2022山賊庵絵日記(秋&暮)          2022/09/01 開設 9月となり項を改めました。



12/31
 今年も今日まで。
 親爺はオカカと二人、お節料理づくりを頑張っている。
 もう大半は終わり、あとは重箱への盛り込みだけだ。玉子焼きや、伊達巻、などは既製品でまにあわせるが、
ブリの幽庵、鮭の粕漬、鴨ロース、焼き豚、等は手作り。更に筑前煮、椎茸の甘煮、蛸の柔らか煮、きんぴら、
生麩の含め煮、田作り、黒豆も手作りだ。
 二日ほど前から日持ちのするものを作り始め、今日はもうすべて出来上がった。午後から重箱に盛り込めば
お節も完了だ。
 親爺とオカカにはそれぞれに分担があり、主に煮物、黒豆、焼き魚はオカカが担当。焼き豚や鴨ロース、蛸の
柔らか煮、田作りは親爺が担当する。
 手間暇かけて作る料理は、年に一度のお節故力も入る。
 それでも昔よりは簡素化していて、鮎の甘露煮などは止めてしまった。手がかかりすぎる割に誰も手を出さず、
まあ、それはそれでよいような気もするし、孫の相手などしていると、そっちの方が楽しくて・・・・・。
 今年も皆元気に年越しできることを、神仏やご先祖様に感謝し、穏やかに来年へと進んで行こう。
 皆様もどうぞよいお年をお迎えください。
 雪が少なく穏やかな姿の山里。


 筑前煮                                         手毬麩含め煮
 

 ブリ柚庵焼き                                      鮭粕漬
 

 生麩含め煮                                     蛸柔らか煮、焼豚、田作り
 


12/30
 明日は大みそか。親爺とオカカも役割分担でお節づくりをしているが、年々簡素化している。
 親爺の分担は、焼き豚、鴨ロース、生麩、蛸柔らか煮、田作り、それと出汁取だ。オカカの分担は筑前煮、ブリ
柚庵やき、鮭の粕漬、きんぴら等々その他大半であり、重箱への盛り込みもオカカの仕事である。
 タイムリミットは明日の午前中いっぱい。
 親爺は今朝から焼き豚、鴨ロース、蛸を仕込み、午後は大量の出汁を取り、取った出汁で生麩を煮、明日は田
作りを要り上げる予定だ。
 年々身体の動きが悪くなり、調理の手際も悪くなるが、それでもこれは続けるつもり。
 親爺の子供のころの愛読書「エスキモーのふたご」のような東京の孫。雪遊び大好き・・・。


 もう雪は止んで、青空が広がり始めた。でもまだ、木立も屋根も雪をシッカリ被っている。
 


12/28
 今朝は晴れてはいたが薄暗い気がしたのは、陽が雲に隠れていたからだ。今、10時近くになって太陽が出た。
 太陽の光は我が家の物干場に直に射し、一気に物干場の温度が上がる。アクリル樹脂で囲われた温室の様
な構造になっているからで、この物干場の温室効果は冬季には実にありがたい。
 居間との間のペアガラスの仕切り戸を開けると暖気がいまに流れ込んで、おおよそ正午頃までは有難い補助
暖房となっている。(もちろん夏場は物干場についている網戸を全開にして、居間との仕切り戸は閉めている。)
 久々の快晴だが、夕刻には曇りからまた雨、雪になりそうだ。
 まあ、雨ならいくら降っても良いが、雪はもう沢山だ。(毎年同じことを言っている。)
 一寸陽が陰っている朝のどろーんしゃしんだが、立山は見えていた。


 雪をかぶった山里の村。久々に青空が見えて嬉しい。
 

    


12/27
 暮に娘らが帰ってきて、車を止める車庫を追い出される親爺だが、今年も母の実家跡の、叔父が立てた車庫を
使わせてもらう事にした。今使っているのは従兄だが、正月は五百国の家にこもるらしく、芦峅の車庫は使わない
ので、3日ほど頼んでおいた。
 オカカは正月の準備に忙しい。特に今はお節などの買い出しだ。ちょっと前なら親爺も一緒に出掛けたが、ここ2
年程はオカカが孤軍奮闘である。親爺がいると足手まといになるのかもしれない。
 さて、もう僅かな今年だが、これから親爺もお節料理の手伝いで、ちょっとだけ忙しくなる。
 29日に東京の次女と孫息子が来る。松本の末娘も来る。長女と孫娘は年明けの2日に来る予定だ。
 天気が何とか持って、大雪にならないことを祈るばかり。
 今日の山里は雪が上がって穏やかだが。


 親爺も朝からドローンを上げて、屋根の融雪の具合を確認したりしている。閻魔堂も雪をかぶった。
 

 村の上手の打越山の杉木立も、その下の家々の屋根も真っ白である。



12/26
 今日は祖母の月命日、例によって仏壇に燈明を上げ香を焚き下手な経も読んだ。向こうで祖母が優しく笑って
いる顔が見えた気がした。
 積雪はついに73cm。オカカとともに「ちょっと舐めてたら、偉く降ったなぁ。」と顔を見合わせている。
 考えて見ればこの程度の雪では、我が山里の村に限って、何の支障もない。ただ正月前にこれだけ降ったと云
うのが、面白くない・・・。
 せっかく帰ってくる子や、孫たちに暖かい良い正月を過ごさせたいと思っているのに、雪が降り続くと何もできな
いし、寒くて風邪でも挽かせたら可哀そうだ、などと考えてしまうから、この天気が気に食わぬわけだ。
 でも、そんなことをいくら考えても思ってみても、天気など人の都合でうまく変わるものではない。
 それゆえに天気なのだ。
 まだ、冬の入り口に入るか入らぬかという今からもう、めげていてたまるか!
 親爺は空元気の空ぶかしで冬にゆるゆる突入する・・・。
   冬初め五尺の半分すでに降り


 オカカが山水散水融雪で玄関の石段を確保。                 枯れ木に見事な雪の花。
 

 今朝も守屋が車庫前を開けてくれた。有難い。


12/25
 程よいホワイトクリスマスだ。昨夜の雪は数センチ。9:00現在43cmだから、昨夜から2cmも降ったのか。
 まあこの雪は峠を越えた。
 朝一番で、ライン着信が幾度も鳴り響いた。可愛い孫たちが起きてサンタさんからのプレゼントを見つけ大騒
ぎしている動画が送られてくるのだ。
 観てほほえましく、孫が喜ぶ姿に自分まで楽しくなる。
 親爺とオカカのクリスマスは、これがすべてなのだ。
 良いホワイトクリスマスの山里である。


 昨夜は各々こんなクリスマスイブを過ごした。孫娘はケーキが楽しみ。甘いものが嫌いな孫息子は新幹線弁当・・・。
 

 そして今朝はパジャマのままはだしでプレゼントに飛びついた二人である。
 

 山里の雪はこの位で落ち着いたようだ。このままあまり降らねばいい正月を迎えられることだろう。
  


12/24
 クリスマスイブになった。可愛い二人の孫にはジジババサンタからプレゼントが届くようになっている。
 もうクリスマスと云っても、孫にプレゼントを贈り、それを受け取って喜ぶ写真や、動画が送られてくるのを見る
のが楽しみなだけの日である。ケーキも食いたくは無し、クリスマスソングも左程聞きたくもなし。孫の喜ぶ姿が
ジジババのクリスマス。
 今年も見事なホワイトクリスマスとなろう。
 大雪予想は我が山里には当たらず、現在積雪36cmである。


 雪景色見飽きてもまた雪景色
 




12/23
 今冬は電力消費もひっ迫し、節電を心掛けねばと、親爺とオカカもできる限り電気を無駄遣いせぬよう心掛けて
いる。それでもそんな事は全く心に留めず、イルミネーションで家を飾り、街路樹を飾り、商業施設に至っては全く
そんなことはよそ事とばかり、無用の電力消費を誇る様な電飾で客寄せを図る。
 先の大雪の傷跡まだ言えやらず、停電4日目にしてようやく電機が戻った家庭では、涙ぐみ喜ぶ人の姿。
 都会の街路樹はどう考えても不要と思われるイルミネーションが輝く。
 電力消費量がひっ迫している国の、両極端の姿。
 どう考えればいいのだろうか?
 この電力不足を補うために、最大5割を超えようかという電気代値上げが目の前にあるというのに、国民はぼや
くだけ。政府は何の指針も持たず、ぼんやりしているだけ。
 無力な年金生活者が、このおかしな世の行く末を心配しても仕方ないのだが。
 今の処、大雪にはなっていない山里だ。
 今朝、新雪は9cmのみ。


 まだまだ余裕の山里の雪だが、この後が恐ろしい・・・と思っていたら急に陽射しが注いできた。
 


12/22
 朝から雨が降り続いている。暖かい朝だから、今まで積もった雪はかなり嵩を減らすだろう。その上昨夜は風が
吹いた。
 この雨は、この後気温が低下し雪に変わるそうだ。
 この雨量のまま、雪が降るとしたら、明日の朝は見事な雪景色に戻るだろう。
 雪国の宿命ではあるが、冬の間中親爺の日記は「ぼやき日記」になるだろう。ああいやだいやだ・・・。
 約70年間親爺は雪に降りこめられて暮らしてきたことになるが、小学校3年生の頃だったろうか、祖母に連れら
れて富山市内の叔母(祖母の娘)の家へ出かけたことがあった。確か2月末のころ、山里はまだ雪だらけで、最寄
りの千垣駅まではバスが走っていた。道はバス一台がやっと通れるだけの圧雪道路で、もちろん舗装などしてある
訳もなかった。どうにか千垣駅について、電車に乗り富山市内へ向かう。千垣トンネルを過ぎて、山ばかりの景色が
開け、富山平野の一番端に至り、岩峅寺の駅に近づいた頃、車窓の外には雪の下から、地面がのぞいているのを
見つけ、驚いた。「ばぁば、地面見えとる。」と祖母に小声で囁いた。祖母は可笑しそうに「下りゃ雪も減るもんじゃ。富
山の町にゃ雪は無いかもしれんな。」と孫の頭を撫でた。
 その頃は、村から小学校までの通学路は、圧雪のバス路で、両側は雪の廊下だった。地面などどこにも見えなかった。
 だからその時期に見た地面は、十分驚きに値した・・・。
 雨の外を眺めながら、今そんなことを祖母の笑顔とともに思い出した。
 閻魔堂も雨の中に佇んでいる。師走22日の朝である。


 昨夜からの風と雨で家々の屋根雪も減った。不動の山も黒々としてきた。 近所の大イチョウや大欅も雪を落とした。
  


12/21
 アマゾンで注文した覚えのないものが届いた。送り先にはアマゾンとしか書いてない。アマゾンの購入履歴を調べ
ても何も出てこず、相手に連絡もできぬ。アマゾンのカスタマーサービスにどうにか連絡して、話ができたが、向こう
も何もわからぬ状態で、どこかの誰かが勝手に送り付けたのだと云わんばかりだ。
 で、気持ち悪いし、新手の詐欺などという事も考えられるので、宅配業者に連絡して、受け取り拒否の扱いにして
もらうことにした。送付された荷物を必ずしも受け取らねばならぬという義務は一切ない。身に覚えのない荷物と分
かったら受け取り拒否すればよいのだが、ただでさえ多忙な時期に宅配業者には迷惑なことだろう。
 しかし、身に覚えのない荷物は決して受け取るべきではない。いやな世の中だ。
 便利になった分だけ、その便利の裏側から魔手が伸びる。これはうかうかボケている訳にも行かない。
 特にネット販売は怪しい影が潜む・・・。
 雪が解けてきたが、まだ冬の入り口だ。


 庭にはたっぷり雪が残る。                       大日が良く見える。
 

 昨日の写真はまだ雪が多い。



12/20
 師走もいよいよ2/3を過ぎて、終盤に入った。クリスマスに大晦日、開ければ正月である。
 いつもの事ながらあっという間に時が過ぎてゆく。親爺とオカカには毎日がとてもゆったりと時間が流れているよう
に感じられるのだが、同じ様な日々を長閑な時間の中に過ごしてみても、気付けば時は巡っており、その刹那には
時の流れの速さを痛感するのだ。
 人間とは可笑しいものだ。ゆったりとした時を過ごしているのに、突然時の移ろいの速さに驚いているのだから。
 我が山里、芦峅寺は現在44cmの積雪である。大屋根の雪が融雪に溶けてずり落ちてきそうだが、屋根上に置い
たままでも全く問題ない嵩だ。向かいの鉄骨車庫など無骨な鉄板屋根をカバーされて、却って綺麗である。
 と、まだ雪が本番ではないので、親爺も余裕であるが、どこか雪のない処へ逃げ出したい気持ちは無い訳ではない。
 ”老いの身が逃げ出す村の雪の丈”


 杉木立の雪も重いことだろう。


 座敷縁側の雨戸を閉め切った。昔なら雪囲いをしたものだが・・・・・。



12/19
 34cmの積雪に覆われた我が山里だ。予報ではもう少し降るだろうと思っていたが、屋根の融雪装置のボイラーも
左程頻繁にはうならなかった様だ。
 目覚めて見た窓外の景色も、昨晩寝しなに見た景色とあまり変わっていなかった。
 昨日もほぼ一日降っていたように見えたが、振ったり止んだりであって、日中に降った積雪量は3〜4cmだった。
 昨晩は一番まとまった雪が来ると覚悟をしていたが、大したことは無かったし、今日もまもなく11:15だが、雪は降
っていない。
 毎年のことだが、雪の降るたびに多い少ないと騒いでしまう。多ければスキー場が喜び、少なければ高齢者世帯が
喜ぶ。
 まだ雪が降り始めたばかりの冬の入り口である。


 不動山も冬の不動になった。                     見慣れた冬の景色だ。
 

 晴れ間を見てドローンを上げた親爺。寒くて外には出たくないのだが。



 親爺がポップコーンを作って、オカカが焼きいもを焼いて、カルピス出おやつだ。


12/18
 除雪車は来なかったが、雪は20cmあまり新に降り積もった。
 昨夜は寝つきが悪かったので、8:00にオカカに起こされた、隠居の身とは言え8:00まで寝ることは外聞が
悪い。悪いとは思っても夜具の温かさから出るのが嫌でぐずぐずしていたが、覚悟を決め起きだし、ごついフリ
ースを着こみ、靴下もズボンの裾を中に入れる山小屋履きに拵えて、ようやく洗面である。
 昔からの癖で、お湯で顔を洗うことは決してせず、寒中でも冷水で洗顔する。さすがに目が覚める。
 窓外を見れば新たな積雪、でもまあ大したことは無い。雪に埋もれるにはまだまだ時間がかかる。
 朝食をいただき、朝のルーティーンになっているリハビリ体操をし、さて、ドローンを持ち出し玄関へ。ドローン
を玄関から上げ、約10分、上空からの雪景色を撮影し、玄関内までドローンを誘導着陸。
 まあ、それなりにいい絵が撮れていた。
 今朝は青空も出ていた。


 雪に埋もれた庭にわずかに陽が射していた。             もう冬景色だ。
 

 昨日オープンした粟巣野スキー場が見える。左端。ここらでは一番古いスキー場だ。


12/17
 今朝は朝ピッカリ。青空が出て陽射しもしばし、居間に射しこんできた。がそれもつかの間、もう薄暗い冬空だ。
 今日オカカは買い物に行く。初めは親爺もアッシー君でついていこうと思っていたが、ゆっくり買い物したいから
と一人で行くそうだ。まだ雪道ではないし、スノータイヤも万全な4WD仕様のnoteだから運転に心配はない。
 なんだかんだ雪を心配しながら、冬の生活に入っていく親爺とオカカだが、この冬も恐らく雪に埋もれて時が流
れて行くだろう。これからほぼ2ヶ月が、長い冬の本番である。
 青空の下薪ストーブの煙突が温かそうだ。


 屋根から雪がずり落ちる。その向こうの青空が嬉しい。


 まるまるとしたイワシのめざし。なんと過日高山で買ってきた。親爺はもっと細く塩のきつい
めざしが馴染みだが、高岡育ちのオカカはこのめざしが懐かしかったようだ。
 懐かしい味ではあった。


12/16
 今朝も寒い朝だ。霙と雨が交互に降ったりやんだりしていて、家々の屋根に積もった雪は棟で割れたが、木立の
雪は着いたまんま。雨が又霙に変わった。上空の寒気がもう少し強くなると雪・・・ため息が出る。
 今朝は久々に豆を挽いて、コーヒーを入れた。豆から挽いて飲むコーヒーはやかり美味い。
 しばらく珈琲に凝った時期があって、サイフォンで淹れる珈琲が最高だと思っていたが、山小屋でだったか、何処
か忘れたが誰か珈琲の好きな御仁がいて、紅茶でよく使うフレンチプレスで、茶葉を珈琲に代え淹れると美味いと
教わった。
 で、家でやってみると確かに薫り高くうまい。で、それ以降珈琲はフレンチプレスで淹れることが多くなった。何より
後片付けが簡単だ。
 親爺の古い友人で、自称アルピニスト氏がいる。積雪期に雷鳥沢キャンプ場で、親爺の忠告を無視して幕営し、寒
さで一睡もしなかったと云う自称アルピニストである。まあ、一睡位せずともその後登山を続けたかというと、そこで
ギブアップし、寝不足のままよろよろと室堂バスターミナルに戻り、下山したそうだ。
 故に自称アルピニストである。
 がこのコーヒー豆は彼から頂いたものであり、実にうまかったので今は感謝している。
 親爺も自称珈琲通である・・・。
 雪の朝 豆挽き淹れし 珈琲美味し 


 窓外は雪景色。                                   杉の木立にも電線にも雪が着いている。
 

 閻魔堂も寒々と雪をかぶっている。


12/15
 いよいよ山里は本格的な雪景色となってきた。計測点の積雪はまだ16cmだが、屋根や庭のつもり具合を見て
いると、本格的な冬来ると思われてならぬ。
 気温も低く外気温は0.6℃、ストーブと床暖を焚いて居間の室温はようやく15℃である。まあ床暖があるので、直
に床に座り込んで毛布をひざ掛けの様に置いておくとかなり暖かい。我が家では床暖の温度設定は真冬でも弱に
している。これ以上にして寝転んだりしていると汗をかくからだが、熱源はガスである。
 今朝も雪は思い出したようにちらほら来る。でもぐんぐん積もる様な雪降りではない。
 この程度の雪で、年末年始が過ごせればオンノジなのだが。
 すっかり雪に覆われた山里。もう春の日が待ち遠しい。
 

 閻魔堂の木立も電線も我が家の車庫もみな雪に覆われた。


 庭ももちろん雪の下。



12/14
 雪の朝になった。来るべくして来た雪だが、とても歓迎できない代物だ。
 床暖OK、ストーブOKで、今の室温は精々19℃程。だから厚着をして過ごすしかない。オカカが今朝親爺の一番
重装備となるフリースを出してくれた。さすがごついから暖かい。まあ、体が寒さに順応してくるから、やがてまた元
の軽いフリースに戻すが、しばし順応を待つ間はこれで過ごそう。
 この冬型は当分続き、クリスマス辺りは長期予報では単独雪マークが並んでいる。
 芦峅寺に住む以上、雪からは逃れられない。
 あっという間に白くなった庭。




 降り始め。                                      約5分後。
 


12/13
 今朝は久々に謙ちゃんの顔を見た。足が不自由になり歩行が怪しいが、相変わらず元気である。もちろんもう
早月小屋は息子のケンタロウに任せ、隠居の身。悠々自適の老後である。親爺より二つ先輩だ。
 山里はまた曇り空。朝方は雨もぱらついていたが、今は上がった。気まぐれな青空が出たりしているが、陽は
射してこない。でも気温は高い。
 明後日ごろから寒気が吹き込み、雪になるとの予報が出ているが、初雪以降雪は来ていない。
 さて今日は何をして過ごそうか。
 親爺も日々長閑な時間を満喫している。
 まだまだ雪景色には遠い、今日の山里だ。暖かい。


 不動山も芒まで枯れた。


 大日も裾だけ見えている。


12/12
 いい天気の山里で、物干場と居間の仕切り戸を開けておくと、温室効果で温められた暖気が居間へ入り小さな
ストーブ1台分ほど暖かさを増してくれる。
 オカカが買い物に出かけ、同行しようと思っていた親爺だが、やっぱり留守番に回ることにした。
 親爺がいるとオカカは買い物に集中できないらしいし、一人で気ままに回りたいところを回るのもこんないい天気
なら良いだろう。と、勝手に解釈しているが、出不精なおやじのこと、留守番のほうが良い・・・。
 昨夜、BSの番組で懐かしい昭和の歌を取り上げていたが、何気なく見ていると佐良直美が出演していた。これは
珍しいことだと、しばらく見入った。潔く年を重ね、堂々としている姿勢が好ましく、往時の姿や歌も放送されていて
懐かしい想いで見た。
 特段、佐良直美のフアンでもなく、歌謡曲にはほとんど興味のなかった親爺なので、何ら思い入れなどないのだが、
その歌の背景に流れる時間が、よく知っている頃なので、その過去の頃を懐かしむ気持ちが起きる。
 歌は世につれ、世は歌につれ、と云う名言があるが、まあその通りだろう。聞こうとせずとも繰り返し流され、いつと
はなく耳に残っている歌が、その頃を連想させるという事なのだろう。
 最近こんな60〜70代を対象にした歌番組が出てきた。懐メロとでもいうのだろうが、武田鉄矢などが司会者で、面白
い。親爺とオカカと二人で見ることが多いが、5歳の(4歳半)の年の差がでる。それでも共有している時間が大半なの
で、二人で愉しみ、寝る前のしばらくの時間を見てしまうのだ。
 来拝山に雪が来た。


 可愛い二人の孫が、楽しんでいる姿を見るのは、親爺とオカカには何にも代えがたい喜びである。
 


12/11
 今朝は天気が悪く、雨で開けた。
 昨日までは良い天気だったので、親爺とオカカの高山温泉旅行?も極めて快適だった。古い家並の中にある
初めての宿、旅館田邊さんに投宿。駐車場が頗る狭く、場所が分かりづらい他は快適に過ごせた。
 親爺もオカカも飛騨路が好きだ。距離的にも車で2時間前後のところに温泉場が点在し、高山を中心に、比較
的落ち着いた伝統文化の中に、親爺好みのひなびた情緒がある。まあ最近は中国語や韓国語が飛び交う事も
多くなってきたが、一時期ほどでもない。コロナ疫蔓延で海外からの渡航が制限されたからだが、最近はまた増
えて来た外国人観光客である。
 明治以降ようやく自国に外人を受け入れてきた日本である。陸続きの国境を持たず、アングロサクソンの魔手
から逃れてきたアジア唯一の国である。
 さて観光立国を目指す必要は本当にあるのだろうか、大切な文化財も傷つけられるだろうし、日本文化に無知
な癖に、はだしで上がり込んでくる図々しさに耐えられる日本人、対抗できる日本人は多くはないだろうし・・・。
 こんなことを書いている自分にもろ、老いを感ずる親爺だ。
 不動の山にガスがかかっている。


 久しぶりに7〜800mをぶらぶら歩いて疲れた親爺。まあたまにはいいがマスクが苦しい・・・。
  

 常磐ハワイのダンサー志望のおいらだぜ!!   金沢は北陸一番の都会。チョコレート店がお気に入り!!
 


12/9
 実に久々に青空が広がり、まぶしい陽光が射して来る。
 かなり昔の話だが、「キューポラのある町」を単行本で買ってて読んだ事がある。当時はまだ北朝の実情など明
らかではなく、一部革新系文化人には身分制度のない労働者の天国などと喧伝された時代の本である。
 まあ、今となっては北鮮の実態はよくわかっているし、親爺も1990年代最後に機会あって北鮮へ入った経験があ
る。(目的は5月の白頭山登山だが、種々の事情でこれはかなわなかった。ただ、平壌、板門店などを見て回っただ
けの旅になった。父、二人の叔父、本家筋の叔父たちと一緒の北鮮行だった。)
 キューポラのある町は映画にもなっているし、その内容は今更述べるまでもない有名な本だが、最近この本を電子
書籍で読み直す機会があった。
 いや当時の社会情勢が、ある程度理解できるので、本は何ら問題なく読み進められが、正直に言うと社会主義国
家への夢を見ている最中の本であると感じた。これは最初に読んだ若いころにも、少し不快な違和感程度に感じて
いた事と一緒だろう。
 時代を見ればそれが間違いだという事はできぬ。また元々が児童文学者、早船ちよ氏によって書かれた本である。
 ある時代の、貧困家庭の物語として読むなら興味深い。それを取り巻く社会主義の異臭を放つさまざまの組織もま
た、一つの時代の産物として読み捨てていけばよい。
 もうこれ以上は斜め読みでよかろうと、ストーリーを追って読んでいる。
 今日は高山へ、今年最後の温泉旅行だ。昼食後に出発すればよかろう。
 久々に晴れた。


 かすかに見えている大日の山裾まで雪はおりてきた。


12/8
 今にも雪が降って来そうな空だが、雨が降っていて、まだ雪に変わる気配はない。雪は川向のスキー場まで来て
いるのだが、我が山里に来るのはもう幾日か先のようだ。
 芦峅寺の山里は立山が閉鎖されると車の通行量もかなり少なくなる。ましてや雪に閉ざされる冬ともなれば・・・が、
今度は川向のスキー場へ向かうスキー客の車が増える。
 一昔、二昔前なら長蛇の渋滞となり、スキー場の駐車場も満杯で入れなくなり、その間村から外へ出るのが至難と
なる事もあったが、今は昔の話である。スキー人口そのものが減ってしまったのだろう。駐車場が満杯になる事など
最近はめったになく、県営だったゴンドラは撤去されたし、スキー場の運営そのものが難しくなったようだ。
 いずこも例外なく少子高齢化の波に飲まれ、山里に生活する人々は老いた。川向のスキー場の連中も親爺たちの
仲間が少なくなり、もう如何ともしがたいようだ。まあ、流れのままにゆっくりゆっくり・・・。
 初雪は来たが、積雪はまだない山里だ。


 ガスが濃くなって不動山も隠れた。


 オカカが暇だからと、昆布を刻みするめを刻み、ニンジンまで切ってくれたので親爺は松前漬けを作った。
 長閑な日々万歳。


12/7
 どこの家々もほとんど冬支度を終えた。雪囲い、庭木のある家は雪吊りなどなど。
 我が家は屋根に融雪装置があるので、雪囲いはしないが、雪が落ちてうず高く積もるので、本当は視野方が良
いのだろうが、親爺はも十数年間していない。で、今の処何の被害も出ていない。
 とにかくもう、体が思うように動いてくれず、スコップの雪を2回か3回持ち上げ捨てるだけで息切れする。だから
もし雪囲いをするという事になれば、心平かもりやに頼むしかあるまい。でも冬場の除雪も四六時中彼らの手を煩
わせるのだから、一寸頼り過ぎとなるような気がするから、雪囲いはやめておこう。
 芦峅寺の山里で暮らすのは、雪と戦うという事の様だ。もう戦う体力のない年寄りにはなかなか住みづらい。


 布橋も冬支度を終えていた。この橋の除雪は心平のアルバイト仕事だ。


 大日の上部は見えぬが大辻山の裾まで雪が来ている。


 川向のスキー場にも雪は来ている。まだまだ滑れぬほどだが。


12/6
 いよいよ我が家も床暖を常用するようになった。電気の高騰を見ているとガス式の床暖にしておいて良かったが
このガスも値上げは必至だろう。
 政府も無能だが、日銀総裁の頑固な姿勢も円安を助長しているような気がする。まあ経済大国日本も砂上の楼
閣だったのかもしれない。
 資源を持たぬ国が、国民の勤勉な労働と、優れた頭脳による技術開発により、大きく成長していったのは親爺た
ちが子供だった頃から青春時代、そして子育て世代を経て老境に入るころまで。
 が、昨今どこでどう間違えたのか、その賢く勤勉な国民の姿が見られなくなり、芸能スポーツ万能主義ともいう可
笑しな風潮の中で、へらへらしている中に、日本は随分落ち目の国へと変わって言っている。
 斜陽国・・・そんな言葉がよぎる。
 さりとて、猛烈社員という言葉に代表される、企業戦士のような存在がもてはやされる社会よりは、今のほうが幾
分ましなのだろうか?
 雪待の師走6日の山里だ。


 アンパンマンを5歳が書いて、意味不明の文字を駆使して3歳半がおてがみを書いている。
 孫の成長に目を細めるジジババだ。
 


12/5
 向かいにあるお好み焼き屋の看板が無くなっているのに今朝気付いた。もう6年か7年店はやっておらず、休業
状態だったのだが、我が家車庫の横に大きな赤い看板があって、撤収されることは無いと思っていたが、今朝見
たら無いのだ。
 いよいよ店をたたむ気になったのだろうか、それは知らぬが再開というわけにはゆかぬだろう。
 今日は5回目のワクチン接種を終えた。今の処全く異常はない。前回ちょっと熱が出たが、今回は出ないような
気がする。
 我が山里はこれから雪が来る。親爺は70年間雪に埋もれて生活してきた。
 車のスノータイヤを履き替え、屋根の融雪装置の点検、稼働試験も済ませた。親爺とオカカのインフルエンザ予
防注射、コロナワクチン接種も終えた。
 あとは雪の降り具合を見ながら、前と後ろの縁側雨戸を立てるだけである。
 心静かに雪を待とう。少しでも少ないに越したことは無いが。


 大日がガスの向こうに見えていた。                   おや、いつの間にか万年閉店のお好み焼き屋の看板が取り外された。
 


12/4
 どんよりとした師走4日の朝だ。空はまさしく鉛色。まだ雪はないが冬である。
 この秋ごろから冬季の2ヶ月ほどを、雪のないところで過ごしたいといろいろ調べてみた。手軽なところではマンス
リーマンション。がいまいち集合住宅は気に入らぬ。で、戸建ての田舎家などを探したが、これは買い取るしかない。
買い取って冬の2ヶ月だけしか使わないなど、不経済過ぎて出来ない。
 一所帯さえ大変なのに、二所帯など更に大変だ。
 だから雪に埋もれて過ごすしかない。
 過日隣の、父のいとこになる、剣山壮の前女将と立ち話をしていて、「今からまた雪だと思うと、嫌になるわい。」と
云うと「そんなこと云うておったら、芦峅に居れんぞ。」とカツを入れられた。親爺より10歳も年上の大姉御だが、いや
なかなか大したものだ。
 で、まあ今冬も親爺とオカカは雪の下に埋もれて暮らすことになるだろう。
 静かな師走4日の日曜日である。幸い雪はまだない。


 川向の山は北斜面しか見えぬからか薄く雪がついている。          閉鎖された立山は全く見えぬ。
 

 過日の四国への旅で、高知で買ってきた焼きカツオ。何のことは無いなまり節と同じ味わいだ。
 不味くはないが好んで食べる味でもない・・・・・


12/3
 昨日より寒い朝だが青空も見え、陽射しもこぼれてくるので少しずつ暖かくなるだろう。
 1日に初めて黒部の孫の生活発表会に招待してもらい、楽しいひと時を過ごしてきたが、今見返していても楽しい。
 と、今、東京の孫の生活発表会が今日で、ライブで次女から動画が送られてきて、これまたかわいいお遊戯に、
ジジババは一しきり見入った。
 まあ、祖父母参観も父兄参観もボチボチ行われるようになり、コロナ禍以前に戻りつつあるという事だろう。
 コロナは決して消えておらず感染も横ばいだが、インフルエンザと同列と見なす方向に行っているようだ。
 さて、ジジバカぶりを発揮しよう。
 全く上がらず、大きな声でご挨拶ができる我が孫。ジジ譲りの面の皮を受け継いでいるようだ。


 

 東京の孫もふざけてパパのハイウエスト踊りやらをやらかしていたが、挨拶は驚くほど上手に言えた。
 この人前でも決して上がらない面の皮はジジ譲りだなやっぱり・・・。
        

 垣根に残る名残のバラはまだ一枝頑張っている。           ヨーグルトに乗せた柿ジャムはオカカの手製。シナモンが効いて良い。
 


12/2
 いよいよ我が山里にも初雪が来た。早朝から降り出し09:30には止んだがいよいよ白いものが降り積もった。
 とは云え、積雪は1〜2cmだろうか?生活に支障は出ないが、心は十分に冬に怯えている。雪とともに幾星霜を
過して来た身ながら、年を重ね体力がなくなり、寒さにも弱くなると、元来が正直な親爺なのでいやなものは嫌だと、
つい口に出してしまう。
 屋根の融雪装置は職人さんに点検してもらい、いつでも稼働できる。
 車のタイヤはスノータイヤ(スタッドレスとやら言うそうだ)に履き替えてある。
 庭も冬バージョンにオカカが蚊帳づけた。後は雪の状態を見ながら雨戸を閉めるだけだ。
 床暖も昨日から自動で入るようになった。居間で寝転ぶと気持ちよくツイツイうとうとしてしまう。
 冬支度は凡そ済んでいるのだ。
 それにしても親爺、もう来春の雪解けのころが恋しくてたまらない。軟弱もここまでくれば極まれりである・・・。
 山里に来る初雪はしのびあし


 庭も白くなって竹垣も雪を載せた。                       はす向かいの車庫よ今冬も頑張ってくれ積雪2mまで。
 


11/30
 いよいよ霜月も終わる。
 我が山里にまだ雪はなく、今朝は曇天で小雨も混じるが、温かい。明日から冬型の気候に成ってくるというので
今日の中に雪のない山里を上空から撮っておこうとドローンを上げた。
 久々のドローンで親爺、操縦に自信がない・・・何となくドローンの挙動がおかしいような気がして、数分で降ろし
た。回収したドローンに異常はなく、操縦に問題があったようだ。写真は撮れていた。
 まあ雨の止み間を狙って撮ったドローン写真だ、きれいなものは撮れぬ。それでも雪のない山里の姿を撮ってお
きたかったわけで、まもなく来るだろう雪にもう嫌気がさしている。
 村のもっとも山手。来拝山よりの家々もまだ雪など来ていない。来拝山も真っ黒だ。


 我が家の前でドローンを上げる親爺。たまたま外出から帰って家の石段を上るオカカ。
 

 まだ村は初雪にも見舞われていない。


11/29
 南風が吹き込み、杉の枯れ枝が吹き飛ばされ、道路や庭に散り積もる。風はかなり強いが、気温もぐんぐん
上がり、朝の暖房前の居間の温度は18℃あったそうだ。
 ゴミ出し日で、親爺もゴミ袋を一つ持って50mほど離れた集積ボックスまで言ってきた。暖かいを通り越して、暑
い程である。我が山里のごみ集積ボックスは、鉄板で作られた頑丈なボックスで、野猿公等では歯が立たないし、
イノシシでも破ることはできぬだろう。そのくらいにして置かないとごみを、獣にまき散らされる山間だからだ。
 まあ雪も凄まじい我が山里、今や野生動物の被害も馬鹿にできぬ。かつては腕利きの山野を駆け回る能力を持
った狩人が数多いて、腕を競ったものだから、熊は村に近づかなかったし、野猿公も決して姿を見せなかった。イ
ノシシなどこちらには生息しておらず、わずかに岐阜県との境を有するエリアで、捕ったという話があっただけだ。
 狩人が高齢化で自然減少し、自然保護動物愛護の行き過た喧伝で、獣は害獣と呼ばれ憎まれ、人間に危害を及
ぼす物だという事が、ようやくわかりかけてきた昨今、さて、これからどうなるのだろうか。
 立山はガスの中。


 ジジの肩たたきをしてくれるおしゃまな5歳。ママが子供のころに瓜二つな東京の3歳。孫は可愛いものだ。
 

 この象形文字、東京が書いた。ママも子供のころ同じような字を発明していた。血は争えぬ。


11/28
 昨日は相撲の千秋楽、富山出身の元大関(過重なペナルティーで幕下陥落)朝乃山がほぼ十両復帰を決める
成績で終わったが、幕内優勝は阿炎。かつて彼も幕下まで落とされ、這い上がってきた力士だ。
 最近の相撲協会は、八角体制が続き、様々な問題が起きているが、コロナ禍も何とか潜り抜けた八角理事長の
手腕は認めざるを得ぬ、しかし取り巻きの幇間理事連や、馬鹿丸出しの審判部、旧態依然とした師弟関係とそれ
が内包する前時代的悪弊・・・確かにその通りだ。更に内部告発や告げ口の応酬など誠に見苦しい。
 これも風潮だとするなら、まあ否定はできぬ。苦々しくはあれど。
 と、爺のぼやきもここまで。どうなるかわからないサッカーの行方にも相撲程の興味がない親爺だ。
 まもなく立山も仕舞う。最後まで無事終わってほしいものだ。
 今朝の山里。長閑。


 いかにも弱弱しい冬の入り口の朝日。                      それでも青空も広がっている。
 


11/27
 今朝は青空も広がって暖かい朝だが、昨夜は雨が降っていた。
 昨夜から泊まっている孫が、洗面しているジジの処へ駆け寄ってきて、朝からにぎやかだ。朝食もジジの隣に座り
食べている。いや、最高の朝だ。
 大日は雲にまかれて一部僅かに見えている。ババと庭に出た孫が「ジジ、サルがうんちしていった。」とジジを呼び
に来た。どれどれと庭に出て見ると、すでにオカカが片付けている。夜明けごろ入ってきたらしい。足跡は猿だ。
 オカカが希釈した酢を撒いて、侵入防止に備えている。効果はかなりある。ジジのBB弾射撃は、実際に侵入現場
を押さえぬと役に立たぬが、希釈酢の散布は、犬、猫にも効果がある。
 僅かに姿を見せている大日。
 

 孫が隣にいる日は暖かい。必ずジジの隣が自分の席と決めている。こぼしても怒らないし、てってもおくちもきれいに
拭いてくれるし、とにかく甘いジジが大好き。ジジも可愛いりんちゃんが大好き。
 暖かい日差しが部屋に入って来る。
 


11/26
 霜月も末というのに暖かい朝だ。
 今日は黒部の孫がやってくる。3週間ぶりで顔を見せるので、楽しみだ。昨日音声メールで、「私、ジジの作るクッパ
が食べたい。ジジババに会いたいよ。」と云ってきた。クッパなんて食べさせたことがあっただろうか?とジジは考えて
見たが、たぶん前回、松本から帰省していた末娘が好きなので、残っていたラーメン用のスープをベースに作ってやっ
たのを一緒に食べさせたのかもしれない。もともとラーメンが大好きな孫、クッパも好きになるだろう・・・・・。
 でも今日はオカカがエビフライを作る予定で、親爺のクッパは明日の昼にでも回そう。
 孫が来るとなると少し元気が出る親爺だ。
 大日も曇り空ながら見えている。さらに青空が広がってきた。


 閻魔堂の参道は石段から山門へと続き、山門をくぐると正面に堂があり、右手には妙念坂が旧立山堂に向かい下りてゆく。
  


11/25
 昨日、閻魔堂の仏事の手伝い当番だったオカカが写真を撮ってきてくれた。徒歩150mほどの場所にいて、最近は
めったに行く事もない。
 だから写真で見る閻魔様も久しぶりだし、オンバ様やその他の何田羅王、甘田螺王なども久しぶりで見た。
 それこそ保育園に(閻魔堂の前にあった営林署の官舎か何かを再利用したもの)通っていた60数年も前の親爺たち
は閻魔様をアカトッタと呼んで怖れたのだが、アカトッタとは真っ赤な朱漆で塗られた閻魔大王を、赤いトッタ(父ちゃん
の幼児語の云い?あるいは父ちゃんの方言)であり、凄まじいご面相で薄暗い堂に座っている姿は、無条件で怖かった。
 歳とともにアカトッタは怖くない存在になり、家を離れ東京の学校に行く頃には、懐かしいだけの故郷のシンボルに変
わり、今やめったに顔は見ぬものの、いることは確かな我が山里の閻魔様である。
 今日は晴れて、立山が良く見える。いつもより雪は遅い。


 石段を登り山門をくぐり焔魔堂に至る。これが旧立山道からの本来の参道。


 山門をくぐると本堂だが、その右側には立山道に下る妙念坂がある。


 本堂正面には閻魔様がかッと目をむき座る。堂脇にある石塔、石仏群はこの堂に仕えた歴代の僧の墓だそうな。
 

 閻魔大王のわきには〇×王、△☆王などが並び さらにオンバ様(媼尊)も居並ぶ。
 


11/24
 昨日深夜のワールドカップサッカー、日本対ドイツ戦は、優勝候補に胸を借るけなげな日本というイメージで、元々
そんなにサッカーには興味のない親爺とオカカ故、あえて観戦しようという気もなかったが、22:00開始だったので
前半1点を先取されたところまで観て、どうせ最後までは観られぬ(遅くなってしまうから)と、サッサと寝についた。
 親爺は例によって、夜具の中で読書、オカカが寝込んで親爺も寝ようとしたが、そう言えばサッカーどうなったかな
と、タブレットで検索するまでもなくいきなりトップページで日本が後半2点を入れ、逆転現在49分・・・
 驚いて、オカカを起こし日本が逆転したぞと伝えるも、朝オカカは覚えていなかった・・・・・
 とまあ、やはりワールドカップともなれば普段は観ることもないサッカーが気になってしまうミーハー親爺とオカカで
ある。今朝からは歓喜の報道の大嵐に、すっかり飲み込まれている。
 オカカも焔魔堂の仏事の当番が当たっており、朝から手伝いで、出かけているが、明かりがついて大戸も開いてい
る閻魔堂が見える。


 立山は見えず、雪が降っているようだが、上空を見上げると青空も顔を出している山里の今朝。
 

 8年前の今頃撮った一枚。剱を早月側から見上げている。同じ時期だが雪が確りとついている。


11/23
 今日も鉛色の空だ。雨も降ったりやんだり。
 咳もどうにか治まり、風邪の症状はほぼ消えたが、食欲が出ぬ。だから体がだるく、今一つ元気もない。
 まあ、それでも居間の定席に座り込み、PCのキーボードを叩いたり、テレビで桟敷での相撲観戦も十分楽しめる
までには回復している。高齢者は病後の回復が遅れる。
 朝の軽い体操も行って、咳をすると響き痛む肋骨をかばいつつ、親爺の一日が過ぎてゆく。
 この剱は2008年の小屋閉め直前のもの。
 今はもっと降っているかもしれないが、今シーズンは雪が遅い気がする。


 山ではエビのしっぽが岩に張り付いているだろう。


 山里は小雨模様。干し柿が丁度良い風に仕上がってきた。


11/22
 鉛色の冬の空の今朝。それが陰鬱な冬枯れの当たりの景色に実に見事に合っていることに気付く。
 変なものでそう気付くと、陰鬱でしかない鉛色の空にも季節の味わいがある。
 もう間もなく白い嫌なものが空から落ちてきて、この景色を一瞬の中に変える。否、変えてくれると思えば、白い冷たい
嫌な雪も、それほどに忌むばかりの物でもあるまい・・・。
 すべてが流れる時の中で繰り返される変化である。親爺も悟った気分になった・・・未だ雪には幾分間はあるから。
 そろそろ雪が来る前の準備が廻りで始まっている。親爺も時機を見て、車のタイヤを履き替えよう。
 近所の大イチョウも欅もすっかり丸裸。鉛色の空の下に佇む。


 閻魔堂の前の芒原も芒が次々枯れて倒れて見通しが良くなった。     川向の山々もすっかり初冬の山肌だ。
 


11/21
 今朝は良く晴れた。閻魔堂の杉木立の向こうに大日が雪をかぶって見えている。この時期としては雪は少ないようだ。
 旅から帰りすっかり体調を崩した、懲りない親爺だが、掛かりつけの医院へ出かけ点滴やら、抗生物質の投薬を受け
二日ほど寝込んでしまった。
 ほとんど持病である気管支炎。これが酷くなると月単位で体調不良に陥る。
 今回は熱が上がらず、昨日でようやく咳も治まった。
 痰が切れずせき込むので肋骨に負担がかかり、痛むので膏薬を張ってもらい、うなりながら過ごした昨日までを反省の
糧として、今日からははゆっくり慎重に普段に戻るつもりだ。
 で、朝のルーティーンとなっている、リハビリ体操を普段よりゆっくり時間をかけ行い、ボケ防止のHP更新に取り掛かっ
ている。


 高知を出て向かったのは徳島県。オカカが見たいと言っていた阿波踊り会館に到着した時間が早かったので、その
裏山の眉山(びざん)という小山にロープウエイで登った。
 

 阿波踊り会館では阿波踊りの実演が見られ、細かい解説付きで時代とともに変わり来た踊りを見学。
 同館内の博物館でも素晴らしいジオラマなどが見られる。
  

 楽しいのだが風邪が進行・・・四国2日目の宿に向かう。部屋に入るや親爺はダウン。夕食までを寝て過ごす。
 

 でも、素晴らしい夕食は上機嫌でいただき、ほぼ普段通り平らげた。八寸良し、造り良し、土瓶蒸しも、阿波牛西京焼きも素晴らしかった。
  

 新鮮な鳴門の海の幸の天ぷら、〆の源平飯もシラスの白にサーモンの赤源平の旗印だ。美味しかった。
 

 今朝の我が家の庭に出て、四国の気候より2歩ほど冬めいた空気と4,5輪の名残のバラを眺めた。
 徳島を出、翌日は敦賀で一泊しようやく家に帰りついた親爺だが、その後今日まで、尚4日を寝込んだ親爺だ。
 今日からは普段の生活に戻るぞ!!
 皆様お見捨てなきようお願いいたします。ページも今日から毎日更新予定です。
 


11/17
 親爺古希を過ぎての初旅行は四国にむかった。
 もちろん今や親爺のドライブ旅行など、オカカ以外誰も付き合ってくれない。しかも後幾度こんな気ままな旅行が
できるだろうか。と思いながらふるさとの山を後にした。
 今回は一寸、風邪の引き始というリスクとともに出発したので、オカカはもう治癒期で大丈夫だが、親爺の風邪が
曲者だ。
 以日の移動距離にもかなり気を使い、けっして400Kmを越さない様アレンジ。で、初日は兵庫県加西市まで。ここ
で一泊して翌日本四架橋を渡り、高知に入った。
 前々回の耕地が印象が良かったので、龍馬の住んだ街記念館を訪れ、いきなり乙女姉さんと龍馬の銅像にで迎え
られた。
 小一時間ここで過ごし、貴重な資料なども閲覧させてもらい仁淀ドライブに向かった・
 やや期待が多きすぎたからか、仁淀ブルーというほどの驚きはなかったがとちゅうの道の駅でそばを手繰り、そこ
そこ楽しんでこの日の宿に入る。
 親爺可なり風邪が進行・・・。
 きれいな部屋で食事までの時間を相撲観戦。
 故郷の山を後に今日は四国に入る。


 龍馬の産まれた街記念館には乙女姉さんが腕を組んで立っている。


 この町の記念館で、親爺は故郷の山を思い出していた。


 仁淀川巡り、沈下橋を始めてみた。                         ジジババ二人でソフトクリームを。
 

 宿泊した仁淀川沿いに建つお宿では土佐牛のステーキが美味かった。体調不良ながら食べ物の味はよくわかった。
 


11/12
 明日から数日の小旅行。
 大好きな東北は、時期的に少し寒そうなので、たぶんここよりは暖かい四国方面へ行く事にした。
 親爺とオカカの旅は、たいてい車で、宿は予約を入れて置き、その日の最終目的地とするが、その他は全て予定
を組まず出かける。移動中に気ままにあちこち寄ったり、何かうまそうな店を見つければ飛び込んだり、まあ気楽な
ものだ。
 今回も一応、仁淀川を眺め、あわよくば鮎かうなぎにでもありつこうと云う親爺の目的。オカカは徳島阿波踊り会館
で本場の阿波踊りを眺めたいと云う目的。
 まあ、旅の目的など有っても無くてもいい。行き当たりばったりが一番気楽だ。
 普段の住処とかけ離れた場所の、空気を吸い景色を見てくるだけだ。
 という事で、数日このHPの更新はなくなりますが、お見捨てなきようお願いいたします。多分18日には更新致します。
 山里は今日も良い天気。


 イチョウも間もなく葉を散らすだろう。


 立山の池塘はかつて餓鬼の田と呼ばれた。もう雪に覆われるだろう。


11/11
 明後日からオカカと二人小旅行に出かけようと思っている。何せ年を取り、ちょうど出不精になるころにコロナ禍
と云う、地球規模の感染症が爆発的に広がり、家でじっとしていることが唯一の防疫という事態が始まって、旅に出
る事が、悪いことという風潮になった。
 若いころは自分の放浪癖を抑えるのに苦慮したことすらある親爺だが、40代終盤に大きな病気をし、50〜60代に
は当初は養生で余りで歩くことを控え、その後はそれが当たり前になって、体力がすっかり落ち、引きこもりのように
なってしまった。
 が、60代前半はまだ山小屋の親爺業をしていたので、それなりに動きもし、出歩くことも多かったし、旅にもよく出た
ものだ。
 それが親爺業を引退し、立山を仕舞ってから、さて晴れて隠居の身、誰に気兼ねすることもなく気の向くままにうろ
つこうと手ぐすねを引いて、ベトナムへ出かけ、台湾へ出かけ、東北へ出かけ、九州に出かけ…とやっている中に、
突然コロナがやってきた。
 全くじっと家にこもり必要のない外出を控えるといった生活が続いた。で、今度はそれが常となり、出かけることが
何やら苦痛とさえ感ずる様になってきた。
 これはいけない。年老いて出不精になるのはいけない。
 元来が人と群れて何かする質ではなく、気ままにオカカと二人うろつくのが好きだ。一番気兼ねのない二人で、様々
な場所を訪れる。好きなように過ごす。それこそ風の吹くまま、気の向くままだ。そんな旅が好きなのだ。
 で、明後日からそのような小旅行に出ようという次第。
 このHPも4〜5日はさぼる予定。皆様お見捨てなく。
 晴れて暖かい朝。大日も、言える。


 教山坊(昔は屋号で音吉と呼んだ)の紅葉がきれいだ。


 近所の銀杏も黄色い。


 佐久間式ドロップスの生産中止を、感慨深く聞いた。最近は親爺もこんな輸入品に浮気している・・・。


11/10
 今日も暖かく良い天気だ。
 昨夕風呂に入り、フリースも着替えたので、ちょっと厚めで暖かいものに着替えたら、昨夜は良かったが今日は
かなり暑い・・・。
 秋以降春の半ばまでは殆どフリースで過ごす親爺だが、フリースは何着も持っていて、山小屋親爺現役時代に
愛用していたのはパタゴニアばかりで、引退後にはユニクロ製品が気に入って(安価で性能も高い)1,2着用いて
いる。でもパタゴニア製品は高価な分長く着られる様で、いまだに捨てがたく体になじんでいるので用いることも多
い。後は作務衣も非常に着やすく、親爺はよく着ているが、今の時期になるとやや寒く感ずる。
 まあ、フリースに作務衣そして甚兵衛があれば親爺の1年の衣類は事足りる。気楽なものだ。
 色づき散り始めた近所の銀杏。



 不動山の東面が我が家の真正面。きれいに色付いた。


 大日もきれいに見えている。                            隣の桃の老木もすっかり葉を落とした。
 


11/9
 晴天の山里で、温かい。
 今日は爺様(父)の月命日、例によって仏前に燈明と香をあげ、下手な経を門前の小僧並みに読んだ。
 オカカが一昨日まで滞在していた孫の鼻風邪をもらい、鼻づまりで苦労していたが、耳鼻科で治療を受け、今日は
ずっと症状が軽くなったようだ。親爺も気を付けなければいけないのだが、朝晩の嗽の習慣が身についており、その
所為か今回は大丈夫なようだ。もちろんまだ安心できぬので、葛根湯など服用して用心はしている。
 親爺の古希で娘たちや孫たちが一同に会し、我が家で過ごしたが、その時の疲れもオカカには出ているのだろう。
 とにかく二人の孫は、ジジババが大好きで、特にババが好きで巻きつくようにババにべったり。
 ジジも体力の限り孫と遊ぶが、孫にはもうジジは物足りぬ遊び相手になってしまっている。
 「ねえ、どうしてジジババのお家が良いの?」と5歳になった孫娘に尋ねたら「だってジジババ怒らないから。」と簡潔
明瞭な返事があって納得した。3歳五か月の孫も「ジジババのお家が良い。」を連発。親爺とオカカはジジババ冥利に
尽きるといったところだ。まあ、甘々なのだ。
 立山も雪が新たに来たようで、弥陀ヶ原辺りまで薄く雪が来ている。
 大日も再び、白く雪を被った。


 二人でジジの顔を書いてくれた。灰色の髪と髭まで丁寧に。   ジジは「うんちっち!」という絵本を読まされている。
 

 暖かい日だまりで、鉢植えの手入れをするオカカ。


 大分の友に、2週間以上かけて作った皮付きのベーコンを半分送った。いつもいろいろ送ってくれる友なので、
親爺も手作りで心ばかりのお返しのつもりだったが、ずいぶん喜んでくれ、自分でほうれん草炒めを作ったそうだ。
 奥方が写真を送ってくれた。
 なるほどこの手があったかと親爺も真似をして作ってみる事にした。
 学生時代、肉のないカレーとか、キャベツの塩もみが専門だった友である。


11/8
 孫たちや娘たちもみなそれぞれの住処に帰り、親爺とオカカは寂しくはあれど穏やかな時を取り戻し、ほっとしても
いる。
 孫は可愛いし一緒に遊ぶことも楽しみだが、体力が追い付かぬ。さりとてしばし顔を見ぬと堪らなくなる。
 今朝は昨晩からの雨。どんよりした空模様だ。昨日が良かったので何やら鬱陶しい。
 で、数日前に購入したプリンターをセットアップしたが、親爺などもう旧人類なのだろうか、PCと繋いで作動させるだ
けのことに二、三時間もかかってしまった。
 ソフト一つDLして同期さえすれば何もせぬでもよいようだ。携帯からも直にプリントできる。まあ1万円余りの安物だ
が、消耗品と割り切って考えればそう高いものでもない。2年に1台は壊れるようだ。
 なければ困るし、そろそろ年賀状時期だからしっかり稼働できるようにしておかねばなるまい。
 今朝はこんな空の山里だ。今季初めて床暖を入れた。暖かい。


 昨日の早月側から取った剱岳。大窓、小窓、三の窓が峻険な剱を強調する。夕暮れ手もその険しさは変わらない。
 

 イチョウは黄ばみ、大ケヤキはすでに葉を散らせた。秋深い山里だ。




11/7
 親爺の古希のお祝いで、娘たちが全員集合したり、かわいい孫も二人来ており、あっという間に三日が過ぎていた。
で、この間更新ができなかったのだが、古希に至った親爺の事、お見捨てなきようお願いします。
 昨日はあいにくの天気だったが、今日はまた快晴。黒部も松本もそれぞれの住処に帰り、今日は東京の次女も帰京
する。東京の孫が昨晩から熱が出て、今日帰るのにと心配したが、今朝から熱が下がり普段通り動き回っていて、食欲
ほぼ普段通りなのでちょっと安心した。
 帰京すればいつも掛かりつけの小児科にすでに予約を取ってあるので、受診してくるという。鼻かぜだろう。
 皆に祝ってもらい幸せな古希を迎えた親爺。これからもマイペースで日々を送ろう。
 大日もすっきり見えている。


 
とうとう紫の装束を身につけさせられた。嬉しいような哀しいような・・・。孫二人がさっそくジジの衣装で遊び始める。
 

 
懐かしい山が目に浮かんだ。


11/4
 今日は親爺の誕生日、70年前の今日、親爺はこの山里で生を受けた。
 だから満70歳になったわけで、古希を迎えたわけだ。もっとも古希というのは数え年で云うものだそうだから、この正
月に親爺は古希を迎えていたのだが、すべてが満年齢を基準とする現代、満70が古希なのだろう。
 で、明日は一日遅れで、娘たちが皆集まって、親爺のためにお祝いをしてくれることになっている。
 もちろん二人の孫も来てくれるわけで、親爺は素直に喜んでいる。
 この山里の村に生まれ、立山の恩恵を受け、隠居の身となってもここに住み暮らす親爺だ。


 今日はあいにくの曇天。折角の連休初日なのに山は雨から雪だろう。この山に守られ凡そ40年を過ごした親爺である。
 


11/3
 
朝一番で、Jアラートなる物騒な警戒警報が出た。北朝鮮の金将軍が又ミサイル遊びを始めたのだ。
 おかげで、親爺の古希の祝いに来る、東京の孫の乗る新幹線に遅れが出た。3歳児を連れたママは大変だ。どうも
30分前後遅れるらしい。その30分が大変なのだ・・・。
 山里は穏やかに晴れ、称名が紅葉の盛りらしく。車がひっきりなしに登っていく。
 日本の文化の日は、何となく北の隣国のバカ騒ぎにあおられて、バタバタと始まった。狂人の相手をさせられる日本
も大変な事であるが、相手は狂った真似をしているだけかもしれぬ・・・。クワバラクワバラ。
 さてかわいい孫を出迎える用意をしよう。山里は晴天だ。


 大日もよく見えているし、
不動の円城寺壁もきれいに色付いた。     昨日のベーコンも上等の出来上がりだ。
 


11/2
 昨日、立山の神々がお帰りになり各々の御座に鎮まったからだろう。早速今日は晴れた。
 まだ少し雲はあるが、温かい青空の見える穏やかな霜月二日である・
 親爺は豚の皮付き三枚肉を使って、ベーコンを作りたいと、もう2週間も前から準備に入っていた。まずは肉を入手
し、それを塩漬けし10日あまり置いておいたのだ。
 で、一昨日、それの塩を洗い落として、味を確認。吸水シートにくるんで24時間以上の脱水をし今朝まで待ったのだ。
 今朝は朝飯後すぐに、その塩漬け乾燥肉を燻にかけた。
 まずは簡易燻製器で、スモークチップを入れ熱源(イワタニ卓上コンロ)の火力を目いっぱい絞り、煙が出るか出な
いか位の処で、60〜80℃をキープしやや弱めの熱燻とし、スモークチップが燃え尽きた頃、今度はスモークウッドに着
火し、40〜60℃の温燻状態で1時間余りを燻てあとは自然乾燥して出来上がりの予定だ。
 完全な熱燻ではないので、いただくときは一寸火を通していただこうと思っている。
 久々にベーコンを作ったが皮付きは初めて。噂で美味いと聞いているだけなので、楽しみである。
 いい気候になり適度に朝晩が冷えるので、いろんなことができる様になった。
 過日は豆腐ようもどきも仕込んだし、するめの麹漬けというものも、見よう見まねでネット上の情報を頼りに作り、その
うまさに驚いた。なんでも島根、鳥取当たりの郷土食なのだそうだ。
 親爺も明後日いよいよ70歳になる。母の生きた年を超えたが、父の年にはなお20年及ばぬ。
 体も体力は衰え、すぐ息切れ、だが食い意地だけはまだ盛んで、もうしばらくは頑張って美味いものを食ってやろうと思
っている。
 今朝はいい天気の山里だ。


 まだ制作途上のベーコン。丁度チップが燃え切ったところで、ここからはスモークウッドによる温燻に切り替える。


 スモークウッドに着火した。スモーカー内温度は50℃ほど。        チップが燃え尽き、着火したウッドが線香のように燃えている。
 

 このスモーカーは簡易スモーカーだけど使い方によってはかなりいい燻製ができる。


11/1
 霜月朔日の朝だ。久々に霜月にふさわしいような、薄暗く曇った日となった。ライブカメラで見る雄山山頂もレンズ
に雪か氷がついて、何も見えぬし、室堂もガスの中のようだ。
 さて、親爺は今からオカカのアッシー君。たまには車の運転もしなくては、精神衛生上よろしくない。
 でも出かけるのは、立山町の町場まで。片道30分はかからない。
 もう時間がないので、今日に日記はこれまで。


 山里の周りも日々秋色が濃くなってくる。閻魔堂医師団脇の桜や、隣家の銀杏、そしてケヤキも間もなく葉を落とす。
 



10/31
 今日も素晴らしい晴天だ。朝日が親爺の定席の真正面にある物干し場の仕切り度から射しこむので、親爺はしば
らく目が眩む。多分わずか数分の間の事なのだが、その数分がやけに長い。しかもカーテン越しなのに暑い。だから
しばらくストーブを切って天然の暖気で過ごす。結構な燃料節約???
 明日からはいよいよ霜月だ。ますます寒くなるだろう。そしてやがてはあの白い雪の下に埋まる冬だ・・・と、考えて
くると何やら落ち込んでしまいそうだ。だからそんな時にはそのあとに来る春の日々も想うようにしている親爺だ。
 季節は巡り、年もめぐり、若い日々が徐々に遠くなってしまい、今やそれはかすんで見えぬ程だ。
 親爺もいよいよ人生の最晩年。それでもまだ先は幾分ありそうだ。
 目先を変えて、冬の3〜4か月だけは雪のないエリアに移り住もうかなどとも考えてみる。半ば夢物語の様だが考え
てみる分には金もかからない。
 暖かい物干し場(温室状態)の暖気に温められた居間は、実に快適だ。


 不動の山も随分色に染まり、隣家の銀杏や、大ケヤキもかなり色を変えた。相変わらずの秋がやってきた。
 



10/30
 やや雲勝ちだが青空が見える今朝、晴天が良く続くものだ。今日で何日晴れが続いているのだろう。
 秋もずいぶん深まって山里もすっかり秋色だが、昨日久々に野猿公の群れが我が家の前をうろついていた。丁度
遊びに来ていた孫が、ママとお帰りで、我が家の筋向いの車庫に行こうとした時で、親爺は慌てて野猿公追い払い用
に身近に置いているBB弾エアソフトガンを持って、露払いをした。身近にいたらしいエテ公は親爺の姿を見ただけで
遁走したが、電線に一匹、空き家の屋根に一匹、これはボスらしいのがいて親爺の銃撃を受けた。
 パスンという発射音と、弾が傍を通るときのシュッという音あるいは気配に驚き、慌て逃げ出す。その慌て方はかつ
て親爺に撃たれ珍しくヒットして痛い目にあっているのだろう。凄まじい慌てぶりで、閻魔堂前の草むらに潜んでいた
群れも一斉に逃げ出した。 
 可愛い孫の手を引いて、万に一つもエテ公など傍に寄せ付けぬ様にBB弾拳銃を握り閉め車に乗せた。孫は野猿公
を見ても怖がるどころか笑っている。この無防備さが怖い・・・。
 これから冬に向かい野猿公の出没がしげくなる。親爺の野猿公追い払いは忙しくなる。
 大日も一寸ボヤっと見えている。


 これは果実のドローン撮影。大日山頂付近には雪が見える。


 今朝の大日山頂部に雪は少ない。ほとんど解けたかな?
 


10/28
 乗鞍、立山を越え富山空港を目指して岐阜を飛び立ったモーターグライダーが岐阜側の山林に墜落した。ニュース
で云うところによれば、操縦者は80歳の元大型旅客機のキャプテンだったそうだ。もう一人の搭乗者も含めお二人が
犠牲になってしまった。痛ましいことだ。
 モーターグライダーといえばいわゆる無動力のグライダーに、小型エンジンを搭載し、航続距離を伸ばした機体。
 このモータグライダーで世界一周に挑戦している人もいるくらいで、飛行安定性能は高いと思うが、もちろん普通の
動力飛行機に比べればその航続距離も短いし、パワーにも欠けるのだろう。素人考えだから当てにはならぬが、機体
も小さい動力で大きな揚力を得る分、大きく軽量に作られている。勿論機体剛性は十分高くやすやすと墜落することは
考えられない。何が起こったのだろうか・・・。犠牲になられたお二人のご冥福を祈ります。
 山里の秋は深まり、来拝山もかなり色がついてきた。


 立山連峰の北の守りは峻厳たる剱岳。そして連なる峰々の南の守りはたおやかなる薬師岳である。
 


10/27
 今日も良い天気だがもう10月の終わりだ。朝の気温はかなり低くなっている。 
 昨日ドローンを上げた。朝上げればその日の新しい写真も撮れ、HPに掲載できるが朝は太陽が低く、立山の方が
東だから、逆光気味になる。しかもなまくら親爺はドローンを庭から上げており、その庭が東向きだから朝日が低い位
置から眩しく射し、ドローンの操縦器側のFPV画面が全く見えなくなる。で、太陽が高くなる昼頃から夕方にかけてがド
ローンによる、我が庭先ドローン空港からの立山撮影のベストタイムとなるのだ。
 何のこともない、車でちょっと移動し、別の場所からドローンを上げればいいだけの話だが。
 まあ、きれいなドローン写真が撮れた。


 我が庭も花が絶えて、親爺がぽつんと玄関先に腰を下ろしている。でも、ただ二鉢のカーネーションだけがかろうじて花を残している。
 


10/26
 快晴の朝。大日が白く雪をかぶっているのが見えた。
 今日は祖母の月命日。仏前に燈明と香を上げお参りした。懐かしい笑顔が半世紀の時を超えて浮かぶ。もう10日
足らずで親爺も古希を迎えるが、祖母が旅立った年が73歳だった・・・。
 今、黒部の孫の動画が届いた。声がかすれているが、元気がずいぶん出てきた。小さなトランポリンで飛ぶ元気が
出てきたようだが、まだ少しおとなしくさせておかねばならぬ。ママが傍にいてくれるから嬉しい様だ。
 祖母を思い出していたら、半世紀の時を経て今、自分が二人の孫を想う気持ちが祖母と一緒なのだと思い至った。
 遠く大日を眺めている自分が70歳になるとは、なにやら面映い気さえする。


 久々に本場の「豆腐よう」を取り寄せた。頗るうまい。で、新たに豆腐ようもどきを自作しようと思った。
 買い物に行ったオカカに、麹と豆腐を買ってきてくれるよう頼んだ。難しく、時間もかかるが何度も自作しているし
レシピも残っている。


 浄土山が無風のみくりが池に映る。大日の直下の雲海が滝雲となって日が暮れる。すべてトモちゃんの写真。
 


10/25
 今日はやや肌寒かったが、青空も少し出ている。
 黒部の孫が風邪をひいてしまって、のどがかすれ吐き気もあるらしい。可愛そうで心配な親爺だが、自分も少し風
邪気味で、食後はすこしムカムカと吐き気もする・・・。どうも同様の風の様だ。
 孫は昨日のうちに医師の診察を受け、薬もちゃんと飲める。ママがついているしジジが余計な心配をしても始まらぬ。
 ジジは自分の体調をコントロールすることに専念しよう。
 今朝の山里。ちょっと寒かった。


 トモちゃんが大量の写真を送ってくれたので、未掲載分がまだある。ボチボチ掲載しよう。
 


 不動山もわずかに色付いた。


10/24
 
我が家から閻魔堂はすぐ近くで、旧立山道を挟んである我が家車庫の裏手に当たる。数年前まで民家があった
が、それが取り壊されて空き地になったものだから、我が家の居間から木の間越しに堂が見える。
 が、その空き地部分に今は芒が生い茂り、当初は何とも秋めいた風情くらいに思っていたが、今や頗る寂しげな
秋景色に見えてきた。
 しかもその芒越しに、堂脇に並ぶ石仏が見えるので物悲し気な景観に映る。
 本来、秋というのは寂しげなものだ。
 しかし、実りの秋であり大気も澄んで、青い空や鮮やかな紅葉や黄金色の稲穂などで、色濃い時でもある。だから
秋は「色濃くてけれど寂しげな頃」だと感ずるのだ。
 まあ、秋の感じ方は人それぞれ、その時々、多々あるだろうが芒の彼方の石仏など、やはり寂しげなものだ。
 ”閻魔堂すすきの向こうに石仏”


 立山も奥地の小屋は殆ど小屋を閉めた。剱沢も、雷鳥沢も間もなく白い雪に覆われる。
 


10/23
 昨日、インフルエンザの予防接種をしてきた。立山町内ならどこでもいいという事で、いろいろ回ったが、Uクリニ
ックが空いていたので、飛び込んで接種を終えた。初めての医院だったが先生もまだ若そうで、きれいな医院だ。
 新しいからまだ所謂高齢者の集会所化はしていないようだ。これはいい。頭にとどめて置こう。
 今回の予防接種は、親爺が普段お世話になっているT医院の先生から、「早くしておかれたほうが良いでしょう。」
「今年はインフルエンザの流行るのがはやそうですから。それにオミクロン株にも利くというコロナワクチンの接種も
直ぐに始まりますしね。」とアドバイスを受けていたから、早めにしたわけだ。オミクロン株対応の5回目ワクチン接種
はインフルエンザの予防接種とは2週間も開ければいいそうだし、開ける必要はないとも言われるらしいが、まあ、転
ばぬ先の杖を心掛ける親爺とオカカだ。
 予防接種の所為だろうかわずかに体がだるく、眠気がする。別に曜日には関係ない生活の親爺だが、日曜日の今
日は寝て暮らそう。
 薄く青空が出てきた。


 小屋閉め直前の剱御前小舎。ハマグリ雪渓が小さくなっている。


 雷鳥の冬毛がまだ左程進んでいない。根雪は遅いかもしれぬ。

 


10/22
 昨日は例によって掛かりつけの富山市町場の医院へ。薬もらいと年に何度かの検査を受け、12月早々にはまた
24時間心電図を予約して来た。幸い大きな病変はなく、今まで通りで古希を迎えられそうだ。
 で、昨日も一日、更新をさぼってしまった次第。
 今日はオカカと一緒にインフルエンザの予防注射に出かけるつもりだ。それにこの後は第5回目となる、新型コロ
ナ対応のワクチン接種も始まりそうだから、早め、早めと対応していったほうが安心だ。
 昨日黒部の孫が、白樺湖にあるプリキュアランド?へ行っている。楽しくてうれしくて大はしゃぎの孫の写真がどん
どん送られてきた。また今日は東京の孫がママと一緒に、ママが学生時代を過ごした仙台へお出かけするそうだ。
 それぞれに、幼い日の思い出を作ってやり、幼子と過ごした思い出を作るために、一生懸命である。実にほほえま
しい親子旅である。
 さて、親爺とオカカも重い腰を上げて、11月半ばには、四国方面への旅に出ることにした。当初は九州へと思った
のだが、どうにも車だと時間がかかりすぎるし、一日の運転を疲れるほどにはしたくないので、これはまたやがて、飛
行機とレンタカーででも頑張るか、カーフェリーを使うかして計画しようと思っている。今は全国旅行支援などを使うた
めにフェリーなどの予約がし難い状況だ(電話でしか出来ないし、電話は待ち時間が長くて事実上不通である。)から
ついつい面倒になる。
 さて、そろそろ出かけねば。旅行も身体が資本、インフルの予防接種だ。
 薄暗い曇りだが、山里からは立山が見える。


 憧れのプリキュアのお部屋。嬉しいね!!      おいらもディズニーランド。ママの友達がチケットを取ってくれた。
 


10/20
 早いものだ。神様不在に何の痛痒も感ぜず、神無月は1/3を余すばかりとなった。
 昨日立山は白く装ったが、まだ根雪にはまるまい。雷鳥の冬毛への生え変わりもやや遅いような気がする。こんな
歳は根雪も遅いだろうと思うが、あくまで素人の親爺の意見だからあてにはならない。
 昨夜寝しなに冬の雪対策を考え始めたら、眠れなくなって、明け方3時を過ぎて寝た。まもなく雪が来る・・・。
 まあ、今からこんなことを考えても何もならない。でも年を取ると取り越し苦労が多くなるのだろう。
 山里はいい天気のんびりしよう・・・・・。


 いつもより冬毛が遅いような気がする雷鳥、                夕焼けは真っ赤だった。
 


10/19
 
今日は見事な秋晴れだ。今シーズンの山小屋は天気にもたたられたが、奥地が小屋仕舞をした今になって晴れ
が戻って来たようだ。
 我が家の車庫の電動シャッターが開かなくなって、昨日は朝から大騒ぎ。一応手動にして開閉はできるようにした
が大きい3台車が入る車庫の一枚シャッターなので重い・・・。
 元建築会社をやっていた隣村の社長の長女Mは親爺と中学、高校の同級生なので、彼女に電話して、業者を紹介
してもらう。若い礼儀正しい職人さんが来てくれたが、すぐには修理できず仕切り直し。しばらくは手動シャッターで頑
張らねばなるまい。
 今日はオカカと富山市内の町場まで出かける。買い物のお付き合いだが、アッシー君といったところ。
 家にこもってばかりいるのも精神衛生上よろしくないので、2時間ほどは運転手で頑張ろう。
 浄土と雄山の真ん中のコルが一の越。無風時の池に逆さに映る。


 歩道の片隅に、赤く色づいた葉っぱに交じり白い花が夏の名残。


 真砂岳の稜線から別山越しに剱を見る。


10/18
 
昨日午前中に、見事に痩せて黒く焼けこんだ(日焼け)、大昔の山を仕舞って下山してきた芦峅の男たちの様な
近年はあまり見なくなった男が玄関に立った。
 誰あろう心平だ。小屋閉めに応援が得られず、スタッフが身内の不幸で下山したこともあって、
少してこずったの
だそうだ。途中剱御前小舎で泊めてもらい、昨日下山してきたのだ。剱御前小舎にたどり着く前夜は3:00まで徹夜
作業だったそうで、くたびれ果てていたようだ。
 が、何はともあれ今年も無事立山を仕舞ったのだ。数日はゆっくり休めばよい。
 が、今の立山の男たちは冬に向かって気楽に遊んでばかりいることも難しいようだ。心平にしても冬はいろいろと
アルバイトに忙しそうで、大好きな銃猟にも出かける暇さえあまりない様だ。まあ、それでも常に時間に拘束される勤
め人のようなことは無いから、幾らかは気楽に冬を過ごせばよい。ただ、コロナ以降の山小屋はとにかく収入が激減
していて、経営も楽ではない。
 今年がだめなら、来年があると、あまり取り越し苦労をせず、考えぬがいい。考えすぎる性質の人間には山小屋の
経営など向かない。何をしていても時は流れ、なるようになってゆく。
 この山に生きるという事は容易くはないが、時は間違いなく移ろって行く。


 来シーズン雪に覆われたここへ又戻る。
 

 そんな暮らしが、芦峅寺の男たちに、まだ受け継がれている。


10/15
 立山は高曇りではあるが落ち着いた天気で、雄山山頂に人影も見える。こんな天気なた防寒装備さえしっかり
持っていれば
、快適な登山ができるが、奥地へ入りすぎるとすでに山小屋が閉鎖されているので気を付けて欲し
いものだ。
 もう30年程前の話になるが、小屋閉めに登っていて、作業の合間に剱沢方向に人影を見つけた。復数の人影
で、動きも遅い。で、双眼鏡をもってきて確認すると、大人2名に子供が2名いる様だ。
 当時の支配人の省ちゃんに言って、迎えにやった・・・。
 まだ未就学程度の子供二人を連れた夫婦だった。黒4から入り、ハシゴダン乗越経由で真砂沢ロッジに泊まろ
うとしたらしい。ところがその頃の真砂沢ロッジは、親爺の友人ヒサの経営で、プレハブ小屋を毎年解体し、石垣
の影に積み上げて小屋閉めとしていたもので、その年はとっくに小屋閉めしていたのだ。
 で、聞くところによれば「小屋があると思って、パンフを見てルートをたどって、四苦八苦真砂沢ロッジに着いた
のはいいが、小屋もなく、石垣下でビバークして登ってきました。」とのこと。驚いた!驚いた。
 ハシゴダン乗越から剱沢を超す橋が撤去されているし、前述のごとく小屋はない・・・たまたま剱沢の水が少なく
徒歩での渡渉が簡単だったこと。当夜の気温が季節はずれに高く、石垣の陰のビバークでも体温が保てた事と、
偶然がすべてプラスに作用していた。山の経験は夫婦ともになかったと記憶している。
 剱御前小舎に収容し、一晩泊め、快晴の翌日下山させた。
 まあ、こんなことはちょくちょくあったが、子連れというのが驚きで、今も記憶に残っている。
 皆さんにもご注意願いたい。剱沢一帯などもう携帯の電波も通じない。
 美しい秋の剱。もう人影はわずか。


 紅葉の美しい秋の日。                               夜明けの月。
 

 剱御前小舎もまもなく小屋閉め。毎年剱岳の冬将軍から撤退する殿軍となる。


10/14
 
全国旅行支援が11日から始まった。
 親爺もオカカも、前回のGoToでは2回ほど利用させてもらったので、今回もボチボチとPCの旅行サイトを開けて
みたが、すごく混んでおり予約などなかなかできない。しばし時を置いてという事で、今は放置してある。
 政府も忙しいのだろうが、円は相場を下げっぱなしだし、物価はかなり上がりっぱなし。今や我が国は失神直前
の重病人だ・・・と、親爺には見える。
 その病人へのカンフルである、「全国旅行支援」のはずだが、これも開始時期が二転三転。そうこうする内に外
国人の入国制限を排除をまずして、全国旅行支援の発動と来た。
 政府はこの二つを同時にすることによって、カンフルの効果を強めようとしている。しかも直前まで円の対ドル価
を無策というほどの放任で下げに下げた。
 今日本へ行けば安く済む。腐ってもタイの日本製品が買い放題だ。爆買いが始まる。恐らく観光産業を中心に特
需景気のような大きな経済活動が生み出されるかもしれない。これが細やかでも起爆力になればよいが・・・。
 で、日本の経済力がいくばくでも強まれば、おのずと円安もおさまるだろう。
 高齢化で若い労働力のない日本。どんどん海外からの労働力を入れて地方を活性化させるべきだ。
 だが、終戦直後の地方から、生産活動の合理化により溢れた若い労働力は、都市部に流れ込み過密な大都市を
作った。そして地方は過疎化ですたれた。
 ならば今こそ都会であふれた労働力を、地方に戻すべき時期だろう。海外からの労働力導入はその次でよい。
 今、地方にこそ、若い労働力を受け入れ新しい生産活動を始める自由な空間があるのだ。
 地方を切り捨てる政策は要らない。
 山里も今日は晴れている。


 陽が低く、物干し場から入る陽が親爺の目を眩ます。


 山は今一番きれいな装いをして華やぎ、純白の雪衣を羽織ろうと待ち構えている。
 


10/13
 
世界柔道を録画でずっと見ているが、例によって軽いクラスでは圧倒的に強く、阿部一二三、詩の兄妹の同日
金メダル獲得には大喜びした親爺とオカカである。
 が、これまた例によって大きなクラスになるとなかなかそうは問屋が卸さない。外国人の圧倒的なパワーに、剛
を制し切るほどの柔の技が冴えない。
 しかも何やら判然とせぬ、指導ポイント三つの反則負けなど、もう少し明確なルールにできないものか。
 まあ、一時期のルールよりは幾分進歩しているのだろうが、格闘技のルールは極めて難しい。
 さて今日も録画を見よう。録画観戦前に結果を知るのが嫌で、新聞も、ネットニュースも見ないここ数日だ。
 やや雲がちながら晴れた今朝だ。
 こんな夕景の見えた後は立山の天気は好転する。


 山里から見る大日もすっきりと見えている今朝の山里だ。    秋らしい雲が出ている。
 

 みくりが池に雄山の主稜線が映る。秋の景色だ。


10/12
 
今日は高曇りだが山は見えている。連休が明けて、町場も普段に戻っているだろうと、オカカのウインドウショ
ッピングのアッシー君を務めた。
 可笑しな市町村の統廃合のおかげで、富山市内といても旧大山天地粟巣野や本宮なども市内に入り、何とも
変な具合で、富山市内へ出かけたなどという表現が使いづらい。
 旧富山市街ヘ出かけたとでもいうべきか?まあ、その旧市街の商業地や、盛り場、アーケード街も今や旧大山
町上滝商店街と何ら変わらぬ閑古鳥鳴くシャッター街となりはてているのだから、どうでもいい様なものだが。
 大都市だけが町過密化をたどり、地方都市など、どこもここも少子高齢化による裏さびれた廃墟ばかり。日本
の政治はどうなっているのだろうか・・・。
 まあ、ぼやいてみてもどうしようもない。サルやイノシシの害獣駆除さえままならぬ地方の僻地。
 今はこの冬の雪の心配が一番だ。地方の僻地などに住むものではない。
 冬バージョンで寂しくなった庭だが、雪が嫌になるほど降り積もる・・・・・・。


 さてさて、立山も剱沢や剣山壮、内蔵助山荘や早月小屋ももう小屋を閉めた。まだしばし残り剱御前小舎直下のハマグリ雪渓も
ずいぶん小さくなってしまった。

 


10/11
 
昨日は一日雨が落ちていた。親戚の葬儀に出て、付き合いこそ短かったが好々爺だった故人を見送った。
 88歳の大往生、ご冥福を祈るのみ。  合掌
 立山は初雪前日から素晴らしい紅葉が始まったが、初雪後も積雪が少なかったから、きれいな紅葉が続き、徐々
に下へと下りてきており、まだ当分はこの綺麗な紅葉が見られるだろう。今日からしばし晴天が続くとの予報だが、
山里の天気はあいにくの高曇り。明日からはきれいな秋空も広がるだろうと、期待している。
 今日からは旅行に際しての全国クーポンも適用されるそうだし、延び延びになっている親爺とオカカの小旅行も
ソロソロ実現させよう。親爺とオカカにはやはり気ままにドライブ旅行が一番だ。
 室堂辺りもこんなにきれいに色づいている。


 風邪で消化不良を起こしていた孫もすっかり癒えて、食欲も戻った。東京の孫はお手紙遊びに夢中。この住所で送るらしい。
ジジの大事な宝が二人、健やかに育っている。
 

 学生時代の大分の友人から、自家栽培の眞籠が送られてきた。素材が良いから、丸焼きにして頂く。醤油マヨがピッタリ合う。有難い。
 


10/9
 
立山は視界も割とクリアだが、天候は高曇りといったところだろう。3連休中日で、紅葉が素晴らしいので、今朝
も多くの車が立山へ上って行った。まあ稜線から奥の小屋はソロソロ宿泊を受付終了し、小屋閉め作業に入って
いるところも有るので、奥地の小屋へ入る方は各小屋に確認したほうが良いだろう。雷鳥沢や、剱沢、その奥地
真砂沢ロッジから仙人ヒュッテは素晴らしい紅葉が見られるのだが。
 この後は何時雪が来ても可笑しくない。登山には十分な防寒装備が必要だ。
 いたるところ秋色の立山である。


 



10/8
 
山里は雨が降っており気温もやや低めだ。
 立山も雪ではない様だが、雄山山頂のカメラは水滴が氷結しているように見えた。
 昨日、悪天候の中を入山したトモちゃんだが、流石の夕刻無事剱御前小舎について、写真もたくさん送ってくれ
た。雷鳥沢の紅葉が見事で、驚いた。
 今年はあまり紅葉には期待できぬと思っていたが、素晴らしい色付き具合だった。薄いガスにまかれ雨風の強
い日だったのにこの鮮やかさは大したものだ。
 どうぞ御覧じろ。


 雷鳥沢下部が特に良い様だ。


 地獄谷に近い雷鳥平より向こうの斜面はくすんで見えるが、近づけはもっときれいなはず。



10/7
 
遅いと思っていた初雪が来た。
 来たと思ったら結構な量が来て(初雪としては)、夕刻にはきれいに晴れたので、富山気象台が初冠雪も観測
した。
 トモちゃんが写真を送ってくれた。そして昨日は用事で下山したようなので、下山中の写真も送ってくれ、午後
晴れ間が出たのもきれいに撮影されていた。
 御前山に雪がかぶり、秋も終いだとよくわかった。剱御前小舎の閉鎖もまもなく(15日)だそうだ。
 今年もいろいろな困難が襲った、山小屋だったが、皆元気で立山を仕舞う事ができるだろう。
 今から入山し最後の連休と小屋閉めに頑張りますと、トモちゃんが顔を出してくれた。いやいや元気だ。さすが
山女と呼ばれるだけのことはある。小柄だが凄いスタミナの持ち主である。
 今日掲載の写真も9割はトモちゃん撮影である。
 初雪に覆われた御前山。今シーズンの初雪は10/6だった。例年より遅い。


 下山して高度が下がる。雷鳥坂途中のハイマツにも行きが薄く降り積もる。


 雷鳥坂最下部では紅葉が美しい。もう雪はない。向かいにロッジ立山連峰が見えている。


 雷鳥平を超え振り返れば新室堂乗越と大日の稜線が青空の下に見え始めた。


 今日の山里はこんな天気だ。まだ2ヶ月は雪は見たくない。


10/6
 紅葉がかなりの速さで下に降りている。立山の紅葉は今が盛りだろう。
 世の中はまた物騒な騒ぎに満ちている。北のミサイルが頭上を飛び超えたり、日本海に打ち込まれたりして
いるし、国内では統一教会と政治家の癒着などが取りざたされ大騒ぎだし、ロシアはウクライナに侵攻し、幾州
かを勝手に自国領に併合する鉄面皮だし、いやいやひどいことばかりが続く。さららに心痛いのは幼い命が失
われる事故。ほとんど不可抗力ともいえる、ちょっとした保護の目の届かぬ間の水難事故。これは許せぬ、保育
園送迎バス内での確認ミスによる閉じ込め死亡事故。
 何ともつらい幼子の命が失われる事故が続く。ただでさえ寂しくうら悲しい気配の漂う秋に、もうこんな事件事
故がこれ以上起きぬことを祈るしかない。
 北の金王朝、ロシアのプーチン大王、中国の習近平皇帝。いずれも共産圏の権力一極集中のサンプルだ。
 21世紀の今の世に、中世以前の暴君が君臨している。人間の世は本質的には進歩していないのではなかろ
うか?
 秋の日の剱沢小屋と剱岳、せめてこんな写真で心慰めている。


 秋色の大日の彼方に夕日が沈む。


10/5
 
今朝はどんよりとした曇りの山里だ。気温も低く、親爺はフリースを着こみズボンもやや厚手のものに履き替
えた。とは言え室温でまだ22℃もあるので、暖房を入れることもない(今の処)のだ。
 昨日剱沢に出かけたトモちゃんから、素晴らしい写真が届いた。素晴らしい紅葉だ。なんでも一晩で一気に色
づいたそうで、剱沢小屋の新平親爺も驚いていたそうだ。
 コロナに加え悪天候。決していいシーズンではなかったが、小屋を閉める直前になって立山は総力を挙げて美
しく装ってくれたのだろう。
 来シーズンはきっと、今シーズンより良くなる。立山の神仏がそう語りかけてくれている様だ。


 まもなく雪が来て山には人跡が絶える。山は最後の気力を振り絞って美しく色づき、しばしの別れを告げてくれる。
 

 山里はどんよりと曇り寒い朝だ。


10/4
 
視界はかなりクリアだが、薄暗い曇天だ。立山は見えている。
 北のミサイルボーイが又寝覚めが悪くぐずり始めたようだ。厄介な指導者である。
 自国の民の腹も満たせぬくせに、本人は美食に明け暮れ相撲取り並みの肥満体。趣味が弾道ミサイルの発射
と来ているから何とも迷惑千万な指導者で、自国の国民は虐げられっぱなしだし、近隣他国も迷惑している。
 今朝も津軽海峡上空を超えて太平洋に届くミサイルを発射したそうだ。
 親爺も起きてすぐ出たJアラートに、少し驚いた。青森の皆さんや北海道の皆さんも、「屋内に入れ」などとのア
ラートには少なからず驚いたことだろう。
 平和ボケしているのは国民だけではなく、我が国の指導者も同様の事。
 こんな露骨な軍事挑発にも、強い言葉で非難し抗議するだけだ。まあ、今の処それしか手はない。
 これ以上舐められぬよう武装するか、あくまで憲法第9条に従うのか。恐らく今の指導者では判断できず、国民
投票にでも依るしかこの決断はできぬだろう。
 が、北の指導者よりは遥かにましな日本国の指導者である。少なくとも民の腹は満たしている。
 立山の紅葉は今が酣だ。歩道わきの草紅葉。


 新室堂乗越や雷鳥沢も急に色がついてきた。


 
山里はこんな天気だが、立山は見えている。


10/3
 
昨日よりは雲が多いが立山もまだ晴れているし、山里からもよく見えている。 
 昨日は親爺とオカカの40回目の結婚記念日で、もう10年連れ添えれば金婚式となるはずで、これをルビー婚式
と云うのだそうでだ。
 実はこれは近所に住む夫婦共通の友人が、今春ルビー婚を迎えたわけで、「子供たちも誰も気にもしない様だか
ら、自分たちで料理屋の弁当を買ってきてお祝いすることにした。」との話を聞いていたので、それから遅れること
半年余りに連れ添った親爺とオカカであるので、「そうだ我々もルビー婚式だ。」と気づいた次第。
 が、勿論我が家とて二人暮らし、そんなことは誰も気にも留めてくれず、親爺すらうっかり・・・・
 で、オカカが友人の前例に倣い、料理屋の弁当を注文しておいて、昨日それをいただいた。美味かった。
 だからという訳でもないが、今日はオカカの実家の墓参りをしに出掛け、ちょっと庄川まで足を延ばして鮎を食っ
て来る事にした。毎年お盆に行っていた墓参りも今年はまだ行ってなかったから。
 立山もよく見える。いい天気だ。


 閻魔堂の木立の間に芒が茂り、山里の秋も少し深まった。


10/2
 
比較的静かな日曜日。立山へ向かう車の音も左程でもない。
 雄山山頂は9月いっぱいで閉鎖。今は社務所に人もいない。それでも登山客は登ってきて、勝手に参拝をして
帰る。まあマナーさえ守ってくれればそれでいいのだが。
 最近親爺も長かった自分の山小屋生活を思い出す。あの時、この時と幾つもの思い出が頭をよぎり、楽しかっ
たこと、苦しかったこと、悲しかったことと次々思い出がよみがえる。全く長い間忘れていて、突然思い出すことも
あり、その連想から忘れていたことが芋づる式に思い出されることもある。
 が、すべてが過去の事だ・・・と、それに気づくと「それをいっちゃお終いよ!」となってしまうが、それにしても山
での思い出ばかりが実に多いことよ・・・。
 そろそろ終活の時期に入りつつある親爺だが、このおもいでばかりは、終活の対象外。胸に抱いたまま向こう
まで持っていける。そしてこの世からは消えてなくなる。
 諸行無常・・・だが、まだ今日の山里は穏やかな秋空の下にあり、親爺の息も絶えていない。


 大日の側から見下ろすと、山里は足下にはいる。


10/1
 10月になった。土曜日の今日は、立山も山里も快晴だ。山里では気温も25℃以上になりそうだ。
 今朝から立山駅に向かう車の音が結構する。が、大半の車は紅葉を見に行く観光客だろう。奥地まで足を運ぶ
登山客はめっきり減っているだろう。
 室堂はかなり混雑しているし、雄山山頂も結構な人だかりだ。雄山山頂は昨日社務所を閉めたはずだし、稜線
の小屋もすでに閉鎖したところもあるやに聞いている。
 剱御前小舎はまだやっているし剱沢小屋も剣山壮もまだやっているし、更に奥地では真砂沢ロッジも、仙人ヒュ
ッテもやっているので、こちらへ向かう方は電話予約の上どうぞ。
 円楽が亡くなって、ああ寂しいと思っていたらアントニオ猪木も亡くなって、ますます寂しくなった。
 円楽は笑点でしか見なかったが、独特のブラックユーモアと社会風刺が可笑しかった。 
 アントニオ猪木は華のあるレスラーであった。あの往年の華やかさは忘れがたい。
 親爺たちの時代が、どんどん旅立って行く。
 この群青の空に剱御前山が秋の姿で佇んでいる。

 
 今日は山里も良い天気で、秋の大日が良く見えている。


 常願寺川も穏やかに流れ、イワナも今日からは禁漁期間で、ゆっくり過ごせる様になった。



9/30
 9月もいよいよ最終日、明日からは10月だが、今年は紅葉がいま一つさえない。
 日商がたっぷりあった後に、急に冷え込んだ年は紅葉が鮮やかになると聞いているが、その伝で行くと今年は
日照も不十分だったし、いつまでも寒くならず初雪もまだ舞わぬ立山だ。このあと数日で、一気に気温が下がると
の予報も出ているので、その後の紅葉に期待しよう。
 現在10:00前だが、室温は23℃程で、厚手の作務衣の親爺には快適だ。
 一時フリースを用いていたが、二日ほど気温が高かったので今はまた作務衣に戻った。こんなことを考えている
と、親爺の服装というのは、通年してフリース化作務衣で、暑い夏だけはさすがにTシャツ一枚か甚兵衛・・・。
 これ以上楽な服装というのは親爺には思いつかない。
 だから着替えねばならぬ外出時が殊に面倒になる。医院への薬もらいなど作務衣のままという事もよくあるし、
これからの季節、フリースならさほど見苦しくもない。
 おしゃれより着易さ、動きやすさが親爺の服装の原則である。
 暑さ知らずの山小屋時代は、殆どフリースだった。


 今日はいい天気で、大日もよく見える。


 庭のプランターで収穫した鷹の爪、乾燥が終わってオカカが取り込んだ。



9/29
 爽やかな秋晴れの朝だ。立山もすっきり見えて、ライブカメラで見る雄山山頂も素晴らしい天気だ。この天気は
数日続きそうだ。奥地の山小屋はソロソロ小屋閉め準備に取り掛かっているが、ここへきてこの天気とは意地の悪
いものだ。が、心平の真砂沢ロッジなどはまだまだ営業しているし(10月半ばまで)是非ぜひ、晴天が続きこの機会
に足を運んでいただきたい。
 真砂沢ロッジでは、素晴らしい景観が楽しんでいただけるだろうし、昔の山小屋の雰囲気を味わえるだろう。
 立山の紅葉は始まっているが、今少し進み方が遅いような気がする。
 昔から良く照って、急に寒くなると綺麗な紅葉になることが多いといわれるが、さて今年はいかがだろう?
 オカカが収穫した鷹の爪を乾燥していたが、今欲し上がった鷹の爪を枝から外し、取り込みと言おうか、とにかく
最終行程に取り掛かっている。それを横目で見ながら、一味唐辛子を作って見ようかなどと考えている親爺だ。
 フードプロセッサーに放り込んで、ガーッとやればできるはずだ・・・。
 長閑な時間が流れる。
 今朝はこんな上天気だ。


 剱の夜明け。今日はいい登山日和だ。


 親爺はまたドローンを上げている。



9/28
 本当に気が滅入るような薄ら寒い朝だ。
 オカカと二人、あちこち旅に出るのが楽しみだった親爺だが、9月になったら、10月になったらと先延ばしをしてい
る間に、まもなく10月だ。でもいつもは嬉々として宿の予約を取ったり、走るコース(ドライブ旅行なので)を調べたり
して、旅の予定を立てるのが楽しみだったのに、去年あたりから何かこの旅行プランニングが煩わしくなってきた。
 これが老いかとも思ったが、やはりそうばかりとも言えない。原因はコロナ禍に依るだろう。
 どこへ行くにしてもマスクは準備せねばならぬし、散策するときもマスクだから、息切れ親爺などますます散策が苦
痛になってくるし、チェックイン時には体温を測られ、手を消毒され・・・・・。
 こんなことが予想されるからつまらなくなって来るし、もう日本国内は殆ど出かけ尽くした。もちろんもう一度行って
みたいところは数多あるが、それとて年々落ちてゆく体力と相談しながらだから限られてくる。
 と、やはりコロナだけではない、老いにも依るのだなと、いま確認した・・・。
 まあ、老け込んでばかりもいられまい。10月にはせめて2,3泊でも旅に出よう。
 こんな気の滅入る天気の時は前向きに考えたほうが良い。



 
こんな天気の朝だからこそ晴天の夜明けの剱を思い出そう。




9/27
 日本政府もかなりいい加減だ。そも国葬という定義がかなりアバウトであるそうな。またそれを決定するのに民意
を問うというシステムがない。
 報道によればこの国葬には、国民の過半数が反対の立場だそうな。親爺の意見などどうでもよいが、国葬は一寸
大げさすぎると思う。先ず国葬など権力権威のにおいがする葬儀である。
 天皇陛下以外国葬はないとしてしまえばいい。
 安倍元首相の政治家としての手腕、又暗殺されたという事に対しては、前者は異論はないし、後者は惜しい人を亡
くしたと率直に思う。
 今の首相などよりはるかに政治手腕は上であり、対外的知名度も高かった、様な気がする。
 まあ、今日はテレビで放送があると思うので、心静かに凶弾に倒れた安倍元首相に弔意をささげよう。
 国葬により、却ってこの政治家の偉大なイメージに傷がつかんことを願いつつ。
 立山は高曇りながら雨は降っていないようだ。
 これは昨日の写真、今日も立山は見えているが上空は曇っている。


 ドローンを飛ばす親爺が見えている。


9/26
 良い天気だ。朝一番でドローンを上げて見たが、山里はまだ紅葉には遠い。何となく秋のにおいがする程度だ。
 祖母の祥月命日ゆえ、仏壇に燈明と香を上げお参りした。48年前の旅立ちだったが、親爺には懐かしい笑顔が
忘れられない。
 穏やかな天気で、陽射しが温かく、縁先のひだまりなどにいると眠くなってくるようだ。
 「寒くもなし、暑くもなし。」と云う一番いい気候がついに来た。
 いつもそうだが、のんびりと時の流れを楽しもう。起きて3時間足らずなのにもう眠くなってくる。いい陽気だ。
 もうほとんど最終版のバラがきれいに咲いている。


 ドローンを飛ばす親爺。外に出ると眩しくてFPVパネルが見えぬので日陰で操縦。


 山小屋時代にはこんないいドローンはなかった。こんなところで飛ばしたかったなぁ・・・。


9/25
 
良い天気になって、気温も随分高くなった。
 今日は黒部の初孫が5歳の誕生日を迎えた。日曜日とてママと映画を見に行くことになっており、大好きなプリキ
ュアのアニメ映画だそうだが、ジジババには殆どわからない、昔のセーラームーンの様なものだろう・・・。まあ、とも
あれ元気に5歳を迎えた孫娘、ジジも昨夜寝しなに日が変わるのを待って「誕生日おめでとう」と、LINEメッセージを
送っておいた。今夜渡すプレゼントはすでにママに預けてある。
 東京の孫は5月で3歳。毎晩のようにLINE電話で話顔を見ている。これもママにプレゼントを渡しておいて渡した。
 いやいや孫とは可愛いものである。
 今日山里では布橋灌頂会が行われるとて、我が家の前の旧立山道は通行止めだ。
 天気に恵まれてよかったが、村が限界集落化しており、高齢者ばかりで協力はできぬし、このコロナで難しいこと
もあり、主体は立山町で、一分有志のみの参加協力だけで、規模は最小限となるそうだ。
 我が家は閻魔堂が近いので、木立やススキ越しに様子がわかるが、全く興味がないので見に行こうとも思わぬ。
 もう村が中心になって布橋灌頂会を行うこともなく、時のかなたに埋もれてゆくのだろう。
 立山も快晴。連休最終日になってしまったが。


 今日は嬉しい誕生日5歳おめでとうリンコロ!!   パパと二人でお留守番。ママが帰宅したときはこのごみ屋敷・・・。
 


9/24
 
親爺にはフリースを羽織って丁度といった気候だが、室温で23℃もあるので、肌寒いというほどの気温でもない。
 親爺は身体が老化により、暑い寒いという感覚がおかしくなっているのだろうか?
 昔は暑がりで、耐寒力はかなりあったほうだが、今は暑がりの寒がりである。今の親爺にとって快適な気温は、
24〜5℃くらいなのだろうか。自分でもしかとわからぬが、この時期にフリースなど着こむのは、オカカに白い目で
見られる。が、これで快適なのだから良いとしておこう。
 今朝雨上がりを待ってドローンを上げて見た。大した景色はとれぬが、青々としていた山里が秋に向かっている
という趣は撮れたかもしれない。
 ススキが目立ち、夏草もその勢力を弱めた。


 我が可愛い孫たちも、それぞれにカップケーキ作りをしたり、紙飛行機もどきを折ったりと楽しそうに遊んでいる。
 


9/23
 
今朝は寒い程ではないが、ガスがかかったり雨が降ったり3連休初日はさえない天気だ。
 立山駅を目指し上る車も、わずかしかいない。立山のライブカメラを見ると、雄山山頂はかなり視界がクリアで、
剱もすっきり見えている。室堂は雨粒がレンズにかかっているし、弥陀ヶ原も雨なようだ。
 この程度ならお客さんももっと上がると思うが、紀伊半島の南で熱低が台風になりそうで、これが日本列島を直
撃するような報道があり、皆さんで出控えたのかもしれない。
 今シーズンは天気にも恵まれなかったし、最後の3連休にもこの天候だ。
 室温で22℃の我が家居間。親爺は勿論フリースを着こんでいる。もうシャワーだけで済ませるわけにも行かない。
 お湯を張って暖かい風呂につかりたい。爺は暑さにも寒さにも弱い。
 よく見えていた大日があっという間にガスに遮られた山里。


 市のイベント会場で白バイに乗せてもらった黒部とジジの送った木馬の足掛けに足が届くようになった東京。
  


9/22
 今日は午前中いっぱい、掛かりつけの内科医院、眼科と富山市内の医院巡りで終わった。
 車中寒く、暖房を入れ走り始めたが、標高が下がり、富山市内へ入るころは社内の暑さが不快になり、慌てて
冷房に切り替えた。標高差で変わる気温は精々2〜3℃なのだが20℃前後のこの辺りが親爺にとって寒い、暑い
の境目なのだろうか。ちなみに服装はフリースというわけにもいかず、半そでのTシャツに薄いジャンパーを羽織
って、どこかの町工場の職工さん風で、親爺はとにかく格好よりも着やすさ最優先だ。
 で、ちょうど昼頃に家に帰着、ジャンパーをフリースに着替えた。やはり山里は少し肌寒い。
 まだ朝晩だけだが、ストーブの火が快い。


 昨日入山したトモちゃんが送ってくれた写真。雷鳥沢は秋色になりつつあり、紅葉が始まっている。
 


9/21
 
室温が21℃から上がらないので、とうとうストーブに火を入れた。昨日はまだ10:00現在25℃ほどあったので
寒くは思わなかったが、今日は朝から薄いフリースを羽織っているにもかかわらず、寒さを感ずる。
 立山暮らしの時は毎朝ストーブを焚いていたので、9月のストーブなど当たり前だったが、ここは山里で、標高
わずかに420mの場所だ。
 おそらく雨が降り出しているのでその所為もあるのだろうが、一昨日から見ると一気に10℃低くなった気温だ。
 山里でストーブに火を入れる最初の秋の日は、9月であることは間違いない。と、今日は21日であるから決して
驚くほど早い時期ではないかもしれぬ。
 ストーブに点火して約10分、15畳弱の居間の気温が1℃あがった。フリースのジッパーを胸まで下げた。
 灯油価格も上がるが、今冬も寒く雪が多いとの予報が出ている。雪国の越冬者には世帯当たりいくばくかの補
助が出ないものだろうか。偉大なる政治家の国葬も、その経費を考えると、政府は金の使い方を誤っているとしか
思えない。
 反対デモまで起こっている中で国葬を執り行っても、故安倍氏の名誉を傷つける様な事にはならないのだろうか。
 何ともすっきりせぬ。
 少し温まってきたら、眠くなってきた。
 立山も同じような天気らしいが、気温はさらに10数℃低い。
 ブロッケンのご本尊は立山の神仏に近づく。


 立山も紅葉が過ぎればもう雪が降る。


 今日の山里である。雨が落ちて寒い。


9/20
 
台風が頭上を通り過ぎたが、風も雨も警戒していたほどの事もなく、今も雨がたまにふり、風も思い出したよう
に吹いているばかりだ。嬉しいことに気温が一気に下がり、外気温は20℃前後だ。もう警戒を解いても差し支え
ないと判断した。あとで雨戸を開けよう。
 昨日外がざわざわと風が吹き出したころから、テレビで英国エリザベス女王陛下の葬儀が中継された。女王は
1952年2月に即位され、70年の在位をされた方で、親爺が生まれたのは1952年11月だから、親爺にも生まれる
前からの女王であられた。
 テレビでたまに顔を見るだけの外国の女王である。取り立てて思い入れなど有るはずもないが、英国の国葬が
どのように行われるのかと云う興味があり、最後まで見てしまった。
 厳粛な儀仗兵による式の流れは、見ている者にとっても緊張感が流れ、姿勢を正すほどのものであった。
 教会での宗教儀式は、馴染みがないので少々長く感じたが、これはやはり文化の差という事で、簡単に理解は
できぬまでも、シンプルであったように感ずる。
 棺は参列された新国王以下女王のご家族など身近な方々に付き添われ埋葬の地に向かうために教会を出発
された。そしてここまでが「国葬」とのことであった。
 外国の王族や元首たちはここで葬儀参列が終わる。そしておそらく速やかに帰国の途に就いたことだろう。
 成程、英国の国葬とはこういったものなのかと、親爺なりの老いた頭でそれなりに納得し、女王のご冥福を祈った。
 さて、この後日本でも、元総理の国葬が執り行われるそうだが、国葬反対のデモが行われている。
 これはなんと考えればよいのか、親爺にはよく理解できぬ。
 反対デモが起き、国民の半数以上が反対する国葬など、故人に対し失礼となるだけではないのか・・・と思うのみ。
 山里の台風被害は殆どなく、立山の山小屋もひどいことは無かったようだ。
 今朝は、こんな景色ではあるが


 風もさほど強くなかったし、雨も降ったりやんだり。気温は下がって20℃前後だがかえって過ごしやすい。
 


9/19
 
台風が刻々と近づいている。雨戸を閉めて、飛散物が出ぬよう片付け、車庫もシャッターを閉めておけば我家
の備えは終わる。
 それ以上のことはできぬし、天気予報を見る限り、立山町の予想最大風速は7〜8m/Sだから、それ以上の
事は要るまい。雨も晴れマークが出ている。
 が、立山の山中はそんなわけにはいくまい。少なくとも風は強まり、どのくらい吹くか予想もできぬ。尤もどこの
小屋も幾度もそんな風雨をくぐり抜け現在に至っている。心配は要るまい。
 台風直前の御前山だ。


 越冬燃料も荷揚げしたのだろうか?夕日がきれいな昨夕だが。


9/18
 連休中日も良い天気に恵まれている。立山も賑わってはいる様だが、ボチボチという言葉がピッタリだ。
 満員御礼を出して、お客様をお断わりするような山小屋は少ないようだ。
 親爺が若いころの山小屋は、宿泊を断ることは無かった。だから客間がすし詰めというのは当たり前で、食堂
や廊下などにもお客坂が寝たものだ。最盛期の山小屋で安眠するなど困難で、仮眠する程度の小屋でしかなか
ったのだが、いつの間にか、これではいかんとお客様の居住性、提供する食事の質などなど少しずつ改善されて
来て現在に至っているわけだが、これとて、「山小屋なのに宿泊を断るなら、山小屋の看板を上げるな。」との厳
しいお叱りをいただいたりしたものだ。
 やっと、そんな努力が実り、山小屋サイドで受け入れ人数を制限し始めたのは、通信手段が高性能化し、連絡
が手軽になった頃からであったろう。
 最盛期の連休などは予約状況をネット上でライブで公開し、満員御礼を出すようになった。が、これとて幾らか
の余裕を見て、遭難寸前、体調不良の登山者を収容できるようには心掛けたものだ。
 思い出すといろいろあった。天候の急変で10数人単位のお客様が突如キャンセル・・・。このキャンセル対応は
非常に難しく、山小屋の経営上の問題も持ち上がった・・・。今その対応をどうしているのか、キャンセル料を設定
しているのか等は、親爺はもう知らない。知らなくても良い立場にいる。
 これからも山小屋は変わるだろう。どうなっていくのか、それは分らないが。
 昔の山小屋を知る人たちも、年々少なくなってきた。森爺さんはそんな昔を知る一人だ。


 空輸のヘリがやってくる。


9/17
 
久々に立山へ向かう車の音がうるさい程続く。しかも昨晩からである。窓を開け網戸越しに涼気を取り入れて
いるので、お供網戸越しに入る。
 立山駅周辺の駐車場はすでに満車、かなり遠方の駐車場へ案内されるらしいが、定期的にシャトルバスも出て
いるそうだ。
 天気に恵まれそうな3連休。久々に立山は大賑わいとなることだろう。気になるのは台風の影響だが、今日明日
葉山の天気は持つだろうし明後日も晴れマークの予報は出ている。
 山里も穏やかな天気だ。大日もよく見えている。


 この大きなブロッケン。実にはっきり出ている。


 別山乗越の夕景。お客様も結構いる様だが・・・。


9/16
 
朝一でトイレのタオル掛けの取り付けを手伝った。昔ならかなりきれいな仕事をしたのだが、年とともに雑な仕
事しか出来なくなった。
 まず段取りが悪い。だからかなり手間取り、イライラしてくると雑な仕事がますます荒っぽくなり、今朝のタオル掛
け取り付けも、最後には接着剤で無理やり取り付けてしまった。
 大体が大した厚みもない合板に、かなりいい加減な取り付け方を指示してある説明書が気に食わぬ。通販のタ
オル掛けなど、いい加減なものだ・・・と、自らの仕事のまずさを認めぬ。
 今日はいい天気だ。立山も見えぬが晴れていて、登山日和になっている。明日明後日の土日もこの天気が続き
そうだから、立山も少し賑わうだろう。
 我が家の庭も、オカカが頑張ってかなり片づけた。


 立山も秋が深まり、本格的な紅葉が間もなく始まる。
 


9/15
 
今日も過ごしやすい朝で、あまり動かず机の前に座ってPCを弄っていたりするだけなら、クーラーは不要だ。
 立山も昨日同様、いい天気で、登山日和かと思われるが流石に人は少ないようだ。ウイークデーではあるし。
 週末は天気が少し崩れそうだ。さらにその先のシルバーウイークも台風の影響を受けるとか受けぬとか、親爺
にはもうあまり関係のないことだが、心平の真砂沢ロッジなどは少々心配している。尤も親爺が心配しても、何の
役にも立たぬ。
 それでも何とか皆、それぞれに成果をあげて、五体無事で元気に山を仕舞って山里に降りてくる日をが待ち遠
しい。
 ハマグリ雪渓が小さくなり、冬間近の剱だ。


 反対側を振り返れば、別山もすっかり秋の装い。

 


9/14
 
今日の山里は弥陀ヶ原の下の雲海がかぶっていて曇り空だが、立宇山はかなり天気が良い。弥陀ヶ原から上
はすっきりと晴れているようだ。雄山山頂のカメラからは剱が良く見える。
 今日は孫を預かる予定だったが、コロナのせいで、長女夫婦の仕事がキャンセルになり、孫は通常通り、保育
園に行ったようだ。孫も楽しみにしていたので、長女が良く説明して納得させたとか。ジジも楽しみにしていたので
予定が外れ、さびしい。が、この日曜日に日帰り乍顔を見せに来るそうだ。ジジもこのあたりで納得。
 ここ最近は体調不良もあったので、本を読んで過ごす時間が長かった。で、久しぶりに落語全集なども再読した。
 古典落語が、語り手の噺家ではなく、文字によって語られる。がこれもまた良いもので、可笑しく笑いながら読ん
でいる。
 今はあまり語られなくなった噺等も古いままの姿で、聞くではなく読むという作業で頭に入って来、自由に膨らみ
小さな世界が広がる。面白い。ついつい読みふけった学生時代を思い出した。
 今日もまた30℃近くまで気温が上がりそうだ。
 立山はもう朝晩は冷え込む。


 我が庭も大分秋らしくなってきた。


9/13
 朝から良い天気だが暑い。真夏の暑さではないが、Tシャツ1枚で過ごせる。ただ今のところクーラーは使わず
扇風機だけを回している。
 立山も秋の良い天気が続く安定期に入っても良い時期なのだが、なかなかうまく運ばない。今日もガスがかか
ったり青空がたまに見えたり。
 親爺の体調もまだ定まらず、眩暈が治ったと思って昨夜テレビを見ていると突然の眩暈・・・。今朝もどこと言っ
てどうという事もないのだが、わずかな眩暈が残っている。
 まあこうなるとしばらくバタつかず休んでいるに限る。
 夕日が大日の向こうに沈む。トモちゃん撮影の1枚。


 
コケモモが赤い実を付けた。


9/12
 
9月も半ばに差し掛かってきたが、まだ天気が定まらず、山里でも涼しくなったと思ったら暑くなったりで、親爺
も多少体調が崩れた。まもなく古希である。体調には気を付けているつもりだが、それでもなかなか・・・。
 まあ体調不良といっても軽いめまいていどで、暫くじっとしていれば良くなる。今日は昨日よりはるかに良い。
 一昨日は午後から孫がやってきて、ジジババの思いっきり甘えて行った。ところが親爺はあいにく機能は眩暈で
半日ほど寝込んでしまったが、親爺の寝ているベッドによじ登って来て、「お見舞いに来たよ。」と可愛い愛想を振
りまく。親爺はそんな孫が可愛くてたまらない。で、午後は起きだして孫と一緒に過ごしたが、15:00には機嫌よく
帰って行った。でも明後日にはまた午後から、パパママがお出かけしなければならぬので、ジジババのところに来る
予定で、ママがお迎えに来るのが22:00頃になるから、「ジジババのお家にお泊り」するそうで、これは孫よりジジの
方が喜んでいる・・・。
 今日の山里は、まずまずの天気。カラッとしているが暑い。


 一昨日の夜、剱御前小舎でも月見ができたようだ。           立山でもリンドウがきれいに咲いている。秋だ。
 


9/10
 
涼しい朝だ。大陸からの高気圧の下に入っているらしく、湿度はさほど高くはなさそうだ。
 立山は久々に晴天に恵まれた土日を迎えることになる。快晴とはいいがたい山里だが、弥陀ヶ原から上は青
空も広がり、稜線部の薄いガスが晴れればよい登山日和となるだろう。が、今朝から立山へ向かう車はあまり多
くは無さそうだし。高原バスも当日券が余裕ありとか・・・。
 親爺は一月ぶりに黒部の孫がやってくるので、今から楽しみにして待っている。最近はいろいろ忙しく,ジジババ
のお家もすっかり足が遠ざかった。
 今日も午前中は水泳教室があるから、早く来たところで昼頃だろう。明日も3時のおやつまでがタイムリミットで、
さっさと帰ってしまう。
 まあこれも孫の成長だろう。いつまでもジジババでもあるまい・・・とは言え少し寂しくもある。
 昔はこのハマグリ雪渓からポンプアップで水を引いていた剱御前小舎だが、親爺の代に大きな貯水タンクを導入
し、天水の貯水で対応することにした。
 一時は氷河ではないかと言われたが、ある時完全に溶け切った。もうずいぶん小さくなったが初雪までは解けまい。



 立山の秋もだんだん深まって行く。                     チングルマが花を落とし秋だぞと騒いでいる。
。 


9/9
 
涼しい朝だが、ガスが不動山を覆っていた。たまにガスが晴れ薄日が差すこともある山里だ。
 イギリスのエリザベス女王が亡くなられた。96歳の天寿を全うされた安らかな旅立ちであったようだ。
 心よりご冥福をお祈りする。
 考えて見れは親爺が産まれる前からずっと女王であられた方だ。外国の女王とは言え、我が国が皇室を有す
る国であるため、他国の王室の女王でもかなり身近に感じていた気がする。人となりなどは、報道番組で見るば
かりではあったが・・・。それにしても71年にわたる女王在位、ご苦労も多かったことだろう。極東の下々の庶民
でもそれはわかる気がする。 
 こう秋なのだが、天気は一向に変わらない。これから少し晴れてくれないと、立山の山小屋もかなりの痛手を被
る事になる。心配ではあるが何ともできない話だ。
 かつて斜陽国と言われた大英帝国。
 今や斜陽国と呼ばれる日本。
 斜陽国と呼ばれながらも一定以上の生活基盤は崩れず、常に世界をリードし続けている英国。さて、わが日本
も毅然たる態度を崩さず、世界をリードし続けたいものである。
 ガスがかかった今朝の不動山。


 キイチゴの実がつき始めた立山。            台風の時の大雨にもめげず咲き続ける庭の。桔梗

 


9/8
 何とも昨日とは打って変わった天気になっている。気温も低く快適だが、薄暗くて陰気だ。
 台風は少しそれて、大陸寄りに通過したから、我が山里辺りは数時間風が強く吹いて、オカカが庭の塵取りを
目の前の道路まで飛ばされた程度だったから、被害はほどんどなかった。夜半には風もやみ、停電もなく普段通
りの長閑な夜になった。
 最近アマゾンのプライムサービスが素晴らしく、系列のキンドルブックで、いろいろな昭和の作品が読める。
 親爺が最近読んだのは長谷川法世氏の「がんがらがん」「博多っ子純情」の一連の大作、横山まさみち氏のイロ
イロな力作、さすがにつげ義春はまだ出ていないがご令弟つげ忠雄氏の数冊、とにかくどれを見ても昭和のレベル
の高い作品が読めるのがうれしい。漫画ならず小説もあるが、昭和の小説もまめに探せばあるかもしれぬ。
 まあ、天気の悪い日はこんなことをして過ごすのもいい。
 こんな薄暗い日だ。


 昨日の立山は良かった。
 

 山里の木々の色も変わりつつある・・・・・



9/7
 
曇り空だが涼しくなった。風も昨夜、22:00頃には止んで、台風が通過し終わるや涼しくなって、閉め切ってい
た窓を開けたら涼風が吹き込んできた。しばらく2階の暖気を追い出すのに廊下や、各部屋の窓を開けてみたが、
小雨が降り出した。暖気が無くなるまでだけあけておいて、全ての窓を股閉じて、あとはクーラーの世話になった。
 だから、台風一過の昨夕はあまり寝苦しくもなく、よく眠れた。
 今朝は曇天で、立山も雨交じりのガスに覆われているようだ。ただ山里は昨日と比べると10℃も気温が低いので
ずいぶんと過ごしやすい。
 親爺などもう、山も歩けぬし精々車でそこいらの林道でも回ってくるだけなのだが、最近はやっている車中泊にも
少し興味があり、今のジープタイプの軽4WDを下取りしてもらって、ほかのワンボックス軽4WDに入れ替えようと考
えている。今日お世話になっているN自動車の社長に頼んでおいた。まあ今更、車中泊キャンプもないかもしれぬが
何か楽しみをもっていたほうが面白い。
 また意外とはまるかもしれない・・・相変わらずの能天気親爺だ。
 昨日のフェーンの暑い戸外。気温が35℃弱には上がった山里だ。


 昨日の台風の中の立山。午後から風が強くなってきたそうだ。富山平野が良く見えていた。
 
 


9/6
 
フェーンで暑い日で、熱風も外を吹き荒れている。台風の影響で、そろそろ風も強まってくるかもしれないので、
今雨戸を閉めがてら外に出て見た。暑い!フェーンならではの乾いたようなドライヤーの熱風のような風に吹か
れると、それだけで参ってしまう。
 台風も嫌だし、フェーンも嫌だ。こんな日はお籠りを決め込んで、静かに過ごすに限る。
 うろうろ外など歩いて、けがなどをするとほかの人たちに迷惑をかけることになる。今や人助けをする力は殆ど
無くなっていると思われるし、無理も利かない。
 自分の身を守るのが精いっぱいかもしれぬ。実に情けない話であるが現実だ。
 だから、君子危うきに近寄らずを決め込んで、静かに過ごすに限るのだ。
 何とも情けない話である・・・・・。
 今日は立山もよく見える。がその姿にほれぼれ見入っていると、熱中症でぶっ倒れるか、風に吹き飛ばされる
だろう。
 剱御前山三角点の傍らに小平がある。親爺にはここは若い父母と遊んだ思い出の場所なのだ。
 すっかり秋めいて朝日を浴びている。


 チングルマが朝日に赤く染まる秋の立山。
 
 
 何ともすさまじいフェーンで、気温は朝から30℃をはるかに超えている山里。




9/5
 
今日も良い天気。台風が来ているというがその所為で異様に暑い大気がどこからか流れ込んで来ているのだろ
う、気温もぐんぐん上がっている。今日は富山市内で36℃くらいまで気温が上がるという。これだと山里でも33℃
位にはなるかもしれない。考えただけでぞっとして、今のクーラーはすでに稼働させている。
 昨日の天気は秋の天気だったが、今日は夏が戻ってきたような天気になる様だ。
 夜もかなり暑く、熱帯夜となりそうである。ぞっとする・・・・・。
 明日は午後くらいから風が強くなりそうだが、晴れの空模様。まあ、天気が悪ければお籠りをするし、暑ければ又
クーラーを付けて籠るのみ。
 大きな台風被害が出ないことを祈ろう。
 初秋の山里。


 ずいぶん長い間元気な庭の桔梗。                       立山の良く見える朝。
 


9/4
 気持ちの良い朝を迎えている山里だ。いい天気の割に入山する人たちは少ないようだ。まあ、日曜日の事でもある
し、紅葉にも一寸早い。
 昨日心平が下山してきて、顔を出した。かかりつけの医院の薬が切れたそうだ。
 今日はヨータローを連れて室堂まで行って、壊れた発電機を下界に下ろし、再度入山するそうだ。
 発電機の積み下ろしという力仕事がないのなら、親爺が片道面倒を見てやるのだが・・・。もう力仕事では役には立
たない。
 もうすぐ黒部の孫の誕生日。と言ってもまだ20日間ほどあるのだが、プレゼントの手配をせねばと気がはやる。で、
長女に何が欲しいか聞いてもらったら、ジジババでは覚えきれぬ名称の玩具なので、アマゾンの当該商品のアドレス
を送ってもらって、すぐ手配した。9/10発売の商品で予約だけだが、誕生日まではしばらく時間があるので、大丈夫だ
ろう。いいタイミングで予約できたとホッとしている。
 東京の孫は昨日、品川水族館に行ったそうだが、ピラルクなどの大型魚が怖いらしく、殆ど抱っこしていたそうだ。
 意外と気が小さく、なんでも怖いようだが、亡き母や祖母には「お前は小さい頃気が小さくて、なんでも怖がっていた。」
とよく言われたことを思うと、どうも変なところが隔世遺伝したのかもしれぬ。
 親爺など、古希に至らんとする歳なのに、いまだに大仏などは嫌いだし、仏像がずらりと並んだようなところは、決して
近づかない。背筋が寒くなるのだ・・・。
 立山もよく見える今日、実にさわやかな天気だ。


 居間の中にも日が差し込むが暑くはない。もう爽やかな秋の気候だ。


 弘法か、追分の当たりのナナカマド。赤い実がついた。秋だ。


9/3
 気温が山里でも少し下がっている。雄山山頂では今朝は16℃前後だろう。昨日コロナ以前の富士登山を記録した
番組があった。一部かなり不快な(親爺にとって)外国人の無謀登山や、迷惑行為を取り上げていたが、現役時代の
親爺にも身につまされることが幾つもあった。
 富士山という山は特殊で、夜討ち朝駆けが当たり前になっているらしいが、その分を差し引いて考えても、悪天候を
無視しての強行登山、その結果としての風雨除けのための公衆便所の占拠などなど、マナーもへったくれもあったも
のではない。注意されても自己主張の強い欧米人は蛙の面に小便、怒鳴りつけ強制的に追い出すと最後には暴力
に訴える・・・。
 山小屋時代、休憩室に上がり込んで山小屋の夕食時間になっても居座る数人の白人の若い衆がいた。
 親爺がちょっと大きな声で「そこで何やってるんだお前ら?」と尋ねるとうるさい程に騒いでいた連中がぴたりと静か
になった。で、ちょっとかわいそうにもなり「今日は何処で泊まるんだね?」と問うと、キャンプ場で幕営するという。
 「それなら早くキャンプ場に帰れ。もうすぐ夜道になるし寒くなると危ないから。それにその場所は宿泊客の自炊場に
なるから、早く出て行ってくれ。」とやや静かに言った。連中の行動は速やかで、ごみも何も残さずキャンプ場へ向かっ
た。天気も良かったし、まだ暗くなるまでには1時間ほどの余裕もあった。
 これはちゃんと説明すればわかる連中だったし、悪気はなかった。親爺が注意したり、怒ったケースは外人相手には
まれだった。もちろん土足で勝手に小屋に上がり込んできた可笑しなやつもいたことはいたが・・・。
 コロナでこんな外国人によるトラブルもなくなったが、京都や富士山など日本を代表する観光地では又こんなトラブル
が頻発するかもしれない・・・。
 少し天気が良くなってきた。


 庭の桔梗も、垣根のバラも、凄まじい豪雨に打たれながらもまだ咲いている。可憐な花の生命力を感じた。
 


9/2
 今日もガスに覆われて開けた山里の朝だ。なかなかすっきりせぬ天気廻りだが、台風が通り過ぎた後は少し変わる
かもしれぬ。まあ、何の根拠もない話だが、そんな気がする。
 かなり涼しくなって、ああもう9月長月だと感ずるが、まだまだ気持の良い冷気も感ぜぬし、秋のにおいもしない。
 寝つきはいいのだが、朝方に冷え込んでくれぬものだから早くから眠りが浅くなっていけない。春眠不覚暁というよう
な気だるい眠さが残ってしまう。これが明け方冷えて、夜具にくるまりぐっすり深い眠りを貪れるようになると、目覚めも
すっきりする様な気がするのだが・・・。
 今我が家の居間は24℃の気温で、なかなか快適だがもう少し寒いくらいのほうが親爺にはより快適だ。
 とにかくあまり大きな爪痕を残さず台風が去ることを祈ろう。
 曇天続きの山里、ちょっと鬱陶しい。


 お買い物ごっこはどこかの屋内遊園地?        こっちはムーニーまわしのお相撲さん?
 


9/1
 いよいよ9月と相成り、季節も秋へと切り替わり、親爺独断で本日より秋の項を新設した。
 ただしこれには何の根拠もない。
 それでも今日から秋だと思っていれば、間違いなく秋になって行く次第。何の心配もいるまい。
 が、今朝は豪雨に襲われている我が山里で、雷雷がごろごろ鳴り響き近づいてきたと思ったら突然の豪雨となって
雨雲レーダーで確認したら、我が頭上実は真っ赤な雨雲に覆われていた。
 やや小ぶりになって気はしたが、まだまだ強い雨である。しばらく天気は良くない様だが、昨日の同じような山里の
天気の時、立山か突如晴れ、空輸作業が完了したそうだ。
 時々こういったことがあり、熟練した山岳空輸会社は、そのチャンスを逃さない。
 物資の心細い山小屋は、本当につらいものだ・・・。
 山里も今朝は相変わらずの曇天。そしてたまに猛烈な豪雨。


 昨日の空輸。この吹き流しを御覧じろ。この強風の中空輸作業はび時終了した。
 

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