2019山賊庵絵日記(冬)          平成最後の年が明けました。相変わりませんが本年もどうぞよろしく。
                                   
                                                明日から新年度となります。で、本日でこの項最終更新と致します。 H31,3,31


3/31
 3月も今日まで。明日からは新年度である。さらに次の元号が発表になるそうで、一日本国民としてはどんな元号になる
のか興味津々である。
 確かに世界的に使われている西暦にすれば、楽である。が、元号に慣れ親しんで、昭和、平成を生きて来た身としては
元号には合理性だけでは捨てきれぬ想いがある。だからミーハーな親爺とオカカは次の元号がどうなるのか心待ちにして
いるのだ。
 雨に雪が混ざり強く降りだした。
 風土記の丘、カモシカ園の傍らにどこかから移築された合掌造りの家。屋根のメンテが追い付かぬ様だ。


 カモシカ園にはカモシカが飼育されているが、網の外の山野には自然に個体数を増やした天然カモシカがうろつく・・・。


3/30
 来月早々に、5月出産予定の次女が帰省する。身二つになり親爺とオカカには二人目の孫になる赤ちゃんが、少し確りす
るまで我家で養生させる予定だ。今はまだ見ぬ孫だが男の子らしい。
 今も親爺の傍らにお昼寝中の初孫が要るが、一歳半になり、日々女の子らしくおしゃまになって来る。親爺もオカカもこの
孫が目の中に入れても痛くない。そしてもちろんまだ見ぬ2番目の孫への想いも一緒だ。
 孫と云うのかどうしてこうも無条件で可愛いのだろうか・・・。
 最近は小さな子供たちが犠牲になる事件が多い。こんな幼気な神仏に限りなく近い無邪気な存在を、どうして殴ったり、い
じめたりできるのだろうか。
 子供とは無条件に愛され育まれる権利を持つ存在なのだ。そして誰もかれも皆そんな時期を経て今に至っているのだ。
 嫌なニュースを聞くたびに、身の毛がよだち涙腺が緩む。
 大日が見えた今朝だ。山里も今日の気温は高い。


 孫がジジババを訪ね来て、我が家の居間は明るく楽しい声が響き、食卓にも笑い声がみなぎる。可愛い孫だ。
 


3/28
 まだ寒くはないが、これから寒くなっていくと云うので、親爺はフリースの下にインナーダウンを着込み、ズボンも生地の厚
いものに履き替えておいた。
 今日は黒部の孫がやって来る。孫は運動量が凄いので暑くなるらしく、周りの戸を開け放す。孫の1/10も運動量のない爺
はそれが寒くて閉口するのが目にみえているので、そのことに備えての厚着でもある。
 孫が来るのは嬉しいのだが、一晩泊まって、いよいよ帰宅する時、最近人追いが激しくなって、チャイルドシートに座るのを
嫌がって抵抗するのだ。ママの車に載せられたらジジババとはバイバイだと理解している。
 泣かれるのは嫌だが、さりとて我が家にずっと置いてもいられず、こっちも悲しい想いで泣く孫を見送ることになる。
 まあそれは明日の話だ、今から孫が着てしばし一緒に過ごす時を大切にせねば。
 隣の老いた桃の木が花盛り。


 旧立山道には雨が降る。                                不動の山もガスに霞む。 
 


3/27
 暖かい朝を迎えた。やや高曇りながら立山も見えている山里だ。
 昨日一泊二日の温泉旅行から帰宅し、いつも通り自宅の気楽さに「ああ、やっぱり家が一番楽だ〜。」と何回かつぶやき
ながら寝につき、目覚めた朝にはその呟きは出なくなって、日常が戻ってきている。
 今朝もそんな普段の中で、オカカに頼まれた我が七組(わが村は九つの組に分けられており、一組が十数軒)の閻魔様の
当番案内を作っったし、明日遊びに来る孫に食べさせる食事の下準備やら、大分の友のくれたシイタケで佃煮を煮たりもし
ている。我が長閑な時の流れの中が日常なのだから、これ以上の楽はもう余り望めまい。
 そんな親爺やオカカを大日岳が見下ろして笑っている。


 村はずれから見る大日。


3/26
 一泊二日の細やかな温泉旅行から、さっき帰宅した。行き先が石川県の辰口温泉だから、高速を使うと1時間半もかか
らない。昨日の昼食後に家を出て、今さっき13:30には帰宅した。
 それでもゆったり湯に浸かり、美味しいものを頂き、のんびりした時間を過ごし、天気にも恵まれ高速を使わずいわゆる
下道をのんびりドライブしながら、庄川峡経由で帰って来たので、良い気分転換にもなった。
 山里の入り口に差し掛かり立山弥陀ヶ原辺りがうっすらと開いて見えた。春の立山だ。


 昨夜のお宿の料理。先付から椀、造り・・・
  

 蒸篭蒸しされた、タケノコや甘唐辛子、桜鱒などを、唐辛子味噌やフキノトウ味噌で頂く。桜鱒が素晴らしく美味しかった。
  

 お凌ぎの浅利飯も美味しく、巻きしゃぶしゃぶ(香味野菜を肉で巻いたもの)、ホタルイカの酢の物で、ご飯赤だしに続き・・・
  

 デザートとなった。十分満足。
 


3/25
 今日はオカカと二人で石川県へ足を延ばし、温泉で一晩ゆっくりしてくる予定だ。いつもは飛騨へ行くことが多いが、
たまには目先を変えるのも良いだろう。
 良い天気で暖かいし、明日も良い天気との事だから、結構な小旅行が出来そうだ。
 今朝そこいらを軽4WDでまたひとまわり、写真を撮ってきた。立山が良く見える。雪は少なそうに見えるが・・・。
 村下の元保育園、現交流館の屋根越しに立山が良く見えている。


 桃の老木に花が咲き、山里の春が始まる。冬はもう去った。


3/24
 小学校の同級生のTから電話があって「玩具のドローンを買ったが飛ばせぬ、お前のやってる奴なら大丈夫かい?」と
言って来た。「GPSのついたものなら大丈夫だよ。」と答えていたら「そっちで買っておいてくれよ。金持って取りに来るか
ら。」とのこと。で、アマゾンで機体を取り寄せておいた。ハブサンと云う中国のメーカーの品で、安価な割に安定した機種
なので、親爺もずっとこの機種を使っている
 で、今朝我が家にご本尊のTが訪ねて来て、家で一通りの説明をしたあと、村はずれの広場に入って飛ばした。
 最初からTが操縦。親爺は横に居て機体の動きを見ながら、上げろ、ストップ、とか右、とか左など方向を支持するだけ。
 それでもこの飛行物体は素直に言う事を聞き、Tの操縦も見事!!と云うより、GPS制御のテクノロジーが凄いというべ
きか。「こりゃ良いわ。これなら俺でも飛ばせる。こりゃっ凄い!!」竹馬の友の喜びは我が喜び、一緒になって親爺もは
しゃぐ。いい年をした爺が二人、童心に戻り寒い広場で寒いとも思わず遊んで来た。
 Tが帰った後、親爺も自分のトイドローンを上げて遊んだ。


 画質は普段使いの一クラス上の者が良いが、これもそこそこ撮れる。新雪の朝だ。
 

 これは今朝の常願寺川。


3/23
 隣家の桃の老木が、ほぼ満開、花盛りを迎えた。例年よりやや早めだろう。芦峅寺の山里で3月中に桃の花を見る事は
ごくまれな事である。
 とにかく雪が少なく、今朝も村はずれを軽4WDでうろついてきたが、どこもここも普段より半月以上早い雪解けだ。


 驚いたのは石臼林道の入り口に雪が無く、入れた事。
 もちろん我が軽4WDを以てしても300mくらいが限界で、残雪は部分部分かなり大きい。無理して動けなくなっても恥ず
かしい。何しろ最近はこの軽4WDがわが足代わりである。大切に扱わねば、これも我が身同様かなりの年代物だ。
 で、慎重にUターンできる場所を選び、県道へ出た。
 村はずれ大門の農耕地、今は荒れ果てたままだが雪が無い 石臼林道の入り口が開いていたので入ってみたが300mで行きどまり。
 

 それでも今の時期にこの林道に、例え300mでも入れるとは。普段は5月のGW明けにようやく入れた位だったが。
 


3/21
 孫が午後から来たが、風邪気味で咳をしているので、今日が祝日で休診になる前にと、昨夕立山町の小児科へ連れて
行った。薬を五日分処方してもらって我家へ帰宅。チャイルドシートに座らせたままで、薬局では30分もまたされ眠そうで
可哀そうだったが、家へ着いたら元気が出て、ご飯もたっぷり食べた。昨夜も少し咳が出たが、比較的良く寝た。
 今朝も元気で、起き出して居間に来るとジジに飛びついてきた。今夜もう一晩お泊りだから、今日は良く遊べるだろう。
 孫が我が家に居る日らしく、朝からおかあさんといっしょ、やらいないいないばあがテレビながれている。
 フライ朝だが、暖かい。


 大日も肩が見えるだけの今朝だ。


3/20
 親爺はドローン遊び、オカカはフキノトウ摘みで村はずれに行った。
 まだ雪が少し残り、ドローンには問題ないが、フキノトウは少し早かった様だ。それでも一回食べる分くらいは摘んで、
親爺も何とか立山の絵が撮れて、帰宅した。
 ドローンが着陸する時、親爺の後ろ雪の陰からオカカが顔を出して、ひょっこりさんのように出て来た。
 フキノトウの収穫はソコソコ。


 まだ少し早い様だ。



3/19
 昨日遊びに来る予定の孫だったが、ママが疲れて先送りになったので、それを待ちきれぬジジババは午後になって孫
の家まで出かけた。お昼寝前で、まだご機嫌の孫はジジババを見ると大喜び、早速一緒に遊んで、近くの大きな運動公
園まで連れ出した。
 ママと何時も来ているだけあって、遊具のある場所などよく知っている。ジジババをジャングルジムやブランコのある所
へ連れて行く。
 20分も遊んだら、ジジババは顎が出て来る。孫もまだ一歳半に満たぬので少し疲れ、今度はお眠になって来る。で、何
とか車に戻りチャイルドシートに載せ、ママの待つ家へ・・・が、ここで孫は寝てしまった。
 オカカがそっと抱いて、家へ連れて入り、寝かせた。寝ている間にジジババはお暇して帰って来たが、後追いするので丁
度良いタイミングだったかもしれない。僅か2時間足らずの孫との逢瀬だった。
 まあ、今週末には又我が家へ訪ね来る予定である。
 庭の雪がすっかり解けた。


3/18
 昨日、午後早い時間に風呂に入り、夕刻から寒い寒いと思っていたら、夕食を食べた後から微熱が出た。もうほぼ癒
えたと思っていた鼻風邪だが、ここへ来て熱が出るとはと、がっくり来た。
 今日は孫が8日振りに顔を見せに来る事になっていたので、余計がっくり。が、今朝はもう微熱も去り体調も悪くない。
 昨夜は寒かったはずだ、床から出て外を見ると家々の屋根が真っ白・・・。雪だったのだ。しかし真っ青な空が広がり
強い陽射しの降り注ぐ今日、雪も間もなく跡形もなく溶け、気温も上がるだろう。
 今朝一番に目に入った外の景色だ。


 花をつけ始めた桃の老木にも氷の花が咲いた。


 大日が真っ白にそびえている。


3/17
 明治30年4月生まれという祖父宗作が、大正13年5月の秩父宮殿下立山登山のガイドとして歩む映画を見た。この
時弱冠27歳、選抜された三人のガイドのあとの二人は、佐伯平蔵さん、佐伯八郎さんであり、当時の立山ガイドのリー
ダー的存在である。因みにこの時、平蔵さんは四十六歳、八郎さんは三十九歳だった。
 祖父宗作は昭和十年に亡くなっているので、親爺は祖母から聞いたその人となりを知るばかりで、残された当時の人
としては数多くの写真でしかその顔も知らなかった。
 それが、立山博物館のおかげで孫ながらもう、祖父の生きた年をはるかに超えた、六十六歳の親爺が、スクリーンの
中で二十七歳の若い顔をした、祖父宗作の歩く姿を目の当たりにしたのだ。
 宗作の長男たる宗弘、次男たる宗信、長女たる梅子・・・いずれももう向こうで、現生では縁薄かった父宗作に抱かれ
ている事だろうが、今一人残っている末っ子、三男の宗彦叔父にこの映像、わずか数秒だが、是非見せたいと思った。
 秩父宮殿下の立山登山は、今では考えられもせぬ大きな出来事だった。富山県を上げての大イベントだったのだろう。
 90数年の時を超えて、目の前のスクリーンに蘇ったその様子は、親爺にとっては実に感慨深い情景だった。
 (貴重な映像を見せて下さった、立山博物館に感謝申し上げます。)
 映像は著作権の関係で掲載できぬが、親爺はしっかりと網膜に焼き付けて来た。
 山里の今朝は肌寒い曇りの日曜日だ。


 閻魔堂での団子撒きの様子をオカカが撮影して来た。まずは仏事から始まり、姥尊像もお参りし仏事は終わる。
 

 さて、いよいよ団子撒き。当番になっている人たちが準備した団子を撒きはじめた。
 


3/16
 今日は、立山博物館の主催で、公民館で古い映画の上映会がある。
 大正13年5月の、秩父宮殿下立山登山の映画であり、親爺にしてみれば祖父宗作がこの登山のガイドとして、佐伯
平蔵、佐伯八郎と云った当時の立山ガイドのリーダー二人とともに選抜され参加しているので、オカカと連れ立って観に
行く予定だ。
 我が家にはその時の古い写真が2枚現存する。
 一枚は秩父宮殿下が、頂上に立っておられる写真で、額に入れ昔から座敷に飾ってあった。もう一枚は3人のガイド
が並んで写っている一枚で、保存が悪く一部欠損しているが、親爺が保管している。
 記録によればこの時の随行の方々は、槙有恒、三田幸雄、岡部長量と云った山岳会の重鎮ぞろいであったそうだ。
 すごい映画が残っていたもので、90年以上の時を超えて今その映画が観られるとは何とも言えぬ感慨がある。
 今日の山里は少しガスのかかった朝だった。


 昨日の晴天で雪は殆ど解けた。




3/15
 快晴の朝だ。鼻風邪も大分癒えた親爺だが、何時もよりダラダラしていて起床時間が遅れた。
 それでも朝飯は美味いし、何となく体も調子が良い。で、朝食後すぐに軽四WDであちらこちらを回り、すっきり見えて
いる純白の立山を写して来た。
 今日は閻魔堂で団子撒きがある。
 3月9日雄山神社で山の神様の祭りが終わると、閻魔堂の行事が続く。13日には、オンバ様のお召し替え、今日の団
子撒き、21日には数珠繰り(お彼岸)と続き、やがて春となるのだ。
 閻魔堂が近所にあるので子供の時からこんな行事が身近にあり、未だに親爺には「閻魔様が忙しくなると春」と云う可
笑しな思い入れがある。
 新雪で化粧しなおした立山もシーズン再開間近だ。


 玄関の戸を開けたら朝日がまぶしく眼を射た。


 村はずれから見る大日も、新雪の直後で美しい。


3/14
 鼻風邪をひいてしまった。鼻詰まりと鼻水、僅かにのどのイガイガだけの症状で、熱も出ぬ。が、鼻詰まりは結構辛く、
頭が重くなってくる。
 で、葛根湯を服用し、身体を休めジッと回復を待つことにした。
 今朝も朝食後に又ベッドに戻り、昼前まで寝たきり老人を決め込んでいたが、幾分楽になった。
 とにかく無理などせず、体を休めるに限る。
 山里は冬に戻った。親爺の予想を裏切る20cm余の積雪だ。
 物干場のガラス戸越しにすあったーを切ったので、変な影が映り込んでいる・・・。


 折角雪が解け切った我が家の庭も又雪に覆われた。


3/13
 今日明日は雪に見舞われるだろうという予報通り、朝は一瞬雪が降った。
 寒いとも思わなかったが、時間がたつにつれ外気温が下がっている様で、寒さを感じる様になって来た。慌ててフリース
のジッパーを喉元まで上げ、鼻水とわずかに喉もいが付くので、葛根湯を飲んでおいた。オカカも久々の頭痛で、二時間
ばかりダウン。今の三寒四温の時期は体調を壊しやすい。
 今日は閻魔堂で姥尊像のお召替。雄山神社開山堂でお祓いを受けた新たな衣装を、オンバ様(姥尊)像に着せ替える。
 神仏習合の名残をとどめる行事である。さっき、その始まりを告げる太鼓が鳴っていた。
 雨だがやがて雪に変わるだろう。今日は寒い山里だ。


 山の仲間であるYさんの奥方から、又いかなごのくぎ煮をお送りいただいた。親爺もオカカも美味しくいただいた。


 来拝山や、川向かいのスキー場上部はすでに雪になっている様だ。この雪は、夕刻には山里にも降りてくるだろう。
 


3/12
 薄日の射す穏やかな朝だが、戸外はスギ花粉がマックスのようで、花粉症には縁のない親爺も少し目がしばしばするし、
鼻水も出る。オカカなどは外に出る時にはマスクと防塵眼鏡が欠かせぬ様だ。
 今年は本当に雪の少ない冬だった。この時期は山里の感覚ならまだ立派な冬で、一晩に数十センチの雪が来ても不思
議は無い時期なのだが、何所の家々も屋根は瓦が出ていて真っ黒だし、雪囲いも外している家が多い。雪が殆どないのだ
から。
 不動山には雪が無く、その奥に続く来拝やまには僅かな雪が残っている。
 

 大日がほとんど姿を隠しているが、その山裾も雪が少ない。      乾し上がり取り込んだまいだまをオカカが油で揚げてくれた。美味い。
 


3/11
 雨が降る月曜日の朝だ。三月ももう半ばに差し掛かりつつあり、大相撲大阪場所も始まった。
 どうかするとまだ深い雪に埋もれている山里だが、暖冬の今年はすっかり春めいて、今降っている雨も温かい雨である。
 8年前の今日は辛い、東北大震災が起きた。8年という歳月が人も物も包みこみ、過去から今日へと運んできたが、その
間に少しでも癒された心があれば幸いだ。いやそうにも癒しきれぬ大半や、決して戻らぬ人々に、深い悲しみを新たにする
今日である。
 せめて襟を正し親爺もオカカもあの日に思いをはせよう。
 

 隣の謙ちゃん宅の桃の老木に、つつましやかな花が咲き、頂き物のハッサクで、親爺はママレード二瓶を作った。
 


3/10
 老人集落、それで悪ければ高齢者集落とでも呼ぶべきか、昨今の地方集落の事である。
 昨夜村の役員会に出席し、いろいろ話を聞いてきたが、空き家となっている家屋を解体する業者の営業が、わが村ならず、
近隣の村も回っているらしく、少々怪しげな内容の営業をしているらしいとの事。そういえば数日前空き家になっている家の
ことについて、我が家へ見知らぬ男が訪れて、その空き家や、付近の土蔵などの所有者を訪ねた。オカカが対応したが、名
乗りもせず、名刺も出さずぶしつけだった故、そんなことは知らないと門前払いを食わせたそうだ。
 成程、終活と云う言葉が流行ったが、集落にもその最後を締めくくる終活の時期が来たのかと納得した。
 黒部の孫が一昨日から遊びに来ていて、昨夕帰ったが、1歳五か月にして別れるという事が理解できた様で、先週はバイ
バイと帰って行ったのが、昨夕は泣いて暴れて困ってしまった。親爺など可愛くて可愛くて、胸が痛くなった始末・・・。
 後で娘から連絡があって、5分ほど泣いてたけど諦めたそうだ。
 昨日は快晴。孫を連れてドローンを上げに行った。


 まだドローンなんて分からないが、着陸させた機体には駆け寄って来る。ペラを静止させるまで、オカカが監督・・・。
 

 ずいぶんおしゃまになって、台所の引き出しまで興味があり、手あたり次第なので、目が離せない・・・・・。
 親爺はもうこの孫にメロメロである。


 今日も今は大日がすっきり見えている。


3/8
 昨日の午後から雪が降り出した。すっかり解けかかっていた雪だったがまた僅かに積もった。
 今冬の冬将軍は、当地には極めて優しい冬将軍だったのだが、そろそろ春の女神に座を譲る時期なのだろう。名残り雪
を降らせ遠のいていったのだ。この程度の名残り雪、除雪することも無い。もう広がりつつある春の女神の裳裾のような青
空から漏れる陽光に、音を立てて屋根や木立から雪が落ちている。
 やや寒い朝だが、寒さに慣れた身には辛くはない。


 突然降り始めた雪で、木立や屋根はあっと言う間に真っ白になった、昨日の午後だ。
  

 雪は夜にも間欠的に降り続いた。


3/7
 昨日、孫が動物園に連れて行ってもらったそうだ。パパが休みで、ママと3人で石川動物園にでかけ、最近覚えた像さん
(本人はジョーと発音)を見て来たとの事で、ラインで沢山の写真を送って来てくれた。
 動画も混ざっており、まるで一緒に動物園に行ったような気分だった。楽しそうな姿にジジババも嬉しくなった。
 今朝は天気が悪く、今にも降りだしそうだったが、10:00現在とうとう降り始めた。
 わずかに残った雪だがこれも間もなく消えるだろう。
 隣の謙ちゃん宅は雪を一度下したので、庭には圧雪が積もっていたが、それも間もなくなくなるだろう。


 憧れの象(じょー)をパパの肩車で眺める孫。 最後の方に見たので少し疲れたか、おさるさんも大好きだが、逆にみられてる・・・。
 

 強化ガラス越しだが、トラも怖がらない。未だ良く分からない一歳五か月だ。


 ジジババは、上手に乾し上がった「まいだま」を取り込んで、ジップロックに居れさらに缶に入れて保存した。


3/6
 6時過ぎに目覚めてもまだ幾分眠気が残っている。23:30前後に寝付く親爺だが、親爺の年を考えてみると十分な睡眠
時間だろう。夜中に小用に起きる事はめったにない親爺なので、結構よく寝たと思うのだが、眠気が残っている朝と云うの
は春先ならではの事かも知れぬ。春眠暁を覚えずと云う位だ。
 それでも昼食を終え、一休みすると(横になると)すぐに寝てしまって、30分ほど昼寝をしてしまう。別に仕事をしている訳
でもない、ゴロゴロ気ままに過ごしている日常でも、こんな風だが、若いときは昼寝などしたことも無かった。
 山小屋と会社勤めの二足の草鞋で、自由時間は寝ている時間がない程忙しかった。釣り竿を持ち、近くの川に朝晩通っ
たし、昼休みは趣味のラジコン飛行機やら、猟期ともなれば鉄砲担いで山の猟場に走った。そういえば鮎の投網漁にも足
蹴く通ったものだ・・・・・。ああ、時間はなかったが体力気力の充実していた日々が懐かしい。
 今は時間ばかりがたっぷりあって、やる気さえあればなんでも出来るのだろうが、体力勝負の猟や漁はもういけない。
 プラモを作ったり、ドローンを飛ばしたり、本を読んだり・・・まあ精々そんなところに落ち着いている。
 そうそう、大好きな旅にも雪の間はご無沙汰してた。これからは旅も・・・でも、来月には次女が出産で里帰りするから、そ
れも当分お預けかな。まあ、ジジババはジジババなりに、昼寝はしながらも結構忙しい。
 大日が見える今朝だが、雪は少なさそうだ。


 大分の大親友青井からシイタケを沢山いただいた。時ならぬ雨で、急にたくさん生えて来たとか。有難く頂こう。


 我が家の庭も完全に雪が解け切った。親爺にはトイドローンの発着場が出来た・・・
 


3/5
 起き出した時には濃いガスに当たりが包まれていた。朝食もそこそこに軽四WDで村はずれをウロウロ廻って来た。
 村の中にはもうほとんど雪はない。また村下外れは田んぼや畑が連なり、雪がまだ少し残っている。村の上手はずれの
雪解けが見たかった訳で、布橋の先の方に出ると濃いガスの向こうにぼんやり川向かいの山の影が見えている。その手
前の木立の足下はもう、随分雪が解け、そこから上がる雪解けの水蒸気がこのガスの元なのかなと思わせる。
 何とも、ほぼ3週間は前倒しされた雪解けの情景である。


 明るい太陽が見えて、このガスも間もなく切れるだろう。温かい。 家へ帰ったら雛あられの袋が目に付いた。この時期しか見られぬパッケージだ。
 


3/4
 花霞が辺りを包む暖かな朝だ。3月になったばかりだが、今シーズンの山里はもうすっかり春めいている。
 ほぼ3週間くらい早いのだろうか、山里の残雪量である。どう見てもこれは3月末、どうかすると4月初めの山里の風景だ。
雪が殆どなく、不動の山肌にへばりついている雪もわずかである。
 山小屋時代ならヘリ偵察の日を決め、小屋開けスタッフにも連絡をし小屋開け準備に取り掛かっていた頃の風景である。
 小雪、暖冬。有難くは有れど何やら少し不気味な気もする親爺だ。


 黒部の長女から、愛娘のひな祭りを祝ってやったと写真が送られてきた。家族3人で何やら楽し気で微笑ましい。
 

 何やらお取り寄せしたちらし寿司に、はま吸いや菜の花のお浸しも添えたママの力作。ケーキはバァバからのプレゼント。
 パパの実家の爺ちゃん婆ちゃんもプレゼントを持って駆けつけてくれたそうで、幸せいっぱいの孫娘だった。送られてきた
写真を見て、立山のジジババも心ウキウキ楽しくなった。
 


3/3
 雛祭だ。昨日はたまたま我家に来ていた孫に、長女が袴コスチュームを着せ、我が家の手抜き飾りの前に座らせた。
 が、何分の一歳五か月、お雛様もなにも良く分からない、そのうちに自分で引きずり出してお雛様の前で遊んでいた積木
に躓いて、テーブルにおでこをゴッチン、たん瘤をこしらえて大泣きした。幸い瘤は大したことなく、冷えピタ半日で引っ込ん
だが、一日早いひな祭りは孫に振り回されて、てんてこ舞いだった。去年の初節句とは大違いである。孫が成長したという
事である。
 昨日の夕刻帰宅した孫と長女、今日は自宅でパパとママと三人で雛祭を祝うそうだ。


 まだまだお雛様など分からない一歳五か月である。積み木を引っ張り出して遊び始めた・・・。
  

その積木に躓いて、テーブルでおでこゴッチン・・・たん瘤をこしらえ大泣き。幸い事も無く瘤も午後には引っ込んだ。
 

 午後はジジババとカモシカを見に行って来た。おでこの冷えピタがいたずらの勲章。


3/1
 親爺の頭の中では弥生三月は折り返しの月である。つまり年度の最終月であるからで、翌卯月四月が新年度の始まり
月で、学生時代にこれが頭に刷り込まれたし、小屋開けが4月でそれから始まる新シーズンという事もあり、山小屋時代の
40年間も4月が始まり月であった・・・・・・。
 新年と新年度とややこしいが、昔からこんな風になっているので、新年はお正月で心新たな年の始まりだが、新年度は
正月はなく、ことのほか祝うことも無い、学校、役所、会社などの新たな実質の始まりである・・・。
 と、まあ勝手に解釈をしてその流れに従い生きて来たから、弥生三月は待ち焦がれた春の始まりであると同時に、新年
度を迎える前の晦日月でもあるのだ。
 親爺が外を軽四WDで一回りしてきた朝は、暖かい霞が流れるあさだったが、帰宅してキーボードをたたいている中に、
暖かい陽光が射して来た。これは天気予報通り良い天気に恵まれそうだ。
 朝はこんな幽玄な景色の中に居たのだが、これも悪くはない


 弥生朔日の我が家、屋根にも、辺りにも雪が殆どない。


2/28
 昨日、掛かりつけの医院へ薬を貰いに行って、久々に大先生にお会いした。まだ現役でかくしゃくとしておられ「立山の雪
はどうですか?」と聞かれた。「室堂辺りでも2mは少ないと云ってますね。芦峅寺も雪はないほどです。」と答えると「大谷
の雪の廊下は雪が少なくて大変ですな。」と云われたので、「先生あそこの雪は除雪時に機械で積み上げて嵩増ししますか
ら。」と申し上げると、「ああ、そうか・・・。」と苦笑しておられた。きっと大先生も「昔の立山」を良く知る世代だから出た苦笑
だったのだろう。
 山を知らぬ親方が、立山のブランド化なるおかしなことを言いだして久しいが、その下についている無責任追従子分たち
が、何を勘違いしたか自然破壊が一目瞭然なプランを立ち上げて、親方をいさめるどころか煽るので、今や隠居の身では
ありながら、少々腹を痛くしていた親爺である。
 が、山を親方よりよく知る、子分ではない人々が、色々な意見書を出したり、環境省もおそらくいい顔をしなかったらしく、
話はいったん立ち消えになった様だ。まあ親方の年齢を考えるとこれでこの話はチョンと木が入ったと見て良いだろう。
 親爺も腹の痛みが消えた。
 それにしてもこの後、立山は如何なって行くのだろうか?1000年の余も立山とともに生きて来たわが山人の集落は今
や風前の灯だし、立山も変わって行くのだろうが、観光資源としてのみ立山を取り上げる事だけは、止めて欲しいものだ。
 荒らされた自然は復元に気の遠くなるほどの時間がかかる。
 かつて立山は信仰の対象だったし、登山者にはサンクチュアリであったのだ。いや前後者ともに「である」と現在進行形
にしておこう。決して過去形にしてはいけない。
 二月末日、暖かい雨の降る山里だ。


 雨は冬の名残の残雪を、ことごとく解かす。



2/27
 まだ2月だった。今気づいたが、この項をすっかり3月の日付で書いていた。3/23までをさかのぼり修正・・・。惚けてる。
 という事で、親爺も日々ボンヤリしてきてしまっている様だ。
 今から富山市内の真ん中まで、車でお出かけだが、運転中にぼーっとしてはいられないから、これはいい緊張感継続訓
練になる。車の運転ぐらいはせめてもう10年はしたいから頑張ろう。
 今朝は大日がぼーっと霞み見えている。


 我が家の庭の雪も、今年は早々となくなりそうだが、去年の今日はこんな風だった・・・・・。
  


2/26
 朝は雨が降っていた。昨日は13℃以上まで気温が上がり、雪が10cm以上溶けて40cmになった。山里は春気分だ。
 親爺たち雪国の者には、春は嬉しいものだが、この陽気には魔力があり人間の頭にも変調をきたさせる事がある。テレ
ビ等で見聞きするニュースには、常識では考えられない事件が多く、犯人の頭を疑う事も多々あるが、春先になるとこんな
事件、事故が特に多くなる・・・と思っていたが、最近は一年中おかしな事件が起こりっぱなしだ。
 ここでそれを書く気にもならぬが、幼気な子供たちが親にいじめ殺させる事件など、胸をえぐられる様な気がする。こんな
事件の加害者には、厳罰をもってあたるべきだと思うが、実に甘い判決が多い。
 嬉しい春に、喜びすぎて多少タガが外れるくらいならまあ許せもするが、他に危害を加えるような狂い方は許されない。
 不動山の頂付近も雪が少ない。


 押し入れの奥から孫が引っ張り出して来た田舎家のキット。組み立ててみたら面白かった。


 お雛祭りの日に着せる袴の衣装が届き、試着させられた孫。ジジは目じりを下げ鼻の下を伸ばして写真を見ている。
 

 川向かいのスキー場も、そろそろ終わりかな・・・・・。雪が無い。


2/25
 暖かい天気だ。とてもまだ二月とは思えない。
 今日で丁度満1歳五か月になった孫が2泊三日で来ていて、朝からジジババと遊んでくれている。遊び疲れて今はお昼寝
中だが、起きれば帰宅するそうだ。かなり寂しいがやむを得ぬ。
 それにつけても暖かい。村の中もずいぶん雪が解け、春めいてきたが、今度は雪より花粉が気になりだしたオカカだ。
 残雪はまだまだあるが、山里でこれ以上雪の心配はあるまい。
 

 お掃除のお手伝いをしたり、ババと絵本で遊んだり、1歳五か月になった孫はますます面白く遊んでくれる。
 


2/24
 気持ちのいい朝である。孫が昨夜から来ていて、午前中は一緒に立山運動公園等で遊んできた。昼寝時間だがやや興奮
気味で寝ないので、ママが車に乗せて寝かせに行った。
 昨日孫が我が家に来た直後、堺市のN大先輩から、お雛菓子が届いた。Nさんは毎年娘三人の親爺にお心遣いを下さる
のだ。今年は孫と一緒に、我が家の手抜きひな壇にお供えさせていただいた。
 快晴の日曜日。温かい午後だ。


 オカカが孫に着物を着せた。意外と嫌がらず遊びまわっている。
 Nさんに頂いたお雛菓子も雛壇にお供えさせて頂いた。、


 頂いたお雛菓子はもう早速、孫やママもジジババもご相伴。 雪の少ない穏やかな2月末である。
 


2/23
 来年からは天皇誕生日となる予定の今日だが、未だ平成の御世だから普通の土曜日の今朝である。
 昨日とは打って変わった曇天で、小雪さえちらついている山里だが、まだ二月だと思えば当たり前のことである。人間は
易きに流れるものだ。ここ数日の温かさに春気分でいたおめでた親爺である。とは言え今日もこの後昼ころからは晴れ予
報だし、気温も7〜8℃にはなるだろうし、明日からもしばし晴れマークが並んでいる。
 今朝の小雪が舞う山里風景をご覧あれ。


 雪は随分少なく、例年なら3月半ば過ぎの景色だ。今冬はすっきりと暖冬予報が中った。
 


2/22
 良い天気で、青空が広がり、ますます雪を減らしている山里だ。観測点の積雪で52cmだそうだが我が家の庭先を見
るともっと少ないような気がする。精々村の中では30〜40cm程度だろう。
 今まだ2月の終わりだと考えると、この雪は少ない。立山も今のところ少ない。が今日姿を見せている大日はすっかり
厚い雪衣を着込んでいて、例年の通りの山に見える・・・遠目での話だが。まあ、立山の雪はこれからが本番。3月に降
る雪が多いと積雪量も一気に増す。小屋開けで人間が入るのが早くて4月初めだから、3月の雪の多寡が小屋明け時
の積雪量を決める事になるのだ。山小屋の建つ場所にもよるが、剱御前小舎のような稜線鞍部の山小屋は雪に埋まる
事は稀で、風の吹きようで小屋の裏側と、剱沢側が屋根まで雪に埋まっている事はあっても、その他の部分はせいぜい
2階窓の辺りまでである。が、剱沢小屋や、真砂沢小屋などはすっぽり雪に埋まる事が多く。雪面から数メートル下に屋
根があることも多い・・・。
 昨日心平が来て、いろいろ山の話をしていたので、久々に立山の事を思い出した。
 山を離れて丸2年、人間は易きに流れるものである。


 ヨータローが遊びに来て、懐かしいスモック姿ももう一月だそうな。ついこないだまで孫のリンコロと変わらなかったのに・・・。
 勿論親爺とオカカにはヨータローも孫である。
 


2/21
 いよいよ暖かくなって、まだ寝しなの電気毛布は1時間ほどだけ入れているが、布団の上掛けを外した。
 今朝は霞が立ち、如何にも雪解けの頃の風情だ。
 三人の娘らがおのおの独立し、家を出て久しいが、お雛様だけはまだ家に残っている。で、オカカがこれを今朝飾り付
けた。勿論簡略な飾り方で、お内裏様とお雛様だけを床の間に台を置いて並べ、次女、三女の市松人形を隣に並べて
完了である。とても本来の八段の飾りなど、その台を組む元気もない・・・。
 まあそれでも、緋毛氈の上に並んだひな人形で座敷は賑やかになり、雪が解けて雨戸を開けたのでより明るくなった。
 今朝の山里は、丁度お雛様を飾るにふさわしい、花霞の立ったあさである。


 究極の手抜き飾りながら座敷も華やぐ。


 オカカがロボットを買った。こういう玩具が好きなオカカだ。  



2/20
 気付けばもう二十日、2月と云うのは本当に早く日が過ぎて行く。
 暖冬予報がピッタリ当たって、今年の山里の冬は実に楽だ。雪がこれだけ少なければ生活にも殆ど影響はない。少し
凍結道路に気を付けたり、天気と相談して食料の買い出しなどを行っておきさえすれば楽なものだ。
 今日も役場に出かけ、年金生活者ながら何やら申告せねばならぬ。つまらない用事は早く済ませておくに限る。
 後は当座の買い物でもして帰ってくるつもりだ。
 何とも面倒な事である。


 辺りはいよいよ雪解けの景色になって来た。負けじと庭の積雪を散水ホースを使って解かしている。オカカの仕事だ。
 

 親爺はストーブで、コトコトシイタケ昆布の佃煮を煮る。長閑である。


2/19
 昨日は快晴だったが、今日は又曇天となった。ただし気温は高く朝もちっとも寒くない。
 親爺とオカカは昨日、孫を訪ねて黒部に向かい、孫を温かい陽射しの公園に連れ出して遊んできた。黒部総合公園は孫
の家からも近く、広々とした芝生の広場や、子供用のアスレチック広場もあり、孫はいつもここで遊んでいるのだそうだ。
 機嫌よく車から降り、ジジババを案内する様に歩き始め、ご機嫌だ。とにかく広い。爺など良い散歩になる位。
 アスレチックと云ってもそこは幼児用だが、まだ一歳5か月足らずの孫にはやや大きい。で、全てサポートが必要だが、ジジ
ババが上下に分かれ、大好きな滑り台や、トンネルで遊ばせる。いやいや結構いい運動になる。で、2時間足らずも遊んだろ
うか、風も少し冷たいので、一端孫の家に帰り、ママも連れだってそこかで食事をしようと車に向かったが、帰りの車中で、孫
はあっと言う間に寝込んでしまった・・・。
 なるほど、駐車場までのあんよを嫌がり、抱っこしろと要求していたが、疲れたのだろう・・・。
 今日はこんな天気の山里だが、暖かい。


 よく遊んだから、ちょっと疲れたのかな・・・。               ジジに抱っこをせがんできた。親爺息切れしながらも頑張る。
 

 今日は高曇りながら、暖かい日だ。



2/17
 久しぶりにプラモデルを組み立てた。親爺の場合昔から、趣味の世界でも集中する時期と離れる時期が交互にある様で
夢中で、毎日のようにやったり、忘れたように1年も二年も何もしなかったり・・・・・が、急にまた戻ったりと、我ながら実に気
まぐれなのである。
 で、昨日組み立ててみたのは、先だってメルカリで購入した、塗装済みの簡単なものなので、2時間余りで完成してしまっ
たが、プラモ復帰リハビリとしては丁度いい具合だった。
 モノは半世紀以上前のちばてつや氏の名作、紫電改のタカで、主人公の滝城太郎が搭乗する機体で、尾翼にタカがマー
キングされていると云う紫電改である。
 夢中で読んだ紫電改のタカである。66歳になった今でも思い入れはとても大きい。


 塗装済みの機体だから、組立は極めて簡単だった・・・。ペラを回すモーターが組み込まれ。1/100スケールだから小さい。
  

 簡単な割に仕上がりはソコソコなのは、工場で塗装済みだからだろう。細かいジオラマ用の人形も付属している。
  

 今日の山里は雪が降っている。かなり強い振り方になって来た・・・・・。
  


2/16
 朝は高曇りで、雪も待ってはいなかったが、霙が落ち始め、あっという間に雪になった。
 朝の気温は1℃程あったが、これから気温が上がらず逆に下がって来るそうだ。確かにわずかながら寒くなって来たので
親爺は居間の温風ヒーターも点火した。床暖、石油ストーブ、温風ヒーターの3種類同時稼働である・・・が、一寸暑くなって
来たので温風ヒーターは止めた。
 さて、外は雪だし、きょうはこれから久しぶりに簡単なプラモを作ろうと思っている。塗装済みの実に簡単なプラモだが、親
爺がプラモに手を出すのは久しぶりの事だ。
 昨日はこんなにきれいに鍬崎が見えていたのだが、今は雪で何も見えない。


2/15
 雪は一段落したが、寒さの厳しい今朝だ。至る所バリバリに凍っていて、朝の通勤車両もノロノロ運転だ。
 親爺も旧道を軽4WDで走って、いやノロノロ慎重に一回りして来た。雪は確かに少なく、例年の冬の雪ではないが、山里
の事である、村はずれはすっかり雪に覆われている。
 今朝は立山が良く見える。
 雄山の主稜線がすっきり見えた今朝だが、今のところ立山は雪が少ない。
 が、3月の雪が多いと立山は見事に様変わりする。4月半ばの入山時期に目にする雪は全て3月の積雪だ。


 孫がお掃除ごっこを始めたそうだ・・・今度我家へ来たときは、さて何所を掃除してもらおうか。
  


2/14
 今朝も寒い。が、明日からはやや気温も上がるとの事だ。
 雪は新たに10cm程来たが、山里の積雪は80cmソコソコだ。まだまだ生活に支障をきたすような雪ではない。もちろん
我が山里にはそれなりの備えがあるからで、これが軟弱な都市部だと大パニックだろう。
 昨日は長女がかかりつけの立山町の耳鼻科に受診に来たので、待ち合わせて孫を預かり、半日ほど楽しく遊んだ。
 孫も大喜び、我が家に着くや大はしゃぎ。ジジババ相手に愛嬌を振りまいてくれた。お昼寝後には帰って行ってしまったが
親爺はかなり寂しい思いをしたものだ・・・。
 雪の朝、寒い。


 今日はバレンタイン。娘とオカカがチョコをくれた。


 とにかく寒い朝で、小雪もちらつき、ここが芦峅寺の山里だと思い知らせてくれている。
 

 久々に、メルカリで入手したプラモの組立に取り掛かるつもり。プラモも1,2年ぶりかな?
 


2/13
 例により小雪がちらつく薄曇りの朝だ。天気予報の通り、二月半ばは寒い日が続いている。
 これからという水泳の、池江選手が白血病に罹患と云う驚くべき発表があった。本人は気丈に耐えていて、その凛々しさ
には一点の曇りもないが、これからという時に何と厳しい試練だろうか。恐らく現代医学最先端の治療を受け、元気になっ
てカムバックしてくるだろう。そしてその時は試練をくぐったものだけが持つ強さをも兼ね備え更に強くなっている事だろう。
 何の役にも立ちはしないが、奥山の親爺もそれを心から祈っている。
 相変わらず小雪舞う朝を迎えている山里だ。


2/12
 今朝は小雪が降り、寒い朝だったが8:30過ぎに陽が射し始め明るい青空が広がって来た。
 朝日が顔を出し始めても濃いガスで包まれていたので、明るさが滲み拡がって来るような感じがするばかりだが、徐々に
力を増して陽光がガスを押し広げ暖かく、物干場を通り我が家の居間にも射し込んでくる。
 氷点下の外でも、気温も上がるのだろう。屋根の雪が落ちて、ドスンドスンと音をさせている。
 ガスの中、陽が山の端から昇ってきた朝だ。


 昨日は孫の雪遊びデビュー日。建国記念の日に初の雪遊び・・・。     居間の出窓から爺がのぞくと大喜びで手を叩く孫。
 因みにこの日孫が着ていたのは、ママが30年前に来ていたスキーウエアをババが手足を縫い上げして着せたもの。
 

 今朝は小雪がちらついていた山里だ。


2/10
 昨夜は村の役員会で、19:00に公民館に出かけた。孫が来ているので、風呂に入れたりして遊んでやりたかったが仕方
ない。しぶしぶ出かけた。早く終わるだろうと高をくくっていたら、21:00頃までかかった。
 公民館から外へ出て見るとかなり本格的に雪が降っている。車も雪を下ろさねば動けないだろうとひょっと我が軽四WD
を見るとフロントガラスにはほとんど雪もついておらず、あれッと思って車に近づくと、かすかなアイドリング音・・・・・何とエン
ジンを切り忘れ駐車して、2時間余り忘れていたのだ・・・・・。
 「俺も惚けてしまったな。これはいけない。」と反省するも、車内は暖かいし、フロント、リアのガラスも湯気が上がるほどに
なっている。同乗の隣の謙ちゃんも「おお、こりゃあいい。」マア、似たもの弥次喜多であった。
 今朝は昨夜からの雪が降り続き、山里の積雪も88cmになった。一晩で大凡20cmほど降ったようだ。


 昔ママが3歳の頃に着ていたスキーウエアを着せたら宇宙服の様にぶかぶかだが、手足をババが縫い上げして昨日雪遊
びをさせてみた。もう嬉しくてうれしくて、中へ入ろうと云わぬ孫であった。
 

 今日は一寸雪が深すぎて外遊びは難しい・・・。


 又寒中の景色に逆戻りだ。


2/9
 昨日はオカカの誕生日だったので、娘達からのプレゼントが届いた。
 親爺も欲しいものを贈ろうと思っていたが、オカカのリクエストは掃除機である。今使っているダイソンで、重くはないが階
段掃除などでは少し大きすぎて使い勝手が悪いとのことで、長年使っていたマキタの小型掃除機が欲しいのだとか。「そん
なもの、家事道具だろ、もっと自分の欲しいものはないのか?」と聞いてもそれが良いのだそうで、親爺は早々とそれを手
配しておいた。
 山里は寒い曇りの朝で、たまに小雪もちらつく。
 閻魔道の木立もうっすらと雪を纏った。


 次女が送ってくれた花束を手に嬉しそうなオカカだ。長女は孫のバースデーカードとサプリメント、三女は律義なのし付き
の高級佃煮。オカカ、大喜びの昨日、2月8日だった。
  


2/8
 気温が下がり、雪が降っている。積雪量こそ数センチと云う処だが寒い。親爺はインナーダウンを着込んだ。
 ちらちらと力ない子雪が降っている状況だが、これも半日も続くと10cmくらいにはすぐなってしまう。まあ、二月のこの
時期にこんな程度の積雪は可愛いものだ。
 モノクロ(セピア)で写真を撮ってみたが、何とは無く昔の芦峅の雪降りの情景に見えてくる。


 こんな写真もなかなかいいものだ。


2/7
 薄曇りで明けた今朝だが、思いがけず足下が凍っている。予報では14℃位まで気温が上がるとの事で、今朝も氷点下
にはならぬと思っていたが、流石山里、下界の天気予報は適応されぬ様だ。
 例年ならこの時期は雪に埋まっている山里だが、今冬は雪が極めて少なく、現在の積雪は57cmだそうだ。屋根の雪も
殆ど落ちているし辺りの木立にも雪は全くついていない。
 この風景でも、山里では暖冬小雪なのだ。


 名古屋の旧友Hさんから、自家栽培のハッサクを頂いた。これでまたママレードも作ろう。


2/6
 昨日は夕刻お昼寝から覚めた孫が、ママと帰宅したので寂しくなったが、外はまだ明るかったし立山も良く見えていたの
で、ドローンを上げて見た。
 まあトイドローンの事とて撮れる写真も大したものではないが、それなりに見られる。立山の白い峰々が奇麗だった。
 今日は高曇り。まだ寒くはならない様で、8:00現在の気温が3℃ほどもある。色々堪っている雑用を片付けに、オカカと
一緒にこの後外出予定。まあ、用事と云っても銀行と役場、買い物程度だが・・・。
 かなりピントが甘いが昨日の立山。地上高度70mくらいからだ。


 プレミアがついてかなり高額になっている紫電改のタカのプラモ、メルカリと云うサイトでかなり低い値段で購入できた。
 紫電改のタカは、ちばてつや氏の名作、少年時代に胸を熱くして読んだ・・・。
 実はこのキットすでに持っているが、組み立てるのが惜しくそのままにしてある。だが、今度購入したこれは是非作ろう。


 今日の山里はこんな天気。大日も肩までしか見えぬ。


2/5
 暖かくなった。昼前に鼻水が止まらぬ孫を連れて、近くの耳鼻科に行ったが、軽い鼻風邪だとの事で薬を貰って来た。
勿論ママ同伴だからジジは運転手だけだ。途中の景色は標高200mから下はもう完全に春だ。
 昼前にジジババで孫の手を引いて散歩に出たら、昨日吹いたという春一番のせいで、杉の枯れ葉がそこいら中に散らば
っていたが、それに興味があって、片っ端から拾おうとする孫に手を焼いた。
 確かに立春は過ぎたが、我が山里ではこんな早い春一番は聞いたことが無い。何とも暖かく雪の少ない冬である。
 我が家の庭もずいぶん雪が無くなった。


 一歳四ヵ月、なんにでも興味があって、ジジババの手を引っ張って連れまわす・・・。


 川向かいのスキー場もゲレンデ以外は黒々としている。


2/4
 節分の昨夜は我が家でもオカカは豆まきをした。殻付きの落花生をまいたのだが、これも豆まきである。テレビを見てい
たら節分の豆まきで有名な、成田山でも殻付きの南京豆をまいていた。
 立春の朝は雨だ。昨夜は11℃を超える気温になって、暖かかったが湿った暖かい大気の吹込みで、今朝からは雨と云
う訳らしい。
 お陰で雪が解け、我が家の車庫の雪も半分以下に溶けてしまった。
 立春と云えば立春だろうか?暖かい雨に霞む今朝の山里である。


 山里の雪が解け切るのは、今年は意外と早いかもしれない。
 

 心平にもらったイノシシ肉で作った、ベーコン。脂が白く固まらず、味が濃い。これは美味い。




2/3
 今日は節分。あとでオカカと一緒に買い物に出かけるが、豆も買ってこなくてはならない。とは言え小袋入りの炒り豆で
最近は胡麻化している。まだ豆まきを、形ばかりだがしようと云うだけで良しとしよう・・・。
 最近は恵方巻だとかいう太巻きずしが売り出され、これを喰うのが節分だと思っている若い人たちもいる様だが、あれ
はバレンタインデーを流行らせた商売人の知恵と一緒であり、起源なども諸説あり、節分に絵方を向いて巻きずしを齧る
等と云う話は、つい近年の某コンビニ店長の仕掛けだと云うのが正しそうだ。
 まあバレンタインデーどころか、ここ数年はハロウィン等と云う良く分かりも知りもせず、縁もゆかりもない行事を、お祭
り宜しくバカ騒ぎをして、警察官を動員するような騒ぎを起こす連中もいるのだから、そんなバカ騒ぎが主流になり、豆まき
で邪を祓い、福を呼び込む等と云う比較的地味な行事など、廃れて行くばかりかもしれない。
 山里の節分の朝だ。大日が見えている。


 堺在住のN先輩に頂いたカレンダーに、日本で唯一現存する97式戦闘機(福岡県所有)が載っている。海中から引き上
げられ、大変な努力で姿を取り戻した機体である。この写真を見ると胸が熱くなり、涙腺が緩む。


 平和な今朝は、幾多の尊い先人の血と汗の上にこそあるのだ。忘れてはいけない。


2/2
 二月と云うのはもともと日数が少ないからか、あっという間に過ぎてしまうが、その前の一月は例年随分長く感じる。
 正月という事で、元旦の祝日から明けるし、その前には前年の大晦日や年末と云う慌ただしい日々もくっついているから
かと思うが、とにかく一月が過ぎ二月に踏み込んだ今、日は瞬く間に過ぎて行くだろう。
 山里の今朝の積雪量は82cm。気温も0.2℃で、氷点下になっていない。寒さに慣れたからかフリースだけで、ウインド
ウブレーカー等を着ずに外をうろついても寒く感じないが、足下はかなり凍っているところがあるから気をつけねばならない。
 例によって軽4WDで、村を一回りしてきた、と云っても10分くらいのものだが。
 車庫に車を置いて、見上げた我家の頭上には青空が広がり始めた。屋根の融雪装置が利いて雪がずいぶん軒先にずり
落ちてきている。気温が上がれば皆落ちてしまうだろう。


 昨日は大日がこんなにきれいに見えていた。


 今朝の村はずれは山の方がまだ開かない。


2/1
 毎年長く感ずる一月もおわり、今日は如月朔日。
 当たり前のことだが、明後日は節分で明々後日は立春である。たとえ暦の上だけでも春立ぬは嬉しい・・・。
 今朝の山里は90cmあまりの積雪で、昔から見慣れた真冬の景色となっていて、結構寒い。
 ずいぶん昔の話だが、テレビが普及し始めたころ、新聞離れ、本離れなどを心配したある知識人が、「一億総白痴化」
を心配したという記憶がある。で、そんなことも無く世の中は続いているのだが、先だってテレビで相撲中継を見て居た時
テロップでニュース速報が入ったので、注意してみていたら、”嵐”というジャニーズ事務所所属のグループの解散につい
て云々言っていた。親爺がその時に見ていたのは、確か強制的に視聴料を徴収される国営放送NHKであったはずだが、
この国営放送が”嵐”等と云うグループ歌手について速報を出してまで知らせる必要のあるニュースだったのだろうか?と
瞬時に我が耳を、いや、目を疑った。そして次の瞬間、一億総白痴化という言葉を思い出していた・・・・・。
 しかもその後の18:00代のニュースにそれをトップニュース扱いでやったのである、NHKが。
 率直に言う。阿保らしい。馬鹿馬鹿しい。少なくとも親爺には全く如何でも良い芸能界の話である。
 こういう現象が一億総白痴化なのだろうと深く感じ入った。
 真冬の山里の景色だ。


 融雪装置で屋根の雪が落ち、雨戸の敷居より高くなった。


1/31
 長く感じていた一月も今日が最終日だ。雪こそ少なく、軽々とした気分で迎えた正月だったが、身に風邪を引きずりなが
ら迎えたため、どうにも晴れ晴れとした正月とは行かなかった。もっとも義父の喪中の正月だったので年始の祝いの事々
を全て控えたためでもあったろうが。それでも正月過ぎから体調は戻った。
 で、迎えた一月最終日は、まるでそんな親爺の心を写したように、どんよりと曇っている・・・。
 それでも例年より雪が少ないので気分は軽く、来るべき2月も雪少なかれと祈る親爺だ。
 睦月最終日の山里は、あたりの木立も、山々も黒々としている。

 
 山里の9:00現在積雪量は74cm、気温も2℃近くある。

 
 昨日の晴天は素晴らしかった。親爺とオカカは黒部の孫を訪ね、魚津の埋没林博物館に連れ出した。
 この博物館は近隣指定市町村在住のジジババが孫を連れてゆくと入館料金が無料になる。立山町もその中に入ってい
るので無料だった。有難い話だ。ジジも孫も防寒服を着ているが、暑い位の陽射しで、孫は芝生が大好きだ。


1/29
 寒い朝なのに、外で立ち話をしていて凍えてしまったオカカがヒーヒー言って居間に駆け込んできた。温風ヒータをもう一
つ点けて、その前で暖を取っている。お陰で寒がり親爺も少し暖かくなってきた。
 昨夜から降り始めた雪は30cm程積もるとの予想を裏切り、10cmほどだった。それでも積雪量は94cmあって、景色
もこんな風だ。寒い。


 切り分けて休ませておいた「まいだま」を、昨日オカカと一緒に編んだ・・・と云ってもオカカ8割で、親爺は教えてもらいながら。
 

 編んだまいだまは、座敷の縁側にさおを掛け渡し、これに吊り下げた。あとは乾燥した冷気が欲し挙げてくれるのを待つだけ。
  

 雪の山里での、親爺とオカカの時が流れる。


1/28
 久しぶりにドローンを上げて見た。雪景色の奇麗な山里が広がっている。いつも見慣れた景色なのだが、我が母の生家で
ある日光坊が無くなっている。63代目の伯父が実質的には最後の当主だったろう。
 親爺も母の第一子としてこの家で生まれたのだから寂しくないわけはない。
 博物館が神仏習合の祭壇などを回収した後昨年暮れに取り壊されたのだ。もちろん親爺たち親戚にも話はあったし、何か
記念に持ち帰りたいものがないか、見に来てくれとの声もかかったが、親爺はあくまで外野の位置を守って、その話の中には
踏み込まなかったし、踏み込みたくなかった。
 それは立山ガイドの家、3代目の当主たる親爺にも明日は我が身の話であるからだが、山深い雪の集落に、昔からの習い
を守り生きて行こうとするものは、もういないのだ。
 立山信仰で栄え、アルピニスト憧憬の山域の山岳ガイドで栄えた我が芦峅寺も、間もなく終焉を迎える限界集落である。
 ”たらちねの母の生家も去りてなし雪の空き地ぞただ広々と”
 ”日光坊跡地となりぬ雪野原懐かしき人ら今もさざめき”


1/26
 昨夜から新たに40cmの積雪、山里の積雪は90cm程となりこの冬の記録を更新して今なお降り続いている。
 大寒を過ぎ、未だ間の中である。致し方あるまい。
 昨日から又孫が来ている。ママが一寸体調不良で、パパもこの雪で仕事が忙しくなる。パパは昔の親爺のように、建設業
と旅館業を掛け持ちしてしているからなかなか忙しい。その上この前からインフルにかかって、ママは孤軍奮闘の一週間だ
ったので、ここへきて疲れが出てしまったようだ。
 まあ、実家で2,3日休養すればよいという事での里帰りだ。
 今朝の山里は寒い。


 雪は断続的に降り続く。


 でも孫がいて、家の中は暖かい。


1/24
 大寒を過ぎ、良く雪が降る。昨夜からも20cm程の雪が新たに来た。山里の積雪は70cmを越えてこの冬一番となった。
 この時期に70cm一寸の積雪でMAXなのだから、今のところこの冬はやはり暖冬だ。我が山里の村でもまだ誰も雪下ろ
しなどしていない。
 今朝の雪景色はこんな感じだ。


 これでも道路は開いているし、今のところ生活に何ら支障はない。寒くは有れど・・・。
 

 で、親爺は”まいだま”を押切を使って切り始めた。外の仕事はもう役に立たないから、こんな仕事が丁度だ。
 

 で、まあ約200枚のまいだまを切り、この状態で二日ほど放置した後、藁ならぬビニールひもなどで編んで、暖房のない
縁側などの寒い場所に吊るし、乾燥させる・・・予定である。



1/23
 昨日オカカと二人で”まいだま”を作った。まいだまは恐らく繭玉の転訛で、確かに乾しもちではある。
 大らかな山人の事である。保存食用に作る乾しもちも、まいだまと呼んできたのだろう。
 山里ならぬ米どころ、富山平野のはずれにある本格的米作農家では、ほぼこれと同じようなものを拵え、「寒餅」と名
付け商品化し販売している。恐らくこの辺りのモノが本場なのかもしれないが、我が山里のまいだまは飽く迄まいだまで
シンプルな薄切りの乾しもちである。
 もちを搗き、昆布だとか豆だとか、好みのものを混ぜ、型に入れ一日二日おいて、まだ完全に固まらないうちに3〜4
mmの厚さに切り、それを藁で編んで乾すのである。所謂せんべい状の乾しもち故、炙って、あるいは油で揚げて、パリ
パリと頂く。子供のころから食べつけている親爺には、非常に美味いものだと思える。
 で、まあ昨日は一生懸命親爺もオカカを手伝ったのだ。
 今朝の山里は雪が減った。

 前日から糯米を水につけて、準備は万端。            餅つき機にその米を入れてスタンバイ・・・
 

 スイッチを入れ、蒸しの行程に入る。待つこと30分、昆布と塩を加え搗き(捏ね?)の行程に入る・・・
 

 つきあがった昆布餅を、まいだま用の箱に入れる。      次は海老餅、干しエビに白エビも加え搗き始める・・・
 

 で、出来上がった、昆布餅と海老餅のまいだま、2本である。明後日ごろ切る予定。

 この、押切と呼ばれる専用まいだま切りで4mmほどの厚さに切るのだ。


1/22
 昨日孫が帰った。寂しくなった処へ昨夜半から雪が降り始め、今朝も降り続いている。積雪自体は61cmだから大した
雪ではないのだが、この冬一番の積雪量になってしまった。大寒を過ぎたとはいえ寒の中である。
 孫は我が家に居るうちに面白い遊びを思いついた。まず一番甘いジジとババの手を順に取って引っ張り、立たせ、3人
で手をつないだ状態でその辺を一回り、二回りするのだ・・・。可愛くて手を取りに来て立と引っ張る仕草が可愛い。
 それは思い出したように、始まるので、一時間に二度、三度だったり、半日に一度だったりで、特別な用事があったりす
る訳ではない。ただ手を繋ぎ自分が真ん中で歩くのが楽しいのだ。いや可笑しくて面白くて、可愛い。
 と、昨日帰宅したママからラインで連絡があり、インフルエンザ罹患で隔離されていたパパが漸く完全復帰し、月曜日は
通常に勤務していたのだが、帰宅し久々の顔合わせなので孫は大喜びでパパに抱っこされ一はしゃぎしたらしいが、その
中に、パパとママの手を順に取って、「オテテ繋いでぐるぐるあんよ」を始めたという。娘夫婦も何度も付き合わされたそう
だが、その姿が目に浮かび、親爺もオカカも大笑いした。で、親爺はラインで「そのオテテ繋いでぐるぐるあんよ」はジジババ
が元祖だぞと、一言返事をしておいた・・・・・。
 こんな雪の朝である。


 我が家の庭にも結構な雪だ。屋根から落ちた雪が大半だが。
 

 この冬もこの景色になった。山里芦峅寺だ。


1/21
 今日も朝から孫と遊んでいる。草臥れはするが楽しい。昼過ぎには黒部に帰宅する孫なので、もう数時間しかないが、
又直ぐに遊びに来るだろう。間もなく1歳と4か月になる。バーバーと言えるようになり、ババを大喜びさせているがその
外は意味不明の喃語で、一日中何かぶつぶつ言っている。ジジは悔しくてじーじーと云わせようとするが、まるっきり言
ってくれない。
 現在積雪40cm、寒い朝である。


 窓からはこんな景色しか見えず、孫を外へ連れ出すわけにもゆかない・・・・・。


 ジジがPCの前で何やらし始めると、孫が思い出したように膝に登ってきて妨害。家の中ばかりが嫌になった・・・。
 


1/20
 大寒とは、小寒と立春のちょうど真ん中なのだそうで、大寒から小寒までは15日、立春までも15日なのだそうだ。で、
小寒から立春までを寒の中と云うのだそうだが、その真ん中が今日の大寒で、一番寒い日という事らしい。だから明日か
らは立春に向け少しずつ暖かくなるのだそうで、親爺は66歳の今日までこのことをよく理解していなかった・・・。
 まあ、その大寒の今日だが、暖冬と云われた通り朝から氷点下になることも無く、暖かい日だ。しかも我が家は昨晩か
ら孫が来ているので、なおさら賑やかで温かい。
 現在積雪量は30cm。穏やかな温かい日曜日だ。


 朝ごはんもパンがゆをしっかり食べたし、ヨーグルトも食べた。 ババとお絵かきもして、いい子で遊んでいる。
 


1/19
 寒い朝だ。青空が出ているので、いわゆる放射冷却現象による冷え込みなのかななどと、何の根拠もないがそんな風に
思っている。
 我が山里の積雪は未だ37cmだそうだが、庭先を除くと屋根からずり落ちた雪が積もって、それどころではない。どう見
ても、多い処で60cmはありそうだ。が、車庫の屋根を見るとやっぱり37cmなのかなとも思う。
 昼前に孫が来る。また二日ほど滞在してゆくそうで、親爺はウキウキしているし、オカカは買い物に出かけた。
 居間には孫のおもちゃや椅子がもう並べてある。


 青空の下凍み付いた山里だが、”孫来たり 寒い居間にも 玩具咲く”。今日は暖かくなりそうだ。


 


1/18
 芦峅寺の山里の雪は41cmとなっている。明後日は大寒だというこの時期の41cmの雪には驚かない、どころか随分
少ないなと感じている親爺だ。
 今朝も暖かくはないが、昨日のように外が凍てついていることはない。
 屋根の融雪装置のお陰で、家に雪囲いをしなくなって20年ほども経つだろう。雪囲いをしないと家の中が明るい。が、
雨戸を閉めてしまうとまあ一緒だ。雨戸だから雪が多いときは閉めて、雪が減れば開けるという事が出来るから、春先に
取り外さねば外気を取り込めぬ雪囲いよりは自由度が高い。
 今日も窓の外を見ると雪衣を覆った杉木立や、雪を乗せた電線が寒々としている。雪は少ないが、冬である。


 こんな雪の景色を眺めながら、時がゆっくり流れて行く。これが山里の暮らしだ。


1/17
 昨夜降った雪は、屋根に粉砂糖をまいた程度で、山里の積雪は30cmで止まっている。間もなく大寒だから、一年でも
一番雪の多い頃なのだが、今でこの程度ならこの冬は雪下ろしのない冬になるかもしれない。
 今朝、例によって軽4WDで徘徊して来たが、嘗ての猟場だったエリアに雪が無く、スキーでの行動が出来ない様子に驚
いた。もっとも今は山スキーをつっかけて雪の山々を巡り猟をする我が山里のものはほぼ絶滅。何所か他所から来た余り
評判の良くない連中が、かんじき履きで、我が物顔に我らがかつての猟場の山々を歩いているらしい。もう銃猟からも離れ
た親爺が、今更知った事ではないが、我が私有の山林で見つけた時には黙ってはいない。
 常願寺川にも雪は少ない。


 ウサギや山鳥を捕ったエリアも雪が少ないが平坦地なら山スキーでも歩ける。が、谷筋に入ると雪が少なくてとてもスキーは使えぬ。
 


1/16
 雪の朝だ。季節を考えると一年で最も雪の多い今だから当たり前だが、山里の積雪は30cmに満たぬほど。暖冬だ。
 まあ、雪など少ないに越した事は無い。
 孫から始まった風が、ママに、ジジババに廻って、漸く順に癒えてホッとしていたら、今度は黒部の婿殿がインフルA型
を拾ってしまった・・・。
 幸い孫もママも予防接種は受けているが、万全な対策を講じるに越した事は無い。パパは黒部の家の二階に隔離され
食事も部屋に運んで食べているそうだ。唯一パパに接するママは、マスク、うがい、手洗いを欠かさず、パパも共用スペ
ースに出るときはマスクを欠かさぬ。とにかく孫への感染防止最優先のシフトをとっているそうだ。
 こんな時に応援したいジジババだが、高齢の自分たちが罹患したら大変だ。じっと離れて見守るしかない・・・。
 山里は久々の雪景色である。


 大量(3玉分)のにんにくを皮をむき細かくスライスした。   アサリを生姜と醤油、砂糖、牡蠣油等で煮て味をなじませる。
 

 味付けしたアサリにニンニクを全部加え混ぜ合わせる。    オリーブオイルを加え弱火で煮込む。
 
 
 ニンニクがカリッとなるまでに加熱し、アサリのオリーブオイル漬けの出来上がりだ。ラー油に近いかな。美味い。
 長女も婿殿も大好きだし、東京の次女夫婦も大好きな一品。長野の末っ子が土産にくれたアサリのオリーブ漬けのパクリだ。
 小さな小瓶に三つに分けたが、さてどうやって送ろうか・・・。



1/15
 旧立山道から、15倍の光学ズームをかけ雄山主稜線を写してみた。
 立山の上部も雪は少なそうだ。
 昨日娘と孫が元気に帰ったのだが、今度は婿殿が風邪を貰って高熱を出しているそうだ。仕事柄、お宿の受付などもやる
そうだから移されたのだろう。心配なことだ。
 長女は早速生姜入りの野菜みそ汁を作って婿殿に飲ませたり、娘(孫)と隔離したりとかいがいしく立ち働いている様だ。
 しばらくは大わらわだろうが、これが家族だ。頑張れ。
 ジジババは力にもなれぬが、先ずは自分たちが体調を崩さず元気で過ごせるよう気を遣わねばなるまい。この年末年始の
風邪に親爺は酷く懲りたのだ。転ばぬ先の杖である。で、今も葛根湯を服用したところだ・・・・・。


 今年の5月に次女が出産予定である。オカカがそのベビー服を作って洗濯し干している。
 男の子だそうで、親爺には初の男の直系子孫である。


1/14
 良い天気の連休最終日。成人の日である。
 身近に成人を祝うような若人は思いつかぬが、隣のケンタロウが成人だった様だ。
 スキー場を目指す車が多く、県道を渡ろうとすると苦労するほどだが、スキー場もとっくに閉鎖されている我が山里は静かで、
少々うるさいのは川向かいのスキー場を目指す車が通る音だけである。


 孫が来ていて、昨日は一日、今日もさっきまで孫と一緒に過ごした。
 爺馬鹿である。孫の仕草一つ一つが可愛くて愛おしくて、爺はもうメロメロである。ジジいつもほっぺにキスする・・・。
 

 我が山里は長閑な時間が流れゆく。川向うのスキー場も昔の様な混雑はないようだ・・・・・。
 


1/13
 孫が昨夕からやってきて、泊まっている。
 三連休で、パパが営む旅館が正月以上の入れ込みとかで、黒部の家に帰れないから、立山のジジババの家にやって来た訳
で、ジジババと遊んでくれるのだ。パパはジジの若い頃と一緒で、建設会社と旅館業の二足のわらじ履き。だからかなり忙しい。
 今朝の山里は高曇りで明けたが、陽が出ると青空も広がり、寒さも厳しくはない。連休中日だから沢山の車がスキー場に向か
っているが、これでは雪も重いベタ雪になってしまうかもしれない。
 今日は孫と一日遊ぶつもりだ。朝日の昇る直前の山里。


 お気に入りのおもちゃ箱に、自分が入って喜んでいる。箱入り娘だから・・・・・。ジジとお風呂に入った直後、少しオネム。


 融雪装置も入れないのだが、軒先の雪が落ちて庭に積もっている。
 

 融雪装置の入っている家も入っていない家も大差ない。隣の剣山荘はかなり高温で融雪を入れている。


1/12
 今日も高曇りで寒い朝だ。凍みは溶けつつあるが、うっかりするとつるりと滑るので気をつけねばならない。
 昨日は昼食の後、頂いた牡蠣をスモークし、オイル漬けにして保存した。今日は夕刻長女が孫を連れて里帰りするので、この
スモークオイスターを食べさせてやろうと思っている。孫にはまだ無理だが・・・。
 体調が良くなったからだろう、放り出して会ったドローンを飛ばしてみる気になって、一寸調整したが、二三日前にペラなどを代
え整備したはずなのに不安定だ。恐らくかつて弄った送信機アンテナの不具合かもしれない。で、古い送信機がオリジナルのまま
残してあったので、それを機体本体にバインド(同調)させ、慎重に動作を観察すると実にしっかり安定している。
 早速庭先からテイクオフ。
 いや流石にGPS機能がしっかり効いており、実に安定した飛行ぶりだ。
 久々なので、高度も50m前後に保ち、機体を確り目視できる安全なエリアで飛行させた。楽しかった。
 大した写真ではないが立山方向に向かって一枚。地上高度50m余。


 機体を操縦する親爺が写っている。我が家も融雪を停めている。母の実家日光坊が取り壊しを終えた。内部の神仏合祀の祭壇は博物館が回収した。
 


1/11
 日の出とともにガスが掛かって、立山方面など黒々としたガスで覆われてしまった今朝だが、一寸打越山の方へ眼をやると
青空が広がっていた。朝霧はすぐに晴れたが、奇妙なコントラストだった。
 昨日昼ころに、山仲間のYさんから沢山の牡蠣が届いた。
 今や隠居の身で、山にお越しになっても何のお世話も出来ぬのに、いや実に義理堅いYさんである。いつもいつも頂くばかり
で申し訳ない。と思いつつも、体調が戻り食欲の出た親爺には嬉しい贈り物で、昨夜はオカカと一緒に牡蠣三昧の夕餉となった。
 うっかりしていたが、風のうわさでYさんのご令嬢が嫁がれたと聞いた。SNSでYさんの頁を確認するとその通り、遅ればせなが
らお祝いを述べ、花嫁の父の先輩としてご同情?も申し上げておいた。と、「親爺さんと真冬の雪洞に潜り、風の中で話したい
心境です。」とかなりダメージを受けて居るような返事が来た。やはりご同上申し上げたい。その心境が良く分かる親爺だから。
 朝日が顔を出すと同時に、朝霧がかかり始めた・・・・・。


 大日方面は黒々とガスにまかれている。が、90℃首を巡らし、打越山(金比羅山)を見ると青空が広がっている。奇妙な光景。
 


1/10
 やや明るめの高曇りで、立山の方も見えているから親爺は元気になった身体に感謝しつつ、軽4WDを駆って村はずれに出
かけた。立山の見えるところで車を停めてはシャッターを切り、チョット降りては遊んだり、気ままな朝のドライブ散歩だ。
 折角なら歩けば良いのは分かっているが、雪道だし、肺をやっている親爺にはこのくらいが良い。しかしこんな運動とも言え
ぬ散歩ながら、出かけようという気になっただけでも大きな進歩だ。昨師走半ばからの風邪は20日間も続いた・・・。
 で、調子の出だした親爺、先ず元の様によく眠れるようになった(この年齢並みにだが)。食欲も戻り、傍らの菓子器に目が
ゆくようになったし、食事も一時に大量はいけないが、普通においしく頂ける。好きな紅茶やコーヒーも日に3〜4杯、大きなマ
グカップで飲んでいる。
 人間と云うのは体力が気力を支えるものなのだろう。中には気力だけで頑張っておられる偉人もおられるが、凡人の中でも
お粗末な方の親爺など、体力が気力を支えているのがこの長期の風邪ひきで、良く分かった。
 で体が楽になるや、今日はこの後ドローンの整備でもしてみようかと思っている。何とドローンは今まで軽4WDの荷物室に放
り込まれたままだったのだから・・・・・。
 立山の峰々がはっきり見える高曇りの今朝だ。


 埋蔵金伝説の残る鍬崎山。佐々成正が軍事金をここに埋めたのだそうだ・・・。


1/9
 昨夕、大雪注意報が出た。山沿いで最大35cmの降雪との予報も出た。立山の麓である我が山里は、当然「山沿い最大」
が適用されるところなので覚悟をして寝たが、起きて見ると大したことも無い。15cmも降っただろうか。
 今のところ以前からの積雪分と今回を合わせても、35cmほどである。この時期の35cmの積雪は、我が山里では少ない
方だ。明らかな暖冬傾向だろう。
 寒いとすぐ鼻水が出て、喉もイガイガし出すので、葛根湯を一服飲んで、懐炉を背中に2枚張り付け、ダウンを羽織って軽
4WDに乗り込み村の中をゆるゆる一回りして来た。
 旧立山道もまだ通れるし、県道は融雪と除雪できれいなものだし、別段4駆で無くとも大丈夫だが、転ばぬ先の杖、親爺は
頗る安全運転である・・・。
 雪はこの後上がりそうだ。間もなく大雪注意報も解除されるだろう・・・ああもう解除されている。
 見慣れた冬の風景だが、いつも人先に屋根に上がって雪下ろしをしていた先輩が、昨年暮れに旅立った。親爺は体調不良
で見送れなかったことが心残りである。
 ”雪下す人影のなし友逝きて”


 閻魔道の石段も雪に覆われた。その奥に架かる布橋は、今は心平がアルバイトで除雪を担当している。
 

 村の下手から県道を登り村に入る。               村の上手から下手に向かう。
 

 山口県にお住いのFさんは剱御前小舎のお客様だったが、美味しいコーヒーを送って頂いて、親爺とオカカと毎日楽しんで
いる。何だかすごいコーヒーの様だ。まろやかな酸味があり美味い。Fさん有難うございます。


1/8
 雨の日が続くが、この時期に雨とは有り難い話だ。
 雪が積もらず、山里ですらこの冬は一度も雪下ろしの心配もせず、除雪の心配もしていない。雪国に暮らすものにとって
こんな有難い話は無いのである。
 今日はオカカが眼科へでかけた、結膜炎の様だがはっきりしない。
 友人のMが来て、しばらく話していったが、後は平和なお留守番である。
 体調も悪くないし、長閑に静かに時が流れて行く。


 ヨータロー作成の宗谷第3弾。毎回グレードが上がっている様だが今回のはジオラマっぽくなっている。


1/7
 親爺の風邪はもうほとんど抜けた。体調が良く夜も良く眠れるし、呼吸もかなり楽になり、食欲も出て来た。
 今日は七草がゆの朝だったが、例年の様な山里の七草粥は作れなかった。義父の喪がまだ明けておらぬので、正月も
お飾り(鏡餅)はしなかったので、そして山里スタイルの七草がゆはそのお飾りを用いるので、出来なかったのだ。
 で、今年はスーパーなどで売っている、春の七草をそのまま刻み入れた、普通の?七草がゆを頂いたがまあそこそこの
味であった。親爺には遠く「山里オリジナル七草がゆ」には及ばぬとの気もしたが・・・。
 さてその普通の七草がゆを頂き、オカカが銀行に出かける用があったので、親爺が運転をかって出て、ついでに高速で
黒部まで足を延ばし、孫に会って遊んできた。
 ずぶ濡れお着替え中に到着したものだから、裸ン坊で玄関まで飛び出してきて、抱きついてきた。可愛いのなんの、爺は
もうカウンターパンチを喰ったごとくメロメロである。
 爺とババと二人で孫を連れ、魚津にある埋没林博物館へ出かけ、暖かい屋内の遊戯スペースを独占して、一時間以上も
遊んできた。お昼過ぎに食事のため帰宅、ママの手作りの離乳食を食べ、又ひとしきり遊んだが、お眠になったので、お昼
寝の間にジジババはそっと帰宅してきた。
 身体が癒え、自由に動けるようになった親爺だが、健康のありがたみをひしひしと感じる。
 今日もゆっくり眠れるだろう。
 この冬は雪が少なくて良い。


 ごくごく普通の七草がゆを頂いて、所用を片付け孫を連れだして、魚津埋没林博物館のキッズコーナーで遊ぶ。オフシーズ
ンで人影もまばらながら、ゆったり無料で遊べるスペースがあるのは嬉しい。孫連れのご同輩がチラリほらり。
 

 孫の動きが素早くて、爺はついて行けぬも、楽しく一緒に遊べるのがうれしい。輪投げやら絵本やら、ジジも孫も大喜びだ。

 


1/6
 今日も曇り空の山里だが、積雪は30cmぜんごだから気楽なものだ。
 雪下ろしもしなくていいし、除雪も不要だ。しかも朝からうるさい除雪車の音も無いからゆっくり休むことが出来る。
 そんな状況で、一寸強めの眠剤を利用して9:00近くまで爆睡した親爺だが、目が覚めた後もいくらふらつくのは効きすぎ
たのかも知れない。先生は親爺の既往症や、身長体重まで考慮して出してくださる眠剤ながら、全くの下戸で、麻酔も極め
てかかりやすい体質なので、良く利くのだろう。
 今度飲むときは半量で試してみよう。まあいずれにしろ、体調は着実に戻っている様で、食欲も7割がた戻って来た。
 親爺の食欲と言っても卑しいばかりで、一時に食べられる量など普通の同年代の方々と変わらぬ。朝飯なら軽く一膳だし、
昼なら和蕎麦一杯が限度で、夜とてオカカの晩酌のお付き合いで、ノンアルビール缶一本とつまみ2品ほどに、軽く茶漬けと
云った処。どうです、これならそんなに太りようがないのだが、実はこの間の感触が多め・・・・・。
 流石に今はその間食は断っているので、調子が良いのかも知れないから、現状キープを心がけ、暖かくなってくる頃には
運動も加え、体調維持に努めようと考えている今だ。
 うまく行くとも思えぬが、何とか普段に戻りたい。いやもう戻っているが、二度と病魔にとりつかれた日々には戻りたくない。
 今年の親爺は健康志向で行こう。


 旧立山道にも雪が無く、まともに走られる。
 

 村中もそれなりの雪であるが、この時期としては少ない。


1/5
 ようやく体調が戻り、更新作業も普段に戻りつつある。思えば昨年暮れからのこのHP更新は超手抜きどころか更新その
ものが儘ならず、飛び石更新ばかりだった。一時はああ、もう止めようかな等とさえ思ったものだが、親爺にはこのHPは貴
重な日記、しかも人生の晩年における記録である。まだまだ中止したくない。弱気になる自分が哀れだった・・・。
 が、親爺の事、立ち直りも早い。身体が徐々にではあるが回復に向かい、調子が戻ってくると同時に気力も戻り、今朝な
ど小雨の降る中へ軽4WDを駆って写真撮影に出かけた。
 今の時期、雪が一番深く、さて雪下ろしの段取りでもと云う時期なのだが、旧立山道にも雪は無く増してや雨が降っている
とは、やはり今冬は暖冬なのかもしれない。
 そんなことを考えながらの一回り、昨日とはうって変わって何も見えない。写真も撮れない・・・。
 積もった年末寒波の雪もほとんど落ちて、冬枯れの木立が寒々と鉛色の空の下に佇む。


 我が家の前も雪が殆どなくて、石段にも雨が降り落ちている。今が正月松の中だとは思えない。 
 


1/4
 体調不良の年明けで、正月三が日は更新をさぼった。
 娘達や婿たちが来て、賑やかな正月だったが親爺は生憎の体調不良で却って心配をかけてしまったようだ。
 孫も来ていて、これは爺には全くの手加減ナシだから、何時ものように相手をしてやりたかったが、まあオカカが主に相手
をして、爺はサポート程度であった・・・。がそのオカカも風邪を引きずったまま、親爺よりは元気だがいやはや偉い正月だっ
た・・・・・。まあ、どうにか乗り切った。
 すっきりと晴れ、今日は大日も立山もその姿を見せている。


 正月の間中、体調不良の親爺だったが、孫に慰められた正月だった。


2019年
1/1
 昨年末からの風邪を引いたまま越年。HPの更新もままならず、少々弱り込んでいる親爺だが、今朝はカラ元気を出して
立山駅まで一回りして来た。雄山神社のある村の中心部までは初詣の大渋滞で、とても走れたものではないのだが、村の
上手にある我家から立山方面はガラガラでだれも行かない。が、道路は凍てついており我が軽4WDでもかなり危ない。
 そろそろと30km/h程で一回り、20分ほどもかかった。
 天気が良く青空も見えるが立山は顔を出していない。
 親爺、まだ本調子ではないので、早々に帰宅して家に引っ込んだ。
 何とか風邪を治し、せめて普通に日々を送りたいものだ。健康のありがたみをつくづく感じる初春である。


 立山は見えなかった。

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