2020山賊庵絵日記(春)        いよいよ新年度が始まります。コロナのお陰で大変な幕開けです。
                                                       が、こんな時だからこそ礼節の国日本の品性を保ち、粛々と日々を
                                                       送りませう。で、項を改めました。           親爺 拝



5/29
 今朝は天気に誘われ、軽4WDで村はずれから石臼林道をうろついてきた。
 この林道の奥には、我が家の山林があって、爺様が健在な時は狩り小屋のような小屋まで建てて、我家の3人娘を連
れて一晩泊まりのキャンプ体験もさせたものだ。
 親爺も元気盛の頃だったので、疲れ知らずで、石臼平から流れ落ちる滝の様な急流から、岩壁を伝って塩ビホースを
敷設しその狩り小屋迄引水したりして、良く遊んだものだ。
 しかも親爺にはこの林道際のエリアは狩りのエリアでもあり、山鳥や、うさぎを追った日々も懐かしい。
 が、時は無情に流れ、子供たちも各々の家庭や、仕事を持ち家を出てしまったし、爺様も90の大往生を遂げ、親爺は
体力的限界から、銃も返納し、狩りもしなくなったので、あんなにも馴染んだ我が家の山林にも年に1〜2度訪れるだけ
となった。舗装された林道で、車で乗り付けることが出来る場所なのだが、今や草ぼうぼうでその入り口もわからず、件の
狩り小屋も倒壊し密林状の植物に覆われてしまっている。
 今日はそんな事々を懐かしく思い出しながら、小屋入り口だった場所を眺め、その下でドローンを上げ帰って来た。
 鳶らしき鳥が、ドローンを警戒し滑空して迫るので、慌てて高度を下げ着陸させた。嘗て有峰でも鳶が何羽も集まって来
て、ドローンを下ろした経験がある。自分の縄張りエリアを(空域)を荒らされるとでも思うのだろう。
 雪がすっかり解けた鍬崎山が見えていた。
 

 この林道上空からは常願寺川も良く見える。上流から下流側を見る。立山大橋も見えている。


5/28
 朝からよい天気で、気温も少しずつ上がってきている。
 親爺も髪が伸び、煩くなって来たので川向かいの集落、小見にある行きつけの床屋へ出かけた。親爺の軽4WDで、約
3分余り、玄関から玄関だ。
 この床屋は親爺が中学生だった、半世紀前のころから世話になっており、その頃通っていた中学校は立山中学校と云っ
て此の小見集落にあったからだ。
 その頃のこの床屋のご主人は今の主人コウチャンのお爺さんに当たる。100歳近くまで健在だった方だ。
 その次のご主人は、親爺たちより丁度10歳上で、親爺の又従妹、友邦兄と同い年。だから、先輩諸兄の仲間だ。10数
年前までは、親爺もこの2代目に世話になっていたが、コウチャンが家に入り、いつしか親爺もコウチャンの客になっていた。
 で、今の主人のコウチャンへと代がつながる訳だが、考えて見ると親子三代に渡って髪を刈って頂いている訳で、この野川
理髪店も古いが、親爺も随分古い仲間に入っていた訳だ。知らぬ間に・・・。
 大日岳が少しぼやけて見えている。


 可愛い孫達からの写真が届く。人形を抱っこするオネーチャンとヨチヨチ歩きトレーニング中のオトート。実は従兄弟だけど・・・。
 


5/27
 朝から快晴だが、この天気は長く続かず雲が覆って来るらしい。9:15現在山里でも雲量が増え、青空が見えなくなりつ
つある。
 我が家の縁側から見上げた大日も雪がずいぶん減って、もう初夏の山と云う趣だ。
 6月1日からアルペンルートが開通される。又立山に賑わいが戻るだろうが、我が山里も騒々しくなるだろう。さして広くも
ない村中の県道を、大型バスがどんどん上がり下るようになる。危なくておちおち道路を渡れもせぬ。
 が、姿は変われど昔から、外部の人々を立山に案内することで生計を立てて来た山の村である。貧弱な一次産業から
得られるものは僅少だが、その一次産業を無視しても、古くは立山信仰の信徒を山に案内することで、立山信仰が廃れた
廃仏毀釈以降も、登山の大衆化に依り登山者を山に案内し受け入れる事で、生きてきた村なのである。
 立山に支えられ、立山を守る事で生きてきた村は、今や限界集落となってしまっているが、細々とでは有れ、その伝統を
守り、山に生きている連中もまだいる。数年前までは斯くいう親爺もその一人だった。
 立山を仕舞って隠居生活に入って、実に気楽ではあるが、立山を想う気持ちだけはまだ残っている様だ・・・。


 一寸可愛い服に執着が出て来た黒部の孫と、自分で立つことを覚え、2歩ほどは足を出す東京の孫。
 この二人の孫が今の親爺の宝物。まあ爺馬鹿承知だが、この可愛さはどうしようもない。
 


5/25
 トモちゃんが送ってくれた、今シーズン初の国見HPの写真だ。昨日の好天を狙って空輸作業が行われたそうだ。
 今シーズンはヘリの荷上げも例年から見るとほとんどない様だ。たまたま剱御前小舎が外壁の繕いをするための資材
を上げる必要があり、6月早々に始め、2週間ほどで終わらせるとの事。なかなか予定通りには行かぬものだが・・・。
 こうやって山の写真を見ると雪はすっかり落ち着き、すっかり初夏の山と云う感じだ。これから梅雨を経て、本格的な夏山
シーズンは7月半ばからだろうか。
 その頃にはコロナも落ち着いていることを期待したいが・・・。


 今日の山里は曇天。土曜日に遊びに来ていた黒部の孫は、外遊びが大好き。来拝山も頂は見えぬ。
  


5/24
 新型コロナ感染症自体は、やや沈静化し、非常事態宣言も明日には解除される見通しだそうな。それは大変喜ばしい
ことだが、ここへ来て多くの商売が危なくなっている。ある程度の体力を持っている大手企業はともかく、零細企業は何と
もならぬところまで追いつめられている。
 親爺の友人たちの山小屋も苦境に立っていて、内蔵助山荘は昨日ここで書いたが、続いて朝日小屋の年内営業中止
も知った。
 富士山の山小屋も全て、年内の営業中止を決めた様だが、山小屋商売と云うのは、シェルターが原型だとは親爺の持
論で、厳しい自然環境下で登山者を風雨から守る空間を提供すると云うのが元の姿だ。今や世の中は進み、食事、風呂
まで提供する、下界の旅館並みになってはいるが、しかし、本来がシェルターであるがゆえに、肩寄せ合っていくばくかの
時間を過ごす事が今なお当たり前で、畳1畳に2名様とか2畳に3名様などと、所謂すし詰め状態で夜を明かすのが当たり
前だ。ところが今回の感染症にはこれが一番いけない。ではどうするか、予約を出来る限り小さく留め、受け入れ人数を
半減、否1/3程にするか・・・となれば、これはサービス営業で、赤字が累積し家族経営、個人経営規模の山小屋はその
体力的に限界を超えるので、営業を断念せざるを得ない。
 なにも山小屋に限った話ではないのだが、親爺に判るのは山小屋関連の事が全てなので、山小屋を引き合いに書いた。
 誰が悪いのでもない。天災なのだ。
 政府がどこまで救いの手を差し伸べてくれたとしても、限界は知れている。
 情けなく、悲しい話ばかりだが・・・。
 大日岳の雪解けがずいぶん進んだ。


 我が家の庭も緑が生い茂り始め、さてこれからがオカカの出番だ。
 


5/23
 トモちゃんが送ってくれた写真だ。数日前から寒い日が続き、三日連続で雪が降ったそうだ。
 うっすらと新雪を纏った雪面が奇麗だ。
 今シーズンの剱岳は人が来ていない。だから山の正確な情報もなかなか親爺の処へは入ってこないが、恐らく例年通り
の剱だろうと思う。この後、心平が小屋の偵察に向かうが、その時は少し情報も入るだろう。
 内蔵助山荘が今シーズンは営業を見合わせるそうだ。オーナーの体調不良もあり、このコロナ禍の中での営業をする事
が難しいとの判断だ。寂しい話だがこの状況下、やむを得ぬと親爺は思う。来年が有る。


 剱御前小舎の石垣にびっしりと着いた、海老のしっぽ。雪が来るのはこの時期当たり前なのだ。


5/22
 たとえコロナ禍の下であろうと、時の流れは速く、もう五月も後半になって来た。コロナについては諸説紛々、専門家でさえ
良く分からぬ事々が、専門家ならぬ親爺などに判ろうはずもない。だから、大きく取り扱われるコロナ関連ニュースの中での
情報には一々拘らず、良い話のみを耳に残す事にしている。どれが正しく正しくないなど、現時点ではまだわからぬ。だから
その程度の分類で、悲観的な話と、中国の傀儡となり下がっているWHO話は最初から無視し、トランプの馬鹿話はいつも陽
気なアメリカンジョーク程度に聞いている。
 五輪などもう如何でも良くなってきて、中止するならすればよい。今の日本で出来ぬことがどこで出来るというのだろう。
 ただこのコロナウイルスの消滅を祈りたい。ワクチンだろうが特効薬だろうが、早く解決してほしいものだ。このコロナ禍が
笑い話になる日の一日も早い到来を願っている。
 うっそうとした緑の中の閻魔堂。山里の平安を鎌倉時代から祈って、ここにある。


 この新緑を通り流れ来る空気の清々しさは、例えようもない。


5/21
 別にコロナ禍の中で無くとも、親爺とオカカは隠居生活である。しかし親爺と違って、オカカには昔からし続けている家事と
云う大仕事があって、規模こそ最大時に比べれば2/7と減ってはいるが、内容はちっとも変わらない。
 が、親爺に至っては会社勤務も、山小屋経営も前者は10数年前に、後者も4年足らず前に止めてしまっているので、所謂
仕事とか、いついつまでに何々しなければならないというmustが無くなってしまっていて、オカカの手伝いと云ってもたまに料
理をするくらいだし、まあ、病院への薬もらい以外は全くのフリーである。
 で、最近は特に、外出せず、人と接せずと云う生活が推奨されているので、根がずぼらな親爺など、これ幸いにゴロゴロ本
を読んだり、うたた寝をしたりして時を過ごす事が大ぴらに出来、却って快適な気もしているが、そこはやはりいくばくかの閉
塞感も無いわけではない。
 特にぶらりと旅に出、気ままに店に入りその地、その地の味を楽しんだり、素晴らしい景観に出くわしたり、チョットしたきっ
かけで見知らぬ人と仲良くなったり、とそんな旅を楽しむことが難しくなっている事が堪らない。
 それが目に見えぬウイルス感染症によってなのだから、何となく疑心暗鬼で、互いに知らぬ人に近づく事が難しいのだから、
人に近づけず人に触れ合えぬ旅など楽しさは半減である。
 まあ、愚痴は云うまい。少しずつこのウイルス禍も収束に向かっているようだ。嘗て人類が大きな犠牲を払いながらも克服
して来た病魔との戦いの歴史をみても、乗り越えられ無かった感染症など無いのだ。
 トモちゃんの撮影した夕景。雷鳥が手前に佇み一緒の夕景を眺めている。


 親爺は久々にドローンを上げた。辺りは見事な新緑だが、立山方面はガスで山すそしか見えない。
 

 新緑に覆われた我が山里だ。


5/20
 立山町は人口も少ないからか、10万円給付金の書類申請も始まった。我が家は親爺とオカカの二人だけだから20万給
付される。で、昨日書類申請書を送付した。
 オンラインはもっと楽だろうが、マイナンバーカードを登録しておらず、わざわざこの時期に混みあうだろう作業に、役場を
訪れるのも嫌だし、書類申請を選んだ。
 しっかり読んで訂正印無しで書類を作成しようと張り切ったが、受取口座をゆうちょ銀行にしたため、ちょっとした書きミスが
発生、訂正印を2個も押した。が、まあ出来たので返送用封筒に入れポストに投函しておいた。
 とその直後、郵便受けに又親爺当ての役場からの封書が届いた。「いきいきチェック」と云う高齢者向けの診断マークテスト
の様なもので、ちょっと驚いたが、これは要介護認定、要支援認定をまだ受けていない65歳以上の高齢者に送付され、返送
用封筒に入れ役場に送り返すことになっている。
 で、早速チェックを入れるが、流石に思い当たる事がないではない質問もあり、そこは少し見栄を張って記入しておいた・・・。
 まだ70歳には二年あるのだが、世の中はもう老人扱いをしてくれる。有難いような、寂しいような気分だった。
 幸い親爺は、オカカと二人今のところ大きな病気も無く、元気で居るから、もちろん若い時の様な無理は効かぬも、それを十
分意識して、全ての行動を加減している。普段の生活も、時たまに出かける旅もである。
 まだ自分の目算では10年は大丈夫だと思っているのだが・・・・・。
 青葉の季節が快い。


 我が庭に勿忘草が咲き始めた。イノシシの被害を受けたが生き残っていた。 今朝の小雨が紫陽花には良く似あう。
  


5/19
 外せぬ所用のため、半年ぶりに県外へ出た。行き慣れた松本までだが、国道41号線が通行できず、安房トンネル越えが
出来ない。やむを得ず糸魚川から大町経由で松本に入った。こんな時期だが、当日が日曜日だった所為か、仁科三湖の辺
りは結構な車で、幾分賑わいが出て来たのかなと云う気がした。
 所用を終え、とんぼ返りもきついので、美ケ原温泉で一泊したが、流石に宿は混んではいなかった。
 で、昨日、朝食を終え直帰したのだが、おおよそ4時間の運転は、久々だったので少し疲れた。帰着後は午睡である。
 今朝はちょっと疲れも残るがなんということも無く、普段に戻った。やむを得ぬことでの外出だったが、いくばくかの後ろめた
さも残る。しかし、いくら隠居とは言え社会生活を送っているのだから、これも致し方ない事だ・・・。
 という次第で、今日から又お籠り生活に入り、継続する。
 今朝の山里はガスに覆われている。


 長女の嫁ぎ先から大量の蕨をいただいた。頗る立派な蕨である。重曹と熱湯で8時間ほどかけ灰汁抜きして、流水にさらす。
 我が家の、山水は流しっぱなしで、極めて清澄な山水が台所にも引いてある。一昼夜晒すとあく抜きもほぼ完全。
 親爺は大好物の醤油漬けを作り、冷凍保存する。
  


5/17
 昨日、黒部の孫が顔を見せに来てくれた。いつも通り大好きな爺婆と遊んで、大喜びだった。午後になって、パパも蕨を
沢山持ってきてくれた。父上と一緒に山菜取りに行って来たのだそうで、これは有難い。
 夕方になって、さて帰ろうかという段になったら、心配通り孫がむずかり出した。「まだあしょびたい。じじとばばとあしょぶ。」
と、ジジに抱きついて離れない。
 ジジは唯々可愛くて、「よしよし、良い子だ良い子だ。また明日(近未来を現す唯一の言葉)あそぼうね。」となだめるが、聞
くものではない。ババがゼリーや、チョコ、アイスを車の中で食べようねと持ち出してもだめ、以前はこれでつられていたが、
もうこの手は効かない。
 「じゃ、ジジとババと、パパとママと、皆で一緒に車へ行こうか」と云うと、「みんなでいっちょ。みんなでいっちょだよ。」と今度
は泣きじゃくりながらも靴を履き、ジジババに手を引かれ、車庫へ行って、最後にもう一暴れするも、アイスに騙され帰途に就
いた。イヤイヤここしばらく毎度のことで、パパの実家へ行っても必ず帰るときは一暴れするとの事。知恵がついてきたのだ。
 孫の乗った車を見送りながら、ジジも孫が可愛くて泣きだしたい気分だった・・・。
 東京の孫も、6種類の予防接種を受け、大暴れしたと写真を送って来た。注射跡と思わしきキズバン跡が痛々しくて、それ
を見ると可哀そうで、ジジの涙腺が緩む。
 黒部の孫も、東京の孫も、孫の事となると可愛いだけで心がいっぱいになってしまう爺であった・・・。
 そんな爺馬鹿を、大日が笑って見下ろしている。


 コロナウイルス禍で何とも騒々しく恐ろしい昨今だが、母の日の贈り物がオカカに次々と届いた。長女の花、次女のクッキー。
 

 そして末娘からは高級茶づけセット。どんな状況下でも母のことを忘れない三人の娘に感謝するオカカだった。
 


5/16
 緊急事態宣言は解除されたが、親爺とオカカの生活はさほど変わらぬ、いや、全く変わらない。
 今朝もオカカが一人、食料の買い出しに行って、親爺は一人PCの前に座りHPの更新作業だ。まあこれとて、惚け防止
を兼ねた趣味の範疇を出ないHPなので、もう如何でも良い様なものだが、毎日習慣になっていて、これまでやらなくなると
精神衛生上芳しくないと自己判断し、親爺なりに一生懸命やっている。今や継続は力なり・・・いや、継続は惚け防止の予
防なりという訳である。
 今日は土曜日、コロナ禍も少しずつ収束の方向に入っている様だが、まだまだ安心はできない。そんな思いで外出を自
粛され、家で過ごされる方も圧倒的に多いだろうが、お子さんのいる家は中々大変な事だろう。
 こうなると昔の世代同居の家族が好ましく想える。今の生活様式には合わぬから核家族化が進んだのだろうが、緊急事
態下ともなると、そんなことをフッと想う親爺である。
 薄曇り。雨の降りだしそうな山里だ。


 新緑が我が家の周りを覆っている。                    不動山も新緑が瑞々しい。
 


5/15
 富山県も昨日、緊急事態宣言が解除されたようだ。まあ、段階的な解除という事だが、気が緩むのが怖い。
 親爺とオカカの生活は、全く変化がない。穏やかな朝を迎え、気ままに時を過ごし、週に一二回は買い物などで外出す
るが、たいていは好きなようにして過ごし、昼ご飯を頂き、又午寝をするなり読書をするなり、テレビを観るなりと好きなよ
うに過ごし、どちらかの手料理で(7:3でオカカが多いが)夕餉を頂き、又好きなように過ごし、22:00過ぎには親爺は夜
具に入り、オカカも23:00前後には寝に付く。
 こう書くと極めて規則正しい生活の様だが、オカカはさておき親爺はかなりでたらめだ。夜具に入っても読書で、実際に
寝るのが午前様もかなり遅く、寝不足の分は午寝でカバーするし、万年運動不足で足腰が衰えて来たし、で、軽いストレ
ッチなどをすると、あちこちが痛んできてすぐに根をあげる。が、歩けなくなるのも嫌なので、じたばたと、続かぬトレーニ
ングを試みてはいる。
 それでもまあ、穏やかに日々を送ってはいて、身体もどこと云って辛いところはない様だから、この日々の当たり前の繰
り返しに感謝することは忘れない。
 数年前の写真だが、今の時期である。
 田植えを終えた水田に映る立山の峰が美しかったので車を停めて撮った一枚だ。


 不動の山肌の新緑に夕日が映える昨夕。


5/14
 今日も昨日と同じように時が流れている。
 まだまだコロナ禍の治まる様子はなく、日本全国、いや全世界が息をひそめている様な日々に、感染も無く昨日と同じ
時間が巡り来ているのだ。有難い。
 衣類も不自由はなく、食料も十分足りていて、住む家も父祖伝来の地に確り建っている。
 こんな衣食住が足りた生活が明日も平穏に続くだろう。
 親爺の住み暮らす地は、立山の山懐の山間地で、高齢化がすすみ若者や子供がほとんどいない、いわゆる限界集落だ。
 だが、インフラが整備され、大都会の中心とさほど変わる事はない。水道もガスも電気もネット環境も変わらぬ。変わると
ころと云えば、徒歩圏内にコンビニは無く、喫茶店や、パチンコ屋や、スーパーや百貨店も、病院もない。
 だが、これらは車で行こうと思えば、コンビニへは約10分、喫茶店以下その他へは20〜45分以内である。
 こんな環境なのだが、若い人が居つかない。
 それは仕事が無いから、雪が多く通勤すらままならぬから、と多くの訳もあろう。親爺もうんざりしている雪との戦いは、若
いときはともかく、歳をとるともういけない。
 仕事がないと云うのも、年々若い人が都会都会へと移り、過疎となる地に仕事など増えようはずもない。
 とすると、この父祖伝来の地も今や限界集落となり果てたのはやむを得ぬのだろうか?
 いや、必ず都会の過密、超過密故の脆弱性が暴露され、嫌気がさして来る。
 だから、若い人々の都会離れは来る。コロナ禍もその一端だろうし、大きな震災や天変地異に対する脆弱性も既に、誰の
目にも明らかだ。
 若い人たちよ、田舎へ帰れ。都会を離れろ。と、言いたいところだが、なかなか仕事や暮らしを変えると云うのは大変な事
なので、無責任なことも言えない・・・。
 大日が見えるがアイがかかる。


 オカカの育てている、ガクアジサイ。この前の撮影の向きがちょっと気に食わなかったので再度・・・。


5/13
 家と云うのは食糧のほかにも、実に沢山の物が備蓄されているものだ。所謂生活用品である。トイレットペーパーから
親爺の鼻水を拭くティッシュや諸々の洗剤、歯磨き、台所用のスポンジなど等、親爺にはこれ以上頭に浮かばぬが、聞
けば直ぐああーッと思い当たる諸々のものを、親爺が一緒に行くと邪魔で買えぬそうで、オカカが一人で買いに行った。
 親爺は39年間山小屋の経営をしていて、いくらかそんなものもわかるが、オカカのようにすんなりと頭に入り切っては
いない。と云うより、そういう事はオカカの仕事だと思っていたから、家の細々したことは全てオカカ任せだったし、今も9
割はそのままだ。まあ、婆様、爺様去って、3人の娘らも巣立って、今うちには親爺とオカカだけだから、家事も随分少な
くなっては来ているだろうが、基本的な事は同じである。だから、食器の跡片付けや、料理もたまに親爺も引き受ける。
 親爺も弱くなったがオカカもやはり弱くなってくる。だんだん力を合わせ頑張るしかないが、それでも各々の得意分野は
決まっている。そして十分クリアされている分野には、あまり口を出さぬ方が良い。好きにやらせておく方が良いのだ。
 で、向こうから助けの要請があった時だけ手伝う。こうすれば、親爺がオカカを尊敬し信じている事にもなるし、オカカも
親爺を心配しながらも頼っていることになる。まあこれでいいのだ。
 毎日毎日面突き合わせてもう数年以上。些細な衝突はあるが、大きな喧嘩などは皆無だ。割と我慢も無くお互いに楽し
く日々を送っている親爺とオカカである。
 大日の上部はまだ見えぬ。


 長女が母の日に送って来た花束は玄関に飾ってある。華やかだ。  イノシシに掘り起こされた勿忘草もオカカが上手に移植して蘇った。
 


5/12
 朝から富山市内の町場にあるかかりつけの医院へ行って来た。月に一度の薬もらいである。コロナ禍のなか、親爺も
普段以上に気を付けているからか、気候が温かくなって来たからか、体調はかなりいい。
 血圧も高くはないし、血中酸素濃度も良好だった。
 医院は流石に人が少なく、待合室も2〜3人、薬も待たずに出してもらえ、早々に帰宅した。不要不急の外出などして
いる訳では無いが、例え必要最小限の外出でも速やかに動き、人との接触を極力避けるべきと思っている。
 今、緊急事態制限解除という動きが出ている。恐らくこのコロナ禍も鎮静の方向に向かってはいるのだろう。何せ世界
中が未経験のコロナウイルス感染症、先行きはまだ見えぬが、何とか人に迷惑をかけぬようにだけはして行こう。
 今日の大日は少しアイが掛かってボーっとしている。


 雪解けの進む鍬崎山も見えている。


5/11
 爽やかな快晴の朝、強い陽光がさしてまるで初夏を通り越して、真夏の様だ。
 青空がすっきりと澄み、雲もわずかに浮かんでいるが山里では昨日より暑くなりそうだ。が、残念ながら立山がまだガス
の中で見えない。大日も2000m以上はガスで隠れている。高山性気候での朝のガスはそのうち切れるだろう。
 これから親爺はオカカのお供で外出。食料の買い出しなどだ。明日か明後日には薬もらいで又外出せねばならぬ。
 緊急事態宣言下でなくても、凡そはこんな暮らしだから、今の生活も大して変わりばえせぬが、何となく圧迫感があるの
は世間が何となくうるさいからだろうし、それ故ちょっとした外出にも後ろめたさを覚えるからかも知れぬ。
 まあ、協力するべきはしているつもりではあるが。
 新緑の向こうの大日が爽やかだ。


 オカカが植えてくれた唐辛子三種(鷹の爪、青唐辛子、韓国唐辛子) 紫陽花の一鉢が美しい。
 


5/10
 まるで南からの湿った暖気が流れこんで来た様な、今朝の山里だ。けれど曇天で陽が射さないので、家の中は肌寒い。
 外は青葉若葉の盛りで、今朝の気候は植物にとっては快適なのだろう。ついこの間まで、寒々としていた木々が新緑に
覆われている。
 と、窓の外を見ると風が出て来た様で杉木立も、緑葉一色になった桜も、若葉に覆われた大イチョウもザワザワと揺れ
ている。
 昨晩夜具に入り、本を読んでいて、眠気がさしてきたころ、けたたましい消防車のサイレンの音が何台も続き静けさを破
り、親爺の眠気も吹っ飛んだ。火事だ。だがどこだ?夜具から出て窓に駆け寄りカーテンを開け外をうかがうが、どこかの
分団の消防車が、間欠的に立山に向かい上がって行くだけで、火の手は見えぬ。その内オカカも窓際に来てしばらく外を
うかがうが、村内ではない。で、夜具に戻りタブレットで情報収集、旧大山町本宮付近で火事と分かった。外へ出たら火の
手も見えようが、そんな元気もない。所謂対岸の火事だ。うろうろして邪魔になってもいけない。だから寝たが今朝になって
直ぐに鎮火したことを確認した。
 静かな山里、近隣でも火事などめったに起きない。
 新緑の山里、何時もならオカカと二人ヨモギ摘みにでも出かけるところだが、今年は止めておこう。
 杉木立の根元にも草花が萌出る。


 我が家の庭もすこしずつ緑が増え、季節の移ろいに遅れまいと、オカカが新しいプランターに唐辛子を植えてくれた。
 

 時間が有るから、又中華点心の胡麻団子を、タコ焼き器利用で作ってみた。冷めても美味しいし、手軽だ。
 

 不動の山も新緑に覆われて、山里の季節はいつも通りに移ろっている。いつも通り、何と有難い言葉だろう!!


5/9
 隣の桃の老木が、鮮やかな緑の若葉を茂らせ、親爺の座り込む居間の物干場との引き戸を開けると目の前に見える。
 花で楽しませてもらって今度は勢いよくの繁って来た若葉で季節を語りかけてくるのだ。
 もともと外へ出歩くのが好きではない親爺で、引きこもりの形質も幾分持ち合わせていると本人は思っているが、一端、
度に等で出すと、その旅が長くなったり、何度も旅が続いたりで、出っぱなしになることも無いではないので、引きこもりが
好きな訳でも無いような気もする。
 正直に言うと単なるズボラで、あちこちを訪ねうろつくことも嫌いではないが、家にいる時などは勝手知ったる我が生活
エリア内故、わざわざ出歩き見ることも無い。だから家でゴロゴロして本でも読んで過ごすのが一番好ましいだけだ。
 今朝の山里は、コロナ禍など本当に起きているのかと思わせる程長閑だ。
 

 独活のきんぴらを大量に作った。大きな中華鍋でしんなりするまで炒め味付けし、胡麻を振って出来上がりだ。薫り高く美味い。
 

 オカカが我が家の小さな竹林で筍を掘って来た。今日はこれの味噌煮が食えると思うと嬉しい。掘ってきてすぐ茹で、あく抜きをした。
 あくは殆どない位だが…。


5/8
 5月と云えば、一年の中でもとても良い気候で、様々な行楽が楽しめる季節のはずであった。が、今年は新コロナ感染症
なるものの蔓延で、国が非常事態宣言を発令し、国民生活に緩やかながら規制をかけた・・・いや、強く自粛要請をした。
 だから、日本の観光地、はどこもかしこも閑古鳥が鳴いている。GWで帰省したり上京したり、民族大移動とまで言われる
国民の移動は、殆どなく(自粛されて)新幹線も飛行機もガラガラ状態、高速道路も渋滞無し・・・・・。という事でGWは終わ
ったのだ。
 事が人命にかかわる、新コロナ感染症拡大の阻止であったから、クールな日本国民の大半はこれを理解し、行動の自粛
を粛々と行ったのだ。
 人事を尽くして天命を待つ・・・これでコロナ禍が幾何でも抑え込まれれば、治療薬やワクチン開発の時間も出来る。そして
いずれこの新型コロナウイルスを撲滅する事になるのだと信じている。
 もう、今は自粛要請に従いながらも、前向きに明るい未来が有ることを信じて進むしかない。
 ”新緑の里の木の間に雪の山”


 コロナ禍で、訪なう客人などあろうはずもない剱御前小舎だが、外壁の繕いをする予定だ。人がいないので雷鳥が近
くに寄って来る。 


 大きな雪庇を踏み抜く事故は今シーズンは無いだろう。人跡のない大日の稜線、


5/7
 GWが無事過ぎた。おかしな言い方だが、このコロナ禍の下、民族大移動などと言われる様な、人々の旅行や、帰省と云
った行為が、コロナ感染を急激に広める要因となる事が懸念されたからである。政府の緊急事態宣言の発令、再三に渡る
呼びかけに、クール(賢く冷静)と評価される日本人はそのクールぶりを発揮し、移動を伴う行為を最小限にとどめた。その
結果が出るのはまだまだ先の事ではあるが、いくらかの明かりも見えてきた気がする。
 前期高齢者である親爺は、自分が人に迷惑をかけぬよう、自分の体調管理を厳重に行う事が大切だ。で、日々今までに
ない程体調管理に気を配っている。少しでも喉がイガイガしたりすれば嗽薬で直ぐに嗽をし、肩こりや頭痛などあってもすぐ
に漢方薬を服用する。また、本の軽い恥ずかしい程の運動だが、それでもせぬよりはと心がけてもいる。そのせいか、直ぐ
に風邪を引く親爺が、3月以降かなり体調が良いようだ。
 それにつけてもこのコロナ禍で、医療の最先端で頑張っておられる方々には頭が下がる。有難うございます!!
 GWを過ぎたが、未だ人跡のないだろう剱岳。


 同い年のツネにもらった蕨のあく抜きをする。重曹を入れ、熱湯をかけひたひたにして7~8時間放置。その後水洗いし流水に一晩
漬けておいた。
 

 水気を切り、ワラビを食べやすい大きさに切りそろえ、薄いタッパーに昆布を敷き、醤油酒みりんなどを入れその上に蕨を広げる。
 好みで削り節と、唐辛子の輪切りなどをパラパラ。これで蓋をし、一晩も寝かせれば美味い蕨の醤油漬けとなる。
 


5/6
 昨日は子供の日。孫二人の成長を楽しみにしているジジババにとって、すくすく元気に育っている孫の姿は何よりの喜びだ。
 入山中のトモちゃんが昨日写真を送ってくれた。
 この時期しか見られない、夕景である。
 更新が遅れて夕刻になっているので、長くは書くまい。
 田植えを控え水張が終わった、富山平野の水田に、夕日が映える一枚。雲表2760mからしか望めに一枚だ。


 一昨日、村内に住む同い年の経(ツネ)が、大量の独活と、ワラビを差し入れしてくれた。玄関で「カズユキ〜おるかい?」
と呼ばわる奴と云えば、もう同い年の経くらいのものだ。「おお〜!ツネ入れよ〜。」と答えながら、玄関に出ると、前記の
有難い差し入れだ。「今から弟の処へも持ってゆくから又な。」と経は帰って行ったが、実に有難く心嬉しい差し入れだった。
 蕨は早速あく抜きし、一部を醤油漬けにし、後は冷凍保存。
 独活も明日辺り、穂先を天ぷらにして頂き、本体は全部きんぴらに仕上げ、冷凍保存。当分楽しめる・・・ツネ有難う!!
 


5/4
 今日は祖父宗作の祥月命日であり、高岡の義母、オカカの母の祥月命日でもある。
 祖父宗作の劇的な最期については多くを書かない。もうすでに85年前のことで、山岳文献でも書きつくされているし、親爺
も祖母ヒデから聞いた祖父の人となりについては、あちこちに書いた。
 高岡の義母が亡くなったのは、親爺が長年はいていた二足の草鞋を脱ぎ、山小屋親爺一本に専念するため30年務めた
建設会社を退社し、小屋に入った直後だった。朝5:00過ぎに、親爺に電話が入った。オカカからだった。体調を崩し入院し
ていた義母だったが、突然の訃報だった。「何の話だ・・・嘘だろう・・・。」と絶句した。
 皆に見送られ、下山し、警備隊の下山する車に便乗し我が家へ戻った。風呂へ入り、娘達を連れ高岡のオカカの実家に向
かった。もう静かに仏間に安置されている義母の顔を見たら、突然激しい感情がこみ上げ押さえきれなくなって慟哭した。
 実にやさしく、明るい義母であった。
 我が祖父と同じ月日に旅立ったとは、何と云う奇縁だろうか。
 祖父の命日には仏壇につたない経を読む親爺だが、勿論義母に向かっても同じ気持ちでお参りをしている親爺だ。
 桜の花が過ぎ若葉へと季節が移ろう。
 

 閻魔堂の上から立山をうかがうが、ガスで上部は隠れている。


 常願寺川もいつの間にやら新緑に彩られていた。


5/3
 昨日は富山の町場では真夏日だったそうな。(最近は変な市町村合併で、富山市と云っても我が川向かいの小見や、原
更には粟巣野と云ってへき地まで富山市なので、市内という言い方が殆ど死語で、意味をなさない。で、町場、平野部、山
間部等と言わないと意味が通じずちょっと困る。)
 我が山里でも24℃位は気温が上がっただろうが、ヘクサンボ(ヘコキムシ、クサギカメムシの事)が異常発生し、窓ガラス
等にぶつかって来る。本当にパツーン、コンと、音を立てぶつかって来るのだ。そのうちどこかに取り付いて、まるでマジシャ
ンの様に、僅かの隙間をすり抜け家に入りこむ・・・・・。下手に触ると臭いガスを放出するし、カーテン裏などに止って糞か体
液か知らぬが茶色い染みを残して行く。とにかくとても歓迎できる虫ではなく、害虫であろう・・・。
 最近我が家ではガムテープで駆除する。羽の部分を粘着面で押さえ、臭いガスを放出できぬようにした上でくるくると包み
ゴミ箱だ。でも下手をすると一発ひられてしまい、臭い目にも合うので大変だ。
 芦峅寺の山里ももう八重桜と山桜が咲いているだけ。他の桜は散り青葉が萌えだして来た。


 オカカが久々に揚げあられを作り、親爺も負けじとアサリの佃煮を煮上げた。ボチボチと家の中でも楽しんでいる。
 


5/2
 暖かいと云うより暑い日で、親爺もついにフリースを脱ぎ、普通のジャンパーを羽織りました。ズボンも薄手の軽いもの
にし、嫌随分身が軽くなりました。現役時代なら、そのまま山に入りましたので、7月の祭りにでも降りてくるまでは、フリー
ス処か、ダウンの生活でした。
 まあ、今は立山も仕舞った身の上で、これから気候が安定して来れば、作務衣の生活で、それが甚兵衛になり又作務衣
になりフリースに戻って行くわけで、兎に角楽なものしか着ない。
 昨日我が家の墓に行って、八重桜の咲き具合を見て来た。まだ五分咲きだった。


 明後日は祖父の祥月命日だ。その頃にはもっとたっぷり咲いているだろう・・・。


 隣の桃の老木の下にはデイジーやら水仙やらチューリップ迄咲いている。  近所の大イチョウの木に緑葉が芽吹いてきた。
  


5/1
 コロナ禍の中でも時の流れを早く感ずる。何ともう皐月朔日だ。ただ、本来ならGWで、日本民族大移動のある頃だが、
今年ばかりはそうも行かぬ。目に見えぬゆえに怖い疫病が蔓延し、感染を避けこれ以上増やさぬために、日本国政府
は緊急事態宣言を出し、国民の行動を自粛するよう訴え続けている。
 流石礼節の国、恥を知る国民である。粛々とその要請にこたえ、家で時を過ごしている。それが外国人には奇異に見
えるらしい。素直に政府の言うとおりにするなど、考えられぬ国々の民がらである。
 国の要請に従い、身を慎むのは、このウイルスの蔓延を止めるため。可愛い子孫に同じ脅威を二度と与えぬためと云
う明確な目標がある。そのために今の時を慎み無駄な行動を避けるだけのことだ。こんな明確な目的のために、こんな
簡単なことも出来ぬような日本人は居ないだろう。
 日銭が入らず、苦境に立たされている方々も多い。こんな時でも家賃や従業員の給与を工面せねばならぬ立場の方々
も居るだろう。心より同情申し上げるが、如何ともしがたい。やはりこのウイルス禍が過ぎ去るのを待つばかりだ。
 政府を信じろとは言えないし、思ってもおらぬ親爺だが、この緊急事態の下、指示に従い協力せぬ事には乗り越えられ
ぬウイルス禍の大障害である。
 決まり文句ではあるが、触れ合わず、群れず、家で過ごそう。
 花も大方散り、葉桜となった閻魔堂石段脇の桜。時は巡っているのだ。


 懐かしい剱御前小舎の写真が送られてきた。
 トモちゃんありがとう。被害はほとんどなさそうだが、雪は例年通り結構ある。


4/30
 久々の立山の写真を掲載できる。昨日トモちゃんが剱御前小舎に入ったからだ。
 立山アルペンルートは未だ営業再開していない。5月の11日再開との事だが、これとて今後のコロナ禍の状況次第だ
ろう。
 山小屋関係者は昨日から、登録してある山小屋業務専用車の通行が出来るようになり、トモちゃんも入山できたのだ。
 剱御前小舎は7月に入っての営業再開だが、小屋の外壁の痛みの激しいところを補修することになっていて、それに伴
い色々な作業が必要になって来る。現オーナーのマー君以下、2〜3人入山してこれに当たるのだろう。
 で、親爺はトモちゃんからまた写真を送ってもらえるので、ボチボチこのページにも掲載できるようになった次第。
 今日はその第一弾である。先ずは雄山主稜線。全く人跡がなくバージンスノーの世界だ。今から40年以上前の小屋開
けの時の様だ。あの頃は未だ美女からの道路除雪が、美松位までしか届いておらず、GW中に天狗平まで届くくらいでは
なかったろうか?親爺たちは当時、立山開発や、関電にお願いし、小屋開けには大町経由で入山したものだ。
 美女からの道路除雪が室堂まで開通するのは、GW明けだったと記憶している。


 雷鳥荘前から雷鳥沢へスキー滑走。昔はここに山荘組合で、Tバーリフトを掛けスキーゲレンデにしていた。雷鳥沢の登り、
ここもきれいなバージンスノーだ。
 


4/29
 このコロナウイルス禍緊急事態宣言の下、とても静かなGWを迎えている山里だ。
 立山を目指す観光バスやマイカーのうるさい程の自動車音は途絶え、ない。立博や曼荼羅遊園を訪れる観光客のざわ
めきも皆無だ。如何にも立山の山懐の限界集落の日常だ。
 富山の山間地など、とうに行政当局から切り捨てられているのだが、コロナウイルスもこんな僻地は見捨てて欲しいもの
だ。そのためには、ウイルスキャリアーの可能性のある観光客が来ないという現状は、実に歓迎すべきだ。
 が、やはりこのままではどうにもならぬ。立山で生計を立てる多くの友人、仲間たちもたまったものではない。
 そもそもこの山里は、外部からの人々を受け入れる事で生計を立てて来た。人が来てくれなければ直ぐに、更に衰退に
加速が進むだろう。
 早くこのウイルス禍が過ぎ去り、生活が常に戻ることを願ってやまない。
 今、親爺とオカカに出来る事。三密を避け、無駄な外出をせず家で過ごせという、政府の要請を受け入れ、家でだれにも
迷惑をかけぬよう、ささやかな楽しみを見つけ過ごしている。
 胡麻団子が出来上がった。美味しい。


 ネットで流れている、「お家遊び」の情報から見つけたタコ焼き器で作る胡麻断固。


 今朝の大日岳。誰も入山していないはずだ。


4/28
 今朝は暖かい陽射しが心地よい、青ぞれの広がる良い天気だったのに、昼近くの今は、鉛色の雲に覆われてしまって
気温も上がらない。一度消した居間のストーブをまた点けた。
 朝は、庭に出て気持ちの良い日だまりの腰を下ろし、ドローンを飛ばした。眩しくて、FPVパネルの画像が見えぬほどの
陽射しだった。
 オカカがSNSで近くの友達に連絡を取って、又葉ワサビを採りに行って来た。「何時でも採っていってよ。」と言われては
いるが、一言断りを入れるのが礼儀。で、その葉ワサビで今日も葉ワサビの醤油漬けを作ってみよう。なかなか辛くできな
いが、それがまた面白い。昼食後に親爺はこれに挑戦する予定。さて、今オカカはテレビで見た天心の胡麻団子を、タコ焼
き機で作っている。二人して、家の中でなんやらかやらと楽しんでおればよい。
 今朝は良い天気で青空が広がっていた。常願寺川上空から芦峅寺の集落を望む。


 立山も逆光ながら光り輝いて見えていた。


4/27
 日が出ていると暖かいのだが、日が陰ると肌寒い。考えて見るとこの4月は比較的寒かった様だ。それが証拠に若葉が
まだ圧倒的に少ないような気はする。去年おととしの写真を見比べても木々の緑が少ない様だ。
 天気予報を見るとこれから本格的に暖かくなるようだが、雪が無く温かい冬のせいで、春が温かく感じられないのかなと
も思ったが、この緑の少なさで、そうばかりも云えぬと思った。
 それにつけても去年の写真を見ても、ああ、このころはコロナウイルスなんていやらしいものは無かったなと思うと、何や
ら今が余計恨めしく思える。しかし昨日の東京の感染者数は二週間ぶりに100を切り72とかになった。これで安心は出来
はせぬが、いくらかでも効果が出ているなら幸いだ。闇夜に一点の光明であるが・・・。
 昨日顔を見せに来てくれた二歳七か月の孫が、「バイキンサンいるねぇ」と云う事を、意味は分かってかどうかは分からぬ
がたまに云う。保育園ででも聞くのだろうか、いやジジにとっては何とも胸に突き刺さる言葉だ。幼く無垢な小さなものたちに
こんなことを言わせるとは・・・。
 静かな明け暮れ、今日は丸五日ぶりに食料品の買い出しに出る。午前中は混むから、比較的すいている13時〜14時に
出かけようと思っている。ついでにタイヤも普通タイヤに履き替えて来よう。
 楽しんだ桜も散り始めれば早い。もう葉桜だ。


 オカカの友達に葉わさびと蕨を頂いた。両方を親爺が醤油漬けに作った。ワサビはあまり辛くならなかったが、美味い。
 勿論、蕨の醤油漬けは昆布と鰹節で味を調え、唐辛子は好みで。親爺の大好物だ。
 

 今日は11:00現在になって青空が広がり始めたが、朝はこんな空だった。鍬崎もぼんやりしか見えなかった。
             


4/26
 芦峅寺集落の中央には、雄山神社祈願殿があり、その上手に立山博物館がある。
 その特徴的な三角屋根は立山を現していると聞いたことがあるが、ドローンを飛ばして撮った映像にも周囲の高い杉木
立の中からニョキッと三角屋根が出ていた。
 立山博物館は県立博物館であったが、現在は独立行政法人らしい。芦峅寺にはこの博物館の映像資料館である、遥望
館も別館のように離れて在り、更にまんだら遊園地もある。後者二つは立山よりの村はずれにある。
 もちろんこの緊急事態宣言により、全て休館で、カモシカ園もエサ係の人以外は入れず休館である。
 又、立山アルペンルートの起点、立山駅(芦峅寺地内千寿ケ原)に近い、立山砂防博物館は、立山博物館が歴史文化
的な展示を主とするのに対し、立山の科学的な分野の展示が主である。もちろんこれも残念ながら休館である。
 まあ、アルペンルートも休止中で、立山全域が完全閉鎖されているのだ。このウイルス禍の中、致し方ない事態である。
 立山博物館の屋根がお分かりいただけるだろうか。


 陽が射し山も明るんできた。これから晴れる様だ。
                                                                                              


4/25
 今日は春の日差しが強く、気温がぐんぐん上がっている。山里でも20℃位にはなるだろう。
 物干場が温室のようになって、居間との境の引き戸を開けておくと暖気が入って来て、暖房が要らない。しかも散り始め
た桜も、居間に座りながら良く見える。一つだけ困るのは、どんな隙間からも入り込む、ヘコキムシ(クサギカメムシ)が居
間に侵入、潜伏することだ。これとてまあ姿が見えるし、せいぜい臭いにおいをまき散らすだけなので、コロナから見れば
何のことも無い。
 政府は外出自粛、他との接触の減少などを盛んに国民に向け要請している。仕事柄これが非常に困難な方々も多いと
は思うが、不要な外出や他との接触や人の集まるところへの出入りなど、厳に慎むべきだ。
 山里のこの穏やかな日々は、親爺がまだ幼かったころの山里の雰囲気だ。アルペンルートも弥陀ヶ原までの高原バス
だけで、車社会でも無かった頃だ。立山が混むのは、7月から8月の旧盆迄だった。
 この静けさが当時を思わせるのか、妙に落ち着いている親爺だ。
 我が家の温室暖房システム?散り始めた桜が見える。


 山里ならではの山の雪と桜の取り合わせと云う風景。           大日も今朝はすっきり見えている。
 

 親爺は久しぶりのパスタを打ってみた。製麺器でのパスタだが生パスタはやはり美味しい。


4/24
 久々の陽光射す朝に、嬉しくてドローンを上げている処に、トモちゃんから「今日ヘリです。剱御前小舎への一便が飛ぶ
ので、東邦のヘリが松本を出ました。」と連絡があった。じゃあ、30分くらいで来るな、と立山を見るときわどいガスのかか
り方で、飛べるかなと心配になった。
 で、ドローンを下ろし撮影した画像をチェックしていると、芦峅寺不動ヘリポートに、保冷車らしき姿があるし、既に荷造り
されたモッコが一つ確認できた。と、バタバタバタと音がして東邦のヘリが不動HPに入って来た。
 ドローンの画像で見える不動HP。ここ数年は片付けも出来ぬ業者に立山町が旧スキー場用地を貸し付け、スノボーか
スキーのジャンプ台の様なものが作られおかしなことになっている。立山町当局はどう考えているのだろう・・・。


 ヘリがおり立ち・・・


 既に荷造りの終わっているモッコを下げ飛び立った。不動の山の頭を越え、剱御前小舎に向かう。
 

 往復約30分余、無事におろしを終え、ヘリが戻って来た。
 コロナ禍により、剱御前小舎も7月まで閉鎖らしいが、その前に小屋の痛んだ外壁などを修理する予定だ。


4/23
 寒い朝だった。居間でストーブと床暖を入れ、18℃だ。親爺などひざ掛けをかけぬとスースーして寒い気がする。身体
がスッカリ暖かさに慣れてしまったのだろう。
 最近は寒いと思っていると、直ぐに風邪を引いてしまう。のどがイガイガしたり、背中がぞくぞくしてくるのだ。
 普段なら、ああ一寸風邪薬でもという事で、凡そは治ってしまうのだが、今のこの時期は、コロナウイルスではなかろう
かと一つ余計な心配をしてしまう。
 だから、そうなる前に、親爺は手洗いうがい、風邪薬の服用、休養?と、実に気を配っている。自分もまだ死にたくはな
いが、家族に迷惑をかけたくないし、一番の心懸かりはジジが大好きな孫を抱いてもやれぬ事になったり、万一にも爺か
ら感染などさせたら・・・・・と思うと目の前が真っ暗になる思いになる。
 だから臆病なまでに、自分の体に気を付けているのだ。
 決して人混みに近寄るまい。密閉された場所に滞在すまい。他との距離を近付けまい。
 どんよりした寒い朝、立山は雪だろうな。

 


4/22
 肌寒く雨のどんよりした朝。ニュースもコロナコロナ。
 今日はオカカと二人で、食料の買い出しだ。昨日はオカカが一人で、日用雑貨の買い出しを済ませてあるから、今日は
二人で出かけ、出来るだけスピーディーに買い物をし帰って来る予定。なにもあわてる事は無いのだが感染が怖いから、
人との接触を協力短くするために慌てるわけだ。
 まあ、行き帰りは車だから、車ではさほど気を遣わぬ。狭い空間ながら一種の隔離状態なのだから。で、少しドライブを
して気晴らしも出来る。
 ということで、今から出かけて来ます・・・・・。
 雨の朝だ。


 久々に座敷の掛け軸を代えてみた。


4/21
 晴れてさえいれば見える大日だが、ガスっていて山すそが僅かに見えているだけだ。
 平日でもアルペンルートが営業していれば多くの車が、山を目指し上っていくが、閉鎖中のアルペンルートなので、上へ
向かう車は95%少ない。(今風な言い方で)
 確かに、立山の山小屋にとっては大変な痛手だろう。GWの売り上げはゼロだし、アルペンルート自体も大きな会社だと
は言え、その分莫大な維持費も発生する事だし、大きな痛手には違いない。
 今の日本の縮図を見る思いの、立山の状況だ。
 しかしこれは如何ともしがたい。耐えるのみだ。
 アルペンルートが閉鎖のせいで、心平も、緑も今は失業状態で、一人息子のヨータローも学校は閉鎖中だ。
 一家そろって失業とは考えず、一家そろって自由時間がプレゼントされたと考え、ゆっくりと木を過ごせと言っておいた。
 モノは考えようだ、今を楽しく過ごすに限る。普段の多忙な時には考えもつかぬ程朝寝をしたり、好きな本でも読み漁っ
たり、晴天ならば息子を連れて、釣りにでも行ったり・・・。
 なあに、遠からず世の中はまた元に戻る。おかしな神経衰弱学者や、評論家の悲観論など蹴飛ばして置け場良い。
 庶民はそんなにひ弱ではないぞ。
 今はとにかくこのウイルス禍を、息をひそめてやり過ごすことに専念すればよい。


 ”敷石に はなびら散らす 春のかぜ”                   焔魔様 だとて止ませぬ ウイルス禍 堂の戸をたて 只時を待つ
 


4/20
 生憎の雨風で、折角満開の桜が花を散らし始めた。
 村はずれ、旧立山道沿いには、昔この村出身の代議士、佐伯宗義氏の植えた桜が残っている。半分ほどは雪でやら
れてしまったが、生き残って元気に今も花をつけているものもある。
 我が祖父宗作の石碑の脇にも桜の木があるが、八重桜である。親爺が我が家の墓を石碑の隣に移したので、今は
石碑と八重桜の間に我が家の墓が在る。
 その八重桜は、開花が遅く、今他の桜が花を散らし始めている時に、花芽を赤く染めている。でもやがて咲く花は八重
だからより華やかで重厚だ。ただし木は小さく、雪に抑えられボロボロである。でも下手に手を加えて、木が大きくなりす
ぎると倒れてしまうだろうから、このまま自然に任せておけばいい。それでも、親爺がやがてこの墓に入った後も花を咲
かせ続けてくれるだろうと思っている。
 ”桜散り 大日霞む 古き道”


 大門と云う地名が残る布橋詰めの地も、昔の栄華は全く見えず、今は唯桜が舞い散る。

 


4/19
 最近親爺は桜ばかり撮っている。別に何ということも無いのだが、閻魔堂石段脇の桜が、雪のない冬と、小鳥の花芽
のついばみが少なかった(雪が無かったから他についばむエサがあったのだろう)為に、例年より見事な花を咲かせて
いるからだ。ただしこれは親爺の私見である。
 実は性能の良い小型ドローンを購入したお陰で、かなり被写体に接近して、そこそこ思い通りの写真が取れる事に気
づいたからで、それが桜でも、桃でも良かったのだ。玄関先の石段に腰かけて、果ては縁側から、ドローンを操り、写真
を撮るのが面白く、親爺のずぼらにピッタリ来るわけだ。
 さてという訳で、今日も桜を一枚、二枚・・・・・。


 桜の側から見ると親爺宅はこの角度だ。


4/18
 ウイルス禍の下、日本全国に渡り出された緊急事態宣言だが、立山アルペンルートも営業を来月10日まで中止する
事になったそうだ。営業を続けていても採算の取れるほど客は来ない。やはりここは営業を中止するしかなかったのだ
ろう。しかし、大きな組織である。このトップの英断は苦渋の決断だったはずだ。潔さに敬意を表す。
 さて、そうなると今度は、室堂周辺の山荘の連中はどうするのだろう。毎年早まるアルペンルートの開通に合わせ、少
しずつ小屋開けも早くしてきた連中だ。折角水も引き、電気も引いて館内を片付け、準備が整った処だろう。スタッフも
このままこのまま遊ばせておくわけにもゆくまい・・・。まあ、アルペンルートなどと比べれば小さな組織だから、決断も早
いだろうが・・・。大きなお世話ながら心配になる。
 暖かい雨の土曜日、上に向かう車も全くいない。静かな山里だ。不気味なほど静かである。テレビが古い番組を流し、
たまに親爺とオカカが話す、それらが音の全てだ。ああ今、雨音が強くなって来た。
 もう限界集落で、若い人はほとんどいない山の集落だ。静かに静かに時が流れている。
 不動の山がガスにまかれている。


 剱御前小舎時代のバンダナが100枚ほども残っていて、オカカはそれを使ってマスク作りだ。


 親爺もエリンギの佃煮を作ってみた。最近親爺は佃煮づくりが上手くなって、結構それなりのものが出来る。
 

 雨の降る日は庭にも出られぬ。まあ家でゆっくり過ごすべき時だけに、ジジババにはこれも又良いだろう。
 


4/17
 全国一律に緊急事態宣言が発令された。
 地震等の天変地異による自然災害がその事態の原因ではない。コロナウイルスと云う実に厄介な目に見えぬものが
その原因である。
 戦後に生まれた親爺は、戦時中の想像を絶するような酷い体験はない。戦後の平和な時期を67年間生きて来ただ
けだ。だから昨日発令された緊急事態宣言にも、ピンとくるものがない。ないが、今が極めて危険な疫病蔓延を阻止す
るための最後のチャンスであるという事が、良く分かる。
 民主国家日本は、例え政府と云えども国民の人権を侵害するが如き強制はできない。この緊急事態宣言も、普段の
生活に出来る限りの配慮をし、人混みを避け、無駄な外出を避け、密閉空間に群れる事を避ける様にせよと云う、実に
簡単な事ではないか。もっとわかりやすく親爺流にいえば、用もないのにうろうろ出歩くな、風俗、パチンコ、飲み会等と
云う閉鎖された空間に群れる事は言語道断、やむを得ぬ食料の買い出しなどでも、マスクをし他との距離を保ちながら
速やかに行い、住家へ戻る際には手洗い、うがいも励行しろ・・・とまあこの程度のものだ・・・・・。
 しかし、通勤や、社会のために働かざるを得ない皆さんには、親爺のたわごとなどへのツッパリにもならぬだろう。こん
な皆さんには感謝しつつ、政府からの厚い支援を願わねばならぬ。
 「ああ、嫌な世の中だなぁ・・・」勝新太郎演ずるところの座頭市の名台詞が、重く心にのしかかる。
 知恵を絞って、日を一日ずつ、出来るだけ幸せに送って行こう。今のところ不自由など全く無い。
 そのうちにコロナ禍も過ぎ去るはずだ。
 今朝の山里。昔使っていたコニカKD-500Zで撮った。
 デジタルカメラ初期のコンパクトカメラながら親爺好みの絵が撮れる。


 満開の閻魔堂石段脇の桜。これはパナソニックで。       もうほとんど飛ばさないHubsanH501は宗谷の上で一休み。コニカで。
 

 今朝の大日岳。パナソニックで。


4/16
 毎日毎日コロナの話題ばかり。明るい話題なら良いがウイルス感染症の話で一寸めげている。が、慣れても来た・・・。
 昨日は立山アルペンルートが全線開通した。まあ例年通りの話だが、このコロナウイルス禍の中で、生活には関係ない
観光ルートが、堂々と開通し、お客を呼び込むとは恐れ入った。
 多くの遊園地や観光地でも自粛していると云うのに、年間100万人規模の客を呼ぶこの観光ルートが何故、自粛もせず
オープンできたのだろうか?富山県はこの会社に自粛要請をしなかったのだろうか?
 毎年、雪の大谷と云う半ば人工的な雪の廊下を作り、そこを観光客に開放して、雪の大谷ウオークなるイベントで、外国
人を中心に多くの集客をしているのだが、今年はそれを中止したし、混むのが分かっている場所に、誰が好んで来るもの
かと思っていたら、やはり常識を逸脱した愚か者の、身勝手な客は僅かだった様だ。
 富山でも66人の感染者が出ている。中核病院では集団感染が発生している。これを何とか食い止めようと、県は県民に
外出の自粛を要請している。人が多く集まる場所に近づくなと云っている。多くの人が集まりそうなイベントは皆中止になって
いる。では人を多く集め得る観光ルートのオープンはどうして認められたのだろうか?
 富山県も、環境省も、営林署も、これを黙って認めているのは合点がゆかぬ。
 親爺の頭が惚けて来たのかも知れないが、どうにも納得のゆかぬウイルス禍の中の立山アルペンルート開通である。
 立山の峰々は太古の姿のまま山里を見下ろしている。


 自粛で飲食店を閉め、売上無しでは過ごせぬのでデリバリーを始めた。健気な人たちに細やかながら売上協力。タコライス美味しかった。
 広い駐車場で、車から降りず、スタッフが注文を取りに来て、商品も運んでくれる。ご苦労様。
 

 閻魔堂石段脇の桜が、ほぼ満開になった。川向かいのスキー場の雪と、この桜のコントラストが山里の春。


4/15
 朝から暖かいを通り越して、少し汗ばみそうな天気だ。立山がくっきりと雄姿を見せている。
 山小屋も、室堂周辺を除いて、奥地は7月まで営業再開を延期したらしいが、今や隠居である身には詳細は分からぬ。
 どこもここも大変な、このコロナウイルス禍である。
 こんな事態をだれが想像しただろうか?WHOなど全く無力で、己が組織に金を出してくれる国に対する忖度に事務局長
なる重責にある者が率先し詭弁を弄した結果が、初期の警告を弱いものにし、現在の危機的状況に繋がった気がする。
 トランプの大親分が怒るのも、これは納得がいく。
 今さっき親爺はオカカと4日ぶりに食料の買い出しに出かけた。その帰路、一寸回り道をして、この状況下困窮する飲食
店の人たちが、窮余の一策として富山市郊外の大きな駐車場を持つ店でテント張りで、ドライブスルーのデリバリーを始め
たというニュースを見たので、そこへ出かけた。混んでいればすぐに立ち去るつもりだったが、係の人の誘導で、スムース
にパーキングに入り、外へ出ないでください、ご注文の品をお持ちしますという対応を受け、メニューを見、注文し、商品を
受け取り、支払いをし、さて駐車場から外へ出ようとする頃には、駐車場へ入って来る長い車の列ができていた。
 恐らく、いくらかでもこのけなげな飲食店の人たちの売り上げに貢献したい、という善意の人たちの列だったのだろう。
 皆で工夫し、何とか乗り切らねば・・・・・。
 今朝は朝日を受けた、青空の下の桜が奇麗だった。


 未だ随分まばらで、五分咲きにも満たぬ様だが、小鳥に花芽をついばまれるので、こんな風なのかも知れぬ。閻魔堂石段脇の桜だ。
 

 鍬崎山が節煙を上げている。


4/14
 今日は東京の孫が満11ヶ月になった。5月の生まれなので、来月、初節句と誕生の祝いもかねてジジババも上京し祝う
つもりだったが、こんな情勢ではそれもままならぬ。次女も居住している区の保育園が、入園をさらに一ヵ月延期する事に
なり、自分の復職も遅れる事になりそうだと連絡して来た。
 致し方ない状況である。じっとこのウイルス禍が収束するのを待つしかあるまい。
 親爺もオカカも何所へもうろつかない。必要最小限の買い物程度で過ごしている。普段から隠居生活なのでそれは余り
苦にはならないが、気ままな旅に出られぬのが、少々辛い程度。
 今日は山も霞み見えない。


 ドウゾこの雄姿を御覧じろ。11カ月の若武者ぶり。千葉の御祖父母様に頂いた、兜には、この陣羽織とハチマキ迄
添えられていた。あんよが出来る様になったら立ち姿をまた披露するよ。
        

 オカカはすっかり山家のオカカで、ジャガイモを沢山ストーブで煮る。 大日の遠望も山すそ迄が目いっぱい。今日は肌寒い。
 


4/13
 もう4月も13日になっていて、少し驚いた。最近はコロナコロナで、花の話題も雪解けの話題も普段話題にして心和ま
せる様なものが殆どなくて、コロナコロナで心に王冠のとんがり部分が突き刺さる。
 かなり図太いはずの親爺さえコロナ感染症そのものよりも、それに関連する周囲の大騒ぎ、学者や知識人、果ては芸
人迄がしたり顔で喧々諤々の小田原談義に辟易してしまっている。
 そこへもってきて政府が緊急事態まで出しているなか、夜遊びにウロツクバカ者どもが絶えないにも腹が立ち、ここ二
日ほどおかしな夢(内容は記憶にないが)ばかり見ている。
 親爺オカカは今日も家で過ごす。どこにも出ない。親爺のドローン飛ばしさえ縁側から出ずにやっている。
 冷蔵庫には今日の食料が入っているので、午後はゆっくりと北インド風のチキンマッサラでも作ろう。オカカは去年叔母
に貰ったジャガイモの芽が出だしたので、芽を取り奇麗にして、山里の伝統料理「カッツル」を作ると云っている。
 こんな風に時を過ごして、日々を送っている親爺とオカカ、もう余の役には立たずも、迷惑はかけたくない。
 今朝の大日は僅かに見えているだけ。


 可愛い孫が昨日遊びに来て、半日ほど遊んでいった。遊び疲れてお昼寝2時間。おめざは大好きな果物。まだちょっと眠い・・・。
 

 件の桜はまだ6分咲き。


4/12
 昨日に引き続きいい天気で、しかも温かい。眠たくなるような穏やかな日だが、居間から黒部の孫が遊びに来る。
 正式な入園式を終え、未満児組に入った孫だ。良い天気なので、立山運動公園で遊んでくるから、到着は昼ころ、
一緒に昼食を食べ、お昼寝すればもう帰ってしまうが、親爺は顔が見たいので大喜びしている。
 緊急事態宣言下の日本だが、この程度の家族の往き来は許されるだろう。それでも少し後ろめたいような気もし
ないでもない・・・。
 大日が光り、眩しい。穏やかな日曜日だ。


 我が家から見える唯一の桜も五分咲き程だろうか。


4/11
 週明けより土曜日の今日が空いているだろうと、予定を前倒しして富山市内の医院に薬もらいに出かけた。予想
よりも少し混んでいたが、事前に電話で薬を貰いに行くからと連絡しておいたので、到着するや血圧と、血中酸素濃
度等の計測、問診を受け、異常のないことを確認され、待つこと5分で薬を貰い外へ出た。待合室に入ってから外へ
出るまで約15分、この間勿論厳重にマスクをつけ、看護婦さん以外には約2mの距離をキープしていた。
 薬を貰い外へ出、車に乗り込む家ポケットから予て用意のアルコール消毒剤を取り出し、手、薬袋、外したマスク
車のハンドル、ドアノブなど等を消毒、ウインドウを10cm開け出発、何所へもよらず山里の我が家へ帰着した。帰着
後は石鹸での手洗い、うがいもしっかり行い落ち着いた。
 このずぼら親爺が大したもんだ・・・自画自賛。
 我家から見える唯一の桜が、閻魔堂石段わきの桜で、いつもこの桜を見ている。開花時期はその年により違うが
富山市内より1週間から10日程遅く、現役時代の親爺が小屋開けに立山へ入る頃と重なっていたと思う。
 が、山小屋商売から引退し足掛け4年、隠居暮らしの中でのほうがこの桜を気にするようになった。もちろん平野部
の桜や、色々な場所の桜も見に行くこともあるが、居間にいて、或いは玄関先で見るさくらはこれだけだ。
 今は約3〜5分咲き、今年は雪にも責められず、小鳥に芽をつつかれることも少なかったからか、良く咲いている。


 暖かい陽射しが庭の隅まで届き細やかな水仙や、ツルムラサキを喜ばせている。


 気温が上がるにつれ、朝ははっきり見えていた立山が霞む。


4/10
 今日は食糧などの買い出し日。親爺も運転手でオカカに同行し、立山町の平野部にあるスーパーまで行って来た。
車で片道20分、3,4日分を買い込んで何所へも立ち寄らず帰宅。必要最小限の外出だ。
 とにかく無駄な外出、人との接触は極力避けている。週明けの月曜は、薬もらいに富山市内の医院まで出かける
が、もちろん自家用車で出かけ、院内ではマスクを厳重に着用、帰宅後は手洗いうがいを欠かさない。
 全くズボラで、手洗いなど考えて事も無い親爺だったが、今はオカカに叱られる前に手洗い励行である・・・。
 まあ、嫌な世の中だが、まだまだじっと我慢せねばなるまい。
 閻魔堂石段わきの桜が咲けば、小屋開け準備に取りかかったものだが・・・・・。
 

 昔、大きな大川寺遊園地があった跡地には桜が多かった。今は曹洞宗のお寺大川禅寺の駐車場になっている。
 今も見事な桜が咲いている。


4/9
 釈尊の誕生日の翌日が、我が爺様(父)宗弘の祥月命日である。
 で、今朝はまず仏壇に灯明をあげ、親爺のつたないお経も捧げ、その後オカカと二人で村はずれの墓をお参りした。
 我が家の墓は、祖父宗作の石碑の傍らにあるので、石碑にも線香を捧げて来たが、石碑前の木が一本ぼさぼさに
なっていたのを、オカカが気にするので、家に帰り剪定鋏と鋸を取って来て奇麗に木を片付けて来た。で、慣れぬ作業
で手に負傷(かすり傷)2カ所、筋肉痛少々である。
 今や親爺などより、オカカが強いのだが、流石に鋸使いなどは親爺の方がいくらかましなようだ。
 という事で、墓参も終わり家へ帰って来たが、もちろん今日の外出はこれで終わり、後は終日家で過ごす予定だ。
 芽吹いて花も一つ二つ咲かせ始めたさくらの向こうに、大日が白く輝き聳えていて、暖かい。
 そうだ、4年前の今日の未明、我が爺様は静かに飄々と旅立ったのだ。
 「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃」とは西行法師の歌だが、旧暦如月望月の頃とは今でいう4月8日
のことで、我が父の事ながら、その通りに90歳の大往生を遂げた我が爺様の凄さをかみしめる。戒名にも春風院を頂き
今はあちらで、賑やかに穏やかに我が一族に連なるものたちを、見守ってくれている事だろう。
 ”桜咲くかなたの山に父おわす”


 我が爺様が東京五輪の年1964年のオリンピック競技終了後に、当時の剱御前小舎のお客様だった福岡の某デパート
から数十枚買った毛布がまだ我家に残っている。半数は親戚に配ったりしたが、親爺も30代までは使っていた。品物が
良く、大きく温かい毛布である。我が家にはもう2,3枚しかないかな・・・。 ドローンで撮った布橋とオンバダン。
 


4/8
 今日は釈尊の生誕日である。今から2千数百年前のお生まれだそうだが、諸説あって詳細は分からぬ。分からぬが日
は今日4月8日で、今はネパールにあるルンビニーでお生まれになったそうだ。
 親爺もネパールで仕事をしていた頃は、ルンビニーには数度足を運び、アショカ王の建てたと云う碑文が刻まれた石柱
や釈尊の聖母マヤが沐浴されたと云われる池(プール)なども見て来た。二千数百年の時を超えて、奇麗に保存されてい
てこれはきれいすぎて・・・と疑ってはならぬ。宗教伝説の聖地は、疑問を捨てただ見ればよいのだ。そこに信仰が生まれ
る。と、云う事だ。
 我が山里でも昔から、閻魔堂で仏事を行い、釈尊の金色の聖像に甘茶をかけお祝いしたものだが、その伝統は今に続
いていて、今年も規模を縮小しながらも行われたらしい。
 7都府県に緊急事態宣言が出て、親爺も東京の孫と娘夫婦を心配しているが、娘からは子育てに専念する日々は余り
変わらず、今のところ落ち着いた日常だと云ってきている。
 ちょうど5月半ばの生まれで、初節句や誕生日の祝いを計画していたが、これはどうにも時期が悪い。昨日延期した方
が良いのではないかと言っておいた。
 日本国民は、今こそ礼節の国の真価を見せるべきだ。三密を避け、粛々と冷静に静かな日々を送ればよい。
一ヵ月である。僅か一か月を耐えることぐらい、出来るはずだ空襲が有る訳でも無く、食糧難が来るわけでもなく、
ただ、三密を避け外出を謹んで欲しいという、命にかかわる問題に起因する政府の要請にも従えぬなら、それこそ
「非国民」である。
 海外も注視し上から目線で物言うばかりの欧米の連中に、わが日本国民の如何にクールであるかを見せてやら
ねばならない。今こそその時なのだと親爺は思っている。
 庶民の中の庶民の親爺でさえがそう思うのだ。

 釈尊の誕生日だからか、何時も訳の分からなくなる親爺も、何とか言いたいことが癒えた様だ・・・・・。
 今朝の大日はすっきり見えた。


 昨日は車から降りないことを約束して、オカカと二人、近間の桜の花を見に行って来た。横江集落の花が一番きれいだった
 

 帰路、吉峰を回ったが、カモシカが呑気にえさを食んでいた。
 逃げる気配もない。元猟師の親爺からも殺気が消えたのだろうか・・・・・。


4/7
 今朝は朝から日が射して、寝起きは肌寒かったがその後気温はぐんぐん上がっている様だ。立山もすっきり見えている。
 昨日は、黒部の孫の入園式だったそうで、この春から正式な未満児として入園したのだ。夕方になって写真が送られて
きて、父兄と未満児クラス新入生(うさぎ組)の8名ほどだけの、細やかな、簡素な式だった様だったが、何となく華やいだ
光景が親爺の脳裏に広がり、涙腺を緩ませた。
 会場のホールは窓を開け、父兄職員は全員マスク着用。当然と云えば当然だが厳重な防疫体制下での式だったそうだ。
 でも幼い主役らにはそんなことは関係なく、名前を呼ばれ、皆元気にお返事ができたそうだ。
 元気ですくすく育ってほしいと祈るジジババだった。
 今朝は立山も姿を見せている。


 パパママと一緒で保育園へ。今日はそれだけで嬉しい。 だから元気にご返事も出来たよ。ママの方を向いてるけど。
 ずいぶん簡素な入園式だったそうだが、写真を見ると華やいだ雰囲気が伝わる。心からおめでとう!
 

 ババは一生懸命マスクを作ってる。ニッサン1枚か2枚になったけど・・・。


 


4/6
 昨夜来の雨は未明に上がった様だ。肌寒い朝だ。
 村はずれを車で一回りしたが、布橋の雪覆いが外されておりオンバダンに架かる赤い手すりが冬枯れからまだ春の色
に戻る前の周囲の中で、妙に目立っている。
 墓地を過ぎ、遥望館の広場はずれにある桜の木が、赤く芽を吹いているのを見て、思わずシャッターを切った。富山市
の平野部ではもう満開だという桜だが、我が山里では赤く芽吹いているのを見つけて喜んでいる。
 今日もまたテレビではコロナコロナだ。ウイルスの感染と云うのは何とも素早く、広がりやすいものだと感心?するばかり。
 やはり人口密集地では感染率がバカ高くなるのはやむを得ない。
 こうなると爺は、東京の孫が心配でならぬ。我が家へ疎開させたいのだが・・・。
 山里も少しずつ春が見えてくる。


 昨日は日曜日で、可愛い孫が日帰りで遊びに来た。ノンタンの本がお気に入り。 隣の桃の老木は花を散らし始めた。
 


4/5
 寒い朝で、鼻水は出る程寒いと外を見ると、雪が降り始めた。
 昨日は20℃まで気温が上がり、ストーブも床暖も、日中は使わなかったが、今日は両方使って、暖かい冬の朝と云った
処である。
 こんなに気温がくるくる変わるし、一見暖かい春のように思われるが、週間予報を見ると最高気温と最低気温の差が大
きくあって、最高最低気温共、暖かい春とは言えぬ様だ。
 気温と湿度がぐっと上がれば、このコロナウイルス禍は治まるのでは、と言う学者先生も多いし、是非そうなってほしいが
どうもまだまだ、気温までがウイルスの見方をしている様で、これが治まる気配はまだ見えない。
 日曜日だから、朝からテレビ討論の様なトークショーが多いが、喧々諤々と、如何にも自分が解決策を持っているように
他を批判するばかりだが、誰一人と解決策など持たぬ。
 いわゆる専門家、文化人などを集めて勝手にしゃべらせることを、各局は先ず自粛したらいかがだろうか?テレビでトイ
レットペーパーが大量買いされているといったニュースが出た翌朝には、スーパーの前に列ができる。マスクの話もこの伝
ではないか。必要な情報として提供される情報は稀で、不必要な情報が多すぎる。
 親爺とオカカはこの土日はどこにも出ていない。まあ隠居生活だからできる事なのだが、明日は三日ぶりに食料、日用品
の買出しに出るが、その後はまた3日ほど出歩かない予定。
 働き盛りの皆さんには、とてもこんなことはできないが、親爺たちはせめて社会の足を引っ張りたくないと思う。それが自己
管理、自己行動規制なのだろうから、極力そう勤めている。
 今朝、雪の降った山里だ。


 昨日は日産5枚の目標に1枚届かなかったが、4枚できた。これを洗濯し、薬剤で消毒して使う。
 オカカマスク工房は、今日もボチボチ稼働中。材料調達が難しいそうだ・・・。


4/4
 良い天気の土曜日で、富山市では桜満開だそうだ。今日の気温は20℃まで上がりそうだとか、が、出歩く人はまばら
だろう。何せ人混みなどに出ると、ウイルスという目に見えぬ厄介者が取り付いてくるかもしれない。
 今や日本中、国を挙げて・・・どころか、世界中がこのウイルスに侵され、大騒動が勃発している。
 が、立山のふもとの山里では、今の処平穏であるので、親爺とオカカは、自分たちが感染して、周りに迷惑だけはかけ
ぬ様にと、じっと息をひそめ、ウイルスが去るのを待っている。いや、ウイルス禍が治まるのを待っている。
 多分新薬も見つかるだろうし、ワクチンも作られるだろうし、これで人類が滅びるとは思わない。
 無力だからこそ、息をひそめて待つしかないのだが、案外この息をひそめて待つことがウイルス禍を納める最高の戦術
なのかもしれない・・・。
 オカカはミシンを引っ張り出して、日産目標5枚で、マスクを作り始めた。ネットでマスクの型紙をDLして、孫たちのよだれ
掛けを作ってやるのにストックしていたガーゼ生地を引っ張り出し、裁断し、カタカタやっている。安部首相殿が我が家にマ
スクを2枚送って下さる前に、せめて自分たちの分くらいは作っておこうとの考えだ。何せオカカは家庭科の教師だったの
だから。
 そんなことをして日を送っている親爺とオカカである。
 さてオカカの日産目標達成に、親爺もオカカの好きなフォーでも作って協力するか・・・。
 ドローンを飛ばし、芦峅寺打越山の金比羅宮に迫ったが、杉木立がビッシリ聖域に寄せ付けぬ。


 我が家の物干場、引き戸を開けて今日も温室の暖気を居間に取り込んでいる。庭のミニ水仙イノシシに掘られたが生き残っていた。
 


4/3
 イクラ隠遁生活者の親爺とオカカでも、必要最小限の社会との交流は避けられない。
 今日は朝からよい天気で、ストーブを消し、例によって温室状態の物干場の居間側の引き戸をあけ、暖気を部屋に
取り込んでいる。外気温は11〜12℃だが、強い日差しで暖められた物干場は正に温室状態故、25℃程の暖気を
居間に供給してくれる。まあこれも最大で9:00〜15:00ころまでのことだが、それでも随分気持ちよく、暖かく、灯油
の節約にも貢献する。
 で、今朝はオカカの花粉症の薬もらい他の用事を、順次片付け、最期に3日分ほどの食料などを買い込んできた。
 約、2時間ほどの外出で、移動は車、マスク装着、帰宅直後が手洗いに嗽と、まあ一生懸命だ。
 今日は良い天気だ。大日もすっきり見える。


 物干場の温室効果で引き戸を開けておくと暖気が今を温める。温かい部屋で甘酸っぱいイチゴを頂いている。
 

 この前の晴れ間の立山の夕景。今日もこんな感じになるかな・・・。


4/2
 今日は寒いとは感じないのだが、窓外の来拝山や、川向かいのスキー場上部にはうっすらと新雪が来ている。
 親爺とオカカは相変わらず、元気に暮らしている。こんなウイルス禍の最中だから、兎に角無駄な外出をせず、人の
集まる場所へは近づかない事を心がけている。やむを得ぬ買い物も3〜4日に一度、月一の通院も可能な限りの対策
をして、厳重な手荒い、うがい、マスク着用はもとより、ちょっとした体調異変にも気を付け、食事も規則正しくとり、睡眠
も十分とるよう心掛けている。
 しかしいつ感染者になるかは神のみぞ知る。誰一人として好んで感染した人はいない。今は粛々と自分のできる事を
して、あわてず騒がず日々を送るのみだ。
 春になり、小屋開けの準備にあくせくしていた数年前が、妙に懐かしい・・・
 今朝の山里だ。


 閻魔堂もいつもと一緒の佇まいで、村を見守っている。


 打越山山頂に鎮座する金比羅宮。今朝は花霞にまかれ神々しい。


4/1
 何とも鬱陶しいコロナウイルスであるが、手も足も出ない。手も足も出ないまま今日からは新年度、令和二年度が
始まった。
 このコロナウイルス禍の所為で、入社式や入学式と云った新年度を彩る華やぎは一切なくなった。
 静かに、群れず、可能な限り距離を置いて、日々を送り、全てに冷静に対処するしかない。
 大騒ぎするのはテレビの中のニュースショーだけで沢山だ。正確に現状を報せるという報道の本質が、より華々しく
他より強いインパクトで宣伝する方向にばかり走りすぎ、芸人の目立ちたがりばかリが目に付くような、却って視聴者
の不安を煽るだけの内容になってはいないだろうか?
 重大な事は、トーンを高め叫ぶものではない。静かに正確に、余計な感情を交えず伝えるべきである。
 すべてが視聴率で評価される放送業界、これではいけない。報道の本質に立ち返り、正確な情報を冷静に伝えるべ
きである。コロナウイルス禍にある現在故に、各放送局の真価が問われる。
 視聴者を「コロナニュース鬱」にしてはいけない。
 今朝の山里は花霞が山山を包み、桃の老木のかなたの山肌も花霞が流れている。春は来ている。


 新年度の嬉しい便りが届いた。黒部の孫は今日からうさぎ組(未満児クラス)に初登園。東京の孫もこの新年度から
保育園にゼロ歳児入園の予定だったが、区の方針で一月延期となって、ママも産休が一月延びた。
 「今日から、うさぎ組で初登園。通園バックも持ってくんだよ。」 「俺は未だ自宅待機。一月入園延期になったんだ。」
 

 ジジは嬉しい孫たちの写真で今日も元気をもらった。またドローンでも飛ばして撮影でもするか・・・。
 昨夕の暮れて行く芦峅寺。                           不動山を這う花霞。
 
 

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