4月1日親爺の頭の中の春の始まりです。
5/28
昨日東京の孫が、ママと一緒に船の科学館の宗谷を見学してきたそうだ。
4才の孫には、自分の曽祖父がこの船で南極に向かい、昭和基地の設営をしたことなど意味も解らぬし、曽爺ちゃ
んは写真で見た事しかないし、先ず南極と云うところも理解できぬだろう。
ママが一生懸命話して聞かせたが、判った様な、判らぬような・・・。
当然である。まだ4歳になったばかりである。いろいろな知識はこれから日々加速度的に、信じられぬほどのスピー
ドで蓄積されて行くのだから。
そういえば、爺様が南極に向け晴海ふ頭を出港した時、親爺は丁度4才になったばかりであった。
爺様の南極日記の、昭和31年11月8日の書き出しに、「いよいよ出港だという日に、和起(親爺の事)が大暴れして
参った。」とある。出向の情景は微かな記憶として残っているが、暴れた事やその他は殆ど記憶にない。
66年の時が流れ、爺様はとっくに旅立ってしまったが、昨日、暴れた和起の孫が4才になって、曽爺ちゃんが乗って
南極へ行ったという、宗谷の見学をしたそうだ。
その様子をLINEでいろいろ送ってくれた次女。「ママの爺ちゃんで、ジジのパパだよ。」と説明している様子もあって、
無邪気にいろいろな質問をする孫が面白かった。
曾孫が宗谷を訪ねてくれたことを、爺様がどこかで嬉しそうに見ていただろう。
4歳児にはとっても大きな船に見えたはずだ。曽爺ちゃんは写真でしか見たこと無い。でもにこにこ笑ってる写真で優しそう。
これが船のハンドル?か・・・。 何か色々あって面白いな。
その頃、黒部の孫はジジババの家に来て、タブレットゲームに夢中だった。
5/27
天気に恵まれた土曜日。山里からはよく見えぬが、立山も綺麗に晴れている様だ。
今日は久しぶりに黒部の孫がお泊りに来る予定だ。ラインで「ジジ土曜日行くから、お昼はラーメンで、夜はクッパ
を作ってね。」と可愛い音声メールが届いていた。
孫はジジがスープから手作りするラーメンがお気に入りで、そのラーメンと同じスープや具材で作るクッパもまた大
好きなのだ。
ジジバカ親爺は昨日チャーシューを作り、スープもすでにOK.後は具材のシナチクを煮込めば準備は終わる。孫の
美味しいという声が聞こえる様で、ジジの目じりは下がりっぱなしだ。今朝起きたら、オカカが孫の大好きな茹で卵を
ラーメン用に作っていた。これも親爺に負けぬバババカぶりだ。
去年までは月に2回くらいは来ていたが、もう最近は月に1回来ればよい方だ。孫もだんだんジジババ離れしてゆく
のだろう。
東京の孫は離れてはいても、年に3〜4回我が家に来て、その都度大体5泊以上はしているので、滞在日数を見る
と、黒部とほとんど変わらぬか上回っている。
鉄道が大好きで、4歳になった今、益々鉄道にはまり込んでいる。ジジは勿論この孫も可愛くて仕方ないので、今度
ちょっとした鉄道模型セットを買い込んで、我が家でディスプレーして遊ばせようと目論んでいる。自分も好きな模型の
世界だが、飛行機、船ばかりで、鉄道は初めてである。勿論真意は孫の気を引くためなのだが・・・。
さて、もう何年孫たちがジジババと喜び駆け寄ってくれることだろうか。
垣根の赤いバラが本格的に咲き出した。
山里の新緑は濃緑にと移り変わった。
立山は見えぬが、上空は青空。
今日の立山は晴れている。剱も晴れている。
これは数日前の大日の夕景。
5/26
今朝からオカカは歯医者へ。帰路買い物もしてくるそうなので、居間に親爺はストーブを焚いてぬくぬくとしている。
オカカは親爺より運動量が多いせいか、すぐに暑がって、部屋の戸を開ける。
処で、昨日は長野県で嫌な事件が起こった。猟銃を使っての殺人事件だ。具体的な事件の内容はまだ、警察が
発表をせぬので判らないが、警察官2人と民間の女性2人が犠牲になった。使われた凶器が猟銃という事は、現在
猟銃を所持している人への取り締まりがより一層強化されるだろう。そしてこれを機に猟銃を手放す人も多く出てく
る事だろう。
確かに銃の所持はそれだけの責任が伴う。いい加減な管理をしていると大変な事になる。親爺などそれを考え、
役所的手続きの煩雑さに嫌気がさしてもいたので、所持していた全銃を返納、廃銃にした。
だが、今のように人間の生活圏が野生動物により侵犯され、農作物被害、出合頭の人的被害などが出ている今、
野生動物と人間社会の境界線上に住む、銃も持たぬ人々は如何すればよいのだろうか。
今回のような凶悪な事件は、尋常な精神状態の人のできる事ではない。
責任能力がどうのこうのと云う事よりも、人を殺す能力があり、それを実行したのだから死刑にせねばなるまい。
ああ、嫌な世の中になって来た。何処か狂っている。
今日の天気も薄暗く、気を滅入らせる。
そんな傷心を慰めてくれるように、庭に垣根の白薔薇が咲き、薄赤いバラもまた一つ華を開いた。
バラはつぼみを持ち、これからしばらく華を開き続けることだろう。
5/25
オカカと二人久々に林道巡りをしてきた。我が山里は奥山の集落乍、立山がその向こうにあるおかげで、県道富山
立山公園線と云う立派な道がついており、最シーズンともなると観光バスや乗用車がガンガン通る。村中がそんな状
態だと危ないくらいで、村中を迂回するバイパスもいよいよ実現しそうだ。
さて、とは云うもののその昔は自動車などと云うものは無く、足で外界と行き来したのだから、山越えの道が幾つも
あったはずで、その道跡が改良され、車でも通行可能な林道として残っている。
若い頃、銃猟をしていた親爺は、その林道に随分世話になったし、イワナ釣りの穴場を探すのにも林道をよく使った
ものだ。
で、今もその所為か、たまに林道巡りが懐かしくなり、用もないのに林道へ入り込む。
今朝は天気もさほど良くなかったが、雨も降っておらず視界もおおむねクリアだった。
所どころ落石などもあって、運転は注意しながら。が対向車や、他の車は殆どいない。芦峅からは見えぬ剱も、城前
峠を越して進むとやがて見えてくる。
爺様や音次郎叔父の手の跡が残る、水芭蕉群生地も時期外れながら確認した。多分その後改修はされているのか
もしれぬ・・・。
おおよそ1時間半の行程だが、面白かった。
富山湾が見える場所もある。 タニウツギが咲いている。
林道を下り、麦秋の里に出る。ここからはいい道が山里まで一直線。
この大日の後ろに剱が隠れるから、山里から剱は見えぬ。
5/24
五月ももう末になってきた。この前正月だったのに、あっという間に時間が過ぎてゆく。
親爺の体感している時の流れは、日々実に緩やかだ。なのに気付くとと凄まじい速さでその時が過ぎている。
このギャップは何だろうか?と時々考える。が、判らない。まあ強いて言えば、だんだん近づいてくる人生の終焉に
対する本能的な怖れが、今の積み重ねの緩やかで穏やかな身近な時を体感しながらも、離れて客観的に見渡すと
間近に終焉が迫っていることを気付かせ、その速さを痛感せしめるのだろう。
世の移ろい、人の移ろい、全てが移ろってゆく。そしてすべてに終焉がある。
諸行無常とは真実であろう。
などと、たまに考えるくらいならいいが、いつもいつもこんなことばかり掘り下げて考えていると、釈尊やキリストの
様な聖なる方々ならぬ身は老人性うつ病に罹患するだけだから、卑近な楽しい事ばかり考えて日々を過ごせば良い。
さて今夜は何を頂こうかとか、そろそろ大谷や吉田の出場する大リーグ野球のプレーボールだと云うようなところに
気分を切り替え、楽しもう。
今日は青空も出ている。
我が庭に赤きバラ咲き初夏となる
隣の庭にはマーガレットが一叢咲いた。 立山は、雪が少ないとはいえまだこんな雪だ。剱が見える。
大日の山頂(ズコ)に雲がかかる。
5/23
久々に寒さを感じて目が覚めた。夜具から出るのが嫌でぐずぐずしていて、何時もより10分は遅く起きだした。
今に行ってみるとオカカがすでに朝食の用意を終えて、ストーブに火が入っていた。
山里の朝の外気温は11〜12℃程しかなかっただろう。10:30現在でストーブを焚いた部屋の温度が22℃である。因み
に現在の外気温は、13℃程である。
昨日から見れば水分気温も下がっている。親爺の服装もそれに合わせて、又フリースに戻ったがこれが一番楽だ。
オカカから連絡が来て、病院が混んでてまだ呼ばれぬらしい。薬さえもらえればいいのだが、高齢化で病人だらけ・・・。
かくいう親爺も立派な高齢者、病院通いもしている・・・・・。
少子高齢化の進む日本、どんな未来が待っているのだろうか。
親爺もオカカもどんどん年を取っていくが、さほど深刻な事とは考えていない。自然になるようになると考えている。
明日は天気が少し回復するようだ。
緑濃くも、少し肌寒い山里。
ストーブに火が入り居間を温めている今朝。 気温はどうにか20℃。
本当に緑濃い良い季節だが、日々の温度差の大きさに体調が崩れる。今日も立山が見えていない
5/22
昨日は寝不足で、すっきり目が覚めず1日更新をさぼった。
別に仕事で寝不足になったわけではない。元より隠居の身ゆえ、仕事などない。強いて言えばボケ防止の日記付け代
わりのこのHPの更新位のもので、これは大体午前中に終わることが多い。
面白い本を読み直しているうちに、時間の経つのを忘れツイツイ明け方近くまで読みふけったのだ。
どうせ日中も読書時間は自由に取れるのだから、日中に読書をすれば良いではないかと思うのだが、日中の読書と云
うものは、深夜の読書より集中できぬものだ。
日中と云うのは世間が一生懸命動く、活動的な時間である。いくら自分が暇でも、山にでもこもり訪ね来る人もいない庵
暮らしでもしていない限り、何かと外界からの刺激を受け、他人の声や、車の走行音や、傍若無人な近隣の騒音などなど
とても本に集中して長時間を物語の中に遊ぶことは、難しい。
これが世間が寝静まる深夜ともなると、親爺の暮らす山里では緊急事態勃発以外、暗闇の中の静寂が破られることは先
ずない。だから面白く読み進むに連れ残ページの少なくなるのが寂しくなるような本は、この深夜の読書にかぎるのである。
これはあくまで親爺の思い込みかもしれぬが、親爺は70を過ぎた今でもこの考え方を変えてはいない。
集中力を維持するのが難しくなって来た老齢の今、深夜の読書のほうが良いのだ。が、老齢とは悲しいものだ、本を手に
したまま、何時の間にか寝落ちしていることも多々ある。
朝よりもだんだんどんよりした天気になって来た様だ。立山はとっくに見えぬ。
これは昨日トモちゃんが送ってくれた写真。写真から初夏の山の匂いがする。
大日もついに見えなくなってしまった。
昨日の立山は良い天気だったのだが。 大日の彼方に陽が沈む。
5/20
山里はガスの中で天気がすっきりしないが、雄山山頂カメラで見る立山の天気は青空の広がる晴天だ。今日は良い
登山日和だろう。が、山の天気と何とやら、天気を過信してまだ小屋を開いてない奥地まで入り込むと痛い目を見るので
ご用心願いたい。山の天気は急変して当たり前という事を念頭に行動していただきたいものだ。特にスキーや、ボードで
の行動は、下りの先が宿泊地ならよいが、下った分を登り返して宿泊地に帰る場合などは大変である・・・。
もう山小屋親爺業も引退しているので、余計なことを心配する必要もないのだが、雀百まで・・・である。
今日の立山は青空が今の処広がって登山日和だ。
昨夕の剱御前小舎前から見た夕景。雲海の彼方に陽が落ちる。 宿泊のお客さんもこれは大喜び。
立山は晴れているが、山里は弥陀ヶ原の雲海の下にあり、がすに覆われている。しかも肌寒い。
5/19
トモちゃんの入山日だが、残念な天気になってしまった。
気温は昨日より10度ほど低いし、雨だ。まだ、視界も2500mくらいまでは開いている様だが、雄山主稜線などはガス
で、時間とともにこのガスが立山を覆いつくすだろう。
山里から早朝は見えていた大日も、かなりガスに覆われて来ている。
まあ、山女のトモちゃんの事だ、万に一つの失敗もないだろう。通い慣れたルートだし、雪も大分解けている。
今は止んでいるが雨の後の不動山。何とも重苦しい今朝の空だ。
ミヤコワスレの花が生き生きと咲いている。 雨の後の緑は、何ともみずみずしい。
身欠きニシンの山椒漬け、ちょっと出して味見したが、まだ少し浅い様だ。
5/18
今日も快晴で、暑い。
もう春と云うより一足飛びに初夏だ。数日前まで欠かせなかったストーブも、水の入った薬缶を載せたまま、休んでいる。
外の鮮やかな緑も、日ごとに色を濃くして行く様で、すでに新緑の青臭さはなくなっている。
雪に埋もれる日々が比較的短かった今冬だが、若葉の季節が来て春を喜んでいても、ほんの数日前まではフリースを
着こんで、ストーブを焚いていたのだ。
温暖化の所為なのか、エルニーニョやらラニーニャやらの所為なのかそこは解らぬが、冬が雪の少ない年だったのは
実に大歓迎だ。が、夏の猛暑は御免こうむりたい・・・何とも虫の良い親爺である。
昨日、一昨日と外出していた親爺だが、今日は何処にも出る用事もないし、さて何をして過ごそうか。
そうだ、この後又、参鶏湯を煮込むつもりだった。
ではそろそろ取り掛かろうか。
過日トモちゃんが送ってくれた雷鳥沢下部の写真。結構なシュプールがついているが、ボードのそれもある様だ。
雷鳥沢上部、別山尾根付近の雪は殆どない。
山里は緑がだんだんと濃くなってきた。外が既に暑いので、長く外にいる気にはなれない。写真を撮ってすぐ家に逃げ込む。
5/17
朝からオカカと一緒に黒部に向かった。
黒部の孫の通う保育園の行事に、ババだけが参加することになったからで、ジジは孫の顔が見たいだけで車での送
迎を買って出た。
今日は30度近くまで気温が上がりそうだとの予報が出ていたので、オカカが帽子やらタオルも持参で準備万端。
孫はババを見つけて大喜びしたそうだ。
庭のプランターに、孫とババとして、いろいろな花を植える。そのあと孫たちが歌を披露するという、1時間ほどの行事
だった。ババとの共同作業など孫にはいい思い出になるだろう。
ジジも帰り際にちらっと孫の顔が見え、ジジと喜んで手を振ってくれたので大満足という、誠に他愛ない話だ。
まあ、午前中はそんなことで終わり、コンビニのおにぎりを買って、帰宅。
午後はまた、相撲を見たり、本を読んだりで過ごす事になる。
長閑な真夏日の今日である。
地鉄本線浦山駅と、かぼちゃ電車。
ババとお仕事できてうれしい黒部の孫。スコップに入れた土を、小さな手で握り張り切る。
東京の孫はパパの休みに合わせて、4歳の誕生日をアンパンマンランドでもう一度祝ってもらった。
5/16
例によって薬もらいの日なので、フリースを脱ぎ捨て富山市内へ。いつもなら内科医院のみだが、今日は眼科医院
にも行ってきた。内科医院はこれで一月、眼科医院はこれで二月程薬があるので、安心だ。
昨日は警察官のO君が、新妻と一緒に我が家へあいさつに来た。
二人とも緊張しており、特に奥さんは初対面だったから、大変だったろう。
O君のわんぱく時代の話などを聴かせ、緊張を解くようにしたら、幾分落ち着いて、家内と同郷で、小学校、中学校
は後輩(親の代以上の)だと分かり、かなり話をするようになった。とても落ち着いたしっかりしたお嬢さんだった。
余計なことは言わない。仲良くやれとだけ言っておいた。若い二人の前途洋々たらん事を祈る。
今日は良い天気で温かい。
東京の次女が、どこかの鉄道博物館の昭和9年の路線図に、「千垣駅を見つけたよ」と、写真を送ってくれた。
庭の垣根の根方に、ミヤコワスレの一叢。 座敷縁側の飾り棚には親爺の趣味のものばかり。三つ子の魂百までとやら・・・。
5/15
薄暗く肌寒い朝だ。
さて今日は何をして過ごそうかというほど、長閑な毎日であるが、それでも僅かずつでも用事と云うものはある。
例えば、掛かりつけの医院で体調をチェックしてもらって、薬をもらうとか、コロナワクチンの接種に行くとか・・・・・。
まあ、書いてみるとそんなものしか思い浮かばないが、惚けぬ程度に何かやっていなければ時は過ぎない。
よく無為に時を過ごすと云うような事を云うが、それは悪い事なのだろうか。
いろいろなことに手を出し、二足の草鞋を40年もはいてきた人生を振り返ると、さほどやり残した事も、まだまだや
りたいことも残っているとは思えない。
これが老化なのかもしれぬが、強いて後したいことと云えば、オカカと二人での旅行位のものだ・・・。
今よりちょっと若い頃、古い友人たちをあちこち訪ねようと計画していたことがある。もちろん迷惑にならぬ様、予め
連絡をして、長居もせず、顔を見て話してくるだけのことにして。
でもそんな計画をしているうちに、古い友人が旅立ってしまったという連絡を受ける事が少しずつ出てきて、ちょっと
焦ったが、それでもまだ愚図愚図しているうちに、今度はコロナなどと云う可笑しなものの流行があり、気付くとすっか
り自分が出不精になっていた。
70を超えた今だが、まだ先は少しある。その中に、そのうちに・・・・・。
今朝は薄暗く立山は見えぬ。
母の日のプレゼントが、今度は次女と三女からオカカの元に届いた。豪華版のアイス詰め合わせと、昆布の詰め合わせだ。
オカカは三人の娘をもって、とても幸せだそうだ。
緑あふれる山里。一年でも最もいい季節と思うようになった親爺である。
5/14
土日は雨模様という予報は、良い方に外れた。山里は昨夜少し雨が降ったが、今朝はもう高曇りで、立山も見えている。
五月も半ばに差し掛かったが、今日は東京の孫の誕生日だ。
朝一番で「おめでとう」とLINEメールを出しておいた。
東京は4歳になった。黒部は9月には6歳になる。
いやいや可愛い赤子たちも、もうお兄ちゃんお姉ちゃんだ。一寸寂しい気もするが、喜びの方が勿論大きい。
でも、ジジ、ババと抱き着いて来てくれるのもあと僅かであろうが・・・。
過日GWに皆で宇奈月に遊びに行って、今や鉄オタ予備軍のお兄ちゃんとお付き合いで一緒にお姉ちゃんも、黒部峡谷
鉄道の、古い展示車両に乗り込んで一枚パチリ。
ジジババのこどもの日のプレゼントは「なりきリセット」鉄道員だぜおいら。ジジババからの誕生日プレゼントもまた届いた。誕生日の朝。
お姉ちゃんも昨日は、ママと二人で金沢の遊園地でたっぷり遊んだ。パンケーキがおいしい。
5/13
今朝は母の月命日故、仏壇に燈明と香を上げお参りした。
やや雲が多いが天気に大きな崩れはまだなくて、山里からは立山も良く見えている。静かな土曜日だ。
GWの連休明けだからだろうか、立山を目指し上る車もさほど多くはない。ましてや村内を散策する観光客などいない。
親爺とオカカはまた二人だけの生活に戻り、静かな時の流れの中に戻った。
GW中は孫たちや、娘たちも全員揃い、賑やかで楽しかった。それはそれで良かったが、今も決して悪くはない・・・。
立山の山里は一番穏やかな時期を迎えている。
高曇りだが山は見えている。
長女からオカカに母の日のプレゼントの花が届いた。紫陽花だ。窓際に飾った。
過日下山したトモちゃんが撮ったみくりが池。まだ5月、池は氷におおわれている。
5/12
かなり少なくなった白髪も、伸びると煩いので、朝一で川向こうの床屋でサッパリしてきた。野川理髪店は現在3代目。
地元に密着した床屋さんである。
親爺は中学生のころから、ここで世話になっており、初代のお爺さんおばあさんもよく知っているし、二代目の野川の
親爺さんも、女将さんもよく知っている。女将さんは早々と旅立ってしまわれたが、親爺さんはまだまだ元気である。
が、昨今は3代目のコウちゃんがメインで、その奥方も店に出ている。
コウちゃんは好人物、奥さんも明るく礼儀正しい方で、地元の床屋はかくあるべきと云う模範的な店だ。三代にわたり
皆いい人ばかりだから、親爺も、爺様も叔父も一族そろってこの店で世話になっている。
こういう気楽な店が近くにあることは幸せなことだ。コウちゃんは親爺よりず〜っと若いから、おそらく親爺は生涯ここで
世話になれるだろう・・・。
軽4WDでの往復時には、きれいな山を眺め、常願寺の川を渡る。
我が谷は緑なりきと云う映画のタイトルが頭に浮かぶ。映画の内容とは遠く離れそうだが、単純に我が山里はみどりな
りき、と字面が頭に浮かんだ。
不動山の緑も美しい。
親爺より先輩の頗る元気なお客様。トモちゃんに声をかけてくださった。お元気そうで、親爺脱帽。
ちょっと前に移した鍬崎山。今雪はぐっと減った。 銀杏と大欅、緑が明るい。
5/11
昨夜就寝が遅かった(本を読みふけっていた。)ので、今朝はオカカの携帯のアラームも知らず寝ていたが、千葉を
震源とするやや大きな地震があった。
オカカの災害アラームは、地震の場合、全国震度4以上で鳴る様に設定してある。オカカはそれで目が覚めたようだ。
親爺も先の能登地震では鳴ったが、今回は警鳴なし。
でも6:45頃、LINEのグループメールで東京の娘に連絡を取ったので、枕もとの親爺の携帯の通知音で目が覚めた。
幸い、娘たちのエリアは震度3程度で、被害はなかったが、アラームで起こされたそうだ。孫はジジ同様、白川夜船だ
ったそうだ。
いやいや気付けば怖い話。いかに注意をせよと云っても注意のしようがない。精々慌てず安全なところ、といっても何処
が安全なのか、せいぜい避難所とか、動かないとか、状況判断をして最善と思う行動をするしかない。
我が山里なら人口密度が低い分、いよいよになれば自由度は高く、我が家などは堆雪構造の鉄骨の車庫にでも非難し
て居ればよいが、人が多く窮屈な大都市辺りでは、その時々の判断が重要だ。
普段からの、「治に入りて乱を忘れず」の古武士のような心掛けが大切なのだろうか。
都会のみならず、日々小さな乱が多発している昨今、少年と云われる若者たちの無軌道な強盗事件、自己の権利のみ
主張し他を顧みぬ、人間として最低な主張を是としてしまう様な理不尽な社会構造・・・。これが乱である。
だからいつも、身構えて居なくてはならぬ。
天災にはもちろん、人災にも・・・。
こんな美しい自然も、ひとたび荒れ狂うと人間にも容赦はない。
雪解けの進む大日、別山乗越から。
新緑の彼方の大日。山里から。
5/10
今朝も良い天気だ。昨日より少し気温も上がっているようだ。
昨夜は、富山駅まで孫を送ったりした疲れがあったのか、本を読みながら眠くなり、23:00過ぎに寝てしまい、朝まで
一気に眠ったのだが、孫の軽やかな足音ではない、ギギギと云うような揺れで目が覚めた。
先より続いている、能登沖の地震があったのだろう。意外とすっきりした頭で、すぐ携帯で情報を取ろうとしたが、一
寸間があって1〜2分後に、案の定能登沖で地震があったことが分かった。
大きな地震の後に続く余震なのだそうだ。
被災地の方々は大変な事になっているが、住み慣れた家が倒壊してもなお、故郷を離れがたい人々の心情を想うと
切なくなる親爺だ。
昨日、心平が天然の山ウドをくれた。オカカがさっそく親爺の好物のきんぴらを作っている。いいニオイがして来た。
新緑輝く山里から雪がすっかり少なくなった大日を望む。
昨日トモちゃんが、休憩時間に御前山から剱沢に向けて1本滑って見たそうだ。気持ちよかっただろう。この斜面そして剱も独占だ。
山の夜明けは氷点下。別山の上に高く上った太陽が氷結した雪面を照らす。 我が庭にはミヤコワスレの花が咲き出した。
5/9
毎日、たったったったたッと家に孫の足音が響いていたが、今日は6泊した孫が帰京する。午後一番で富山駅
まで送ってゆく予定だ。
爺様の月命日、孫と一緒にお参りする。
昨日から見たら嘘のような快晴。立山も良い天気になった。朝一でトモちゃんが写真を送ってくれた。
一昨日辺りに新雪が少し来た様だが、すぐに溶けてしまったらしい。
今朝の剱を御覧じろ。後立の山々もすっきり見える。
今朝の別山。 一昨日の御前山新雪が舞った。
今朝は白山もよく見える。
5/8
昨日から大雨警報下の山里だ。警戒レベルは3、降り方を見ているととても外に出る気にはなれない。
立山も昨日からさえない空模様で、連休の終わりとともに今日はもう人も少ないようだ
雨音はしているが、他には、孫が退屈そうにおもちゃをガチャガチャ言わせている音だけである。
静かな月曜日、眠くなってきてしようがない。そう、今朝は明け方になって気温が下がったので、眠りが深まり中々
目覚めなかった。孫に「ジジ、ジジ。」とゆすられて目覚めた。ジジの布団に引っ張り上げて一緒に寝ようとしたが
とっくに目が覚めている孫、「ババー」と逃げて行ってしまった。
ここ二日ほど檜山良昭が面白く、架空戦記ものを読み返していて、ツイツイ就寝が遅くなっているのだ。
まあ隠居の身の気楽さ、便利な電子書籍で、好きなものを読みふけっていれば、頭の体操にもなり、ボケ防止にも
なるだろう。
時間さえあれば、昔読んだ長塚節の土なども読み返すし、藤村の日の出前なども読み返す。
かと思うと、前記した檜山良昭や川又千秋の架空戦記にも、史実の憂さ晴らしと云った意味でも雑読は範囲は広が
るのだ。
時間を好きなように使える老いの身の今。かなり幸せである。
5月のちょっと肌寒い雨の朝だ。
雨は昨日と同じ、気まぐれな強弱をつけて降り続く。
5/7
昨日は何とか夕刻まで持ちこたえたが。今朝は朝から雨だ。強く降ったり、止んだり、小雨になったり、まあとにかく
傘が必要な雨空だ。立山もおおむね同じ様な天気らしく、弥陀ヶ原、室堂、雄山山頂でも視界が利かず、雪か雨が降
っている様だ。
まあ連休も終わったことだし、村中を歩き回っていた観光客もいなくなって、静かな生活が戻って来た。
我が家も明後日まで、東京の孫がいるが、今日は黒部の長女宅を訪ねて行った。鉄道に頗る興味を持ち始めた孫
が、東京には、荒川線以外の路面電車はもうないので、富山の路面電車を乗り回し大喜びしたが、今度は地鉄本線
に乗って黒部まで行ってくるのだそうだ。
まあ長女の家も駅そばらしいし、孫もいとこ同士遊んでくる予定だそうな。
しばらく静かな我が家で、親爺とオカカは普段に戻った生活を楽しもう・・・・・。
雨空の山里だ。
雨は強くなったり弱くなったりしながら、断続的に降り続いている。もう村中をぞろぞろ歩く観光客もいない。
ツリガネ水仙?らしい。隣の庭にきれいに咲いている。
5/6
昨日突然携帯電話の緊急地震情報がなりだした。「おお〜」と寝転んでいたのが起き上がって、ほんの数秒後グラグラ
と横揺れが来た。
我が山里でこれだけの揺れを感じたのは、まだ爺様も元気だった頃だから、19年前の事だろうと、とっさに思ったが揺れ
は10秒足らずで収まった。
見ていた巨人ヤクルト戦の中継が中止され能登地震の情報が直ぐ出た。震源地は珠洲市、能登半島最北部の辺り。
石川、富山、新潟と揺れの範囲も出たが、我が立山エリアも震度4と大雑把に出た。
半世紀前、東京では頻繁に震度4程度の地震を体験したものだが、今と違い木造のアパート建築だったから結構な揺
れだったような気がする。まあ、当時は体力に自信満々の一人暮らし、いざとなればどこまでも逃げてやる・・・くらいの気
持ちだったから気楽だったが、それでも地震の揺れは気持ちの良いものではなかった。
能登半島の地震は、かなりの頻度で起きているが、今回の地震は最大規模のものであったそうな。
ベッドに入ってからももうひと揺れ来たが、これは余震だったのだろう。その後体に感じる様な揺れは無かったが、震源
地近辺の被災された皆様には心よりも見舞い申し上げます。
GWももう終わる。その最終日前夜の地震、天災には人間の都合など関係ない。
別山乗越から望む夕景。富山湾も、富山平野の水田もよく見えている。
遊び疲れるほど二人ではしゃいだ孫二人。楽しい時間だったようだ。疲れて今日はタブレットのアニメかな・・・。
5/5
今日は子供の日。昨日、長女と孫、松本の末娘はそれぞれの家へ帰ったが、東京の孫は次女と一緒にまだ我が家
に滞在中である。
昨夜久々に架空戦記ものと云われるジャンルの本を読みふけって、寝たのが2:00頃だったので、7:30過ぎまで寝て
可愛い孫に「ジジ起きて」と起こされた。
孫と一緒のテーブルに着き頂く朝食はうまい。
昨日までは7人家族(娘3人に孫二人、そして親爺とオカカ)だったが、今日からは4人家族で、オカカは買い物、次女
は鉄オタ息子を連れて富山の路面電車に乗りに行った。
で、親爺はまた留守番で、にわかファンになった大谷の出ている大リーグの録画中継を見ながらキーボードをたたい
ている。
孫たち二人には、好きなものをプレゼント。各々のママに代金を渡し取り寄せる様云っておいた。
いつまで「ジジりんちゃんは〇△×が欲しい。」「ゆーとくんは〇〇△」と、ジジババにリクエストが来るだろうか。
いい天気の子供の日。皆楽しくやっているだろう。
穏やかな大日岳がみえる。
狭い我が庭も、子供には十分な遊び場。ババの買ってくれたシャボン玉が嬉しくて、吹いて飛ばしては駆け回る。
おいらまだ高い階段は一人じゃやばくて・・・・・ 優しいユーキちゃん(おばちゃん)とアイスクリームりんちゃん。
5/4
今日は祖父の祥月命日。88回忌となる。
高岡の義母の発ち日も奇しくも同じ日であった。親爺が山小屋に入山して、GWの終わるころ、朝一番の電話があり、
オカカから義母の旅立ちを聞いた。もう16年前になる。
今朝はGWで3人の娘たちと2人の孫が来ている。先ずは親爺とオカカが二人の孫と仏壇をお参り。次いで三人の娘
達が銘々にお参りした。
これから親爺以外皆そろって、公園で遊ばせ、昼食をしてくるそうだ。親爺はお留守番である。
凄まじい喧騒が突然止んだ。皆出発だ。
これから2時間は親爺の休憩時間である。
立山も昨日からいい天気が続く。賑わっていることだろう。
孫たちが朝から元気だ。今は一寸一休み、これから追っかけっこが始まって、ジジとババの日常は吹っ飛んだ!!
立山連峰の姿は雪が少なく穏やかだ。
5/2
末娘が電話をよこし、9:30頃松本を発って我が家に向かうそうだ。通常期なら3時間あまりで着くが、今日はGWの影響
で、島々の辺りが混むかもしれぬ。安房トンネルを抜ければまずまず渋滞は無いと思うが。
親爺は昨日から、末娘に食べさせるつけ麺の仕込みにとりかかった。半日がかりでスープを煮込み、チャーシューも作
り、支那竹も煮上げた。
明日になれば長女と孫、次女と孫と三人娘がそろい、孫たちもまたそろう。賑やかになるが普段が静かな生活に慣れて
しまっているジジババには嬉しくもあれど疲れ果てることだろう。
それでも心待ちにその時を待っているのだから、親ばかジジババばかも大したものだ。
いい天気になり、昨日午後から大荒れになった立山も今日からはに三日天気は持ちそうだ。でもまだ雪は少ないとか言
え、立山は冬山(積雪期)である。十分な装備と、経験ある方と同行することをお勧めする。
新緑の美しい山里だ。
気づけば早乙女あたりが見えている…
10:00前、大日が晴れて姿を見せている。立山に晴天が巡り来た様だ。
ぬくもりて新緑光る山の里
5/1
いよいよ五月となった。天気に恵まれ暖かい山里、立山もよく見えている。
暖かいので、親爺たち古い山人はこの時期にかかるうすい靄を「アイ」と呼ぶ。今日も立山はアイがかかり薄くぼやけて
見えるが、気温が上がりきる昼前後になるとくっきりと見えるようになる。
立山も今日からしばらく大賑わいだろう。コロナ禍の規制も大きく緩められ、天気にも恵まれそうだ。一気にという訳にも
行かぬだろうが、着実にコロナ禍以前の賑わいが立山にも戻ってくるだろう。
トモちゃんが良い写真を送ってくれる。お陰で、家にいながら山の状況を知ることができる。
五月朔日のアイのかかった大日だ。
山里も日々緑濃くなり、温かい日が多くなってきた。
剱岳と雷鳥。親爺の感覚で見るとこれは5月末の山なのだが、雷鳥の冬毛がまだ多い。
我が庭もいつの間にか緑が多くなっている。
4/30
連休二日目の今朝、残念なことに雨だ。立山も雨でガスに覆われている。
それでも天気は午後から回復基調。明日も明後日も晴れマークが並ぶ。明日からのGW期間は良い天気が続きそう。
心平とヨータローが遊びに来た。学校で支給されているPCの操作をちょっと教えて欲しいとの事。はてさてジジに対応でき
るかどうか心配したが、独自の学年のグループや、委員会?グループなどの個別の設定を保存すると云うような程度だった
から、何とかなった。
しかし、PCとタブレットの折衷のようなシステムは珍しかった・・・・・。
結局、心平と山の話がメインになり、昼まで話し込んだ。
雨は上がったが、立山はどうだろうか。
黒部は自転車の補助輪が取れた。上手にすいすい。 東京はGWのジジババ宅訪問に、プラレールの電車を全部持ってくるつもり・・・。
隣家のサツキが花をつけたが今朝は雨に打たれていた。
4/29
今日からGWがスタートする。穏やかに晴れた山里で、立山もいい天気に恵まれている。
大イチョウの若葉も初々しく今の山里は、新緑に包まれている。そこへ青空が広がり、陽射しが降って来ると、まぶしく
自分まで緑に染まった気分になる。
まだ時間が早いから、ぞろぞろと観光客が村中を歩くこともない。
このGWこそ、立山へのお客さんが増えてくれることを願おう。
オカカが採って来た蕨をあく抜きし、親爺が作るしょうゆ、酒、みりん同割のタレに昆布と鷹の爪を入れ、醤油漬けだ。
これが美味い。
外壁を改修し、きれいになった剱御前小舎。昨日から営業再開した。雪が本当に少ない。
これは下界から見上げた剱岳。
4/28
大好きなウドのきんぴらがまた頂ける。
昨日村内に住む同い年のツネが、沢山のウドを持って来てくれた。
午睡に陥ろうとしていた時、玄関で大きな声が「おーい、カズユキ〜!!」と親爺を呼んだ。こんな来訪のあいさつは
今や、同い年のツネ以外居ない。
直ぐに目が覚め「おー!ツネ、入って来いよ。」と答えたが、オカカがもたもたしている親爺を後目に玄関へ出て行っ
た。親爺もすぐに後に続いたが、案の定、畑仕事で日焼けした、元気なツネがニコニコしながら立っており、沢山のウド
を突き出して「これ、霜でやられて小さいけど喰えよ。」という。
有難いものだ。
山菜取り嫌い。畑仕事大嫌いで役立たず、食い意地だけは人一倍の親爺をよく知っており、毎年のようにウドを呉れ
るのだ。
「毎日何もせず、ボーっとしとると惚けるぞ。惚けるなや!!」と親爺に活を入れ、忙しいからとさっさと帰って行った。
でも帰りに一言「七十回ると、なんでもするのが嫌になるなぁ・・・。」とポツリ。
ああ、お互い年を取ったと思うが、同い年の事、余計なことは言わずとも、腹の中はツーカーだ。
有難く大量のウドを、今日から頂く。
オカカが穂先を茹でこぼし、胡麻和えを作っている。きんぴらも作ってくれる。親爺もあとで穂先を少しもらってウド味噌
を作る予定だ。「有難うツネ。」
我が家は玄米を長女の嫁ぎ先の親戚から、安く分けてもらっている。黒部平野の米は素晴らしく美味い。で、その玄米を
精米するのに、横江集落まで下り、自動精米機で10kgほどずつ精米してくるのだが、今日も精米に出かけた。
横江集落は富山平野のはずれにある。我が山里とは200m程の標高差で、風景も広々とし、水田にももう苗がそよいでいた。
いい天気なので、吉峰の森林公園?を一回りし、山里に帰着した。大日の裾や早乙女あたりはもう新雪が解けた。
4/27
今日は良い天気になった。立山はガスに隠れて山里からは見えぬが、朝一瞬切れたガスの向こうには白く化粧直しを
下大日が見えた。
立山の富山側は、弥陀ヶ原から上は快晴の様だ。雄山の山頂カメラの氷が解け、剱の方も見えるが化粧直しした山々
は美しく光り輝いている。
山里もだんだん気温が上がって来た。朝方は寒かったので、ややごつめのフリースを羽織ったが今は暑い。
国家公安委員長が、うなぎ大臣とからかわれている。
事の発端は長官が土佐の高知に出張中に、三重県で岸田総理に筒状の爆発物が投げつけられた事件が発生し、当然
連絡を受け種々のことを確認し必要な指示を出し終わってから、四万十川のうなぎを頂いたと云うスピーチを、少しのユー
モアを交えたつもりでした事らしい。
そんな些末な事を、重箱の隅でもつつく様に、国会で質問し非難する議員のほうがバカバカしい。
言わなくてとも良い事を、受け狙いのユーモアにした方も不注意かもしれぬが、国会の場で審議すべきはもっと他に多々
あるはずだ。揚げ足取り、言葉尻つかみと、この頃の国会は個人攻撃が目立つ。議員のレベルが下がったのか。本当にく
だらない・・・。それを取り上げ騒ぐマスコミも如何なものか・・・?
四万十のうなぎこそいい迷惑だ。
立山は弥陀ヶ原から上は快晴の様子。
山里も暖かくなってきた。今朝一瞬見えた大日。新雪で色直しをしていた。
朝、我が家の竹林に「雨後の筍」を探しに行ったオカカが又カモシカと遭遇。お互い見つめあって別れてきたそうだ。
山里は晴れ。やや雲が多いが気温がぐんぐん上がっている。寒かった朝に厚手のフリースを着こんだ親爺、暑い。
昨日の剱御前小舎。裏側(別山側)から望む。屋根にも雪が付いた。
4/26
今日は朝から気温が下がって、11:00現在で山里の外気温は10℃を割っているだろう。
オカカのアッシー君として買い物のお供をしたが、いつものスーパーマーケットの出入り口に、テント掛けの餃子の出店
が出ていた。何時ぞや(10年も前かもしれぬが)富山市内の物産展で、この本場ものと名高いU餃子を食べたが、余りの
ニンニクのきつさに閉口、二人ともこの有名なU餃子には拒否反応を示すようになった。
で、今日もU餃子と確認するや購買意欲は消えたが、雨が強い日なので少しでも出入り口に近いところに駐車したい。
仕方なくそのテントの一つとなりのスペースに停めた。
オカカが買い物を終えて出てくるまで、親爺はタクシードライバーのように、オカカの帰りを待っていたが、かなり強烈な
生にんにくの匂いが漂ってくる。
まあ、親爺やオカカも含め、最近はニンニクへの拒否反応は以前ほど大きくなく、少なからず料理にも使うが、大量の生
おろしにんにくは今一つ強烈すぎる。
人の味覚や好みにあれこれ言うつもりはないが、今日は少々参った。
若い人は個人差もあろうが、ニンニクなど子供時分から親しんでいて、親爺の世代の子供時代の食生活では考えられぬ
程、多種多様な食材に馴染んでいる。
うちの孫たちが、「ジジ、クッパ作って」とか「ババ、ガレット食べたい」と5歳3歳の齢でしかないのに物申す。
いい世の中になったものだ・・・。
雨の降りしきる肌寒い山里だ。
我が庭にも雨は降り・・・
閻魔堂にも雨がふりしきる。
4/25
昨日は立山も寒かったようだ。我が山里もほぼ一日、居間ではストーブを焚いていた。
今日は比較的暖かく青空も見え隠れしていて、陽光が射すととたんに温かくなる。
辺りも雪の花が咲いていた二月前を想うと、新緑がキラキラ輝いて、若葉の香が流れてくる幸せな快い日々に感謝だ
が、厄介な花粉も流れ来るので困ることも有る。親爺も近年は目がしばしばして、鼻水が出る。
昔はなんという事もなかったのだが、急に症状が出てくるという花粉症、親爺もやられた様だ。
まあ、まもなく花粉症も落ち着く季節になる。そして次に心配なのは暑さだろうか。切りがない。
今朝の大日。雪解けが進む。
となりの庭にタンポポがきれいに咲いているのを見つけた。 不動山には山桜。いい季節だ。
近所の銀杏の木も若葉を茂らせ、川向のスキー場の山々も濃い緑に包まれだした。
4/24
少しづつ明るくなってきている様だが、今日は高曇りの春の空だ。
可愛い孫も昨日帰って、親爺とオカカはまた二人だけの生活に戻った。まあ、静かでのんびりと時が流れてゆく・・・。
昭和61年の剱御前小舎開け入山のビデオを見つけた。懐かしい顔も見え、親爺も一緒に入山し、一人小屋直下の
ブルーアイスのトラバースルートの状況を確認に入っている。多分まだ元気で山を歩き回っていた頃のビデオだから
親爺にも懐かしいビデオだ。
惜しむらくは画質が悪い。VHSの一体型カメラで、3.6kg程あったカメラだが、当時は一般人用のビデオカメラなどまあ
酷い画質だったのだろう。
それでも無いよりは良い。懐かしく見た。
こんな高曇りの山里の朝だ。
剱御前小舎直下のトラバースルートの偵察を終えた親爺(33歳)だ。 支配人のカマジ(右)と厨房長の黒ちゃん(左)懐かしい顔だ。
この頃はほぼこの位の雪が例年並みの雪であった。今と比べると多い。 古い地下浸透式の県営公衆便所。
4/23
孫のいる朝はにぎやかだ。必ずジジの隣に座って、朝ご飯を食べる。今朝はライスペーパーを使ったガレットに、
ウインナー。ジジが手伝いしてやらないとなかなか進まない。更に大好きなプリキュアの番組が入ると、食事スピード
はさらに低下。面白がって親爺が話の相手をするものだから、とうとうテレビを切られて、ようやく食事が終わった。
過日、5月3日に全員集合する予定の、3人の娘と孫二人に美味しいタンスチューを作ってやろうと、牛タンの安い処
を2kg購入した。所謂タン先やタン下ばかりだが、これも処理をきちんとしてシチューは勿論、タンスープや佃煮にも
出来るし、混ざっている良い部分も切り分け、塩水に重曹を加え処理してやれば焼きタン塩に化けるから面白い。
今も早速、孫が3Dゲームで遊んでいる間に、処理したくず肉部分を集めストーブの上にかけて佃煮に煮込んでいる。
いやいや静かで、孫がいて心楽しい日だ。
一昨日、我が家の竹林に初めて出たタケノコ。オカカが採ってきて、味噌煮にしていただいた。
チョコアイスを食べましたと、お顔に書き込んだお姉ちゃんと、パパの誕生日のろうそくけしを代行するお兄ちゃん。
大日よく見える。立山はすごい賑わいだろう。
4/22
今日は久しぶりに黒部の孫がお泊りにやってくる。この前来たのがいつだったのか、最近は随分たまにしか来ない。
来れば来たで、ジジババと遊んだり以前とちっとも変わらないのだが、もう5歳半にもなるので、随分お姉ちゃんらし
くなって、ジジババとの遊びだけでは物足りなさそうだ。やはり同年代の友達や、もっと賑やかな公園や遊園地の方
が良いのだろう。「余り早く大きくなるな」と腹の底では思いながら、来年はもう小学生だと、その成長が嬉しいのも又
正直な気持ちだ。
今はお話が面白い。語彙が少ないながら気持ちを言い表そうとし、そのつたない喋りが可愛くてたまらない。
まあ、昼前にはやってくるだろう。楽しみだ。
トモちゃんのお陰で、又最新の写真が載せられる。今日の第一弾はこれだ。
小屋開けの頃、不動には山桜が満開となる。
室堂には僅かの登山者と、沢山の観光客が入っている。
4/21
今日がトモちゃんの入山だが、昨日のような晴天にはならなかった。雄山山頂カメラで見たら、立山一帯ガスもかか
っておらず、曇天だがかえって登山日和で、歩きやすいだろう。トモちゃんの足なら2時間ほどで剱御前小舎に入るだ
ろうし、今回はスキーを使うそうだから、もっと早いだろう。
トモちゃんは昨日、空輸作業後我家に立ち寄ってくれて、いろいろ懐かしい話をしたのだが、親爺が剱御前小舎の
経営をしている頃からのスタッフ故、話がスムースだ。
山の天気もこれから好天に向かいそうだ。今夕辺りはきれいな夕景が見られるだろう。
親爺のこのHPもトモちゃんの入山とともに写真が豊富になりそうだ。
我が家では、オカカが山菜取りに目覚め、と云っても我が家の元畑地と、母の本家の元畑地に生えるわらびと、僅
かの竹林に生えるタケノコがその山菜の全てであるが・・・。今朝も蕨2kg程と、ちょうど食い頃のタケノコを1本、採って
来た。採って来たのは良いが、いずれも早々にあく抜きをせねばならず、その仕事も増えてしまうから大変だ。
親爺などその傍らで、蕨は醤油漬けが良い、タケノコは昆布と一緒に味噌煮が良いと、リクエストをしているばかり
だが、それでも少しは手伝いもしたりして、山菜料理に参加して楽しんでいる。
心待ちにしていた山里の春の日々。楽しいことが増えた。
昨日の剱御前小舎第一回空輸風景。東邦のヘリが待期するのは現雷鳥バレー(旧県営ゴンドラ)スキー場駐車場。
昨日はまさにドッピーカン!!空輸作業も速やかに終わった様だ。
オカカが採って来たわらびは、今朝は大量。2.1kg程あった。最終時間30分足らず。優秀なオカカだ。
4/20
今日は薬もらい。朝から軽4WDに乗って富山市内へ出かけた。
素晴らしい晴天で、昨日までフリースを着こんでいたがまさかその格好では気恥ずかしいので薄いジャンパーに替え
出かけたが、行きの車中で既に暑くなって、クーラーを入れて走って行った。帰路では気温表示が25℃だ、驚いた。
朝、久しぶりにトモちゃんからラインが来て、今日が今シーズン初の空輸だそうだ。
今年も空輸を担当しているらしく、今日の荷揚げが終われば、明日入山するそうだ。経営者のマー君以下スタッフは
入山して、小屋開け作業をしているようだ。今シーズンは雪が極端に少なく、小屋開けは楽だろう。空輸もこの天気なら
先ず問題ない。
長年使っていた芦峅寺HPだが、なんだか後発の施設ができて、ごみが散乱し、とても危ないので今シーズンから川向
の雷鳥バレースキー場の方から飛ぶようになったそうだ。
まあ、近いし広いからその方が良いだろう。
いよいよ今シーズンも始動する。トモちゃんが写真を送って呉れるようになれば、親爺のHPも賑やかになるだろう。
すっきり大日が見えるが、雪が小屋開けのシーズンとは思えぬほど少ない。
閻魔堂の石段脇の桜もすっかり葉桜になって、青々としている。 WBC観戦以来、野球観戦が面白くなったミーハー夫婦である。
戸外はまさしく新緑の季節だ。若葉が茂る・・・。
4/19
昨晩ねしなに飲んだ睡眠導入剤の量を間違えて、今朝は9:30なのにまだ目の上が重く眠い。
その代わり昨夜はぐっすり寝たようだ。目覚めが悪いのは薬のせいだろう。
オカカは美容院に出かけた。
親爺は留守番。
昨日よりは温かいからか、いやいや薬所為か眠くてたまらぬ。
世は押しなべて平和。あまり事もない。ちょっと親爺が一眠りしても大勢に影響なし。良いだろう。
陽が射してポカポカしてきたからもう堪らぬ。
周りの山々の景色も眠気を誘う・・・。
4/18
今朝何やら肌寒く、もぞもぞと浅い眠りだったからか、もう旅立ってしまった懐かしい同い年の夢を見た。彼は車の修理工場
を経営していたので、親爺もずいぶん世話になったものだが、生来の無口で不愛想な男だった。だが腕は確かでそこは竹馬
の友のこと、互いに遠慮も何もなく、親爺とは馬の合う男だった。
夢の内容ははっきり思い出せぬが、車をぶつけたから新しい車を用意してくれと頼んでいるような内容だったと思う。
相変わらず無口だが、何か親爺に言っていた・・・懐かしい顔がちらっと見えただけで目が覚めたような気もする。
それで、何となく彼の事を思い出し、寂しい気分に襲われて目が覚めた。
親爺の村内の同い年は、親爺も含め26人いたが、男15人、女11人だった。その中、女が2人、男はもう4人旅立った。だから
もう20人同い年がいるが、今、村内には男4人、女は2人しかおらず、村を離れ暮らす者には30年近く音信不通と云う者もいる。
まあ歳が歳だから当たり前かもしれないが、何とも寂しいものだ。
で、そんな気分で目覚めた今朝だから、町民検診もパスし(もともと去年の検査で、その酷さに懲り懲りしているバリウムを飲
む胃の検査だから)何となく外の小雨を眺めたりしている。
それでも朝早いうちに、村はずれを軽4WDで、一回りだけはして来た。
布橋のブルーシートがきれいに撤収され、新緑の中に鮮やかな赤い欄干が映えていた。
立山信仰の中では、この橋の向こうはもう幽界、この橋は幽明堺に架かる橋と云われる。
我がご先祖さまのみならず、同い年の仲間たち何人かも、この橋の向こうに居を移している・・・。
いつの間にか桜の花も過ぎ、山里も青々とした緑に覆われてきた。わずか数日のうちに若葉が茂り、命を誇示している。
4/17
東北の旅の後だからか、日々春の深まり新緑の輝く時期だからだろうか、我が山里の雨に濡れた景色を窓外を見ながら
啄木の歌を思い出す。
”かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川”、これは我が山里の不動山を眺めながら口に出た。
この歌の真意はともかく、数日家を離れただけで、故郷の山を見てこんな歌が口をつくとは、親爺もかなりヤキが回った様だ。
恥ずかしながら、啄木の歌は嫌いではない。正直に言うと大好きだ。
”やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに”や”ふるさとの山にむかひて・・・・・”等々、中学生か高校生の頃
に目にした歌などは、覚えようと思わなくても覚えている。啄木の歌に限らず、いい歌と云うのは心に残るものらしい。
斎藤茂吉の「死に給う母」の中の”のど赤きつばくらめ二つ梁にいて垂乳根の母は死に給うなり”は読むたびに涙腺が緩む。
そんなことをつらつら思いながら、春雨ふりしきる山里で、ぼんやりと時を過ごす親爺だ。
わが故郷の不動山は数日見ぬ間に緑が多くなっていた。
立山は影も見えぬ今朝だ。
オカカが昨日採って来たわらび。
昨日からあく抜きをしている。もう僅かな苦みもなくなっている。 醤油漬け用のタレを作った。これは親爺の仕事。
4/16
昨夜は家のベッドで、ぐっすり寝た。旅先でも眠れぬことは無いが、体になじんだ夜具と云うのは確かにある様だ。
今朝はいつも通りに目覚め、少し意識すると旅の疲れかなと感ずるばかりで、体調も悪くない。
さぼっていた毎朝のリハビリ体操も再開し、親爺にとっては日記代わりのこのHPも続けてゆきたいので、今、キーボードを
叩いている。
コロナ禍で、久々の東北だったが、何度も行っているので目新しさと云うのはないが、何処に行っても外れもない。
初日は米沢で、お目当ての松川弁当店の炭焼きカルビ弁当を頂一泊。
翌日はなるべく下道で、角館へと向かうが、ナビの設定ミスで、田沢湖に立ち寄ったりと云うハプニングも・・・。
角館の桜は、平日の満開に遭遇し大満足。宿泊も角館だったので、夕方や朝方の人混みのない武家屋敷の桜を堪能した。
翌日は移動距離を短く設定。平泉中尊寺に参る。中尊寺は天台宗の寺、ちょうど当日が母の月命日だったので参拝も丁寧
にしてきた。
当夜は一関泊まり。ここはウニ飯弁当が有名。翌朝これを買い込み、山形尾花沢鶴子のそば処により、会津若松まで戻り
翌日は高速道路で、帰宅した。
昨日の走り書き日記にずいぶん重複するが、せめて写真は大きく再掲載。
オカカが、昨日も気になって帰宅するや否や身に出かけた、我が家の畑跡地に生えるわらびだが、昨日はカモシカが動かず
立ち尽くしていて逃げ帰ってきた。が、今また出かけ1.1kgを収穫してきた。早速あく抜きをしている。
日常に戻った・・・・・。
昨夕、我が家の畑跡地に立ち尽くすカモシカ。オカカ撮影。孕んでいるのかもしれない。
13日、中尊寺にお参り。広い寺のあちこちを歩き、例によってへたり込む親爺。金色堂も相変わらずのたたずまい。
尾花沢鶴子の有名そば処で。名物のかき揚げはもう製造していない。でも蕎麦は相変わらず美味いし、鴨そばが良い。
このあと最終宿泊地の会津若松へ向かった。
4/15
4泊5日の東北の旅から帰ってきた。
流石やや疲れはするが、まだまだ車で気ままな旅ができることが良くわかり、満足感もある。
旅の目的などこれと云ってないが、凡そのお目当てと、行き当たりばったりの自由度が、うまくかみ合ったり外れたり・・・。
松川弁当店の特上カルビ炭焼き弁当が米沢宿泊の第1理由。高速道路ばかりは味気ないと、小国街道を走って見た。
まだ雪深い中に桜も咲いており、「雪割桜」とは言葉だけではないことを知った。
松川弁当店のお目当て弁当は、値段が据え置きだったがわずかにコンパクトになっていた。やや味わいも落ちていた。
角館は二度目だが、前回は花の時期ではなく、今回は例年より十日ほど早い時期が、図らずも満開ドンピシャ。大満足。
帰宅したばかりで少々ダウン気味。今日はここまで・・・・・。
4/9
数日ぶりに青空が広がった。
今日は我が爺様の祥月命日、旅立って丸六年経つ。本来なら今年は七回忌なのだが、昨年前倒しして、母の二十三
年忌と合わせ法要を行った。今朝はいつものお参りより丁寧にお参りした。新雪に覆われた立山が神々しい姿を現した。
我が母は70直前の69歳で旅立った。父はそのあと16年を生き90の大往生だった。
今親爺は母の生きた年を超え、今年は71になる。が、まだ父の90には及ばぬ。恐らくこれは越せぬだろうが、目標に
はしたいものだ。
旅立った両親の歳に想いを馳せながら、桜舞う春の日を長閑に過ごす親爺である。
立山の新雪は早乙女の下まで来たようだ。
今朝の我が山里は明るい陽射しが注ぎ、気温も心地よく上がって来た。
立山は新雪の輝きを放つ。
大日は山頂部も薄く雪を被った様だ。
山水も少し温んだ。 庭の垣根のバラにも若葉が萌え出た。
桜もまもなく葉桜になる。
4/7
今朝も雨。風も少し吹いて、桜の花が散りだし、そこいらに飛び、濡れた家々の屋根や、道路のアスファルトに張り付
いている。桜の代わりにはなれぬだろうが、大きな欅が葉をつけ、こんな薄暗い日には黒々としか見えないが、もう少し
良い天気だと、青葉が輝いて見えるだろう。春も着々と深まってきている。
親爺など朝の寝起きの悪さで、それと分かる。起きて夜具から出ても、しばらく身体が気だるい。冬の寒気に慣らされ
た身体には、温かい朝のやわらかな大気は目覚ましにはならず、まだ夜具の中で己の体温を愉しんでいるような気分
が続くから、気だるい夢心地が覚めぬのだ。起きて洗面を済ませ、オカカの入れてくれた茶を一服するとようやく目が覚
めて来る。朝食を軽く済ませ、リハビリ体操の終わるころ、頭も少しずつ回り始めて、さてキーボードの前で手が動き始
めるのだ。
春眠暁を覚えず、とはよく言ったものだ。
人間快適な環境にばかりいると、余計ボーっとしてしまうのかもしれない。
だから春夏秋冬、辛い夏や辛い冬を潜り抜け、温かい春や、爽やかな涼風の秋がその褒美として巡りくるのだろう。
上手くできている日本の4季である。
欅に若葉が付いている。
昨日オカカが撮った写真チューリップがきれいに咲いて山がぼんやり見えている。
大日がかろうじて見えている今朝の山里。
4/6
小雨が降っている。閻魔堂の石段脇の桜が満開になっているのだが、花弁が雨に打たれ、何とも寂しげな春の表情
を見せている。
春と云えば暖かく、若葉が萌出、桜の花を筆頭に草花も咲き誇る、温かいイメージが主だが、その春にも寂しい表情
はあるのだと、初めて教えていただいたのは高校時代の恩師、水野元雄先生だった。
親爺が大学に入って、下宿生活を始めた春、先生から達筆のハガキをいただき、そこには雨に打たれる桜の花の何
とも寂しげな表情が、さらりと書かれていたことが忘れられない。
あの頃は親爺もまだ19歳、自分が春の真っただ中で、東京の生活は目に映るものすべてが春の明るさに満ち溢れて
いた。だから情景としての寂しさしかわからなかったかもしれない。
まあやがて、雨に打たれた桜の悲しみは徐々に知るのだが、さくらの時期になって雨に打たれた桜を見ると、古希を過
ぎた今でもその時の先生からのハガキを思い出す。
雨が上がった。そして今度は風が吹いてきた。
折角咲いたのに雨に打たれる桜。 大日の見える辺りに雨雲がかかっている。
4/5
曇天でかなり暗いが、春らしく温かい。窓外に見える閻魔堂石段脇の桜が満開だ。背景が白っぽい空なのにそこだけ
花の生気が発散され、薄く明るく華やいで見える。
最近はWBCの影響であることは間違いないが、にわか野球ブームである。
ミーハーの親爺とオカカは勿論、全く見向きもしなかった野球中継を見る様になったし、選手の名前も少しずつ覚えて
にわか野球ブームのにわか野球ファンとなっている。
これはあ親爺とオカカだけではなく、オカカの友人もそうで、「細かいルールは知らないがおおよそのルールはわかる
から、サッカーなどより親しみやすくて、こんなに面白いと思わなかった。」そうである。
流石に親爺の友人は主に男なので、戦後の野球少年だった様なのが約半数、親爺同様高校野球は見るがプロ野球
はほとんど興味なしと云うのが半数くらいで、五分五分だったが、WBCの大谷、吉田、牧、村上、ヌートバー等々の選手
名は覚えてしまったし、そんな彼らが出場しているゲームは見る様になった。
子供の頃、野球好きな同い年に、仲の良かったタクがいた。グローブは無し、バットは竹の棒っ切れ、ボールは柔らか
いゴムボール・・・もちろん人数の関係で三角ベース野球が多かった。子供の時から野球などほとんど興味を持たなかっ
た親爺だったが、仲の良かったタクに引っ張られてその三角ベース野球で遊んだことも有る。
で、今回、久しぶりに野球を見ることが楽しくなってくると、遥か半世紀以上前の事々を思い出す。その中に腕白盛りの
タクがキャッキャッと走り回っている姿が浮かぶ。
慌て者がさっさと向こうへ行ってしまって、WBCの試合は見られなかったのだなと思うと寂しくなった。
しかしまあ、向こうで見ていたかもしれぬし、また元気な姿に戻って笑顔を振りまいて、駆けずり回っているだろうと思う
事にした。
BS放送でまた大谷の試合を中継している。さて見ようかな・・・。
閻魔堂の石段の下から見上げた桜。
雄山の主稜線もよく見えるが、写真がピンボケなので小さく掲載した。 鍬崎も雪がかなり解けている。
4/4
4日は祖父や義母、叔母の月命日だ。朝、仏壇に燈明と香を上げお参りする。
閻魔堂の桜がほぼ満開だろう。明るい日差しに映えて咲いている。
暖かい日だ。居間もストーブも消し、床暖も停めてある。それでも温かく親爺などフリースの前を開け羽織るようにして
いる。
居間に座ったまま、ガラス越しではあるが桜が見え、その背景には川向のスキー場の残雪も見える。
文章だと頗る綺麗な景色だが、窓越しに見える桜の前には電線やケーブルが煩わしく張られているし・・・。
いつもは薄暗い閻魔堂の参道だが、朝日が木の間から射しこんで、少し明るい。
これでも、見られぬよりはましである。座りながらに見る桜、良いものだ。
新芽を吹きだし、おのが生命力を誇示する桃の枝。
、
4/3
年度が替わって3日目、余り親爺やオカカには関係ないと思っていたが、孫たちがそれぞれに保育園で進級したそうだ。
黒部は年中さんから、いよいよ年長組に、東京は未満児から年少組にとなったのだ。
今日がその初登園日だ。お姉ちゃんはやや自覚があり、一番上になると張り切っているが、お兄ちゃんはまだあまりピ
ンと来なくて、昨日の今日だが、担任の先生が変わるので、その位はわかっているらしい。
ジジババも孫たちの成長には目を細めているが、余り早く大きくなるな、可愛く無邪気なままでもう少しいて欲しい、と勝
手な気持ちもないわけではない・・・・・。
例によって物干場との仕切り戸を開けて暖気を取り込んでいるが、仕切戸が開いていると親爺の座り込んでいる席から
閻魔堂の石段脇の桜が見える。この桜は我が家から見える唯一の桜だ。
先般花見に行った旧大山町の用水脇の桜と比べると、電線越しの我が閻魔堂石段脇の桜は一寸見劣りするが・・・
この山の眺めもある我が山里だ。
朝から頑張ってオカカがホットケーキ餡バターいちご?を作った。
4/2
良い天気の暖かい日が続く。
この月の半ば頃、ちょっと東北のほうへドライブ旅行をしようと計画を立てているが、この天気がそれまでは持たず
丁度10日過ぎの出発日辺りから崩れてきそうだ。
メインの目的は秋田角館の桜。以前一度訪ねたことも有るが、季節外れの6月だったから花見には程遠かった。
角館の武家屋敷などを眺め、ああ春の花の季節だったらよかったなとの想いが残った。で今度の計画となったのだ
が、天気と、ことしは非常に速い桜前線の北上に心配している。
まあ、運を天に任せ出かけてはみよう。が、秋田は遠い。ドライブ旅行専門の親爺とオカカ、おそらく途中一泊して、
2日目の到着となるだろう。
楽な冬ではあったが、冬を一つ越えた後の旅は、楽しみである。
GWなどの混みあうときは家で過ごし、平日狙いの旅だが、昨今はそんな隠居族が多くなって、平日でも結構な混み
方である。
さて、閻魔堂石段脇の桜が花開いた。去年より1週間は早い。
パパと湯快リゾートにお出かけのお姉ちゃんと、パパの実家の千葉のジジの書斎に侵入しているお兄ちゃん。
ヤンジーにもらった老桃の枝が新芽を付けた。
大日は今日もアイがかかり霞んでいる。
4/1
親爺の頭の中の季節も、今日からは春。この後雪が降っても春であることに変わりはない。
何とも暖かい日だ。春だから当たり前だろう。
長い冬を越して迎えた春なのだが、長い冬が大雪に見舞われなかったことも有ってか、今日の春の良き日を
迎えたにもかかわらず、嬉しさもやや少ない様だ。
我が家の畑地で、見つけた葉ワサビはとっくに醤油漬けにして味わったし、雪なんぞとっくに解けて一寸標高を
下げ、町場に出ると桜が満開で、昨日はそれをよく堪能してきた。これらの事は3月中の事で、雪のないエリアの
皆さんは、いまさら何を言っていやがる・・・とお思いだろうが、時によると雪の降る4月は当たり前の山里の話な
のだ。
と云いつつ、今ストーブを消した。今朝はまだ焚いていたのだ。
”やわらかに柳あおめる北上の岸辺目にみゆ泣けとごとくに”啄木の歌が頭をよぎった新緑である。
我が家の庭のミニ水仙も綺麗に朝日に向かって咲き誇る。
もちろん大日岳もアイがかかりもやってはいるが聳えている。
標高を200mほども下げると、桜が花を散らし始めている。 オカカと二人タコ焼きを焼いていただいた。春の昼餉?