2018年山賊庵絵日記(冬)   2018年、平成30年元旦に際し項を改めました。



3/31
 三月も今日で終わり、平成29年度も終わる。明日からは4月であり新年度平成30年度デアル・・・と当たり前のことを
書いているのは、ややぼんやりして来た自分への確認である。
 もうすでに人の名前がなかなか出なくなるのは当たり前で、いわゆる国民的有名人でも名前が出ぬことも間々あり、流
石に家族だけは未だすっと出て来るが、呼び間違いなどは当たり前だ。
 まだ自分では認知症ではないとは思っているが、脳細胞がずいぶん死滅して、記憶はもとより思考も回路も怪しくなっ
ているし、最近特に気になるのは、好奇心の減退である。
 いわゆる新しいもの好きで、未だ周りにだれも手を出しておらぬような事でも、自分が興味を持つと人先に手を出し、趣
味としてきた親爺である。学生時代からの8mmムービー、まだセパレーツで10kg+3kgのビデオカメラ、PCでのインタ
ーネット接続も、プロバイダーがまだ少ない頃のアナログ電話回線利用時代から、山小屋のHPは立山では親爺が初めて
だったし、ラジコン飛行機に、モデルガン、実銃(銃猟)、日本刀収集・・・・・まだまだ数えるといくつもあるが、今や熱中す
るものが無いわけではないが、すぐに飽きてそれ以上を求める気が無くなっているのだ。
 これも老化だろうか。それとも自由になる時間が多すぎて、生来のずぼらが顔を出しているだけなのだろうか。
 村はずれ、閻魔堂基壇わき地上高度80mからの立山だがガスってほとんど見えない。
 

 同地上高度120mからの立山方面


 3月末日、ミニ水仙の花が咲いた。


3/30
 弥生三月ももう今日明日だけだ。更に来るべき4月は新年度の始まり・・・・・。
 で、そろそろこの絵日記も冬バージョンから春バージョンへと移らねばならぬので、今日あたりから準備を始めなくては
なるまい。何分、時の流れとともに老化が進み、キーボードをいつ指先も、その指先を操る頭も、性能は落ちる一方なの
だから、特に最近は文章を編み出す能力が酷く落ちている。
 でそれを補うのには時間をかけ、ゆっくり丁寧に進めるしかなく、先へ先へと準備しておくくらいでちょうど良い。
 今朝は大日が見えていないが、太陽の位置がずいぶん高くなっていることに気付いた。


 まだ8:00ソコソコなのに閻魔堂の木立の真上に太陽が昇っている。冬はもっと南の低い位置にいたのだ。ミニ水仙一寸開花。
 

 昨日の昼食に、インド料理店店デリーから売り出しているカレーソースでブラックカシミールカレーを作って、実に久々に
頂いてみた。飯も硬めに炊いた飯だったので、よく合い、非常に美味かった。かなり辛いがこれがいい。


3/29
 隣の桃の老木に漸く花が開いた。
 昨日の朝はまだつぼみだったが、昨日の20℃近い気温で、一気に華が開いた様だ。
 山里芦峅寺の観測地点の雪も、昨日はまだ9cmだったが、今朝はとうとう0cmとなった。朝8:00の気温が9.9℃だか
ら、いよいよ山里にも春が来たと、少し嬉しくなった。
 もちろん日陰にはまだ雪があるし、周りの山々は未だ残雪があり、遠望する立山の峰々は真っ白である。
 世間は桜が満開となって、花見で賑わっているそうだが、桃の花の開花に喜んでいる山里の親爺とオカカである。


 大日は白くたおやかに横たわり山里を見下ろしている。ミニ水仙の花芽の黄みも、昨日の朝より濃くなった。
 


3/28
 温かく天気も良い日が続いている。立山も随分よく見えて、まだ黄砂は来ていない様で真っ白だ。ヘリの音がするのは
放送局でも取材に入っているのだろうか。
 暖かいのでストーブも床暖も切っている我が家だが、温室状態になっている物干場から入ってくる暖気のお陰で、居間
全体が温かい、いや暑い位になる。
 物干場の入り口の網戸の前に扇風機を置いてみた。折角の暖気を居間だけではなく、隣のダイニングにもと思ったの
だが、一寸熱量が足りない、親爺の衰えた頭の様だ。
 庭のミニ水仙が花芽を持ち始めた。去年より10日ほど早い。


 孫は昨日帰ったが、爺はもう顔が見たくなった・・・。      隣の桃の木もわずかに赤いつぼみを持ち始めている。
 


3/27
 ついに居間の床暖房を止めて、9:30過ぎにはストーブも消した。居間に続く物干場は、杉花粉が入りので周りのサッシ
を締め切っているが、畳1畳半ほどの温室となっていて、その暖気が居間のサッシを開け放しておくと流れ込み、居間は
暖房不要となる仕掛けだ。積雪期でも快晴の日は同じようなことが出来るが、陽射しが弱く、外気が冷え込んでいるから
ストーブと床暖の補助程度、しかも日が強く差す1~2時間だけである。が、今の時期は外気も暖かく、朝から夕刻までも
この天然暖房が使える。まあ快晴で気温が20℃前後の時期に限られるの・・・・・。
 一昨日から孫が来ているので、居間も温度に気を遣うが、今の季節はこの方法で22~3℃と丁度いい。
 目覚めから絶好調で、ジジババに笑顔を振りまき、録画してある「いないいないばー」を流しっぱなしにしておくと、お話
或いは歌のような声を立てて、手足をバタバタさせて機嫌が良い。お眠になると婆がおんぶして、家の中を(外は花粉が
ひどいので)ウロウロお散歩、そのうちに寝てしまう。
 いやいや長閑な暖日の春先が、孫でますます暖かくなる。
 雪は殆ど解けて、日陰に残るだけだ。


 爺が孫と二人自撮りしようとすると、早速携帯に手を伸ばし掴もうとする。よく遊び、よく眠る、健康優良児だ。
 

 大日がそんな爺と孫を見下ろしている。


3/26
 昨夕から、長女夫婦と孫が来て、夕食は賑やかだった。婿殿が「お父さんのカレー」が食べたいとのリクエストで、親爺
得意の印度カリー(アンドラーチキン)を作った。が、これがうっかり辛すぎて、激辛大好きの婿殿にはともかく、「長女とオ
カカには「辛すぎてダメ」とブーイングを食らってしまった。まあ、オカカ手製のチーズ入りイモ餅やら、豚丼やらで、長女も
満足した様だ。
 その後婿だけ、今朝から出張とかで、昨晩の中に帰宅したが、長女と孫は「パパ不在だから」今夜も我が家で泊まるそ
うで、孫と遊びたい親爺は喜んでいる。
 未だぐっすりお休みの様・・・いや今起きて来た。もうご機嫌さんだ。さて親爺も遊んでもらおう。
 庭の手水鉢に水が通った。


 手水鉢の脇に敷き詰めた砂利から、ワサビの葉が生えだしていた。手水鉢に水が通たら見る見る生き生きしてくる。
 


3/25
 今朝も良い天気だ。温かくもう雪の心配などしなくても良い感じだ。
 昨日も素晴らしい天気で、富山市内へ眼鏡を受け取りに行った帰り、買物がてら立山を見る絶景ポイントを探しながら
うろついて来た。
 剱は我が山里からは大日の陰に入り見えない。県道富山立山公園線を富山方面に走り、岩峅寺を過ぎたあたりから
見え出すばかりだ。灯台下暗し、芦峅寺の山里は立山に近すぎるから、立山の全容を見るには富山市内の方が良いが
すっきり大きく見えることは稀だ。
 富山市から剱岳早月尾根側を見上げる。地獄の針の山に例えられるのが分かるような峻峰である。


 春の剱と大日


3/24
 先週注文しておいた、運転用の眼鏡が今日出来てくるので、今日はそれを取りに富山市内まで出かける。
 白内障の手術で視力が回復したお陰で、現在家の中での生活はほぼ裸眼で、読書やPCに向かっての作業、テレビ、
食事などは全く不自由無く過ごせる。だが、運転やドローン操縦などではメガネが必要なのだ。
 半世紀以上も眼鏡の生活だったので、むしろ術後のこの一月の眼鏡のない生活に不慣れで、例えば目薬を注す時
など、ついつい眼鏡をはずすしぐさが空振りをするし、洗顔時も同様だった。そしてその度に「ああ眼鏡はしていなかっ
たのだ。」とちょっとうれしく思うのだ・・・。
 今日は快晴だ。大日も庭さきからよく見えている。
 我が家の庭の雪は全く消え去ってしまった。


 昨日又新雪を纏ったのだろう、大日が白く見えている。


3/23
 寒い朝で、外を見ると雪がうっすら降り積もっている。関東などでかなりな雪が降ったとのニュースを、何となく聞き
流していたが、場所によっては70cm藻の降雪があったとか。こうなると、普段降らぬところで雪が降るから等とは言
えない。1日で70cmの降雪など我が筋金入りの雪国でも大雪である。
 SNSで連絡を取り合って、初対面を含む人たちが10名あまりで、即製の登山グループとなり、1500mクラスの山
を目指したそうな。そこがどの程度の山なのかは親爺は知らないのだが、都民の森などのエリアだとの事だから相当
整備された、気軽に行ける山なのだろう。三頭山と云う山だそうだ。
 で、この悪天で想定外の大雪。当然遭難。多くの人の手を煩わせ、多額の救助費用を浪費?した様だ。
 多くは語らぬが、一寸でも山の知識のある人なら、こんな登山はしなかったはずだ。阿保らしい話である。
 名残り雪と云えば美しい響きだが、今朝は寒い朝である。


 霙になって来たがまだ少し降っている。


3/22
 オカカと二人朝から外出、用事もそこそこに黒部の長女宅に向かった。
 もちろん孫の顔を見にデアル。
 この前我家に来てたのが15日だから丁度一週間ぶり。親爺もオカカも顔が見たくてたまらなくなる頃合いだ。
 車で1時間ほどの距離なので、道路事情の悪い冬はともかく、これからは邪魔にならない程度に足気く孫の顔を見
に出かけようと思っているし、向こうが我が家へも顔を見せにも来るだろう。
 ヨータローが生まれた時、心平のご両親が松江から、一月置きに富山へ来られ、10日ほど滞在しては又松江に帰
りを繰り返しておられ、今なおそれは続いているが、「孫の世話ができ、ジジババの愛情を孫に注げるのも長い時間
ではないから。」と仰っておられた。
 ヨータローも近所に住み、生まれ落ちた時から我家に出入りしているので、親爺やオカカにしても孫同然である。松
江の爺様婆様の気持ちが痛いほどわかった。
 で、今度は1時間圏内ではあるが離れて暮らす孫に、一寸会いに出かけるジジババになって、そのお気持ちを再度
嚙締めている。
 眼が良くなってこんな雨の日の運転も全くストレスは無い。


 昨日の彼岸の中日に、叔母がおはぎを差し入れてくれた。今年85歳になる叔母は腰が痛い以外極めて健やかである。
 この叔母は母の実妹で、父の実弟である亡き叔父の妻である。母の実家、日光坊の昔を知る唯一の肉親である。
 子のおはぎは仏前に供え、そのお下がりで昨夜の親爺とオカカの夕餉は腹いっぱいになった。美味かった。


 爺の膝の上で無心にくつろぐ孫である。実に可愛い。 帰路の寒々とした情景も、孫との数時間のお陰で心暖かかった。
 


3/21
 今日はもう春分の日だ。彼岸の中日とも云うが、この年になるまでその意味を知らずにいた親爺だ。
 60半ばを過ぎてそんなことも知らなかったのか、と笑われるかも知れぬが、知らないものは知らないので、仕方ない。
 彼岸と云うのは春分の日、秋分の日を真ん中に、前後の3日間を言う。だから今日が春分の日で、21-3=18日が
彼岸の入り、21+3=24日が彼岸明けなのだそうだ・・・全部ネット情報で、これ以上知りたい方はネットを参照して頂
ければいろいろ書いてある。
 成程、彼岸の真ん中だから中日か。それだけ分かっただけでも勉強だ。
 我が山里では、この春の彼岸には墓参りの習慣がない。雪深く墓がまだ雪の下だからだろう。また秋の彼岸も余り彼
岸だからと墓参した記憶はないが、最近はテレビニュースなどでお彼岸の墓参の様子を取り上げているので、それを見
て「では我家も。」と墓参に出かける人もいるようないないような・・・。定かではないが習慣にはなっていない様だ。
 我が山里の墓地は村はずれに在り、我が家などは上手にあるので比較的近く徒歩10分である。一番遠い村下から
でも20分はかからぬから、散歩圏内であり、毎朝お参りする人もいるし、通りかかる度にお参りする人もいる。だから別
段、彼岸を意識せずとも日常的にお参りしているのだろう。
 雪こそ降らぬも、寒い春分の朝だ。


 我が家の車庫の屋根雪もすっかり解けた。 不動山のズコ(山頂)はまたガスっている。
 


3/20
 今朝は飛騨古川のなじみのお宿八ッ三館で目覚めた。
 昨日の午後に家を出て、約1時間半のドライブでもう飛騨古川について、15:00過ぎには宿に入った。
 初めてこのお宿に泊まったのは、もう10年以上前で、親爺が剱御前小舎一本での生活に入って間もない頃だったろう
か。剱御前小舎の夏山繁忙期が終わり、連続52日間の山小屋生活から下山し、オカカと二人で初めて投宿した。
 素晴らしい客あしらい、重厚な年季の入った建物、素晴らしい料理・・・。とにかく全てが素晴らしかった。
 もてなしの次元こそ異なるだろうが、山小屋とて接客業。親爺はつくづく感心したのである。
 で、それから年に一度は必ず訪れるお宿となった。自宅から車で2時間もかからず、思いつき予約さえ取れれは翌日
にでも行ける。そしてそんな手軽な距離にありながら、そこでは超一流のもてなしを受けられるのだ。
 ゆったりと寛ぎ、美味しいものを頂き、ぐっすりと休み、朝もまた素晴らしい朴葉味噌の朝食を頂きゆるゆると帰路に就
く。剱御前小舎の従業員も幾度か連れて行ったし、娘達も幾度か連れて行った。そしてみんなこのお宿の大ファンになっ
たのだ。
 良いお宿に巡り合えたものだ。このお宿にはこれからもまたお世話になるだろう。


 料理は中庭の見える個室で。さすが料理旅館を看板にするお宿、その料理を頂く親爺の顔を御覧じろ。
 

 いつもお元気な大女将、今朝はお見送りいただき、初孫に嬉しいお土産までいただいた。料理はとにかくすべてが美味い。
 

 飛騨牛のステーキは言うに及ばず、お凌ぎで出て来た桜ずしなど正に絶品。すべて美味しくいただいた。
 


3/19
 今日は生憎の雨だが、親爺とオカカは久々に飛騨路を辿り、馴染のお宿で湯に浸かり、冬の凍みを解かして来るつもり
だ。昨年は、8月に次女の婚約、9月には初孫誕生と目出たいことが続き、考えてみれば5月のオカカの還暦祝い以来、
遠出はしていない。
 今年は五月の初めに、既に入籍し結婚生活をしている次女の結婚式を終えれば、親爺オカカも漸くかなり自由な時間を
たっぷり持てるようになる。で、そうなればウロウロと旅に出るつもりでいるので、先ずは小手調べの飛騨路だ。
 雨も小雨である、明るい視力を得た親爺には運転も苦にならない。こんなガスも切れた。


 涅槃団子で作るオカカのお守り。今年は新バージョンだそうな・・・。


3/18
 良い天気の朝で、気温も上がりそうだ。
 雪はぐんぐん解けて、芦峅寺観測点での積雪も40cm余りとなって、いよいよ春である。
 道路も雪が解け、道路わきにはフキノトウが顔を出しているが、それを探し摘もうと、ノロノロ運転をしたり、急停車をした
り、道脇ならぬ走行車線のほぼ真ん中に停車する迷惑な車が目に付く。たいていが中高齢者の車で、女性が殆どであるが
他の迷惑になるばかりか、ご本人も危ないので、せめてハザードランプを出し、道脇に寄せて停車するくらいの気配りはし
て欲しいものだ。まあ、フキノトウ摘みばかりでは無くて、良い景色に思わず車を止めて写真でもという方々も多々あるが。
 どうにも年を取ると我がままになる様で、自らそれと気付かず他に迷惑をかけていることもあるやも知れぬ。
 せいぜい自らの行動を顧みて、気をつけねばなるまい。
 今朝も大日が青空に向かい聳えている。


 長閑な春先である。長女が写真を送ってきて、「バタついて目を覚ましそうになるので、おくるみで包んでやったら熟睡
してる。」とコメントして来た。成程、大きくなったがまだ五か月余の赤ちゃん、確りとママに抱っこされた気分なのだろう。
爺馬鹿は承知だが、写真を眺めながら孫への愛おしさが募る。
 


3/17
 昨夜は冷え込むとの予報だったし、日中も前日より18℃も低かったそうだが、昼夜ともに寒さも冷え込みも感じなかった。
 それでも昨日午後には雪もちらついたし、今朝薄っすらと雪の痕跡が家々の屋根に白々と残っていた。
 三寒四温と云うが、今期は 一寒五温と言った方がピッタリする。今日も朝こそうすら寒く曇りだが、もう空は青空が広が
り始め、眩しい陽が射して来ている。春の足音どころか、姿が見えている様だ。
 朝、庭に出て辺りを見回していると、閻魔同の桜の木の向こうに、川向かいのスキー場が見えていた。旧大山町の極楽坂
スキー場辺りだろうか、富山市に合併され今や富山市原地内と名前こそ富山市だが、あの悪名高い富山市?の事、平気
で僻地切り捨てをするので、さっぱりお客も減って、往年の面影はない。
 まあ、僻地をなくそうとインフラ整備計画で好景気に沸いた元気な日本など、今は昔の話だろう。
 現保守与党の大馬鹿田舎市議連中のお陰で、恥を日本全国にさらした富山市、そんな富山市に合併吸収されたから今日
の零落が訪れたという訳ではないし、件の大恥事件とて何もその市議達ばかりが悪いのではない。
 そんな者たちを選挙で選び、野放しにしていた富山市民こそ悪いのだ。でも、貧しかった戦後日本をここまで復興させたの
は現保守与党の力だったのは間違いない。富山市民は義理堅くそんな連中を信じすぎたのか・・・。
 昨日のローカルニュースは、大山観光開発(現スキー場の運営会社)の、遠からぬ解散を明言していた。
 僻地切り捨ても背に腹は代えられぬと云う事なのだろうか。
 スキーシーズンももう終わる。


 我が家の庭もすっかり雪が無くなって、後は地中から、春の息吹が芽生えるのを待つばかりだ。
 


3/16
 雨の朝だ。気温も昨日よりは10℃も低いというが、寒さはあまり感じない。
 今日は富山市内のかかりつけの病院に、一月一度の薬もらいの日だ。で、出かけたついでに運転用の眼鏡を注文して
来ようと思っている。
 今回からは軽度近視用メガネなので、調光レンズなどのバリエーションも増えるし、レンズの暑さにもこだわる必要は無
くて、結構幅広くフレームを選べるだろう。更に価格破壊?のお陰で昔みたいに10万前後とぼられる事も無くなった。せい
ぜい2万円余りである。
 薄暗い朝だが、雪の心配がないだけ有難い。


 昨夕まで孫が来ていて、ジジババと楽しく遊んで帰って行った。手にするものは全部口に持っていく。
 

 昨日は涅槃団子の団子撒き。オカカが少し拾ってきた。お守りを作るのだ・・・。



3/15
 眼の手術後最終検査で病院へ行き、幸い異常なくよく見える様になって、白内障は完治。有難いことだ。この年になって
こんなに視力を取り戻せたことを感謝する。普段の生活は両眼とも0.3~0.4まで上がり、屋内の生活は裸眼で過ごせる。
運転時や外出時は軽度近視用の眼鏡を使うが、矯正視力は1.2以上上がっている。
 昨夕から孫が来ており、さっきまで居たので、病院から帰宅して夕刻まで楽しく遊んだ。孫がかえってちょっと寂しくなった
ので、ハッと今日のHPの更新を忘れていたことに気付く。
 で、間もなく20:00なのに今更新している。実に間の抜けた話である。
 病院からの帰路、瞳孔が拡がったままで、サングラス越しにいい加減にシャッターを切った写真だが、何とか写っている。


 まあ今日は快晴で、実に奇麗な春の立山でありました。


 爺は孫と遊ぶのが一番の楽しみ。離乳食も順調に進み、今日はリンゴペーストに挑戦・・・気に食わぬと手加減ナシのブーイング。
 


3/14
 暖かい朝で、身体ものびのびして目覚める。朝食後すぐにドローンを以て、軽ジープでそこいらを一回りして来た。旧立山
道も立山博物館の映像資料館がある関係で、もう奇麗に開いていた。
 その旧立山道が県道に合流する直前に志鷹の宮があり、その駐車場も幾分除雪され開いていたので、そこへ車を乗り入
れドローンを上げた。常願寺川上流、東側には立山の白い峰が見えるはずだが、朝日がその山の方向から上がるので、立
山の写真が逆光で上手く撮れぬ。
 それでも地上高度90mほどまで上げ、手元操縦器のFPV(ファーストパーソンズビュー、つまり第一人称視野の略で、ドロ
ーン本体に搭載されたカメラの視野がライブで操縦器の液晶画面に送られて来、手元で見ることが出来る。)の画面をのぞ
き込めば、何とか映っている様にも見える。
 操縦器の画面を見たり、上空のドローン位置を見たりしているうちに、ドローンの機影をすっかり見失う。が、なにもあわて
る事は無く、しばし手元のFPVを見ながら撮影を続け、オートリターンで頭上まで機体を戻す。高度30mで、機体を視認、本
当に頭上真上に来ていた。あとはオートリターンを解除し、手動にて着陸させた。
 昔のラジコン飛行機や、ヘリコプターを飛ばすにはかなりの練習が要った。が、今は殆どの細かい姿勢制御や、GPSを使
った機体位置制御で、1~2時間も練習すれば、誰でも簡単にドローンを飛ばすことが出来る様だ。尤も最低GPS機能や、
高度維持機能などを持つ機体での話だ。と言っても今やそんな機体でも2万円を割る価格で買える世の中である。
 布橋の袂から撮った今朝の立山。


 布橋灌頂会で一寸有名になった布橋である。


 これは件のドローンで撮った、カモシカ園入口の有馬家だ。今朝の撮影。


3/13
 今日は暖かくなるとの予報だ。起きがけは寒かった山里も気温が上がっている。
 一時は2mに達する積雪に覆われた山里も、雪がぐんぐん減って今はもう70cm余りだが、これとて少し山の中の
観測点での話で、村内の雪はもっともっと少ない。我が家の庭の雪も一時は雨戸の半分の高さ以上に積もっていた
のだが、今はもう20cm程が一部残っているばかり・・・これは、オカカの山水散水除雪の成果もあるのだが・・・。
 3月半ばとは言え我が山里では、どうかすると一晩に数十cm程の雪が降ることも珍しくはないが、今冬は早くから
雪が降り積もったので、雪解けそして春の到来もやや早かったのだろう。
 ようやく我が家の庭も雪が僅かになった。


 もともとが狭い庭なのだが約6割は地面が出た。間もなくオカカが個の庭で忙しくなる。
 

 大日が見え、手前の杉からは花粉が・・・。オカカ受難の時期が始まる。



3/12
 今朝は未だ氷点下で明けたが、天気予報を見ていると明日からは晴れが続き、気温もぐんぐん上がるとなっている。
 山里にもいよいよ春の訪れだ。親爺もオカカも冬ごもりから抜け出し、ボチボチ遠出でもしようかと相談している。で、
先ずは手始めに、飛騨路でもうろついて、馴染のお宿でゆっくりと湯に浸かり美味しいものでも食べてくる事にした。
 2月の眼の手術で、親爺はすっきりした視界を取り戻し、予想外の裸眼視力も半世紀ぶりに取り戻した。
 一時は白内障の進行で、運転すら危うくなって、大好きなドライブ旅行も出来なくなるのではと心細くなったし、手許ま
で見難くなって模型作りからも離れてしまっていたのだ。
 この手術は強度近視での半世紀を考慮して、裸眼視力を0.3~0.4程度にして頂いたおかげで、裸眼で新聞も本も
読めるし、細かい模型作りの様な作業も快適に出来る。つまり老眼には縁がない。更にテレビを見るにもメガネは不要
で、何と屋内の生活は裸眼で過ごせる様になったのだ。
 運転をするには軽度近視用の、薄く軽い眼鏡が要るが、これを用いると1.0以上の視力が得られ、運転には十分な
矯正視力となる。もともと目の良かった皆さんにはご理解いただけぬだろうが、子供時代からの近視で半世紀以上を過
ごして来た親爺には、こんな有難い事は無いのである。
 で、こんな目をこの齢にして手に入れたのだから、オカカと二人まだまだドライブ旅行も楽しめるだろうし、趣味のプラモ
もまた楽しめるし、ドローンやラジコン飛行機の操縦も楽しめるだろう・・・。
 そうそう、これで今少し往年の体力とは行かぬも、人並みに近い齢相応の体力も取り戻せれば、渓流釣りも楽しめるか
も知れない。
 この更新が終われば、自転車トレーニングもせねばなるまい・・・・・。
 前向きになってきた親爺の視線のかなたに、鍬崎山が見えている。


 杉木立は僅かに赤みを増し、花粉をまき散らす準備中で、不動山の山頂部の雪もずいぶん少なくなった。
 

 頂き物の趣味のカレンダーの3月の写真は、「隼」と今一つは「晴嵐(せいらん)」だ。左は実機、右は模型である。
 


3/11
 七年前の今日を思い出すと、今でも心がざわめいて苦しくなる。
 テレビでではあるが、間近に見た巨大災害の生々しさは、忘れられない。唯々黙祷を捧げるだけだ。
 今朝は気温が低く氷点下で明けたが、快晴で大気が澄み切っており陽光がまぶしい山里だ。
 昨日から次女と婿殿が来ている。五月の挙式を控え、いろいろ忙しい様だがその式で流すビデオに使う写真を探しに
来たのだ。
 子供時代の写真はオカカが奇麗に整理してアルバムにしてあり、親爺とオカカも改めてそれを見返し、懐かしい想いに
浸った。もちろん、生まれた時からのビデオもあり、こっちは親爺がPCに取り込んでしっかり管理しているので、SDカード
に落とし、渡しておいた。イヤイヤ改めて見るとこれも懐かしく、思いのほかの時を費やした。
 改めて想う。こんな事も無い普段の有難いことを。
 澄み聳える大日岳に向かい、手を合わせた。


 何時もながらの雪解け頃の山里の情景。こんな何気ない日々の実は如何に有難い事か、今日はそれが身につまされる。
 
 


3/10
 暖かい夜具から出るのに、一寸覚悟がいるほどの今朝で、窓の外は又白く雪化粧をしていた。
 昨夜はさほど寒いとも思わなかったのだが、夕刻から雨が雪になり、降ったり止んだりしていたのだろう。積雪は雨で
溶かされ減ったが、朝までに降った雪はその減量分には到底及ばぬ2~3cmほどだろう。
 雪解けで、雪の下に埋もれていた諸々が顔を出し、何やらずいぶん汚らしく見えたりもしていた処へ降った雪だ。却っ
てそのアラを隠してくれて奇麗に見える。
 3月半ばの春間近の雪だから、雪景色を楽しむ余裕もある。見慣れた景色だが何となく愛おしい。


 孫の手型足型を取った色紙を、オカカが早速額に入れ飾った。写真も一緒に出窓に並べた。


 不動山も、また白くなった。


3/9
 今日は山の神様の祭りであるが、未明のふれ太鼓の音は聞こえなかった。親爺の耳が遠くなっているからではなく、
村中に山の神様の祭りを知らせる為のふれ太鼓そのものが、取り止めになったのだ。
 取り止めになったのはそれだけではなく、山の神様にお供えしお祓いを受けた餅を、村内の各戸に配ることも取り止
めになっている。
 理由は少子高齢化につきる。
 限界集落となっている村の現状に鑑みた「取り止め」であり、人手のかかる行事は継続が困難になって簡素化して行
くしかないのである。
 伝統を守り伝えようにも、伝える先がない。村で生まれ育った子供たちも、若者となり独り立ちしてゆく頃には、雪五尺
を超える故郷を離れてしまうし、それを引き止めるための理由も見当たらない我が山里である。
 寂しくないことも無いが、流れゆく時の中で全てが変わり行くのである。
 閻魔堂の木立に、春の雨が降り注ぐ。


 これは数年前の山の神様の祭りの様子。今日は雨の中大変だったことだろう。
 

 山の神様の祭りが終われば、いよいよ奥山に入っても良いとされる山里だが、この日を待ち狩山に向かった猛者たちも
もう誰もいなくなってしまった山里である。
 


3/8
 山里の積雪が1mを割った。今朝も雲がちながら明るい空が広がり気温も3℃を超えている。
 そういえばもう明日は、山の神様の祭りだ。
 昔から、山の神様の祭りが終われば奥山に入っても良いとされているが、昔のわが山人たちの知恵は素晴らしい。山
の雪が落ち着き歩きやすくなり、表層雪崩も出にくくなる頃を、経験的に良く知っていたのだろう。
 半世紀以上も昔の話だが、この山の神様の祭りが終わるのを待ち、狩山(かりやま)と呼ばれる熊を狙った猟に山へ
入る山人たちがいた。気の合った数人でグループを組み、数日から一週間ほども山に入り、あらかじめ用意してある狩り
小屋を拠点に猟をするのだ。今はこの狩山は絶えていて、親爺自身も経験がないし、狩山の経験がある山人たちも、もう
一人二人しかいなくなって、皆旅立ってしまっている・・・。狩山の話は「立山夜なべ話」に書いておいたが
 山里の積雪は90cm代である。
 

 立山の峰も見えている。


 打越山、来拝山が並ぶ。


3/7
 外出に雪の心配が要らなくなった。今朝も朝から晴れていた。
 膚寒いので外出にダウンを羽織りはしたが、オカカと二人で高岡の岳父を見舞う。思ったより元気で、昨年の怪我以来
未だ寝たきりではあったが、食欲もあり、持参したジュースや、お菓子も食べてくれた。
 しばし話すも、耳が遠く、大半を寝て暮らすようになっているので、疲れさせてはいけないと、30分ほどで辞して帰路に
就いた。
 高岡へは高速道路を使う。それだと我家の玄関先から、岳父の暮らす有料老人施設までは1時間を切る。
 帰路立山が良く見えた。
 流杉サービスエリアにはスマートインターチェンジがあり、我が家最寄りのインター故ここをよく使う。
 そのSAから見えた剱岳。一寸良い。


 富山空港への航空機の離着陸は、北陸自動車道上空を通る。で、運が良ければこんなシーンが撮れる。
 これは東京からのANA便だろう。今日はたまたまこんなタイミングだった・・・。


3/6
 昨日、外出先からの帰路、立山の山すそが随分黒々と見えて、「山が開いてきたな・・・。」と思ったのだが、どうもその
黒々としてきた辺りは、我が山里の辺りだった様だ。
 それでも3月に入ってから続く暖日で、里雪型の痕跡をそこここに留めていた町場でも雪は殆ど解け、田んぼや畑など
は地面が見えて来た。
 もちろん道路の雪などはすっかりなくなっており、もう春が来ている様だ。


 が、今朝目覚め窓外を見ると、屋根に薄く雪が積もっていた。明け方少し寒かったが、又雪が・・・と思う間もなく溶けて
しまう程度の雪で、もう空は晴れに向かっている様だ。


 昨日長女が孫の離乳食の様子を送って来た。ニンジンのペーストと重湯だそうだ。この離乳食を食べましたと云う顔が
爺にはたまらなく愛らしく可笑しい。
 


3/5
 昨日は素晴らしい天気だったが、今朝はもう雨風である。天気の良い昨日は出かける予定もなく、いい天気だなあと思い
ながらも、家でゴロゴロ過ごしてしまって、今日の様な悪天候の出かけねばならない用事がある。5月に挙式する次女の式
で、着用する貸衣装のサイズ合わせである・・・。オカカに尻を叩かれて今から外出だ。
 戸外はこんな様子である。雪ならぬ雨なので良しとしよう。
 雪は随分と量を減らしている。


 昨日はただゴロゴロしていたわけでもなく、久々に料理に取り組んだ。アーンドラカレーと云う、南インドのカレーだ。
 先ずはスパイスの計量。パウダーと、ホールを別々に。      次いで皮をむいた鶏もも肉を切り・・・
 

 カシューナッツ、ココナッツミルク、ヨーグルトをペーストにし。鍋にサラダオイルを入れ、生姜、ニンニクを加え加熱・・・
 

 玉ネギを確り色づくまで炒め、                      トマトをざく切りにしておいて・・・
 

 ここまでなった玉ネギにそのトマトを加え、つぶすように痛め合わせ、パウダーのスパイスを加え、塩一つまみも加えて更に
炒め合わせ、ペースト状にする。スパイスは、コリアンダー、ターメリック、カイエンヌペッパー、パプリカ。
 

 そこへカシューナッツ、ヨーグルトー、ココナッツミルクのペーストを加え、更に鶏肉も加え10分ほど煮込み、今度は別のフ
ライパンにサラダオイルを入れ、ホールスパイス(マスタードシードと赤トウガラシ)を加え熱した油(テンパリングオイル)を作り
カレーの鍋に加え、かき混ぜ、味見をして塩で味を調える・・・とまあ、結構面倒であるが美味いのが出来るからお試しあれ。
 


3/4
 今朝は素晴らしい青空が広がっている。しかも温かい。三月の空としてはこんな真っ青な空は珍しいのではなかろうか。
まるでその青色は秋の空の様な濃さ、或いは3000m級の高山で見る青空の様だ・・・。
 思わず我家上空の空に見とれた。


 朝食もそこそこに、オカカにせかされお雛様の片づけを行った。恐らく、早くしまわねば嫁に行き遅れると云う俗諺への
ゲン担ぎだろう。まあ我が家にも適齢期の末っ子がまだ未婚でいるから・・・。


 座敷縁側も3/4まで雨戸をあけた。縁側の飾り棚に並ぶ親爺の秘蔵品?も漸く日の目を見た・・・。

 


3/3
 今日はひな祭り。初孫の初節句である。
 昨日長女が昼ころやって来た。もちろん孫と一緒である。孫は満五か月になり、離乳食を始めている。離乳食と言っ
てもまだ、重湯の裏ごしと云った程度のもので、量も小さじ1杯から始め、昨日で小さじ4杯である。が、孫の離乳食へ
の食欲はかなり強く、口から先にスプーンをむかえに行く勢いだ。流石に我が孫である・・・。
 外の陽気を見ていると、雪こそまだたっぷりあるが、冬はもう終わったという気がする。2月の17日が最後の大きな
降雪日で、それ以降30cmを超すような降雪は無い。昨年末の雪の降り始めが、やたら早く、12月5日には25センチ
も雪が降ったと記憶しているが、その分早く終わってくれるのだろう。まあ、この後幾度か降雪もあるだろうが、融雪装
置の世話になるような事はない。
 究極の手抜き飾りではあるが、ひな祭りである。


 遊びに来ていた孫の手型足型。長女、オカカ、親爺と三人がかりで機嫌を取りつつ漸くとったのだが、中々うまくは行か
ない。それでも記念にと、真っ黒になりながら取った。この直後親爺は真っ黒な孫を抱え一緒にお風呂でチャブチャブと
相なった。風呂が大好きな孫なので、一緒に入る風呂はややぬるめながら、風呂ギライの親爺も楽しくて長湯となる。


 我が家の庭先もオカカの地道な”山水融雪”で、ずいぶん雪が無くなった。
 


3/2
 間もなく止むだろうが、春の嵐の吹いた翌日の朝が雪降りだ。もう5㎝程も積もっただろうか。
 昨日一気に雪が量を減らし、何となく春めいてきたと思ったのに、又雪かよ・・・との思いが強いが、なあに、こんなもの
は名残り雪だと思えば、春がそこまで来ている気分になる。
 昨日、親爺は白内障手術後1週間の再検査を受けて来た。結果は問題なし。実によく見えている。で、洗顔も洗髪も
許可が出た。
 元々が強度の近視だった親爺で、メガネの生活が半世紀以上も続いていたので、いきなり裸眼視力を上げすぎると、
今迄の身に付いた生活習慣に支障が出る恐れがあるとの事で、視力にすれば0.3前後を狙い、約30cmにピントを合
わせて頂いた。で、これが実に好都合で、車の運転などは眼鏡が要るが、屋内の生活は、裸眼で、全く支障がない。
 特に大好きな読書、趣味のPC操作、模型作りなど等、裸眼で実に快適にできるのだ。心配した模型作りの細かい作業
も、老眼鏡やルーペを使わず完璧にできるのがうれしい。
 乱視が落ち着くのに今少し時間がかかるとの先生の判断で、車運転用の眼鏡は2週間後に作る事にしたので、末娘が
中学生時代に使っていた軽度近視用の眼鏡を試してみたら随分よく見える。で、それを病院でチェックしてもらったら今の
目にピッタリ合って、1.0出ているので、しばしそれを使う事にしたが、度はともかくフレームサイズが一寸小さい。
 が、まあ十分使えるので、当面はこれで行こう。
 この年になって、こんなにクリアな良く見える目を頂けたとは、実にありがたい。感謝、感謝、感謝のみである。
 すっきりした目で見れば、こんな雪降りもすこぶる味のある景色・・・・・かなぁ。


 雪もぼちぼち上がって来るだろう。我が軽ジープも車検を受けて戻って来た。車庫の雪も減った。
 


3/1
 いよいよ三月だ。振り返れば今年は随分寒い冬だった。雪はさほどでもなかった山里だったが、寒さは厳しく、降った雪
がなかなか解けず、積もったままにまた新雪が来てを繰り返したからか、辺りの積雪量に比べ道路が悪かった時期も少
なかった山里だ。でも里雪形の雪だったそうだから、普段雪に悩まされることの少ない町場は大変だった様だ・・・。
 夜半からの風雨も止んだ山里だが、一気に雪解けが進んで、近所の家の屋根越しに望む来拝山のズコ(山頂)もずい
ぶん雪が溶け、黒々としてきた。
 

 我が家の車庫の屋根の雪も一気に30cmは減った。      曇天の弥生朔日。まだ花や緑には縁遠い山里だ。
 


2/28
 ここ二日三日の暖日で、山里の雪もかなり量を減らした。
 2月も今日で終わりだ。この冬はかなり雪の多い冬だった気がする。昨年12月から降り積もった雪は年が明けても断
続的に降り続き、暮から一月初めに一下ろし、二月頭にもさらに一下ろし(屋根雪の事だが)と二下ろしした山里だ。
 まあ、山里での二下ろしは、ごくありふれた雪であるから驚くに当たらないが、この雪は里雪形だったのだろう、近くは
高岡市や、金沢市などが豪雪に見舞われ、極めつけは福井市であったかもしれない。普段左程降らないところに降った
大雪だったのだろう。野菜は高騰するは、コンビニやスーパーに食料が無くなるはと大騒ぎだった。更に幹線道路に雪で
立ち往生した車で、大渋滞から交通マヒ、自衛隊が出動救援する事態となったのだから、これはもう平成30年豪雪と云
う名を冠される冬になるだろう。
 山里にも未だ1mを超える雪が残っている。


 昨日のドローン撮影の写真でも、雪解けは進んでいるが雪は多い。


 常願寺川も同じくまだ雪に覆われている。


 我が家の車庫の雪も解けはしたがまだまだ重そうだ。


2/27
 今朝は早起きした孫と朝食前からたっぷり遊んだ。笑顔、しぐさ、声、全てが可愛いくて、時間の経つのが分からぬ程
早い・・・。しかも丁度朝食ごろにはお眠になって、40分ほど寝て、ジジババにゆっくり朝食を食べさせてくれた。
 この四日間、孫とともに過ごし楽しかった時は、退院直後の爺には最高の薬になった。
 孫と長女が帰り、親爺とオカカの生活に戻ったが、これも又良し。親爺は早速ドローンを飛ばしに行って、わが目の良
くなったことを再確認してきた。
 裸眼視力は約30cmで新聞が読めるように抑えてあり、0.4ほどだが、車の運転やドローン飛ばしには1.0程の視力
が欲しい。で、そこは弱い眼鏡でカバーする予定で、明後日の再診時に検眼して処方箋を書いてもらうつもりだ。
 今は娘が子供時代に使用していた度の弱い眼鏡を探し出し、ほぼ1.0くらいは見えると当たりを付けたメガネでドロー
ンを上げてみた。
 いやいや良く見える。高度80m、水平距離40mほどのドローンがすっきり視認できる。嬉しい。
 もちろん折角リカバーした視力である、又悪くしたくないからメガネの上に偏光グラスをかけ、紫外線を十分遮ってのトラ
イだった。
 雪解けが進む我が山里。久々のドローン写真だ。
 

 寝返りを覚え、うつぶせで顔を上げてテレビを見たがるが、ちょっと疲れて一休み。で、その後は本当に寝込んでしまった。
 

 帰宅直前まで、ババともよくあそんだ。親爺はサングラス掛けで目を保護し、術後初めてのドローンを楽しんだ。良く見える。
 


2/26
 山里の雪も120cm余りとなった。今朝は良い天気で、気温も4℃はある。
 親爺は山里の我が家で、孫とともに朝を迎えた。今もオカカが目の前で抱っこしているが、5か月になったばかりでもう
寝返りや寝返り帰りも打つし、いよいよ離乳食も始めた様だ。表情が出て面白く、お腹がくちく、眠たくさえなければ頗る
機嫌が良く、愛嬌良しだ。明日には又帰宅してしまうのだが、今日は又一日ゆっくりと孫と遊ぼう。
 クリアな視界にも少し慣れたが、未だにメガネを意識した動作が止まない。例えば裸眼なのに目薬を注すたびにメガネ
を取ろうと手が動くし、読書中でもちょっと集中してくると無意識のうちに無い眼鏡をずり上げようと手が動く。まあ半世紀
以上わが目の分身であったメガネである。そんなに早く別離など出来ない。これからも車の運転や、ドローン飛ばしには
欠かせぬメガネである。


 親爺の傍らには5か月になった孫が寝返りゴロゴロで遊んでいる。心暖かい朝だ。


 外は良い天気で、座敷縁側の雨戸も開いた。眠くなった孫はひと暴れ。オカカにおんぶされお昼寝だ。
 


2/25
 昨夕から、一月半ぶりに長女が孫を連れて遊びに来ている。目を手術した親爺のお見舞いである。
 親爺には孫が一番の薬。明るくなった眼で、長女と孫が来てにぎやかな我家は、ますます明るく見えるから嬉しい。昨夜
も20時までは孫も爺婆もはしゃいで楽しく過ごしたが、ママたる長女は就寝時間もきっちり厳守。寝室で寝んねである。
 孫が寝付いてからママも、携帯監視カメラ(音、赤外線カメラ、温度センセー付き)のモニターを持って居間に戻り、今度
は冬季五輪スピードスケートのファイナル競技、マススタートを観戦し、高木菜那選手の金メダル奪取に興奮した。
 夜半は又小雪がちらついた様で、山里の今朝も新雪に覆われていた。
 

 孫が傍らに居る朝は何とも心楽しい。すっきりと視力を取り戻した視野に可愛い姿が遊ぶ。
 

 山里も幾分雪が減って、我が家の座敷縁側の雨戸も2枚開けてみた。車庫の屋根もかなり雪が減った。
 
 


2/24
 今朝はうっすらと新雪の跡があった。昨晩寒いとは思わなかったのだが夜半に降ったのだろう。
 親爺は手術により得た、新しい視力が信じられぬ。半世紀以上を強度の近視で過ごして来たのに、65歳を過ぎて裸眼
視力0.4程に回復し、家の中での生活には、眼鏡が要らなくなったのだ。
 何時もの通り、居間の定席に腰を下ろし、テレビを見る時も、新聞を読む時も、全くメガネ不要ですっきり見えるのだ。
そして、長い間凹レンズを通して、やや小さくしかものをはっきり見られなかったことが良く分かる、つまり、凹レンズを通さ
ず裸眼ではっきり見えるから、なんでも大きく見えるのだ。で、今迄気にならなかった、ごみやほこりが目に入り、ことにPC
のキーボードなど驚くほど汚くて、慌てて掃除をしてしまった・・・。
 3日間余り更新をさぼってしまったが、これからは又こまめに「山賊庵便り」更新して行こう。
 新雪をかぶった山里の朝。


 隣家の桃の木も、寒々と雪に覆われている。でももう雪の峠は過ぎ、春の訪れは早いとテレビが言っていた。


2/23
 両眼の白内障手術を受け、3泊4日の入院から今日帰宅した。視力が下がって、矯正しても車の運転に支障の出る程
となり、手術を受ける事としたわけだが、その結果裸眼視力が0.3~0.4と、約半世紀以上前の視力を取り戻し、軽度の近
視と云う所まで来た。これとて長年の強度近視だった親爺の日常生活をおもんばかってのことで、もっと視力を出すことも
可能だそうだ。
 ここ一年余りはどんどん目が悪くなり、車の運転や、読書、はたまたPCの作業まで、随分不自由な思いをしていたのだ
が、まるで嘘の様な視界を手に入れた。
 今は未だ眩しい程の青の世界に、少し戸惑いもあるし、近づくと見えるという半世紀の体の動きが未だ残っており、今度
はある程度離れないと見えぬことを身体に叩き込まねばなるまい。が、このクリアな視界は何だ!!
 いや手術して良かった。
 3泊4日の旅は、クリアな視界を得ておわった。が、さて折角手に入れたこの視力、術後の点眼や、目の保護に留意し、
二度と失わぬよう努力しよう。
  ”手術後の青き視界に春間近”
 帰宅した山里の雪も随分融けていた。


 まず左目、一日置いて昨日は右目。いやいや素晴らしい医療技術で、世界失明原因トップの白内障も日本では
完治できる眼病となっている。
  

 左眼手術を終えた入院中日、富山市内は局地的な雪に見舞われた。左目の眼帯が撮れ初めて目にした
病室からの眺めがこれだ。


2/19
 我が家の居間からは、引き戸を開けると直ぐ物干場に出る。これが簡単なアルミサッシ組の温室の様になっているので
真冬でも引き戸を開けると、物干場の方が温かいことがある。
 今朝がそうで、要項がさんさんと射し込む温室は暖かく心地よい。外の春はここから我家に入り込んで来る。もちろん冷
たい冬の風邪もここから入り込むのだが、ペアガラスの引き戸が閉ざされ、寒気はシャットアウトされる。温かくて心地よい
暖気だけが、引き戸を開けてここから入れるのだ・・・。


 まだ暖かいのはこの物干場だけ。外にはこんな雪が残っていて、寒い。
 


2/18
 昨日から断続的に降り続いた雪は、30cm余りの新たな積雪を残し、何所かへ消えた。、我が山里はトータル180cm
の積雪となったが、これでしばらく、予報に雪マークが見えないから雪もまたあっと言う間に量を減らすだろう。
 あと2週間もすればひな祭りだ。
 親爺とオカカも居間の出窓に、手抜きながら、お雛様を今年も飾った。
 長女の娘が昨年生まれ、この初孫の初節句に、親爺とオカカは喜々としてお雛様を選び贈った。
 で、正直なところ、我が家の三人娘のお雛様は、さて卒業しようかとも思っていたのだが、長女次女は片付いたものの、
未だ末だ末娘が片付いていないので、やっぱりお雛様を飾ろうという事になって、出窓のひな壇にお雛様が並んだ。


 究極の手抜き飾りで有る。本当はこんな風な七段飾り。最初は次女三女の人形でお茶を濁そうとしたのだが・・・・・。
 

 外は深い雪に覆われている。ひな祭り間近とは言え、山里の雪はまだまだ真冬。
 


2/17
 折角雪も少し量を減らしたと思ったら、今朝8:30頃から、山里は又真冬に逆戻り、雪が降りしきっている。が、気温は
左程低くはなく、雪も重たいベタ雪だ。
 まあ何時ものことだが、今日は雪降りだからお籠りを決め込もう。


 漫画の深夜食堂に出て来た味噌バターラーメンがとても食べたくなった。でもそれはインスタントのサッポロ一番という
国民的即席麺だった。でも原作にほぼ忠実に作り食べてみた。炒めたモヤシとチャーシューとネギと載せ、バターを一片
入れて出来上がりである。原作はとても美味そうだったが、やはり予想通りの味で一寸がっかりしながら美味しく頂いた。
 


2/16
 寒い朝だが晴れている。昨日一日曇天だったが青空が戻って来た。今日はオカカと二人又街に出て買い物の予定だ。
昨日道路状態が良かったので、今日は久々にプリウスの出番だ。何と言っても燃費が違う。親爺の軽ジープなど力はある
がリッター9㎞と云う燃費だが、プリウスなら最低でもリッター20kmは楽に走る。技術力と云うのはすごいものだ。


 昨日は孫の喰い初め祝い。そこで長女と孫からのチョコをもらった。一日遅れだが孫からの初チョコ、嬉しくて食べられ
ない。当分飾っておこう。



2/15
 今日は初孫の喰い初め祝いだ。婿の経営する宇奈月の旅館「サン柳亭」で祝いをするそうで、親爺とオカカもこれには
何をおいても出席する。で、親爺などもう着つけぬブレザーを着込み、待機している。
 昨日は素晴らしい天気だったが、今日はもう霙が降ったりしており、おおよそ曇りの天気である。寒くない。
 オカカも今お化粧を始めているから、もう数十分後に出発だろう。
 さて可愛い孫と、しばし遊んで来るか。
 昨日はこんな立山が見えていた。


 今朝の我が山里の風景である。これでも雪は30cm以上減っている。


 車庫の雪もかなり沈んだ。


2/14
 漸く青空が広がった。積雪は198cmまで増えたが2mにあと一歩及ばなかった。三日ほど降り続いただけの雪なのだ
が、我が山里ならいざ知らず、福井や石川、富山、新潟の各県では市街地の雪がすさまじかった様だ。
 このHPのバックナンバーを振り返ってみると、毎年同じような事を書いているが、冬は長く、雪に閉口する日々が続く。







2/13
 今朝も寒く雪が降っている。積雪は190間近の188cm、偉い処に住んでいるものだた、ため息が出る。だが、今冬の
積雪は、山形で4mをにいがたでも2.8mを超えているとか。上には上があるものだ、いやこれは決して上に行きたい訳
ではないのだが。
 まあ、解けぬ雪は無い。春を待つだけだ。
 それにしてもよく降ったものだ。


どこもここもすっかり雪に埋まっているが、これとて数週間もすればすっかり量を減らす。
 

 起きている間中ストーブは炊きっぱなし。お湯を沸かし、ダッジオーブンでは鶏とニョッキのトマト煮を煮る。
 


2/12
 雪が降り、寒い朝だ。もうこんな朝は沢山なのだが、この冬将軍やら神様は阿呆の様に所かまわず雪を振り散らし、
しかもずるずると何時までも居座る、まるで質の悪い酔っ払いの様だ。
 こんな冬の日は家に籠り、五輪中継でも見て過ごすに限る。五輪会場の平昌も随分寒そうなところだが、雪は意外
に少ないし、青空も良く広がっている。寒くとも雪が少ないのだけはうらやましい・・・。
 こんな空ばかり見ていると、流石に鬱陶しくなってくる。


 昨晩から新たに30cmの雪が降り積もった。


2/11
 建国記念日である。そして去年旅立った伯父の命日でもある。
 今朝の山里は天気が崩れ、霙が落ちていたがそれは間もなく雪に変わり、気温も徐々に下がって来る。寒い。
 二月もいつの間にやら半ばに差し掛かり、そろそろ春の足音か匂いが届くころだが、この冬は世程質が悪いようで
未だに何も感知できない。
 雪も降っては溶け、溶けてはフルの繰り返しで、こんな状態がまだ2~3週間の続くだろう。
 隣国が総力を挙げて開催している、五輪競技でもテレビで見ながら、時を過ごそう。


 玄関の引き戸を開けると、雪国の景色が広がっているが、玄関の内側には次女がオカカに送った誕生日の花が華やいでいる。
 


2/10
 昨日の素晴らしい晴天で、雪がずいぶん解け、道路もきれいに開いているだろうと、親爺とオカカは二人、2週間ぶり
で孫の顔を見に出向いた。孫の初節句に贈ったお雛様が、昨日の大安に長女宅に配送されたとの連絡が入っており、
その飾りつけの手伝いもあったし、親爺に至ってはとにかく孫を抱っこして遊びたくて・・・・・。
 まあ、誰が言ったか良く知らぬが、初節句のお雛様は母とその母たる祖母の手で飾るのが良いとの事。では長女と
オカカが二人で飾れば良い訳で、現代の生活事情に合わせたサイズのお雛様ゆえ、力仕事も要らぬし、親爺は飾り付
けの間中、孫の子守と云う事で、心おきなく、寝返りを覚えた孫とごろごろ転がったり、抱っこしたりして遊んだ。
 そのうちにお雛様の飾りつけも終わり、仕事先から昼休みを利用して婿も帰って来て、慌ただしく撮影会となった。


 孫には高祖母に当たる長女の曾祖母が、長女の初節句に縫って贈ってくれた着物を着せ写真を一枚。4か月半にして
寝返りを完全マスターした孫は、腹ばいで、今にも這い出しそう・・・勿論まだまだだが爺は面白くて可愛くて・・・・・。
 

 昨夕の山里は大日が見え夕日に映えていた。


2/9
 今日からいよいよ冬季五輪が開催される。開催国がお隣なので、時差に悩まされずテレビ観戦できる事だろう。
 が、このお隣さんはかなり付き合い難い処があって、純粋なスポーツの祭典であるべき五輪大会に、平然と、あるい
は姑息な手段で、政治的色彩をちらつかせることが懸念される。こうなると純粋なスポーツの政治的利用と云う、最も
いやらしく忌むべき行為となり、国際社会において通用する事では無い。増してやその国際的スポーツの祭典を開催
しようと云う、ホスト国とも在ろう国においておやである。
 まあ、そんな懸念を抱きつつも、多少の不愉快には目を瞑り、庶民的ミーハーの代表ともいえる親爺とオカカはこの
平昌五輪を楽しみにしているのだ。
 青空が広がり陽が射す山里の朝。凄く寒いが気分がいい。


 腸詰したチョリソーを、手抜きの土鍋スモークにしてみた。一寸温度管理が難しいが、手軽で楽だ・・・。
 

 燻し終わったチョリソーを75℃のお湯で30分茹で、出来上がり。試しに一本切って試食。市販品よりはるかに美味い。
 


2/8
 災害が起こる度に、まるでスーパーマンの様に駆けつけてしっかりした団体行動で救援活動にあたってくれる組織は
幾つかある。まずは地元の消防団、警察、消防隊と来て、最期は自衛隊となるのだろうが、災害規模が大きければ大
きい程、自衛隊の力と云うのは頼りになる。もちろん組織が違うからで、自衛隊は日本の国民を守る軍隊なのであり、
外国から脅威に毅然と立ち向かう、武力集団なのだ。戦争の是非を云うなら、戦争などあってはいけない。しかし好む
と好まざるにかかわらず、降りかかる火の粉は払わねばならず、その火の粉には大きな自然災害も含まれる。
 今回の大寒波による国道8号線などのマヒは、自衛隊の出動を持ってようやく解消の目途がついた。流石に日本最
大の機動力を持つ組織、国軍である。実に頼りがいがある。
 雪の峠は越したそうだが、我が山里はまだ1m60cmの雪が積もっている。


 不動の山も凍み付いている。雪もそこそこ多いが、寒い冬だ。


2/7
 昨夜から大雪注意報が出ており、福井、石川、富山、新潟と大雪に見舞われている…が、山里の雪は驚くような大雪
ではなく、ごくありふれた雪でしかない。今朝も大雪、風雪注意報は継続中だが、昨夜から雪は殆ど降っておらず、今朝
は青空がのぞき、眩しい陽が射している。恐らくこの後崩れるのかもしれぬが、「56豪雪」に例えられるほどの雪とは思
えぬ親爺である。が、恐らくこの雪は里雪形であったのだろう。福井辺りが特にひどかった様だ。福井と云えば親爺も北
陸自動車道、杉津サービスエリア付近で30数時間の通行止めに巻き込まれた経験がある。正確な年は忘れたが、ネパ
ールから来ていた10名の研修生の帰国見送りのため、チャーターしたバスで関空に向かう時の事で、あの時は本当に
参った。有能な旅行代理店の幹部スタッフHさんのお陰で、10名の研修生の搭乗変更や、前泊の宿の手配代えなどは全
て上手くいったものの、あの30数時間は忘れられない。幸いサービスエリア付近で車が止まったため、トイレや、食料調
達は比較的うまくいったが、この間食べたものは一杯のラーメンと菓子類のみ、それが精いっぱいだったのだ。この間一
番つらかったのはヘビースモーカーだった親爺と、添乗の相方だった親爺以上のヘビースモーカークロちゃんがタバコ切
れになってしまった事・・・。まあ今となれば懐かしい思い出ではあるが、こんな経験は二度としたいとは思わない。
 青空が消え、外が暗くなってきた。また一降り、雪が来そうだ。


 昨日、塩漬け熟成させていた豚肉を燻した。ベーコンづくりである。燻し終わった肉を寒気の中更に乾燥する。
 


2/6
 昨日は富山まで出かけ、目の手術の最終検査をしてきた。白内障手術である。とにかく2、3年ほど前から目が見え
にくくなって、通っている眼科医で、白内障が見つかった。手術で視力は回復するそうで、だんだん見難くなって来たの
で、この際手術することにしたのだ。
 年を取ると身体もガタが来、色んなことが起きてくる。やむを得ぬ流れなのだろう。
 それにしても病院では看護婦さんたちがやたら優しい、今にも手を引いてくれそうな具合である・・・。それだけ親爺が
頼りなく、老いて見えるのだろう。むしろこのことがちょっと寂しいかも・・・。


 昨夜はこの程度の雪だった。今は降っていない。黒部市の街の真ん中の長女から1m近く降ったと連絡があって、びっくり・・・。


2/5
 昨日は午前中に久々に隣村千垣の友人が遊びに来て、昔話やら、古い仲間の消息やらと、オカカを交え2,3時間も
遊んでいった。友人とは云え大先輩で、年に数度ひょっこりと、出不精な親爺を訪ねてくれる大事な先輩である。親爺と
は妙に気が合い、昔語りが出来る大切な仲間でもある。
 と、今度は午後から、緑がヨータローと一緒に顔を出し、これもまた2時間ほど話していった。ヨータローはもう少年に
近く成長していて、、まあ、赤ちゃんの頃から孫同様にしているので、未だに親爺の膝に登って来るし、オカカにまとわり
ついて遊んでいる。で、ジーチャンとバーチャンに見せる、絵や、工作も持参で、この工作には親爺も驚いた。
 今のところまだ新たな積雪は10数cmの山里だが、積雪総量は141cmだ。


 まだ5歳児だが、今度は年長さんになるヨータローと、完全自作の「風立ちぬ」のヒコーキ。張線が凄い。親爺びっくり。
 

 親爺もヨータローに負けられぬと、長女と約束していた、ハーブ入りの白いソーセージを作り、真空パックしておいた。


2/4
 昨晩はわずか数分で、オカカが大豆を落花生(殻付き)に代え豆まきをした。随分簡略化しているが、福は内、鬼は外
と云う願いは一緒、全ての部屋にまいて厄を払い福を呼び込んで来た。
 今年は寒い日が続き、雪も大雪の部類に入るほどは降った。
 今日は立春。どうかこれ以降は暖かくなってほしいものだが、寒波が頭上に居るとの事。この寒波がまたどのくらいの
雪を降らせるかは分からないが、折角走りやすくなった道路がまた凸凹になるほどの雪は来るのだろう。
 そろそろ雪の匂いがし出した。やれやれである。


 このまま春を迎えられるなら、嬉しいのだが・・・。


2/3
 どんよりとした土曜日で、気温も中途半端な冬の朝だ。凍結しているがさほど寒くはない。と云えば今日は節分、明日は
立春なのか・・・。
 テレビではその立春の明日から、大寒波が入ってきて又大雪が来ると云っている。これで今年は大雪の部類に入るかも
知れぬ。殆どの中はもう、屋根雪を二下ろししているのだ。
 今夜は豆まきである。子供が小さく、婆様(親爺の母)が元気だったころは、我が家の豆まきも賑やかだった。3人の小さ
な孫を引き連れた婆様が、一階座敷を皮切りに、仏間、居間、台所、2階の子供部屋やまだ若かった親爺とオカカの寝室
そして最後にはまた下に降り、玄関から外に向け「福は内福は内、鬼は外、福は内」と豆をまき終えるのである。子供たち
のキャッキャ騒ぐ声と、婆様の楽しげな声、後をついて3人の子供たちを監督誘導する若いオカカの声が、家内にあふれ、
それこそ福に満ち満ちた情景であった。
 今や婆様も爺様も旅立ち、3人の娘たちもそれぞれの家庭、あるいは任地に巣立っており、この屋に居るのはかなり老け
た親爺とオカカの二人だけである。が、幸いまだあの豆まきは細やかに姿を変えてではあるが、この家に伝わっており、家
には長閑で穏やかな福が、まだまだ残っている様だ・・・。
 今夜は落花生をまいて豆まきとする予定である。
 128cmの雪が残る節分の山里である。


 朝は大日の裾だけ見えていたが、もう見えず雪が舞い始めた。漬け込んでいたベーコン用肉の塩抜きを始めた今朝だ。
 

 春の訪れはまだ2か月も先の事である。この後来ると云う寒波がまたこの上に雪を降らせるだろう・・・。
 


2/2
 今朝はオカカが東京にいる娘とラインでやり取りしている音で目が覚めた。こちらは晴れているが、向こうは雪が降ると
大騒ぎしていたから。
 確かに世界有数の豊かな大都市東京ではあるが、その内実は超過密都市で、僅かな雪にも対応できぬ様な脆弱性に
あふれた都市でもあるのだ。
 せめて、12月以降、2月くらいまでは車のタイヤを冬用に代えねば走行まかりならぬ、という程度の規制をかけるだけ
でも大きく違うだろうし、バス、タクシーは冬用タイヤへの履き替えを義務付ける位の事はやればいいのだ。
 今日は天気が良く、居間の物干場からは明るい光が差し込んでいる。


 外は青空が広がり、車庫の屋根の雪もめっきり減った・・・とは言えまだ100cm以上はあるが。
 


2/1
 いよいよ二月である。
 今年は一月が本当に長かった。もちろん雪の所為である。すでに昨年師走から降り出していた雪が、断続的にではあ
るが、年が改まってもさらに力を得たように降り続いた。
 現在山里の積雪量は140cm。融雪装置のある道路以外、見事に雪に覆われてしまった。
 月が改まり明後日は節分。どうにか雪の少ない如月であってほしいものだ。


 隣の謙ちゃん家の屋根の雪おろしは、マー君とその仲間がたのまれたようだ。 ドローンを上げて撮影。
 この動画はこちらに。


 親爺とオカカは昨日長女宅に行っていた。もちろん孫に会いにデアル。この雪で、10日も顔を見なかったので、親爺は
完全に”リンカロス”状態。会いたくて会いたくて、押しかけたのだ。向こうに着いた時は寝ていた孫だが、目が覚めてまだ
ぱちぱちと目を瞬かせながらも、爺の顔を認識したらしくにっこりと笑顔を見せた。いやいや、もう親爺はメロメロである。
 抱っこしたり、終いにはおんぶもしてみたりと、数時間を孫に遊んでもらって来たのだ。
 流石の健康優良児の孫も、親方サイズの爺の背中に負われると、木にとまったセミの様だ。
 


1/31
 今日は黒部市までオカカと出かけていて、今帰ってきたところだ。もちろん孫の所である。
 別段用事も無いのだが、カメラが欲しいと言っていた長女に、親爺が使わなくなった一眼レフカメラを渡すのと、婿の
駿が好きなサラミをまた作ったので、それを届けにという口実で出かけ、孫のリンカと数時間遊んできたのだ。
 いやいや驚くばかりの成長だ。
 寝ていたのだが、目を覚まして、目をぱちぱちと瞬かせながらも、にっこりと爺の顔を見つけ笑いかけてくれた。堪らず
抱っこすると、ピッタリと顔を胸にくっつけてきて甘える。もう爺は悩殺されてしまったのだ。
 雪に覆われた村を抜け出して、孫と楽しく遊んできた1月最終日である。


 こんな青空が広がる山里だった。


1/30
 今朝は僅かに陽が射し、雪も降っていない。予報では雪の一つマーク。うんざりしながらも覚悟していたのだが・・・。
 家を一歩外に出ると、ほぼ白一色の世界。辺りの木々も家々の屋根も、道路さえも真っ白だ。いやいや良く降ったものだ。
 指折り降った日を数えるとほぼ7日間。この間は断続的にではあるが、延々と雪が降ったのだ、いや降っているのだ・・・。
 皆さんも親爺の揚げる写真は雪景色ばかりで、もう飽き飽きだろうが、親爺もそれ以上に飽きて来た・・・。
 でも今日もこんな写真。


 ソーセージ作りも結構様になって来たが、これとて飽きてくる。いよいよ秘蔵の子のプラモにでも手を出そうか・・・。
 


1/29
 この冬は、昨年暮れの随分早い時期に雪が降り、既に昨年中に雪下ろしをする家があったので、雪に降られ、雪を気
にしながらの生活が長く、未だ一月なのに驚いている。まあ、大概こんな年は2月3月が比較的暖かく、早い春になるも
のだが、この頃の異常気象では何がどうなるやら分からない。
 さて大相撲も昨日、栃ノ心と云うダークホースの優勝で幕を閉じた。栃ノ心の親方がずいぶん昔の弟子の傷害事件を、
相撲協会に報告してなかったと云う事で叩かれ、栃ノ心達も昔ゴルフクラブで制裁を受けた、などと云う話までで発掘され
て来たが、そんな重箱の住むをつつくようなことは何の意味も無い。
 相撲協会が根底から変わらなければいけない。そのためには先ず現理事長以下、執行部全員が入れ替わるべきだ。
 訳の分からぬ勝負審判やら、現役中は大した実力も無かった脆弱な力士が一丁前の協会幹部として偉そうにしている
姿は滑稽だ。それにもましてあの池坊のおばはんは、元副大臣だか何だか知らないが、政治家の地位も、副大臣の地
位も、相撲協会危機管理委員長?の地位も、池坊の名前だけで通してきているのだろうし、もう出て、下手なことは言わ
ぬそうだが、是非そうして、池坊の内政のみ頑張って頂きたいもの。その方が偉く気高く見えまっせ・・・。
 空に悪態もつけぬし、相撲協会に悪態をついておこう。白鵬を辞めさせろ。白鵬に好き放題させている教会の親方たち
は皆やめろ。白鵬にモノ申し指導できる親方っているのかい?貴乃花親方も含めて?
 山里はまだこんな雪だ。




 オカカがストーブに鍋をかけて、善哉を煮ている。焼餅を入れて頂けばすごく美味いだろう。
 


1/28
 昨夕まで降り続いた雪がついに上がった。今朝は嬉しいことに薄々とだが青空が広がっている。
 昨日はオカカと二人、親爺の軽4WDで、街まで買い物に出た。雪のない時期なら片道20分もかからぬスーパーまで、
慎重に滑らぬように速度を落とし、ホワイトアウト状態で路肩がはっきりせぬ道をのろのろ往復して、所用時間は2時間。
恐らく普段の倍はかかっている。
 道幅も狭く、融雪装置の発達した山間地より、町場の道路がひどい。除雪予算も底をついてきたのだろうか・・・。
 今日は叔父の一年祭。オカカともに出かけるが、この大雪で道路も悪いし、従弟の車に便乗することにした。何しろ白
内障の手術を3週間後に控えた親爺にはこの雪道は見づらい。
 向かいのオトシサンとイッチャンの家にも日が当たっている。


 大日も久々に肩が見えている。


1/27
 良く降り続くものだ。先が見えぬような大降りにはならぬのだが、細かい雪がさらさらと降っては止んでを繰り返し、延々
と4日間ほど降り続いている。
 積雪も「雪五尺」を超え、六尺に及ぶ。もううんざりである。質の悪い冬将軍やら冬の神やら知らぬが、さっさと消えた無
くなれと、天に唾を吐きたくなって来るような今冬の雪だ。
 が、どう云った処でこの雪の下で暮らしてゆかねばならぬ身の上、じっと耐えるしかない。
 今朝の我が家の台所は、0℃だった。床暖を入れ、ストーブを炊いて小一時間、居間の温度は12℃にしかあがらない、
仕方なくもう一台温風ヒーターを炊いた。それでも17℃が精々である。親爺は長袖Tシャツに薄手のフリースのセーター、
インナーダウンそしてさらにフリースを重ね着している。ズボンはヒートテックで、裾に靴下をかぶせ履いている。完全に
春先の剱御前小舎仕様である。この冬は雪が多いだけでなく、寒いのである。
 庭の雪も雨戸に届いてしまった。


 結構な大雪である。


1/26
 今朝もこんな天気で、雪はなおも降り続く。
 ドカ雪のような豪快な降り方ではなく、軽く細かい乾いた雪が少しずつ降り落ちて来る感じである。とにかく気温が低い。
 氷点下の気温が山里ではもう三日以上続いていて、雪も嵩は大きいが軽いのだ。
 今は大寒の中であるから、山里でこんな程度の寒さや雪は驚くほどの事ではないと思うのだが、年老いて体がなかなか
利かぬ様になっているので、雪が降るとゾッとするばかりである。
 若い頃なら、除雪や雪下ろしはさほど苦にならず、山スキーをつっかけ、猟銃を背に雪の中をあちこちに出かけて、猟を
楽しんだので、雪の降らない冬など面白くも何ともなく、雪を待っていたものだが・・・
 恐らくピークは越えたのだろうが、まだ中々降りやまぬ雪である。


 ヨータローは心平父ちゃんに飛行眼鏡?を作ってもらいご機嫌さん。もうすぐ年長さんになる。
 陸軍一式戦闘機隼のプラモを作ってもらったそうだから、そのパイロットになって遊ぶのだろうか。


 我が家の家の周りも全て雪に覆われている。
 

 


1/25
 この日記を振り返れば、雪降りが始まってまだ三日、いや正味二日しかたっていないのだが、もう一週間も雪が
降り続いている様な気がしている。
 一昨日の日記の写真で、我が家車庫の屋根雪を見れば、せいぜい3~40cmなのだが、ほぼ二日間降り続い
た雪で、現在は1mをはるかに超えているから、この雪は1m以上降ったことになる。
 まだ節分前、大寒過ぎのこの期間は、恐らく一番雪の多い時期で、山里でも2m、3mの雪は珍しくない。
 けれど、現在積雪量152cmともなると、やはり空ばかり眺める。恨みの雪という訳である。
 融雪装置もフル稼働しているが、中々追っつかない、我が家の屋根。


 車庫の屋根には1mを超す雪が積もっている。


 庭も雪に埋もれてしまった。わずか二日間の降雪で、こんなになってしまうのだ。
 


1/24
 昨夜はさしたる降りではなかったのだが、明け方から強まったのだろうか、今朝は可なりの雪降りである。積雪は
11:00現在で120cm、昨晩から50cm程も降った様だ。が、上空の寒気が強いらしく軽い乾雪なので、雪かきも比
較的楽であるそうな・・・。
 もうこうなると、親爺は外に出ない。去年からは山小屋関係の会合もないし、どうしても外出しなくてはならない等と
云う事は、慶弔時の付き合い位だから、そのあたりは気が楽だ。
 ただ、三度三度喰わねばなぬので、食料品と日用品だけは確保しなければならない。が、それも天気を見越して
なお数日降り続いても大丈夫な分を、すでに確保してある。ジジババ二人の口だけである。大した量も無い。
 黒部の長女から、こっちも吹雪いているから、外出しないと連絡が来た。それが一番。雪はじっと耐えやり過ごす
のが雪国人の知恵なのだ。雪はしんしんと降り続いている。
 さて午後からは何をして過ごそうか。


 今年もついに、”これがまあ 終の棲家か 雪五尺”となってしまった我が山里だ。
 

 心平に貰ったイノシシ肉で、ソーセージを作ってみた。半解凍して細かく刻み、フードプロセッサーにかける。
 

 スパイ氏や塩などを加え、氷水や塩漬剤もここでくわえ、生地を練り、腸詰めする。
 

 温燻(70℃)して、仕上げる。燻し時間は約1時間だが、温度調整は蓋をずらし行う。一寸温度が高かった様で・・・・・
 

 サラミの様になったが、肉の味がしっかりしていて、頗る美味いソーセージになった。
 


1/23
 大寒波で、東京に雪が降った。東京在住の次女から17:00過ぎにLine で、「早退して無事帰宅したよ。」と連絡が
入ったが、雪国育ちの次女なので「東京の交通網は雪ですぐに死ぬ。」と云う今風の表現でだが、東京の自然現象
に対するひ弱さを見抜いている様だ。「3センチの積雪があっても、自転車に乗って普通にペダルをこぐセンスの人
たちが多いから怖いし、舗装面も歩道も滑り止め対策は皆無。」とのこと。街そのものも、そこで暮らす人々も、雪に
対する備えなど無いのだ。だから僅か20cmやそこいらの雪で250人もの人が転倒し怪我をする。しかも雪国育ち
の人でも、10年も東京暮らしが続くと、易きに流れる人の常で、雪への備えは忘れてしまうのだろう。
 其れと比べると豪雪地帯北陸の、更に山奥の我が山里は、雪にだけは滅法強い。
 1m、2mの雪にはびくともしない、そもそも家屋の構造が違うし、除雪体制も万全だし、道路には融雪装置もつい
ている・・・・・・・。
 とは言え、年とともにこの雪にはほとほと疲れ、雪など降らぬに越した事は無いと云うのが親爺の本音だ。だが今
も、これからは日本海側が大雪になると、テレビが騒いでいる。


 オカカが朝から頑張って、大学芋を作った。これは今日明日の雪の下でのおやつになる。


1/22
 昨夜寝しなに雪が降り始めていたが、今朝起きて見ると僅かに粉砂糖をまいたほどの雪の跡があった。
 明日辺りから、大寒波襲来とか。テレビが大騒ぎする時は、東京に雪が降る時だ。この寒波も今日東京に雪を降ら
せる恐れが高いとかで、騒いでいる様だ。
 まあ、我が山里で雪の数十センチ降った処で、痛くもかゆくもないが、全く雪に備えの無い花のお江戸では、数セン
チの雪にも大騒ぎだし、あれだけの超過密都市に雪が数十センチも降り積もったら、どんな事態となるか分からない。
確かに怖い。クワバラクワバラである。
 東京は、限界集落と呼ばれる超過疎集落の対極にある、超過密限界都市である。
 過疎集落に潜む危険性も無いではないが、過密都市に潜む危険性程切羽詰まってはいない。
 粉雪をまいた程度の雪が来て、今は止んでいる。静かな山里である。あくまで長閑。
 

 昨日はサラミ風ソーセージを作ってみた。燻しをかけて、後は風乾させる。寒くなってサラミの風乾にはピッタリだ。


 未だしばし乾燥させた方が美味くなるはずだが、待ちきれず切って味見。まあ上出来である。とても美味い。
 


1/21
 昨日は黒部の長女宅に、孫の顔を見に行った。約一週間ぶりである。
 昨日は大寒で、この後大寒波が入り、大雪となるかもしれないとの予報が出ていたので、足下の良いうちにとの思
いもあったのだが、生後間もなく我が家で40日余りを過ごし、母体が癒えたところで、自宅に帰った孫なので、どうに
も情が移り可愛くて仕方ないと云うのが本音で、一週間も見ないと寂しくて、どうしているかと気になって仕方ない。
 まあ長女宅に入りびたりになる様なことも無いが、一週間か、10日に一度くらいは訪ねて、孫と数時間遊んでくる程
度であれば、さほど迷惑にもならぬだろう。
 昨日はジジババが孫と遊んでいる間に、ママは普段できないことを一気に片付け、買い物なども出来たと喜んでいた
から、これはこれで無料ベビーシッターとでも考えてくれれば役立っていることになる。
 時間と孫への愛情はたっぷりとあるジジババ。せいぜいベビーシッターとして頑張ろう。
 大寒とは言え、雪がこんなに少なくなった山里である。これからどうなるかは知らぬが、足下の良い間は自由に動ける。
 山水を散水ホースに繋ぎ、庭の残雪を解かす。


 甘えたいときはぴったりくっついてくるし、眠くなるとのけぞってぐずりだす。雪が少ないから、孫に自由に会いに行ける。
 

 春夏秋は庭先の手水鉢の流れている山水は冬場には融雪水として玄関先や庭の雪を解かす。
 


1/20
 いよいよ大寒の朝だが、雪は50cm代の山里だ。この後強い寒波が入り大雪になると云う予報が出ているが、さて
本当にそうなるかどうか、判りはしない。今のところ山里は雪の少ない冬である。
 今日は黒部まで、孫の子守に出かける。もう一週間以上顔を見ていないので、オカカも親爺も会いたくなったのだ。
 昨日は富山の百貨店で、この孫のお雛様を購入して来た。娘たちの住居に合わせたコンパクトなものだが、大事な
初孫への贈り物だから、ジジババの心がたっぷり籠っている。
 さてそろそろお出かけしよう。


 大日も肩の部分まで見えている。


1/19
 今日はこの後オカカと二人町場に買い物に出る。
 孫のお雛様を見に行くつもりなのだ。昔長女が生まれた時、高岡市のオカカの実家から、七段飾りのお雛様が
我家にやってきた。義父が飾り付けの職人さん同道で来て、そのお雛様を座敷床の間に飾ってくれたが、大きく
て床の間から半分以上張り出した。若いオカカと親爺は写真を撮りまくり、それを参考に、翌年からは自力でそ
の七段飾りを飾り続けた。次女、三女が生まれて、市松人形がさらに二つ増えて、ますます華やかになった雛飾
りだったが、三女が大学へ入った年までで、今は親爺とオカカが、1/7段程度に省略して飾っている。
 で、初孫のリンカに、お雛様を送りたいとオカカと二人考えたのだが、住宅事情収納などを考えると、とても昔の
七段飾りなどとはいかない。今風な、生活スタイルに合わせたお雛様を贈る事にしよう。
 いやいや孫の事となると、親爺も喜々としてデパートにでも行く。


 まるで雪解けの頃の景色だ。


1/18
 暖かい朝で、外の雪解けもずいぶん進んだのでちょっと庭に出て見ると、上空には青空が見えていた。今未だ
寒中の1月18日だとは思えぬような暖かさ、雪の量である。まるで3月山の神様の祭りの前後の様な陽気だ。
 で、一寸ドローンを上げて見たが、雪解けのまだら模様の村も、周囲の山々もそんなにきれいではないし、立山
はガスの向こうで何位も見えない。早々にドローンを下ろした。
 我家の上空には、わずかながら青空ものぞいている今日の山里だ。


 間もなく4か月になる孫に、オスワリ用の椅子を買ってやった。本人はまだ何が欲しいと爺ちゃんにリクエストできないが、
ママが代弁してくれる。未だ腰が据わらぬので少し傾くが、10分ほどは喜んで座っているとの事。
 爺婆は、この写真を見て、10分以上は盛り上がっていられる・・・。本当にコロコロと、良く肥えて愛らしい。(爺馬鹿談)


 親爺の昼食は磯辺巻き。オカカの昼食は善哉。これで正月の餅は全部頂き終わった。
 

 本当に雪が少なくなって、この程度の雪ならどんなに寒くとも一向に気にならぬのだが・・・・・。
 



1/17
 寒の中と云う今を思えば、実に暖かい朝だ。何しろ雪ならぬ雨が降っており、屋根の雪もずいぶん減ったし、辺
りの木々もすっかり雪を落としている。
 積雪もおそらく60cm余りまで減って、気温も3℃程はありそうだ。
 まだ1月17日だというのに、まるで雪解けの頃の様な山里だ。


 近頃の親爺はソーセージ作りが面白くて、ちょいちょい作っている。昨日も突然思いついて・・・。
 塩漬けの羊腸を洗い、水に漬け戻して・・・


 半冷凍の豚肉を細かく切り分け、スパイスと調味料を計り準備し、フードプロセッサーで生地を作る。
 

 豚背脂を2~3mmに刻んで置きこれを生地に混ぜ、さて、羊腸をノズルにセットした腸詰器で生地を詰めて行く。
 

 こんな感じでソーセージが出来てくるが、後片付けを考えると、絞り袋にノズルを付けた方法が一番良い。
 できたソーセージは適当にひねり、直ぐに鍋で茹でて行く・・・


 茹でると云っても湯温75℃程をキープし、30分ほどである。 できた白いソーセージは焼いていただくと一番美味い。
 


1/16
 今朝も青空が見えており、気温も氷点下にはなっていない。
 一昨日から大相撲初場所が始まって、親爺とオカカは又テレビ桟敷に釘付けだが、何とも世間を騒がせている
相撲協会である。が、相撲の面白さにはあまり影響はない。
 優勝回数などの戦績だけを見れば確かに強い白鵬だが、その言動は度を越えた傍若無人ぶりが見え、それ故
横綱にして大横綱に在らずと思われるのだ。
 相撲は格闘技であり、その技は相手を打ち負かすために在り、強靭な体はその技を繰り出す基である。そして
何よりも重要なのは、その強靭な体から繰り出される、恐ろしい技を制し力士同士の戦いの舞台以外では、その
強さを封じ表にはおくびも出さぬ、心である。
 心の無い、技と体は、思うだに恐ろしい凶器である。相撲のみならず格闘技を身につけるものは先ずそれを制
する心を練らねばならない。それが武道の習いである。強い白鵬だがこの人には心がない。
 が、今場所の、横綱らしからぬとされた、張り手やかち上げによる立会を、白鵬は避けている。それ故昨日の巨
漢逸ノ城との取り組みなどは、真っ向から受け、時間をかけ力と技で押し出した。取組後の白鵬の全身からは湯気
が上がり、身体は真っ赤に染まっていた。親爺はその姿に「素晴らしい力士」という感銘を受けた。
 だから思う。白鵬よものを言うな。ひたすら黙し語るな。勝ちにこだわらず昨日のような相撲を取り続け、その相撲
で己を語れ。かの事件後の貴乃花の姿を範とせよ。そうすればだれもが白鵬こそ稀代の大横綱と認め例え帰化せ
ずとも、一代親方を認め相撲部屋を持たせるべきだと、周りからそうなることは間違いないのだ・・・。
 多分そんな風には出来ぬ白鵬ではあろうが・・・・・。
 8:00過ぎにならぬと朝日が昇らぬ、冬の山里だ。


 今日も大日が顔を出している。


1/15
 今朝は雲がちで、気温も低かったが青空が広がり始め気温もぐんぐん上がり、純白の立山の峰が青空の下
輝いている。
 親爺は今年初めての病院通いで、簡単な診察を受け一月分の薬をもらって来た。体調は悪くない。
 昨日も良い天気だったが、気温は今日の方が高いだろう。今朝は凍結していた道路も、正午過ぎの帰路には
摺っかる溶け、走りやすくなっていた。
 昨日、今年初めてのドローンフライト。青空の下、新雪に覆われた我が山里。


 昨日は親爺特製サムゲタン風スープを煮た。昆布で取った出汁で鶏肉と勝栗、クコ、糯米、ニンジン等を煮る。
 

 鍋をストーブにかけ、半日もコトコト煮込んだ薄い塩味のスープに、好みの味を足して頂く。滋味が口中に広がる。
 


1/14
 今朝は快晴である。が、気温は氷点下3.5℃、積雪は111cmとなった山里だ。
 この大寒波で、北陸の一部は大雪が降って、あちこちで偉い騒ぎになっていたが、我が山里は拍子抜けする
ほどの雪で、1~2cmも降っただろうか・・・。
 で、富山第二の都市である高岡市が89cmの積雪を街の真ん中で記録した時、我が山里は79cmの積雪で
有ったので、高岡に住む森爺さんに電話をして「大雪お見舞い。」とやった親爺であるが、その直後我が山里に
雪が降り出した。な~に明日から晴れると、灯油を惜しんで屋根の融雪も切ったまま・・・。で、迎えた今朝である。
 いやいや結構降った。一晩に40cmも積もってしまった。油断大敵であった・・・。
 が、寒いながら今朝は晴れている。比較的軽い雪なので、この雪も直ぐに消えるだろう。


 やれやれ、やはり我が山里は雪の都である。高岡市の89cmの積雪など、僅か半日で超えてしまった。
 今朝はスキー場へ向かう車が凄い。この天気でパウダーとまでは行かぬもソコソコに軽い新雪だ。スキー場は
最高のコンディションのはずだから。


 昨日、森爺さんに電話した直後から雪が降り出した。親爺は又ソーセージを少し作った。仕上げは75℃の温度をキープして茹でる。
  

 昔使っていた紅茶サーバーを、コーヒーに利用、挽いた豆を多めに入れ熱湯を注ぎ抽出。デミタスカップでエスプレッソもどき
として飲む。これがまた美味いのだ。家に閉じ込められる冬も、こんなささやかな楽しみに救われる。
 


1/13
 非常に寒い朝だ。昨晩は氷点下7℃まで下がった。が、不思議なほど雪が降らない。富山県西部の高岡市な
ど89cmの積雪で、我が山里は79cm・・・。オカカが高岡に居た頃の記憶では、昭和38年の豪雪の事には及
ばぬも、こんな事は無いそうで、確かに県内でも一番立山に近い(立山そのものが芦峅寺だが・・・)わが山里よ
り、県内第二の都市である高岡市の真ん中の方が雪が多いなど、親爺も初耳である。
 オカカの記憶にある38豪雪の時、オカカは未だ保育園児で、小屋根の軒まで雪が積もり、道から掘り下げて
玄関に通じていたというが、我が山里もそれを優に越す積雪で、小学校5年生だった親爺も二階から出入りして
いた記憶と、愛大の薬師岳遭難事故で父たち(爺様たち)が救助要請を受け出動していたことを覚えている。
 まあ、最近の気象は予測し難い。オカカと二人「こんなこともあるのだね。」と驚いている。
 玄関先が融雪水の凍結でピカピカに凍りついた。危なくてうかうか外出できぬ。アイゼンが欲しくなる。


 隣の早月小屋親爺宅も庭が雪で埋まった。が、この程度の雪なら苦にはならぬ。


 今朝一番で長女が送ってくれた孫の写真。親爺はこれが一番の楽しみ。昨夜は良く寝たそうだ。


1/12
 我が山里に限り云えば、全く影響を受けなかったこの大寒波襲来だ。だが、富山県内の西部、高岡市では70
cmを超す雪が降ったそうで、オカカの実家のある高岡市なので、オカカも驚いている。山里は1cm程も雪が降っ
ただろうか。覚悟していたのに降らず、備えのない町場に降った雪だ。新潟でも電車の立ち往生など大変な事態
になっているが、中央の雪を知らないテレビ局のニュースショウなどで、アナウンサー辺りがなぜ速やかに乗客を
降ろさなかったのだ等と、雪を知らない人らしいコメントを出していたが、直ぐに降車させ、雪の中を歩かせる危険
性を考えてもいないようだ。立ち往生した車中で、大変ではあったろうが、そこに居れば雪の中で凍える心配だけ
は無かったのだから、この処置は適切だったと思うのは、親爺ばかりだろうか。
 雪国の暮らしは大変なのだ。今回の寒波からは外れた、我が山里だが。


1/11
 気温もやや下がっているようだが寒いとは感じない。雪も断続的に降り続いているが、一晩に20cm程だから
大騒ぎすることも無い。山里の積雪量は90cm代に入り、まだこれから少し増えるだろうが、未だ小寒の中とは
云え、寒中であるから、まあこんなものだろう。
 今回の雪は山雪と云われていたが、今の山里は薄日が射しており、今朝からの降雪も殆どない。それに引き
換えテレビニュースで見る富山市内や、空港辺りはかなりの雪降りである。これは里雪だろう。
 娘も孫もこの雪では帰路が心配だが、婿殿から連絡が来てこの雪が落ち着くまで実家で世話になった方が良
いとの事だったそうで、娘ももう一日二日滞在するとの事。その方が親爺もオカカも安心だ。
 さてそういう事なので、何か体力のつく食べやすいものでも作ってやろうかと、爺馬鹿ならぬ親ばか振りも発揮
している親爺だ。オカカは首が座っておんぶできるようになった孫をおんぶし、今寝かしつけている。
 雪の下にも、山里の生活が長閑に息づいている。


 首が座って、脇さえ支えてやれば親爺の膝の上で座っていられるようになった、よだれが凄い孫。戸外の雪は気にな
るが、暖かい居間で、孫と過ごす時間は楽しくて、あっという間に過ぎてゆく。
 


1/10
 風邪で体調を崩した長女が、大事を取って里帰り。もちろん孫も連れてであるので、ジジババは子守に忙しい。
 親爺の帯状疱疹もすっかり疑いが晴れ、湿疹はきれいに消え、体調も異常なし。だから、喜々として子守に参
加させてもらい、孫を抱いたりあやしたりと、楽しんでいる。幸い長女の風も、早めの受診、投薬、休養の甲斐あ
って、症状も治まりつつある。
 親爺とオカカは少し疲れ気味だが、これとて孫との楽しい時間の代償、ちっとも辛くはない。
 山里も寒波に襲われ雪だが、どうも本気の寒波ではなく時折青空が見えるし、気温もさほど低くはない様だ。
積雪が僅かに20cm程増えたに過ぎない。


 ババが抱っこすると、着物にしがみつくようになった孫。3か月半になる。我家上空に青空が広がるも、又直ぐ雪となる。
  


1/9
 昨日の暖かい雨風のお陰で、重く降り積もっていた圧雪が一気に20cm余りも解けた。
 融雪装置の稼働をケチって、残雪が結構あった我が家の屋根も、雪が解け落ち真っ黒になったし辺りの景色
も随分と黒が目立つようになった。
 昨日はオカカが、孫の子守で長女宅に行っていて、本当は親爺も行きたかったが、帯状疱疹の疑いがあるの
で家で留守番をしていた。
 留守番をしていても体は全く異常なく、することも特にある訳でも無いので、冷蔵庫の有り合わせの材料を使っ
て、キーマカレーを作っておいた。オカカ用に辛さはぐっと控え、カシューナッツやココナッツミルクを多めにして作
ったカレーなので、夕刻帰宅したオカカには好評だった。
 ずいぶん雪が解けた山里だが、今夜からまた寒気が入るそうだ・・・。


 不動の山も黒々してきた。


 1/8
 昨日とは反対の、小雨が降り風の吹く薄暗い朝だが、気温は高めで7℃もある。これなら雪も大分減る事だろ
う。因みに今日現在の積雪は80cmの山里だ。
 昨日午後、親爺の妹夫婦が遅ればせながらと年始に来て、2時間余り喋って行った。妹はオカカと同年配だし、
その亭主も親爺より一つ若いだけだから、共通の話題も多いが、孫の話が圧倒的に多くなる。妹夫婦には二人
の孫がいて、孫に関しては向こうが先輩である。
 そのうち、「今朝七草粥を食べたかい?」と云う話になったら、妹は「昔の味がなんか懐かしいけど、作り方が分
からないし、家では全く作らない。」との事。で、昨日のこのHPに親爺がそのことに少し触れてるから、やってみた
ら良いと教えておいた。
 「全く若い頃は美味しくなくて、ナニコレと思っていたものが、突然思い出され、食べて見たくなる。」のだそうだが、
言われて見ると親爺もそうかも知れぬ。年を重ねるとみなそんな風になるのだろう・・・。
 我が家の庭にはまだこんなに雪があるが、これでもずいぶん減った。でも冬はこれからが本番。ゾッとする。


 正月松の中も昨日まで。オカカがお飾り(鏡餅)を全部下げ、餅は全部あられに切った。切ったあられはしっかり
陰干しし、クッキーの空き缶などに入れ保存する。それを油で揚げ、上げ昆布なども混ぜ、一寸塩を振れば、素晴
らしい揚げあられとなり、市販のどんなものよりも美味しい。毎冬のオカカの一仕事である。
 

 山里の雪は少しずつ減っている今日だが、この冬はまだ入り口、これからが本番。


1/7
 正月も早や7日、親爺の感覚では松の内も今日までである。今朝は七草粥を頂いた。我が山里独特の七草粥
は、雪深い山里で暮らして来たご先祖様の、知恵と工夫で出来ている。
 今なら春の七草など、日本全国どこに居ても、スーパーなどで簡単に手に入る。が昔はそうはいかない・・・・・
と、書いてきて、毎年同じような事を書いていることに気付いたから、これ以上は書かぬが、今朝も年に一度の
我が山里の七草粥をしみじみと味わった。
 今朝は快晴だが、木々も凍てついている。
 

 これが山里の七草粥。その中身は大凡右側の写真の通り。昆布、勝栗、陳皮、干柿、黒豆、もち、三つ葉(白菜、大根など何でも良い)。
 

 大日も良く見えている。正月七日の山里だ。


1/6
 昨日の午後、左腕の肘と手首の間に赤い発疹がでた。前日何やらヒリヒリしたような痛みがあったのだが、と
思っていて、はたと数年前の帯状疱疹の時のことを思い出した。オカカが心配していろいろ調べてくれたが、いよ
いよ怪しい。で、最寄りの総合病院に問い合わせ、直ぐに受診した。
 結果、帯状疱疹の疑いがあるとの事で、塗り薬と飲み薬を貰い帰宅した。
 長女が孫を連れて、七日八日と我が家に里帰りの予定だったが、直ぐに電話してこのことを話した。孫にうつす
心配があるからで、「3か月の乳児なら母親の免疫があるから大丈夫でしょうが、100%とは言い切れないから、
なるべく接触は避けた方がいいでしょう。」との医師の話だったので、それに従う事にした。
 親爺実に残念だが、これは致し方ない。オカカが単独で、娘宅へ子守に行くことになった・・・。
 村の一番下手(富山より)からは道路正面に不動山が見える。


 村の上手(立山より)に来ると、真正面は大日岳となる。


1/5
 大凡の処は、恐らく今日から仕事始めなのではなかろうか。年末から昨日まで、ほぼ一週間ほどの、年にそう何度も
無いまとまった休みなので、それぞれに楽しく過ごされたことだろう。で、今日からは又仕事の日々が始まる。実にご苦
労様な事で、今や現役を退いた身の上ではあるが、嘗ては家業の山小屋親爺の他にも、30年余の会社員生活経験も
あるお親爺故、その辺りの心情も良く分かる・・・。本当に日本経済を支える皆様、ご苦労様なことだ。でも明日からは又
3連休あるからね・・・。
 今朝は今年に入って初めて、大日が見えた。
 娘たちも皆それぞれの棲み処に帰り、親爺とオカカの二人の山里での生活が始まる。


 今朝は凍みて、あちこちがバリバリに凍りついている。

 、、


1/4
 流石に正月も4日ともなれば、普段の日々に近づいて来る。
 今日午後には昨年末に帰省していた三女も、一昨日帰省した次女と、昨夕年始の挨拶にわざわざ我が家を訪れた
次女の婿殿も、皆それぞれの棲み処に戻ってしまう。
 となれば、今夕からまた、我が家は親爺とオカカの二人だけとなり、完全に普段の生活が戻ってくる。
 県外に住む次女三女の顔を見られるのは、次女の結婚式と披露宴のある5月になるだろう。精々県内に住む長女に
は、孫を連れてせっせと顔出しをしてもらわねば・・・。
 昨日帰った孫の顔がもう見たくなっている親爺である。
 玄関の戸を開けたら、軒先の雪が雪庇の様にかぶさって、氷柱が下がっていた。


 出窓の外にも氷柱が下がり、居間の神棚脇にかかるカレンダーは人生の先輩Nさんから頂いた親爺好みのカレンダー。
 


1/3
 昨日は箱根駅伝で、往路優勝を決めた我が母校だが、復路は青学に逆転され、総合優勝はならなかった。これ
は強豪青学の素晴らしい実力と、最期までそれに食い下がった我が母校、の健闘を称えるべきであろう。
 今年も、テレビ桟敷で新春恒例の爽やかな駅伝競走を堪能させてもらった。しかも今年は孫を膝の上に乗せあや
しながらの観戦で、とても穏やかな和やかな気分での観戦であった。
 その孫もさっき婿殿が迎えに来て長女と一緒に帰宅した。昨日帰省した次女と。昨年帰省した三女とまだ賑やか
な我家だが、今夕は次女の婿がやって来、更に賑わう予定だ。
 酒は飲めぬ親爺だが、正月だけはお屠蘇を来客向けに準備する。が、ほとんどだれも杯を取ろうとせぬ。車で来る
連中が多いし、次女の婿は親爺と同じ下戸、長女の婿も付き合い酒程度の様だ・・・。だから準備するお屠蘇も一合
だけである。それでも毎年半分以上は残ってしまう。


 山里は雪が降り結構な積雪だが、まだ1mを超えてはいない。正月のお飾り(鏡餅)に縁起物の羽子板も並べむかえた庶月だ。
 


1/2
 親爺の正月二日目は、箱根駅伝、テレビ観戦で始まる・・・と云いつつ、今朝はママが朝食中、爺は未だぐっすり眠る
初孫に添い寝しており、スタートをすっかり忘れていた。現金なものだ。
 で、ママが食事を終え寝室に戻ったので、温風ヒーターの給油をしてやってから居間に戻ると、オカカが「やってるよ。
箱根、忘れてたろう。今東洋第一位だよ2区で。」
 いやいや、孫に気を取られ、箱根をすっかり忘れていた親爺である。恒例の正月二日箱根駅伝も、孫には勝てぬ。
 が、今その孫がスヤスヤ寝ている間にと、例年通りテレビにかじりついている。
 僕がどこまで頑張れるか。ライバル青学に最近は水をあけられているので、影の薄くなっている東洋大だが、頑張れ
母校!


 山里は雪の中の正月だが、積雪86cm、まだじたばたする雪ではない。


 昨日初孫に、初のお年玉を渡した。”お年玉 貰ってくれて ありがとう” である。

  

  


1/1
 「新年あけましておめでとうございます。」
 と、いう事で、項を改めた絵日記だが、全く中身は同じ。
 変わり映えのしない日常にこそ、本当の幸せがあるという真実に、漸く気付いた親爺だから、今年はただ平穏に毎日を
過ごしたいと思っている。でも遊びもしたいし、旅にも出たいし、美味いものも喰いたい。まだまだ悟りを開いた隠者という
訳には行かない様だ。
 結局今年もまたマイペース。オカカと二人元気に日々を送りたい。
 これは、トモちゃんが現在勤務する岐阜県のスキー場から望んだ日の出。
 今日の初日じゃないが、気持ち良い朝日なので、
 ”めでたさも 気の持ち様ぞ 日々満足”・・・平成30年元旦 


 お節をつまんで、寝正月。良いね日本の正月。今年は今のところ、微妙だが、雪も落ち着いているし・・・。
 

 もうすぐ孫と長女夫婦も年始に来るだろう。今日は賑やかになりそうだ。  ”孫抱きて 初春楽し 爺と婆”
      

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