2022山賊庵絵日記(春)      待ちわびた春となりましたので項を改めました。2022/4/1



5/31
 良い季節の代表である皐月も早や過ぎ、明日からは水無月となる。
 今朝は次に来るべき梅雨の、予行演習のような空で、少々鬱陶しい気もするが、季節は人の思惑居は関わらず
淡々と巡って行く。
 メルカリの一方的な制限をかけられて、腹を立て、三行半をこっちからたたきつけ、プログラムを削除して、別の
フリマで、コストコマンゴーを買い込んだ。までは良かったが、このマンゴーちっとも喰い頃の柔らかさにならず、次々
と黒ずんで腐って行くスピードの方が、熟成を待つスピードを上回る。何という質の悪いマンゴーだ!これは出品者
が悪いわけではなく、当たりはずれの問題で、運悪く外れくじを引いてしまったわけだ。
 ポイントを使い半額で手に入れたのだが、勿体ない。そこでオカカが包丁を振るい、切り分け、親爺がマンゴーの
コンポートを煮た。今朝の話である。
 柔らかくジューシーで甘いマンゴーの、まさかのコンポートであるが、白ワインとニッキも加え煮てみた。まあ、冷や
せばそれなりのデザートにはなるだろう。
 立山も全く見えぬ皐月晦日の今朝。不動山にもガスがかかっている。


 発端はこいつである。見た目は悪くない・・・。コンポートに煮なければ食えぬマンゴー。初めての経験だ。
      

 庭に一枝だけバラが花をつけた。


5/30
 イヤイヤ、月日の流れが速い。過ごしやすい5月などあっと言う間に終わろうとしている。余すところもう2日である。
 6月と云えば鬱陶しい梅雨だが、梅雨の風情も親爺は好きである。でもやはりそれには限界があって、昔、お袋
がよく言ったように「十日の晴れには飽かぬも1日の雨には飽く。」と云う通り、2日も雨が降り続くとウンザリするだ
ろう。ましてや山小屋親爺現役時代には、長梅雨に泣かされたものだ・・・。ある年など8月に入っても梅雨明け宣言
がなく、その年はついに梅雨明け宣言無しで終わった。気象庁の石頭役人に腹が立ったものだ・・・。
 山小屋殺すには物は要らぬ雨の三日も降ればよい・・・・・。
 いや未だ五月、今日も気もち良い青空は広がる。
 一昨日は大気が不安定で、気温も低く、剱御前小舎周辺は酷い空だった。


 剱御前小舎入り口の柱の温度計は氷点下4℃。      目の前の石積みにも海老のしっぽが着いた。
  

 更に今届いた写真。狐が真昼間の剱御前小舎の前を横切って行く。雷鳥が食われねばいいが・・・・・。
 5/30 10:00頃 別山乗越剱御前小舎前 トモちゃん撮影。


5/29
 朝から良い天気で、外はさんさんと陽光が降り注ぎ、網戸にして部屋に外気を入れているといい気分です。
 立山にも結構な人が入っているようですが、まだシーズン前でまばらです。
 村内も観光客がウロウロすることもなく、静かで快適です。
 何打は眠たくなるような良い気候で、親爺など作業が進みません・・・。
 メルカリに出していた古書を(昭和30年代の漫画雑誌の復刻版)取り下げました。あの時代の漫画の値打ちを
理解してくれる方々は稀です。半額位以下の値付けですが、そんな値段で手放すのが馬鹿馬鹿しくなってきました。
 もう一つ、戦前の少年倶楽部のBOX本(確か昭和7年の12冊分と、軍艦三笠の組み立て付録付き)も持ってい
ますが、さて、どうしたものでしょう。
 今日はそんな事をつらつら考えて過ごしましょうかな。


 メスと少し離れたハイマツの上であたりを警戒する雄雷鳥。


 ここまで登って来て初めて全景が見える剱岳。いつ見ても美しく妥協のない山だ。


5/28
 昨日の話の続きで恐縮だが、新しいキャッシュカードにしてもらえれば、日はかかるけどいやと、暢気に構えていた
親爺だが、電気代、携帯電話代の支払いやETCカード、更にネット上の細かい支払い等々、全てに影響が出ることに
気づき唖然とした。
 携帯電話は手続きしてセーフ。電気代はまあ地元の電気会社だからどうにでもなる。停められることもないだろう。
 ネット上のこまごましたカード登録も、連絡があった都度変更して行けばよいし、メルカリは新しいアカウントで使える
様になったし、ラクマ(楽天)などと云う十分メルカリの代わりになるものもある。意外っと小難しいのはアマゾン、新規の
カードを登録しても直ぐには使えない・・・。
 で、ETCに一番困っている。まあ、一般車の列に入って料金精算をすればいいのだが、面倒だ・・・。
 とにかく迷惑千万なキャッシュカードトラブル。便利には裏腹にリスクが伴うという事か。
 これを機に親爺も少し生活を見直してゆかなければなるまい・・・。
 やや不安定な感じだが立山は見えている今朝の空だ。


 トモちゃんが送ってくれた数日前の雷鳥沢。


 人の少ない時期なので、小屋の前まで遊びに出て来る雷鳥。 イワヒバリも幾分のんびりと。
 


5/27
 今度はアマゾンだ・・・と、思っていたら使用しているキャッシュカードが原因で、もう2日間にわたって不愉快な思いをし
ており、更にカードのセキュリティの問題だという事が分かり、今ようやく担当者から電話連絡がもらえるような約束を取
り付けた。ここまで2日巻以上に渡りカードは使えぬ状況が続いている。アマゾン以外では使っていないのでどこまで使
えぬのかもわからないが・・・。
 嫌な世の中だ。ネットで何かを使おうとすると、携帯電話での認証をたびたび求められるようになったし、弁理士極な
LINE等でも携帯番号か、固定電話の番号を身元確認の条件とされている。
 こういう便利な機能ほど悪用されやすいのだろうが、キャッシュカードなど生活に密着しているものに、こんな突然の、
しかもカードの持ち主には何の連絡もない、使用停止など参ってしまう。
 緊急停止しなくてはならぬ理由があったにしろ、本人に何の連絡もないのは如何だろうか?
 今朝朝一に電話で連絡がつき、至急(1時間以内)セキュリティ担当者から電話連絡が入る様にこぎつけたが、ここまで
するの数時間を要した・・・。
 結局、親爺のカードに不正請求が海外から行われ、その時点で支払いをストップしたとの事で、新しいカードが送られて
くるまで10日程かかるが、やむを得ぬだろう。
 早乙女らしき嶺が雨上がりの様に見えた今朝。


 雨が上がって来た。不動山があつくるしいほどの緑に覆われている。  未だ新緑の色を残した桃や桜の木々。雨に洗われて奇麗だ。
 

 雷鳥荘の雷鳥沢側斜面は黒くなっていて、雷鳥沢ヒュッテの辺りまで黒ずんでいる。地獄谷のガスの影響か?


5/26
 メルカリをずっと使っているが、突然使用制限を受けていることに気づいた。
 買い物も自由にできていたし、特段ルールに抵触する皓などしていない。ややこしい機械相手の問い合わせでも、相手
が人間なのか機会なのか分らぬ無機質な対応、しかもたっぷり時間がかかる・・・
 以前も普通のエアーガンを出品した時に自社の規制違反だと言って利用停止をもらったことがあったが、これとて同じ形
式のものが平然と出ているので、クレームをつけ回答を求めたが当社規定によるとの返事のみ。
 今も何やらややこしい回答が来たが、もう面倒になって、捨てた。便利に全国からいろいろなものを取り寄せ出来るが、
管理が無機質な機械では、あるいは人間的コミュニケーションのできぬ組織では、こっちから三行半だ。
 楽天のフリマコーナーも使えるから、不自由はない。
 折角のメルカリ、改善を希望する。否メルカリだけではない、携帯を持たぬと新規の加入もできぬLINE,とにかく悪いこと
をする輩が多いからだろう、折角の利便性の提供も、こういったやからにより潰される。
 今日はメルカリに怒り心頭の古希親爺である。
 雪融けの進む大日。


 鮎を喰いに庄川に出かけ美味い鮎をたっぷりいただいてきた・


 至る所に雷鳥が動いている。長い冬から解放され、これから繁殖に入る立山の神の使い達だ。
 



5/24
 昨日は立山の国見HPから第一回目の荷揚げがあったそうだ。
 トモちゃんも国見まで下山して、剱御前小舎に挙げる荷物の荷造りをしたようだ。剱御前小舎は外壁補修工事がある
ので、その分の荷揚げもあったのだろうか、詳細は知らぬが、ほかの山小屋も燃料などを上げたようだ。
 父上を亡くしたばかりの沢小小屋の新平も、一時入山して、小屋内部の乾燥など行わねばならないとの事で、ヘリで
入山し荷受けするという大変な状況だった様だが、その話を聞いて心が痛んだ。新平が健気過ぎて、涙腺が緩んでしま
う。流石親子3代にわたる沢の主である。
 月一の富山市内の医院への薬貰いの日、富山平野の外れからは剱も良く見えた。


 何時に変わらぬ国見HPからの空輸作業である。が、懐かしい顔はずいぶん減った・・・。
 



5/23
 月曜日で、孫も昨日帰り、親爺とオカカは普段の日に戻った。
 雲がちな晴れ、時折明るく降り注ぐ陽光で、気温もそこそこ上がって爽やかな過ごしやすい日になっている。ライブカ
メラの雄山山頂は、レンズに雪が凍りついているらしく、向こうの青空は感じられるが、景色は見えぬ。その下の室堂
や弥陀ヶ原は良く晴れていて、雄山の稜線も間もなく晴れるだろう。
 下はガスっていても上が開いているのはよくある天気パターンだ。
 天気はまだまだ不安定、山へ入る方々は十分の装備をお忘れなく。
 山里から立山方向は何も見えない。


 我が家の庭には、勿忘草の一叢と、その隣にはツル日日草が薄紫の花を咲かせている。垣根のバラはまだ咲かない
 

 新雪の後の夕景。やや寒々と見えている。


5/22
 昨日、友邦兄の葬儀が終わった。山にいた時に愛用していたベレー帽をかぶり、棺に横たわる兄に、花を捧げ最後
の別れを惜しんだ。兄よ親族や仲間たちが出迎えてくれているはずだ。どうぞその世界に安らかに過ごされんことを祈
ります。   合掌
 親爺も心には大きな寂しさが残るが、なあに順番だ。そのうちに時期が来れば親爺もそちらへ向かう。その時はにこ
やかないつもの笑顔で、兄が「オー、やっと来たか。」と出迎えてくれることだろう。
 何時までも寂しい寂しいでしょげていても仕方がない。やがての再開を信じ、日常に戻ろう。
 暫くして落ち着いたら、今度こそ小さな旅にも出てみよう・・・。
 我が村人に一番馴染みのある山は不動山かも知れぬ。少なくとも親爺には。


 雷鳥は特別天然記念物で、立山を代表する鳥だ。                イワヒバリも立山ではポピュラーな鳥だ。
  

 剱岳は今日も静かに佇んでいる。


5/20
 廻りにいつもいた、先輩連中や身近な仲間や遂には幼馴染の同い年や、後輩たちに至るまで、次々と居なくなって
行く。自分はまだ昔ほどの元気はなくなってはいるが、日常生活に支障があるほどの事もなく居るのに、廻りがどんど
ん寂しくなって行くのだ。これが諸行無常という事で有るのだとは、分かっているつもりだが、何ともやるせない。
 今朝庭で勿忘草が咲いているのを、オカカに教えられた。母が植えて、何時しか猪に荒らされ、それをオカカがまた
寄せ集めて植えたのだそうだ。
 勿忘草の花ことばは「私を忘れないで」だとは親爺でも知っている。母がそれを庭に植えたのは、随分前の事だった
らしいが、今の親爺の年、古希直前に旅立った母故、当時としても早すぎる旅立ちを予感して、植えたものだろうか。
 別に花を見なくとも、大切な人は忘れない。命をくれた父母や祖父母はもとより、廻りで自分をはぐくんでくれた人々、
懐かしい先輩たちや、仲間たち・・・。
 庭の勿忘草の一叢。
 

 日は入り、そしてまた日は昇る。その繰り返される明け暮れの幾つを見続けただろう。天地の営みの中では瞬時だろうが。
 


5/19
 悲しくて、寂しくてやりきれないのに泣けぬ。
 我が人生の師とも仰ぐ友邦兄が昨日午後、旅立った。享年79歳、常々親爺に「おれはお前より丁度10歳年を取
っている。昭和17年生まれだ。」と言っていたが、誕生日が来ると親爺は古希、友邦兄は傘寿を迎えるはずだった。
 兄は親爺には又従兄に当たり、剱沢の山小屋を剱の大将文蔵と呼ばれた父から引き継ぎ、生涯を剱とともに生き
て来た生粋の山男である。未踏峰グルジャヒマールの登頂、遭難救助の数々などその功績は枚挙にいとまがない。
 親爺も剱御前小舎の経営を手掛ける様になり、友邦兄からは多くのことを教えられ、助けられた。隣の小屋だった
から気軽に行き来した。村も一緒で、冬になれば銃猟も指導してもらったし、当時の山の長老連中の世話係を押し付
けられていた兄の補助も良く仰せつかった。これは兄もほとんど酒を飲まないし、親爺も下戸だから会合の送迎は当
然、二次会、三次会の送迎などもいつもの事だった・・・。
 兄は最高のアルピニストであったが、我が芦峅寺の古いタイプの山人でもあった。猟も大好きで昭和のおおらかな
時代には、狩り山の経験も有する、最後の生き残りでもあった。我が爺様たちの名うての大酒のみメンバーに交じり
春の山々を猟銃を持って駆け回った経験があるのは兄が最後の存在だった。
 にこやかな笑顔で古い山の話を良くしてくれた。その話の中には我が爺様の仲間連中が勇壮に生き生きと山を駆
け回る姿が浮かび上がった。そうか、もうあの話は聞けないのだ。
 古い立山と、芦峅寺の山人の伝統を受け継ぐ、最後の生き証人が旅立った。    合掌
  
 この雪渓を下って行けば剱沢小屋がある。友邦兄はもういないが、息子の新平が剱沢小屋を守っている。


 芦峅寺に生まれ、立山を駆け回った男がまた一人旅立った。その魂は山に帰る。


 山を下りてからも、晴れた日にはうら庭に出て立山を眺めていた友邦兄だった。


5/18
 今日はかかりつけの眼科医院へ行ってきた。富山市民病院で受けたレーザー手術の予後観察である。これでまた
親爺の目の管理はかかりつけの医院に戻ったわけで、2ヶ月か3か月に一回の通院となる。
 もう一つ健康管理をお願いしている、内科医院には月一で薬をもらわなければならず、高齢者ともなると病院通い
が止まぬ・・・。
 今日は快晴。立山あたりは春山独特のアイ(薄い靄)がかかっているが、これは気温が高いからだろう。山里でも
既に23℃程の気温になっている。
 今週末には黒部の孫がお泊りにやってくる。4歳7か月で、日々おしゃまな女の子らしくなってきている。でもジジ
ババには甘え放題で、それがたまらなく可愛いのだ。親爺もう楽しみにしている。
 今朝、朝一でトモちゃんが送ってくれた剱御前小舎から見る日の出。


 雷鳥も冬毛が抜け替わり、夏の装いになって来た。


 こちらは地味な色の雌雷鳥。


 山里は緑がむせ返る季節よなった。


5/17
 今朝は高曇りでさほど眩しくないので、外で久々のドローンを上げた。目も完全に復調、機体を見失うこともない。
 で、調子にのって飛ばしていたら、バッテリー切れアラームが鳴り機体が自動帰還モードに入った。近くまで戻った
ところだったので、慌てず手元にひきつけ下ろそうとしたら、下りずにまた上がろうとした。誤作動ではなく登録した
ホームポイントが異なるからで、一寸慌てて自動帰還モードをオフにしてから、ようやく足元に下ろした。
 やはりたまにしか飛ばさぬので、少し慣熟飛行が必要になっている様だ・・・。
 数日前、強制的にwindowsのアップロードが始まってしまって、2時間もかかるアップロードをしたが、お陰でPCの
動きが遅くなってしまい、閉口している。いつもこんなことの繰り返しだが、まあ、OSは使い慣れたWindowsが良いの
で何とかかんとか使っている。
 新緑と云うにはもうトウがたった濃緑に包まれた山里。
 

 今朝の我家上空から見た、親爺とオカカ。姿が分かるだろうか?


 常願寺川も穏やかな顔を見せている。


5/16
 レーザー手術を受けた右目が極めてクリアで、裸眼でも0.4〜5は見えるし、矯正視力は1.2迄出ており、極め
て快適である。この後は紹介状を書いてもらった医院へもどり、従来通りの3月に一度程度の検査治療を受ける事
になる。目とは実に大切な感覚器官である。クリアに見えるという事は実に爽快だ。
 まだまだ車も運転したいし、ドローンやラジコン飛行機も飛ばしたい。写真も撮りたいし、本も読みたい。
 恐らく5〜60年前なら失明していただろう白内障、後発白内障である。日本の最先端医学に感謝。白内障など今
でも世界の人々の失明原因のトップだという事だ。
 ここでもまた、よくぞ日本に生まれけりである。
 美女平から見上げる鍬崎山。美女平と鍬崎山の間には常願寺川真川が瀬を早む。


 富山平野に陽が沈む。別山乗越より足下に望む夕景。       山里は雲海の下、親爺が七輪で焼き鳥を焼く。
 


5/15
 昨日はオカカと二人比較的ゆったりとした時を過ごしたが、東京の孫の誕生日だったので、次女からその様子が
SNSで画像やら動画やら更には音声メールでも次々と届き、それを見ているとまるで一緒に誕生日を祝っている様
な気分になって楽しかった。
 長女の家も一緒だが、居間にデコレーションをし、プレゼントも次々渡してやる。孫には天国のような日だ。
 ジジババからは、タブレットとアンパンマンの玩具。パパママからも玩具がプレゼントされ、千葉のお爺ちゃんお婆
ちゃんからもお祝いが届いたようだ。
 もう嬉しくて堪らぬ姿が、動画や画像でその都度送られてきて、こちらもついついそれに見入って、オカカとの会話
も孫一色。
 夜までそんな状況で、夜具に入ってからも今度は黒部の孫が、ハピーバースデートゥーユー・・・歌のプレゼント。
 これもすごく上手で、また一しきり見入って話が弾んだ。
 今朝は高曇り。雨も上がり視界もクリアだ。
 車庫の裏 新緑むせる 閻魔堂


 東京の次女夫婦が一人息子の3歳の誕生日の飾りつけ・・・。     ろうそくを吹き消すことができた3歳の孫。
 

 ジジババからのプレゼント、タブレットやら玩具やら。パパママからもお買い物カートの玩具がプレゼント。リンちゃんからも歌のプレゼント!!
 
  

 トモちゃんが休暇から剱御前小舎へ帰って来た。早速動画を送ってくれたのでユ-チューブにアップ。https://youtu.be/aAfsys0e_yE


5/14
 良い天気が続いていたが、とうとう今朝からは雨だ。親爺は今この雨の中、川向の床屋へ行ってサッパリと髪を
整えてきた。若いころはくせ毛の剛毛で沢山あった髪の毛も、今や白く細く疎らになってしまって、そのくせ短く側面
を刈り上げる癖がついたので、髪が耳にかかるようになるともう煩くていけない。不精なくせにそれなりに床屋へは
通うようになった。
 中学生の頃から通っている、常願寺川の向こう岸、小見集落の床屋はもう半世紀以上ものお付き合いだが、高校
生の頃には通学エリアが変わってしばし足が遠ざかったが、大学に入り東京で4年間を過ごした後は、またこのN理
髪店にお世話になっている。最初は今の主人のお爺さんに当たる方で、その後先代のご夫婦、そして今の親爺より
20歳も若いコーチャンご夫妻の3代にわたりお世話になっているのだ。
 過年、先代の奥様が旅立たれ、先代も最近は畑仕事などに忙しく、店には余り出ておられぬが、親子3代に渡る
こういう店が近くにあるという事は、実に頼もしく嬉しい事だ。
 気立ての良い賑やかな店主に、愛嬌のよいすらりとした奥方、まだまだこの理髪店にはお世話になる事だろう。
 鬱陶しい雨の土曜日だが、髪がすっきりと心地よい。
 雨の山里だ。


 今日3歳の誕生日を迎えた東京の孫。元気に大きく育てと祈る。
 

 ジジババの住むこの山里が大好きな孫たちだ。今日はあいにくの雨だが。



5/13
 昨日は最終の術後検査を受けてきた。結果良しで、目は良く見えるようになった。若い女性の先生に「有難うござ
います。」と確りお礼を言って帰宅。但し片目は瞳孔が開いているので、慎重に帰った。
 帰宅後片目が瞳孔が元に戻るまで、ごろごろしながら休憩。夕刻には目も戻り、テレビ桟敷で相撲観戦をした。
 此れであとは来週にでも、かかりつけの眼科の先生に報告し、そちらで3月に一度の眼圧検査を受けることにな
る。感覚器官の中でも目はことに重要だから。大切にせねば。
 今日も高曇り、立山はガスがかかっている様だが。大日岳は良く見えている。午後からは雨となりそうだ。
 今日は外出の予定なし。
 オカカが我が家の竹林で筍を発見、もう処理が面倒で、心平に採りに来てもらい全て持ち帰って貰った。
 更にオカカは蕨も700g程採って来た。山菜取りが面白いようだ。
 蕨はあくぬきして、明日の朝には親爺が醤油のつけ汁を作ろう。
 親爺とオカカの長閑な日々がまた始まった。


 黒部の孫と長女が、何とか言う画像ソフトを見つけて、楽しい写真を作って送って来た。保育所の歯科検診で虫歯が一本
見つかって、本人は平気だが、一生懸命ケアしていたママがショックを受けている・・・。
 

 東京の孫はママに親子どんぶりを作ってもらうお手伝い。卵を上手に混ぜ混ぜ・・・。
        


5/12
 孫が帰って、寂しいと思っていたが、昨日は右目の、後発白内障のレーザー手術を受けた。手術自体は痛くもか
ゆくも無いが、検査や動向を開く待ち時間が長く感じられた。で、無事全てを終え帰宅し、午後にはまだ瞳孔が開い
ているので定かではなかったが、徐々に見辛かった右目がクリアになってくる。夕刻の相撲を見ている頃には、実に
クリアであることを確認。日本の先進医療に大感謝である。
 今日は13:00に予約してあり、最後のチェックを受けるわけだが、クリアな視界が戻って大満足、医師に有難うと
感謝を伝えてこよう。
 山里は高曇り。視界は効いているが気温はさほど上がらない。
 川向の山々もあっと言う間に雪が融け、新緑の時期も過ぎた。


 GWは暑かったから氷水が大好きになった黒部のお姉ちゃん。 ジジのラーメン大好きになった東京のお兄ちゃん。
 

 今朝も雪解けの進む大日が見えている。


 多分、シラーカンパニューラータだろうと思う。隣の庭に咲いた。


5/10
 昨日は次女夫婦と、かわいい孫を富山駅まで送った。間もなく3歳になる孫、今度はすんなりとバイバイしてくれ
ないだろうとは思っていたが、降車場に入りチャイルドシートから下ろそうとしたらもう泣きだした。「ジジも一緒に行
く。」と言い出し、「ジジはババを迎えに行ってくるからね、先に行っててね。」とごまかすも効き目はない。
 「ジジババのお家行く。バイバイいやだ。」と大粒の涙を流しながら、パパに抱かれて駅構内へ・・・。
 何ともその涙がジジの脳裏に刻み込まれ、孫が愛おしくて堪らぬ。黒部の孫も一緒だった。ジジババと離れがたく
て帰る時はいつも大暴れだった。最近ようやく聞き分けが出来て、寂しそうにはするが又来るからねと帰って行くよ
うになったばかりだ。
 3歳に満たぬ東京の孫、まだその聞き分けはない。
 かくの次第で親爺、昨夜は1:00を過ぎても眠れぬ。孫の泣き顔と大粒の涙が「まなかいにもとなかかりて」の状態
で「やすいしなさぬ」のだった。小用に起きたついでに睡眠薬を半錠服用。ようやく眠りについた。
 今日は快晴。孫たちが帰って静かな明け暮れが戻った。これは寂しい。
 GW明けで見知らぬ観光客も村内にはいない。これは快適な静けさで歓迎である。
 とにかく親爺とオカカの生活は、眠くなるような静かで穏やかな時の流れに戻った。可愛い孫たちは又来るだろうし
ほぼ毎日、ライン電話や写真、動画で様子を知らせてくれるから・・・。
 今日はこの静かでのんびりした時間にひたることにしよう。
 不動の山の新緑が目に染みる。


 目に涙をためてジジババとのバイバイを拒む孫息子。今は聞き分けが出て、ようやく笑顔でバイバイができる様になった孫娘。
 

 庭の竹垣のバラの葉が青々としてきた。



5/9
 昨日は末娘が松本へ帰り、今日は東京の一行が帰京する。
 我家の生活の中心になっている3歳間近の男の子、さすが4歳半の黒部のオネエチャンより腕白である。今朝も
この孫が寝室までジジを起こしに来て、ジジはスッキリ目覚めた。可愛いことこの上ない。
 後で富山駅まで送っていくのだが、実に寂しくなるだろう。まあ、親爺とオカカの二人の日常に戻るだけなのだか
ら何という事もないのだが、所謂ハレの日が孫の同居する日々であり、親爺オカカだけの静かな明け暮れがケの
日々となるのだろう。
 昨日から大相撲も始まったし、ケの日々も悪くはない。
 ある意味、激流を過ぎ、緩やかな眠気の起きそうな流れに戻る親爺とオカカである。
 寒い。薄手のジャンパー(ブルゾンと云うのらしいが)を羽織っているので寒い。
 親爺には、やはりフリースが干しい今日だ。



 昨日は黒部の孫はパパママとファミリーパークへ。東京の孫もパパママと富山環水公園へお出かけ。
 


5/8
 昨日午後、トモちゃんが昨日下山した。一週間の休みをもらったそうで、今休みが取れるという事は連休も終わっ
たという事だろう。お疲れさま。
 今日は東京の孫が、パパとママと連れ立って、環水公園へ出かけた。だから静かな我家である。
 間もなく末娘も松本にくけ出発。こちらは車でだから送りも迎えも要らない。親孝行な娘だ。
 GWも終わってしまえば早い。あれを食わせよう、これも食べさせようと力も入り、親爺とオカカは疲れが残るばかり
だが、これが楽しかったGWの孫たちとの時間の証である。
 しばらくたったら、二人で何処かの温泉にでも行って、疲れをいやして来よう。
 新緑が素晴らしい山里。


 トモちゃんがタケチャンと雷鳥沢を下り、美女に着いた。崩落事故で通れないが、制限を設け行有無車両のみ通れる様だ。
 

 立山は見えない。                                庭の垣根のバラが葉を茂らせている。
 


5/7
 親爺は今から富山空港へ、東京の婿を迎えに行く。久々の来富だ。固い職業故、コロナの時期は一切県外移動
を自粛しており、3年ぶりかも知れない。
 次女と孫は3日から来ているので、その出迎えを兼ね、久々の山里訪問となる。
 親爺とオカカのGWは普段より忙しく、そして賑やかだった。が、楽しい時間はあっという間に過ぎ、三女は明日松
本に帰るし、東京一行も明後日には帰京する。
 5月3日からは天候に恵まれ、良い休日だった。万年休日の親爺たちにとっても良い天気が続くのは有難い。
 暑からず寒からず、爽やかな皐月の風が吹きにける。実に良い季節である。


 大日岳をよく御覧じろ。立山川に向かって張り出した雪庇の下方に、森爺さんが遊弋している。


 ヨータローが真砂沢ロッジを継ぐか継がぬかはヨータローの判断だが、今はない親爺の子供時代のような親子の姿がうれしい。
 別山北尾根から昇る朝日の下に、心平の営む真砂沢ロッジがある。
 


5/6
 GWももう終わった。実質的には今日休みを取ればもう3連休となるのだろうが、実質的なGWはもう終わった。
 黒部の孫はもう保育園だが、友達と会うのも楽しみらしい。4歳の年中さんともなると、しっかりしてくるものだ。
 東京は明日パパが迎えに来て2日ほど滞在するので、もう3日程いるが、賑やかな足音が響き渡る家というものは
実に心楽しく温かいものだ。
 普段のオカカと二人だけの、静かな明け暮れもとても良いものだが、孫のいる明け暮れも良いものだ。
 人間などないものねだりの親玉だから、両方良いのは分かり切っていても、現在ではない状況を欲しがる。
 賑やかな孫との日々も良いけれど帰った後の静けさも良し。
 立山へ向かう車も少ない今日である。


 こどもの日のケーキを貰って大喜びのお姉ちゃん。甘いものが嫌いな東京はジジのラーメンがお気に入り。
 もう何年一緒にいられるかと思うと、可愛さも一入募る孫たちである。
 

 山里から立山も良く見える。暖かいのでアイがかかっいる。トモちゃんが送ってくれる写真は空気の透明度が高い。懐かしい後立の峰々。
 


5/5
 子供の日に相応しい五月晴れの爽やかな朝だ。
 立山も良く見え、朝は早くから車の音が止まない。もう立山駅周辺は駐車場も満車だろうし、早朝のアルペンルート
ケーブル乗車待ち時間も120分となっていた。
 ようやくコロナ規制が取れたGWなのだが、桂台から美女平に至る車のルートが、崖崩れで通行できない。大自然の
采配故何ともし難いが、皮肉なことではある。
 と、突然PCがアップグレード体制に入って、約2時間使用不能の状態。まあ、しつこくアップグレードをせまるPCに、
うっかりアップグレードを許可した自分が悪い。結局昼食を澄まして13:50現在再起動を終わった。
 詳細は未だチェックしていないが、大きな問題はなさそうだ。
 ちょうどジジにまとわりついていた孫が、お昼寝。今を逃すまじと一生懸命更新作業中だ。
 長閑ないい天気で時間はゆったり流れている。
 新緑の山里から眺める大日岳。


 黒部と東京の爺取り合戦はジジには至福の時!!
 

 夕刻もう一人の孫ともいうべきヨータローが山菜採りから帰り、ジジババに笹だけのタケノコをくれた。実に嬉しい。
 ついこの間まで東京の孫のレベルで、ジジババにベッタリだったのがもう小学4年生だ。


 立山は最高の天気で、賑わっている事だろう。我が山里は新緑の季節で、母の日のカーネーションが長女から一足早く届いた。
 


5/4
 今日は祖父宗作の祥月命日。昨日からきている孫たちと、仏壇に燈明を上げ線香を手向け賑やかにお参りした。

 祖父も驚きながら、二人の玄孫のお参りに喜んでくれているだろう。
 娘たちが二人を連れて運動公園へ遊びに行った。気温が26℃まで上がるらしいから早々に帰れと言っておいたが。
 親爺とオカカは孫がいて楽しく心嬉しいが、肉体的には疲れる。特に大人気のジジババは今ちょっと休憩・・・。
 黒部は今日帰るが、東京はまだしばらくいるから、ジジババももう少し頑張らねばなるまい。
 立山も天気は良い様だ。

 くみちゃんが剱御前小舎へ来たらしい。往年のメンバーがそろった。


 我が家では全員集合。孫たちがジジの取り合い。


 今朝はおお爺ちゃんをお参り。賑やかだった。 一足早く届いた母の日のカーネーション。
 
 


5/3
 GWも後半に入った。が、我が家はこれからが本番。今日は我が家に全員集合である。
 3人の娘に二人の孫、長女の婿殿も顔を出す。二人の静かな暮らしが普段なので、とても楽しみである。
 特に東京の孫は正月以来、4ヵ月ぶりであるし、黒部の孫にしても以前なら月に2回は来ていたのに、最近は何やら
忙しく、月に1回顔を見せに来るのがやっとといった程度だ。
 まあ、寂しくなればテレビ電話をしたり、動画や写真はちょいちょい届く。でも抱っこしたり頬ズリしたりがしたいのだ。
 今から出迎え、今日は緒と忙しい・・・。
 良い天気になって良かった。


 剱御前小舎のトモちゃんが今朝のご来迎を送ってくれた。寒そうだ。

 剱御前小舎も凍てついている。



5/1
 折角のGWではあるが、天候がさえない。今は雨こそ降っていないが、朝方は降っていたようで、地面が濡れている。
 雄山山頂ライブカメラは雪だ。昨日は良い天気で別山乗越へも多くの人が上って来たそうだ。登山者よりもスキーや
ボードの方々が多い様で、昼過ぎになると雷鳥沢を滑り下って行く。宿泊の方々は温泉のある施設で泊るのだろうし、
剱御前小舎当たりに泊まるのは、カメラマンとハイレベルな登山者たちであろう。親爺の時代もそうだったが、前者と
後者の比率がかなり変わり、昨今は前者が多くなっている様な気がする。
 もう引退して5年以上もたつのだが、習い性と云うかそんなことばかり気になる。
 明後日は我が家に3人の娘たちと2人の孫がやってくる。親爺もオカカも楽しみだが、何を食べさせようかと悩んでし
まう。あれもこれも食べさせたいからで、我が家で泊る日は限られているし、親爺とオカカの体力も限り有るわけで、可
愛い孫たちと過ごす時間も体力分配に気をつけねば、ダウンという情けない事にもなる・・・。
 とにかく明後日からは天候も回復するだろうし、賑やかになる事だろう。
 昨日の別山乗越のご来迎は奇麗だった。


 プリキュアにハマって踊りをまねるオネーチャン。  ママと一緒にポンデケージョ(親爺は知らない)を作って食べるアンパンマン小僧。
 この連中が我が家にやってくる。可愛くてかわいくて堪らぬ孫とは、不思議な存在だ。
 


 雨は上がっている山里だが、気温が低い。新緑も心なしか凍えている様な気がする。不動の山も春の勢いがない。
 

 立山では昨日は氷点下の朝だった。


4/30
 暖かい春の日は、あっと言う間に時が流れ、今日は卯月晦日である。
 窓外に目をやれば新緑。春の暖気を含んだ陽射しに輝き明るさを一段と増している。親爺にとっては何よりも、雪
の心配が要らないの嬉しい。と言っていたら昨日は立山で雪になった。剱御前小舎のトモちゃんが、何枚も写真を送
ってくれた。写真に見入っていると自分がそこにいるような気がする。
 世はGW二日目。何となく華やいで、普段忙しい現役世代もこの時がかりはゆっくりと、家族と過ごせるだろう。
 年を取って隠居生活に入れば、何時でも家でごろごろしていられる。だから、たまにはごろごろしたいだろうが、そ
こは我慢。家族と楽しく過ごしていただきたい。現役世代にはその程度の体力があるはずだ・・・。
 親爺もGW後半の3日には、黒部、東京、松本の3人の娘が集まる。もちろん二人の孫が主役で、ジジババも手ぐ
すね引いて待っている。楽しみだが、バテもするかも・・・である。
 まぁGW、普段と違ってこその晴れの日であろう。美味しものを用意し久々に賑やかに楽しく過ごそう。
 今朝は立山は見えなかったが、立山はいい天気なようだ。昨日の新雪で輝いているだろう。


 我が孫たちも忙しそうだ。おねーちゃんは新規オープンのココ黒部でパフェを食べ、アンパンマン小僧はままと何やらケーキ作り。
 

 昨日は別山乗越にも雪が降った。4月は雪で当たり前の世界だ。
 

 その新雪をまとった翌朝の日の出。神々しいご来迎と呼ぶにふさわしい日の出である。


4/29
 朝方はまだ見えていた立山もガスがかかり見えなくなって来た。折角のGW口開けはあまり天気に恵まれなかった。
 でもこの連休は長く、後半は比較的良い天気が続きそうだ。立山も少し期待できるだろう。
 ここ2年あまり、コロナの影響で、飲食業や宿泊業などは一番に影響を被った。じっと我慢の日々を耐えてきたのだ
がコロナはまだしつこく居座っている。そこへもってきて血迷ったコミュニストの親分が、核をちらつかせて他国侵略で
世界はコロナ蔓延の恐怖に加え、核の脅威にさえも晒されている。
 日本の雪国の片隅に暮らす親爺でさえ、最近はテレビニュースを見るのが辛い。
 知床では海難事故で子供を含む26名が、行方不明あるいは死亡しているし、海のかなたでは大人の巻き起こした
戦争で、老人や子供という弱い人々が一番に命を失っている。
 「あぁあ、嫌な世の中だなぁ・・・」座頭市のセリフが毎日脳裏にうかぶ。
 今日は愚痴ばっかり書き連ね、少し憂さ晴らし。ストーブに火をれ丁度な日である。
 昨日営業再開した剱御前小舎。雪が少なくて、6月の小屋の様だ。


 残念ながら、GW初日の今日は、不安定な天気だ。もう剱は見えない。


 早朝はまだ、これだけの視界が利いた。




4/28
 今朝、食事の片づけを終えてすぐ、オカカが我家の竹林を見に行ったついでに、その下にある昔の畑も見て来た。
この前の蕨発見で味を占めた様だ。で、何と今朝も20分足らずで850gの蕨を採って来た。
 メルカリで売るほどの量でもないが、その気になればまだ採れる。八尾に住む親爺の妹に電話して、採りに来たら
と誘ったが、平塚の息子が今日、久々に里帰りするそうで、今日は来れないとのこと。で、叔母にも連絡が取れず、
今日採集した分は、醤油漬けのストックもまだ十分あるので、塩蔵して保存することにしたようで、最寄りの商店のあ
る川向の小見集落まで車で3分、塩を買いに行って来て、今台所でごそごそやっている。
 オカカもすっかりこの山里に根付いて、山里生え抜きの親爺などよりはるかに、山里の生活に馴染んでいる。
 女とは、母となりうる存在故、極めて強靭な適応力を有するものであり、男などその意味では足元にも及ばない。
 さて、暑くもなく寒くもなく、雪の心配など全くない、春の若葉の長閑な日々、親爺今日は何をして過ごそうか・・・。
 不動山の山桜。


 山里は若葉の季節。隣家の大量の雪の下に埋まっていた石楠花も、生き生きと蘇り、芽吹き始めている。
 

 稜線部など雪が極端に少ない立山。一の越の向こうに槍が見えている。


4/27
 昨夜は何とも蒸し暑く、まだ冬の布団で寝ていたものだから、布団を踏み抜いて寝ていたようだ。朝方少し気温
が下がったのだろう、足が冷たく目を覚ました。
 外は雨、ガスも出て不動の山も見えなかったが、9:30を回った今、薄っすらと不動は見え始めた。
 「灯台下暗し」とはよく言ったものだ。蕨が好きで、醤油漬けを作り毎年楽しんでいるが、その蕨をメルカリで取り
寄せ、5月ころになると出回る山形産の蕨の太さ、美味さに味をしめていたので、今か今かと発売を楽しみにして
いたのだ。
 だが、つい3日前オカカが叔母から聞いて、昔の我家の畑跡(徒歩2〜3分)へ葉わさびを探しに行って、葉わさ
びも有ったが、太い立派なわらびを発見。僅か30分ほどで1.5kgばかりを収穫してきた。
 親爺は畑など全く無頓着、どこにあるのかも良く分かっておらず、オカカが採って来た蕨の見事さに驚いた。
 こうなればもうメルカリは用がない。せっせと蕨のあく抜きをし、醤油漬けを作った。(もちろんオカカがである。)
 考えてみれば婆様(母)が元気なころは、大量に蕨を採って、塩蔵していたそうだから、また親爺自身もイワナ釣
りにでも出かけて、そこいらで蕨の数本くらいは採った事もあるのだから、当たり前のことなのだが・・・。故「に灯台
下暗し」を痛感した次第。お粗末な話ではある。
 今朝の山里は春雨が降りしきり、ガスもかかって薄暗い。木々の若葉が奇麗だ。

 
 これがオカカの収穫した蕨である大鍋に重曹と熱湯を入れあく抜き中。


 ”新緑の もやに滲みて 広がれり”



4/26
 曇天だが立山は見えている。気温も昨日と変わらず暖かいが、風が出てきてざわざわしている。
 空だけ見ていると、今にも雨が降り出しそうだ。七輪に火を起こして取り寄せた肉を焼いて喰おう思っていたが、
この空ではそうも行かぬ。明日に順延した。
 順延という言葉の連想から、知床での悲惨な海難事故を思い起こした。いたいけな子供二人も含まれ、三歳の
女の子は死亡が確認された様だ。
 未だ25名の方々が発見されていない。絶望的な状況ではあるが、一抹の希望も持ちたい。
 船長、運営会社だけに責任を負わせるのは過酷で短絡的すぎるかも知れぬが、なぜ漁船も出漁を中止する様
な悪条件下での出航をしたのだろうか。
 観光船の出航や船自体の安全基準も明確に定められているとは思うが、どうかこの悲惨な事故をこのまま埋も
れさせず、徹底的な原因究明をして、これからの事故防止の礎とされることを願うものだ。海や船には素人の親爺
だが、大自然のなかでの行動は、慎重に、臆病なほど慎重にと考える親爺、残念で仕方がない。
 海も山も決して逃げない。今が駄目なら次の機会に・・・これを厳しく守れるなら、事故は減るだろうに。
 この海難事故の犠牲になられた皆様のご冥福を祈ります。  合掌
 木の間越しに閻魔堂が見えている。”古の栄華を語るや閻魔堂”


 大日のかなたに沈む太陽。


 浄土山の向こうに竜王も見える。雷鳥沢から室堂平地獄谷を望む



4/25
 9:00頃家を出て、黒部の長女の婚家まで行ってきた。長女の義妹に当たるSちゃんが無事女児を出産したお祝
いに出かけた次第。高速を使えばものの50分だが、下道(一般路)でも1時間と数分なので、今日は新緑の美しさ
に心奪われ、ゆるゆるとドライブ気分で黒部に向かった。
 立山が雪を頂き白く青空に映え、手前の野山に新緑が萌え、道路わきの田畑には田植え直後の早苗や、色とりど
りの花が咲き、まごうこと無き春酣であった。
 我が孫が、初めての女のいとこに、大喜びで、写真を何度も見せてもらったが、母子ともに健康で何よりであった。
 お茶を頂き、オカカと婚家のお袋様は話が尽きないようであったが、余り長居はできぬ。早々にお祝いを述べ帰路
についたがオカカはまだまだおしゃべりがしたかった風だ・・・。
 帰路も一寸買い物をし、下道をゆっくりとドライブ。昼過ぎに帰着した。
 我が山里も4,5日遅れではあろうが、新緑の季節を迎えている。
 昨日の別山乗越からの夕景。ここからは足下に見える大日も、山里からは遥かに見上げている。


 今シーズン初の剱の夕景。


 大日が、新緑の先に奇麗に見える。                         山里も木々が若葉をつけ出した。
 


4/24
 やや肌寒い朝である。日曜日なので立山は結構な人出だが、アルペンルートの開通が年々早くなり、稜線部の山
小屋など未だ営業前であるが、天気さえよければお客様はどんどん上を目指すから怖い。
 長らく我家のお向かいさんだった、中山義久さんの訃報が届いたが葬儀に間に合わず欠礼してしまった。立山アル
ペンルート草創期の立山開発鉄道職員で、エンジニアであった。
 好人物で、お酒が好きで、天真爛漫、人を不快にさせる事のない方だった。我家の爺様も何故か「坊(ぼう)」と呼び
親しく付き合っていた。
 今は万年休業中の焼きそば屋になっているが、そこに中山家があって、親爺がまだ大町から小屋開けに入山してい
た頃、昭和の50年代末だったろうが、技術職員として黒部のロープウエーに勤務しておられた義久さんと、大町で合
流して芦峅寺まで一緒に帰ったこともあって、実に懐かしい方だ。親爺より10歳年長で親爺は「中山のあんま」と呼ん
だり「伊勢屋のあんま」と呼んだりしていた。伊勢屋は義久さんの先代の出身地であり、佐伯、志鷹ばかりの村では数
少ない中山姓だったが、誰も中山さんとは呼ばず「伊勢屋」と屋号を付け呼んでいたからだ。因みに義久さんの母方の
実家が教育者の家系で、志鷹奥次郎家であった。中山家の向かって左隣がその本家で、今はイッチャン(高橋敬市)の
写真館兼住居ナチューレになっている。
 我が山里も限界集落。家が減り、人が減り、だんだん昔を知る懐かしい人々も旅立ってゆく。ご冥福を祈りつつ 合掌
 今シーズン初めての、別山乗越から見た剱である。トモちゃんが送ってくれた。
 剱御前小舎の営業開始は4/28からだそうだ。


 剱御前小舎も一昨年やり残した部分の外壁補補修工事が今年始まる。 ハイマツの下の雷鳥もまだ冬衣のままだ。
 


4/22
 昨日の夕方、トモちゃんから無事剱御前小舎に到着した旨連絡があり、写真もたくさん送ってくれた。
 トモちゃんは親爺の代からの小屋スタッフで、今でもマー君の経営になる剱御前小舎のメインスタッフとして頑張っ
ていて、今や親爺のこのHPの山の写真の大半はトモちゃんが送ってくれる。
 で、トモちゃんが入山したこれからは、このHPも山の写真で賑やかになる予定だ。タノンマッセトモちゃん大明神!
 で、早速今シーズンの最初の一枚。雷鳥沢から別山乗越にある剱御前小舎を見上げる。
 稜線部の極端に雪の少ない今シーズンだ。


 芦峅寺HPからの荷揚げが終わって、稜線の剱御前小舎も小屋開け準備。 雄山主稜線の雪が以上に少なく見える。
 

 剱御前小舎直下。雪が全くない。稜線の具合はこの写真を見る限り5月末といった感じ。
 但し剱沢側は雪がかなり多いとの情報も入っている。


 大日の雪庇も例年並みにでかい。



4/21
 昨日眼科の検査を受け帰宅後、ヘリの飛ぶ音が聞こえ、窓から東邦航空のヘリが良く見えた。右目瞳孔が開いた
ままだったので昼寝をしていたところだったが、左目で機体を確認、シャッターを切った。
 その後、今日入山するトモちゃんが我が家へ立ち寄り、賑やかに親爺とオカカの相手をしてくれた。
 今シーズンもこのHPの写真を担当してくれるそうで、親爺も本当に嬉しい。約束していた、山岳書籍「喜作新道」と
「志鷹弥三太郎伝」を小屋開けの慰めにと手渡たした。
 今日は高曇りの山里だが、室堂や剱御前小舎辺りも同じような天気で、健脚のトモちゃんなら2時間ほどの行動で
小屋についてしまうだろうから、心配はしない。
 大日も山頂まですっきり見えていて、写真は早乙女付近までしか映っていないが、穏やかな日だ。


 東邦のヘリが荷物を運び不動のHPに戻って来た。昨日午後。


 あれだけ華やかに咲いていた閻魔堂石段脇の桜も、今朝見るともう葉桜になっている。花の命は短くて・・・


4/19
 昨日オカカが、行きつけの大阪屋スーパーで氷見産の筍を一箱(4kg)を買って来た。税込み620円余りだったそ
うな。本数にすれば8本ほどか、奇麗な形の筍だった。早速糠がなかったものだから、米を入れ重曹もわずかに加え
水煮にした。試食すると確かに新筍の味と香りがし、えぐみもほとんどなかった。
 で、オカカは今朝から、得意料理の味噌煮を仕込み、親爺も下の固い部分をさいの目に切ってもらって、山椒煮を
煮る予定だ。我が家にも竹林はあるが、この値段を見ると鶏に行く手間もない・・・。
 山独活をメルカリで見つけたオカカが、これも取り寄せ、今きんぴらを仕込んでいる。届いた山独活は小降り乍ら
青々と素晴らしい香気を漂わせている。楽しみである。筍や独活、更に花わさびと待ちわびた春の恵みが親爺とオカカを
楽しませてくれる。もうすぐ蕨も出るだろう。春お恵に大感謝!
 花の散り敷く不動尊の祠の石畳と閻魔道の石段。


 布橋をわたりし先の桜花我が先祖らが憩いて集う


 若葉萌え鍬崎山はかすみ見ゆ


4/18
 高曇りながら立山は見えていて、静かな月曜日の朝を迎えている。
 オカカは正月の怪我の最終診断と薬をもらいに、整形外科へ出かけ、帰りは買い物もしてくるそうで、親爺が一人で
留守番である。
 録画して、見ていない新日本紀行でも見て過ごそうかと、テレビを入れたがこのHP更新をしながらでは流石に集中せ
ず、見たやら見てないやらわからなくなるので、止めた。二つのことを同時進行する能力はもうないようだ。
 昨日午後、ドローンを上げて撮った立山の山並みだが、上空は風が強く、警報アラームが鳴って機体が安定しないの
で直ぐに着陸させた。山並みを見ても大気がやや不安定だ。
 

 黒部の孫はパパママと一緒に近くの遊園地へ。随分楽しんできた様だ。
 

 東京の孫も、ママとたまたま上京中の叔母ちゃんと一緒に、調布市の鬼太郎公園へ足を延ばしたようだ。
 嘗て、作者の水木しげる氏が暮らしていた地で、そんな縁で鬼太郎公園があるそうだ。孫は大喜び!!
 


4/17
 今日は良い天気で、青空が広がり温かい陽射しが、大気を温めてくれている。
 小屋明け入山もスムースだろう。
 親爺とオカカは相変わらずで、今や雪の心配もいらず、桃の花を喜び眺めているうちに、庭にはミニ水仙が花を開
き、閻魔道の桜が花芽を赤く膨らませたと思った翌日には花開き、信濃路への一泊旅行から帰るや、満開となって、
親爺とオカカを迎えてくれたものだ。
 山里も春酣。オカカの友人のワサビ畑から、花わさびを摘みに来ていいよと連絡をもらい、摘ませてもらった花わさ
びで醤油漬けを作り、鼻腔を突き抜けるような、冬眠を覚ましてくれるような凄烈な春の息吹を味わった。
 さあ、これからは蕨や独活も出盛る。食卓も春一色になってくる。
 暖かく暖房も要らない今朝の山里の我家の居間。
 此れを更新し終わったら、寝転んで読書三昧といこう。物の2,30分でまどろむのだが。
 雪融けが進む春の大日。


 閻魔道石段脇の桜も、もう散り始める。今年も良く楽しませてもらった。


 庭のミニ水仙は雨に垂れしおれていたが、温かい陽射しに蘇った。隣家の更にとなりの雪陰から、椿か山茶花か?
 


4/16
 午後からは天気が良くなるというが、未だどんよりと曇っていて、立山も見えず、小屋開け部隊が入山できぬ剱御前
小舎のようだ。
 ついさっき、岡山から帰って来たと、心平がお土産を持ってきてくれた。母校岡大山岳部の山小屋の修繕を頼まれた
との事で、偵察に行ってきた。真砂沢ロッジの親爺で、小屋の修繕はお手の物という心平だから、「岡大山岳部卒」の
OBである心平が頼られたのだろう。今日は一人息子ヨータローの父親参観日との事で、今朝の1:00に帰着したばか
りだが、息子の参観日は何より優先だろう。良い父親だ。
 心平は小屋開けにはまだだいぶ時間があるし、偵察もおそらく5月末以降の雪が落ち着いてからだ。
 割りと肌寒い朝、ストーブを炊いているので、親爺は朝からゴキブリ亭主。ナガイモやピーマン、きゅうり、みょうが、
貝割れを細かく刻み、独特の醤油出汁に漬け込む、山形の郷土料理「ダシ」のパクリのような物を作り(これがやたら
うまい)、更に牛筋とこんにゃくを煮込むスジコン、別名ボッカケ(これは神戸の庶民料理らしい)を仕込み、ストーブに
掛けて煮込んでいる。これで夕餉の一片食はもちろん、二片食も三片食もあるので、オカカも助かるだろう・・・???
後片付けや、刻みなどの準備はオカカの手を煩わせるので、?マークは取れないが・・・。
 土曜日だが山に向かう車も少ない。静かな春の山里だ。
 立山は姿を見せない。


 ババのメガネは虫メガネ?大きく見える。         寝起きもマンとはつけたまま。アンパンマン小僧!!
 

 今年初めての取り寄せコストコマンゴー。2個は少し痛んでいたが大玉で、美味い。まあ、当たりだろう!!


4/15
 今日も雨で、ガスがかかっている。
 石段脇の桜さえ霞んで見える結構濃いガスだ。
 買い物ついでに街へ出て、ノート4WDのタイヤを普通タイヤに替えてきた。色々食糧も買い込んで帰宅したが、トモ
チャンがひょっこり顔を出してくれた。
 入れ入れと家へ引っ張り込んで、一緒にありあわせのもので昼食を摂り、一しきりよもやま話に花が咲いた。
 相変わらず元気だ。今冬も岐阜のスキー場でパトロールをして過ごしたそうだ。
 冬はスキー場、夏は山小屋と、昭和終わりから平成半ばまでの我が剱御前小舎のスタッフのような生活スタイルの
トモちゃんである。
 親爺もオカカもトモちゃんと話していると時間を忘れる。14:00過ぎ迄引き留めてしまった。
 お土産に明宝ハムの新製品ソフトタイプを貰った。今宵食べて見ようか。
 雨の日長に明るく元気なトモちゃんの来訪を受け、心楽しい時間を過ごせた。
 桜ばかり撮っている親爺だ。


 ガスに包まれた山里、閻魔堂石段脇の桜さえ霞んで見え、立山は全く見えぬ。今日はアルペンルートの開通式だったが・・・。
 

  


4/14
 今朝は霧雨が降り、辺りもぼーっとした靄に包まれている。気温は10℃前後だろう。肌寒いのでストーブを炊いて
いる。
 閻魔道の石段脇の桜が、我が家の居間から見える唯一の桜だが、霧雨に濡れている。
 半世紀以上前、大学に入り上京した親爺に、高校の恩師水野先生から達筆の便りが届き、その中に雨に打たれた
桜の姿を頗る心に残る文章で書いて下さっていた。それ以来雨に打たれた桜を見るたびに、水野先生を思い出す。
 この恩師のお陰で、親爺は高校を無事卒業できたのだ。当時を思い出すと未だに汗顔の至り、殆ど滅茶苦茶な手
のつけようもない、ブレーキの効かない暴走自転車のようなワルガキであった。
 恐らく先生がおられなかったら、誰もあの頃のワルガキを導いてくれはしなかっただろう。
 だから水野先生は親爺にとって掛け値なしの恩師なのである。
 そのワルガキも、70を目前に、孫にも恵まれ、隠居ながら人並みに暮らしている。
 世の中のことは未だ眺めていて理解出来るし、3人の娘たちも各々自立し、良き伴侶、あるいは良き仕事に恵まれ、
暮らしているので余ほどのことがない限り、親爺とオカカは穏やかに暮らして行ける。
 世の中の面倒な事々は全て後進に譲り、人生最高の無責任時代を子供のごとく生きていられる。毎日「今日は何を
して遊ぼうか?」という風な時間を生きているのだ。
 本を読む楽しみ、ものを書く楽しみ、喰う楽しみ、孫と遊ぶ楽しみ、そしてたまには旅をする楽しみ・・・。
 老いても健康でさえあれば、身の丈に合った生活を計るものさしさえ確り持っていれば、何も苦労はない。
 今朝は霧雨の中に遠い昔のワルガキ時代を見た。今年70のお爺さん、デアル。
 ”霧ふくみ 輝きを増す さくら花 あさの光に めくるめく見ゆ”


 小旅行。梓川に沿い安曇野を走る。


 大王わさび園でワサビアイスを頂き、葉わさびも少し試しに買ってみた(固くて使いづらい。料理法があるのだろう。)
 

 隣の桃の花はすっかり花を落とした。これから若葉が茂る。


4/13
 今日は婆様(母)の月命日、朝仏壇に燈明を灯し香を手向けお参りした。母が旅立ってもう23年経つ。丁度今年の
親爺の年で旅立った。優しい母で、親爺の娘たちも皆バアチャン子だった。
 一昨日、親爺とオカカは久々にドライブ旅行、松本経由で軽井沢を目指した。軽井沢の万平ホテルに泊まってくるの
が目的のドライブ旅行で、この後は軽井沢も良い気候になり込み合うようになるから、ホテルの宿泊費もドンと上がる。
今はまだシーズン前の比較的安価な食事付プランが使えるので、一泊2食付きで、古き良き時代の万平ホテルを楽し
んで来た。親爺もオカカも所謂クラシックホテルが好きで、50代半ばごろから、日光金谷ホテルを皮切りに、泊り始め
た。東京ステーションホテル、横浜グランドホテル、奈良ホテル、そして軽井沢万平ホテルは2度目で、後は冨士屋ホ
テルにはまだ泊っていないが、いずれも設備面の不便は覚悟のうえで、それなりに楽しめた。特に金谷ホテル、万平
ホテルが好きだ。ホテルだけを取り上げたが、老舗旅館はもっと多く、親爺たちが大好きな八ッ三館(飛騨古川)などは
どなたにもおすすめの出来る宿である。
 駿河台の山の上ホテルなどもクラシックホテルの範疇に入れてよい様な気がするが、親爺など一時は食い物のうまさ
に惹かれ、上京すると山の上に泊まっていたものだ。
 今回の万平ホテルも、クラシックなアルプス館の部屋を利用し、ホテル内のカフェーで、アップルパイやコーヒーを楽し
み、夕食も軽いコース(これ以上はいただけない)ながらフレンチで頂き、朝もアメリカンブレックファーストを満喫、実に
ゆったりと楽しんできたのだ。
 松本はちょうど桜の満開時期。松本城の桜は何度も見ているので、松本在住の末娘の情報を頼りに、弘法山古墳の
桜を見に行った、が、これは地元の方も迷うような細道が続き、とても近寄れない。で写真のみ撮影して早々に退散した
のだ。
 世は春ならぬ初夏の気候。軽井沢で27℃は驚いた。が夜はさすがに冷え快適に眠れたのだ。
 昨日帰宅したら、閻魔堂の石段脇の桜が8分咲きで出迎えてくれた。
 我が家から見える唯一の桜である。


 万平ホテルでの夕食。軽いフレンチのコース。フルコースはもう重くて行けない。


 撮り忘れたが、前菜、スープ、メインの魚、肉盛り合わせプレート、そしてデザート。もちろんパンもあり、これ以上はいただけぬ。
 

 カフェーでアップルパイとコーヒーを頂く。          部屋はアルプス館スウィート48u。いい雰囲気の部屋だ。
 

 窓も趣があるし、外の景色も軽井沢高原。 ソファーやテレビを配置したリビングに、床の間と掛け軸の取り合わせが何とも良い。
 


4/10
 春の暖かい日、孫が三月ぶりに昨夜から泊っていて、賑やかである。
 昨夜は村田の世界タイトルマッチを見て、壮絶な打ち合いに感動し、悲壮な表情をたたえつつも眦を決し、捨て身の
攻撃に移り、力尽きマットに沈んだ姿に、何とも言えぬ日本人の美学を見た親爺だ。
 タオルが入った時、一瞬愕然としたが、清々しい気分に包まれた。
 試合を見ていた親爺に、孫が構ってもらえず少しすね気味。慌てて相手をしたら喜んで、結局親爺の布団の中で眠
ってしまった。可愛い話を聞きながら楽しい晩だったが、寝入った孫はママが自室へ抱いて行った。
 立山もまだシーズン開幕前、静かな日曜日である。


 ジジが孫に描かされた妖怪の数々の一部・・・。妖怪しりとりとか言う歌が子供番組であり、そこには聞いたこともない妖怪が
出て来るものだから、ジジも勉強させられた。

   

 可成り眠くなっているが、昼寝などするものかとが頑張る黒部。 風呂上がりにジジの描いた貧乏神の真似をして徘徊する東京。
 


4/9
 朝から快晴で立山も光輝いて見えている。
 今日は我が爺様(父)の祥月命日、父が旅立ってからもう丸6年経つ。豪快で大酒豪だったが暖かい人で、情に厚
い人だった。菩提寺の光昭和尚から、春光院の院号を貰ったが正に春の光のような人だったのだろう。未だに爺様
を懐かしみ訪ねてくる人たちも多い。
 仏前に大好きな日本酒の小瓶の封を切ってお供えした。昨日頂いた感謝状を伝達に来て下さった、上市署署長が
帰り際に、わざわざ仏壇に向かい合掌してくださった事に親爺は感動した。署長有難うございました。
 今日は朝から東京の孫にお絵かきをせがまれている。Lineの音声ファイルで、2歳11ヶ月が「ジジダイダラボッチカ
イテ」等と来るわけで、HPの更新作業もすすまない。


 桃の花もほぼ満開。山里の雪もすっかり消えた。
 


4/8
 暖かい日だ。ストーブを切り、床暖も最弱にし、丁度いい程の我家の居間。親爺も今になってフリースと下着の間
のトレーナーを脱ぎ、過ごしている。親爺の頭にはフリースを脱ぎ捨てる選択肢はまだない。
 気温が高いものだから薄いアイ(靄)がかかり、立山はぼやーッとして見えているし、もっと手前の鍬崎山すら僅か
に霞んでいる。
 暖かい座敷縁側は昼寝にもってこいだが、午前中に昼寝もできまい。で、そこに腰を下ろしドローンを上げて見た。
 FPVスクリーンは戸外では見えない。日陰でようやく見える。が靄った景色はパッとせず、直ぐに降下させて、隣家
の桃の周りを飛ばせ撮影した。
 暖かい春の、心身ともに間延びした、親爺の隠居生活の一コマである。


 縁側の 陽だまりにいる 老いの春                        山里の 卯月八日は 桃の花
 


4/7
 医院で予防接種を終えて、投薬だけを受けに同行したオカカと二人、常願寺公園の桜並木で花見をして来た。
 未だ8分咲きではあったが、隣家の桃の花で喜んでいた親爺には、絢爛豪華な里の桜花に見えた。生憎立山は見
えず、山を背景の桜は撮れなかったが、人も少ない平日の河川公園の桜並木はゆったりと桜を眺めるに丁度だった。
 ”華やかに里の桜の七分咲き我が山里の桃六分咲き”
 しみじみ僅か400mの標高差を想った。


 

 この山が間近に見える山里は、桜の花もまだ花蕾。



4/6
 山里も雪は殆ど無くなった。もちろんまだ日当たりの悪い木立の影や、家の北向きの庭には、わずかに雪が残って
いる。まあ、あと1週間もすれば、みな溶けてなくなる。
 そんな風に考えてみるとやはり例年よりは、今冬の雪は多かったのだろう。特に山雪という雪だったろう。
 コロナの影響で、世の中変わった。何が変わったと言ってマスクをしなければどこへも行けぬという常識・・・道行く
人々はみなマスクをしていて、顔が判然とせぬ。犯罪者には都合の良い常識だな、と、皮肉っぽく考える。
 堂々と顔をさらして歩けぬ世の中、あまり良い気持ちはしない。昔の風刺漫画に、大気汚染が進んで防毒マスクを
つけねば外出できぬというのがたまにあったが、当たらずとは言えど遠からず、である。
 そこへもってきてロシアのウクライナ侵攻。戦争という元も非道な行為をどんな言葉を以て正当化しようとしても出来
ぬのだが、平然と核攻撃迄ちらつかせるコミュニスト。ああ嫌な世の中だ。
 隣家の桃を眺め嫌なことは見ないように世を送る親爺だ。
 こんな老樹でも、時がくれば花を咲かせる。


 ズームすれば奇麗な花だけを切り取れる。庭の日の射さぬような生垣の隅のフキノトウもピンぼけながら春だ。
 


4/5
 暖かい朝だ。大気はやや不安定で、起抜けには立山は見えなかったが、朝食を済ませた頃青空が広がって、大日
が良く見えだした。
 隣家の桃の老樹も、三分咲きという処まで来た。毎朝楽しみに見ている。我が家の居間に隣接する物干場は、隣の
庭に少し張り出していて、目の前に桃の木が有るわけだ。隣の謙ちゃんとは幼馴染、もう70年に近い付き合いで、山
関係の付き合いも古く、ツーカーの仲である。互いに老いて山も引退しているが・・・。
 老いても毎年花を咲かせる桃に、見習わねばならぬ我が身である。
 

 朝は殆ど曇り空、大日も山裾しか見えなかったが今は良く見える。     友に貰った椎茸も、上手に干しシイタケいなって行く。
 


4/4
 体調不良の黒部の孫も、今朝の受診で軽い胃腸風邪と診断され、今日1日だけは保育園もお休みとなった。もう
昨日からすっかり元気で、吐き気は治まって、軽い消化不良のみ。それでも食欲も戻り食べたがるのを制止するの
が大変なようで、少しずつ食べさせている様だ。朝一番でテレビ電話が入り、元気な姿と元気な声に安心した。
 幸い親爺もオカカも感染はなかったようで、特に吐いたものの始末をしたオカカが心配だったが、丸二日経った今
日も大丈夫だ。
 孫が風邪をひくと必ず移されていた親爺も、今回は大丈夫なようだ。可愛いかわいいだけで、抱いたりあやしたり、
風邪ひきの孫でも構わず嘗めまわすようにするものだから、感染しやすいのだが、そんなこと気にもならぬ爺バカだ。
 今朝は大日も見えていたが、大気が不安定だった。


 桃の花が二分咲き三分咲きと云った処の我が山里である。       ホタルイカも干してみた。美味いかどうか?燻製にする予定。
 


4/3
 昨日は可愛い孫が正月から初めて、3か月ぶりにお泊りに来たのに、体調不良で、ママが連れ帰った。孫は帰る
のが嫌で、爺に抱きついて「お泊りするする。ジジババとネンネする。」と泣き出して、ジジも一緒に泣きたいくらいだ
ったが、老いては子に従えという訳で、帰宅させた。
 我が家は、万一の発熱時の座薬等もないし、救急病院も遠いが、黒部の自宅なら備えはすべてあり、救急病院も
車で2,3分だから、どっちが良いかは言わずもがなである。
 帰宅後1度吐いたが、後は少し元気になって、熱もなく、ただ食欲もなく寝てしまったらしい。寝る直前に経口補水
液300ccとグミを少し食べたそうだが、朝まで吐かず、熱も出ていないようで、今日は1日様子見をするそうだ。
 何が嫌だと言って、孫の病気ほど嫌なものはない。心配でおろおろするだけの爺だ。
 今日は仏壇に燈明を上げ、孫の回復を祈った。ジジババには
 桜ならぬ、桃が花を開き始めた。


 椎茸は随分うまく乾燥がすすんでいる。                     大日も今朝は峰部の雲足が速い。
 


4/2
 朝から快晴で、気温はさほど高くはないらしいが、強い陽射しが結構高い位置から射し、温かい。しかもこの快晴
はアイが掛かっておらず、立山もすっり見えている爽快な晴れだ。
 昨日、学生時代の友が大分から自分で栽培した椎茸を大量に送ってくれた。立派な肉厚のものばかりだ。
 とにかく量が半端ではない。心平にもおすそ分けし、1/3は干しシイタケにすることにし、後は楽しみながら保存食
常備菜系のものにし、出来るものは冷凍保存するつもりだ。
 イヤイヤ嬉しいものだ、友の育てた食材を料理し食べる。こんなに心身とも老い暖かくなることはない。
 我が家の庭にも残雪はほぼなくなった。
 御覧じろ、この大量の椎茸。
 嬉しくて共に電話をしたら「天気続きの後に一雨来たら、一気に出てきたからなぁ。喰ってくれ!」そして「おれは今
からゴルフだ。」というので「お前何時から始めたゴルフ?」と尋ねると「グランドゴルフだ、グランドゴルフ。」との事。
仲間が待ってるようなので、「ありがとう。ゴルフ頑張って来いよ。」と電話を切ったが、例の奴かと気がついた。親爺
にもやろうと再三誘いが来ていた、ゲートボールの様なゴルフだろう。
 元気で頑張れ。


 干しシイタケを作る。物干場が良い。こっちは猿の被害があるので外には干せない。


 ミニ水仙も元気のお菊なっている様だ。                      庭の残雪はほぼなくて。ようやく春の四月二日・
  


4/1
 いよいよ山里も春。雪もほとんどなくなって(村はずれにはまだ残雪たっぷりだが))フキノトウやヨモギもそろそろ
出て来るだろう。
 朝はあいにくの高曇りで、山里の気温は5℃程だったが、此れから晴れて来るという予報を信じたい。
 4月は新年度の開幕。
 学校も、会社も、役所も皆、この時期に改まる。
 新入生、新入社員を受け入れ、組織の改編も悲喜こもごものうちに行われ再スタートとなる。
 小学校入学の時の記憶に桜は無いが、中学へ入った時の校庭まで続く登校路の桜が、満開だった事とその桜の
においまで思い出せる。高校の時も校庭や、グランドを巡るように植えられた桜木の花盛りが記憶にある。
 大学入学時は日本武道館での入学式。見るもの聞くものすべてが目新しく刺激的で、花のお江戸の桜は全く記憶
にない。
 まあ、新年度の始まりが桜の時期に重なる日本。何ともゆかしく奇麗な桜に包まれてのスタートが清々しい。
 老いて新年度などとはあまり関係のない日々だが、4月と云えば年度初めを想う。
 我が山里は漸く桃の花が開き始めたばかりで、例年より2週間ほどは遅い桃の開花だ。
 ”山里の 卯月朔日 桃の花”


 まだまだ桃すら開花が始まったばかりのおらが春である。
 

 今日も深いアイ(靄)がかかって、木立ちの向こうの立山は見えぬ。

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