6月になりましたので項を改めます。
8/31
1年で一番雪の少ない頃。夏の終わりの剱岳。流石日本一の峻峰。
8/30
柔らかい山容で下界を見つめる大日岳。まもなく夏も終わる。
8/29
これは12年前の今日の夕景。
8/28
この時の硯ヶ池は今季最大だったのかもしれない。今はもう消滅していることだろう。
8/27
別山乗越からの富山平野の夜景。
8/26
別山乗越からも立山の南の守り薬師岳が見える。
8/24
大日の向こうに夕日が沈む。
8/23
すっかり秋めいた剱の夕焼け。
8/22
夕暮れの中に佇む親子だろうか。子の夕景は心に残る。
8/21
黎明の剱岳。今シーズン夏は良い天気に恵まれた。
8/20
昭和56年8月1日に焼失し、翌7月1日に、父佐伯宗弘により再建された剱御前小舎がみえる。
この小屋は芦峅寺の共有財産で、5年に1度の競争入札で経営権を得、運営されている。
親爺は父にこの小屋を託されたのち、7回の競争入札を経て39年間この小屋を営んだ。
屋根の改修、石垣の改修、トイレのバイオ化改修と様々な改修も手掛けながら。
今は仙人ヒュッテのオーナーマー君によって経営されている。
8/19
立山の夕暮れは秋の夕暮れだ。
8/18
剱はまだ姿を現さず、もっと濃いガスに包まれていることだろう。
8/17
薄暮の富山平野の夜景。今日は見えまい。
8/16
山も今日はガスに巻かれて何も見えぬが、直ぐにまた顔を見せてくれるだろう。幾分秋めいて・・・。
8/15
剱と夏山の剱沢キャンプ場
8/14
秋めいて夕日を浴びる剱岳
8/13
別山から見た別山尾根。コルの別山乗越にある剱御前小舎、御前山の向こうにはだいにち、小屋の直下にはハマグリ雪渓。
8/12
別山から、真砂岳、富士の折立を経て大汝、雄山峰社へと続く雄山主稜線。
8/11
チングルマ綿毛となりぬ剱沢
8/10
激しい雲の動きが、少しずつ収まってきて、やがては富山平野の彼方に陽が沈む。
8/9
剱夕映え。
8/8
ハマグリ雪渓もその名の由来が分かるほど、小さくなってきた。
8/7
ちんぐるま綿毛となりぬすずり池
8/6
ハクサンイチゲの下にテント場が見える。
8/5
朝日が昇り、凛と冷えた大気が緩む。大日、鍬崎、遠く白山。
8/4
真夏の剱
8/3
別山山頂のお社とチングルマのお花畑。立山も夏酣。
8/2
これも13年前の今日の写真。御前山に散歩に出て、見上げた青空に月が見えていた。
8/1
別山山頂の硯が池が日々大きくなってくる。
7/31
コバイケイソウの咲く彼方に剱が聳える。真夏の立山だ。
7/30
夏の日の剱。2009/07/30 撮影。
7/29
黎明の剱
7/28
昨日トモちゃんが送ってくれた、イワギキョウの写真。親爺もこの花は大好きな花だ。
7/27
別山乗越直下には花が咲き乱れ、薄いガスが巻いて、いかにも涼し気だ。
剱も見えたり隠れたり。これは2011年の今頃の写真。
7/26
昔なら、今日は夏祭りの二日目で、神輿は村を回らず、神社内での神事で終わる。
が今は23日の一日の祭りだけで終わった。寂しくはない。今の村の姿を見れば当然である。
祖母の月命日である。仏前に燈明と香を上げお参りした。
大日の夕暮れである。
7/25
昭和52年の夏祭りの様子だが、画像が相当悪いので・・・でも、雰囲気だけはお分かりいただけるかも。
7/25は神輿に、皆の雄たけびの中ご神体が載り、神社を出て村の上手に向かう。露払い(天狗)警護、幟、巫女、神主の順に
村の中を一基8人の若い衆に担われた神輿が二基縦列で静々と進む。この時急いだり、神輿を練ったりすると、付き添いの氏子
総代や、年寄たちに「こりゃ、若い衆だめだぞ!!」とたちまち怒鳴りつけられた。
加賀藩前田家の剣梅鉢の紋を付けた由緒正しい立山大権現の鎮座まします神輿を、練る等もってのほかという訳だ。
叱られ、宥められ、炎天下の午後を村の最上手まで登り、途中二三箇所で、止まりそれぞれ神事を行いながら神輿はまた村下
まで下り、そこで最後の神事を終え、村中央にある雄山神社祈願殿に戻るのだ。
祈願殿に戻れば、石舞台の前で立山の舞や、かわいい保育園児のお遊戯を奉納され、祈願殿前で熊、鷹の両神輿は分れ、大宮
若宮のそれぞれの社に戻り、ご神体をもどし、祈願殿前にそろう・・・・・と、まあこんな流れで例大祭のハイライト、神輿巡行が行われ
ていたのだ。
昭和52年と云うと1977年、実に今から半世紀以上前の画像だ。懐かしい今はもう旅立たれた方々の姿も見られ、家々の姿も変わ
っている。せめてあの頃にデジタルカメラがあれば・・・。
これとて8oフィルムから特殊な編集機でデジタル化した映像である。今や貴重な記録となってしまった。
7/24
剱沢を覆っていたガスが切れ、別山に向け駆け上る。
7/23
夏の剱は賑わう。今日も多くの登山者が山に入っているだろう。
7/22
別山山頂に「硯が池」が今年も出始めた。雪解け水の水たまりながら、日本最高所の池の地位を、約一か月はキープ。
7/21
こんな日だとヘリもバンバン飛べて、空輸もあっという間に終わるのだが。
7/20
別山乗越から俯瞰する室堂平。彼方に薬師岳。
7/19
今朝の剱岳だ。ご来光の光を浴びて静かに姿を現した。トモちゃんの撮影だ。
7/18
剱御前小舎からはこんな落日のショーが見られるのだ。これは10年ほど前今頃。親爺撮影。
7/17
昨夕の別山乗越。沢山のお客さんが来てくれた。夕景が素晴らしくなった。
7/16
2014年の今頃。恐らく今夕から立山も晴れに向かうだろう。こんな山が見えることを祈る。
7/15
今日も山が見えぬので、接写できる植物で。トモちゃん撮影。ハクサンボウフウだそうな。
7/14
今日もトモちゃんの花シリーズ。ミツバオウレンと云うそうだ。何とも可憐な花ではないか。
7/13
トモちゃんが送ってくれた、山の花シリーズ。「ヤカネヤハズハハコ」であるそうな。
7/11
剱御前小舎にいてもこんな景色しか村れぬ日も多かった。
7/10
下山した心平が送ってくれた写真。剱沢の末端部。真砂平のキャンプ場。雪も解けた。
7/9
梅雨の日の剱御前小舎のかつての親爺部屋からの眺め。これは2012年の写真。
7/8
一昨日のトモちゃん入山時の一枚。花咲き乱れる立山の夏。
7/7
雄山の主稜線。右に雄山の社と社務所が見え、中央に真砂岳のたおやかな稜線。この稜線は別山へと続く
7/6
昨日は風が悪く飛べなかったらしいが近い小屋だけ飛んだ。 今日はこの青空。順調に作業が進んでいる様だ。
7/5
初夏の剱の夕暮れ。梅雨はまだ明けていない。
7/4
この真夏の朝の空は清々しい。我が集落が常願寺川の河岸段丘にあることが良くわかる。
常願寺川は、澄んだ早瀬が続く急流だ。
7/3
我が山里から見える立山連峰。向かって右のピークは鍬崎山。
7/2
雨上がりの山里から久々に大日がくっきり見えた。
7/1
垣根の内側の方も薄青い花を開き始めた。紫陽花は雨に打たれた姿が良い。
6/30
山里に雨が降りしきる。梅雨らしい梅雨だ。
6/29
トモちゃんが下山し、我が家へ寄ってくれた時、途中で撮った写真。
6/28
晴天ならばこんな剱も見えるはずだ。
6/27
親爺にはハイマツの匂いが漂ってくるほど馴染みの写真だ。
6/26
山もソロソロ夏の山へと変わりつつある。
6/25
奥地の山小屋、真砂沢ロッジにもヘリが飛んだ。
6/24
都筑だけの夕景。今夕見えればいいが。
6/23
明日、明後日は天気が回復するようだ。こんな剱が見えればよいが。
6/22
別山乗越から見る大日の夕景。
6/21
立山では雷鳥が抱卵期に入っている。間もなく新しいひなが孵り、ちょこちょこと走り回ることだろう。
6/20
何年か前の写真だが時期は今頃だ。
6/19
落日が富山湾に赤く映る。
6/17
昨夕、突然ガスが切れたら、大日が夕日に映え素晴らしい夕景が広がった。、
6/16
ガスでホワイトアウト状態の中に、突然雄山主稜線、浄土が顔を出した。
6/15
剱御前小屋の向こうに雄山の主稜線が見える。何とも懐かしい、爺様と親爺が延べ半世紀もの間
経営した山小屋の景色だ。芦峅寺村有の山小屋は今はマー君が一生懸命頑張っている。
6/14
親爺がほぼ40年眺め続けた御前山。剱御前はかつて鶴賀御前とも呼ばれた。
6/13
ちょっと昔の今頃。コイワカガミの一叢と八峰だ。
6/12
天気が良くなれば素晴らしい風景が足下に広がる。ここは別山乗越。
6/11
トモちゃんの撮影した剱と雷鳥。
6/9
爺様(父)の月命日。仏壇に燈明をともし香を焚いてお参りした。
あいにくの曇天だが、今日の立山もガスに巻かれているだろう。今も祖父、父、先輩方の多くの足跡が残っている立山だが、
親爺の足跡もあちこちに残しておいた。ただ、これからはもう残せない。
6/8
飛越トンネルを岐阜川に抜け下ると山の村に出る。
先代の剱沢小屋親爺だった、友邦兄がこの山の村の情景をこよなく愛した。
「おい、あんな良いとこちゃないじゃ。あんなとこで暮らせりゃ良いなぁ。」とニコニコ笑いながら話した顔が目に浮かぶ。
昨日夕刻、トモちゃんが写真を送ってくれた。剱岳の夕景だ。
6/6
初夏の剱岳。
6/5
これも数年前の写真だが、今の時期の剱だ。
6/4
親爺手持ちの古い写真。9年前の6月末のものだ。
別山乗越にミヤマキンバイが咲く。
6/3
庭で花を開いたつゆ草を撮ったら、たまたまアブが蜜を吸いに来ている姿が映っていた。
6/2
6月2日の我が山里だ。台風の影響で前線が頭にかかっており、雨が降りしきる。
6/1
剱御前小舎の前から望む大日も、稜線の大きな雪庇が落ちて長閑な初夏の顔を見せている。