2023山賊庵絵日記(秋)     9月1日となりましたので、項を改めます。
                                                                とっくに冬ですが、大みそかまでこのままで・・・。



12/31
 大みそかは穏やかで温かく、雪も殆どない。
 年末年始暖冬の予報が見事当たって、この後も雪の少ない冬が続きそうだ。有難い。
 今日は午前中に、お節の重詰めまで終わった。午後は末娘に、正月のお飾り(鏡餅)をしてもらえば、大歳
の越年準備も終わる。後は早い風呂へ入り、年越しそばを頂き、正月へと滑り込む。
 越年準備の最難関はお節だが、これは毎年楽しみでもあり、ここ10年程は写真記録で残している。
 とにかく今年も無事過ごせた。孫たちもすくすく成長している。感謝感謝である。
 穏やかな大歳の山里だ。


 今年も無事お節を詰め終えた。一の重。                二の重
 

 参の重。                                   玄関先の正月飾り。
 

 玄関戸にはもう注連飾りを掛けた。


12/30
 今年も今日明日を余すのみ。振り返ると色々あった。
 コロナの脅威からの緩やかな解放があり、コロナ以前にかなり戻った感がある。
 WBCによる侍ジャパンの野球選手の大活躍で、親爺とオカカが野球ファンになるという珍事もあり、今年は
ナイター中継を愉しんだ年でもあった。71歳にして野球の面白さを知った親爺である。
 嘗て大英帝国を斜陽国と呼んだことも有ったが、今や日本は斜陽国どころか日暮れの国となりつつある。
 世界的地位や、営々と築き上げてきた経済基盤なども怪しくなっている様な気がしてならぬ。
 別に国際貢献などこれ以上することもない。自国内の少子高齢化などにしっかり開いた目を向け、国力とは
人の力であることを再認識し、人口増加に力を注がねばならぬだろう。
 子育ての環境整備がお粗末だ。これは政治家にだけ頼っていてもどうにもならぬ。子供は社会が協力して育
ててやらねばならぬ。
 都会への一極集中化、核家族化を今一度考え直す時期に来ている。
 大日が機嫌よく、輝いて顔を見せている。神々しい神の座である。


 気の東京のちび助がわざと残しておいた雪で大はしゃぎ。        山水散水融雪は健在だ。
 

 12月30日の芦峅寺の山里だ。雪は殆どない。


12/29
 朝起きるともう孫の足音と、可愛い声が家の中に響いている。心なしか目覚めの時の気分も軽い。
 今日は松本の末娘が、車で安房トンネルを越えて帰ってくる。親爺なら約3時間で着くのだが、今日は格好混
みあいそうで、4時間余りもかかるだろう。
 我家での年越しメンバーは5人で、これに元旦は長女夫婦に黒部の孫が来て、総勢8名となる。
 ついにここで、黒部と東京の二人が合流!!おそらく楽しい大騒ぎとなるだろう。
 こうなると、親爺とオカカは完全にホスト側となる訳で、何を食べさせようかと、ゴソゴソ動き回る。あらかじめ
計画を立ててあるのだが、なかなかそうはいかない。
 ジジ、ラーメンとは黒部。ババおにぎりは2人とも。ジジもババも孫のリクエストは全て応じる。
 さていよいよ楽しいが、体力勝負の年末年始が始まる。
 青空も見えてはいるが雲がちな空だ。暖かい。


 東京の孫が新幹線で我が家にやって来た。東京から富山まで 2時間12分で着く。黒部の孫のトランポリンを我が家にも導入。
  

 黒部はいよいよiPadデヴュー。性能が良いからね。 東京はジジとジェット機談義。
 


12/28
 もう10分ほどで孫の出迎えに出発する。富山駅までだが、ちょっと回り道をしてパンを仕入れてから行く予定な
ので、普段は1時間弱しかかからぬが、1時間30分プラス10分の買い物時間を加えて余裕を見ての出発だ。
 他事ならぬ、幼い孫の出迎えだ。遅れるわけには参らぬ。
 快晴なので道路事情は良いが、富山駅周辺は帰省客の出迎えで混むだろう。気を付けて行って来よう。
 次女も昔から晴れ女、規制の旅に良い天気になるからおかしい。
 こんな大日だけが顔を出す。


 と、今富山駅の出迎えから戻り、買い込んだパンで簡単な昼食を済ませ落ち着いたところ。13:45。
 孫が傍らでババと話している。完全な標準語なので、オカカのアクセントがおかしくなっている・・・。
 ストー日に点火。早速昨日のお節の続き。


 親爺の椎茸の甘煮。                            オカカの黒豆。
 

 杉が伸びすぎて親自宅からは見え難くなった鍬崎山。


12/27
 親爺のお節準備はは順調に進んでいる。昨日も新品のストーブの上で鮎の甘露煮を煮上げ、今日も明日来る
東京の孫のために、ジジの特製参鶏湯を煮込んでいる。
 今日は暖かく、雪がすっかり減った。山里の現在積雪は19cmで、実際は10cmあるかないかというところ。
 道路はすっかり開いており、全く心配はない。良いことだ。
 オカカがもう正月の買い物の最後で、出かけており、親爺は前述のサムゲタンを煮ながら、午後は椎茸の甘煮
に取り掛かる予定。
 とにかくストーブが新しくなり、やや火力も強めなので火加減には注意しながら(ストーブの火加減は火力でする
のではなく、鍋の位置で行う。)煮込む。凡そストーブで調理するのは煮物で、たまにダッヂオーブンで、蒸し焼き
料理も作るが、他にも芋や餅も上手に焼ける。とにかく便利だ。
 さて、そろそろオカカが帰ってくるころだ。更新をさっさと片付け、椎茸の作業に取り掛かろうか。
 春霞のようなガスがかかって、雪は殆ど解けた。


 今日もストーブ大活躍。明日孫に食べさせるジジのサムゲタンを煮込む。


 あっちもこっちもガスに覆われて、この雪の少なさも師走年の瀬のものではなく春先の様だ。
 


12/26
 親爺は今日から、お節料理の準備に取り掛かる。
 今日は冷凍の子持ち鮎を解凍して、甘露煮に取り掛かる予定だ。
 親爺の担当するおせち料理は、鮎の甘露煮、椎茸の甘煮、焼き豚、タコの柔らか煮、鴨ロース煮、生麩煮物、
田作りと七品ほどある。オカカの担当は、黒豆、鰤の柚庵やき、鮭の酒かす漬け、筑前煮などである。
 今鮎を解凍しているので、解凍後は塩で洗い、ヌルを取り水けをきって素焼きにする。素焼きの粗熱が取れた
ところで煮汁を作り鮎を入れ、煮込む。後はストーブにかけコトコトと、味を見ながら煮汁の具合を観ながら煮る。
 まあ、今日中にはできるだろう。椎茸は明日やる予定。そのあともボチボチと楽しみながら・・・。
 年に一度の年の瀬の仕事だが、楽しみでもある訳で、楽しめるうちは続けようと思っている。
 29日には東京の孫の出迎え、29日には松本の末娘も帰る。黒部の孫は来年元旦にお泊りに来る。
 さて、これはこのあたりで筆を止めて、そろそろ鮎が解凍できているはずだ。
 今朝の村の様子。地上高度50〜60mより撮影。


 立山は山裾しか見えず。


 不動山も来拝山も雪が少ない。


 いったん雨戸を閉めたが、又開けた。縁側は正月準備の資材置き場。


12/25
 親爺はキリスト教徒ではないが、友人や知人の幾人かはキリスト教徒もいる。その代表的な友人は洗礼名まで
持つ、ルドビコ心平である。
 御父上がキリスト教徒で、心平のみならず、妹のミッチャンも確かクララと云う洗礼名を持っている。
 で、まあMerryXmasとトップページに書いたのだ。
 流石に親爺やオカカの年代は、ハロウィンまでは全くなじみがないが、クリスマスは仏教徒ながら、アメリカの占
領下日本の匂いが生々しい時期に生を受け、アメリカ主導の戦後教育を受けて育っているので、違和感が全く無
く、どこかの縁日程度の認識で、宗教的な色合いを抜かれた、楽しい日と云う感覚で受け止めているようだ。
 クリスマスプレゼントなどには子供時代の思い出はないが、バターケーキの小さいワンホールを切り分け食べた
楽しみは残っている。昭和30年代後半、家々でケーキを食べることが流行り出しや頃だろう。
 立山の山里は、常に大都会から立山に来る客人を迎える事を生業としていたから、其あたりの事も山里としては
ハイカラな町場より早かったのかもしれない。
 でも、明治生まれの祖母は、サンタクロースを三徳爺さんと呼び、欲しいものがあればバァバが三徳爺さんに頼ん
でやるから、紙に書いて仏壇に置いて、良い子にしておれやと言っていたが、三徳爺さんへの願いは、簡単な村中
でも調達できる駄菓子に限られていた・・・。
 欲しいおもちゃを貰えたのは、1回か2回有ったろうか、祖母の三徳爺さんも何時しか忘れられ、それでも古希を過
ぎて当時の祖母より年上になった親爺の心には、未だ楽しい思い出として生きている。
 今日のクリスマスには新品のストーブが届いた。10数年ぶりの入れ替えだ。
 山里の積雪も20cm代へと減った。
 我が家の屋根の雪は、融雪装置無可動でもどんどん少なくなっている。


 細やかな玄関先のクリスマスツリーも午後には仕舞われた。


 新品のストーブに入れ替えた。前のは10数年使ったが、今年人って不完全燃焼が気になるようになった。
 また10年は世話になるだろうが、元気で居なくては・・・。


 買い物に出た平野部も雪が積もっていた。今回は里雪傾向の降雪だったそうだ。平野も屋根もみな雪を頂いていた。
 
 


12/24
 雪は今日の未明に止んだ。
 朝こそまだ寒く、薄暗い空だが、10:30を回った辺りから、空が明るくなり陽が射して来た。
 たちまち、電線の雪が落ち始め、木々の雪も落ち始めるや、屋根からも雨だれと雪だドンドン落ち始めている。
 大神宮様のお札を配布に来た、雄山神社峰本社宮司のムッチャンと雪談義。正月の初参りは雪が無くて良いが
スキー場は困ったな・・・。ムッチャンもあちこちのスキー場で雪乞いのご祈祷をしているから、このままでは困った
困ったとなる訳だ。
 まあ、雪はそんなに多くは不要だが、スキー場が営業可能な程は有っても良い・・・。
 今日から正月の五日までは気温も高い日が多く、雪マークが一つもない天気予報だ。これではスキー場は一寸
困るだろう。
 いやいや凄まじいほどの勢いで、雪が溶けて雨だれが落ちる。
 今はこの青空がもっと広がっている。


 雪が阿降り積もるのも早いが、溶けだすとあっという間だ。


 今朝はまだ薄暗い曇天だったから、こんなに一気に溶け出すとは思わなかった。雨戸をあけた。
 


12/23
 昨日は降り続き、我が山里は降らぬとほざいていた親爺の鼻っ柱をへし折った。一昨日夜の積雪は10cm、昨日
夜には62cm、今朝もその上にまだちらりほらりと雪が舞っている。
 これ以上降り積むことも無かろうが、親爺の警戒線50cmは超えててしまった。
 きょう午前中に雪は上がり、気温も少しずつ上がり、明日からはますます気温が上がり、雪の降る天気は当分無
いと云う天気予報が出ているから、まあまだ心穏やかだが、雪国の人にとって、冬と云えば雪との格闘である。
 それにつけても最近の天気予報、ニュースなどと云うのは、必要以上に大げさな表現が使われる。
 その代表的なものが「自分の命は自分で守ってください」などと云う代物で、これは誰に向かって言っているのか?
老人や子供に向かっても言っているとすれば、これほど非情な言葉はない。
 今冬最大級の寒波、かつて経験したことのない降雨、降雪などなど、好くも上手に脅しのような言葉を見つけて、
公共の電波に載せて発信できるものだ。
 彼の大地震の時にこそ、このような表現も有ってよかっただろうが、それを境にこんな表現が増えすぎた。
 豪雪の模様も、一番ひどい所を一番ひどい部分を切り取って、放送電波に乗せる。
 被害のひどさを強調しすぎる。
 今少し大きな視野で、淡々と事実のみを放送できぬものか?強調は不要である。
 予想を超えた雪と云っても、親爺たち雪国人にはさして苦にならぬ。1m、2mの雪でも過ごしてきている。
 こんな雪などまだまだ困らない。


 氷柱もこんなに垂れている。気温は低い。


 玄関先通路もオカカがこまめに山水を散水して何とか確保。     とうとう雨戸も閉めた。
 
 


12/22
 我が山里のエリアだけ、降雪が少なく、普段はあまり降らぬエリアばかり雪が積もっている今回の寒波襲来だ。
 が、今朝からは思い出したように雪が降り出し、小一時間で数センチ以上降り積もっている。
 窓外は凄まじい程の雪降りだが、床暖とストーブで温まった部屋は、もう20℃近くまで温まってきたので、快適に
過ごせる。床暖の上に薄い毛布を引っ被ってごろりと横になると、こたつに入っている様で眠気がさして来る。
 夕刻の早い時間には風呂につかり、思う存分手足を伸ばし、温まるつもり。流石の風呂ギライの親爺でさえ、こん
な寒い雪降りの日には風呂も楽しみとなる。
 こんな風に、今回の寒波に余裕を持っていられるのも、この後の天気予報が、明日には寒波も遠ざかり、クリスマ
ス以降の年末年始が、連日温かいとの予報が出ているからだ。
 帰省してくる娘たちの足元も良いだろう。
 明後日辺り、天気が落ち着いたら、お節の準備に取り掛かろう。
 窓外の狂ったような雪降り。


 庭の雪もあっという間に嵩が増した。


 こんな日は暖かい居間で、孫達の写真を眺めながらごろりと横になって過ごすのが一番。


12/21
 葉を落とし切って、冬枯れの寒々しい姿を見せていた木々に、冬の神様が薄く雪衣を掛けてくれた。
 むき出しのごつごつした枝も、白い雪衣を着て幾分丸みを帯び、温かそうに見える。
 何時もながらの冬景色であるが、今も間欠的に雪が降っているが、親爺は何時になく余裕しゃくしゃくで、冬景色
の情緒を愉しんでいる。
 ネタを明かせば何のこともない。クリスマスから年末年始の天気予報が、雪マークなしで、気温が高い日が続くか
らで、正月には最高気温が山里でも10℃を超え、最低気温も氷点下にはならぬ具合だ。
 いやいや、それならばゆっくりと、孫たちと遊び、行く年くる年を心静かに観て越年し、2日から始まる箱根駅伝を
愉しみ、良い正月を過ごせそうだ。
 そのあとも暖冬傾向で、雪が少なく温かい日が多いとか。
 そうなれば、心穏やかにオカカと二人冬ごもりが出来そうだ。
 親爺もオカカも単純にできていて、年も年だからか、かなり刹那的になってもいる様だ。
 人間の本来の姿など、まあこんなものかもしれぬ。
 子や、孫たちに残す未来などと、大げさな事はあまり考えぬ。自分らも与えられた世界に順応して生きてきた。
 子や孫たちも、そのように生きて行くだろう。
 外を眺めながら、降る雪を眺めながら、穏やかな気持ちで居られる事に感謝。


 孫たちからカレンダーを貰った。常磐ハワイで遊んだ時の記念カレンダーだ。
 壁に貼って、可愛い二人を眺めている。ジジババだ。


 外の雪景色もなかなか良いと、今日は思っている親爺だ。これが1m、2mとなると話は違ってくるが・・・。
 


12/20
 眠るのにも体力が要り、朝など長時間好きなように寝ようと思っても、中々眠れぬと思っていたが、完全に冬の気
候に成って、朝晩が冷え込んでくると、特に朝の冷え込みの中ではかなり朝寝ができるような気がする。
 山小屋現役時代は、就寝21:00、起床4:30と云った生活だったので、朝は眠たかったが、従業員の朝食が終わ
り清掃、部屋のリメイクが終われば、ティータイムで親爺などお茶も飲まずに昼寝をしたりしていたものだ。
 だから、時間さえあればどこでも眠れるという特技が身についていた。
 でも若い頃は、全く昼寝などせずとも平気だったようで、休み時間に寝ていた記憶は殆どない。が、50を過ぎ、60に
近くなった頃からは、体力の問題もあったのだろうが、昼寝なしでは実が持たぬようになり、60半ばで山小屋を引退し
下界での隠居生活に入ってからも暫くは昼寝の習慣はなかった様に思う。
 が、70に近づき、70を超えたあたりから、もう昼過ぎになると、好きな本を読んでいようが、テレビを見ていようが、ゴ
ロリと横になるや、知らぬ間に寝込んで、ほぼ1時間は昼寝である。
 多分夜の名無理が浅いのだろうとも思うが、寝込むと小用に起きる事も滅多に無く朝を迎えるのだ。24時間心電図
を取っても、医師は「良く眠ってますね」と云ってくれるし、年を取ると良く眠れるようになるのだろうか???
 まあ、今朝も8:00過ぎまで寝て、隠居暮らしの気楽さを有難いとおもっているが、寝ようと思えば今からでもすぐに眠
れる・・・。
 気楽な事を言いながら、曇天の山里で、雪が少ないのを喜んでいる親爺だ。


 オカカの細やかなクリスマスツリー。                中国農民絵画村で買った冬の絵。
 

 家々の屋根も、不動の山も殆ど雪がない。


12/19
 雪は止んで、薄日もわずかに降って来る明るめの空だ。
 視界も利いて、大日もはっきり見えている。気温はかなり低めだった。戸外の雪が硬く凍っていたという。
 まあこの時期なので、氷が張ろうが大雪が降ろうがそんなに驚く事ではない。が、暖冬小雪の長期予報が出ている
ので、どうしても期待してしまう。
 毎年毎年、オカカと二人雪の量を気にしながら冬を越すようになったのは、親爺が50代のころからだろうか。良くは
覚えていないが、それ以前は屋根の雪下ろしなど苦にならぬ体力があったから、むしろスキーを履いての山を駆け巡
る銃猟が出来る程度の雪が欲しくて、雪を願ったものだ。
 オカカもオカカでスキーは好きだし、子供たちも連れて、湯沢や、北志賀辺りにまでよく出かけたものだ。
 そんな、雪がむしろ好きで、雪を待ってた夫婦も、今は昔のスキーとなってしまって、今は家の中で、唯々春を待ち
わびている様になった。
 薄くお色直しをした大日。


 車庫の雪もまだまだ少ない。


 いつ取り掛かろうかと楽しみにしている飛燕だが・・・。


12/18
 昨夜も雪は断続的に降っていた様だ。隣の融雪装置が唸る音が聞こえた。
 我が家はまだこの程度では融雪装置を稼働しない。この雪は続かず、20日過ぎに今一度寒気が入る前に、溶ける
と踏んでいる・・・。
 今朝目覚め、歯を磨きながら親爺部屋のカーテンを開けると、薄暗い雪の風景が広がっていた。
 積雪は20cm程か、除雪車が今冬初出動した跡があった。
 まあ、冬の始まりである。


 昨日は我家へ来ていた孫が、窓外の雪にすっかり魅せられて、とうとうババを口説き落として雪遊びに飛び出した。
 スノーウエアはメルカリでババが用意していたもの、長靴はヨータローお兄ちゃんのお下がり、完全装備である。
 雪が楽しくて楽しくて、何処から引っ張り出したのか、おもちゃのバケツやらスコップやら、もう白い庭を駆け回ってい
る。楽しくてしょうがないという姿は子犬の様だ。
 何がそんなに嬉しいのだろうか。
 ”我が孫が子犬となりぬ雪の庭”


 一通り庭を駆け回りそりなども引っ張りまわした後は、ババの除雪のお手伝い。
 

 東京の孫も唇の腫れは引いたが傷跡と、抜けそうな前歯が痛々しい・・・。
 ママがおかしのお家を1日がかりで作ってくれた。


12/17
 今日はすっかり雪景色になった。
 黒部の孫がお泊りで、昨夜寝て居てはいて大騒ぎ。久しぶりに夜中に体調を崩した子供のお世話で、オカカは大活
躍、ジジはただウロウロ・・・。
 まあただの食べ過ぎで、今朝はすっかり元気。おにぎり2個をババに握ってもらって、ペロリ。
 子供の体調不良は心配だが、治って元気が出てきた姿のうれしさ、久しぶりに味わった。
 昨日の東京の孫のけがと云い、子供のトラブルが一番堪える。
 幸い東京も腫れた唇は良くなったが、乳歯ながら一本ゆがんだようになっている歯の矯正がある。可哀そうに。
 子供と暮らしていると日常茶飯事の事だろうし、親爺とオカカも3人の娘を育てて、幾度こんなことをくぐり抜けて来た
事だろうか。
 まあ、孫は親がついていて、命がけで育てているのだから、ジジババは一歩離れて見守るのが良いのだろうが、つい
つい孫可愛さで・・・。
 という事で、雪が降り続く山里である。


 まだまだ驚くほどの雪ではないが、今も降り続いている。不動山も白くなって雪を被っている。
 


12/16
 昨日に引き続き、温かいが薄暗い日だ。暖かすぎて寒さにようやく慣れた体がまた緩んで、明日からは寒波が来る
らしいが、耐えられるだろうか。少なくとも体調には気をつけて居なくてはなるまい。
 昨日東京の孫が保育園で散歩中、他の子に引っ張られて転倒し、顔面を強打、前歯が折れ、唇に刺さるという、
痛々しいけがをしたと云う。娘からの連絡で心配していたが、明らかに保育園の監督不行き届きである。唇が腫れて
涙目になっている写真を見て、ジジババは胸が痛くなった。
 普段は温厚で、めったに怒りを表さぬ婿が、流石に怒ったそうだ。
 当たり前だ、これで怒らぬ婿なら親爺が上京して保育園にねじ込んでやろうかとさえ思ったが、考えてみるとジジババ
の出る幕ではない・・・。が、怒ったという婿に、少し溜飲が下がり、後は孫の心配ばかり。
 くちびるの腫れも夜には少しひいて、奥歯でなら何でも食べられるそうで、ライン電話でジジババと話した時も、いつも
通りで、傷が痛そうなそぶりはなかった。
 で、一安心はしたものの、何となく腹が治まらない親爺であった・・・・・。
 今日は黒部の孫が来る。それを想って心落ち着かせているジジバカである。
 気温が高すぎてガスがかかっている山里だが、この後だんだん寒くなってくるだろう。


 恐らく明日は雪。全く雪のない庭も今日が最後だと思って、写真を撮っておいた。花もなく冬枯れの庭だが。
 


12/15
 朝から雨が降ったりやんだりと云う、薄暗い空が広がる師走半ばの山里だが、外は全く寒くなく、モアーッとした南か
らの暖気を感ずる。
 天気予報では明後日に寒気が入り、平野部でも雪になるそうだ。
 平野部の雪など、精々10cm程だろうが、山沿いの上、立派な山間部になる我が山里では下手をすると20cm程は
雪が積もるかもしれない。
 ただ、雪の一つマークではなく、雪と雨、雪と曇りと云ったマークがしばらく続くわけだから、そんなに怖がることもない
とは思うのだが、止み間があって、降り続かない雪は左程積もらない。しかも最低気温が氷点下になる日も少ない。
 という事で、ぐずついたハッキリせぬ空になるのだろうが、ドカ雪に埋もれにっちもさっちも行かぬという事はないだろう。
 明日黒部の孫がお泊りでやって来るので、オカカは買い物に出かけた。
 来年から小学生、立山のジジババの家にはまた少し足が遠のくかもしれない。
 ジジはあまり早く大きくなるなと思いながらも、日々の成長が楽しみだ。
 東京の孫も28日から1週間のお泊りでやってくる。年末年始は我が家もお祭りだろう。
 今日、明日ともにまだ温かい日になりそうだ。


 立山方面は何も見えない。                     オカカがせめてものクリスマスタペストリーをかけた。
 


12/14
 今日は朝、随分冷え込んだが、青空が広がり立山もよく見えていた。
 親爺の見た感じでは、今の処山の雪は少ない。
 薬もらいの日で、富山市内まで出かけたが、途中見える立山の峰々は美しく、カメラを持ってきていないのが悔やま
れた。
 一昨日コロナの7回目のワクチンを受けたが、今回は昨日夕刻より、副作用がでたらしく、食欲がなくムカついて、身
体もだるい。こんな風邪ひきの初期みたいなことは、最近なかったので少し閉口した。
 今朝は昨夜比較的よく寝たせいか、幾分すっきりしている。薬もらいに行った医院でも、血圧も血中酸素濃度も、親
爺の平均値より良好であり問題はなかった。車の運転も支障なくできるし、帰宅してからゆっくりすれば、もう治るだろう。
 今朝の大日だ。雪はこの時期にしては少ない。


 早乙女の方も殆ど雪は増えていない。             山里の村も師走朔日に僅かに雪化粧したが、今は雪は無い。
  


12/13
 今朝ドローンを上げて見た。
 全く雪のない村を、今の中に撮っておこうと思ったからだ。
 まあ、今の時期雪のないことは、珍しくはない。この後の寒波襲来こそ怖ろしいのだ。
 17日から天気予報に雪マークが出てきている。いよいよ寒波襲来、ほぞを固めねばならぬ時期となる。が、怖ろしい
のは100cmを超えるようなドカ雪だ。
 一気にまとまった雪が降るのが恐ろしいわけで、交通もマヒし、物流もままならぬし、年末年始に帰省してくる孫や娘
たちが心配だ。
 が、この冬は暖冬予報で、雪も少ないだろうと云われているので、ちょっと安心はしているのだ。
 まあ、降って見ねばわからぬし、予報も絶対ではありえない。
 運を天に任せて、毎日空を眺めて暮らそう。
 今の処、全く雪がない我が山里だ。


 今日は立山は見えず、鍬崎山も隠れている。


 親爺は庭先のドローン離着陸場で、足元に気を付けながらドローンを操縦している。


12/12
 7回目のコロナワクチンを接種してきた。
 開園球菌ワクチンも接種したし、インフルエンザ予防注射もして、何やら万全なつもりだが、気のせいかちょっと体
がだるく、僅かな頭痛もする。
 前々回、5回目の時は半日ほど寝込んだ。が、これで安心だ。2週間程後に孫たちがやって来る。その時は丁度
ワクチンも効き目が出ているはずだ。
 考えてみると有難い事で、y玖波から通知が来ればコロナなど今の処はただだから。日本は大した国である。
 ま、それにつけてもパー券騒動やら、新興宗教団体との無節操な交際やら、はては痴漢まで、政治家にも愚かな
連中は多く、そのあたりのあんちゃんと幾らも変わらぬのに、肩書を振り回し襤褸を出すまで良い気になっているの
が実に多い。ソレでもこれだけ確りした福利厚生ができるのだから・・・
 今いい気になっている役立たずどもを、定数削減と云う方法で、少数精鋭主義を貫ければ、日本はもっともっと良
い国になるかもしれない。
 ワクチンの副作用が出て、鎮痛剤を飲んだら眠くなった。
 こんな山里で、まだ雪の気配がしない。


 金毘羅様の社のある打越山にもガスがかかる。


12/11
 もうとっくに暦の上では冬だし、立山も真っ白になっているが、親爺はずぼらで項を改めていない。
 このまま(秋)の項に、今年大みそかまでは続けるつもりだ。古希を過ぎた爺のしていることだ、どうぞお許しの程。
 継続は力という事で、日記のつもりで認めているこの絵日記だが、未だ書く事自体は苦にならぬので続けている。
で、ボケ防止には午前中のこの作業、結構役に立っている。
 今年90歳を迎えた叔母は、未だに新聞のコラム記事を写筆しているという。母の妹である叔母は、父の弟である
叔父の妻でもあり、我が血縁の叔母としては唯一の人である。
 オカカがたまに顔を見に行ってくれるし、親爺もたまに電話で声を聴いてもまだ惚けてはおらぬ。
 で、親爺は叔母に負けぬ様、思いついたことを文章にして、書き記すことで惚け封じとしているのだが、同じ様な事
を何度も書いたり、勘違いを勘違いとも気付かずそのままにしていることも有るだろう。たまに読み直してはいるが、
これは明らかに変だなとは、未だ感じないので、書けるうちは書き続けるつもりだ。
 山里で、何かを書こうとするのだが、嬉しいことに日々大きな変化はない。それでいいのだ。
 立山は晴れているのに山里は雲の下だ。
 冬枯れの木が曇り空の下に何とも寂しげだ。


 荏胡麻を真空パックにして取っておいたものがあったので、開封し少し取り出し、荏胡麻味噌を作った。
 我が家の伝で、荏胡麻味噌と云っても味噌は使わず、醤油、みりん、砂糖でのみ作る。
 荏胡麻を弱火で焦がさぬ様炒り、其れを擂り潰し調味料を混ぜるだけの簡単なものだが、元々油を搾るために栽培
された荏胡麻である。コクのある独特のペースト状に仕上がる。
 白菜などを和える和え衣にもなるし、そのまま飯に載せて食べても美味しい。


 うっそうとした草がほぼ枯れ切って、閻魔同が良く見える。


12/10
 昨日それぞれの帰路に就いた長女と次女だが、東京はパパが来るまで迎えに来ていて昨夜中に帰宅。
 黒部はあちこちに立ち寄って車移動ならではの気ままな旅をしながら、中継泊地の新潟のホテルには20:00過ぎ
に着いたようだ。今朝も昨晩は2人ともぐっすり休み、ゆっくり朝食をとって、ゆっくり帰宅するとメールが来ていた。
 今度は東京が28日に我が家へ来て、1週間ほど越年滞在する。その時には三女も来てやはり越年滞在。
 黒部が来るのは恐らく元旦でお泊り。
 親爺とオカカも、その時の料理に年末から全力傾注・・・。
 今日は静かな日曜。いつも通り、ゴロゴロして過ごそう。
 大日が今日も輝いている。


 オカカが火を消す直前まで焼いていた安納芋。ねっとりと非常に甘い芋だ。


12/09
 快晴で、異常な温かさの山里だ。気温は山里でも20℃近くまで上がるそうで、師走と云うのに暖かだ。
 孫が二人、昨日から常磐ハワイで合流し、楽しく遊んでいる。
 東京から向かう次女は、送迎無料バスに乗れば直通で到着するが、富山の黒部から向かう長女は、勤務明けの
夕刻に車で黒部を発って、新潟で一泊。昨日ゆっくり中継地の新潟を発って、磐越自動車道を走り3時間足らずで
常磐ハワイセンターに到着したそうだ。長女は運転が慎重で上手い。車で何処へでも出かける様だ。
 まるで姉弟のようないとこ同士、お姉ちゃん6歳、お兄ちゃんは4歳。コロコロ一緒に遊び回っている。
 ここはプールが売りの施設。二人とも水遊びは大好きだし、とにかくよく遊んでいる。動画と写真が、ジジババにど
んどん送られてきて、ジジババも一緒に楽しんでいる。
 午後まで遊んで、それぞれに帰宅する。次女は今夜東京の自宅に帰着するが、長女は新潟で中継の一泊、明日
黒部に帰宅する。
 年の瀬とは言え親爺とオカカにはあまり変わりはない。クリスマスを過ぎたころから正月のお節の準備を始める予
定で、28日には東京の孫が来て、末娘もその後帰省し越年する。元旦には黒部の孫も来てお泊りだ。
 まあそんなことで、年の瀬を感じる程度の、ノンビリした日々。暖かく結構なことだ。
 遊び疲れたか、仲良くじゃれる6歳と4歳。
 こんな写真がやがて良い思い出の一コマとなるのだ。


 楽しい常磐ハワイアンでの思い出が残るね。2人で舞台へも上がったそうだ。
 


12/08
 昨日は重くどんよりした曇天だったが、今日はまぶしい快晴の朝だ。
 新雪を被った大日だけが良く見えている。
 今日は真珠湾攻撃の日。それを思い出すのに親爺もずいぶん時間がかかった。勿論親爺の産まれる前の事だから
歴史上の出来事としてしか知らない。しかし時間的には随分身近な出来事だ・・・。
 若い頃興味を持って、いろいろ調べたが、結論は一つ。戦争の善悪を越えて、アジアを白人の専横から解放すること
になった発火点である。誰がどう否定しようと、それは真実であると親爺は考える。
 さて、師走と云うと「忠臣蔵」を思い出すのはどうやら親爺たちの世代が最後かもしれない。昨今は赤穂事件などと呼
ばれているが、忠臣蔵とはもう死語に近い。赤穂事件を物語化したものが忠臣蔵であるとは百も承知ながら、日本人の
遺伝子に刷り込まれた居ると思っていた、忠臣蔵ももう風化寸前の様だ。
 こんな風に考えると、親爺の世代も立派な老人世代だ。少し寂しい。
 ちなみに12月14日が赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日だ。昔はテレビなどでも必ず忠臣蔵を放映したものだ。
 全てが今は昔。
 大日が白く輝いている。


 懐かしいこたつも、大分姿を消した。このこたつの間は過日の飛騨のお宿。立山連峰が白くそびえる。
 


12/07
 昨日は飛騨のお宿で、相変わらずのおもてなしを受け、美味い料理と、老舗のおもてなしに心豊かになって帰宅した。
 女将さんもお元気だったが、ご主人が昨年旅立たれたそうで、少し寂しい気がした。親爺より一つ先輩だったが、飛騨
の語り部のように、宿を訪れる客に、昔語りをしてくださっていた。御冥福をお祈り致します。
 コロナの影響で、令和3年に訪れて以来だったから、ほぼ丸2年経っている。親爺は勘違いして3年ぶりと思っていたが
後で調べたら違っていた。2年、3年の事だが、いろいろな変化があるものだ。お宿の女将さんと話をしながらそう思った。
 今朝から暖かいのだが、薄暗い日だ。
 飛騨のお宿で本当においしい和食のコースを頂いた後だから、今日は親爺が以前作り、食べ切れずに冷凍しておいた
カレーを解凍し、リメークしてブラックカレーに仕立てようと思っている。
 日常に戻れば、食事も手はかけても金はかけずデアル。
 薄暗い朝だ。


 雪がちっとも降らぬ。こんな冬ならうれしいのだが。


 昨日はこんな天気だった。


 到着するや、抹茶のお手前で歓待される、飛騨古川の老舗のお宿。


12/05
 今日は午後から飛騨古川のお宿に行って一泊の予定だ。
 春の、秋田角館以来のお出かけかもしれない。
 秋の一番良い時期は、10月から11月半ばまで、親爺とオカカが交互に体調不良だったので、出かけられなかった
事もあるが、年も年であるし、無理はせぬほうが良かっただろうが、越年前に攻めてもう一度、近場の馴染みの宿に
位は出かけたい。と、そう思ったので、今日行くことにしたのだ。
 本当にゆったりと落ち着ける宿だから、何度も何度も足を運んでいるのだし、料理も外れなど有ったことは無い。
 で、今年最後の、小旅行に今から行ってきます。
 雲がちだが青空も出ている。山里だ。まだ雪の心配はない。


12/04
 良い天気になった。立山もすっきり見えている。
 オカカが用事で出ているので、親爺は寅さんを観ている。昔はオカカもよく一緒に見てたが、最近は飽きたそうだ。
ま、その位親爺が何度も見ているという事で、最近寅さんを見るのは、オカカの留守の時が多い・・・。
 明るい空の下だが、外はまだ寒くて、元気に外へ飛びだす気にはなれない。
 で温かい部屋で、寅さんを観ているわけだ。
 どこから見ても大体のストーリーは頭に入っているし、ストーリーなどどうでもいい。この映画は何処から見ても分
かるのだ。
 昨夕ヨータローと心平が遊びに来た。
 ヨータローが作っているプラモの宗谷を見せに来たのだ。
 赤ん坊の時からミルクを飲ませ、おしめを替えと孫同様のヨータローだ。親爺と心平の趣味をもろに受け継ぎ、大
東亜戦争中の戦闘機や第1次南極観測隊を載せた宗谷などにばかり興味を持つ。
 ヨータローの叔母にあたるミッチャンが大体同じ趣味を持つ・・・・・。多分坂本家の血の所為だろう。
 まあ、そんなヨータロー、話が合うのも面白い。
 今小学校の5年生だが、手先の器用さ、工作の丁寧さはとてもそのレベルではなく、プラモ万年ビギナーの親爺を
遥かに超えている…。
 大日がきれいだ。


 今年はまだ食べない洋ナシだなと思っていたら、オカカがどこかで買ってきてくれた。非常に美味かった。


 これは過日の写真だが、鍬崎山の雪もまだ少ない。


12/03
 今日も昨日と同じような天気で、気温もあまり変わらない。
 と云っても、昨日の絵日記はアップを忘れて、今朝になってアップしたので話が飛んでいる・・・。
 この前、黒部の孫の学習発表会(祖父母会)に行ってきたばかりだが、今度は東京の孫の学習発表会があって、
パパが仕事で来れなくて、ママと一緒に千葉のバァバが来てくれた。
 前半は模範演技だったのが、バァバの顔を確認するや嬉しすぎて、一挙に赤ちゃん返り。ふざけまくって遊戯を
ボイコット・・・。
 年少組だからそれも愛嬌。親爺とオカカのジジババも、送られてきた動画でそれを観て、面白かった。
 発表会の後は千葉のバァバにべったり、一緒にキッザニアに出かけ夕刻まで遊んだ。別れが嫌で半べそだった
そうだ。そして昨日勤務明けで帰宅したパパは今日は休日、早速千葉の実家へ連れて行けとせがみ、バァバの処
に押し掛けたそうだ。
 ママはお陰で休養日。千葉のバァバはさぞ大変だろう。
 川向の山の稜線部は薄く雪を被った。


 立山も雪が結構積もった様だが、山里からは何も見えない。


 千葉のバァバが来てくれて、大喜びの東京のお兄ちゃん。でもまだお昼寝しなきゃならないんだ・・・オイラ。
   


12/02
 昨朝は雪景色だった山里も、今朝は雪が消えていた。
 気温は例年並みか、やや高めだとは思うが、何せ暑い日々をくぐり抜け、ようやく秋に至ったと思うも秋などちっ
とも涼風が立たず、暑い夏の延長の後にすぐ初冬となったので、身体が寒さに慣れておらず、やたら寒さばかり
感じて、暖房も強めになってしまうし、着衣も冬のゴロゴロした厚着になっている。
 師走二日、でもちっとも年末と云う気はしない。
 山小屋商売の足を洗ってからは、煩雑な書類整理やら、オヤクショへのあまり意味のない書類提出やらに僅か
に年末らしさもあったものだが、今は昨日から今日への繰り返しだけで、あまり変化もなく、変わらぬのが幸せな
様な日々である。
 とはいえ年末には東京の孫や末娘も来るし、元旦には黒部の孫も合流、ちょっとしたカオス状態となるだろうし、
この連中に食べさせるお節や料理作りが楽しみでもある。
 孫たちと過ごすこの一時は何物にも代えがたい楽しみであり、また草臥れの元でもある・・・。
 師走と云っても親爺とオカカには走る様なシーンは無く、ゆるゆると日々が過ぎ、あっという間に終わってしまう
事だろう。
 もう雪は消えガスがかかっている今朝の不動山。


 昨日の朝は我が家の周りは全て薄い雪化粧。
 

 最初は雪とガスに覆われていたが、僅かな青空から漏れた光でさえ、溶け切る程度の薄雪だった。
 


12/01
 いよいよ今日からは師走。何とも早い時の流れを再認識している。
 昨日、黒部の孫の生活発表会だったので、ジジババそろって出かけた。可愛い孫の可愛いお遊戯や、ブレー
メンの音楽隊の劇、楽器演奏などただ可愛いばかりでなく、よくぞこれまで出来る様になったものだと、その成長
ぶりに、胸が熱くなった。目の中に入れても痛くない例えが、よくわかる。
 終えん後ジジババたちが帰ったら、「ちょっと寂しくなって、ジジババの座っていた椅子にすわってたの。」と帰宅
してからママにお話ししてたそうだ。
 そんな話を聞かせるから、ジジはもう胸が熱くなり緩い涙腺がますます緩んでしまった。
 流石に往復2時間余の運転なので、少し疲れる。
 で、コンビニで買った弁当を遅い昼食として、早速昼寝である。軽い弁当にしとけばいいのに、カツカレーなど頂
くものだから、夕食時になっても腹が減らず、茶漬けで夕食を済ます事となった。
 昨日昼過ぎから山里に雪が来て、今朝目覚めたら不動もい家々の屋根も木立もみな雪を被っていた。
 流石師走朔日。そうだきょうからは12月なのだ。
 日々の長閑な生活の中にも、季節の移ろいや、孫の成長と云う変化がある。
 孫はそんなに早く大きくならずとも、可愛い今のままで居てくれと云う想いと、健やかな成長をただ嬉しく思う気持
ちが混在する。
 黒部のお姉ちゃん、東京のお兄ちゃん。二人の成長をまだ10年は見て居たいと思う爺である。
 芦峅寺に雪が降った。親爺には71回目の雪の芦峅寺だ。


 ブレーメンの音楽隊のネコさん役だそうだ・・・。


 楽器演奏ではピアニカとシンバルもやっていた。上手だった。     我が孫の可愛さは何物にも代えがたい。
  

 黒部から帰宅してしばらくすると雪が降り始めた。


11/28
 四半世紀前の平成9年に親爺の父と母が作った、ナメコの缶詰がある。
 通常缶詰でもその賞味期間は3年程と云われているが、親爺のナメコの缶詰は4半世紀以上の年代物だ。
 さて食えるだろうか?普通なら食えぬとしてそのまま処分するのだろうが、親爺は経験的に、このナメコの缶詰
は、缶が膨張変形して居なければ食えると思っている。
 で、今朝も二缶開けてみたが、異常は全くなく、採りたてのナメコの良い臭いがしている。
 さっとざるに空け、流水で洗い、再度香りを確認し、1粒2粒をそのまま食べてみたが異常は感じられない。
 小鍋に入れ、醤油、砂糖、酢で味付けし煮上げた。市販のなめ茸のような味で、ナメコの香りが高い。
 今夜早速頂いてみるつもりだが、これは親爺の個人の責任でやっていること。もし四半世紀目の缶詰をお持ち
の方がいても決して真似はされませぬ様お断りしておきます。
 薄暗い雨の月曜日、こんなことをして過ごしている。


 4半世紀前のナメコの缶詰を煮る。色艶ともに新鮮であるし、味も新鮮ななめこそのままだ。



11/27
 もう11月も終わろうとしているのに気づいて驚く。なんという時の流れの速さだろうか。
 過去は遠くに霞むほど長く、目前の未来はまもなく終わると云うのに、こんなにも時の流れが速いと一寸寂しい。
 老いはてて明日も危ないと云う歳ではないが、若者では決してなく、高齢者=老人ではある。
 が正直なところ、自分が爺だと思うのは、かわいい二人の孫や、幼子に接する時だけで、あとはほぼ昔の儘の
自分である。肉体的な衰えは隠せぬが、気持ちは左程衰えていないような気がしている。
 でもそんな気がしているだけで、実際を昔と比べて見ると、一々大きな差がある事もわかり、やはり老いたかと
に認めざるを得ぬ。
 これが自然の摂理で、誰も逃れられない。
 ならばその逃れられぬ範囲の中で、楽しく生きてゆくし飽かない。慣れである。
 親爺が若い頃とさほど変わらぬと思えるのは、読書、食い意地位のものだ。しかも読書量は理解力(読解力)の
低下で読速が遅くなっている。食い意地も確かに卑しいままだが、量は食えない・・・・・。がそんな自分にずいぶん
慣れて来て、それが当たり前になって来るから何とも思わない。
 そしてその積み重ねが惚けの進行となり、何の不安も亡くなった頃、あちらへ旅立てるとしたら、人間実にうまく
出来ていると云わざるを得ない。
 今シーズンの立山は雪が少ない。
 雄山の主稜線が富士の折立で急に下り、なだらかな真砂岳の稜線へと続く。


 我が意都市の孫二人。お姉ちゃんはフライングゲームで落ち着いた操縦をし。お兄ちゃんは爺の血統そのままに銃を撃つ。
 
 


11/26
 昨日とは打って変わって良い天気だ。気温はやや低めで寒い朝だった。
 立山が良く見えるので、村はずれへ写真を撮りに出かけた。勿論、軽4WDで出かけたのだが、これだとクマ
に出くわしても何という事もない。
 流石に今の時期ともなると観光客もおらず、処々車を停めてゆっくり撮影できたが、目新しい写真などなかな
か撮れず、石臼林道へ入ってみた。
 無雁の親爺たちの狩場だ。山鳥、ウサギが良く捕れた。
 が、林道も芦峅寺の猟師が絶えはてた今、荒れ放題。落石やら落ち葉の堆積で、危ない箇所だらけ。4駆に
して走るも、何やら気持ち良くないので、転ばぬ先の杖と、適当なところでUターン。早々に引き上げた。
 道は荒れてはいるものの、辺りの景色は変わらず、あそこは山鳥の付きやすい壁、あそこの杉林にはウサギ
が多いはず・・・とついつい目が移る。
 まあ、何の異変もなく無事帰宅した。
 鍬崎の直下に見えるスキーゲレンデが粟巣野スキー場。まだ滑れぬ。


 弥陀ヶ原は雪を被って見えた。                  松本の娘が送ってくれた柿。種無し柿で頗る甘い。
 


11/25
 我が家に十村谷と云う村内の谷から引水している山水は、昭和の30年代の前半に芦峅寺単独の水道設備
が整い、村の全戸に吸水を始めるまでは、我が家の唯一の生活水道であった。
 蛇口もない水船と呼ばれる水槽に、ホースから水がじかに流れ込み、真冬でも止まることは無く、流しっぱな
しで村中に堀廻らされていた側溝に流れ落ちていった。
 いったん水を受ける水船水槽は大した大きさではなく、でも子供が落ちるほどの大きさで、2歳ほどの時親爺
がここにポッコリ落ち込んで、母を驚かした事があったそうだ。
 普段台所で使う水はこの水槽に柄杓が置いてあり、それで使った。風呂などへはホースを引き回していたと
思う。洗濯にしろ野菜洗いにしろ、全ての生活水をこれだけで賄ったいた様だ。
 その後、村単独の水道設備ができ、村でつい先ごろまで、1口月500円と云う定額制で利用できた訳で、水に
ついては不自由のない村であった。が、村の道路に融雪装置が付き、そのあたりから冬季の水道水が不足す
る事になり、水道設備も老朽化し、立山町の水道課に、管理維持を移管し、町営水道となったのは10年余り
前の事だった。この村営水道の町移管については、下水道の完備も関係しており、まあ時節柄上下水道は町
に任せたのである。
 結果水道料は、上下水道合わせて、我が家では4000円程度となったが、何処も凡そこんなところで、昔の様
に流しっぱなしの融雪装置などは、山水を使うほかなくなった。
 しかし昨今はこの山水も、国立立山少年自然の家が不動山の上にできた頃から、水質がやや汚染され、飲
料不適となってしまっている。まあ飲料には水道があるから山水は融雪か、池の水か、つくばいに流して楽しむ
か位の使い道しかないのだが、むかしから使ってきた水故、手放しがたい。が設備の老朽化であっちこっちと
管がやぶれ、水が詰まったりとその管理が問題になってきている。
 ガスの隙間から不動の山裾に積もった雪が見える。


 我が家の斜向かいにある車庫は、3台の車が入るが常時、親爺とオカカで2台を使い、後は娘たちが交互に。


 神田神保町にあった白馬と云う喫茶店でミートパイを出していて、たまに食べた。美味かったが半世紀前の話。
 でもたまにそれを思い出して、家でもミートパイを焼く。


11/24
 昨日は夜まで暖かかった。ストーブを消して、夜まで床暖だけで過ごそうとしたが、ストーブの上で煮込もうと
思っていた煮込み料理を思い出して、ストーブを付けた。
 ストーブの上に鍋やら、ダッジオーブンやらを掛けていろいろな料理をするのは、我が家の伝統で、母や祖母
のころから、色んな料理が反射式ストーブの上で作られていた。いや、遡ればこれは囲炉裏料理の流れをくむ
由緒正しい山家料理の伝統だろう。
 囲炉裏では、豆や芋、そして冬場ならウサギや、クマなどの肉もくつくつと煮えていたし、熾火を脇に取り寄せ
てその上に大きな足つきの焼き網をかけて、魚や、様々なジビエを焼いていた。
 まあ、今は精々反射式石油ストーブの上で煮込みや、餅を焼く程度だが、薬缶にはお湯が常にたぎっており
便利この上ないものである。
 だから我が家の居間は、時々料理の匂いが充満する。
 まあ、来客もまれだし、何時も来る仲間なら気にすることもないし、我が家の反射式ストーブは調理用でもある。
 玄関先のツクバイに落ちていた山水を止め、散水消雪に使うホースに流した。
 除雪用のスコップ(軽量プラスチック製)も玄関ぬ並べた。明日少し雪が降りそうな気配だから。


 山里の今朝は暖かいが薄暗い。銀杏も殆ど葉を落とした。


 1/72スケールの旧陸軍2式戦闘機「鍾馗」。迎撃機で本土の守りにも活躍した。


11/23
 昨日、注文していたちょっと古い本が2冊届いた。古書ではなく、14年ほど前に発刊され文庫本と、その前年
に発刊された本の2冊である。
 一寸おかしな話だが、マルチタレントとしていよいよ面白いデガワが、なんかの番組で18の頃、故有って尼寺
で半年ほど住み込みで料理修業したという事を言っていたので、余り真に受けず聞き流していたのだが、どうも
何か引っかかり、この尼寺とは精進料理とゴマ豆腐で有名な、月心寺の事ではないかと思った。
 詳しくは知らぬが確か臨済宗の尼寺で、明道さんとおっしゃる尼僧が豪快な、いかにも禅寺坊主といった感じ
でテレビなどによく出ていたのをちらりと思いだしたのだ。
 が、デガワと厳しい明道尼の取り合わせが不思議だった。まあ、デガワ独特の駄法螺かとも思ったが、どうも
デガワならではの事実かもしれぬと面白く感じ、明道尼の本を探して、注文したという訳だ。
 村瀬明道尼はもうかなり前に旅立たれているはずだから、本も古書店での販売しかなかった訳で、まだ月心
寺での料理について書かれた本にしか目を通していないが、道明尼の一代記がまだ未読のままなので、どんな
人生を送られた方なのか、読むのが楽しみだ。
 デガワの話で興味を持った、禅寺の尼僧明道さんに、文章の中だがお目にかかれるだろうから、デガワの如何
にも憎めぬいい加減な話にも、影響を受けたことになる親爺だ。
 まあ、とにかく流石に本の中にはデガワは出ぬだろうが、読ませてもらおう。
 今朝から床屋に行き、カレーを仕込み、牛筋の下処理をし煮込みにかかっている親爺だ。
 早速、明道尼の料理の心得に影響されたのかもしれぬ。
 標高2000mの鍬崎山もまだこの程度の雪だ。


 村はずれの景色だが、昔はここに田んぼや畑があった。今は荒れ野となっているが。


 親爺の作った飛行機プラモの数々に、最近東京の孫が興味を持つようになった。嬉しいが壊されたくはない。
 


11/22
 昨日は快晴に誘われるように、車のタイヤをスノーに履き替えてもらいに、立山町の自動車屋さんに出かけた。
 この晴天も今日まで、明日からはまた薄暗い氷雨や曇り空の日が続きそうだ。しかもこの土曜日には雪の予報
が出ていて、いよいよ冬だ。
 オカカは庭の冬支度があるらしいが、親爺は取り立てて冬支度はない。屋根に融雪装置を載せてあるので、下
ろした雪で家が埋まる心配はまずないので、雪囲いを取りやめてもう10数年経つ。まあ、それで何ともなく持って
いるのだから、雪囲いをしない家も増えている。
 と、体調を崩している隣の謙ちゃんが、今日は久々の里帰りで来ているのが目に入った。外へ飛び出して行って
声をかけた。車いすに乗ったままだが、大腿骨骨折の後遺症で歩行がままならず、家へ入るスロープに設置した
手すりを使ってのリハビリだ。
 声をかけると涙が出た。謙ちゃんも親爺の手を握って泣いている。幼馴染で気が合って、親爺には兄貴分の謙
ちゃんであり、数少なくなった山仲間である。謙ちゃんは73歳、親爺より2歳年上だ。
 山小屋は息子の健太郎が立派に継いでいる。若い奥方のヤンジー(親爺が仲人)もしっかり謙ちゃんを支えて
いる。
 なあに、もうお互いに隠居だ。好きな様に時間を過ごせば良い。足だけは頑張って治し、又庭で日向ぼっこしな
がら、昔の山の馬鹿話でもしよう。
 謙ちゃんの小屋は、早月尾根。晩年は親爺と二人ヘリで入山し、ヘリで下山したものだ。剱沢の大兄貴も一緒に
乗り込んで、3人で通ったことも有った・・・。今は昔の話。
 親爺や懐かしい山人たちの姿は、この山からもう消えた。


 我が家から見る大日は雪を何度まといなおしたことだろう。
 

 雄山主稜線もすっかり白くなっている。


11/20
 比較的暖かい朝だが、外の景色は薄暗く冬の訪れが伺われる。
 床暖は部屋が温まるまでに少し時間がかかるし、反射式ストーブもそうだ。だから一番早く温まる温風ヒーター
も暖房の必需品である。早朝や、冷え込みの強い就寝前などに補助的に使うのだ。
 親爺の記憶の中の暖房は、60数年前なら、赤赤と燃える囲炉裏、60年前頃から薪ストーブ、そして数年の後
には石油ストーブとなって、その石油ストーブも種々変遷があったが、石油温風ヒータに置き換えられていった。
 床暖を使うようになったのは10年ほど前の事で、暖房にも歴史があるのだ。
 今、各々に自立し家を出ている娘たちは、エアコンの暖房を主に使い、補助的に電気カーペットなども使って暖
房としている様だが、石油ストーブは使わない。
 我が山里では流石にエアコンの暖房では過ごせない。どうしても石油系、あるいは薪ストーブが欠かせない。
 それにしても、石油の高騰は堪える・・・。
 寒冷地に住む身には暖冬と云えども寒い冬になりそうだ。


 一昨日、18日に初雪がちらついたが積もることは無かった。小玉蜜柑と、富有柿が季節を感じさせる。
 


11/18
 寒く暗い日の二日目。
 昨日は親爺が、実に久しぶりにビーフシチューを煮込んだ。
 火宅の人の作者、檀一夫は檀流クッキングと云うエッセイ集を残しており、その中には実にうまそうな料理も出
てくる。このビーフシチューなどもその中の一つで、若い頃これを読みふけり、いろいろトライした経験がある。
 壇一夫のエッセイは、材料、調味料などはもれなく出ているが、その分量に至っては適当で、自分の舌で計れと
云った具合だったから、根がアバウトな親爺には丁度良かった。
 まあそれで作ったビーフシチュー、失敗はまだ一度もない。何時も美味いと思う仕上がりだ。
 今回も、オカカが飛騨牛のすね肉ブロックを安価に買い込んできたところから、スタート。500gで1600円だ。
 安い赤ワイン1本500円、玉ねぎ1個、セロリ1本がメインの材料で、肉は食いやすい大きさに切り分け、タッパー
に並べ、セロリと玉ねぎは刻んで肉の上にまんべんなく載せ、更にその上から安い赤ワインをどぼどぼと注ぎ一晩
漬け込んでおく。
 翌日、肉だけを取り出し、バターで焼き焦げ目をつけ、塩コショウを軽くし、やがて漬け込んだワイン、野菜も加え
煮込む。具合を観て、ワインなり水なりを加え。あくを取ってさらに3時間程煮込む。途中で味を観ながら、ケチャッ
プや塩コショウ、ソース・・・なんでも加えながら好みの味に調えてゆく。
 フライパンにバターをたっぷり溶かし小麦粉を加え気長に煎り、良い色がついたら、シチューの煮汁をお玉ですく
い少しずつ加え、混ぜブラウンソースのルーを作る。それをシチュー鍋に加え、適度なシチューらしい濃度を作る。
 そして味見をしながら、好きな調味料を加えてさらに味を調えていく。
 最後にまたフライパンにサラダ油を入れ、砂糖をレンゲで軽く一杯ほどを煮て、少し煙が出るほどの黒いカラメル
を作り、これをシチュー鍋に入れる。ジューッと跳ねるから気を付けて。
 でかき回し最終味チェック。少し苦みと僅かに甘いコクが出て、シチューはワングレード高くなっているはずだ。
 以上が檀先生のシチュー作りの概略。ローリエやバジルなども加えても良い。とに角実に美味しいシチューになる。
 こんな薄暗い日に、一日がかりで作り、いただく美味しいシチューなのだ。


 材料を漬け込み一晩おいて、翌日から作業をする。面倒なのはブラウンソースのルーづくり位。
 

 後は火と鍋がおいしくシチューを煮込んでくれる。最後の味決めのカラメル投入。ジューッとはじけるから要注意。



11/17
 今朝から雨が降っているが、気温は思ったほど下がっていない。外気温も10℃より少し低いだけだ。
 今朝はMLB の大谷が2度目のMVPに輝いたというニュースが入ってきて、親爺も勿論オカカも大喜びだった。
更に昨日はプロ野球の若手を集めた、アジア大会で、日本チームが台湾チームを破った。しばらく野球を観て
いなかったので、22:00過ぎまでの放送を見て過ごした。
 今日は恐らく優勝候補にも挙がっている、韓国チームとの対戦だ。今夜の勝者が事実上の大会覇者となるだ
ろう。午前中にはオーストラリアと台湾の一戦もあるが、両社既に一敗してしまっている。
 アジア大会とは言え、野球のプロチームがあるのは前述の4国だけ・・・。
 でも若い選手たちが、国のプライドをかけて全力を尽くす姿が頼もしい。
 いろいろなものがぶら下がる我が家の物干場。今は干し柿だ。


 近所の銀杏はまもなく散りつくす。 この零戦はプラモではなく電動ラジコン。一寸、力がなく飛行が難しそうで、未だ飛ばしていない。
 


11/16
 今日も良い天気で、大日がうっすら雪化粧をして見えている。
 立山も、雄山の山頂カメラを見るとすばらしい天気で、剱や後立てまですっきり見えている。
 最近は政治家もひどいのが多い。酷いのは昔からいたが、呆れるほどの愚かしい政治家先生が、財務副大
臣と云う要職について居ながら、裏を見られると納税延滞の猛者で、複数回にわたり差し押さえを喰っている。
 そればかりか交通違反罰金延滞もあるらしく、これ以上掘り返したら何が出てくるかわからない。
 マア、この位なら民間人にもいるだろうが、民間人ゆえに社会的信用もない只の、ルーズな役立たず程度の
評価を受け誰からも相手にされぬから、社会不適合者の烙印を押されて、なるべく人に迷惑をかけぬ様にして
いれば、許されるかもしれないが、国会議員で、副大臣などと云う人にはさっさと公職から降壇願いたいものだ。
 今日も近隣の町で、男性2人がクマに襲われた。
 昨日狩猟解禁で、銃猟も始まったから、クマはまだしばらく捕れないが猟野で銃声が響くので、脅しにはなる
だろうと思っていた矢先の被害。これはクマの銃猟も頭数を制限して解除すべきではなかろうか。
 冬に向かい、ストーブに火が入り、毎日赤く、終えている。
 

 雄山山頂カメラの絵を拝借。剱や後立ての峰々も見通せる。 オカカの本棚にも親爺の模型がのさばっている。
 


11/15
 朝晩が着実に寒くなってきている。
 昨夜も夜具に潜り込んでから、本を読み始めた。癖である。が、小一時間もせぬ中に夜具の外に出している両
手が寒く、温風ヒーターをつけようかと思うほど寒くなってきたので、面倒だから夜具に潜り込んで寝てしまった。
 年寄りの浅い眠りだからだろうか、目覚ましで目が覚めたが眠気が取れず夜具から中々出られない。
 思い切って掛布団をはねのけ立ち上がると、左程の寒さでもない。服を着こみ起きだした。
 今朝はいい天気で窓から大日が望めた。雪はかなり下まで降りているが、全体にうっすらだ。
 真っ白に雪に包まれているのは、多分2400mの上からだろう。
 深まりゆく秋と云うよりはもう、冬が始まっているのだが、山里が雪に覆われぬと冬という実感はわかぬ。
 雪は多くはないが、ずいぶん下に下りてきた。


 物干し場から部屋に陽が射しこんで暖かい。オカカの干し柿が見える。我が家の向かいにはナチューレと云う写真展示カフェと3年以上
閉店状態のお好み焼き屋がある・・・。
 


11/14
 寒い朝で、起きて外を見ると雪がずいぶん下まで下りて来ていた。
 まだ我が山里には遠いし、来拝山や不動山にも雪は来ていないが、川向のスキー場上部は、白く雪が来ている。
 鍬崎、大品山の稜線続き直下だから、標高も1100m〜700m程のエリアである。我が山里よりはるかに高い。
 我が山里に初雪はまだない。大概毎年、月末か師走に入ってからが多い。まぁ、昨今の異常が常態化している
天気の事である。神ならぬ身の、初雪の来る日など解らぬ。
 今日は内科医院での薬もらいと、眼科も受診して、午前中をつぶした。富山市内からの帰路、山が上部が隠れ
ほとんど見えなかったが。2000mから上はライブカメラで見ると青空が広がり真っ白に雪化粧している。
 山里に帰り着いて、大日を見たが上部は見えぬも、雲の上に青空が見えた。


 富山平野からはこんな風に山裾しか見えなかった。雪が下ってきている事だけはよくわかったが。
 


11/13
 今日は母の月命日である。仏壇に燈明と香を上げ、一つ覚えの経も上げお参りした。
 今朝は寒い。昨夜、腹具合が悪くなり、夜具から出てトイレで腰かけていたが、寒さがきつくて閉口した。腹具合
より寒さの方が堪えた。何とか夜具に戻ったが、寒くて、寝室の温風ヒーターを焚きようやく眠れた。
 が、寒さのお陰でそのあとは6時間程熟睡、目覚ましで目が覚めるまで全く瞬時であったようだ。
 寒い方がぐっすり眠れる親爺なのだが、この項のキーボードを叩きながら、眠気に襲われている。
 きっと熟睡した様でそうではないのかも知れぬ。年を取るとどうも眠りも浅くなるのだろう。
 出窓の孫の写真を眺めながら、その向こうの二重ガラスの更に先に広がる秋の深まりも見ている。


 立山も見えず、木々も葉を落とし、山里の秋は刻々と冬に向かい進む。川向の山にはガスがかかり冬の足音が聞こえてくる。
 


11/12
 寒くて暗い日曜日の朝だ。もう村中もすっかり冬めいて、不動の紅葉も終わり、空気も冷たい。
 恐らく8℃位だろうか、10℃は割っている。
 つい先ごろまで見知らぬ観光客が我が家の前もぞろぞろ歩いていたが、今は姿が絶えた。代わりに野猿公が
うろついて、何か悪さをしようと目を光らせている。
 つい過日も親爺のエアガン(玩具)に撃ちかけられ大慌てで逃げ去ったサルがいたが、その後ついぞ姿が見え
ない。次に来るとすれば別の子ザルだろう。野猿公も情報伝達をする術はある様だ。
 大日の雪が山裾まで下りてきた。冬は近い。


 冬ごもりの間に作った2基の迎撃機。海軍の雷電と陸軍の鍾馗。これは何時の冬ごもりだったろうか・・・?


 近所の大欅はすっかり葉を落とした。冬の空に似合う姿だ。      不動が紅葉を終え日々黒くなってゆく。
 


11/11
 静かな晩秋の土曜日だ。流石に立山へ向かう車は多くはない。
 ライブカメラで雄山山頂は晴れている様だと、かろうじて分かったが、レンズに雪がびっしりついて青空らしいこと
が分かった程度。室堂も弥陀ヶ原もガスっていて、弥陀ヶ原にも新設が少し降った様に見えたが・・・。
 山里も左程寒いとは感じないが、外気温は10度程度しかないだろう。
 ここにきてようやく本来の気温になって来たのかもしれない。
 居間の窓から外を見ると足の寂しさが目立ってきた。


 上空に青空は見え隠れしているが。


 ママと近くの「遊び場」に出かけたのしむお姉ちゃん。お料理ごっこも楽しそうだね。
 

 ママと千葉県多古町にある廃校グランピングに出かけ一晩お泊りのお兄ちゃん。
 


11/10
 天気は悪くなった。朝から小雨模様だ。今日はまだ温かいが、明日からは気温も一気に下がるそうだ。
 立山の雪もずいぶん少なくなって、昨夜は雄山山頂でわずかに雪が降った様だが、室堂辺りでは今も雨が降っている。
 暖かいので、暖房もまだ床暖などは使っていないが、今日はストーブを焚いている。少々暑いくらいだ。
 オカカが物干場に柿を吊るした。正月用の干し柿を作ろうという訳だ。本当は戸外に干すべきだが近年は増えたサルの
所為で、丁度ほし上がった頃には必ずカッパライに遭っている。犯人は猿である。
 で昨日、物干し場の方にドンと云う大きな音がしたので、「や、サルだ。」とオカカが外をそっと見ると大きな野猿公が一匹
透明な強化樹脂製の屋根部分に乗って、柿を取ろうと手でたたいたり、足でけったり大騒ぎ・・・。で、親爺が「ほりゃ〜!」
と、かつての追い上げ猟の勢子の声を上げて脅すと、直ぐ上の小屋根に逃げた。が、そこは猿知恵、きっと潜んでいると
目星をつけ、かねて用意の玩具のガスガンを持って、そっと外に出た。
 親爺が庭に下りた気配を察し、小屋根の上から体を延ばしこっちを見る野猿公、真っ赤な顔の斥候だろう。間髪を入れ
ずその顔目掛け銃を発射。が、多分当たらなかった。
 でも狙い打たれたという恐怖心で、ブシュと云う発砲音と同時に大ジャンプ、隣家との間に飛び降り狂ったように逃げた。
 親爺の位置からはその姿は見えなかったが、窓からオカカがそれを観ていた。
 「きっとまた来るよ。」とはオカカ、だが「これでしばらくは来んちゃ」とは親爺の言。多分親爺に狙われた野猿公は斥候だ
ったはずで、本体にも「エサはあるが取れず、狙撃されるからしばらく近づくな。」と伝えているはず。
 昨夕も16:00頃には消防団の車が村中を警鐘を鳴らしながらパトロール。更にその30分前には野猿公本隊の駐屯地
に向け、害獣駆除隊員が銃撃2発。
 何れも親爺の玩具ガスガンも含め、クマにも野猿公にも抑止効果はあったはずだ。(親爺のガスガンではクマは無理だが)
 山里の猟師村は老いたが、工夫を凝らした自警活動も怠らない。
 ガスでなにも見えぬ雨空の山里。


 隣家の銀杏も葉を散らし、不動の山の錦秋ももう終わった。山里は冬に向かう。
 


11/09
 暖かい快晴の朝、車で無r外れまで出かけた。
 クマ騒動で、立山町役場もクマの痕跡情報、発見情報をラインなどで発信している。今朝も芦峅寺地内を山に向かって
いるとの情報がはいっていたが、車で出かけるのでさほど心配はしていなかった。
 でもドローンを上げたかったので、村はずれの駐車場では、他に車もいないので、先ず周囲を一回りしてから、できるだ
け中央に停車し、社内でドローンのセッティングを終え、外に降り立った。
 もう紅葉もすっかり終わっているし、確かに晩秋なのだが、気温だけがやけに高い。薄手のフリース一枚で温かい。
 久々に上げたドローンなので、見失わぬよう余り高度は上げず、早々に下ろしてその辺をまた車でうろつき帰宅。
 立山も雪が少ないように見えた。


 芳兵衛山に隠れて立山の峰は今一つ。鍬崎がちょこんと見えている。 機体が下りて来て風土記の丘の入り口の有馬家の裏に下りた。
 


11/07
 昨日と比べたら気温は低い様だが、例年と比べたらまだまだ温かい山里だ。
 エルニーニョやらスーパーエルニーニョやらの所為で、偏西風が蛇行して吹いているのだそうで、そのため暖かい日が
続いているそうだ。偏西風が蛇行すると、今の時期大陸から入る寒気が、もっと緯度の高いところまで押し上げられて入
ってこないとかで、このスーパエルニーニョによる偏西風の蛇行は大きく、北海道の緯度にすら寒気が入ってこないとか。
 まあ、詳しいことは専門の外なので、何かで調べてもらえばよい。
 親爺が云いたいのは今冬は暖冬で、降雪量も少ないだろうという事だ。これは有難い。
 強風が止んで銀杏の木も直立したままでいる今朝だがガスが少しかかっている。


 銀杏の葉っぱは随分吹き飛ばされた。


 4日の親爺の誕生日には、高級なウニアワビ入りの海宝漬けやら低反発安眠枕やら、大きなステーキ肉が3人の娘たち
から送られてきた。71歳の親爺になっても娘はやはり気が利く。有難いものだ。
  


11/05
 昨日は黒部の孫の発表会に行ってきた。孫の保育園の所在地である、黒部市浦山地区の文化祭に、保育園の
参加が有った訳で、僅か10分ほどの歌と踊りを観に、1時間かけて出かけた。
 いやいや、かわいい歌と踊りには親爺など涙腺が緩みっぱなし。最前席を婿殿が取っておいてくれたので、手を
振ってやるとジジババを見つけてにこにこ笑いながら手を振り返してくれる。可愛いものだ。
 あっという間に踊りが終わって、席を立ったら、長女と婿殿が追いかけてきて、孫も一緒で手にぶら下がってきた。
 親爺の他のもう一人の爺様、婿殿の父上もこの可愛い踊りを見に来たのだろう。ばったり顔を合わせ挨拶をした。
 ジジバカは親爺一人ではなかったわけだ・・・。
 孫とは無条件で可愛いものだ。
 帰路買い物をし、帰宅した。
 今度は月末の祖父母会にまた出かける。今年で卒園の孫だから、ぜひ来てねと長女に招かれた次第。
 秋の嵐吹き荒れる山里だ。銀杏の木が風に吹かれ葉を散らす。


 可愛い踊りを見せてくれた孫。自分の描いた絵を自慢げに見せる孫。絵も踊りも素晴らしかった!!
 

 東京の孫は豊洲のキッザニアが大のお気に入り。昨日もママと一緒に一日遊んできた。
 


11/04
 村の中も秋が深まってきた。いつもより深まりが遅いような気がしているが、余り寒くならないからかも知れない。
 暖かいのは結構なことで、暖房費も安くつく。
 ちょっと困るのはヘコキムシが我が物顔で飛び回るのと、クマが里に出ることを覚え、穴にも入らずいつまでも
徘徊していることだろうか。
 二昔ほど前の我が山里の村なら、害獣駆除の許可を持つ連中が多く、親爺もそうだった。
 だからクマが出た等と云う話が出ると、往時の駐在さんから電話があり、好く呼び出され、夜中でもパトカーに乗
ってクマが出た付近を回ったものだ。
 親爺曰く「警察官は短銃持ってるから、それで撃ちゃあいい。」駐在さん曰く「勘弁してよ。豆鉄砲であんなもの撃
っても蚊に刺されたほどだろう。」・・・まあ、手負いにするだけであることは確実だ。
 昔山岳警備隊にいた、元剱御前小舎のバイトS君は下界勤務中にクマの出没情報が入り、警備に立たされた。
 得物は所謂六尺棒、警棒の長いやつである。
 で、親自宅に来た時ポツリと一言、「あんなもの持たせてクマに出会ったらどうしろって云うんですかね。」親爺と
オカカと大笑いしたものだ。得物は江戸時代から令和の今まで変わっていない・・・。
 秋がゆっくりと深まって行く。


 近所の銀杏の木も急に色付いた。


 2式水偵である。フロートを外せば零戦だったのだ。


11/03
 今日は富山市内で28℃程まで気温が上がるそうな。恐らく我が山里でも25℃前後になるだろう。
 立山の雪はだいぶ少なくなって、今朝から立山を目指す車がやたら多い。3連休だからだろうが、確かに良い天気で
今日の立山はきれいだろう。
 が、下部の遊歩道にはクマが必ず潜んでいるし、上部の稜線歩きは完全な冬の装備が必要で、思わぬところが凍っ
てすってんと行ったら滑落の危険が極めて高い。アイゼンを付けルートファインディングもしっかりできないと危険だ。
 立山どころか、我が山里の村の中にいてさえ、クマの徘徊が目立ち、ごみ捨てさえ気をつけねばならぬ。
 親爺も長い山生活で、クマに遭遇したことは幾度かあるが、全て向こうが先にこちらを察知し、逃げ出すことが多か
った。だからクマの後ろ姿は見たが、こちら気向かってくるクマには遭ったことがない。幸いだった。
 これからはクマに遭遇するほどの奥山歩きは出来ぬと思っていたら、最近は庭まで入って来るどころか、玄関とを破
って老女二人に襲い掛かったクマもいた。
 何分牛舎に6頭のクマが群れていたと云う異変さえ報じられている。
 生態系がかなり変なことになっていて、人間を恐れぬクマやイノシシが町中を闊歩し、人間もかなり退化が進んでそう
いう異常事態に遭遇してもなすすべを持たぬ男ばかりだ。
 身にかかる火の粉も払えず、言う事だけは一丁前に言う腑抜けばかりの若者が、どんな未来を作るというのか。
 山間僻地で農を行い、獣の脅威にさらされてもじっと我慢の老人連中の方が遥かに強くたくましい。
 今秋一番の鮮やかな彩を見せる不動の山。


 大日の上部の雪もずいぶん少なくなった。              旧海軍、艦上戦闘機3代。
 

 間引き大根の葉でふりかけを作った。これがとても美味い。


11/02
 重苦しい様な曇空になってしまったが、早朝はもっと陽が射して間空も広がっていた。
 昨日オカカが大根の葉を仕入れてきて、細かく刻んでくれたので、今日はこの後大根葉のふりかけを作ろうと思っている。
 MLBのワールドシリーズ決勝を観ている。
 テキサスレンジャーズVS.アリゾナダイヤモンドバックスの試合は、流石アメリカを代表する屈強の2チーム、試合も面白
い。夜の日本シリーズも阪神VS.オリックスで、これも強豪2チームの連戦だから面白い。
 処で。テキサスやアリゾナと云う地名は、漠然とだが古くから耳に馴染んでいる。
 これは、戦後盛んにテレビ放映された、西部劇の影響だろう。でも意外と知らぬもので、アメリカ合衆国の広大な地図の
どの辺りがアリゾナで、どの辺りがテキサスなのかは、良くわからなかった。何れも州の名を冠しているのだが成程ここか
と云うほどの事で、それ以上の想いはない。
 まあMLB など、何の興味もなかった去年から見ればえらい進歩だ。日本のプロ野球またしかりである。
 さっきまでこんな曇り空だったが、今また薄日が漏れてきた。


 もう我が家の庭には花が全くなくなった。まあ、後ひと月余りもすれば雪の花が咲くだろう。
 

 旧陸軍の97式戦闘機。陸軍初の低翼式単葉機で、ハヤブサの前身である。
 


11/01
 霜月となり立山の神様も山の社にお戻りになり、ご機嫌よく快晴の中、社に鎮まって下さったようだ。
 そんな中昨日見たニュースの中、余りのもバカバカしい高齢者の拳銃騒ぎに驚いた。86歳の爺様が郵便局に立てこもり
しかもその前に病院で発砲事件を起こし2名を傷つけており、さらにその前に自宅アパートに放火・・・。
 犯行中に撮影された写真では、首からトカレフと思しき拳銃を細引きでぶら下げ、銃の扱いにも慣れている様だ。恐らく
暴力員団崩れだろう。
 前身は何であれ、もう好々爺となっても良い86歳である。どんな生活だったのか、拳銃と実弾を長く隠し持っていたのか、
縁もゆかりもない男だが、逮捕されて行く開き直ったふてぶてしさも哀れであった。
 許されざる行為である。恐らく終生刑務所暮らしであろう。
 もう一つ驚いたのは、渋谷のハロウィン警備である。髪を染めた小僧が「ハロウィン騒ぎ禁止だって、関係ないね。俺ら
自由だから、そんなの拘束力もないし。」とインタビューに答えていた。この手の「規制なんか関係ないよ、俺らには。」と云う
輩が一番面倒だ。自由を全く理解していない。
 自由とは他に、危険や迷惑や不快感を与えず、法に則った行動をする範囲においてのみ許されるものである。
 第三者に迷惑をかけ、不快な思いをさせるような行動は、規制されるべきである。
 日本の警察は世界一やさしいそうだ。
 暴走行為を自慢する輩に、某国出身者が云ったそうだ。「俺の国で射殺覚悟でやれるのかお前ら?」・・・。
 相手によっては今少し厳然と対応しても良い。武器を持って立てこもるやつは狙撃されるのが当然。公然と迷惑行為に及
ぶガキどもは大人の恐ろしさをその体に叩き込んで、例え怪我をさせても大人しくさせるべきだ。
 老いも若きも警察をなめている。
 優しいお巡りさんは確かに理想的だ。でも厳しい面も持っている事もアピールすべきである。
 立山のピッケルを持ったお巡りさんたちは、実に両面を顕著に持っていたものだが・・・。
 霜月朔日。今日も快晴。


 末娘が勤務地の長野から林檎を送ってくれた。シナノスィートは頗る甘かった。 親爺のプラモの原点、零式艦上戦闘機。
 

 川向の山々も色づいている。


10/31
 今から見える不動山が、快晴の空の下陽を受けて、きれいに秋色に染まっている。
 その彼方に見える大日も、昨日の雪景色はだいぶ解けて、それでも上部には雪を頂き見えている。
 山里にも紅葉が下りて来て、何となく冬の気配も感じるようになってきた。
 今冬は暖冬小雪と云う予報に、幾分安堵しながらも、やはり雪が降り出すと落ち着かぬ親爺であるが、まだそれは1月も
後の事だろう。
 でも今日は神無月晦日、明日からは霜月・・・。親爺も間もなく七十一となる。


 大日の上部はまた雪が溶けた。


 昨夜寝しなにバジルの葉を冷蔵庫に放り込んで忘れていたことを思い出し。バジルソースを作った。
 SNSで粉チーズも加えると美味いとあったので試してみた。
 親爺のバジルソースは、バジル、カシューナッツ、生にんにく一片、粉チーズ、オリーブオイルとサラ
ダ油に塩である。割合はお好みのまま。
 

 今の若い人に加藤隼戦闘体などと云ってもピンとこないだろうが、親爺たち戦記漫画で育った世代
には、その戦闘隊長加藤建夫少将はヒーローだった。若き加藤大尉が訓練に励んだ五二式二型複葉
戦闘機。


10/30
 なんと言う時の流れの速さだろう。神無月ももう二日しかない。
 暑くて暑くてへこたれていた夏が、もうかなり遠くなった。
 立山には雪が降り、紅葉もぐんぐん下に下りて来て、今は我が山里もすっかり色付いている。
 弥陀ヶ原の下に広々と雲海がかかっていたが,段々切れてきて、今は山里にも青空が広がって、まぶしい陽光が
降り注いできた。
 紅葉も、青空の下だと曇天下より数段鮮やかに華やぐ。
 秋は色が深まりやがてはモノクロの世界に入って行くだろう。「色濃くて寂しげな頃」が秋なのだ。
 暖冬予報が出て、雪も少ないといわれているが、はてそれで冬の準備を怠る事も出来まい。
 山里の暮らしは刻々と冬に向かう。
 今朝の大日岳。新雪が来ている。


 閻魔堂の前に在った古い家が取り壊され、跡地だけが残っているが、今から60数年前ここには親爺たちが通った保育園があった。
 そのあとに民家となって現在の更地となり野猿公共の集会場となっている。
 右の自衛隊機はT-1ジェット練習機。10年ほど前に組み立てた。
 


10/29
 昨日から天気が崩れ、親爺も昨日は少々体調が悪かった。
 で、一日更新をさぼったが、今日は昨晩ぐっすり眠ったせいか、身体が比較的すっきりしている。
 気付けば日曜日、とはいっても親爺には左程関係はない。いつも通りにゆっくりと好きなように時を過ごすだけだ。
 居間の窓から見える不動山にはガスがかかっていた。立山は雪かもしれないがここからは何も見えぬ。が、ライ
ブカメラで見た雄山山頂は、青空も見える様だ。レンズに氷がついて南側のカメラで確認できる。が不安定な天気
なのであまり無理に登らぬほうが良いのだが、トレースも見えた。ご用心ご用心。
 山里も秋が深まった。大欅はかなり葉を落とし、銀杏も少し黄色みが出てきた。


 彩雲のプラモだ。今の人は彩雲などと云ってもピンと来ぬだろう。日本海軍の偵察機で「我に追いつくグラマン無し」との
有名な無線を送信した海軍最速の機体だ。終戦間際には斜め銃を搭載し防空任務にも就いたが、戦果は無かった様だ。
 こんな天気の日にはまたプラモを作ろうか等と思いはするのだが。


 車庫の裏の栗の木と、桜の木。栗は身を落とし、桜も葉を散らす。 色づいた不動の山にガスがかかっていたが上空に青空も見えた。
 


10/27
 今日も良い天気、小春日和の日だ。でもここ数日、毎日とは言わないが暖かい日が多く、この秋は深まりながらも
寒さをあまり感じさせない。
 もちろん朝晩は、結構な冷え込みもあるが、寝室に暖房を入れて部屋を暖めたのは1日あるかないかだ。
 3か月予報でも暖冬傾向で、年末年始の大雪も無さそうな気配なので、来る年越しには娘たちもみな集合できる
かもしれない。
 青ゆずを買い込んで、もたもたと日が経つうちに黄色く色づいてきた。柚子胡椒でも作ろうかと買い込んであった
のだがちょっとがっかりした。
 でもいろいろ調べると柚子胡椒を作る方法も何種もあり、柚子胡椒自体も何種もあることが分かった。
 辛いものが大好きな親爺だが、年齢的なことも有り極端な辛さはもういけない。
 だから柚子で作るママレードでも作ろうかとも考えている。
 食う事が日々の楽しみ。贅沢なものよりも若い頃か乱れ親しんだもの、あるいは若い頃には敬遠していたが、最
近美味いと思うようになったもの等、楽しみは絶えない。
 布橋も辺りがすっかり色付いてきた。


 間もなく紅葉も酣となるだろう不動の南面に強い朝日が射す。


 雄山主稜線が真っ白だ。


10/26
 クマの駆除について、いろいろいう連中が多くいるが、実際にクマが出没し人間に危害を加えている様なエリアで
生活した経験がある連中なのだろうか?
 可愛いテディベアや、クマのプーさんなら良いが、クマは雑食性の猛獣である。
 昔から人里に迷い出て、捕殺されたクマなど何頭もいる。人里に頻繁に出没する原因は机上で検討し洗い出せば
幾つも出てくるだろうが、実際に我が家の庭の柿木に、クマがよじ登って柿を喰っているのをどうするか等考える暇
もない。
 庭にある柿木は切り倒せ、夜歩きはするな、早朝も気を付けて山や藪に近づくな・・・。
 成程それだけ注意しなくてはならぬ、極めて危険な状況であるのに、その原因たるクマを捕殺してはならぬとは如
何なる訳であろうか。
 こんな話が出るたびに、犬公方の「生類憐みの令」を思い出す。今はお犬様ならぬおクマ様という事か。
 過ぎたるは及ばざるがごとし。この言葉をよくかみしめて頂きたい。
 熊により命を取られ、大けがを負わされた人が多くいる現実を無視し、まだクマを殺すなと大騒ぎ、これは過ぎたる
騒ぎにならないのか。
 人とクマ(野生動物)の共生など、極めて困難で難しい問題なのだ。
 何処かの学者が言っていた。地道に一つ一つ対処し、それでもその効果が表れるのは尚5年以上待たねばならぬ。
 人がクマに襲われている今、クマの駆除は地道な対応の一つで、クマを根絶やしにしようというのではない。
 奥山へ捉えたクマを返せとは、もっと広い国土を持つ大国での話。日本の奥山にそれだけのキャパは無い。
 奥山の向こうにはまた集落があり、人里で餌をとる事を覚えた個体は、必ずまた次の人里を狙う。
 自分が毎日、当たり前のように畜肉や魚肉を喰いながら、野生動物を殺すな、襲われてもその原因は人間側にあ
るとのたまう方々よ、我が山里でクマやイノシシやサルと仲良く暮らしてみたらいい。
 素晴らしい大自然の中、あなた方の野生の動物との付き合い方がどのようなものか見せて頂きたい。
 立山は今日も晴れている。


 今魚屋にたくさん並べられているカマスを数匹飼ってきて、自家製の一夜干しを作った。濃度10パーセントの塩水に、柚子の皮
日本酒なども混ぜ込んで1時間余り漬け込み、水けをふいて網に並べ物干し場につるし一晩。
 

 とても美味い自家製カマスの一夜干しが出来た。


10/25
 いい天気で、温かいので久々に村はずれまで写真撮影に行ってきた。もう、トモちゃんが山を下りているから山の
写真は手に入らない。で、村内や、近隣の林道を回って少し写真を撮ろうと出かけたのだ。
 熊騒ぎで人的な被害も出ているので、歩いてうろつくのは出来ない。で、軽4WDで出かけた。
 村の中ももう写真スポットは限られているので、村はずれに出て数枚を撮影した。
 まあ、相も変わらずの景色だが、季節の移ろいだけは撮れる。
 まだ薄い雪衣に覆われた、立山の連なりと、手前には芳兵衛山。
 白い峰は左から雄山の主稜線、浄土山、龍王岳、鬼岳。写真には写っていないが獅子岳、ザラ峠、五色ケ原と続く。


 不動山南面円城寺壁の辺りもかなりきれいに紅葉していた。


 志鷹の宮前の駐車場スペースに植えられた気も葉が散り始めた。


10/24
 今日は青空が広がり暖かい日になった。
 まだ10月の末故、どこも冬支度などはしていないが、今冬は暖冬傾向になるとの予報があり、嬉しい。
 スーパーエルニーニョと云う、エルニーニョ現象の強力な現象が予想され、ジェット気流が影響を受ける事で、日本を
覆う、北からの寒気が入りにくくなるのだとか。もっと科学的な説明があるのだろうが、暖冬小雪となるかならぬかをば
かリ気にしている親爺とオカカであるので、結果暖冬小雪の答えがあれば難しい説明は要らぬ・・・。
 何でも最近のそれは、2015年〜2016年にかけての冬だったそうで、親爺の絵日記を調べて見たらその通りだった。
 12月のクリスマス寒波も、年末年始の寒波も来なくて、こんな冬なら怖くないと、のうのうと過ごした。
 どうぞ今冬も暖冬小雪に過ぎる様、願っている。
 朝日に不動の紅葉が際立っている。


 大日も雪が溶けた。


 過日の町場からの立山連峰。大日に雪は無かった。


10/23
 昨日の快晴はどこへやら、今日はもうどんよりしてしまった。明日からはこの天気も回復するとの事だが。
 でも、不動山の木々は律儀に色付きを深め、冴えぬ光の中でもその山肌はきれいに染まって行く。遠く山頂付近にガスが
かかって見える大日も、昨日までまとっていた薄い雪が溶けてしまった。
 立山の雪もこのまま根雪にはならぬかもしれぬ。全ては溶け切らぬも、もう一度山肌が出て、11月半ばを過ぎた辺りから
降り積もり根雪となるのだろうか。山の天気は気まぐれだ、その上最近の気象の変化は専門家にも読みにくい。
 そこへ持ってきて山を全く知らぬ、外国人を含む無謀な連中が、軽装で夏山気分で稜線へ入り込み、雪で転倒滑落と、事
故が頻発。
 まあ、隠居の身であまり言いたくもないが、余りにもお粗末な遭難事故が多すぎる。
 雪が解けた今日の山里から見た大日。


 お姉ちゃんは山の綺麗な立山総合公園で大喜び。名古屋のリニア鉄道館ではシュミレーターで遊ぶお兄ちゃん。
 

 不動山は随分色付いた。曇り空の下でもきれいだ。


10/22
 山里も木々が色づき、秋の色濃い時期をが来た。
 秋と云うのは、空気が澄む中、山は白く雪に覆われ、木々が鮮やかな錦に彩られ、田には小金色の穂の波が立つ。
 何とも豊かな色彩に覆われ、青空の下全てが色濃く際立つ。が、やがて来る冬が先に見え隠れするので、はかなげな寂し
さも漂う。そうだ、色濃くも寂しげな頃である。
 大日が新雪を被った。


 久しぶりにお泊りした孫は我がの王様。もう一人の東京の孫はママと名古屋に小旅行。鶏手羽を食べて良いお顔。
 

 不動山がかなり華やいできた。


 親爺は古い友に送ろうと、ベーコンと、イタリアンソーセージをスモークした。 何とも良い天気である。
 




10/21
 今日は黒部の孫がお泊りに来るので、朝から楽しみにしている。可愛いおしゃべりを聴くのが楽しみだ。
 何を食べさせようかと考えているが、ジジの料理で一番のお気に入りがラーメンとクッパなのだ。でも今日はハムご飯
が食べたいと云っていた。だが親爺はそのハムご飯なるものをよく知らない。来てから良く効き出そう。
 山里も立山も曇り空で天気は良くない。気温も下がるそうだ。立山は雪かもしれない。
 学生時代の友人に、手作りのベーコンとソーセージを送ろうと、1週間ほど頑張った。いつも美味しいマコモダケなどを
貰ってばかりなのでそのお礼のつもりだが、向こうが心を込めて栽培しているものを送ってくれるので、親爺もせめて手
作りのものをと思い立ったからだ。
 で、作ったのだが、久々のソーセージが結構うまくいった。鮎の煮びたしも煮たのでそれも真空パックにして荷造りした。
 互いに古希を超えたが、学生時代の友と云うのは掛け替えのないものだ。
 親爺も孫に甘いジジだが、彼もまた孫にやさしい好々爺である。
 懐かしい学生時代は戻らぬも、心の中にあの頃が確り残っている。
 立山は見えぬも、朝はまだ青空が見えていた。


 大き目のソーセージとベーコンを燻にかかる。上手くいった。 子持ち鮎は煮びたしにした。圧力なべを使ってみた。
 


10/20
 快晴とは行かぬも、まあまあ好い天気だ。
 明日の土曜日に、久しぶりに黒部の孫がお泊りで来るので、オカカは買い物に出かけた。親爺は留守番で何時もの
通りのボケ防止の絵日記(コレ)を書いている。
 窓の外にはへこきむし(クサギカメムシ)の団体が、越冬場所を探すのに飛び回っている。うっかり窓を開けたら最後
もう数匹が屋内に侵入する。
 そしてさらに野猿公が我が物顔で、我が家の車庫の屋根や、目の前の電線で遊び始めた。撃退用のBB弾を撃ちか
け様にも、窓を開けねばならぬ・・・・・。もちろんカメムシよりサルの方が悪さをする。で、意を決し、狙いも定まらぬまま
2〜3発撃ちかけるや、必死で逃げ出した。当たってはいないが当たっても痛いだけで、ダメージを与える事は出来ぬが
学習能力があるので、野猿公は我が家周辺には来なくなる。もちろん一度や二度ではだめだが、その都度痛い目に合
わせれば、来なくなるだろうと思う・・・。
 親爺が若い頃は、害獣駆除の許可を受け、村はずれの農地で悪さをする野猿公を駆除に出かけたことが多々ある。
 群れで動いている野猿公連中は、女や子供なら危険なしとして逃げもしないが、鉄砲を持った親爺たちが近寄ると一斉
に逃げ出した。銃の独特の機械油が匂うのか、無煙火薬の焼け付いたような匂いがするのか、あるいは黒い銃身が目
に入るのか、それは利口なものだ。
 銃を返納して久しいが、野生の獣の人への被害があまりにも多い。
 高齢化する猟友会にあまり多くは期待できないのが現実だ。警察や自衛隊で、害獣駆除隊を組織し、計画的な獣の
間引きをする時期に来ている。
 動物可愛やの気持ちよりも、人間の安全確保が優先するのは言をまたぬ。
 秋の深まって来た山里だ。
 

 今朝の大日。


 不動の山も結構色付いてきた。


10/19
 今日も天気が良い。昨日のような快晴とは行かぬが、陽射しもあり暖かい。
 朝目覚めた時から眠気がぬけず、何やら体調も優れぬ。でも、最近は肩こりや軽い頭痛などを感じると、我慢する事
をやめて、直ぐに葛根湯や、市販の風邪薬や鎮痛剤を服用することにしている。加齢で彼方此方ガタピシしている身体
だから、不快感を取り去る薬を適時用い、できるだけ快適に過ごしたいからなのだ。
 未来はかなり短く、残された時間は精々10年余り。そんな時間は無理などせず何としても快適に過ごしたいものだ。
 将来に向けて必要最小限の体操くらいはいやいやながら続けるも、それとて一日数分の事。後は気ままに寝転んで、
読書三昧昼寝三昧・・・まあ、時々大好きな趣味としてのベーコンづくりやソーセージ作り、料理などを愉しむことも有るが
これとて疲れる様な事はせぬ。
 今、平岩弓枝氏を読み直そうとして、一寸飽きて(実はすでに数回以上読み返しているので)きた。
 で、宇江佐真理氏「髪結い伊佐治」のシリーズを眺めていて、宇江佐氏の未読作品が目に付いた。両氏ともに鬼籍に
入られているので、新作は出るはずがなく、これは読み漏らしていたのだろう。
 で、早速2冊ほど宇江佐作品を購入して読んでいるが、何れも江戸市井の庶民の話であり、興味、が尽きない。面白い。
 こうなると親爺の悪い癖、徹夜での読書が始まり、日中でも眠い症候群が発症する。
 体に良いことはあるまいが、こんな楽しい癖を矯正する気は毛頭ない。
 トモちゃんが下山時に取った一枚。


 追分の少し下部から弥陀ヶ原。


 今朝の大日、微かに色付いているのが分かる。


10/18
 近頃クマや、猿の被害が実に多い。と、思っていたら今度は動物園からチンパンジーが脱走した。何とも締まらぬ話で
ある。
 熊やその他害獣の被害は、もう20年程も前から親爺は予感していた。極端な動物愛護精神がまかり通り、人畜に被害
を及ぼした、あるいは及ぼす可能性の高いクマを、秋田県が駆除した。危ないから射殺したという事だが、この行為に対
し全国から抗議の声が上がった。親爺に言わせると「ふざけるな!」である。
 危険を予知し、駆除つまりその危険の元であるクマを射殺し、危険回避した。この行為のどこに非難される点があるの
だ。バカも休み休み言え。下らぬセンチメンタリズムを振り回し、山に帰すべきだったとか言っていたらしいが、狭い国土
の日本、山へ帰してもまた戻るし、更に山奥に帰せばその先の集落に出没することになる。射殺して危急の対処とせざる
を得ぬ。
 クマに襲われて老女がなくなる事件も発生している。学校のグランドに入り込んだサルが子供に危害を加えている。こん
な話は滅多に無かったのに、豊かな社会がもたらした動物愛護を金言とし振り回すだけの輩の急増である。
 毎日ステーキやとんかつをほおばりながら、危険なクマを殺処分したことにだけ、なぜ突っかかる?
 長い歴史の中で、人間の安全な生活圏を広げてきた先人は、町中をクマが歩き回り、サルが学校に乱入してもその駆
除さえためらいがちな現代人を、役立たずと嘆いていることだろう。
 老人や子供などを害獣が襲うような社会は、どんな理論を振り回しても肯定できない。
 駆除すべきは毅然と駆除して、安全な生活圏を確立せねばならない。
 猟友会など諸賢の害獣駆除に最大級の敬意を払いつつ、今後も必要な駆除を果敢に行って頂けるようお願い申し上げ
るものである。
 美しい自然との共存など、甘い事を言ってばかりでは出来るものではない。


 立山はうっすらと雪景色。


 富山平野からも立山連峰が良く見えた。

 


10/17
 昨日心平も剱御前小舎と一緒に小屋閉めし、下山してきた。トモちゃんも降りたが、この後直ぐに阿曽原小屋の手伝
いに入るそうだ。山女の面目躍如。
 皆元気で、下山してきて先ずは良かった。
 もう立山の仕事とは縁の切れている親爺だが、長年のならいでこの時期になると、何やら一シーズン終ってほっとした
気分になるのも可笑しなものだ。
 早速トモちゃんが送ってくれた写真を掲載しよう。今シーズンの立山の最後の写真だろう。
 まずは昨日の別山乗越。悪天候である。
 小屋閉め時期としてはまあ、こんな感じで、これなら夏道を下山できる。


 雷鳥沢を下りきり、浄土側を渡る。正規の橋は取り外されている。


 今日の山里は天気が良い。大日も早朝は見えていた。


10/16
 今日は心平も小屋閉めを終え、下山してくるようだ。剱御前小舎出昨晩世話になった様で、その剱御前小舎も今日
小屋を閉めて下山するそうだ。
 剱岳周辺の山小屋は、剱御前小舎、剱沢小屋、剣山壮、裏側の早月小屋と見な小屋を閉め下山したことになる。
 今シーズンもみな無事立山を仕舞う事が出来て、先ずは良かった。そして今日は割と穏やかな日だ。下りでスリップ
なども多分ないだろう。
 昨日から黒部の孫が熱を出して心配だ。ママと二人で手取りフィッシュランドの遊びに行っていて、昨日の午前中ま
では元気だったが、夕刻から急に熱が出て、今日は勿論保育園をお休み、午後からは小児科で診察を受ける。
 今は解熱剤で熱も下がっているらしいが、食欲がない。
 東京の孫は元気で、昨日は豊洲のキッザニアでまたいろいろな職業体験(ままごと)をして楽しんできた。今日は保
育園に行っただろう。
 親爺もインフルの予防接種以降、ちょっとすっきりせぬが、うろうろとソーセージを作ったり、ベーコンを仕込んだりと
ゴキブリ亭主宜しく、台所を徘徊している。
 孫が心配な秋の日である。
 不動山も少し色が付いた。


 この日は元気だったが翌日午後から熱が出た。直ぐ元気になるよ。東京は日ハムのブースでソーセージを作った。上手く出来たようだ。
 


10/14
 インフルエンザの注射をして、その所為か少し体が気だるい昨日の午後だったが、夕刻、大分の学生時代の友人
から、心づくしのマコモタケが送られてきて、親爺は嬉しくてすぐにその友に電話した。
 有難うのあいさつもそこそこに、バカ話に花が咲いた。まあ、内容は孫の話に体調等々で、すっかり爺様同士の話
なのだが、そこは良くしたもので、学生時代の気分そのままでの話だから、心楽しく気分は若返る。
 で、すっかり体調も良くなったような気がして、夕食も美味しく頂けた。
 が少し頭痛がするので、鎮痛剤を飲んで、居間で横になっていたが日本とカナダのサッカーの試合を観戦し、22:00
には夜具に潜り込んだ。
 そこですぐに寝てしまえば良いのだが、癖が悪く一寸本を読まねば眠れぬ親爺だ。で、最近読み返している平岩弓枝
氏の世界に足を踏み込んだ。
 流石に秋の夜である。読み始めどっぷりとつかり込んだ江戸時代末期の街や、人々や、風景に、別れを告げて眠る
決心がつかない。気付くと日が変わり、2:00となっている。眠気もかなりきつい・・・で寝込んで目が覚めて迎えた朝だ。
 まさに小春日和、テレビでは来春早々の箱根駅伝の予選会をやっている。
 我が母校は幸いシードに入っているし、ボーっと見ていると眠気が襲ってくる。
 この年になっての徹夜の読書など、するものではない。と、今は思っている。
 軟らかな陽射しが雲に遮られた。と思ったらまた射してくる。
 立山はまだよく見えている。不動山も少し色付いてきた。


 よく見ると大日の山肌も紅葉している。


 古い友からの心づくしのマコモタケが届いた。とても嬉しく有難い。


10/13
 左程その違いは分からぬも、光ケーブルの回線になって、何とはなくフリーズが少なくなったような気がする。
 病は気から、気は心・・・など昔のひとは上手い事を云ったものだ。その程度の効果はあったのだろう。
 今日はオカカとインフルエンザの予防接種に行ってきた。効果は2〜3週間ほど先にならぬと出ないらしいが、これも
転ばぬ先の杖で、早めにしておいた。
 何分親爺とオカカ、高齢者夫婦の二人暮らしゆえ、どちらかが一人都合が悪くなっても大変だ。
 帰りには旧大沢野町の美味いパン屋まで足を延ばし、名物になっているカツサンドと、いろいろ取り混ぜて買い込ん
できた。更に近くのスーパーにも寄って、親爺も珍しくオカカと一緒に店内を巡り、からし明太を買い、後はオカカに嫌わ
れながら、さっさと見ないで回るので、「先に車に行ってて。」と、途中で追い出された。
 久しぶりの晴天、秋の景色を感じながら山里に戻った。
 雪の雄山主稜線が見えた。


 小屋閉め間近の剱岳。剱沢小屋、剣山壮ももう下山してしまった。剱御前小舎も間もなく閉まる。


10/12
 今日からケーブルテレビも、インターネットも光ケーブルに変わった。とは言えもともとプレミアム契約で、通信速度
にさしたる不満がなかったが、料金が同等の通信速度で安くなったのと、ルーターを最新式のものに代えればもっと
スムースな通信になるらしい。
 また、別途BS放送だけはパラボラを上げていたのだが、これはケーブルテレビでは画質が悪いため、ところが昨
今のような不安定な天候では、パラボラが受信できぬようになることも間々あった。が、光ケーブルのケーブルテレビ
では画質の劣はないそうで、大雨の時も安心して観る事ができるようにもなった。
 すべての工事は無料であり、結構な事ずくめ。良かったよかった。


 メルカリで取り寄せた青ゆず。なんとこれで1000円しない。送料も込みで…しかも薫り高く美味かったのに驚いた。
 柚庵焼きの地を作りかったのだ。試しに生鮭で作った柚庵焼きは「食卓」ページに載せた。


 今日は山里から立山は見えぬが、立山の天気は良いらしい


10/11
 今日は朝から良い天気だが、未だ一つ安定せず、時折、青空が雲に覆われる。が、直ぐにまた陽射しが戻り、また
陰りと、実に目まぐるしい雲の流れである。
 それでも過ごしやすい秋の気候には間違いなく、寒からず、暑からず、室温は21℃あまり、外気温は19℃余り。
 もちろん朝晩は15℃前後まで涼しくなり、夜具の中で自分の体温を愉しむには持ってこいで、朝、布団から出るのが
かなり名残惜しい。まあ、よく眠れるのだが、日中までついウトウトと眠気に襲われる。気候が良いのか、老化なのか、
その辺りはかなり怪しい。
 最近若い友人がSNSで、平岩弓枝氏の名作「御宿かわせみ」を愛読していると見て、嬉しくなって、ぜひ最後まで読
んでくれとメッセージを入れた後に、過去の思い出であると気付いた。すぐ返事が来て、もう一度読み返し、幕末の江戸
を堪能したい、昔と感じ方がどう違うだろう、と。
 で、親爺もその若い友人のように、もう一度読み返してみようかと、電子書庫を探したら入っていたので、昨日からまた
読み直しにかかった。全巻で30数巻、明治に続く「新御宿かわせみ」もたしか数巻あったやに記憶している。都合40巻
を超える大作だ。
 記憶は定かではないが、電子版でそろっているのは33巻まで、後は文庫や古書などで重複して車庫裏の書庫に入って
いるだろう事を想えば、何度かの読み返しで、電子版を再購入したのだろう。
 最近本は電子版に限ると思っている。場所を喰わず、百冊二百冊更にそれ以上を持ち運べ、読みたいときに読める。
 当初は何となく味気ない想いもあったが、今はその簡便さに軍配を上げている親爺だ。
 話が脱線したが、読み返したい本がまだまだある。
 若い友人のお陰で、御宿かわせみもまた読み返してみる気になった親爺だ。
 秋の日に読み返す本の幾度目か


 もう本当に名残のバラになってしまった、庭の垣根のバラの花。    大日は残雪がほとんど見えない。
 


10/10
 朝からどんより曇っていた山里も9:30頃から時折陽が射したりしている。
 立山も弥陀ヶ原は少し晴れ間が出ているが、その上はガスの中だ。
 まあ、三連休も終わり奥地の小屋などはもう小屋閉めの準備だろう。各山小屋の閉鎖時期は結構早い。各々の連絡
先に確認しておかぬと行ったは閉まってた等という事も起きる。
 剱沢小屋、剣山壮、早月小屋はもう閉鎖している様で、剱御前小舎も14日には小屋閉めだそうだ。
 心平の真砂沢ロッジも昨日の宿泊が最後で、小屋閉め作業に入っている。
 皆昔より少し、小屋閉めが早くなっている。
 立山はもう、室堂周辺の宿泊施設しか営業していない。
 それでもまだ1月半ほどのアルペンルート営業期間は残る。
 山里も少しずつ秋が深まってくる。


 雪が付くと御前山稜線も荒々しい岩峰に見えてくる。モノクロのコントラストがそう見せるのだろうか。
 


10/9
 最近腹立たしいニュースがあった。
 ジャニーズのニュースなどは全く興味がない親爺でそんなものは観ないが、秋田県での熊騒動である。熊は射殺され
たらしいと聞いて、ほっとして居たら、「なぜ熊を殺した!」と云う抗議の電話で、お役所はてんてこ舞い、業務に支障が
出るほどだったらしい。
 人里に現れた子連れ熊、計3頭は田畑を荒らし、人畜にも危害を及ぼす危険にあふれた、猛獣である。
 猛獣と云うのは、話そうにも、諭そうにも手段がなく、一方的に危険な存在なのである。そんなものが庭先をよぎったり
子供たちの通学路に現れるようになっては、放置できない。駆逐するしかないではないか。
 「何故、捉えて奥山に返さなかったのか、殺すなど以ての外だ。」「ほかにも方法はあったはずだ、殺すなんて。」と云う
抗議の電話は、動物愛護の精神にのっとり、いかにも正論と聞こえる。中には居丈高に「責任者を出せ!!」と怒鳴る
あほうもいたらしい。
 熊の行動半径は極めて広い。人里で容易く餌を求めることを知った熊は奥山に返しても戻ってくる。それならもっと深
い山へ返せばよいとは行かない。狭い国土の日本、余り奥山へ連れてゆくと、その裏側の人里に出てしまう。
 結果、駆除するしかないのだ。
 熊の親子の命より人間の命の方が優先する。その原則が崩れることは無い。
 それは人間の横暴だ、勝手だと思うのなら自分や愛しい子供が野生の熊と遭遇した場合どうするか考えて見たらよい。
 話の通じる相手なら、猛獣とは呼ばない。我が子の命より熊の命を優先するのだろうか?そんなバカげた事は出来ぬ
はずだ。これは決して極論ではない。現実に高齢化した山村などでは、サル、イノシシ、シカ、クマ等々、作物を荒らされ
時には噛みつかれ大けがを負い、甚大な被害が出ているのだ。
 長い歴史の中で、ご先祖様が血と汗で構築した人間の生活圏棲家は、害獣も入って来れぬ様になっているはずだ。そ
うでなければ安心して眠れぬ。殺傷力のある銃器を肌身離さず持っていなくてはならない。
 動物愛護の精神とは、人間の安全が確保されたうえでのみ発揮されるものだ。しかも限りない上から視線で、守ってや
るという無根拠な観念論に陥りやすい。甘っちょろい動物愛護論など大自然の前では通用しない。
 大自然の中で熊と遭遇し、クマをどう守ってやるのだろうか。
 世の中豊かになりすぎて、毎日肉を喰いながら、危険な猛獣を駆除した事に文句を言うとは、馬鹿げている。
 昔、動物園のゴリラの檻に、転落した幼児を救うためにその動物園はためらわずゴリラを射殺した。それにさえ避難ごう
ごうであったとか。本当にバカバカしい。
 新雪をまとった剱だ。


 その数日前の剱だ。


 今日は雨の山里。立山は見えない。


10/8
 今朝は大日が見え、この秋に降った雪が見えた。弥陀ヶ原の雪は解けてしまったが、今紅葉が一番美しい様だ。
 今夏は照りすぎた。そして残暑も長く、ここ数日になって寒くなって来たばかりだ。だから、紅葉も遅かったのだろう。
 稜線から先の奥山は草紅葉がソレなりにきれいだったが、今それが下に移動し、弥陀ヶ原が紅葉の盛りとなっている
のだろう。実際に足を運んだわけではないが、ライブカメラなどでおおよその情景が分かる。
 昨日は下は良い天気だった。黒部の孫の運動会も、今年は年長さんで最後だったが、長女が送ってくれる写真と動画
で、十分楽しめた。障害物競走ではイチバンだった。
 東京の孫も近くにできたキッザニアで楽しんでおり、4歳になったから利用できるのだが、何分のちび助、周りの大きさ
が目立ち、その分可愛らしくてジジババはその写真に大喜び。
 毎日が連休の隠居暮らし。長閑な時間をゆっくりと楽しんでいる。
 大日に新雪が積もった。


 フライング気味な飛び出しでダントツトップ!平均台もバランスよく駆け抜けた。
 

 折り返し点通過、最終ゴール目指して、単独トップ!!大きくなったとジジババの目頭が潤む。


 キッザニアで利用可能最年少のちびだけど、元気は一番!! お家ではだれの真似かな?ママがあきれてうつしたこの一枚。
 

 立山では雪が降った。衣替えがちょっと遅くなった雷鳥も間もなく真っ白になる。
 


10/7
 昨日はアジア大会の女子サッカーを23:00過ぎまで観てしまった。
 相手は北朝鮮、男子のサッカーでの何やらゴタゴタガあって、彼の国の悪名はすでに鳴り響いているから、ちょっと
試合を純粋に楽しむというより、酷い反則行為などで怪我でもさせられたら、選手がかわいそうと云う感じで観始めた。
 何となく一方的で、とにかくしつこい攻めで、ボールに対する執念すら感じるほどの押せ押せの試合運び、が、これは
と思っている中に、日本側のスキを突いたスマートな攻撃で、1点を先取・・・・・前半終了間近に1点は返されたものの、
後半戦では、攻められつつも良く防ぎ、相手に点を与えず、立て続けに3点を上げ、試合の流れを決めた。
 会場には北朝鮮出稼ぎ部隊と思しき応援団が多く、まるっきりのアウェー会場での試合の様だった。
 が、日本選手はよく頑張って、4−1で金メダルを取った。
 寝る前の観戦だったから、すっきり溜飲を下げて眠れると思ったが、逆に興奮が冷めず寝付くのに時間がかかった。
 明日はまた、ワールドカップラグビーのアルゼンチン戦だ。早朝の試合になるから見られないだろうが、気になる。
 まあ、暇な時間を持て余すほどのことは無いが、スポーツ観戦も楽しいものだ。
 陽が射すので、昨日より暖かい山里だ。
 剱御前小舎などは寒いだろう。最後の3連休雪にたたられた。


 小屋玄関まえの向拝も雪と氷で真っ白。          山里からは、大日下部に雪が少し確認できる。
 


10/6
 思っていた通り、昨日立山は雪になった。初雪だと思っていたが、9月いっぱいで閉鎖した雄山山頂では一昨日の
夕刻から雪が降っていたらしい。
 昨日の雪はおおむね1800m辺りまで降った様だ。
 今朝心平から写真が送られてきて、真砂沢ロッジでも雪が降ったそうだ。ここの標高は1750mほどだから結構下
まで雪が降った事になる。
 山里も寒く、昨日は初暖房、布団も冬用の分厚い羽根布団に代えた。だから昨夜はぐっすり眠れ、ちょっと風邪気
味かなと思っていた親爺も、今朝は割とすっきりしている。
 今朝起きて、居間の窓から外を見たら立山は見えないが、車庫の裏の方に栗の木があって、イガが少し茶色っぽ
くなって栗が実っているのが見えた。
 うかつなことに、この栗の木は最近まで気付いていなかったのだ。
 まあ、少しずつ山里も秋が目に見えてくる。


 心平が送ってくれた真砂沢の初雪の様子。
 

 


10/5
 今朝は雨で肌寒い。この秋最初の暖房を入れた。外気温が18℃、室温も21℃程だ。
 寝具も今朝、オカカと一緒に冬の分厚い布団に代えた。
 我が山里も短い秋があっという間に過ぎたようで、寒さを感ずる様になってきた。立山も今日あたり初雪が来るかも
しれない。
 昨日寝しなに本に夢中になり、寝たのは今朝の2;00頃になってしまった。少し風邪気味だったのに今朝は寝不足も
祟って、体調が悪い。
 もう徹夜の読書なども身体に堪える様になってきた。
 我が人生も晩秋を過ぎ、初冬あるいはすでに冬になっているのだろう。
 家の庭も雨に打たれ、今朝は寒々としている。


 今日は立山も見えぬ。


 もう9年も前の今日の剱御前小舎での写真。素晴らしい夕焼けだった。


10/4
 今日は祖父宗作の発ち日なので、仏壇にお参りした。今日を発ち日とする親族は、高岡の義母、父方の叔母もなので
合わせお参りした。
 こんな風に書いていると親爺はいかにも信心深そうだが、門前の小僧程度の経は読む程度で、若い頃は信心などは、
殆ど避けて通っていた位である。
 人前で、墓石や仏壇神社などに手を合わせるのが「コッパズカシイ事」だったからである。
 が祖母の旅立ちに遭い、母の旅立ちに遭いするうちに、手を合わせ頭を垂れることがごく自然にできる様になり、特に
母の旅立ちに遭った時は経を読む事で、母と会話をしているような気がするようになった。その後叔父の旅立ち、父の旅
立ちに遭った時も同様で、経に心こめる、祈りを覚えたような気がする。
 だから今では仏前に灯を上げ香を焚き祈ることは、何かと増え、親族の命日ばかりではなく可愛い孫たちの健康や無事
を思い立った時に祈るようになって、はたから見ると信心深いと思われるかもしれない。
 早い話が人間歳をとってくると、徐々に他力本願に偏ってくるわけで、気力体力溢れている若い時代は、自分で何でもで
きると思いがちで、気力体力の落ちて来るに従い自らの卑小な事に気づかせられる事になる。
 だから祈りを覚え、祈るようになるのだろう。
 苦しい目に遭った経験が増えるに従い、祈ることは多くなるのだろう。
 何だか重い話になったが、親爺は今、鮎の甘露煮を煮ることに夢中になっており、昨日も台所を汚し、オカカに叱られた
ばかりだが、小鮎の山椒煮がちょっと気に食わぬ出来だったので、初心に戻り、鮎の下ごしらえからきっちりやってみようと
子持ち鮎を取り寄せ、素焼き用の焦げ付かぬ網を取り寄せ、ネットで色々調べと、かなり夢中になっている。
 美味い子持ち鮎の甘露煮など、正月のお節に入れるのに作ったり作らなかったりなので、基本を忘れるのだ。
 で、一応甘露煮を5本ばかり作ってみた。
 山里は曇りで、時折陽が射している。


 きれいに塩で洗った鮎は、水けをきり素焼きにする。甘露煮なのでシッポやヒレの焦げは無視。


 素焼きの終わった鮎は番茶で煮る。1時間も煮て、味を入れ、落し蓋をして更に煮てゆく。味は好みによるが親爺は甘め
の味付けにして、砂糖、みりんをやや多めに使い、醤油は普通の濃い口で味付けをした。仕上がりは食卓欄に掲載。
 


10/3
 雄山山頂も社務所を閉鎖してしまった様で、ライブカメラは生きているが人影もずいぶん減った。
 昔はこの時期になると立山は危なくて、山慣れた特定の人たち歯科足を踏み入れなかったものだが、アルペンルート
の開通で、室堂まで車が入る様になった頃から、立山でスキーの初滑りをするのが当たり前のようになって、今や10月
の立山はまだ登山者に大きく門戸を開いている。
 もう半世紀以上前の話など、カビが生えてしまっているが、10月に雪が降る立山は、我々山人にとっても決して気を抜
けぬ山となり、余り遅くまで営業していても採算もとれぬし、下手をすると自分も下山するのに危ない目に合う。
 そういうことが経験的にわかってきて、奥地の山小屋ほど早く小屋閉めをするようになってきた。
 しかも、山小屋を営業していれば必ずそれを当てに登山者が入って来る。
 室堂までがバスで入れるのだから、それから2,3時間くらい歩いても、小屋さえやっていればそこに泊まれる。と云う考
えで山慣れぬ人が軽い装備でやってきて、立山の猛威に遭遇、命まで取られたという話など枚挙に暇がない。
 天気に恵まれ、気楽な山歩きもできる日がある。が命を取られるような日もあるのだ。
 10月を過ぎての入山はそれなりの経験と装備が要る。
 まあ、室堂のバスターミナル周辺でのスキーやボード位なら、度を越さねば大して危なくはないが、調子に乗って奥地へ
入ると、経験と装備の必要な世界であることには変わりない。
 今年も11月終わり近くまでアルペンルートは営業するのだろう。無謀な怖いもの知らずの事故がないことを祈ろう。
 まあ、まだ1月以上先の話だ。
 今日は暖かく、実に良い天気だ。紅葉も益々素晴らしくなるだろう。
 秋色に包まれた剱岳が美しい。


 山里からも今日はすっきり大日が見えている。


10/2
 やや肌寒い朝だったが、トモちゃんからの連絡では、今朝剱御前小舎の周りでは初氷が張ったそうだ。
 早い年だと9月の半ばに初氷を見ることも有るが、今年はやや遅めだろうか。今夏の異常な暑さを想えばそれも
当たり前の事かもしれない。
 オカカが、三叉神経痛と云う聞きなれぬ症状が出て、いろいろ検査を受けて、今投薬治療中だが、10万人に4〜
5人と云う珍しい症状らしく、まだまだ軽度の症状らしいが、顔面に強い痛みが数秒走り又止むを繰り返すらしい。
 痛いときは話も出来ぬ程らしく、大変だ。命にかかわるような病気ではないが、痛いのが大嫌いなオカカ、見てい
ると可哀そうでたまらぬ。
 歳をとると色々な体調不良が来るものだ。
 元気が一番とよくわかる時は、大抵どこかに不調がある時である・・・。
 今朝の剱だ。


 トモちゃんが見つけた初氷。例年より少し遅い。
 

 懸田はどこかの雲に隠れ立山は見えない。


10/1
 いよいよ10月だ。
 山小屋現役時代なら、小屋締めをし、その後は約5か月の休みに入る月で、子供の頃の夏休みの始まり月に似
た喜びの月だった。
 その名残が今でもあって、これからしばらくして10月末には、今でも大抵ちょっと長いドライブ旅行に出る。
 まあ、長いと云ったところで、数日なのだが、春先の数日の旅と並んで季節も良いし、親爺とオカカのドライブ旅
行は恒例となっている。
 さて今年は花のお江戸で歌舞伎でも見て、帰りは同中のどこかにある鄙びた温泉にでも行って来ようか等と、話
もたまに弾む。
 でも流石に親爺など体調に気をつけねば、ちょっとした風邪でも熱を出すし、食欲も落ちてしまうし、観て回りた
いところも満足に回れぬ体たらくとなるので、体調管理に気をつけねばならない。オカカも大同小異で、近年は親爺
に近づいてきて、あちこち体調異変を起こすようになった。まだ流石に親爺よりはマシではあるが。
 ところで、親爺は思い出したように鮎の甘露煮が食べたくなって、昨日からいろいろネットを調べている。今までも
鮎の甘露煮は何度も作ったのだが、ちょっと本格的な、料理屋で出る子持ち鮎の甘露煮を作りたくなったのだ。
 で、昨晩冷凍子持ち鮎を発注したが、1匹50gの小ぶりな子持ち鮎で、これが食いやすいし、塩焼きにしても美味い。
 和歌山の若武者鮎と云う誠実な洋食をしている業者があり、親爺はここから鮎を取り寄せている。外れ無し。
 本当云うと炭焼きが一番で、甘露煮にしても素焼きしたうえで煮る。
 で、テフロン加工の金網も取り寄せた。これだとガスのグリルで焼ける。後は素焼きにする前に鮎を綺麗に塩で洗
いぬめりを取る事と、鮎の焼き加減、仕込みの仕上げに水飴を適量加え、照りを出す・・・。
 まあ、いずれにしろ今は1年中自由時間だから、精々なんにでも興味を持って手を出してみる事にしよう。無理は
出来ぬとも、やれることはまだまだ多い。
 庭の垣根の一角に、春から咲き続けて居るバラの一叢。日当たりが良いからか、健気だ。


 今は通行できぬ地獄谷歩道。昔はここがメインルートだった。登坂目を左に向ければ真砂岳のなだらかな稜線の先に富士の折立の急登が見える。
 

 好天の日に見た、剱、別山大日、雄山主稜線、浄土・・・・・の立山連峰。


9/30
 今日は長月晦日。昨夜は中秋の名月を見た。と云っても、閻魔同の大きくなり過ぎた杉木立に阻まれ、出たと思った
ら雲にかかっておぼろ月。すっきり見えたのは月がほぼ天中と云ってもやや南側にかかった、翌1:30頃だった。
 それも小用で起きだし、窓からのぞいて天高く見た月で、半分寝ぼけ状態だったがはっきり見えたことは見えた。
 芒を立て、団子を作り供え、縁側で待っていたが、ついに縁側から月がすっきり見えることは無かった。
 でも母がやっていたような事だけは、オカカが受け継いで知っているから、まあほぼその通りにして、月にお供えをし
て、月見をした。
 その中に、窓たちが写真を送ってきて、トモちゃんも剱を照らす月の写真を送ってくれた。
 今年も月見団子を頂き、何と万寿蟹(香箱蟹)が、昨年などと比べると半額以下だったので、数年ぶりにそれも頂い
た。(恐らく海洋汚染のデマを撒いている隣国の滅茶苦茶な大量購買が今年はないからかも知れぬ)
 そしてバタバタと月見をして騒いでいる中に、時が過ぎた。
 今朝は昨日より雲が多い空だが青空も出ている。テレビのニュースも新米出荷の秋らしい話題や、アユ釣り人が熊
に襲われけがをしたという事件などなど、9月長月の晦日に相応しい。
 立山の紅葉もいよいよ本格的になる。今年はやや遅いような気がするが、立山の冷え込みも遅いからだろう。
 昨日トモちゃんが送ってくれた、室堂乗越の紅葉だ。


 六歳になってお姉ちゃんぶりに拍車がかかる黒部の孫。かちどき橋から月を見る東京の孫。
 

 ジジが長い間過ごした立山の景色。雷鳥沢から見下ろす室堂平。そして別山乗越から望む剱沢。
  

 昨夜は親爺とオカカも昔ながらの月見をした。芒を立て、団子を備え、灯明をともし、月を拝むのだ。
 


9/29
 山里では昨日まで少し肌寒かったが、長月末の事ゆえ当たり前である。
 で、今日は天気が回復し、陽射しが降り注ぐ。その分気温も上がり、外気温は9:30現在で25℃余り。かなり快適だ。
 今日は山里から立山もよく見える。紅葉は天狗平から上が見ごろとの事だが、日一日と変わる。どんどん下へ降り
てゆく。
 今日は中秋の名月だそうな。オカカが団子を作ってお供えするらしい。
 この天気なら綺麗な月が見えそうだが、閻魔堂の杉木立が大きくなりすぎて月が見えにくい。まあ、何とか見えれば
儲けもの。何年かに一度の、満月の中秋の名月であるそうだ。
 トモちゃんが今朝、山小屋時間で送ってくれた黎明の剱岳、親爺はすっかり山里時間だが5:48なら目が覚めている。
 綺麗な秋の剱の夜明けをほぼライブで見た気分であった。
 今朝は大日が姿を現した。


 遮光カーテンの陰に、トンボが一匹。どこから迷い込んだのか。そっと外へ逃がしてやったが、もう弱っているらしいく外壁
に何とかつかまって、それきり動かない。
 


9/28
 立山は今日も雨。折角の紅葉が見られずガスに覆われている。
 親爺が立山を引退する2年前、2014年は紅葉が見事な年だった。今は亡き兄貴分の友邦兄とヘリに乗り合わせ
下山した時、国見ヘリポートの向かい側、天狗山斜面の紅葉に息をのんだ覚えがある。
 流石の友邦兄も「いい紅葉じゃ。俺もこんな紅葉は初めてだ。」と云っていたことを鮮明に覚えている。山のキャリ
アが長く、立山を一番よく知っている兄の言葉だから、素直に心に届き、親爺も「いい紅葉だなぁ。」と言葉を合わせ
た。丁度今から9年前の話だ。
 もう5年程は室堂までも足を延ばしておらぬ親爺で、今年の紅葉がどうなのかは見ていない。
 でもあの2014年の様な紅葉はそうそうあるものではあるまい。
 今日の山里は不動山にもガスがかかっている。


 立山も全く見えず、ガスに覆われ、雨が降っている様だ。


 2014年9月28日の写真だ。大日の山肌の紅葉が見事だった。


9/27
 肌寒い、小雨の断続的に降る山里だ。
 立山もあめで、ガスに巻かれている様で、ライブカメラでも全く見えない。
 薄暗く陽の射さない、秋雨の山里は静かで物寂しい程だが、ついこないだまでの連日の猛暑日の続いた日々はもう
懐かしい程遠くへ行った気がする。
 さて、昨日の夕方のニュースで、実に嫌な腹立たしいニュースを見た。露骨な人種差別である。
 欧州の某国での事らしいが、その国の名を上げるだにおぞましい気がする。
 ある子供たちの体操競技大会で、金メダルに輝いたチームが首にメダルをかけてもらっているシーンで、実にほほえ
ましいシーンであるはずが、観ていると黒人の少女の首にだけメダルがかけられていない。
 うっかり忘れたのだろうかと見ていたが、どうやらこれは意図的に、メダルをかけてやっている鬼女のおぞましい差別
意識によるものだとハッキリわかった。しかもその後ろから、カメラを構え個々の少女たちの写真を撮っているカメラマン
も、はっきりとその状況を認識していたはずだろうに、その差別主義者の鬼女に注意も与えないで無視した。
 「私にだけメダルがないんだけど・・・」と少しうろたえている気配の黒人少女が、余りにも可哀そうで絶句した。
 晴れがましい大会で記録を出し、メダルを皆が貰っているのに、「同じチームの私だけもらえないの?」と心えぐられた
だろう少女の気持ちは、一生大きな傷として残るだろう。
 今の世に、こんなあからさまな差別が残る国を、親爺は嫌悪する。しかもこの件が問題になって、謝罪が行われたのは
半年余も経ってからであるとか。
 人種差別の許されざることは、常識である。しかも年端も行かぬ子供に対してその矛先を向けるとは・・・。
 この映像記録は、メダルプレゼンテーターとして人種差別を行った記録、恥ずべき記録として長く残るだろう。
 情けなく、痛ましい出来事であった。願わくばかの黒人少女の心の傷が少しでも癒されんことを。
 弱い立場の人、しかも幼い子供にまで向けられる悪意の仕打ちは、社会がこれを許してはいけない。そんなことが許さ
れる様な社会は、ろくなものではない。
 ああ、いやだいやだ。自分が他より優れているという驕りは、単なる勘違いに過ぎず、己の卑小さの裏返しである。
 今日は嘆きとぼやきで終ろう。
 立山もこんな雨に泣いている。


 立山はガスに覆われ見えぬ。山里も芒が雨に打たれ、蔓に絡まれ、寒々とした今朝だ。
 


9/26
 祖母が旅立って、もう48年経つ。
 孫である親爺の誕生日が、若くして旅立った夫宗作の立ち日と同じだと云うことも有って、親爺は宗作の生まれ変わ
りだと信じ、それはそれは可愛がって育ててくれた。
 それ故親爺は「婆ちゃん子」となり、総領の甚六よりもさらに安く仕上がった様だが、親爺はそれで良かったと祖母を
今でも懐かしく思い出し、感謝の祈りを捧げている。
 今日は朝から小雨が降っていて、しばらく前までのあの熱帯のような暑さは何だったのかと思うほど、涼しいを通り越
して肌寒く感ずる。
 厚手の綿の作務衣を着こんで、Tシャツも長袖を着こんで丁度良い。
 確かに温暖化も進んでいるのだろうが、四季もめぐっている。今から一番良い気候の秋になるはずだ。
 立山は見えないが、秋の日の小雨も風情がある。
 落ち着いた山里の日をゆっくり過ごしている。


 昨日はこんなに晴れていて、剱もよく見えたが・・・。


 閻魔堂も小雨に濡れ、普段の静けさを取り戻した。


9/25
 今日は初孫の6歳の誕生日。欲しいとリクエストのあった、プレゼントはもうとっくにママのところに送ってある。きっと
今夜あたりの細やかなファミリーパーティでジジババからだよと手渡されるだろう。
 来年は小学生になるが、ジジとしては甘えん坊の「ジジの大事な子」のままもう少しゆっくりして欲しい。が、そうも行く
まい。すくすく成長して良い娘になるのが、少し寂しいジジである。
 今朝から、過日婿殿が届けてくれた新米の精白に出かけた。
 とりあえず20kgを精米し、東京の次女に10kg、松本の末娘に5kg送ってやり、後の5kgは親爺とオカカが新米とし
て楽しく頂こう。我が家にはまだ70kgの玄米が残り、これはジジババの食い扶持となる訳だ。
 長女の婿殿が農業を経営しているわけではなく、婿殿は建設会社の跡取りで、宇奈月温泉の旅館のオーナーでもあ
るのだが、大叔父にあたる方が大きな米農家であって、跡取りがおらぬので手伝いをして米を貰っているようで、長女
曰く「コメは買ったことがない」のだそうな。
 で、その長女のつてで、次女、三女も美味しい富山黒部平野産のコシヒカリの新米にありつける訳である。
 黒部の孫もだが、特に東京の孫に至っては「もちもちしたご飯がおいしい」のだそうで、幼少期から飛んだグルメ教育
をしていることになる。
 今日も穏やかな秋日和。久々に立山がきれいに見えている。
 岩峅寺のはずれから見た立山。剱、大日、雄山、浄土、竜王・・・と見えている。


 今朝のお姉ちゃん。今夜はプレゼントがたっぷり貰えるぞ。
 東京のお兄ちゃんも、ママと寝台車で岡山まで行って、京都で2泊の楽しい旅行をしてきたばかり。
 二人の孫が幸せな姿が、ジジババの長生きの妙薬となる。
 


9/24
 昨日は親戚の結婚式に出席で、礼服が嫌な親爺は夏用のダークスーツ。更にネクタイも大嫌いの首親爺なので、
軽快なシルバーの蝶ネクタイで出席。これでも精いっぱいの親爺の正装で、ゆくゆくはより多くなる葬儀でも、黒の
作務衣に袈裟でもかけて出席しようと思っている。
 昨日の結婚式も最近のご多分に漏れず、キリスト教式。我が娘らもそうだったし、ウエディングドレスに、チャペル
での結婚式に宗教色は感じないし、簡便で良いと思う。しかも昨日の式では下手な讃美歌を出席者に歌わせること
もなかった。
 で、披露宴となったわけだが、これも変わって、新郎新婦とその友人が中心の若い衆の宴となっていて、まあいろ
いろなスタイルもあるのだろうが、職場関係も同僚中心で、上司の長い祝辞など間みたくともなかった。
 友達が適度に間をおいてスピーチを入れるくらいで、堅苦しさはみじんもなく、若い衆の大騒ぎに付き合わされた
様な気がした。
 いやいや苦手な酒宴である、若い衆の酔いが回るお開き近くは、親爺など疲れ果てていた。
 まあこれで夫婦そろっての結婚式招待も最後だろう。
 新郎新婦のご多幸を祈る。
 快晴の今日だ。立山も紅葉の酣となりつつある。お客様も結構いるだろう。


 新郎が我が親族である。子供の頃のわんぱくは凄まじかったものだが、無邪気な腕白であった。”悪太郎花婿となり秋彼岸”
  


9/22
 山里は昨日遅くからかなりの強い雨に、断続的ながら襲われ、気温も一気に下がった。今朝もどんよりとした雲勝ち
な空で、立山も見えぬものだから、山も雨でもと思いきや、ライブカメラで見ると高曇りながら雨は降っていないし視界も
効いている。まずまずの登山日和だ。
 我が山里も気温が低く、外気温は21℃余程だし室温も23℃余りだから、快適である。親爺は作務衣で丁度良い肌寒
さで快適に過ごしている。
 いい気候に成ったが、朝起きるのが少々未練たらしくなってきた。よく眠れるからだろうか、それとも老人特有の浅い
眠りで熟睡しきれないからだろうか。
 まあそういったことはどうでもいいが、涼しくなったことは嬉しい。
 こんな山里の今朝だが、立山はもっと良い天気だ。


 15年前の今日。今は高曇りで青空ではないが剱の全容は見えているようだ。


 これは12年前の今日。今は丁度これに近い感じかもしれない。


9/21
 今日も雲がちで雨も時々混ざる。でも涼しくなってよく眠れるし、全てに快適だ。
 明後日が身内の結婚式があり、夫婦そろって出席だ。で、オカカは今日は美容院。親爺は明日風呂へ入って髭
をそれば準備はおしまい。
 昨日トモちゃんから17羽の雷鳥が一つ所に集まっている写真とビデオを送ってきた。
 春先に雪面で、真っ白な雷鳥何羽もが何かついばんでいるのはよく見たが、もう子育てを終えた雷鳥がこんなに
群れ集う姿は記憶にない。
 立山の生態系も随分変わっているから、狐やイタチでも上がってきて、それに追われたのかと思った。ガスで猛禽
からは姿を隠せる日だったから。
 まあそんな動画、YouTubeにアップしておいた。どうぞご覧あれ。
 山里も涼しくなって朝が良く眠れるから、起きだすのがおっくになってきた。その上夜更かしも出来ない・・・直ぐに寝
落ちだ。他所を取ると他愛ないものだ。
 ガスは多いが朝焼けは見える。


 今年の写真ではなく、10数年前の今日の写真だが、結構綺麗に高揚していたものだ。この年は急に寒くなった。
 


9/20
 もう9月も1/3が過ぎた。残暑も去ったような気がするが、これは山里だけの事だろう。平野部も幾分過ごしやすくなった
とは聞くが、山里は夜ともなれば虫の音が煩く、網戸を通してそれが涼風と一緒に吹き抜け肌寒い。
 今朝の長期予報で、今年の冬は北日本を除いて暖冬で雪も少ないと云っていたそうだが、北日本とはどこからどこを言
うのか、やや不安だが、雪が少ない冬と云うのは有難い。
 今調べたら、気象庁で言う北日本とは、北海道と東北7県の事らしく、新潟は入らないそうだ。
 では我が越中富山はと云うと、東日本で、特に日本海側東日本と云うらしい。
 まあ、どこでも一緒だろうが、或る時は北陸で、東日本日本海側で、という事なのだが、ややこしい言い方をするものだ。
 明治、更には幕藩時代の名残さえ見え隠れする、日本の地域区分である。
 子供時分、祖母や曾祖母に聞かされた話だと、我が立山の地は新川郡で、越中富山藩には属せず、加賀藩の天領であ
ると・・・。だからどうなのかは知らぬが、祖母によると加賀藩家老の松平和泉守様が、立山寺の住職だった、緋の衣を纏
った阿闍梨様と碁を打ちに駕籠でやって来たとか。これは明治末期の話だが、まあ、その頃はまだそんなことも有ったのか
も知れない。つまり、我が山里はそんな方々がお越しになるほどの立山のサンクチュアリーだったのだと云いたかったのだ
ろうと思う。まあ、今は昔の話だ。
 この写真は11年前の今日。ガスで御前山しか見えず、客足もすっかり途絶えた秋の日である。
 剱御前小舎、親爺部屋の窓から幾度同じ景色を眺めただろう。


 こんな朝焼けが見えていてもこの後ガスに巻かれることも有る。


 山里も今日はこんな天気だが、時々青空が見え、陽が注ぐ。


9/19
 午前中は寅さんのシリーズを観ていてつぶれてしまった。
 で慌てて今更新をしている。
 今日は意外と暑く、天気予報では明日から気温が下がるとの事だが、Tシャツ1枚で過ごしている。
 3連休も終わった。立山は賑わって、山小屋も結構な入れこみだったようだ。
 我が二人の孫たちもそれぞれ二連休を謳歌したようだ。写真が送られてきてジジババを喜ばせる。
 黒部は4年ぶりに開催されたヨサコイ祭りで、保育園の友達と踊ったらしいし、東京の孫も豊洲にできたキッザニア東京
と云う体験型の施設で、様々な職業体験をしたそうだ。
 ジジババは長閑に、プロ野球や大相撲のテレビ観戦で過ごしている。
 秋山はいい天気に恵まれていた。


 保育園の仲間と踊る黒部の孫。踊りが大きく元気は一番!!         憧れの消防士。一寸コスチュームが大きすぎたが敬礼は上手。
 


9/18
 今日は敬老の日で、祭日だそうな。昔は9月15日がそうだったが、今では曜日に合わせ連休にするため移動する。
 で、土曜日からの3連休となった、今日の連休最終日だが、立山は昨日絶好の天気に恵まれ、お客様で賑わった様だ。
 トモちゃんに依れば、剱御前小舎も結構な入れこみだった様だ。
 夏よりも秋の方が、客の入れ込みが多くなる現象が表れたのは、もう十数年、あるいは二十年程も前だったろうか。
 旅行会社の募集する、ガイド付きのグループ登山が増えてきたのがその原因だろう。
 まあ、このグループ登山、ガイドのレベルもいろいろ違い、やがては他の山域でだが事故を起こしたり、その他、予約
トラブルも出て来て、種々の問題が提起され、消滅した旅行代理店も会ったし、今尚継続している会社も多いが、徐々に
予約とキャンセルのすり合わせなど、一方的に山小屋の負担にならぬよう改善されては来たようだ。
 登山者も百人十色、ガイドもピンからキリまでで、両方にとって当たり外れがないではない。
 それでも一人だけで登る自信のない方には、グループ登山は好都合だろう。
 ちょっと崩れ気味の連休最終日の天気。
 山は下山して家に帰って終る。十分気をつけて、楽しい山だったと心に残して頂きたいものだ。
 解け切る直前のハマグリ雪渓。


 この山が、登山者の憧れ岩と雪の殿堂、剱岳。


 下足棚が満タンだ。結構な入れこみだった様だが、昔のように200人以上のすし詰めはしない。


9/17
 さぼり明けの今日?すごい快晴だ。
 昨日は24時間心電図の結果説明で、半日をつぶしたのだが、結果が良好で、良い状態がキープされているそうだ。
まあ、年相応の不整脈などはあるが、危険なものではなく、今飲んでいる薬を続け、年一度の検査を欠かさなければ
まだ当分持ってくれそうな心臓だ。
 母に生を受けてからずーっと、一時も休む時なく動き続けてくれて、いじらしい程頑張ってくれている。いや母の胎内
にいるときから動き続けて、わが命の基となってくれている、心臓に感謝!!
 今日の天気は素晴らしい。雲一つない快晴だ。
 室堂辺りでは草紅葉がかなり進んでいるが、本格的な紅葉は今からである。
 結構いい紅葉が期待できそうな今年だが、ここで急激に気温が下がり冷え込むとさらに素晴らしい紅葉となるだろう。
 山里からもすっきりと立山の山々が見える。


 剱岳の夕景。十年余り前の今の時期、親爺写真庫の1枚。夕景の剱だ。


9/15
 早朝から掛かりつけの医院へ出かけて。年に1度の24時間心電図検査を予約してあり、今日は装着日だったのだ。
 丁度月1の薬も切れるころなので、明日は検査結果を聴き、薬をもらってくる予定だ。
 若い頃からの山通いで、結構頑張ってもらった心臓だが、今や隠居生活となって、随分楽ばかりしているので、却っ
て近年の方が心配だから、転ばぬ先の杖で、検査を受け必要な薬も飲んで今しばらくは元気でいたい。
 これは10年ばかり前の今時分の雄山山頂の写真。
 雄山は立山連峰の主峰であり標高は3003mである。だから決して立山山頂ではないのだが、近年は立山山頂と呼
ぶ人も多い。
 立山はピークの名ではなく、北の剱岳から南の薬師岳の山々の連なりの総称である。
 少なくとも親爺たちは、我が先人たちからそう教えられてきた。
 が、近年そういうことを知らぬ若い人たちが増え、甚だしきは雄山から富士の折立までの、屋根型の峰々を立山と云う
などと言っている。
 まあそんな目くじらを立てる話ではないが、かつてのご赦免の滝がいつの間にかそうめん滝になったりしているから、時
とともに呼び名も変わると思えば、数多の町名変更等と同様の事と諦めるしかないのかもしれぬ。


 でもこの山頂が雄山山頂であると、県の名を冠した標識がある事もお忘れなく。


9/14
 今日は亡き父の誕生日、今いれば98歳になるが、90まで頑張ってくれた父であった。
 そして、我が妹の婿殿も同じ誕生日だったので、親爺より一つ下の義弟は今年めでたく古希を迎えたことになる。
 さっそくLINEでおめでとうと言っておいた。
 今朝見るともなく見ていたニュースで、新手の宿泊予約サイトでの悪質な詐欺が取り上げられていた。ネット予約
など、親爺もよく利用し、カード決済などもするのだが、今までこんな詐欺には幸いあっていない。
 近頃は特殊詐欺など、かなり詳細な手口までマスコミ等が取り上げ警報を出しているので、狙われるのは我々の
世代以上が多い様だ。
 詐欺など昔からいろいろあったのだろうとは思うが、昨今はネット上の詐欺等も増えているようで、気を付けないと
何時被害に遭うか知れたものではない。
 今回の宿泊予約サイトの詐欺は、そのサイトを運営する会社の責任である。掲載する施設が実在するのかどうか
の確認が甘いから、支払額を全額弁済するのは当然ながら、この手の詐欺の再発を防ぐためにもみずからのサイト
の信頼性を失わぬためにも、掲載する施設を厳選し、詐欺サイトは徹底的に追及しなくてはなるまい。
 楽しい気分で予約した施設に出かけたら、施設そのものがなかった・・・。これが国内ならまだしも、海外でこれを
やられたら、かなり旅慣れた人でも参ると思う。
 ご丁寧にどこかのサイトから盗んできた、立派な施設の写真を使い、口コミまでまことしやかに載せてあったとか。
 こんなチンケな詐欺が流行る、嫌な世の中になったものだ。
 頭の回転がかなり鈍くなった親爺である、精々こんな詐欺に遭わぬよう気をつけねばならない。
 国見HPから剱を望む。10年ほど前の今日の写真。


 庭にはまだ桔梗が頑張って咲いている。大分疲れたようだが。     大日もすっきりと見えている雲がちな空だが。
 


9/13
 朝は結構、肌寒くなってきた。まあ、9月も半ばに差し掛かろうとしているのだから当たり前か。
 今朝は母の月命日、仏壇に灯を上げ香を焚いてお参りした。
 母は70歳直前に旅立ったが、母のすぐ下の妹である叔母は今年90歳を迎え、まあ年相応の不都合もあるには
あるが、惚けもせず元気で過ごしている。
 山里の旧家、日光坊の末娘であるが、歴代の女性の中で最高齢となった。それまでは母の長姉である伯母が
82歳で旅立ち、最高齢だったが記録を更新している。
 また母のすぐ上の伯父も90歳の高齢で旅立ち、男性の日光坊最高齢だった。
 こう書くと、日光坊は長命の家系に思われるかもしれぬが、決してそうではなく、母の二番目の姉など、僅か37歳
で旅立っており、男性でも母の長兄が74歳で旅立った時は、その時の日光坊男性最高齢であった。
 また先の大戦により母の二番目の兄も戦死と云う哀しい20代前半の旅立ちを迎えている。
 今朝もオカカが90歳の叔母に電話をし、長い話をしていたが、親爺にとっては母の実家につながる最後の叔母だ。
 そしてこの叔母は、親爺の父の弟である叔父の妻であり、懐かしい叔父につながる親族だ。
 母が旅立って20余年、母の実家の日光坊も家は取り壊され、空き地になってしまっている。
 親爺が産声を上げた家でもある日光坊、63代目が母の長兄である伯父であった。もう跡地しか村にはないが、未
だ90歳の叔母が頑張っている。親爺には母につながる唯一の大切な叔母である。
 今朝の山里。今はもっと雲が広がったが。


 庭の垣根のバラがまだ元気に咲き誇っている。                  オカカが鷹の爪を収穫し干してくれている。
 
 


9/12
 朝一で、男はつらいよのシリーズを、NETFLIXの中にある最高画質の画像で観た。
 オカカが外出中なので、何十回とみても親爺には飽きの来ない「寅さん」を観ようと思い立ったわけで、オカカは
すでに見飽きたらしく、めったに観ない。
 で、観始めたら、面白くて止められず、八千草薫がマドンナの巻を皆観てしまった。
 いやいや大満足!時代背景も親爺が青春時代の真っ盛りのもの。
 桜と博も若いし、オイちゃんオバちゃんタコ社長、オイちゃん役こそ2代目の松村達夫だったがこの人も面白く、
八千草薫の若々しいのには改めて驚きながら、ついついストーリーに引き込まれた。下宿人役の米倉斉加年が、
まあこの人も何作も出ているが、大学助教授役で好演、寅さんの恋敵役なのだが全く脅威を感じさせぬ(寅さんに)
役回りで、面白くてストーリーは十分わかっているが、ついつい引き込まれ、寅さんの世界に入り込んでしまった。
 特筆すべきは田中絹代の出演で、昭和47年暮れの封切映画なのだが、この頃はすでに老婆役が当たり前と云
った処だったが、享年67で世を去った事を想うと、何ともその存在が大きい。
 寅さんのシリーズは全巻DVDで持ってるが、最近はNETFLIXなどで、全作公開されており、その画質は素晴ら
しい。
 今日は曇天の山里。ゆっくり寅さんを観ているとタイムスリップを味わえる。
 来拝山が静かに山里の村を見下ろしている。


 親爺も相変わらず元気でいる。                           トモちゃん撮影の秋の夕暮れ。
 


9/11
 先の土日は、久々に黒部の孫がお泊りに来た。
 以前なら、ほぼ隔週で来ていたものだが、最近は1月に一度、もしくはそれ以上の間隔でしか来なくなった。恐らく
忙しいのだろう。保育園は勿論年長さんだし、水泳もやっているし、何よりもジジババは大好きだけど、もう物足りな
いのだろう。精々家の中を駆け回って、ジジババと遊んで満足していた時期は過ぎ、友達と遊ぶ方が良い年齢にな
ったのだろう。まもなく6歳、来年は小学生になるのだから。
 が、今でもジジババにべったりだし、抱っこされて喜んでいるし、眠くなるまではジジのベッドで一緒に横になって、
ジジに本を2,3冊読ませなければ寝ない。昔(と云っても僅か1,2年前)とっちとも変わらぬ孫である。
 だから、黒部だけではなく、東京の孫が来ていてもそうだが、ジジの日常の習慣など、有ってなきがごとしとなる。
全てが孫の気分次第、動き次第で決まる。
 毎日のボケ防止を兼ねたHP更新も、孫の前では優先順位がず〜っと下がるのだ・・・。
 という訳で、今日は日常に戻り、またこのHPの更新をしているわけだ。
 朝は青空が出ていたが、今は曇り空になってきた。
 まだ暑い山里だ。朝は大日が良く見えていた。


 閻魔堂の木立も年々杉が大きくなる。


 仙人池の逆さ八。天候が不安定で池の水面が一寸波立っている。



9/8
 毎日毎日、同じことを繰り返している中に、少しずつ少しずつ変化があって、長閑な静かな時間が流れている。
 明日は久々に黒部の孫がママと一緒にお泊りの予定で、オカカはさっそく買い物に出かけ、親爺は孫も大好きな
タンドリーチキンを作る予定だ。
 10;30現在薄日が射して来た。気温も少し上がるだろうから、今日もシャワーだけで大丈夫そうだ。
 風呂ギライな親爺なのだが、シャワーだけなら10分もかからないから幾分面倒くささが軽減され、オカカに叱られ
るので渋々ながらシャワーを浴びる。冬になればさすがの親爺も熱い湯が恋しくなり、長々と湯を使う。がそれも最
近歳によって、寒さにめっぽう弱くなってからの事であるが。
 射して来た薄日がまた陰って来た。
 剱御前小舎の周辺も草紅葉が進み、すっかり秋だ。


 雨に洗われ、木々がきれいな山里。立山は見えない。


 乾ききって、用水の水も少なくなっていた山里だが、この雨で一息ついたようだ。


9/7
 昨日の豪雨のお陰で。今朝の山里は時折陽も射したりしているが、時の経過とともに雲が広がり、気温が上がら
ない。クーラーも何も使わず、室温が26℃だから、薄手の作務衣でも快適だ。湿度はやや高いが。
 オカカと一緒の毎朝愉しんでいる、MBL(アメリカ大リーグ野球)だが、エンジェルスの大谷が、体調不良で出てい
ない。当然興味は半減である。
 太谷あってのエンジェルスだがエンジェルスなくての大谷とはならぬ様だ。少なくても親爺とオカカには。
 エンジェルスは弱い。だから今年で見切りをつけて大谷はもっと強いチームへ移籍すべきだ。との意見も多いが、
成程その通りかもしれない。なにもこんな弱小チームに義理立てすることも有るまいとは思う。が、親爺の個人的意
見では、この弱小チームを盛り立てて、もっともっと強くしてほしい。
 もちろん大谷一人の力でどうなるものでもなかろうが、大谷をしたって若い優秀な選手が集まってくる可能性もある。
 大谷にはそんなカリスマ性がある。
 いろいろな選手入団についてのルールもあろうし、そんな甘いものではないだろうが、大谷がエンジェルスをMBL
の最強チームにするのに貢献するなどと云うストーリーは、実に日本人受けするのではなかろうか。
 などと、大谷の出ていないエンジェルスの放送を無視して、夢見ている親爺である。
 さっき久々にドローンを上げて見た。涼しい曇天だったからだが、立山は雲の下だった。
 数日前にトモちゃんが送ってくれた、黎明の雲に映える剱。


 全くガスがかかって見えぬ立山。


 偶然上空を通るときに写った、閻魔道の石段と参道、山門。。


 昨日の雨は埃っぽさを綺麗に流してくれた。


9/6
 10:20現在、山里は豪雨に見舞われている。雨雲レーダーを観ても、外の天気を眺めてみても、雨は多少の時
間差をもって、強まったり弱まったり。
 外に向く窓という窓は全部閉めた。外出中のオカカからの電話で「二階の窓全部閉めてね。」と催促された時は
たいして降っていなかったが、オカカも雨雲レーダーを携帯で見ていたのだろう。
 まあ、近未来1時間以内くらいの予報なら雨雲レーダーで外すことは無いのだろう。
 でも山歩き中,空を観て風を肌に感じ、気を付けていれば雨が来ること栗はわかったものだ。ただしほんの刹那
的なものだったけれど。
 10:40になって、雨が小降りになって来た。
 気温は室内でも25℃を切りそうで、やや肌寒いほどだ。最も薄手の甚兵衛と変わらぬ作務衣でいるからだが、心
地良い。
 雨降る戸外を眺めながら嬉しいと思うのも、今夏の照りがひどかった証のようなものだ。
 不動の山へも雨が降り注ぐ。


 閻魔堂の木立に見え隠れする堂宇も強い雨に洗い流されているだろう。我が車庫も雨に降りたたかれて、少しはきれいになるだろうか。
 

 立山はこんなにひどい雨ではない様だ。一昨日のはこんな夕景も観られた。


9/5
 少し涼しくなってきたのは間違いないのだが、とても9月の日々とは思えない夏日が続いている。
 今日も朝は暑いとは思わず目が覚めたが、一晩中窓を開けっ放しの二階なので、湿気が入りフローリング部分
を素足で歩くと引っかかるようにべたついている気がする。
 階段で足が絡むほど足裏が階段の踏み板にねば着き、こけそうになる。起きがけのよろよろしている老体には
要注意である。
 まあ今朝もコケることもなく済んだが、今日は雨のマークが出ているから、湿度がかなり高く72%もあったから、
10:00を過ぎて今だけはクーラーを入れた。これで夕刻まで28℃のエコ設定で入れっぱなしにしておけば、日没
前に居間の外の方が涼しく感じる事になり、クーラーは切ってしまう。
 今日は雨マークが出ているが、雲がちながら青空も広がり、陽光も注いでくる。
 懐かしい剱御前小舎はもう寒いはずだ。
 この時期には親爺は帳場裏の親爺部屋で部屋にストーブを焚いて過ごしていた。
 元気な山女がドラム缶の上ではねる,夕景の剱御前小舎である。


 すっかり鉄オタになってしまった東京の孫、横川鉄道博物館に出かけたようだ。黒部のお姉ちゃんはママと二人でパンケーキ屋
さん。可愛い孫二人から写真が送られて来て、ジジババは何時も大喜びだ。
 


9/3
 今朝も肌寒くて目覚めた。親爺より一足早く起きだしているオカカも足元の戸を閉めて階下に降りて行ったようだ。
 けれど今日は青空が広がり、陽光が射しているせいで暑い。
 これぞ残暑と云う暑さであるが、昨日、今日はたくさんの車が立山を目指して上って行った。確かに今日は登山
日和だろう。所謂立山の天気の安定期と云うところで、不思議と8月が終わり9月の始まりからしばらく穏やかな天気
に恵まれる期間がある。
 ちょうど今がそれなのだが、今年のように天気に恵まれた夏は、その有難さも薄れるだろう。
 それでも夏山より気温は低く歩きやすいし、空の青さは格別な秋山。草紅葉も始まっている。
 陽が短くなり、時間に余裕をもって目的地の山小屋や、幕営地には早く到着する様にしないと痛い目に遭うことも
有る。下山するなら尚の事、早めに登山行動を終えるようにした方が良いだろう。
 昔は(30年ほど前)秋山となると登山者はぱたりと減った。更に親爺の父の代(昭和30〜40年代)には、お盆を過
ぎると山に人影はまばらとなったそうだ。
 団体登山が盛んになり、旅行社で募集するガイド付きの登山が盛んになった頃から、9月10月の入山者が増えた。
 8月が入れ込みのピークだったのに、9月がピークになる事もあり、特に剱御前小舎などはその傾向が強かった。
 まあ、今は昔の話だ。
 土日ともなれば9月も10月も関係なく、立山を目指す車が多い。
 秋の剱の夜明け。


 山里からも秋の空の下大日がすっきり見えている。


 親爺の大好きな桔梗も、もう終いだろう。バラは秋にも咲くものがあるとオカカに聞いた。


9/2
 最近昔読んだ本を引っ張り出しては読んでいる。正直なところ最近の良い本にはめったに巡り合わぬからだ。
 いやいや、これは勿論、親爺の個人的な想いで、なんだか軽やかすぎる童話世界、ゲームの延長みたいな
そんな本ばかりが目に付くのだ。
 外出もあまりせぬようになったし、書店など滅多に行かぬ親爺なので、どのような本が出ているのかも非常に
疎い状態だからだろうか。
 まあそれは別として、電子書籍がもっぱらの昨今だから、胸ポケットに入る電子ブックリーダーを一冊持って
いれば常に読みたい本の100冊以上は持ち歩けるので、これは親爺にはありがたい。
 さらに古い時代の名作などが、無料で読み返せるし(青空文庫など)、まあ特別マニアックな古い本などには
滅多にお目にかかれはせぬが、新しい本も読んでみる気になれば、いくらでも読める。
 が、爺の頑迷な好みは、いまさら変える気もないのだから、小説のみならず古い漫画なども探し当てて、喜
んで懐かしい昔に浸っているのだ。
 立山はどんよりとしてはいるが、視界も利き結構な登山日和になっている。
 今朝の剱御前小舎の夜明けだ。


 涼しくなった庭に、つゆ草が映えていた。                     バラの垣根の下に赤い唐辛子が実をつけている。
 


9/1
 もう長月朔日となった。でもまだ、暑い日々は去っていない様で、残暑厳しいと表現するべきなのだが、今年の
残暑は真夏日を超えるところがあちこちにあるので、如何いっていいか解らない。
 が、我が山里は数日前から、朝晩は涼しくなり、今朝など肌寒く、明け放してあった窓を閉めた程だ。
 標高420mほどの事で、2〜3℃程平地より気温が低いだけのことだが、暑い日々の過ごしやすさは格別だ。
 が、その分冬の雪が多く、50cm程度の雪なら、積雪の中に入らぬ。最近でも2mを超す雪もある。
 温暖化温暖化と云ったところで、冬は凄まじく寒く、夏の猛暑が恋しくなる事すらある。
 まあ、9月になったばかりなのに、冬の雪の心配をしてしまうほどの、豪雪地帯の山里なのだ。
 我が家は、昨日東京の孫が帰り、又ジジババ二人だけの生活に戻った。寂しくはあれど気楽でもある・・・。
 さて、これからは日々涼しく過ごしやすい秋になる訳だが、過日、親爺の子供時代を知る、父の剱御前小舎時代
のアルバイトをされていた、井上さんの訃報が入った。穏やかな人柄で、富大の学生時代の山小屋での生活が忘
れられないと、常々古い山小屋の話をしてくださった。あの優しい顔が忘れられない。
 折から遠方に足を延ばせもせず、不義理をしてしまったが、親爺よりひと廻り上の83歳だった。
 嗚呼、又おひとり古い山を知る方が旅立たれた。親爺のわんぱく時代を知る方は、もう数えるほどである。
 井上さんのご冥福心よりお祈り申し上げます。寂しい!!
 今朝は空気が澄んで大日が良く見える。


 立山は草紅葉が始まりすっかり秋の気配に包まれている。親爺には今日からの立山は秋山なのだ。
  


 

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