2021山賊庵絵日記(冬) 年が改まりましたので項を改めました。
                                                                   令和 三年元旦 親爺 拝
                                                   今更ながら春となりました。本日最終更新とします。3/31



3/31
 快晴の弥生最終日ながら、黄砂の影響で辺りはボウーッと霞んでいる。朝ほんの10分ほど、オカカと一緒にフキノトウ
を探しに村はずれ迄行ってみたが、目当ての薄原には雪がまだたっぷり残っておりほとんど出ていなかった。
 特別フキノトウが好きなわけではないが、何となく春の香りをかぎたかっただけかも。
 黄砂のせいで、立山も良く見えぬどころか、冬季のプロテクター(ブルーシート)を撤去した布橋の赤い欄干すらぼんや
りして見えた。
 眼前の大日も肉眼では確かに見えているのだが、写真に写るだろうかという有様。こんなに黄砂を感じたことはない。
 数年前の手術前の、白内障の視界がこうだったような気がした。
 明日からは新年度、今や年度替わりにはほとんど影響されない親爺だが、何となく、周りの勤め人や、子供たちが、特
に可愛い孫たちが、リス組さんやらウサギ組さんに進級?していくのが心嬉しい。
 隣の桃の老木も花の盛りを終え、花を散らし始めた。


 黄砂で霞む空の向こうに大日岳をご覧いただけるだろうか?


 紫の小さな花一つ、ミニ水仙のわきに咲いていた。


3/30
 庭のミニ水仙が予想通り可愛い花を開いた。
 この暖かい日のおかげだろう、ミニ水仙のみならず、寒がりの親爺すら居間の床暖を切り、日中はストーブも切っている。
 今朝は何やら回りがボーっとかすんだように見える。目のせいではなく、スギ花粉か黄砂のせいかと思っている。
 せっかくの純白の立山も、黄砂で薄く色がつくだろう。昔、我が家へよく出入りしていた、アマチュアカメラマンのAさんが、
小屋開け間近になるといつも連絡をしてきて、「黄砂はもう来てる?山はまだ汚くなってない?」と問い合わせ、黄砂が来て
ない年は、「俺も小屋開け手伝いメンバーに入れてよ。」と言ってきたものだ。
 まあ、黄砂が来ても、そのあとの降雪でまたきれいに装う立山だが、その新雪が解けかかるとまた黄砂の層が出て、親爺
たちはあまり気にならなかったが、Aさんのような写真愛好家にとっては大きな問題だったようだ。
 Aさんも80を過ぎ、でもまだまだ元気なようだ。ネパールやインドへもちょくちょく出かけているようだ。
 弥生の庭に花開いたミニ水仙。


 今日は大日がかすんでこんなきれいには見えぬ。昨日の大日。


3/29
 昨日は一日中南風が吹き荒れていた。おかげで日陰に残っていた雪もほとんど消えてしまって、雪化粧をし直した大日
もまた黒々としてきた。
 暦もあと余すところ3日で、卯月4月そして新年度となる。
 待ちわびた春だが、今年も昨年同様まだコロナ疫が終焉しておらず、心から楽しめる春はまだ来ない。
 非常事態宣言をすると、日本経済は大丈夫か、零細個人事業所はもうつぶれるぞと、攻撃され、非常事態宣言を解除す
ればしたでまた、コロナ防疫体制はこれでよいのか、漸く下火になってきたコロナ禍がまた大きくなるぞと、攻撃される政府
当局はたまったものじゃない。
 では、どうすればよいのか?明確な答えなどだれも持たぬ。
 ワクチン接種によるコロナ疫の鎮静化に期待するばかりだが、これとて副作用がどうたらこうたら・・・。
 はてさて、まだ暗い春だ。
 新年度で新たな一歩を踏み出した若い人たちが、可哀そうだ。新社会人、新大学生などなど、いきなり自宅待機では如何
ともできない。もうこれは神頼み。コロナ疫の消滅を祈願するだけかもしれない。
 庭のミニ水仙は間もなく花を開きそうだ。


 また黒々してきた大日。


3/28
 どんよりした風の強い日曜日だ。夕べから南風が吹き込み暖かく、我が家もついに居間の床暖を止めた。
 親爺の使っているマウスコンピューターは、今はもう普通になったSSDの走りで、容量が222ギガで、比較的大きいわりに
料金も安かったので、それ以来使い続けていて、恐らくもう4年目、あるいはそれ以上だろうか、全く問題なく使っているのだ
が、唯一ACアダプターの難があり、接触不良でずいぶん手こずった。ACアダプターそのものを純正に取り換えると、結構な
値段だったからか、当初はマウスコンピューター用アダプターで何やら合わないものばかり取り寄せ、結局腹を立てて、適当
にだましながら、不調なままのACアダプターを使っていたが、今朝ついに断線状態となった。
 ここまで来れば、思い切って手荒い手術をしようと決め、久々にプラモデスクに陣取って、線を切り、手で結線を直し、はん
だ迄は不要と判断、プラモ手法で片づけた。
 結果良し。コンピューターは電源を安定供給されたせいか、快調に動き始めた。
 Dellの新しいSSDタイプの良いPCを買おうと思っていたが、ちょっと一息ついて、もう少し先送りした。
 何せもう現役ではない・・・。
 大日がまた黒々としてきた。


 閻魔堂前の雪も完全に溶けきった。


3/27
 もう3月も末となった。時の流れの速さをしみじみと感じている。
 早い時の流れの中で、嬉しく感じるのは孫たちの成長。同じ時の流れの中で寂しく感じるのは自らの如何ともし難い衰え。
 諸行無常とは、常々分かっているつもりだが、これが我が身につまされてくると人間は、やはり狼狽えるものかも知れない。
 彼の智僧として名高い一休和尚の末期の言葉が「ああ、死にとうない。」だったと伝えられていて、嘘か本当か分らぬが、
意外と人間の本音などはそんなものだろう。
 こんなことを書くと、親爺もいよいよ大きな病気でも拾ったかと思われるかもしれないが、そんなことはなく、普段通りの親爺
だが、陽気が良くなり、朝からうたた寝しそうな暖気に包まれ、ぼんやりし乍らそんなことを思っているだけだ。
 傍らにちょっと濃いめに入れてもらった、苦い煎茶をおいて、目覚まし替わりに飲みながら眠気を払っている。
 今日も大日が良く見え、良い天気の土曜日だ。庭の水仙がつぼみを膨らませ始めた。


 大日がまた少し雪化粧を落とした。                      隣の桃は花盛り。
 


3/26
 どんよりした朝で、寒さは感じない。
 すっかり春となった山里だが、まだ油断はできない。こんな顔をしてて突然雪が降るのだから。
 が、ここ10日程の天気予報を見ると、温かい日が続き、雪の気配など全くない。が、まだ衣替えしようという気になるほど
暖かくもない。
 雪の心配はなくなった様だが、今度は花粉、親爺はまだしもオカカは大変だ。
 くしゃみ、はなみず、目のかゆみ。春が来たのは確かなようだ。
 穏やかな金曜日だ。


 毎朝どうしても気になってしまう隣の桃の木だ。


3/25
 心平が室堂での雪の調査を終えて、黒部、大町経由で下山して来た。
 雪はかなり少なく、雪解けも早そうだ。かなり疲れていそうだが、作業疲れは勿論、夜の飲み疲れもあるようだ?
 室堂周辺の山小屋というか、旅館というか、4,5軒のスタッフも小屋明け入山は4月早々だろう。やっと来た春を楽しむ
間もなく雪の世界へ逆戻り、まあ、因果な商売だが、親爺も40年間はそうやって生きていたのだから・・・。
 心平が送ってくれた昨日の黒四ダム。見上げる立山が新雪をかぶって奇麗だ。


 ロープウエイのゴンドラから見た足下のタンボ沢(黒部平)と針の木やスバリ赤沢等の峰々。


3/24
 10年ぶりで日産の車に乗り換える事にした。今まで乗ってきたプリウスは、未だ走行性能も衰えず、15万キロ以上を
走っているとは思えない走りを見せているが、高齢化した親父とオカカにはやや大きく、扱いにくく思えてきた。で、愛着の
ある車だが、よりコンパクトで、燃費も同程度の4WD、更に安全アシスト機能が大きく加味された車種という事で、ノートE
パワー4WDに決めたのだ。
 試乗してみた感じでは、操縦性も良く、アクセルを離した時の柔らかなブレーキングは往年のマニュアル車のシフトダウ
ンによるエンジンブレーキにも似て、小気味よく減速できるし、電動モーターによる走行は素晴らしい加速性もある。コンパ
クトな外見からは想像できぬ広い車に空間、親方クラスの体形の親爺にも窮屈さはまるでない。
 予想よりやや高かったが、今更ケチって後悔するのも嫌だし、ほどほどのところで購入を決めてきた。
 新発売の人気車種で、納車に2か月余りかかるそうだが、それまでは少し遠出の旅でもして、プリウスとの別れを惜しもう
かと思っている。
 桃がこれで満開だろう。今年も頑張っている。


 大日がこんなに見えている朝だった。


3/23
 一昨日は山頂部分まで、稜線部の雪が解けて黒く見えていた大日だが、今朝は新雪に覆われた真っ白になっていた。
 大日どころか、我が山里ですら、すっかり雪が解け春が来たなと思っていた昨日、雪が降り僅かながら積もった。なに、
考えてみればまだ三月だ。立山に雪が降るのは当たり前、山里の雪も当たり前なのだ。
 大雪だったとは云え、里雪型で山里の雪としてはごくごく普通だった今冬だが、降る時期が早かった。2~3週間も早く
降り始め、降り終わったのも早く、2月の終わりころには大雪は降り納めていた。だから3月末の今、雪のことはすっかり
忘れていたのだ。
 今朝の大日は真っ白できれいだ。一昨日の姿は嘘のようだ。


 向かいの家の屋根にも昨日の雪が残っている。(寒くて窓越しに撮ったので・・・)


 かなり寒かったが、これは窓を開けて撮った。我家の小屋根にも僅かに雪が残っている。


 昨日の降雪は突然来た。                       気付いた時には外はもう白かった。
 


3/22
 今朝は短時間だが霰が降った。
 9:00過ぎ現在は穏やかな高曇りで、薄日もさしているが、温かかった昨日と比べると肌寒い。
 4都県緊急事態宣言が解除になった。これでコロナ疫がまた拡大するのだろうか?ワクチンの接種もそろそろ始まり、
接種先発した国々では、このコロナ疫もやや沈静化の兆しが見えているらしい。
 とはいえ、コロナ退散を咲き倒ししてのバカ騒ぎなどもあるようで、これはいただけない。
 ここまでじっと我慢してきた日本。確かにワクチン開発でも、接種開始でも信じられぬ後手に回っているのだが、この後
粛々と接種を受け、日本人特有のクールな姿勢を貫き、接種後も騒がず、様子を眺めつつ平静な日々を過ごすならば、
今までの対応の遅れは、日本人の慎重さという事に置き換わることだろう。と、信じたい・・・。
 霰の降った今朝。


 折角開かせた花を、霰に打たれて可哀そうな桃の老木。


3/21
 今日も暖かい。今朝大日を見て、雪解けの早さに驚いた。昨日掲載した写は昨日朝の撮影、が、同じ位置から大日に
カメラを向けた今朝、峰部稜線が黒々と出ていたのだ。
 今心平から連絡があったが、カルデラ博物館の仕事で、室堂の雪の調査に入っていて、室堂にいる。
 現地は異常な温かさで、雪も少なく、かなりの荒天が予想されるため、今日は作業中止だそうだ。
 芦峅寺の山里も異常に暖かく、床暖だけで過ごせる。孫が来ていて、今の戸を開けては廊下や台所に出たり入ったり
するのだが、一々「戸を閉めてね」という必要もないほどの温かさなのだ。
 こちらも午後から雨の予報で、徐々に荒れてきそうな予報も出ているが、今朝は青空がわずかに見えていた。
 ババと散歩に出かけた孫が、そろそろ帰ってくるころだ。


 今朝の大日。                                  昨朝の大日・・・。雪の解けようがすごい。
 


3/20
 今日は春分の日、暦を見て納得するような暖かな朝だ。こんなことは珍しい。去年の殆ど雪の降らなかった冬でも、春分
の日の前後には雪があった。今年はもうスノータイヤを外そうと思っているくらいで、この先も雪が降ることはないような気
がする。
 間もなく緊急事態宣言が解除になる。去年からズ~ッとコロナに随分悩まされている世界だが、緊急事態宣言が出ると
経済活動が滞る。様々な大企業から、小さな個人営業まで、困り果てているようだ。小さな業種こそ身近で、店をたたみ廃
業する事も珍しくはなく目につく。
 更に世界規模だから、ネパールから来て、我が屋のすぐ近くに住んでいる、親爺の昔の教え子、現技能労働者たちも帰国
できず、相変わらず顔を見れば元気に挨拶してくれるが、寂しそうだ。もう1年以上帰国していないのだから。
 このコロナ禍、漸くワクチン接種が始まったばかりである。
 でもコロナ禍以前の世界を思うと、日本には過剰な外国人があふれていて、古い文化をと伝統を誇る京都などでの、彼ら
の行き過ぎた行動をはじめ、幾多のトラブルがあった様だし、生活習慣の極端に異なる人々の受け入れも、限度を超えてい
たような気がするのは、年老いた親爺だけだろうか?
 これを機に、外国人観光客の受け入れなども見直してゆく機会になることを期待する。
 大日がすっきり見える。


 隣の桃の老木も、一生懸命花を咲かせている。


3/19
 今乗っているプリウス(もともとオカカ専用車だったが、山を仕舞って以降は親爺との共用)がもう10年目で、FFである
こと以外、全く良い車だと思っている。すでに140,000㎞以上走っており、大きな故障もなく10年間を乗せてもらった。
 この車の良さは燃費の良さで、普通22~23km/ℓは走るし、冬季の走行でも20km/ℓはコンスタンスに走る。いわゆる普
通車のほぼ半分の燃料費で済むということだ。視界の悪さや、運転になじみにくく、手足の様に操れる車にはなりにくいが
それでも10年も載っていると愛着がわく。トヨタという会社の品質レベルの高さには正直、脱帽である。
 純正のナビ、バックモニター、ETCなど必要なものもついており、運転していても走行性能には全く古さは感じられない。
 それでも長く乗っているから、そろそろ入れ替えようかということを考え始めたのは2年ほど前。そしてようやく昨日、昔か
ら世話になっている自動車屋さんに電話を入れ、日産のノートEpower 4WDの購入について相談した。
 で今日の午後、営業担当氏が我が家を訪問してくれることになったが、話を聞いて値段で折り合いがつけば、週明けに
でも試乗させてもらい、購入に動こうと思っている。といってももちろん、これは親爺の独断ではなく、オカカと2年もかけて
話し合ってきたことである。恐らく親爺の車としては、人生最後の車になるだろう・・・。
 昭和47年春、19歳で免許を取って、中古のカローラを買ってもらったのが大学生のころ、その後社会人となり中古の
カリーナ、更に中古マークⅡ、山小屋商売を始めライトバンのカリーナ、その後人生初めての新車がスバルレオーネ4WD
のバン、いすゞビッグフォーンのバンタイプ(最初は中古、そして新車と2台乗った)、そして山小屋商売を仕舞うまでトヨタ
カルディナ4WDバンと山小屋営業中はバンタイプでしか立山に入れないので、バンばかり乗っていた。親爺は乗りつぶし派
なので、1台の車に乗る期間は結構長く、新車購入した車は、ほぼ10年近く乗ったものだ。
 さて、最後の車になりそうな日産ノートEpower4WDだが、何年間乗れるだろうか・・・・・?
 ドローンを飛ばす今朝の親爺。


 大日は一寸もやっていた。山裾の早乙女だろうか、こんな感じだ。   しつこく隣の桃。
 


3/18
 今朝のテレビで面白い話題が放送されていて、思わず見入ってしまった。
 「固定電話がステータス?」という話題である。親爺にしてみれば、そんな話はもうひと昔も前の話だと思っていたのだが。
 現在我が家には固定電話はない。未だ山小屋経営をしている中に固定電話を解約した。当時我が家の電話はISDNと
呼ばれたインターネット回線もそれで使っており(今から考えると恐ろしいほど遅い通信だった・・・)FAXもその回線一本で
別の番号を貰い番号で使っていたが、別に不自由はなかった。でも山小屋で携帯電話が使えるようになり(剱御前小舎は
場所が良く、室堂の電波がかなり安定して拾えたから。)剱御前小舎の電話は、携帯で通年利用できるようになった。シー
ズンオフは、家でその携帯に出ればよかったから、HPや、パンフ、山岳雑誌の小屋案内にその携帯番号を載せれば十分
事足りた。
 そのうちにFAXもインターネトFAXが安価で利用できるようになり、山小屋関係の電話、FAXは固定電話を離れた。
 それでもまだ、家には固定電話があり、商売柄その電話番号は公表されていて、そのまま使っていたのだが、いつからか
ひどい迷惑電話や、詐欺まがいの電話がかかるようになり、親爺はNTTに着信拒否を相談したが、当時のNTTはまだ旧の
電電公社体質が残っており、「そういう機能を入れるとお宅の電話は事務契約?になっているから月額2万以上の追加料
金がかかります。」と云われた。それで、少々腹を立てた親爺は、翌日には固定電話を解約してしまった。
 が、それ以降全く不自由はない。当時取引のあった業者には全部連絡を入れたし、親族友人知人はすでに携帯の方に
登録済だったし、かえって清清したくらいだ。
 あれからほぼ10年、何かの登録に電話番号を記載する欄があって、固定電話以外は無効みたいな話もないではなかっ
たが、それもいつしか携帯番号で全く問題なくなった。
 さて、新しく世帯を構えた、わが娘たちや知人たちも、携帯以外の固定電話を持っている世帯は未だ知らない。
 固定電話へ電話することも、極くまれである。
 そんな中での今朝の「固定電話はステータス?」の話題である。これはいよいよNTTの逆襲かと親爺は思ったものである。
 特殊詐欺対策にも携帯は絶対的な威力を発揮する。あるいは特殊詐欺グループの連中の、固定電話はステータスとの
情報操作かも知れない・・・。
 大日岳が光っている今朝。


 鍬先も朝日の眩しそうだ。


 これは昨日のドローン撮影の一枚。追加。


3/17
 肌寒い日で、フリースだけで、朝ドローンを上げていたら震えあがった。辺りの山はガスがかかり、山里全体が薄いガス
に包まれているようだ。
 こんな時は意外と立山の標高の高い箇所は視界が効いてすっきりしていることが多い。今冬はまだ元気に作動している
雄山山頂カメラを見ると、レンズについた氷の隙間から剱がすっきり見えていた。
 流石にこの時期となると、屋根に雪を乗せている家はないが、村はずれなどには雪がたくさん残っている。
 この雪が完全に溶けきるにはまだ2週間ほどはかかるだろう。


 ドローンで花びらに降れるほど接近して撮影した。近すぎて、ピントがなかなかピタリとはいかない。


 この二枚は親爺の二階の部屋から携帯で撮ったもの。残雪極わずかとなった弥生半ば過ぎの山里だ。
 


3/16
 外を眺めると、雪がいよいよ少なくなってきて、今日も高曇りながら寒さは感じない日だ。
 ヨータローが「天才バカボン」にはまって、コミックを読んでは馬鹿笑いしているそうだ。ヨータローはどうも、親の心平や
カズジイ(親爺の事)の影響をかなり受けているようで、まだ三歳にもならぬ中から、「風立ちぬ」のアニメが大好きで、我が
家で子守をしていても、このDVDを見たがった。どこで、どんな展開になるか丸暗記していて、回らぬ下で「ジコダヨ!!」
とか、次郎少年が夢の中で空飛ぶシーンも「ブーンとミギダ!」とかなんとか言って大はしゃぎしていたものだ。
 それ故か、飛行機もこのアニメにまつわる機体が好きで、親爺はアニメ中のジローの夢の飛行機、と九試戦闘機をプラモ
で作りプレゼントした。そして幼稚園に通い始め、家に来ることもまっ切り減ったが、紙工作では南極観測船宗谷にはまり、
三笠にうつり、ついには大和に・・・。まあ、まるっきり、心平父ちゃんとカズジイの好みを受け継いでくれたようだ・・・。
 で、今や小学校二年生、間もなく三年生になるヨータローだが、なんと今度はバカボンにはまったという。
 これもリバイバルで新しいコミックでも出ているのだろうか、あるはどこか古本屋ででも見つけたのだろうか?
 赤塚不二夫の代表作でレレレのおじさんや、目のつながったおまわりさん、果てはウナギイヌ・・・様々なキャラが織りなす
ギャグマンガの世界、親爺も学生時代んげらげら笑いながら読んだ。
 漫画は百年の先を知るとか言われたが、大学生が漫画を読むと呆れられた時代の魁だった親爺たちの世代、それが何と
赤塚不二夫という一人の作家の作品が、ヨータローという孫の世代まで読み継がれている。これは赤塚不二夫一人だけで
はあるまい。手塚治虫、藤子不二雄、石森正太郎などもすぐに頭に浮かぶ・・・。
 いまや日本の漫画は世界に冠たる日本文化であるが、最近の漫画は目を通す気にもならぬものが大半だ。
 ヨータローがその漫画文化の入り口に立って、この間まではドラえもん、そして今はバカボン。何とも嬉しい親爺である。
 薄っすらと大日が見えている。


 根元にはまだ残雪がある桃の老木だが、今日はこんなに花が咲ている。
 


3/15
 高曇りで、立山も裾の方がかすかに見えているだけだが、雨も降っておらず寒さも感じない。この後晴れてくるそうで、日
が射し始めると暖かくなるだろう。
 穏やかな朝で、結構なことだ。今日はオカカと二人で買い物に出かける。もう雪道の心配はいらないが、マーケットなどへ
入る時はマスクが必要だ。これが煩わしいがマスクなしで人ごみに入る度胸はない。
 と、今帰ってきた。一応マスクをつけ店内もオカカの助手よろしくカート押しをしながら一巡、いや二巡ほどし、やはり俺は
人混みが好きではないんだ、と再確認して、レジはオカカに任せ早々に車に乗り込んだ。
 最近は買い物に同行するといっても、店の前までで、昔ならいつも一緒に店へも入っていたがそれが億劫だし、オカカも
親爺があれもこれもと買い込むのが気に食わないので、専らオカカ任せなのだ。
 もともと、山小屋のお客様の入れ込みの他の人混みは大嫌いな親爺?なのである・・・。
 11:00現在青空が広がってきた。これで気温もぐんぐん上がることだろう。
 閻魔堂は団子撒きが中止だが、当番が集まって法要だけはし、村中にパックした団子を配るそうだ。


 閻魔堂石段下に祠を作り、安置されている不動様に日が差してきた。 桃の花も毎朝二つ、三つと新たに花が咲いている。
 


3/14
 昨日と同じような薄暗い朝だが、雨は降っていない。が昨日よりは少し寒いようだ。
 一昨日くらいからだったろうが、石毛直道氏の著作を見つけ、読み始めた。「食生活を探検する」という若い時代に書か
れた本である。石毛氏と言えば文化人類学者として有名な方だが、食への造詣が深いことでもよく知られる。
 京大探検部草創期の方でもあり、学生時代からニューギニアやアフリカへと探検行を繰り返している。
 で、親爺は若いころ、本田勝一氏のニューギニア高地人やカナダ・エスキモー、アラビア遊牧民という一連のルポルター
ジュに夢中になり読みふけった経験がある。そして本田氏は、思想的にはともかく、若いころ影響を受けた一人だと感じて
いる。
 その本田勝一氏が、石毛氏らと行動を共にし、ニューギニア高地人を書いたこと、今回の本で知った。
 で、何か懐かしいような情景が、石毛氏の文中から浮かび上がってきたのだろう。1960年代はまだまだニューギニアも
アフリカ諸国も、ヒマラヤも、探検の対象であった。世界に未知なる文化や、謎があふれていたような気がする。
 今は昔の話ながら、気持ちはその時代にタイムスリップし、ウキウキドキドキしながら文章を読み進みその中に取り込ま
れて行く。しかも石毛氏の得意分野、食についての記述は、本田氏の記述より詳しい。また、ニューギニアのみならず、ア
フリカ各地や、アラビアの遊牧民にも話は及んでゆく。
 久々に面白い本に巡り合った。
 車庫の屋根の雪がすっかり消えた山里だ。


 今日は不動の山もガスがかかっている。


 閻魔堂の石段から山門、そして本堂がつづく。



3/13
 朝、閻魔堂の軒先に明かりがついているのに気付いた。傘を差した人も出入りしているので、オカカに「今日は焔魔堂
でなんかある日かい?」と聞くと、「今日はオンバ様のお召替えの日だわ。」とのこと。流石に何年も婦人会にいるから芦
峅寺生まれの親爺よりも、その辺のことはよく知っている。
 今は少子高齢化で、限界集落となっている我が山里だが、立山信仰の郷と呼ばれる芦峅寺だから、閻魔堂、雄山神社
金毘羅宮、志鷹の宮等々、村の行事として執り行われる仏事、神事は、閻魔堂だけでも年に10数回(月ごとの法要に加
え、その他行事)、金毘羅宮も毎月の神事・・・。で、それらは村の女性たちの取り仕切る行事だったのだ。
 流石に昨今は、人口の激減に加え、職業を持つ夫人も当たり前の世の中で、そんなに悠長に行事ばかりに時間を割け
ないのは当然で、随分簡素化が進み、古を知る古い人たちがいなくなりつつある中で、廃れてゆくのは当然だろう。
 そこへきて昨年来のコロナ騒ぎ。最早とどめを刺された気分だ。
 が、お召替えが今日行われているということは、未だ細々とだが守り伝えられているという事で、これがあと何年続くかと
は誰にもわからない。立山信仰も土着部分から廃れて行くのは間違いない。
 雨の降りしきる今朝の山里。


 閻魔堂の軒先に明かりがついている。オンバ様のお召替えの日だそうな。 明念坂下の大門と呼ばれるエリアはまだ雪の下だ。
 


3/12
 深夜食堂という漫画がある。メニューが三つし無いが、後は注文で出来る限りのものは作るという面白い店で、マスター
一人でコの字カウンターで調理する。しかも日付の変わりそうな深夜から明け方までの営業なので、深夜食堂という名で
呼ばれる。まことにシンプルないい店だ。そしてこの店に出入りする客の人間模様が、淡々と描かれ、物語を作ってゆく。
 親爺もこの漫画は好きで、初刊からズ~ット読んでいる。最近はテレビやネット上で実写版が上映されていて、驚いたが
それも何本か見て感心していた。
 で、今度はもっと驚いた。なんと実写版で、韓国版深夜食堂と中国版深夜食堂が出たのだ。
 早速一本ずつ見てみたが、韓国版がかなり面白い。韓ドラが大流行し世界ブランドとなった様に、こういうドラマを作らせ
ると実に面白く作る。中国版はそれなりに、どんな料理を出すのかが楽しみで、韓国版より料理のバリエーションは広くなり
そうな期待もある。
 暇な隠居暮らしならではの楽しみかもしれないが、また楽しみができた。
 一寸薄暗い写真だが、望遠で鍬崎山を撮った。


 今朝の我が山里。                               旧県営ゴンドラ、第一ゲレンデ。         
         
 


3/11
 10年前の今日、あの忌まわしい大震災が起こった。
 親爺も辛うじて50代、まだ現役で山小屋を経営していた頃で、後一月で小屋開けだと色々算段しながら過ごしていた。
 そんな平凡な時間の流れの中、突然あの大災害が起きたのだ。
 テレビの番組が、突然大地震発生の緊急放送に代わり、宮城県沖で発生した大きな地震で、東北地方で大きな災害が
発生しているとの事だった。唖然としながらテレビ放送にくぎ付けになり、そのライブの映像がやがて大津波発生を伝え、
その津波が、車や、家や人々を呑み込む凄惨な映像へと変わり、何やらそれが現実であることを合点できぬまま、頭が
全く整理できぬまま、只々映像に見入っていた。
 しばらくして、各地の震度や、次女が生活する東京の様子なども逐次報道され、松本在住の三女とはすぐ連絡が取れ
たが東京の三女とは連絡がつかなかった。安否が気がかりながら、大都市東京は機能がほとんど麻痺、漸くCメールで
勤務先から、中目黒の宿舎まで徒歩で移動中だと連絡がついた。
 娘たちとの連絡はついたが、最も大きな被害が出た、宮城県在住の知人との連絡は中々取れず、後は祈るような気持
ちで現地の状況ばかり見守っていた。
 今振り返っても、あの時の事は恐ろしく、悲しく、やりきれない気持ちになる。
 せめて、10年前のあの大災害を忘れず、改めて、被災され尊い犠牲となった方々のご冥福を祈る親爺だ。  合掌
 穏やかな朝を迎えている山里。


 大日が良く見えて、暖かい日差しが降り注ぐ。我が家の庭にも雪は全くなくなった。
 


3/10
 今朝は薬を貰いに富山市内まで出かけた。もちろん山里から200mも標高が下がると、雪など殆どない。更に富山平
野の外れ辺りに来ると、道沿いの農家の庭の桃がほぼ満開と云った花盛りで、思わず我家の隣の桃を思い出した。
 この辺りではもう暦ばかりではなく、春が来ているのだと感じる。標高差2~300mでこうも違うのだ。
 我が山里に帰り着き、庚申塚の坂を上りきって村に入るや、まだ一面雪野原。ここはまだ暦だけが春だと痛感した。
 隣家の桃も、花芽は持っているものの、僅かに花が咲き始めたばかりである。


 東京の孫の可愛い写真が届いた。椅子に上ろうとして背もたれに引っかかった様だ。
 それでも自力で何とか脱出・・・。


 鍬崎山はまだ白いが、スキー場はかなり黒くなっている。


3/9
 快晴で暖かい朝だ、居間に隣接する物干し場は温室効果で暖気がたまる。で、出入り口の引き戸を少し開けておくと
そこから暖気が今に入り込み、温風ストーブ一台分以上の温かさで、居眠りが出そうにさえなる。
 もう道路状況も、大方良くなったし、予報でも大きな崩れはない。さて、何処かへ一寸遠出でもして、冬ごもりの憂さを
晴らして来るかと、いつもなら小旅行にでも出かけるのだが、去年から一年以上経っても、何とも治まりのつかないコロ
ナ禍の所為で、そのささやかな老夫婦の楽しみすら実行しにくい。
 東京の孫の顔も見たいし、長野の末っ子の顔も見たい。東京や長野など車だと数時間以内だ。気軽に一泊か、二泊
の旅程で一回りしてくれば、程よい冬ごもり明けのウオーミングアップになるのだが・・・。
 老人最優先でワクチン接種してくれるらしいが、親爺はともかくオカカはまだ一般扱いなので、接種が終わるのはいつ
になることやら。この都心あっての一年は実に貴重だ。今年はできても来年はできないこともあるかも知れない。
 まあ、そんなことを言ってみたところで、愚痴になるだけ。頑張って元気をキープしなくては。
 とにかく今日は暖かく、良い日だ。


 今冬の雪の最も多かったころを写真で集めてみた。常願寺川は水量が少ない。


 我家の近所も雪がびっしり。


 此の頃積雪は170㎝近くだった。一度雪下ろしをした家にさらに降り積もった。


3/8
 今朝はオカカが用事で外出。親爺が一人で留守番である。
 一人で留守番と云っても、一時的に一人暮らしの独居老人になっているだけで、代り映えも何もない。ボーっとしてい
ると此の侭ぼけて人生の最終版にシフトしそうだから、まだまだ読みたい本もあるし、したいこともあるので、孫の写真
を整理したり、手当たり次第に電子書籍にぶち込んである本を見直したりと、作業に手を付ければ次々と、とても留守
番時間だけでは片付かない事々が見えてきて、ついつい集中してしまう。
 いや結構なことだ。この世にまだまだ未練がある証拠だ。
 車庫前の旧立山道にも雪がほとんどなくなった。これでコロナさえ治まれば、またあちこちへと出かけたいものだ。


 正しく雪解けのころ。春はかなり近い。


3/7
 今日は朝から孫と一緒だ。昨夜も眠くなった孫のリクエストで、ジジババ二人で添い寝。寝付くまで5分ほどだったが
可愛い話を聞いた。寝た後はママにバトンタッチ、朝までぐっすり寝た様だ。
 居間に親爺のPCが置いてあるが、その隣に自分のタブレット(ババのお古)を持ってきて置いて、ジジと並んでお仕
事をしている。
 ユーチューブで、子供番組を見ているのだが、少々やかましい。やかましいが孫と一緒にいる満足感の方が大きい。
 でももうそろそろ退屈してきて、ババがお散歩に連れ出した。
 ちょっと前までは帰宅するのが嫌で、帰り際は大暴れしたものだが、今日などは帰りに児童公園で遊びたいらしくて
ママに帰ろうとおねだり・・・。
 ジジババの家がだんだん魅力を失ってきているのだろう。寂しいがこれが成長するということだろう。
 雪解けが進み、庭の雪もほぼ消えた。


 まだジジババが大好きな孫。かわいい盛りだろう。ジジとお仕事。


3/6
 花霞がかかった不動の山では、急斜面の雪が割れて落ち始めた。いよいよしつこかった冬将軍が去り、春の足音が
山里にも聞こえ始めた。親爺のだいぶ遠くなった耳にもだいぶはっきり聞こえてきた。
 今日は今から黒部の孫がお泊りにやってくる。半月ぶりだから楽しみだ。また語彙も増え面白い話も聞かせてくれる
事だろう。
 でも孫が来ると、孫の相手が主になり、親爺はほかのことができなくなる。できなくなっても孫が来ると楽しい・・・・・。
 このHP更新も、早く終えねば、そろそろ来るころだ。
 不動山に霞がかかり、斜面の雪が割れ崩れ落ち始めた。


 雪下ろしをせぬので、最後まで残る我が家の車庫の雪ももうほとんど解け切った。


 花芽をたくさんつけた隣の桃の木も、大きな枝が一本折れた。     その桃の木の向こうの川向の山も霞んで見えない。
 


3/5
 昨夜は暖かく、親爺もぐっすり眠れたから、今朝は気持ちよく目が覚めた。
 高曇りで穏やかな天気で、寒さはちっとも感じない。朝食を済ませてすぐ、8:30には川向こうの小見集落にある理髪店
に行って、白髪だらけの髪を切り揃えてもらった。
 若い頃は髪が多く、切り落とした髪の量もドッサリあったが、今は髪が細くなり少なくなり白くなりで散髪時間も短く感じる。
 それでも耳にかかった毛などすっきり切ってもらってサッパリした。
 我家の車庫は、隣の早月の親爺謙ちゃん宅の真向かいにある。謙ちゃん宅は我が家の隣で、我家の車庫は家から見
ると、通りを挟んではす向かいと言うわけだ。
 我家の車庫は、剱岳に名を遺す、佐伯源次郎家のあったところで、その子の代に火事で焼け、我が爺様(父)が買い取
った。親爺が小学校3年のころだ。その家の末っ子が親爺の同い年だったからよく覚えている。
 源次郎の息子である、政光さんは、我が爺様の義理のいとこだったからだろうか、それ以来、我家の山賊小屋と呼びな
らわした木造の二階家が立っていて、爺様の仲間のたまり場の様になっていた。それを鉄筋構造の車庫兼物置に立て直
したのは親爺の代で、今から10数年前のことだ。
 隣の謙ちゃん宅も、以前はもう少し奥まったところだった。我家の隣には黒部の弥三太郎と呼ばれた志鷹弥三太郎さん
の家があったのだが、その子孫が街に出ることになって謙ちゃんがこれを買い取り、移住したのだ。
 これも10年ほど前のことだ。
 68年も同じところに住み暮らしていると、周りの変化が良くわかる。
 謙ちゃんの家の庭の桃の老木が、花芽を持ち、一つ二つと花開き始めた。この木がいつごろからあるのかは、全く記憶
にない。老木とは親爺が勝手に思っているだけで、意外と新しいのかも知れぬ・・・・・。。


 去年は雪が降らず、もう結構花がさていたはずだ。           我が家の庭もようやく踏み石が出てきた。
 

 常願寺の水量もかなり増えている。



3/4
 今日も良い天気で、青空が広がる山里だが、朝はまだずいぶん寒い。
 これから気温がどんどん上がり、先に降った雪もすぐ解けてしまうだろう。
 さて昨日は雪の中でのひな祭りとなったが、黒部の孫は保育園でもひな祭りを楽しみ、家に帰ってからはママが頑張っ
て用意したちらし寿司やら、パパが買ってきたひな祭りのケーキやらで、大はしゃぎだったらしい。
 その写真や動画が、ジジババにも送られてきて、ジジババも一緒に楽しんだような気分になれた。
 山里の今日は雪解けが進むだろう。


 最近はやりのコンパクトなお雛様だがそれなりに一式そろっている。紫の袴コスチュームでまず一枚。
 本命はこのケーキ。近所のケーキ屋さんとはもうなじみだからね。さてママが作ってくれたちらし寿司、最高!!
  

 パパママも大人用のお寿司でご相伴。3歳5か月の孫娘の”ひなまちゅり”だった。


 おいらは男の子だからひな祭りなんて関係ないね!砂遊びが一番だい!!


 今朝の大日は穏やかに山里を眺め下ろしている。


3/3
 昨日の雪解け間近の雨空が、雪を溶かしたのは午前中だけだった。上空には寒気が入って、気温が下がり始めるころ
暖かい雨が霙に代わり、ついには昼過ぎには雪になった。全く雪のなくなっていた庭にも、あっという間に白いものが降り
積もり、夕刻には木立も家々の屋根も真っ白になってしまった。
 で、迎えた今朝は「春の弥生のこの良き日」と歌われる、ひなの節句である。が、我が山里は新雪に覆われたひな祭り。
 黒部の孫も「あしたはひなまちゅり」と楽しみにしながら待っていたのだが、黒部も薄っすら雪化粧した様だ。
 長女も今夜はたっぷり腕によりをかけて、お雛様のちらしずしを作るそうだ。
 親爺とオカカも午前中は買い物に行って食料などを仕入れてきたが、今年の雛飾りは手抜きを超えて、玄関先に小さな
瀬戸物の置物を並べただけにした。それでも気持ちはひな祭り、孫の成長や、娘たちの健康を願いお祝いする。
 この新雪の朝、親爺も朝食後すぐにドローンを上げて撮影した。
 今朝の我が山里だ。


 気温が低く、昼近い現在も木々の雪は落ちない。


 これが春の弥生のこの良き日山里バージョンである。


 心平が文登研のヘリコプター立山偵察に同行、写真を送ってくれた。2月末の室堂、雪が少ない。


 我家の雛飾りはこのかわいい置物だ。”山里の 男雛女雛や 寒すずめ”


3/2
 今朝は曇りで暖かい朝だったが、9:00過ぎから雨が降り出し、けれど気温は下がらない。雪はずいぶん解けて、我家
の雪下ろしを一切しない車庫の屋根で見ると残雪は50㎝を切っている様だ。観測点の積雪はまだ80㎝となっているが、
立山一帯の山岳地帯も芦峅寺地内となるので、決して間違いではないだろうが、恐らく我が山里の外れにあるのだろう。
 夕べは春の嵐、あるいは春一番だろうか、村内はかなりの強風で、開けた雨戸も又閉め切った。
 雨とともに風は止んだが、夕べの風、今朝からの温かい雨で雪は一気に溶け、屋根に雪を残している家はほとんどなく
なった。辺りを見回すと、雨に煙る中、黒々とした色が多くなってきた。春が一気に近づいた。


 可愛い孫たちも元気だ。ジジババが大好きで(二人とも甘いから)二人ともジジババに飛びついてくる。庭の雪もなくなった。
 


3/1
 いよいよ3月となった。冬も暦の上ではとっくに終わっているが、山里はまだ冬の終わりごろと云った塩梅で、雪もまだ
あちこちに残っているし、これから先も1回か2回ぐらいは降るだろう。まあ、それでも暖かくはなって、氷点下は日中で
はまずなくなるだろう。
 この月の9日は山神の祭りである。昔から山で仕事をする人々(猟師、杣人、山案内、山小屋稼業など)が男だけで取
り仕切る祭りで、山での安全を願うのだ。山の神様は女人でかなりシコメとされるので、女性が嫌いで祭りに女が参加す
ると焼きもちを焼いて、災いを起こすと言われてきた。
 今の世でこんなことを言い、女人禁制などという事はとんでもないことだろうが、宗教上の伝説であるからやむを得ない。
 それでももちろん、昔から、山神様にお供えする餅などをつき、丸めるなど、女衆が陰で支えていたことは否めず、近年
はまれに女性も来るし、誰もそれを咎めはしない。
 今年は我が7組が当番だが、親爺は果たして参加できるだろうか・・・。


 山竿にはまだ雪がたっぷり残っているが、三月である。



2/28
 如月も今日が最終日。睦月は長く如月は短く感ずるとは、以前から思っていたことだが、確かに2~3日は他の月より短
い如月ではある。
 が、この2月の終わりというのは、冬の終わりに通じ、4月にも雪降ることのある我が山里でさえ、2月を終えるとホッとす
るのだ。
 今日は快晴しかも暖かい。この陽気に浮かれて冬眠から覚めたクマの様に、親爺も朝から庭に出てドローン遊びだ。が、
ドローンを飛ばすにはまだ低い位置から射す陽光がチカチカと目に入るので飛ばしにくい。機体を見ながらの飛行が主な
親爺で、手元のFPVスクリーンを見ながらの操縦時はまだ慣れず、不安で恐ろしい。
 今朝も打越山に近づけようとしたが、そこで機位を見失い、オートリターンで頭上迄返し、着陸させた。でも期待は見失っ
てもFPVスクリーンには機体が見ている景色が常に送られているので、おおよその位置は分かっているが、確り見えぬと
不安なのは、親爺が万年ビギナーだからだろう。
 朝の低い光はサングラスをしてもまぶしいし、手元のFPVスクリーンも見えなくなる。


 立山は今日は奇麗に姿を現している。


2/26
 この絵日記、過去二日ほど3月の日付になっていた・・・かなり注意力も散漫になってきた親爺のようだ。
 間違いなく2月の月であるとは分かっているのに、うっかり3月とキーボードを押すようでは、ボケ爺と言われても仕方ない。
 我家の居間で約12年間毎日活躍してくれたシャープの46インチテレビの画面に、傷の様な縦じまが入り、日を経るごと
にその線がくっきり伸びてきている。
 テレビの基盤の劣化が原因だとは、いろいろ調べて分かったが、修理には数万円かかるらしい。
 で、親爺もオカカも考えた。そして相談の結果新品を購入して入れ替えることにした。ネットでいろいろ調べたら、昔とは違
い、大型画面でもうんと安くなっている事を知っていたからだ。
 で、今日は朝から出かけ、立山町のジョーシンで、50インチのハイセンスU7Fという機種を5年保証付きで購入した。
 明日配達、据え付け、前の機種は回収もすべて含めて、8万円台前半であった。本体価格はネット通販よりやや高めだっ
たが、その他の付帯サービスと前機の回収料を含めれば、顔の見える店である分安心だ。しかも4K放送を体験できるのも
楽しみだ。
 雪は少しずつ減っている。


 画面の向かって右側に傷の様な線が2本ほど入る。丁度人間のが大写しになるシーンではかなり気になる・・・。寿命だろう。
 

 これが今度購入したタイプ。ハイセンスは東芝と技術提携しており、安いし品質も高い。

 


2/25
 今日も快晴の山里だが、寒くて辺りが凍結しているので気をつけないと家の庭で滑って骨折などという恥ずかしいことに
なってしまう。
 親爺も長年の運動不足にたたられ、バランス感覚がひどく悪くなった事が自覚される。
 ちょっとした、危険はないが荒れて足元の悪い程度の道でさえ、バランスを失いそうになりグラッと来る事があるのだから
自分自身がが驚く。
 で、少々焦って、自転車のトレーニングマシンに跨り一生懸命足を鍛えるのだが、物の数分で息が上がる。しかも継続も
できない・・・。まあこれから山登りを再開するほどの気力はないし、足とともに機能低下している心臓がまず持つまい。
 だが、歩行困難になって好きな事もできぬようになるのは嫌だ。親爺なりに最低限の歩行や、足の筋力低下防止に気を
付けて筋トレもどきの事をしたりはしている。何やら情けない話になってきた・・・。
 今朝はとにかく石段や、コンクリートの上はピカピカに氷が張り付いて危ない。


 雪が急斜面にもびっしり残っている。気温が低いのだ。
 

 縁側で一ヶ月半ほど広げ干していたあられも、寒気の中で寒気のなかで完全に干しあがった。ジップロックに入れ保存。
 


2/24
 いい天気で青空が広がるが、寒い朝だ。芦峅寺観測点では、-3.9℃だった。観測点は集落の外、しかもかなり高所に
設置されているらしく、積雪量はやや多め、気温はやや低めと感じられる。親爺宅の標高が412mなので、村でも上手の
方になるが、それよりもまだ不動山寄りの高所にあるのだろう。
 9:30を回った今になり、朝の凍れが解けて来たようで、滴の落ち方が激しくなったと思うや、電線からは雪が落ちだして
物干し場の透明樹脂屋根に振り落ち、ドドドと機関銃で撃たれたような音を立てている。
 夕べは寝しな迄ちらついていた雪だが、今朝は木々を飾っただけで降り終えていた。
 隣りの謙ちゃん家の桃の老木は枝が一本折れたが、まだっしっかり頑張っている。


 今朝は大日も節煙を上げながら姿を見せている。


 我が家の庭に降り敷いた新雪も、オカカの山水融雪相違の攻撃を受ける前に、はじけるように降り注ぐ陽光で緩んでゆく。
 


2/23
 朝は雨だったが、10:20現在、我が山里は小雪が降り出している。昨日一昨日と続いた晴天暖実は、嘘のようだ。
 今日は天皇誕生日。令和3年だが、今上陛下には2回目の国民の祭日となる天皇誕生日だ。
 昭和27年生まれの親爺だから、4月29日の昭和天皇誕生日が、丁度CWの入り口だったこともあり、36年間親しんで
きたものだから、未だに昭和の日となった4月29日のイメージが抜けない。何せ昭和は64年まであったのだから。
 今上陛下は、お生まれになった頃から浩宮として、あるいはナルチャンの愛称で、国民のアイドル的存在であったことで、
現上皇陛下や、昭和天皇とは幾分異なる、存在であるが、今朝のニュースで、御年61歳と聞いて感慨深いものがあった。
 考えてみれば、昭和、平成、令和と親爺も三つの時代を生きてきた訳で、昔良く、明治大正昭和を生きた・・・と言うフレ
ーズを聞いたものだが、今や自分がそのフレーズに近くなっている事にも驚いている。
 雪は辺りを白くして降り止みそうだ。


 昨日一昨日の晴天暖日ですっかり積雪は減ったが、又雪がちらつき春まだ遠しを思い知らせる。
 


2/22
 今日も気温が高く、ストーブを消して床暖だけで過ごしている。
 オカカは買い物に出かけ、親爺一人留守番だが、快適な気温なのでドローンを上げて屋根の雪の量を確認したりして
のんびりと時間を過ごしている。
 先のドカ雪の時は、後半は融雪装置を切った。屋根雪がどかどかとずり落ちて、庭にたまりその除雪の方が大変だし、
家の屋根の雪は屋根で溶かすのが一番合理的だし、ドカ雪後の数日は気温が高く好天気が続くと判断し融雪装置をス
トップしたから、雪が止んで好天二日半後の、今日の我家の屋根の残雪量を確認したかったのだ。
 雪は殆どなく、後半融雪装置停止は大正解だった。
 二階親爺部屋から見た今朝の山里。


 殆ど我家の屋根の雪は解けていた。親爺もオカカもほっとしている。


 暖かい山里だ。


 今朝も立山は白く輝いている。


2/20
 暖かい日だ。冬用のフリースを、一番着込んでいる春先、晩秋の初冬の3シーズン用に替えた。外は新雪なので、陽光
それにぶつかって弾け散り、目が眩しくチカチカと眩む。
 雪はあっと言う間に嵩を減らし、屋根の雪も軒先迄ずり落ちて、そこで溶けて行く。まるで春先だ。
 土曜日なのでスキー場へ向かう車も多かったが、10:30現在少なくなってきた。
 明日も気温の高い日が続くそうだ。とにかくこの雪を減らしてほしい。
 オカカが座敷縁側の雨戸を開けて、暖気を取り込んでいる。
 大雪一過の山里だ。


 雪はぐんぐん減っていく。                             不動山と閻魔堂の木立の間に大日が見える。
 

 ズームをかけて見ると第二里にはかすかに節煙が上がっている。


2/19
 雪は止んで、大雪一過の山里だ。幸い道路は良く確保されているので、今日はどうしても富山市内まで出かける用事が
有るので少しほっとしているが、幹線道路はともかく、裏道へは入らぬ様に安全運転で行って来よう。
 宅急便の運転手さんや、病院の送迎の運転手さんに、道路状況を聞きとるも、幹線は奇麗になっているとの事で、ちょ
っと安心している。
 まあ、今日からは晴れて、二日、三日は暖かくなりそうだから、雪も解け、道路もきれいになるだろう。今回の豪雪では、
物流が滞る事もなく、宅配便の遅れもあまりなかった様だ。
 富山県を挙げて、シビアな除雪体制をとった効果が出たのかもしれない。
 今朝は鉛色の空ながら、雪は降ってこない。それにしても降った!!


 昨日の降り方は凄かった。


 我が山里は今冬一番の積雪となった。


2/18
 いやいや降った降った・・・。芦峅寺の山里の積雪も10:00現在に又記録を更新し、173cmの積雪となった。若い頃は
175cmあった親爺の身長も、最近は174cmに縮んだから、もう少し降れば背丈を超える積雪となる。
 恐らく今日でこの雪は降り止み、明日からは天気も良くなると思われる。
 これで、まとまった雪は5,6回目の今冬だが、これだけ降ればもう立派な大雪の今冬である。雪に風が必ずついてきて
吹雪状態になる事が多かったし、暖冬に幾分慣れてしまって、除雪体制も緩んでいたのかも知れないが、この豪雪に対し
富山県はかなりシビアに除雪を薦め、日中の幹線道路の除雪も辞さず、夜間除雪も基より行っているので、里雪型とは云
え富山市内の町場でも物流が滞っているという話はまだ聞かない。
 芦峅寺の山里はいよいよ雪の中に埋まっている。


 今朝の山里。


 ストーブの上ではカレーを煮こんでいる。


2/17
 昨晩から今朝までの積雪は、山間部で40cmだという予報だったが、13cmだったのでほっとしているが、今日の日中の
降雪予報がかなり厳しい。今も強く降ったり、ちらちらと舞ったり、止んだり・・・。ただ今冬の雪の特徴として、風がついてき
て、吹雪となることが多い。
 富山でもこの前々回の雪が里型で、可成り混乱した経緯があるので、富山県は新知事の号令一下非常に強い警戒態勢
を敷いており、日中の幹線道路除雪も視野に入れて対応するとしている。実に喜ばしい事で、兎に角住民の生活を最優先
に素早い対応をしてくれそうだ。新知事手腕の見せ所でもある。
 親爺もオカカも外出する用事は昨日の中に済ませた。親爺は眼科医で薬を貰い、オカカは食糧をたっぷり買ってきた。
 で、雪降る今日は家にお籠りで、寒い日なので親爺は一番ごつい極地用フリース?を着込み、ズボンも裏表起毛の温か
い物を履き、そのまま外に出ても大丈夫な格好で、床暖とストーブで18℃にしてある居間にいる。快適だ。このまま床に寝
そべり、本を読んだり、テレビを見たり。
 極めて長閑な時間が流れてゆくが、ヤエンコが遊びに来たりするとまたBBガンを手に右往左往して追い払いにもかかるし
、腹が減ってくればオカカと相談し、料理をしたりもする。まあ、それなりに日が過ぎてゆくのだ。
 今朝の雪の止み間。


 新たな降雪は10数㎝。


 昨日の眼科医院からの帰路、山がかなりざわついて、今日の雪を報せていた。


2/16
 今日は朝から雪が降り出し、もう10cm余り降り積もった。山里は又すっかり雪化粧だ。
 昨日の午後雨の中を、暫く見なかったヤエンコ(野猿公=さる)軍団が、運悪く親爺に見つかった。
 窓から見える旧立山道を挟んではす向かいいある我が家の車庫の屋根をウロウロ何かを物色している1匹を見つけた
のだ。で、かねてから用意してあるBBガス銃(勿論適正規制玩具)を手に、そっと窓を開け、距離約10数mのヤエンコに
向け、よく狙い引き金を引いた。第一弾は見事ヤエンコの背中に命中!びっくりした奴さんは、逆さにハシゴに飛びついて
逃げて行く。追い矢7~8発かけるも、逃げ足の速さに当たらず。弾が尽きた。
 で、落ち着いて閻魔堂前の切株を見るとまだ数匹がウロウロ。この野郎と親爺は二階の自室に駆け上がり、予て準備の
新たなガス銃(勿論玩具)で、威嚇射撃を始めた。ものが玩具だ、距離の15m以上も離れると、弾道はヘロヘロだし、雨の
中だと益々弾道が定まらぬ。それでも当たれば痛いらしく、思いもかけぬ物陰から1匹2匹と飛び出し逃げていく。
 処が、20m程離れた焔魔堂の石段脇の桜に登って、樹皮をむいて喰っているらしい大きなボスざる、恐らくこちらに気付
いていないか、無視しているらしくビクともしない。で親爺も一計を案じ、弾道は散るが、連射機能を持つガスガンで、部屋
を移動し、数m近付き、20数初のBB弾を1秒余りで全弾撃ちかけた。流石のボスも驚くまい事か、枝から大ジャンプしてす
がたを消した。命中したかどうかは定かではないが、十分な脅しにはなったものとみられる。ただしこれは、山里の外れの
我家周辺の、人気のない場所で、矢先を十分確認したうえでの話。間違えても住宅密集地では真似なさらぬよう。
 ヤエンコもいよいよエサが無くなったのだろう。
 又雪が来た。


 折角雪が解け切った庭も又真っ白。


 眼科医に行った帰り道、尖山が山水画の様に見えた。


2/15
 暖かい雨が降り、雪を溶かしている。如月半ばの光景だが、我が山里では少し早いような気もする。
 一昨日深夜、東北で又大きな地震があった。震度6強で、被害もでているが、彼の大震災のような深刻な大災害では
なかった。それでも震度6などと云うと驚いて、東京でも震度4だったので次女が心配で、SNSで連絡を取ったが、耐震
構造の確りした建物故、揺れは感じたし長かったけど大丈夫何ともなかったと、すぐ連絡が来た。孫は目も覚まさずス
ヤスヤ寝ていたそうだ。
 イヤイヤ、災害は忘れたころにやって来るとか、恐ろしい。
 被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 雨が雪を解かす朝。が、この雨はやがて雪に変わり、又降る積むことだろう。


 我が庭先の雪も、オカカの山水消雪のお陰でここまで来た。      お向かいの屋根も、不動の残雪も少なくなってきた。
 


2/14
 一寸、昨日一昨日と長々と書きすぎている。マアどうでもよいことだが、親爺のポリシーに反する事々が多く、美談の
様に取り扱われ、騒がれて、すぐ忘れられている。
 野良猫や、野良犬の救出、作物被害を出す害獣を捕獲しておいて殺さずそれをまた山に返す、動物愛護精神。
 地球温暖化を恐れ、それをヒステリックに現在の大人の責任だと喚き散らすだけの北欧の女の子に、便乗したグリー
ンピースモドキの自然保護団体のスタンドプレー。でもこの連中は何も具体的な対策を持っていない。自らも大人の作っ
た利便性の恩恵を被っている。こんな単なるヒステリー少女のノーベル賞を…唖然!!
 兎に角こんな動物愛護だの自然保護だのと云う事に異を唱えると、ほぼ野蛮な教育の必要な人間とみられる。
 こんな風潮は、マスコミの主導の下に作られたものである。
 子犬や子猫など助けてやって将来を見てやれるなら、助ければいい。害獣を捕獲して置いてまた山に放すというのは、
研究材料としてなら学者先生は助かるだろうが、一度作物の味を覚えた獣は又来る。駆除せねば繁殖して被害を増大さ
せるばかりだ。
 こんな現状は危険だ。確りと効果的で、簡単確実な根絶方法、つまり一定数の駆除をせねばならぬ。
 親爺は数十年前からこういうことを言っていて、それでも誰もが話を聞かず親爺の馬鹿話だと思っていたら、ある日庭先
に猿が遊びに来て、イノシシやカモシカもうろつく様になっていた。
 もう親爺はよぼよぼで、鉄砲も全部返納したあとだから、最近は、家の屋根で日向ぼっこをしたりしている猿に、玩具の
BB弾を撃ちかけて嫌われているに過ぎない。それでもそのおかげで、我が家周辺をうろつくの猿は幾らか少なくなっている。
 ああ、今日も長くなった。
 バレンタインデーで、オカカがチョコをくれた。
 東京都(小笠原)で栽培されたカカオで作ったチョコだ。


 座敷縁側の雨戸を、2ヶ月ぶりに開けて光と空気を入れた。庭先はまだ雪がたっぷりオカカの融雪散水が続く。
 

 久々に光が入った縁側だ。


2/13
 昨日の夕方のローカルテレビで、森さんから波及した性差別などの問題などについて、親爺の聞き違えで無ければ、
「これからも果敢に戦って行く。」と古参女性アナウンサーが言っていた。
 それぞれの民放、それぞれの放送理念もあろうはずなのに、どこかで意思統一がなされているような不気味さを感じ
てしまった親爺である。このコメントはご本人の見解ではないはずだ。
 大手A局(キー局)が失言の言葉尻を取らえ、「重大な国際社会に恥ずべき性差別発言」としてしまうと、たいがいの局
もそれに付和雷同。そこに連なるローカル局も一斉に号令に従う。まるでキム将軍様の号令だ。
 我が国の象徴たる皇室の、女性天皇は許さぬと云う姿勢は、これも立派な性差別で、ここに議論を波及して行こうかと
云う骨のある局はないのに、五輪組織委会長には、つまらぬ老人の冗談と云うニュアンスさえ許さず、言語道断の性差別
と決めつけるとは片腹痛い。
 世に男も女もあり、その性差を考慮した社会システムが作られてきていたが、そのシステム自体が古くなりすぎて女性
の人権を侵害しているものであれば、速やかに変えていかねばならぬ。
 そしてそれは男性が上から目線で与えるものではなく、女性自身が求め改善してゆくものでなければならない。
 昔、ウーマンリブの嵐が吹き荒れ、テレビ出演したその闘志が、禁煙のテレビスタジオ内で喫煙しつつ、ふてくされた様
な、挑戦的な発言を繰り返していた姿が、今でも親爺の脳裏に残り、悲しい女性の姿として蘇る。
 未だに社会通念の中には、女性差別が確かに残る。
 でも、親爺は、今上陛下の実子である愛子内親王が、何故皇位継承権がないのか理解できぬ。
 それこそ女性だからと云う理由のみである。
 これが性差別の議論の対象にもならぬのは、何時も大騒ぎするマスコミの無能ではないのか?
 しかつめらしい歴史学者などをして、慎重に議論したとや漏れ聞くが、ここはサンクチュアリーで手が付けられぬのか?
 国民の象徴たる天皇が、性により差別される国にあって、看護婦を看護師とし、保母を保育士と呼び変えて性差別の解
消に資するなどとは、馬鹿馬鹿しさもここに極まれりデアル。
 立山の山里で、半惚け爺が歯ぎしりしながら心配している。
 この国の未来はマスコミに踊らされている中にヘンテコな国になってしまうのではないかと。
 今日は奇麗な大日だ。


 随分雪が解け、久々に座敷縁側の雨戸をあけて暖かく明るい空気を通した。


 日の光が射し込む明るい居間でお干菓子を頂き、煎茶を一服。ああいい気分。


2/12
 昨日に引き続き今日も晴れるとの予報だが、今は未だ高曇り。でも立山は良く見えている。
 先日来、マスコミ扇動で森五輪組織委員会長の「女性は話が長い。一人が発言すると…云々」と云う、大した意味も無い
一言が女性蔑視発言として大きく取沙汰されている。クワバラクワバラ・・・。地位のある人と云うのはウッカリ冗談も言えぬ。
 確かに世の中は、女性にとって不条理な差別が多々現存する。親爺は娘三人の父親で、息子がいない。故に女性だから
と云って、差別を打受ける事については、娘の身になって考えて来たつもりだ。
 が、日本の象徴たる天皇に至っても、女性天皇は認められぬ。国技たる相撲の土俵へすら未だ女性は上がれぬ・・・。
 そして親爺には一番身近な立山でも、女人禁制の山として明治時代になって初めてそれが解禁されたい過ぎず、布橋灌
頂会などは、立山に入れぬ女人の救済を意図した宗教イベントだった。
 しかしこれは日本だけに限ったことはない。世界を見回したところで、更なる性差別、いわれなき差別が多々ある。
 男が主導する男優位の社会は洋の東西、人種の垣根も超えて現在に至るまで連綿と続いている。そしてそれが不公平な
事で、是非とも是正してゆかねばならぬと人類が気付いたのは、つい最近の事である。
 1945年まで参政権すらなかったのは日本の女性ばかりではない。フランス、イタリアなどもこの年に参政権が認められた
だけである。比較的速いアメリカなどでも州によっては多少の差があるが1920年からなのだ。
 正直に言えば今は未だ、男性社会であり、女性の権利を認めねばならぬと気付いて、一つ一つそれを是正している過渡期
ではなかろうか。
 極端に外国の目を気にし、日本は女性の地位が低い国だと卑下し、自己主張の強い欧米人に上から目線で指摘された事
に反論する気力すら持たぬ似非インテリどもが、正しくその欧米からの受け売りの理論を以て、世論を煽るのだから堪らない。
 先ず今回の森会長発言。個人的には何の関係も無いが、この御老体可成り可哀そうだ。五輪にかかる話題と云えば、それ
以前に今年の東京五輪は本当に開催できるのか?その辺へ議論を移して行くべきだと思うのだが・・・。
 こういう話が話題になると、即ボランティア参加をボイコットする芸能人、有名人の皆さん、ボランティア精神と云うのは自分の
主義主張を割り込ませ、参加したり止めたりすべきではないと思うけどね。
 まあ、でっかい金をかけて、ちっこいコロナウイルスで全てを無駄金にされそうなんだから、日本と云う国もつきに見放されて来
たのではなかろうか?
 森さんご苦労様でした。後任指名などみっともない事せず、お辞めになって、ゆっくり休んだら良いよ。
 山里は高曇り。でも立山が見えている。


 打越山山頂に迫って金毘羅様の家ソロが見えぬかと思ったけどだめだ・・・・・。


 雪は随分解けた。


2/11
 今日は建国記念日。我が母国たる日本の建国を祝う日である。今年は皇紀2681年であって、神武天皇がこの国を建て
られてから、2681年の歳月が流れたのだそうだ。
 日本は良い国である。この国に今は亡き父母の子として生れたことを、親爺は心より感謝している。
 我が母国万歳である。
 日本の建国は神話に基づく。
 神武天皇も神代の国の方であり、神代の事だから良く分からぬ事々が多いのは当たり前でそれでもその神話と云う伝承が
ある限り、それに基づき我が日本国の建国日を定めるのは当然である。
 世界中の古い国々の建国日など、多くがそれぞれの神話に基している。
 だから、親爺は堂々と2月11日を建国記念日と呼ぶ。なぜ建国記念の日と余計な「の」を入れるのか分からぬからだ。
 戦後教育で育った親爺だから、いまさら皇紀を使えと言ってもなじみがない。でも母国の起源を元年とする暦年位は覚えて
おいても罰は当たらない。ポピュラーな西暦に660年を足すだけだ。それで我が皇紀となる。
 元号よりも連綿と続けるだけで、半端な変更がない分計算などし易い。日本国政府の元号表記を、誇り高い皇紀表記とし
たら良いのにと思う。元号も廃止せず続けながらも、公的文章を西暦ならぬ皇紀表記とすればよいのだ・・・・・。
 建国記念日の今日、山里も僅かながら暖かくなって来た。
 東京の次女がオカカの誕生日に送ってくれた花束。玄関先に飾られて華やいだ色を際立たせている。


 お清めの塩を撒いたように、薄っすらと新雪が降った。雪は止み清々しい建国記念日の朝の山里。
 


2/10
 今日は雪が降っておらず、昨晩からの新たな積雪はない。
 オカカが屋根の融雪装置を止めた。天気予報と首っ引きで、親爺のあまり当てにならぬ観天望気も参考に、英断を下
した訳だが、もちろんこれは我が家のエコ対策である。で、今朝はドローンで屋根の様子を確認。先の降雪前にほぼ0cm
だったので、10数㎝程度の雪が全体に積もっているだけで、今日から数日雪の降らぬ暖かい日が続くはずだから、全く
心配はいらぬと云う事だろう。オカカの判断の勝利で、ドラム缶1/3の灯油節約となったのだ。
 今朝の山里は雪こそ降っていないが、立山は見えず、まだ寒い。


 我家の屋根の雪は10数cm。隣家は融雪入れっぱなしで、真っ黒


 杉木立にも雪が付いたままだから、村の景色もまだ寒々としている。


 全備重量199g、極めて安定の良い飛行は、マビックミニ。今やドローン先進国の中国製。


2/9
 公的な立場にある人の発言だから、つまらぬ冗談でも気をつけねばならぬのだが、森さんも左程悪気が在った訳でも
無かろうに、酷くたたかれて83歳と云う年の老人なのに可愛そうな気がしている。
 最近は性差別だの、自然保護だのと言う言葉がい、一種のサンクチュアリー化され、下手にその辺りをつつくとまるで
スズメバチの巣をつついたかのように、猛烈な反撃を受ける。
 親爺たちが育った世界では、「女のくせに」とか「弱い女に」とか「女の長話」、「だから女は」、「女々しい」など等女性蔑
視と言われてもやむを得ぬ言葉が、多々あった。そしてそんな言葉を親爺たちも使っていた。
 でもそれは女性に対して失礼な言葉だと気付き、あまり使わなくなった。だが、話の流れで、出てしまう事がないとは言
えぬ。(尤も親爺など、どんな発言をしたところで全く世の中に影響はない。公的な立場など薬にしたくともないからで、考
えて見れば、市井の民の端くれ程度の親爺の立場が素晴らしく良い立場なのかも知れない。)
 森さんと云う方は、決して悪意のある方ではなく、不注意なお人よしなのだ。公人としては一寸不注意過ぎたが、こんな
お人よしが政治家で、嘗て総理まで務めた人なのだ。
 それを、言葉尻ばかり捕まえて、糞生意気な若造のインテリ面して正義感を気取る記者どもがからかうような挑発!!
 しかも「老害」呼ばわり。
 貴様らこれは老人に対する差別用語ではないのか!?
 看護婦を看護師と呼び変え、保母を保育士と呼び変え、これで性差別をなくす事が出来るのか。
 性別は厳然と存在する、それを盾に云々ばかりしていることが既に性差別の始まりである。
 余りにも小さい言葉尻をとらえ、人を攻撃するマスコミの姿勢こそ、戦前戦中の言論統制にも似たりと思う親爺である。
 又雪が来た。今朝の積雪132cm。


 雪が降り積む。春が遠ざかる。


2/8
 昨日は遊びに来ていた孫と一日遊び惚けて、HP更新が出来なかった。
 今お喋りが急発展中で、2週間も離れていると、驚くほどボキャブラリーが増えており驚いてしまう。
 この孫の序列順位によるとママが一番でパパは2番くらい、当然ジジババは自分と同列或いは下で、特にジジが一番下
の様で、風呂上がりで暑くてフリースを脱いでいると、駆け寄ってきて「ジジ、ちゃんと着なさい。着ないと鬼来るよ。」と叱り
に来るし、おやつの時間にチョコクッキーを一つ貰ったら、どうしてもジジの分も要ると言い張って、ジジの処へもってきて、
袋からクッキーを取り出させておき、それをジジが食べない事は先刻承知で、さっさと自分の分を食べ、「ジジ食べないね、
じゃ、リンちゃん食べて上げるから。」と、ジジの分も食べるのである。まあ、そんな会話や、ママに怒られた時には泣きな
がらジジに抱きついて助けを求める姿など等、ジジにはもう堪らなく可愛いのである。
 お眠になってもジジババと離れがたく、寝室までジジババがついて行き、眠るまで添い寝させられる。そして寝る直前まで
可愛いお話が止まぬのである。
 孫可愛さのジジババの呆れた話は世の常。しかし、もう何を聞いても呆れぬし、それでよいのだと思う。
 目先に見える短い未来の先に、己が先祖から受け継いだ命を託すのが孫である。これはもう理屈ではない、本能なのだ。
 そんなことを想い乍ら、天気が少し好転した午後をぼんやり過ごしている。幸せな親爺だ。
 山里はまた雪景色に戻った。


 ババのお古のタブレットを貰って、ベビーゲームに夢中な黒部の孫。 東京は毎日晴天。オレ雪が見たいな・・・。
  

 3人の娘達から誕生日のプレゼントが届いて、大喜びのオカカ。窓際に花を置いたら一気に居間が華やいだ。
  


2/6
 今日は黒部の孫が今からやって来る。久しぶりで、楽しみだ。ジジババの処へ来るのが、遊園地へ行くより楽しいらしく
ジジババと遊ぶのを楽しみにしている。
 色々出来るようになったのがうれしくて、それをジジババに見せたいのだ。ジジババも又それを見て慶び孫を褒めそやす
ので、それが孫には嬉しいらしい。
 ボタンも欠けられるし、ジジのフリースのジッパーを閉めてやることもできる。おしっこも、ウンチも、全部一人で出来る。ご
飯も多少はこぼすこともあるが、全部食べられる。お絵かきも顔らしいものが描けるようになった。未だ文字は読めぬが、
絵本をジジババに読んでやることもできる。遊びの中でそれら一つ一つをジジババにアピールし、ジジババは心底喜んで
その一つ一つを褒めちぎる。
 ジジババには楽しい時間だし、孫にも楽しい時間だ。
 間もなく到着するだろう。待ち詫びているジジババだ。
 山里は青空が広がりはじめている。


 我家の屋根の雪も今日中にはなくなりそうだ。


 村の中央にある雄山神社祈願殿の少し上手に立山博物館がある。屋根が見えている。


2/5
 昨日いっぱいどころか、今朝まで雪がちらついていた山里だが、今日から二日三日は雪も余り降らぬ様だ。
 今朝も寒いが、これから晴れて来るそうなので気温も当然上がるだろう。
 今日は道路の状態がさほど悪くないので、オカカが一人で買い物に出かけた。親爺はズボラを決め込み留守番である。
 最近親爺は1984年に放映された、NHKのシルクロードをたまに観ている。衛星放送で映像をデジタル処理して再放送
しているからで、それをビデオに撮りためて観ているのだ。このころは未だソ連(ソビエト連邦共和国、現ロシア)が健在で、
今よりはるかに広大なエリアがソ連領で、「鉄のカーテン」を引いていると揶揄されたほど、自国情報の国外流出を嫌って
いたお国柄だったので、当時の取材でもソ連領内は窮屈だったようだ。
 映像が奇麗だし、音楽も、ナレーションも素晴らしい。そしてあの時期だから撮れたのだと思われる映像も多い。
 NHKには国民の血税で撮られた良質な番組や映像が多い。民間放送局の様な視聴率など気にせず番組が作れたから
だろう。受診料を強制的に徴収している国営放送、好きではないがついつい見てしまうのである。まあ、民放の放送が、そ
れほどつまらず、軽薄なものばかり故にではあるが。
 外が少し明るくなって来た。
 こんな埒も無い話は止めよう。
 いくら頑張って除雪しても、またこんな状態になってしまう庭先だ。


 どっちを向いてみても、真っ白な色がず~っと続いている。今冬の冬将軍はしつこく嫌な奴だ!!
 


2/4
 寒波が日本上空へ入って来ると、雪が必ずついて来るので、北陸富山の立山に一番近い山里、芦峅寺の親爺は、少な
からず、げんなりする。
 だがしつこく繰り返される今冬の寒波来襲で、良い事もあったとテレビで言っていた。それは琵琶湖の事だ。
 琵琶湖の深呼吸と呼ばれる現象があるそうだが、これは上層の温かい水と、下層の冷たい水が、寒波来襲で上層水の
温度が下がる事で、冷たくなった水は下に沈み、下層の水と混ざり、それで下層の水も上層に上がり、その時の水の動き
により酸素が取り込まれ、これを琵琶湖の深呼吸と云うのだそうだ。
 昨年、一昨年と暖冬が続き、琵琶湖湖底部の酸素濃度が下がり、水中生物の生息が危惧されていたのだそうだ。それ
が今冬の繰り返す寒波襲来により、文字通り息を吹き返したと云う事だ。
 なるほど。やはり冬は気温が下がることも必要なのだなと、外の雪を見ながら思った。
 それにつけても、息を吹き返して良かった琵琶湖だ。
 物干場に出て外の雪を眺めた。つららの向こうに青空が出ていた。


 保育園の節分の豆まき行事に、オニシャンが来ると心配していたオネエチャン。鬼には大泣きしたらしいが、もう節分は
終わって、次は楽しいヒナマチュリである。ママとクッキーを焼いたが食べる方も大好き。
 

 未だしばし寒い日が続くが、春も着実に近づいているはずだ。青空も出て来た。


2/3
 「鰯の頭も信心から」とは、節分に用いる魔除け飾りから来ているらしい。鬼が鰯を焼く時の煙を嫌うと云う事で、鰯を焼い
て喰い、その頭や骨をとげの多い柊の小枝に括り付け、門口にそれをぶら下げ魔除けとしたのだという。
 我が山里には鰯の頭の信心は伝わらなかったのか、そう云う民間伝承を嫌う、坊主や神主が多かったからか、兎に角この
まじないのようなものは記憶にない。
 一言も発せず豆を炒り、それを升に移し神棚に備えればもう喋っても良い。そしてその豆を部屋ごとに撒き、その時の掛け
声は「福は内、福は内、鬼は外、福は内」と福3回に鬼1回だった。で撒き治めはその家の主人夫婦の寝室で、その年の恵方
に向け豆をまいた。
 今年は何故かスーパーで何時も販売している、炒り豆などが手に入らず、面倒だから殻付きの落花生を豆に仕立て、二部
屋、三部屋と撒いて、最期は居間で今年の恵方である南南東に向け撒き治めとした。
 黒部の孫は、保育園で豆まきがあったが、「おにしゃん」が怖くて大泣きし、それでも豆の袋は手放さなかったそうだ。ここ数
日、節分のおにしゃんが怖くて、保育園に出かける時、「ままきょうせつぶん?」と訪ねていたそうだが、昨日で終わり、大泣き
はしたものの一安心。「ちゅぎはおひなしゃまだよね」とすっきりした顔をしていたとの事。東京の孫は昨日、家で豆まきをしたが、
パパが鬼に扮して大騒ぎだった様で、ママにしがみつき泣きながらも袋詰めの豆をパパ鬼にぶつけていたそうだ。その孫の雄
姿?がlineで送られてきた。
 ジジババも孫たちもそれぞれに豆まきをして、今日の立春を迎えた。
 山里は、雪国らしい雪の立春だ。


 ”パパ鬼に ママに隠れて 豆ぶつけ”     ジジババの暮らす山里は今朝も20cm程の新雪が積もった。
 

 親爺とオカカの豆まきは、殻付き落花生。


2/2
 これが今朝の物干場から見た外の風景だ。
 これだけ見ても何だ未だ雪が多いなと思われるだけだろうが、ほぼ定点から撮った、一昨日の写真も並べて掲載して
みよう。
 如何だろうか?雪がかなり解けたのがお分かりいただけるはずだ。
 昨日の温かい陽射しと温かい風(未だ春一番ではなく、春一番モドキらしい)そして朝からの雨、雪を解かす3大パワー
が揃ったのだからが雪が解けるはずだ。
 今朝の写真。


 一昨日の写真。我家の車庫の屋根の雪が嵩を減らしている。


2/1
 二月となった。と云ってもコロナもまだ居座っているし、雪も中々消えずまだたっぷり残っていて、昨日が今日になって
呼び方が一月から、二月に変わっただけの事、と云ってしまえば身もふたもない。が、まあ、そんな事だ。
 でも、如月朔日の今朝は久しぶりに青空が広がり立山が見えた。親爺は何となく嬉しくて、ドローンを上げて何枚か写
真を撮ってみた。朝は順光にならぬので、何やらにじんだような立山しか撮れないが、それなりに満足。
 今日は気温が高くなり、山里でも10℃近くまで上がるとの予報だが、明日も又暖かいそうで、60cm余り嵩を増やし、
現在は110cmほど残っている雪も、随分と減る事だろう。
 親爺とオカカの生活もほとんど変わらぬが、1月より2月の方が雪の心配の要らぬ春に近い。
 それだけで少し嬉しくなる親爺だ。
 さて、この2月も能天気に暮らし、山里でも殆ど春の隣となる三月に向かおう・・・。
 雪国の山里の如月朔日、真っ白な立山が見えた。


 立山の天気のバロメーター、鍬崎山に少し雲がかかっている。


 ドローンを上げたついでに我が家の屋根の状況の確認。最後に少しケチって、ボイラーを止めたので
一寸雪の残り方が・・・まあ今日のお日様が大半は溶かしてしてくれるだろう。


1/31
 1月も今日で終わる。
 この冬は去年12月半ば過ぎから雪が降って結構つもり、それが第1波、年末年始は大雪の第2波だった。そして更に
10日辺りから里雪型の第3波が来て、これが里雪型で、36年ぶりの大雪を町場に降らせたものだから、ほぼ都市機能
がマヒし、偉い大騒ぎになってしまった。で、今回が第4波のまとまった雪となるわけだが、78cmまで少なくなっていた雪
が現在132cmだから、54cm程の圧雪が残された計算で、これが町場だったらまた大騒ぎになるところだったが、山里
でのこの程度の雪は、何と云う事も無い。
 除雪体制が素晴らしく整っているからで、住人も雪には慣れているからだと思われる。が、待ったなしの少子高齢化に
依る限界集落化で、何時まで雪慣れした住民と言って居られるかは怪しいものだ・・・。
 さて今日は雪が上がった日曜日。スキー場へ上る車が引っ切り無しだ。
 町場はさして雪が降らず、除雪設備の潤沢な山道は奇麗に開いており、しかもサラサラの新雪。パウダーとまでは行か
ぬも結構軽やかな雪を楽しめるだろう。
 寒い朝だが、身体が慣れて、昨夜は気温が寝しなは氷点下だったが、深夜に上がり朝まで0.2℃ほどだったらしく、暖か
く感じた。
 1月が終われば、春はぐんと近づいて来る。この冬も一番厳しい時を越えた。


 早くこの白いものが溶けてなくなることを願う親爺だ。


1/30
 親爺の記憶では恐らく、今冬3回目の大雪だと思っていたら、オカカが4回目だと言う。よく考えて見ると12月の初雪が既に
所謂ドカ雪で、心平など雪を下ろしたのだった。それを入れると確かに4度目である。前回の大雪が里雪で、富山中心部を始
め、所謂町場にどっさりと来たため、酷い大騒ぎとなったので、その印象ばかりが強く、昨年の初雪のドカ雪を忘れていたのだ
ろう。もうこうなれば立派な大雪かも知れぬが、我が山里ではまだ一下ろししただけで、今回の雪で二下ろし目に取り掛かる家
は殆どないと思われる。だが、気の早い慌て者は二下ろしにかかるかもしれない・・・。で、二下ろししてこの冬が終わる様なら
なんのことはない、山里ではいつもながらの冬だったと云う事になるだろう。
 いずれにしろ、今回の大雪はここまでで終わりだと思うのだが。後は又暖かい日が多そうだし・・・。
 今朝の山里だ。寒中の我が山里らしい景色である。


  寒い寒い、今朝ももちろん氷点下。


 山里の春はまだ遠そうだ。


1/29
 予報通り寒波はやって来やがった。夕べは寝しなに強い風が吹いて、頑丈なペアガラス入りのサッシサッシ越しにもピュー
ピューと音が聞こえ、一瞬家が揺れた程だったが、雪は明け方まで僅かだった。それでもオカカが6:30に起きた時に凡そ
20cm程の積雪があり、屋根の融雪装入れておいて良かったと思ったそうだ。
 そんなに律義に来なくても良いのに、全く嫌な雪だ。折角70cm足らず迄溶けていた雪が、今朝はもう90cmを越、この寒波
が去るころには1mを優に超える事だろう。
 前回の里雪型の寒波来襲によって、富山県当局は除雪の不備を猛省。気象庁と緊密な連携を取って、可成りしっかりした
除雪体制をつくり、この寒波に備えている様だ。
 雪は今から、今日一杯、事に午後から激しく降るそうだ。
 親爺もオカカも昨日は、1週間分の食料を仕入れてきて、しばし外出せずとも大丈夫なようにしてある。
 雪も明日一杯は降り続くまい。


 春はずーっと先まで遠ざかった。


1/28
 富山では1月1日に封切られた、「大コメ騒動」と云う映画を観て来た。大正半ばの実際に起きた越中女の米騒動をテーマ
にした映画だが、可成りコミカルに軽やかに仕上げられており、観ていても不快な気分にはならず面白おかしく観た。
 地元俳優も多く出ており、室井滋の演ずるおばばのオーバーアクションには苦笑したが、左時枝の演技には瞠目した。
 柴田理恵にはもっと長時間、騒動を起こしたオカカたちとして出演してほしかったが、強烈な個性で主役を喰いかねないか
ら、裕福な米屋のおかみ(左時枝)の妹役と云う本のチョイ役で、却ってその存在感が光ったのかも知れない。
 その他そうそうたる俳優陣だったのだろうが、親爺が一番驚いたのは、人の良い野菜売り?のリヤカーを引いたオジサン
平次郎役で出ていた神戸浩の、この人にしか出せないペーソス溢れる面白さ。嘗て寅さんシリーズにも独特の、源ちゃんを喰
ってしまう程のキャラで、数度出演している人だ。
 たそがれ清兵衛の従僕役、鬼の爪主人公の従僕役と云ったら思い当たるかもしれない。
 一寸マイナーな映画ではあるがつげ義春原作の「無能の人」の中での山川軽石役が忘れられない。名わき役だ。
 話が神戸浩にそれてしまったが、「大コメ騒動」久々に楽しんできた。
 明日から大雪らしいが、16:00一寸前の今は日が照っている。
 

 面白い映画だ。ぜひ御覧じろ。

 


1/27
 暖かい雨の降りしきる朝だ。とても寒中の事とは思えない。
 でもこの金曜日から寒気が入り、また一雪来るそうだから、何とも定まらぬ天気が続く様で、コロナ禍やら異常気象やらと
天からの警鐘も、だんだん大きくなってくるような気がする。
 とは言え、これを取り上げ、誰かの責任であるようヒステリックに騒ぎ立てる事は間違いだろう。我々が今あるのは、途切
れぬ過去からの連続の中で在るのだ。好むと好まざるにかかわらず、知るや知らずに関わらず、我々は自然破壊の恩恵の
幾何かを受けてあるのだ。それを踏まえ北欧のヒステリー少女や自然保護団体を自称するグリーンピースのようにだけはな
りたくないと思う。
 自らが自然破壊の一端を担い、今日の利便性に富んだ生活を得ているのだと云う事を忘れてはいけないのだ。
 寒ければ暖房を使い、暑ければ冷房を使う。移動は車か、電車か、いずれにしても化石燃料を基とする動力に頼る。日々
の糧とて、スーパーやコンビニなどが沢山ありそこで簡単に手に入る。この日常が既に化石燃料の恩恵に浴している以上、
現在の生活そのものが自然破壊に基するのだと認識したうえで、さてどうするかを考えれば、とても声を大にして政治家や、
企業に責任転嫁などできないのだ。
 今は先端技術の発展による改革を、ただ希望的に待つばかりだ。そうそう天気と一緒で変わるのを待つばかりだ。
 何とも情けない他力本願の親爺だが、これが現実なのではなかろうか。
 暖かい雨が邪魔な雪を溶かしてくれているが、29日辺りから又ドカ雪が来そうだ・・・。
 雨に煙る不動山。


 庭の雪も半分以上溶けた。尤もこれはオカカの山水散布消雪のお陰が大分あるのだが。
  
  


1/26
 朝は氷が張っていたので氷点下の気温だったのだっろう。でも陽射しが結構暖かく、10:00現在は6℃余りの気温の様だ。
 寒いのは嫌だが、暖かくなると気持ち良くなって、眠気がさしてしょうがない。何をしてもボーっとしてきて、目をつむると寝て
しまっている・・・。
 今朝は青空が広がるほどでもないが、所々見えて居る。そして暖かい陽光が間欠的に射してくる。結構暖かい。
 一月も間もなく終わる。我が未来の短くなるにしたがって、時は早く流れる。しかしまた隠居暮らしならではのゆったりした時
間も流れているわけで、訳が分からなくなるが、そんなことは分からぬままにしておくのが良い。
 人生の終わりごろのフリーダムな時の流れは長閑だろうが、そのような時間など実に短くあっと言う間に過ぎ去る、等と言っ
てしまえば、実もふたもない話であるから・・・。
 大日が朝から機嫌よく顔を見せている。


 オカカが庭の積雪に山水を散布し雪を溶かしている。
 


1/25
 日本にはかなり迷惑な隣国が多い。事に経済大国にのし上がり、独裁政治の色を強め、近隣諸国に迷惑ばかりかけて
いる国が、自国の身勝手な法律を捏造、それを以て隣国の領海侵犯と独善的に判断した船舶に対し武力行使する事を
正当化したそうだ。こんな暴挙を臆面もなくするような国だ。まともに付き合いたくはない。まだほかにもロケット狂いやら、
恨み節を繰り返すばかりの国や何ともやり切れぬ。
 しかしこれらの国々は隣国であり、文化も古より共有するし、民族としても同種である。何故その仲間を思いやれぬのか
過去にばかり拘泥するのか、未来を見据えて手を取り合えぬのか・・・。
 まあそんなことを考えていても始まらない。
 雪の心配だけしながら、春をのんびりと待って暮らそう。
 ドローンを上げて屋根雪の残り具合を見る親爺。気楽なもんだけど、このドローンも迷惑な隣国製品・・・


 雪解けが進んでいる。




1/24
 今日は朝からオカカは、閻魔堂で行われる仏事の当番で、8:30から閻魔堂にいっていた。昔から見れば回数は減った
のだが、今でもほぼ月に一度は仏事が執り行われている。その度に9組に分けられた村の各組が、当番制でこれを執り行
う。だがこれは女性の手で行われる訳で、男がこれに関わる事は、氏子総代以外ない。
 だから親爺など68歳の今なお、何時どんな仏事が行われているのかほとんど知らず、我7組の女性たちが今日の仏事を
受け継いで、簡素化されてはいるが執り行っている。
 但しこれもあと何年続く事やら、何分村自体が限界集落で、嘗ては150戸以上、人口も700人を超えていた村だが、現在
は戸数は未だ100戸以上だが、人口は300人を切って、280人台となっているのだから。
 かくいう我家とて、親爺とオカカの二人暮らしだし、近所は大半が同じ状態なのだ・・・・・いやはや何とも寂しいことだ。
 時期外れの雪解けが進むが、今冬はこれで終わってくれるのだろうか。


 天台宗立山寺の光昭和尚が来て仏事が執り行われた。      閻魔様は今日もぎょろりと目をむいて、村の隅々までを見ている。
 

 もう芦峅寺の村は隅々まで除雪が行き届き、車での通行には全く支障はない。我家の車庫前もすっきり開いている。 
              


1/23
 今冬はドカ雪がかなり早い時期に来て、しかも里雪となって普段は余り降らぬ、町場エリアに降ったものだから、山里は
さほど驚きもせぬ150cm前後の雪だったから、何と云う事も無かったのだが、町場は備えも無く大混乱となった。
 が、その分小寒を過ぎたころから天気は変わり、大寒には雨が降り、今日も寒の中なのに雪を解かす雨が降っている。
 これは季節が早く回っているのではなかろうか、とノウテンキ親爺とオカカは春の早いことを期待しまくっている。
 さて、孫が来た。もう飛びつきまとわりついて来る。今日はここらで。
 雪解けの進む寒中の山里。今日はガスがかかっている。


 


1/22
 今日は暖かい雨の降る朝だ。大寒を過ぎたばかりで、寒中の一番寒い頃なのだが、気温も2.5℃在り、これからも上が
るそうだ。勿論立山は全く見えなくなった。
 爺様の代の剱御前小舎に出入りしていた、山岳カメラマンの大塚大先生が、昨年11月に93歳で旅立たれたと、先生最
後のカレンダーと、訃報が一緒に届いた。親爺は勿論子供のころから先生を存じ上げていて、親爺の代の剱御前小舎にも
何度となくお越しになっていた。親爺とオカカの結婚式にも参列していただいた、懐かしい方であった。
 高校の音楽教諭がご本業ながら、山岳写真家としても昭和の登山ブームから活躍された方で、にこやかな温和な方だっ
たと記憶している。
 思い出は尽きない。親爺にはとても懐かしい岳人のお一人で、もうお会いできぬと思うと実に寂しい。
 大塚大先生の訃報に接し
 ”寂しやな 父子二代の 山小屋に カメラ下げたる すがた戻らず”   合掌
 今朝は寒中の雨の山里だ。


1/21
 今朝も寒いが、昨日よりは幾分暖かい。それにまた素晴らしい晴天だ。
 試しに、このHPからもリンクをしている、雄山山頂カメラにアクセスしてみたところ、快晴の山頂から剱岳がくっきり望め
本日只今の雄山の社と剱岳を遥拝した気分になり、頗る晴れやかな心持になっている親爺だ。
 道路が凍結しているので、親爺の軽4WDが活躍している。残念ながら軽でホイルベースが極めて短いので、下手な操作
をすると、横滑りし、酷いときはクルッと回転してしまう恐れがあり、4駆走行時は特に気をつけねばならない軽4WDだが、
気を付けて、飛ばさず(凍結路では恐ろしくて飛ばしようもないが)エンジンブレーキを多用して慎重に運転すれば、4駆本
来の力強さで、凍った上り坂などには絶大な威力がある。
 と、力んでモノ申しているのだが、小見郵便局までオカカを乗せて行って来たと云うだけの話・・・・・。でも芦峅寺の坂道は
凍ると怖いのは本当だ。
 今日も大日が奇麗に見える。


 青空が嬉しい雪国住まい。心からホッとする。


 少子高齢化の限界集落には、もう打つ手はないのだろう・・・。


 一寸淋しいので、今日の心洗われた雄山山頂カメラの画を拝借し掲載。
 この時期のこんな写真が拝めるとは、技術の進歩と、山頂カメラさんに感謝。
 このカメラ未だ生きている。ぜひぜひ皆さんも当HPトップのリンクから頻繁にチェック下さい。


1/20
 快晴の今日は大寒である。今朝7:00頃の気温は-9℃を下回った。さすが芦峅寺の山里だ。それでも快晴で、朝から
眩しい日射しが降り注ぎ、純白の雪面に弾け、きらきらと飛び散り目を射る。恐らく今日は一日中氷点下だろう。電線に着
いた雪がふだんなら日射しに溶けて落ちるのだが、今朝はひび割れて節煙を散らしながら落ちている。
 室温は床暖と、反射式ストーブで、18~19℃を保っているが、20℃にはならない。20℃程の温かみが欲しい時は、も
う一台温風式ヒーターを炊かねばならない。
 窓外には目が痛くなるような眩い光が、家々や木立まで雪で覆われているものだから、自由気ままに跳ね返り弾け、金属
音さえ立てているかの様に目に突き刺さる。
 大寒の晴天日とは、何と寒く眩しいものだろう。
 今朝親爺部屋から眺めた大日。
 ”雪衣 いくえ重ねた 寒の山”


 親爺の厳冬期部屋着はフリース上下重ね着、重ね履き・・・このまま長靴さえ履けば、氷点下の戸外へ出ても寒くはない。
 


1/19
 コロナ禍まだ猛威を振るい、北陸では雪迄も豪雪となって、市井の人々を苦しめる。何とも嫌な令和3年の幕開けである
事か・・・。が、自分の暮らしに目をやると、確かに旅行や遠出は少なくなったものの、それ以外はあまり変わってはおらぬ。
 電気も停電することなく、ガスや灯油も何不自由なく使えている。食料や日用品も全く不足なく(時として不注意なテレビ放
送などの、煽りともとられかねない妄言で、一時的に品薄となったものもあるが)供給されている。
 それやこれやを考えて見ると、アレコレ不平不満を言ったり、政府の対応がどうのこうのいうのはかなり甘えているのでは
なかろうか。
 確り、手洗い、うがいを徹底し、三密を極力避け、飲み屋や歓楽街への出入りを避ける。これだけの事でも感染は随分防
げると云うのに、これが守れない輩が多すぎる。そんな輩に限り政府が悪いの、政策が無いなどとのたまう。それは甘えだ。
 自分の生活を見なおして、少しの不自由くらい工夫して楽しむほどの気になれば、不自由ない日常を過ごせる。
 それ以上を求め、自ら何ができるかも考えず、他の非を探しあげつらう、これではまるでテレビで知識人を名乗り、口角泡
を吹く輩と同じではないか。
 恥ずべき、恥ずべき、決して同類となってはならぬ。
 親爺は自らを戒めて、良識と責任ある庶民を目指す。
 ああ、又降って来た。


 突然、ネパール勤務中に馴染んだワイワイの味を思い出した。インスタントラーメンだがこれを手で揉んで粉砕し、卵を
入れかきたまラーメンにして食すのが、親爺の好み。辛いチリペッパーをたっぷり入れて頂く。
 コロナのお陰で、昔の研修生や、友人が行き来出来なくなって、ストックも無くなっていたが、ネットで検索したら在った。
 しかも、made in Nepal for Japanと云ったワイワイであった。一袋90円は現地価格よりずいぶん高そうだが、適正価格
ではある。
 

 寒い寒い!!気温は氷点下である。


1/18
 夕べからわずかに積もった雪で、今朝の山里は真っ白い雪化粧・・・と云うよりお色直しと云うべきか、兎に角また奇麗に
家々の屋根も、木立も白い雪を重ねていた。
 雪は止んで、青空が出ていたので、親爺はまたドローン。庭に出て早速フライトさせた。
 本来なら10分以上は飛ばせる機体なのだが、気温が低くマイナス0.7℃。そこに僅かながら上空には風もあり、煽られ
るものだから、5分余りのフライトでバッテリー低下のアラートが出る。早々に着陸させたが、結構きれいな絵が撮れた。
 今朝の新雪に覆われた山里だ。


 立山は見えない。美女から弥陀ヶ原あたりがうっすらと・・・。


 村下側(西側)には青空が広がっていた。


1/17
 昨日は雨が午後から雪に変わった。少なくなった雪に追い打ちをかけるような雨がしとしと降り続いて、これでこの雪も
又半減するぞと思っていた処へ、気付けば雪が舞い落ちていたという訳だ。
 時期的には寒の中、降るなら雪で雨はない時期なのだからちっとも不思議はなくて、雨の方が不思議だったのだが、昨
今の異常気象の繰り返しで、素直な天気の予想など出来はしない。
 まあ、その雪は2~3cmも降っただろうか。屋根も道路も白く覆い、杉木立や冬枯れの広葉樹の枝も真っ白にしてしまっ
た。家の中からそれを眺めていたが、春はまだまだ来ないと云う事がよくわかった。
 今朝は昨夜も少し降った様で、不動の山も真っ白な装いを新たにしていた。


 雨が気付けば雪になっており、2~3cm降り積もった。又駄菓子の大人買いをした。駄菓子の鮮やかな色がモノクロームの世界に映える。
 


1/16
 雨が降る土曜日、気温が高いのだ。暦は未だ寒のうちなのに、先のドカ雪2回のあとは雨と来た。
 この雨は雪を解かす。除雪の手間がずいぶん省ける。が、雪が締まり重くなり、これで冷えると凍ってしまうので、さて
また除雪をしようとすると、硬くて、重くて、手に余る様になる。
 もうそうなったら、放って置けばいい。やがて溶けてしまうから。
 明日から又少し雪いなるそうだが、その後が気温が上がるそうであまり心配はいらない。
 町場の裏道は未だ除雪も行き届かず、でこぼこ道が続いているらしいが、この雨は残雪を解かすので、又恵みの雨か
も知れぬ。
 まあ、長閑な土曜日だ。


 約10日振りにオカカと買物に出かけた。食料を買い、駄菓子なども少し買って来た。カラメリゼアップル、何のことはない
薄切りリンゴを焼いて、カラメルシロップをまぶしただけ。が、結構これが美味い。
 

 庭の積雪は、主に融雪装置で屋根から滑り落ちた雪。オカカが山水を撒いて除雪するが、今日は雨がこれを助けてくれる。
 


1/15
 快晴ではないが、朝から薄日が差す穏やかな天気だ。
 雪も少しずつだが解けていて、五尺あった雪も現在は三尺五寸と云った処。
 今日は何と一〇日ぶりにオカカと食料を仕入れに行ってくる。正月の食材と、そのあと五日に豪雪を見越して余計目に
買い置きしておいた食料が、今日の分までは楽にある。
 まあ、親爺とオカカ二人の食卓だから、そう大量に食べるわけでもないから、便利な冷凍食品も利用すれば、この位の
事は当たり前かもしれぬ。
 気分転換も兼ね、ボチボチ町場御様子を見てくるか・・・。
 穏やかね今朝だが気温は0.2℃ほどで、地面は凍りついている。


 パパの実家で三日間お泊り、新しい従兄弟の子守をする黒部のオネイチャンと、赤ちゃんマンにミルクを飲ませる東京のオニイチャン。
 


1/14
 居間に隣接する物干場の、樹脂製の屋根に我が家の大屋根から落ちる雪どけの滴が、ポタッポタッと音を立てている。
 今は未だ正月の半ばなのだが、正月からずっと雪を降らせ続けた豪快な冬将軍が、大量の雪を置き土産にどこかへ
消えて、スッカリ暖冬に慣れ切っていた雪国人を狼狽えさせた。
 山里では流石に、この五尺程度の雪ではさほど驚かなかったが、この冬将軍は策士で、平素雪の少ない平野部の町
場を重点的に狙い雪を降らせたものだから、元々雪に対する備えが薄い町場の人々は、一気に混乱状態となり、あちこ
ちで車が立ち往生したり、生活物資が店に届かず、品物が購入できなくなったり、挙句は弱い構造の車庫がつぶれたり
幹線道路すら除雪が間に合わず長蛇の渋滞となったり・・・・・てんやわんやの大騒ぎだった。否、だ。混乱はまだ続いて
いる。
 今日は久しぶりに村の外、川向かいの小見集落の床屋へ行って来た。6日に富山市内へ薬を貰いに行って以来の、村
外への外出だ・・・。道路は融雪装置と、除雪でスッカリ奇麗になっていた。旧富山市内の裏道等はまだ酷い状態らしい。
 まあ一先ず雪の被害はなかった我が山里だ。


 あられ切の端をストーブで焼いて、醤油をつけて頂く。ちょっとしたお八つだ。 玄関先もオカカの除雪で雪が減った。
 


1/13
 寒いには寒い今朝だが、寒波が去って少し寒さも緩んだ様だ。カーテンを開けて外を見ると僅かながら霙が降っている。
 やれやれ、寒波のしっぽは未だこの辺を立ち去りかねていたかとガッカリするも、朝食を終え、居間に出て行くと窓外に
青空が拡がっていた。嬉しくて二枚か三枚か、写真を撮った。
 富山市内初め、町場のスーパーやコンビニにも、パンとかおにぎりとかいう食品が無くなっているそうで、5日から買い物
に行っていないオカカも親爺もそれは知らなかった。
 正月用に買いだめてあった冷食や、食材も十分あり、親爺とオカカ二人で食べる分には、まだ三日以上持ちそうだが、冷
蔵庫の中はすっかり寂しくなった。明後日くらいには一度買い物にって来ようと、二人で相談している。
 今朝は青空が嬉しかったが、今は又雲に覆われている。


 青空が広がるとやはりうれしい。


 正月のお飾り(鏡餅)は7日に下げたが、さてその餅の始末だ。テレビでピューラーで削ってオープントースターで焼き醤油を絡める
と云うのをやっていたので真似してみたが、何だか濡れおかきの様で、さっくりとは行かない・・・。まあこれはこれで美味いが。
 

 で、オカカがいつものように押切を持ち出して、あられづくりを始めた。これはしばし乾燥して、缶に保存する。
油で揚げて、揚げあられとし塩を振り頂く。


1/12
 雪は一段落した様で、気温も徐々に上がり、山里でも今日は3℃くらいまでには暖かくなるだろう。
 山里はもうとっくに、普段の雪に埋もれた生活の日常だが、里雪に見舞われた町場の人たちは大変な目に合っている事
だろう。我が山里と、町場では備えが根本的に違う。
 先ず町場には排雪する用水路や、空間がない。富山市を囲む水田単作地帯の平野部の人々にはこれがしっかり確保さ
れているから、道や家周りの雪は田んぼにでも放り込んでおけばいいし、その前に適度な用水路を見つけて投げ込んでお
けばいい。
 我が山里でも常願寺川に流れ込む、用水路が排雪用に廻らされており、雪はその川に流す。勿論一気に皆が一斉に流
すと川が溢れ大変なので、そこは様子を見ながらだ。さらに村内の幹線道路には融雪装置がついているし、除雪体制もし
っかりしており、委託されている業者がベテランばかりなのだから除雪も速やか丁寧だ。
 さて、駄法螺の様な話ばかり書いて恐縮だが、つまり町場には大雪対策が考えられていないと云う事を言いたかった訳で
それ故こんな里雪となると大騒動となる。
 その最たるものが東京の数センチの積雪による、我々雪国人から見ると実に馬鹿らしい騒ぎだ。過密都市と云われて久
しいが、上に向かってまだまだ拡張を続ける超過密都市、感染症の防疫も難しくなる一方だし、雪対策など無理な話だ。
 玄関の出入りは廊下状の石段を通る。


 まあ、あと一月か、悪くすれば二月はこんな雪の中での暮らしだ。


1/11
 又雪がかなりの強さで降り出した。間もなくやむだろうが質の悪い冬将軍の去り際の最後っ屁だろう。
 山里の積雪145cm、これはさほど驚く量ではないが、富山市の中心部で124cmは驚きである。これは、36年ぶりのこと
だそうな。36年ぶりなどと云うと、いつの間にか遠くなった、昭和以来の事であり、変な事で昭和が身近に戻って来た。
 が、もう令和3年、平成の30年も中に挟み、やはり昭和は遠くなっている。親爺が子供の頃「明治は遠くなりにけり」と云う
言葉を聞いたり見たりした記憶があるが、今やそう言った当時の人の気持ちがよく分かり、昭和は遠くなりにけりとしみじみと
想う親爺だ。
 降雪記録の話からおかしな方に話が飛んだが、今日も雪の中で、冬眠同様のずぼらを決め込んでいる親爺だ。
 2度目の雪下ろしをしている人もいる。この休みの間にと云う訳だろう。


 今日は心平にもらったイノシシのスペアリブで、特製のローストスペアリブを作る予定。
 真空パック冷凍保存の肉なので、肉の色も良いママだ。


 融雪装置で、屋根から落ちた雪が庭にたまった。未だ雨戸の丈を超すこともなく、出窓にも届いていない。
 


1/10
 隣の謙ちゃんの家でも、昨日ヤンジーの弟のノルブーが来て、屋根の雪を下ろした。謙ちゃんは腰痛で雪下ろしなど出来
ぬ。まあ親爺も似たり寄ったりで、除雪などもう無理だ・・・。で、オカカが孤軍奮闘、腕に膏薬を張りながら頑張っている。
 で、親爺は仕方ないから昨日は久々にキーマカレーを作ったり、冷凍庫で眠っていた鶏ひき肉を解凍してチキンナゲットを
作ったりと、厨房要員をして過ごした。
 9:55現在、眩しい陽光が射して来た。漸く質の悪い冬将軍も疲れたのだろう。
 今朝はまだこんな鉛色の空の下だった。


 親爺のキーマカレー作りである。先ずはスパイスを凡その目分量と好みで、計るところから。


 ホールスパイス(シナモン、カルダモン、クローブ)の香りを出した油で玉ネギ炒め。こんな色になるまで強めの中火で炒める。
 

 ピンボケだが、ホールトマト、カシューナッツペースト、パウダースパイスを加えドロドロに煮詰め塩一振りし、ひき肉を加え混ぜ煮込む。
 10分ほど煮て最後に塩で味を調える。
 


1/9
 実に寒い冬で、その分雪も歯止めが利かない。かなり質の悪い冬将軍がやって来ている様だが、我が山里も153cmの
積雪となり、まだ断続的に雪が降っている。
 朝、暫く雪が止んでいたのでドローンを上げて撮影したが、氷点下の戸外で風もややあり、10分以上は飛ぶ機体が5分
ほどで、バッテリー消耗の警告音がコントローラーで鳴り出し、機体がオートリターン状態で勝手に高度を揚げ戻り始めた。
 慌ててオートモードを解除し、手元に誘導着陸させた。
 写真はまあそれなりに撮れたが、一寸ヒヤッとした。
 雪はまだ微妙に降ったり止んだりだが、どうも里雪の様で我が山里では大騒ぎする様な雪ではない。2mを超す雪もそん
なに珍しくはない立山の山里だ。
 富山市内町場(おかしな市町村合併で、川向かいの原や粟巣野まで富山市だ。だからあえて町場と書かねばならぬ。)で
の積雪が1m15cmとの事。これはとんでもない大雪だ。町場で降ると大騒ぎになるのは、町場が雪に対して弱いからで、
車で下手な裏道など、ジープでも辛い。
 まあ、この雪も間もなく終わるだろう。雪など逆らわず、ジッと過ぎるのを待つことだ。
 何時もはこんな写真を見て、奇麗な雪景色なんぞと云っている町場暮らしの人も、今回は除雪にヒーヒー言っている。


 心平に車庫の屋根の雪庇部分だけを落としてもらった。現在心平は超人気の除雪戦力で、引く手あまた・・・。


 ドローン映像ならではの写真だが、下から見ても上から見ても雪ばっかりだとつくづく思った。閻魔同も雪に埋まった。
 

 我家の大屋根は融雪装置が利いていて、雪下ろしは心配ないが、灯油の消費量が心配になる・・・?


1/8
 今冬最大の寒波来襲中で、我が芦峅寺の山里の積雪は140cmに迫る勢いだ。気温も一日中氷点下3℃前後で、雪は
降ったり止んだりを繰り返しているが、降る時間の方がかなり長い。
 去年のほぼ無雪の冬を体験した身には、何だこの大雪はとうんざりし乍ら外を眺めてしまうのだが、68回目の冬のその
9割以上は大雪の中で過ごした過去を思い起こせば、「フン」と鼻で笑ってしまう140cmの積雪である。
 昔から大凡5尺を超せば一おろし、親爺などは6尺越せば一おろしのずぼら組であったが、一おろし戸は屋根の雪下ろし
の回数をさす単位だ。
 我が山里の山人たちの感覚では、2おろしが通常の冬、3おろしならやや多い雪、4おろしそれ以上ならなら大雪である。
 まあ、個人的な感覚なので人によって異論もあろが、凡そは上記の通りであろう。
 で、今冬はそろそろ一おろしと云う頃合いで、中にはもう下ろしてしまった家もあるから、二下ろしにかかりそうだが、まだ
二下ろししなくてはならぬ積雪量ではない。早々と下した家は、まだまだ余裕が有りそうだ。
 融雪装置をフル回転にしながら、灯油の消費量ばかりを気にしている親爺で、自分ではもう雪下ろしの元気はない。
 何分にも憂鬱な雪降りである。


 いやいや良く降った。もうこれ以上は雪など不要だ。           雪もコロナもさっさと消え去れ!!
 


1/7
 今日からは又雪が来るとの予報だが、山里では青空が広がり陽が射している。
 それでも予報が外れたわけでは無く、この後天気も急変する可能性がある。先の寒波の時がそうで、娘と孫を送って、
富山駅に行き、見送り帰路につくや大吹雪となったのだ。
 まあ、この後天気はどう変わるか、きっと雪にはなるのだろうが、大した積雪にならぬことを祈っている。
 今日は年に一度の七草がゆの日。この村独自の昔ながらの七草がゆを、今朝もいただいた。
 もう何度も書いているので、重複するが、今は昔、雪深き山里の初春に春七草などあろうはずもなく、この山里の人々
正月飾りの、みかん、もち、こぶ、ほしがき、かちぐりを五品と数え、越冬野菜の大根か白菜を一品、黒豆を一品と数え
粥に加え炊き七草粥とす。これは今にも山里に受け継がれこの地の年に一度の七草(七品)粥の正規品とされているが
、いつの間にかスーパーの七草セットを購入しセリナズナゴキョウハコベラホトケノザお七草がゆを正規品と勘違いしてい
る村人も多い。スーパーのあれは日ノ本標準品であり、その地その地の正規品が有る事をお忘れなく。いや、最近は七草
がゆなど、それ自体が廃れてきているのだから、致し方あるまい。
 今朝の晴天の山里。


 昔ながらの我が山里の七草がゆ。今朝もいただいた。年に一度の味ゆえ、美味しく感じた。


 これは昨日の写真。僅かながら大日が見えていた。            富山市内を出て立山町に入ったら雪は降っていなかった。
 


1/6
 朝はガスに覆われて居た山里だが、その後しばらく青空が広がり陽の光が射して、雪もやや緩んできた。
 でもそのあと薬もらいに訪れた富山市内中心部の医院では、診察を受け薬を貰い帰るころにはボタン雪が舞い始め真
冬の雪模様となっていた。が、立山に向かい帰路を辿るうちに、山里の方向が明るいことに気づき天気予報では今度の
寒波は里雪型になると云っていたのを思い出した。
 本格的な寒波の襲来は明日からの様だが、今日薬もらいを終えておけば、気が楽になるとズボラを抑え込んで今日薬
貰いを終えたので、楽になった。
 寒波来襲もだいぶ慣れて来たというか、じたばたする前に備えを確りしておけばまあ後は雪の降り止むのを待つだけだ。
 そんな風に思いなおした。
 ガスの中の雪景色も開き直れば幻想的で、良いものだ。


 閻魔堂の木立の裏から明るくなって来た。                                     屋根の残雪から滴が垂れる。
 

 立山町のスーパー駐車場も雪のやり場が無くなった・・・。


1/5
 雪はまだ多い山里だが、昨日今日の小康状態で道路などは全く奇麗に開いている。で、また7日頃から寒波が来るとの
予報なので、、この間を狙って街に出て、少しばかりの用事と買い物を片付ける事にし、オカカの運転手となった。
 考えて見たら、新年となって初の外出である。車はしっかりとスノータイヤを履いているので心配はないが、朝方はやや
凍結もあるので慎重にスタート、標高を140m程下げた横江集落辺りからは道路も乾燥しており、凍結の心配なしで、通常
の運転に戻れた。
 明後日からは又雪の様だが、これで一週間は食糧も持つだろう。冷蔵庫は冷凍品だらけだ・・・。
 こんな雪の山里である。


 打越山の金比羅様も寒いだろう・・・


 隣家の大ケヤキをドローンで真上から見てみた。山り大きい。家一軒分のスペースに枝を広げている。


1/4
 漸く雪が止んで、僅かながら青空も見えている今朝の山里だ。
 昨日の夕刻、時間の空いた心平に頼んで我家の大屋根から解け落ちて、小屋根(下屋根)の一部にうずたかく溜まって
いる雪を下ろし、処分してもらった。玄関真上の小屋根にはこちらでノマドメと呼ぶ落雪防止用の瓦が使って在り、他の部
分の雪はずり落ちるが、この部分は落ちにくくなっている。後は裏の小屋根も同様の個所があり、これは裏通りの細い道
を閉ざさぬ配慮だが、この部分も雪が溜まる。
 心平が来て2時間ほどの作業で、我が家の屋根は奇麗になった。オカカが外へ出て心平の落とす雪を川に放り込んで
いると、何とヨータローが一緒に来ていて手伝いを始めた。未だ小学2年生ながら手際が良く、持久力もあり、バーチャン
を助けてくれたようで、しまいにはバーチャンよりヨータローの仕事が早く、驚いていた。
 親爺の膝に抱っこし、しがみ付て離れなかったヨータローが、もうそんなになったのかと思うと感慨無量である。雪仕事は
詣できぬジーチャンだが、今度はヨータローとドローンでも飛ばしに行こうと約束した。こっちならまだ先生で居られる。
 その先生たる親爺、今朝はドローンを上げて我が家の屋根雪の状況を確認した。もう一雪来ても大丈夫だ。
 大屋根は奇麗に解けているし、小屋根も心平とヨータローのお陰で奇麗になっている。我家の大屋根が白い尾は今朝
の雪で、夕べから融雪は切ってある。


 周りはどこもかしこも雪景色である。


 オカカは今朝もスコップを持って勇ましい。 少しずつ青空も見え出したら、家の中にじっとしていられなjくなる・・・。
 


1/3
 雪は断続的にまだ降り続き、山里の積雪は120cm代に入った。気の早い連中はもう雪下ろしに取り掛かる頃だが、何
分にも高齢化してしまった村で、少なくとも近所ではまだドスンドスンと云う音は響かない。尤も昔でもほぼ150cmを超えぬ
と雪下ろしに取り掛からぬ猛者も多々居り、親爺も叔父貴の伝を継ぎその一人だった。我が叔父貴に至っては家もしっかり
した作りだったからか、2mを待つことが多く、見かねた兄たる爺様が「お前が手伝いに行って下ろせ」と号令をかけるまで
平気なものであった・・・。在る豪雪の年、そんな状況で親爺も手伝いに行くと、当時まだ小さかった従妹が手伝いとばかり
に大屋根に登ってきて、何故か切取った雪の断面を見て大はしゃぎ、その断面に横穴を掘り、鎌倉を作った・・・。屋根に鎌
倉を作って、爺様に「ハカタレどもめと」苦笑いされた。でもこれは懐かしい思い出である。もう半世紀近い昔の話だ。
 さて正月も三日。明日からは役所も御用始め。世の中も動き出す。正月もまだ松の中ながら、実質的には今日で終わる。
 車庫前の除雪をするオカカ。


 一応黒部も雪が降るから、大人のまねっこオネイチャン。           陽射しのある暖かい砂場で、どろんこの東京の孫。
 

 親爺は又箱根駅伝。往路何とか2位に入ったが総合では3位か4位か・・・・・。 こんな雪の中3女は松本へ向かった。
 
 


1/2
 今日は親爺にとって箱根駅伝の日。嘗ては強かったが最近は一寸覇気がなく、昨年はシードぎりぎりの10位に甘んじた
母校東洋大の活躍に注視している。
 山里は豪雪の中、既に積雪量111cm。雪に降り込められ過ごす正月である。
 それでも電気も止まらず、テレビはライブで青空の広がる太平洋側の画を送り続けてくる。嘗て表日本と呼びならわした
青空拡がる雪のない冬は、表日本の呼称に相応しく、灰色の空の白雪に降り込められて暮らす日本海側はやはり裏日本
と呼ぶと雰囲気が伝わる。何所が差別的呼称かは良く分からぬまま、いつの間にか使わなくなった表裏日本と云う呼称だ。
 現在東洋大学5位。平塚中継所での順位だ。(写真は平塚中継所)


 黒部の孫は「良いお顔」がこれだそうな。                 東京の孫は暖かい公園の陽だまりをお散歩。
 


1/1
 開けましておめでとうございます。本年も元気に越年、雪の中の正月を迎えています。
 先ずは年頭に当たり皆さまのご健勝お祈りいたします。本年もどうぞよろしく。


 我家の正月です。何時もと違うのは鏡餅のお飾りだけですが。


 雪に埋もれてもこんな空なら心も晴れます。残念ながら数年前の写真です。

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