令和6年新年度となりました。項を改めます。



5/2
 さてさて今日は居間から富山駅へ孫の出迎えである。まあ連休中休みとは言えまだ多少混んでいるだろう。
 孫の送り迎えだから止むを得ぬが普段なら寄り付かぬ場所。
 特に大幅改装後の富山駅たるや、路面電車を駅構内まで引き込むために、車利用でやって来る多くの近郊
の富山県民にとって使い勝手が悪く、正面のモータープールにも裏側のそれにも自家用車では入れない。
 タクシー、バスなどがゆったりとスペースを使い一般車はかなり距離を置いたスペースをあてがわれている。
 何処のバカ役人が考えたのか、一番利用する地元人の利便性を無視し、路面電車を引き込むなど阿呆だ。
 路面電車を利用しやすい路線沿いは、過疎化が進み閑古鳥が鳴いている。路線以外の郊外の住民が利用
するのは自家用車だ。
 現実を見ず、大きな血税をつぎ込んで馬鹿な改修をしたものだ。
 富山駅へ孫を出迎えに行くたびにそう思う。
 明日からの連中再開、天気は良くなるだろう。


 今日は山はまだ見えないが雲の動くが早い。明るく開いている個所は緑がきれいに輝いている。
 


5/1
 今日は朝から小雨の中掛かりつけの医院まで出かけ、血圧測定、血中酸素濃度測定などをしてもらい、薬を
貰って帰って来た。これで6月まで薬の心配は不要で気が楽になった。
 10:00前に帰着し、大リーグ小谷の試合を見ようとテレビを入れたが、珍事が勃発試合が開始されない。
 何とバックネット上部に急に蜂が団子状に群れ集まり、何か営巣しようとでもしているのか、その蜂団子は大
きくなって行って、危なくて試合が出来ず、駆除業者を手配しているそうだが、もう1時間余り試合は遅れている。
 球場はアリゾナダイヤモンドバックスのホームグランドの様だ。
 まだ業者は来ていないが、日本なら休場の管理責任者などがやかましく責任追及されるだろうが、かなり長閑
で親爺など喜んでその様子を眺めている。
 明日は昼頃の東京の孫が来る。富山駅までお出迎えである。明後日には黒部の孫も、松本の末娘も来る。
 親爺は明日からちょっとだけ、いや大分忙しくなる。
 全くどんよりとした暗い空だ。


 我家の周りも庭も車庫の周りも、全て緑に包まれて、小雨がぱらつき薄暗いが、冬では無く春だ。
 


4/30
 窓の外に目が行くと青々とした若葉がそよぎ、今が春と優し気な女神がほほ笑んでいる。
 が、昨日までは女神も暖かい微笑であったが、今日は少し疲れたのだろうか、暗く重苦しい様子で涙雨も時々
流している。昨日までの連休に明るい笑顔と暖かい光を振りまき過ぎて、少し疲れたのであろう。
 立山も今日は一休み姿を見せてくれない。
 山里では、オカカが帰省してくる娘たちや、可愛い二人の孫も来るので、食材の買い物に出たり、夜具や部屋
の準備をしたり大変だ。ここでも親爺は役立たず、精々食事メニューのいくつかを受け持ち作る程度。それでも
既に孫からリクエストされている、クッパや参鶏湯風スープは喜んで食べる孫の顔を思い浮かべつつ、食材の買
い出しをオカカに頼んでいる。
 東京の孫がゴム動力機に少し興味を持っている。空物は爺の得意分野。早速アマゾンを検索し良さそうなもの
を見つけ送らせた。2機である。黒部の孫も欲しいと云うに決まっていて、もしなかったらへそを曲げる。そんな可
哀そうな思いを愛しの孫にさせるのは嫌だから、二機準備し、二人がそろうまでには組み立てておこう。
 立山は今日は終日見えまい。


 縁側には滑り台、居間にはトランポリンを組み立てたのはオカカである。親爺の縁側ドローン空港はしばし閉鎖。
 


4/29
 連休三日目だが今日も天気が良い。爽やかな若葉をくぐり吹く風が心地よい。寒く無し暑くも無し。ボーッと
した春ならではの長閑さだ。
 が、立山のみならずこの時期に客を受け入れ商いをする観光地の関係者は、目の回るような忙しさであろう。
 でもこの稼ぎ時が終われば、その成果は忙しさに正比例しているから喜びもまたそこにあるはずだ。
 まあ精々頑張って稼いでいただきたいものだ。
 隠居の身ともなると気楽ではあるが、実入りなど何もない。唯一年々目減りする年金だけ。それでも気の持ち
様次第で、飢え死にすることも無ければ、医者通いで健康管理もできるのだから、心配は要るまい。今の処は。
 そういえば連休の所為で薬を貰いに行く日が、ちょっとズレて、明日にでも医院へ行って来なくてはならない。
 親爺の心配するのはその程度の事である。
 働きが悪くなる分欲望も抑えて過ごせばいいだけの話。身の丈に合った生活を楽しん太平楽を並べて居る。
 トモちゃん撮影の剱岳。


 親爺のドローンに反応したのか燕が周りを飛び回る。すごい速さだ。


 不動の山桜今が盛り。


4/28
 良い天気だ。流石の親爺も作務衣に着替え、オカカが買って来たあずきキャンデーを齧っている。そんなに
暑い訳ではない。しかしこの前までの寒さから一気に24℃と云う気温である。これでは暑いと感ずる。
 青空の下の木々が緑の若い葉を輝かせ、風にそよいでいる風景は春と云うより初夏である。
 秋空のような澄明感はなく、矢張り遠景は幾分靄っているので春の空らしいぼんやりとした暖かさが有って
親爺などどこか虫のいない場所を探して、1日中横になってゴロゴロして居たい。
 起きているのやら寝ているのやらと云う状態で、1日を過ごしたい。
 まあ、現実はとてもそうはいかぬが、とにかく気持ちの良い日である。
 今朝ドローンを上げた。緑に覆われた山里の向こうに立山が峰を連ねている。


 春の温かい光に包まれた我が山里。茫洋とした大気に包まれ心地よい。縁側で、ドローンを上げている親爺ちゃんと起きている。

 

 剱と雷鳥。良い組み合わせだ。


4/27
 卯月も末となり本日はGWの始まりの日。立山も雲が少々多いがすっかり晴れ、視界も広く効いている。観光
客が多いだろうが、登山客もいるし、スキーやボードが目的の客もいるだろう。
 しかし、公共交通機関で入れるとは言え雲表の世界、足下も頭上もよく観察し行動しないと痛い目に合う。
 事に本シーズンは雪が少なく、何時もなら雪上歩行で難なく通行できる箇所もクラックが入っていたり雪が極
端に薄くなっていたりするので、これはスキーもボードも同様だが、大きな事故が起きなければいいが。
 無理に未知のエリアに入り込まぬ様、そこには何が待っている解らぬ。
 我家のGW前半は静かだが、後半には東京、黒部、長野から娘らが集合する。勿論ジジババは二人の孫が
来て泊まるので、嬉しく待ちわびているがその受け入れ準備にオカカは大わらわだし、親爺もあれこれ娘達や
孫に食べさせる料理を考えながら愉しんでいる。
 まあ、台風が来て通り過ぎるようなものだと、覚悟もしているが、その台風の最中が嬉しいのだから可笑しな
ものだ。
 今日は穏やかに過ごせる連休初日である。
 雷鳥の一番はまだ雪色の姿だが、間もなく迷彩色に姿を変えるだろう。


 山里も木々に若葉が茂り、雪の早乙女や大日もだんだんと、雪衣を減らしてゆく。親爺も今日は作務衣に着替えた。
 

 親爺が作る佃煮。アサリの佃煮は某有名店のしぐれ溜り(佃煮の煮汁)を購入して、それをメインに好みの味付けに調整
して冷凍アサリを解凍し煮上げるから美味い。ちりめん山椒は自分好みに砂糖を使わず、醤油、酒、味醂で甘くならぬ様に
煮上げる。実山椒は去年和歌山から取り寄せあく抜きして冷凍保存してあったものを使う。いずれも飯の友だ。
 


4/26
 心平が真砂沢ロッジのHPをツィッターに移動したので、見ていたのだがその中ツィッターはXと云う実に愛想
のない名称に変更し、親爺も嘗て登録はしていたはずなのだが、そのアカウントなどをすべて忘れ、縁遠いXと
なっていた。でも全く見なかった訳ではなく、心平が開いたページなどはこのページからリンクできるようにして
置いた。
 で、最近そのXのアカウントが気になって、いろいろ調べて見たら、親爺は二つのアカウントを持っていて、何
れも2020年から更新してない。まあ、アカウントは作ったが、このHPだけで充分ボケ防止になっているので、又
所謂その他のSNSでもFBやインスタ等もたまに写真などを投稿しているし、YouTubeなども気まぐれに動画を
投稿しているので、時間つぶしには事欠かない。
 が、元々がずぼらで不精な性なのでしかも群れることが大嫌いなので、仲間の輪とかは広げる気など全くなく
何となく投稿しているだけだ。
 で、今回もXの二つのアカウントをどうしようか迷っている。写真1枚と短文で、まさしく呟くだけでいいから楽な
のだが・・・。
 一つはKSaekiもう一つは山賊庵で出て来るはず。
 Xもたまには覗いてみてください。同じ文章、同じ写真も間々あるだろうけれども。
 それにしてもツィッターのままが良かった。何なのだXとは・・・。
 トモちゃん撮影の御前山から見下ろす大日。


 親爺が見上げる今朝の大日。


 山里は随分緑が増えて、温かくなってヘコキムシが大量発生している。。


4/25
 朝はストーブを焚くほど気温が低かった。その後徐々に青空が広がり暖かくなってきたので居間のストーブは
消した。朝起きた時には丁度良かった親爺の衣装だが、一番着続けて生地の薄くなった前開きのフリースでも
やや暑く感ずる様になった。
 しかし空はまだ雲が多く強い陽射しは続かない。これ以上気温が上がると暑すぎるのでこれで良い。
 外を見ていると不動の山が緑に包まれ始め、山桜も咲いている。近所の銀杏と大欅も青葉をつけ風に揺れて
いる。
 暦を見れば卯月も終わりにかかり、GWが間もなく始まる。
 今や隠居暮らしで曜日に縛られぬ日々休日であるので、GWの休日にほとんど関心がなくなっている。山小屋
親爺現役の頃はまだ連休の続き具合など注意して見ていたものだが、今は娘たちが孫を連れて里帰りするのを
楽しみに待っているばかりだ。
 緑に覆われた不動山に山桜が咲いている。


 近所の銀杏も大欅も緑の若葉に包まれ始めた。


 庭の垣根のバラも間もなく花芽を吹きだすだろう。         オカカが紫陽花を鉢植えしている。
 


4/24
 春を楽しんでいるが、桜も終わってちょっと曇天が続き、寒さもなかなか去らぬ。
 これで陽射しが出て、降り注ぐようになれば暖かくもなるだろう。
 昨日ツィッターの古いアカウントを発見?最終更新が4年前になっていた。ツィッターはXと名を変えたが親爺
も古希を過ぎまもなく72歳になる。で、昨日投稿などのやり方を思い出して、山賊庵のアカウント一本にして他
のアカウントは抹消しておいた。他のアカウントと云うのはフェースブックなどのアカウントを流用して予備的な
意味で作っていたものだが、本命さえ忘れるものを予備など要らぬと判断したからだ。
 多分Xで、山賊庵と検索すれば出て来る。皆様又見てやってくださいお願いします。
 頭の体操がてら、このHPと、学生時代の友人の奥様がやっている、インスタグラムと、たまにFB、そして今度
はXである。まあ、このHPは毎日だが、後はボチボチ、気の向いたときにとして、世の中に取り残されぬ様、頑
張ってボケ防止に努めているわけだ。
 いやいや、最近の物忘れ、人の名前、物の名前の出てこないこと・・・老いるとは辛いものだ。
 4月23日の写真だ。小屋の裏側なのだが親爺には信じられぬ雪の無さだ。


 暇な親爺の作品だ。ちりめん山椒、ホタルイカオイル漬け、ワラビの山菜漬け。


 山里は雨の朝。                     垣根のバラの若葉が雨に打たれ光る。
 


4/23
 朝はガスに覆われ隠れ里状態だった我が芦峅寺だが少しずつ明るくなってきた。
 昨日トモちゃんから送ってきた写真や、連絡から、山はかなり雪が少なく、沢筋には一か月ほど早い状況が
出ている。別山から剱沢下る斜面ではいくつか破断面も見える。
 稜線も御前から御前山三角点までの登山道は雪を踏まずに行けるそうな。
 別山もずいぶん雪の付きは少なく、稜線は開いている。
 いつもより山が変わっている。昔のこの時期、何処へ行くにもアイゼンをつけぬと歩け無かったものだが。
 今はトモちゃんが入山して色々写真と情報を送ってくれるので、家に居ながら山の状態が分かる。
 折角インバウンドの客も多くなっているのに、雪の廊下だけ見せて返すのも失礼だ。今少し奥地まで案内し
愉しんでもらえるようにした方が良い。
 積雪期の立山では、あるレベルのガイドを伴わねば入山を規制することも考慮すればよい。
 雄山日帰り、浄土雪上日帰り、等々レベルを考えたコースを、インバウンド客に勧めれば、登山事故防止に
もつながるだろう。稜線ルートはほぼ開いている。
 剱沢へのまのずった跡がよく見える。


 山里は庭の垣根のバラが新緑の葉を吹き出している。      朝は隠れ里、何も見え間かった。
 


4/22
 トモちゃんから剱の写真が送られて来た。今シーズン初の剱だ。雪はやはり少ない。
 山里は桜がようやく終わり、いろいろな花が芽吹いている。我が家の庭の垣根のバラも、オカカによれば花の
蕾を膨らまして来たそうだ。
 我が家の庭の草花は100%オカカの管理下にある。親爺はほとんど関心も興味もない。
 バラが咲けば最多で綺麗だと思うし、オカカが親爺のためにプランターで栽培している唐辛子も、食材としての
興味はあるが、それ以上ではない。
 今日はオカカがいつもの場所で、ワラビを採ってきた。約20分で1.5kg程の収穫だ。採れば後始末もあるのだ
がワラビは比較的簡単で、綺麗に水洗いし、全部はいる様なパットに並べ、重曹を適量降りかけ熱湯をかけて
一晩あく抜きをする。翌日水を何回か代え、きれいな水になったら完了だ。後は好きなように調理すればよい。
 醤油漬けが親爺の好みだが、昆布締めも美味い。
 今シーズン初の剱だ。もちろんトモちゃんが撮って送ってくれた。


 今日の山里はこんな天気。雨は降っていないが曇りで、肌寒い。


 オカカの採って来たワラビ。結構大きく太い。これが一山750g、ふた山で1.5kg。オカカも大したものだ。
 


4/21
 高曇りの静かな日曜日の朝だ。
 昨日剱御前小舎への第1回目空輸が行われた。ヘリ要員のトモちゃんは荷送りを確認後、アルペンルート利用
で剱御前小舎に向かった。が、立山駅が大混雑、13時代のチケットしか取れず閉口したとの事。「インバウンド混
み?」であった様で、台湾語、韓国語などが溢れていたようだ。
 で、室堂着が14:30、トモちゃんの足だからそこから2時間前後、16:30前には小屋に入ったそうだ。
 まあ、アルペンルートにしてみれば今が雪の廊下見物の稼ぎ時。インバウンド様御一行大歓迎だろう。
 日本が経済好調で円も高くまだ国民も元気だった頃、アウトバウンドで世界に金をまき散らした。今、無能な総理
の経済引き締め一本やりで、日本経済は冷え込んでいるが、このインバウンドは細やかながら日本経済に弾みを
つけてくれて居る。
 以前の世界でまき散らした金と元気を取り戻したいものだ。
 雪がずいぶん少ない。昔のこの時期は、剱御前小舎の前でスキーを履いて、そのまま下れることも多かった。
 少ない雪の部分部分が黄砂で汚れている。


 山里からは大日がこんな具合に見えている。雪は少なく黄砂がまだ残っている様だ。


 オカカが植え付けたシバザクラはどうにか根付きそうだ。水仙は花が枯れた。



4/20
 葉桜になってしまうと桜も余り振り向かれることは無くなる。人の目を楽しませるばかりか心まで浮き立たせてく
れる桜だが、その花も葉も塩漬けで食用として用いられているし、山桜の樹皮などはそれ自体が工芸材料となる。
 枯れ木となってもその木材は、燻製用の燻木として用いられる。誠に役に立つ桜だ。
 ただ、毛虫が付きやすくそれだけはいただけない。
 昔、芦峅寺の保育所が有って、我が娘らが通っている頃、その裏側に桜木があったがそれに毛虫が沢山付き
主任先生が困って、業者を頼んで駆除してもらったことも有った。保育園には向こう見ずな勇者が数多いたから
その勇者たちに怪我でもさせたら大変だ。
 末娘が保育所を出てからもう30年・・・大分昔の事だ。
 その保育所が今「曼荼羅食堂」やら、地域交流センターとして、今は親爺たちと全く縁遠くなっている。
 子供らの声や足音が響き渡っていた保育所のあの頃が、芦峅寺の村にとっても一番良い頃であっただろう。
 葉桜は餅と湯になり生き返り


 春一陣の小屋開け入山後、初めての空輸作業が行われた。この空輸は芦峅寺スキー場から行われていたが
立山町がスキー場撤退、後にできた施設がゴミなどを散乱させているため使用困難になり、今は川向の旧ゴンド
ラスキー場駐車場に頼んで、春の下界からの空輸を行っている。
 剱御前小舎への食糧資材が飛んだ。(空輸要員トモちゃん撮影)
 


4/19
 9:00過ぎにトモちゃんが顔を見せに来てくれた。今日午後からのヘリ空輸要員で、第一陣は小屋開けに入
って居るのだが、このヘリが飛び終わってから、明日上る予定だそうな。
 岐阜のスキー場でパトロール要員として一冬を越してきたトモちゃんだが、御父上と一緒に大分の国東に引
っ越したそうだ。大分は良い所だ。
 親爺の古い友人の住む海辺の町よりやや山へ入ったところらしいが、何となく友人の住むエリアという事で
親爺も馴染みのある所なので、縁のようなものを感じた。
 さて明日トモちゃんが入山すると、親爺の処に写真が送られてくるから、このページの写真のグレードもかな
り上がる事だろう。
 天気は午後に向けて良くなりそうだ。
 朝はまだ黄砂の影響が残っていたので、山は見えなかった。


 シバザクラと水仙は一寸元気を取り戻している。


 閻魔堂石段脇の桜は、もう葉桜めいて来た。今年も良く咲いてくれた。


4/18
 昨日から大発生のヘコキムシ対策でオカカは大忙しだった。
 オカカは親爺より5歳ほど若いので、かなり元気である。非常に動きの悪い親爺に付き合ってなど居られぬ様
である。
 今朝も、そろそろ出るかもしれぬ蕨を見に出かけ、まあ家から5分ほどの我が家の所有地の斜面に出かけた。
 結果、まだちょっと早いが、約550gのワラビを採って来た。
 オカカは携帯電話に、メモ書きを残す事をしている。で、去年は16日にワラビを初採取、1.1kgだったそうで、
そのあとも何日後にどれだけ、更に何日後にどれだけと几帳面に記している。
 で、それがワラビ採りにはいい参考になっていて、今年は4月が寒かったから少し遅れていると見当をつけて
18日の今日550gを採取した。こうなれば後又見当をつけ、あと何回か最終をする訳だ。
 親爺は食うだけで、採集には全く役立たない。これは昔からそうで、イワナ釣りや鉄砲撃ち、鮎の投網などは
夜討ち朝駆けで熱中したが、山菜採りと云うのは性に合わぬらしく大嫌いである。その分オカカがワラビだけだ
が頑張っている。まあそのワラビ採りもここ10年ほどの事なのだが。
 でもお陰で、ワラビの醤油漬けが大好きな親爺、この春も味わえる。
 黄砂が来て埃っぽい今朝の山里だ。


 さっきオカカが30分ほどの間に採って来たワラビ。550gある。今年の初物。


 常願寺の茱萸だろうか、若葉がきれいだ。


4/17
 鬼さの本を読んで、久々に鬼さの肩を揉まされた頃を思い出し、鬼さの顔が懐かしく蘇った。
 鬼さはもうずいぶん前に亡くなっているが、81歳まで生きたそうだ。親爺が初めて会ったのは恐らくまだ60前で、
非常に元気なころだったと思う。
 可成り若い時に(大学1年生の夏)立山から出て尾根通しに薬師、太郎平から上の岳、黒部五郎、三俣、水晶
野口五郎、烏帽子、取って返して、雲ノ平、薬師沢、高天原などなど、鬼さが活動したエリアにも重なる山域を高
山植物パトロールのアルバイトとして2夏歩き、その後の2夏の間も山小屋のアルバイトで同様の山域をうろつい
た親爺なので、越中の立山衆には間違いないが、薬師から黒部源流に当たるエリアも親爺にとっては、懐かしく
忘れがたい山域なのだ。
 昔は我が立山の山里芦峅寺にも、鬼さと同じような山人は多かった。我が父の仲間やその先輩方である。
 事の真偽は時の彼方だが、春の狩り山、内緒のシシ猟等で黒部の谷を挟んで鬼さたちと鎬を削った猛者も多
いやに聞いている・・・。
 北アルプスのみならず山国日本全土に山人たちはいて、それぞれに伝説を残している。そんな聞き書きの本も
多くある。親爺の本あさりがまた始まる。
 イッチャンとオトシさんの家の裏の、恐らくミズキだろうか、やや貧弱な木だが若葉が吹き出して来た。


 満開を過ぎ花を散らしているところに雨が降り、一気に寂しげな桜。こちらも雨に打たれ可哀そうにしおれているシバザクラ。
 

 この次にはこんな本を読みたいと思っている親爺である。日本は広い・・・・・。
 


4/16
 久々の雨空で薄暗く、寒くはないが暖かくもない。
 で、居間にはストーブが燃えているが一番その近くが親爺の定席なので、少し暑い様な気もする。
 昨日の晴天でにつられた訳でもなかろうが、ミニ水仙の周りに何やら綺麗な花が咲いている。オカカに尋ね
たら、オカカが昨日植たシバザクラだそうだ。雪の下になるからどうなるかわからないが、今の処綺麗であり
寂しげに一人咲いていたミニ水仙も何となく引き立っている。
 今日のような曇天でも、彩り豊かな庭の一角が引き立って目を楽しませてくれるのは嬉しい。
 今日はドローンも上げられず、立山の方もかろうじて見えているばかり。
 庭の片隅の彩りが美しい。


 小雨模様の朝、閻魔堂石段脇の桜も雨に打たれている。立山は大日岳も微かに見えているだけだ。
 

 オカカは親爺用の唐辛子を今年もプランターに植えてくれた。これや、ミント系のハーブはカメ虫よけにもなるそうだ。
        


4/15
 鬼さ事、鬼窪善一郎さんの話を今少し書こう。
 鬼さは嘗て、黒部の谷を縄張りにした遠山富士弥を頭?とした山賊グループの一員だった、と書いたのは前
三俣山荘オーナーの伊藤正一さんだった。その著作「黒部の山賊」は親爺も若い頃面白おかしく読ませてもら
ったが、その信州グループがグループで激しく行動したのは終戦前後の一時期に限られる様だ。
 伊東正一さんの本は、大方正確ではあるが、フィクションとしての面白さもあるのかも知れない。
 親爺の若い頃、或いは子供の頃、芦峅寺にはその時代、或いはそれ以前から信州のヤマドと接点のあった芦
峅寺の古老たちが結構残っていた。我が祖父佐伯宗作は昭和10年に旅立ちもういなかったが、信州の山人との
交流も多くあったと聞いている。
 その祖父宗作と同年代で黒部の主と呼ばれた志鷹弥三太郎爺は隣の家で、一寸風変わりな爺さんだった。
 遠山富士弥の父、品衛門と弥三太郎の黒部での出会いは山の中で久しぶりに人に会った時のような和やかな
ものだったらしく、まだ若かった弥三太郎に品衛門はその岩魚漁の拠点を引き継がせた様だ。
 五色が原で山小屋をやっていた、叔父である佐伯友治の小屋で、海軍から復員した父宗弘も、五色小屋を手伝
う傍らガイド修行に明け暮れていた。
 その頃であろう。遠山富士弥グループと、芦峅寺の山人たちとの間の一触即発と云うかなりシリアスな話を聞い
たものである。
 富山県警の管轄内での密猟(カモシカ、クマ)は許さん。信州人グループによる良からぬうわさもある。そのグル
ープが我が管轄内に狩り小屋等を建てているという情報がある。芦峅の若い衆に頼む。そのようなものを見つけ
たら直ちに破壊し場合によっては火を点け燃やしてしまえ。と、まあ穏やかならぬ依頼があったのだそうだ。
 終戦直後の事、その程度の事はあっただろう。
 海軍航空隊帰りの父たち復員組の若い衆は、血気盛ん。ためらわずその依頼に従った。いくつかの狩り小屋を
焼き払った。が、しかし自分たちも春先には似たようなことをやっている。でも、自分たちの縄張りを信州グループ
に侵されては黙っている訳に行かない。
 信州グループも仕返しをした。芦峅衆が拠点にしている山小屋の留守に、タバコや食料などをごっそり盗まれた。
 川を挟んでにらみ合う危険な状況もあった様だ。
 古老たちが中に入って話し合ったのか、やがて信州グループは黒部の谷から徐々に姿を消し、黒四ダム建設の
槌音が響く喧騒の谷となって行った。
 が、しかし鬼窪善一郎さんが、遠山富士弥グループに加わっていたのは本の一時期、或いは狩り山の一時、イワ
ナ漁の一時と、極めて限定的であったのではなかろうか。
 小屋番をしたり、高天原の大東鉱山への歩荷稼業、駆り出されて遭難救助、山小屋建築の資材運搬など獣猟や
イワナ漁やという事で生きていたのだろう。確かに小さな体に鋼が入ったような強靭さがあった。
 昭和46年、鬼さは多分まだ60前だったと思う。雲ノ平の小屋で営林署のパトロールのアルバイトで居候を決め
込んでいた居た親爺と親爺の同い年(源次郎の孫)二人に、突然やって来た鬼さが「越中の若い衆はだれだ」と
声をかけてきた。
 「ハイ。」と鬼さの前に進んで、挨拶をすると。「そうか、おめぇ等かい。わけぇなあ。」と笑顔が優しかった。小柄だ
が顔は真っ黒に陽にやけ坊主頭にハチマキ。昔の芦峅寺の爺様たちにそっくりだった。
 弥三太郎爺の事は覚えていて、当時まだ健在だったので、それを伝えると喜んでいた。我が祖父宗作や源次郎
の事は時代が違い知らなかったが、「話にゃ聞いてる。」と云ってくれた。鬼さのリップサービスだったかも知れぬ。
 芦峅寺の若い衆と聴いて、懐かしくて来てくれたようだった。「おい、越中の若い衆。オラァ肩凝ってたまんねぇだ
から、ちょっと揉んでくれ」と云われ、はい、と答えて肩もみをし出したが、その固い事・・・「まだだ。まだだ。」とやら
れ、小一時間も相棒と二人で交代で揉まされた。
 手は疲れたが、肩もみをさせながら、いろいろ語ってくれた鬼さの話は面白かった。もう50年以上昔の話だから、
その面白かった話は、中々正確には思い出せない。
 大きなほら噺も有ったろうし、真実辛い話もあったかもしれない。
 昨日の夜、鬼さの語り下ろし?の電子書籍を読み乍ら、今はもういない我が父や祖父の時代の山人に想いを馳
せた。ああ、あの時代の山人たちに、もっともっと話を聞いておけばよかった。悔いが残る。
 今日も素晴らしい天気だ。


 鬼さの語り下ろしの一冊。心和んだ。   我が芦峅寺も細やかな桜満開を迎えている。
 


4/14
 朝からヘコキムシとの戦いで疲れている親爺だ。
 天気が良く温かくなってきたので、恐らくどこかに冬眠していたヤツや、外からミリ単位の隙間をくぐり抜け、家
に侵入してくるヤツもいて、温かい窓とカーテンの隙間にモゾモゾ蠢いている。
 コヤツは臭い体液を噴霧する。それ故ヘコキムシの名を冠されているのだが、所謂カメムシである。
 病原菌を媒介することは無い様だが、その臭い体液が目に等はいると炎症を起こす。また強烈な悪臭は中々
取れず、服などについてもくさい。
 またこいつに有効な殺虫剤はまだない様で、忌避剤なども売ってはいるが、試したことは無い。
 ミント系の匂いを嫌がるらしいので、ミントの鉢植えを並べておくと良いかもしれない。
 今はガムテープ捕獲が専門で、適当に切り取ったガムテープで、体液噴霧射せぬよう抑え込み丸めて捨てる。
 でもこれも切りがない。何とも厄介なヘコキムシである。
 大日がきれいだ。この写真を撮るとき、親爺はヘコキムシを二匹捕った。


 名古屋の鉄道博物館に出かけた次女と孫。     ランドセルが歩いている桜並木。ピカピカの一年生だ。
 

 通学は運動服でするのだそうだが、やや大きめの服が一年生。オイラは昔の特急あさかぜに乗ったぞ。年中さんのお兄ちゃん。
 


4/13
 今日も良い天気。昨日のタイヤ履き替えの帰路に立ち寄った、旧大山町上滝地内にある常西用水の桜はほぼ
満開状態で、風が吹くと花弁が舞っていた。
 今朝、閻魔堂石段脇の我が家から見える唯一の桜ももう8分咲きだ。小鳥が花をついばみに来るのでこれで終
わるかも知れない。何とも涙ぐましい程の短命の桜である。
 桜はこの桜に関わらず、皆花をつけ美しく咲いたと思うや潔く散る。それゆえに桜なのだろう。
 古より”世の中に絶えて桜の名かりせば春の心はのどけからまじ”と平安貴族が歌い、その潔さは武人軍人に
常の心構えとして愛された。日本人にとっては何とも特別な花なのである。
 携帯カメラで撮った写真ばかりなのだが、昨日の常西用水沿いの桜である。


 全く去年と同じ服装で花見をする親爺。 もう一枚はちょっと離れた旧大山寺遊園の駐車場(現大山寺駐車場)の桜。
 


4/12
 朝起きぬけに桜が花開いているので嬉しくなって、ドローンを上げて電線の邪魔者を入れず写真を撮ろうとドロ
ーンを上げた。
 高齢で寝起きが悪い上に、喜びすぎて唯でさえ鈍っている五感が、更に鈍くなっていたのだろう。
 写真は逆光だし、アングルも朝陽に目を眩まされパッとせぬ。時を待てばよいのが待ちきれぬことがもう老いだ。
 その上ドローンを下ろすときに誤って操作、本体墜落数メーター。大きなけがはなかったものの、少し傷がついた。
これは気の短い年寄りの焦り。何を焦ることが有ったろうかと、猛省。
 サルでもできる反省とならぬよう、そのあと立山町に出かけスノータイヤを普通タイヤに履き替え、帰路に旧大山
町の常西用水に沿ってある桜並木を見物してきたが、運転は慎重そのもの、車も迷惑にならぬ様心掛けた。
 この桜並木は、常西用水の水の流れと、花と、白い立山の峰々が一幅の画を思わせる穴場。
 オカカと二人毎年花見をしているが、年々見物客が増えている。折角の穴場だったが。
 その写真は明日掲載することにして、今日は山里の閻魔堂石段脇の桜の桜の開花を載せよう。


 ご機嫌で通学している黒部の一年生、給食も美味しいそうだ。 東京も年中さんになって元気にわんぱくぶりを発揮している。
 

 大日も機嫌よく姿を見せている。アルペンルートも間もなく開通するようだ。


4/11
 今日も良い天気だ。昨日よりは幾分雲が多いが、温かい穏やかな春の天気だ。
 こんな気持ちの良い日だが、親爺は通院日。まあゆっくり行って来よう。今日は眼科の定期検査で、
半年に一度ほど受けている視野検査だ。かれこれもう20年以上通っている。
 目と云うのは実に重要な器官である。親爺は40代で高眼圧症が見つかり、それ以来緑内障になると
困るので、点眼薬治療を受け、視野検査も定期的に受けている。幸い今の処大きな視野欠けはないが
視力は最後まで保ちたいから、点眼も欠かさない。
 内科にも定期的に通っているから医者通いは多くなる。それでも転ばぬ先の杖と思い、真面目に通院
している。
 写真の中に燕が移っている。何時もより来るのが早いと思うのだが・・・。


 東京の孫も元気にキリン組さんに進級。頑張って保育園に通っている。食べているのはキッザニアで自作
したピザだ。割と近くにあるキッザニア、オイラは常連だい!!


 東京など花はもう散り始めている様だが、山里は漸く開花が始まったばかり。ミニ水仙も咲き出したばかり・・・。
 


4/10
 いよいよ、小学校一年生になった黒部の孫である。
 制服は特別な日だけで、普段は体操着での通学となるそうだが、昨日は入学式で、ハレの日故制服。
 なかなか可愛らしくて、直ぐ大きくなるからとてちょっと大きめのぶかぶかサイズで、空のランドセルが
大きくて、このミスマッチがピカピカの一年生のトレードマーク。
 式の様子はビデオで見せてもらったが、皆同じような格好で、ちょこまかと可愛い。
 名を呼ばれ、人一倍大きな声でシッカリと「はい。」と答えられた。エライエライ!!
 まずはパパの実家へあいさつに行って、その可愛い姿をご披露。14:00過ぎに立山のジジババの家
にやって来た。


 先ずはランドセルを背負ったままババに飛びついて一甘え。


 ジジにも抱っこされてもう一甘え。


 山里の さくらつぼみを 色付かせ 孫小学生と なりて来りし


 閻魔堂石段脇の桜がつぼみを色付かせている。 雨に打たれていたミニ水仙も元気に朝日を浴びている。
 


4/9
 朝から結構強い雨が降っている。
 気温も昨日と比べると、7〜8℃かそれ以上低い様だ。
 こんな空の下、黒部の孫の入学式である。学校までは車で両親と行くから、心配はないものの、桜の
花の下で入学式を迎えさせてやりたかった。
 まあ、本人は全く気にしていない様だ。パパの実家へ最初に挨拶にいき、そのあと午後からは我が家
へ来るそうで、親爺もオカカも楽しみにしている。
 ババが抱っこして寝かしつけ、目覚めれば爺が抱っこして人間ゆりかご。可愛くて可愛くて堪らない孫
がついに小学生。嬉しさと一抹の寂しさと、妙な気分である。
 午後になって元気な声が我が家に響くのが、何とも待ち遠しい。


 折角咲いたミニ水仙が雨の洗礼を受けている。  自生したフキノトウ採らずにおいたら黄色い蕾を頭に伸び切った。。
 

 下戸のくせにジンの香りと味が好きで、本物のジントフィーズを少しずつ舐める様に味わってい親爺だが、
何とノンアルのジントニックが出てきた。これは嬉しい。匂いは今一ながら、苦い味が良く再現されている。
 何でも出来るものだなと、感心した。


4/8
 今日は曇天ながら立山はまだ見えている。
 昨日の大相撲地方巡業場所は楽しかったが、会場の出入り口が1箇所しかなく、中に入るまでが大変で
しかも中には売店が並んでいるので、人混みが凄まじい。
 何が嫌だと云っても人混みと行列が一番嫌な親爺、もし大相撲でないならとっくにUターンした。でも溜り
席3列目で、本場所では余程運かコネが無いと取れぬチケットを取っていたので、我慢して人混み行列の
中を目指す席に向かい、小さな座布団に腰を下ろした。すでに幕下以下の稽古が始まり通路には大の里
が姿を見せ、10分もすると席取り連中が次々と現れ、親爺とオカカの席が西溜りだったから、2m程の処
に、立ち並んだ。
 琴の若は大関、同門の若手たちが挨拶に来て、水をつけていく。流石大関になると廻りの扱いも違うの
だと思った。
 テレビで見慣れた、若い者頭の親方や、鳴戸親方、高砂親方等の他に呼び出しもいる。ひそかに贔屓し
ている呼び出し隈次郎を探すも見当たらず少し残念だった。
 狭い溜り席、足のしびれや腰の痛みを耐えながらの観戦だった。本割は基より地方巡業故本気は出さな
いがソレなりに見て、弓取り式まで観ての帰宅だったが、場内の混雑、誘導の悪さには辟易。
 開けて今朝、昨日の後遺症がやや残り、足腰に疲労感。曇天ながら立山は見える。
 朝之山が抱っこして土俵入りした赤ちゃんは、親戚の子か、全く泣かず抱っこされていて、可愛かった。
 地方巡業ならではの一コマ。


 

 

 今日は曇天ながら、立山が見えている。午後は天気が崩れるそうだ。


4/6
 待望の青空が広がり、とは言え春独特のアイ(靄)のかかった空ではあるが、寒い日が続いた後なので
決して贅沢は言わず、喜んでいる。
 立山もボーっと霞みつつも見える。早速ドローンを上げて見たり、庭に出て見に水仙がつぼみを持って
いるのを見つけ喜び、その横に小さな花の一叢を見つけ又喜んでと春の楽しさを体感した。
 見つけた小さな花は何か親爺にはもちろんわからず、ネット検索でコハコベだと知った。
 気温が高くなったので、ストーブを切り床暖だけで室温は22℃ある。
 立山の室堂周辺の山小屋の連中はもう入山したらしい。剱御前小舎のマー君も一陣は15日に入山する
そうだ。山を仕舞い隠居の身となって、そんな小屋開けの話も遠いものになった。
 親爺の厚着は大失敗。昨日までの肌寒さも何処かへ行って春の女神がついに腰を据えてくれそうだ。
 大日が姿を見せている。


 去年はとっくに咲いていたミニ水仙も、漸くつぼみを膨らませ始めた。傍らの小さな花、コハコベというそうだ。可憐である。
 


4/5
 ガスこそほぼ上がったが、矢張りすっきりせぬままの今日の空だ。
 朝方少し冷えたが、川向のスキー場跡の上部には上がりゆくガスのベールの後ろに、新雪が見えた
様な気がした。
 何とも早、薄暗い日の続く事か。東京は桜満開で浮かれているが、山里はしつこく冬空が残っていて
とてもうきうきした気分にはなれない。


 昨日オカカが摘んできた葉ワサビは、綺麗に洗い刻んで、僅かな塩と砂糖で揉み、それを沸騰前の8,90℃
のお湯にくぐらせて絞り、チャック付きのビニール袋に入れ、醤油をふりかけ袋で揉み馴染ませ密閉し保存。
 これで、美味しい葉ワサビのしょうゆ漬けとなる。今朝味見。辛い美味い!!
 


4/4
 朝からガスがかかって、我が山里はまるで隠里のようにガスに覆われていた。今は雨が降り出した。
 雨の降りだす前に、親爺はドローンを上げて、ガスに覆われた幻想的な写真でも撮ろうと試みた。
 撮れた写真はただの薄暗い写真ばかりだが、それでも見る人によって、良い写真だという人もいる
かも知れない。まあいないことも無いでは無かろう。
 等と頼りない事を思っている中に、オカカがワサビ菜を何所からか摘んで来た。
 去年は3月中に出ていて、オカカが摘んで来て、ワサビ菜の醤油漬けを作って頂いた。段々ワサビ
漬けの腕も上がり、辛くならないことは無くなって、鼻に抜ける爽やかな辛みが楽しみになっている。
 これからは蕨やウドも出て来る。楽しみな事だ。
 今日は隠れ里の趣だった我が山里だ。今は雨。


 閻魔堂の参道を真上からのぞいた。石畳が落ち葉に埋もれている。山里はガスに覆われていた今朝だ。
 

 昨日はオカカがイワシのピカピカしたのを買って来た。オリーブ油にニンニクと唐辛子を入れ低温で
約3時間煮込んで、コンフィーにした。ガラスのタッパーに入れ保存した。


4/3
 黄砂がまだ残っているのではないかと思われるような外の景色だ。
 今日も立山は見えてはいるが、薄暗い中にボーっとである。青空が更に出ないので春の明るい、温
かいイメージが全く湧いてこない。
 今朝も何やら中途半端で、雨こそ降っておらぬが、風が出てきてドローンも上げたが直ぐ下ろした。
 こうも薄暗く静かだと、何やら眠気がさして来る。
 米国の作家コールドウェルは、タバコロードで有名だが、大学の教養課程で英語(米語)の原書読本
として、コールドウェルの短編集を宛がわれた。その中にSmall dayと云うのが有って、まずこれは「小
さな日」などと訳すと誠につまらぬ作品になると仰った蝶ネクタイの教授(名を失念。半世紀前の事だ。)
の言葉を未だに覚えている。
 成程、翻訳と云うのは原文の意をくんで、相応しい日本の言葉を紡ぐ事なのだと、思い至ったのだ。
何分新米大学生、ひげも生えそろわぬ若造の、当たり前と云えば当たり前すぎることに気付いただけ
の事なのだが、そのレベルの事でも心に残した、山出しの若き日の親爺だったのだ。
 で、蝶ネクタイ教授の訳は「つまらない日」であった。
 これだけ長く思い出を書いて、つまり今日がSmall day であることを言いたかっただけだ。
 嗚呼つまらない日だ。この写真の色合いが既に薄暗くつまらない。


 すっかり雪が解けた閻魔堂も何やら埃っぽく春の様ではない。


 大日から早乙女山にかけては、雪がずいぶん解けた。


4/2
 昨日富山へ用足しに出かけた帰り、郊外にある富山ブラックラーメンの元祖、大喜の支店に寄った。
 常願寺川にかかる大日橋そばの支店だ。
 昼少し前だから混んではいなかったが、入店しても「ラッシャーイ」とも声がかからず、随分静かだ。勝
手に2人駆けのシートに座り、注文を取りに来るのを待っていたが、壁にタッチパネル注文ボードが掛り
どうやらそれで注文をする様だ。まあ、最初は勝手がわからず、少してこずった。
 味・濃いめ、普通、薄目。麺・固め、普通、柔らかめ。コショウ・多め、普通、少な目。とチョイスできる。
 数量2とし、注文ボタンで確認画面、そして注文。
 実に無言で注文ができる。以前来た時は確かコロナ前、だから4,5年前だったのだろうか。それにし
てもこれが大喜のラーメン屋か・・・。
 比較的スムースに注文の品が出てきた。そこで初めて「お待ちどおさまでした。」と人の声を聞いた。
 そして味はやや気の抜けた大喜であった。
 客の好みなど聞かず、塩辛く真っ黒なスープに太い硬い麺を入れ山盛りの焼き豚を積みあげ支那竹
をのせたこれが大喜の中華そばだ。メニューは大と小だけ。と云う昔の狭い本店の味を知る者にはかな
り面白くない。店が自信をもってこれだという味を出してくれた方が有難いし美味い。
 塩辛くスープは飲み干せずともそれが大喜の味だった。そして「ラッシャイ。」「アリアトゴザイマシタ。」
のこの二声が必ず客に向けられ「ゴッソーサン。」の客の声も親方に向けられたものだ。
 何とも合理的なシステムの導入は時代だろうが、店が自信をもって出す味まで変えることは無い。
 中途半端な富山ブラックを喰った気がした。ああ面白くない。
 今日は黄砂が抜けややすっきりした。


 そんなにひどく不味くはないが、気の抜けた大喜の中華そば・・・。因みに麺柔らか目、スープ普通の注文。


 旧立山道上空から我が家方面を見る。恩師宅はすっかり取り壊された。


 まだ遠景は靄っている様だが、これは春のアイであろう。ズームの先の大日岳はだいぶ雪が解けた。
 


4/1
 いよいよ卯月4月1日新年度の始まりである。役所と云わず会社まで、凡そ新年度で動いている日本
では、皆さま襟を正し心新たに新年度を迎えられた事だろう。
 我が孫も一足遅くこの10日に、小学校の入学式を迎えるので、その姿が今から目に浮かぶ。
 黄砂の影響もほぼ取れて、今朝から立山が春のアイにボーっと霞んで見えていた。
 東京の孫ももう新年度のクラスに、今日から行ったそうだ。少し風邪気味で、3、4日休んでいたので
今朝の登園は渋々だったようで、それは仕方あるまい。年中さんになった。
 朝一番のドローン飛行で撮った今朝の立山。
 3月に雪が多く降った様で、少ないと思っていたが雪は例年並みだろう。


 ドローンを飛ばす親爺。流石に冬の衣装は脱いでいる。   鍬崎山も顔を見せていた。
 

 オンバダン(御姥谷)も雪解け水が多い。布橋はまだ手すりの覆いを外していない。
 

 

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