2025山賊庵絵日記(冬)     令和七年元旦に付き項を改めました。



2/15
 快晴である。温かい陽光が射しこみ、温室効果で温まった物干場の暖気が、居間との仕切戸を開けると流れ込む。
 屋根の雪も落雪が怖く止めていた融雪装置以上に陽光が溶かし、後でドローンを上げて状態を見て見ようか。
 芦峅寺の現在積雪は150cm代になった。この調子でグングン嵩を減らしてほしい。
 この後また来るという大寒波、雪も来るのだろうが、もう多く降らぬ様祈るのみ。
 三寒四温と云う言葉が有るが、そこに近づくにもこの山里は大雪の三寒を経て細やかな四温を享受するだけで、春
にはまだまだ遠い様だ。
 久しぶりの白く輝く大日を見上げた今日である。


 昨日はオカカからチョコレートを貰った。2個もくれたので、大好きなウイスキーボンボンを一緒に食べている。
 


2/14
 昨日より幾分落ち着いた山里の雪だ。
 もう話題など雪限定・・・・・の山里暮らしである。毎日毎日雪が増えたの減ったのと、雪の嵩ばかり気にしている。
 気付けば今日はセントバレンタインデー、この年になれば全くと云っていい程関心も関係もない日だが、時の移ろいの
一つのイベントとして節分や立春並みに捉えている。
 あまりの話題のなさにバレンタインデーをネタに何か書いてページを潰そうとしたが、何も思いつかぬところを見るとこ
の手のイベントでは、我が友人の多くと同じく負け組メンバーだったのだろう。
 今外が急に明るくなった。陽が射して来たのだ。
 雪よ陽を浴びて溶けろ溶けろ。
 春の遊びの楽しさを語り聞かせてくれる母もとうに旅立ち、過ぎし戦の手柄を語らなかった父もすでに旅立ち、囲炉裏
火など時の彼方ではあるが、親爺の記憶の中には父母はもちろん祖母や囲炉裏火も鮮明に生きている。
 幾度この懐かしい人々に護られて長い冬を過ごして来たかもちゃんと覚えている・・・。
 だからこの地は離れ難いのだ。


2/13
 昨夜寝しなに4.8℃という高温で、寒くは在れど降雪が無いのでゆっくり眠れた。が今朝はその所為で6時前に
目覚めてしまい、外を見てがっかりした。
 また雪が降り出したのだ・・・。
 折角168cmまで溶けた雪も、9:00現在はまた175cmを超えた。止んだと思ったらまた降って来る。
 本当に質の悪い冬の神だ。村内では2回の雪下ろしをした家も多い。近年まれなことだ。
 歳をとるとこの村に住み暮らすのは難しい。
 12月から3月まで4か月間を村の外で暮らす事も真剣に考えてしまうが、先立つものが・・・。宝くじでも買うか。
 今朝、窓外を見ればまた降り出した雪に愕然。


2/12
 まだ左程でもないが、今日はこれから南風が吹き込み気温が上がるそうで、屋根の雪が庭江落ちるのが心配だ。
 夕刻から雨も降るそうなので、雪崩に十分気をつけねばならぬが、危険な山域へ入る事は無いというか無理だし
ただ屋根からの落雪に気をつけねばなるまい。今日は15:00頃から気温が上がりだし24:00には当地でも8℃が予
想される。その高温は雨を伴うそうで、益々雪を溶かし滑らせるから、屋根や山の斜面の雪は自重で動く、つまり
滑落する訳で、何とも物騒なものである。
 暖かく成って良いが屋根からの落雪が心配だ。
 落雪が溜り、庭に一山出来た。融雪装置を設置し使い始めて、雪囲いをしなくなったが、雨戸にまで雪が来た。
 これは来年には雪囲いを考えねばならないかも知れぬ。


 どっちを見ても雪だらけ、速く溶けて欲しいものだ。
 

 こんな雪の下での生活はもう沢山!!


2/11
 戦前なら天長節と云ったという建国記念の日であるが、建国記念日と云えぬところに政治家の誤魔化しを感ずる。
 親爺は建国記念日と云ってはばからぬが、今日のこの日に197cmの豪雪の下で、一生懸命考えて見た。
 日本には皇室があり、その皇室は1000年以上続いているのは確かそうだ。南北朝の様な二枝に分れてもまたどこ
かで統合され、例え養子縁組をしたとして、その生物学的な血は絶え、別の血筋へと移ったとしても、それは公認され
た系図の上では一つのものとして連なり現在の皇室に至っている。
 天皇家の基は神武天皇であると、だれがどう決めたかは知らぬし知る必要も無かろう。
 その天皇家はあくまで現在日本と呼ばれる国の、古くからの皇室で崇められて来た御一門でありそれが、連綿と現
在まで続く、世界一古い皇室なのである。
 以前はイキガミ様だったろうが、現在は国民の象徴として多くの国民から慕われている。
 女系の天皇の否定だとか、愚かな親爺でも納得できぬところもあるが、愛子内親王が次の天皇になってくれることを
心より願う一日本国庶民の親爺である。皇室典範の早急な快晴を望みたい。
 大雪の愚痴から久々に目がそれた。「天皇愛子」と云う玉璽が令和の次に出来る事を願う。


 来年は雪囲いを復活すべきかもしれないと考え始めた。雨戸の外と、出窓の外にも。
 


2/10
 降雪にすっかり心を塞がれて、欝々としている。
 山里の雪七尺の日々長し・・・で、72年間この立山の麓のやま里に生きている親爺もつくづくこの山の村が嫌になった。
 雪の多い日々には親爺は暖かい無雪地帯への引っ越しを真剣に考える。
 しかし、夏の暑い日にはああ涼しい山里でよかったと思い、引っ越し計画は毎回とん挫する。
 人とは何と易きにに流れやすいものか、とつくづく思うのだ。
 久々に我家から早乙女らしき山が見えた。
 雪下ろしをしてももう雪を捨てる場所がない。


 黒部も雪が降って、家の前の駐車場でカマクラ遊び。 東京は雪は無いが、那須までママの友達たちと出かけた。
 可愛い孫二人の便りにジジババの豪雪鬱も吹き飛んだ。
 

 とにかくすごい大雪だ。親爺も経験がない程の短時間豪雪(ドカ雪)だ。


2/8
 今日も雪が降ったり止んだり。すでに山里の積雪は218cmを記録している。
 やはり2mを超える雪は大変だ。その雪の下での生活など頗る辛いものである。雪はまだ粛々と降り続く。
 雪には慣れていて1mくらいの雪には耐性のある雪国人も、2mも降り積もりまだ止まぬ雪には鬱陶しさ以外何も感ぜ
ぬ様になる。
 後は止んでくれることを祈りながら体を縮め暮らすしかない。
 その暮らしのなんと不安で窮屈な事だろうか。外出もせず家の中だけで過ごす時間は長い。
 屋根から落ちた雪が積もり、壁を構築。車庫も見えぬ。


 外に向いた出窓も雪の壁が遮って鬱陶しい事この上ない。オカカが孤軍奮闘。玄関先の除雪に当たる。
 


2/7
 昨日は雪に押しつぶされそうで、気がめいり更新もとてもする気にならなかった。
 雪にあらがう体力が無く、唯々じっと閉じこもり、心配ばかりしているのだから気も滅入るはずだ。昨日は1日降る雪
を眺め過ごした。
 したことと云えば夕餉に焼き鳥丼を作ったことだけだ。後は軽い時代小説を読んだくらいか・・・。
 それでも暖かい部屋で、事もなく過ごせる。
 若い友人のモリヤに感謝。色々除雪を手伝ってくれるので本当に助かっている。
 少子高齢化、豪雪、切り捨てられた地方の山間地。廃れてゆくばかりである。
 こんな大雪の降る時はそんなことばかり考える。若い力が無いのは我が山里だけではない。日本全国が高齢化して
若い力が無いのだ。
 未来に活気が見えぬ。ああ、こんな欝々とした気分の原因の7割はこの大雪だろう。
 早く止め。春よ来い。
 融雪装置は効いている。もう一番弱くしておかないと雪が雪崩のように落ちる。
 家の屋根の雪は心配がない。


 融雪装置も負け気味で、屋根から雪がドンドン落ちて庭につもる。雪降りが続く間は必要最小限の対応しかできない。
 

 雪の積もり方が激しくて、居間の出窓から車庫が見えなくなった。


2/5
 この冬をなめていた天罰だろうか。我が山里の積雪は180cmを超える勢いだ。
 何とも長い冬だ。1月大寒からしばらく続いた暖日にすっかり騙された。立春過ぎに大きな寒波でこんなに大きな
雪になるなど、思いもしなかった親爺である。
 180cmを超えた積雪はこれで止んだわけではなく、このあとまだ続く。非常に長い期間にわたる寒波来襲なのだ。
 いやいや、これ以上積もると完全に想定外である。下手をすると物流が途絶えるかも知れないし、停電などに見
舞われると、もうこれは災害時の緊急事態に等しくなる。
 昔から続く雪との戦いだが、親爺などもう戦う体力も気力もない。モリヤや心平に頼んで、必要最小限の除雪をし
てもらっている。
 ともかく寒波が抜けて、雪が止み、太陽が雪を減らしてくれることを祈るのみ。
 居間の窓から見た豪雪の模様。まだ2日も降るそうだ・・・。


 庭の雪も雨戸に届いている。融雪装置で落ちた屋根雪が積もるのだ。石段もオカカが除雪した後から、直ぐ新雪が積もる。
 

 折角雪下ろしをしたイッチャン家も又たっぷり積もった。でもまだ雪下ろしはしなくていいだろう


2/4
 今朝はもう早々に新雪20cmを見た。
 折角雪を落とした杉木立や電線にもまた雪が白く降り積もっている。家々の屋根もまた雪の嵩が増えて重そうだ。
 立春は名ばかりとは、とうの昔に思い知っている。でも立春明けに来る寒波は嫌だ。
 家を温かくして、じっと籠っていればいいだけの話だが、玄関先の出入り口くらいは除雪が居るし、屋根の雪下ろ
しも雪を捨てる場所が無くなる。
 それでも降る雪を止める術は誰にもない。雪が過ぎるのを待つだけだ。
 雪に悩まされることのない場所に移り住みたいとも思うが、この年になって面倒だ。仕方なく雪の下の3か月を耐
えるしかない様だ。
 今年は雪が多くないとなめていると、必ず大雪になって慌てふためく。
 さて、これから本番となる立春寒波、どうなる事やら・・・。
 今朝の雪化粧。


 折角雪下ろしをした近所の家も、また新雪に覆われた。我が家の雨戸も融雪の雪が落ち積り間もなく雨戸に至る。
 


2/3
 年により違うらしいが、今日は立春だ。
 立春は嬉しいがその名を冠した寒波が到来する。立春寒波とはまた何と皮肉な寒波だろうか。
 クリスマス寒波、年末年始寒波、そして立春寒波・・・。
 小寒から始まり大寒となり節分で終わる寒だが、その寒中の寒波もいくつかあった様だが、特別の名づけは無かった。
 台風など番号名が必ず付くが寒波には着かない様だ。だからクリスマスや年末年始と云う名をつけることはあっても、
それ以外だと余り思いつかぬ。
 まあ、そんなことはともかく、立春寒波はどの程度の雪を降らすのだろうか。
 4日から10日までの1週間全てに雪曇りのマークが連続している。これはひょっとすると200cmクラスの雪になるかも。
 どうなろうと、じっとその雪の下で暮らすしかあるまい。
 今朝の、寒波来襲前の景色を撮っておこうとドローンを上げて見た。
 大日も薄く見えているが、立山もそんなに大きな雪ではない様だ。


 我家の車庫や庭にも雪はまだまだ残るが、此処に更に雪が積もるのだから、1週間後はどうなっているだろうか。
 


2/2
 本日は節分。雪も降っていないし高曇りながら気温も低くはない様だ。
 明日は立春だが勿論暦の上だけの事。山里も4日過ぎからまた寒波来襲で雪となるそうだ。
 今宵は豆撒き。昔は3人の孫を引き連れた婆様(母)が、豆を炒り、升にその豆を入れて子供たちにはオカカが折り紙
で作った小さな升に豆を入れもたせ、それはそれは賑やかに「福はうち〜福はうち〜、鬼はそと〜福はうち」という、福は
うちが三回に鬼は外一回の掛け声で、笑い転げながらバタバタと駆け回ったものだ。
 婆様の楽しそうな姿、それを見てにこにこしている爺様の姿、婆様では制御できぬ三人の娘の監督役のオカカ・・・。
 いやいや楽しい思い出で、今も親爺の胸に残っている。
 今や親爺とオカカの二人だけの我が家だが、豆まきの風習は3人の娘らにも受け継がれている様で、それぞれに真似
事でもやっている様だ。我家も小袋入りの炒り豆を、袋ごと部屋に撒いて豆まきの細やかな伝統の灯は絶えていない。
 恵方巻などと云う出自も定かならぬ巻きずしが、幅を利かせている昨今、それをほおばる事が伝統行事だと勘違いして
いる若い世代。世は移り変わり節分もどんな風になって行くのだろうか?
 日本の一地方の縁起担ぎの風習も、上手に商売に転化させ、全国に広げる商人の知恵こそ褒めるべきか。
 少なくとも親爺の知る節分にエホーマキなる食い物は無かったし、この先も要らない。
 綺麗に雪下ろしを終えた近所の家。近頃まれにみる綺麗な雪下ろしだ。


 我家の車庫の屋根の雪も嵩を減らした。          不動山もガスの中。気温が高いのだ。3℃程ではあるが。
 


2/1
 愈々二月になったが、まだまだ雪の下、寒い日々が続いている。
 明日が節分、明後日は立春だと考えると、心は幾分安らいで来るが、旧暦と呼ばれる(太陰太陽暦)暦法の季節
との誤差もあるらしく、中々暦通りにはゆかない様だ。それでも気は心ともいうではないか、能天気に生きている親爺
とオカカ故、まあ適当に解釈し、学者に後は任せておこう。
 9:45現在、陽射しが強くなってきた。これで雪も10cm単位でぐんぐん嵩を減らすだろう。
 喉風邪は治まった。食欲も出て来た。が、今朝は僅かに眩暈を感じた。例の三半規管のトラブルだろう。
 これはバタバタせず安静にしていれば治る。年に何回かある。酷い時は目をつぶっても眩暈を感ずる程だが、今回
はそんな事も無い。
 如月が着更着とならず穏やかな日々となるように願いつつ・・・。

 閻魔堂参道も雪に埋まっている。


 庭の積雪は屋根の雪が落ちたもの。雨戸はまだ開けられる。    大日が薄っすら見え始めた。
 


1/31
 睦月晦日となる。
 寒中の最も厳しい時期であるが、今年は大寒の日からしばらく暖日が続き、すっかり騙された。
 今年の雪は山雪が多く、我が山里は今度の雪で145cmの積雪が最大値を更新した。
 それにしても昔を想うと五尺に足らぬ雪、左程大騒ぎする事もあるまいが、この雪に強いはずの山里の村を支
えていたエネルギー源の若い力が消滅してしまっているので、耐雪力も大きく下がっており、五尺足らずの雪も大
きな負担になっている。
 その辺のことは親爺も実に切実な問題として、身につまされている。日々の暮らしの中の事々が次々と自力で
出来なくなって行くような気がしている。
 雪に埋まった玄関先の除雪、車庫の前の除雪、屋根から落ちて庭に溜まる雪の始末・・・。嘗ては朝飯前の事が
一日がかりでも出来ぬのだ。
 いずこも同じで、若い力は村から完全に消えてしまっている。辺りは老人ばかり。しかも日本のほとんどの地方で
同様の状況であるらしい。
 いたずらに寿命だけが延びても良いことは無い。
 健康寿命こそ重要だという前に、地域の産業政策などをどんどん打ち出し、地域活性化を真剣に考えて欲しいも
のだ。セクハラやらパワハラついにはカスハラまで。世の中で注目を集めるのは芸能界とスポーツ界だけ・・・。
 未来が見通せない。老人にも見通せる世の中は無いのだろうか。
 大雪の下に居るとつまらぬことばかり考える。
 屋根の融雪は正常稼働。ほぼ上々の効果。


 雪下ろしがまだな家も5割はあるが、まだまだ余裕だ。


 いやいや見事に雪に覆われた我が山里である。


 青空もちょっと顔をのぞかせる。2025睦月晦日也。


1/30
 又激しく雪が降り出した。9:25現在芦峅寺観測点の記録は、積雪122cm気温-0.9℃である。恐らく積雪は
今冬の最大値であり、これはこの降雪が止むまでさらに更新されるだろう。
 小林一茶の終の棲家が雪五尺、我が終の棲家は今年はこの上を行く事だろう。
 昨晩稼働させた屋根の融雪装置、ほぼ稼働しっぱなしである。12月の灯油代は7万を超え、1月も既に5万程は
かかっているだろう。暖房と融雪装置である。風呂と床暖はガスなので、別途だ。
 細やかな親爺とオカカの年金では実に心細い雪国の生活である。
 まあそういいながら食事もでき、酷く寒い思いもせず、ミサイルや爆弾を心配することもなく眠れるのだから、日
本という国は有難い。
 止まぬ雪は無い。解けぬ雪もない。気長に時を待ち健やかに日々を送れることを感謝しつつ春という楽しみを
待つのがジジババの仕事だ。
 こんな空の下、やがて来る春は天国のように思える。


 我が家の猫額庭はあっという間に雪の下に埋まってしまった。左を見ても、右を見てもとにかく雪がびっしり。
 

 出入り口の確保が山水を使えぬ今冬は大変だ。


1/29
 体調が良くなり、食い気も出て来た。今日の昼には買い置きのラーメンスープと作って冷凍保存してあった焼き豚
を使って、熱々のラーメンを作る積り。
 学生時代から馴染み今でも大好きなラーメン。まあ馴染み深い気安い食べ物である。
 これが食べたいと思うときは大概健康な時で、体調不良時には食いたくなることは少ない。
 親爺が一番好むのは、旧の中野大勝軒のつけ麺だが、我が地元の富山にも最近は富山ブラックなどと云われる
様になったが、”大喜の中華そば”があるし、昭和40年代では珍しかった白湯スープの”南京千両”という店もあって
何となく黒白の中華麺として人気を二分していた時期があったようだ。
 親爺は両方それぞれに好きだった。
 親爺には2人の従兄がいる。二人とも母の姉の息子だ。4歳年上がY、2歳年上がNで、歳も近く子供のころから可愛
がって貰った。
 その従兄のYは南京千両のラーメンが好きで、たまに連れて行ってもらった。
 もう1人のNは東京在住が長く、親爺が学生で在京中にはほぼ扶養家族のように世話になった。この従兄は親爺が
3年生になる時富山本社に転勤になったが、親爺帰省中には良く夜中のラーメン屋へ連れて行ってくれた。この時は
大概大喜の方だった。
 あれからすでに半世紀以上、幸い二人の従兄も健在である。互いに爺様になってしまったがたまには顔も合わせる
し、電話もする。今もNと話したところ。Yにも電話したが出ない。親爺以上に耳が遠く滅多に出ないのだ・・・。
 まあいいか、未だ近くに二人の兄貴分(親爺は滅多に兄貴として敬わぬ不出来な弟分だが)が居るだけで喜ばしい
事だろう。元気で長生きしてほしいものだ。
 朝起きた時はまだこんな感じだった。


 居間から見た窓外の雪、まだこの時は大した雪ではないが、10:30現在結構な降り方をしている。
 


1/28
 ここ数日少々弱り込んだ。何時もの気管支炎の様で、色のついた痰が少し出て来たので、嗽をするやら売薬の
薬でごまかすやらしていたが、一向に良くならず。ついに町内の耳鼻咽喉科の世話になった。
 熱は出ないが身体がだるく、飯が喰えないという親爺にとってはかなり重篤な症状が出ていたので、まあ年ととも
に食が細くなってはいるが、それを遥かに超える食欲不振で、小さな飯椀に1/3程の飯さえ食えぬ。
 これは昨夏の胃腸不良(ポリープ)以来の事で、参った。
 唯一食べて見たいと思ったのは干瓢巻位で、酒饅頭も1/3程なら食えたが、身体の力が入らない。
 で、昨日の耳鼻咽喉科となった訳だが、抗生剤の2回目の服用で効果が出、今朝はHPの更新も出来ている。
 しかし身体は正直だ。血中酸素濃度も普段通りに近くなり、何とも言えぬ不快感も軽減。
 後は薬をシッカリ飲んで、体を休めるばかり。
 体力は身体の仕組みが順調になれば自ずとついてくるものだ。70を超えて過度の訓練など「冷や水」だろう。
 とうそぶきつつ、親爺は今日もごろ寝で過ごす予定也。
 過日の霞だった日の徘徊からこっち、調子を崩した親爺である。


 体調不良の日々、干瓢巻3〜4本が洋右訳の一片食。 坂饅頭は大好きなのだが流石に1/3程も頂いただろうか。
 


1/26
 寒中の雪が少ないのに喜んでいたが、昨夜から今朝にかけて15cm程の新雪が降った。
 折角嵩を減らした雪がまた増えた。庭にも、家の屋根にも道路にも・・・。歓迎するのはスキー場位だろう。
 昨夜、村の役員会が有った。何度目かの役員をさせられているが、もう体力的にも精神的にもきつい。
 年度年度の村の会計報告や、立山雄山神社の会計報告まで、色々あって結構細かい。
 それを9つに分けられた組ごとに配布し、その組ごとの寄合をして認証し、それをその次の村の総会に持って行く。
何とも面倒な、隠居の身には煩わしい事々である。
 まあ、村が100軒余りで年収は1000万を大分超えるから、一寸した零細企業ほどの事はあろうが…。
 昨日帰宅してその寄合の案内状を作成しようとPCに向かったが、何とワープロソフトが入っておらず、ためらった。
 慌てて無料のワードを検索するも、オープンオフィスをすっかり忘れている。結局それを思い出すまで一時かかった
が、思いだしダウンロードするや物の5分もかからず書類が完成した。
 文章作成はホームページビルダーで毎日やっているから、問題はないが、ワープロソフトの存在をすっかり忘れて
いたのである。
 まあ、笑い話のような日々ではある。
 今朝の降雪後。15cm新雪が来た。


 折角大変な目に遭って雪を下ろしたイッチャンの家も又雪が来た。  我が家の車庫も…でもすぐ青空は広がった。
 


1/25
 少し昨日より寒い、雪のチラつく日だ。
 熱いコーヒーが飲みたいと思っていたらオカカが山口県のFさんから頂いた、高級コーヒーを淹れる準備をして居
間に入って来た。
 流石40年以上も夫婦をしていると以心伝心という事もたびたびある様だ。Fさんが送ってくださる珈琲は実にうまい。
 寒いとはいえ氷点下ならず、雪降りとは言えチラホラともならぬ雪空ならば左程気にならぬ。
 美味く暑いコーヒーを飲みながら、窓外を眺めやる余裕もある。
 昨日タブレットで、井上選手のタイトルマッチを見た。テレビがボクシングや格闘技をほとんど放送しなくなったのは
もう数年前からの事で、今度の試合もネットテレビで無償で観ることができたが、大画面で見たかった。
 井上選手が強すぎて、相手がなかなか見つからぬ様だ。様々ないきさつもあったのだろう。昨日の韓国選手も果敢
に挑んだが、実力差は1R当初から目に見えた。
 何とか4Rまで持ったが、最期はボディーと顔面へのフックで、ダウン。其れきりタオルが入った。
 強すぎて相手がいない。こんなことも有るのだと画面の中の井上尚弥という選手を改めて見つめた。
 雪が降るでもなく降らぬでもない天気。窓越し撮影だからボーっと見える。


 雪が解けたた娘らが作ったカマクラの跡が出てきた。


 花霞のかかった昨日だが、家の西側は青空が出ていた。


1/24
 朝目覚めて、洗面台に向かう時必ず横の窓から外を眺める。
 今は寒の中、しかも大寒を過ぎ4日目、まだ節分までは一週間以上ある、一年でも最も寒く雪も多い時期なのだ。
 時によれば、洗面台の横の窓は家の裏側の小屋根上に有るので、融雪で大屋根から落ちた雪がうず高く積もり
窓を塞ぐほどのことも有るのだが、今年は小屋根屋根瓦が見え、雪も少し見えるが窓枠の下である。
 で歯を磨きながら家の表側に面する、親爺部屋に行き、此処からも外を眺める。晴天時には大日が正面に見え
る位置で、東向きだから不動山もよく見える。
 今朝は一面のガス。どう見ても雪解け時期の花霞である。
 嬉しくなって、朝飯後すぐに軽4WDに乗って村はずれを一巡してきた。
 まさしく暖かい花霞だ。雪が減って霞となって暖かい外気に吸い上げられて、木々にまとわりついた霞は花芽を潤
し芽吹きの時を知らせる・・・。
 旧立山、道明念坂の横を通り、眼前の布橋の霞んで見えることに気付く。


 旧道に沿って布橋を廻り込む。谷から登るガスなのか、辺りの雪面から立つ霞なのか布橋はぼんやりと霞んでいた。


 辺りの雪原からは、雪が解け霞がかかっているように見える。まだ1月末の寒中なのに、もう3月の花霞である。
 


1/23
 曇天ながら今日も暖かく、9:00現在気温は3.2℃、積雪も減っている。
 20日の大寒から節分までのこの間が一番寒く雪も多いが、何の拍子か今年は暖かく親爺やオカカを喜ばせている。
 まあ、冬の間の山家の隠居暮らしなど、雪が話題の中心で、朝から晩まで「雪が少なくていいな」という話ばかり繰
り返している親爺とオカカだ。
 しかしそれで退屈せぬのが隠居暮らしの良い所。何かにつけて古い思い出話が蘇り、自分が忘れていたことを相
方が覚えていて、話が弾むこともしばしば。
 ”灯近く衣縫う母は春の遊びの楽しさ語る・・・・・囲炉裏火はとろとろ外は吹雪”という歌が、CMか何かで流れていて
覚えてしまったのは、親爺がまだ大学生だった東京でのことだった。
 18年間この情景に最も近い北陸の山間地で育った若者が、花のお江戸に移り住み初めて迎えた雪のない冬だった。
 雪や雪にまつわる全てが懐かしく、歌い手が誰だったか定かな記憶はないが、歌に心捕らえられた。
 今や半世紀以上の時を経てもそんなことを思い出す。
 これだけ雪が嫌いになった爺様なのに。
 雪は本当に少なくなった。


 立山は今日は見えぬ。


 不動の山も雪が少ない。


1/22
 大寒二日過ぎの今日も暖かい穏やかな日である。
 親爺やオカカにとっては、実に有難い事で、雪の降りしきる中で明日を心配しつつも何もできず、ただ籠っている
という日々なのだ。
 気温が10:00を過ぎて5.4℃、積雪もまだ70cm余りあるが、青空が広がり、温かい陽光が降り注いでいる。
 暖かいものだからごついフリースを脱ぎ捨てて、軽々とした服装で方も凝らない・・・。
 実に嬉しい日々であるが、果たしていつまでこんな日々が続くのか。どこかで冬の帳尻合わせに大雪が来るかも
知れぬなどと、かえって不安になってしまう。
 まあ、暢気に構えてこの暖かい日々を謳歌しなくては損だろう。
 暖かい温室効果の物干場から引き戸を開けて暖気を取り込み、外の青空や立山の峰々を眺める。
 今日も長閑な日、ゆっくりゆっくり時間が流れる。
 今朝のドローン写真。まだ立山には順光で陽が射していない。
 でも温かい雪解けの日の気配が溢れていた。


 昨日は屋根の管理をお願いしているMさんが午前中に来てくれた。物の小一時間で屋根瓦を修理、雨どいのごみ掃除までしてくれた。
 

 今日も我が村は平穏也。


1/21
 大寒から節分までの間は、一番雪が降る寒い期間の事だと思っているが、今冬は如何も違う様だ。
 昨日など日中はほぼ晴れていて暖かく、テレビでは寒修行の始まりを放送していたが、余り厳しい寒修行の様子は
撮れなかった様だ。しかも夜になって雪ならぬ雨が降り出した。
 山里でも春先の雨はよく降る。だが大寒の夜の雨などあまり聞いたことは無い。
 これも異常気象なのだろうか?専門家ではないので何とも云いかねるが、異常とは常ならぬ事であるから、この雨
も字面通りの意味では異常だ。
 屋根の融雪装置を手動で淹れたり切ったりするのは毎年の事だが、今年は大きな氷の塊を含んだ雪が小屋根に
落ちる時に、瓦を割った様だ。オートで稼働させておいてもこんなことは四六時中ある。
 で、結構目に付くので、昨日屋根の管理をお願いしているMさんに連絡をしたら、今日もう来てくれることになった。
 何かあるたびに、修理の依頼をする職人さんを探すのに苦労するが、このMさんは実に気軽に動いてくれ、しかも
丁寧で実直な対応をしてくれるので実に助かっている。
 仕事のできる職人さんとはこういう方々なのだろう。
 穏やかな大寒。冬衣を厚く纏った大日が見えている。


 昨夜の大寒の雨で、家々の屋根雪もずいぶん嵩を減らした。 杉木立も雪を落とし、軽々とした姿を見せている。
 


1/20
 愈々大寒の朝である。
 が今冬の大寒の朝は、雪こそそこそこに降って、村の家々も1/3程は雪下ろしをした様だが、温かく穏やかな天気だ。
 昨日は縁側の雨戸を開けて見た。縁側と座敷に陽の光が入り明るくなった。
 気をよくして、縁側に座り込み引き戸を開けてドローンを飛ばしてみた。青空の下真っ白な立山の峰々が輝いていた。
 今朝も縁側の引き戸を開けて見たが寒さは感じない。写真を何枚か撮り令和7年の大寒の景色を記録。本来なら来る
べき節分まで一番寒い日々を迎える入り口の日だが、この後の天気予報を見ると晴れマークも多く、少なくとも大雪を降
らせるような大寒波も予想されていないので、少し嬉しくなってきた。
 とにかく雪は嫌だ。スキー場も十分稼いだだろうし、もう春が恋しくてならぬ。雪は要らぬ・・・。
 大寒も穏やかな日にて冬忘る


 こんな大寒だったら気もめげるだろうが、今年は青空から暖かい陽光が降り注いでいる。
 


1/19
 昨夜は良く寝たが、夜更かしをして寝付いたのは1:30頃だった。朝は7:30過ぎまで寝ていたから、6時間は寝ている。
多分十分な睡眠だろうが、眠りが浅いのか、昼寝も1時間足らずしてしまう事が多い。
 昨日19:00過ぎに玄関チャイムが鳴った。以前親爺の母方の祖父につながる家の出だと云う中年男性が来て、自分の
出自を訪ねて歩いたのだが・・・という話だったので、招き入れ話をしたことが有った。
 まあ、間違いなく母の従弟の息子らしい。しかしその家は既に村を出て半世紀以上経っており、その後移り住んだ富山
市内のごみごみした場所の長屋風の処に住んでいたと記憶しているが、母や、母の実家日光坊とも殆ど付き合いはなか
った様だ。親爺には確かに遠縁にあたる男性の夜の訪問だが、ちょっと親爺の癇に障った。
 実はその前にも訪ねてきた事があり、親爺不在で面会を断った事が有った。
 今度は時間も時間だし、親爺が引導を渡すべく玄関まで出て、「N(この男性のルーツたる家の屋号)が又何の用だ?時
間を考えろよ。我々高齢者には夜中だぞ。」とやった。「この前は色々聞かせて頂いて・・・・・。」と今回は近くへ来たものだ
からよって見た、と云う様な事を言い、「電話番号を教えて頂ければ・・・」と云うのを制して「いやだめだ、電話番号などは教
えぬ。電話番号を誰にでも、はいはいと教えるようなことはしない。」とハッキリ拒否した。
 取りつく島のないケンモホロロな対応に戸惑っていたようだが、考えて見て頂きたい。
 数十年ぶりに自分のルーツを探して、この村に足を運んだ人には遠縁とは言え縁のある人として対応したが、色々話を
聞いてそれ以降も付き合いをしたいかどうかは、親爺の気持ち次第である。
 押しつけがましく時を置かず再訪、不在と断られ、夜間に又訪ね来る。それらの行動のすべてが親爺の癇に障る。
 ましてや電話番号を・・・。こんなご時世に無神経にも程がある。
 本人に悪気が有ったとは考えたくないが、常識のない事は否めない。ましてや初対面での親切に、勘違いして再訪を繰り
返すなど論外である。
 立山は今日も良い天気。そして温かい。前大日と奥大日が重なり見えている。


 結構な雪である。山水が断水しているので流せないから大変な今冬だ。 車庫の屋根も雪がずいぶん減って軽々してきた。
 


1/18
 昨日一日は体調不良で寝込んだ。別にどこがどうのと云う症状が有った訳ではなく、風邪の時の関節痛に似ただるさ
が続いた。
 前夜インナーダウンを着込んで寝て、寝苦しかったのは暑かったのかも知れぬと、、インナーは脱いでオカカ手製のウ
ールのベストを着て寝たら、ぐっすり眠れた。朝は少し寒く眠りも浅かったが、今朝はこの冬一番の寒さだった様だ。
 所謂放射冷却現象で、7:00には-5.7℃まで気温が下がった。
 朝から陽が出て。新雪面に弾け散る陽の光が賑やかで、心楽しくなる。
 体調不良もほぼ癒え、朝一番でドローンを上げて立山を撮った。
 我が家からの角度だと丁度鍬崎山の背後から陽が登るので、早い時間の立山は白衣を着ている上に低い位置からの
陽光が斜に当たるため逆光のように滲む。順光の立山を撮りたければ午後からの方が良い。
 でも待つことができない親爺であった。
 今朝の村の様子。立山に背を向けて取ると綺麗だ。
 道はバリンバリンに凍っているが、スキー場を目指す車が多く、もう十分安全に通れるようだ。


 地上高度を40m程まで上げれば立山はほぼ見えるが、剱と薬師は村の中からは見えない。


 常願寺川が凍ることは無いが、南側の日陰の中の細流は凍っているだろう。


1/16
 昨日の風邪っぽい症状は、熱も平熱だし取れたようだ。
 今日は青空が広がり昨日降った新雪に陽光が射し弾け窓外はまぶしくて目が開けられぬ程だ。山里とは言え標高は
400mあまりだから、雪目にやられることも無かろうが、まぶしい。
 昔のウサギ猟はこんな日が良いとされた。針葉樹林は枝から雪がドサドサと落ちるので、ウサギは比較的雪の落ちな
い見通しのきく落葉樹林にいる。しかも深い雪で動きがのろくなっている。だから捕りやすいのだ。
 でもスキーを履いているとはいえ猟銃を背に負う猟師の方も動きは良くない。結局運を頼りの猟だ。
 でもやはりこんな日は他の日よりも良かった。2羽以上の複数のウサギを捕り、意気揚々と帰途に就いたものだ。
 今は昔の話である。雪が降って喜んでいた頃だから、40代の頃のはなしである・・・。
 さて昨日は映画も観たし、今日は何をして過ごそうか・・・。
 外の明るさが嬉しい。


 不動の山の上部の広葉樹林、かつてのウサギ猟のエリアだ。


 よく降ったものだ。1月の寒中故当たり前なのだが。          我が庭も今年は山水が断水。
 


1/15
 昨夜ベッドに入ってから急にくしゃみが出て、何となくゾクゾクと悪寒が来た。
 やばい熱が出てきたかなと思って、インナーダウンを着込んでベッドに潜り込んだが、嫌なゾクゾク感はとれない。
インフルと云っても予防注射はしているし、人と会う事も滅多にない親爺である。で、市販の総合感冒薬を飲んで
ぐっすりと寝込んだ。
 今朝も何となく体の節々が痛いが、食欲も普通通りだし、のども痛くはない。様子ながめにカロナールを飲んでおいた。
 この後普段通り、居間にマットレスを敷いてその上で毛布を羽織り横になって過ごそう。
 床暖が心地よいはずだ。
 まあ、隠居ならではの治療方法。若い皆さんは速く医者へ行ったほうがよろしい。
 雪降りて山里の村は埋まりゆく


 折角昨日雪下ろしをしたイッチャン家にもまた雪が降り積もる。


 我が家の石段通路も、今年は山水が来ないのであっという間に白くなった。 どこもかしこも雪。流石雪国。
 


1/14
 オカカが買い物に出かけた。親爺は床屋に行って途中にあるGSで灯油料金を払ってきた。何とはなしに雪が少なく
なっているので、普段の生活に戻れたようだ。
 床屋は今となっては数少ない情報の拾いどころ。一昔前のスキー場の様子が様変わりしている旨聞いてきた。
 やはり県営ゴンドラが撤収されたのが大きい様で、色々痴愚h具になっている様だ。
 それでも今年は久しぶりに雪が多く降ったので少しは賑わった様だが、かつての様な潤いは期待できないようだ。
 古い知人も何人か旅立っていることを聞いたし、世の中はいろいろ変わっているのだ。
 我家の融雪装置の溶け残りも早く落ちてくれればいいのだが・・・。


 閻魔堂の石段脇に鎮座する不動明王。誰かが花を供えている。 冬の布橋。今シーズンはブルーシートで手すりを覆っていない。
 


1/13
 長女と婿どの方の姉妹とは仲が良い。何れも子育て世代で、様々な情報交換などをやっている様で、よく合同で彼方
此方へ出かけ、こどもたちをあそばせたりしている。
 で、昨日は立山山麓スキー場で我が孫にも初スキーを教えて呉れた様だ。
 親爺がもう少し体力が有ればいくらも教えたいのだが、オカカも体力の限界を過ぎると判断、若い連中に任せた。
 尤も、婿殿は勉学一筋だった様だが、SちゃんAちゃんはトモにスキーのレッスンプロの資格を持つ、元国体選手。昨日
送られて来たビデオを見ていても上手に教えている。爺や婆やママが教えるよりよほど良い。
 川向のスキー場は粟巣野スキー場が古く、その後極楽坂スキー場が出来た。
 その二つのスキー場の間に、富山県がゴンドラをかけて県営ゴンドラスキー場とし、その後も色々あって立山山麓スキ
ー場とか、言っていた時期もあるが今は何とかまた別の名を名乗っている。
 ゴンドラは県が手を引いて解体され、今はないがまあ何とかスキー場が運営はされているようだ。
 我が家のある山里から立山大橋を渡って行けば5分で着く。
 昔は知り合いばかりが多かったが、今は代替わりやら何やらで知人も少なくなった。
 もうスキーなどもとっくに引退しているだが、オカカともども第一ゲレンデで運動がてら毎日二三本滑ればいい。
 と、思っているだけデアル。
 アフタースーは雪遊び。



 

 東京の孫はまた伊豆に出かけた。もう畳連鎖案の様で、昭和の雷族のような恰好までさせてもらった。
 


1/12
 一時は117cmを記録した我が山里の積雪も、昨日の陽光に溶け、今は94cmになった。気温こそまだ氷点下だがこれ
から徐々に上がって来るだろう。
 今日も午後からは晴れマークが並び良い天気になるだろう。
 雪が減ってくれればこれほど嬉しいことは無い。スキー場は大喜びの様だがもう十分だろう。
 今日からは大相撲初場所が始まる。野球がオフシーズン故スポーツ観戦がめっきり減って、何となく寂しかったのだが
相撲が始まればまた半月ほどは、我が家の居間の桟敷席で観戦できる。
 郷土力士の朝乃山はまた休場。怪我が大きかったからやむを得ぬが、横綱なら許される休場も、大関以下ともなると
手加減なしに降格となり、我が本尊殿は三段目という訳だ。
 まあ、相撲協会の事は解らぬが、色々な不条理がまかり通る特殊な伝統世界である。伝統を守ろうとすれば無理が出
て来るのは相撲協会だけではなく、歌舞伎界、華道、茶道の家元制度等々まだまだあるのだろうが、伝統だからこれを
守るのが当たり前とは中々行かぬ社会になってきている事は確か。
 多くの価値観が有って、それが決して一つだけが正しいという事のない世界ならいいが、何でもかんでも好き放題と云う
のも又迷惑な輩が多く出て来るだろうし、まあ全てほどほどが良い。
 雪もほどほどで、もうすっかり飽きているので、これ以上降らぬでもよい。
 立山もすっぽり雪に覆われている。


 雪はずいぶん減って一段落。


 月が大日のうえに出ていた。


1/11
 今日は久々に雪が止み、青空が見える。
 眩しい陽光が低い位置から物干場の仕切戸やカーテンを抜けて、親爺の顔を直撃する。眩しくてくしゃみが出る。
 陽は射せども気温は上がらぬ。朝の放射冷却で、冷え込んでいるのだ。
 それでも午後にかけて、木に被っている雪も、屋根の雪も滑り落ち始めるだろう。
 親爺は古いカーディガン再生のウールのベストをフリースの下に着こみ、その心地よい温かさにうっとりとしている。
 また昼寝の時間が伸びるかも知れない。
 何事も無し。長閑である。
 もう少し綺麗に晴れたら、ドローンを上げて見るかな。まだ立山は見えない。


 マアこれだけ積もれば芦峅寺も面目躍如也。車庫前ではオカカが頑張っている。
 


1/10
 まあ、大雪だろう。1/10に117cmの積雪である。
 7日の昼過ぎから降り出した雪は、間欠的にではあるが、今日の早朝まで降り続いた。10:00過ぎの現在は雪も止み
僅かながら灰色の空が明るみ、惜しみながらちらちらと青空も見せている。どうやら三日半ほど降り続いた雪も一段落
した様だ。これ以上降らすと冬の神様も嫌われ、疫病神扱いとなるところだ。
 親爺も毎年冬の神様に悪態をついているが、まあ夏の神様(あまり聞かないが)よりは遥かに親しみがある。
 親しすぎて悪態もつきたくなる訳で、その分大雪と云うしっぺ返しを食らわされている。
 今、11:00少し前急に陽光が射しこんできた。嬉しい。
 雪もかなり沈み嵩を減らすだろう。
 まだこんな繰り返しは一月の余も続くのだろうが、春を待ち焦がれる気持ちはますます強くなる。
 これは今朝のオカカの仕事。車庫の屋根の淵を掻き落とし綺麗に片づけた。


 もともとはこんな風だったのだから、オカカも頑張ったものだ。向かいの高橋家を見る限りまだ雪下ろしは不要だ。
 


1/9
 雪が降り始めて三日目の今日だが、ついさっき一時的に日が出て30分間程だけ晴れて見せた。
 そのつかの間にドローンを上げて、我が家の屋根の積雪状態を確認してみたが、しきりに入れたり切ったりしている
融雪装置ではあるが、ここ三日は入れっぱなしであるので、効果はてきめんに出ていて、雪下ろしなどは全く縁がない
程には屋根の雪が減っている。
 融雪を入れていない家々の屋根も親爺の眼から見ればまだまだ雪下ろしなど不要だが、気の早い奴はソロソロ屋根
へ上がるかもしれない。
 ああ、又本降りになってきた。
 外の降雪を観ていると気が滅入る。春がだんだん遠ざかってゆくような気がする。
 雪を見て喜ぶのは余り雪に降りこめられる経験のない人たちであろう。
 それにつけても「雪見とはあまり利口の沙汰で無し」と江戸の昔から言われているのを思い出す。
 近所の大イチョウも大欅も冬枯れの枝に雪の花を咲かせて凍えている。


 若い友人のモリヤが、毎朝、親爺の車庫の前と玄関前の石段を綺麗に除雪してくれる。有難し。


 つかの間の晴れ間が出て、ドローンを上げて撮った今朝の我が山里の景色。立山は厚い雲の向こうだ。
 


1/8
 今日から雪が降り始め、可成り積もるだろうとの予報が出ていたので、昨日から医院やスーパーへ出かけ、当分薬や
食料で困らぬ様にして置いた。
 親爺もオカカも年が行った分、備えに気を付ける様になり、雪に降りこめられる日々も出来るだけ心配なしに過ごせる
様に心掛けている。
 まあ、二人で食う分だけなら、何とでもなるし、夜も凍えずぐっすり眠れるよう寝室とベッドにも工夫をしている。工夫と
云っても、温風ヒーターを焚いてその暖気をダクトを使ってベッド内へ取り込むだけのことだが、就寝前1時間程これをや
っておくと、温かくて直ぐ眠れるようだ・・・とはいっても寝床読書の癖は治らず、ついつい夜更かしをしてしまうのだが。
 まあ、外は吹雪いていても暖かい家で眠りに付ければ、何の不満もない。
 なるべく外には出ず、読書などで時を過ごすのが最近の親爺流越冬術である。昔みたいに鉄砲肩にスキー履きで野山
を駆け回る元気はないが、これはこれで落ち着いた良い時間である。
 若い頃読んだ本も今読み返せば別の本の様だし、電子書籍のお陰で本が実に手軽に手に入る。
 72歳になって冬の居間の周りには、そんな温かいゆっくりした時間のみが流れている。
 外は雪でも家の中に居れば温かく過ごせる。


 玄関先の出入り口の石段は除雪してある。孫たちが正月に遊んだカマクラはもう名残だけ。
 


1/7
 今まだ気温は高く、雨が落ちてきたりしているが、今夜半には寒気が入り雪が3日程続くらしい。
 そこで、まだ数日余裕はあったが、親爺は薬を貰いに掛かりつけの医院へ出かけ、一月分の薬を貰って来た。オカカ
も買い物に出かけ、今道路状態の良いうちにと食料を数日分調達してくるそうだ。未だ正月の買い物の残りも有るので
まあ、補充と云った処だろうが、備えがあれば1週間以上くらいは雪に降りこめられても平気で居られる。
 北陸のそれも立山の麓の山里暮らし。雪には毎年降られ苛められる。これは宿命だ。
 芦峅寺の山里に住み暮らしている以上雪との付き合いは避けられぬ。せめて冬だけでも暖かい所へ逃げ出そうと思う
事もあるが、この年になると知り合いの居ない処で暮らすのも寂しい気がするし、未だ思い切れてはいない。
 雪は随分少ないが、明日から3日程雪が降り続くかもしれない。


 山里から15分も車で下ると、冬枯れの田圃が広がり雪も全くない。


 庭のカマクラもほとんど潰れてしまった。               不動の山も殆ど雪がない。
 


1/6
 昨日で娘たちも孫たちも皆帰り、我が家はまた普段に戻った。
 寂しくも有れどホッとした気分もまた格別で、二人の可愛い孫の話をしながら、元に戻ったゆったりとした時間が流れ
て行く。
 いいタイミングで山口県のFさんからコーヒーが届き、ゆったりとコーヒーを味わっている曇天の山里の鬱陶しさも吹き
飛び、熱い馥郁たる液体が鼻腔に香りを残し喉を滑らかに滑り下りてゆく。
 胃の腑に暖かさが貯えられ、コーヒーの余韻が身体に染みわたる。
 ”珈琲の熱き一杯甘き冬”とスーッと頭に一句浮かぶ。俳句の出来はこの際関係なく、自分で満足。良い朝だ。
 今朝雨戸をあけ、縁側からドローンを上げて見た。雪が減って立山も良くは見えぬが雪は多く無さそう。


 娘らは庭先に鎌倉を試み何とか形になって一晩は持った。お姉ちゃんが来た元旦には半壊状態の鎌倉だったから室内でゲームで遊んだ。
 

 今朝の山里。雨が来そうだが、雪は少なくなった未だ松の内の越中立山芦峅寺である。


1/5
 すっきりと晴れはせぬも、雪も降らず気温も筆頃にが6℃程になり、走路の凍結もない。
 次女と孫は東京へ、末娘は松本へとそれぞれの帰途に就いた。
 今次女と孫を岩峅駅まで送り、帰ってきたところ。末娘も車で出発し、もう神岡を過ぎたと云ってきた。去年29日以来
久々に親爺とオカカの普段に戻った。
 少し寂しいがこれが親爺とオカカの日々であって、普段なのだから寂しがらずとも直ぐになれてしまうだろう。
 大日も少し見えていたが立山全域は見渡せない。
 正月も親爺とオカカにとっては、実質的にもう終わりだ。一寸今日は正月疲れをいやし、ゆっくりしよう。
 早乙女らしき山が気の間から見えていた。正月五日である。


 大日も山裾がかすかに見えているだけである。


 不動山の雪もずいぶん減った。我が家の車庫の屋根も本当に雪が少なくなった。年末年始の雪は例年並みだった様だ。
 


1/4
 正月三ヶ日も明けた。山里は昨日からの雪が10cm余り降り積もってお色直しをした・・・。
 まあ、今日から二三日は雪も降らず日も出るとの予報だが、明朝は東京の次女と孫も、松本の末娘も帰る。我が家は
一気に寂しくなりそうだ。
 まあ、又親爺とオカカの二人暮らしに戻る訳で、、普段に戻るという事だ。
 去年の元旦能登大地震の事を想うと一年経った今も心が痛い。この山里でも親爺は生まれて初めて震度5弱の揺れを
経験した。
 横揺れが強かった。揺れている時間が長かった。早く止んでくれと祈った。そして怖ろしかった。
 幸い我が山里には大きな被害は無く、神社の石の鳥居がずれてその下をくぐる事が出来なくなったのが一番大きな被
害だった。立山大権現が村の被害を一手に引き受けてくださったのだろう。
 ああいう思いはもうしたくないし、子や孫にもさせたくない。
 祈るしかない。


 東京の孫と過ごす正月に黒部の孫の初の年賀状。年賀状は作品として学校で作り、家へ持ち帰ったものをLINEで送ってくれた。
 


1/3
 幸いなことにこの元旦に大きな天災は無かった。只ちょっと、長女の車のトラブルで、初もうでラッシュの中身動き出来
ぬ芦峅寺から救出に向かえず、車が身動きできぬ様になっていた隣村、千垣の親爺の旧友Iさんに連絡、救助要請。
 Iさんは大変な目に遭った様だが、何とか救出、長女夫婦も孫も我家に無事到着した。
 Iさん本当にお手数をかけました。
 我が家の元旦は孫二人の合流で、大賑わい三姉妹のそろい踏みも加わって姦しい事この上なし。
 まさにカオス状態の中それでも平和に我が家のがんたんは暮れていった。
 去年は大地震で始まった事を忘れず、今年は何事もない日々が続くことを祈った。

 正月の我が家の座敷。お節も片付けた三日である。


 元旦の夜の一時。親爺とオカカは居間にて過ごす。幼きは幼きどちのものがたり・・・。親爺はまた母校の応援、が何と今シード外の順位だ・・・。
  


1/1
 新年おめでとうございます。
 親爺もオカカも恙なく新年を迎えました。東京の次女と孫、松本の末娘と揃い新年を迎えました。黒部の長女と孫も
今日婿殿と一緒に来る予定です。
 今年は穏やかな日々が続くことを祈ります。
 外に降り注ぎ新雪に弾け駆け回り賑やかな陽光のように、今日の元旦は大賑わいの我が家となるだろう。
 令和七年の元旦に相応しく、親爺が10年前の現役時代に撮った写真を掲載。


 我が家も仏壇に末娘が正月飾りをしてくれた。


 

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