2020山賊庵絵日記(秋) 今日より長月で項を改めました。
                                                               2020/09/01 親爺拝
                                                               2020/11/30 最終更新です。



11/30
 昨日黒部の孫が帰ったが、楽しく遊んで、ジジババに話の種と、暖かい笑顔を残してくれた。一週間は孫の名言や、可愛
いいしぐさが話題になり、そのたびに心が温かくなる。
 東京の孫がお熱・・・。通りの向かいにある小児科で、お薬を貰って来たが、高熱でけいれんを起こしたこともあり、要注意。
次女は今日の勤務を休み、大事を取っている様だ。近くなら即駆けつけるのだがそれも出来ずもどかしい。が、熱は下がり
今朝は機嫌よく遊んでいるらしいが、薬を飲ませるのに四苦八苦している様だ。甘いシロップも嫌い、アイスもいや・・・後は
チョコ解禁するかといろいろな手立てを講じてはみるが・・・。大したことの無い鼻風邪のようだ。
 今朝の山里は雨。やや肌寒いが雪にはならなそうだ。


 積み木のお城が成功して勝利の舞い。が、その振動で・・・ 疲れたらアイスでエナジーリチャージ。よく遊んだね。
  


11/29
 昨日から来ている孫のお陰で、朝から賑やかである。3歳2ヶ月で、結構喋るのでそれがたまらなく面白い。
 一寸鼻風邪気味で、薬を飲んでいるので、20:30を回ったら、自分んで「寝んねする」と言い出し、ジジも添い寝を求め
られる、で、寝床で一緒に寝ていたのだが、「ジジ、一寸待っててね、ママのところでオッパイ飲んでくるから、すぐ来るよ。」
と、ママの布団へもぐりこんでいった。即静かになって、約5分後ままが「父さん、もう寝たから行っていいよ。」と、お役御免
になったが、居間に戻って、その話をオカカにして大笑いした。大きくなったと思ってもまだまだ赤ちゃんだと再確認、そして
一寸一安心した・・・。
 今朝も朝から大騒ぎ。自分んが注目を浴びていないと、機嫌が悪くなり、皆の目が自分にそそがれていると判ると、笑顔
で飛び回る。疲れはするが、心が和みっぱなしの日曜日。
 雪が傍まで降りて来た。


 芦峅寺は昨日初雪が降った。

 


11/28
 今日は半月ぶりに黒部の孫がお泊りに来る予定だ。流石に半月も顔を見ないと、もう爺は禁断症状が出そうで、見た
くて堪らない。
 昨日が保育園の父兄参観日だったそうで、可愛いお遊戯(ジャンプジャンプ)の様子を動画で送ってきた。未だ未満児
なので、自由奔放なお遊戯で、いや可愛らしかった。
 今日から明日にかけて、我家は孫中心の日となる。かなり疲れ込むが何物にも代えがたい楽しみな時間である。
 土曜日ながらあいにくの雨。立山は全く見えない。雪が降っている事だろう。


 鉄塔の上部に雪が見えたと思ったが、ガスで見えなくなってしまった。
 


11/27
 今日も比較的良い天気で、青空から日がさしてくるので、9:30現在かなり我家の居間は暖かい。
 今朝はかなり寒かったので、親爺は意を決して(そんな大げさなものではないが)フリースとTシャツの間に、薄い部
屋着を重ね着した。朝食後まではぬくぬくと良かったが、居間に落ち着いてPCの前で更新作業を始めると、何かダン
ダン暑苦しくなってきて、フリースの前のジッパーを開けたりしていたのだが、その程度の寒暖調整では効かず、温度
計を確認すると、21℃あるので、フリースの下に着込んだ部屋費は脱ぎ捨てた。ああ快適・・・!?
 まだ冬装束は早過ぎたのだろうが、寒波が入って来ると山里はいきなり白いものがちらつき、一気に寒くなる。そろ
そろと冬の足音が聞こえてくる。
 不動山もすっかり冬枯れ。そのはるか奥に見える大日は少ないながら雪を纏っている。


 川向かいのスキー場も、嘗ては一世を風靡したものだが、越後湯沢などの例にもれず今や衰退の一路を辿っている。
 それでも冬になると雪を求めて集まる、スキーヤーやボーダーは居て、雪が来て滑れるようにさえなれば、現状維持
位は出来るのだろうが、昨冬の様な無雪では如何ともしがたい。さて、今冬は・・・?鍬崎山が見下ろしている。


11/26
 今日から天気が下り坂で、気温もだんだん下がって来るそうだ。
 さっき室温を見たら、ストーブだけでは少し寒い気がして、傍らの寒暖計を見ると、19℃だったのでオカカに床暖も入
れてもらった。
 昨夕は、我が家の屋根の融雪装置と屋根瓦のメンテを頼んでいるMさんが立ち寄って、全て点検していってくれた。
 タイヤも履き替えたし、融雪もメンテを終え、冬の備えは万全だ。後は様子を見ていて、前後縁側の雨戸を立てれば
冬ごもりとなる次第。
 こんな事を書いていて今外を見たら青空が少し出て来た。この天気、夕方までは持つのだろうか。
 さっき親爺は、寒いので、そっと座敷縁側の雨戸を開け、そこからドローンを離陸させ、数分のフライトを楽しんだ。究
極のずぼらフライトである。
 で、これはその時に撮った写真である。
 立山が辛うじて見えていた。雪は少ない。


 座敷縁側から飛び立ち、縁側へ着陸。究極のずぼらトイドローンフライト・・・
 それにしても操縦している親爺の馬鹿面よ。


11/25
 今日も良い天気だ。明日から寒くなると云うので、オカカと相談して車のタイヤをスノータイヤに入れ替えた。
 昔から車のことは全てお世話になっている、立山町の車屋さんに出かけ、10分余、お茶を頂いている中にタイヤの
入れ替えは終わった。親爺の軽4WDは、走行距離が極めて短いので、タイヤはスノーを履いたまま。もう立山へ行く
こともないのだが、長年の習慣と云うか、まあズボラと云うか・・・。
 で、帰りには3日分ほどの食料雑貨を買ってきた。お出かけも必要最小限に。
 東京から帰って今日で丸五日目。幸い親爺もオカカも何の体調不良も無い。十分の注意をし、行ってきたつもりだが
もうしばらく様子を見ればまず大丈夫だろう。5日~6日での発症が最も多いらしいから。
 朝から、低い位置からの陽光が我が家の物干場に差し込む。居間との仕切り戸を少し開けておくと温室効果で暖め
られた暖気が部屋に入って、暖かい。


 物干場の温室効果も午前中だけ。銀座の玉ゐで頂いた「いかだ重」煮あなごの重だ。成程いかだを思わせる。流石、老舗の味は良い。
 


11/24
 連休明けの今朝、山里は晴天である。
 恐らく夕べ降ったのだろう、大日岳に新しい雪がついている。
 立山ももうそろそろ終いの時期なのだが、年々営業期間を延長して現在に至っている。経済優先思考の結果だろう。
 コロナ禍と、GoTo等の関係も、基本的には多少のリスクを冒しても経済活動を助けねば、のっぴきならぬことになる
と云う判断の下での政策だったのだが、ここに来て予想を超える罹患者の増加で、新たな対応を迫られているが、この
GoToで、一息ついた人たちも多く、政策としては成功を見ている。が状況が変われば素早く対応しなければ、事が事だ
けに、又大騒動となってしまう。この時期の政府首脳は実にお気の毒なことだが、状況を見つつ全能力を傾注せねば、
のんびりしている時間もない。
 願わくば、ワクチンなり、特効薬なりが早く出来上がり、コロナ制圧をする日の一々も早い事を祈るばかり。
 偉い人たちは大変だ。「楽は下にあり」けだし名言である。
 下々のしっぽに居る親爺などいやいや、日々能天気・・・。
 穏やかな山里の今朝。


 昨日は天気が悪かった。オカカがスペシャルのアップルパイを焼いてくれた。美味かった。


 常備菜2品。市販の錦松梅(贅沢な松の実入りでんぶ)と親爺手作りの大根葉のふりかけ。最近読みだした宇江佐真理氏
のシリーズ小説、髪結い伊佐治捕物余話に出てくる、茶漬けの菜が、漬物と佃煮で、何とはなしに気に入っている二品だ。
 (因みに親爺は漬物は一切だめなので、大根葉のふりかけで、それを代用?)
 


11/23
 連休最終日は雨の山里だが、この気温ではひょっとするとと思い、立山のライブカメラを見てみた。
 雄山山頂は流石にレンズに雪がついて絵が出ないが、室堂ではカメラに水滴がついているところを見ると雨だろう。
 立山にとっては今シーズン最後の3連休。大した入れ込みではなかったようだ。
 まあ、とっくに山を離れた身故、気楽なものだ。
 今年の売り上げの計算をして、税理士事務所に出かけ今シーズンの決算資料を提出し、支払うべきものを全て支払い
売掛金の回収を確認し・・・・・小屋閉め後もこんな地味な作業の日々が続いたが、今から考えると実に大変だった。
 で、勤労感謝の日と云う、労働の尊さを認識し、日々の勤労に感謝すると云う日が出来たのだろう。等と考えているが、
そんな呑気な事を考えていられるのも、老後の身分故。若いときは人より良く働いたとの自負はある(親爺は30年余を2
足のわらじで働き続けた。)が、今はその分気楽な身分なのだと、ためらうことなく気ままに過ごしているのだ。
 さて今日もこんな雨の山里、寝転んで本でも読もうか・・・。


 立山方面は何も見えない。弥陀ヶ原のライブカメラを見ても、ガスが掛かって雨が降っている様だ。
 

 先般の上京時、東京駅で買い込んできた崎陽軒のシウマイ弁当。その日のうちに頂いたが美味かった。

 


11/22
 連休中日の山里は好天に恵まれているが、立山に向かう車はさして多くは無いようだ。今の時期なら初滑りが多いのだが
雪が少なく中々滑れないようだ。
 室堂周辺の宿(もう山小屋などとは言えぬ旅館)も3軒、間もなく営業を終えるらしい。
 これで立山はようやくほぼ無人の山となるのだが、せめて冬の間位山も休みたいことだろう。
 今、GoToが騒がれているが、これだけ感染が拡大しているのだから、当然の議論だろう。
 親爺もGoToの世話になったが、このウイルス禍、いつまで続くぬかるみぞ・・・・・である。
 10日ほど前、トモちゃんが立山で滑って来た時が、今シーズンの初滑り期間ではベストだったようだ。こんなシュプールも描
けたのだから。


 ヨータローの久々登場である。カズジイがプレゼントした大和のプラモを見ながら、得意のペパモで頑張る・・・。
 心平に随分似て来たかな。


 孫の七五三のスタジオ撮影分が上がって来た。隣は帝国ホテルのルームサービスで食事中の親爺。(これもGoToのお陰)
 

 帝国ホテルもコロナ禍の最中、ルームサービスを推奨している。伝統のドミグラスソースがけオムライスに、焼き鳥丼。
 両者とも美味しかった。
 


11/21
 昨日夕刻東京から帰宅した。今回は親爺は初めて北陸新幹線に乗っての上京だったが、確かに早いが乗るまで、そして
降りてから自宅までの移動を考えると、その時間差は1時間余に過ぎず、発車時間待ち出の無駄な時間調整などを入れ計
算すると、車の方がはるかに有利である。しかも完璧なプライベートで、車中での行きずり人と一緒に居なくてはならないと
云う事もない。
 この時期の上京は、少々考えぬわけでもなかったが、東京の孫の1歳の誕生を祝ってやれなかった事が悔しく、細やかな
がら娘夫婦とともにお食事会をして、祝ってやろうと計画していたので、あえて計画を変更なく実施した。
 オカカにはほぼ1年ぶり、親爺に至っては1年半以上ぶりである。
 で、婿の予約してくれた、コンラッドホテルにタクシーで向かい、予定より30分ほど早かったのだがチャイナブルーと云うレ
ストランは準備ができておりしばし待つうちに娘らも到着した。
 孫は生憎のお眠、中々ジジババに抱かれない・・・。ゆったりとした個室空間で細やかな食事会。孫の成長に嬉しさが募る。


 少しオネムで、2ヶ月ぶりのジジババに飛びついてこない・・・。とにかくこの主役を座らせておくのは至難の業だった・・・。
 

 中華のコースで、カニがメイン食材だった様だ。 カニの身とリンゴのサラダも意外な美味さ。所謂チャイナキュイジーヌか・・・
  

 ふかひれとクコ、そして冬虫夏草も入ったスープ。孫もこれは美味しかった様で3匙飲んだ。カニの爪と赤米餅も美味しかった。
  

 このデザートの前に、食事に当たる構想の効いたチャーシュータンタンメンが出たが、撮影を忘れた。デザートも美味しい。
 食事会のあと、爺様の参加した第一次南極観測隊ゆかりの「宗谷」を見に行ったが、色々工事をしていて船の科学館に入
れず、婿の車で当夜の宿、帝国ホテルまで送ってもらった。孫はチャイルドシートでぐっすり寝てしまった・・・。 cont. to tomorrow
        


11/18
 コロナ禍は未だ終息の兆しも見えぬが、この疫病による災いは、人の行動を大きく制約し、本来なら楽しく過ごせる時間
までも奪ってしまう。
 親爺など過去はだんだん長くなり、未来はダンダン短くなる事を、痛切に意識し始め焦りを覚える年齢になっているから、
まだまだ行きたいところ、したいこともあるのだが、それを先送りしじっと待つ時間がもう惜しくてたまらぬ。
 で、明日からオカカと相談して、一泊二日の遠出をすることにした。
 引きこもり続け感染リスクをさける。これも理屈だ。でもそんな生活でたまるストレスは適度なガス抜きをせねば、尚更身
体に悪い。これも尤もな理屈だ。
 親爺とオカカには後者の理屈が勝ってのお出かけだ。
 まあ、精々気を付けて、マスクもアルコール消毒も忘れず元気に帰ってくるよう心がけよう。
 トモちゃんもシーズン口開けと立山に行って来たが、雪はこの時よりも少なくなっている。



11/17
 親戚の爺様(と云っても親爺には兄のような存在であったが)旅立ち、昨日は葬儀に出て一日が終わった。葬儀とは
悲しいものであるが、忌憚ない事を言わせてもらえば、高齢者の葬儀では心の準備がかなりできている為、ある程度
ゆとりがある。
 今回も可なり身近な、本当の兄の様な爺様だったが、数年前から身体が急激に弱り、もともと優しい人だったのが更
に優しくなって、会うと親爺の身体を気遣ってくれるような事ばかり言いていた。
 そんな大切な人の葬儀でも、80歳を一つ過ぎ男の平均寿命は全うしたのだからと、変に潔く諦めがつく。やはりこれ
は、あらかじめ覚悟をしていたからのことだ。
 もちろん心からの祈りを捧げ、別れを惜しんで、遺骨もちゃんと拾って来たから、これ以上思い残すことはないのだが、
何かしらフッと穴埋めできぬ寂しさを感じる。そしてその穴はだんだん大きくなり、親爺自身もやがてその穴に飲み込ま
れるまで、寂しさは募って行くのだろう。老いの寂しさとはきっとこの様なものなのだろう。
 葬儀から帰り、少し疲れて寝転んで相撲を見ている処へ、隣村の旧友がナメコを土産にふらりとやってきた。
 無理やり家へ引っ張り上げて、例によって馬鹿話。イヤイヤ古い友は良いものだ。同じ時代を過去に持つ友とは、何
とも有難い・・・。1時間ほど馬鹿話をし、茶を飲んでいただけだが、心が軽くなり、やわらぎ、普段が戻った。
 今朝の山里も良い天気だ。
 


11/15
 我が血縁に連なる一族の古参がまた一人旅立った。数年前から体調を崩し、病院と家を行ったり来たりしていた。
 息子から9:30頃に電話が入り、その発信先を見たとたんに、懐かしい顔が脳裏をよぎった。電話は案の定、訃報だ
った。昨日顔を見て来た。元々やせぎすの人だったから、やつれも目立たず、安らかな顔だった。
 今日は通夜、明日は葬儀である。
 めでたい赤子の誕生もあれば、寂しい別れの旅立ちもある。これが人生だと今更ながらしみじみ思う。合掌
 大日は雪が少し溶けた。


 親爺が食い意地の執念を燃やす、牛肉の白みそ漬け。一寸いい肉で仕込んで10日経ったので、封を開けた。
 さて、如何だったのだろうか・・・。


11/13
 今日は昨日同様、良い天気だった。13日は母の月命日、朝一番で仏壇に手を合わせ灯明と線香を手向けた。
 昨日は、我が宝の初孫の七五三。オカカと二人朝一番で孫の住む黒部市へと向かった。黒部の娘の嫁ぎ先の末娘の
Aちゃんがめでたく出産し、退院して実家にいると云うので、赤ちゃんの顔を見に立ち寄った。心ばかりのお祝いを渡し、
久しぶりに新生児を抱っこさせていただいた。親爺など肩に力が入っていけないが素晴らしく感動的な重さを、手のひら
に感じ、神社へ向かうべく退出した。たまたま居合わせたAちゃんの婿殿Tくん。船乗りであるそうで、機関士をしていると
のこと。実にはきはきと流石海の男と云う好青年であった。
 長く山で、数多の若者と接してきた親爺だが、こんな良い若者も珍しい。
 山里は昨日同様晴れて青空が広がり、真っ白な立山が見えた居る。


 さて、神社へ着くと娘夫婦と、孫はすでに到着して待っていた。晴れ着を着せられ髪をセットしてもらい、可愛い可愛い
孫娘が、ジジババを見つけ素晴らしい笑顔で駆け寄って来る。ジジもババも息をのむ可愛らしさ!!やがて黒部のジジ
ババも来て、一同揃い孫の七五三の宮参りをした。
     

 


11/11
 今日は眼科医に行って3月ぶりの診察を受けた。正確には3月半だったので、先生に「確り二カ月おきに通ってくださ
いよ。」と、親爺のズボラをチクリとやられた。次回は1月11日前後までには行かねばならない・・・。診察結果は一応異
状なし。電子書籍やら、PCやらと目を酷使しているが、ケアを確りせぬと・・・。
 町場の方は雨が僅かに降って、間欠ワイパーでも十分すぎる程度の雨だったが、山里に帰着すると青空僅かながら青
空が覗いており雨は降っていまい。一寸旧立山道を一巡りする気になって、我が家の車庫を通り過ぎた。我が家の車庫
は急立山道入り口を入った所にある。
 で、ぐるりと一回り、村の親戚縁者が眠る墓所に向かい頭を垂れ、ちょっと離れたところにある我が家の墓にも手を合わ
せてきた。
 焔魔堂妙念坂下の旧立山道には、閻魔堂の銀杏が葉を降り敷き、黄色い絨毯の様だった。


 大日が僅かにのぞき、蒼の山肌には白いものが降りてきていた。


11/10
 寒い朝だったが、10:00を過ぎた今は青空が広がり、暖かい陽射しが気温をグングン上げている。
 床屋に行って髪を切ってもらったら、帰路では首筋がスースーした。
 大日の雪がずいぶん下まで降りていて、大辻山辺りも白くなった居る様だ。川向かいのスキー場の最上部にも雪が薄く
来ている。
 雪を気にする時期になった。今年も小雪だといいが、天気予報では例年並みと云う無難なところで、それなら親爺でも
出せそうな予報だ。
 今朝の大日を見てもそんなに大雪は来ないような気がする。


 川向かいのスキー場最上部にも雪が来た。


11/9
 東京の孫が、毎晩のようにLine電話をかけてくれる。もちろんママの配慮だ。黒部の孫の様に気楽に行き来出来ない距
離なので、ジジババの顔を忘れないようにとの配慮だろう。
 ほんの数分の電話だが、テレビ電話なので互いの顔や動きも良く分かり、ジジババが鬼のパンツの歌を歌って手をたた
くと、孫は踊りだすし、自分の玩具を持ち出して見せてくれたり・・・。良い時代になったものだと思う。お陰で2カ月くらいは
会わずにいても、ちゃんとジジババを覚えていて、いきなり抱っこしても喜んでいる。
 黒部の孫の時は週単位で会っていたから、距離もさほど気にならなかったが、流石に東京となると遠い。
 まあ新幹線だと2時間半なのだからと、今度はGoTo利用で顔を見に行ってくる予定だ。
 山里も秋が深まった。
 日が当たると未だ結構鮮やかに紅葉らしく見える不動の山。
ざzさzあSA

 日が当たらぬ朝早く、薄暗い曇天下では紅葉ももうすっかり終わった冬枯れの様に見える。隣家の銀杏も散る直前だ。
 


11/8
 黒部の孫が昨日から来ていて、一晩泊まって、さっき帰って行った。遊び相手のジジババでは少し物足りない様で、立山
児童公園に行って遊んで帰るとかで、昼食後早々に「ジジ、ババ、ばいばい。」とあっさり帰って行った。一頃、帰ると云うと
大暴れで、泣き顔でだましだまし帰る事が多かったが、今やジジババと遊ぶ事と、児童公園の遊具で遊ぶ事を天秤にかけ
どっちが楽しいかを計る事が出来る様だ。もちろんジジババが寂しがるなどと云う斟酌は無く、どっちが楽しいかという純粋
な計量だから、あっさり「ジジババ、ばいばい。」となる訳で、爺など一抹の寂しさを禁じ得ない。
 でもいる間中お喋りしており、3歳児なみの可愛いお喋りで、ジジもババも心慰められた。
 バイバイとあっさり帰って行ったが、泣き泣き帰られるよりはよほど良い。ジジババの寂しさは孫の成長のあかし。
 東京の孫も上手にスプーンで食事をする動画を送って来た。
 良い日曜日の午後だ。親爺ドローンばかり上げている・・・。


 黒部は遊びのグレードも高くなって来た。  東京も負けじと一人でマンマが食べられるようになった。
 


11/6
 高曇りの薄暗いが穏やかな朝だ。観光客も無く、車の通行も可なり控えめだ。個人的にはこういう環境が好きだが、余計
な事ばかり言っていると思わぬところから苦情が来そうだから、この辺りの話はもう止めよう。
 まあ、とにかく静かで快適な朝である。
 さて、アメリカは大統領選挙で大騒ぎだが、トランプ現大統領の旗色が少し悪そうだ。が米国の選挙方式が良く分からない。
州ごとにその人口比で、選挙人を立て、その州の投票総数過半数を取った候補者がその人数を総取りすると云う事らしい。
で、その全州の選挙人人数の過半数を取った方が当選となるのだろうが、今一度12月にその選挙人による投票が有る・・・
と云うのが分からない。
 まあ、判ってもわからなくとも、左程我が身に影響のない事ゆえ対岸の火事宜しく高みの見物をしているのだが、日本への
影響力が一番大きい、否、世界への影響力も一番大きい大国の選挙ゆえ、必ずしも対岸の火事とばかりのんびりしている訳
にもいかぬが、さりとて親爺ごときが騒いでも、いや、日本全体が騒いでもどうにもならぬ他国の選挙ではある。
 バイデン候補が中国寄りで、尖閣問題には中国に甘いとか云う真偽のほど定かならぬ情報もあるが、中国、ロシアと云う大
国を向こうに回して、世界一強大な軍事力を持つ国の舵取りが、いずれも70歳を超えている。何か空恐ろしい気もする。
 やや雪が少ない大日岳。


 真上からのぞく焔魔堂。                             秋の山里のドローンの空中散歩。
 



11/5
 今日も昨日装着した、24時間心電図を取り外しに朝から病院へ向かった。
 い天気だ、だんだん高くなる日が、車に差し込むと小さな軽4WDなので、直ぐポカポカと暖かくなってきて、うっかりすると
眠気がこみ上げてくる。これはいけないと、目をしばしばさせながら、気を付けながら、病院へ到着。
 お陰様で大きな病変も無く、心電図に依ればよく眠ってもいるそうで、中性脂肪が高いのと、年相応の方が来ているくらい
で、まだ当分は持ちそうだ。
 昨日68歳になって、あと2年残された60台を謳歌しようと強く想った。70になればまた70代をいかに楽しむか決めれば
良い。とにかく目先の2年間に絞り、楽しく遊び暮らそう。
 で、帰宅したら、今日はオカカが百貨店に買い物に行ったので、昼飯を一人ガツガツとかき込み、早速庭へドローンを持ち
出し飛ばしてみたが、やはりしばらくぶりで、操作を誤っており、絵が撮れていなかった。悔しいので再充電し、もうワンフライ
トとやっている中に、オカカが帰って来た。
 今度は上手く?絵が撮れていたので、百貨店戦利品の披露に及ぶオカカの話を聞きながら、PCに画像を取り込んだ。
 まあ、そんな日で、昼寝の習慣もついてしまっており、14:00過ぎ、かなり眠たい。で、ここまでにして、今度は昼寝だ。
 隣家の銀杏がいよいよ黄色味を増した。


 病院への行き来に見た立山は少しアイが掛かっていた。気温が高いのだろう。


 我が山里の秋の午後。平和そのものだ。


11/4
 今朝は早い時間に枕もとのスマホから、ライン、ラインとラインの着信を知らせる受信音で目が覚めた。
 3人の娘たちが交互に「父さん誕生日おめでとう」と、バースでカードを送ってくれたのだ。
 親爺も今日で68歳!!前期高齢者真っただ中である・・・。
 まあ、こうなれば少々嬉しくもあれど、又先が見えてきてかなりの寂寥感も伴う。何とか頑張って平均年齢までは生きて
いたいが、それとてもう10年余りである。
 でも10年あれば色んな事が出来るし、まだまだ捨てたものでもないわいとも思っている。
 いずれにしろ元気で余生晩年を過ごし、ある日サッと旅立てたら楽だろう。
 これからの人生、親爺にはおまけだと考えて、楽しく生きる事に専念しよう。


 叔母が大根をくれたが、親爺は大根よりもこの葉っぱが嬉しい。早速オカカに手伝ってもらって
大根場のふりかけを作った。脂で刻み奇麗にした葉を炒る。基本は醤油と味醂少々。さらにごママブラを加え炒り続け、削り節、
鷹の爪の輪切り、白ごま、ちりめんと加え、炒り続け、すっかり汁が無くなった処で味見をし、それでよければ出来上がりだ。
 

 蓋のある陽気に盛り、テーブルに出しておけば、あっち甘煮無くなる。うまい。


11/3
 9:00現在、日は射しているが雲がちでやや不安定な天気だ。
 山里の晩秋もこれからは日一日と冬に向かい、錦秋の鮮やかさがあっと言う間に冬枯れの景色へと移ろって行く。
 その冬枯れの様があまりにも見苦しいからか、空からは白いものがやってきて辺りを覆い尽くし、白金の世界がやって
来て、その美しさは見事なものだが、これも降り積もり重さを加えてくると、今度はこの白いものが邪魔になる・・・。
 今冬はどうなるだろうか。昨冬の様なほぼ無雪とはいくまいが、ほどほどの雪で済んでほしいものだ。
 もう一月もせず来るだろう冬に、今から親爺はため息をついている。
 今朝の不動山。毎日見ているが、秋の今の時分が一番きれいかも知れぬ。


 夕日を浴びて鮮やかに輝くともっときれいだ。


 2011年、今から9年前の今日の山里には雪があった。


11/2
 暖かい雨の降る月曜日だ。
 昨日、一昨日と紅葉を見ようと立山方面に向かう車が渋滞する程だった。渋滞に嫌気がさした車は、我が山里の村の、
曼荼羅遊園やら、遥望館を訪ね、村内の紅葉を楽しんでいった。
 過疎の村に、多くの人が来てそこここと歩き回る。何となくトラブルのひとつも起こりそうだが、幸い昔から外部から客を
迎え入れて来た村で、観光客を受け入れる博物館やその他の施設もあるので、その手の問題は余ほど傍若無人な猿の
様な連中でも無ければ起こらないだろう。
 今日は静か。元の過疎の村に戻り、人影は殆どない。
 このような環境も、慣れてしまえば寂しくはない。却って静かで快適かも知れない。
 黄ばんだ葉を何時散らそうかと時期を計る木々。雨に打たれ重くなって来たか?


 不動の紅葉も間もなく終わる。


11/1
 いよいよ霜月へと入った。今日が日曜日で、良い天気なので、朝から立山方面を目指す車が絶えない。
 昨日今日共に、こんな状況を見ていると、コロナ疫は絶えたかのように錯覚するが、ヨーロッパ、スペインやフランスなど
の国々の疫病の蔓延再来を見ると、何やら恐ろしくさえなってくる。
 日本も寒くなり、これから年末に向かい、インフルエンザなども流行り出す。コロナ終息などと錯覚してはしゃぐには、まだ
早い気がするのだが。
 今、親爺は全国大学駅伝をテレビで見ているが、第五区で、我が母校東洋が駒沢を抜いて5位に上がった。凄い接戦だ。
早稲田がトップを引っ張っていたが、まだまだこれから、母校にもチャンスはある・・・・・。
 と云う事で落ち着かぬので、今日はこれまで。
 今朝の山里。良い天気。


 ケーブルが一本邪魔だけどやむを得ぬ。大日も上部だけ雪がついている。上手く撮れぬ・・・・・。
 

 これは昨夕の不動山。夕日に映えてきれいだ。


10/31
 さて10月も今日で終わり、明日からは霜月となる。
 晩秋の、一年でも一番色濃く、けれど寂しげな頃。豊かな実りを収穫し、来るべき冬に備える頃であるのだが、付きまとう
何気ない寂しさは、このまま直ぐ長く暗い冬の日々へと向かうからなのだろうか。
 話は変わるが、最近のテレビをにぎわしているのは、お笑い芸人、アイドルグループ(男女)、元スポーツ選手、現役スポー
ツ選手、大物と称する、元歌手やら芸人・・・等が大凡で、まあよく観ればもっともっといるのかも知れぬが、何所のチャンネル
を見ても、大半がバラエティーと称するごちゃごちゃとした、意味のないお喋りか悪ふざけ中心のもので、親爺なども丸っきり
見ないわけではないが、これは素晴らしいと引き込まれる番組など、めったにない。
 その上、昨日までしたり顔で能書きを垂れていた人が、翌日は麻薬不法所持、覚せい剤不法所持、挙句はひき逃げ事故・
・・何と云う事だろう。
 また一端、悪と決めつけられると、徹底的な攻撃で若い芽をつぶす。手加減がない報道。
 軽薄で、無意味なその場しのぎばかりで、たった一回のトラブルで抹殺される世界。何とも早やり切れぬ。
 そしてこんな世界にばかりあこがれる若者たち・・・未来はあるのだろうか? 
 親爺には中々理解できぬ事々が多すぎる。理解できぬ事々の多すぎる世の中では、理解できない自分が惚けたと思うほか
ない。
 快晴の土曜日。山へ向かう車が絶え間なく続いている。雪を冠った大日が見える。


 山里もすっかり秋の装いだ。


10/30
 何と暗い写真だろう・・・。
 でも初冬の山里の朝と云うのは、こんな空がちょくちょく見られる。
 秋と言うのは華やいだ錦秋のイメージや、実りの明るいイメージを持ちながらも、その先に控える冬の到来に近づくにつれ
眉を曇らせるような寂しさをも併せ持つ。
 故に”もの想う頃”とも言われるのだろう。
 と冬の暗さに向かって書き綴っていたら、急に眩しい光が窓から射し込み始め、外を見ると青空が広がり出している。
 今日は、もの想う頃にはまだ少しある10月の終わりだ。
 オカカが今夜の分の米がないと云っている。米を玄米で購入しているので、定期的にワンコイン精米所まで行って、米を
精米してこなければならない。さて、さしてもの想う事もない身の上、ここはいい加減切り上げて今宵の米を用意して来よう。


 庭の垣根もすっかり散髪を終えて、奇麗になった。これで冬支度は終わりの我がやのにわである。
 


10/29
 10月も今日を含めてあと三日だ。いよいよ冬の到来が近づいてきた。
 天気の3か月予想は、今冬はほぼ平年並みで、雪もそこそこ降るとの予報だが、その平年並みと云うのが振れ幅が大
きく、良く分からない。
 まあ、なってみないと判らない冬なのだ。雪も降るだろうし気温も下がることだけは確かなようだ。
 まだ11月にもなっていない。冬は少なくとも12月にならぬと雪も降らない。そんなことを思い煩う事はない。降れば降っ
たで、融雪装置の灯油代金が増えるだけ・・・。
 今朝は可成り幻想的なガスの中の山里。
 朝日を覆い隠すほどの濃いガスだった。


 右を見ても左を見ても、当たりはガスに覆われていた。
 


10/28
 昨日、前の真砂沢ロッジの親爺だった”まさし”から電話が有った。何だろうと思ったら、まさし宅の裏は我が家の田んぼ
が有って、母が元気だったころはこの田んぼだけで、一家が一年喰うだけの米がとれていたものだ。
 昔の芦峅寺の山男の流儀で、農耕は女の仕事で、男は先ずちょっとした手伝い位しかせず、母が一人で何年も米作り
をしていたものだ。もちろん引き起こしの様な、機械を使う仕事などは男たちが主にやらされていて、親爺も中学生の頃か
ら、暫く騙されて耕運機などの手伝いをした記憶がある。
 で、もちろん母が亡くなる前に、休耕田となっており、末の叔父や近所の人やが畑をしたりしていたが、今や高齢化でそれ
もやり手がおらず、親爺など何十年もその我家の田んぼへ行ったこともない。が、そこに爺様が植えたのだろうか甘柿の木
が有るそうで、今年は特に、猿や熊さえもその柿を狙って来るらしく、何とまさし宅に至っては猿に屋内に侵入されたそうだ。
 そこで、その木を切って処分してよいかとの問い合わせだったのだが、もちろん親爺に否やはない。
 全てまさしに頼んでおいた。
 まさしは親爺より5、6歳若いが、親爺と時を同じくして山小屋経営を止め、現在は山岳ガイドをしている。ご両親が健在で
その面倒も見たいからとの引退だったように記憶している。若い頃マッシャーブルムの登頂に成功もしている生粋の山男だ。
 奥山に餌のドングリが少ないらしい今年、熊、猿、猪と村は賑やかだ。
 心平の老師、熊猟師だったMさんも90になった。銃は数年前に返納したが、昨今の猿の被害に業を煮やし、何所で手に
入れたのか、親爺同様BBガンを持って、しかもアサルトライフルM-16タイプと、拳銃タイプの両方を常に身近におき、農
作業をしているそうだ。その姿を目の当たりにしてきた心平は、「何とも言わせぬ姿でした!!」と云っていた。
 夕日に燃える不動の山。紅葉もかなり進んだ。


 雪に覆われた立山は、これより今少し雪が増えている。


10/27
 心平が遊びに来た。今シーズンの真砂沢ロッジの色々を報告に来たのだが、心配した割に無事シーズンを乗り切った様
で、本人もほっとした様だ。
 幾分やせた様だが、山を仕舞って下山してくるときの芦峅寺の男衆は、大体黒く焼け、幾分やせてくるのが相場だ。心平
もその伝だろう。いつの間にか確り芦峅寺の男になっていた。さてこの後は、猟期で野山をウロツキ狩りに勤しむ・・・ばかり
とはいかない。今の時代だ、息子のヨータローも抱えている父親だ。登山指導員のアルバイトや、立山砂防博物館のバイト
も確りこなし、家の財政状態にも気を配らねばなるまい。
 それやこれやで、オカカも一緒に馬鹿話に花を咲かせ、大変だった今シーズンの話も聞いた。
 今日の山里は快晴。立山が良く見えている。


 真砂沢の紅葉は素晴らしかった様だ。


 3段階に値段設定したロッジの夕食。これは、一番良いクラスかな・・・?
 山小屋の夕食としてはかなりハイグレードだ。


10/26
 室温は19℃なのだが、今朝一寸厚めのズボンと、フリースの3段階の2段目ほどに替えた。その所為か寒くない。
 昨日など室温が21℃でも寒く、身体も少しだるかったので、風邪を引いたかもと慌てて葛根湯を飲み、早めに寝に付い
たのだが、今朝は今のところ寒くはなく、やや厚いと感ずる。
 まあ、歳により身体がやわになって居るのだろうが、今更トレーニングなど手遅れだし、それでも心を入れ替えて自転車
マシーンなど漕いでみたりもするが、まあ三日と続かない・・・・・。
 で、寒いときは暖かいものに着替えるのが一番と悟った訳だが、これをもう一段上のレベルにするのは今しばらく待たね
ばならない。白いものが来た後の備えに残しておかぬと、だるまのように着ぶくれて過ごすのもいやだし。
 不動山と来拝山。若い時の積雪期の親爺の猟場だったが、不動はともかく、来拝にはもう登れぬだろう。
 結構紅葉しているのだが、光の当たり方が悪かった。


 オカカがヤツガシラを買って来て塩ゆでした。何となく懐かしい味なのだが、芋が良くなかった様で、美味くなかった。
 塩ゆでと云うシンプルな調理では、素材の良し悪しだけが味を決める。先ず色が悪い。


 思ったより雪が低いところまで来ている。


10/25
 久々と云っても3週間だが、黒部の孫がやって来た。
 パパママご多用との事で、ジジババが預かったのだが、昼寝もせずジジババとよく遊び、夜ママが着て、ママだけ泊まっ
て行ったのだが、一~二回、ママは?と聞いただけで、全く喜々としてジジババと過ごした。
 何時もなら今日も夕刻まで遊んで帰るのだが、今日は黒部のおじいちゃんの誕生日で、昼食会をするらしく、ママと嬉し
そうに帰って行った。パパと途中で待ち合わせ、どこかの子供プレイランドで遊んでから、昼食会場に行くらしい。
 何時もは帰るのが嫌で、少し愚図るのだが、今朝はアッサリ「ジジバババイバイ」と、帰って行った。現金なものだ・・・。
 でも爺婆は適度に疲れているので、これも又良しとしよう。
 孫の可愛さは何とも例えようもない。


 ジジが指名でお食事係。ジジは一番甘いから・・・。 今朝ママに髪を縛ってもらい、にこやかにバイバイ!!
 

 ジジは寂しくなって、久々にドローンを上げてみた・・・・・。今朝の山里だ。


10/24
 今朝、歯ブラシを咥えたまま親爺部屋のカーテンを開けると、不動はガスに覆われていたがその向こうに大日が新雪を
纏って見えた。ちっとも寒くない昨夜だったが、立山は寒くなったのだろうか、恐らく2000m以上では雪が降ったのだろう。
 今日は久しぶりに黒部の孫が来る。親爺たちの旅行、高岡の義父の法要と続いたからで、もう3週間以上見ていない。
 と、言っていたら、今から行くよとLineで連絡が入った。こりゃあ楽しみだ。
 親爺もオカカも力疲れやインフル接種後の僅かな体調不調もすっかり抜け、孫と明日部準備万端だ!?
 親爺部屋から見えた今朝の大日。雪が来ていた。


 こんな天気が一寸恋しくなって来たぞ・・・・・


 剱御前小舎の親爺部屋から毎日見ていた御前山。今朝は多分こんな雪がついているだろう。


10/23
 暖かい雨の朝だ。かなりの降りようで、これが雪なら等と思うとゾッとする。
 が、外は秋、いくらでも降ればよい。立山も雨が降っている様だが、立山でもこれが雪に変わる事はあるまい。
 一昨日、インフルの注射をして来たからか、、昨日は少し体がだるかった、食欲は普段通りあるし、何となく体の動きが
鈍く重いような気がしただけだが、これは普段の不摂生、運動不足の所為だろう。
 今朝のニュースで、韓国ではインフルの注射が無料の様だが、これで25人が無くなったかもしれないと大騒ぎだ。まあ
韓国での事で、日本ではそんな心配はする必要はないだろう。
 最近気になる事がある。新型コロナウイルス感染症の事を、通称コロナ、コロナと呼んでいるが、Covid_19と表記或いは
呼ぶことも間々見られる。がこれはどんな違いがあるのだろうか?恐らく違いはなく、単なる日本流と海外流の呼び方だと
したら、どっちかに統一した方が良い。
 今まで使い慣れたコロナで良いのではないかと思うが、Coid_19が世界呼称で、それに合わせる必要があるなら合わせ
ればよい。どうもこの辺りがあいまいなので、若い人たちはいざ知らず、親爺たちや諸先輩方はこんな事で混乱するのだ。
 山里は雨。寒くはないが。


 不動山 色付きがけに 雨あらう


10/22
 今日も気温は低くないが、どんよりした曇り空になった。温かいのも今日まで、明日からは気温がぐっと下がるとの予報だ。
 気温の変化にはなかなか体がついて行きにくくなった。必ず体調を崩す。特に寒くなる頃の大きな気温差が堪える。
 昨日は快晴。オカカと二人町場まで買物がてらにインフルエンザの予防注射も受けてきた。親爺はもう前期高齢者後半
だから1000円、オカカは未だ3000円である。
 まあ、用心に越したことはない。その所為でもないだろうが、今朝は一寸体がだるい。まあ仕事があるわけでもないのだから、
いつも通りゆっくり過ごそう。
 昨日の青空の下、立山がくっきり見えていた。
 

 メルカリで取り寄せたキタカムイと云うジャガイモ。大きな奴を半分にしてあるにホイルに包んでストーブの上に。
 バターを一片のせて醤油も一垂らしして頂いた。独特のねっとりしたうま味が有る。
 生産者曰く、来年まで寝かせてくれれば甘味が一段と増す、そうだ。


 隣家の桃の木も大分黄色みが増した。


10/21
 良い天気で、気温もそこそこ高めなのか、快適だ。が、明るい光が降り注ぎ、眩しいので閉めてある窓のカーテンには
怪しげな何かが飛び交う影が頻繁に映る・・・ほかならぬ招かれざる客、ヘコキムシである。
 熊もエサをしこたま胃袋に詰め込んで、皮下脂肪を蓄え、島民に入ろうとする時期だが、このクサギカメムシも命がけで
この冬を越すねぐらを探し回っているのだ。だから昔の家だと、今よりはるかに隙間だらけだったから、びっしり這いこんで
皆で肩寄せ合って越冬し、薪ストーブでそこいらが、ぬくぬくとして来ると春が来たと勘違いし、飛び回り這いまわり、気付い
た人間に一寸でも触られると、それはそれは酷いにおいの屁をまき散らした。
 故に、ヘクサンボ、ヘコキムシと呼ばれ続けているのだが、かなり迷惑な虫で、時には噛みつくこともある・・・。
 我が家も十年ほど前に家をリフォームして、それ以降はこの招かれざる客は激減した。外壁、サッシを全てやり直し、断
熱材も入り、隙間が無くなったからだろう。それでも一冬に40や50のヘコキムシは必ず入り込んでおり、我家ではヘコキム
シ駆除用のガムテープが常備品である。ガムテープを10cm足らず切り取り、虫の上部から、臭いガスを出す羽の間を開
かせぬ様に押さえ粘着させ、手早く包み込みゴミ箱へと云う訳である。これを逆さまにやると、自由な羽を開きガスを放出し
それがそこいらに付着すると大変で、手や着衣など1時間以上もくさい・・・。
 大日が穏やかに見えている


 今はもう雪も殆ど溶けているだろう剱岳。


 親爺と爺様で45年間ほど経営した剱御前小舎。今の小屋は、昭和56年に火災で焼失した翌年、
昭和57年に我が爺様が再建したものだ。


10/20
 今朝は良い天気だ。
 朝一で「猿が出た」とオカカに起こされ、寝ぼけ眼をこすりながら飛び起きて、隣室のBBガス銃(玩具)を手に窓のカーテ
ンを開けたが見えない。親爺もさらに隣室へ移動、一呼吸待つと出て来た。面憎いほど堂々と道を歩いている。この道は
現在こそ町道だが、旧の立山道である。そっと窓を開けBB銃の遊底を操作し弾を装填・・・ヤエンコはもう親爺に気付いて
逃げ足に、すかさず2発射かけたがその頃は猛ダッシュで、あっという間に逃げ去った。
 BB銃には基より殺傷力はない。しかも二階から10m前後の距離で撃っているので、厚い毛皮のボスざるには、例え当
たってもちょっと痛いくらいだろうが、これが脅しになる。
 野生の動物は、人間が野生動物を警戒する以上に人間を警戒している。しかし何度か人間と接触し、自らに被害がなく、
威嚇によって人間が逃げることを覚えたり、労せずして食物を得る経験をすると、だんだんのさばり出して、終いには駆除
されるまで悪さを繰り返す。
 ロケット花火やら、鉄柵、更には電気柵などなど人間も対策はとるが、奴らのゲリラ戦法にはとても抗えぬ。
 罠でもかけ、手作りの弓でも作って駆逐すればいいのだが、法治国家だからそれが許されず、ややこしいだけの役所仕
事を経なければ、悪辣なヤエンコ一匹駆除できぬ。
 又それ以上に、グリーンピース並みの自然保護団体や、動物愛護協会の極端な意見ばかりが正義ずらをして、この面倒
なヤエンコ軍団に加勢する。
 熊が人間の生活圏に出没、猪もそこいらの街を徘徊・・・慌てて警察官が出動する騒ぎ。昨今はこんなことが珍しくも何と
もない。こうなる事はもうずっと前に判っていた。
 「危ないから駆除する」と云う緊急を要する事態に、法的な縛りばかりが強くかかり、その縛りの緩和にも第一線の現場の
声が反映される事は少なく、その道の権威とか言われる学者などの現場をあまり知らぬ連中の声ばかりが、大きく反映され
るからこんなバカな状況が起きるのは当たり前だ。
 警察で、野生有害動物駆除を担当する部署を作って、山里や市街地の定期パトロールを行い。独自の判断で、即駆除でき
る体制を作れば、この状況は簡単に解消できるのだが・・・またグリーンピースが出てくるかな・・・。
 不動山の斜面も少し色付いてきた。


 山里から大日も良く見える。雪は随分解けた様だ。ヤエンコは駆除できず脅しだけだが、この有害虫ヘコキムシはガムテープで捕獲駆除した。
 


10/19
 4日間も更新をしなかったので、数人の皆様から励ましやら、安否を尋ねる連絡を頂いた。こんなよれよれ親爺でも、気
に留めて下さる方がいるというのは、実にありがたいことだ。
 で、今朝も一生懸命更新中だ。この作業は親爺にとって惚け防止なのである。
 肉体的な衰えは万人に来る。どこに来るか、どの程度かは千差万別あろうが、親爺は惚ける、つまり自分を失う事が一
番怖いし、嫌だ。親爺だけではなく大方の皆さんはそうだろう。
 かといって歩けなくなったり、食欲をなくし食べたいものが無くなることも怖い。で、何かそれを防ぐ方法をと云う事で、毎朝
の文章作成作業である、このどうでもよいHPの更新を、継続しているのだ。
 効果はあるかと云われると、何とも答えようはない。でも継続は力なりを信じ、せっせとどうでもよいことまで書いている。
 そうそう、4日も更新をサボったのは久々の旅行の所為だ。実はノートPC持参だったのだが、旅行中のHP更新は金比羅
宮参拝がこの旅の名目だったし、大塚美術館と云うだだっ広い空間を、慣れぬ絵画干渉をしながらてくてく歩むのが第二番
目の目的だったから、体力的に無理だろうとは最初から思っていたのだ。
 で、結果は予想通り。二日目の大塚美術館でヘロヘロに疲れ、三日目の金比羅参拝はタクシーで乗り付けた場所から、
360段を下りるだけで、500段目にあるレストランで食事をし、その駐車場を利用して、残りの276段を制覇して金比羅宮
参拝をしたのはオカカだけ。親爺は500段目で座り込んで、スズメを寄せては餌をやるオッサンに見とれていただけだ。
 それで目いっぱい。旅行中のHP更新はとてもできないと悟った。
 一応オカカだけでも参拝したので旅の名目は立ったとばかり、最期の目的地倉敷に向かい、景観保護地区を一巡り、その
夜は美味しいフレンチを頂き翌日、6時間半をかけ帰宅した。
 そんな旅の間に、立山では雪が降り、剱御前小舎も小屋閉め作業、心平も真砂沢ロッジを閉めて降りて来ていた。
 小屋閉め前夜の剱御前小舎。トモちゃん撮影。


 倉敷に着いて、景観保護地区を巡るも、親爺はよろよろ・・・茶店を見つけて先ずは一服。こればかりだ。
 

 立山ではまだ衣替えをせぬ雷鳥が、雪に慌てていたらしい。少し早かったかな・・・。

 


10/18
 今日は高岡の岳父の祥月命日だ。丸二年経つので、東京から義兄も訪れ三回忌法要のため、オカカと共に高岡の菩提
寺に出かける。
 去る者は日々に疎しとは昔から言う言葉だが、あれだけ身近にいた人々が例え親族でも、幽冥界を分かつや、この言葉
から逃れえない。諸行無常!とは真実を突いた言葉であると痛感する。
 さてそろそろ着替え準備をせねばなるまい。
 金比羅宮の階段が上れなくなった今、親爺の諸行無常の体現もそう遠くはないだろう。
 オカカ一人で参拝して来た、金比羅宮。


 もう親爺など登る気力もない。                         土産物屋の腰掛が素通りできない・・・。
 


10/17
 13日から16日の昨日まで、久々の旅行をして来た。親爺とオカカの旅行は車。この移動手段が一番自由で、好きな
ところを、好きなように回れる。
 今度は大雑把な目的が3個あった。1、大塚美術館(実寸大レプリカ陶板画のみ)と鳴門の渦潮見学。2、金比羅宮参拝
3、倉敷景観保全地区再訪だ。自分たちの年を考慮して、行きと帰りだけは少し走るが、中日2日は僅かな移動で、観光
に主力を置いた。
 で、まあそんな事で、金比羅参り(オカカも親爺も3度目)に行くかと云う、旧日本人の観光目的である信心を前面に、慎
ましやかに出発したわけだ。
 信心はさておき、今回の旅で驚いたのはGoToの威力。普段考慮する宿泊費が、まず35%安くなる。二人で40000円
の宿なら14000円安くなり26000円で泊まれ、更に40000円の半額20000円に満たぬ差額6000円は地域クーポン
券でペイバックされ、その地域のお店で使えるというサービスぶりだ。(くーぽんは行こう期間2日、おつりは出ない。)
 あまりの人気に一時打ち切りにされそうになったが、折角の景気対策で、素晴らしい効果が上がっている。一日でまた
元に戻った。政府の仕事としてはすばらしい。
 あまり浮かれてばかりいるのも良くないが、結構なキャンペーンである。しかし問題点も少しあり、若い世代がどんどん
利用するのに、ジジババ世代がネット環境、ネット使い慣れ等の問題で、中々使えぬそうだ。
 だったら、高齢者専用のGoToGreatの様なものも出して、年齢制限60歳以上対象等としてくれれば、ジジババ豊かだ
から箪笥貯金が世の中に巡り、さらなる経済効果も期待できるはずだ・・・。さらに子育て中の若い世代にもGoToWithBaby
等と云う専用企画をつくり少子高齢化に歯止めをかけているこの人々を優遇するのも良いのではなかろうか・・・。
 GoTo利用でゆっくり泊まれた宿からは、こんな景色が見えた。


 まだこのマスクが邪魔だが、実寸大のレプリカ陶板画はなるほどと感心させられたし、迫力もあった。
 

 親爺が好きな落穂拾いや晩鐘のミレーの世界も、レプリカとは言え見事!!


 日本一の入館料金をとるが、それは致し方ない。大きな規模だ。


10/12
 時の流れの速さには驚くばかり。
 今朝親爺部屋の窓から眺めた、大日岳上空の空は、うろこ雲が出ており、秋をしみじみ感じさせた。
 我が山里も秋最中である。
 昨日はヘクサンボが大発生し、夕刻には中猿(子ザルでもないし大猿でもない、若い猿?)が、我が家の物干場の屋根
を我が物顔に歩きまわるという、全く招かれざる客の来訪に閉口した。
 ヘクサンボ位なら臭いだけだが、猿に至っては国の法律で保護されている面倒な害獣だ。大体が役所仕事など手続き
を複雑にして暇な役人がさも忙しい様に振舞う程度のものだから、臨機応変な対応など期待も出来ぬが、これだけ悪さを
して、深刻な被害を出しているにもかかわらず、ほぼ放任だから堪らない。
 少なくとも優秀な猟師が多数居た、親爺の子供時代など、猿もカモシカも周りに見る事はなかったが、親爺があまり優秀
ではない猟師現役のころから少しずつ増え、周りに姿も見かける様になった。が、少なくとも我家、或いは近所の庭などに
猿やカモシカが入り込む等と云う事は、ヘッポコ猟師の親爺でも許さず、銃声で威嚇したり、たまには空気銃で、駆逐した
り、高齢乍ら生き残っていた、我が家の爺様のような本格猟師の残党が頑張っていたから、害獣どもにもかなりの遠慮が
あった様だ。因みに我が爺様は齢80歳にして、100kgを超える大熊を眉間一発で仕留めたものだ。
 そんな残党が全て去り、或いは戦力を失い、ヘッポコ猟師の親爺も加齢により銃を返納して10年余、害獣どもには今や
我が山里は天国の様だ。
 昨日の中猿のごときは、物干場の猿を見つけ、驚き悲鳴を上げたオカカを見下ろし逃げようともせぬ。このために用意の
玩具のBBガスガンを手に、親爺が庭先に出て見ると、今度は向こうが軒先に顔を出してこっちを覗いた。
 無言でBB銃を向け発射するも、0.2gのプラスチック弾には威力がない。でもまず顔面に一発当たったものだから、狂っ
たように飛び上がり雨どい伝いに大屋根へ逃げる、その背中に向け約3発。彼我の距離は10m以内・・・パンと云う命中音
が2発はした。でも残念ながらこのBB銃には殺傷能力はなく、ちょっと痛い思いをさせるだけだ・・・。
 が、これが大きな警告になり、恐らくこの猿は二度と我が家へは近づかぬだろう。そのあと逃げた我家の裏を見たが、裏
道の外れの我が家の所有地に、大猿が警戒に出ていた。もちろんこの大猿にも数発射かけたが、逃げ足の速く巧妙な事・・・
20m以上の距離が有ったので発砲音(パズン、パスンと云うだけだが)に驚いたのと、付近をひょろ弾がバラバラと降って来
た事に驚いただけだろうが、これでも数日はこの大ざるも出てこないと思う。
 何もせぬよりした方が良い。本当に厄介なヤエンコどもだ。
 秋空の下、親爺とヤエンコの追いかけっこは続く。


 御前山の上にも秋らしい雲が広がるが、この辺りにもイノシシや二ホンシカと云う新顔が姿を見せたことがあった。


10/10
 雄山神社の宮司の家の次男坊である史麿が、彼の祖父である佐伯幸長さんの著作「立山信仰の源流と変遷」を電子
書籍化した。8巻からなる大著であるため、2巻ずつを1巻とし、現在はその第1巻をKindle版として出版した。
 幸長さんが宮司だった頃、親爺は青年団長をしていたことが有り、幾度か車でお送りしたことがあって、その車中で実
に面白い話をして頂いた経験がある。
 同じ村の若い衆と云うことで、幸長さんも生の芦峅寺言葉で語って下さった。それは山岳信仰に関わる話とかではなく、
古の立山の日常と云うような話で、当時幸長さんの従者役を務めていたK氏の職歴の意外な事など身近な話であった
ように記憶している。話は本当に面白く、その話は山岳ガイドや猟師の古老などの話とはまた違った面白さであった。
 親爺の祖母の義弟であり、親爺には大叔父に当たる佐伯秀胤大僧正は天台宗の宗門議長を務めた程の人だったが、
この人も親爺が若い頃、よく車の送り迎えをさせられた。そして幸長さんと同じく、話が面白く、色々な話を聞かせてもらっ
たものだ。
 神主であった幸長さん、僧侶であった秀胤さん、思えば御両所ともに立山曼荼羅の絵解きの名手であった。
 その方々の話を生で確り聞かせて頂いたことのある親爺は、かなり幸運な若者だったに違いない。
 「立山信仰の源流と変遷」Amazonで極めて安価に購える。
 是非ご一読願いたい。ただしかなり難解な記述が多く読めぬ漢字が多い事も多々。しかし竹内文書の抜粋もあり面白
く読めるし、学者先生の無味乾燥な文章ではなく、隅々まで立山に生まれ立山の民として生きた人の地の声が行き渡った
情熱的な大著である。
 幸長さんの孫である史麿の、この大著電子書籍化への凄まじいまでの執念にも脱帽。


 剱岳は立山の剱である。立山とは広義には薬師から剱までの山川をすべて含む山域なのだ。

 


10/9
 高曇りの日だが、大気の透明度が極めて高く、立山の峰々が実にくっきりと灰色の空に聳え見えている。台風の影響で
そろそろ天気が崩れそうだが、何とか今日一杯は持ちそうだ。
 朝、心平から電話が有った。最後の週末に結構な予約が有って楽しみにしていたのが、台風14号の所為で全キャンセル
になったそうだ。最後まで運のないシーズンだった。が、クラウドファンディングやらその他の温かい援助で、何とか無事に
小屋閉めを迎える事になったと感謝していた。でも売り上げは例年の1/3以下、小屋の維持だけで精いっぱいと云った処
だろう。
 ガッパ社長が社員を連れて、二俣の橋とハシゴダン乗越ルートへの渡渉点の橋を撤去に来たそうだ。昨夜は剱御前小舎
で宿泊しており、今朝一番で真砂まで降りて来たのだろう。仕事を今日中に片付け、室堂まで帰るそうだから、帰路の剱沢
ルートの、過日のルート工作地点も撤収するらしく、この後の同ルートは極めて厳しくなり、事実上の通行不可となる。
 心平も今日で営業を終え、明日からは小屋閉め作業に入り、下山はハシゴダン乗越越えで、黒4ダムに抜け下山すると
言っていた。立山奥地の今シーズンの営業は終わる。
 昨日の剱御前小舎で、夕景の撮影をするガッパ社長。立山の山岳工事のスペシャリストだ。


 この黒いドロドロしたものは、親爺が作った荏胡麻味噌である。
 嘗ての芦峅寺では胡麻よりもこの荏胡麻をいろいろに用いた。親爺が子供の頃、祖母が良く作ってくれたのがこれで、
荏胡麻は単に「エ」とのみ呼ばれ、エミソとこれを呼び、親爺がみそを喰わぬ子供だったから、味噌ではなく醤油と砂糖
を良く炒ったエをすり鉢で摺った中に混ぜ込んで摺り上げペースト状にしてくれた。
 祖母の発音は「エェメソ」で、みそもメソと発音した。
 これはこのまま飯に乗せて、舐め味噌のようにして頂くのが美味いが、これで様々な野菜を和えたりもして、殆ど胡麻
と一緒の使い方をした。「エェメソ」は親爺には懐かしい祖母の味である。
 この荏胡麻の使い方、食べ方にはまだあるが、それは後日に譲ろう・・・。


10/8
 朝から寒い日で、天気予報を見ながら今日の寒さを予想していたので、昨夜はオカカと布団を冬用の羽毛布団に替えた。
 流石にやや重苦しかったが、これは慣れ、明け方はかなり寒かったらしいが暖かく、ぐっすり寝た。
 月一の定期通院日だったので、8:30過ぎに家を出、富山市内の医院まで行って来たが帰宅したらトモちゃんからの動画
が送られてきて、初雪が降ったと報せてきた。
 成程寒いはずだ。堂宇がは早速、YouTubeにアップしておいた。こちらを御覧じろ。
 まだ本格的な雪ではないが、例年と比べれば遅い位だ。
 今日の山里もこんな具合だった。


 立山も秋が深まり、雪を待つ頃となって来た。                  今年最後の空輸作業も終わった様だ。
  

 閻魔堂も秋に包まれようとしている。


10/7
 昨日は肌寒く、一日中ストーブを炊いていたが、朝は曇り空だったのに青空が急に広がり明るい陽射しが部屋に流れ
込んできた。親爺はフリースを着ているので、暑い位だ・・・。
 来週早々から久々に、二、三泊で旅に出ようとオカカと二人でごそごそやって計画を練っていたら、台風14号がやっ
て来るとのニュースが入った。これはいけないと、昨日三日ほど旅程をずらし、宿の予約などを取り直した。で、そんな
ことで半日以上つぶし、気付けば子のHPの更新も出来ていなかった・・・。
 物干場から急に明るい光が差し込み始めた。


 青空が広がり始め、陽が射して来たのだ。            隣家の桃の木も黄緑に色を変えて朝日を浴びていた。 
 

 学生時代の大親友青井から、マコモタケが大量に送られてきた。青井の自家栽培らしい。
 大分で長年外資系保険会社の代理店をやっていたが、今は帰農して気楽な身分なようだ。学生
時代から心優しい男だったが、今はお孫さんに囲まれて益々好々爺ぶりを発揮しているらしい。
 ありがとう青井。


10/5
 昨日は泊まりがけ出来ていた孫に起こされて、目が覚めた。時計を見ると8:00を回っていた。本を読んでいて、切り
のいいところまでと思っていて寝そびれ、3時ころ小用に起きたついでに、睡眠薬を飲んで寝たものだから未だぼーっと
しているが、流石に可愛い孫が起こしに来ると目が覚めた。
 で、ややぼーっとしながら、朝食を終えそれからはずーっと孫と遊んだりしてゴロゴロすごした。
 暫くしてお散歩に行っていたオカカと孫が帰ってきて、布橋に猿が居たから帰って来たと云うので、慌てて猿脅し用の
BBガン(玩具)を持って,、軽4WDで見に行く。ソーっと近づくと枝が揺れていて居場所がすぐわかった。
 老いたりと云えど元銃猟者である。そこは逃さず、そっと近づいて、案内柱に登っている子ザルに一発お見舞いした。
 弾はほぼ10センチほど外してあり、その発射音と弾が霞める音に驚いて、数匹のさえいどもが、オンバ谷の谷底め
がけて飛び降り逃げた。
 たまにこの程度でも脅しておけば、人を見て威嚇するなどと云う事はなくなる。安いスプリングガンで良いのだ。携帯
していて、側にヤエンコを見たらその度威嚇すればいい。仕舞にはその場所を避けるようになる。
 紅葉を見に来た登山者。山小屋に入れぬので幕営をする。この時期としては結構なものだ


 今朝の山里はガスで、雨。やや肌寒い。
 

 立山では氷も張っている。


10/3
 昨夜思い出したように、一日遅れの月見をした。今にひっくり返ったまま窓から月見が出来るので、月見をしたと言っても
オカカが茹でてくれた、白玉団子にあんこを乗っけて食べ、その間々に窓から月をチラリちらりと見たに過ぎない。
 それでも親爺とオカカには立派な月見で、大体月見など普通はそんなものだろう。
 今日は黒部の孫が来る。オカカは何を食べさせようかと、又買い物に出かけた。親爺は孫の到着を待ちながら、HPのキ
ーボードを叩いている。
 トモちゃんが送ってくれた大日の先に出た夕月。この1~2時間後、親爺たちはこの月を眺めて団子を喰ったわけだ。


 奇麗な月だった。一日遅れだが満月だ。               オカカの作った白玉団子。美味しかった。
 

 親爺が取り寄せた塩卵入りの月餅は、この時期ならではの季節限定の月餅らしい。
 


10/2
 もう38年も経ってしまったが、何と今日は親爺とオカカの結婚式を挙げた日だ。      
 記憶も断片的になっているが、まだあの頃は珍しかったヨーロッパが、新婚旅行先で、お定まりのコースを回って来たが
何処に行ってもヨーロッパならではの風景と、人と、空気が有って、楽しかったことははっきり覚えている。
 そんな中でジュネーブからパリに向かうのにGTVと呼ばれる当時最新の特急列車に乗ったが、出発が早かったので朝食
が取れず、ホテルから各自に茶色い紙袋入りの弁当が配られた。乗車して列車が動き出し、落ち着いて飯を食うかと中を
見ると、大きなクロワッサンが一個と洋梨が一個ごろりと入っていた。「かなり雑な弁当だな・・・」と思ったのは洋梨を喰うの
にせめてプラスチックナイフでも入って居れは良いのに、何もなく、もう手で丸かじりしかない。
 で、今よりもはるかに好奇心が強く、チャレンジ精神旺盛な若い親爺、食ったことの無い洋梨にかじりついた。
 と、意に反し柔らかい果肉は、ジューシーで、甘くかおり良く、上等のジュースの様だと見やぶり、クロワッサンをかじり、次
に洋梨に齧りつきを繰り返し、その美味さに驚きつつ、あっという間に朝弁当を平らげた若い親爺だ。
 オカカにもこうやって食べたら美味しいよと教え、オカカも元気に洋梨にかじりついて、クロワッサンを食べた。
 洋梨との出会いはこの時が初めてだったと思う。で、それ以降これが好きになり、パリで投宿したホテルの周りにあったス
ーパーでこれと、生ハムスライスを買い込み、バケットも、バターも買って、部屋に持ち帰って頂いたことを覚えている。
 で、今も洋梨は親爺にとって秋の味覚。山形や、秋田から取り寄せ、頂いている。
 山形の農園からメルカリで取り寄せた洋梨。チョット熟れすぎが親爺の一番の喰い頃だ。


 浄土川最上流部もだいぶ色がついてきた。



10/1
 今日から10月神無月だ。今朝は居間に隣接する物干場に陽が射し、引き戸を開けて網戸にしておくと、温室効果で暖
められた暖気がそこからジンワリと流れ込んで来て、居間は作務衣で過ごすに丁度良い、23℃だ。
 でも、この流れ込む暖気が心地よいのなら、秋はかなり深まったことになる。つい9月半ばごろには、この同じ物干場か
ら流れ込むのは、暑気、熱気であって、引き戸を閉めカーテンも引き、流れ込む熱気をふさいでいたものだ・・・。
 今立山の紅葉はかなり進んでいるらしいが、今シーズンは春から一度も立山に行っていないので、様子が良く分からな
い。親爺もそろそろ焼きが回って、高齢ニートになりつつあるのかも知れぬ。
 コロナ禍と云う特別な状況下、家でじっとしていることが推奨され、その所為で元々の出不精が助長されたのだろう。
 いやこんな事ではいけない。GoTo利用で旅に出ようと、色々画策を始めている親爺だ。
 剱のこの姿は、長年見てきた小屋閉め間近の姿だ。


 扇風機が撤去され、温風ヒーターがセットされた我家の居間である。


9/30
 久々に親爺とオカカ二人だけの朝を迎えた。9月最終日の朝は高曇りだが、徐々に青空も広がって来だした。
 立山の紅葉はぼちぼち、上の方から見ごろとなり、天気が良いからこのまま行けば、今週末から1週間余りが最盛期
となるような気がする。
 孫が帰京し、少し寂しくなったが、また少しほっとしてもいる。東京の孫は三月見なかっただけだが、随分成長し、確り
ジジババを覚えていてくれた。いつも一緒にいるように振舞い、ジジの膝に乗って来るし、悪さも可なりのモノ・・・。がまた
それが可愛くて堪らないのだ。
 黒部のおしゃまなオネイチャンは、まだ手加減がない。この自分より小さく弱そうな相手とも容赦なく渡り合う。それも爺
には堪らなく可愛い。二人を膝に乗せてあやす瞬間は、まさに至福の時だった。
 一歳4か月、三歳と数日のこの二人の幼気な天から授かった孫と云う宝が、すくすくと元気に育つことが爺の喜びだ。
 大日は少し霞んで見えている。


 ジジのPCは東京の孫には自分の玩具の認識で、触らせぬと怒る。 黒部のおネイちゃんはボタンをかけられるようになった。
 

 トモちゃんが送ってくれた「世界で一番きれいな公衆便所」・・・成程これはすごい。白日のおとぎ話の様な便所だ。


9/29
 一昨日辺りだったろうか、横山光輝氏のいわゆる中国もの、殷州伝説・太公望奇譚を読み始めたら止まらなくなった。
 親爺たちは漫画世代である。少年時代を付録付き月刊誌、週刊漫画誌で育ち、高校、大学時代ですら、永嶋慎二、
つげよしはるの描く世界にどっぷりつかったものだ。
 だから、漫画に対する抵抗は全くなく、今でも文字だけの本も大好きだが、漫画も嫌いではない。
 三国志、水滸伝等の中国の本も、若いころから幾度となく読んだが、横山氏の手にかかるとこれはまた別の世界を拡
げ見せ、読ませてくれる。絵で視覚に直接訴える手法だから、かなり情報伝達が早く、手早く読める。
 まあ、そんなわけで、三国志など又角川文庫で読み返す気力はもうないが、横山光輝の漫画なら読み返せる。
 今日東京の孫が帰る。
 寂しさを禁じ得ないが、そんな秋の夜長、漫画ながら、三国志の世界に遊ぶのも又良いかもしれぬ。
 草紅葉の向こうに剱が聳えている。


 数日だが毎日側にいた東京も今日は帰る。一番かわいい時だ。黒部はパパママと新しくできた子供の「遊び場」で大はしゃぎの休日だった。
 


9/28
 今朝は少し肌寒く、親爺は寝過ごして起きて見ると、早起きの東京の孫がもう起きてヨチヨチそこいらをかけ回っていた。
オヤッと思ったのは居間の隣の食堂の温風ヒーターが約半年ぶりに動いて居たから。オカカ曰く「悪戯っ子が、何でもかん
でもスイッチを弄るので、温風ヒータを炊いておけば近寄らないと思って。」と云う事だが、今朝は寒く、室温でも20℃を切っ
ていただろう。
 まあ親爺にはありがたい。東京の孫はママとオカカと一緒に買物に出た。食堂の温風ヒーターはとっくに切ってある。
 で、親爺は鬼の居ぬ間にと、居間の灯油反射式ストーブに点火した。温かい。室内温度はたちまち21℃を越えた。
 暑いのも嫌だが、寒いのも嫌だ。年を取るとドッチモ身体に堪えるのだろう。が、親爺には今が一年で最も好きな時期。
ストーブを炊けば気持ち良い暖かさになるし、日中秋晴れの時の陽だまりの心地よさは「小春日和」と表される程だ。
 立山も一気に秋の気配となった。別山尾根から見る雄山の稜線が間もなく冬だと語りかけてくる。


 東京の孫はジジババの家にすっかり慣れている。生後70日ほどをここで過ごし、帰京後も毎日のようにジジババとテレビ
電話で、お話しするからか・・・。1歳4か月、もう保育園に通っている。
 

 親爺が小さな七輪を持ち出し、炭火を起こし、牛肉の薄切りに甘辛いたれを纏わせ炭火焼きにして、温飯の上に並べて、炭火焼き丼
を作った。親爺オカカ共に大好物の松川弁当店「米沢牛特炭火焼特上カルビ弁当」の味のイメージだ。
 これがすこぶる美味しく、炭火焼の威力を再認識。昼飯には少し勿体ない程のうまさだった。
 


9/27
 昨日は東京の孫、黒部の孫、更に松本から末娘も帰省して大賑わいだった。東京の婿も昨日まで居たのだが勤務の
関係で、昨日午前中の新幹線で帰京した。
 昨日は親爺の祖母の祥月命日、期せずして祖母にはひ孫や、玄孫迄そろい大賑わいとなり、仏壇を大きく明け全員で
お参りした。雨で墓参はしなかったが、祖母も笑って許してくれるだろう。
 今日は高曇り、すっきりせぬ天気が続いているが、明日からは晴れマークが暫く並ぶ。
 黒部は昨日の夕刻に帰宅し、末娘も明日は松本へ帰り、東京も明後日には帰京する。今が賑やかなだけに、寂しくなる
親爺とオカカだろうが、ホッとするのも又本音かもしれない。
 黒部のおしゃま振りには笑いが絶えぬし、東京の愛らしさにも笑顔が絶えない。
 立山はすっかり秋が深まった。


 ジジもババも孫たちと至福の時を過ごす。ジジの膝の争奪戦は、オネイチャンがぐいぐい占有エリアを広げようとする・・・。
 

 孫達の親もいるので、親爺はうなぎ屋の親爺に変身。蒸し暑い日だったので汗みずく。うなぎ屋って大変なのだとしみじみ思う。
 Tシャツ一枚で、焼き続けた。でもこれは楽しい。娘らも次々見に来る。大変だが面白い。
 


9/25
 今日は初孫の誕生日、3歳になった。
 ずっと前から誕生日を楽しみにしており、ケーキや、プレゼントの貰える日だということが分かっている様だ。そして周
りの皆から「おめでとう」を言ってもらい。自分に注目されることが嬉しくて仕方ない様だ。
 爺などそんな孫を見ているとジッとしていられず、もう一月も前からプレゼントを取り寄せ、ママに預けてある。
 更に昨晩東京の孫が来た。三か月ぶりで、1歳4か月になる。驚くほどジジババに懐いていて、3ヵ月ぶりのギャップが
全くなく、富山駅まで出迎えたジジに、笑顔で「ジジジ」と笑いかけた。いやいや可愛くて、今朝もジジババの周りを当たり
前のように歩き回っている。
 今日の誕生日を終え、明日は黒部の孫も東京の孫に会いに我が家に来る。いやいやこれは楽しくうれしい日となりそ
うな明日である。多分疲れ込むとは思うが・・・。
 ママとパパが半日かけて飾り付けたのだそうな。


 これが今朝の3歳の孫だ。爺メロメロ!!          もちろんこの東京の孫にもメロメロだ。
 

 庭のウルフピーは結構効いている。足跡も途絶えた。           きゅは焔魔堂の木立さえ霞むほどガスに覆われている。
 


9/24
 暑くもなく、少し肌寒い程の、親爺には一番好もしい今朝だ。高曇りで、太平洋を通過する台風の影響がもう少し出る
かと思っていたが、今のところ雨も風もない。北陸エリアはこの台風の影響は余りないのだろう。
 昨日オカカと二人、一寸2~3泊の小旅行でで計画しようかと、久々に地図ソフトやら、宿泊予約サイトやらを調べて、
しばしば耳にしていた、GoToトラベルと云うものを漸く納得した。
 簡単に言えばGoToに加盟している宿泊施設などの宿泊料は、とにかく35%割引きで、更に他の割引クーポンなど持っ
ている場合はそれも使える・・・。で、ネット予約サイト利用の場合、ほとんど何の手続きも要らず35%引きとなるので、こ
れは有難い。「つかわにゃソンソン」となる。
 で、普段は中々泊まれない、露天ぶろ付きの客室などを予約しても、二人で6万前後の宿泊料が、3万9千円となる訳
で、これならちょっと贅沢程度で泊まれる。
 しかも各宿泊業者も、かなり割安な値段設定の宿泊プランをすでに出しており、例えば京都の某有名ホテルなど、フレ
ンチ懐石の夕食、アメリカンブレックファストの朝食付きで、GoToとポイントを利用で25000円だ。
 これは旅行者にとっては良い。が、そのツケがやがて消費税アップなどに跳ね返るとしたら、素直に有難がってばかり
もいられないかも知れぬ。でも今は、経済の活性化の火付け役だと信じ、精々利用させてもらおう。
 御前山も秋色だ。


 ある日のインスタント食品ばかりの昼食。麺は即席、チャーシューだけが作り置き。餃子は冷食。でも学生時代の外食
より質も味もはるかに上等で美味い・・・。良い世の中だ。
 


9/23
 連休も大きな事故もなく終わった様だが、立山も静かになった事だろう。何せ昨日までは我が山里さえ観光客がウロ
ウロしていたのだから。
 コロナ禍自粛の反動だろう、立山でも前年同時期の入山を上回る人出だった様だ。いや、何も立山ばかりではない、
多くの観光地が同じ状態だった様だ。某学者曰く、一週間後にどれだけの感染者が出るか、不安を禁じ得ないそうだ。
 それはそれとして、この久々の賑わいで一寸息を吹き返した業種の方々もおられることだろう。日本が健康な姿を取り
戻すには、コロナ禍の封じ込めだけではなく、経済の大きな復興も大切だ。
 ワクチンの研究開発、薬の研究開発など等も、潤沢な経済基盤の下、大きな研究費を供給せねば、何もできぬ。
 心配ばかりしていても事は解決せぬ。出来る範囲で防疫措置を講じながら、普段を取り戻して行かねばなるまい。
 連休が終わり、すっかり秋めいてきた立山。剱も秋だ。


 ジジの大事な二人の宝。黒部は宇奈月のパパの仕事場訪問。東京は近くのホテルで、パパママと一泊。それぞれの連休だった様だ。
 


9/22
 シルバーウイークも終わる。本来なら良い天気に恵まれ大賑わいのはずだった観光地は、コロナ禍以来閑古鳥状態だ
ったが、今回人はかなり戻ったそうだ。
 立山も可成りにぎわったが、山小屋などは入れ込み数に制限があり、精々で通常の1/3程度だから堪らないし、登山
者にしても泊まりたいのに泊まれないから、凍える事を覚悟のテント泊?となる。まあ、天気が良かったから大事には至ら
なかったはずだが・・・。
 我が山里もこの連休には、絶えて見ることの無かった観光客が戻り、我が家の前もぞろぞろと何人も通って行った。
 人通りが戻るのは結構だが、獣が通って来て、マーキング代わりの糞や小便を残していくのは困りものだ。
 で、この前一度、庭の真ん中んに脱糞されて腹を立てていたのだが、精々BBエアーガンで脅すくらいの事しかできぬ。
 それとて実猟と一緒で、シノビ待ち伏せたりするしかない。それも面倒な話だし、BB銃の方はこちらから出向いて脅すくら
いのものだ。
 で、いろいろ調べて、害獣忌避剤のウルフピーと云うものを仕入れた。すでに絶滅して久しいニホンオオカミだが、獣たち
の遺伝子には、この獣の恐ろしさがいまだに刷り込まれ残っている様で、オオカミの小便の匂いのする、袋を、所定の場所
にぶら下げておけば、その半径4~5mには、獣は近づかぬとの事。効果のほどはまだ分からぬが、今朝オカカと二人で
2カ所にそれを置いてきた。これで獣が近づかぬなら、親爺の下手鉄砲も不要となるだろう・・・。


 季節は秋。クーラーもストーブも不要な、爽やかな日々がやって来た。


9/20
 ずいぶん昔の剱御前小舎アルバイトの、O君からハガキが届いた。「今度立山へ行く予定が有るので、奥方とちょっと寄
って行きます。」と云うものである。メールアドレスも記してあったので、待ってるから寄ってくれと連絡しておいた。
 ハガキの連絡と云うと今や、年賀状とダイレクトメール程度で、ほとんど見る事が無くなった。山小屋の予約なども昭和
の終わり頃まではハガキで来ることが珍しくなかったが、その後予約の大半は電話予約となり、ハガキでの予約などは殆
どなくなった。
 その後の電子メール、SNSなどの出現で、現在に至り、年賀状すら少なくなっている。親爺オカカ当ての年賀状も、そろ
そろ減少傾向に入っているが、これは別の話で、突然連絡が途絶えて二度と今生の連絡は無理と云うケースが大半だ。
 つまり、ハガキでの連絡など、他の便利で気軽な手段にとってかわられ、非常に珍しくなってきていると云う事を言いた
かったのだが、話の方向が他に向きそうになった。
 さてO君の顔が久しぶりに見られるわけだが、何年ぶりだろうか?向こうも変わっているだろうが、親爺の爺ぶりも板に
ついている。それだけでも再開が楽しみだ。
 一枚のハガキ。それもたまには良いものである。
 立山の草紅葉も全体に広まり、紅葉も間もなく始まるだろう。


 庭のニチニチソウがしおれ始めて来た。閻魔堂石段脇の桜の葉がかなり黄色味を帯びてきて、季節の移ろいを報せている。
 
 


9/19
 今朝もどんより曇っているやまざとだが、立山は2400から上はガスが切れ、青空が広がっている。シルバーウイーク
初日としては、非常に良い滑り出した。が、勿論このコロナ禍の治まらぬ中では・・・・・。
 幸い明日からも、この連休一杯天気は持ちそうだ。
 が親爺などはこの世間の休みには殆ど縁が切れている。1年365日が休日だからで、まあ、娘たちが孫を連れて帰っ
て来るかすれば、普段より忙しい日となり、楽しくはあるが疲れもする位だ。
 でもやはり孫が可愛くて、遊びに来るとついつい大サービスで遊ぶものだから、何をするにもジジが指名を受ける。
 マンマはジジと一緒。お風呂ジジと一緒に入る。ジジと寝んねする。嬉しい指名である・・・・・。
 多分こんなに孫が可愛いのには、余り理由など無いのだろう。強いて言えば先行き短い我が身の記憶を、先行き長い
孫に委ねると云う事かも知れぬが。
 雷鳥沢は草紅葉だ。
 


9/18
 山里は、隠れ里のようにガスに覆われている。立山ももちろん見えず、ガスに覆われ雨が降っている様だ。だが、明日
から始まる4連休は、そこだけ狙ったように天気が良いという予報が出ている。
 まあ、コロナ禍の最中、登山者が殺到しても受け入れ人数には大きな制約があるので、キャンプで連休を楽しむのも良
いが、いい加減な情報しか流さぬ山岳雑誌モドキの多い中、その手のモノを信じて立山でキャンプなどと云う事になると、
かなり痛い(寒い)思いをするかもしれぬ。立山一帯には指定キャンプ場が有り、それ以外の場所では幕営できぬことも
知らぬまま、中部山岳国立公園に入り込む方々も皆無ではない様だ。増してや焚火など何処でもできぬのでご用心。
 話は変わるが、親爺宅の庭に、猿か、野良犬か知らぬが入り込んで、真ん中で脱糞してゆく。今朝もオカカがそれを見
つけて片付けに大変な目に合った。以前も何度かこういうことがあって、垣根の隙間にネットを張ったり、希釈した酢を撒
いたりして防止対策をしたが、効果はある様だ。が、忘れた頃に又害獣侵入が発生する。
 親爺は毒餌でも仕掛けようかと思ったが、法に抵触する可能性もある。で、調べて市販の害獣忌避剤であるウルフピー
(オオカミの小便)を購入、試してみる事にした。本当はもっと攻撃的な、トラばさみの様な罠の方が好みだが、これは完全
に違法なようだ。まあ後は玩具のBB銃ででも脅すしかあるまいが、こやつは動くので、中々その機会をとらえきれない。
 でも中日新聞のネットニュースで見た話では、福井県美山では、女性3人のグループが「モンキーバスターズ」を結成し
慣れぬ、電動エアーガンを手に、共同で猿の脅しに当たり、農作物被害を防止するのに一役買っているとか。イヤイヤ何と
も素晴らしいご婦人方だ。
 親爺も頑張ってその真似でもしてみようか。
 脱糞被害を受けた、親爺宅の庭、「猫額庭」。
 今度は明け方、自慢のガスガン(BB玩具)を用意して待ち伏せしようか・・・。


 今朝はこんなガスに覆われていた山里だ。


 前夜はくずもちを作り、ご機嫌の親爺だったが、今朝は野猿公への復讐に燃えている親爺だ。


9/17
 今日も曇天高曇りだ。山里の気温は低く、クーラーなど入れぬも十分涼しい。この夏の暑さがかなり異常だったからか
24~25℃と云う室温が心地よい。
 今タバコの話をテレビでやっていた。3次喫煙被害と云うのが有るそうで、喫煙者が喫煙後45分間たたぬと、その呼気
などから、非喫煙者に与える有害な物質が出て、消えぬそうだ。(本当かどうかは知らぬが、そう云う学者がいるらしい。)
 初耳であるが、某有名進学校の生徒会長が、いろいろそんな事々を調べて校長に直訴し、教職員の喫煙に大きな制約
が掛かったと云う事の様だ。
 まあ、お利口な生徒会長だ。科学的根拠を突き付けて校長にモノ申し、師たる人々の喫煙行為に制約をかけた。が、何
だかしっくりしない親爺だ。
 北欧のヒステリックに自然保護を訴え、注目を浴びた少女を思い出した。
 喫煙問題、自然保護問題、確かにこの人たちの言う事は正論かも知れないが、その正論の核たる科学的根拠は、誰に
よって明確にされ、実証された事なのだろうか?少なくとも自分自身が経験し、実証した事実ではあるまい。
 恐らく、現在の情報化社会、情報溢れるインターネットなどで得た知識が殆どなのだろうが、それを自らの知識、知恵と
錯覚し、世間にモノ申す若すぎる世代。これに違和感を持った親爺は、古い頭の頑固老人なのだろうか。
 が、それでも親爺は若すぎる世代にモノ申したい。「君たちの人生経験の長さからすると、今世間に向け、声高に叫んで
いることを、必ず堪らなく恥ずかしく思い起こす日がくるぞ。」と。親爺もそんな生意気盛りの恥を幾つも持っている。
 立山では草紅葉が始まっている。秋の剱を御覧じろ。


 山里から、今日は大日も上部が見えない。


9/16
 気付いたら9月も折り返し点を越え、後半へと入った。
 13日から親爺とオカカが楽しみにしている大相撲が始まった。我が郷土の大関、朝乃山の土俵が楽しみだし、関脇の
御嶽海(親爺の母校東洋大)、正代、大栄翔、もちろん大関の貴景勝など等楽しみな力士が多い。
 が、ふたを開けて少しがっくり、一番びいきの朝乃山が初日から思いもせぬ3連敗。遠藤、隆の勝、照ノ富士と確かに
強敵ばかりとの対戦だったが何れも負けは負けである。恐らく、思いきり稽古できる力量を持った力士の居ない高砂部屋
では、出げいこが禁止されているこのコロナ禍の中、十分な稽古が出来なかったのだろう。負けて強くなる相撲かなとも
云う。決して悪い取り口ばかりではないのだ。悔しさを八分の起爆剤に、自分の相撲を取り戻してほしい。
 朝乃山の大先輩にあたる、朝青龍が朝乃山にツイッターで檄を飛ばしたそうだ。例の少々判り難い日本語で、「どこの
大関なんだよ!恥ずかしい!気持ちの問題だ馬鹿ヤロ!好きこそ辛口だ!」とやったらしい。
 お世辞にも品格のある横綱とはいかぬ朝青龍だったが、その相撲の気迫は他を圧倒していた。親爺はこのでたらめな
大横綱が憎めない。少なくともずるずると未練がましく休場と出場を五分五分に繰り返す、今の白鵬や鶴竜等と云う横綱
よりは遥かに潔く、正直な朝青龍だ。
 さて、その朝青龍から檄を貰った朝乃山、今日からの取り組みに瞠目しよう。決して身体が悪いのでもなく、力が無いの
でもない。実戦の勘を取り戻し、気持ちで負けてはいけない。勝てる。今朝乃山以上の強さを持った力士はそういない。
 それこそ「気持ちの問題だ。馬鹿ヤロ!」件の大先輩の気迫を少し分けてもらえ。
 故郷の立山から親爺もオカカもみんなみんな応援してるぞ~!!!


 昨日の午後は買出して来た野菜の調理で、オカカは大活躍。トウモロコシを蒸し、小茄子を焼き・・・・・。
 


9/15
 親爺は最近炭火焼に凝り始めた。元々炭火焼は美味いものだが、家の中でやるにはちょっと危ないし面倒くさい。
 でも最近のバーベキューやら、キャンプのまね事遊びやらが人気で、いろいろと便利なものが売られ、炭もオガ炭で爆ぜ
難いものが売られていて、気軽にガス台で火起こしができる。気長に、七輪におき炭を入れその上に炭を足して待つ。
 全体がかっかとおきて、真っ赤になって火が落ち着くまで待つのが炭火焼のコツだ。
 網をかけおもむろに、肉でも、魚でも焼き始める。遠赤外線は火の通りが実によく、直ぐに焼きあがる。が、ここで好みの
焦げを付けるのが風味になるので、難しい。親爺など常に焼き過ぎで、苦くするのだが、それでも美味いのは不思議だ。
 スーパーの安いウナギのかば焼きを、焼き直して店の味に近づけるという、無謀な計画がそもそもの発端だが、これが思
いの外美味くいったものだから、今度は焼き鳥へと手を広げ、遂には安い輸入牛の網焼きステーキにも野心を持ち出した。
 自分でも能天気だと思いながらも、日々の楽しみである。
 大食いの、親爺の味が大好きな婿殿二人にも、是非是非喰わせたいと、親爺は日々研鑽中である。
 写真は、トモちゃんがお散歩で、一服から見た別山尾根と、足下の剣山荘。


 ホシガラスが飛び立った。


9/14
 涼しい日だ。物干場の引き戸を少し開け、網戸にしているだけだが、冷風が流れ込み、今は肌寒い一歩前だ。
 山里は、曇り空で辺りの山までガスが掛かり、立山は全く見えない。
 が、ライブカメラで見ると立山は快晴。弥陀ヶ原の下方に雲海が有り、我が山里はその雲海の下にある様だ。
 でも、陽射しで暑くなるくらいならこの方が快適だ。
 一昨日から孫が来ていて、ジジババと一緒によく遊んだ。おしゃまに磨きがかかり、今月の末に3歳になるのだが、色々
大人の真似がしたくて、何でも自分でせねば気が済まない。
 しかも台所にババが立っているとお手伝いに駆けつけ、その時はオカカの軽量の足置き台を、自分で引っ張って駆け付
け、その上によじ登って流し台に手が届くようにしてお手伝いを始めるから、オカカは仕事がいくつも増える。
 ジジが風呂上がりで、アイスでも食べようかとすると、早速台所に駆けつけ、大きなカレー用のスプーンを手に戻り、それ
でジジに食べさせてくれようとする。「はい、あーんしなさい。」ジジはどうにも世話をしてやらねばならぬ対称であるようだ。
 しかしその一つ一つの仕草や、おしゃべりが、何とも可愛くて、ジジババはメロメロになるのだ。
 孫が人生初めての花火を体験した。羽虫が出て、虫が怖いと2,3本で中止になったが・・・。


 ジジにアイスを食べさせる孫。ジジは顔も服もべとべとにされたけど・・・。


 今朝は周囲の山も上部は見えない。でも立山は快晴だ。
 


9/13
 剱御前小舎でメインスタッフとして頑張っているトモちゃん。元々山が好きで、冬はスキー場のパトロールをしている、二昔
~三昔ほど前の、剱御前小舎の標準的スタッフと云ったタイプです。
 その山歩きも中々大したもので、ほんの一、二時間の休憩時間に一服剱まで駆け上がって、剱沢を回ってくるような健脚
ぶりも、昨今の山小屋スタッフでは珍しい存在です。
 そのトモちゃんがいつも写真を撮って、親爺に送ってくれる訳で、このHPの山の写真の8割はトモちゃんの写真です。
 さて今日もその三日前の散歩の一枚です。
 「一服剱まで登ると、直ぐ目の前に前剱が望まれます。」


 この日は山里でもこんな天気でしたが、午後は大崩れになりました。


9/12
 今朝も明け方は寒い位だったが、朝日が射し青空は広がる。ひところから見れば実に爽やかな、涼しい晴天の朝で、秋が
やってきたことを実感するが、時とともに気温が上がり、30℃に近い気温となるとまたへたる親爺である。
 トモちゃんが、クロユリのコルから一服剱まで登り、剱沢へ駆け下りて別山乗越まで一回りして来たとの事。流石だが、昔
叔父がまだ元気だったころ、煙草を咥え、サンダル履きで親爺と一緒に散歩に出て、剱御前から古いクロユリのコル経由の
登山道をたどり、気付いたら一服剱まで来てしまったことがあった。
 そこで景色を見ながら、叔父の若かりし日の山歩きを聞きながら談笑していたら、剱から降りてきた登山者に、そんな恰好
で山を舐めてるのか、と叱られ、這う這うの体で剱御前小舎へ逃げかえった事があった。
 叔父貴と二人小屋の帳場でコーヒーを飲んでいると、30分余りして宿泊客が来た。はい、と受付をしようとするとそのお客
さんは、一服剱で親爺たちを叱った御当人、互いに顔を見合わせ、苦笑するしか無かった。
 叔父貴は無口だが、息子の様な親爺に山を仕込んでくれたのは、この人だった。優しく、怒らず、つねに率先励行。山を仕
込んでくれた、親のような人だった。天才的な山歩きのセンスが有り、どんな悪場も平然とこなす実力者で、本家の佐伯栄治
さんの同級生だった。栄治さんは我が爺様と一緒に南極に行った人で、山から終生離れず、立山に生きた人だ。
 この人をして「あれを山の名人といわんにゃ、誰も名人ちゃおらん。」と云わせたほどの山男だった叔父貴である。
 今は皆旅立ってしまったが、そんな懐かしいことを思い出した。


 山里も少し秋の色が見える様だ。


9/11
 青空が広がる朝だ。立山もきれいに見えている。恐らく登山日和、余り遅くならなければ雨に合う事も少ないだろうが午後
は天候が崩れる様だ。
 陽射しは季節に合わせ、かなり低い位置まで降りて斜めに差してくるが、まだかなりの力強さを持っている。が、日の出、
日の入りも、前者は遅く、後者は早くなって、日も短くなっている。
 季節は間違いなく巡り、爽やかな秋は確実にやってくる。”秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる”
とは古今和歌集の中の歌だが、今は丁度そんな季節なのか。
 この後しばらく、秋雨前線が停滞しそうで、気温こそ下がれ雨の日が続きそうだ。
 今朝の大日岳だ。


 隣家の土蔵の屋根に朝日が夏のように照返す。


9/10
 涼しい朝だ。今日から急に気温が下がるという予報だったので、昨晩はタオルケットを止め、薄手の合いの布団を出した。
 布団にくるまると暑いが、手足を出して丁度良い。明け方にどういう動きをしたものか、すっぽりくるまって寝ていたら暑くて
目が覚めた。布団をはねのけて、又ひと眠りした。
 今朝は雨だが、薄いガスの向こうに立山も辛うじて見えている。
 室堂までは高曇りだがその上はガスが流れているようだ。
 今朝の雨は結構強く降っていたが今はもう上がっている。青空が垣間見えて来た。


 かすかに代に手が見えていた。
 


9/9
 今日は親爺の恒例行事、月に一度の通院日である。血圧測定や、血中酸素濃度などの検査を受け、一月分の薬を貰っ
て来るのである。町場の暮らしなら、散歩がてらとことこと歩いて、途中で買い物でもしてきてもまあ、2~3時間ほどの事だ
ろうが、山里暮らしの親爺はまっすぐに医院まで車で出かけても、片道45分はかかり、医院で、約30分、で何もせずまっす
ぐ帰宅して45分となり、都合120分で、二時間。これでなんか用足しでもしたら半日はつぶれる・・・と書いてみたら、町場も
山里も、車と云う文明の利器で大差ない。これなら親爺はのびのび山里暮らしの方が良い・・・まあ、好き好きだが。
 今日の立山は今のところ高曇り。午後からは崩れて来そうだが。
 こんな大気の澄んだ立山に早くなってほしいが。これは数年前の写真。


 ガスが別山の斜面を這い登る。でもこれは晴れる時のガスの動き。


 下からガスが上がって来る地獄谷の全景。今は全て通行禁止になったが・・・。


9/8
 昨日、双葉社から出している山の雑誌、確かSOTOだったと思うが送られてきて、それに秋の紅葉特集が出ていた。立山
と涸沢あたりを特集していたので、一寸ページをめくり見てみたが、その中で、「雄山、大汝、富士の折立の三つのピークか
らなる山々を総称して立山と呼ぶ。」と云う一文があって、驚くと云うより、又かと呆れた。
 以前も書いた漫画の中で、明らかに取材不足、或いは作者の勘違いで同様なことが書かれていた。
 しかし今度のはもっとレベルの高い、山岳誌としての体裁で出ている本である。その立山の解説文としては異常である。
 何度でも云う。立山は、薬師から剱までの、黒部などの谷筋も含めた山域全般の事を云うのであり、立山三山とは、浄土
、雄山、別山の三山を言うのである。
 室堂から見て屋根型に見える、雄山から富士の折立迄の緩い尾根で連なった山だけを立山と呼ぶなど噴飯ものである。
 峰社の鎮座まします雄山山頂、最高到達点である大汝、富士の折立は真砂岳の広い稜線に下る急な下りの始まりの地点
であるに過ぎない。
 確りこういうことは明記しておかないと、若い皆さんはこれが本当だと思うようになる。
 立山とは南は薬師から北は剱までの、黒部の谷もすべて含めた一大山岳エリアを言うのだ。
 このことは、立山雄山神社現宮司の祖父に当たる、佐伯幸長大宮司も著書「霊峰立山」に明記しているし、芦峅寺の山案内
人たちにもそのように認識されていた。
 立山に行くと言っても、猟や、ガイドで山に入るのだから、常に移動を伴う。だから立山の剱岳の方だとか、雄山の方だとか
五色の方だ、薬師まで足を延ばす・・・・・と云う事で、いずれも立山に入ると云う事なのだ。
 そんな立山を室堂から見上げる屋根型の尾根の一群だけを指す処が立山だとは・・・あきれ果て嫌になってくる。
 立山を仕舞った身でも、これは看過できぬ。
 台風の過ぎ去った昨夕の、怪しげな夕景。


 台風10号は、立山には大きな影響はなかったが、風は強かった。


9/7
 台風の影響かどうかは分からぬが、4時ころに目覚めたら風が少し吹いていた。網戸だけで開けはなってあった窓から
は可なり冷たい風が吹き込んでくるので、窓を閉め夜具に戻ったが、目が覚めてしまって眠れぬ。で、気になる台風10号
の状況はどうだろうと、携帯でいろいろ情報を拾おうとしたが、まだ明け方の事とて、大した情報も無く、あきらめ目を閉じ
いつの間にか眠った様だ。
 で、目が覚める直前までおかしな夢を見た。
 場所は学生時代を過ごした、東京の本駒込のさくら荘、親爺は学生の様だが、部屋がかなり変わっている。改装をして
4畳半だが、壁などが新建材だ。しかも防犯カメラが付いて、Wi-Fiが装備されている・・・が不思議とは思わず、着替えの
ズボンのサイズが全く合わない事を気にしている。で、外へ出ようと部屋のドアを開けると、懐かしい大家のオバサンがい
て「おばさんさっき帰って来ました。」と挨拶をするが、耳が遠くなっていて聞き取れぬ様で、親爺を思い出すのにも少し時
間がかかっている。で、そんなに大きくはないアパートのはずが、病院の廊下のように広く長く、沢山の部屋が有り、オバ
サンは廊下の先に友達を見つけた様で、親爺の話を聞かず「あら、やだよ~。」とか何とか云いながらその友達の方に行
ってしまう・・・。まあ、そんな様なまるで、つげよしはる氏の描く夢の世界そのものの夢だった。
 そこで、携帯のアラームが鳴って親爺は目が覚めたのだが、しばし現実に戻るのに時間がかかった。
 目覚める直前の夢だったからか、妙にはっきり覚えていて、でも、その夢も繰り返し思い出している中に、だんだんと朧気
になって来た。だから夢なのだろう。
 台風被害はこれからだんだん明らかになって来るだろう。
 今朝の山里は高曇りである。


 山里から車で15分ほど下った、富山平野入り口の水田は黄金色に色付いてきた。


9/6
 台風10号が来る。、正直なところ今の予想ルートでは、立山には殆ど直接的影響は出ない。でも九州が大きな被害が
出そうなことを言っているので、友人知人も多く心配だ。
 今日の山里は相変わらず晴れ曇り。気温も昼過ぎには30℃程になるかもしれない。この山里でだ。
 と云いつつも何となく秋めいて、気温もわずかながら下がっている様だ。
 窓を開けて寝ると開けが屋は寒くて占める事が多くなった。
 日曜だが、立山へ向かう登山者の車は少ない。台風の影響を心配しているのだろう。山に影響は無くとも、途中の交通
の便に支障が出る事が多いから、行けなくなるのだ。
 週末の立山は静かだ。


 何時も遥望館へウロウロ歩く観光客も影が見えない。立山へ向かう車もすくない。山里は静かだ。
 

 大日の下に広がる雲海。


9/5
 それにしてもこんなにくっきりした虹は珍しい。しかもダブルレインボウだ。
 明日あさっての台風の影響を心配する剱御前小舎の連中に、「大丈夫だぞ」と立山の神仏が知らせてくれたのだろう。
 コロナ禍に始まり、天変地異がさらに続く。今年は嫌な年だ。
 いくら嫌な年だとて、ここを頑張って過ごさねば次の良い年は来ない。
 だからじっと耐えて、来るべき年を健やかに迎えられるように、今は踏ん張りどころだ。
 虹の写真を見ながらそんなことを考えた。


 奇麗な虹の次は奇麗な夕景だ。ここは美しい景色の宝庫である。


9/4
 昨日はフェーンで風がずいぶん強かった。雨戸を全部閉めたが、座敷などそれが断熱効果があって、もちろん日も射し
込まぬし、結構涼しい。今日は穏やかな日だが、陽射しはきついので、雨戸はそのままにしておくことにした。どうせ、明日
辺りは台風の影響が少し出そうだから、丁度良い。わがズボラにも、少しは合理性もある。
 立山から届く便りも、少しずつ秋めいてきたようだ。
 昨日トモちゃんが送ってくれた、剱御前小舎から望む夕景は圧倒的だった。
 台風が来るので、少し心配そうな様子だったが、親爺40年の間に台風被害はほぼなかった。
 別山乗越と云う風の通り道に建ちながら、意外と風には強い山小屋だ。

 
 桔梗花 長き残暑に まだ盛り                        立山の高所の斜面はもうそろそろ色付く
 

 剱上空を巡り荷を運んでくる東邦のヘリ。強風の中の荷上げだった様だ。


9/3
 そろそろ台風の影響が出てくるのだろうか?昨夜から間欠的に風が吹いている山里だ。
 立山は良く見えているが、多分台風の影響が出始め、そろそろ雲足も速くなってくる頃ではなかろうか。9号に続く10号
がかなり大きな台風であるらしい。
 それにつけても、この台風への備えを喚起する為か、煽ること煽る事、「かつて経験したことの無い規模の台風」への備
えなどどうすれば良いというのだろうか?
 山里の昨夜から今朝は、台風9号が通過してゆく際の影響を受けた、フェーンが起きているのだろう。この後の10号の
動き次第ではまたニ三日後に同じような天気になるのだろうか、現在発表されている台風10号の進路からは、かなりず
れている当地ゆえ、大きな心配はないが、進路エリアには友人知人も多いので、心配だ。
 何かしら怪しい山の見え方だ。


 嵐の前の空?雲足が結構速い。


9/2
 今朝も幾分は涼しくなったが、青空が広がり、やや低くはなったがまだまだ力強い、陽射しが容赦なく降り注ぐ。暑い!
 が、立山はもう秋の気配が濃くなり、涼しいを通り越して、朝晩は寒くなっている様だ。
 季節がずれているような気もするが、異常気象も毎年続くと、それを予想できなかった気象庁の、硬い頭をまず疑えと
云う気になる。
 秋の過ごしやすい気候の到来が遅れて、残暑が続く日々だが、これも又天の配剤、人知の及ぶところではないような気
がする。
 こうなれば、ゆったりと構えて異常気象もコロナもやり過ごそう。
 台風が来ると云えば、出来るだけの備えをし、コロナ疫が盛れば、出来るだけの対策を立て引き籠る。
 焦ることなど無い。腹をくくり、騒がず静かに過ごす。それが一番だ。
 

 今朝の山里も静かなものだ。暑いけど・・・。


9/1
 季節は確実に移ろい、今日からは9月だ。
 全く根拠は無いが、親爺の頭の中では、山里も山も今日からは秋となる。さしずめ今日などは、まるで夏の様な秋の日
となる。
 山里もまだ当分暑そうだが、台風のニュースもちょくちょく出ているし、やはり秋なのだ。
 二階の親爺部屋から、広角レンズで写した山里の今朝の景色、やや雲がちで薄暗いがその方が有難い。でもなんか蒸
している。
 夏の様な秋の日、少し緑に黄みがかかって来ている。
 向かいの山はガスって見えぬ。鍬崎も見えぬから、立山もガスだろう。

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