2024山賊庵絵日記(秋)   9月1日となり秋となりました。



10/7
 今日も山里は曇天。立山も弥陀ヶ原は青空も見えるが、室堂ではガス。雄山山頂では雨である。
 天気が崩れてきたが、降りそうで降っていない。
 昨日久々にヨータローが遊びに来た。幼子の時はよく来ていたし、親爺もオカカも孫として扱っている。でもいつもは
大概心平か緑と一緒に来て話していくのだが、今度は一人でやって来た。
 宗谷のプラモが完成したそうで、これは親爺の影響をもろに受けての事だろう。
 小学校6年生で、確り細部まで組み立てられた宗谷は、以前親爺が組み立てたものより丁寧確実に仕上がっていた。
 99%ヨータロー独力での仕上げだ。4ヶ月こつこつと時間をかけてくみ上げた様だ。
 72歳の爺が驚くことばかり。一緒に組み立てたという2式水戦もエンジン細部にまで加工が施され、これは明らかに心平
の影響デアル。
 オカカと二人孫の世代ながら、昭和の子供を見る様だと笑って話した。
 二時間ほどいて、お菓子を食べながら、いろんな話をしてくれた。
 一番身近にいる可愛い孫同然のヨータローである。
 小画工6年生。4か月かかって組み立てた。宗谷である。


 この木枠の嵌った操舵室窓の再現度が素晴らしい。


 昨日の立山はいい天気で、後立もよく見えて居たそうだ。


 草紅葉にも赤が混じる。


10/6
 比較的静かな神無月最初の日曜日だ。
 昨日は随分登山者が入った様だが、山里も寒くなって窓を閉め切っているものだから、立山に向かう車の音は余り
聞こえない。
 昨日はほぼ1日良い天気だったからキャンセルも無かった事だろう。小屋閉め直前の稼ぎ時だったから、良かった。
 今日も立山は晴れている。せめて今日いっぱい持ってくれれば良いのだが、多分午後まで何とか持つだろう。
 紅葉が綺麗で、あちらこちらで絶景ポイントがあり、ツイツイ予定の時間を超えて悪天候に会うなどという事も無いで
はない。十分気を付けて天気の良い間に登山行動を終えるのが鉄則だ。
 山小屋を引退してもう幾年も経っているのに、雀百まで踊り忘れずとやらで、こんな説教臭い事ばかり言って居るのが
我ながら可笑しい。もう山小屋親爺ではないのだから気楽に遠くから眺めていれは良いのだ。
 でも山里からは立山も見えない。


 すっかり庭の垣根のバラは剪定されて冬の庭になっている。     まあどこもかしこも雪に覆われるのだ。
 

 立山もこの時期が終われば雪の世界だ。


10/5
 今日はオカカと富山市内の町場へ買い物のアッシー君で出かけた。
 まずは親爺が注文しておいたユニクロのTシャツを受け取り、オカカも何か見てくるつもりだったらしいが土曜日で
混んでいたので、他日にゆっくり見ることにした。親爺はアッシー君で、駐車場で待っていたが、電子ブックリーダー
を持って行ったので、池波正太郎の世界に遊んでいるとアッという間にオカカが帰ってきた。まあ、上述の通りの次
第でゆっくり買い物など出来なかったそうだ、
 で、今度はスシローの店舗に立ち寄り、夕食を仕入れ、更に立山町へ戻り行きつけのスーパーで食料も買い込んだ。
 行き来床に小雨がぱらついていたが、立山は弥陀ヶ原の下に雲海があり、その上は青空が広がっている。
 剱御前小舎も結構な人数が入っていて、今日は良い日になっている様だ。
 他の小屋も皆満室だろう。こんな日も無ければ。
 雷鳥沢の紅葉も本格的になって来た。今立山の紅葉は酣である。


 雨が連れてきたと思われるこれらの木々や草の赤色が山の斜面に散らばり錦秋と呼ぶにふさわしい紅葉となった。
 


10/4
 今日も家の中の気温は21℃程なれど戸外は暖かそうだ。昨日より4℃ほど高くなるとか。昨日が何度だったかは
定かな記憶にないので、オカカに聞いたら20℃程だったのかなと云う答えでこちらも定かではない。
 又村内に良から出来事が起きて、村中央にある掲示板のガラスが割られていたとか・・・。昔ならその位のいたず
らは何処かの悪ガキどもの仕業と思われたかもしれぬが、今は先ず悪さをするわんぱくなど見たくともみられぬ。
 今回は警察官、村総代も立会し、続くガラス割りの対策を練っている様だ。
 親爺なども若い頃はクマのパトロールにライフル持参で良く駆り出されたものだが、今では自警パトロールなど編
成しようにも、少し高齢化が進み過ぎた。
 しかし警察も平和な山里の村の治安に不安が出ている以上、放置は出来まい。
 定期的なパトロールや、防犯カメラ、警報などの設置は十分行われるだろう。
 昔から治安の良い村である。玄関に鍵をかける家など先ずなかった。そんな村にこんな嫌な時代が来るとは・・・。
 11年前の同じ頃の剱御前小舎前から撮った写真である。


 今日は立山も見えない。廻り中こんな風な景色だ。
 

 これも11年前の写真。同じ日だったかな。


10/3
 親爺は今日からフリースを着込んだ。これで当分フリース生活だろう。
 居間の温度が18℃となって、20℃を下回れば親爺はフリースである。薄手の長年着て生地が一番薄くなったフリ
ースが好都合である。
 フリースの下にはオーロン(ヒートテック)のTシャツ一枚で、暑ければジッパーを下げ外気を入れ、寒ければ上げて
外気を遮断すればよい。
 クーラーも入れず、ストーブも使わず、一年でも一番良い気候の秋だ。
 昨日少し熱が出、食欲も失せていたが、温度差による障害だろう。こんな時はやや保温に気を付けた服装にして、
過ごせばよいように思う。特に今で転寝を摺る癖がついた、古希過ぎの親爺にはそのよう也。
 神無月、この月にはせめて小旅行でもしたいが、段々出不精になっている事も否めない。
 早朝はこんな空だったが、立山は視界もよく、紅葉が全域で楽しめそうだ。


 フリース姿が一番板碑ついている親爺だ。               オカカが茹でた栗。向くのは面倒だが美味い。
 


10/2
 オカカが買い物に出かけ、親爺がお留守番である。
 とても良い天気なので、外に出たくなるかと云うと、気温も山里でさえ26℃以上まで上がるそうなので、出ない事
に決めて、いつも通り本でも読んで過ごそうと思っている。
 出不精もここに極まれりである。
 夏にあれだけ夢中になっていたRC飛行機だが、最近あまり気が乗らぬ様になった。まあ、昔からこんな風な処が
親爺は有って、若い頃から幾つもの趣味に取り付かれ、誰か(初心者)に教えられる程にはなるのだが、突然他の
事に目が移り放り出してしまう。
 若い10代〜20代まではモデルガン、ラジコン飛行機の趣味のどっちかを行ったり来たりしたし、実銃による銃猟
や毛ばりでの川釣りは趣味よ云うより、山の男の嗜みとして、もっと生活に密着したところでやっていた。
 登山に至っては商売であり、生きるための糧を得る生業であった。
 あと一番長く続いているのが、プラモであろうか。
 まあ、もう何年生きられるかわからぬが、旅立つまでこんな風に趣味のワンでリングで過ごすのも悪くない。
 古い写真の修復と、色付けが今一番面白い。
 秋色に姿を変えた剱。まもなく雪が来る。


 山里からも大日がすっきり見えている。


 眩しいまでの落日の瞬間。                         オカカが大学芋を作った。美味い。
   


10/1
 最近の話であるが、何やら不穏なうわさが村内で囁かれている。
 所謂過疎化で、空き家が増え、中には遠い親戚まで相続権を放棄するために、すっかり荒れ放題の家も出てきた。
 そういうご多分に漏れず我が山里も空き家だらけで、昨年は町が1軒を公費で解体整地したが、まだそんな家は
何軒かある様だ。
 まあ、噂の域を出ぬ話であるが、某家も空き家になっていたが、競売にでも掛けられたのか突然見慣れぬ男がそこ
に住みつき、それ以降、近所の家のガラスがが割られると云う噂が立ち、1人暮らしの人は怖くて実家に帰っていると
云う事だ。
 今テレビを見ていたら集団強盗団が目星をつけた家を襲うときも、どこか目立たぬところに集まり・・・・・。手口は窓
ガラスを破り侵入するという事である。
 山里の過疎化の村にあって、見知らぬ人間が突然どこかの空き家に住み着く。
 勿論駐在所の警察官が訪問して身元などを確認しているはずだし、その家に住み着くには染みつくだけの手続きも
しているだろうから、身元も知れているはずだが、何とも嫌なうわさだ。
 少なくとも隣近所、顔も知らず挨拶もないなど、良い話ではない。東京ならいざ知らず、ここは立山の山里の村だ。
 村の人口が300人を割って久しい村である。そんな村に身元の分からぬ怪しげな人の一人暮らしは、せめて挨拶回
りから始めて欲しいものだ。我家も防犯カメラを付けよう。
 雷鳥平のキャンプ場、その向こうの雷鳥沢の登り、剱御前小舎。幾たび上り下りした事か。


 山里も快晴で、青空が広がっている。                   平日だったからテント数も少ない。
  

 夕日を背に秋の剱岳が聳える。

 


9/30
 石破氏が自民党総裁になり、次期内閣総理大臣となる。
 コワモテの顔に笑みをたたえる訓練をなさったのだろう、時折見せる笑顔をこの人の誠実な本性kら来るものだと
思うのは親爺だけだろうか。
 鋭いが極めて理論的で正直な方のように見受けられる。だから苦節五たび目の挑戦を経て漸く得たた総理の椅子
を長期にわたり維持して欲しい人だ。
 親爺は人を見て石破氏に大きな期待を持っている。
 まあ、庶民たる親爺の眼で見た、政治家石破さんと云う人への想いという事だ。
 さてその庶民の親爺、漸く涼しくなった山里にオカカと二人の暮らしは、物価高を感じはしつつも何とか生きて行く事
は出来ており、ミサイルも飛んでは来ぬし、爆撃機も来はしない。平和な日常を感謝しつつ暮らしている。
 たまの贅沢は細やかな小旅行位だし、時々訪ねて来る孫に千円ほどのお小遣いをやってジジババ大好きと云わせ
るのも楽しみの中。
 思えば実に細やかだが、これが本当真っ当な人間の暮らしである・・・寅さんのオイちゃんみたいになってきた。
 庶民の本音に、耳を傾けて、庶民を苦しめたり悲しませたりしない政治を、石破さんに心よりお願いしたい。
 少しガスがかかってはいるが、立山もほどほどの天気である。
 綺麗な夕景に大喜びのお客さんたち。


 一昨日はこんないい天気で国見から剱も良く見えた。草紅葉で山肌は黄色が出ている。


 山里から見上げる大日。


9/29
 今日は黒部の婿殿が米を持ってきてくれる。婿殿の祖母の実家が大きな農家で、長女の縁でそこからかなり割安
で米を分けてもらっている。黒部平野で作られた米は非常に良質で、味も良い。しかも格安の価格で申し訳ない程だ。
 米を運んでくれる婿殿と一緒に、孫もついてくるそうで、丁度顔が見たくて堪らなかったので嬉しい。
 昨日急に決まった話で、食事をさせようにも材料がなく、買い出しに行く時間もなかったから、娘に昼食の用意が出
来ないと連絡を入れておいた。
 しかし今朝になって冷凍庫に鶏肉があったことに気付きオカカがそれで親子丼でも作ろうかと云う話になり、親爺が
調理しておいて、それを食べさせることにした。
 今来て横で可愛いおしゃべりをしている。真っ黒に日焼けして元気元気。嬉しいことだ。
 高曇りの山里も孫が来ていると快晴の空の下に居る様だ。
 

 雄山の主稜線。この屋根型の山の1群を立山と呼ぶのは明らかに間違い!!立山とは薬師から剱までの全エリアの事。


 かなり昔、剱沢の友邦兄と示し合わせて剱沢、御前とピックアップされヘリで下山した事があった。
 その時ヘリを降りたった国見HPで見た国見山の紅葉のすばらしさは忘れられない。
 長い山暮らしの中でも一番の鮮やかさだった。


9/28
 夜更かしの癖は抜けず、大学3年頃には卒業単位も十分で、朝刊を読んでから寝ると云うような生活をしていた。
 4年ともなると週に3日ほどの登校で十分となっていたから、古希を過ぎた今の隠居暮らしに近い、気ままな生活
を送った経験がある。もちろん若い頃だから、気力体力はあり余っており、色々なバイトもした。
 親爺の場合は、長い山小屋アルバイトの生活が長かったから9月、10月は小遣いに困る事も余りなく、そのバイト
代を使い果たす11月ころからの貧乏暮しは、それでもそれを愉しむための貧乏だったような気がする。
 で、今72歳になろうとしている楽隠居なのだが、半世紀前とは生活も激変しており、可愛い孫も二人居り、人並み
な老後を楽隠居として過ごしているわけだが、、昔の学生時代の気ままさが戻っている。
 誰憚ることなく好きな事を言い、したくないことはせぬ。好きな事だけやってこの先の未来がどうなる訳もない。
 未来は閻魔様に叱られるだけだ。どうあがこうがそれは変わりないのだから、好き気ままに過ごせばよい。
 夜更かしの癖も、別に誰に迷惑がかかる訳でもないから、秋の夜長の有効な過ごし方と割り切って、自由気まま
な生活態度は改める必要を感じない。
 今大きなあくびが一つ出た。
 雨の肌寒い日也。少し昼寝するか・・・・・。


 隣のヤンジーにオカカがムラサキシキブを一枝貰って来た。玄関の一輪挿しに良く似合う。隣家の大欅と銀杏も葉が色を変えてきた。
 

 ナナカマド実の赤々と小径脇


 すっかり草紅葉の始まっている雷鳥沢の斜面。


9/27
 夜更かしの癖がついて、眠りにつくのは大体1:30〜2:00頃である。
 起きて洗面を終え居間に下りてくるのは8:00をわずかに過ぎる頃であって、10分を過ぎるともうオカカから起きろ
の電話が入る。(二人とも家に居ながらの携帯コール)
 どうしてこんな夜更かしの癖がついたのか、嘗てタブレットで読める電子書籍が大量に出版され、僅かなブックリー
ダーに何百冊の本を入れて持ち運べることに感動した親爺は、それ以降、従来からの紙の本は極力避け、電子書籍
派に変わった。
 その後、漫画も単行本としてドンドン電子化され、気付けば昔の懐かしい本まで、例えばサザエさんなど終戦直後の
物から電子復刻化されドンドン市場に出回った。
 これは本屋に行かぬでも買える。ネット環境さえあれば、即座に読める。
 山小屋暮らしの終盤時分、ネット環境も随分改善され、山小屋でさえ漫画を即座に購入できるようになった。下界に
於いてはもう日常に電子漫画は定着し、どんどん冊数も増えて行った。が、これは実体のないものだから外付けのハ
ードディスクに放り込み、保管し、忘れていった。
 いくら使ったか覚えていないほどの金額だったろうが、好きな本につぎ込むことは惜しまなかった。
 で、古希をとっくに過ぎ、暇を持て余す今、それを思い出して自分のタブレット、或いはブックリーダーに取り込み、又
それを読み返す。
 大量の漫画、と大好きな池波正太郎、藤沢周平などの時代小説、北杜夫や井上靖、山本周五郎などなど今は故人
の方々の作品の数々・・・これらをハードディスクの膨大な書庫から取り出して読み返すのだ。
 漫画はちばてつや、のたり松太郎の36巻など何度読み直したことだろう。今またこれに嵌り、毎日寝不足なのだ。
 黄昏流星群や、島耕作シリーズも良いが親爺にはあしたのジョーや、マイナーではあるがワル(悪)などがもっと面白
いように感ぜられる。
 まあそんな様な埒もない話で夜更かし常習となっている親爺だ。
 これは昨日の剱岳。もうすっかり秋である。


 ヘリポートでようやく終わった荷揚げにホッとする美女二人。笑顔が良いな。早月のヤンジーと剱御前小舎
のトモちゃん。背景の剱が霞むほどの美女。ナナカマドの赤い実が青空に映える。立山の秋。
 

 イワイチョウは一番早く黄色くなり草紅葉のハシリとなる。今日は山里から大日もよく見えている。      
 


9/26
 今日は祖母の祥月命日也。朝仏前にお参りする。懐かしい祖母が旅立ってもう半世紀となる。親爺22歳の事だった。
 奇しくも今日、布橋灌頂会をテーマにした映画の撮影が行われている。今こそ布橋灌頂は映画のテーマになるほどの
知名度を持つようになったが、布橋そのものは昭和40年代になって架けられたもので、明治の廃仏毀釈以前に廃れ、
もう無かった。戦後の高度成長期を過ぎ、風土記の丘構想が持ち上がり、立山風土記の丘が志鷹の宮付近の整備とと
もに、布橋再現と云う気風が盛り上がったのだろうか、その頃の親爺は中学生か小学生だったから記憶にはないが、母
方の伯父が当時教育長か何かで、この橋の再架設に関わっていたかもしれない。叔父は立山信仰についての郷土史家
であり、自分自身神職の位を授かっていた。戦前の京都国学院に学び、戦後立山町に奉職していた。
 で、親爺の記憶にあるのは橋再建時、村の年寄りたちが橋板裏に梵字(サンスクリット文字?)で何か書いてあるのを
なぞり、手の後を残し、極楽往生に備えるという催しがあり、閻魔堂かどこかに集まり祖母も書いて来たと話していた事。
 今日何か閻魔堂がざわざわし、見知らぬ人が旧立山道である我が家の前を通ると思っていたら、以前回覧版で連絡が
あった撮影日だと気付いた。
 映画はともかく、その舞台になる布橋に祖母たちの事を思い出していた。祖母の祥月命日である。
 立山の空輸が今日終わったとトモちゃんから連絡があった。
 早月小屋のヤンジーも国見HPから下りて来て、連休がだめだったせいで冷食があまり、そのおすそ分けを持ってきて
くれた。親爺には懐かしい食材だった。
 今朝一番で飛んだヘリ。


 立山は頗る良い天気であるが、山里から立山は見えていない。


 少し前の写真である。富山湾まで見えた秋晴れの日。


9/25
 気温は25℃余りなれど外は快晴、陽射しも降ってきている。それでも長袖のTシャツに相の作務衣を着込んで丁度也。
 11:00からは大谷の出場する米大リーグの野球放送があるので、それを見、よるは巨人戦が有る。もう優勝を掛けた
緊迫の試合が続くので、両方面白い。
 野球を観ることをしなかった親爺だがこの年になって野球が面白くなるとは我ながらびっくりである。
 最近古い漫画やその他の本がアマゾンのキンドルアンリミットと云うシステムで月額980円で読めるので、昔読んだ漫
画や、食い物雑誌、等々を読み耽って、親爺の悪い癖で夜布団に入ってそれをやるので、眠りが浅く、短くなってしまっ
て、日中にウトウトしてしまう。
 気候が良くなって秋の夜長はまさに読書のための時間の様だ。
 テレビも野球などのスポーツ以外はつまらぬし、まあそれでも良いだろう。
 ただし、我が体力の許す限りと云うこと也。
 健康に気を付けねば、好きな本さえ読めなくなってしまうだろう。
 懐かしい国見ヘリポート。今朝トモちゃんが送ってくれた写真也。ヘリよ早く来い。


 今日は我が最愛の孫の7歳の誕生日。朝一番でラインが鳴り続く。
 皆に負けじと親爺も寝ぼけ眼でおめでとうのボイスメールを送った。歯抜けの可愛い小学1年生。
 「りんちゃん誕生日おめでとう。おいらも5月に5歳になったんだよ。」もう一人の我が最愛の孫からもお姉ちゃんにメッセージが届いた。
 

 山里からは弥陀ヶ原下部にかかった雲で山はよく見えぬ。それでも山里も良く晴れ青空が見えている。
 


9/24
 昨日は何という事も無かったのだが、ただずるずると気だるく、このページの更新もサボってしまった。まあ、自分
の歳を考えると、そんなことも有って当たり前だろうと自分を甘やかしてしまう。
 今日はいい天気で、薬もらいに富山市町場の医院へ出かけたが、その前に立山へ上るトモちゃんの来訪を受け、
玄関先で立ち話だったが、一目会えてよかった。
 今日は空輸日だそうだが遅れていたのだろう。だが立山の天気はまた怪しくなってきた。
 山里は頗る良い天気で青空が広がっており、更に涼しい。が多分大陸から流れ込んだと思わしきこの冷えた大気
が立山上空で太平洋側の温かい空気とぶつかって、もくもくした雲となっているのではないかと思ったが、東京の気
温は22.8℃しかないそうだから、親爺のいい加減な推測は外れていて、違う理由でガスがかかっているのだろう。
 まあその辺は専門家に任せ、ヘリが飛ばぬとまた山小屋が困る。奥山の小屋はもう小屋閉めの準備に入る頃、今
年もお疲れ様。
 真夏の山里の様だが、今朝の山里。気温は20℃を下回っていた。


 可愛い孫たちもそれぞれこの3連休に運動会が有った様だ。お姉ちゃんは小学校で、お兄ちゃんは保育園貸し切りの体育館で。
 お姉ちゃんはそんなに早くはないけど一生懸命最後まで走ったし、お兄ちゃんは75パーセントほどの力走だが速い速い。
 

 元気に最後まで頑張ったご褒美にお姉ちゃんはパフェを食べさせてもらった。お兄ちゃんは張り切りすぎてご飯の最中にもうおねむ。
 


9/22
 全く情けない3連休になったものだ。中日の今日はとても登山日和とは言えぬ荒天也。
 この連休で少しまとまったものを得て、小屋閉めの準備にかかるのがこの時期の奥地の山小屋なのだが、大事
なまとまったものは得られなかっただろう。
 普段はごっそり取られる税金も心配はないが、税金をごっそり取って行く役所は、こんな赤字の時には見向きも
せぬが、赤字補填をしてくれる気もまるでない。国営放送の視聴料と一緒で有無を言わせず取っていくだけだ。
 まあ、隠居の身故言いたい放題だが、これ本当の事。
 山に関わり生きてきたが、山を管理する役所で、不要と思えるものも多い。口は出すが金は出さず、登山道の管
理など山小屋任せ。難癖はつけるが有難うの言葉もない。だから親爺、今でも役人は大嫌いだ・・・。
 これ以上書くと大変疲れるので止めよう。
 中にはいい役人も少しは居るのだが、大半以上殆どが権力をかさに着たくそ虫野郎。権力をひけらかすようでは
先ず失格だ。・・・今度こそ止めよう。
 この悪天候を地球温暖化の所為と云うのはたやすい。温暖化が産業革命以降の人間の生活に端を発するとも
云うのは簡単だ。が、今の我々の浴す文明社会の恩恵をすべて捨てられるか、それが問題だ。
 荒廃した日本の一次産業を昔に戻して誰がやるのだろうか、恐らくあっという間の食糧難が来る。現在の文明の
利器を駆使した状況でも、若い人たちには担い手が少ない。
 何事も言うは易し、行うは難しである。
 親爺も言うだけだから実に楽である・・・。
 ゲリラ豪雨 止んでしまえば 風涼し


 夏の汚れ 皆流し去り 秋を呼ぶ ゲリラ豪雨 の有難きかな


 豪雨の去った後にはすっきりと湯あみした後のような清々しい家々や木々がすっかり元のままの姿で立っていた。
 
 


9/21
 立山を歩いていると、ナナカマドの赤い実が目に入り、秋をしみじみ感ずることがあった。
 ナナカマドは燃え付きの悪い木で、かまどで7度焚いても燃え尽きぬ程でナナカマドと呼ばれたと云う風に聞いて
いたが、実際は良く燃えて良い薪材であったとも聞く。
 いずれにしろ今は立山で雑木の払い下げを受けて、それを燃料にしている山小屋はない。昭和30年から40年代
にはまだあったが今はプロパンガスが主流である。
 今日は何とも怪しげな天候だ。立山も2400から上はガスの中。剱御前小舎など稜線の小屋は暴風にも見舞わ
れているらしい。
 連休初日、中日は不安定な天気が続きそうだ。最終日から天気は良くなると云う予報である。
 こんなことで見込んでいた売り上げがガックリと減ってため息をついた経験は豊富な親爺である。でもそんな時は
必ず他の小屋でも一緒であり、互いに電話で情報交換をし、「だから水商売だ」と互いに笑いとばして諦めた。
 ナナカマドのわきを通る小道。トモちゃんが送ってくれた写真を見て、色々な事を思い出した。


 イワイチョウもすっかり黄色く色づいて、立山は確実に冬に向かっている。


 山里もこんな天気。不安定で風が時折吹き雲の動きも早い。


9/20
 この3連休の天気が悪くなると、テレビなどで盛んに言うので、小屋閉め間近の山小屋でもキャンセルが出だして
いる様だ。毎度のことだがこの予報確実に当たる事はまずないので、さりとて当たらぬこともないので、困るのだ。
 お客さんも折角楽しみにして、随分前から秋晴れの立山を夢想し予約を入れるのだが、天気が悪くなっては如何
ともしがたい。風雨の中を危険を冒してゆく事は出来ない。
 だがせめてキャンセルの電話を入れ、行かない、あるいは行けないことを連絡しないと待ち受けている山小屋で
は途中で事故でもあったのではと心配することになり、場合によれば警備隊の手を煩わせる事態も起こる。
 昔と違い、連絡は可能になっている。必ず連絡だけは入れて欲しいものだ。
 さて最近古い写真を修復し、カラー化することが楽しくてたまらぬ親爺だ。
 AIと云う人工知能が頗る高度な修正をしてくれるし、色付けもかなり正確なようだ。
 結構高価なソフトなので、まだこれと云うのが分からず、右往左往して無料で使えるものばかり利用しているが、
有料のものを導入するとなれば、どれが良いだろう。細かい作業は出来ぬし、老人がAIの力を借りて昔の写真に
色を付け、蘇らせる。まあ過ぎ去った時を取り戻すようなものだ。
 何とか納得できるソフトを探したいものだ。
 立山は雄山主稜線にガスがかかっている。ヘリの空輸はどうだろうか。


 こんな天気なら空輸も申し分ないのだが・・・


 大日山頂部の雲が雄山山頂まで長く続いているのかもしれない。


9/19
 中秋の名月を1日遅れた昨夜が満月であったようだが、昨夜は雲が多く月はついに見えなかった。満月を見ようと
何度も気を付けていたのだが、雲が多すぎたし雨も強く降ったりして、とても月見の夜とは行かなかった。 
 まあ月は一昨日の夜眺め、例年以上の月見が出来たから、これ以上は望むまい。
 季節の変わり目が今になって来ているようだ。1週間ばかり遅く、一時は代えて見た夜具もまだ夏のタオルケットの
ままであるが、今朝はちょっと寒かった。で、今夜あたり夜具を変えると明日辺りからまた暑くなって夜具を変えると
云う事があるかも知れぬが、何とも季節が定まらぬので、人間、特に古い人間には狼狽えてしまう。
 もう1ヶ月経たぬうちに、今度は石油ストーブが活躍するだろう。
 残暑だ異常気象だと云いながらも季節は巡って行く。
 今朝は立山は見えず。標高2000mと思しきところが、雲の間に見え隠れしている。


 弥陀ヶ原から上はガスに覆われているだろう。何年か前の同じ日、剱御前小舎付近は晴れ、大日の下に雲がかかっている。
 

 すっかり選定を終えた庭。桔梗も綺麗に剪定された。



9/18
 立山は天気に恵まれなかったが、昨日17日の中秋の名月はきれいに観る事が出来た。
 我が家でも母がやっていたように芒を立て飾り、灯明をともし、団子や芋を備えようとは思うが、そこは真似事で
せめて団子だけでもとオカカが頑張った。
 縁側に出て部屋の明かりは全て消し真っ暗にし、灯明の明かりだけで青く光る眩しい程の月を迎えた。我が家で
は閻魔堂の杉木立が大きく伸びすぎ、立山も月も見えづらくなった。それでも数分間は綺麗な月が見える。
 オカカだ茹でるのを忘れていた団子も何とか月が杉木立に遮られ隠れる前にお供え出来た。
 母の頃はサトイモなども作っていて、一升升の上に里芋の葉を敷き、団子や芋を茹で供えていたが、芋の葉もなく
サトイモも無いので、せめて団子を白玉粉で作り、お供えしている。
 ぎりぎりだったが今年も間に合って、中秋の名月も観られた。全てよし也。


 燈明は消えたがr月はまだ残っていた。そこへオカカの団子がお供えされた。


 今朝の山里も晴れ間モデルが大半の時間は曇りである。



9/17
 昨日とよく似た空模様だが、立山は昨日よりガスがかかっている範囲が広い。
 何時までもずるずる続く暑さだが、親爺など今日は中秋の名月の灯であるというのに、作務衣の上を脱ぎ捨てて
Tシャツ1枚で過ごしている。
 中秋の名月には花立にすすきを挿し団子でも作り月見をしようと思っているのだが、今夜の天気は月が出るだろ
うか。ここ何年か綺麗な月を見ていない。が、昨夜寝しなに水を飲もうと洗面台に行ったら、月が白い白磁の洗面台
に映えていた。振り返り窓から月を見ると、半分ほど雲に隠れていたが、明るく輝いていた。
 今宵も良い月は眺められぬかもしれぬが、オカカと二人月見をする予定だ。
 ともかくまだ暑い日が続いている。


 隣の庭にはススキが有る。オカカに言わせると何種類かあるススキで、我が家の飛び地にあるススキとは違うそうだ。


 剱を望む別山乗り越しにもススキが有る。ヒロハノコメススキとかや。


9/16
 親爺の手元には古い白黒の写真も結構多いので、全部ではないが面白いもの、懐かしいものを少しずつ高画質
カラー化して楽しもうと思っている。
 特に昭和30年代の父の経営していた剱御前小舎には、結構懐かしいものが多い。親爺自身が子供だったからだ
ろうが、親爺の代になってもお付き合いいただいていた方々も若い姿が残されており、もちろん多くの方々が旅立っ
ておられ、向こうでまた父と会って山々を愉しんでおられるかもしれない。
 だから少しずつ、少しずつ、昔の山を偲ぶよすがとして、やがて親爺自身が偲ばれる日まで愉しもう。
 今日はまだ不安定な天気乍ら、少し秋めいた天気になって来た。
 ドローンを上げて見たが立山は見えない。それでも秋めいた空は撮れた。
 山里も青空が見え、柔らかい陽射しが時の移ろいを告げている。


 立山は見えない。


 剱御前小舎の朝焼けは今朝見えただろうか・・・


9/15
 古い写真を高画質化し自動的に着色も出来るAIを駆使したソフトが結構出ている。
 比較的高価だったり、何やら怪しげなものも多いので慎重に対応しているが、無料お試しだけでもそこそこ楽しめ
数が多いものだから、あれやこれやと試しているが、中には高画質化の段階で顔が西洋化してしまうものや、カラー
化の段階で色がおかしく成るものもあり、いかにAIとは言え完璧なものは無い様だ。
 が、かなり高度なものもあり、上手くすると素晴らしい出来になる。
 で、幾つも同じ写真で、ソフトを変えてやってみたりしているが、皆そこそこのレベルであり、親爺のような素人には
中々難しい。でもそれが面白いわけで、懐かしい古い写真が新しく蘇った時は頗る嬉しい。
 今度は親爺の記憶の中にある、一番古い剱御前小舎の写真だ。昭和35〜36年頃の写真である。
 級の昭和5年の建物がまだ残っており、新館部分を増築した後の写真だ。この後直ぐに休館は壊され、その部分も
新しくなり昭和56年に全焼するまで残っていたが、増築に使った建材は芦峅寺の旧公民館を解体して荷揚げしたもの
だったはずだ。
 昭和57年に父宗弘の陣頭指揮で現在の剱御前小舎となったのだが、さらにここ2,3年で外壁、サッシなどの改築が
行われ、平成12年のバイオトイレ建築、それ以前の暴風石垣改修なども、親爺が関わった事なので今でも記憶に残っ
ている。山小屋とは実に金や手のかかる物なのである。
 昭和35年ころの剱御前小舎は、昭和5年新築の小屋がまだ残っていた。
 で、旧の玄関と新の玄関があったが旧の玄関は閉鎖されていた。


 今日の山里は曇り空で、ムシムシとした空だが、昼頃の雨が降ってようやく少し涼しくなってきた。
 

 親爺の作ったラー油は、森さんが入山時に小屋に届けた。最後の数滴もピザにかけて食べたそうだ。


9/14
 AIとは良く効くが、進化した電子頭脳の事には違いがあるまい。学習能力を持ったりして、外界の情報を取り込み
成長するのだとか・・・その成長と云うか進化と云うか無限に進化して行くと人間を超えるのだろうか?
 まあ、よくわからないがそのAIを使った古写真の復元画質向上カラー化と云うのを試してみた。
 で、まあ驚いた訳だが、昔の写真店の修整などとは異なり、画質まで上げたうえでのカラー化だから驚くしかない程
の出来上がりとなる。まあ色の誤認などもあるが馬鹿にしたものではない。
 記憶がおぼろげになって来た懐かしい曾祖母がくっきり綺麗に写真上に蘇って、涙が出そうになった。
 これから手元にある写真もいろいろ試してみようと思っている。
 親爺に自由時間は十分にあるから。
 今朝の大日岳は良く見えていたが一寸ガスってきたかな。


 庭の桔梗だけがまだ剪定を免れている。


 修復した親爺4ヶ月曾祖母ヤスと一緒に写っている。喰い初めの時の写真だ。この曾祖母は宝伝坊家の長女。
 家が隣だったからか親爺を特に可愛がってくれた。親爺も「ヤッコバーバ」が大好きだった。親爺小学校3年の夏まで
生きてくれて、安らかに旅立った事が記憶にある。当時はまれな80代後半だった。タバコが好きで刻みタバコを父が買
ってやると、嬉しそうに袂にしまっていた。とにかく親爺を可愛がってくれた。
 原版より明らかに画質が上がり、色もほぼ正確に再現されている。嬉しくて懐かしくて涙腺緩む也。


9/13
 今日はオカカと一緒に末娘に食べさせるうな重を取りに行くついでに、買い物も済ませてくる予定だが、外は結構
強い陽射しが降り注ぎ、暑そうだ。
 毎週言って居るような気もするが、残暑は何時まで続くのやら。
 まあ、車で出かけるのでエアコンが効いているから心配はいらぬが、暑いのも本当に嫌だ。最近は陽が落ちると涼
しくなるので、就寝時にエアコンは要らない。それだけでも時の移ろいは解る。
 今朝の空は雲も多いが青空からは容赦なく陽が降り注ぐので、まるで夏の様だ。


 立山は見えぬが雨は降っておらず稜線部にガスがかかっているだけの様だ。でも点くは急変するのでご注意の程。
 

 我が庭もバラはすっかり剪定され、桔梗が名残を惜しむように咲いているばかり。


9/12
 昨日久しぶりに森さんの航空券の手配をした。
 実に久々の航空券手配で、昔ならちっとも苦にならなかったが、久々なのと、自分のカードで決済できず、コンビニ払
い等にしたので少々面食らっただけの話であるが。
 森さんは11月にネパールへ入り12月まで滞在するそうだ。今度はムスタンへ行くらしいが、玄関口のジョムソンまで
車で入れるようになり、その先へも車で行けるとか・・・。クンブーの方でもそうで、ルクラ飛行場まで車が入るようになっ
て居るそうだ・・・ああ、これは前回も書いたような気がするので、もうよそう。
 とに角航空券の手配をしている中に、オカカと一緒に海外も悪くないと思い始めた。オカカを連れて行ったのは新婚
旅行でヨーロッパだったが、それ以降は韓国2回、タイ、ベトナム、上海、台湾などアジア諸国だけだ。親爺が仕事で通
い詰めたネパールへは、掛け声ばかりでついぞ連れて行っていない。
 ネパールには親爺の友人知人も多いがオカカも元研修で日本に来ていた80名あまりの親爺の教え子をよく世話した
ので、よく知っているし、中には夏に一月か二月程来日し、親爺の経営していた山小屋で過ごすのを楽しみにしていた
連中も数人いる。
 皆もう50前後になっており、それなりの社会的地位にもついている様だが、その連中とも会いたい。
 という事で考え始めているが、さてどうなる事やら。
 山里は今日は涼しい。


 一昨日の剱の夕景。


 僅か数分後には天気が変わる・・・。


9/11
 今朝も凡そ昨日と同じような空模様也。
 もう何日雨が降っていないのだろうかと考えてみると、1週間ほどは降っていない気がするが、3日前にわずかなお湿り
程度の雨が降ってすぐ止んだ。
 しかし、雨らしい雨と云えばしばらく見ていないと思う。
 今、自民党の総裁選挙がニュース番組を賑わわせているが、親爺はあまり気にならない。タケノコのように次々と出て
来る立候補者、中には全く知らぬ人もいる。まあ、女性が複数立候補するらしいが山の賑わいとならぬ様願いたい。
 今の世の中、男性だから女性だからと云う差は、かなり減ってきている様だが未だ差別は多い。
 まあ精々女性候補に頑張ってもらって、住みよい世の中を作って頂きたい。男性にはない細やかな感性が政治に反映
されるかどうか、見て見たいものだ。
 アメリカも馬鹿なジョーカーより、有能な女性大統領を選ぶことになった方が世界の平和も安定すると思うのだが。さて
そんな事は全く無縁の親爺などに分かる訳もない。
 立山は稜線部がガスに覆われている。
 これはトモちゃん入山日の写真。


 山里は青空が見えている。


 立山は高所に行くごとに天気が不安定に変化する。


9/10
 良い天気なのだが、まだ少し不安定な様で青空があっという間に雲勝ちになって、気温も左程上がらない。
 今日の当地は大陸から張り出して来た高気圧の下に有るのでそのせいかもしれぬと思った。
 オカカが9:30から買い物に出かけ、11:00前の今帰って来た。
 昨夜一寸持病が出て大人しくしていたが、今朝は復調。親爺ホッとしている。
 親爺も何だか身体がだるくすっきりせぬ。季節がいよいよ夏から秋へと移ろうのだろう。親爺やオカカまここ何年か
季節の変わり目ごとに体調を崩す事が多い。
 これも己が体の季節が、いよいよ冬に移行しようとしているのと自然界の季節の移ろいが重なるからかもしれない。
 また陽射しが戻って来た。
 暑くならねば良いが。
 今朝の大日岳はこんなにすっきり見えていたがその上の雲が不安定な天気を物語っている。


 夏の晴天でか、山水の出が悪くなっている。一度専門業者を頼み点検整備せねばなるまい・・・。


 立山の山里芦峅寺も往年の勢いはない。廃れ行く限界集落そのものだ。



9/9
 今日はトモちゃんが寄って行く予定だったが、ヘリの空輸作業が今日までずれ込み、早朝からのフライトの予定に間
に合わせる為、立ち寄る事が出来なくなったと連絡があり、トモちゃん用に作っておいたラー油は後日まで保管する事
にした。
 その後連絡が来て、ヘリが飛んだそうだ。
 隣のヤンジーもヘリが飛ばぬとSNSで盛んにこぼしていたが、今日は息子のケンタローがヘリポート入りし、無事荷揚
げが終わったと喜んでいたそうだ。ケンタローはいったん下山し番場島から入山するのだろうか?剱越えで入山するの
だろうか?まあ、若いから剱越えかも知れぬ・・・。
 山小屋とヘリ輸送は今や切っても切れぬ中になっているが、そろそろ長期保存のきく軽量食品が開発され、輸送方法
も画期的な空輸に限らぬ方法が出て来るやも知れぬ。
 そろそろそんな時代である。
 室堂乗越上空を飛ぶヘリ。荷物は500kg未満の様だ。


 いつもながらの風景だが、国見HPも変わらぬままだ。


 山里は立山よりやや雲が多い。



9/8
 今朝、森さんが何か相談があると我が家を訪れた。
 「こりゃあひょっとすると、茶飲み友達でもできて、形だけでも整えたいから、仲人をしてほしい。」などと云うのではな
いかと、ちょっと期待するところもあったが、来てみるとネパール行きのチケットの手配についてんのアドバイスだった。
 なんだ、そんなことかと調べてやったら、手帳にメモを取って、、さっさと帰って行った。
 いかにも森爺さんである。今度はムスタン辺りをウロツイテくるそうな。
 77歳独身貴族也。
 森さんから、親爺が全くネパールから遠ざかっているここ10数年のことを聞いた。驚いた事ばかりだ。
 カトマンズからルクラまでの車道が通じた。ポカラからジョムソムまで、そしてさらにムスタンまでの車道もついた。
 1979年初めてネパールに入り。1990年ごろからネパールの仕事に関わり、日本とネパールの行き来が始まり、2006
年に山小屋商売に専念のため、ネパールの足を洗い、その山小屋商売も2016年いっぱいで卒業、現在の楽隠居とな
った訳だから、数十回以上通ったネパールも実に18年間は慣れている事になる。
 勿論ネパールの仲間や教え子との交流は今でも続いているが、現地には行っていないのだ。
 森さんのエアーチケットを調べながら、もう一度くらいカトマンズに行ってみたくなった。
 山里は曇天、立山も昨日とよく似た空だ。


 大日もうすぼんやり見えている。


 数年前の今頃。チングルマのほうけた姿が朝日に染まる。




9/7
 土曜日とて、山を目指す車の音もかなり多いが、立山のあちらこちらにあるライブカメラで見ると、天気も稜線部に
ガスがかかり決して良くはないので人影も多くない。
 特に登山者が少なそうに見える。まあこれから天気が少し変わってくれば、今山に向かっている人たちも山に着き
少しは賑わうようになるやも知れぬ。
 稜線から奥の山小屋は、早々と小屋閉めの準備に入っている処もあるが、大概は10月初めまで営業をするはずだ。
 それでも親爺が若い頃は11月の初めまで営業し、初冠雪とともに下山したものだが、今の山小屋は営業期間が短
くなる傾向にある様だ。
 山小屋の在り方も昔とはずいぶん変わり、世間の生活も変わっているのだから当たり前なのだが、春の山小屋は雪
の下で、それを掘り小屋開けをし、早い秋には雪が来るまで営業し、雪の中で小屋を閉めて下山するなど、奥地の人
力だけですべてを行う山小屋ではもう不可能に近くなってきているのは確かだ。
 昔の事ばかり言って居ても通用しない。老害と呼ばれるだけだ。
 なかなか好転しない曇り空を見ながら、山里の親爺は山暮らしの昔を想っている。
 どんよりとした空の下、不動山が村を見下ろしている。


 土曜日ではあるが曇天は続き、何やら蒸している山里。        庭の桔梗ももう枯れてきた。来年までさらばデアル。
 


9/6
 昨日役場から殆どの国民に対する補助、1所帯10万円の請求申告書が送られてきて、意味はほとんどわからぬが
この物価高に対する補助金の様である。まあ良い、くれるのだから頂いておこう。どうせ何とか税も高くなりそこからま
た他で取られるのかも知れぬが、この年になってこんなややこしいことをされると、意味は理解できぬ。
 勤労所帯にはその家族全員に1人10万と云うような話もあったやに思うが・・・
 請求(申告)せねば貰えぬらしいが、申告も出来ぬ弱者は切り捨てかい?何ともオヤクショのやりそうなこった・・・・・
 今更10万貰ったとて、冬の雪の降り方ひとつでこんなものは消えてなくなる。燃料費にもならない。
 言い出せば切りのない話。
 空から攻撃されることも今の処まだない様だし、クマやシカを相手には無力な警察も、泥棒や強盗にはとても容赦な
く強い様だし。自衛隊は訓練が行き届き、滅茶苦茶な隣国からの攻撃にも手ぐすねを引いている事だろう。
 そう信じ、世の中を生きてゆこう。平和ボケで何が悪い!!
 主義主張のため暴力をふるう輩をなぜ許す?こんなのは出てきた刹那に処分せねばならぬ。
 それが平和警察であり自衛隊と云う名の軍事組織である。
 平和な日本に感謝。
 昨日より大日がはっきり見えている。


 昨日親爺はミートパイを作った。美味かった。


 トモちゃんが数日前に撮った朝焼け。後立から麻木が登るのでこんな朝や鴨秋に多い。


 休暇で下山し直ぐ白山に上った山女のトモちゃん。今は何処に居るのやら?


9/5
 米不足が喧しい。中には今日年より40%も高くなっているらしい。
 農薬他農家もいろいろな値上がりで価格据え置きではいられぬだろうが、幾分の値上がりは当然だろう。
 親爺が不快なのは、コメが店頭に少ないと買いに走る大衆、それを煽るような報道をするテレビ局、しれっとしてとんで
もない高値を着け平然としている商人である。
 今の世の中コメの消費は目に見えて落ち込み、米以外の食品が溢れている。
 1日や2日、米を喰わずに過ごす日もあるだろう。
 生産者米価が消費者米価より高かった、食管制度による農業保護の時代は終わった。居間や農家も自由競争である。
 美味い米を作らねば売れぬ。適正価格は消費者と生産者の需要供給バランスで決まる。
 米を主食と呼んだ時代も過去のものになりつつある。パンや麺類だけでも1週間くらいは平気だ。飯大好き親爺にして
こんなものだ。
 コメの価格はどうなるのだろうか、大量のコメを抱え売り惜しみする者の無からぬことを祈ろう。
 立山は晴れているが、相がかかり春の見え方だ。


 太陽柱だ。別山乗越辺りでもたまにしか見られぬ。


 秋の空のはずだが、今日は朝から27℃近くある。


9/4
 今日は梅子叔母の祥月命日也。4日命日は祖父、高岡の義母と居るので仏壇に燈明を上げ香を焚きお参り。
 梅子叔母は父の妹で、我が家にもいつも出入りしていた叔母故、子供の頃は一番世話になった叔母だった。ただ60
を待たず、交通事故に遭い旅立ってしまったので、未だ若造だった親爺はこの叔母には何の恩返しもしてやれなかった
事が心に残る。祖父宗作の一人娘だったが、父との別れも早く、苦労してきただろう叔母の人生を思うと未だに心痛む
親爺である。
 今日は朝良かった天気もまた曇り空になってきて、立山もガスがかかっている様だ。ただ、暑く無く歩きやすいので登
山には向いている日だが、雨が落ちだす心配もある。雨具をお忘れなく。
 休暇中のトモちゃんは白山に入った様だ。車中泊、テント泊、山女のトモちゃんである。
 

 山里はこんな天気。大気が不安定。


 白山もある意味登山日和の様だ。


9/3
 今朝寒かったからか足が冷たく感じ、タオルケットだけではもう寒いと思いながら寝ていた様だ、その中懐かしい人の
夢を見た。昔山形から出稼ぎに来て、近所にあった会社の宿舎に居た山形出稼ぎ部隊の隊長Iさんの夢だ。
 小柄でよい人で、叔父の家や我が家へもしょっちゅう出入りしていた方だ。ここの若い衆だったSは親爺より2歳上で、
何時も家へきて、朗らかな、悪気のない性格で誰にでも好かれた男だった。
 このSとは友達で、休日には山へキャンプに行ったりしたものだが、もう4年ほど前に旅立った。実弟と二人暮らしで、
兄弟して独身だった様だ。ある日Sの家へ電話して、弟さんからそれを聞いて驚いたものだ。確かになくなる数年前から
たまに電話しても、あれだけ陽気だった男が沈み込んだ声で、何となく他人行儀な話しぶりだった事を思い出した。
 所謂若年性の認知症に罹患していたのだそうだ。
 その彼、Sの夢ならたまに見ることも有るが、今朝は何とその親方だったIさんの夢だった。Iさんは叔父や父よりも幾つ
か年上の方だと記憶しているし、かなり裕福な家の方で、何も富山くんだりまで出稼ぎに来ることもないのだが、若い時
から、関東方面への出稼ぎで財を成した方の様で、親方として何人も若い衆を抱えておられた様だ。
 親爺との付き合いは叔父や父を通しての付き合いで、あくまで目上の方としての付き合いだったが、たまにされる話が
面白く、訛りの強い言葉での話しぶりだがそれが不思議と理解できたのは、Iさんの長い出稼ぎ隊長としての経歴からす
れば成程と思われた。
 Iさんは富山の風土が関東などよりも合った様だ。親爺が知り合うより先に富山へ来るようになっていたが、親爺が友達
となったSと知り合った後に挨拶しただけで、その後2,3年で旅立たれ、叔父がその葬儀に会社代表として出席した事を
覚えている。
 その後もSは2年ほど富山へきて、親爺の結婚式にも出てくれたが、Iさんの後釜の方がSを連れてどこかへ勤め先を変
わったので、山形からの出稼ぎの方々は来なくなってしまった。
 Sを思い出すことはちょいちょいある。でもIさんを思い出し、夢にまで見たのは不思議な気がした。
 IさんはいつもSの傍らに居て、若いSを可愛がっていたので、親爺には友人Sの父親の様に見えていたのかも知れない。
 突然のIさんの夢もそれで何となくわかる気がする。
 親爺の東北好き、山形好きは勿論この人々との交流に依るものだ。
 どんよりと不安定な天気が続く山里だ。
 が、気の持ちようで曇天も晴天と変わらぬような気分になる。
 さて、この後、ラー油でも作ろう。
 数日、和えの朝焼けだ。剱御前小舎からはこんな色の朝焼けが見える事がある。


 今朝の山里は相変わらずどんよりとして曇っている。気温は高くない。


 剱御前山、別山尾根にある山で、三角点はこの山頂部の先にある。


9/2
 今思えば昨日のPCトラブルなど大したことは無かった。
 今日風も抜け頭もすっきりしているから、同じトラブルに直面しても昨日の1/3程の時間で解決できるような気がするが
結局今は結果が分かっているから、そう思うのだろう。
 さて、今朝は雨の朝で、何やら湿気は感ずるが気温が低い分快適である。
 体調も戻ればいろいろな事が容易く出来る。有難い事にまだ病が言えれば体調が戻り、毎朝の体操も今日はした。
 何とは無く爽快な気に溢れる。でも外は雨也。
 太刀山の峰も仰げず秋雨の降りて静まる山里の村


 降る雨に打たれてもなお蕾持つ桔梗の花は健気なるかな         バラの花も頑張っている。
 

 立山も雲行きの怪しい天気が続いたが大荒れにはならなかった。


9/1
 親爺が惚けたのか更新が上手く行かない。ドーローンで撮った今朝の立山の様子を乗せようとしするが、9月で項を改
めたのに、その項が上手く認識されないのだ。少々手にあまり、閉口気味。
 キットなんか理由はあるはず。もう必死であの手この手・・・・・
 風邪気味で普段からボーっとしているが、益々ボーッとなって、その中目は霞む、肩は凝る、終いには腕が上がら
ぬやふにになって来た。
 高齢とは恐るべし。普段できていたことが出来なくなって、凡その原因は把握して居ながらも対処が遅れこんがらかる。
 落ち着け、落ちつけと身を励ましながら、中食を挟み延々5時間。漸く復旧にこぎつけた。先ずは万歳也。
 台風が直撃しそうだが、ゆっくり過ぎて緊張の糸も切れた。


 この赤い雲、夕日の所為なのだが、台風を待つ身としては何やら不気味である。
 

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