2019山賊庵絵日記(師走)      もう秋と言うには無理があり、初雪も来ましたので、来春1月
                                            に項を改めるまで、タイトルのみ改めこのまま継続します。・・・12/1
      

                                                本日より秋山の幕開けです。で、項を改めました。・・・9/1



12/31
 大歳の今朝も雨だ。雪が無くて良い大歳だとは親爺の独り言。スキー場なんかは困っている。まあ、この雨が午後から
雪に変わり、少し積もるそうだが、山里でも10cm程の雪かも知れない。
 平成から令和元年と変わった今年、親爺とオカカには穏やかな年で、孫も一人増えた二人になった。有難い。
 世の中は多くの自然災害に苦しめられ、台風被害など前代未聞の被害が出た。
 その年も今日で終わる。来るべき明日からの令和二年、2020年がより良い年になる様祈りながら、明日を待とう。
 正月を迎える準備に忙しい今日だ。


 雪のない山里である。
 


12/30
 今朝は暖かい雨が降っている山里だ。
 今日明日ともう二日間を切った2019年、れいわがんねんだが、昨日オカカと我が家の3大ニュースって何かなと、色々
出しあったが、先ずは次女の出産で、二人目の孫が誕生した事。次いでわが初孫がめでたく保育園入所となった事・・・と、
ここまではすらすらと出たが、後が続かなくて、結局ジジババは全く変わり映えしておらず、我が家の一族もそれなりに平穏
無事な年を過ごしたのだと解釈した。めでたきかなめでたきかな。
 庭のわずかな雪も殆ど解けてしまった。暖かい雨の降る大晦日前日だ。


 昨日は黒部が来ていて、嬉しく遊んだ。 lineで、東京の様子が送られてきた。豪快なヨーグルトの食事だ。
 

 我が家の庭にも、車庫にも、道路にも、今はまだ雪が無い。明日の大晦日は午後から雪になるだろう。


 座敷には屠蘇器やお重、雑煮椀が積まれ、正月準備が進む。     縁側は天然冷蔵庫、正月の食材が並ぶ・・・。
 


12/28
 もう帰省ラッシュが始まっているそうだが、松本の末娘は今日帰省する。ちょうど黒部の長女が年末のあいさつに孫を連
れて来る予定だったので、末娘を途中の五百石駅で拾ってきてくれることになっている。親爺とオカカもお節の用意やら、
何やらと、人並みに近く年末は忙しくなるから、丁度良い。
 子供たちが独身の頃は、3人の娘が家にそろい、賑やかと云うか姦しい年越しをしたものだが、今は昔の話。去年あたり
から大晦日は、親爺とオカカに末娘だけで、越年する事になった。
 正月元旦の夕刻に長女夫婦と孫が、年始に来るが、東京の次女は未だ子供が小さく、ラッシュを避けるのに、月半ば過
ぎに遅い年始に来るそうだ。その代わり一週間滞在するとの事だ。雪が多く降らねば良いが。
 さてさて、今からまだゴキブリ亭主に拍車をかけて、午後からは黒部の孫と遊ばねばならぬ。
 少し陽射しが出てきた。
 ケチって粉砂糖を撒いた様な今朝の雪化粧だ。


 冷蔵庫代わりの座敷縁側。まだまだこれから正月用の食料が並ぶ・・・。


 山里の雪もすぐに解けてしまうだろう。不動山の雪も殆どない。
 


12/27
 いよいよ年の瀬も押し詰まり、親爺とオカカもお節の準備に取り掛かった。
 オカカは昨夜から仕込み中言っていた黒豆をストーブにかけ煮始めたし、親爺も今日中に子持ち鮎の甘露煮を煮上げる
予定だ。
 今朝は雨が激しく降っており、今も降ったり止んだり。さっきは雹の様なものも降って来た。今も霙上になって激しく降って
いるから、下手をすると雪になるのかも知れない。でも何だか風も強くなってきて、かなり荒れ模様。ここで雪が来たら一気
に2〜30センチも来そうだな。クワバラクワバラ・・・。


 親爺又ソーセージを作り始めたが、今度はドライサラミ。しかも使う肉は猪である。勿論去年の冷凍で、今年はトンコレラ
騒ぎで、捕った肉はみな廃棄(埋設)処分だ。さて、このサラミ如何なる出来映えやら。
 

 物干場の屋根に雹が積もった。                       でも道路や屋根には雹も雪も全くない。
 


12/26
 昨日はクリスマスで、快晴だったが、今朝は高曇りだ。でも、割と温かい。
 昨日の晴天につられ、村はずれへ出かけ、親爺は久々にドローンを上げて見た。
 今年6月末に、同級生だったタクが旅立った。そのタクが亡くなる直前まで親爺を訪ねてきて、ドローンの操縦を練習して
いたのが、つい昨日の様だ。
 最後に親爺と一緒に村はずれ、志鷹の宮の駐車場でドローンを飛ばして、3週間足らずで旅立ってしまった竹馬の友。
 それ以来しばらく、ドローンを見るのがつらく、目につかぬところにしまい込んで忘れていたわけだ・・・。
 が、もういいだろう。昨日の余りに奇麗な立山に、ドローンを飛ばすことにした次第。親爺とてドローンを思うさま飛ばして
遊べるのは、そう長い期間でも無いだろうから。いや、なーに、まだまだ10年は頑張るがな・・・。
 この青空。輝く白い立山。「おーい、タクー見とるかーい。」


 80mの上空から見る我が山里。130戸ほどの家があるが、人口は300人を切ってしまった。


 今朝の大日。雪が少なくなった。春の大日の様だ。


12/25
 Merry Xmass!!
 実に大らかな宗教観を持つ日本人だから、クリスマスがキリストの生誕を祝う祭りであることは知っていても、クリスマス
ツリーを飾り、ケーキを切り、チキンを焼いて楽しみ、プレゼントの交換などもして楽しむ。
 自らは漠然と、神道・仏教徒であることは自覚しているので、正月は神社に詣でるし、事あるごとに神社の前で柏手を打
つのは神道の中、悲しい葬式や、ご先祖様の供養はお寺で仏様にお参りするのは仏教の中。昔からそうしてるから殆どの
日本人は例外もあろうが、この神道・仏教徒であろう。親爺もオカカもそうだ。
 宗教観が希薄とは馬鹿げた評価。一つの宗教にはまり込んで、他の宗教を認めぬところに争いがおこる。新興宗教など
他を否定するところからスタートすることが多いが、宗教がすべてという世界は怖い。
 宗教は生活の一部。だから他宗教と云えども良いとこは少し分けてもらって、ともに楽しむ。この位のおおらかさこそ、我
が神道・仏教徒の一番の良さである。
 世界宗教会議が初めて開かれたのは比叡山延暦寺。その中で天台宗宗門議長を務めた、佐伯秀胤大僧正は我が祖母
の義弟であり、最期まで祖母に「あんね(姉さん)」と頭が上がらなかった人だが、「山の頂に至るにはいくつもの道が有り、
どの道を登っても頂は一つ。どこを通っても道を踏み外さねば、必ず頂に着く。」とよく言って居た。
 成程。宗教とはそういうものだろう。その道の何所を通るかでもめて、道を踏み外すのは愚の骨頂。必ず交差する道もあ
ろうが、その交差点では助け合い、各々の選んだ道を登ればよい。
 だから、キリスト教徒に敬意をはらいクリスマスも共に楽しむ事は、良いことだ。増してや孫たちに贈り物をしてやれる日だ
から、親爺オカカも大いに楽しませてもらっている。
 今日はクリスマス、キリストの聖誕祭だ。山里は雪が全くない。大日を借景にホワイトクリスマス・・・。


 ジジババもプレゼントを贈っておいた、孫たちの親からLINEを通して動画が送られてきた。これがジジババへの贈り物!

 サンタがやって来た黒部。         まだサンタもクリスマスも分からないがプレゼントには興味津々の東京。
     

 とにかくこれは僕のものだ!と東京。   パパがサンタとは最後まで気付かないがプレゼントに大喜びの黒部。
     


12/24
 昨夜から雨で、雪になるかなと思っていたが、今朝も全く雪は降っていない。恐らく明日のホワイトクリスマスは無いだろ
う。出も山里の事だから明日は真っ白になっていても不思議はないが。
 今やクリスマスと云っても、、あごたちにプレゼントを贈り、そのプレゼントの大喜びする、Line での便りが一番の楽しみ
で、ケーキもチキンももう用はない。
 と云っていたら雪がちらほら落ちて来た。まあ大した事は無いだろうが、クリスマスだから、少し雪があってもいいかな?
 窓に張ったタペストリーが細やかな我家のクリスマスのすべて?窓の外に雪はない。


 富有柿があまり立派なので思わず写真に。美味いのだ。   去年だったか一昨年だったかこんな景色だった。
 


12/23
 朝は少し青空ものぞいていたが、重い曇り空になってしまった。今日も山里には雪が降っていないし、比較的暖かい。
 さっき、軽4WDで村はずれを一回りして来たが、冬枯れの寒々とした景色が広がっていて、何時もなら雪に覆われ白一
色になっていて、目につかぬ荒涼とした荒野原がいやに印象深かった。
 昨日オカカと一緒に漫才グランプリと云う番組を見た。すでに十数回目との事だったが、決勝ををしっかり見たのは初め
てだった。勿論漫才が嫌いなわけではないが、最近のテレビには次々漫才やコントの、いわゆる芸人と云う方々が溢れて
おり、覚えきれないし覚える程テレビを見ている訳でも無い。
 そんな中で、昨日グランプリを勝ち取った、ミルクボーイと云うコンビの漫才は、耳の遠くなった親爺にも割とはっきり聞き
取れ、いわゆるネタも身近で分かりやすく、その話術の巧みさに引き込まれた。変な言い方だが、何が可笑しいのか分か
らぬ漫才風ふざけが大手を振る中で、実に見事な漫才という話芸に引き込まれた。
 審査員も一名を除いて、このコンビに白羽の矢を立てた。見事!!
 このコンビはこれから一年テレビに出続ける権利があるそうだ。どんなふうに化けるか、たまにはバラエティーも見る様に
しよう。
 朝は青空が見えていた山里。


 村はずれから望む鍬崎山。雪が少ない。


12/21
 今日はヒコ叔父の連れ合いである叔母の一周忌だった。ヒコ叔父ももう87歳だが、息子(親爺の従弟)の家で何不自由
無く、暮らしていて、まだまだ元気である。連れ合いをなくして寂しいだろうがそこは気丈で、表には出さない。泣き叔母も
安心して成仏している事だろう。
 村内の叔母を乗せていったのだが、叔母も86歳。少し腰が曲がっただけでまだまだ元気だ。親爺にとって、ヒコ叔父は
父の末の弟であり、村内の叔母は母の末の妹にして父の弟の連れ合いである。我が父母に連なる最後の叔父と叔母だ。
 帰宅してすぐに普段着に戻ると楽になって、少し風邪気味で頭が重いが、昼寝すれば治るだろう。
 今日は大日が良く見える。薄く新雪を纏っている。

 
 我が家の庭にも雪はちっともない。


12/20
 今朝も山里は、曇り時々雨。気温は寒くもなく、暖かくも無い、6〜7℃だろう。
 親爺はその雨の中、軽4WDを駆ってかかりつけの眼科医院へ。ここへはほぼ3カ月に一回行って、高眼圧症の治療を受
けている。今日も上手く眼圧が下がっており、目薬を貰って帰ってきた。次は2月に行けばよい。
 昨日トモちゃんから、松本で食堂を開いたヒデの店へ行って来たと写真が送られてきた。ヒデの店は「山山食堂」サンサン
ショクドウ
と読むそうで、メニューこそ少ないらしいが、美味しいものを食べさせてくれる。
 ヒデはむかし、中国のウイグル自治区で羊の料理をかなり本格的に勉強して来た事が有り、暴動がおこる直前に帰国して
難を逃れたというラッキーな男だ。独特の麺類も打てるはずだが、今はそれをメニューには取り入れていない様だ。
 親爺とオカカも前回松本に行ったとき、寄ろうと思っていたのだが、日での彼女の経営するガレット屋さんで満腹になり、駐
車場の無い、ヒデの店へは顔出ししていない。で、どんな具合かと気にはなっていたのだが、ヒデの性格と生真面目さをよく
知っているので、地元の人に可愛がられる店になるだろうと思っている。
 で、その店の写真だ。撮影はもちろんトモちゃんである。


 如何にも松本の店。良いセンスだ。酒蔵を改装したそうだ。 豚の角煮定食。美味そうだ。ヒデの料理は親爺の折り紙つきである!?
 


12/19
 ただ今停電中。だけど更新だけしておいて電気が復旧したらアップすればよい。で、読書を中止してキーボードをたたい
ている。
 最近、大藪春彦のハードボイルド小説を再読し始めた。文句なく面白く、大好きな銃器の話も出て来るし、当時の銃弾購
入時の大らかな様子なども興味深い。
 大藪晴彦には思い出がある。昭和46年、大学に入り東京での一人暮らしを始める事になり、父と一緒に上京し、上野へ
着いた時、まだ早朝だったがタクシー乗り場で、大藪春彦を見たのだ。
 何かの雑誌で、氏の顔を見ており、独特の雰囲気でまごうかた無き大藪春彦だった。「流石東京だ。こんな有名人が普通
に歩いている。」と、妙な感心をした。
 それだけのことだが67歳になった今、読み返す「野獣死すべし」はやはり面白い。そして時代背景が懐かしい。
 そろそろ停電も終わるだろうが、今日もまた午後はハードボイルド小説の世界に遊ぼう。
 不動の山もガスっている。


 この前、ウインナーソーセージで失敗したが、懲りずサラミ風ソーセージを作った。これはまあまあ・・・。



12/18
 昨夜から妙に暖かく、寝しなには寝室の暖房を止め夜具に入った。
 今朝は暖かい雨が降っており、気温は下がっていない様だ。10℃はあるだろう。師走も間もなく20日になろうと云うのに
この暖かさは何だろう。まあ、これから徐々に気温は下がり、夜には2,3℃まで下がるらしい。
 寒暖の差が毎日結構大きく、寒さに慣れたと思うや又暖かさに身体が緩み、どうにも体調も定まらぬ。まあ、仕事がある
わけでもなく、気楽な身の上だから、自分の健康管理に専念していればよいのだが、易きに流れやすい生来のずぼら故、
ついつい自堕落な日々を送ってしまう親爺だ。少しは運動のまね事でもして、身体を動かさねば・・・。
 まあ、こんな雨の日はそれも無理だが・・・・・。


 オカカが、クリスマス気分を細やかに、タペストリーと、ミニチュアクリスマスツリーを飾って演出?これで十分だ。
 


12/17
 昨日の様な快晴ではないどころか、今朝の山里は薄暗く曇っている。が、薄暗く曇ってはいるが暖かい今朝だ。気温が
昨日よりも数度も高いそうだ。
 一寸雪が少なすぎて、暖かすぎて気味が悪い。勝手なもので雪の少ないことを願っているのに、又まるっきり降らず暖か
いと、何やらまた木に成る親爺だ。
 昨日の快晴時、立山が良く見える場所からズームをかけてみた室堂平、天狗平あたりでも、ターミナルや小屋がそのま
ま出ている様に見える。その下の辺りなどまばらにブッシュが出ている様だ。
 山里でも一回、あたりが白くなった初雪は来たが、半日ほどで溶けきってしまい、それから今日まで雪は来ない。


 田園の先に聳える屏風の様な立山の山並みだ。


 今朝は不動の山にガスがかかり暖かい。


12/16
 昨夜はぐっすり寝込み、朝もオカカが起きだした6:30過ぎまで一息に寝た様だ。昨夜も今朝も寒く、特に朝の冷え込みは
相当だった様で、家々の屋根には霜が降りていた。この程度の寒さだと熟睡でき、気分もすっきりしている。
 霜はおり、当たりも凍てついているが雪が無い。これは結構なことだ。このままいけば年末年始は雪が無いかもしれない。
 そんな自分に都合の良い天気を考えながらのんびりと師走半ばの時間を過ごしている親爺だ。
 今日は快晴の日になるそうだが、明日からは気温は下がる縫ものの雨・・・だそうである。
 朝は寒かった。家々の屋根は霜が降りていた。


 昨日は冷蔵庫整理のつもりで、実に久々にソーセージをる繰ってみたが、見事失敗。ぼそぼその美味くないものになった。
 肉の鮮度も、肉の扱いも、してはいけない事ばかりしていた様で、いろいろ調べなおしてみて呆れた。
 あれだけ夢中になって、結構なものが出来るようになっていたのに、1年半のギャップは大きい。
 


12/15
 昨日は曇りで夕刻から雨が降ったが、雪にはならなかった。今朝は冷え込んだが凍結が有るほどではなく、青空が徐々
に広がってきた。
 気付けば師走も半ば。平成31年にして令和元年だった、一年を二つの元号に分けた年も間もなく終わる。親爺とオカカ
の師走は、おせち料理をメインとする、正月を迎える準備だけだ。それでもまあ、人並みに慌ただしい気分は味わえる?
 という事で、そろそろとお節の計画に入っているが、今年の年末は親爺とオカカと末っ子の3人だけ。
 黒部の孫と長女夫婦は元旦に来るだけだし、東京の孫と次女夫婦は正月が明けて月半ばか、月末にしか来れない。
 まあそれでも正月は正月だし、準備は楽しみでもあるので、頑張ろう。
 雲がちながら青空も広がる始めた山里。雪は全くない。大日の雪も少ない。


 孫の便りがLineで届く。可愛くて可愛くて・・・!!
 パパにケーキをちょうだいと手を上げてアピールする黒部。 爺婆からのプレゼントを箱から出すママの手元を見つめる東京。
  


12/13
 寒いが外は青空が広がってきた。朝食後そこいらを一回りしてこようと外に出ると、濡れているところが凍っている。
 オカカが「危ないよ。そこ凍ってるよ。」と声をかけるが、この程度の氷で転ぶ訳には行かない。老いたりと云えども立山
で生まれ育ち生きてきた親爺の沽券にかかわる・・・足元に注意しながら歩いた。
 9:30現在かなり青空が広がり、陽射しも出て来たので、もう氷は解けただろう。
 昨晩、パールバックの大地全3部を読み終えた。再読のはずだが、ずいぶん昔の事なので、ほとんど忘れていたから、
大きな作品を読み終えた疲れの様なものが少し残った。で、今度は同じ再読(再々々読以上)だが、馴染み親しんでいる
池波正太郎作品で、休憩である。異郷に草臥れ里帰りしてホッとするような安心感があるのが可笑しい。
 最近ほとんどが再読だが、若いときに面白くて夢中になった、大薮春彦や、阿佐田哲也のゴラク作品群もあるし、もっと
若い中学生の頃に読んだ、大デュマのモンテクリスト伯、三銃士などの作品や、更に子供の頃に親しんだ、アンクルトムの
小屋、十五少年漂流記やにんじんなど等の名作集もある。
 向こうへ行く前にもう一度読んでおきたい本をかき集め、又新作でも読みたい本が有れば即購入し、読書三昧の冬を過
ごそうと、秘かに計画している親爺だ。右から竜王、浄土、雄山、大汝と立山が良く見えていた。寒い朝だ。


 鍬崎山も良く見えているが、雪は結構少なく見える。          我が家の石垣にも苔がついて薄汚れて来た。
 


12/12
 今日は雨。薄暗い朝を迎えている山里で、昨日と比べると幾分寒い。
 が、今が師走半ばに差し掛かろうとしている事を考えれば、雨が降っているのだから、今年も雪の少ない暖冬になるの
ではと、思わず自分に都合の良いことを考えてしまう。
 12月、1月は雪の少ない暖かい日が多いとの季節予報が出ているが、2月には寒い日がやって来るそうだ。
 いつもこの時期になると雪の多い少ないばかりが気になる親爺だが、長い間、冬は雪があって当たり前の山里で暮らし
てきて、積雪期ならではの遊びや、猟にも血道を上げ、雪を待ち焦がれていた若い日々ははるか彼方に去り、今や雪など
全く余計な邪魔ものとしか思えなくなった。もうスキーもしないし猟もしないのだから・・・・・。
 まだ今のところ邪魔ものの白い奴か来る気配がない、今朝の山里だ。


 不動山にさえ雪はまだない。


12/11
 昨日、東京の孫が帰ってしまったのでちょっと寂しい親爺だが、又オカカと二人の気ままに時間が戻って来たような気も
する。そのうち又、黒部から可愛い賑やかちゃんが来るだろうと、一寸待っている自分に気付く。
 昨日は次女と孫を送って来てから、久々にちょっと手の込んだインド料理、チキンマサラを作った。
 料理でもして、バタバタしていると時間が過ぎるのが早い。その中に次女と孫が無事東京に付いたと連絡があった。
 富山駅からの帰路、立山が奇麗だった。
 我が家玄関先から見る大日より、全景の大日の方が迫力がある。


 鍬崎も薬師も良く見えた。


 鶏モモ肉の皮をはぎ、一口大に切って、珍しく計量した。 その割に香辛料は目分量。でも、パウダーとホールは使い分ける。
ホールは、カルダモン、クローブ、ベイリーフ、シナモンなど。パウダーはコリアンダー、ターメリック、パプリカ、ガランマサラ、
カイエンヌペッパー。かまう事は無い、好みで何でも・・・。
 

 ホールスパイスと玉ネギ、ニンニク、ショウガを濃茶になるまで炒め、その間にカシューナッツとミルクを合わせペーストにしておく。
 

 炒めた玉ネギにホールトマトを加え炒め、パウダースパイスを加え炒め、カシューナッツペースト、塩、水と様子を見ながら
加え、最期に鶏肉を加え味を見ながら煮込むこと10分。出来上がりだ。実に美味い。ナンかバケットで食うと最高!
 


12/10
 今日は暖かく、快晴。立山も見えているし、村内に雪は全くない。
 竜宮城の浦島宜しく、東京の孫と過ごしていたが、五日などあっと言う間であった。最初こそジジババに慣れず人見知り
気味だったが、日一日と、いや、時間単位で懐いてくるのが分かった。
 もう今朝など一寸ママとババが外出した間は、ジジと二人でお留守番で、泣かずに過ごした。(わずか30分で、そのうち
20分は寝ていたが。)
 もうあやすと必ずニコニコ笑い、昨晩はお風呂もジジと泣かずに入った。6ヵ月と20日の東京の孫である。
 今日午後の新幹線で帰るので、昼過ぎには家を出て富山駅まで送るのだが、少し寂しい。
 我が家の玄関先から見える大日だ。雪は少なそうだ。


 日に2度の離乳食。盃に2杯ほどの量を食べるだけだが、目いっぱい汚す・・・。それがまた可愛い!


 黒部のオネエチャンならうどん半玉ほども、フォークで食べる。(半分手で、こぼしもあり・・・)
 


12/9
 寒い朝だった。家々の屋根には霜が降りて、あちこちが凍てついていた。
 それでも快晴の朝で、低い位置から射す陽光は弱々しいが、着実に霜を解かし凍みを解いていく。
 我家に滞在中の東京の孫が、朝から生活の中心。今日はオカカが次女と孫を連れだし、買い物をしてくるそうだが、朝の
離乳食を終えたらお眠である。で、ひと眠り。今目を覚まし出かけた。10:20である。孫のひと眠りのお陰で、霜も全部溶
け、凍結箇所も無くなったことだろう。
 で、親爺は一人留守番である。
 今朝は大日が良く見えた。これを見る限り立山の雪もまだそんなに多くなさそうだ。


 車庫の屋根の霜も、陽光に照らされたところからあっけなく消えて行く。    孫の居る朝の食卓は本当に心暖かい。離乳食の2/3はこぼれている・・・。
 


12/8
 一先ず雪は解けた。
 昨日は東京の孫に会いに、黒部の孫がやってきて、パパママ二人とも一緒に来たから我が家は賑やかだった。
 東京はまだ6ヵ月だから、そんなにワルサも出来ぬと思っていたが、這いまわり転げまわるので、低い位置に置いて
あるものは手あたり次第で、つかまり立ちの未完成形、つかまり膝立ちとでも言おうか、ソファーテーブルの上も射程に
入ってしまう。
 黒部はもう2歳一ヵ月、自由自在で動き回り、爺など追いかけるだけで疲れてしまう。だからこっちも手あたり次第。
 という訳で、昨日の賑やかさと来たら大したものだった。
 お陰で昨夜は熟睡、今朝7:00ちょっと前まで、一機に寝てしまった。
 今朝は雪も消え、雨も降っておらず凍結もしていない。で、オカカは東京の娘と孫を連れだし、買い物に出かけた。
 親爺は留守番で、娘リクエストのローストビーフを焼く予定。雪が解けた山里だ。


 ジジババは孫二人と一緒で実に幸せだ。ただし疲れる事は覚悟の上で・・・・・。
 黒部のお姉ちゃんが東京の赤ちゃんをナデナデする。自分は爺にナデナデしてもらいながら。


 ”幼きは幼きどちの物語・・・・・”佐々木幸綱の歌が頭に浮かぶ。 東京の坊はお座りが出来る様になった。
 


12/6
 昨日東京の孫と娘が来た。オカカと二人富山駅まで出迎えたが、貌を見たら大泣きされた。
 家は帰り付き、抱っこしようにも、ママが側を離れ姿が見えなくなると泣き始め、どうにもジジババを忘れてしまっている
様だ。まあ2か月ぶりだからやむを得ぬ。
 それでも少し昼寝し、起きた後は一寸づつジジババに慣れてきて、我が家にも慣れて来た様だ。泣き暴れるのを抱っこ
して風呂に入れ、入れ替わりでママが風呂に入っている間中、オカカが前抱っこして顔を見出ぬ様にしながら、お気に入り
の「いないいないばー」のビデオを見せて凌いだが、ママは風呂が長い、今か今かと待つうちに、寝てしまった。
 今朝は積雪10cm、山里も完全な冬景色となった。
 起きだした東京の孫も今朝は少しジジババを思い出した様だ。寒い冬がやってきた。


 今朝は爺にも少し慣れた東京。おしゃまな黒部は「オタタズケ?!」をしている。ジジの宝二人。
 


 12/5
 昨日床屋で髪を切って来たからか、首筋がスースーと寒い。寒気も入って来ており、不動の山も薄く雪が来ている。昨日
床屋帰りに立ち寄って来た、川向かいのスキー場ももう可成り白く雪が来ている。
 スキー場では雪に降ってもらわないと商売が上がったりであるが、降りすぎても客足は伸び悩むそうで、難しいものだ。
 スキーが大流行で、冬の土日ともなると、山間部の生活道路が渋滞で麻痺した事など、今は昔の話である。後発の設備
の整ったスキー場が出来、客を盗られたのかと思っていたらさにあらず、スキー人口自体が減っているらしい・・・と云うより
若い世代が少なくなっているという現実があるのかも知れぬ。
 今日は東京の孫が来て、この10日まで我家に居るので、親爺とオカカは昼過ぎに出迎えで富山駅に向かう。
 しばらく可愛い孫との同居で、我が家も賑わうだろう。そのうち黒部の孫もやってくるだろうし・・・・・。
 寒いはずで、雪がそこまで来ていた。


 昨日見て来たスキー場も今日は真っ白だ。


12/4
 今朝は散髪に行った。友邦兄も来ており元気な顔を見た。
 床屋は常願寺川を挟んだ対岸の村にある。頭を奇麗にしてもらい、極楽坂スキー場経由で帰宅した。スキー場の雪の様
子を見たかったからだが、まだまだ滑れるようになるのは先の様だ。
 芦峅寺と旧大山町原(極楽坂スキー場)に架かる立山大橋のお陰で、数分で行き来できる。出来るようになったが、スキー
客の激減で、スキー場には辛い昨今だ。
 橋の中央から、芦峅寺方面を見ると、石臼平の上部まで雪が来ていた。まもなく村にも雪が来る。


 明日から東京の孫が我が家にやって来る。数日滞在する予定だが、這い這いをするようになっているので、楽しみだ。
 黒部の孫も月に2回ほど来て、泊まって行くので、色々なものが置いてあるが、危なくないように整理しておいた、
 オカカも、紙おむつやらいろいろ買いそろえに行っている。


12/3
 今朝は川向かいにあるスキー場に雪が来ていた。スキー場上部は白くなっている。
 寝床から起き出して窓を全開にして、強風で外れていた網戸を入れなおしていても寒いとは思わなかったが、雨が少し降
っていた。
 今日は親爺の薬もらいの日で、これから富山市内のかかりつけの医院に出かける。親爺の軽4WDも、オカカのプリウスも
もうスノータイヤに履き替えてあるので、少しばかりの雪が来ても別に驚きはしない。転ばぬ先の杖を心がけている。
 周りの山が白くなって、やがて山里も白くなってくる。


 孫の写真が増えすぎて、PCが重いので外付けのHDを買った。2Tの容量で、8000円台デアル。安くなった。


12/2
 雨風、時々晴れと云う誠に変な天気で、かなり暖かく、折角冬仕様になりつつあったからだが、又急激な温度変化で何や
らおかしくなっている。
 オカカは買い物に出かけ親爺が留守番なので、ゆっくり本でも読もうかと思ったが、その本も今はパールバックの「大地」
の再読に取り掛かっており、漸く最終の3部に取り掛かった処なので、他の本を読み始める気力も起きず、さりとてこの大
作を読み始めた以上(再読ではあるがかなり多くの部分を忘れている。)どうしても読み切りたいので、もう少し休んでから
読書に取り掛かるつもり。そう、このくらいの大作の読書には、体力も必要なのだと痛感する。
 こんなに青空も見えているが、空からは雨が落ちてきて、妙に生ぬるい大気だが、時折突風が吹きすぎる。
 可笑しな空模様だ。


 強い突風で、隣家の電話線がビュンビュン音を立てている。


12/1
 いよいよ師走となった。まぁ、ここ数年以上、世間様には申し訳ないような師走を過ごしている親爺とオカカだが、今年も
何とか大過なく年の瀬に漕ぎ入れ、来るべき新たな年にもまたのんびりと漕ぎ出して行けそうだ。
 今朝は晴れ。気温も順調に上がり、暖かい日になるだろう。親爺も重ね着していたシャツを一枚脱いだ。
 立山も昨日までで、完全閉鎖された。もう春まで一般の人は入れない。立山も冬ごもりで休眠である。
 山里の師走朔日の青空。雪は全くなくなった。


 奥に見える大日も雪がいくらか溶けている。



以下 2019山賊庵絵日記(秋)

11/30
 何とも時の移ろいは早い。霜月も今日まで、明日からは師走だ。
 親爺もオカカも元気に日々を過ごしているが、そこはそれなり老いも感じ、自然の摂理には抗えぬ事は身をもって感じて
もいる訳だ。
 昨夜寝しなに降っていた雪は、その後間もなく止んだようで、今朝は初雪の昨日よりもくっきりと雪が見て取れたが、道路
にまで雪が積もる事は無かった。不動の山が白く雪化粧をした程度だ。
 今日は土曜日ながら、アルペンルートも営業最終日。大きな事故もなく立山は閉山となりそうである。
 山里の今朝の景色だ。


 昨夜、寝しなの雪降り。                                 今朝の大日。
 


11/29
 とうとう北風小僧ならぬ、白いものが山から村へやってきた。
 やれやれ、とうとう来やがったか・・・である。
 まあこの程度のお印ならば、午前中には全くなくなるだろうが、やはり今年も来るのだなぁと、もううんざりしている。
 大日も山すそ迄すっかり雪衣を纏ってしまった。


 まあ、霜が降りたのかと見まごうばかりのお印ではあるが・・・。          家の背戸の家々もすっかり屋根が白くなっていた。
 

 向かい側奥に見える閻魔堂も周りを囲む杉木立の中でうっすらと雪をかぶっている。


11/28
 寒く薄暗い朝だ。今夜にも初雪が降りそうな気配だが、居間は床暖とストーブで暖かい。
 オカカは久々の美容院、親爺は留守番でゴロゴロしている。
 気が付かなかったが、室堂周辺の宿ももう山を下りている様だ。山小屋商売を離れ、ほぼ三年。山の情報も可なり疎く
なって来た親爺だ。
 さて、残りはアルペンルートだけ。大きな事故のないうちに早く閉山すれば良いのだが・・・。
 山里にも雪が来る。親爺の軽4WDもオカカのプリウスもスノータイヤに履き替えた。これで冬支度は出来た。
 まぁ、それでも雪にはあまり来てほしくはない。ほどほどに降ってくれるなら良いが・・・。
 どうにも怪しい今朝の空だ。見えないが雪の匂いがする・・・・・。


11/27
 今日は朝からオカカと富山市内へ出かけ、又映画を観て来た。
 「決算!忠臣蔵」と云うコメディで、ベースが我々旧日本人にはなじみ深い、忠臣蔵なので、そのストーリーは殆ど頭に入
っており、それを経理面からコメディー仕立てで仕上げた映画であるから、可笑しくて面白くて深く考えることなど全くなく、
ただ楽しんできた。
 面白かった。当時の金銭価値を「そば一杯16文=480円」という斬新(荒唐無稽)な基準を以ての計算ながら、それが
またおかしく、考えずに楽しめた。
 出演メンバーも吉本のお笑い芸人がメインで、もちろん堤真一や、西村某、笹野高史などなど個性豊かな俳優が加わり
石原里美演ずる遙泉院など全く今までにない骨太キャラだった。
 オカカともども楽しんで、帰路に就いた。
 朝は青空も見えたが、もう今にも降り出しそうな曇天である。


 これは面白かった。皆さんもぜひご覧ください。


11/26
 昨日久々に我らが隊長こと、Sさんと電話で話した。Sさんは山岳ムービーカメラマンとして、高名な方で、嘗てのエベレスト
女性登山隊に随行し、ご自身もサウスコル迄上り撮影をした猛者でもある。
 で、そのSさんが何故我らが隊長かというと、常に若く、遊びの世界でもリーダー的存在で、親爺とは20も年が離れている
が、全ての遊びで先陣を切り偵察抜きの特攻隊長であったからで、親爺や親爺の後輩であるTなどは、「おい、分隊長」と呼
ばれ、隊長の特攻に良く付き合わされたのである・・・。
 今年満88歳。依然とカクシャクとしており、ゴルフも仕事も現役で、番組製作会社の会長をしておられるが、海外取材にも
「俺が行ってくる。」と率先する勢いで、ここでもやはり特攻隊長なのである。
 全く物おじせず、誰にでも明るく気軽に接し、仲良くなってしまう独特のオーラーを持つ未だ現役のSさんに「110歳まで生き
るつもりで頑張らんとダメだぞ!」と、実に爽やかな喝を入れられた親爺だった。
 今朝は肌寒く、冬の足音が聞こえる様な山里の朝だ。


 オカカの作った粟ぜんざい。見たことはあるが初めて頂いた。結構おいしいものだが手がかかる。


11/25
 黒部の孫が遊びに来ていたので、昨日はHP更新をサボった。
 10月から保育園に入り、まだ2歳2ヶ月になったばかりなのだが、遊びに来る回数がぐっと減ってしまって、親爺は寂しい
想いをしている。出も保育園通いの所為か、おしゃべりが上手になり、色んなことを話す様になったし、おしゃまさんにも磨き
がかかり、その可愛いしぐさの一つひとつにジジババは可愛さを募らせている。
 この可愛い無邪気な孫ともうどれだけ、「甘い、だから大好きなジジとババ」として接することが出来るのだろうか。その短い
時間を思うと余計に今の幼気な孫が愛おしくなるのだ。
 閻魔堂の石段脇の紅葉が真っ赤だ。


 ジジと無心に遊んでくれる2歳2か月の孫。ジジの背中によじ登って来るのはこの孫だけだ。


 ハイハイを始めた東京の孫6ヵ月。洗濯籠をひっくり返すのが楽しい様だ。
 12月に入れば我家にやってきて数日滞在の予定。

 


11/23
 朝からよい天気で、比較的暖かい。低い陽射しながら眩しく温かい。
 今日は黒部の孫が来る。保育園に通い始め、ママも復職したから、以前のように頻繁には来れないが、たまには顔が見たく
て、ジジババも朝から待ち構えている。
 言葉の数がかなり増え、まだ判別できぬ言葉もあるが、片言のお喋りが面白い。
 疲れ果てるだろうが、楽しみの方が遥かに大きい。孫と遊ぶとはそういう事だ。
 良い天気だが、熊や猪がウロツキ、危ない昨今、山里では特に気を付けねばならない。
 朝日に葉を7割方落とした銀杏が照らされている。その木立を透し、向こうの山の端が見える様になった。


 低い位置から射す朝日は、閻魔堂のもみじを照らし、我が家の物干場からも居間に差し込んでくる。
 


11/22
 昨日の久々の映画は大変楽しかった。映画館と云っても親爺たちが若い頃の映画館とはずいぶん違う。
 先ずチケットの購入はネットでもできるし、劇場でもタッチパネルの販売機で、好みの席を選びながら購入できる。更にいくつ
かのシアターが一つの建物に同居していて、スタジオA,B,Cとか、スタジオ1,2,3に分けられている。
 但しもっと決定的な違いは、賑わいである。静かに映画鑑賞したい人には最高の環境ながら、大きな100人以上のシートが
ある劇場で、精々10%〜20%の埋まり具合なのだ。
 これではまた存続が困難にならないかと、それが心配なくらいだ。
 まあ、ゆっくりのびのびと大迫力の物語を堪能して来た。
 今朝も大日は見えている。


 隣の百貨店内にある天ぷらの名店つな八でライチを頂き、観た映画はターミネーター・・・。凄い迫力だった。
 たまには街に出て、こんな時間の過ごし方も良いかもしれない。
 


11/21
 良い天気で昨日よりは暖かくなりそうだ。
 朝見上げた大日はかなり白くなっていた。雪も少し下まで,1900m位まではおりてきているようだ。
 今日はオカカと二人、富山市内の映画館へ行く予定。特段見たい映画があるわけでもないが、ターミネーターの最新作が
面白そうだから、それを見てこようと思っている。
 上映開始が13:00だから、その前にどこかで食事をして、映画館に入ればいい。が、親爺最近は昼食後小一時間ほど昼寝
をするのが癖になっていて、まさか寝てしまうことも無かろうが、ちょっと心配・・・。
 オカカのプリウスが車検に出ているので、親爺の軽4WDで出かけるつもりだ。
 山は冬枯れの色に変わり、彼方の大日はすっかり雪をかぶった。
 


11/20
 いよいよ寒くなってきた。居間のストーブ、床暖を入れて2時間、まだ室温が20度にならない。20℃どころか15℃だ。
 初雪が来るか、雪に覆われねば雪国育ちの親爺には冬という実感はない。唯晩秋と云う感じである。
 が、年々身体は温度変化に弱くなってきており、暑いとばてるし寒いと動きが鈍くなる。年齢のせいだろう。
 さっき窓の外を見たら、近所の銀杏が殆ど葉を落とし、閻魔堂階段脇も紅葉も真っ赤になっていた。あとは雪だけで冬だ。
 さてさてタイヤでも履き替えて、冬支度とするか・・・。寒々とした風景だ。


11/19
 いよいよ今日から寒くなるとの事だったが今朝はまだ寒くは感じない。何でもこれからどんどん寒くなるのだそうだ。
 山里も雨で、立山も全く見えていない。山頂では雪が舞っている事だろう。
 こんな薄暗い朝は気がめいりそうになるが、なに、本でも読みながら一日過ごそうと腹をくくると、却って気楽で楽しくなって
くる。親爺の場合、殆どゴロゴロと過ごしているので、こんな風な気持ちの切り替えなども要らぬのだが・・・。
 ガスで視界は利かず、雨も降っている山里だ。


 0.5歳(6ヵ月)のバースデーは東京の孫。    保育園児(未満児)になった黒部の孫。二人は大事な爺の宝である。
 

 この二人を連れて、立山を散策するのがジジの夢なのだが・・・。


11/18
 三日ほど、旅の話ばかりだったが、神戸南京町からは、交通量の多い都市部が高速道路でも混みあい渋滞するので大阪
京都を避けて、若狭道へ向かい、北陸道に出て帰宅した。
 昨日今日になって、漸く旅の疲れ?もぬけ切り、日常へ戻った。
 今朝は少し風でざわついているが、やたら暖かい。
 昨日は日曜日ながら、立山町内のU医院ではインフルエンザの予防接種を、9:00〜10:00の一時間だけ、摂取してくれ
ると云うので、オカカと二人行って来た。わざわざ日曜を狙うことも無い身の上だが、インフルの予防接種に特化しての診療
だから、極めて効率よく行われ、待合室もごった返すくらいの盛況だった。問診表に記載し、5分、最後に先生の問診で、チク
リッと来て終わりである。恥ずかしながら生れてはじめてのインフル予防接種であった。

 これで多分今冬は風邪をひくまい!?
 大日山頂部の雪が少し溶けた。


 旅行からの帰路、富山に入って虹が出迎えてくれた。                     近所の銀杏は今日あたりで葉を落とすだろう。
 


11/17
 高知で朝を迎えた日は、徳島の祖谷峡を見て、神戸まで行く予定だった。
 ”祖谷のかずら橋”で名高い祖谷峡は今や立派な観光地。細くカーブだらけの道ながら、観光バスも行けるように整備され
ていて、とても秘境と云う感じはなかった。
 大きな土産物屋の駐車場に車を停め、早速かずら橋を見に向かった。何とも商魂たくましく、土産物屋の内部を通らぬと
かずら橋へ行けない。まあどこの観光地も似たようなものだが、何となく不愉快になる。しかも台湾からの団体に巻き込まれ、
かずら橋を渡り切るまで、同行してしまった・・・・・。うるさくて、でもこのグループの中に入ると何となく楽しくなって来た。
 一寸話しかけるも、日本語も、英語もあまりできない様で、会話は成立しないが、ワイワイガヤガヤの陽気な雰囲気が親爺
もオカカも飲み込んでしまい、何となく一緒に橋を渡った仲間?みたくなって、面白かった。


 かずら橋と云ってももちろん確り整備され、よく見るとかずらの色に染めたスチールワイヤーが基部に用いられている。
 でもこんな橋を渡る事は一般人には先ず無いだろう。生憎とこれ以上のつり橋を、日本の奥山や、ネパール奥地などで
経験している親爺には普通の橋なのだが、冷静なオカカにしても揺れや、足下の隙間は気味悪かった様だ。
 台湾の皆さんはけたたましく、橋の真ん中で立ち往生。凄まじい渋滞となっていた・・・。
 

 紅葉真っ盛り祖谷峡は賑やかだった。


 祖谷峡を離れ、親爺とオカカは神戸南京町に至る。ここがこの旅行最後の泊地、早速南京町の
豚饅頭の名店、「老祥記」の行列に並ぶ。
 



11/16
 四国では土佐の高知が今回の目的地。親爺は何度か行っていたが、オカカには足を踏み入れたことのない地だったので、
「お〜い龍馬」(原作:武田鉄矢、作画:小山ゆう)と云う漫画の大ファンでもある事だし、是非にも訪れたい地だったのだ。
 移動も短いきょうの行程だし、道路も整備されているので、昼ころには桂浜に到着。
 先ずは龍馬像に挨拶だ。土佐の高知の第一人者は、山内一豊でも長曾我部元親でもなくもちろん山内容堂などではない。
 才谷屋のドラ息子事、龍馬なのだ・・・と、漫画であのややこしい時代を把握した、親爺もオカカもそう思っている。
 まあこれでよい事にしておこう。息を切らしながら龍馬像まで石段を登り、桂浜を散策し、酷く不味いうどんを喰ってっ桂浜
を離れた。(土産物屋の二階レストランで食った冷やしうどん、昭和のやる気のないドライブイン以下の味だった・・・。)


 予約していた宿が、いわゆる公共の宿で、高知城前の一等地で、駐車場もしっかり利用できるのだが、チェックインが16:
00とやや遅めで、15:00頃に着いてしまったので荷物を預けお城見学と相成った。
 城と云うのは石段がつきもので、その城を見学するには最低、天守の建つ最上段迄登らねばならない。が、これは親爺に
は堪える・・・。何時ものようにオカカに叱咤激励されながらの見学であった。
 オカカはまだ元気だが、親爺はへたり込んでばかりだった・・・・・。
 

  が、高知城を後にし向かった「ひろめ市場」で親爺は生気を取り戻す。まめかんてんや白玉善哉の美味かったこと。
  


11/15
 一週間ぶりの更新だ。
 親爺とオカカは旅に出ていたのだ。結構この時期になるとどこかにウロツクことが多いのは、山小屋時代の名残かもしれ
ない。
 立山を仕舞い、打ち上げやら、事務整理やらの目鼻を付け、ホッとして旅に出るのが今頃だから。
 で、今回はかつて2度参拝に出かけながら、社が工事中で、仮社の参拝しかできなかった出雲大社にお参りしようと言う
大きな目的もあった。
 が、何と、陰暦の神在月である出雲大社で、11月11日は特に縁結びに霊験あらたかな日だとか、嘘か誠かは知らぬが
異常な混雑で、車での移動故先ず駐車場にすら入れず、異国の言語が飛び交う人混みには近寄り難い・・・。
 で、潔く諦め、渋滞する車中から本殿方向に向け参拝、当日の泊地、尾道に向かった。
 松江〜尾道には自動車専用道が開通しており、ほぼ無料で快適な速度で移動できた。が、この町も車で移動し観光する
のは極めて不適切。道が狭く急な坂道にカーブだらけ。で、ここも早々に宿に入ることにした。
 尾道の竹村家と云うお宿は、築100年を超えている老舗で、映画「東京物語」の撮影では、原節子や香川京子と云う往年
の大女優たちが滞在した宿としても有名だ。で、ミーハーな親爺とオカカにはこの宿に泊まる事も大きな目的だった。
 いやいや、素晴らしい宿である。そのロケーションも、時間だけが与えうる風格も、圧倒されつつもゆったりと抱き込まれ一
夜を過ごした。素晴らしかった。
 という次第で、まだ旅は続くのだが、今日はここまでの報告で。
 帰宅し迎えた朝の大日は白く雪衣を纏い、不動山も紅葉が終わっていた。


 たまたま開いていた駐車場は割後そばの名店。10分ほど並んでそばにありついたが、店を出た時はもう長蛇の列ができていた。
 這う這うの体で、人混みの出雲大社から退散、尾道に向かい、老舗旅館竹村家に投宿。
 

 建物は大正4年に建てられた文化財指定を受けている。時間だけが作り得た風格は、至る所に漂う。親爺などその風格に大いに圧倒
されつつも、知らぬ間にゆったりと暖かくこの宿に抱かれている気分になり、すっかりくつろいだ・・・・・。
 


11/8
 今日は立冬。朝から気温があまり上がらない。
 隣家の銀杏の木が一晩で色付いた。例年よりかなり遅いような気がする。
 この木の葉が暫くの間キラキラと黄金色に輝き、やがて地面に散り落ち気が裸になると、あの嫌な雪がやって来る。


11/7
 今朝も良い天気で、大日も良く見えているが、やや雲がちで陽射しは眩しくない。
 それでも温かく、風がやや吹いている。気温だけを言うと小春日和だが、風がこれについている。でも強い風ではなくて
そよ風くらいだろうか・・・いずれにしろ穏やかな日だ。


 親爺とオカカにとってはもう一人の孫である、ヨータロー。
 最近は小学生で、我が家を訪れる事もめっきり減ったが、来れば小さい時から出入りしているのですぐ慣れる。
 そのヨータローが村の文化祭に、軍艦三笠のペーパークラフトを出した。小1の作品だ。


 叔母が作った里芋を、従兄弟が掘り、洗い、奇麗にしたものを貰った。オカカが早速塩ゆで、
衣被に仕上げた。甘く美味い。


11/6
 やや雲がちながら青空が広がる朝だ。窓から見える不動山が紅葉の真っ盛りだ。
 今称名が紅葉の盛りだと新聞に奇麗な写真が載ったからか、沢山の車が称名を目指し上っていく。平日でも結構な車が
行くのだが、これは曜日拘束を卒業した我が身同様の方々が多いのだろう。結構な急こう配の道が続くので、精々気を付
けて安全運転で楽しんで下さい・・・。
 今山里も紅葉が盛りを迎えている。雪をかぶった立山が、見えた今朝である。


 居間の窓から見える不動山もきれいな紅葉だ。 


11/5
 恥ずかしながら昨日は誕生日で、親爺も67歳になった。
 別に何も変わらず、66歳が67歳になっただけの話だが、オカカと3人の娘たちはアマゾンクーポンをたっぷりとプレゼント
してくれたし、可愛い二人の孫からはそれぞれの親がかりで、自らの笑顔を写したバースデーカードが送られてきた。
 いやいや、良き日であった。誕生日は良いものだ。
 が、この年になると当然、誕生日は冥土の旅の一里塚であることを意識し、来るべき日に近づいているという覚悟を新たに
すべきでもある。平均年齢がいくら伸びたところで、我が未来は過去よりはるかに短いのだ。
 まあ、実はそんなことも殆ど考えず、日々をだらだらと過ごしているのだが、その何気ない日々が一番尊いのだろう。
 今日は立山も良く見える快晴。陽射しが温かい秋の日だ。


 お寿司屋さんで順番待ち。もう大概のものは食べられる。   タオルで遊んでいたらいつの間にかぐるぐる巻きに・・・。
 この二人の孫が現在の爺の大事な宝物である。昔から言われる通り、孫の可愛さとは何とも格別なものだと思い知った。
 


11/4
 孫が帰って、寂しい朝だ。昨日は親爺より早く起きだして、ババの電話でたたき起こされたジジだった。
 夕方まで、ジジババと遊び、機嫌良く帰って行った孫。喋りっぱなしだが、大半は意味不明・・・。それでも覚えたての言葉
を片言の発音で並べ、何かを表現しているらしいことは良く分かる。そしてそれがまた可愛いのだ。
 今朝はのんびりしているが、静かすぎて一寸淋しいし、不動山にもガスが掛かっているような天気で、肌寒い。昨日までは
立山や称名へ向かう車の流れが凄く、うかうか外出もできなかったが、流石に曇天の連休最終日ともなれば静かなものだ。
 イヤイヤ連休の多い今年だった。
 ガスに覆われた錦秋の衣を着た不動山。


 剱の雪もほとんど解け切って、昨日の晴天で無くなっているだろう。 11月のカレンダーは、五式戦である。
 


11/3
 昨日は24時間心電図の取り外しと、その結果を聞き、その他診察も受けるため病院に行った。土曜日だがほぼ通常の一
日勤務で開業している医院は大変だ。
 結果大きな所見は無く、午後に家に帰ったら、孫がお泊りに来ていた。保育園に通い始め、ママも職業婦人に逆戻りしたた
め今迄の様に頻繁には来れぬが、月に二度くらいは顔が見たいと長女に行っている親爺だ。
 言葉は半分ほどしか分からぬが、四六時中しゃべっていて、仏間のご先祖様の写真がお気に入りで、写真を見ながら話し
ている。一人遊びの延長だろうが楽しそうで、可笑しい。特に爺様の写真はニコニコ笑っているからか、お気に入りの様だ。
 「何か見えるのかね。」とママが言う。「何が見えてもあの部屋で見えるものは守護神たちだよ。」と親爺・・・。
 とにかくこの小さいのが一人いると、随分暖かく、明るい家になり、そして帰宅するころジジババは疲れ切っている・・・。


 黍餅をついた。8合のもち米に300g程の黍を載せ餅についた。


 餅つき機だから、あっという間に餅になる。一晩米と、黍を水に漬け込んでおくだけで、後は蒸しから搗きまで機械で。
 


11/1
 いよいよ11月、山里の付近の山々も良い色に染まってきて、今度秋晴れの青空が広がると奇麗な事だろう。
 今日は晴れてはいるが雲がちで、立山も見えてはいないが、山頂カメラを見ると青空が広がって、剱までよく見えている。
 親爺は今日は24時間心電図の装着に、掛かりつけの医院まで行って来たが、後は例によって自由時間。
 先だってオカカと小旅行の時、長野で買って来た黍で、黍餅を搗こうと頑張っている・・・と云っても餅つき機に浸しておいた
糯米と黍をセットすれば後は待っているばかりだ。
 以前、爺様が元気なころ、爺様の友人のマタゾーさんに、粟餅を頂いたことがあって、それがとても美味しかった。で、爺様
曰く、粟餅も美味いが、黍餅も美味いもんだぞ〜。
 それが親爺の耳に残っていて、食い意地が人一倍の親爺はオカカが道の駅で黍を見つけた時、もう黍餅を搗こうと決めて
いたのだ。
 8年ほど前の今日、ブナ坂付近で。


 今朝の不動山。随分色が濃くなって来た。


10/31
 今朝は快晴、不動の山の秋色もきれいだ。
 陽射しがずいぶん低くなって、我家の居間には、南東向きの物干場出入り口から眩しい朝日が射し込むようになった。
 朝の気温は12、3度なので、ストーブを炊いているが、この低い日差しが射し込むと室温も上がるような気がする。
 今朝も我が家の庭にはイノシシの跡。被害など何もなく、僅かに家の周りの地面をほじくり返されているだけだが、野生
の獣が徘徊する家の庭など物騒なものだ。考えて見ると、猟銃を所持していたとしてもこんな村中で発砲する事も出来ぬ
し、罠をかけることも不可能だ。
 昨日オカカが、イノシシの嫌うという唐辛子のみじん切りを撒いたところは、確かに避けて通っているようなので、今朝は
親爺の大量に買い込んでいる、カイエンヌペッパーをまき散らして来たそうだ。
 朝の一時、眩しい陽光が射し込む我が家の居間だ。


 イノシシも立派な害獣だが、このヘコキムシ(クサギカメムシ)も招かれざる客。どんな隙間からも侵入する。


10/30
 今朝はオカカが庭にイノシシの足跡を見つけた。まあ、猿や、カモシカが現れ、親爺が玩具のエアガンなどで脅して追
い出した事は今までもあったが、イノシシは初めてである。
 親爺は学校を卒業し富山に戻った年に猟銃を所持し、約40年間銃猟をしていた。だから狩猟動物の事ははなり詳し
いと自負している。そして、爺様(父)もその仲間たちも我が山里を代表する猟師だったから、その武勇伝を聞きながら
育ったし、叔父やその仲間たち等、優秀な猟師が身の回りに沢山いて、そんな大先輩たちから厳しい指導を受けて猟に
勤しんだ。
 が、残念なことに、名ガイドにして名猟師だったという祖父や、80歳にして100kg超の熊を仕留め周りを驚かせた爺様
の様に、周りから称賛される様な優秀な猟師には程遠い、いわゆるヘッポコ猟師にしかなれなかった親爺で、今はとっく
に猟も止め、銃も全て返納している親爺である。
 まあ、話が長くなったが、我が山里に嘗ては30人以上もいた猟師が、今や心平と他二人になって、ほぼ絶滅状態なの
だが、その分、もともと狩猟獣ではなく天然記念物として保護されていた、カモシカやニホンザルが頗る増え、狩猟獣だっ
た熊も増え、最近の温暖化により十数年前から姿を見せる様になったイノシシも、我が家の庭にまで出て来る様になった
という訳である。
 で、イノシシと云う新顔が一番いけない。捕って食うには一番うまいが、そこいらを掘り起こし、作物などもめちゃくちゃに
してしまい、更にはトンコレラまで媒介する。
 我が家の庭には作物がなく、大半は砂利とコンクリートで覆ってあるので、掘り起こしも殆どないが、隣の謙ちゃんの家
は随分庭を掘り起こされた。で、その対策だが、イノシシについての知識が殆どない元ヘッポコ猟師よりもオカカがネットで
調べた、「カプサイシンや、ハーブの匂いを嫌う」という情報を頼りに、使いきれぬほど大量に収穫した鷹の爪を細かく切り
庭の周りにまいてみた。
 さて、その効果は?色付いた不動の山が見下ろしている。


 隣の桃の老木の寝方が掘られている。足跡を見ると子連れのイノシシの様だ。
 

 唐辛子を刻んで撒いてみたが、効果のほどは良く分からない。
 


10/29
 さっき車の保険が満期になったので、オンラインで更新をした。
 Sony損保の自動車保険で、元銀行員で我が家に出入りしていたKさんが、独立し、代理店を開いたので我が家では
2台の車と、末娘が乗り始めた車を全部この保険に入れた。
 Kさんは若いが、とても生真面目な方で、色々お世話をしてくれる。保険も満期時期になるとわざわざこの山里まで来
てくれて、親爺のPCから更新をしてくれていたのだが、一寸やってみると非常に簡単にできるので、自分でやっておいた。
 この損保、実は親爺一回、オカカ一回で、計二回、お世話になっている。幸い自損事故で、ドアを2枚傷つけた親爺と
同じく自損事故で、ドアをやったオカカであるが、電話連絡一本で頗る丁寧に処理してくれた。また、娘が任地アパートの
駐車場で、ルームライトの消し忘れでバッテリー上がりをやってしまった時も、電話で提携業者を派遣し、無料で対応して
くれた・・・と、兎に角迅速丁寧な対応をしてくれる保険なので、助かっている。そこへもってきて気軽に自宅PCから更新
手続きも出来るのだから、便利な世の中になったものだ。
 昔の損保会社の煩雑な手続きやら、遅い対応を知っている世代だからそれが分かるのかも知れないが、この便利さ
手軽さが当たり前の世の中に、少々の戸惑いを覚えるのは、親爺の年齢のせいなのだろうか。
 今朝は曇天の山里だ。


 昨日は平野部からも山が良く見えた。


 孫が大好きなトーマスの仲間?こんな玩具についつい手が出る。これはメルカリで。


10/28
 不動の山もガスに隠れていた昨日だが、今日は素晴らしい秋晴れの朝だ。明け方は少し冷え込んだが、立山も雪が
室堂、天狗と降りて来たようだ。
 不動の山も少し色付いてきて。山里の秋も深まり、親爺のフリース生活も定着した。これで来春4月まではフリースで
過ごす親爺である。勿論真冬はその下にインナーダウン・・・?
 今日は今からオカカと買い物。わずか三日明けただけだが、冷蔵庫は随分隙間だらけになっている。食品を買いだし
てくれば今日の仕事はほぼ終わり。ジジババの気楽な日々である。


 まだ稼働している山頂局カメラの写真を拝借。揺るぎも新雪を纏っている。 我が家の庭もオカカがすっかり冬支度。
  
 


10/27
 昨夜は流石に慣れた夜具の有難さが身に染みた。で、当然朝までぐっすり寝込んだ。が、今日は曇天、ガスが掛かって
不動の山も見えない。
 まあ、今回は高が2泊三日の旅だったので、旅の疲れも殆どないが、災害のあとの生々しい千曲川や、富士川に沿って
走るコースを通ったものだから、その被害の大きさに驚き、被災された皆様のお気持ちを思うと、暗い気持ちになりがちで
あった。
 そんなちょっと重い旅だったが、山里に帰り着けば直ぐ日常に戻ってしまう親爺とオカカである。
 山里は曇天、ガスが流れている。
 

 雨も又降りだしそうだが、静かな日曜日の朝だ。


 日蓮宗本山身延山久遠寺を参拝し、甲府に一泊した一昨日、旅の二日目である。花籠膳と云う軽めの夕食が良かった。
 

 甲府から長野に戻り、白馬を経て帰宅した。孫のあだ名と同じお菓子を見つけ思わず購入・・・。


10/26
 一昨日は軽井沢の万平ホテルに投宿した。クラシックホテル独特の重厚感があって、親爺もオカカも初めてのホテルだ。
 到着した頃はもう雨だったが、3時過ぎのチェックインだったので、ゆっくり喫茶室でコーヒーを頂いた。窓外の木々はもう
すっかり色付き標高1000mの高原は、頗る風情が有った。
 こんな落ち着いた気分でコーヒーを飲むのは実に久しぶりだ。喫茶室の雰囲気も良いのだ。
 コーヒーを運んできたウエイトレスのお嬢さんが、「この席は、ジョンレノンとオノヨーコが何時も好んで座っていた席です。」
と教えてくれた。コーヒーの香りがひときわ高くなった。


 実にゆったりとコーヒーを頂いた。コーヒーも美味いのだが、このホテルを囲む周りの木々が良い。
  


10/24
 生憎の曇天だが、今日はオカカと二人一寸小旅行に出る。高岡のオカカの実家は日蓮宗で、義父も檀家寺の世話をよ
くした人だった様だ。その義父のちょうど一周忌を過ぎたところで、オカカと二人日蓮宗本山身延山の久遠寺をお参りして
くるかとなった訳だ。我が屋は天台宗で、本山が比叡山延暦寺なので、父の時、母の時もお参りに行った。
 親爺もオカカも特別信心深い訳ではないが、こんな時にはちょっと自家の宗旨などという事も気にかけ、各々の本山へ
参拝に行き、一つのけじめを頂いてくると言ったつもりだ。まあ、往路は軽井沢の万平ホテルで泊まり、帰りも甲府でゆっく
り泊まってくるつもりなので、古の日本人の観光旅行のルーツ、「〇〇詣で」に準じた旅と云うべきか・・・?
 立山の布橋のひざ元を発って、今日は信州長野に向かい、明日は山梨へ越え、身延山を詣でる。


 剱の殿軍、真砂沢ロッジから心平が下山し、人跡も絶えた、冬間近の剱岳。


10/23
 昨日立山には初雪が降り、富山平野からもそれが見えたとの事で初冠雪となった。
 令和天皇の即位礼正殿の儀の日の初冠雪、何やら有難くなってくる。
 親爺は今朝快晴の山里で、朝日がまぶしく、やや逆光となるのは分かっていたが、恐らくすぐに解ける初雪を何とかカメ
ラに収めたいと外出した。が、残念ながらすっきり白い峰は撮れず、よく見て雪だなと判断できる程度の写真になってしま
った。で、それがこれ。


 雄山から富士の折立への稜線。これなら雪が付いているのが分かる。



10/22
 令和天皇の即位礼正殿の儀の日である。
 が、親爺がこれに気付いたのは昨晩の事、この儀式が有ることは知っていたが、台風19号の大きな被害や、ラグビーワ
ールドカップの日本善戦で、そちらにばかり気が行っていたミーハー親爺である。昨夜になって孫が遊びに来ると連絡が有
り今日が、国民の祝日であることに気付いて、「え〜っと、明日は何の日かな?」と云っていたら「天皇の即位礼の日だよ。」
とのオカカの一声が返ってきて、で、全て思い出した・・・・・。
 成程そうだった。一年限りの国民の祝日だ。サンデー毎日の身分の親爺にはどうもその辺りのインパクトが弱い。だから
薄ぼんやりと忘れるのだと反省。
 で、今朝は朝から、テレビで即位礼の儀式を見ながら、孫の到着を待っている親爺だ。
 東京は気の毒なほどの土砂降りだが、我が山里は穏やかな高曇りである。剱御前小舎も昨日小屋閉めしたようだ。


 部屋にはストーブを炊いているので、湯も沸かせるし鍋も欠けて煮込み料理も出来る。
 で、昨日は焼きリンゴを作ってみた。芯を抜いた紅玉に砂糖とバターを詰め、シナモンもちょっと差し込みアルミホイルに
包んで焼いた。一寸ジュースがこぼれたが、凡そうまくでき、美味しく頂いた。
 


10/21
 静かな月曜日の朝。
 昨夜オカカとテレビの前でラグビー観戦をし、今朝は少々疲れている?欲を言ったら切りはない、あまり強くなかったラグ
ビーがワールドカップでベスト8に入る善戦をし、ベストフォー入りこそ南アチームに阻止され出来なかったが、まあよく戦っ
たものだ。
 親爺もオカカもミーハーだから、ワールドカップなんぞと云うと直ぐに興味を示す。そして終わりとともに忘れてしまうのだが
、今回のラグビーについてはそのゲームの面白さに瞠目した。
 サッカーも面白くない事は無いが、ラグビーはとにかく真正面からぶつかり合い、スクラムで押し合う、如何にも正々堂々と
した、駆け引き要素の少ない格闘球技である。
 男くさいというか、単純明快と云うか、ぶつかり押し合う、複数で取る相撲の様相さえする。
 それを見ていただけで疲れたのだ。が、敗北決定後の日本チームの姿が心に残った。スタンドの応援に来ていた、家族
に駆け寄り、小さな子供を抱きおろしグランドに連れ出し、良きパパぶりを見せた何人かの選手、試合中では想像できない
穏やかな慈愛に満ちた姿が、心を打った。
 勝敗は時の運、この次のあるスポーツだ。更なる鍛錬をすればよい。負けて負けてまた強くなれ。
 いやいや、見事だった。ワルドカップ参加全チームの皆様に、楽しませてくれてありがとうと、心からお礼を言いたい。
 大日が、平和な山里を見下ろす。
 

 久しぶりにアップルパイを焼いた。オカカにも評判が良かった。     紅玉のコンポートには皮も一緒に入れて、ピンクに染める。美味い。
 

 山里も周りを見れば秋色が濃くなっている。周りの山々も、不動山もボチボチ色付いてきたし・・・・・
 

 閻魔堂の周りもいつの間にか秋色になっている。


10/19
 10月も半ばを過ぎ、朝晩はストーブを炊くようになった山里だ。親爺のフリース姿も村内をウロウロする時にはもう、全く
違和感がなくなった。
 昨日室堂まで心平を迎えに行って来たが、昨日は午後から雨が降りだしたので、丁度良かった。
 さて今日は特にすることのない日曜日。たくさん買い込んである紅玉リンゴを使って、ジャムでも作ろうか。アップルパイも
又良かろう。
 まあ、こんな静かな日には、何もせずに寝転んでいるのが一番だが、それではいつもと一緒になってしまうから・・・。


 山里の紅葉はまだ早いが、立山有料道路のブナ坂から上ではかなりきれいだった。


10/18
 昨日は心平の下山が遅れ、室堂山荘で世話になったそうで、今朝一番で親爺が室堂まで迎えに行って来た。
 立山有料道路の桂台ゲートは、18:00で閉まるので遅くとも室堂は17:00には出なくてはならない。しかし昨夕心配が
16:00に親爺に電話を入れた時はまだ、剱沢だった。で、今日は間に合わぬと判断し、今朝の出迎えになったのだ。
 小屋を閉め、下山してくるときの気持ちは、かなり満ち足りたものだ。少し稼げた年も、余り稼げなかった年も、まあ、気
にする事は無い。兎に角立山を仕舞い、里に下りるのだ。
 家族も待ちわびているし、子供や妻と一緒に久々の食卓を囲みゆっくり休めばよい。
 山小屋親爺を卒業した親爺だが、心平の安堵感が良く分かる。
 有料道路沿いの木々も色付く。ブナ坂辺りだろうか・・・。


 滝見台から見た称名も、紅葉が奇麗だった。


10/17
 今日は心平の出迎えで、山里にある心平の車で、室堂まで行ってくる予定。
 この前の台風で車を室堂に置いておくと被害が出る恐れがあるとの事で、わざわざ下山し、車を置いて入山したからだ。
 今シーズンは親爺も美女平までも行っていないので、せめて室堂まで行って、山の空気を吸って来たい。
 午後の出迎えになるだろう。
 これは大日の落日の合がからのキャプチャー。動画もぜひ御覧じろ。
 

 山里は穏やか間朝だ。


10/16
 朝は冷え込んだが、久々の快晴で気温はぐんぐん上がっている・・・とは言え精々17℃にしかならぬ様だ。10:20現在の
気温12℃あまりか、陽光の中にいると暖かいが、日陰は寒い。
 親爺は数日前からフリース生活。長年着込んで薄くなったパタゴニアが今一番いい。これで恐らく来春4月まではパタゴニ
アのフリースをとっかえひっかえ来て過ごすだろう。いや気楽な日々だ。
 昨日サッカーの試合が流れていたのを見ると話しに見ていたが、今まであまり見たことのないラグビーを、ワールドカップ
で見つけたものだから、サッカー自体が迫力無くて面白くない気がした。
 もともと球技は、するのも見るのも得意ではない親爺で、どちらかと云えば格闘技系が好きな親爺だからだろうか、確かに
球技ではあるが、格闘技に限りなく近いラグビーは、かなり細かいルールーを知らずに見ていても面白く、又その都度開設が
テロップで出るので、何となく覚えてしまう。
 100kg超級の男たちが駆け回りぶつかり合う迫力は凄まじい。
 オカカも親爺と同じようなもので、二人で暑くなりながら見ている。何ともミーハーな平均的日本人である事か。
 大日がそんな親爺とオカカを見下ろしている。


 別山尾根に棲む雷鳥も、そろそろ白い冬羽が見えて来た。


10/15
 台風19号の被害が、だんだん明らかになってくる。伊豆半島上陸して東京を直撃・・・と今度は千葉かと、先の台風被害
の残るエリアばかりを心配していたが、何と長野の千曲川決壊で、身近なところで大災害が発生してしまった。長野はお隣
であるし、北陸新幹線と云うk大動脈が通っている地でもある。が、酷くやられてしまい、北陸新幹線も全線開通の見通しは
立たない。秋の行楽シーズンを控えた富山の観光地等、物流も含め深刻な問題となっている。
 立山の奥地の小屋はもう下山準備にはいり、大きな被害も出ていない。親爺にはそれだけがせめてもの慰め。
 山里はもうストーブがいる。親爺もフリースを着こんだ。木の葉もわずかに色付いた。


 さてさてこの次は冬の到来だ。


10/14
 朝から、父方の叔母の33回忌にオカカと二人、富山市内へ出かけた。
 叔母は僅か57歳で生涯を閉じた人だったが、親爺はに赤ん坊のころから世話になった母のような存在で、若い頃は剱沢
小屋の手伝い等もしていたことが有り、祖父宗作の唯一の娘だった。叔母を懐かしく偲んできた親爺だ。
 剱岳、我が家系にはとにかく深い縁を持つ山である。
 ある秋の日の黎明に映える剱。


 この台風19号で、外壁がやられた剱御前小舎。まあこの程度の被害は想定内であろう。
  


10/13
 台風一過の立山だ。稜線の山小屋も大きな被害は出なかった様だが、風はすごかった様だ。
 我が山里は立山の山懐と云う場所柄、大きな風には守られているエリアで、昨日は富山市、立山町などの平野部では
大風に心細い思いをした様だが、全く普段通りで、もちろん幾分外はざわついていたし、雨も断続的に降っていたが、恐
ろしいと、危機感を感じる事は全くなかった。
 今朝立山の山頂局の写真を見たら、薄っすらと青空が見えていて驚いた。室堂や弥陀ヶ原は雨にガスだった。
 写真を拝借ご紹介する。


 我が山里はと云えばまだこんなもので、今朝など静かなものだ。
 

 雨は幾分残っていて、庭もまだびしょぬれだから、我が家に来ている孫も外で遊べない。


 仕方ないからジジに本を読んでやっている・・・・・。


10/12
 大きな台風が来ると、マスコミは大騒ぎだ。特に都心部を通過するとなるとすごい騒ぎになる。
 今回の19号も心配だ。特に15号の爪痕癒えぬ千葉などでは、気が気ではないだろう。親爺も東京の孫が心配で落ち着
かぬが、ハザードマップで見ると意外にも水害には安全なエリアだし、鉄筋コンクリート造りのマンションなので、風にもかな
り強い構造らしいから、一寸安心している。次女曰く「食料も水も、孫用のその他の必需品もすべて揃えたから、携帯も満
充電にして 明日の午前中いっぱい動かない。」とのこと。パパが勤務で帰れぬ日の台風最接近故、万全を期している様だ。
 黒部の孫も、パパもパパの実家も忙しく、パパが「立山の実家へ帰っていた方が安心。」と薦めてくれたそうで、今我家に
着いた。ジジババもその方が安心だ。
 末っ子も三連休の予定をすべてキャンセルして、アパートに籠るとのこと。一応備えは皆している様だ。
 心配性の親爺で、心平にも連絡。トモちゃんにも連絡。心平の真砂沢ロッジは立地上大丈夫だろうが、剱御前小舎は風の
通り道、「出来る限りの備えはしました。」とのことだったので多少の被害は仕方ないが、大きな被害は出まい。
 昨日の夕景。嵐の前の静けさか・・・。


 雨は降ったり止んだり。ガスがかかり風はない。
 


10/11
 関東を直撃しそうな台風の接近で、警戒レベルも最高のレベルの警報が出そうだ。先の15号でやられた、千葉方面は
まだその片付けも、終えぬ状況の儘、この大きな台風に直撃されようとしている。何とも心配だが天災を相手に無力なの
は誰も一緒だ。「自分の命は自分で守ってください。」とは非常に突っぱねた言い方であるが、正直にお手上げ状態とも言
えぬお役所や、政府の本音と云っていいだろう。
 で、親爺とオカカは、風呂桶に水を張り、ローソク、ガスボンベなどを用意し、携帯も満充電を心がけ、いくばくかの食品
を買い込み、雨戸を立て、じっと家に籠り過ごすことにした。
 こんな大きな天災(大自然の猛威)の前には人間は実に無力である。
 無力であることを潔く認め、じっと息をひそめるしかない。
 山里もムッとした嫌な暖気に包まれ始めた。
 明日の夕刻から明後日朝までが、当地には一番影響が出るそうだ。


 穏やかな夕景も荒れ狂う暴風雨も、いずれも大自然のなせる業。


10/10
 快晴の朝を迎えて居る山里だが、立山も素晴らしくすっきり見えており、今日は紅葉も青空の青に映え、奇麗な事だろう。
 昨日立山は凍てついたそうだ。昨朝一番で、トモちゃんが写真を送ってくれたのだが、親爺生憎の外出でHP更新が出来
なかったのだ。
 で、今ここに掲載するのは昨朝の分、今朝も一番でもらった写真は明日掲載する予定だ。
 どうぞ御覧じろ。山がフリーザーボックスの中に入ったように、凍てついた。
 御前山、剱沢方向の斜面だ。


 因みに昨朝は氷点下7度。一気に寒くなった。


 すべてが凍てついた・・・。
 


10/8
 昨日はまあまあの天気だったのだが、今日は又、山里も立山もガスが流れ雨が降ったりしている。
 涼しくなった。と、云うよりは寒くなってきた。
 昨日の剱御前小舎は、朝晩2℃だったそうだ。でも昨晩はこんな夕景が広がった。
 もう間もなく小屋閉めの時期である。
 親爺にも経験はあるが、この時期は経営者たる親爺にとっては、嬉しい時期なのだ。
 小屋を閉め下山するや、来シーズン再開までの長い休みになるのだから・・・。
 親爺も約40年間、この時期の喜びを味わったものだ。


 風呂上がりの孫が、覚えたて寝返りの術で、服を着ずに逃げ回る・・・。漸く捕まえて,婆の送ってくれた本を見せておく。
 こっちも中々どうして、今迄の様にごろりと転がっているだけという訳けには行かなくなって来た・・・
   


10/7
 今朝は青空が見え、さすがにもうずいぶん低くなり、弱まった陽光が射している。かなり肌寒くて、親爺はズボンも厚手
をはき込んだし、得意のフリースもしっかり着込んだ。まあ、フリースの下は七分袖のヒートテック素材のTシャツ一枚だ
が、フリースのファスナーの開閉で体温調整をしている。これで結構快適だ。
 熱くなったり又寒くなったりで、老体にはこれが堪える。
 昨日は夕刻まで黒部の孫が居たので、一緒に昼寝したり、遊んだり、疲れはしたが楽しかった。
 保育園に入った二歳児、片言のおしゃべりが面白くて、可愛い。爺の手を引っ張って「コイ、コイ」と別室に引っ張って
いくし、コップにお茶を注いでやると、のぞき込んで「ハッテナイネー(入ってないね)」、こぼさぬように少ししか入れない
のが気に食わぬらしい。
 ジジババの手作りの焼うどんや、お子様カレーを喜んで「オイチーネー」と食べてくれる孫がたまらなく愛おしい。
 爺馬鹿結構!婆馬鹿結構!デアル。
 今朝は青空が出ているが、肌寒い山里だ。


 ちょいピンボケは致し方ない。写真を撮ろうにも動き回って、一時もじっとしていないのだ。
 一昔前にママかおばちゃんたちが使ったキティーちゃんカメラが最近気に入っている。


10/6
 小雨のぱらつく日曜の朝だ。気温も低く室温で19℃しかないので、親爺がストーブに火を入れた。
 昨日から2週間ぶりに来た黒部の孫が、可愛くてジジババは振り回されている。
 二歳になって、保育園に入って、おしゃま振りもずいぶん進化したし、片言ながら語彙が増え、喋りまくるのが面白い。
 今朝も6時半から起きて、ジジババと遊んでいる。
 少々疲れるが、たまの事だから賑やかで面白い。ジジにとっては嬉しい日曜日である。
 外は鬱陶しい雨だが。


 秋色も深まり切った感がある雷鳥沢、室堂を俯瞰する。間もなくこの辺り一面が白くなる。


10/5
 今日の立山は晴れている。ヘリがバンバン飛んで空輸作業も見る見る捗っている。
 早朝の剱だ。


 剱御前小舎での気温は零度だが、早朝に心平が真砂から駆け上がりヘリポートに駆け下っていく。(トモちゃんレポート)
 

 ヘリは晴天化確り飛んで、真砂方面へも資材が入った。
 

 その頃、山里はこんな天気だったのだ。


 本日10:00現在の剱岳の様子。御山は晴天である。


10/4
 台風の影響やら、熱低通貨の影響やらで立山の天気も目まぐるしく変わっているそうだ。
 これは昨日の午後だが、雨が上がって虹が出て、又雨風になって止んだら虹再び・・・・・。実に不安定な空模様の様だ。
 例年ならとっくに人往き来ていて、毎朝氷が張り、上部の紅葉はもう終わるころだが、全てが遅く、剱沢の雪渓崩壊は
非常に早い様だ。
 だから、これから真砂沢ロッジや仙人を目指す人は、十分気を付けてほしいものだ。真砂沢ロッジも13日には閉鎖され
る予定だから。


 山里の我が家でも、オカカが庭の垣根のバラをかなり剪定した。親爺は余計な事は一切しない。


10/3
 今朝はこんな薄暗い朝だ。台風が熱低になって、近づいて来るらしいから、雨や風もおっつけ吹いたり降ったりして来る
のだろうが、今は暑くも寒くもなく、おさやかな静かな山里の朝だ。
 立山もまだ弥陀ヶ原では青空も見えているし、雄山山頂から剱も見えている。これなら今日の午前中に大きな崩れは無
いだろうが、後は熱低の接近でどうなるかは分からない。
 紅葉も今シーズンは余り良くなさそうだ。(親爺主観)


 二歳になったオネイちゃんは保育園の運動会初体験。4か月にして寝返り寝返り帰りをマスターしたユートン坊は危なくて・・・。
 孫たちの動画 2題 「駆け上がる」 「寝返り寝返りかえり」
 

 学生時代の仲間、大分県国東の青井が、手作りのマコモダケを送ってくれた。箱のスペース埋めに酢橘も入れたそ
うで温かい心満載の贈り物に、半世紀ほど前の学生時代を偲びながら、電話で馬鹿話をした。
 「青井ありがとう。大感謝!!」


10/2
 立山は一気に紅葉が進んだようだ。でも9月の2回の連休は悪天候に祟られ、キャンセルの記録更新ばかりしていた様
で、可愛そうな真砂沢ロッジのような小さな小屋での延べ60人ほどのキャンセルは、年間宿泊者数の1割を超える数だか
ら、心平も参った様だ。
 でも心配するな心平、身体さえ丈夫なら、金は天下の回り物、やがて必ずいい年も来るから。それを信じて頑張れよ。
 山小屋親爺など、それを信じられるほどの馬鹿でなければ務まらぬものだ。
 ずいぶん秋色が深まった。


 庭でプランター栽培していた唐辛子の葉で、佃煮を作った。しょうゆ、酒とわずかなみりんで煮込み葉唐辛子の佃煮である。
 

 唐辛子の身も好みのままに刻み込んで、香りのよい佃煮になった。ご飯が進んで、止まらない。
       


10/1
 何ともう神無月である。
 小屋閉めをし、立山を仕舞う時期であるが、山から引退した今でも、この時期は大好きで、さてオカカとどこか旅にでも出
ようかと思ったりしている。
 旅に出る出ないはともかく、何とも長閑で豊かな気分になる月で、今は毎日が長閑だが、年金暮らしで豊かになる要素は
どこにもないのだが、長年の習い性か、そんな気分にはなってしまう親爺である。
 今朝は暑くもなく寒くもなく、快適な山里の朝だった。
 ずいぶん傾いた朝日だが、眩しく射していて、垣根のバラの一輪が温まり、今にも花開こうとしていた。
 そんな今朝は、実に清々しい気分だった。


 オカカが親爺用に、青唐辛子と鷹の爪をプランター栽培してくれ、妹も一鉢の唐辛子を持ってきてくれていた。
 オカカがそれを奇麗に切り取り、収穫してくれた。親爺は身をもぎ取り、葉唐辛子の佃煮用に、柔らかい葉も気長に時を
かけ、爺仕事のつもりで、枝から摘み取った。


 立山からは、元気な山女トモちゃんの撮った写真がたくさん送られてきた。随分秋色が濃くなって来た。
 剱御前小舎の布団干しの動画、早回しで面白い。こちらへ⇒https://youtu.be/IGke_t8lnV8
 


9/30
 今朝の剱の夜明けだ。
 気温は2℃、元気なトモちゃんが撮って送ってくれた。
 立山も一気に紅葉が進んだとの事、親爺も例年と比べると遅い紅葉だなと思っていたが、こんな年は標高差に関わらず
一気に紅葉が始まり色付く。
 良い写真なのでいつもより大きく・・・。
 今朝の剱の夜明けだ。


 だんだんと明るみ、剱が大きく顔を出した。


 今の時期、別山乗越から見る朝日は別山方向から上がる。


 雷鳥沢方向を振り返ると、竜王、浄土、室堂山の広報右手に薬師が赤く朝日を浴びていた。
 薬師は親爺にとって、山小屋入門の山域であり、青春の思い出の山だ。


9/29
 しばらく更新をサボってしまった。本当はサボる気はなかったのだが、いろいろな事が重なったここ数日だったのだ。
 9/25は我が愛しい黒部の孫の2歳の誕生日。
 もちろんジジババもママに相談して、喜びそうなプレゼントを用意し、孫の家に送っておいたことは云うを待たない。
 でも9/26は東京の孫の喰い初めをするとの事で、これはジジババ揃って招かれていて、9/25に上京したので、黒部の
孫の誕生日の様子はパパママが撮影した写真や動画をlineで送ってもらい楽しんだ。
  

 ジジババの送ったプレゼントにも大喜び。パパママからのプレゼントにも大喜びの孫だったようだ。
               

 で、ホテルで一泊し翌日は、某ホテルの「分とく山」で東京の孫の「喰い初め」である。
 パパのご両親も千葉から駆け付けて下さり、何と紋付姿のベビー服を着せられた孫を囲んで、祝いの膳を頂いた。
 分とく山の祝い膳は質実剛健な男児向け。最年長の男性たるパパの父上から生まれて初めての食を口に運ばれる。
   

 ジジもババも孫を抱っこし、孫はご機嫌である。何故か我家の家紋の貸衣装で、ジジは大満悦。孫もとても良い子で泣かなかった。
  

 で、27日の夕刻帰宅した親爺とオカカであるが、在京中に既に本家の爺様の旅立ちの報を受けていたので、親爺は帰宅
した日の夕刻から、通夜に参列し、92歳の大往生をした本家の爺様に別れを告げて来た。
 新たな命がすくすく育ち、悠々たる人生を歩き続けた人は、静かに旅立つ。
 諸行無常とは云え生命は次代に繋がり、また新たな生命へと繋がって行く。
 それ故、我が次代たる子や孫が愛おしく、幼気な孫はその愛おしさも又別格なのである。
 立山の秋が深まっていた。


9/28
 本家の爺様が旅立った。我が家の爺様の従弟で、南極や幾多の遭難救助に爺様達とともに活躍した人である。
 佐伯栄治。温和な人柄で山に関しては達人、他の追随を許さぬ天才肌の人だった。我が屋の爺様が2つ年長で、我が
叔父宗信の同級生だったから、我家の爺様には何時も兄のように接していた。
 また、長姉タカノさんが「剱の文蔵」と呼ばれた文蔵さんに嫁いでいたので、文蔵さんには弟と云うよりは息子の様に可愛
がられ、山を仕込まれた人だ。
 享年92歳。大往生だった。
 晩年になっても我家の爺様達南極立山五人組の生き残りと、ネパール、韓国、北朝鮮、中国と良く出かけた。そしてその
度に親爺も添乗員兼世話係兼ガイドとして同行させられた思い出がある。
 我が山の血に繋がる本家の大きな柱だった栄治爺様だった。もう向こうで皆と再開し、楽しくやっているだろう。
 先ほど、葬儀に参列し、遺骨を拾わせて頂いてきた。合掌
 何やらかやら多忙で、三日ほど更新できなかった。 立山はすっかり秋色だ。



9/24
 台風も過ぎ去り、折角の3連休も台無しになったが、立山の山小屋に大きな被害は無かった様で、まだ何も聞こえて
こない。
 山里の空気も熱帯の暖気が消え、元通りの秋の涼気が戻ってきて、親爺はフリース姿に戻った。
 親爺が39年間経営を続けた、剱御前小舎。昭和30年代には爺様も南極から帰ったり、日本山脈縦走に参加した後
5年間この小屋を経営している。
 現経営者のマー君は親爺の長女の同級生、仙人ヒュッテのオーナーでもある。
 

 今シーズンは遅いが、立山もいよいよ紅葉が始まった。まずは草紅葉から・・・。


9/23
 台風がこちらに向かっているため、先走りの熱帯の暖気が押し寄せ、山里ももう30℃の気温だ。風が強く、走行中の
車が幾分煽られる。
 しかし家内は昨日までの涼気が残っていて、今のところエアコンなどを使わずとも快適に過ごせる。
 車庫はシャッターを下ろし、家の東西に向く縁側の雨戸も立てた。昔と違い全ての窓はペアガラスのサッシで覆われて
居るし戸外の植木鉢なども抑えをしたから、後は台風が過ぎ去るまで家でゴロゴロしていれば良いだろう。さっき冷蔵庫
は買出してきた食糧で満たして置いたし。
 それにしても今度の台風は風台風のような気がする。外壁がやや傷んでいる剱御前小舎あたりが心配だし、外の山小
屋でも風の強い平や、稜線部の小屋は心配な事である。無事大風が過ぎ去ることを祈ろう。
 今朝の山里は閻魔堂の杉木立がかなりざわざわと揺れている。


 立山は比較的良く見えているが、風が強く吹いているらしく雲足が速い。


 紅葉遅ればせながら始まって来た。この台風が過ぎれば、立山は一気に冷え込み紅葉も一度に来るかもしれない。
 


9/22
 今日は穏やかな高曇りの朝だ。連休2日目で、大日も良く見えているし、ライブカメラで見る雄山山頂も剱方面が少し
ガスっているが、主稜線も7割方視認できる。
 昨日の天気で立山へ向かう車は少なかったし、台風が接近している様なのでこれから天気は不安定になるだろうが、
今日はかなりの山歩きが出来る日ではなかろうか。登山者も少ないし脚に自信のある向きには、中日の良い山だろう。
 山里から見る大日もすっきりしている。


 ハマグリ雪渓もずいぶん小さくなった。



9/21
 昨夜から孫が来ている。保育所に通い始めて2週間ほども経つのだろうか、最初は泣いていやがったそうだが、体験
保育的に徐々に保育園滞在時間を増やし、先週頭から給食を食べ、ママのお迎えを待つようになったそうだが15:00
まで、お昼寝をしたりして待つこともできる様になったとか。
 ジジは余り早い保育所入所を快く思っていなかったのだが、まあこれも時代の流れ、良しとせねばなるまい。
 今日はいわゆるシルバーウイークの初日だが、立山へ向かう車は極めて少ない。台風騒ぎとぶち当たってしまったか
らだろう。
 立山の山小屋は、空輸も昨日全て終わって、後はお客さんが来るのを待つばかりだったのに、何とも皮肉なものだ。
 まあ、親爺の現役時代も何度もこんな目に会ったものだが、何とか乗り切って来た。年間の売り上げがこの天気周りで
大きく違ってくるのは山小屋商売ばかりでも無いだろう。
 親爺には今は昔の話だが、現役の親爺たちには辛いシルバーウイークだ。
 昨日の朝は、山里からも鍬崎が良く見えていた。


 昨日の晴天を縫って立山の山小屋の空輸作業が、一生懸命行われた。そのおかげで全ての小屋に物資がいきわたった。
  

 空輸は完了したが、明けて迎えた今日の連休初日は・・・・・雨である。


9/20
 良い天気だが、朝はかなり寒く、標高2750m余の剱御前小舎では、日陰のバケツの水が凍ったそうだ。
 立山は今日空輸日で、順調に減りも飛んでいるらしい。
 素晴らしいフットワークで、ヘリの荷物待ちのトモちゃんが写真を撮って送ってくれる。剱沢のハマグリ雪渓を撮ったと思っ
たら、雷鳥是かを駆け下って雷鳥沢方面・・・ほとんどシェルパ並みの、いや、女性だからシェルパニ並みの心肺能力だ。
 明日はその写真を整理してこのページに載せよう。
 今日はとりあえず、今朝の村はずれから見上げた大日を一枚。


 その大日も別山乗り越しからみれば足下に佇む。落日の景観は素晴らしい。


9/19
 昨日一日は、ガスったり雨だったりと、立山は悪天候だった。
 がその日の終わりに、急にこんな夕景が広がったそうだ。
 オカカとガスの掛かる夕に食卓を囲んでいた親爺に、トモちゃんから素晴らしい夕景写真が送られてきた。それこそアルプ
スの少女ハイジである。
 「お日様は夕日になって落ちる時、一番美しく輝いてさよならをする。」と、ハイジの台詞だったか、外の人の台詞だったか
はっきりした記憶はないが、そんな一文が有ったことは確かで、成程こんな感性が無ければこんな物語は書けぬのだと、痛
感したことが有った。
 で、昨夕はこの写真をケータイの画面で眺め、剱御前小舎からの夕景のおすそ分けにあずかりつつの夕食だった。


9/18
 雨が時折落ちてくる。曇り空なのだが、我家上空には青空もわずかに垣間見えている。気温は20度ほどで、ちょっと湿っ
ぽいが、暑い時よりははるかに快適だ。
 今日は朝一番(と云っても8:30)で富山市の眼科医院に定期検査と薬もらいに行って来た。親爺は高眼圧症があるので、
眼圧検査が必要なのだ。3か月に一度程度だからすぐ忘れ、T先生に「忘れないで通ってくださいよ」と怒られる・・・。
 最近は看護婦さんが、次回通院日時をメモしてくれるが、それを紛失してしまうのだからいけない。
 白内障手術のお陰で視力が格段に上がり、普段は裸眼で過ごしていることが多い。読書など裸眼でなくては読めない。
 車の運転と、外出時には眼鏡を用いる。いやいや本当に良く見える。この視力はずっとキープしたいから、眼科医には豆
に通おうと思っている。


 あっちを見ても、こっちを見ても重いガスが垂れ込めている今日の山里だ。
 


9/17
 昨日で連休が終わり、立山も漸く静かになった様だ。
 今朝は山里は雨。かなり肌寒くて、親爺は長そでの作務衣の下に長袖のTシャツで、完全な秋の装備。でも立山方向の厚い
ガスの向こうが明るんでいるように見えるので、立山山頂カメラを見ると、青空が広がっていて、その下の室堂も、弥陀ヶ原も
晴れていて、同も我が山里は弥陀ヶ原の下の雲海に呑まれている様だ。
 まあ、これから山里の天気も好天してくるらしい。
 一昨日東京の孫が帰り、それを送って行ったオカカも昨日帰宅した。
 黒部の孫も今日から又保育園・・・二人の可愛い孫たちはどうしているだろうと、離れているのでそんな事ばかり思っている。
 肌寒い今朝の山里である。

 


9/16
 9月も半ばを過ぎた。正しくあっと言う間で、立山はとっくに秋になっているが、山里もすっかり夏の空気が、秋の空気に入れ
替わった様な気がする。
 3連休最終日の月曜日の今日、立山の天気は何とか未だ持っている様だ。山里は朝から薄暗い曇り空だが、弥陀ヶ原下の
雲海が覆いかぶさっているのだろう。
 立山は大賑わいだっただろう。
 親爺も現役時代を思い返し、小屋の経営者には今が一番いい頃かななどと考えている。小屋閉めまでの一月を何とか頑張
って、立山を仕舞えば、来春まではゆっくりと自由な時間を過ごせるのだから・・・。
 親爺など引退して、ずーっと自由時間ばかりの生活に入っているので、今更これ以上の自由時間など不要だが、如何せん
この自由時間を有効に使う体力がなくなって、無駄にゴロゴロしているだけと云う体たらくだ。まあ、孫と遊んでいる日々が今は
親爺には一番楽しい時間ではある。
 大日岳へ続く稜線の登山道が足下に見、気持ち良く足任せに立山を歩き回った日が懐かしい。


 今はこの二人の孫と一緒に過ごす時間こそ至福の時間。親爺は爺馬鹿に徹している。
 


9/15
 親爺の夏風邪もほぼ癒えた。今朝も念のために薬は飲んでおいた。
 が、この薬を飲むと無性に眠くなってしまう。特に風邪の症状がひどいときには起きてられぬくらい眠くなる。で、今朝など
症状がかなり軽くなってくると、身体もシャキッとしてくるからか、やや眠くはなるが起きておられぬほどではない。だから何時
もかかりつけの医院でもらうこの薬は、親爺の風邪のバロメーターみたいなもので、今朝の眠気の状況から、ほぼ癒えたと
判断しているわけだ。あまり当てにはならぬが・・・。
 この写真は何年か前の、親爺がまだ現役の頃に取ったもの。


 これはロングラン散歩のトモちゃんの一枚。大走り下部から雄山を見上げた一枚。


9/14
 昨日トモちゃんが送ってくれた写真だ。
 なにせ親爺は風邪でダウン、更新が遅れた次第。
 今日も立山は良い天気。登山者が奥地の小屋を目指し賑わっている。
 もちろん室堂周辺や、稜線、剱沢の山小屋も大賑わいだろうが、心平の真砂沢ロッジも結構な賑わいだそうな。もっとも
定員20名の小さな小屋で、満室と云っても20名だから・・・。


 ハマグリ雪渓も小さくなった。


 休憩時間の散歩で、別山から大走りを駆け下り、又雷鳥坂を駆け上ったのは、山女のトモちゃん。流石だ。


9/12
 親爺早速の体調不良だ。天気の急激な変動にやられたようだ。
 いったん涼しくなって相蒲団を引っ張り出していたのに、今度は急に夏に逆戻り、クーラーガンガン・・・・・。出、親爺、早速
喉をやられてしまったようだ。黒部の孫がヘルパンギーナで、熱を出したばかり。今はもういい様だが、喉の風邪が流行って
いるそうだ。
 慌ててかかりつけの医院へ走り、受診、咽頭炎だそうな。薬を貰い帰宅、午後からは休もう。転ばぬ先の杖である。
 立山の奥地はもう草紅葉が始まっている頃だ。これは8年前の今日の御前山の斜面。


 東京の孫が自由に寝返りを打つようになった。これはますます目が離せぬ・・・。


 山里も少しずつ秋の気配が漂って来た。鷹の爪が赤く色づいた。不動山はまだまだ青いママだが。
 


9/11
 昨日の夕刻、宮城県のFさんから、大量の生秋刀魚を頂いた。Fさんは先の東北の震災で、かろうじて被災を免れた経験を
お持ちの、女性建築家だが、山小屋親爺現役時代からの知己で、何時もとてもよくして頂いている。
 で、昨夕は秋刀魚が届いたのが、夕食後だったものだから、オカカと二人で善美ジップロックに詰め、チルド室に保管し、今
夜は塩焼きで頂こうと思っている。酷い不漁のなか、貴重な秋刀魚を頂いたのだから、心していただかねばならない。
 山里は雨が上がった曇り空だ。


 いやいや大量のサンマである。近所にいるネパールの教え子たち(元研修生)にもお裾分けした。
 


9/10
 9月もあっという間の10日である。4日に来た東京の孫がまだ滞在中で、我が家の生活の中心になっているが、表情が出、
笑ったり、はしゃいだり、可愛さが際立ってきた。昨晩この孫を風呂に入れようと、服を脱がせたりしていた親爺とオカカと次女
の目の前で、この孫が寝返りを打った。
 初の寝返りだったので、三人同時に目撃したこの光景に感動、ひとしきりワイワイ騒いだ。
 3ヵ月と27日の初寝返りだった。
 今朝は昨日とは打って変わって良い天気で、朝から陽光がまぶしく、気温もぐんぐん上がりつつある。
 残暑も収束し、そろそろ涼しくなってくる時期だと思うが、今日はまだ暑そうだ。


 山里のすっきり明るい朝だが、どこからともなく秋の気配が感じられる。今日はまだ暑くなるそうだが・・・。
 


9/9
 昨日は日曜日、最高の天気に恵まれ立山も大賑わいだった様だ。
 我が家にも、里帰り中の東京の次女と孫を訪ねて、黒部の孫とママがやってきた。いやいや賑やかで賑やかで、立山に負け
ぬ大賑わいだった。
 ジジババが大奮闘したことは云うに及ばぬ・・・
 新保育園児の1歳11カ月のお姉ちゃんは、ジジババを独占するのが当たり前で、自分より小さな赤ちゃんがジジやババに
抱っこされているのが許せない、そこは手加減ナシの体当たりで来るので、ジジもババも大汗である。
 が二人とも可愛い、可愛いからどうしてもちょっかいを出して遊ばせたくなる。で、又疲れてしまう・・・・・。
 いやいや夕食が済み、黒部の孫が帰宅するまで、賑やかさは続いた。
 今朝のLineに依れば、登園見送り時にも不機嫌ではあったが、全く泣かず教室へ入って行ったそうな。少し慣れたか・・・。
 山里は台風の影響か、雨の薄暗い朝だった。


 初めてのバスに喜ぶ1歳11か月と、親爺の叔母(一族最長老)に抱かれ喜ぶ東京の孫。
 

 今朝は薄暗く雨が降っているのに生暖かく、モアーっとした暖気が不快な朝だった。庭のバラにはそれが心地よい様だが。
 


9/8
 今朝も立山に向かう車が多い。この天気なら雄山日帰り登山も容易だ。ただし室堂までの交通機関がスムースに利用でき
ればの事。整理券発行で待ち時間があるとスムースには行かぬだろうが、さて、今日は・・・。
 我が家は旧道沿いに家一軒分入っているので、県道の車の音は幾分遮られ、余り不都合はないが、馬鹿にやかましい爆音
のバイクが通ると、せっかく昼寝をしている孫が起きないかと心配になる。実に迷惑なエンジン音、警察は何故これを取り締ま
らないのだろうか?このエンジン音は、バイクが嫌われる大きな理由の一つだろう。
 立山山頂ライブカメラを見ても、今朝の快晴は素晴らしい。この分なら心平が頑張っている、奥地の真砂沢ロッジにもかなり
の入れ込みがあるだろう。
 快晴の立山である。


 山里も低くはなったが強い陽光が射し、一気に暑くなってくる。


9/7
 爽やかな朝だった。気温はこれから上がりそうだが、朝の涼気は秋のものだった。
 立山も昨日、3日遅れでヘリが飛んで、全ての山小屋に物資がいきわたった様だ。今日、明日と快晴に恵まれそうな立山
である。これでいくら賑わっても各山小屋は楽に営業できるだろう。
 小屋の生命線である空輸。これも気象条件の厳しい高山では予定通りには行かない。
 晴天を縫って、国見ヘリポートに集積され、荷造りされた物資を、各小屋に送り届ける東邦航空のヘリ。


 親爺は山小屋商売から足を洗って3年目だ。国見ヘリポートにさえも今年は行っていない。
 孫と遊ぶのが何よりの仕事となっている親爺である。
 


9/6
 昨日はオカカと一緒に、夕刻から外食に出かけた次女夫婦に代わって、東京の孫の子守をした。
 次女夫婦にしても二人だけで出かけるのは3ヵ月ぶり、「まあゆっくりしてお出で。」と送り出した。
 8:00頃までは実に良い子で、ジジババも子守に自信を付けたが、さて、眠くなったその後がいけない。9:00が授乳時
間との事で、それまでに帰宅する次女夫婦を待った。
 ジジババ交互にあやし、一端は寝着いたのだがお腹が空いたらしくすぐに目を覚まし暴れ始める。その繰り返しが延々
40分余り・・・。ジジ2分にババ8分の比率の奮闘だが、慣れぬこともあって参った。
 9:00少し前に両親が帰宅し、ママがオッパイを飲ませるや、御機嫌が直った。あとはニコニコ愛嬌を振りまき、ジジババ
もほっとして寝に付いたが、奮戦のせいで腕や体のあちこちが痛んだ。
 黒部の孫が大きくなって3ヵ月の乳児の子守をすっかり忘れていた。
 今朝は上機嫌でまたジジババと遊び、今はお昼寝中の東京の孫だ。
 今朝は快晴、気温も上がり立山も良く見えている。


 ジジに抱かれ指しゃぶりの東京の孫と保育園に入っておしゃまに磨きがかかった黒部の孫。
 両方とも大事な爺婆の宝だ。
 


9/5
 昨夕から幾分暖かめで、タオルケットで寝たが、今朝まで寒さは感じず良く寝た。
 大日も良く見える今朝で、ライブカメラで見る立山もまあまあ晴れていたが、今はもうガスが大分出てきて、大気は不安
定だ。
 昨夜から東京の孫が来ていて、一月余見なかっただけなのに、大きくなっていて驚いた。昨夜は長旅の所為か機嫌が悪く
ジジが抱っこすると泣くので閉口した。ババが抱っこして寝させた。流石に子育てのキャリアが違う・・・。
 が、今朝は上機嫌で、ジジとも遊ぶし、抱っこしても喜んでいるので安心した。何せ14日まで我家でママと二人滞在する
のだから。
 今朝は立山方面も良く見えていた。


 ジジに抱っこされて上機嫌の東京の孫。首が座って随分しっかりして来た。もちもちに太っている。
 


9/4
 朝は肌寒くて、こっぽりと夏蒲団に潜り込んで目が覚めた。外は開けが降ったり止んだりしているが、少しずつ晴れて
くる様だ。
 ライブカメラで見る雄山山頂などはすっかり視界が利いて雨も降っていないようだ。
 又古いことを云う様だが、昔なら(半世紀前)この時期はもうお客さんも激減した立山で、奥地の小屋などごくまれに訪
れる常連さんを泊めるだけだった。で、紅葉の時期にもう一度賑わうエリアも無くはなかったが、立山は静かな人恋しい
頃となり、10月の声を聞くころは、奥から順に小屋を仕舞い降りて来たものだ。
 今のように11月末までの営業など、考えられなかったが、膨大な機械力の導入がそれを可能にしている今の立山だ。
 親爺が爺様(父)から山小屋を任された頃でも、剱御前小舎は11月の声を聴くや閉めて下山、剱岳エリアの営業小屋
の殿(しんがり)を毎シーズン勤めたものだが、それが今では年々早くなって、10月の20日前後には小屋仕舞をして、皆
山を下りてしまう様になって来た。つまり営業期間が延びた室堂周辺以外は、営業期間を短縮しているという事で、山の
厳しさを熟知する奥山の山小屋ほど、安全を考慮、優先し営業期間を縮小しているという事だろう。恐らくそれが立山の
山人の良心なのだと親爺は考える。
 立山に秋がまた来た。


 雄山山頂カメラの画像を拝借。今朝の立山だ。雄山から剱、後立まで視界が利いている。


9/3
 今朝もママとの別れ際には泣いた孫らしいが、何とか3時間ほどの保育園生活を過ごしてくるだろう。
 ママたる長女も、パパたる婿殿も、帰宅後の新保育園児には、愛情を注ぎ相手をしている様だ。若い夫婦が我が子の
成長に目を細めながら、愛しみ育てる姿を見るのは、実に嬉しく心豊かにさせられるものだ。
 そして日本の子育て夫婦の殆どすべてが、各々悩み苦しみながらも、育児を優先し、我が子に大きな愛を注いでいる。
 が、稀に中には未熟な精神の儘、子持ちとなり、子に注ぐべき愛情を持たず、子育てを放棄し、更には子を疎ましく思
い、甚だしきはこれに暴力を加える。
 幼気な無力な、国の宝であり、幸せな保護を得る権利を有する存在に、暴力をふるい最悪は殺してしまう。
 こんなニュースが流れるたびに親爺は背筋が凍る。
 こんなことは許される事では無い。加害者には厳罰を以て対するしかない。そして未然にこんなことを防げないのは、社
会に、地域に大きな問題がある。地域社会全体で又個々にも、大きなお世話を焼かねばならないのだ。
 困っている子供が居たら声をかけてやり、辛そうなママにも声をかけてやる。無関心に見過ごしてはいけないのだ。
 子供より、猿やカモシカや、そして最近は猪まで増えて、子供を目にすることが少ない我が山里だ。
 子供の元気な声が、つい二、三十年前までは溢れていた我が山里だったのに。
 秋雨前線直下の山里だ。


 大日も全く見えない。


9/2
 初孫が今日から保育所に入る。当分は半日保育で、特にこの一週間は11:30までの3時間保育だそうで、もう
ママがお迎えに行っている頃だ。
 今朝は泣かずに玩具でままごとをしている、子供たちの処へ駆けて行って、遊びだしたすきに置いてきたそうだが
恐らくそのあとは、ママがいないのに気づき大泣きしていたのではなかろうか?
 子も親もこの時期は我慢だ。そしてそれを何時も心配しているジジババも・・・。
 さて今日はどうだっただろうか?
 親爺はそんな心配をしながらも、月一の薬もらいの日で、富山市内の医院へ行って来た。オカカも歯医者と買い物だ。
 この写真はトモちゃんの撮影だが、御前山(剱御前山)三角点に続く小平を通る道で、子供の時分から親爺には
慣れ親しんだ場所だ。今は崩落で廃道となっているが、剱岳別山尾根の花道で、クロユリのコルに続く道だった。


 今朝、初登園直前の黒部の孫。    首が座り、指しゃぶりに夢中な東京の孫。二人とも爺の宝だ。
  


9/1
 もう9月だ。7月の名古屋場所が終わった時に、相撲大好きな親爺とオカカは、「ああ、今度は9月まで相撲も
見られないな。」と少々ガッカリしていたのだが、気付けばもう9月、秋場所の始まる月となっている。
 そして明日からは、我が初孫(黒部の孫)が保育園に入園する。1歳11カ月、2歳にはまだ少しあるが、ママの
産休も来月終わるので、予行入園と云う訳でもないが、最初の1週間は3時間保育、次の1週間は半日保育、そ
してその次からは様子見しながら、ママが復職する10月までには通常保育になるように頑張るそうだ。
 甘々の爺には一寸孫が可愛そうで、せめて3歳まで等と思うのだが、世の中は働くママたちが当たり前だから、
余計な事は云うまい・・・。心の中で「頑張れよ爺の宝」とエールを送っているばかり。泣くだろうな、暫くは・・・。
 更に、この月は、満を持して次女が孫を連れて里帰りをする。4日頃に来て、10日間ほどを我が家で過ごす予
定で、次女はともかく、東京の孫とまた10日余りを過ごせるのがうれしい。今、満三か月半、首も座り、寝返りを
打ちそうになっている。
 と、9月初日から孫の話ばかり。爺馬鹿である。
 親爺の一番好きな場所。剱御前山三角点の南東側に広がる小平だ。


 山里の我が家の庭の唐辛子。第二段目の身を付け始めた。      大日は薄ぼんやりとしか見えない日曜日である。
 

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