2019山賊庵絵日記(春)   いよいよ卯月4月となり、新年度も幕開けです。
                                                     で、項を改めました。親爺66回目の春です。
                                                                     2019/04/01 親爺 拝


5/31
 今朝は曇りながら視界が良く、立山の峰々が良く見えている。雪解けがずいぶん進み初夏の山になって来た。
 親爺は月に一度の通院日、薬を貰いに行って来た。富山市内まで軽4WDで、約40分。血圧測定と血中酸素濃度測定
の後、薬を30日分貰い帰ってきた。血圧も血中酸素濃度も良好。
 帰宅したら同い年の竹馬の友、卓がやってきて、約束のドローンを売りつけた。卓は最近孫とドローンを飛ばしていて
一機紛失したそうで、「GPS間違えて切ったら、コントロールできん様になって、何所か川へ落ちて・・・。」と電話が有った。
で、丁度一機をメルカリに出品していたので、それを取り下げ卓に売った次第。親爺は送料分得をし、卓も可なりの割引
価格だから得をしたはず・・・?
 大日岳が良く見える志鷹の宮前の駐車場で、テスト飛行したが、よく飛んだ。親爺の操縦で、爺二人のドローン自撮り。
 竹馬の友は良い。お互い遠慮会釈なく言いたいことを言い合える。
 卓はその後、「又孫と飛ばして遊ぶちゃ。」と、喜々として軽トラックに乗って帰って行った。


 我が家の庭の垣根の白いバラが咲き始めた。 薄いピンクのバラも一輪、先触れが出た。
 


5/29
 黒部の初孫が、今日は保育園で1時間の預かり保育を体験した。この9月末から2歳児で入園予定の保育園での体験
保育の様なものらしいが、例え1時間でも、ママにとっても、孫にとっても長い1時間だったろう。
 どんな様子だったかはまだ聞いていないが・・・やっぱりママの姿が見えなくなって大泣きして、先生にしがみついてたそ
うだ。今はご褒美のバナナを食べながら寛いでいるそうだ・・・。
 東京の孫は一寸お腹が空いたか、大きな目を開けてフニャフニャ言い出した。昨夜パパが東京から駆け付けて、一晩
子守をした。パパは夜勤明けで東京から富山へ直行したので、疲れ果て未だ寝ている。お疲れさんである・・・。
 隣の赤いバラが咲き始めた。我家の垣根のバラも一つ二つ。


 1歳8か月で1時間保育を初体験。   僕は未だ寝て起きてオッパイ飲んで・・・だけだよ。
 

 オカカがまた2種類の唐辛子を植えてくれた。妹も青唐辛子を一鉢くれた。


5/28
 親爺は最近メルカリを頻繁に利用している。
 車庫の裏にある旧爺様部屋は、現在は親爺部屋にしてあり、沢山の書棚と多目的棚(何の事は無い、飛行機ラジコン
キットやプラモやモデルガン、エアーガンの陳列棚)を拵え、ソファーも2基入れて、それらしくしてあったのだが、利用頻
度がだんだん下がり、掃除もせぬので、ますます近寄りがたくなってしまって・・・。
 がそろそろ親爺も終活の準備にかかる年ごろ、で思い立って、もう不要な、あるいは手に余るものを処分することにした。
 もちろんメルカリの存在が大きく、試しにと3丁ほど出品したモデルガンは、10分で売れてしまったので、それで気を良くし
次々と、トイガンからメルカリに出品し、使う事のなくなったフィルムカメラも1台出品した。
 配送法はいろいろあるが、クロネコヤマトのメルカリ便というのがあって、荷造りをしておけば集荷に来てくれる。
 が、これも曲者で、モデルガンやカメラなどなら何とでもなるが、大型ラジコン飛行機キットとなると3辺の合計が160cm
以下のいわゆる160センチサイズがMAXとなるため、一生懸命荷造りしたのに、数センチオーバーで受け取り拒否される
と、又荷造りのし直しとなる。まあただ楽には出来ない。
 雨で生き返ったような不動山の木々が気持ちよさそうに曇り空の下にそよいている。


 こんな風に、荷造りをしてクロネコドライバーさんに集荷していただく。
 昨日は模型飛行機キット3機分が売れたが、一番大きい下の荷物は僅か数センチの事で引き受けて
貰えず、この後梱包しなおして、午後に引き取ってもらった。


 メルカリ画面の切り取りだがこんな風に売れるのが有難い。 今日はのんびり次の出品でも考えよう・・・きれいな青葉がそよいている。
 


5/27
 昨日夕刻に心平から電話があった。真砂沢ロッジの偵察から帰宅したとの事。
 山小屋自体は昨年より被害は少なかった様だが、積雪が去年より1m程多かったらしい。被害は少ないとはいえ真砂沢
ロッジである。掘って内部を確認したが壁面に大穴が2カ所ほど開いていたそうだ。早い時期の雪崩にやられたのだろう。
 ただ小屋総体は傾きが1〜2度増しただけで、営業に差し障るような大きな被害ではなかったとの事で、心平も少しほっと
したのだろうか、帰途にばててしまい、大幅に時間を喰って天狗平山荘で一晩厄介になって来たそうだ。
 来年は心平も五十路、そろそろ身体も変わってくる頃だ。
 剱沢を登る。昨日は山も暑かった。


 親爺は二人目の孫を預かっているので、子守である。勿論メインはオカカ。親爺は全て助手。


5/26
 大相撲は親爺もオカカも大好きで、テレビ桟敷という最高のロイヤルボックスで、縦になったり横になったりしながら観戦
している。
 別段外人だからと云う訳ではないが、最近のモンゴル勢の強さには閉口してしまい、応援していた稀勢の里も、最高の感
動を与えてくれた後の無理がたたり、引退してしまって、がっくり来ていた処に、若手日本人力士がメキメキ台頭してきて、そ
の中に、我が郷土富山出身の朝の山も数えられているのだが、今一つ影が薄かった・・・が、何と、この朝の山が前頭八枚
目という地位で、昨日千秋楽の今日を待たず、優勝を決めてしまった。
 十両優勝ではなく本場所幕内優勝である!!
 しかも令和となって初めての場所。
 更に来日中の、米国トランプ大統領から米国杯が優勝者に授与されるという場所でデアル。
 丁度、一歳八か月になった孫も、優勝インタビューのテレビの隣で「なんてこったい!!」のポーズを決めた。


 富山県出身力士としては、大正五年の太刀山(横綱)以来103年ぶりの優勝だそうな。
 我が孫が、盛り上がって四股を踏んだ!!!!!この写真を送ってくれた長女に感謝しつつ、親爺も大喜び。
 パパの経営する宇奈月のお宿にでも朝の山が来れば、是非この写真を見せたいね。


 大日は今日もわが山里を見下ろしている。


5/25
 昨日トモちゃんから、剱御前小舎前を通過する心平の写真が送られてきて、偵察入山を知った。
 我が家が次女の出産、新生児と一緒の里帰り中で、バタバタしているから、中々偵察入山の話にも来れなかったのだろ
う、何時もなら入山前に連絡があるのだが。
 で、恐らく雪上幕営で、一日か二日をかけて、小屋を掘り起こしたりしてくるのだろう。小屋に被害のないことを祈ろう。
 心平と、去年から来たスタッフ、オッサン二人で入山だから殺風景だが気楽なものだ。


 その頃親爺は東京の孫に初授乳。男の子だ力強く飲んでくれた。黒部の孫はお気に入りの兎のクッションをテレビの前
に引きずって行き、しばらく行儀よく腰かけていたが、お眠になったかひっくり返ってテレビを見ていたそうな。
 それぞれに、平和に楽しく時を過ごしていられる、令和の日本である。
  


5/24
 昨日は黒部の孫が来てしばらく遊んでいったので、ジジは少し忙しかったが、今日は東京のまだ生まれたての孫と次女
がいるだけで、静かな朝の時間を過ごしている親爺である。
 新米ママながら、次女は先輩の長女やオカカのアドバイスを受け、一生懸命頑張っている。
 3時間ごとの授乳、不定期のオムツ替え、毎日の沐浴などなど、新生児の世話は切りがない。そうして子供は育つのだ。
 ババたるオカカは育児の大ベテラン、全ての事でアドバイスし、自分でおむつ替えから沐浴まで、授乳以外のことは全て
やるし、授乳もミルクなら当然やる。が、ジジたる親爺の子守の出番は殆どない。
 昨日の様に、黒部の孫が遊びに来ると漸く爺の出番で、一歳七か月の孫の遊び相手となるのだが、これはもうジジでは
物足りず、ババを外へ連れ出して、水遊びである。ここでもジジはババに、一歩も二歩も、いや三歩以上も遅れをとってい
るのだ。
 まあ、こんな具合で、時間は穏やかに流れている。
 緑濃くなった木立の向こうにうっすらと大日が見える。


 岩魚の住む川も木の緑葉が覆いかぶさる。


5/23
 今日も真っ青な空が広がり、気温が上がっている。湿度は低くさわやかだが、暑い日になりそうだ。
 我が家の庭もすっかり夏の風情で、脇を見ると朝顔でも咲いているのかと錯覚しそうだ。
 家には今、新生児が居るので、室温には気を配る。でもこんないい気候の時だから左程の配慮も要らぬ様で、20℃
を下回りそうになればストーブを炊くし、25℃を超えそうになれば、戸を開けストーブを消す程度の調整だけだ。
 親爺とオカカはジジババで、新たな孫の世話を焼きながら、静かに時を過ごしている。


 順調に目方を増やしているチビ助、もうすぐチビ助とは言わせないぞと、すくすく育っている。


 外はとにかくいい気候で、やや厚くはあれど冷房を入れることも無く、湿度も低く快適である。
 


5/22
 今朝はすっきりと晴れたが、朝は肌寒く、新生児のいる我が家ではストーブを炊いて、居間の気温を23℃以上に上げた。
が、9:00を回るころから気温が上がり、室温が25℃になった処でストーブは消し、チビ助は傍らのコンビラックにスヤスヤ
寝ている。一晩中、授乳、おしめの交換で寝不足の次女を寝かせ、今はじじばばが子守である。
 親爺とオカカにはちょうど良い静かな時が流れて行く。
 大日がすっきりと見えていて、気持ちの良い日になって来た。


 庭には勿忘草が咲き誇っている。母が生前植えたものを、オカカが移し替えたそうだ。


5/21
 昨日、オカカは朝起きて赤飯を蒸し、自家の竹やぶで採った筍の味噌煮を作ったり、仕出し屋さんにお願いした料理を取
に行ったりと、大忙しだった。
 東京の孫のお七夜祝いを、細やかにした。黒部の長女も孫と一緒に来てくれて、賑やかだった。
 今朝は雨の朝だ。久々のまとまったお湿りに、辺りの植物は大喜びで生き生きしている。
 が、気温も下がり、居間にストーブを入れ、22〜23℃をキープし新生児にも快適なように調整。
 閻魔堂が良く見える様になったので、雨の風情も一寸グレードが上がった?かな・・・。


 昨日の東京の孫のお七夜祝いには黒部の孫も来た。二人の孫との撮影も元気一歳七か月がじっとしていない・・・。
 でもお昼過ぎには二人ともお昼寝。幼気な可愛い姿に立山の神仏の加護あれかしと祈る爺だ。
 

 東京の孫は優杜(ゆうと)と名付けられ、ベビードレスに包まれて元気である。お七夜のスナップ。パパママも新人。
     

 わが庭もしっとりと雨に濡れ、生まれ来た新たな孫が居間のコンビラックでぐっすりと寝ている。静かな日だ。
 


5/20
 昨日、孫の新生児黄疸の数値も下がり、結局予定通りの退院となった。有難い。
 夕刻、次女夫婦と孫が我が家に帰って来て、次女から玄関先で孫を手渡され、爺たる親爺が抱いて家に入った。居間で
一休みし、仏間でご先祖様に挨拶し、我が家の一員となり、この男孫、優杜(ゆうと)と命名された。
 そして今、親爺の傍らのコンビラックで、スヤスヤと寝ている孫だ。
 5月14日生れだから、20日の今日がお七夜である。
 朝からオカカは赤飯を蒸した。鯛のお頭と簡単な料理も、隣村の仕出し屋さんにお願いしてある。パパも休暇で今日はま
だいられるし、黒部の長女も孫娘と一緒に駆けつけてくる予定で、お昼に細やかなお七夜祝いをしてやる予定だ。
 トモちゃんが立山から写真を送ってくれた。見事な夕景である。


 黒部の孫はママと遊園地で遊んで、観覧車が好きなようだ。 ちびの東京の孫は爺の側のコンビラックでスヤスヤ。
 


5/19
 次女と男孫が今日退院の予定だったが、一旦引っ込んだ新生児黄疸の数値が又上がったとかで、退院が遅れるかもしれ
ないと連絡が入った。すっかり準備を整え迎えに行くばかりになっていたのに、婿殿も一寸がっくり。
 次女も心配してオロオロしている様だが、大丈夫だ。婿殿が電話で慰めている。
 まあ、いずれにしろ明日はお七夜だ。お祝いの手配はしてあるから予定通り祝おう。
 明日は黒部の初孫も長女と一緒に来る。


 可哀そうにちょっと退院遅れるかもしれんなぁ・・・。大丈夫オネエチャンも二日ほど光線浴させられたよ。今は元気だから。
 

 二人の孫が愛おしい。立山の神々よどうぞ見守ってください。この幼気なものたちを。


5/18
 穏やかな天候の中、穏やかな時間が流れて行く。
 わが屋は生れ来た新たな孫息子をしばらく預かることになるが、その準備もほぼ整ったし、当然ちょくちょく我が家に来るだ
ろう長女の娘、親爺には初孫のための滑り台なども買い込んでおいた。
 次女は明日退院してくる。孫息子の新生児黄疸も癒え、母体も順調に回復していて、明日の退院が決まりそうだ。
 そうなれば明日は、休暇を取ってこちらに来ている婿と、オカカが次女と孫息子を迎えに行き、我が家に連れ帰ることになり、
親爺はその間に夕食の支度でも整えておこうかと計画しているのだ。
 いやいや二人の孫を持つ身となった親爺とオカカである。嬉しいような大変なような・・・だが、嬉しさが遥かに勝っている。
 コンビラックやゆりかごは、初孫が使っていたものを奇麗にして、孫息子に使わせる。
 手前の滑り台は、1歳七か月の初孫用だ。最近はこんな遊びが大好きなそうだ。


 オネエチャンはもうままごと遊びができる。生れたばかりのぼくは、泣くか寝るかだけだよ未だ・・・。
 

 立山も良い天気で、孫二人の成長を優しく見守っていてくれている。



5/17
 今朝も良い天気だ。
 昨晩東京の婿が、休暇が取れたそうで、やって来た。親爺が婿のために病院のパーキングに止めておいた車で、遅く芦峅
寺の我が家に着いた。18:30頃富山に着き、しタクシーで病院に行き 面会終了時間の20:00まで妻と子の側にいたのだ。
今日も午後から病院に行き、夜まで付き添うのだそうだが、何とも優しい婿殿で感心する。長女の婿も毎日病院に顔を出して
いたそうだ。
 何とも最近の夫は、出産にも立ち会うし、産後入院中の妻と子を毎日見舞うのが当たり前の様だ・・・。親爺は30年以上前
の、自分を振り返るが、何とも良き時代であったと思う・・・・・。
 新緑の向こうに大日が見える山里だ。今日は婿が見舞いに行き、夜まで居ると云うので、親爺とオカカは一日休養する。


 オシメだけで紫外線照射台に寝かされるチビ助。目隠しがずれた…。 蔓日日草(ヅルビンガ)が花を咲かせている。
 

 別山と剱沢を別山乗越から望む。チビ助や、お前の爺も曾爺も大爺(高祖父)も皆この景色を眺め暮らしたのだ。


5/16
 男孫を抱いた。小さくて可愛くて、そして何と愛おしいものだろう。親爺の右手のひらにこのチビ助の背の温もりが伝わる。  
 親爺の手のひらから流れる、山人の気をどんどんこの小さな体に送り込んでやろう。その山人の気をはるかに超える爺の
愛情をさらに送り込んでやろう。
 親爺の手のひらの上でもじゃもじゃと体を動かし、時にはオッパイを探すようなしぐさをし、そして泣き声を揚げる。
 何とも早、親爺の顔など涙でぐしゃぐしゃである。この赤子がせめて中学に入るくらいまでは見られるだろうか・・・。
 元気に育て、それだけが爺の願いだ。
 爺が嘗て40年にわたり経営をした剱御前小舎から、雷鳥沢を望む。優杜(ゆうと、この男孫の名だ)大きく育て。


 大人しく親爺に抱かれている時間は短く、直ぐに飽いて暴れる・・・
 

 オカカがダクト機嫌が悪くならず、ジジがちょっかいを出しても暴れない。やはりこの抱っこテクニックはオカカには勝てない。
 


5/15
 青空が戻り、清々しい朝を迎えている山里だ。
 親爺の二人目の孫が生まれた。初孫は女児、今度の孫は男児、いやいや嬉しい限りである。
 東京の婿が勤務明け翌朝の休日だったので、すぐ連絡したら、7:20発の新幹線で9:30に富山へ着き、駅からタクシー
で駆け付け、10:00には病院で次女に付き添った。
 実に世の中変わってしまって、2時間10分で東京から富山へ来れるのも驚き、夫が妻の出産に立ち会い分娩室に入るの
も驚きである。
 もちろん親爺など病院にはおらず、オカカと婿が付き添っていたのだが、親爺は仏壇に灯明を上げ、祈り、ただオロオロと
無事出産の連絡を待っていた。が、これも思いの外疲れる業だった。
 オカカから「生れたよ。」の電話が入り、親爺も軽4WDに飛び乗って病院へ駆けつけたが、平日日中の大総合病院である
から駐車場の順番待ちにまず閉口。しかも折あしく雨で会った・・・。
 遥か遠方の駐車場に車を停め、傘をさして病院へ、が、今度は病室がどこだったか、長女の時の記憶が薄れ、思い出せ
ない。で、オカカが迎えに出てくれて漸く孫との面会となったのだが、最近はセキュリティーがうるさく(いやいや結構な事だ)数
分待たされての面会となった。
 小さな赤子が、次女の胸に抱かれ、必死でオッパイを吸っている。親爺見た瞬間に涙腺が緩み、そっと頭を撫でてやった。
 2790gのチビ助だが親爺には初めての男児だ。頗る元気で、顔つきも良くは見えぬが男らしい気がする・・・。
 初孫も無条件に可愛いし、この二人目の孫もまた無条件に可愛い。爺馬鹿はますます爺馬鹿ぶりを強めそうだ。
 大日が朝日の中、新緑の向こうから幸せな親爺に微笑みかけてくれている


 今はチビだが、どうだこの泣きっぷり!!きっとパパの様な大きな男に育つだろう。写真でさえ涙腺が緩む親爺だ・・・。
 ”産声が 青葉を潜り 聞こえけり”
 

 新緑の燃えるこの季節に、山の民の爺の血を引いた孫が産声を上げた。東京っ子に育つだろうが、お前の生まれは富山だぞ。
 


5/14
 深夜2:30ころ、次女の陣痛が始まり、間隔が狭くなって来たとの事で、予ての病院からの指示通り連絡すると、直ぐに
いらっしゃいとの事で、親爺も飛び起き洗面し目を覚まし、運転手の役を務めた。
 深夜の事で道路もガラガラに空いているし、30分余りで病院へ着いて、次女とオカカは産科病棟へと入った。
 駐車場に車を回し、しばらく待機の親爺だったが、1時間もするとオカカが来て「順調に行けば昼ころ生れそうだから、入
院だって。私もいったん帰って準備して付き添うわ、あなたは家で待機して。」と指示され、帰宅。
 オカカはとんぼ返りで病院に戻り付き添っている。
 親爺に出来る事は仏壇に灯明を上げ、次女の安産を祈願する事だけ。
 願わくば今日孫に会いたいものだ。
 天候がやや崩れたがまだ大日が見えている。


 今やジジババの大事な宝物の初孫は、昨日たっぷり遊んで帰った。1歳7か月の元気な児だ。
 そして今日、もう一人の宝が生まれ来ようとしている。


 生まれ来る孫のための準備も整えた。


5/13
 実に爽やかな日だ。こんな日がもうずいぶん続く。
 古い写真が沢山あるが、親爺には見慣れた風景ながら、もう二度と見る事は無いだろう風景も随分多い。
 今日のこの一枚もそうで、5年前の今日の写真だ。
 親爺も剱御前小舎に入っていて、良い天気で小屋の前をウロウロして撮ったのだろう。
 残念ながら、もう二度と見る事のない景色である。


 今日はもうすぐ孫が遊びに来る。一週間ぶりの再会だが親爺は嬉しくて堪らない。庭の水回りも元に戻って、孫が
水遊びできるようになっている。一歳七か月元気な初孫だ。
 


5/12
 今朝は朝食後すぐに、オカカの命令で、間もなく生まれ来る二人目の孫を寝かせるベッドを、居間の片隅を片付けて設置
した。オカカは育児の大ベテランで、親爺などその配下として動くしかない。
 大きなおなかを抱えた次女は予定日まで遂に一週間を切った。体調も良く陣痛を待つばかりだが、次女とオカカを病院ま
で送り届けるのはもちろん親爺の役目である。が、それ以降は親爺では全く何も役立たない。オカカの指示で使い走りをす
るくらいが関の山だ。
 昔から、男は女のお産にはかかわらぬ者とされてきて、少なくとも親爺の年代まではそうだった。
 が、今は違う。長女の出産時には婿殿が立ち会い何かと役だった様だし、次女の出産にも東京の婿殿が立ち会うつもり
でいて、陣痛が始まるや連絡を入れる事になっている。
 世の中変わった。親爺は変わる前の世の中で良かったと、心底思うのだが・・・。
 生まれ来る孫を迎える準備は、万端だ。


 一歳七か月になった初孫は元気ですくすく育っている。パパの実家の近所のワンワンと大のお友達だ。
 一週間も顔を見ないとジジは寂しくて堪らなくなる・・・。
 

 ドローンで撮った晴天の立山。新緑と白い雪のコントラストが美しい。閻魔堂横の古民家が解体され跡地もきれいになった。
 


5/11
 昨日よりは雲がちな天気だが、立山も見えているしさほど寒くもない。
 新緑の穏やかな山里風景である。


 昨日SNSで、ネパールの教え子アンテンバから、現在エヴェレスト登山に挑んでいるわが芦峅寺の若い衆、平蔵4代目
になるトモヒコと一緒に写した写真が送られてきた。場所はエヴェレストベースキャンプだ。
 アンテンバは、ネパール単独登山隊でエベレストに登頂し、時のビレンドラ国王から勲章を授けられたシェルパの英雄
の一人で、現在も名サーダーとして、海外からの登山隊の世話をしたり、エヴェレスト街道パンボチェの大きなロッジを経
営したりしている、クンブーの顔役の一人である。人格者で、人当たりも良く、日本語も含む4か国語に精通している。
 で、親爺はトモヒコの登山を報せ、何かと便宜を図ってくれるよう依頼していたが、彼の登山は特定の登山隊に属せぬ
公募により個人を募集し、現地シェルパのサポートチームに率いられるスタイルだった様で、中々出会えなかったそうだ。
 でも最近ベースキャンプまで自分のお客様を案内していたアンテンバは、そこでトモヒコを探し出したそうだ。
 アイスフォールを越えC2まで入っていたがそこで吹雪かれBCまで撤退していたトモヒコに会ったとの事で、本人は非常
に元気だったと連絡をくれた。
 久々のわが村人のエキスペディション参加である。親爺も陰ながら応援している。ただし無理をせぬ事だ・・・。
 頑張れトモヒコ!(左アンテンバ、右四代目平蔵ことトモヒコ)


 村内に住む、数少ない同い年であるツネが、今年も親爺に独活と蕨をくれた。とても一回で食べきれる量ではない、
 で、昨日はウドを2本、きんぴらにして頂き、ワラビはオカカが重曹であく抜きをした。有難うツネ。
 

 独活のきんぴらは親爺の大好物である。イヤイヤ、美味いこと美味いこと。



5/10
 朝日の中だと春は特に、アイがかかり霞んで山が見えにくい。太陽の向きもあるのだが・・・。
 今日は朝から林道巡り。HP用の写真も撮りたいし、奇麗な新緑も見たい。そして何より新緑の光を全身に浴びたい。
 我が家の山林がある石臼林道へ入り、延々と蛇行する登りっぱなしの林道を進む。嘗てはこの山林の平地に、小屋を
建て、幼かった子供たちを連れて一泊してきたり、当時ネパールから来ていた研修生たちも連れて、バーベキューをした
りと、随分楽しんだものだが、今や手入れも出来ず、数年前に倒壊し放置した。今やブッシュの中で、その平地に入り込
むこともできない・・・。若いうちによく楽しんだから、それで良しとしよう。
 その我家の山林の上部には石臼平(イシウスダイラ)と呼ばれる平坦地があり、そこはいまライオンズの森として整備さ
れているが、訪れる人はほとんどいないようだ。たまさか山菜泥やキノコ泥が入り込むだけで…。
 そのライオンズの森の入り口に、山桜が一本花を咲かせていた。


 新緑のトンネルをくぐる様に進むと、石臼林道に合流し、個々から村に向かって下り始めるや右手に富山平野が俯瞰される。
 

 久々に足下に見る富山平野。車を脇に止め、降りて撮影したが、春の暖日はどうしても大気が霞む。


5/9
 実に気分の良い気候だ。物干場の引き戸を開けると温室効果で暖められた空気が、ボア〜っと室内に流れ込み、ストー
ブを切らせる。フリースを着ている親爺は流石にそれでも暑く、とうとうフリースを脱ぎ捨てた。9:00現在室温はすでに23℃
だ。立山もライブカメラで見る限り、今のところ快晴だ。
 大日も良く見えているのだがその上に怪しげな雲がいる。気圧の谷の通過に伴い、これから短期は一時的に悪くなるとの
事なので、その先触れかな・・・。


 ズームをかけると晴天下の大日にしか見えないが。とにかく暖かい日だ。


5/8
 本当に良い時期になった。新緑がまぶしく目に沁み、外をうろついても蚊もいないし、蚋もいない。しかも寒くも厚くも無い
のだから。
 流石の不精な親爺も、今朝は早くから軽4WDを駆って、連休明けで静かになった近くの林道を巡って来た。
 すれ違う車も一台もおらず、奇麗に整備された林道は快適だった。
 とにかく両サイドから覆いかぶさる様な新緑のアーチが美しく、斜めに差す朝日がキラキラとイルミネーションの様だった。
 某峠から立山を望む。


 鍬崎も良く見える。                          新緑の中に散見する山桜も美しい。
 

 ズームをかけて見るくわざき、雪がずいぶん減ってきた。


5/7
 記録的な10連休と云うこのGWも昨日で終わった。山里も、立山も静かになった。
 世の中も平常通りの動きになり、病院も、役所も、学校も会社も、通常の業務に戻った。病院の10連休などあまり有難
くはない前期高齢者の親爺だが、医療関係に携わる人たちの事を考えるとそれも仕方ないことだ。健康な日常の有難さは
中々分かり難いものだ。天気の良い日が続くとそれが当たり前になって、雨や嵐の日を忘れるのと一緒・・・。
 まあ健康な親爺とオカカである。精々その健康に感謝しつつ、気を付けて日常を楽しもう。
 可愛い孫とも遊びたいし、生まれ来る孫も抱いて可愛がってやりたい。そのためには健康で居なくてはならぬ。
 時は新緑、近所の銀杏や、大欅にも青青と葉が萌出て来た。


 我が家の庭にも様々な草花が咲き始めて、緑の葉を付け始めた木々の先に大日が山すそだけを見せている。
 

 嘗て親爺が剱御前小舎をやっていた時の土産物がまだ少しあるので、メルカリに出してみた。バンダナは仕入れ値割れの
1枚500円、4枚セット2000円での販売、Tシャツはもう手持ちは少ないが2500円で出している。何れも送料込みだ。
 


5/6
 昨日は子供の日、連休も最終盤だった。我が家にもお産で帰省中の次女、黒部の長女と孫と婿殿、松本の三女と揃い
賑やかな夕食となった。もちろんジジババたる親爺とオカカは孫の専用子守、午前中は玩具屋に連れて行き、まだ全く無
欲な孫におもちゃを買い込み押しつけ、午後からもずっと遊んだ。孫がお昼寝中に、ジジババ共同で夕食準備、若い連中
の食事が終わったのは19:00頃で、それからジジババの食事となった。
 夕食後黒部の長女家族は帰宅し、今日は三女が帰る。で、明日は休みが取れた次女の婿殿が夜陣中見舞いに来る予
定で、仕事柄長時間滞在できず明後日の昼過ぎにはまた帰京するそうだ。
 まあとにかく長い連休も今日で終わり、時は令和となった。改めてそんなことをしみじみ思うのはまだ先になりそうな親爺
とオカカである。この後は次女の初産と、生まれ来る二人目の孫のお世話に日々を過ごす予定だ。勿論愛しい初孫の顔も
たまには見に行きたいし、なかなか忙しい日々がまだ続く。
 不動山の新緑の中に、山桜が咲いている。


 孫とはとにかく無条件で愛おしいものだ。ジジの膝によじ登って来る孫の可愛さは例えようがない。


 メルカリに手を出した親爺だ。終活の予行演習?のつもりで、押し入れや納屋に眠っているトイガンなどを売りに出した。
初出品は5分せずに売れ、その後もトイガンを中心に、カメラ、模型飛行機キット等々14点を出品、10点が売れ、既に
8品が入金された。要らぬもの、一寸惜しみながら出品するもおそらくこの先使わないもの・・・かつてのわが趣味の多さに
改めて驚く。
 結構いいものもあるが、もう親爺には不要な品ばかり。メルカリも良いものだ。
 売上金で新しいドローンを買う予定・・・。
 こんな品々を出品し売却した。
  


5/4
 今日も良い天気で、GW中だから立山博物館曼荼羅遊園の辺りにも、家族連れが多く来る。
 だが今日は我が祖父宗作の祥月命日だ。立山地獄谷で人命救助中に自らの命を捧げた祖父は、その時38歳だった。
 前年から京都帝国大学白頭斬遠征隊に乞われ参加し、帰国したばかりのことだ・・・。
 で、親爺は朝早くまだ混まないうちに、祖父の慰霊碑と、その隣の我が家の墓に出向き、お参りして来た。
 親爺は54歳で長年勤めた会社勤務を退き、64歳になるまでの10年間を山小屋親爺業に専念して来たのだが、その
最初の年、剱御前小舎に訃報が飛び込んだ。義母(オカカの母)が体調を崩し入院中だったのだが、思いもかけず旅立っ
てしまったのだ。それが、祖父の旅立った日と一緒だった。随分優しい義母だった。本当にお世話になった・・・。
 心平や、剱御前小舎に常駐中の警備隊員から下山を促され、剱御前小舎を下りた事が昨日の様だ。
 祖父と義母の祥月命日が同じなため、この日は平生ずぼらな親爺も覚えていることが多く、仏壇に灯明と香を上げるのだ。
 我が家の墓の傍らの八重桜が、たいていこの時期に良い花を見せてくれる。今日も盛りだった。
 これは遥望館脇の姥堂基壇跡に咲く八重桜。今朝の一枚。


 今日の立山も快晴に恵まれて居る。


5/3
 トモちゃんが撮影して送ってくれた、親爺の見る令和の初剱?である。
 GW後半となった昨日から、立山も山里も良い天気に恵まれている。今日もまずまずの晴天だ。立山はごった返している
らしい。今の時期唯一営業している、剱岳方面の小屋である剱御前小舎でも、昨日今日がピークだろうとの事。
 こんな剱を見ながら、剱沢へ一滑りなど、実に贅沢な山スキーだ。
 くれぐれも安全登山に心がけて頂きたい。


 閻魔堂横に建っていた民家が取り壊された。親爺が子供の頃は保育園だった建物で、随分古いものだ。
 住む人がいなくなったから取り壊されたわけだが、閻魔堂の正面が我が家から見える様になった。


5/1
 令和時代を迎えた。昭和に生まれ、平成に過ごし、そして今朝から令和を生きるわけだ。
 昭和27年生まれの親爺だから、昭和は37年間、平成を30年間生きて、令和は何年生きるか知らないが恐らく、親爺には
最後の時代となる事だろう。令和の御代が穏やかな良い時代となる事を祈るばかり。
 昨日は未だ平成だが、その平成最後の写真だ。もちろんトモちゃんが送ってくれた。
 平成最後の日の、剱岳と後立の峰々である。さようなら平成。


 心新たに迎えた令和の御代。山里は暖かい雨が降り、新緑が至る所から萌出る。
 


4/30
 いよいよ平成も終わる。余すところ14時間ほど。
 平成天皇陛下が上皇になられ、令和天皇が即位なさると云う、皇室の歴史にもしばしなかった、生前譲位であるそうだが、
昭和の20年代に生を受け、昭和の御代には青春時代を謳歌させてもらい、今日で終わる平成の御代では子育てや仕事に
充実した濃密な時間を過ごさせてもらい、出会いと別れの中に老いを迎えた。
 今日で平成が終わり、明日から令和となると思うと、今日が明日になるだけのことではあるが、実に様々なことが脳裏に思
い浮かんで感慨深い。。
 元号など不要と裁判を起こされた方々の言い分もわかる。だが親爺個人的には日本古来の元号に、限りない愛着がある。
 祖父母はみな明治の生まれだった。父は大正の生まれ、母は昭和一桁の生まれ、親爺自身は昭和20年代半ば過ぎ、家内
は昭和30年代初めの生まれ。そして3人の娘たちは、昭和50年代終わりと、60年、60年代最後の生まれ・・・。
 こんな風に並べてみるとその時々の事が映像となって懐かしい歌や出来事とともに浮かぶのは親爺だけだろうか。最近はや
っている、60年代、70年代、80年代等と云われる時代分けよりも、元号の時代が好ましい。
 明日から令和となる。いずれにしろ平和で豊かな時代が続きますようにと祈る令和である。
 午前山山頂の昨夕。今シーズンは雪の付き方が珍しい。


 平成最後の日の山里より望む立山の峰々。   八重桜が花をつけた我が家の祖父母や父母が眠る墓の脇には祖父の慰霊碑が建つ。
 

 新緑萌え出向こうに大日岳。白雲を足下に鍬崎山。何れも平成最後の日の山里からの眺めである。
 


4/29
 今朝も暖かく晴れた朝だ。立山へ向かう車が5:00前から轟々と続き、目が覚めてしまった。良い天気だからお客様も立山
を十分楽しんで来ればよい。が、この連休開幕二日目の昨日までに痛ましい山の事故が、北アだけでも4件起きている。
 北の俣と雷鳥沢というそのうちの二件の事故は、親爺には実に馴染み深いエリアの事故で、2件とも疲労凍死だった様だ。
 恐らく悪天候にまかれ、身動き取れなくなっての凍死だろう。
 今年の春は暖かくなったり寒くなったりを目まぐるしく繰り返している、下界ですらそうなら山の天気はもっと目まぐるしく変わ
るはずだ。しかも標高が2000mを超す高山はまだ厳冬期の気候である。慎重の上にも慎重な装備と行動が必要だ。
 かくいう親爺など、下界で隠居暮らしをしながらも風邪をひき、臨月の次女が里帰りをしているので、うつしては大変と、2階
親爺部屋に隔離され、洗面所もトイレも2階のもの以外使用禁止となっている。何とも情けない話だが・・・。
 親爺部屋の窓から新緑を眺めている。


 大日はまだすっきり見えているが午後から天気は下り坂になる。向かいに見える不動山の斜面の雪はあっという間になくなった。
 


4/28
 10連休二日目。天候は好転した。
 朝から立山方面を目指す車の音が続いているが、立山もライブカメラで見る限る好天なようだ。かなりの人手で賑わって
いるが、安全第一無理をせず楽しんでいただきたいものだ。
 山里から見える大日もすっきりしている。


 昨日の雪はまいった。いくら山里でも珍しい。向かいの家の屋根には残雪、不動の山も白くなっている。


 首を回して来拝山を見ればここも真っ白・・・。今日は暖かくなるはず。


4/27
 連休初日ながら寒い雨の朝だ。用事があって車で10分ほど下ったところにあるアルペン村のコンビニへ行って来たが、
いつもなら観光バスがずらりと並び、壮観なほどの広い駐車場に、バスの姿は一台もなかった。この雨なら無理もない、
立山の方は雪だろうし、交通規制なども出たのかもしれない。
 雨が降る我が家の庭だが、少しみぞれっぽくなってきている。
 寒いのは嫌だなぁ、会ったくして過ごそう。


 昨日メルカリで初めて品物を売ってみた。若い時から大好きだったモデルガンやら、模型飛行機だが、驚くほど早く売れ
てしまったのには驚いた。
 まあ終活も兼ねて、お蔵入りしているがらくたはどんどん売ればいい。結構片付くし、いくらかでも小遣いが増えれば新し
いドローンなどにも手が届くだろうし・・・・・。
 因みにすぐ売れたのはモデルガンと模型飛行機キットだった。出品して10分かからずだ。
 HW樹脂製のS&W Model2 Army。坂本龍馬が持っていた銃として日本では有名。
 

 今は絶版のユニオン製バルサキット。ユニオンがすでにない。 アップルクラフトワークスのHW樹脂製M61。管撃ち銃だ。
 


4/26
 雨が降っている。かなり強い雨で、暖かいが窓外の木々の緑が雨に洗われて何やら寒そうに見える。それでもいつの間
にか新緑が萌出、鮮やかな緑がそこここに広がる。
 親爺は雨の中、村はずれの新緑を見に車を出した。
 雨乍ら、良い季節になったものだ。若々しい緑が、雨に洗い浄められより鮮やかに光っている。
 車の窓を開け、清々しい気を胸に吸い込み写真を撮った。


 雨に打たれた閻魔堂石段を過ぎ、旧立山道を進むと大門と呼ばれる字を過ぎ布橋に至る。
  

 布橋の架かる姥谷も新緑に包まれ、昔は幽界とされたその先の姥堂跡に至る。
 

 新緑の木々の向こうに、川を挟んでガスの掛かる山々もまだ峰部には雪が残る。


4/25
 又軽い鼻風邪を引いてしまったようだ。鼻水と、喉のわずかなイガイガが気になる。が、特に食欲がない訳でもなく、熱も
無いのだから、掛かりつけの医院でもらった風邪薬が残っているので、それを服用している。
 今回はオカカと、臨月で里帰り中の次女も鼻水が出て同じような症状なので、オカカが近くの耳鼻咽喉科へ次女と連れ立
って出かけた。
 風邪と馬鹿にしていると、大変な目に会う事は昨年末から正月にかけて、十分学習したので、かなり気を付けている。
 まあ、親爺など転ばぬ先の杖である。用心に越した事は無い。
 今日は立山もほとんど見えない。


 桜が一晩で花を落とし、葉桜となり、気付けば向かいの山も新緑が萌出ている。


4/24
 暖かいが雨が降ったり、どうにもぐずついた天気の今日だ。
 オカカが、次女を連れて買い物に出かけたので、親爺は一人留守番だ。
 少々風邪気味で、鼻水がタレ、喉が僅かにイガイガする。昨夜もイソジンでうがいをし、葛根湯を飲んで寝たが、今朝も
まだ鼻水が続く。で、前回貰った、かかりつけ医院で頂いている風邪薬の残りを服用しておいた。
 閻魔堂石段わきの桜が散り始めた。遅ればせながら山里も葉桜の時期になって来た。間もなくGWだ。


 大日も今日は、上部が姿を隠している。


4/23
 夕日の中に雷鳥が佇む。まだ冬羽で、寒いから丸々と膨らんでいる。
 ついこの前まで、人間など見ることも無い太古のままの立山に、ひっそりと息づいていた雷鳥だが、小屋開けに入山して
来た人間をチラホラ見る様になった、これは又騒がしくなるのかなと思っている事だろう。
 剱御前小舎の営業は4月27日から。それ以前は泊まれない。
 立山もシーズン幕開けだ。


 山里は閻魔堂石段わきの桜が少し散り始めた。 今朝の山里から見る大日岳も気温上昇に伴いアイが掛かりぼやける。
 


4/22
 一昨日トモちゃんが入山したお陰で、剱御前小舎からの写真を送ってもらえることになった。嬉しく懐かしい夕景が届いた。
 孫が来ていたので、孫と遊ぶのに忙しくて、昨日は更新できなかった。今日も17:00を過ぎてからの更新だ・・・。
 山里から見上げている大日岳が足下に横たわる高所からの写真。富山湾が写っている。


 剱御前小舎や剱岳はこのうらがわにある。山里から見上げる大日岳。


4/20
 快晴に恵まれた土曜日だが、10連休を一週間後に控えているからか、そんなに多くの車が立山に向かって上がっていない。
 山里も朝から気温がぐんぐん上がり、もう居間のストーブは消した。
 今日は黒部で何だか大きなイベントが利用で、ぱぱの旅館も忙しいらしいので、ママと孫はジジババの待つ山里に来る。
 ジジは朝から心待ちにしているのだが、まだ今から出るよとの連絡もない。
 オカカは買い物に出かけた。
 孫が来ると一気ににぎやかになる我家だが、ジジもババも一気に忙しくなる。でも一週間孫の顔を見ないとジジは寂しくて堪ら
なくなるのだ。幸いいい天気が続きそうだ。
 ドローンの一枚も空が青いと奇麗だ。


 礼拝残もすっかり雪が無くなって、間もなく新緑の季節となる。


 鍬崎からスキー場軍がある稜線が続き、その裏側に白く見えるのは恐らく鳥ケ尾辺りだろう。


4/19
 雨が降ったり止んだりの今朝で薄暗く、やや気温も低い山里だ。
 折角満開になった閻魔堂脇の桜が雨に濡れて寒々としている。親爺は雨に濡れた桜を目にするたびに、半世紀程前に恩師
から頂いた「雨に打たれた桜ほど悲しげなものはない。」と云う一文を思い出す。高校を出て、大学に入り、上京して本駒込の
アパートで独り暮らしを始めたばかりの頃だった。親爺の若い感性がこの一文から得たものは大きく、還暦をとっくに過ぎた未
だに、濡れた桜を見るたびに瑞々しい当時の感性が一瞬ではあるが蘇る。
 閻魔堂の石段わきの桜が満開だ。今朝は雨に打たれ悲しげだが・・・。


 ヘリの荷上げが行われた昨日は快晴だった。 桜も心地よさそうに春を謳歌していた。
  


4/18
 この春一番の空輸作業が終わった。先発隊が一昨日入山している剱御前小舎に、芦峅寺不動山ヘリポートから、約500kg
の荷物が送り込まれた。
 親爺が現役の若い衆だった頃は、剱御前小舎、剱沢小屋、剣山荘、一の越山荘、早月小屋、五色小屋などの山小屋が皆
ここから第一回目の荷上げをしたもので、毎年の立山開山の歳時記となっていた。新聞社、テレビ局も何社も取材に来て、かな
り賑やかだったものだ。
 勿論その頃は立山アルペンルートはこんな早く開通せず、大町から室堂までのラインが開いているだけで、完全な全線開通
はGWにかかるか、終わりころであったと記憶している。
 まあ今年も無事、第一回目の荷物が不動山から空輸された。


 相変わらず元気に東邦航空のヘリが侵入して来た。親爺部屋の窓から真正面だ。
 

 しばしして荷を積んで、ヘリが飛び立った。


 立山を目指し、ゆっくり高度を上げてゆく。


4/17
 今日も良い天気で、アルペンルートも全線開通しているから平日ながら車の通行量が多い。
 山里でも桜が咲き始め、暖かい日が続いている。暖かくなっていいのだが、カメムシの発生が凄い。クサギカメムシ、別名
ヘコキムシである。平べったいどこの隙間にでも潜り込む虫で、厄介なことに極めて不快なにおいの体液を噴射する。この
匂いが外敵から身を守る手段なのだろうが、下手にやられると2時間くらいは臭い。独特の何とも不快なにおいである。
 で、見つけるごとに捕らえるのだが、その捕らえ方でベストと思われるのは、ガムテープ捕りである。
 5cm程に切ったガムテープで、虫の真上から押さえる。臭い屁は羽の間から噴き出すので、羽を広げさせぬよう上からテ
ープで押さえるのだ。これだと後は虫を包むようにテープを閉じればよいので、臭くはならぬ。
 親爺とオカカで今朝からもう10匹以上を捕らえた。で、匂いの被害は無しだ。
 山里も、一足遅れだが、きれいな花盛りである。
 閻魔堂の桜の向こうに雪の鍬崎が見えている。


 我が孫も昨日は、家の近くの公園でママと一緒に楽しんできた。    我が家の庭にもつつましやかな花が咲き始めた。
 

 山里も暖かい春が来て、家の屋根越しには真っ白な立山がそびえている。
 


4/16
 昨日からアルペンルート全線開通の予定だったが、天候が悪く、弥陀ヶ原から室堂の間、バスが不通になったそうだ。
 でも今日は素晴らしい天気。全線開通も恙無くおわり、奥地の小屋開けの連中も入った様だ。朝からヘリの音が上空を通る。
報道関係のヘリだろう。立山もいよいよシーズン開幕だ。
 親爺現役時代の剱御前小舎もだいたい17日前後に小屋開け入山していたが、この前マー君に会ったら確か今日入山との
事だった。小屋開け入山なら一番良い日になった。
 隠居親爺は普段通りののんきな生活。立山や山小屋の様子も少しは気になるが、何せ責任のない身故、気楽なものだ。
 こんな青空の下、閻魔堂石段わきの桜が咲いた。


 閻魔堂の石段とりつき。この石段の上に桜が一本覆いかぶさるように枝を広げている。


 閻魔堂の桜も比較的つつましやかな咲き方だが、一足前に咲いた隣の桃の老木もまだ頑張って青空の下に花を開いている。
 

 ドローンで見た今朝の立山連峰。                      庭先から親爺が一生懸命操縦している。
 


4/15
 昨日から孫が来ていて、ジジもババも大忙しだ。でもまあ、ジジババ馬鹿で可愛くて楽しくて仕方ない。
 と云いつつももうすぐ黒部へ帰るのだが、最近は後追いが定着し、別れを嫌がる。大泣きするのだ。本当を云うと爺も泣きた
いのだが、そうもいかずじっと我慢をしているのだから、いや結構辛い・・・。
 一歳半、かなりしっかりしてきたような気もするが、まだ話してわかる年齢ではない。おやつででもつって車に乗せるしかない。
 閻魔堂の桜が花を開いた。
 これから暖かい日が続く様だ。


 ババのお手伝いは良いのだが、タオルを巻いて先ず濡れ止め・・・。ババの仕事は倍増する。
 


4/14
 松本の三女を迎えに行ってくるまで連れて来たが、ちょっと風邪気味で咳をしていた。ご本尊は我が家近くの医院で受診薬
ももらいかいふくしたようだが、ほぼ3時間車に同乗させていた親爺は、例によってその風邪をうつされた様で、今朝から鼻水
が止まらない。どうにも年を取ると免疫力が低下する様だ。
 昨日次女の婿を富山空港に見送った帰路、久々に富山平野真ん中からの立山を見た。いやいや薬師から剱、毛勝、赤谷
まで実に雄大な立山だった。


 右は薬師左のピークは鍬崎。


 旧上新川郡大沢野町に差し掛かったところで、どこかの町内のお祭りに出くわす。立派な山車や屋台が横断するまで
交差点で止められた。
 


4/13
 昨日は松本の末娘を迎えに行って来た。別に電車でも来るつもりだったらしいが、来い来いと云いだしっぱの親爺なので、
迎えに行ってやった次第。
 行きは安房トンネル経由だったが、奥飛騨は雪、親爺はスノータイヤなので全く問題なかったが、早々とスノーを外してい
る車もいて、危なっかしかった。8:45には松本に着き、9:00には末娘を乗せて松本を出発、今度は大糸線経由で帰途に就
いた。で、途中で食事をし帰宅したのが13:00頃、まだまだ運転なら大丈夫だと、自信を持つも、午後は約1時間昼寝をして
しまった。
 昨日はほぼ曇天だったが、今日は朝から快晴である。朝食後車でそこいらを一回り、ドローンも持参してワンフライトさせて
きた。画質の悪いトイドローンの方での撮影なので絵は良くなかった・・・・・が、もちろんカメラも持って出たのでソコソコの写真
は撮ってきたつもり。
 先ずは新雪の大日。


 やはり新雪を纏いなおした鍬崎。


4/11
 関東地方に寒波が入り、箱根や東京奥多摩でも雪が降ったし、日光辺りでは積雪まで・・・。春の寒波襲来である。
 雪には馴染み深い我が山里だが、今回の寒波からは外れたようだ。
 今朝も寒く、冷たい雨が降っている山里だが、朝目覚めて川向かいのスキー場上部に新雪が来ているのを見た。が、
村はずれの桜が蕾を膨らませているし、閻魔堂石段わきの桜も赤い蕾を膨らませていた。
 雪が来るくらい寒くなっても時はやはり春なのだ。


 閻魔堂の石段わきの桜も、間もなく華が開くだろう。


 3月に乾し上げた”まいだま”をオカカが油で揚げてくれた。最高のおやつである。


4/10
 寒く、冷たい雨の降る山里の今朝だ。
 親爺は昨夜、何時もは半分しか飲まに睡眠薬を一個飲んで寝たため、朝まで熟睡、目が覚めて夜具から出てもまだ
薬が効いている様な感じで少しふらついたりしている。
 酒にも弱いが、麻酔、睡眠薬にも滅法弱い様だ。24時間心電図を撮ると夜間熟睡していないそうで、それで先生が
睡眠薬を進めてくれたのだが、まあ少し量を減らす方が良いかもしれぬ。
 庭も表通りもすっかり雨に濡れている。


 閻魔堂の前に立つ家が、無住となり取り壊される。(写真右端)元は営林署の建物で、その後保育所にもなっていた。
 居間を去ること62年前には親爺もこの保育所に通っていた・・・。


4/9
 今日は我が家の2代目、父宗弘の祥月命日だ。
 父が90歳の天寿を全うし旅立ってから、丸三年になる。その三年の間に親爺は立山を仕舞い剱御前小舎を離れたし、
孫が生まれ、賑やかになったし、今は早次女が出産を控え里帰りをしている。
 爺様(父)の写真が座敷兼仏間の鴨居に、祖父母や婆様(母)の写真と並びかけられているが、にこにこ笑っている写真
だからか、孫がこの写真が好きで、何時も下から見上げ笑い返したり手を振ったりする。
 「何か見えるのかな?いや、曾爺ちゃんや大爺ちゃんの笑顔の写真が嬉しいのかな。」とジジとババたる親爺とオカカは
そんな孫の様子を見て微笑ましく思っている。
 きっと高祖父母曽祖父母たる大爺様大婆様、爺様婆様も高見からそんな玄孫、ひ孫を優しく見守っていてくれるのだろう。
 我が孫は仏壇にペットボトル入りのお茶を供えたり、鈴(リン)をならして腰をかがめお参りをする風を見せ、手を叩いて喜
んでいる。
 今朝はありあわせの酒をオカカが仏壇に供え、親爺と一緒に灯明と香を上げ手を合わせた。里帰り中の次女もお参りを
した。爺様安らかに。午後の買い物でもっといい酒を買ってきてお供えするよ。
 ”山里の桃は卯月に散り初めて慈父旅立ちし朝思いいず”


 昨日の花まつりの写真はオカカ撮影。やはり釈尊の像に甘茶をかけて花を飾る。
 

 我が家の庭のミニ水仙も漸く三つの花を開かせた。


4/8
 孫が昨夜ママと帰って寂しくなった。
 今朝はお釈迦様の誕生日で、閻魔堂で仏事と、花まつりが行われ、参拝者に甘茶が振舞われる。その当番にオカカが
当たっていて、朝は8:00から閻魔堂に入っている。
 甘茶と云えば甘いお茶なのだが、その甘みと云うのは甘茶蔓を煮だした甘味で、砂糖の甘みなどとは全く異なるものだ
が、親爺はそれが大嫌いである。甘いと云うよりいがらっぽい、何とも言えぬ代物だ。
 穏やかな薄日の射す温かい山里である。


 親爺の操縦するドローンが上空から親爺の操縦通り降りて来て、我が家の庭に着陸する。
 


4/7
 暖かいが、高曇りの朝だ。東京の次女が5月半ばの出産を控え里帰りしている我が家に、昨日から長女と孫が来てい
るので、それはそれは賑やかな我家だ。
 次女は富山市内の病院で出産予定で、検診を受け異常なし、孫も1歳半検診を受け頗る健全な発育を褒められたそう
で、ジジにとっては嬉しい事ばかりであった。
 去年より約1週間遅れで、庭にミニ水仙の花が咲いた。
 

 朝から庭のお掃除に忙しい孫。一人つききりでいないと危ないので・・・・・。
 

 開園したばかりのカモシカ園に遊びに行った。動物は大好きな孫である。
 


4/6
 今日も良く晴れた暖かいを通り越して暑い日だ。
 昨日の昼ころ、ヨータローが訪ねてきた。入学式があったそうで、ヨータローはピッカピカの一年生である。その晴れ姿
を「カズジイ」にも見せようと我が家へ立ち寄ってくれたのだが、生憎とオカカが外出中で、会えなかった。
 いやいや可愛い姿だ。
 ランドセルを背負っているのだが、学校で配布された教科書が全部入っているそうで、「重い!」のだ。
 親爺と並んで写真を撮ったが、何とも可愛くて初々しくて・・・。親爺の涙腺が緩む。
 ランドセルが歩いているような姿が、何とも胸に迫る。おめでとうヨーチャン。


 将来は航空機設計者になりたいのかな、或いは操縦者になりたいのか。とにかく船や飛行機が好きな一年生だ。
 

 芦峅寺の山里で、すくすく育つヨータロー。元気で大きくなれよ。爺ちゃん楽しみにしてるぞ。



4/5
 大日が明るく輝いて見えている。山里は晴れて、気温もぐんぐん上がって来る。
 昨日夕刻、出産のため帰省した次女と、付き添って来た婿殿を富山駅に出迎えた。その時たまたま休みが取れ、家族
サービスに一生懸命だった長女の婿殿と長女、孫が富山駅近くで食事をしていたらしく、オカカに電話して出迎えに参加
した。親爺は孫の顔を見たいが、顔を合わせると別れる時に孫が後追いするので、駐車場で待っていることにしたのだが、
オカカが孫を連れて駐車場まで来てしまった。「エ〜イ、余計なことを」と思ったが、爺を見つけて飛びついてくる孫を抱い
たら、もうメロメロで、後は野となれ山となれ。孫を抱っこしてやにさがり、手をつないで改札口で、次女夫婦の到着を待った。
 15分ほども待っただろうか、次女たちが着て、挨拶も早々に、さて孫と別れねばならぬ。後追いさせぬよう、駅に乗り入
れてくる市電に、孫が夢中になっている間を狙い、駐車場へ向かった。
 何とか機嫌良くごまかし別れてきたのだが、長女夫婦はその後大型銭湯に出かけ、孫も大はしゃぎだったそうで一安心
した爺馬鹿であった。
 明けて今朝、輝く大日の見送りを受け、オカカと紹介状を携えた次女は、富山市内の病院へ診察を受けに行った。
 5月半ばの出産予定までまだ一月余りある。母子とも健やかならんことを祈るばかりだ。


 昨日はパパが休暇を取り、家族サービスをしたようだ。優しいパパと一日遊べて良かったね。
 

 我が家の庭も雪がすっかり解けて、ドローンの発着場が出来た。ミニ水仙も間もなく咲くだろう。
 


4/4
 隣の桃の木も雪を落とした。そしてその下から花が確り顔を出していた。すごい生命力だ。何せ毎年雪にやられ、ボロボ
ロの老木だ。
 山里の今朝は、木立こそ雪を落としたが、家々の屋根や庭には雪が残り肌寒い。午後に晴れ間が出、16℃まで気温も
上がるとの事だが、考えてみればもう4月なのだ。
 3月末など殆ど春で、フキノトウを摘み食べたりしていたのに、4月は雪に襲われたのだから不思議な気がする。
 明日から室堂周辺の各山小屋(ほとんど旅館、或いは山荘だが)が小屋開け入山するそうだ。奥地の小屋はまだまだ先
の話だが、そんな季節なのだなあと、今や門外漢の親爺はのんびりと構えている。


 赤い欄干のブルーシートを取り払われた布橋も、雪のじゅうたんが敷き詰められた。


4/3
 3月末日まで、雪は全くなくなっていたのに、4月になって1日午後から降り出し昨日いっぱい降った雪で、山里はすっか
り雪景色。山里はともかく、富山市内で4月に入っての積雪は23年ぶりだそうな。
 山里は寒さも結構厳しく、今朝オカカが親爺の軽4WDで家の前の坂道を上り県道に出ようとしたが、一旦停止をしたら
登れず、バックして4駆に入れ登りなおしたそうだ。もちろん親爺の車もオカカの車も未だスノータイヤを履いている。山里
ではGW直前までタイヤ交換はしない方が良い。
 見ただけで背筋がぞくぞくする景色だ。


 不動山もまた真っ白。


 もちろん我が家の庭も真っ白だ。まあ、午後から晴れるという予報だからあっという間に解けるだろうが。
 


4/2
 春になったと、昨日の年度替わりを以て項を改めたこの絵日記だが、何じゃこれはである。
 昨日朝こそ晴れてはいたものの、新元号令和が発表される頃から雪が降り出し、なんとこの雪は止むことなく降り続いて
今朝こそ少しの間止んでいたが、正午を回った今もまだ深々と降り続いている。
 とは言えすでに逃げ腰の冬将軍の最後っ屁、道路が閉ざされるという雪ではなく、雪景色に冬の名残をとどめるだけの事。
 午前中はオカカと銀行やら買い物やらと雑用を片付けて来た。
 帰宅してドローンを上げた。成程立派な雪景色のわが山里だ。


 昨晩寝しなに撮った携帯の写真。屋根にはすでに10cm、道路もそこかしこもすっかり雪に覆われていた。
 

 村の常願寺川側の猿のための畑?も村下まで真っ白。       村の真ん中を通る富山立山公園線沿いの家並も真っ白
 


4/1
 明るい朝を迎えた山里だ。新年度の幕開けに相応しい天気で、村はずれから見る立山も新雪の衣をまといなおした。
 来月から変わる元号が今日発表になる。昼ころという事だから、まだ3時間ほど先のことだ。テレビもその話題で持ち切り
だし、親爺もオカカもミーハーだから興味津々である。ミーハーでなくても日本国民なら強い関心を持っているはずだ。
 ”立山の空に聳ゆる雄々しさに習えとぞ思う御代の姿も”と詠われたのは昭和天皇である。昭和に生を受けた親爺には、
何とも懐かしい昭和だが、3人の娘を持つ父となって迎えた平成もすでに31年間を過ごし、高齢者の仲間入りをし、可愛い
初孫を授かった今、さて次の元号は何となるのだろう。5月に生まれ来る予定の二人目の孫の誕生を心待ちにしながら、初
孫は平成生まれだが、二人目の孫は新元号元年の生まれとなるのかと、二人の孫と過ごすことになる新元号に想いを馳せ
る親爺だ。
 昭和天皇の詠われた立山は、今日も雄々しく神々しい姿を見せてくれている。


 村に入り立山に向かい進むと、真正面に大日が見えてくる。

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