2020山賊庵絵日記(年末) 本日より師走です。項を改めてみました。 
                                                         大晦日です最終更新といたします。 山賊庵 親爺 拝



12/31
 昨日次女と孫が帰京した。本当は一緒に年越ししたかったのだが、何分1歳7か月の赤ちゃん連れの旅である。天気予
報とにらめっこの親爺が次女の帰省前に30日(昨日)に帰省する様に予定を組み替えさせたのだ。
 天気女の次女で、オカカと三女が富山駅まで送り、列車が出発した後、帰宅途中に猛吹雪が始まったそうだ。その後、
次女と孫は定刻に、パパが出迎える東京駅に到着した。列車の中も空いており、3人かけのシートに一人(次女と孫)だっ
たそうで、退屈した孫は到着間際には、もう床に寝そべってしまったそうだ・・・。
 雪は小康状態。それでも流石寒気が入っており、気温は上がらぬ。氷点下の大晦日だ。
 さて来年はどうなるのだろうか、願わくば今年より良い年であります様。
 皆様、良いお年をお迎えください。


 上野あたりからもう好き放題・・・可成り腕白になって来た1歳7か月。 孫が帰って寂しいが、
   

 午後からはお節を重箱に盛り込み、正月のお飾り(鏡餅)もして、いよいよ正月である。


12/30
 明日は大晦日の今日、今は未だ大粒の雨の山里だが、これが15:00頃から雪に変わり、大晦日、元旦は大雪との
事。で、今日中に孫と次女を東京のパパの下に帰さねばならぬし、親爺は役割分担のお節の数種類がまだ残っている。
 で、オカカが次女と孫を富山まで送ることになり、三女が助手となり、親爺は留守を預かりゴキブリ亭主に没頭する。
 明日は明日で、このHPの更新に少々手間取るだろうし、親爺は結構忙しい???
 コロナ禍と云う大きな禍の中で暮れ行く今年だが、幸い我が家内身内には大過なく暮れようとしている。親爺も自分の
年齢を考え、自らの身体を厭う事が周りへの最高の心配りかも知れぬと思い極めた。
 周りに迷惑をかけず、少しでも力になってやれれば、高齢者になった親爺の最高の生きざまかも知れない。
 今朝の山里は雨。これが午後から雪に変わるだろう。


 月餅は結局、老舗のものに限る。色々比べたが結局横浜中華街から取り寄せた。美味い。
 と云う事で、本日は手抜き更新で失礼!!


12/29
 いよいよ年も押し詰まってきて、余すところあと3日となった。
 ここ三日ばかり、東京の孫やら、黒部の孫、三人の娘が我が家に集まり、事に全員揃った26日夜は素晴らしく
賑やかだった。
 親爺の幸福度はMAX,本当に良い時を過ごさせてもらった。
 さてそれでも楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去る。明日は東京の孫と次女が帰京(豪雪を避け予定を前倒し)、
元旦には黒部の孫とパパママもやってきてまた一晩泊まっていくこなっているが、翌日には帰宅するし、末娘も
三日には任地に帰らねばならぬ・・・
 さてそうなると、三日からは又親爺とオカカの二人だけの生活に戻るのだが寂しさは禁じえずも、ホッとする事も
否めない。
 早く雪が解け、コロナも収束して欲しいものだ。
 今日は暖かく、大日も見えている。


 我が愛しの孫二人。おネイチャンは一日の長あり、それなりにスコップも使えるが、坊は雪が初めて、立つことも難しい・・・。
 


12/28
 今年ももう数日、令和2年は余り振り返る気にもなれぬ年だ。武漢では始まったコロナウイルス疫は見る見る感染を広げ
世界を巻き込むコロナ禍へとなってしまった。
 新型コロナウイルスによる感染症におびえながらの生活を、何所もここも続けている。誰が悪い訳でもない。
 感染者のケアに追われる医療関係者、何とかワクチンを開発しようと、或いは治療薬を開発しようと研究に没頭する人々
感染防止のための知恵を絞る人々。そして我々庶民もそれぞれに可能な限り窮屈な生活に甘んじてきた。
 コロナファーストとでも言いうる年が令和2年だったかもしれない。
 一日も早く有効なワクチン接種が行われ、コロナが根絶することを願う。
 コロナ禍以前の生活の、何と有難かった事かと今更になってつくづく思うのだ。
 孫達との楽しい時間を過ごしつつ、親爺は細やかな幸せこそ、大きな幸せなのだとしみじみ感じた。
  

 今日の山里も高曇り。積雪は40cm前後だろう。


12/27
 昨日3人の娘たちが一斉に我家に集まった。こんなご時世に、どうかとも思うが全員健康だから差し支えあるまい。これ
は親爺の独断だが、娘たちも一同に会いたかったのだからまあ良いだろうと思う。その代わり我家以外は初詣も行かず
東京は天気の関係で、30日には帰京する。
 昨夜は賑やかだった。二人の幼い孫が側にいて、走り回る姿を眺める幸せと云うのは、至福と表現できる幸せである。
 折角ソファーをずらし、滑り台や、玩具を並べた居間だが、二人の孫は部屋の隅でままごとを始めた。
 ”幼きは幼きどちの物語ぶだうの影につきかたぶきぬ”そんな歌が心をよぎる情景である。


 まだ一人では滑り台を滑れぬ1歳7ヵ月が滑り落ちる瞬間を受け止めてやると、負けじと3歳3ヵ月が飛びついてきた。
 可愛くて可愛くて親爺の目じりは下がり、鼻の下は伸びっぱなし・・・。孫とは老いの予防薬かも知れない。
 


12/25
 メリークリスマス!
 今日はクリスマスの朝だ。親爺もオカカも仏教徒故、キリストの生誕祭を祝う所縁など無いのであるが、マッカーサー
率いる進駐軍に支配されていた敗戦直後から、まだそう遠くない昭和27年生まれの親爺とそれより数年遅い生まれの
オカカは、生れ落ちてからず〜っと、クリスマスと云う何やら楽し気な、海の向こうの憧れの国アメリカの祭が有ると云う
事を見聞きしながら大きくなった。が、それは遠い国のおとぎ話レベルだったかもしれない。
 昭和も30年代後半に入り、生活が徐々に豊かになって来ると、所謂クリスマスケーキが流行し、年に一度の大きいデ
コレーションケーキが、個々の家庭にも姿を現し、しつこいバタークリームさえ美味かった記憶がある。が大抵はとても食
べきれず、二日三日かけて、胸やけしながら食べたような記憶もある・・・。
 クリスマスのプレゼントなど、精々付録付きの月刊雑誌なら上等で、大概は何もなかったが、クリスマスの後は正月、お
年玉と云う、それこそ本家本元のビッグイベントが控えているので、その前哨戦程度の位置づけのクリスマスであり、それ
は今なお変わらない、親爺とオカカのクリスマスである。
 クリスマスは進駐軍の置き土産。そして今なお正月を迎える前夜祭程の位置づけで、日本の歳時記に入っている。
 明治生まれの祖母が「耶蘇の祭」と称していたクリスマス、今や山岳信仰の里芦峅寺にも定着した。


 我家の孫達も写真を送って来た。黒部はパパママと3人でパーティー、大喜びだった。東京はケーキがあまり好きではなく、
最近は減塩シラスにはまっていて、トレーを取ろうとすると大暴れ。今夜も大好物のしらすをつまむ・・・。
 ジジババからのプレゼントも届いてるからね。
 

 ジジのケーキは胃薬付き。でも美味しく頂いた。


 今朝の山里はこんな雪だった。時間にすれば30分間ほどだけ。



12/24
 今朝も雪は降らず、積雪は減少の一途。芦峅寺観測点では46cmだそうだが、見た目は40cmソコソコだろう。
 気温が高いので、融雪を入れていない家でも雪が前に後ろにずり落ちて、軒先を歩く時は気をつけねばならぬ状態だ。
我家は融雪でもうほとんど屋根に雪はない。でも最後の二日ほどはケチって、スイッチを切っていたので残雪はいくらか
残っている様で、昨日もザーッと雪が滑り落ちていた。
 今日はクリスマスイブ。小さい孫二人へのプレゼントはとっくに送ってある。ジジは甘いから最初に送ったリクエストされ
た玩具が予定よりかなり安価なもので、一寸孫たちが可愛そうになり、思い立って子供用タブレットの安物を用意し、これ
も送った。勿論事前にママたちの了解は得てではある。これでジジの気は済んだが、財布はかなり軽くなった・・・。
 でも今宵、孫達の寝た頃、枕もとかクリスマスツリーの根元かは知らぬが、翌朝目覚めた孫が喜ぶプレゼントがジジから
届いて置いてあって、一瞬でも孫が喜んでくれれば、ジジもとても嬉しいのである。
 我家のクリスマス飾りは、質素を極めた。


 少々汚れたが雪が有るので、明日はホワイトクリスマスになるだろう。
 

 雪がこんな感じで軒先迄ずり下がり、落ちそうになっている。



12/23
 我が山里は、冬ともなると、雪の話題ばかりになる。まあ、家も野も山も目に付く一帯全てが雪に覆われるのだからそ
れも無理からぬことだろう。
 多ければ多いで、少なければ少ないで、話題となる雪は生活とは切り離せない。
 この冬は予想外に一気に雪を降らせて始まった。未だ師走半ばだと云うのに、三日半ほど雪が降り続き、1mの積雪
を見た我が山里だった。でもこれは初雪ではなく、積雪こそなかったが初雪はもっと早くチラついていた。が、富山市の
中央部では初雪だったそうで、我が山里でも実質的にはこれが初雪だったとしても良いだろう。
 まあ、これが春まで降っては溶けを繰り返しつつも、積雪ゼロとさえならねば、これが根雪となる訳だ。根雪などと深く
考えたことは一度もなかったが、「この雪ぁ根雪になるな。」とか、「早や、根雪ぁ来てしもぅた。」とか使われる事が多いの
で、つまりこれは冬は根雪と呼ばれる、溶けきることの無い雪が春まで残っていたと云う事だろう。
 感覚としては良く分かっている根雪だが、定義することは難しく、あまり意味も無い。まあそんなものだ。梅雨だって開け
たと宣言されても雨は降る・・・。
 雪が減った我が山里。


 ほぼ同じアングルの三日前。


 銀杏をオカカがメルカリで購入。レンチンで食べてみた。懐かしい味がした。


12/22
 山里の雪はずいぶん減ったが、年末年始に寒波来襲、しかもそれがかなり強い寒波だとの予報が出ているのを見つけ
今朝はがっくりと来ている親爺だ。
 10日間予報では、30日から雪で31日、翌年元旦まで雪のマークが並び、予想降水量もかなり多めだ。こうなると三日
間降り続けると云う事なので、所謂ドカ雪で、一晩に50〜60cm等は当たり前、想像するのも恐ろしい雪となる。
 まあ10日間予報だから、細かいところは変わると思うが親爺の心配の種がまた一つ増えた・・・・・。
 今朝の山里。杉木立の雪も大分落ち、随分雪が減った。


 黒部の孫も保育園未満児クラス元気だ。東京の孫も1歳7か月、保育園に通っている。
 ジジババが顔を見たがるので、ほとんど毎日写真を送ってくれるママたちだ。
 

 早々と雪を下ろした家も何軒かあるが、年末年始は・・・・・。


12/21
 早く鮮やかな写真が撮りたかったので、朝目覚め青空を見るやドローンを上げた。
 外は寒いので、フリースの上にダウンを重ね着し、恐る恐る玄関先まで出て、ドローンを上げたのだが、外は銀世界で、
低い位置から顔を出したばかりの朝日が、とんでもなく眩しく、操縦器のFPVパネルなど見えない。それどころかうっかりす
ると機体を見失いそうになる。頗る操縦が困難だ。でも、この青空はそう長くは続くまいと思うので、伝オアが途切れない程
度に物影へ入り(玄関の中とか、我が家玄関先の階段脇の壁など)、なんとかかんとか写真を撮った。正確に言うと動画を
撮っておいてその中からキャプチャリングして一枚切り出すのが主だが、それより高画質でカメラとして撮影する機能もつい
てはいる。ただ操縦中にカメラの切り替えなど面倒だ。
 で、まあ何とか数分のフライトを終え、機体を着陸させたが、戸外は状態が極めて悪いのでその場所は玄関の中である。
最近のドローンは実に安定しているから、機体が見えてさえいればそんな細かい誘導も簡単だ。
 これは今日の不動山。きのう「美しスキー場」の事を書いたら、不動スキー場も思い出した。
 我が山里では一番古いスキー場で、近年までは町営スキー場として、3機のリフトが掛かり運営されていたが、いつの間
にか廃止され、現在は無雪期にだけ、アクロバティックなスキーの練習台が設置されている。


12/20
 今日の午前中で雪は上がる予定だ。余り信じていない天気予報だが、今冬は意外とよく当たっている。12月のこの大雪
は想定の外だったのは親爺だけではない様だが、何せ昨冬が記録的小雪だった事で余計に驚いた。
 現在は未だ雪が降ったりやんだりしていて、夕べからは10cm程も降っただろうか。今朝の積雪が82cmだった。
 今朝は我が家の融雪装置も止めた。明日から雪は降らず気温の高い日が数日続くとの予報だからだ。
 今回の雪で、屋根の融雪で炊いた灯油は、凡そ300リッター足らず。去年は融雪に使った灯油はゼロだった。
 さて今度は年末年始過ぎまで融雪の世話にはなりたくないものだ。
 今日もこんな写真である。


 我が家の庭も雪に埋もれた。降る雪と、屋根から落ちる雪が積もる。


 庭の右を見ても雪がたっぷり。左を見ても雪ばっかりだ。何ともこの冬景色はもう見たくない。
 


12/19
 雪は峠を越えた様だが、今日明日は未だ寒波の下で油断はできぬ状況。
 恐らく、親爺にとっては怨みの雪ではあるが、川向かいのスキー場は大喜びしている事だろう。去年など殆ど滑れなかっ
たのだから無理はない。
 これからも少しずつ、滑走可能な程度の雪を降らしてくれれば、スキー場も一息つけるかもしれない。昭和40年代後半
から平成10年頃までが華だっただろうか?大いに賑わった時期もあったのだ。
 が、後発のスキー場があちこちに出来、国土インフラも整備され、新しい設備のある後発スキー場に客が流れ、年々客が
減り始め、少子高齢化がスキー人口の減少にさらに拍車をかけ、越後湯沢に代表される大手資本によるの投資合戦そし
て撤収・・・まあ、湯沢とは規模が違い、大手資本の投入は無かった屋に見えるが、県営と謳っていたゴンドラは老朽化に
依り撤収廃棄され、県が手を引いてしまって、結果は湯沢にも似たりとなってしまった。
 近くでその有様を見、友人らも小規模なスキー場での商売から、次々と手を引いて来る様子も目の当たりにし、嘗て親爺
自身ロッジ経営に誘われたりもしたが、既に2足の草鞋の親爺に3足目は履けなかった。
 そんな川向かいのスキー場。粟巣野も県営ゴンドラ、極楽坂も今冬は今のところ雪に恵まれた。


 我が山里も完全な雪景色である。寒い。


 久々に見る雪景色がドカ雪で、三晩で1mだった今冬である。


12/18
 今日は雪は小康状態で、昨晩から新雪は10cmも積もっていない。それでもなお我が山里の積雪は90cm近くまであり、
親爺の楽観的見通しはもろくもついえた。
 師走半ば過ぎなのに雪が90cmも積もっているのだからこれはもう立派な大雪だ。しかも新潟群馬では、関越自動車道
で車の立ち往生で、自衛隊が救援に出動する騒ぎになっている。
 これも又だれも予想しえなかった大雪なのだろう。雪が降りやすく大雪が降るぞとまでは予想できても、高速道路で立ち
往生が発生し、千台に及ぶ車が雪に振り込められるなどと云う事は、誰も予想しえなかったのだろう。
 親爺もずっと昔の話だが、ネパールの研修生を関西空港まで送るために、バスをチャーターし北陸自動車道を走行中、
杉津パーキングエリア付近で豪雪のため足止めを食い、30時間以上閉じ込められた経験がある。
 チャーターバスの親会社の旅行社から航空会社へ連絡を入れてもらい、空港到着遅延のための搭乗変更等の手続きを
してもらい、たまたまパーキング付近での立ち往生で、トイレ、食事はカツカツながら事なきを得た経験がある。旅行会社が
大手旅行会社だった事、担当のHさんが実力者で、諸手続きに精通し、交渉能力も高かったこと、研修生のビザの余裕が
10日ほどあった事と、幸運に救われたのだが、当時ヘビースモーカーだった親爺は、もう一人の付き添い仲間Kが親爺以
上のヘビースモーカーだったので、二人してタバコの確保に苦労したものだ。
 大雪の思い出はいろいろあるが、大変な事ばかりだったはず。でも今思い出すとおかしくて、左程苦労だったとは思えない。
 苦しい思い出もやがては懐かしい思い出に変わるのだろうか・・・。
 今日も雪の下・・・。


 寒い寒い山里の冬。何所もかしこも真っ白け。


 枯れ木も雪の花を咲かせた。


12/17
 参った参った。いよいよ1mの積雪だ。雪が少ないとほざいていた親爺には、大ショック!まだ12月半ば過ぎのこれだけ
の雪が来るのは一寸珍しいような気もする。
 大概がクリスマス寒波、年末寒波などと呼ばれる大雪だから、この時期に足かけ4日も降り続くとは、しかも積雪が1時に
せよ1mを超えるとは、思いもしなかった親爺である。
 で、結局、屋根の融雪では灯油200リッターは消費しただろうし、役立たずの親爺なのでオカカが孤軍奮闘し、車庫前の
除雪やら、玄関出入り口の除雪やらで、腰は痛くなるは筋肉痛は出るわで大変だし、いやいや雪国の暮らしは大変だと思
い知らされている。
 が11:00現在は予想外の青空が出だし、ヘリ迄飛んでいる。雪化粧に青空、これ以上の取り合わせはない。


 役立たずの親爺だが、ドローンを上げて屋根の偵察。こう言うことはまだできるが、スコップを持って2すくいほど雪を掻く
と息が切れ始め、3すくい、4すくいもすればスコップを杖にゼーゼーと一休みとなる・・・。


 200リッターの灯油消費で屋根は雪が解け、黒い瓦が出ている。


12/16
 我が芦峅寺の積雪は62cmを軽く超え、まだ降り続いている。
 12月半ばにこの雪は、決して珍しくもなく、ごく当たり前のことなのだが、今やこの雪の山里に居て、南国のライブ情報
も入るし、その気になれば世界中のどの国ともテレビ電話も出来る世の中なので、自分が雪の下で比較的不自由な日々
を送っていることが、良く分かり「なぜかな?」という疑問も率直に生まれてくる。で、別にこの不便な生活を送り続ける理
由がない人たちは、早々と別の名所に生活拠点を移す。
 まあ半世紀前の昔なら、田畑や山林と云うものがまだ価値を持っていたから、父祖伝来のお宝を手放せぬと、雪の下の
不自由を忍ぶ連中もいただろうが、今やそのような田畑山林は、特に雪国のそれらはほとんど価値がない。だから身一つ
で、これから住む場所の選択肢は、無限に近い。
 過疎化は雪の下から始まっている。
 雪が降る度に、親爺はこんな事ばかり考えている。周りの住人を見ても年寄りばかり。子供の声など聞いたことも無い。
 この村もあと30年経てば、存続しているだろうか?
 

 向かいのお好み焼き屋も、もう2年ほど店は休業している。昔は我が家の末っ子たちが良く入り込んでいたものだったが・・・。
 


12/15
 雪は昨日から降り続いているが、夜中はさほど降らず、朝になって又降りだした様だ。
 現在の山里は25〜6cmの積雪で、除雪カーも出ていない。まあ、親爺宅の前、車庫前位までは融雪の水が流れてい
るのだが、その先の旧立山道、(現町道)は融雪装置がないので業務委託を受けた業者が除雪をする訳だ。
 で、積雪何センチかとかいう基準が有るのだろうが、除雪車が出動する朝はかなり降った朝と云う事で、ゴゴゴゴゴゴ、
ピーピーピー、ゴゴゴゴゴゴと云う除雪車の音で目覚める朝は何とも憂鬱である。
 今朝は向かいの休業中のお好み焼き屋の小型除雪機の音だけだった。
 オカカの口内炎で、耳鼻科へ行って来たが、親爺がアッシー君を買って出たのは雨期道の運転に慣れておきたいから
だった。流石に降り始めたばかりの雪だが、除雪体制も万全とは云えず、融雪のある区間は良いが、その他の区間は
殆ど除雪されておらず、轍が深くなり、でこぼこが出来非常に危険な道路状況だった。
 除雪のタイミングもあるだろうが、通行する車は絶えないのだから、これ以上酷くならぬよう早々に除雪願いたいものだ。
 一挙に冬になった我が山里だ。


 富山地方鉄道の2両編成の列車が、雪の中を走って行った。レイルウエイと云う映画のモデルになった電車だ。
 


12/14
 朝目覚めたら雪景色、まだ積雪は2〜3cmだろうが、親爺などゾッとしている。雪は数日続くそうで、今朝からの雪は
殆ど降りっぱなし。黒部の娘も宇奈月は雪が降り出したと云って来たし、松本の娘も雪が降ってると云って来た。東京の
娘だけは晴天下に居るらしい。
 まあ、雪も降り出せばあきらめもつくが、去年の様な雪のない一冬を過ごした身には、冬を想わせぬ昨冬が恋しい。
 窓外の止まず降り続く雪を見ながら、ため息をつく親爺だ。


 ドローンの離着陸もこれではままならぬ・・・なんの何の、まだ竹垣も出たままの積雪だ。
 


12/13
 今日も冬の始まりに相応しい鉛色の空が鬱陶しい。まだ雪は来ないが明日夕刻辺りからは降り始めるとの事で、無情
なテレビの予報では「大雪となるでしょう。」と大雪を知ってか知らずか、軽いアナウンサーのコメントに親爺はため息が
出て来た。
 まあ、雪は来るだろうが、いや、来るものだと腹をくくっていれば、多少燃料費がかさむだけで、ジッと雪の下で籠って
居るだけの事である。
 そんなことを想い乍ら、鉛色の空を見上げている。
 とにもかくにもどんよりした今朝の我が山里。


 年賀状もどうにか刷り上がったが、不良率10パーセントは、親爺のミスとプリンター不調・・・。
 過去最高の・・・ああもう聞き飽きた。


 メルカリで5kばかり購入した小粒な有田ミカン。その甘さは群を抜く。美味しいのに驚いた。


12/12
 昨日、我が先輩たる山の民の訃報が入った。佐伯定芳さん91歳である。
 「熊撃ちマタゾー」と呼ばれたこの人は、我が亡き母の同級生で、比較的こわもての人だったが、母たちには「サダ」
と呼ばれ、何でもかいがいしく世話をする優しい人でもあった。
 とにかく言いたい放題。純生の芦峅言葉で、相手が誰だろうがかまわない。だから他人からは怖い親爺、煩い親爺
とかなり不当な評価を得ていたが、この人の心優しさは打算がなく、実に、思い出しても涙が出そうな程の優しさにあふ
れていた人だった。我が爺様が婆様に先立たれ、かなりがっくり来ていた時など、事あるごとに爺様を引っ張り出して、
あちらこちらと連れ回してくれたり、兎に角、爺様を先輩と立てて、いつもそばに来て世話を焼いてくれた。それは爺様が
いよいよ施設の世話になるほど弱り込むまで続いた。爺様の息子たる親爺の、サダさんに対する感謝は計り知れない。
 サダさんにはいろいろ思い出がある。猟友会の幹部として、雄山神社の氏子総代として、又親爺が当時の副知事Tさん
をご家族と一緒に大日岳にガイドした時など、称名から駆け上がって、大日小屋まで出迎えてくれ、例によって芦峅言葉
で、どぶろくをサービスして、その場を盛り上げてくれたものだ。そんな事々を昨日のことのように思い出す・・・。
 明後日の葬儀は時節柄小さな葬儀とするらしいが、親爺も香を手向けて来よう。    合掌
 今朝の山里はガスが掛かり、雪待顔である。


 いよいよ年賀状の作成に取り掛かっている親爺だ。 もう多くは出さず、100枚以内に収めようと頑張っている。
 


12/11
 コロナはまだまだ衰えを見せず、大英帝国ではワクチン接種も始まっているらしいのに、日本ではワクチン開発も、新
薬開発も威勢の良い声が途絶え、何にも明るいニュースが出てこない。でもその割に国民の頭を馬鹿にする事を意図
したようなテレビ番組ばかりが流れ続け、変な危機感だけは煽るトークショー等では、イソジンがコロナ菌を殺すとやら
子供用飲料の素、「つよいこのミロ」というCMで有名なそのミロが女性の鉄分補給に良いとやらと云う情報を流すものだ
から、値段が吊り上がったり、買えなくなったりと云う、マスコミのあおりが原因の現象が起きている。
 放送する前に、こんなことになるという予測も出来ぬマスコミなら、馬鹿の一つ覚えの様な真実の報道もまともには出来
てはいないのだろうと思わざるを得ない。
 唯々知り得た情報を垂れ流すだけなら、一億総白痴を目指して、芸能界の薬物汚染や不倫情報などを専門にする天晴
れな週刊XXやら、日刊○○だけで良い。
 今やあまりにも軽すぎるマスコミ、特に公共の電波を使いニュースを流すレベルの報道機関はもう少し流す情報に対し
責任を持たねばならぬ。
 無責任な情報の垂れ流しだけなら、今やSNSで十分だ。
 大日もまだ雪が少ないママ。


 これが親爺の最近使っているドローン。DJIマビックミニだ。その飛行安定性は絶大。


 県道立山公園線と分岐して旧立山道へ入る。昭和30年代末までこの旧立山道が本道だったのだ。
 


12/10
 英国では、コロナワクチンの接種が始まった。日本ではやはりこの分野は、英国、米国など先進国の後手に回るのが
正直な実力なのだろう。世界に先駆けてワクチンを開発するという、魁としての力量は無いのだろう。
 それはそれでやむを得ぬ。しかし役所仕事の事大主義、前例重視主義だけはそろそろ変革していかねばならない。
 友好なワクチンの接種を、法的な縛りでズルズル先延ばしにするべきではない。それには必ずリスクは付きまとうだろ
うが、そればかりを恐れていてはどうにもならない。
 そんなことを山家の親爺がテレビを見ながら考えている。
 今朝の立山はこんな感じだ。


 ずぼら親爺が縁側から操縦。ドローンは着陸地点へと戻って来る。


 着陸地点は・・・庭を通り過ぎて、親爺の横をかすめ、縁側の中まで飛び込んで、見事縁側に着陸・・・。ずぼら極まれり。
 


12/9
 昨日は親爺が薬もらいの外出でしたが、今日はオカカが暮れに使う諸々を購入のため、出かけました。もう親爺がつい
て行くと却って、思うままの買い物が出来ないそうで、オカカ単独出撃です。
 で、有難く親爺は家でゴロゴロを決め込んでいるのですが、親爺のゴロゴロに関しては普段通りと云う事でしょうか・・・
 さて、でもそろそろ親爺の役割分担たる、年賀状を作らねばなりません。まあ、その気になれば1日もかからぬ100枚
程度ですから、可なりのんびり構えております。
 年の瀬と云っても、趣味半分のお節づくりや、年賀状の作成だけが有るだけで、何とも師走と云う言葉とは縁遠くなって
しまいました。
 ゆるゆると人生の終盤を楽しんでも良いぞとの天の配剤でしょう。
 この長閑さが天の声なら、思う存分ゆるゆるの日々を楽しませていただきましょう。
 今朝の大日岳です。


 冬枯れの田んぼに鉛色の空。この憂鬱な景色が北陸の初冬である。
 


12/8
 今日は雨。山はガスって見えぬ。まだ二日ほどは薬もあったのだが、越年用の薬を貰いに富山市内のT医院に出かけた。
 生き帰りに嫌でも目に入る、刈り取りを終えた田んぼの冬枯れの景色が何ともさむ寒として見える。が、気温は決して低く
はなく、7〜8℃もあっただろう。まだ雪にはしばし間がありそうだ。
 川向かいのスキー場の雪の付き方もまだままならないが、天気予報では14日、15日と雪が降るとの事なので、上手くい
けば、その後は上部滑走可能となるかもしれない。
 古い順にいえば、粟巣野、極楽坂、県営ゴンドラの各スキー場が大流行して、土日ともなればスキー場渋滞が発生したの
は、いつの日か・・・。今や後発のスキー場に押され、雷鳥バレーやらなんやらと名も変わって、県が撤退、ゴンドラも老朽化
撤去と云う次第で、往年を知る親爺たちには、今や見る影もない衰退ぶりだ。
 栄枯盛衰世の習いとか、さてこれからはどうなるものなのだろうか・・・。
 冬枯れの田の先に尖山の山影が見えている。


 一寸ズームしたがなかなかいい感じだ。


12/7
 昨日心平から電話が有って、今からヨータローと一緒にドローンを飛ばしに行くのだが、一緒ん着て教えてこらえますかと
の事。否やはないが、孫が来ていてババと散歩に出て言った処なので、ちょっとためらっていると、「今リンちゃんと、久子さ
んも家の前に居て、一緒に行くそうですから、遥望館の前の芝生迄歩いていきますから。」と伝えて来た。
 で、車に乗って、出かけようとしている処へ、孫とオカカがヨータローや心平と一緒に来て、孫はもう児jの車に乗るつもりだ。
 実は使わなくなったHubsanH501Sと云うドローンを心平にやったのだ。小学2年生のヨータローも興味を持つようになり、昔
はビビっていたドローンも「もう怖くない」のだそうで、二人一緒にレクチャーと云う訳だ。
 今のドローンなど、教える事は先ず無い。起動の仕方、ジャイロのキャリブレーション、GPSの受信確認などだけの決まり
きった1巡の準備を終えると、後は落ち着いて機体を上へ上げ、静々と前後左右に動かし、やばいと思えば手を放すだけで
その一で機体はホバリングする。それでもどうしようもなくなれば、リターンツゥホームスイッチを入れ待てば、離陸した地点
に戻って来る。
 まあ自立飛行物体がドローンの事とか。昔のラジコン飛行機やヘリコプターなどの事を考えると、夢のまた夢である。
 孫が途中で嫌になって、帰ろうと言い出したので、夢中でドローンを練習している心平親子をのこし帰宅した。
 孫と家の庭に入ると、頭上にドローンが飛んでいる。おや、誰だこんなところで飛ばしているのはと見回したが、向かいの
イッチャンである。写真家(カメラマンではない)を自称する御仁、まあドローンぐらいやる様になったのだろうが、狭い場所で
飛ばすにはあまり相応しくない大型機だ。手元まで降下させ、手づかみキャッチしていたから可成り飛ばし込んでいるのだろう。
 でもイッチャンがドローンをやるなど初めて知った。
 今は青空が広がってきたが、朝はまるで冬の様な、こんな空が広がっていた。 


 山裾はクリアに見えていたが、山頂付近にズームをかけてみてもガスが濃くなって見えなくなる。今朝の大日。
 


12/6
 何時もの時間通り起きだして、まだ早起きの孫が起きてくる気配がないので、先に朝食を済ませた。
 間もなくドンドンと音がして、二階から孫が降りて来た。もちろんママと一緒。居間に入るなりジジに抱っこされ、ご機嫌だ。
 ババが用意した朝ごはんも、おしゃべりしながらも完食。いやいやなんとも、孫の居る朝は楽しく明るい。
 大日の上空、僅かながら青空が広がり、雪のあとも見られるがまだ黒が目立つ。雪は依然と少ない様だ。
 さて孫がそろそろジジ遊ぼうと引っ張りに来そうだ・・・。
 この時期としては雪が少ない大日。


 孫が居る朝は格別だ。


12/5
 どんよりとした空の土曜日。たまに陽が射したりもしているが、まあ、12月にしては寒い日でもない。
 朝からPCの調子が悪く、ここ数日かなりいろいろやってみたが、デスククリーンナップも豆に行ったり、不要なファイル
も出来るだけ削除して調子を見ていたが、何とも思うようにいかない。
 で、色々弄っている中にアップデートを随分先送りにしていたので、まとめて行ってみた。何と子一時間以上かかった
が何となく調子が良くなってきた気がする。
 で、きょうはやめようとおもっていたHPの更新も昼食後になってやってみている次第。まあ、快調だ。
 何時もの事ながら、自分の必要なソフト以外は不要と決め込んで、勝手に削除したりすると、やがて調子がおかしくなっ
てしまうのがPC。さりとて押しつけがましいソフト満載のまま使用するんも口惜しい・・・とて、生兵法は怪我の素を、何度も
繰り返しつつ人並みにPCを弄り続けている。
 大日には変な雲がかかっていた今朝だ。


 閻魔堂の木立が、我家からの立山の景観を遮る。


12/4
 肌寒くどんよりした朝だが、雪が降って来そうな気配ではない。それでも、親爺は真冬の装束で、これ以上寒くなったら
外出時にダウンを羽織る事になる。因みに今はヒートテックの長袖Tシャツに、薄いフリース地の部屋着を着てその上に
パタゴニアのフリースを羽織っている。ただしズボンはやや厚めのコットン生地で、股引もタイツも嫌いで履かないから、
一寸足下はスースーする。があまり苦にはならず、いよいよ寒いときは昼寝用の小さい毛布を膝にかける。
 これが真冬装束で、フリースはパタゴニアの10年選手ばかりで、でも最近は山で着る事を考えないでも良いので、ユニ
クロのフリースも初めて買ってみたが、やはり体に馴染むには、少し時間がかかる・・・。このフリースはほぼ4月いっぱい
、山小屋時代なら通年して着ていた親爺の制服みたいなものだ。
 だからどの写真を見ても、真夏以外はほぼフリースで、グレーかショッキングブルーか赤(臙脂)のどれかを、いつも着て
いる。作務衣、フリース、これ以上着やすい衣装は他には見当たらない・・・。
 今朝のドローン撮影。立山は明るいが見えなかった。


 離陸直後、高度10数mから見た焔魔堂。


 山里、芦峅寺集落は約130戸ほどまで戸数が減っている。高齢化による限界集落だ。


12/3
 山里からは場所によって、見える立山の山域が異なる。
 村の真ん中を通る県道立山公園線からは大凡大日が正面に見える。雄山の主稜線や、浄土から鳶、鷲へと続く稜線は
村の川側、通称ハバ(端場?)と呼ばれる畑や、田んぼになっているエリアからよく見える。
 我が家は県道と旧立山道の分岐点の一軒隣に旧道に沿って在るので、家は立山をむいており、家の正面に大日が見え
ているが、その向かって右側(南方向)に延びる立山の峰々は、閻魔堂の木立に遮られ見えない。
 でも、庭先からドローンを上げて、地上高度10m余りともなるとその姿が見える。
 剱岳は残念ながら芦峅寺からは見えない。
 今朝の大日は又黒くなった。
 

 立山町の平野部から鍬崎山を見る。
 


12/2
 町場の田んぼから見た立山はこの時期にしては雪が少なく、黒々としている。
 しかも温かい日が射す毎日なので、刈り取りを終えた田んぼは青青としている。
 まあ、まだ12月になったばかりだから、こんな雪の少ない立山も間々あるにはあるが、平年並みの冬になるだろうと云っ
ている気象庁の、大雪、小雪どっちに転んでも大外れとはならぬ予報は親爺でもできそうだ。
 まあ、この年になってみれば雪など降らぬに越したことはない。
 雪下ろし、毎日の雪かき、何とも生産性のない作業を強いられる雪国は、それ故年々過疎化の一途をたどる。
 たとえ冬枯れでも、雪のない景色の方が良い・・・。


 山里もまだ雪は皆無だ。初雪は降ったがまるでお印の様なもの。でも我家の庭には花は全て無くなってバラも余分な枝は剪定された。
 

 カモシカや、猿、その他の小動物が入って来ないように、まじない程度のネットも張って、庭は砂利と踏み石だけ。
 


12/1
 今日からは師走。と云ってもすでに隠居の身には左程変化もない。
 それでも初めて1月から始まった令和の2年が、師走12月を以て終わるのだから、ある意味めでたい事かとも思うのだが
未だ治まらぬコロナ禍の下、疫病を恐れ過ごした1年でもあるので、令和2年はめでたいばかりではなく、大変辛い年として
も記録されることになるだろう。
 いや、まだ令和2年が終わったわけではない。この師走の一月を余している。
 さて、この晦日月も山里の片隅で、穏やかに過ごして行ければと思っている親爺だ。
 日が低くなり、山里の我が家の庭の生け垣の影が伸びた。


 我が家の宝の孫二人。居間の出窓には、写真と手形と玩具を並べ、ジジババがいつも眺められるようにしてある。


 ある日の昼飯、年越しそばのリハーサル!? 柚の効いた蕎麦が美味い。

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