを焼いて、卵を焼いて、小さなブドウパンのトースト一枚を添え頂く。最近はこんな食事でも緑茶を
飲むことが多くなってきた。
 卵は破れたがクリスピーベーコンは美味しく、一寸焦がしたが、ブドウパンも実に美味しかった。自炊せねばならぬ食
事中の、1/6が終わった。


 昨日は凍てついていたが、今朝は凍みも緩んだ。


 大日が見えている。


12/9
 Lineを使うようになってずいぶん経っているが、これは便利なモノである・・・と、云うのも自宅に帰った孫の様子を、長女
がほぼ毎日、つい最近携帯電話を格安スマホに替えたジジババにこれで送ってくれるからだ。動画や写真はもちろん、時
にはテレビ電話で、ライブで孫が見られるのだからうれしい。
 山里の今朝は、凍てついて明けた。
 昨夕作ったソーセージを、スモークしようと車庫裏の作業場へ向かったが、玄関を一歩出るや足下が凍っているのが分
かった。ただでさえよろついている昨今、氷で滑って転んだ等洒落にもならぬ。慎重に足を運び、斜向かいの車庫に着く。
距離にして十数メートルの話だが・・・。
 今朝の山里は頭上まで凍てついている。
 

 今朝の我が孫娘リンカ。2か月半で、指しゃぶりを覚え、声をたてて笑う様になった。オッパイも良く飲みコロコロと元気
に育ってくれている。ジジババはもうメロメロだが、長時間の抱っこがかなり堪える重さで、恐らく7kgほどはあるだろう。
 Lineで長女が、動画と一緒に今朝送って来た写真だ。ジジババはもう、リンカのクリスマスプレゼントも手配してある。
         


 昨夕、親爺がオカカに助けられながら作ったソーセージ。今朝からスモークの作業に入っている。
 
 


12/8
 12月8日と云えば、先の大戦が始まった、真珠湾攻撃の日だ。終戦からすでに73年、さらにその4年前の今日、真珠
湾奇襲攻撃が行われたのだ。
 この時期の事は、親爺は全く知らない。まだ生まれてもいない。が、戦後日本に生を受け日本人として育ち、生き、老年
に差し掛かった今、歴史を学び、幾多の記録を読み、観、聞きして、それなりにこの日を特別な日として、記憶に留めてい
る。そして少なくともこの出来事も又、今の平和の礎となっていると認識している。勿論それは親爺一個人の認識に過ぎず
数多の戦後日本人はそれぞれにこの日を認識していることだろう。
 しかしこの大きな出来事も、時のかなたに埋もれつつある。昭和16年12月8日は、今からちょうど77年前なのだ。
 それでも記憶にとどめ置き、次代の日本人に正確に申し送るべき一大事だったことは忘れてはいけない。
 親爺、今朝は朝からそんな事ばかり考えている・・・。


 正月のお節用の生麩と鴨肉が届いた。師走である。どさくさに紛れ、親爺のソーセージ用ミンサーも届いた・・・。
 


12/7
 今朝は晴天に誘われ、愛車軽4WDで村はずれまで行ってドローンを上げた。
 地上高度150mからの雪に覆われた我が山里を撮影。トイドローン画像ながらそれなりに見られる絵が撮れるから
嬉しい。動画をこちらにアップした。
 朝日が昇り始め、白内障の目にはこれが大敵で、濃いサングラスをかけての操縦となるが、これをかけると操縦器
のディスプレーが見え辛くなり、サングラスを掛けたり外したり・・・。
 そうこうしている中に、朝日に照らされた辺りの雪面から靄が上がり始めた。これも結構な絵になるが、生憎とカメラ
を持ってきていない。が、先ごろガラ軽から替えたスマホがポケットにある。で、これで辺りの靄を写してみた。
 HPの写真には十分以上の絵が撮れる。


 地上高度150mからの今朝の我が山里、芦峅寺集落。ほぼ全景。


 芦峅寺の北東の守り、不動山。その左奥は来拝山、右奥は大辻山。馴染み深い初冬の山々だ。


12/6
 昨夜からの雪が今朝までに25cmもつもったやまざとだが、親爺とオカカは手分けして外出。
 オカカの父が一寸けがをしたのでオカカは高岡の病院へ、親爺は長女の引越片付けに助っ人を頼んでのお出かけ。
 オカカの車もスノーをはいているし、軽乍ら4WDの親爺のジープも万全。が、気を付けながらそれぞれの目的地に。
で、それぞれに用事が済み、夕刻帰宅すると、オカカが先に帰っており、親爺あてにカレンダーが届いているとの事で、
見てみると嬉しいことに、堺市にお住いの大先輩、Nさんからの贈り物であった。
 有難い話で、Nさんは毎年親爺の大好きな飛行機(旧帝国陸海軍機)のカレンダーをお送りくださるのだ。
 子供のごとく開封、早速ながめ入り、時の経つのを忘れた。
 大見余暇の夜、これをかけ替えるつもり。


 オカカの代打で応援に駆けつけてくれた親爺の妹に抱かれる孫。この妹は強力な戦力だが、爺ちゃんは孫の子守専任。
 


12/5
 けさはさむい。今は止んでいるが霙が降っていて、不動山や周りの山は粉砂糖をまかれたように白くなっている。
 今日は忙しい新米ママの手伝いで子守をかって出ているが、もうすぐ親爺とオカカも買い物に出かけがてら、孫を娘
の所に送り届けてくる予定。
 そのため今朝は寒い車庫で、親爺の従兄からもらったチャイルドシートを車にセットし、ベルトなども2か月の赤ちゃ
んサイズに調整したりしていて、震え上がった。情けないことに耐寒力は人一倍強かった親爺も、ただの寒がり爺にな
ってしまった様だ。
 不動山のこの粉雪眩しの情景は、初冬ならではのもの。


 暖かい居間で孫の子守をするオカカ。これこそ至福の時かもしれない。辺りの山は白くなっている。
 


12/4
 今日も、孫が長女と一緒に里帰りする。パパが仕事で帰宅できないからだそうで、引っ越したばかりの新居の片付け
で、大分新米ママは草臥れている様だ。
 ジジババは無条件で大歓迎である。流石ずぼら親爺も午前中に用事を全部済ませ、昼前に帰宅して孫を待っている。
 さて、昨日は折角途中までうまくいっていた手作りソーセージなのに、スモークで温度調整を誤り、ドライサラミの様に
してしまった・・・。食べられたが、美味くはなかった。
 でもこれで懲りぬ親爺である。ネットでまたぞろ、ミンサーやらスタッファーやらと良く分かりもせぬのに、いろいろ調べ
まくっている。
 午前中の薬もらいの帰路、立山がぼんやりとだが、真っ白にみえていた。



 今朝目覚めて台所へ行くといい匂い。オカカが早起きして揚げあられを作ってくれていた。親爺大喜び。


 婆ちゃん(オカカ)に抱っこされ寝ながら笑う孫。行儀よく重ねた手が愛らしい。そんな平和な山里を大日が見下ろしている。
 


12/3
 k昨日長女の引っ越しが終わった。気にしていた天気も、引越業者が来る午後には晴れて、孫は婿殿の実家に預かっ
てもらい、スムースに運んだ様だ。
 今度の住まいは以前、長女が2年間勤務したところで、馴染のある、好意を持っている場所なので、これからの子育て
ものびのびと行えることだろう。親爺とオカカもドライブや買物がてら、ちょくちょく足を運ぶことになりそうだ。
 今日も山里は青空が広がっている。昼ころに長女夫婦が孫を預けに来る。夕刻まで買い物をして、夕食時に迎えに来
て、夕食を我が家で食べてから帰るそうなので、親爺オカカは大喜びで子守に専念しよう。


 昨日は燻製づくりをした。スモークチキンが思うようにできたので、調子に乗ってソーセージにもトライすることにした。
 3時間ほど燻し、ほぼ思い通りの出来上がり・・・。
 

 さて次はソーセージ。ネットで首っ引きで調べ、道具や羊腸も取り寄せたが、初めてのトライである・・・。
 塩漬けの羊腸を1m余り洗いほぐし水につけ戻す。 中に詰めるひき肉に背脂の細切れや調味料スパイスを加え練る。
 

 それをノズルに幼鳥をセットした絞り袋に入れ、さて絞り、橋を閉じた様帳に詰め始める・・・・・・これ結構力がいる。
 

 何とか肉を詰め終わり、次はねじって食べやすいサイズのソーセージを作って行く。写真ではわからぬが細かったり太かったり・・・。
 

 で、何とかソーセージと言えるものが出来上がり、初めてにしてはソコソコではと・・・。因みに使った肉は250gほど。
 でもこの状態はいわゆる生ソーセージ、このままは食べられない。
       

 70℃余りの温度のお湯で約1時間ほど熱を通した。これでこのまま頂けるが、おy字はこれをスモークの予定。
 この状態を2本ほど切ってストーブで焼いて食べてみたが、市販品には及ばぬ。まだまだだ・・・・・。
       


12/2
 朝はすごく寒く、恐らく氷点下だったろう山里だ。
 昨日は、引っ越しをする長女の家にに出向き、細々したものを片付ける間、孫の子守をした。
 が、その前日長年使ったガラケーをスマホに変えたため、親爺もオカカも悪戦苦闘、かなり参っていたのだが、
スマホ先生の長女が分からぬ設定をあっと言う間にしてくれて、どっちが手伝いやらわからぬ始末・・・。
 それでも親爺もオカカも孫と遊ぶことだけは何よりも最優先、しっかりリンカと遊んできた。
 今朝はとにかく寒かった。



 もう表情が出て、笑うし、甘えるし、暴れるし・・・首も徐々に座ってきて前抱っこひもも使えるようになった。
  

 親爺は今朝から、スモークチキンを燻し、ベーコン用の肉を仕込み、午後からはソーセージに挑戦するつもりだ。
 ソーセージは初めての挑戦故、さて如何相成るか。

 

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