2024山賊庵絵日記(秋)   9月1日となり秋となりました。



12/31
 辰六度過ごし終わりてふと思う辰七度に巡り合へるや
 という事で今年ももう終わる。
 元日地震で大変な年だったが、今日は雪も降らず穏やかな大晦日である。
 朝から台所で、タンシチューを仕掛けたが、圧鍋が不調で一寸手こずったが無事できた。午後からは、蕎麦と雑煮
用の出汁をとり、生麩を煮れば親爺のコマ割りは終わる。
 後はオカカが重箱に料理を盛り込む助手だけだ。
 今朝は孫に起こされた。悪い気分ではない今朝の一時。


 ブリの柚庵焼きも上手に焼けた。味見をしたが、とても美味かった。鮭は粕漬だ。これもとても美味い。親爺はこっちがより好きだ。
 

 タンシチューを、時間がないので圧鍋で。其れなりにうまくいった。これは正月に長女も来てふるまう。


12/30
 昨日は東京も松本も各々無事到着した。大変な雪だったので心配したが、北陸新幹線は雪に強い。末娘の車も
軽乍ら4WD、慎重に運転して安房トンネル越えで無事到着。流石4WDは雪道には強い。
 まあ、無事到着して家に入れば後は多少雪が降り積もっても心配はない。
 去年の元日は地震に見舞われたが、今年は何事もなく元旦を祝いたいものだ。
 あと二日となった今年。恙なく年を越したい。
 親爺は今日は午前中にお節の担当分を作った。腰が痛い。
 雪遊びに夢中の孫。


 鴨ロースが出来た。これは何時もの親爺の仕事。焼き豚も親爺の慣れた仕事だが、今年は少し焼きを入れて焼き豚らしくした。
 

 今夜のキーマカレーもついでに作ってしまった。            朝はまだ山は出ていなかった。
 



12/29
 今日を入れあと三日で、元旦能登地震で明けたこの年も終わる。我が山里は今雪がまだ降り続き、87cmの積雪と
なっている。恐らく今日の午前中で雪も上がり、明日は良い天気になると思うが、雪はもう飽き飽きである。
 次女と三女が居間帰京中である。
 次女の新幹線は問題なく走っている。孫連れだから心配だが何とか頑張っているようだ。
 三女は松本から車だ。親爺のよりは新しいタイプの軽4WDにスノータイヤを履いて、装備は万全だ。
 親爺は心配ばかりしている。今夜は久々に賑やかで、楽しい夜になるだろう。天気の回復を祈る。
 87cmの積雪だそうだが実際は70cm程だろう。


 親爺は椎茸の甘煮を煮上げた。これは日持ちがする。 オカカは黒豆を煮上げた。これも冷処保存ができる。で
 

 今はタコの柔らか煮に取り掛かっている親爺。            田作りも申し上げた。親爺張り切る。
 


12/28
 天気予報をなめていたら、目が覚めた時積雪は80cmとなっていた。まあ、観測地点でのことで、誤差は10cm
程ある。じさいは70cm程だと思うが雪はまだ間欠的に降り続いている。
 明日東京から次女と孫が新幹線でやってくる。末っ子は松本から車でやって来る。
 何れも運航停止、不通の情報は無さそうだから、何とかやって来るだろう。天候の悪化無い事を祈るのみ。
 現在はまあ、まだ雪下ろしは必要ない。


 我が車庫も良い所70cmの積雪だ。


 この角度で不動山を見ると芦峅寺の冬だと思う。


12/27
 今日は朝から降ったりやんだりを繰り返し、雪は少しずつ嵩を増している。
 試しに同じアングルの,今朝の写真を載せよう。
 杉木立の雪はまた戻ってきているが、屋根の雪はほどんど嵩を増していない様だ。
 でもこれはついさっきの写真でありながら、今窓外に見える景色とはまた少し違う。雪は強く降りしきっている。
 年末で子供たちが帰って来るので、せめてその日、29日には止んで欲しいものだ。
 東京の孫は雪が有ると嬉しいそうだし、黒部の孫もジジババの家は雪が多いから遊べると喜んでいる。
 まあ、孫たちを喜ばせる程度に止めておいて欲しいものだ。


 昨日までは冬枯れの骨組みだけだった木々が、雪衣を羽織り姿を変えてゆく。 閻魔堂の前もまた降り積もった。
 


12/26
 薄暗くぼんやりした日だが、雪も降って来ず、気温もそう下がってはいない。
 昨夜南風が少し吹いて、木々についていた雪は殆ど乙てしまったし、屋根の雪もずいぶん減ったように見える。
 今年ももすっかり押し詰まった。今日を含めて1週間もない。
 明日からはお節の準備に取り掛かろう。親爺は先ず日持ちのする田作りや椎茸の甘露煮辺りから取り掛かる予定
だ。オカカはもう鮭の粕漬などを準備している。
 我が家のお節はオカカが主導して、親爺が助手なのだが、親爺は主に肉類、鴨ロース、焼き豚などを担当し、おかか
は魚、鮭やぶりなどを担当する。煮物はオカカがメインだが出汁は親爺が取る事になっており、生麩、と蛸は親爺がやる。
 鴨ロースはお節に半分、後は年越しそばを鴨そばとするので半分はそっちへ回す。
 この他にもタン先で作るタンシチューなどは親爺が30日頃までに仕上げて置き冷蔵保存、お節に飽きる頃に出してやる
予定にしている。
 こう書いてみると親爺も結構頑張っているが、オカカはまだまだいろいろな料理、盛り付け等々忙しいのだ。
 さていよいよ毎年通り、忙しい日々が来る。
 雪がずいぶんと”めめった”(雪が緩んで減ること)。


 家々の屋根の雪もめめった。空からは雨がたまに落ちてくる。


 メルカリで徳陽蜜柑を購入。サイズばらつきあるもまあ甘く美味い蜜柑だ。


12/25
 久し振りの良い天気で、早朝こそ気温は低く、至る所凍みていたが陽光が射し始めるや気温もぐんぐん上がり
陽光は真っ白な雪面に弾け、窓外に目を向けるとチカチカする。
 親爺とオカカは朝送られて来た、孫たちがツリーの下にプレゼントを見つけ喜ぶ動画でXmasを堪能し、孫から
もらったエネルギーで親爺はドローンの撮影、オカカはお買い物とそれぞれに動き出した。
 立山は真っ白、結構な降雪が有った様だ。この時期の山になって来た。遠目ではあるが山を眺めてそう思った。
 雪は山里に降りぎるとうんざりするが、立山に降らぬと心配になる。まあ身勝手なものだ。
 大日もすっかり雪を被った。
 

 クリスマス寝ぼけ眼もすぐ覚めてツリーの下の宝物掘る 孫二人の喜ぶ姿が愛おしい。
 


12/24
 明日はクリスマス。子供の小さい時はツリーも飾り、ケーキも用意し、何よりも一人一人にプレゼントを用意して
親も一緒になってクリスマスを愉しんだものだ。
 が、元々が耶蘇信者ではなく、戦後進駐軍が持ち込んだクリスマスの楽しい部分だけを取り込んで、一寸した
年末行事にしてしまった、日本独自のクリスマス、一部信者を除いて協会へ行くこともないし、宗教色は一切ない。
 我が家の子供たちは、終業式にケーキを食べ、翌朝はツリーの下に並べられたプレゼントに大喜び、それが大
きくなるにつれ、おもちゃがゲーム機になり、中学を超えるころからは本だったり、高校位には受験が忙しくプレゼ
ントは絶えたかもしれない。はっきり覚えていない。
 今はクリスマスと云っても二人の孫に欲しいおもちゃを用意し、アマゾンや楽天などから送る。
 それだけが親爺とオカカのXmas也。
 閻魔堂の杉木立が、見事なクリスマスツリーになっている。


 我が庭にも雪が降り積み、雨戸の敷居まではまだまだ余裕があるが、屋根からの落雪も溜まるので雨戸を閉めた。
 

 我が家の屋根は初めて融雪装置を稼働した。先ず先ず雪は減っている。


12/23
 愈々年も押し詰まって来た。
 明日はクリスマスイブ。クリスマスが過ぎればもう年末の年越し準備である。
 雪はまだ明日まで油断できぬ。今朝は朝ピッカリで、少し気持ちを和ませてくれたが今夕からはまたしんしんと雪
が降り積むはずだ。
 現在積雪48cm。気温は1.6℃也。
 午前中の青空に気を許していると、午後からの雪降りにまためげてしまう。今から覚悟を決めて腹をくくっておこう。
 冬は始まったばかり、まだまだ3ヶ月余も雪の中であろう。
 今朝の青空には心慰められた。


 細やか乍らクリスマスの小物を玄関に飾ったオカカ。居間の窓ガラスにもサンタクロースのタペストリーがぺたりと貼られた。
 

 車庫前の雪を片付けたオカカ。親爺は傍らで、ドローンを上げている。頭がちらりと見えているが・・・。


 屋根の融雪はまあまあ効いている。



12/22
 今の雪の降り様を観ていると、昨日の温かい日中は何だったのだろうと思う。
 暖かく気を緩ませていたのに、夜半から降り始めた雪はもう20cm以上積もり、山里の積雪量は36cmとなっている。
 村よりやや高いところにある観測点での事ゆえやや高めに出ているが、実の積雪量は30cmと僅かだろう。
 外はもう真っ白、オカカが寝しなに融雪装置をセットしておいたので、昨夜はほぼ一晩ボイラーが唸っていた。
 い良いよクリスマス寒波に年末年始寒波来襲である。これらの寒波を越して本格的な冬の景色になる山里なのだ。
 さて、冬だ冬だ。
 

 雪に覆われた景色。木々も枯れ枝に雪の花が付いた。


 閻魔堂を上空から見下ろすと布橋も隅に写っていた。


12/21
 立山の方は薄暗い雲に覆われているが、村下、つまり反対側の方には青空が見えている。
 気温も氷点下は夜中まで、気の出後は徐々にあがり、9:00には2℃となっている。まあ、寒い事は寒い。
 雪は降っておらず、ドローンで写真を撮った。それでも電波が届くように縁側を開けての操縦故、親爺の耐寒力では
10分が限界である。が、10分の飛行時間でも沢山の写真は撮れるものだ。
 今、室温が漸く18℃まで上がった。ストーブ、床暖を入れての室温である。これが20℃になるのは昼頃だろうか。
 でも18℃というのは親爺にとってはかなり適した温度な様で、眠くなる。
 結構な厚着もしているが、ゴロリと横になって目をつぶると、5分は持つまい・・・・・。
 嘗て、昼寝はあまりしなかった親爺だが、最近はほぼ毎日、30分から1時間も昼寝をしてしまう。
 村下上空には青空が見えている。


 立山の方は薄暗い空の下だ。


 今の処生活には支障ない雪の量だ。これからどれだけ積もるのか・・・。



12/20
 昨日の晴れ間は朝の束の間。だが今朝は昨日より良く晴れている。
 昨日寝しなにオカカと明日は晴れるな、と話していたら「明日は放射冷却でガチガチになるよ。」と頗る科学的な言葉
が出て「おお凄いこと知ってるな。」と茶化したが、考えて見ればオカカも30年以上山小屋の女将さんだった訳で、お客
さんとの電話は殆どオカカが担当だったし、我家にはお天気博士のような人々も多く出入りし、親爺とお客さんの話も
いつもそばで聞いていたのだから、門前の小僧・・・と云うと怒られるかもしれぬが、色々な山の天気の情報を吸収して
居たのだろう。
 オカカの予想通り今朝は凍てついていた。そして大日も見えていた。
 時間が早いので東にある立山は我が家から撮影すると一寸逆光気味になる。が、待っているとガスってしまう事も多
いので、朝食後即、実は少々てこずったりしながらもドローンを上げて撮った。
 凡そ思った通りの写真なれど良し。
 11:00を廻ったが木に着いた氷はまだ着いたままだ。気温が上がるのが遅い。日陰だからかも。
 山里の地上高度50m余りからの立山


 金毘羅様の社のある打越山山頂に近づこうとするも果たせず。落としたら回収が困難とビビるから。


 鍬崎山も見えている。逆光で見にくいが。


12/19
 ほぼ一週間ぶりに青空が見えた山里だ。
 しかし気温は氷点下まで下がっていたので、朝は夜具から出ると身が引き締まった。
 身体がまだ本当の寒さに慣れていないのだろう。冬の朝晩はカチカチに凍っていて当たり前な山里である。
 中学生の頃だったろうか、当時は今ほど丁寧な除雪などしなかった。皆車を持っておらず、移動は雪の中でも雪上
を歩くのがふつうで、そんなに車を通すような道は、村の中を通る県道一本だった。
 だから旧立山道沿いの我が家の前など、雪下ろしの雪が道路に出され、可成り圧雪状態で踏み固められていた。
 でもそれが圧雪になって、やがて凍る。凍ると年寄りや酔っ払いの父ちゃんたちが転ぶ。で、祖母に頼まれて、凍っ
ている箇所に、買ってもらったピッケルを使ってステップを切りに出る。やや小ぶりのピッケルだが比較的良いもので
オカカと一緒になった20代終わりまで使っていた。で、それを持ってカツカツと氷面に刻みを入れておけば、先ずすっ
てんころりんとやることは無かったわけだ。
 宿題よりもこっちの方が面白く、我が家前から県道に続く旧道を、十数メートルも、幅50cm程で滑り止めの刻みを
いれるのだ。と、そんなある夜、父の飲み仲間Mさんがかなり良い機嫌で通りかかった。
 「おおカズやぁ、有難う転ばんようにステップ入れてくれたんか。こりゃ転ばんぞ・・・」とご機嫌で我が家の前を通り
過ぎて行った。我家の先は閻魔堂石段まで勾配が緩くなり殆ど平坦だ。Mさんは父の親友で、遭難救助もしょっちゅう
一緒に出ていて、やがては山岳警備隊専属職員となっていた人だ。
 父の仲間故、リタイヤされてからも立山ガイド協会の再編に尽力され、副会長を長く務められた。
 雪を見ながら、その時の事を遠い記憶からふと思い出し、Mさんを懐かしんだ。
 昔の懐かしい我が山人たちも皆旅立ってしまった。
 凍り付いた今朝であった。


 不動山の上には青空が出てきた。


 電線まで凍り付いている。


12/18
 今日はオカカが美容院へ行ったので親爺は留守番である。
 明日は親爺が病院へ眼科の定期健診。これで年内の通院収めになるだろう。
 今朝も寒かったから、オカカに背中に使い捨てカイロを2枚貼って貰った。一枚は肩甲骨の間やや下部、もう一枚
は腰の上部である。下着の上に重ね着しているトレーナーの上に懐炉を貼り、その上にフリースを着込む。まるで
電気羽織を着ているような感じである。この上に羽毛服を着れば、雪上キャンプでもかなり暖かいだろう。
 まあ、寒い冬を越すにはそれなりの工夫も要る。
 寝室でも眠りにつく前の二三時間は温風ヒーターを焚く。そしてその温風出口から、フレキシブルな直径10cm程
の金属パイプで、夜具の中に温風を引き込む。寝る前に撤去し、夜具に入るのだが、温かく気持ちが良く直ぐに眠
くなってくる。このパイプは東北の方で使われ始めた様だ。こたつにパイプをさし込んで使うのが本来の使い方らしい。
 これとて冬を過ごす工夫で、雪国の生活には切りがない程の工夫が凝らされている。雪囲いや、越冬野菜の貯蔵
など、古くからの工夫も言い出すときりが無い。
 居間の窓外の景色は、冬そのもの也。


 どちらを振り返っても雪は降り続いている。我が山里の積雪は10:30現在13cm、気温は0.8℃である。
 


12/17
 最近は食品の仕入れは8割方行きつけのスーパー、或いはちょっと離れたところにあるスーパーばかりでいずれ
にしろスーパーでの購入になっている。野菜、肉、魚、等々・・・。
 一か所でほぼすべてが買えるから便利であるし、食品以外の日用品も先ず間に合う。
 我が山里など、昔は町場の商店街などで買い物をするのはまれで、大半が移動販売、担ぎ屋さんから肉、魚など
は購入し、村内にも5,6店の雑貨屋、乾物屋があって、普段の買い物はそこで足りたし、豆腐屋も2件ほどあった。
 それが何時しか町場の商店街から少し離れた場所にスーパー下出来始め、我が山里の村すらも車の普及と道路
の整備により物の15分も有ればスーパーマーケットに到着できる様になった。
 今買い物で不自由はないが、雪が降り積もる冬は出歩くのが面倒で、しかも危険になる・・・歳とともに。
 が今度はアマゾンが有る・・・。
 まあ昔を思えば便利になったものである。が、それとともに商店街や、山里の雑貨店なども廃れて、今は町場の商
店街などシャッター街化し、我が山里の村には雑貨屋も全くなくなってしまった。
 時代がそうしてしまったのだ。時の流れが変えてゆくのだ。
 今朝も薄暗く寒々した山里である。


 山里は今日は霙が降っている。                  庭も雪に覆われた。
   


12/16
 年賀状がテレビで話題になっている。「年賀状じまい」がテーマであるから、高齢化した我が国の話題としては
さもありなん。
 親爺も70の古希となった年に、それまでお世話になっていた山岳関係者の皆様、山小屋を引退してもなお、お
付き合いを頂いていたお客様には失礼ながら年賀状を辞退申し上げた。
 100枚を超す年賀状はもう無理である。
 内輪の兄弟、従兄弟姉妹たち、叔父叔母(もう最後の叔父叔母)1人づつ、娘と孫、学生時代の友人数人その
他よくわからぬご縁の方々と、都合30枚程だけを残し、極々内輪に止めたわけだ。
 それも手に合わぬ様になったら、潔く全て辞退するつもりだが、惚けても失礼を許してもらえるような範囲でしか
賀状など書かぬほうが良いかもしれない。
 さて今から今年の分を印刷に掛けよう。これですら結構面倒な作業デアル。
 今日も寒くて薄暗い日だ。


 山里の家々はどこもかしこも屋根に雪を乗せた。          川向の山々も、すっかり冬の佇まい。もう春が恋しくてたまらない。
 


12/15
 雪は一先ず止んだが、薄暗い鉛色の空の下に居ると、ついつい気も沈む。
 今は何の不自由もない生活だが、親爺もオカカもまだ元気だからで、年齢的にはどんな不都合が起こっても
不思議のない時期に入っているのだ。
 でも先行きなど考えて見ても、どうしようもないし、こんな空の下でかんがえる先行きなど暗くなるに決まっている。
 冬が来ると益々気が滅入るようになってきた親爺だ。
 我が人生でもう何度雪に埋もれた生活をするのだろうか、そう多くはないはずだ。でもその冬を惜しむ気分はもう
全く無い。
 雪が解け、フキノトウやワラビが顔を出す季節がもう待ち遠しい。
 ああ。また降ってきた。


 早朝はまだ、雪も降っていなかった。                 庭の生け垣の角に植えてあるつげに雪が積もった。
 

 ああ、嫌な景色だ・・・。


12/14
 今朝は昨夜からの雪が20cm程積もって、今シーズン初めての除雪車が出た。
 外は一面雪化粧で、スッカリ寒々した景色になってしまった。ああ、嫌だいやだ。雪なんぞ見たくもないのに
律儀に時期が来れば必ず降って来る。
 朝からぼやきっぱなしの親爺だが、雪がまだチラつく中ドローンを上げて撮影することは忘れない。
 オカカは土曜日セールで安くなるからと立山町のスーパーへ出かけた。道路はきれいに除雪され、隣村の
千垣辺りから下は全く問題ない。
 出がけに、朝早く除雪してもらった車庫前にまた10cm余りの雪が積もってその除雪が大変だったようだ。
 山里の暮らしは雪との戦いが始まった。
 オカカが孤軍奮闘中、親爺は何の役にも立たない。


 山里の我が村の最も上手のエリア。


 この雪景色綺麗ではあるが、その下で暮らすものには雪は大敵である。


12/13
 昨日立山町の中心、五百石(ゴヒャッコク)で早朝の火事があり、住んでいた高齢の女性と連絡が取れなくな
っているとニュースが流れたが、その前に立山町役場からの火災情報が入っていた。
 年末になると良くある話だが、従姉の嫁ぎ先の菓子店が傍にあると判ったので、少々遅れたが見舞いの電話
を入れた。と、店の2軒隣の旧書店が火元だったそうで、少し驚いた。
 高校時代の教科書を専売していた古い店で、確か同級生の家だったと記憶している。
 その同級生が連絡の取れなくなっている本人の様だが、確かピアノが上手く、そのピアノで奈良女子大に入っ
て、往時の校長を喜ばせた生徒と云う事と、ある日遅刻しそうになり駅からの通学路を一生懸命急いでいると、
何やら気抜けしたような歩き方をしている女学生が前を歩いているのを目の端に捕らえた。そして追い越した。
 追い越してから同級生だと気付いたが、おしゃれ盛りの女子高生のはずなのに、櫛も入っていない様なぼさぼ
さの髪で、奇妙に疲れた様に見えた事だけが記憶にあり、それ以外の記憶は皆無である。
 夕方のテレビのニュースでは、立山町の商店街で火事があって、そこに住んでいた家主の高齢女性との連絡
が取れなくなっており、発見された焼死体が本人かどうか確認を急いでいるとの事だった。
 田舎の高校で100人足らずの普通科同級生だったが女子の数は少なかった。その他にも家政科、商業科とあ
り所謂実業科は圧倒的に女子の数が多かった。そんな時代だったのだ。
 名前も旧姓のままだし、ピアノで活躍したという話も、門外漢の親爺には聞こえてこなかったし、最期が生家の
火災跡ときては、まったく口も聞いた事のない、その面影すらおぼろな同級生ではあるがどんな人生を送ったの
だろうかと、遅刻の朝に追い越した後ろ姿を思い出した。一抹の寂しさを禁じ得ない。冥福を祈るのみ。
 立山は全く見えぬ。せっかっくドローンを上げて見たので、低空飛行で閻魔堂も撮影してみた。


 今朝は明かりもついていない。閻魔堂。


 立山はほとんど見えていないが、僅かに美女平と大日の裾が見える。雪が少ない。


12/12
 寒い朝だったが、起きだすと綺麗に晴れていた。オカカが早朝に出かけたので親爺は一人で朝食を済ませ、
早速ドローンを上げて見ようと縁側に出た。が、此処で一寸トラブル。ドローン用の携帯電話の電源がゼロに
近い。これは充電せねばドローンも上げられぬ。で、寒い縁側から暖かい居間へ引き返したが、やろうとして
いた事の手順が狂うと、その後の予定も狂い、いろいろやりたかったのだが面倒になって、録画しておいた記
録映画を観出した。
 時間はたちまちすぎて、携帯の電源も満充電になったのでドローンを上げ様と縁側基地に出てびっくり。雪で
ある。まあ小雪なのでそのままドローンを上げ、本の三、四分で切り上げた。寒くてたまらない。
 居間に引き上げごそごそやっている中にオカカが帰ってきて、買い込んできた大きな鯛のアラ煮を作ることに
なり、昼までその仕事に没頭。
 何をしているか分らぬまま、今に至る。
 考えてみるとまあほぼ行き当たりばったりで、こんな状態である。隠居暮らしゆえ気楽なものだ。
 今朝は青空が出、不動の山の雑木林も白く凍てついていた。


 もたもたして居たら、陽が隠れ薄暗くなって雪が降り出した。


 なんだこれは気まぐれな親爺の様なテンキ也。


12/11
 立山の雨域は如何なのだろう?親爺はさほど多くないと踏んでいるのだが。
 山を離れて隠居暮らしの今、立山の雪にそんなに興味を持つ必要もないのだが、長年の身に染みた癖で、山
が白くなるころには、ついつい立山を眺めてばかりいる。
 ここ10年ばかりは顕著になってきた温暖化の所為で雪の付き方を遠目で見ていても、実際の山のルートの状
態は正確には判断できないかもしれない。長い間培ってきた山での経験が、現在の山では大きな変化があって
通用せぬかもしれない。
 それでも毎日、見える時は必ず山を眺めている親爺だ。
 残念ながら今日も立山は見えていない。


 新潟に家族旅行に行った長女がお土産にへぎそばを買ってきてくれた。汁付きだからこの昼にでも頂こうか。
 

 我が山里の最も上手の部分。昔は150戸以上の戸数があり人口も600人を超えていた大邑だった。


12/10
 秋田で熊騒動が続き、スーパーに立てこもって肉を食い散らかしたりの傍若無人を働いて、数多の警察官や
失礼ながら少々高齢化した地元ハンター氏らが随分苦労して捕獲して、結局殺したそうだ。
 人間界に出てきて、人間にけがを負わせ、店の肉を食い漁り居座りを決め込んだ野獣など殺す以外ない。殺さず
山に帰してやっても明日には戻って来る。獣とはそういうものなのだ。
 親爺も昔自然保護団地を名乗る人と大喧嘩をしたことが有る。論争では親爺が圧勝していたと思う。でも相手は
引かず、終いには感情論で来る。だから論争ではなく喧嘩となる。
 ・害獣は捕らえて、簡単にもどれぬ奥山へ帰すべきで、欧米では皆そうしている。日本では安易に殺す。
 ・欧米でも広大な国土を持っていればそれも可能だが、日本のような狭い国土では奥山へ帰しても直ぐに戻って
来る。下手をすると奥山の先には別の集落がありそれは不可能だ。
 ・しかし殺してばかりだと、解決策にならぬではないか。野生動物を保護するという観点に立って、保護を進めないと。
 ・仰ることは解るが、農作物を荒らされ、襲われると云う被害が発生している時に、人間を守るか野獣をっもるかと云
う、即対応しなければならぬ場面では、野獣を守るは人間を守るに優先する事はないし、あってはならない。果敢に野
獣を殺し対応すべきではないか。
 ・そんな勝手な話があるか。自分らが自然を破壊しておいて、棲家を失った野生の獣が町場へ出てきたらすぐに殺す
という事は許されぬ。
 ・野獣に人間が襲われ危害を受ける事はもっと許されぬ。もしあんたが野獣を殺さずに人間を守り、野獣に二度とこ
んなことはせぬと躾けられるいい方法があるなら、だれも好きに殺しはしない。どう保護すべきか提案してくれ。
 ・山を自然に戻せ。林道も登山道もいらんわい・・・。
 ・この大惚け野郎お前らみたいな奴らが捕鯨船に体当たりするんだ!!
 と、まあ、喧嘩になったのだ。
 こんな自然保護、動物愛護グループの連中は、大概が獣の被害などに遭ったこともないエリアに暮らす甘ちょろである。
 秋田県のみなさん県庁主導で断固頑張ってください。危ないクマは射殺しかないのです。
 今日は立山が光り輝いています。


 「おらが村」も雪化粧也。


 立山の連なる峰々が良く見えている。


12/9
 いよいよ雪が来て、除雪機の音がしだした。まだ除雪機で除雪をするほどの雪は無いが、予行演習だろうか?
 テレビでは10年に一度の大雪になると云っているが、親爺にすれば例年通りだろうと思っている。
 屋根はもう雪で真っ白だが、もう一度溶けるだろうが、融雪装置の点検がまだだ。まあ信頼できるMさんに管理を任
せて居るので、その中来るだろう。
 さていよいよ冬で月半ばには大きな雪も来るかもしれないが、せめて年末年始には晴れて欲しいものだ、
 孫たちと末たちが来るからだ。
 年末には若い衆に食べさせるお節の用意をオカカと二人でする。
 大みそかには次女と三女と東京の孫がそろい、正月元旦には長女と黒部の孫もやってくる。
 この大騒動が収束する5日までの雪が気になる。
 雪国故の心配である。
 村の上手の雪景色。


 村の下手に向かっての雪景色。


 来拝山の雪もまだまだ一寸新雪を被った程度だ。
 


12/8
 5:00頃小用に起きた時はまだ屋根が薄っすらと雪に覆われていただけで降雪は無かった。
 もうひと眠りし7:30過ぎに起きだすと、かなりの勢いで雪が降り始めた。予報通り今日はほぼ一日雪が降るかもしれない。
 末娘が早朝に友人の結婚式で出かけた。もう式も始まっている頃だ。
 長女と孫が来ていて、賑やかだが、雪遊びがしたくてたまらぬ孫だ。だがこの水雪で、屋根から雪が落ちるので外遊び
は無理だと云って聞かせるとあばれることもない。小学一年生ながら少しは聞き分けも良くなったのだろう。
 まあ爺が傍について遊ばせなければならなかった頃よりははるかに楽になったが、寂しくなったのも本音。
 畏友Hさん曰く「佐伯さん孫なんて3歳までだよ。」と。何となくわかる気がする。が、未だ寝る時はジジとゴロゴロしてからだ
し、ジジババが大好きな孫だ。
 孫と云えば東京にもいる。暮れにはママと富山へ来て「ジジババの処に7つ泊まるんだよ」ともう楽しみにしている。
 親爺もオカカも毎日に張りが出る。張は出るが疲れもでる・・・でも帰ってしまうと寂しくなる。
 そんな年末年始もすぐそこだ。


 我が庭も真っ白雪化粧。                       縁側の引き戸を開けると真っ白だ。
 


12/7
 今朝は寒さで目が覚めた。確かに雪は降っていたが真冬の寒さではない。身体がまだまだ寒さに順化できないの
だろう。
 また3日ほど山の見えない日が続き、雄山山頂のライブカメラも全く見えぬので、想像するだけだが、立山にも結構
な雪が降っているのではなかろうか。
 きっとこの次の晴天時には、真っ白な新雪に覆われた立山が見えるだろう。一寸楽しみである。
 今日は松本から末娘がやって来るので、道路の状態が心配で、156号線の安房トンネルまでの道をライブカメラで
チェックし、娘に電話しておいた。長野自動車道も平気だが、時間的には変わらず、安房トンネルから平湯温泉経由
で神岡に抜けるのが一番近い。
 まあ、いつも運転しているし、軽とは言え4WDでちゃんとスノータイヤもはいているから大丈夫だろう。
 さて、昼過ぎには黒部の孫もやってきて賑わう事だろう。
 今朝の山里はこの程度の雪だ。


 いつもの我が家の周りの寒々とした情景だ。まあ除雪も雪下ろしも、まだまだ必要はないが。
 


12/6
 今朝は冷たい雨が降っている。この雨が雪になりそうン気配がする。
 いやなことに1ヶ月の長期予報では、例年より雪が多いとの事だが親爺にはどの程度雪が多いのかわからない。
 30年ほど前の雪と比べると、最近の雪は絶対量が少ないと思うのは親爺だけだろうか?
 関東平野や、普段降らぬエリアに雪が降ると大騒ぎだが、我が芦峅の山里に降る雪と云うのは10cmや20cmでは
騒ぎにならない。最低一晩に50~60cmも降れば、降ったなぁ!と云う程度だ。
 昔は機械力による除雪もままならなかったから、一冬雪に閉ざされて過ごす事もあった。
 しかし今は閉ざされて過ごす冬の日は殆ど無くなった。機械力が大半を解決した。
 9:30現在床暖とストーブを焚いて居間の気温は16℃。外気温は5℃もないだろう。
 足元が寒い。


 立山は全く見えない。


 ドローンを飛ばし写真を撮る親爺。             外は寒くて小雨が降っている。ドローンも早々に下ろした
 
 


12/5
 温度差アレルギーと云うのが有るそうだ。一寸ドローンを上げようと縁側に出て外の空気に触れ、10分余を愉しん
で、ドローンを回収し、縁側ドアを閉め施錠(近年は物騒だから)カーテンもちゃんと引いて機材を一式手に居間へ帰
って、さて写真は撮れているかなと、PCに取り込み作業を始めるや鼻水がタラーリ・・・鼻をかんでも次々と鼻水が出
て来るので、これはかなわない。葛根湯か風邪薬を飲んでしばらくするとぴたりと止まるのだが、毎朝この鼻水タラり
に閉口している。で、親爺のティッシュ使用量はオカカの5倍以上・・・だそうだ。
 まあ、ティッシュの消費に目くじらを立てることもないが、昔の漫画で、爺さんが料理をしながら鼻水を垂らすという
シーンが有って、自分が鼻水を垂らすとその爺さんの姿が浮かび、料理も好きな親爺なので、ちょっと嫌な気がする。
料理中に鼻水など垂らす姿にだけは成りたくない・・・。
 今日の薄暗い空の下で想う様なことはマア、こんなつまらぬ事だ。
 薄暗い空の下の山里の家々の佇まい。細やかな村人たちの生活が息づいている。。


 立山も全く見えない。今雨が降り出した。


 来拝山が見える。まだ雪は無い。


12/4
 最近は何処のテレビも、師走に入ったからと云って忠臣蔵を放送することが無くなった。これは国営放送でも一緒だ。
 それが昨日、BS12で放送された。赤穂浪士と云う映画だ。昭和36年の作品也。
 19:00~22:00までの3時間で、たっぷり見た。浅野内匠頭が大川橋蔵、大石内蔵助が片岡千恵蔵、吉良上野介は月
形龍之介、千坂兵部は市川歌右衛門・・・・・恐らく若い方々には馴染みのない俳優だろう。72歳の親爺とて左程知って
いる訳ではない。
 大川橋蔵は後に銭形平次で記憶にある。月形龍之介は水戸黄門の初代?程度の認識で、片岡千恵蔵、市川歌右衛
門に至っては名前のみ記憶している大御所である。
 その他にも片岡源吾役に山形勲、脇坂淡路に中村錦之助(子連れ狼で有名)や、後年有名になった大御所たちも色々
な役で出ていた。
 いや、画面はきれいだし、最近の映画とは異なり歌舞伎を見るような演技も昔をしのばせた。
 名シーンをつなぎ合わせたシーン構成。上野介のいじめを耐える内匠頭、畳表替えのシーンから始まる。親爺以上の
歳の人なら、何処から見ても分かる構成だ。
 次いで松の廊下、吉良への刃傷。即日当夜切腹。大騒ぎの播州赤穂城。城明け渡し、家中離散。淡々と端折って描
かれる。内蔵助一行の江戸下向道中、九条家公家侍との腹芸。吉良邸討ち入り準備で米屋に身をやつし図面を得る一
幕そして早々と南部坂雪の別れ、討ち入り。
 いいテンポで観たいところが描かれていて、かな手本忠臣蔵の話を、実の吉良邸討ち入りとして認識している多くの古
い日本人には(勿論親爺もその中)史実などどうでもよく、赤穂浪士の姿に涙を絞るのだ。
 史実は史実、忠臣蔵はかな手本忠臣蔵の世界として確立しているのだ。
 大佛次郎の原作だそうだが、面白く、涙を拭きながら観終わった。疲れた。打ち込んで観るからである。
 忠臣蔵は良い。日本人の遺伝子に響くものがある。
 今朝の山里はどんよりと山も見えず曇っている。


 ドローンの調子がおかしい?いや親爺が眼鏡をかけ忘れている・・・。それでも何とか無事飛ばし終わった。採れた写真もろくなものがない。
 


12/3
 昨日の晴天は今日の朝の中までは持った。
 昨晩国際宇宙ステーション希望が、18:04に頭上を通るから見えると、TVで盛んに言っていたので、ミーハー夫婦
はその時間に外に出、頭上を観察した。で、結局あっという間に発見し、数分にわたり観察できたのだ。
 西北の空に現れ、可成りの速さで南東に向かい飛行するという情報通りだが、東南方向と云えば立山の方向で、
7.7㎞/秒の速度で進んでいるというが、頭上を通過して東南方向に向かったあたりからは、見送る形になるためか
結構な時間見えていた。
 見えていたと云っても注視していても見えたり消えたりと云う見え方で、時折ぴかりと発光してハッキリ見えると云
った、何とも心細い見え方であった。が、兎に角見えたので、これで良し。
 夜空を見上げるという事が実に久々で、剱御前小舎現役の自分は、消灯後の星空をよく見たものだが、それ以来
かも知れない。星もよく見えやた昨夜だった。
 今日はもう午後からは完全な曇天に戻った。立山も見えぬ様になった山里だ。
 大日も山頂部は見えなくなった。


 不動の山も、川向のスキー場続きの山も、ガスに隠れ段々見えなくなって来た。
 



12/2
 師走二日は良い天気だ。昨日までの薄暗い鉛色の空が嘘の様だ。
 雪を被った白い峰々の連なりが空の青さににじむような輝きで並び聳えている。待望の雪の立山である。
 が、雪は例年に比べ少ない。師走の山里にも初雪は来たが溶けて消えて、何処にも雪は見えない。
 立山の雪景色は見たいが、山里には雪など降らぬほうが有難い。そんな事を思いながら村はずれを車で一回り
廻って来た。
 出不精の親爺も、立山の雪景色見たさには勝てなかった次第。
 ドローンを上げたかったが、面倒くさくてやめた。
 画質はSonyのコンパクトカメラの方が良い。
 

 雪鶴野向こうに立山の峰が光る。


 鍬崎山も雪を被った。


12/1
 師走朔日となった。
 元旦に大地震で始まった今年だったが、何となく自然災害の多い年だった様な気がする。未だ今年は終わってない
ので、過去形で語る事は出来ないが、立山の麓の山里はそんなに大きな変化もない。今の処は・・・。
 親爺個人にしても70代に入り、昨日が今日になるだけだの日々を過ごしているが、矢張り少しずつ老いを感じている。
 物忘れが多くなる。言葉が出てこない。根気が無くなる。集中力が無くなる。体力はとっくに無くなっている・・・。
 まあ、それでもオカカと二人の暮らしは何とか自立して時を送れている。勿論時には若い人たちに助けてもらっている
が、四六時中助けが居ると云うまでにはなっていない。特に親爺より4歳半ほどオカカが若いので、親爺は助けられてい
るばかりで、だんだん親爺が役に立つシーンが無くなっていく。
 辺りを見回しても、同じ顔触ればかりなのだが、皆一律に高齢化しており元気だった連中も早い遅いの差こそあれ、
徐々に衰えていくのが良くわかる。
 元気な日本経済を支えていたのが我々の世代だが、日本経済の衰え、日本の国力の衰えは我々の衰えに正比例して
いる。特に地方の衰えには歯止めなどかかるはずはない。
 若い人が居ないのだから、可愛い子供たちの姿が見られないのだから。
 師走朔日にぼやく親爺だ。
 ちょっと寝不足でマイナーな気分の親爺である。
 山里の家々の屋根に雪がなくなった。


 不動の山にも雪は無い。                           曇天で立山は見えない。
 


11/30
 雪は昨夜余り降り積もらなかった。それでも朝晩の寒さはかなりきつくなって来た。
 で、昨夜はオカカが冬用の夜具の上に更に一枚上掛けを掛けてくれたので、朝まで寒さを感ずることなくぐっすり
と眠れた。
 体調はまあまあだが、この秋ごろ、気温が下がってくるあたりから、腕が痛くなったリ首が痛くなったりとあちこちに
小さな軋みが出て、毎日膏薬を貼ったり、薬を飲んだりと身体の鋳掛が日課に組み込まれ、最近は背中に使い捨て
の懐炉をペタリと貼って貰ってもいる。
 暑いのも嫌だが寒いのも嫌になって来た。
 雪など降り積もってもスキーも銃猟(スキーを使う)ももう縁が無い。ただ邪魔なだけだ。
 まあ、少しは雪景色を愉しんだり、白くそびえる山を遠くから眺めたりするのは大好きで、足の裏にアイゼンの感触
が蘇って来るような気がする。
 霜月も晦日也。明日からは師走。時の流れのなんと早い事よ。
 屋根に雪が乗った山里の今朝。


 昨日は「これにて断筆」と云う見川センセイの絶筆となった本を、購入してほぼ20年たって、読んでみた。
 何度も言うが、読みたくても読めなかったのだ。それが何故かはよくわからぬが、読み切るのが、これ以上読めぬとなる
のが怖かった、嫌だったのだろう。
 見川センセイの本に初めて接したのは、この集英社文庫が初めてだった。恐らく昭和57年以降だ。
 その後すっかり見川ワールドが好きになり、単行本を主に買って、読み耽った。多分全巻ある。
 その頃は親爺も元気な盛り。山小屋親爺業、建設会社勤務の2足の草鞋を履き、夏は岩魚釣りから鮎の投網漁、冬は
スキーつっかけ銃猟に血道をあげ、野山を駆け巡っていた頃だ。
 センセイとの趣味がほぼ同じ、見も知らぬ那須の大自然を本の中で味わい。昔日の我が山里の古老たちにも似た那須
の山人や猟師や漁師たちにも近親感を持って本を読みこんだ。
 その第一冊目がこれだ。車庫裏の親爺部屋の書庫から探し出してきた。


 昨日の雪の降りよう。オカカは居間でごろついている親爺をしり目に玄関先に除雪用のスコップを並べた。
 


11/29
 過日、見川鯛山センセイの著作「これにて断筆」をまだ読まず本棚に入れたままにしている事を書いた。
 見川鯛山センセイが旅立たれてもう幾年になるのだろうか、と調べて見たらもう19年にもなる。しかもこの最後
の本は凡そ20年前の出版なのだ。
 単行本は既にほとんど読みつくし、見川ワールドのすばらしさを熟知しているつもりだが、この最後の本もそろ
そろ読んでおかぬと、勿体ないし、自分が72歳にもなっているのだから、もう読もうと決めて、今朝親爺部屋の本
棚から取り出し、普段過ごしている居間に持ち出した。
 親爺が滅多に手にせぬケース付きの上製本で、中には2冊の本が入っている。1冊は見川先生のこれにて断筆
もう1冊は写真を織り交ぜた見川先生の略歴紹介のごとき本である。
 つまり、1冊は見川ワールドでもう1冊は見川泰山(本名)氏の真の生涯だろう。両方未読なので読んでから何を
思ったか書くかもしれない。
 ボタン雪が降ったり、霙になったり、止んで見たりと実に忙しい空模様也。
 こんな日はゆっくり読書が良い。
 我が車庫や庭にも雪が降りだした。


 おお嫌だいやだ。雪なんぞ見たくないのに。


 見川鯛山センセイの絶筆となった「これにて断筆」の一冊、と思っていると中には2冊。生前の先生にお目にかかり、
釣りや猟の話を聞きたかった。
 


11/28
 昔から横文字の横行に苦言を呈した方々は多いが、変な言葉が出て来るのを耳にする度に、なんだそれはと
云う様ななぞなぞみたいな言葉に戸惑う事が年々多くなった。今はあまりにもひどい日本語もどきに、(横文字ば
かりとも限らぬが)閉口することは四六時中である。
 ルーティーンなど、何処のインテリが使いだしたのか知らぬが、一つの言葉で日課、手順等の一連の動きなど
を現わすらしい。
 朝のルーティーンなどと云うと、起きて洗面して歯も磨いて、散歩して、飯を食うなどをひとまとめに言うので、確
かに何でもかでもルーティーンと云っておけば済む。
 「朝起きて顔を洗って軽い体操をしてから飯を食い、天気が良ければ散歩も悪くはない。俺の朝の日課だよ。」
と云っても十分通じる。そこにルーティーンを入れる必要はない。
 海外暮らしが長かった薄っぺらい連中が使い始めたのだろう・・・
 ハラスメントと云う言葉もよく使われている。セクハラ、パワハラ、カスハラ・・・
 性的な差別、嫌がらせ。地位を笠に着た無理難題。お客の謂われない難癖。と何故日本語表記できぬのか?
 確かにセクハラ、パワハラ、カスハラと云えば多岐にわたる大まかな行為はパッとひらめくが、詳細は全くその
後の説明を聞かぬと判らない。
 流行り言葉もやがて定着し日本語になるかもしれない。
 最も多くの事々を詳細に伝達できる高度な言語と云われる日本語であり、学習するのも時間がかかる。
 教育現場でも自国語の学習習得に掛ける時間が最も多い国であるそうだ。
 新造語も悪くは無いのだろうが、古い言葉ももっともっと大切にせねば、日本語は廃れる一方だ。
 今日も薄暗い日で、何も考えることがないので、ついついどうでもいいことを言ってしまう。


 あっちを見てもこっちを見ても、冬枯れの、後は雪を待つばかりの景色が広がっているだけだ。せめて空が青ければ・・・。
 


11/27
 昨日一日風が吹き荒れ、大銀杏の端もきれいさっぱり吹き散らされた。オカカも二度ばかり、車庫前の落ち葉を
かき集め、ごみ袋に詰めていたが、その中に全て飛び散って何処かへ飛ばされてしまった。
 今朝、立山道を一回りしてきたが、オンバダン(姥谷)までの道に小山のように落ち葉が吹き溜まっていた。
 山里の雪はこれからだが、雪の本場の立山がまだ例年ほど積もっていない。山里の雪は立山と一緒に来るのだ
ろうか?親爺にとっては少なければ少ない程有難い雪なのだが。
 昨日強い風の吹く山里で、親爺は居間に寝転びながら、久しぶりに見川鯛山氏の本を開いて読み始め、その中
に見川ワールドに引き込まれていた。
 アユ釣り、銃猟が大好きで、スキーもこよなく愛した自称「山医者」の氏は、実は山間僻地の医師として地域に貢献
し続けた稀有な名医だった。
 その見川医師のユーモラスに描く、那須高原の人々と豊かな自然の物語の世界は、幾度読み返しても面白い。
 氏の最後の著作「これにて絶筆」は親爺の本棚に燦然と在るのだが、親爺はまだこれを読んで居ない。読めない
のだ。これを読んだらお終いだからだ。これ以上見川鯛山の文章が読めないからだ・・・。
 暖かい小雨の降る霜月末の日、見川先生の絶筆を引っ張り出してみようか。迷っている。


 元気な森さん。エベレスト街道途上、オンちゃん事オンパラカシに出会った。オンちゃんは親爺の教え子でも優秀な生徒
だったし、1年の研修生活終了後も親爺の経営していた剱御前小舎によく遊びに来て手伝ってくれた。
 クムジュンスクールの小学校3年生の頃からの付き合いだ。今はロッジのオーナー。


 オンちゃんの兄が建てたロッジだが、、今オンちゃんがやっている様だ。


11/26
 暖かい日になって、昨夜も左程寒くなかったのだが、味噌おでんを煮る予定ったので、朝から大根やバラ肉を
下茹でし、こんにゃくも湯通しして準備にかかった。
 土鍋で煮干しと昆布と鰹節でだしを取って、白みそ赤味噌のブレンドに砂糖、酒、醤油なども加え、下茹でした
材料を並べ入れて煮込んだ。
 一煮立ちしたら、土鍋ごとストーブに運び、ストーブの上で夕方まで煮込む。だから我が居間は味噌おでんの良
い臭いが漂い、温かくいい心持になってくる。但し、前述のごとくやや暖かい日なので一寸暑苦しい?気もする。
 まあ、ゆるやかに流れる時間の中で好きなように暮らす隠居生活デアル。
 遠く見える大日だが、せっかくの雪衣を又脱いで、春先の様な雪模様。
 味噌おでんを煮る日にはちょっと早すぎたかもしれぬ。
 銀杏の落ち葉が飛んできた我が庭。


 朝からドローンを上げ、立山を撮ろうとするも、一寸レンズが曇ってしまった。味噌おでんは土鍋でストーブの上で煮るのが一番うまい。
 

 春先の残雪の様な大日岳の雪模様。


11/25
 帰宅2日目。今日は真っ青な空が広がる寒い山里だ。
 しかし住み慣れた家に火の気も戻り、床暖は暖かく、ストーブも赤々燃え、薬缶もチンチン湯気を履いている。
我が山里の家の居間は何処よりも良い・・・。
 朝もオカカに起こされるまでぐっすり惰眠を貪った。
 軽い朝食(薬を飲むために食べているような食事で、飯1/3膳、焼きのり3枚、炒り卵少々)の後は軽いストレ
ッチと云うか、リハビリ体操のようなものをして我が定席に座り込む。
 後はゴロゴロ日を過ごすのだが、ネパールクンブーをトレッキング中のトモちゃんからラインが入る。森さんも
同行していて、写真を撮りまくっている様だ。今日ロブジェに入る予定だそうで、いよいよ4950mの標高になる。
最終到達点がカラパタールだろうから5500mを超える。高度純化も美味く言って居る様だ。
 トモちゃんはともかく、77歳になっている森さんの元気に驚いてしまう。
 まあ、元気な連中だ。親爺は前倒ししてネパールヒマラヤを愉しんでおいて良かった。今はヒマラヤどころか
我が立山さえも全く歩けない。
 相撲も野球も終わったし、さて今日は何をして過ごそうか・・・。
 低くなった太陽でハレーションが凄い写真。


 七五三の翌日からは千葉館山でグランピング。人生初のテント泊。黒部のお姉ちゃんはおしゃれが楽しくて仕方ない。可愛いぞ!!
 ジジの宝が二人。まあ、二人の孫は大きな生甲斐でもある。何時までも行く末を見て居たい。
 


11/24
 21日に新幹線利用で東京に向かった。東京の男孫が七五三の祝いを行うので、それに参列のため也。
 普段は車の生活故公共の交通機関を使う事は殆ど無く、どうも時間に縛られ、座席に縛られ、ホームから駅の
出口に出て、更に他の交通機関で目的地に到着と云う事を思うと、親爺には全く向かない。
 地方の出発駅ならよいが、東京駅のような巨大駅では、不慣れな田舎の老夫婦は歩行速度についてゆけず、
更にルートも四六時中変わっているので、ホームから目的の出口に行こうとすると不慣れ故に迷う。
 若い時には平気で自由自在に歩けたし、年に幾度も上京しており、地理感もあったから、何とも思わず通った
階段や、曲がり角が、まるで障壁に迷路のように感ぜられほとほと閉口した。
 しかも普段の生活が影響し、駅内部ワンデリングで、青息吐息となって足までもつれる始末・・・。タクシー乗り場
に到着した時には本当にほっとしたのである。
 今度上京するときには車で来るぞと思った。
 黒部の孫も7歳の七五三祝いで、今度は重なってしまった。三歳の時の七五三は一緒に参拝したから、今度は
東京の孫の5歳の七五三祝いに出ることにしたのだが、黒部の孫は黒部のジジババが参列してくれたから、寂しく
は無かったろう。
 昨日夕刻オカカと二人疲れ果てて帰宅した。新幹線は珍しく15分遅れ、家は3日程火の気がなかったので寒い。
 床暖を入れ、ストーブを焚き、急速暖房用の温風ヒーターも炊いた。
 居間が温まり、床も温まり、オカカはソファーで親爺は床に敷いたマットレスでそれぞれ寛いだ。
 家はいい。
 標高2400以上は晴れている。雄山山頂カメラは氷が付いて見えぬが室堂のカメラが綺麗な青空と白い峰を映していた。
 山里は雲海の下なのだろう。


 凄いおすましお姉ちゃん。可愛くて爺が居たら抱っこしてホッペにチュ。こっちはスタジオで刀の握りが逆なんだけどカッコいい!!
 

 初めて詣でた水天宮、東京らしくビルの中・・・ 水天宮には次女の安産祈願成就のお礼参りもかかねての参拝也。
 

 お姉ちゃんは洋装ドレスでもオシャレをして一枚撮影。            お兄ちゃんも嫌だったけどちょっと化粧させられた。
 


11/20
 今朝も寒くて、床暖とストーブは入っている。
 ネパールに入るトモちゃんからラインが入って来る。今は所謂エベレスト街道の入り口、ナムチェ辺りに向かっ
ているだろう。
 森さんと合流した様で、森さんは何度かクンブーエリアも経験してるから安心だ。
 もう写真を送ってくれた。親爺の初ネパールは1979年11月だったから、それは45年前の記憶の彼方。しかし
1989年からはクムジュンスクールと旧立山芦峅小学校の姉妹校提携に奔走、それ以降行き来が続き、1992年
にはネパールカトマンズに、その時親爺の勤務していた、丸新志鷹建設の支店開設に当時の専務(現社長)とと
もに足げく通うようになり、ついにはネパール支店担当としてネパールは第2の母国のようになってきた。
 入国ビザもビジネスビザ、年に3~4回の往復をし、2006年に山小屋業に専念するため退社するまで、延べ五十
回以上もネパールへ通ったものだ。
 が、山小屋業専念以降、タイやベトナム、中国、台湾には足を延ばしたが、ネパールへは18年間行っていない。
 小屋の連中が行くたびに、色々な手配などはしてやったし、ネパールの兄弟とは未だに連絡を取り合っているが
行きそびれたままになっているのだ。
 まあ、どんなにネパールが変わっただろうか、見てみたい気もするので、その中オカカと二人ふらりと行くかもし
れない。攻めて元気なうちに。
 大日の山裾に雪が来ている。


 トモちゃんとペンバ。カトマンズの何処高は解らない。           森さんも合流。ルクラからナムチェに向かう。この橋は記憶にない。
 

 昨日の雄山から見た剱岳。雄山山頂カメラよりは医者器。


11/19
 寒い朝だと思っていたら昨夜雪が降った様だ。家々の屋根も白く、不動の山肌も雪をわずかにかぶっている。
 陽射しが出たと思ったら家々の屋根の雪はあっという間になくなって、親爺が朝飯後にドローンを上げた時は
もう不動の雪が確認できるだけであった。
 それでも明らかな山里の初雪で、ドローンで見た景色では川向のスキー場の雪も確認できた。
 これだけ気温が下がると床暖も出番となる。今日初めて床暖を焚いてみた。温かい。
 床暖に反射式の大きな石油ストーブ、予備として温風ヒーター。
 いきなりの寒い日に体が慣れていないせいか、寒いと感ずる。高齢で耐寒力も落ちてはいるだろう。
 自動車のタイヤもスノータイヤに履き替えた。今はスタッドレスとかいうらしいが、スノータイヤでも話が通じる。
怪訝な顔で「スタッドレスの事ですか?」などと聴きかえす若造には「プロの癖にスノータイヤ知らないのか」と余計
な一言を帰す。「天津丼」とオーダーすると「天津飯の事ですね」と返して来る若造の店員並みに不快を感ずる。
 愈々もって偏屈爺也。
 今オカカにお願いして背中に懐炉を貼って貰った。「じじい」の掛け声付きでペタリと。
 不動山が白くなった。


 僅かに屋根に雪が見えるが朝の陽ざしの一射しで溶けてしまった。 不動の奥の来拝山は見えぬがかなり白くなっているだろう。
 


11/18
 今朝は肌寒い朝だ。雪が頭の中をチラチラとかすめる。
 兵庫県知事がパワハラやら何やらかやらで、不信任決議案を受け、止めた後の選挙で、県民の圧倒的な支持を受
け再当選した。
 他県の事だから余り詳細は知らぬが、内部告発やら、第三者委員会やら何やらかやらでほぼ孤立無援の様な報道
も多かった様だが、この結果は何だったのだろうか。
 ぱわはら、かすから、せくはら・・・なんにでもハラスメントのハラさえくっつければ嫌がらせ苛めになり、問題視される。
 中には全く意味の分からぬハラもあるが、それは可成り主観的な部分もあり、当事者にしか分らぬハラもあるかも知
れないし、何でもかんでもハラをくっつけてしまうから意味が解らぬ様になる。
 確かに地位をかさにきた不当ないじめや嫌がらせも、不愉快な態度も多々ある。どう考えても侮辱としか考えられぬ
対応もある。が、一々それに敏感に反応し目くじらを立てるのも大人げない。
 で、今回の再選挙当選だが、不信任案を突き付けられた知事にも、突き付けた議会にも、もう少し冷静になって欲し
いものだ。
 報復人事はあるだろうし、されても仕方ない無能な議員や、職員もいただろう。
 再選されたとはいえ知事本人の人柄に、問題が有っただろう事も見えて来る。
 組織と云うかグループと云うか、人間界も動物界も基本的には群れになると必ず力関係が出来てくる。力がルールに
なり序列ができる。アリンコの社会も人間の社会も、世界の国家間にも序列があるではないか。
 それに従うか従わぬか、難しい話で在る。
 頭が痛くなってきた。親爺の頭にはオーバーロードの話だ。
 雪待が顔の外の風景。今日は寒い。


 お姉ちゃんはパパママと新潟のあてま高原へ家族旅行。 お兄ちゃんはママと犬山へ親子旅行。でも城下町散策は昼寝中。
 


11/17
 季節の変わり目は老体に障る。
 鼻水が出て困ると思っていたら頭痛が来て、肩こりもひどい。風邪薬を飲むと症状が軽減するので、風邪だと判断。
 熱が出たり喉や頭が痛むのは風邪に間違いないが、何となく気だるかったりするのも風邪であるらしい。
 まあそんなところで、親爺はゴロゴロと時代小説でも読んで、ウトウトしている間にすっきりしてくる。だから今日の様
な曇り空で薄暗く温かい日はゴロゴロ過ごすには最適である。
 まあ元々がずぼらな親爺、老いてもなおずぼらだ。
 さて、今日もソロソロゴロゴロする時間だ。
 季節は可笑しいくらい温かいけれども、ちゃんと巡っていて銀杏は黄色く色づいてきた。


 山も下部の方がよく見えていて、我が家の周りも次々と色濃く秋の深まりが目に見えて来る。
 


11/16
 昨日は風邪気味で頭痛がして、床屋で髪を短く切ってもらっただけで、後は本を読んで過ごした。
 藤沢周平氏の再読だが、氏の隠し剣、秘太刀等のシリーズは大好きで、池波正太郎氏の剣客シリーズや藤枝梅安
のシリーズ並みに大好きなのだ。
 時代劇が好きなのだろう。自分でもおかしく、なぜだろうと思うのだが、所謂娯楽小説と云うジャンルの小説でもレベ
ルは非常に高いと思われる。
 最近の小説と呼べるかどうかは解らぬライトノベルと称した読み物を娯楽小説と云うなら、それは異質である。
 大人の本と子供の本と云ういい方も可笑しいだろうが、文章の質が違う。
 以前横書きで文学賞を取った女性作家がいたが、それだけで読もうとは思わぬ。日本語は縦書きで馴染んできた。
 何が悲しくて横書きにする必要があるのか?新聞も雑誌も日本版は概ね縦書である。それが正しい日本語の表記だ。
西洋文化の横書きを何故真似て書く必要があるのだ。
 漢字、ひらがな、カタカナと3種の文字を使い、多岐にわたる表現を可能としている日本語を見直して欲しいものだ。
 世界で一番難しい言語であるらしいが日本人の心情を表記するのに、これ以上の言語はない。
 表意文字、表音文字をうまく組み合わせた表現は難しいが実に豊かである。
 大日の雪はすっかり解け切った。春ならぬ霜月半ばの事である・・・。


 今日成田からトモちゃんがRA434便でカトマンズに向けて飛び立った。定刻通りに飛ぶことはまず無いRA故さっき
飛び立ったばかりかも知れぬ。もうネパールには18年間行って居ない親爺だ。
 変わった街角の景色や、ネオン輝くなナムチェバザールの写真を送ってくれるだろう。


 なつかしいRAの機体。エアバス330だったろうか。


11/14
 立山に雪が来ない。初冠雪も観たし、雪化粧の立山も観たが、もう70年以上見て居る立山に白い峰々が見えぬ
霜月は、何やら物足りぬ。
 山里の冬景色はもう見たくないが、見上げる立山の峰々には真っ白に光り輝く姿こそふさわしい。
 勝手なことをほざきながら、今日も山を見上げたが雪がない。霜月も半ばに差し掛かっているというのに。
 親爺が剱御前小舎の現役時代、10月8日に季節外れの大降雪が有って、雄山主稜線、富士の折立を下りきった
真砂岳の広い稜線部で、疲労凍死大量遭難があった。
 極めてまれなことだが、自然の気まぐれは予想もつかぬ惨事を引き起こす。
 降らねば寂しいし、降りすぎても怖いし、自然の中で楽しみ、生きるという事は実は大変な事なのだ・・・。
 大分秋っぽく。なってきた。


 不動山も大分色付いてきたが、その先にそびえる立山の峰々に雪は少ない。
 


11/13
 土建業が3K業と呼ばれだしたのは何時の頃だったろうか。
 親爺も地元の建設会社に勤務していたことがあり、ネパール支店の開設や10年にわたる研修生の受け入れなど
今も心に残る仕事や思い出も多い。
 山小屋を経営しながらの勤務だったから、2足の草鞋を常に意識していたが、自分の所属する業界が3K業界と
呼ばれることには、半ば納得しながらも腹立たしい思いが大きかった。
 3Kとは、きつい・危険・きたないの三つを指す。確かにイメージはその通りだった時期も長かった。
 しかし、この業種は基幹産業と呼ばれ、国の礎を築く最重要な産業である。
 親爺も30年勤務してこの業界を去り、山小屋業1本になって、2足の草鞋を脱いだ。確かに宮仕えという側面は親爺
には尤も不向きであっただろうが、仕事自体は苦しいことも有ったが、快い達成感もずいぶん味わったものだ。
 で、親爺の長女の婿殿が、婿殿の実家のこの家業を継ぎ、娘もその会社に勤務する様になっている現在だが、その
婿殿から電話で、「会社のCMをテレビで流しますので、おとうさんも観てください。」と云ってきた。婿は旅館業も、子会
社化して居るので、その旅館のCMならテレビでよく見るが、本業の土建会社のCMだという。
 オカカと二人指定された19時代の時間に、聞いたチャンネルに合わせCMを待ちかねて見ていたら、いきなり3Kと
テロップが出て、ひげ面の従業員さんがヘルメットをかぶり大写しで出た。で、大きな声で、給料・休暇・希望と頗る楽し
い3Kを掲げ建設会社のテロップが流れて、僅か10秒ほどのCMが終わった。
 いやいや驚いた。そうだ、こういう3Kこそ今や声を大にして云うべきだ。
 在りがちの「明日を開く建設業」などと云うCMより遥かにインパクトが強く、素晴らしい。
 土木建設会社の3Kイメージを逆手にとっての広告に、こういう明るい雰囲気の会社なら楽しいだろうと膝を打った。
 婿殿が中心になり、皆で知恵を出し合って作ったCMだとのこと。
 その通り。仕事の裏には「給料」「休暇」「希望」と云う明るく素晴らしい3Kがあるのだ。頑張れ!!!!!
 弥陀ヶ原の雲海の下にある山里だが、銀杏が綺麗に色付いた。

 
 不動の山も赤色がかなり出てきた。


11/12
 霜月半ばなれども青空が広がり陽射しも暖かい日也。
 折角雪衣を纏った立山であったが、もう大半は脱ぎ捨て、遠目にはわずかな雪しか見えなくなった。この時期の立山
の峰々は純白の衣を纏い青空に向かい輝いてこそ神々しさも増す。その姿はいましばらく見られまい。
 外気温も既に18℃程はある様だ。ストーブを消した。
 昨日徳島県から宅急便でスダチが送られて来た、送り主のお名前に気付かず、誰だったろうと電話をした。
 「富山の佐伯です。結構なものを頂きまして」とあいさつをすると「懐かしいですね親爺さん元気ですか?」と元気な声
が帰って来た。がまだ送り主に気付かずにいると先方から「覚えておられませんか、徳バス観光のKですよ。」と教えて
下さった。「徳バス観光」さんは剱御前小舎のお客様で毎年徳島から20名近いお客様がお越しくださったものだ。
 「徳バスで、解りました。徳バスのKさんですね。」と鮮やかに鮮明に先方を思い出した。
 いやいや大切なお客様の事を、いくら引退したからとは云いながら、こうもぼんやり忘れていては仕方がない。随分
Kさんには失礼してしまった。
 最近こんなことが良くある。山によくお越しくださった方々からの連絡を頂いたり、お心遣いをお送りいただいたりする
のだが、とっさにお名前が浮かばないのだ。話をするとすぐ思い出すのだが、瞬時に名が思い浮かばないというのは失礼
な話だ。
 が、これは年齢的なもので仕方ないらしい。
 皆さんにここで予め誤っておこう。電話をくださったり、お尋ねくださったりしてもとっさに思い出せぬ親爺をお許し下さい。
 でもまだ、元気で暮らしており、生きているので、ご心配なく。
 太陽が低い位置まで下りた。


 雪が消えてしまった大日。立山の雪は大方溶けてしまった様だ。 次女のプレゼントのポップコーン頗るしゃれた味付けで美味い。
 



11/11
 今朝はまたオカカと二人の生活に戻った。
 起きた頃は結構良い天気だった。朝食を終えてカメラだけを持って軽4WDに乗り込み山を見に出かけた。
 今更、立山アルペンルートや、称名道路へ出かけても詰まらぬので、嘗て銃猟に血道を上げていたころの、石臼林道
を走り、長倉峠手前から天気が崩れ青空が隠れてしまっていたので、少年の家の方へ廻って帰路に就いた。
 猟期は4日後に始まるが、もう関係ない。それでも長い習い性で、この時期にはかつての猟場が見たくなるのだろう。
 この先の谷には山鳥が付いているとか、この斜面には雪が付くとウサギの隠れる木の根方のうろが多くなる・・・。
 まあ、今でもそんな事を思いながら山々を走っていると一寸楽しい気分になる。
 5丁ほど持っていた散弾銃、ライフル銃、空気銃なども全て返納し、今は猿脅しのBB弾を撃つエアソフトガンだけを持っ
ている親爺だが、庭に入ったり、電線を伝ったりする猿を見つけ次第これで脅す。矢先の確認は嘗てとった杵柄、怠りな
く、5発ほど発射すると狂ったように逃げて行き3日~7日程は近づかない。
 かりに当たったとしても怪我もなく痛いだけだろうし、弾はバイオプラスチックで土にかえる。唯、駆除にはならぬので、
切りがない。閻魔堂の前の草地など子ザルの運動場の様だ。
 駆除と云うと殺伐とした響きがあるが、野生の鳥獣は人間の生活圏に居れぬほうが良い。
 残雪をほとんどなくした大日が見えていた今朝。


 林道に入ると雲が広がり始め、山は見えなくなってしまった。


 紅葉と云うか、もう冬枯れと云うか、落ち葉は林道を埋めているが鮮やかな紅葉は見られなかった。
 


11/10
 今朝はかなり肌寒かったが、10:30を廻った今は、ストーブを消すほど暖かくなってきた。
 昨日から黒部の孫が久々に来ており、昨夜もジジのベッドに潜り込んできて、昔話を一つねだられた。昔話は祖母に
聞いたものだが、孫に分かるように語るには、昔の強い方言を現代でも通用する言葉に代えないといけない。しかも既
に細かいストーリーは70年近い時の彼方に霞んでいる。
 可笑しなもので、方言を通用する現代語に代えると面白みや、話のリズムも壊れ、可成りつまらなくなってしまう。だか
ら祖母から聞いた時の面白みは半減するのだろうが、ジジの腕を枕に孫は一生懸命聞いてくれている。
 ジジは話を纏めるのに、霞んだ記憶を手繰り寄せ繋ぎ、素朴な孫の質問にも答えなくてはならず結構大変である。
 「やれ、かかしょうなめ、すつべたぺろぺろ」などと祖母の声まで思い出すが、これを孫にそのまま語っても通じない。
これは、ガマへの嫁入りをしてくれと頼む母への、長女と次女の断りの返事である。
 「いやだオカカ様、塩でもなめろオシリぺんぺん」と云った程の意味であろう。と、ジジは孫に翻訳して語る・・・。
 ストーリーは単純で、大きなガマ蛙に助けてもらう代わりに娘を嫁に呉れと云われた婆様と、賢い末娘の機転でガマに
嫁入りした振りをして、ガマの済みかから宝物を持ち帰るというものだったが、祖母の語り口は面白く、その昔話を聞き
ながら寝入った幸せな心持は今も確り残っている。
 孫もやがて眠くなって、でもママの寝床へ帰って眠るのだが、ジジにとっては遠い記憶を呼び起こし孫に分かる言葉で
組み立てなおし、語ってやる時間は至福の時間である。
 積もった雪が解けかかっている。晩秋の大日。


 ジジの隣でタブレットのゲームをする孫娘。爺は読書。            よみうりランドで消防車に乗る孫息子。
 

 腕白もだいぶ堂に入って来た孫息子。


 随分大人しく一人でゲームに没頭する孫娘。


11/9
 快晴の朝也。白い雪を被った大日が、見えている。閻魔堂周りの杉木立が大きくなって、立山の連峰は見えない。
ドローンを上げれば見えるのだが。
 まあ雪景色になったと云っても峰々がかろうじて白く覆われた程度で、スキーができるような雪ではない。
 昨夜、もう何度目になるかわからぬ程読み返している、池波正太郎氏の藤枝梅安の7巻をまた読み返し読み終わり、
ため息をついた。最終ページは物語半ばの「絶筆」という文字で終わっている。
 この絶筆と云う文字を読むと堪らない。今から見ると67歳という享年はいかにも若すぎる。池波氏の作品に親しんだ
のは40半ばの頃からだったろうか。
 最初は食に関わる随筆から入ったように記憶する。そして剣客商売、藤枝梅安、鬼平犯科帳・・・何を読んでも夢中
になり、入れ揚げたものだ。
 今池氏の生きた年を5年も超えた親爺自身だが、池波氏の作品には未だに飽きがこない。
 こう云う作家はもう少なくなった。かろうじて山本一力氏がその足跡をトレースしているのかなと勝手に思っている。
 昨日と似た写真だが、今朝の大日岳である。


 彼方此方の木々の背が伸びて、山が昔見えた場所から見えぬ様になった。志鷹の宮前の桜並木。


 タケが伸びすぎたのは閻魔堂を囲む杉木立も同様。昨日ドローンで真上から見た閻魔堂。
 


11/8
 今日は良い天気也。立山に積もった雪を見たいと朝食もそこそこに縁側に出て、ドローンを上げて見たが、陽光が低く
立山は光っているだけで、中々雪が確認できぬ。
 直ぐにドローンを下ろし、午後の撮影をしてみようと思っている。
 どうも、明るい光の下では目が眩んで、上空へ上げたドローンを直ぐに見失ってしまう。偏光レンズの目が目を掛けれ
ばいいのだがW眼鏡も面倒だ。
 昨夜から寒いので眠るには快適だが、日中の居間の温度は、仕切度一枚隔てただけの物干場の温室効果の暖気を
取り込む快適だ。が、今日のようにストーブで煮込み料理を作っている時は、ストーブが消せない。
 若い時には昼寝の習慣はなく、まず昼寝などということはなかったが、60近くになって、タバコを止めた頃からだったろ
うか、昼寝をするようになった。
 山小屋商売で、朝が早いのでスタッフは交代で昼寝をしたものだが、いつしか親爺も山小屋で昼寝をおぼえ、今の隠
居生活の中でも30分~1時間程の昼寝をするようになったのだ。
 やはり加齢とともにしっかりした睡眠が取れなくなるのだろう。それを昼寝で補っているのだろう。
 上手くルーティーンが組めないので、変な時間に眠くなったリするが、どうせ時間に縛られる生活ではないので気にも
せぬ。今朝普段使いのカメラで撮った大日には雪が付いていた。


 明念坂。布橋灌頂会で通る道だ。


 青空の下の晩秋の山里。


11/7
 朝から曇り空で、待望の雪の立山は見えぬ。立山方向が明るいので、山頂は晴れているだろうと雄山のライブカメラを
みたが、剱に向かっているメインのカメラは雪が付いて見えず、反対側のカメラでは真っ白な峰々が見えた。信州側の峰
も立山の東一の越から南側の五色が原に続く峰々も真っ白である。
 もっと下の弥陀ヶ原のライブカメラも雪が見え、昨日新雪に覆われた室堂のカメラからは雄山主稜線が真っ白に見え、
富山TVのカメラでは真砂から別山への稜線、別山尾根、別山乗越から剱まで白銀の峰が見えた。
 親爺はドローンを上げて大日なども撮ろうとしたが、途中の雲に阻まれ雪の立山は確認できなかった。
 山里の天気はかなり不安定。が、寒くはない。


 寒くはないが縁側の中からドローンを操作。ずぼら親爺元気。    JA9VQライブカメラ(雄山山頂カメラ)の絵を拝借。
 

 今朝の山里は雲の中の様だ。


11/6
 立山は室堂まで雪が降ったそうだ。ライブカメラで観た山々は白く雪を被っていた。
 まあこれで何となくホッとした。あるべき時に山に雪が無いと落ち着かぬし、山里の赤くなりつつある山の後ろには、白
い峰々しか似合わない。
 親爺も今日は免許証の更新が終わり、3年間の免許ながら、運転を許された。
 山に雪が来て、免許も更新された。さて大雪は来ないように祈り、冬を迎える準備に入ろう。
 少し色付いた銀杏。 


 閻魔堂石段脇の不動尊。元は村の中央にあったのだが道路の拡幅で此処に写って来た。布橋も再建されてもう40年以上経つ。
 


11/5
 昨日の快晴と比べ雲が低くかかる連休明けの火曜日だ。
 でも気温は左程下がらず、昨夜など少し寝苦しい程の温かさ。
 気になるのは立山の雪、今朝も雄山山頂カメラを見たが、剱側を向いているカメラには雪と思しきものが張り付いてい
て何も見えなかった。反対側のカメラを見ると、確り雪が岩を覆っているのが見えた。恐らく剱御前小舎や一の越山荘も
雪が来ている事だろう。が、室堂平には雪は見えず。
 雄山山頂の気温は夜間はほぼ氷点下、一番冷える朝方で最低-1.3℃(誤差が1.2℃+だそうなので、-2.5℃程)に
下がっているから、雪が来たのだろう。
 初冠雪にはならぬだろうが初雪が立山に来たことは間違いない。
 山里も昨日の温かさは消え、居間ではストーブを焚き、オカカがアルミで包んだサツマイモを載せている。


 昨日の親爺の誕生日に3人の娘たちがプレゼントをおくってくれた。オカカからもアマゾンカードを貰った。
 それぞれに親爺の好みを知っていて、嬉しいものばかり。有難う三人の娘たちとオカカ様。


11/4
 親爺は今日で満72歳である。何となく年寄りになった心地がするし、まだまだ元気だぞと云う気もある。身体はかなり
ガタが来ていると思うが、未だ孫の行く末も見守りたい。
 文化勲章をちばてつや氏が受賞と云う話を聞いて、元々氏の大ファンだった親爺は大喜び。嘗て誰かが文化勲章を
受賞したと聞いても、嬉しいと感じた事などなかったのに、今度だけは何故かとても嬉しかった。
 最近は電子書籍で、氏が未だに連載を続けている「ひねもすのたり日記」を愛読しており、氏の近況も漫画随筆と云
う形で知ることができる。満州からの引き上げや、戦後の漫画界の様子などが氏の筆で描き出され、随筆ならではの時
系列にこだわらぬ、氏の人生のエピソードや現況が淡々と描かれ、心温かく、共感を持ちながら読み進められる。
 何度も読み返した氏の作品を読み返し、また読み返す。その都度作品の時代背景が蘇り、幾度読み返しても飽きがこ
ない。庶民の目で眺めた世の中がそこに広がるからだろうか。
 4日掛けて「明日のジョー」を読み返した。今度は当分「のたり松太郎」を読もうか、鉄平を読もうか・・・。
 72歳になっても漫画から離れぬ親爺である。自分の育った時代が漫画文化のさなかだったからだろうか。
 あと何年生きられるか知らないが、漫画とは死ぬまでお付き合いしたいものだ。
 欅は葉を落とし切ったが、銀杏はまだ葉も黄色くない。


 大日にも雪は来ない。


 志鷹の宮駐車場前の木は黄色く色づいている。



11/3
 今朝早朝はすっかりガスの中の山里であった。今はいきなりガスが切れ、丁度親爺の座り込んでいる定席に、まとも
に親爺の眼に向かいカーテン越しの太陽が照り付ける・・・薄いカーテン故眩しい。低くなった太陽の位置が実に真っす
ぐ目を射す位置まで下りて来ているのだ。
 11月も3日。立山に新雪は見ず、気温も雄山山頂ですら9:00過ぎには氷点下からプラスに変わっている。
 本当にいつまでも暖かで山里の紅葉など遅々として進まぬ。
 それでも居間にストーブが無いと寒いし、晩秋の気配は感じてはいるのだから、今が冬だとは思えぬし、夏でももちろ
んないし、秋としか言いようがない。
 日本には4季が無くなっていると云うことは無い。移り変わりの遅れが出てはいるが。
 今、愛知県で行われている全日本大学駅伝を観ているが、青学が圧倒的に強い。我が母校東洋大は今の処12位で
ある。暫く強いことも有ったが、もういけない様だ・・・。
 しかし正月2日の箱根駅伝は、去年まで何とかシードは保っている。今年もまた応援せねば。
 日が強く射しだして暖かくなってきたが、位置がずれてまぶしさは軽減した。
 早朝はガスに包まれていた山里だ。


 ゴキブリ亭主の親爺、昨日は椎茸の甘煮を作った。


 ガスが切れ急に外が明るくなって、やがて眩しくなって来始めた。


11/1
 本日より霜月也。
 朝は青空が広がり、出雲から神々が戻られた立山もよく見えていたが、段々雲が広がり天気は下り坂の様だ。
 東京の孫息子が5歳で、七五三の祝いを今月二十日過ぎにするので、山家のジジババはそれに合わせ上京の予定。
無菌状態の山里から、何やら菌だらけの東京に行くためにも、インフルエンザの予防接種は必須条件で、一昔前の防
疫対策宜しく予防接種をした訳で、昭和50年頃には、ハワイへ行くだけでもコレラと天然痘の予防接種が義務付けられ
ていた記憶がある。まあ、インフルは怖いから、しておいた方が良い。予防接種は去年も受けておいた。
 過日、運転免許更新のための、高齢者講習会を受けてきたが、もうほぼ一か月以内に更新手続きもせねばならない。
何となく二度手間と思っていたが、これは手間を掛けさせることで、ふるいにかけている訳で、若者の様な優先権は無い。
 まあ文句を言って居ないで更新をさっさと済ませよう。そしたらまた3年間運転を許される。
 岩峅寺治内から見上げた大日と雄山主稜線。


 これもう岩峅寺地内から見た大日と頭だけ出した剱。


 山里から上げたドローンの写真。山に雪が全く見えぬ。


10/31
 10月最終日也。ついに立山の雪の便りは届かなかった。今日は快晴。ストーブを消して自然の暖気を物干場から取
り込んでいる。
 テレビでは米大リーグの放送が始まり、丁度今小谷が打席に入った。が、未だ左肩亜脱臼の傷完治せずレフトフライ
に終った。
 夜は日本のセパ両リーグの頂点を決める、ソフトバンクスとベイスターズの試合がある。オカカがすっかり野球に嵌っ
ている。親爺もかなり興味を持ってはいるがオカカほどの熱中はない。贔屓の巨人が破れていじけているのだが・・・。
 毎日の同じ繰り返しに、感謝をしつつ日々を過ごしている。
 親爺の大好きな漫画家、ちばてつや氏が文化勲章を貰う事になった。漫画家と云う常に日本の文化をリードしてきた
分野の作家が、此処に来てようやく正当な評価を受けた気がした。
 ちばてつや氏は親爺の一番好きな漫画家だ。氏の描くちょっと昔の庶民の暮らしの何と懐かしく心和む情景に満ち満
ちている事だろうか。温かく描かれている事だろうか。
 氏の代表作はどれを代表作と云っても外れは無い。少年時代に親しんだ「紫電改のタカ」、学生時代に嵌った「あした
のジョー」、そして親爺の一番好きな「のたり松太郎」、オカカの好きな「俺は鉄平」。
 どれをとっても背景には庶民がいて、戦記物の紫電改のタカにさえ、登場人物の背後には当時の庶民の姿が見え隠
れする。
 今まで文化勲章と云えば、我々庶民レベルでは馴染みのない学者などが中心に貰っていたが、ちばてつや氏が受賞
することで漸く身近に見える様になった気がする。言葉は悪いがオタカクトマッタクンショウでは無くなった様だ。
 漫画家を不当に評価した時代はもう過去のものである。
 神無月晦日は快晴なれど、雪の便りは立山からまだ届かない。


 青空が広がる山里だ。今年は山里の紅葉もずいぶん遅れているような気がする。不動も少し色付いたが。
 


10/30
 まもなく神無月も終わり霜月が来る。
 霜月も4日になれば親爺も72歳になってしまう。自分が老人だとは思いたくないが、この前は運転免許更新のための
高齢者講習会を受けてきて、優良運転者のゴールド免許でも3年ごとの更新となるそうだ。だが、山里の暮らしに車は
欠かせない。公共交通機関が貧弱だし、バスや電車の利用には全く慣れていないから、億劫だ。
 車なら日常の買い物など、2時間足らずで済む。これが公共の交通機関を使うとなると倍以上の時間がかかり、金も
かかるし、荷持を持ってよたよた歩く区間や乗り換えもあり不便この上ない。
 車の運転免許をを19歳で取り、70過ぎの今日まで車を利用する生活で今まで来たのだから、高齢の故を持ってこれ
を変えると云うのは難しい。
 老人による事故が確かに多い。これは老人自信が肝に銘じ運転をするしかない。公道を車で走るという事について、
責任を持たされている事を自覚せずばなるまい。
 雨の日ゆえ考えることも鬱陶しい事になる。しかしよくよく考え運転せねば鬱陶しいどころでは済まなくなる。
 少し頭が痛い。今日はここまで。薬を飲んで休もう。


 窓の外には鬱陶しい景色ばかり。縁側に出ては見たが、外の景色を撮るのは止めて、能天気な親爺の模型を映した。
 
 


10/29
 天気に大きな崩れは今のところないが、今夕から雨が降って来るとの予報だ。
 立山も晴れている。雪もずいぶん遅い。初氷も遅かった。温暖化は事実の様だ、ただしその原因は誰も知らない。
 自然保護団体や、動物愛護団体の言う事は極端すぎて、相手にするのがはばかられる。狂人を相手にするのは誰
でも嫌だろう。
 一つの事に囚われて、そのことばかりを言うから、唯一神たる神を信奉する一神教狂信者のごとくなる。様々な事象
との関連や、複雑な絡み合いは見ない。だからある問題に対する答えも一つとなる。
 地球温暖化は産業革命以降の化石燃料多用による。故に直ちにこれを止めねばならない。
 動物にも生きる権利がある。人間の都合でその命を簡単に奪うなど許されぬ。ゆえに人間の生活圏を野生動物が歩
き回っても共存すればいい。
 では、化石燃料を使用せず、どうやって今の生活を続けようか?答えはない。
 動物の命を優先するなら、肉に変わる食糧をどうする?ベジタリアンになればいい。なれば植物の命を奪う権利は在
るのか?植物にも命はあるぞ。それは極論だ。ならば獣に襲われそうな子供を助けるのも子供の命だけを優先すると
非難したのは極論ではないのか?
 毎日穀類や野菜を食い、肉も魚も食い、暑ければエアコンを入れ、寒ければストーブを焚き、呼吸し、排便し、生きて
いる。先人たちの絶え間なき創意工夫と労働により得られた、この利便性あふれる生活を感謝し見直し無駄を省く様に
慎ましく生き、さらなる創意工夫で時間をかけて環境を変えていくという話にはならぬものか。
 すこぶる長い時間をかけて獲得してきた自らの生活圏を、野生動物に荒らされ守りも出来ぬ様な弱い人間では、生き
ても行けぬ。
 親爺のぼやきは延々と続く・・・。不動山も僅かに色付いた。


 高曇り。立山は晴れている。


 銀杏の木も少し色付いて来た。



10/28
 月曜日だったので混みあっているかなと思ったが、薬ももう少なくなっていたし、眼科もソロソロ診察を受けねばと、
雨の中朝から富山市内へ向かった。
 最初に内科医院。思ったほど混んでおらず、血圧測定や血中酸素濃度の診察を受け、薬も頂いて終わる。10分程。
次いでそこから車で15分ほど離れた眼科に向かう。ここも思ったほど混んではおらず、15分余りで終わった。
 今日は実にスムースだった。どうかすると半日完全につぶれることも有る。
 明日か、明後日には立山町内の医院でインフルエンザの予防接種を受けてくる予定。何だか医者通いばかりなり。
 今日は気温が上がらず、富山市内町場でも16℃前後。山里は14℃程である。
 立山の雪がかなり遅い。雄山山頂辺りでは今宵降るかも知れぬ。
 山里もこんなガスの中小雨がぱらついている。


 雄山山頂カメラから拝借。雪にはまだなっていない。


 オカカが大学芋を作った。


10/27
 高齢者講習会はまあ上手に高齢者の弱い所をさらけ出してくれる。
 視力検定は静止視力検定しかないのだが、動体視力検査、夜間視力検査などと云う未経験の者が有って、更に
極めて原始的な視野検査もあった。
 まあ、視野検査は掛かりつけの眼科で高度な機器を使い受けているが、動体視力や夜間視力など、高齢者の弱
点をついて自覚させようとの目論見と見た。
 しかし初心に戻り暗い道の運転や、素早い操作を求められるような高速運転は極力慎まねばなるまい。
 そういう意味では実に有意義な講習だった。
 民間の自動車学校であったので、高圧的な態度などみじんもなかったので素直に受講できたのだろう。
 それで疲れた訳では無く、昨日は富山市内に住む92歳の叔父の顔を見がてら、妹二人を連れて、7月に体調を崩
した従弟を見舞った。それで半日をつぶしてしまったので、更新をさぼってしまったわけだ。
 今日も古い友人のテツに頼まれた写真などを整理していて、取り掛かりが遅くなったが、さぼりはしない。
 トモちゃん下山の快晴の日の写真。大日と富山平野也。
 

 昭和34年頃、母の実家日光坊前に。妹が恐らく2歳のころ。      昔の芳美橋。小見地区と芦峅寺を結ぶ唯一のつり橋だった。
 

 旧源次郎家と、吉兵衛家。魚の行商は酒好きな料理人ウスイさん。旧立山道の上手外れである。


 雨の中の志鷹奥次郎家。左端旧福泉坊家の石垣が見えている。 打越山の裏手には棚田が多くあった。地名もあったが忘失。
 


10/25
 午後から高齢者講習。運転免許の更新に、別途有料の講習が義務付けられた。
 所謂自動車学校が、予約制で講習をやっており、今日初めて受ける講習なのだが実技指導もあるとかないとか、
まあ何が有っても自信はあるが、一々能力をチェックされるのは嫌なものだ。
 高齢者だから全てが劣っているわけではなかろうが、加齢により反射神経や運動神経は多分落ちているだろうし
今、自分がどのレベルの技能なのかを評価してもらっておけば、今後の運転の役に立つだろう。
 まあ、法律で決まった事、手順を踏んで大手を振ってまだまだ運転を続けたい。
 車庫には親爺専用の軽4WDも見えている。オカカは買い物に出かけている。


 幸い今日は青空も広がっている。


10/24
 昨日23日は富山市で30℃を越して、全国ニュースの種になっていた。
 富山市八尾町では30.9℃だったらしい。我が山里でも27℃以上はあった様で、親爺もたまらずフリースを脱いで、
暫くベストを羽織っていたが、午後にはすぐに肌寒くなって又フリースに着替えた。
 フリースと云うと親爺には冬場の作務衣のようなもので、山小屋時代から愛用しているが、初めてフリースとして
ポピュラーになって来たのはパタゴニアが先駆ではなかったろうか?
 何時の頃だったか、いつも出入りのスポーツ用品店で、これはいいと買い込んでからズーッとフリースばかり着て
いたような気がする、それもパタゴニアが多く、結構高価だったが、ダウンよりも親爺には実用的であったのはヘビー
スモーカーだったからで、ダウンは直ぐ焼け焦げを作ったが、フリースではそれが無かった。
 まあ、これはあくまで屋内での事、戸外で雪の降る中ではやはりダウンが温かく雪もはじくし、優れている。
 だから今では、夏場は甚兵衛、冬場はフリース、それ以外の春秋は作務衣と親爺の衣装は実にシンプルである。
 が、ちょっと困るのが冠婚葬祭。普段身体をきつく拘束する衣装は着ないので、これに閉口するのだ。
 まあ、勤め人時代はスーツやブレザーにも慣れていたが、54歳で山小屋1本になってからは前述のとおり。
 今度東京の孫の七五三で、水天宮に参拝することになっているが、婿殿の両親も二人で来られ、会食することに
なっているので、3年程そでを通していないブレザーでごまかそうと思っている。
 普段の旅行ならフリースで十分なのだが・・・。
 ちょっと色付いた不動の山肌。


 山里もかなり秋が深まっている。昨日の暑さは別として、季節は刻々と変化している様だ。我が庭も寒々と・・・。
 


10/23
 何やら心騒いだわけでもないが、気がさしたという言葉が正しいかどうかは知らぬが、兎に角、何やら良からぬ気配
を感じたような気がして、電話を入れた。
 そしてその電話が思いのほか、重い出来事を知る事となった。これ以上は書けぬ。ごく内輪の身内の話である。
 今日は何やら異常な天気で、神無月も20日を廻っているのに、山里の外気温さえ27~28℃まで上がっている。
 うっかり窓の戸を開けようものなら暖気ならぬ南国並みの熱気が入って来る。これはたまらない。
 寒気に慣れつつある身体が悲鳴を上げる。フリースを脱いでTシャツの上にベストを羽織った。頭痛がしている。
 大きな気温変化などもうサッと順応し辛くなっている様だ。身体は正直なものだ。
 少し気分が重くなったことも有るが、「美しい心が逞し身体に辛くも支えられる、日が何時かは来る。」と云う歌詞を突
然思い出した。親爺の心が美しかろうはずはないが、身体が心を支えるという事は解る。つまり気力は体力から来るも
のであろうと云う様な経験が幾つかあるからだ。
 いま気力を支える体力はない。だから頭痛薬でも飲んで心落ち着けよう。
 山小屋の現役時代が懐かしく思い起こされる。
 小屋締めを終った綺麗になった剱御前小舎。トモちゃんが撮影して送ってくれた。


 暑い山里である。大欅はすっかり葉を落としてしまったというのに、不動の山肌も少し色付いて来たと云うのになんだこの暑さは。
 


10/21
 古写真と云うものがある。中には歴史的な人物や、出来事をとらえた非常に興味深いものもある。
 我が祖父の古いアルバムにはすべて戦前の写真が多く、険しい山奥で撮られた写真が多いから、登山史と云う特殊
なジャンルの中では極めて貴重なものがある。また戦後の写真だが、父が参加した第1次南極観測隊の記録写真も多
くある。
 しかし当時の写真は、大衆のものではなかった。特に戦前の写真などは特別の階級の人の道楽だったと思われる。
 だから、スナップ写真などが一般大衆に広く広まったのは、昭和も高度成長期の前後ではなかったろうか。
 親爺が初めて父からもらったカメラは、オリンパスペンSと云うハーフサイズのカメラだった。小学校5年生頃、昭和38
年の事だったと記憶する。
 がフィルムが高く、現像プリントも町場のカメラ屋に出さねばならず、子供には非常に高価で、とても気軽に撮れるもの
では無くかった。
 が、今は隔世の感があり、所謂電子カメラの普及は、写真のみならず動画もテレビ局並みの画質で簡単に撮影できる。
 だから、昔親爺が若くまだ山歩きも楽しんでいたころに、こんな機器があったら、色々な素晴らしい画像が残せたと思う
と勿体ない様な気もする。
 でもオカカがきちんと整理している、親爺とオカカの新婚旅行のアルバムや、3人の娘の成長の記録などのアルバムは
これはこれで、しみじみと往時に想いを馳せる記録の綴りとして、趣もあり貴重なものである。
 電子データーで保存し、好きな時に眺めるのも良いが、アルバムつづりを作り眺めるのもまたいいものだ。
 稜線より奥地の山小屋は全て営業を終えた。
 国見辺りから眺める室堂ターミナルと雄山主稜線。何となく秋の景色の中寂れて見える。


 高曇りの山里だ。秋めくのも遅いが寒くはなってきている。    オカカがパンの耳ならぬ、ナンを切って揚げておやつにした。
 


10/21
 村に起きている出来事も、何分外に出る機会が少ないものだから、耳に入って来るのも遅い。
 山から下りてきた心平から、心平家の近所のトラブルが、解決したことを耳にした。
 高齢者夫婦が住んでいた住宅が、誰も相続する者が居なくなり、或いは相続放棄で空き家となって、町で管理されて
いたのだが、所謂無料物件として希望者に貸し出したところ、まあ何歳かは知らぬが比較的若い男性が1人入居した。
 が、それからしばらくして、その近所の家の窓ガラスが割られるという事件が、2件立て続けに起こり、更に村の中央
の掲示板のガラスも割られ、村の中の駐車場ではタイヤの空気が抜かれるという事件も2件ほど起きたらしい。
 ちょっとした騒ぎになったのだろう。村の総代や駐在所の警察官も立会して所轄の上市署からも応援が出て、現場の
検証などが行われたそうだ。
 まあ、親爺もオカカも防犯スプレーを取り寄せたりして、万一に備えていたが、どうなる事やらと注意はしていた。
 そこへ、小屋閉めを終えた心平が顔を出して、流石に近所の話なので情報も早く、「例の件、K市から男の親が来て、
K市の実家へ連れ帰ったそうで、1件落着です。」との事。実にあっけなく静かな村の大事件は治まった。
 今、関東で盛んに起きている強盗事件も、いつ此方へ流れて来るか分からない。
 静かな高齢化した限界集落は狙われやすいかもしれない。だから備えをせねばなるまい。
 我が山里は家々が比較的密集しているので、又住民も皆顔見知りなので、怪しげな気配を察知するのも速く、警戒
情報もサッと広まる。
 親爺の様な付き合いの悪い下戸でも、何処からともなく情報が入って来るので、またオカカのネットワークのお陰で、
村中の情報には事欠かぬ。
 今日は大日がすっきり、山肌の色まで見せている。


 大日頭上のレンズ雲の横に満月。幻想的な情景だ。


10/20
 立山は高山性の気候で朝ガスがかかることが多いが、雄山山頂や、室堂平はもうすっきりと晴れている。
 高所はすでに紅葉の盛りを過ぎて、茶色くくすんでしまっている。それでもそのくすんだ山肌に間もなく真っ白な雪が覆い
を掛けるだろう。
 昨日の午前中にすっかりやせこけた心平が下山してきた。直ぐに我が家へ顔を見せに来たが入山時のポッコリおなか
は山に置いてきた様だ。
 一人で小屋閉め作業をしてきた様だから痩せるのも当たり前。場所が奥山で下山の時も一旦高度を上げて別山乗越
を超え室堂に出る訳だから、雪との戦いでもある。まあ、痩せてはいたが元気そうな顔だった。
 小屋閉めは続き、明日には剱御前小舎も閉鎖、トモちゃんやマー君も下山してくる。
 もう奥地の小屋には親爺たちの世代の連中は居ない。現生ではもう会えぬ仲間や、生きてはいても滅多に合えぬ仲間
ばかりだ。
 立山の季節の移り変わりは繰り返すが、そこに生きていた人間は全部時の彼方に流される。
 大日の彼方に陽が沈む。


 可愛い孫が傍らに寝転んでいる。それだけでジジは心楽しい。東京の孫もママとUSJに出かけ楽しんでいるそうだ。孫とは可愛いものだ。
 



10/19
 静かな雨の土曜日也。しかしこの静けさも午後にはかなり賑やかになるだろう。黒部から孫がやって来る。
 小学校一年生で、我が家に来る事もめっきり少なくなって、保育園の頃なら月に2回は来ていたのに、最近は2月に1回
来ればいい方である。
 その分ジジババも来ると云えば嬉しくて、何を食べさせようかとウロウロする。昨日は買い物に行って来て、いろんなもの
も買って来てある。
 昨日期日前投票に行ってきた。富山県知事選は現職対抗馬がK党一人であるので、これは一も二もなく現職に投票。
 衆議院選の当地区は立憲民主党候補を、全国区でも自民に対抗する意味で、ぜひとも復活して欲しい元民主党を押した。
しかし民主党は一度与党となりながら、とんでもないポッポと、ヒステリックかんで自滅分裂大きく期待を裏切られたが、今
は頭に立憲を載せ随分ボロボロになりながらも捲土重来を狙える位置に少しずつ這い上がってきていると判断したからで、
自民党の思い上がった前時代的政治には、古い親爺さえも見切りをつけている。
 数を頼み、金を頼みの体質で本当にどうしようもないのが目に見える党など、要らない。
 と、イヤイヤ選挙に行ってきただけで、親爺偉そうなことを言っている。
 雨の土曜日也。


 雄山の山頂もこんな雨だ。明日辺り雪になるかも


 今は結構珍しい紅玉林檎でアップルパイを焼いてみた。美味し。   某所で余ったジフィーズを貰った。賞味期限など気にしない。
 


10/18
 朝8:30には家を出て、オカカと二人小口精米ボックスに10kgの新米の玄米を持ち込んで、ピカピカの黒部産コシヒカリ
にした。そのまま立山町役場へ足を延ばし、富山県知事選挙と、衆議院選挙の期日前投票を行って来た。
 さらにその後9:00から営業しているスーパーまで足を延ばし、食品も買い込んで帰ってきた。それでも11:00前には家に
帰着したが、1日の用事を手早く片付けて一寸満足している。
 午後にはぼさぼさの髪の毛を、オカカがバリカンでカットしてくれる予定で、その後すぐに入浴すればよいから、隠居暮
らしは本当に気ままなものだ。
 立山町役場も今や顔なじみが殆ど居ない。昔は高校時代の同級生や、知り合いも多くいたが今は若い人たちばかりだ。
 町が寂れ本屋のない町になっていたのを町長が懸念し、役場前の大きな駐車スぺースの真ん中に、コンビニを誘致し、
そこで普通のコンビニよりかなり大量の本を販売して貰っている。
 それではと今日、役場のついでにそのコンビニにも依ってみたが、確かに本のスペースが大きかった。親爺も本は大好
きだから、次代を担うこの町の若い人や子供に本屋の雰囲気をぜひ味わってほしい。で、何か売り上げに協力しようと思
ったが、最近は電子書籍で読む癖がついて、荷物になる本からは離れている。で、サザエさんのブックレットを見つけそれ
を買ってきた。サザエさんも全巻持っているが、こう云う大きなページのカラー刷りはまた別の味わいがある。
 それにしても久々に本屋の書棚を見た。
 近所の大欅も葉を落とし始めた。


 心平の真砂沢ロッジは今が高揚の盛りだが、例年から比べると遅い。


 銀杏の木はまだ青々としている山里だ。


10/17
 連休明けの15日から、親爺とオカカは近江大津の石山寺に行ってきた。
 ミーハー自認する親爺とオカカ、大河ドラマの紫式部に、牛に引かれて善光寺を参詣した婆宜しく引かれての石山寺
参詣。
 それまでは耳にする事はあっても参詣など思いもよらぬ寺であったが、国営放送局の大河ドラマの力はミーハーを簡
単に動かす。
 信心とはおよそ関係ない大河ドラマ館が設置されているのが目的であったが、昔日の浅草に在ったと云う大いたちの
見世物小屋以下のガッカリ展示・・・「阿呆~」と嘆息しながら見料600円を払う。
 これは無信心への仏罰ならんやと、本堂へ参詣に向かうが、目の前の66段の石段に躊躇う。
 大柄な大お姉さま連が声高に「平坦なとこだけや。起伏は嫌や。」と話し居るに思わず同感するも、親爺より4歳半若い
オカカが「本堂はお参りするよ。」と親爺を引っ張り、66段の石段に向かう。
 立山の峰々やヒマラヤまでも駆け巡った若き日の親爺は時の彼方に失せ、長い喫煙癖ですっかり能力を失った心肺を
抱えた爺様が、よたよたと石段を上る。どうにか登り切るも腰掛を見るたびに座り込む。
 まあ何とか参詣を終え、もう足は疲れヨロヨロしながらも車に到着する前に石餅と云う名物と、場違いなヘギそばの様な
蕎麦を頂く。食い意地だけが健在な親爺也。
 流石に長距離ドライブの後、無理はせず15:00には当夜の宿にチェックイン。が、このホテル駐車場がやたら広いだけ
で宿泊客を歩かせることを何とも思っていない。二度とこんなホテルには泊まるまい。
 チェックイン時も極めて事務的で、会員になれば駐車料金500円を無料にしますと、そんな話をするばかり。高級ホテル
を売りにするばかりで、サービスはビジネスホテルに同じかそれ以下。商都大津に在ってこれだ。
 カスハラとやらほざく前に、接客業のイロハをもっと勉強させた方が良い。
 久々の遠出、そして疲れ、それでも美味しい夕餉に心和み、琵琶湖湖畔の夜は更けた。
 翌日は越前市にある国府跡と云われる地にある、紫式部公園を訪ねた。ここは整備が行き届き、神殿作りも一部再現
され、綺麗な庭園とともに紫式部記念館は無料だったがその展示は頗るよかった。
 久々の遠出、1泊二日ながら、昨年の角館の4泊5日以来だった。
 まだしばしドライブ旅行は出来るだろう。
 石山寺山門にて親爺。


 山歩きを楽しみ渓谷にイワナを釣り、雪山にスキーつっかけ銃猟を愉しんだ、若い日部は戻らず。石段にへばる親爺。
  

 石山寺の本殿前にてオカカ。             翌日に行った越前市の紫式部公園。
 

 紫式部公園は整備され綺麗だった。古の国府の跡とやら。


 寝殿造りの一部が再現されている。


10/14
 この3連休は三日友快晴だった。
 最終日の今日も雲一つない快晴だ。立山の稜線から奥の小屋はすでに大半が閉めているが、一の越、剱御前小舎
は恐らく今日が最終営業日かも知れないが、営業をしていた。
 最奥地の心平の真砂沢ロッジも今日が最終日だろう。明日からは小屋を閉める作業で宿泊は出来ない。
 まあ、室堂周辺の山小屋と云うか温泉旅館というかについてはまだ当分営業をして頑張るだろうが、天狗辺りは意外
と速く閉めるがその他は結構遅くまでやっている。
 この後の立山は急激に雪の世界になるが、今年は例年よりずいぶん遅そうだ。
 この連休に少し稼いだら、確り小屋を閉め心平も降りてくる。雪と競争だろう。
 山里も快晴である。


 近所の欅はもう葉を散らしそうだ。イチョウはまだ青々としている。


 トモちゃんがライブで山の写真を送ってくれるのももう数日。お疲れ様。


10/13
 連休2日目も快晴の朝を迎えている。昨日から村内も観たことのない顔が行ったり来たり。観光客だろう。親爺はこの
ざわざわした環境は好きではない。だから町場には住めぬと思っている。
 若い頃ならそれなりに好奇心旺盛で、町の環境も嫌いではなかったが、今はもうだめだ。
 クマや猪やサルがうろついても、山中の方が良い。
 二、三日前にクマ撃退スプレーと云うのを買っておいた。携帯に便利な小型スプレーである。ヒグマ用の大型明日プレ
ーは7000円~10000円ほどもする。当地ではツキノワグマがメインで、猪とて100kgを超すような大物はまずいない。
 だから小型スプレーで十分だ。中身はカプサイシンなどをメインとした獣の嫌うもので、3m程度の噴霧射程があるそ
うだ。勿論人にも有効で、強盗や不信侵入者にも有効だから、二階寝室に一つ、1階居間に一つと二つに分け置いておく
事にした。所謂防犯スプレーである。
 ちょっと前までなら振り回しのきく短めの木刀でも供えておけば十分備えになると思っていた(親爺は剣道の心得がある)
のだが、古希を過ぎて体力が衰えて来ると、そうは言って居られないし、真刀の脇差が室内では丁度振り回しが効き良い
のだが、過剰防衛になりそうだし、拳銃は所持出来ぬし、今や弱者となりはてた高齢者の自衛用具としてはクマ撃退スプ
レーが一番良いだろう。
 クマも物騒だが強盗も物騒だ。「自衛する高齢者たち」である。
 高齢者所帯、母子所帯など弱者所帯に限定して、テーザーガンの所持を許可してはどうだろうか。
 取り締まる一方では自衛意識も高まるまい。
 連休二日目の立山は快晴也。雷鳥平キャンプ場の昨日。


 日中はともかく、朝晩の冷え込みは氷点下デアル。十分な装備をお持ちください。寒いと眠れませんよ。
 


10/12
 立山も含め、我が山里もとても良い天気也。
 子の3連休の初日にこの天気であるから、紅葉も観盛りが弥陀ヶ原まで下りたとは言え、天狗、室堂でも名残の紅葉
が十分楽しめる。
 青空の下で眺める紅葉は、盛りを過ぎていても美しい。
 心平の経営する真砂沢ロッジは、奥地で唯一営業している山小屋だが、13日が最終宿泊可能日でそれ以降は泊まれ
ない。幕営地の使用も、トイレ、水が使えるのは14日までだ。
 室堂周辺以外、奥地の小屋は全て、閉鎖になり、尾根の小屋も一の越、剱御前小舎が20日前後に閉めるから、もう
登山での立山は事実上終わりとなる。
 親爺は昨夜も夜更かし。目がしょぼしょぼしているが、ハードボイルド小説と云うのは引き込まれるとついつい読み進
んで、此処までにしておこうという区切りが付けにくい。まあそれだけ物語に引き込まれている訳で、大薮春彦と云う作家
の筆力の凄さであろう。
 船戸与一氏の作品も何冊かあったと思ったが、探しあぐねている。その中に出て来るだろうが、冒険小説はここまでに
しておこう。これ以上寝不足(夜の読書の悪癖)が続くと堪らない。
 いい天気だが連休中に外出しようという気力体力はもう無い。
 名残の紅葉などと云っても、まだまだ綺麗である。


 今日も大日が見えている。


 雄山主稜線直下を貫く、立山トンネルのトロリーバスが廃止されそのあとを受けて配置される電動バスが入山してゆく。
 


10/11
 昨日からまた、ハードボイルド作品を読みだした。大藪春彦作品だ。
 記憶中枢が大分いかれている為、以前に読んだ作品を読み乍らも、初めて読んで居る作品だと思い込んでいるが、
読み進んで行くうちに、これは読んだ事があると、思い出す。でもそれが読書の楽しみの妨げにはならぬ。
 いい作品(親爺のそう思う作品)は何度読んでも面白い。池波正太郎の剣客商売やら、藤枝梅安のシリーズは年に
2度も読み返すことも有る。
 昔のローラー・インガルス・ワイルダーの大きな森の小さな家シリーズもそうであるし、藤沢周平の作品や山本周五郎
、内田百閒・・・・・書き出すときりがない。どの作品もとにかく面白い。再読に値する。
 本を読み乍ら寝落ちする。翌日また読み始めるが恐らく寝落ちする前まで読んで居た処は、数ページ遡らねば記憶が
蘇らない。
 「蘇る金狼」を読み乍ら、蘇らぬ少し前の記憶をたどる日々だ。今朝の大日。


 久々にドローンを上げて見た。残念ながら立山はかなり低い雲に覆われていた。


 山にかかる雲に虹が薄くかかっている。彩雲と呼ぶのだろうか?   今朝の平和な我が山の村。
 


10/10
 ちょっと前まで今日は体育の日だったが、今はスポーツの日と名を変え、10月第2月曜になったと云う事を、今知った。
 体育の日は何時だったかと検索したら、スポーツの日に名称も変わっていたのだ。
 まあ、体育と云う言葉は、学校の教科として馴染みが有って、老若男女皆知っているだろうが、今更体育と語ぐるしく
呼び必要もあるまい。近年のスポーツの祭典と云われる、五輪大会をみても、路上の曲芸踊りもスポーツの範疇に入る
し、公園などの公共の施設での危険な遊びが発祥のスケボーなども今や市民権を得たような状況だ。
 今更、サッカーや野球や陸上競技、水泳、格闘技等々ばかりがスポーツでもあるまい。何でもスポーツらしいことはスポ
ーツにして置けばいい。
 だからスポーツの日になって、この日も漸く「若い力と感激に燃えよ若人・・・」から解放され、気楽に魚釣りでもして、これ
もスポーツフィッシングとでも言っておけば楽しいかもしれない。
 まあいずれにしろスポーツなどとは縁がない親爺だが、スポーツ観戦することもスポーツに縁があるからそれはそれで
良いだろう。
 格闘技等を見るときは一緒に体を動かしよじり、手に汗脱ぎる親爺とオカカだ。これはもう立派なスポーツである。
 今日はドジャーズとパドレスの試合に、手に汗握ろう・・・。
 さっきヘリが飛んで、トモちゃんたちもヘリ待ちから解放された様だ。国見HPから見る剱が笑って見える。


 山里からも高曇りで、立山が良く見えている。


10/9
 今朝トモちゃんからラインが来て、最期のヘリが飛ばず国見HPで待機中とのこと。
 3軒の小屋の荷物が残った様だ。その分を今日飛ぶ予定で、朝から国見まで下山し待機しているらしい。思えば今年
も空輸は遅れに遅れ、全く順調にはいかなかった様だ。
 昔の事を云うと嫌われるが、昭和57年の剱御前小舎再建時の事を思い出した。父宗弘が陣頭指揮を執っていたので
未だ若造だった親爺はすっかり父に現場を任せていたが、その他の渉外を受け持ち、最終決定権こそなかったがかなり
飛び回り様々な交渉手続きを行った。
 そんな中で朝日交航洋社のYさんと知り合い、小屋建設のすべての資材空輸を可成り破格な値段で引き受けて頂いた。
 Yさんは北陸地区の営業所責任者であると同時に、当時日本でも有名な操縦技術を持つパイロットでもあった。
 Yさんの思いでは多いが、剱御前小舎の基礎のコンクリート打ちに生コンを用いた。硬化遅延材を用い、陸路、空路の
長時間を硬化せぬよう調整されたコンクリートだったが、陸路小一時間、空輸5分、積み込み作業に下ろし作業の時間を
入れると更に小一時間・・・。
 順調に進むも最後の頃になって、ガスがかかり始め1㎥が2.6トンある生コンの1/4㎥、程が残ってしまった。重量にすれ
ば700kgあまりだったが、それが無いと基礎が中途半端になる。
 半ばあきらめ手練りでやるかと腹をくくった頃、上空にヘリの音がし、濃いガスの中からコンクリートバケットが突如現れて
荷受けの大ベテラン作業員が手早くこれを受け取り、荷下ろしに成功した。
 この生コンで、基礎はコンクリート打設を終え、工事予定は遅れることなく、山小屋仲間や芦峅寺の村を上げての協力を
得て建前を迎えたのだ。ヘリの空輸は続き、大量の資材はすべてYさんの手をへて行われた。
 Yさんとはこの後も数年空輸でお付き合いを頂いたが、航空会社の変遷などで、何時しか縁遠くなった。懐かしい方だ。
 もう航空法も変わり、武勇伝を持つパイロットも少なくなった様だ。
 古き良き時代の話は、もう終えよう。
 さて、今日は上手く飛んでくれるだろうか・・・。


 山里も弥陀ヶ原の下の雲に入っている。


 上手く飛んでくれることを祈ろう。



10/8
 立山も弥陀ヶ原から上は全てガスやら小雨やらの日だ。雄山山頂のデーターでは、現在の気温はまだ8℃前後在り
氷点下にはなっていないので、雪の心配はない様だ。そう云えば初氷の知らせもまだ届かない・・・。
 今日はオカカが通院日で、順番を撮るのに朝早く出かけた。買い物をしてくるそうだから昼前には帰るだろう。
 薄暗い曇天の山里は静かである。
 昔からここに住み暮らす村人は皆顔見知りであり、それ故相性の良しあしはあっても警戒しあう必要はなかった。
 今や高齢化による人口減少で、村は寂れるばかりだが、ここへ来て、現在の世相を反映するようなおかしな窓割リ事
件が2,3件起きて、村全体がちょっとした警戒態勢である。
 昔は家を空け数日遠出するにも、家の鍵などかけなかったものだが、近所の家同士で相互監視の体制が確りしてお
り、場合によれば見回ってさえくれたものだ。
 今は昔の話で、勿論現在は多くの観光客等が来るので家を空ける時の施錠等は当たり前になってはいる。
 しかし警戒心は都会などと比べたらまだまだ少ないかも知れぬ。
 そこへこの事件である。
 多分どこの家でも防犯カメラ、防犯警鳴装置なども考えて見ただろうし、防犯スプレー(クマよけ)等はとっくに準備して
いる事だろう。
 それも備えである。災害に備え、そして犯罪にも備えなければならぬ。
 この日本と云う国は治安の良い国として評価が高かった。それが過疎の進むエリアでさえ犯罪への備えが求められる
様になっている。
 我が山里の行く末は、もう答えが出ている様だが、この国の行く末も何やら怖ろしい。
 トモちゃんが撮った富山平野の夜景。


 小雨がぱらつく今朝。庭のバラもすっかり剪定された。


 立山がガスの中で見えない。 ヨータローの昭和の少年のような好みは、カズ爺と心平父ちゃんの影響にほかならぬ。二式水戦。
 


10/7
 今日も山里は曇天。立山も弥陀ヶ原は青空も見えるが、室堂ではガス。雄山山頂では雨である。
 天気が崩れてきたが、降りそうで降っていない。
 昨日久々にヨータローが遊びに来た。幼子の時はよく来ていたし、親爺もオカカも孫として扱っている。でもいつもは
大概心平か緑と一緒に来て話していくのだが、今度は一人でやって来た。
 宗谷のプラモが完成したそうで、これは親爺の影響をもろに受けての事だろう。
 小学校6年生で、確り細部まで組み立てられた宗谷は、以前親爺が組み立てたものより丁寧確実に仕上がっていた。
 99%ヨータロー独力での仕上げだ。4ヶ月こつこつと時間をかけてくみ上げた様だ。
 72歳の爺が驚くことばかり。一緒に組み立てたという2式水戦もエンジン細部にまで加工が施され、これは明らかに心平
の影響デアル。
 オカカと二人孫の世代ながら、昭和の子供を見る様だと笑って話した。
 二時間ほどいて、お菓子を食べながら、いろんな話をしてくれた。
 一番身近にいる可愛い孫同然のヨータローである。
 小画工6年生。4か月かかって組み立てた。宗谷である。


 この木枠の嵌った操舵室窓の再現度が素晴らしい。


 昨日の立山はいい天気で、後立もよく見えて居たそうだ。


 草紅葉にも赤が混じる。


10/6
 比較的静かな神無月最初の日曜日だ。
 昨日は随分登山者が入った様だが、山里も寒くなって窓を閉め切っているものだから、立山に向かう車の音は余り
聞こえない。
 昨日はほぼ1日良い天気だったからキャンセルも無かった事だろう。小屋閉め直前の稼ぎ時だったから、良かった。
 今日も立山は晴れている。せめて今日いっぱい持ってくれれば良いのだが、多分午後まで何とか持つだろう。
 紅葉が綺麗で、あちらこちらで絶景ポイントがあり、ツイツイ予定の時間を超えて悪天候に会うなどという事も無いで
はない。十分気を付けて天気の良い間に登山行動を終えるのが鉄則だ。
 山小屋を引退してもう幾年も経っているのに、雀百まで踊り忘れずとやらで、こんな説教臭い事ばかり言って居るのが
我ながら可笑しい。もう山小屋親爺ではないのだから気楽に遠くから眺めていれは良いのだ。
 でも山里からは立山も見えない。


 すっかり庭の垣根のバラは剪定されて冬の庭になっている。     まあどこもかしこも雪に覆われるのだ。
 

 立山もこの時期が終われば雪の世界だ。


10/5
 今日はオカカと富山市内の町場へ買い物のアッシー君で出かけた。
 まずは親爺が注文しておいたユニクロのTシャツを受け取り、オカカも何か見てくるつもりだったらしいが土曜日で
混んでいたので、他日にゆっくり見ることにした。親爺はアッシー君で、駐車場で待っていたが、電子ブックリーダー
を持って行ったので、池波正太郎の世界に遊んでいるとアッという間にオカカが帰ってきた。まあ、上述の通りの次
第でゆっくり買い物など出来なかったそうだ、
 で、今度はスシローの店舗に立ち寄り、夕食を仕入れ、更に立山町へ戻り行きつけのスーパーで食料も買い込んだ。
 行き来床に小雨がぱらついていたが、立山は弥陀ヶ原の下に雲海があり、その上は青空が広がっている。
 剱御前小舎も結構な人数が入っていて、今日は良い日になっている様だ。
 他の小屋も皆満室だろう。こんな日も無ければ。
 雷鳥沢の紅葉も本格的になって来た。今立山の紅葉は酣である。


 雨が連れてきたと思われるこれらの木々や草の赤色が山の斜面に散らばり錦秋と呼ぶにふさわしい紅葉となった。
 


10/4
 今日も家の中の気温は21℃程なれど戸外は暖かそうだ。昨日より4℃ほど高くなるとか。昨日が何度だったかは
定かな記憶にないので、オカカに聞いたら20℃程だったのかなと云う答えでこちらも定かではない。
 又村内に良から出来事が起きて、村中央にある掲示板のガラスが割られていたとか・・・。昔ならその位のいたず
らは何処かの悪ガキどもの仕業と思われたかもしれぬが、今は先ず悪さをするわんぱくなど見たくともみられぬ。
 今回は警察官、村総代も立会し、続くガラス割りの対策を練っている様だ。
 親爺なども若い頃はクマのパトロールにライフル持参で良く駆り出されたものだが、今では自警パトロールなど編
成しようにも、少し高齢化が進み過ぎた。
 しかし警察も平和な山里の村の治安に不安が出ている以上、放置は出来まい。
 定期的なパトロールや、防犯カメラ、警報などの設置は十分行われるだろう。
 昔から治安の良い村である。玄関に鍵をかける家など先ずなかった。そんな村にこんな嫌な時代が来るとは・・・。
 11年前の同じ頃の剱御前小舎前から撮った写真である。


 今日は立山も見えない。廻り中こんな風な景色だ。
 

 これも11年前の写真。同じ日だったかな。


10/3
 親爺は今日からフリースを着込んだ。これで当分フリース生活だろう。
 居間の温度が18℃となって、20℃を下回れば親爺はフリースである。薄手の長年着て生地が一番薄くなったフリ
ースが好都合である。
 フリースの下にはオーロン(ヒートテック)のTシャツ一枚で、暑ければジッパーを下げ外気を入れ、寒ければ上げて
外気を遮断すればよい。
 クーラーも入れず、ストーブも使わず、一年でも一番良い気候の秋だ。
 昨日少し熱が出、食欲も失せていたが、温度差による障害だろう。こんな時はやや保温に気を付けた服装にして、
過ごせばよいように思う。特に今で転寝を摺る癖がついた、古希過ぎの親爺にはそのよう也。
 神無月、この月にはせめて小旅行でもしたいが、段々出不精になっている事も否めない。
 早朝はこんな空だったが、立山は視界もよく、紅葉が全域で楽しめそうだ。


 フリース姿が一番板碑ついている親爺だ。               オカカが茹でた栗。向くのは面倒だが美味い。
 


10/2
 オカカが買い物に出かけ、親爺がお留守番である。
 とても良い天気なので、外に出たくなるかと云うと、気温も山里でさえ26℃以上まで上がるそうなので、出ない事
に決めて、いつも通り本でも読んで過ごそうと思っている。
 出不精もここに極まれりである。
 夏にあれだけ夢中になっていたRC飛行機だが、最近あまり気が乗らぬ様になった。まあ、昔からこんな風な処が
親爺は有って、若い頃から幾つもの趣味に取り付かれ、誰か(初心者)に教えられる程にはなるのだが、突然他の
事に目が移り放り出してしまう。
 若い10代~20代まではモデルガン、ラジコン飛行機の趣味のどっちかを行ったり来たりしたし、実銃による銃猟
や毛ばりでの川釣りは趣味よ云うより、山の男の嗜みとして、もっと生活に密着したところでやっていた。
 登山に至っては商売であり、生きるための糧を得る生業であった。
 あと一番長く続いているのが、プラモであろうか。
 まあ、もう何年生きられるかわからぬが、旅立つまでこんな風に趣味のワンでリングで過ごすのも悪くない。
 古い写真の修復と、色付けが今一番面白い。
 秋色に姿を変えた剱。まもなく雪が来る。


 山里からも大日がすっきり見えている。


 眩しいまでの落日の瞬間。                         オカカが大学芋を作った。美味い。
   


10/1
 最近の話であるが、何やら不穏なうわさが村内で囁かれている。
 所謂過疎化で、空き家が増え、中には遠い親戚まで相続権を放棄するために、すっかり荒れ放題の家も出てきた。
 そういうご多分に漏れず我が山里も空き家だらけで、昨年は町が1軒を公費で解体整地したが、まだそんな家は
何軒かある様だ。
 まあ、噂の域を出ぬ話であるが、某家も空き家になっていたが、競売にでも掛けられたのか突然見慣れぬ男がそこ
に住みつき、それ以降、近所の家のガラスがが割られると云う噂が立ち、1人暮らしの人は怖くて実家に帰っていると
云う事だ。
 今テレビを見ていたら集団強盗団が目星をつけた家を襲うときも、どこか目立たぬところに集まり・・・・・。手口は窓
ガラスを破り侵入するという事である。
 山里の過疎化の村にあって、見知らぬ人間が突然どこかの空き家に住み着く。
 勿論駐在所の警察官が訪問して身元などを確認しているはずだし、その家に住み着くには染みつくだけの手続きも
しているだろうから、身元も知れているはずだが、何とも嫌なうわさだ。
 少なくとも隣近所、顔も知らず挨拶もないなど、良い話ではない。東京ならいざ知らず、ここは立山の山里の村だ。
 村の人口が300人を割って久しい村である。そんな村に身元の分からぬ怪しげな人の一人暮らしは、せめて挨拶回
りから始めて欲しいものだ。我家も防犯カメラを付けよう。
 雷鳥平のキャンプ場、その向こうの雷鳥沢の登り、剱御前小舎。幾たび上り下りした事か。


 山里も快晴で、青空が広がっている。                   平日だったからテント数も少ない。
  

 夕日を背に秋の剱岳が聳える。

 


9/30
 石破氏が自民党総裁になり、次期内閣総理大臣となる。
 コワモテの顔に笑みをたたえる訓練をなさったのだろう、時折見せる笑顔をこの人の誠実な本性kら来るものだと
思うのは親爺だけだろうか。
 鋭いが極めて理論的で正直な方のように見受けられる。だから苦節五たび目の挑戦を経て漸く得たた総理の椅子
を長期にわたり維持して欲しい人だ。
 親爺は人を見て石破氏に大きな期待を持っている。
 まあ、庶民たる親爺の眼で見た、政治家石破さんと云う人への想いという事だ。
 さてその庶民の親爺、漸く涼しくなった山里にオカカと二人の暮らしは、物価高を感じはしつつも何とか生きて行く事
は出来ており、ミサイルも飛んでは来ぬし、爆撃機も来はしない。平和な日常を感謝しつつ暮らしている。
 たまの贅沢は細やかな小旅行位だし、時々訪ねて来る孫に千円ほどのお小遣いをやってジジババ大好きと云わせ
るのも楽しみの中。
 思えば実に細やかだが、これが本当真っ当な人間の暮らしである・・・寅さんのオイちゃんみたいになってきた。
 庶民の本音に、耳を傾けて、庶民を苦しめたり悲しませたりしない政治を、石破さんに心よりお願いしたい。
 少しガスがかかってはいるが、立山もほどほどの天気である。
 綺麗な夕景に大喜びのお客さんたち。


 一昨日はこんないい天気で国見から剱も良く見えた。草紅葉で山肌は黄色が出ている。


 山里から見上げる大日。


9/29
 今日は黒部の婿殿が米を持ってきてくれる。婿殿の祖母の実家が大きな農家で、長女の縁でそこからかなり割安
で米を分けてもらっている。黒部平野で作られた米は非常に良質で、味も良い。しかも格安の価格で申し訳ない程だ。
 米を運んでくれる婿殿と一緒に、孫もついてくるそうで、丁度顔が見たくて堪らなかったので嬉しい。
 昨日急に決まった話で、食事をさせようにも材料がなく、買い出しに行く時間もなかったから、娘に昼食の用意が出
来ないと連絡を入れておいた。
 しかし今朝になって冷凍庫に鶏肉があったことに気付きオカカがそれで親子丼でも作ろうかと云う話になり、親爺が
調理しておいて、それを食べさせることにした。
 今来て横で可愛いおしゃべりをしている。真っ黒に日焼けして元気元気。嬉しいことだ。
 高曇りの山里も孫が来ていると快晴の空の下に居る様だ。
 

 雄山の主稜線。この屋根型の山の1群を立山と呼ぶのは明らかに間違い!!立山とは薬師から剱までの全エリアの事。


 かなり昔、剱沢の友邦兄と示し合わせて剱沢、御前とピックアップされヘリで下山した事があった。
 その時ヘリを降りたった国見HPで見た国見山の紅葉のすばらしさは忘れられない。
 長い山暮らしの中でも一番の鮮やかさだった。


9/28
 夜更かしの癖は抜けず、大学3年頃には卒業単位も十分で、朝刊を読んでから寝ると云うような生活をしていた。
 4年ともなると週に3日ほどの登校で十分となっていたから、古希を過ぎた今の隠居暮らしに近い、気ままな生活
を送った経験がある。もちろん若い頃だから、気力体力はあり余っており、色々なバイトもした。
 親爺の場合は、長い山小屋アルバイトの生活が長かったから9月、10月は小遣いに困る事も余りなく、そのバイト
代を使い果たす11月ころからの貧乏暮しは、それでもそれを愉しむための貧乏だったような気がする。
 で、今72歳になろうとしている楽隠居なのだが、半世紀前とは生活も激変しており、可愛い孫も二人居り、人並み
な老後を楽隠居として過ごしているわけだが、、昔の学生時代の気ままさが戻っている。
 誰憚ることなく好きな事を言い、したくないことはせぬ。好きな事だけやってこの先の未来がどうなる訳もない。
 未来は閻魔様に叱られるだけだ。どうあがこうがそれは変わりないのだから、好き気ままに過ごせばよい。
 夜更かしの癖も、別に誰に迷惑がかかる訳でもないから、秋の夜長の有効な過ごし方と割り切って、自由気まま
な生活態度は改める必要を感じない。
 今大きなあくびが一つ出た。
 雨の肌寒い日也。少し昼寝するか・・・・・。


 隣のヤンジーにオカカがムラサキシキブを一枝貰って来た。玄関の一輪挿しに良く似合う。隣家の大欅と銀杏も葉が色を変えてきた。
 

 ナナカマド実の赤々と小径脇


 すっかり草紅葉の始まっている雷鳥沢の斜面。


9/27
 夜更かしの癖がついて、眠りにつくのは大体1:30~2:00頃である。
 起きて洗面を終え居間に下りてくるのは8:00をわずかに過ぎる頃であって、10分を過ぎるともうオカカから起きろ
の電話が入る。(二人とも家に居ながらの携帯コール)
 どうしてこんな夜更かしの癖がついたのか、嘗てタブレットで読める電子書籍が大量に出版され、僅かなブックリー
ダーに何百冊の本を入れて持ち運べることに感動した親爺は、それ以降、従来からの紙の本は極力避け、電子書籍
派に変わった。
 その後、漫画も単行本としてドンドン電子化され、気付けば昔の懐かしい本まで、例えばサザエさんなど終戦直後の
物から電子復刻化されドンドン市場に出回った。
 これは本屋に行かぬでも買える。ネット環境さえあれば、即座に読める。
 山小屋暮らしの終盤時分、ネット環境も随分改善され、山小屋でさえ漫画を即座に購入できるようになった。下界に
於いてはもう日常に電子漫画は定着し、どんどん冊数も増えて行った。が、これは実体のないものだから外付けのハ
ードディスクに放り込み、保管し、忘れていった。
 いくら使ったか覚えていないほどの金額だったろうが、好きな本につぎ込むことは惜しまなかった。
 で、古希をとっくに過ぎ、暇を持て余す今、それを思い出して自分のタブレット、或いはブックリーダーに取り込み、又
それを読み返す。
 大量の漫画、と大好きな池波正太郎、藤沢周平などの時代小説、北杜夫や井上靖、山本周五郎などなど今は故人
の方々の作品の数々・・・これらをハードディスクの膨大な書庫から取り出して読み返すのだ。
 漫画はちばてつや、のたり松太郎の36巻など何度読み直したことだろう。今またこれに嵌り、毎日寝不足なのだ。
 黄昏流星群や、島耕作シリーズも良いが親爺にはあしたのジョーや、マイナーではあるがワル(悪)などがもっと面白
いように感ぜられる。
 まあそんな様な埒もない話で夜更かし常習となっている親爺だ。
 これは昨日の剱岳。もうすっかり秋である。


 ヘリポートでようやく終わった荷揚げにホッとする美女二人。笑顔が良いな。早月のヤンジーと剱御前小舎
のトモちゃん。背景の剱が霞むほどの美女。ナナカマドの赤い実が青空に映える。立山の秋。
 

 イワイチョウは一番早く黄色くなり草紅葉のハシリとなる。今日は山里から大日もよく見えている。      
 


9/26
 今日は祖母の祥月命日也。朝仏前にお参りする。懐かしい祖母が旅立ってもう半世紀となる。親爺22歳の事だった。
 奇しくも今日、布橋灌頂会をテーマにした映画の撮影が行われている。今こそ布橋灌頂は映画のテーマになるほどの
知名度を持つようになったが、布橋そのものは昭和40年代になって架けられたもので、明治の廃仏毀釈以前に廃れ、
もう無かった。戦後の高度成長期を過ぎ、風土記の丘構想が持ち上がり、立山風土記の丘が志鷹の宮付近の整備とと
もに、布橋再現と云う気風が盛り上がったのだろうか、その頃の親爺は中学生か小学生だったから記憶にはないが、母
方の伯父が当時教育長か何かで、この橋の再架設に関わっていたかもしれない。叔父は立山信仰についての郷土史家
であり、自分自身神職の位を授かっていた。戦前の京都国学院に学び、戦後立山町に奉職していた。
 で、親爺の記憶にあるのは橋再建時、村の年寄りたちが橋板裏に梵字(サンスクリット文字?)で何か書いてあるのを
なぞり、手の後を残し、極楽往生に備えるという催しがあり、閻魔堂かどこかに集まり祖母も書いて来たと話していた事。
 今日何か閻魔堂がざわざわし、見知らぬ人が旧立山道である我が家の前を通ると思っていたら、以前回覧版で連絡が
あった撮影日だと気付いた。
 映画はともかく、その舞台になる布橋に祖母たちの事を思い出していた。祖母の祥月命日である。
 立山の空輸が今日終わったとトモちゃんから連絡があった。
 早月小屋のヤンジーも国見HPから下りて来て、連休がだめだったせいで冷食があまり、そのおすそ分けを持ってきて
くれた。親爺には懐かしい食材だった。
 今朝一番で飛んだヘリ。


 立山は頗る良い天気であるが、山里から立山は見えていない。


 少し前の写真である。富山湾まで見えた秋晴れの日。


9/25
 気温は25℃余りなれど外は快晴、陽射しも降ってきている。それでも長袖のTシャツに相の作務衣を着込んで丁度也。
 11:00からは大谷の出場する米大リーグの野球放送があるので、それを見、よるは巨人戦が有る。もう優勝を掛けた
緊迫の試合が続くので、両方面白い。
 野球を観ることをしなかった親爺だがこの年になって野球が面白くなるとは我ながらびっくりである。
 最近古い漫画やその他の本がアマゾンのキンドルアンリミットと云うシステムで月額980円で読めるので、昔読んだ漫
画や、食い物雑誌、等々を読み耽って、親爺の悪い癖で夜布団に入ってそれをやるので、眠りが浅く、短くなってしまっ
て、日中にウトウトしてしまう。
 気候が良くなって秋の夜長はまさに読書のための時間の様だ。
 テレビも野球などのスポーツ以外はつまらぬし、まあそれでも良いだろう。
 ただし、我が体力の許す限りと云うこと也。
 健康に気を付けねば、好きな本さえ読めなくなってしまうだろう。
 懐かしい国見ヘリポート。今朝トモちゃんが送ってくれた写真也。ヘリよ早く来い。


 今日は我が最愛の孫の7歳の誕生日。朝一番でラインが鳴り続く。
 皆に負けじと親爺も寝ぼけ眼でおめでとうのボイスメールを送った。歯抜けの可愛い小学1年生。
 「りんちゃん誕生日おめでとう。おいらも5月に5歳になったんだよ。」もう一人の我が最愛の孫からもお姉ちゃんにメッセージが届いた。
 

 山里からは弥陀ヶ原下部にかかった雲で山はよく見えぬ。それでも山里も良く晴れ青空が見えている。
 


9/24
 昨日は何という事も無かったのだが、ただずるずると気だるく、このページの更新もサボってしまった。まあ、自分
の歳を考えると、そんなことも有って当たり前だろうと自分を甘やかしてしまう。
 今日はいい天気で、薬もらいに富山市町場の医院へ出かけたが、その前に立山へ上るトモちゃんの来訪を受け、
玄関先で立ち話だったが、一目会えてよかった。
 今日は空輸日だそうだが遅れていたのだろう。だが立山の天気はまた怪しくなってきた。
 山里は頗る良い天気で青空が広がっており、更に涼しい。が多分大陸から流れ込んだと思わしきこの冷えた大気
が立山上空で太平洋側の温かい空気とぶつかって、もくもくした雲となっているのではないかと思ったが、東京の気
温は22.8℃しかないそうだから、親爺のいい加減な推測は外れていて、違う理由でガスがかかっているのだろう。
 まあその辺は専門家に任せ、ヘリが飛ばぬとまた山小屋が困る。奥山の小屋はもう小屋閉めの準備に入る頃、今
年もお疲れ様。
 真夏の山里の様だが、今朝の山里。気温は20℃を下回っていた。


 可愛い孫たちもそれぞれこの3連休に運動会が有った様だ。お姉ちゃんは小学校で、お兄ちゃんは保育園貸し切りの体育館で。
 お姉ちゃんはそんなに早くはないけど一生懸命最後まで走ったし、お兄ちゃんは75パーセントほどの力走だが速い速い。
 

 元気に最後まで頑張ったご褒美にお姉ちゃんはパフェを食べさせてもらった。お兄ちゃんは張り切りすぎてご飯の最中にもうおねむ。
 


9/22
 全く情けない3連休になったものだ。中日の今日はとても登山日和とは言えぬ荒天也。
 この連休で少しまとまったものを得て、小屋閉めの準備にかかるのがこの時期の奥地の山小屋なのだが、大事
なまとまったものは得られなかっただろう。
 普段はごっそり取られる税金も心配はないが、税金をごっそり取って行く役所は、こんな赤字の時には見向きも
せぬが、赤字補填をしてくれる気もまるでない。国営放送の視聴料と一緒で有無を言わせず取っていくだけだ。
 まあ、隠居の身故言いたい放題だが、これ本当の事。
 山に関わり生きてきたが、山を管理する役所で、不要と思えるものも多い。口は出すが金は出さず、登山道の管
理など山小屋任せ。難癖はつけるが有難うの言葉もない。だから親爺、今でも役人は大嫌いだ・・・。
 これ以上書くと大変疲れるので止めよう。
 中にはいい役人も少しは居るのだが、大半以上殆どが権力をかさに着たくそ虫野郎。権力をひけらかすようでは
先ず失格だ。・・・今度こそ止めよう。
 この悪天候を地球温暖化の所為と云うのはたやすい。温暖化が産業革命以降の人間の生活に端を発するとも
云うのは簡単だ。が、今の我々の浴す文明社会の恩恵をすべて捨てられるか、それが問題だ。
 荒廃した日本の一次産業を昔に戻して誰がやるのだろうか、恐らくあっという間の食糧難が来る。現在の文明の
利器を駆使した状況でも、若い人たちには担い手が少ない。
 何事も言うは易し、行うは難しである。
 親爺も言うだけだから実に楽である・・・。
 ゲリラ豪雨 止んでしまえば 風涼し


 夏の汚れ 皆流し去り 秋を呼ぶ ゲリラ豪雨 の有難きかな


 豪雨の去った後にはすっきりと湯あみした後のような清々しい家々や木々がすっかり元のままの姿で立っていた。
 
 


9/21
 立山を歩いていると、ナナカマドの赤い実が目に入り、秋をしみじみ感ずることがあった。
 ナナカマドは燃え付きの悪い木で、かまどで7度焚いても燃え尽きぬ程でナナカマドと呼ばれたと云う風に聞いて
いたが、実際は良く燃えて良い薪材であったとも聞く。
 いずれにしろ今は立山で雑木の払い下げを受けて、それを燃料にしている山小屋はない。昭和30年から40年代
にはまだあったが今はプロパンガスが主流である。
 今日は何とも怪しげな天候だ。立山も2400から上はガスの中。剱御前小舎など稜線の小屋は暴風にも見舞わ
れているらしい。
 連休初日、中日は不安定な天気が続きそうだ。最終日から天気は良くなると云う予報である。
 こんなことで見込んでいた売り上げがガックリと減ってため息をついた経験は豊富な親爺である。でもそんな時は
必ず他の小屋でも一緒であり、互いに電話で情報交換をし、「だから水商売だ」と互いに笑いとばして諦めた。
 ナナカマドのわきを通る小道。トモちゃんが送ってくれた写真を見て、色々な事を思い出した。


 イワイチョウもすっかり黄色く色づいて、立山は確実に冬に向かっている。


 山里もこんな天気。不安定で風が時折吹き雲の動きも早い。


9/20
 この3連休の天気が悪くなると、テレビなどで盛んに言うので、小屋閉め間近の山小屋でもキャンセルが出だして
いる様だ。毎度のことだがこの予報確実に当たる事はまずないので、さりとて当たらぬこともないので、困るのだ。
 お客さんも折角楽しみにして、随分前から秋晴れの立山を夢想し予約を入れるのだが、天気が悪くなっては如何
ともしがたい。風雨の中を危険を冒してゆく事は出来ない。
 だがせめてキャンセルの電話を入れ、行かない、あるいは行けないことを連絡しないと待ち受けている山小屋で
は途中で事故でもあったのではと心配することになり、場合によれば警備隊の手を煩わせる事態も起こる。
 昔と違い、連絡は可能になっている。必ず連絡だけは入れて欲しいものだ。
 さて最近古い写真を修復し、カラー化することが楽しくてたまらぬ親爺だ。
 AIと云う人工知能が頗る高度な修正をしてくれるし、色付けもかなり正確なようだ。
 結構高価なソフトなので、まだこれと云うのが分からず、右往左往して無料で使えるものばかり利用しているが、
有料のものを導入するとなれば、どれが良いだろう。細かい作業は出来ぬし、老人がAIの力を借りて昔の写真に
色を付け、蘇らせる。まあ過ぎ去った時を取り戻すようなものだ。
 何とか納得できるソフトを探したいものだ。
 立山は雄山主稜線にガスがかかっている。ヘリの空輸はどうだろうか。


 こんな天気なら空輸も申し分ないのだが・・・


 大日山頂部の雲が雄山山頂まで長く続いているのかもしれない。


9/19
 中秋の名月を1日遅れた昨夜が満月であったようだが、昨夜は雲が多く月はついに見えなかった。満月を見ようと
何度も気を付けていたのだが、雲が多すぎたし雨も強く降ったりして、とても月見の夜とは行かなかった。 
 まあ月は一昨日の夜眺め、例年以上の月見が出来たから、これ以上は望むまい。
 季節の変わり目が今になって来ているようだ。1週間ばかり遅く、一時は代えて見た夜具もまだ夏のタオルケットの
ままであるが、今朝はちょっと寒かった。で、今夜あたり夜具を変えると明日辺りからまた暑くなって夜具を変えると
云う事があるかも知れぬが、何とも季節が定まらぬので、人間、特に古い人間には狼狽えてしまう。
 もう1ヶ月経たぬうちに、今度は石油ストーブが活躍するだろう。
 残暑だ異常気象だと云いながらも季節は巡って行く。
 今朝は立山は見えず。標高2000mと思しきところが、雲の間に見え隠れしている。


 弥陀ヶ原から上はガスに覆われているだろう。何年か前の同じ日、剱御前小舎付近は晴れ、大日の下に雲がかかっている。
 

 すっかり選定を終えた庭。桔梗も綺麗に剪定された。



9/18
 立山は天気に恵まれなかったが、昨日17日の中秋の名月はきれいに観る事が出来た。
 我が家でも母がやっていたように芒を立て飾り、灯明をともし、団子や芋を備えようとは思うが、そこは真似事で
せめて団子だけでもとオカカが頑張った。
 縁側に出て部屋の明かりは全て消し真っ暗にし、灯明の明かりだけで青く光る眩しい程の月を迎えた。我が家で
は閻魔堂の杉木立が大きく伸びすぎ、立山も月も見えづらくなった。それでも数分間は綺麗な月が見える。
 オカカだ茹でるのを忘れていた団子も何とか月が杉木立に遮られ隠れる前にお供え出来た。
 母の頃はサトイモなども作っていて、一升升の上に里芋の葉を敷き、団子や芋を茹で供えていたが、芋の葉もなく
サトイモも無いので、せめて団子を白玉粉で作り、お供えしている。
 ぎりぎりだったが今年も間に合って、中秋の名月も観られた。全てよし也。


 燈明は消えたがr月はまだ残っていた。そこへオカカの団子がお供えされた。


 今朝の山里も晴れ間モデルが大半の時間は曇りである。



9/17
 昨日とよく似た空模様だが、立山は昨日よりガスがかかっている範囲が広い。
 何時までもずるずる続く暑さだが、親爺など今日は中秋の名月の灯であるというのに、作務衣の上を脱ぎ捨てて
Tシャツ1枚で過ごしている。
 中秋の名月には花立にすすきを挿し団子でも作り月見をしようと思っているのだが、今夜の天気は月が出るだろ
うか。ここ何年か綺麗な月を見ていない。が、昨夜寝しなに水を飲もうと洗面台に行ったら、月が白い白磁の洗面台
に映えていた。振り返り窓から月を見ると、半分ほど雲に隠れていたが、明るく輝いていた。
 今宵も良い月は眺められぬかもしれぬが、オカカと二人月見をする予定だ。
 ともかくまだ暑い日が続いている。


 隣の庭にはススキが有る。オカカに言わせると何種類かあるススキで、我が家の飛び地にあるススキとは違うそうだ。


 剱を望む別山乗り越しにもススキが有る。ヒロハノコメススキとかや。


9/16
 親爺の手元には古い白黒の写真も結構多いので、全部ではないが面白いもの、懐かしいものを少しずつ高画質
カラー化して楽しもうと思っている。
 特に昭和30年代の父の経営していた剱御前小舎には、結構懐かしいものが多い。親爺自身が子供だったからだ
ろうが、親爺の代になってもお付き合いいただいていた方々も若い姿が残されており、もちろん多くの方々が旅立っ
ておられ、向こうでまた父と会って山々を愉しんでおられるかもしれない。
 だから少しずつ、少しずつ、昔の山を偲ぶよすがとして、やがて親爺自身が偲ばれる日まで愉しもう。
 今日はまだ不安定な天気乍ら、少し秋めいた天気になって来た。
 ドローンを上げて見たが立山は見えない。それでも秋めいた空は撮れた。
 山里も青空が見え、柔らかい陽射しが時の移ろいを告げている。


 立山は見えない。


 剱御前小舎の朝焼けは今朝見えただろうか・・・


9/15
 古い写真を高画質化し自動的に着色も出来るAIを駆使したソフトが結構出ている。
 比較的高価だったり、何やら怪しげなものも多いので慎重に対応しているが、無料お試しだけでもそこそこ楽しめ
数が多いものだから、あれやこれやと試しているが、中には高画質化の段階で顔が西洋化してしまうものや、カラー
化の段階で色がおかしく成るものもあり、いかにAIとは言え完璧なものは無い様だ。
 が、かなり高度なものもあり、上手くすると素晴らしい出来になる。
 で、幾つも同じ写真で、ソフトを変えてやってみたりしているが、皆そこそこのレベルであり、親爺のような素人には
中々難しい。でもそれが面白いわけで、懐かしい古い写真が新しく蘇った時は頗る嬉しい。
 今度は親爺の記憶の中にある、一番古い剱御前小舎の写真だ。昭和35~36年頃の写真である。
 級の昭和5年の建物がまだ残っており、新館部分を増築した後の写真だ。この後直ぐに休館は壊され、その部分も
新しくなり昭和56年に全焼するまで残っていたが、増築に使った建材は芦峅寺の旧公民館を解体して荷揚げしたもの
だったはずだ。
 昭和57年に父宗弘の陣頭指揮で現在の剱御前小舎となったのだが、さらにここ2,3年で外壁、サッシなどの改築が
行われ、平成12年のバイオトイレ建築、それ以前の暴風石垣改修なども、親爺が関わった事なので今でも記憶に残っ
ている。山小屋とは実に金や手のかかる物なのである。
 昭和35年ころの剱御前小舎は、昭和5年新築の小屋がまだ残っていた。
 で、旧の玄関と新の玄関があったが旧の玄関は閉鎖されていた。


 今日の山里は曇り空で、ムシムシとした空だが、昼頃の雨が降ってようやく少し涼しくなってきた。
 

 親爺の作ったラー油は、森さんが入山時に小屋に届けた。最後の数滴もピザにかけて食べたそうだ。


9/14
 AIとは良く効くが、進化した電子頭脳の事には違いがあるまい。学習能力を持ったりして、外界の情報を取り込み
成長するのだとか・・・その成長と云うか進化と云うか無限に進化して行くと人間を超えるのだろうか?
 まあ、よくわからないがそのAIを使った古写真の復元画質向上カラー化と云うのを試してみた。
 で、まあ驚いた訳だが、昔の写真店の修整などとは異なり、画質まで上げたうえでのカラー化だから驚くしかない程
の出来上がりとなる。まあ色の誤認などもあるが馬鹿にしたものではない。
 記憶がおぼろげになって来た懐かしい曾祖母がくっきり綺麗に写真上に蘇って、涙が出そうになった。
 これから手元にある写真もいろいろ試してみようと思っている。
 親爺に自由時間は十分にあるから。
 今朝の大日岳は良く見えていたが一寸ガスってきたかな。


 庭の桔梗だけがまだ剪定を免れている。


 修復した親爺4ヶ月曾祖母ヤスと一緒に写っている。喰い初めの時の写真だ。この曾祖母は宝伝坊家の長女。
 家が隣だったからか親爺を特に可愛がってくれた。親爺も「ヤッコバーバ」が大好きだった。親爺小学校3年の夏まで
生きてくれて、安らかに旅立った事が記憶にある。当時はまれな80代後半だった。タバコが好きで刻みタバコを父が買
ってやると、嬉しそうに袂にしまっていた。とにかく親爺を可愛がってくれた。
 原版より明らかに画質が上がり、色もほぼ正確に再現されている。嬉しくて懐かしくて涙腺緩む也。


9/13
 今日はオカカと一緒に末娘に食べさせるうな重を取りに行くついでに、買い物も済ませてくる予定だが、外は結構
強い陽射しが降り注ぎ、暑そうだ。
 毎週言って居るような気もするが、残暑は何時まで続くのやら。
 まあ、車で出かけるのでエアコンが効いているから心配はいらぬが、暑いのも本当に嫌だ。最近は陽が落ちると涼
しくなるので、就寝時にエアコンは要らない。それだけでも時の移ろいは解る。
 今朝の空は雲も多いが青空からは容赦なく陽が降り注ぐので、まるで夏の様だ。


 立山は見えぬが雨は降っておらず稜線部にガスがかかっているだけの様だ。でも点くは急変するのでご注意の程。
 

 我が庭もバラはすっかり剪定され、桔梗が名残を惜しむように咲いているばかり。


9/12
 昨日久しぶりに森さんの航空券の手配をした。
 実に久々の航空券手配で、昔ならちっとも苦にならなかったが、久々なのと、自分のカードで決済できず、コンビニ払
い等にしたので少々面食らっただけの話であるが。
 森さんは11月にネパールへ入り12月まで滞在するそうだ。今度はムスタンへ行くらしいが、玄関口のジョムソンまで
車で入れるようになり、その先へも車で行けるとか・・・。クンブーの方でもそうで、ルクラ飛行場まで車が入るようになっ
て居るそうだ・・・ああ、これは前回も書いたような気がするので、もうよそう。
 とに角航空券の手配をしている中に、オカカと一緒に海外も悪くないと思い始めた。オカカを連れて行ったのは新婚
旅行でヨーロッパだったが、それ以降は韓国2回、タイ、ベトナム、上海、台湾などアジア諸国だけだ。親爺が仕事で通
い詰めたネパールへは、掛け声ばかりでついぞ連れて行っていない。
 ネパールには親爺の友人知人も多いがオカカも元研修で日本に来ていた80名あまりの親爺の教え子をよく世話した
ので、よく知っているし、中には夏に一月か二月程来日し、親爺の経営していた山小屋で過ごすのを楽しみにしていた
連中も数人いる。
 皆もう50前後になっており、それなりの社会的地位にもついている様だが、その連中とも会いたい。
 という事で考え始めているが、さてどうなる事やら。
 山里は今日は涼しい。


 一昨日の剱の夕景。


 僅か数分後には天気が変わる・・・。


9/11
 今朝も凡そ昨日と同じような空模様也。
 もう何日雨が降っていないのだろうかと考えてみると、1週間ほどは降っていない気がするが、3日前にわずかなお湿り
程度の雨が降ってすぐ止んだ。
 しかし、雨らしい雨と云えばしばらく見ていないと思う。
 今、自民党の総裁選挙がニュース番組を賑わわせているが、親爺はあまり気にならない。タケノコのように次々と出て
来る立候補者、中には全く知らぬ人もいる。まあ、女性が複数立候補するらしいが山の賑わいとならぬ様願いたい。
 今の世の中、男性だから女性だからと云う差は、かなり減ってきている様だが未だ差別は多い。
 まあ精々女性候補に頑張ってもらって、住みよい世の中を作って頂きたい。男性にはない細やかな感性が政治に反映
されるかどうか、見て見たいものだ。
 アメリカも馬鹿なジョーカーより、有能な女性大統領を選ぶことになった方が世界の平和も安定すると思うのだが。さて
そんな事は全く無縁の親爺などに分かる訳もない。
 立山は稜線部がガスに覆われている。
 これはトモちゃん入山日の写真。


 山里は青空が見えている。


 立山は高所に行くごとに天気が不安定に変化する。


9/10
 良い天気なのだが、まだ少し不安定な様で青空があっという間に雲勝ちになって、気温も左程上がらない。
 今日の当地は大陸から張り出して来た高気圧の下に有るのでそのせいかもしれぬと思った。
 オカカが9:30から買い物に出かけ、11:00前の今帰って来た。
 昨夜一寸持病が出て大人しくしていたが、今朝は復調。親爺ホッとしている。
 親爺も何だか身体がだるくすっきりせぬ。季節がいよいよ夏から秋へと移ろうのだろう。親爺やオカカまここ何年か
季節の変わり目ごとに体調を崩す事が多い。
 これも己が体の季節が、いよいよ冬に移行しようとしているのと自然界の季節の移ろいが重なるからかもしれない。
 また陽射しが戻って来た。
 暑くならねば良いが。
 今朝の大日岳はこんなにすっきり見えていたがその上の雲が不安定な天気を物語っている。


 夏の晴天でか、山水の出が悪くなっている。一度専門業者を頼み点検整備せねばなるまい・・・。


 立山の山里芦峅寺も往年の勢いはない。廃れ行く限界集落そのものだ。



9/9
 今日はトモちゃんが寄って行く予定だったが、ヘリの空輸作業が今日までずれ込み、早朝からのフライトの予定に間
に合わせる為、立ち寄る事が出来なくなったと連絡があり、トモちゃん用に作っておいたラー油は後日まで保管する事
にした。
 その後連絡が来て、ヘリが飛んだそうだ。
 隣のヤンジーもヘリが飛ばぬとSNSで盛んにこぼしていたが、今日は息子のケンタローがヘリポート入りし、無事荷揚
げが終わったと喜んでいたそうだ。ケンタローはいったん下山し番場島から入山するのだろうか?剱越えで入山するの
だろうか?まあ、若いから剱越えかも知れぬ・・・。
 山小屋とヘリ輸送は今や切っても切れぬ中になっているが、そろそろ長期保存のきく軽量食品が開発され、輸送方法
も画期的な空輸に限らぬ方法が出て来るやも知れぬ。
 そろそろそんな時代である。
 室堂乗越上空を飛ぶヘリ。荷物は500kg未満の様だ。


 いつもながらの風景だが、国見HPも変わらぬままだ。


 山里は立山よりやや雲が多い。



9/8
 今朝、森さんが何か相談があると我が家を訪れた。
 「こりゃあひょっとすると、茶飲み友達でもできて、形だけでも整えたいから、仲人をしてほしい。」などと云うのではな
いかと、ちょっと期待するところもあったが、来てみるとネパール行きのチケットの手配についてんのアドバイスだった。
 なんだ、そんなことかと調べてやったら、手帳にメモを取って、、さっさと帰って行った。
 いかにも森爺さんである。今度はムスタン辺りをウロツイテくるそうな。
 77歳独身貴族也。
 森さんから、親爺が全くネパールから遠ざかっているここ10数年のことを聞いた。驚いた事ばかりだ。
 カトマンズからルクラまでの車道が通じた。ポカラからジョムソムまで、そしてさらにムスタンまでの車道もついた。
 1979年初めてネパールに入り。1990年ごろからネパールの仕事に関わり、日本とネパールの行き来が始まり、2006
年に山小屋商売に専念のため、ネパールの足を洗い、その山小屋商売も2016年いっぱいで卒業、現在の楽隠居とな
った訳だから、数十回以上通ったネパールも実に18年間は慣れている事になる。
 勿論ネパールの仲間や教え子との交流は今でも続いているが、現地には行っていないのだ。
 森さんのエアーチケットを調べながら、もう一度くらいカトマンズに行ってみたくなった。
 山里は曇天、立山も昨日とよく似た空だ。


 大日もうすぼんやり見えている。


 数年前の今頃。チングルマのほうけた姿が朝日に染まる。




9/7
 土曜日とて、山を目指す車の音もかなり多いが、立山のあちらこちらにあるライブカメラで見ると、天気も稜線部に
ガスがかかり決して良くはないので人影も多くない。
 特に登山者が少なそうに見える。まあこれから天気が少し変わってくれば、今山に向かっている人たちも山に着き
少しは賑わうようになるやも知れぬ。
 稜線から奥の山小屋は、早々と小屋閉めの準備に入っている処もあるが、大概は10月初めまで営業をするはずだ。
 それでも親爺が若い頃は11月の初めまで営業し、初冠雪とともに下山したものだが、今の山小屋は営業期間が短
くなる傾向にある様だ。
 山小屋の在り方も昔とはずいぶん変わり、世間の生活も変わっているのだから当たり前なのだが、春の山小屋は雪
の下で、それを掘り小屋開けをし、早い秋には雪が来るまで営業し、雪の中で小屋を閉めて下山するなど、奥地の人
力だけですべてを行う山小屋ではもう不可能に近くなってきているのは確かだ。
 昔の事ばかり言って居ても通用しない。老害と呼ばれるだけだ。
 なかなか好転しない曇り空を見ながら、山里の親爺は山暮らしの昔を想っている。
 どんよりとした空の下、不動山が村を見下ろしている。


 土曜日ではあるが曇天は続き、何やら蒸している山里。        庭の桔梗ももう枯れてきた。来年までさらばデアル。
 


9/6
 昨日役場から殆どの国民に対する補助、1所帯10万円の請求申告書が送られてきて、意味はほとんどわからぬが
この物価高に対する補助金の様である。まあ良い、くれるのだから頂いておこう。どうせ何とか税も高くなりそこからま
た他で取られるのかも知れぬが、この年になってこんなややこしいことをされると、意味は理解できぬ。
 勤労所帯にはその家族全員に1人10万と云うような話もあったやに思うが・・・
 請求(申告)せねば貰えぬらしいが、申告も出来ぬ弱者は切り捨てかい?何ともオヤクショのやりそうなこった・・・・・
 今更10万貰ったとて、冬の雪の降り方ひとつでこんなものは消えてなくなる。燃料費にもならない。
 言い出せば切りのない話。
 空から攻撃されることも今の処まだない様だし、クマやシカを相手には無力な警察も、泥棒や強盗にはとても容赦な
く強い様だし。自衛隊は訓練が行き届き、滅茶苦茶な隣国からの攻撃にも手ぐすねを引いている事だろう。
 そう信じ、世の中を生きてゆこう。平和ボケで何が悪い!!
 主義主張のため暴力をふるう輩をなぜ許す?こんなのは出てきた刹那に処分せねばならぬ。
 それが平和警察であり自衛隊と云う名の軍事組織である。
 平和な日本に感謝。
 昨日より大日がはっきり見えている。


 昨日親爺はミートパイを作った。美味かった。


 トモちゃんが数日前に撮った朝焼け。後立から麻木が登るのでこんな朝や鴨秋に多い。


 休暇で下山し直ぐ白山に上った山女のトモちゃん。今は何処に居るのやら?


9/5
 米不足が喧しい。中には今日年より40%も高くなっているらしい。
 農薬他農家もいろいろな値上がりで価格据え置きではいられぬだろうが、幾分の値上がりは当然だろう。
 親爺が不快なのは、コメが店頭に少ないと買いに走る大衆、それを煽るような報道をするテレビ局、しれっとしてとんで
もない高値を着け平然としている商人である。
 今の世の中コメの消費は目に見えて落ち込み、米以外の食品が溢れている。
 1日や2日、米を喰わずに過ごす日もあるだろう。
 生産者米価が消費者米価より高かった、食管制度による農業保護の時代は終わった。居間や農家も自由競争である。
 美味い米を作らねば売れぬ。適正価格は消費者と生産者の需要供給バランスで決まる。
 米を主食と呼んだ時代も過去のものになりつつある。パンや麺類だけでも1週間くらいは平気だ。飯大好き親爺にして
こんなものだ。
 コメの価格はどうなるのだろうか、大量のコメを抱え売り惜しみする者の無からぬことを祈ろう。
 立山は晴れているが、相がかかり春の見え方だ。


 太陽柱だ。別山乗越辺りでもたまにしか見られぬ。


 秋の空のはずだが、今日は朝から27℃近くある。


9/4
 今日は梅子叔母の祥月命日也。4日命日は祖父、高岡の義母と居るので仏壇に燈明を上げ香を焚きお参り。
 梅子叔母は父の妹で、我が家にもいつも出入りしていた叔母故、子供の頃は一番世話になった叔母だった。ただ60
を待たず、交通事故に遭い旅立ってしまったので、未だ若造だった親爺はこの叔母には何の恩返しもしてやれなかった
事が心に残る。祖父宗作の一人娘だったが、父との別れも早く、苦労してきただろう叔母の人生を思うと未だに心痛む
親爺である。
 今日は朝良かった天気もまた曇り空になってきて、立山もガスがかかっている様だ。ただ、暑く無く歩きやすいので登
山には向いている日だが、雨が落ちだす心配もある。雨具をお忘れなく。
 休暇中のトモちゃんは白山に入った様だ。車中泊、テント泊、山女のトモちゃんである。
 

 山里はこんな天気。大気が不安定。


 白山もある意味登山日和の様だ。


9/3
 今朝寒かったからか足が冷たく感じ、タオルケットだけではもう寒いと思いながら寝ていた様だ、その中懐かしい人の
夢を見た。昔山形から出稼ぎに来て、近所にあった会社の宿舎に居た山形出稼ぎ部隊の隊長Iさんの夢だ。
 小柄でよい人で、叔父の家や我が家へもしょっちゅう出入りしていた方だ。ここの若い衆だったSは親爺より2歳上で、
何時も家へきて、朗らかな、悪気のない性格で誰にでも好かれた男だった。
 このSとは友達で、休日には山へキャンプに行ったりしたものだが、もう4年ほど前に旅立った。実弟と二人暮らしで、
兄弟して独身だった様だ。ある日Sの家へ電話して、弟さんからそれを聞いて驚いたものだ。確かになくなる数年前から
たまに電話しても、あれだけ陽気だった男が沈み込んだ声で、何となく他人行儀な話しぶりだった事を思い出した。
 所謂若年性の認知症に罹患していたのだそうだ。
 その彼、Sの夢ならたまに見ることも有るが、今朝は何とその親方だったIさんの夢だった。Iさんは叔父や父よりも幾つ
か年上の方だと記憶しているし、かなり裕福な家の方で、何も富山くんだりまで出稼ぎに来ることもないのだが、若い時
から、関東方面への出稼ぎで財を成した方の様で、親方として何人も若い衆を抱えておられた様だ。
 親爺との付き合いは叔父や父を通しての付き合いで、あくまで目上の方としての付き合いだったが、たまにされる話が
面白く、訛りの強い言葉での話しぶりだがそれが不思議と理解できたのは、Iさんの長い出稼ぎ隊長としての経歴からす
れば成程と思われた。
 Iさんは富山の風土が関東などよりも合った様だ。親爺が知り合うより先に富山へ来るようになっていたが、親爺が友達
となったSと知り合った後に挨拶しただけで、その後2,3年で旅立たれ、叔父がその葬儀に会社代表として出席した事を
覚えている。
 その後もSは2年ほど富山へきて、親爺の結婚式にも出てくれたが、Iさんの後釜の方がSを連れてどこかへ勤め先を変
わったので、山形からの出稼ぎの方々は来なくなってしまった。
 Sを思い出すことはちょいちょいある。でもIさんを思い出し、夢にまで見たのは不思議な気がした。
 IさんはいつもSの傍らに居て、若いSを可愛がっていたので、親爺には友人Sの父親の様に見えていたのかも知れない。
 突然のIさんの夢もそれで何となくわかる気がする。
 親爺の東北好き、山形好きは勿論この人々との交流に依るものだ。
 どんよりと不安定な天気が続く山里だ。
 が、気の持ちようで曇天も晴天と変わらぬような気分になる。
 さて、この後、ラー油でも作ろう。
 数日、和えの朝焼けだ。剱御前小舎からはこんな色の朝焼けが見える事がある。


 今朝の山里は相変わらずどんよりとして曇っている。気温は高くない。


 剱御前山、別山尾根にある山で、三角点はこの山頂部の先にある。


9/2
 今思えば昨日のPCトラブルなど大したことは無かった。
 今日風も抜け頭もすっきりしているから、同じトラブルに直面しても昨日の1/3程の時間で解決できるような気がするが
結局今は結果が分かっているから、そう思うのだろう。
 さて、今朝は雨の朝で、何やら湿気は感ずるが気温が低い分快適である。
 体調も戻ればいろいろな事が容易く出来る。有難い事にまだ病が言えれば体調が戻り、毎朝の体操も今日はした。
 何とは無く爽快な気に溢れる。でも外は雨也。
 太刀山の峰も仰げず秋雨の降りて静まる山里の村


 降る雨に打たれてもなお蕾持つ桔梗の花は健気なるかな         バラの花も頑張っている。
 

 立山も雲行きの怪しい天気が続いたが大荒れにはならなかった。


9/1
 親爺が惚けたのか更新が上手く行かない。ドーローンで撮った今朝の立山の様子を乗せようとしするが、9月で項を改
めたのに、その項が上手く認識されないのだ。少々手にあまり、閉口気味。
 キットなんか理由はあるはず。もう必死であの手この手・・・・・
 風邪気味で普段からボーっとしているが、益々ボーッとなって、その中目は霞む、肩は凝る、終いには腕が上がら
ぬやふにになって来た。
 高齢とは恐るべし。普段できていたことが出来なくなって、凡その原因は把握して居ながらも対処が遅れこんがらかる。
 落ち着け、落ちつけと身を励ましながら、中食を挟み延々5時間。漸く復旧にこぎつけた。先ずは万歳也。
 台風が直撃しそうだが、ゆっくり過ぎて緊張の糸も切れた。


 この赤い雲、夕日の所為なのだが、台風を待つ身としては何やら不気味である。
 

inserted by FC2 system