2025山賊庵絵日記(冬)     令和七年元旦に付き項を改めました。



3/31
 今日は弥生晦日。新雪で覆われはしたが青空も広がり恐らく雪はもう終わりだろう。
 明日からは四月、新年度が始まる。親爺の頭もいよいよ本格的な春の始まりを認識する。
 今冬は大変な豪雪に見舞われたが、親爺もオカカもどうにか又一冬を無事過ごした。若い友人モリヤは毎朝除雪
に来てくれたし、心平にも世話を掛けた。この連中のお陰で冬を恙なく越せたのだ。
 明日からはこのページを閉じ、新しい春のページを開くつもりだ。
 明日以降は天気予報も割と良い。晴れマークも多いし、何より世間並みに暖かくなりそうだ。
 また、オカカはワラビ採りや、葉ワサビ採りに出かけて、親爺もその恩恵にあずかる事だろう。春は楽しい。
 今朝は新雪に覆われていたが、この雪も明日にはなくなっているだろう。


 我が車庫も辺りの木々も雪に薄白く覆われた。


 冬の終わりの三月末日、新雪に覆われて今冬を終える。


3/30
 寒い雪の朝が続く。今朝も8:00過ぎから雪が降り始めている。
 まだかすかに屋根を白くした程度だが、暖日が続き降り積もっていた雪を溶かし切ったばかりなのに、招かざる客
がしつこくやって来た。
 まあ、もう生活を脅かす力もなく、無視しておれば直ぐ消え解ける。
 明後日からは卯月、冬のページも改めねばと思っている。
 去年師走から、今まで、丸4か月もの間雪とお付き合いしながらその大半は雪の下に埋もれて生活してきた。何と
1年の1/3を雪に埋もれて暮らしているという事になる。まあ、その代わり真夏の酷暑は、平野部より幾分凌ぎやすい。
 外の降雪を眺めていると「ああ我が山里だ!!」としみじみ思う。
 すでに70余年、ここで生まれ生きている親爺なので今更何処かへ移り住むわけにもゆくまい。
 今は折角雪が解け切った車庫の屋根が、薄く雪化粧をしている。


 昔はスキーゲレンデとしてスキーヤーで賑わったタンボ沢だが、雪崩が起きやすい場所でもあり滑走禁止となっている。
 心平が送ってくれた写真。


 庭の残雪に、雪がまた降り掛かる。


3/29
 今朝起きたら予想外の雪が来ていた。夜も布団かけを取り払った夜具で、寒さは感じなかったのに、雪が来ていた。
 雪と云っても屋根や杉木立が白くなっているだけで、道路などは地熱の所為でだろう黒々していた。7:00に0.4℃まで
気温が下がったが9:00現在1.6℃まで戻っている。
 でも居間には冬と同じように、ストーブを焚き、床暖も入れている。それで室温20℃だ。
 親爺はインナーダウンを着込んだ・・・。
 心平が一昨日辺りから大町経由で室堂に入っている。カルデラ博物館の積雪調査だ。で、昨日は悪天候で作業が
出来ず、半日ターミナルで沈殿していて、写真を送ってくれた。
 黒四ダムもタンボ平から東一の越への沢筋も雪が多くはない。尾根を(トンネル)を超えて室堂側も大した雪ではない。
 昭和60年頃までは春の小屋開け入山は、立山黒部貫光にお願いして、この大町経由ルートで入山していた。
 オカカと一緒になり、長女が産まれた後も小屋開けは大町から入っていたと記憶しているが、もう古い話で、定かで
はない。
 まあ、今の時点では、やや多めではあるが室堂までの積雪はあまり多くないと云った処らしい。
 これからも雪が来るエリアだから、又か所ごとに積雪量も大きく変わるから、一概に言えぬが、雪はやや多い程度の
様である。
 朝降った雪はほぼ消えた。


 これこそ名残雪だろう・・・?


 ダムから地下ケーブルで登りついた、タンボ平。(黒部平は駅名)   室堂も想像より雪が多くはない。
 


3/28
 昨日は富山でも観測史上初の夏日となって、暖かいと云うより暑かったらしいが、我が山里では心地よい暖日と云う
日だった。
 今朝は昨夜半からの雨で、辺りは靄が流れ春雨煙る風情、雪もすっかり少なくなった。
 心配しなくとも、春はやって来た。
 のど元過ぎれば何とやら、もう親爺もオカカも天気予報を見ないし、富山県の降雪予報や降雪量を取りまとめたネット
上のページも全然見ていない。
 このページは、昨12月からつい1週間ほど前までは、日に何十回と見ていたページである。県内の道路状況も詳細に
ライブカメラ表示されるし、元々は雪道ドットコムなどと呼んでいたページだが、昨今は富山県道路情報と云う固いネーミ
ングで出ている。イヤイヤ、一冬お世話になりました。
 今10:00を過ぎた処、相変わらず雨が降りしきっている。雪ではないから気にならぬ。
 屋根雪がすっかり消えた我が家の車庫。


 我が家の庭の雪もすっかり減っている。晴天の陽に照られ、南風に吹かれ、春雨に溶かされたのだ。
 

 隣の謙ちゃんの家も、奥方のヤンジーが頑張って少しずつ除雪している。


3/27
 一晩で雪がドンドン解けていくのがはっきり目に見える。何せ今日の気温など10:00で23.6℃である。我が山里で也。
何でも魚津市では27℃を超え、夏日になっているそうで、やはりこれは異常気象なのかもしれない。
 恐らく黄砂の所為だろう。立山もかなり見づらいし、村内もドローンを上げて見るとボーっと霞んでいる。
 これだけ暖かいと衣装も薄くなり、身体も軽くなる。雪の中しばらく滞っていたリハビリ体操?も昨日から再開した。
 まあ、いつまで続くか怪しいものだが、なるべく続けて健康で過ごせる時間を伸ばしたい。
 今朝のドローン写真である。
 雪が殆ど消えた家々の屋根が黒々と見えている。
 それにしてもぼやけた絵である。今年の黄砂の影響は大きい。
 

 一月前の雪に覆われていた頃と今日の写真を比べると、雪がいかに凄まじかったか良くわかる。こんな冬はもう御免也。
 


3/26
 昨夜は嵐のように南風が吹き込んでいた。
 だから今朝の雪の嵩の減り様は大きく、目に見える。一晩で10cm〜15cm程の雪が解けている様である。
 しかも昨夜の風の応援も可成りの効果を見せて、我が家の庭の雪などやせ細った雪渓の末端のようだ。
 今朝は一冬世話になった、布団の上掛けを外した。今夜も10℃ほどまでしか下がらぬのだから、分厚い羽根布団
だけで、その軽さを楽しみながらの睡眠は心地よいはずだ。
 着衣も変えて、フリースの下は一寸厚めのTシャツ1枚とした。其れでも日中は前ジッパーを下げて温度調整が要る。
 厚着ともおさらばだ。
 今朝は庭の雪の減り様に驚いた。出窓の上まで積もっていた雪だ。


 我が二人の宝たちも元気元気で、風邪一つ引かない。お姉ちゃんはパパと二人でどこかの遊び場、お兄ちゃんはイカ墨パスタで大うけ・・・。
 この二人からの便りが、何とも嬉しい親爺とオカカである。
 

 打越山の雪もすっかり解けて金毘羅宮も雪から顔を出しているだろう。我が家も完全に雨戸を開けて座敷も明るい春の光が満ちている。
 


3/25
 天気予報によれば、立山の町場では今日は24℃まで気温が上がるそうだ。我が山里も10:00現在10℃を大きく
超えているようだ。積雪も5〜6cm/hくらいの勢いで嵩を減らしている。除雪無しの我が車庫の積雪も昨日は1日で
30cm以上減った気がする。
 雪解けは随分有難いが、暖かいを通り越して日中は暑い?マアこれは着込んでいる衣装に依るところも多い訳で
衣装替えもせねばならぬが、これを書きながらフリースの下の厚手のトレーナーを脱いで、うすいTシャツ1枚に薄手
のフリースを羽織って、親爺には秋の頃の衣装とした。で、今丁度良く、軽々として気持ち良いが、日暮れを過ぎると
寒く感じ、又着こむかもしれない。
 我が山里と同じ立山町でも、町場に行くと気候は変わる。標高差が330m程あるので、単純計算でも2℃程の温度
差はあるが、実際にはそうどんぴしゃりとは行かず、寒波の入っている時など4℃、5℃もの温度差もある。
 雪を見れば一目瞭然、こっちが1m50cmの積雪があっても町場は0という事もざらだ。
 だから桜の花など1週間から10日も遅く、山間地であることを痛感する。その分酷暑の夏は、かなり涼しい。
 車庫の屋根の雪は僅かになった。


 我が庭先の雪もかなりのスピードで溶けている。通路石段は雪に覆われることはもう無い。生け垣が少し押されているが簡単に復元する。
 


3/24
 今日は屋根屋のMさんが早速来てくれた。大屋根、小屋根雨樋まで総点検してくれた。
 都合10枚ほどの瓦割れと、雨樋受けの壊れをみつけ、今日は応急修理でこの週末か来週早々に資材を取り寄せ
て修繕を済ませてくれるそうだ。律儀で生真面目な職人さんが居てくれるのは有難い事である。
 昨日ドローンで観て置いたが詳細な点検は屋根屋さんに観てもらうのが一番である。
 今日も高曇りで、雨の予報は良い方に外れたがこれから降って来るかも知れぬ。屋根の応急修理が終ったので雨
降り位は安心だ。まあもう雪の心配が要らぬのでホッとしている。
 それにつけても暖かい。外気温が10.8℃積雪も111cmとなった。1日の中24時間氷点下の気温の中に居たのがつい
1週間ほど前の事だったから、10度を超える気温は本当に暖かい。
 春の辺りが靄って見える天気の中。川向の本宮集落を見たが、山影故屋根にまだ多くの雪が残っている様に見える。
 常願寺川も雪が多く真っ白だ。


 職人さんが屋根の総点検をしてくれた。冬を越した我が家も一安心。


 冬の間に軒先から割れた瓦が突き出していたが、昨日ドローンで観たらこんな奇妙な割れ方。今冬は瓦の割れが多かっただった。
 


3/23
 今日も良い天気だ。恐らく雪解けの靄が上がっているのだろう、辺りは見えるが遠いところは霞みみえない。
 我が山人の言葉で、所謂アイが掛かって立山などボーと白い中に見えているやら見えぬやら、春の雪解けならで
はの遠景だ。
 雄山のライブカメラを見ると吹雪いている様でもあるが、或いは風が強く雪煙の中なのかもしれない。
 我が家の大屋根も雪がすっかり解けた様で、屋根瓦が何枚か傷んでいる様なので、ドローンで観て見た。
 大屋根はすっかり雪が消え、思った通り軒先の、雨どいに接する何枚かの瓦がやられていた。
 直ぐ馴染みの瓦屋さんに連絡し点検修理をお願いしておいた。
 雪解けは嬉しいが、まだ随分雪が残っている。流石の山里である。
 大屋根はすっかり雪が消えているが、裏の小屋根にはまだ少し残雪が在る。


 我が車庫も全く何もせずの屋根だったが、流石に鉄骨耐雪構造、2mを超す圧雪の重量に耐えびくともしていない。


 我が山里の村、まだまだ残雪が至る所に目立っている。


3/22
 今朝も良く晴れていて気温も高く温かい。
 立山はアイが掛かりすっきりは見えない。春独特の見え方だ。
 9:00現在で気温が10度を超えている山里だが、庭や家々の屋根にはまだ雪が覆い。芦峅寺観測点の出季節は
125cmである。我が家の庭の残雪や、車庫の積雪を見てもまだ1m前後はある。
 今冬がいかに大雪であったかが良くわかる。只今冬は比較的山雪型だったので、町中の被害は少なかった様だ。
 その分山里はもう雪に精魂尽き果てた日々であった。
 まあもう冬は過去の話だが、その名残が未だにあちこちに残るので、ついつい・・・・・。
 閻魔堂のオンバ様のお召替えは終わった。ソロソロ親爺も衣替え。でもまだ夜や朝方は寒い。
 春独特のアイが掛かった大日岳。


 もう1mは切っただろう車庫の屋根の残雪。今冬もびくともせず大きな雪圧に耐えてくれた。


 庭の雪は屋根からの落雪の堆積。可成り遅くまで残るかもしれない。未だ飛んでいないラジコン飛行機。雪解け後はトライしてみようか?
 


3/21
 急に暖かくなってきたものだから、又体調がおかしくなることも有る。
 寒ければ寒いで、暖かければ暖かいで、その変わり目は嫌なものだ。特に今年の様なラニーニヤ現象による偏西
風の蛇行による極端な温度変化が続く年は、季節の変わり目クラスの温度変化が幾度も繰り返される。
 親爺たち高齢者にとっては、実に健康管理が難しい。
 それでも夫婦そろってこの冬もどうにか乗り切った。大きな体調不良も無く、精々鼻風邪程度で済んだのは幸運な
事であった。しかも雪には参ったが、大きな自然災害も無かった。
 岩手県での山火事被害には驚きもしたが、地震、津波と続く大災害に加えての山火事被害、何とも申し上げようも
ない。命あっての物種とは言うが大きな禍が続いたものだ。
 これは豪雪くらいで音を上げている訳にはいかない。
 薬もらいで出かけた富山市内の春の様子からは程遠い我が山里乍ら、ちょっと春めいてきた。


 昨日は彼岸の中日。オカカが牡丹餅買ってきて仏前にお供えし、お下がりを頂いた。


 垣根も少しずつ雪が解け姿を現して来た。


3/20
 彼岸の中日、春分の日はようやく晴天となった。
 昨日は一日雪が降り続き、我が山里では漸く110cm程に減った残雪の上に、新雪が20数cmも上積みされた。
これを見ても今冬の冬神は性悪だった事が良くわかる。と、過去形で書いた。そうだ奴はもう過去に去った。
 今日からは晴れの日は続き、気温も一気に高くなりそうだ。
 もたもたしていた春の女神(春は女神になってしまう・・・何となく)もようやく我が山里にも姿を見せ始めた。
 朝はまだ薄暗かったが、徐々に陽が射してきて、青空ももっと広がるだろう。
 今年の冬は本当に気が滅入ってしまうほど長かった。
 12月から降り出し根雪となった雪は、1月、2月と繰り返し降り続き、3月の立春の後にも2mを超える大雪を山里
に降らせた。
 結局4か月、実に1年の1/3を雪の下で暮らした計算である。そして今なお147cmの残雪が在る山里だ。
 雪解けの早い年なら、村はずれでフキノトウが芽吹いて、春の香りが食卓にも届くのだがフキノトウなどまだまだ
雪の下で眠っている。
 我が家の車庫の屋根雪もまた増えた。
 ”春分に新雪一緒に来たる里”


 不動の山の雪化粧はこれが今年最後だろう。打越山の金毘羅さまもきっと寒い思いをしているだろう。
 


3/19
 ここにきて寒の戻りもないものだが、どこかに隠れていた冬神が又嫌がらせに戻って来た。
 憎まれっ子世に憚る。憎まれ神も長く憚る口である。長いと云えば今冬の寒気の居座り、長く続いた降雪期間
は、親爺も経験がない程であった。特に二月の立春を過ぎてからの降雪は気味悪い程に長かった。我が山人も
今や大半は足や腰が曲がった高齢者ばかりなので、除雪にも雪下ろしにも四苦八苦、若い応援団にずいぶん世
話になった。
 我が家も毎朝モリヤが応援に来てくれ、心平にも助けられた。我が家は融雪装置が入っていて屋根の雪下ろし
はせずとも好いが、落雪が多くなり通路や庭まで雪で盛り上がった・・・思い出すのも嫌だ。
 まあ記録的な豪雪ではあったが、山雪型で、平野部は大したことが無かったのがせめてもの救いだった。
 あの時の事を想うと、今日の雪など問題外。春は間近だ。
 今朝はまだ昨夜から10cm弱の降雪だろう。


 除雪車が出動するほどの雪ではなかった。


 それでも辺りはすっかり新雪に覆われている。


3/18
 昨日の雪降りは、朝からほぼ一日続いた。山里の面目躍如であるが、こんな面目躍如はご辞退したいものだ。
 が、今朝は放射冷却でまだ気温こそマイナスだが、春の神様が姿を現し真っ青な青空の下、惜しみなく陽光を
凍てついた地上に降り注いでいる。
 黒い屋根も、溶け減った残雪も昨日の冬神の降らせた雪で覆われているが、まもなく春神の降り注ぐ陽光によ
リその新雪は解けて流れてしまうだろう。
 平野部では桜のつぼみが付いたとか、春の気配は濃厚になって来ているが毎年二週間程山里は遅れる。
 8:00には氷点下だった気温も9:00過ぎには1.5℃、雪も今朝から数cm嵩を減らしている。
 雪に悩まされた今冬だが、弥生半ば過ぎに来てまだ雪にイラついている。
 令和7年は豪雪によっても記録されるだろう。
 陽光が降り注ぎ、眩しい我が山里の今朝。


 大日も綺麗に見えている。


 不動の山も又真っ白だ。



3/17
 昨日は一日雨降りで、雪もずいぶん消えたが、可成り冷たい雨だったので気になっていたら、今朝は雪に変わった。
 明け方に雪に変わった様で、凡そ5cm程は積もりまだまだ降っている。
 まあ外へ出る用事も無し、除雪せねばならぬような雪ではない、今更ながら冬の名残と云った風情だ。
 大きなボタン雪になって来た。寒いが風情もある雪空だ。明後日辺りからはお日様マークがずーっと並ぶ天気予報が
出ているので、春の姿がもう見えている様だ。嫌われ者の今冬の冬神は何ともしつこい。せめて最後は潔くとは行かぬ
様だ。
 まあ我が山里の事だ、こんなことも有るだろう。
 今年の立山の山小屋入山第1陣は4月の5日前後らしい。奥地の小屋で小屋開けするのは剱御前小舎だけだが、こ
れは入山がもっと先で、4月半ばころだろう。
 長い冬が終わって、漸く春の匂いがする頃になるとまた雪が数メーターも積もる立山で山暮らし。インガな商売だと思
ったが親爺もそんな商売を40年程繰り返したのだ。そしてそれはそれで実に楽しかったものだ。
 今は長閑な隠居暮らしだが、建設会社勤務、ネパールに支店開設、ネパールからの研修生受け入れなどと実に充実
していた気がする。その会社勤務も54歳で退社させてもらうまでは、山小屋経営と2足の草鞋だったものだ。
 山小屋経営だけで最後の10年間を愉しみつつ64歳で引退した。剱御前小舎は村の共有財産であるので、5年ごとに
契約更改し8基、我ながら頑張ったものだ。
 焼失した剱御前小舎の建て直し(これは主に父がやり遂げた)、完全に親爺の代に移ってからも、石垣の完全改修工
事、トイレの改修でバイオ化した事、床の張替え、屋根の吹き替え等々、色々な事をしてきたものだ。
 何やら思い出話になってしまったが、隠居生活の今に至るまで、実に色々な事をさせてもらい、体力も気力も今は昔の
事となった。
 まあ、今はその分ゆっくり毎日を過ごしている。
 雪も小降りになってきた。


 折角の黒々した瓦屋根もまた白く雪に覆われた。


 車庫屋根の雪も間もなく解け切ると思っていたのに・・・。


3/16
 昨日は長女の家の新築地鎮祭に出席。夜は夜で村の会合に顔を出さねばならず、バタバタした。
 折角長女の家の帰りに買い込んだ、日本料理店の弁当も、会合に出席を控えて、落ち着いて食えず写真も撮り忘れ
てしまった。
 娘の家の地鎮祭には孫も出席、正月以来久しぶりであったので大喜び。500円玉を2枚用意していったので10円玉と
この2枚とどっちが欲しいというと勿論500円玉をとった。ババからは1000円札を貰い、新札の北里柴三郎がジジに似て
ると喜ぶ。ジジは偉人伝になる様な人にそっくりと云われて困惑・・・。
 孫と会えて嬉しかったジジとババだが、村の行事にオカカが出席せねばならず、少し買い物などをして早々に帰宅し。
 山里の村にはたっぷり雪が残り、少しガックリするが雪解けはどんどん進んでいる。
 庭の残雪もまだ1m程もあるが、今朝からは雨が降り、これも消雪に一役買うだろう。
 山里も春の足音が大きくなってきている。


 昨日の地鎮祭。娘夫婦と孫も来ていた。雪は山里と比べれば降らないほどのエリアだ。
 


3/14
 今日も良い天気也。親爺も浮かれて散髪に行ってきた。
 くっきりと春らしい青空の下、立山連峰もくっきりと見えており、何時の間にか戻って来た野猿公の群れも、のんびりと
雪の斜面で日向ぼっこしていた。
 でも親爺が近づくと嫌がって、早々に逃げていく。以前に家の近くをウロツイテいて、親爺にBB弾を射かけられた事の
あるのが混ざっていたのかも?
 ほとんどの群れは大雪を避け、雪の少ない平野部に下りていたようだが、我が山里の雪解けを察知してボチボチ戻っ
て来ただろう。が、我が山里の畑はまだ雪の下で開かぬ。野猿公連中どうやって食繋いでいるのだろうか?
 野猿公の餌の心配までは不要だが、嫌な冬神が去ったと思ったら、新たな害獣がやって来た。
 精々家の周りには近づけぬ様、追い払いに力を入れよう。
 猪の悪さもひどいが、野猿公の悪さも年々凄まじくなってきている。
 屋根の雪はほぼ解けた我が家。庭にはまだメートル単位の残雪。


 昨日閻魔堂では、オンバ様のお召替え新しい衣に着替えたオンバ様が並んでいる。オカカ撮影。


 来なくても良いのに戻ってきやがった野猿公の一群れ。親爺を見つけて逃げ出しにかかった。
 

 佐々成正の黄金伝説の桑崎山。


3/13
 今はオンバ様(姥尊像)が閻魔堂に祭られているが、昔は姥堂が有ったそうで、それが何時の事かなどは立山博物館
で調べて貰えばわかるが、親爺は知らない。
 姥堂基壇が残っているが、上杉謙信に七堂伽藍を焼き討ちされた時に一緒に燃えたのだろう。
 一昔、いや二昔前の村の年寄りは「越後の謙信」を大悪人としていた。それはこの立山中宮寺焼き討ちを、代々に渡り
語り継いでいたからである。
 親爺は「立山夜なべ話」にこれは豊臣秀吉の仕業で、上杉謙信のしたことではないと書いたが、これは何の根拠もない
事で、山仲間の山岳修験道の専門家に語り聞かせられた、山小屋夜話を鵜呑みにしただけの事である。
 でもあの本は、何の価値もない馬鹿話の寄せ集めなので、訂正の要も無いと判断、放置している。
 で、越後の謙信も閻魔堂だけは焼かなかった様で、オンバ様はその後、閻魔堂に祭られている。
 そのオンバ様のお召替えは、毎年今の時期に行われ、村の女衆が衣を縫い、それを開山堂(立山開山の慈興上人)で
神式のお祓いを受け、オンバ様に着せ、僧侶の読経で仏事を行う。
 立山信仰は元来が神仏習合である。何の不思議もないが明治維新の神仏分離令以降この様式はまかりならぬとの事で、
江戸期以前の神仏習合の名残をとどめる、数少ない行事として今に伝わっている。
 日本はおおらかだ。神も仏も一緒に併せのみ込み、何の不便も痛痒も感じない。
 それで良いのだ。
 お召変えの行われる頃、我が山里は雪解けの頃だ。


 今日は立山は見えていない。


 オカカの誕生日に贈られた花は、一ヶ月以上持っている。


3/12
 昨日よりは少し良い天気で、気温がとに角高い。もう10分程で10:00になるが、恐らく気温は8℃を可成り超えている
だろう。
 今、世界中がトランプゲームに巻き込まれ振り回されているが、このトランプと云う人は妙に人懐っこく子供じみた処が
あるかと思うと、駆け引きにはユダヤ系の手練手管を振り回す商売人の顔になってしまう。
 アメリカと云う世界一の軍事力、経済力を持った国の大統領であるのがこの人の欠点かも知れない。
 自らの持つ強大な力を相手かまわず振り回し、同盟国だと安心している日本にも言いたい放題の事を云ってくる。
 信義はこの人に求められるのだろうか?
 世界的に孤立している独裁者、朝鮮の金王や、ロシアのプーチン大王には何とかパイプを持ち対話が出来そうであるが
これがこのトランプの得意技だ。
 世界の大半からそっぽを向かれている様なそれでいて大きな権力を持つ独裁者との対話が、何を生み出すのか?
 トランプの名人であるこの大統領の腹は、かなり読みやすい。
 目立ちたく、大きな力を世界に誇示したくて堪らないのだ。
 しかしその結果、ロシアのウクライナ侵攻が終わり、建国後ずっと続くイスラエルの宗教戦争も終われば、それはそれで
大きな世界平和に貢献したことになり、ノーベル平和賞でも何でも貰えるだろうし、トランプは平和の使者ともなる。
 が、子供じみた様々な言いがかりに近い放言は、今少しつつしめぬものか。自らの力を誇示するあまり、又あちこちから
呆れられ、信頼を失うのだ。
 トランプが気のいいアメリカ人である事を信じたいが、独裁者になりたい願望も持っているのかもしれない。ただそれは
可成り子供じみた、我がままに過ぎぬ。側近にイーロンマスクなどを指名して、どこかで大失敗するのではと楽しみにして
いる。
 このトランプを上手に手玉に取った、安倍さんと云う政治家は懐の拾い人だったのだろう。
 まあ、雪の下で惚けつつある親爺の妄言、蟷螂之斧の方がずいぶんましだ。
 玄関に通じる石段だけは開いた。


 左を見ると、雨戸は全開したが庭の雪はまだ堆い。右手を見ると隣の家の庭にも雪がたっぷり残り。我が家の車庫の屋根にも大量の雪。
 

 まあここ三日ほどの好天気で屋根の雪は随分嵩を減らしている。


3/11
 高曇りではあれど暖かい日だ。9:00現在で気温は5.3℃だ。今までの事を想うと嘘のような気温だ。
 暖かくなって雪も降らなくなったので、何とはなしに気が抜けて身体がだるい。温かくなるのも季節の変わり目である。
 老人は気を付けてこの変わり目を過ごさねばなるまい。
 昨日冷凍保存してあった豚バラ肉を解凍しておいた。800g程あるからチャーシューを少しと、ベーコンも作ろう。
 何か好きな事をやっていると体調も良くなる。
 親爺など春になっても左程日々が変わるわけではない。畑も待ってないし、山小屋の小屋開けもない。気楽すぎて惚け
ても困るので、何か好きな事に没頭していればよい訳だ。
 が、いざ有難い身の上になると中々事が進まない。進まなくてもとがめられることもないし、誰に迷惑をかけるわけでも
ないからだ。
 それが曲者である。自分でやろうと決めたことは、それが何の役にも立たぬ事でも、自分で自分を管理しやらねば何も
事は進まぬ。
 さて今日はこれからベーコンとチャーシューを作るぞ。
 車庫の雪も随分目減りした。


 気温は高いが高曇りで立山は無いも見えない。


3/10
 今日もいい天気で青空の下強い陽光が降り注ぐ。しかも昨日より気温が高く、10:00まえにもかかわらず4℃を超えて
いる。このまま気温が上がりそうだから、今日の気温は山里でも10℃前後まで上がりそうだ。
 居間にいると暑くて、床暖は止め、衣服も中着を脱ぎ捨てた。
 昨日も良い天気だったが、雪は思うほど減らなかった。圧倒的な残雪量と云うことも有るが、気温が上がらなかったのだ。
 今日は暖かい。この雪が1日でどのくらい減るか楽しみだ。
 消えぬ雪は無い、とは分かっているが未だにメーター余の残雪が在る山里、数センチの雪で大騒ぎするエリアでは考え
られぬことだろう。
 今、テレビで岩手県の山火事沈下のニュースを見ていたが、家が無事で帰宅できた方々の嬉しそうな顔が心に浸みた。
 電気が来ている、水も出る、ガスもついた、と声を上げて喜び、ああこれで今夜はゆっくり眠れると呟いた。
 何事もなく過ぎゆく日々の何と有難い事か。
 大地震の津波被害で家をやられ、高いところに移築し、今度は山火事で類焼したお宅もある。「ローンだけ残った。」とは
何ともやり切れない言葉ではないか。
 能登大地震でもそうだった。その後の水害にもあって、その地を離れざるを得なかった人も多い。
 大雪には閉口させられたが、屋根瓦が数枚ズレたかわれたかだけの被害である。高騰する燃料費こそ多いが払える金額
である。
 何事もなく過ぎゆく日々に感謝し日々を過ごそうと想いを新たにした。
 庭の残雪がまだ多い。


 それでも春に向かい日々雪は解けて行く。 山里の閻魔堂もまだ雪にうずもれている。
 


3/9
 いい天気になった。青空から惜しみなく陽光が降って来て、温かい。
 残雪はまだ150cmの余もあるが陽光がその雪面にぶつかり弾け、少しずつ少しずつだが嵩を減らしてゆく。
 親爺はこの晴天が嬉しくて、一昨日雨戸を開けた縁側に出て、そこからドローンを上げた。
 上空に駆け上るドローンは、縁側の前庭にまだ1m50cmも残る残雪が、少し鬱陶しくは在れど機体視認も出来るし電波
も十分届いている。だから自由自在に晴れた大空を飛びまわらせた。爽快である。
 テレビで名古屋女子マラソンを中継している。テレビに映し出される青空がちっとも羨ましくない。我が山里も青空だから。
 暫く暖かい日が続くそうだ、雪が半減することを期待している。


 大日の頭のレンズ雲、鍬崎の頭にも何やら。しかしこの天気がしばらく続くそうだ。


 とても3月の常願寺川とは思えぬ雪だらけの川だが水量は多くなっている。


3/8
 寒い朝だ。雪が落ちてこぬのは嬉しいが、杉木立にしがみついている雪も落ちてこない。
 杉木立の雪も落ちない暗い寒いので、庭に積もった雪も、屋根の上の雪ももちろん笠を減らす事もない。
 10:00の気温が漸く1.1℃とプラスになった場ばかりだ。気温は今から上がるだろうが山里では最高気温も精々3℃
位なのではなかろうか。
 寒いから雪も固く除雪にかかろうという人も少ないが、この時期ともなれば下手に雪弄りなどせず,おてんとうさまと
暖かい南風、更に春めいて降る雨に任せておけば良いのだ。
 除雪機などの音を聞くとイラついてくる。迷惑を絵に描いた様な騒音だ。
 とにかく春よ早く来い。
 雨戸は開いたが庭には堆い残雪が有る。


 庭の雪など捨てる場所がないから、道にまき散らすというのも迷惑だし出来ぬ。杉木立の雪が落ちだせばすぐ花粉・・・
 

 一冬雨戸の内側で日の目を見なかった親爺の模型・・・ラジコンは飛ばしてみるぞ、春になれば。



3/7
 今朝の30cm程の新雪には驚かされた。
 この時期にきて30cmの新雪は、いくら山里でもざらには無い。しかもこの雪は10:00過ぎまで降り続いて、辺りを寒中
の豪雪地帯に塗りなおしてしまった。
 昨日までは雪解けが進み毎日毎日減って行く雪を見ながら、春近しと喜んでいたのに、一気に春が遠のいた。
 何ともこの冬の神は質が悪い。質が悪いを通り越して狂っている。
 もっとも最近の異常気象は、人間の作りだしたものだと学者や知識人が言いまくっていて、付和雷同の庶民までもそれ
を信じていて、下手な事を云うと叩かれるだろう。が、これは自然保護ファッショともいうべきファシズムの一種である様に
も思えて、親爺は大きく変動する自然のごく当たり前な現象であると思っている。
 だから狂った冬神をでっち上げ、こいつをくそみそにけなし留飲を下げる様にしている。
 その方が気楽である。
 環境保護など専門家に任せ、親爺は親爺の流儀で生きてゆく。
 山里の寒の戻りの凄まじさ春は何処に逃げ去ったやら


 もう降ってほしくない雪である。


3/6
 親爺も病院通い以外で、今朝はオカカのお供で外出。たまには外へ出ないと高齢ニートになってしまう。
 家のもろもろの用事は年金(今や唯一の収入)の管理から、支払い全般の管理までオカカが一手に引き受けてくれて
いる。これは山小屋時代から一緒で、今や扱う金額は極めて少額になっているが、オカカがそのままやっている。
 その点親爺は気楽なもので、家にいくらお金が有るのかなどという事は、大雑把にしか知らず、オカカ大蔵大臣の手に
全て委ねている。
 以前お世話になっていたK税理士事務所では大雑把な親爺などあまり相手にされず主にオカカが担当していた。
 親爺は山小屋の売り上げを管理し、家に現金を下山させるだけの仕事だった。
 勿論現役時代は、今よりかなり詳細な出納簿は責任を持ってっていたから、頭の回転も今よりは良かったはずだ。
 昔話など何のボケ防止にもならぬ。
 今はつたない文章を綴るこの時間が唯一の脳トレタイムである・・・。
 車でわずか15分、釜ヶ淵集落まで下りると雪は激減する。


 帰路、車窓からの山里の村入り口の眺め。


 村の中に進んでいくと超サイドの雪の多さが良くわかる。


3/5
 関東一円で雪が降ったと大騒ぎだが、15cm程度の雪は大雪とは言わなくていい。
 勿論普段雪のない処で、自然の移ろいとはほぼ縁を切った生活をしている大都会に降る雪は、雪国に降る雪の10
倍に換算して心配すべきかもしれぬ。
 過密を超えた超過密都市。雪道を知らぬ初心者が不十分な装備で道に出て、動けなくなれば即大渋滞だ。
 だから高速道路などは通行止めをサッサとして知らぬ顔。
 公共交通機関も予定運休?だそうな。ついでに会社も休みになれば都市機能などあっという間にパンクだろう。
 天変地異に異常に弱い大都市。
 今回の大雪騒動、雪国人は阿保らしく観ている。
 こっちは曇り。雪は止んで霞だっている。


 打越山の山頂金毘羅宮を囲み杉木立は昨日は真っ白だった。   今日の不動山は霞みがかかっている。
 


3/4
 最近の住宅事情による事もあるだろうが、特に同居が殆ど無い現在の若い世帯では、大きな〇段飾り等と云う雛段
を飾る事は殆ど無くなった。
 親爺とオカカも初孫に選んだのはコンパクトな雛飾りだった。
 オカカの実家の父母が初孫だった我家の長女に贈ってくれたのは、業者が一緒に来て飾りつけをしてくれた7段飾り
の大きなものだった。
 一間幅の床の間を完全に占領、更にはみ出すサイズで、飾りつけにも収納先からの運搬にも数日かかった。
 近年は家の向かいの車庫の2階物置に、親爺の祖母の嫁入り道具の漆塗りの長持ちに入れ収納していたが、その
前は、その祖母の生家跡にあった物置小屋に長持ちごと収納していたので、先ず道までを除雪して運んだものだ。
 親爺は全くそのあたりノータッチだったので、オカカと爺様婆様が苦労したらしい。
 7段の金属製の段を先ず組見立て、それに緋毛氈を被せ段ごとにピンで止めて、漸くお内裏様の畳表を張った台を
並べ、人形一つ一つを小箱から取り出し、顔に傷がつかぬ様に巻いてある保護材を丁寧に外し、髪を整え、簪やら冠
を取り付け・・・・・。気の長い作業が延々と続くのだ。しかも周りには3人の娘たちがはしゃぎ回る。要らぬお手伝いをし
たがる・・・。大騒ぎであった。
 あれだけお手伝いしたがった娘らも本当の手伝いが出来る様になるころには見向きもせず、結局オカカの一人仕事
となった雛飾りであった。で、年々雛飾りも手抜きされ、一昨年辺りからは長持ちの中で日の目も観なくなった。
 いずこの家もほぼ同じ。大分の親爺の友人宅もついに我が家と同様となった様だ。
 黒部の孫のコンパクトなお雛さまがベストだろう。
 今日は大日が見える。


 お雛様のサイズはこの位がベスト。お姉ちゃんが大きくなった。  千葉の廃校利用のグランピングでサバイバルゲームのお兄ちゃん。
 


3/3
 ひな祭りの朝は雪が降っている。左程寒くはないし雪も小雪だ。
 それでも昨日までの暖日にもう慣れた身には、この雪はただ鬱陶しい。が、それでも脅威を与える力はない雪だ。
 わざわざ雪かきをしなくとも放っておけば又すぐ消える。そして間もなく止むだろう。
 親爺とオカカももう雛飾りをする気力体力がすっかり失せた。で、出窓にそれらしい飾りをしてお終いとした。
 それはそれで可愛いものだ。黒部の孫は小さな家のサイズに合わせたお雛飾りを飾り、今宵はひな祭りだろう。
 ひな祭りには縁のない東京の孫は、千葉のグランピングまで遠征。楽しんでいる様だ。
 名残雪というよりは、最後っ屁と云った感じの今朝の雪降り。3cm程積もった。


 折角のひな祭りの日に、とことん嫌な今年の冬神だ。とっとと失せろ・・・。


 もう雪は要らぬ。


3/2
 2日、日曜日は雨が降っている。スキー場を目指す車もいない。
 東京マラソンが放送されていて、その人の多さに驚きながら、見るともなく見ている。
 雪の心配をあまりしなくなった。心が穏やかだと云うのは良いことだが、何やら今まで緊張していた気持ちも緩んで
来る。「治に居て乱を忘れず」という古の言葉が浮かんでくる。
 こんな時に限って風邪をひいたり、腹を壊したり、する親爺なので、気を引き締めている。
 幸い今の処体調は悪くはない。
 待ちわびた春の気配がする中で、今度化季節の変わり目に気をつけねばならぬ。
 老いるとはややこしい事も心掛けねばならぬものだ。
 春の先触れの雨が降る。雪は嵩を減らし靄が辺りを取り巻いている。


 オカカが雨戸を開けるのに雪をどかせた。これだけの残雪が有るのは、山水融雪が出来なかった所為だ。それでも
座敷は一気に明るくなって、風を通すと気持ちが良い。名残雪が来れば雨戸をもう一度締めねばなるまい。
 


3/1
 ついに三月となった。いかにこの月を待ちわびた事だろう。
 今年の1月2月が寒く、特に立春寒波と云うふざけた寒波がやってきて居座り豪雪を降らせ、2月後半にも同じように
腰を据えて、また雪を降らせた。
 2m19cmがその最高積雪であった。
 が今日からは三月。朔日は快晴で開け、惜しみなくやや高くなった位置から陽光を降り注がせ陽光は雪面に弾け、
次々と飛び回り気温を上げ雪を解かして行く。
 家から外を見る時には眩しくて目を細めねばならぬ。
 家の中の温度も結構高くなって、ストーブと床暖だけで20℃である。寒さに慣れた体には20℃は暑い。
 いやいや嬉しい。これで少なくとも雪の心配はしなくて済みそうだ。
 向かいのイッチャン家の屋根もずいぶん軽々として来た。


 間もなくひな祭り。大型びなはとても飾れぬので、心ばかりのひな飾り。


 我が家車庫の屋根雪も見事に減ってきた。


2/28
 二度の異常ともいえる長さの寒波に見舞われ2mを超すドカ雪に降られて、未だに雪五尺を残す我が山里の如月も
今日で終わる。
 気温4.6℃と云えば我が山里では暖かい日である。丸24時間氷点下だった日々も多かったこの如月だった。
 寒く雪が多く終いには雪を捨てる場所も無くなった辛く暗い日々。何とか若い友人たちやオカカの頑張りで冬を越せた。
 こんな冬はいくら立山の山里でもざらにある訳ではない。大変な冬だ。
 明日からの弥生でもうこの長い冬も終わったといっても良いだろう。立山の雪はこれからの降り方で小屋開けの難易
度が異なる。立山の雪の多寡を云うのは3月終盤になってからだ。
 山小屋業を仕舞い、もう丸8年に成ろうとしているが、長い間の習慣とはなかなか抜けぬもの。考えるのも春先の小屋
開けの事ばかり。もう何の関係も無いのだが。
 山里は如月晦日に雪五尺


 次女がオカカに贈ってくれた花は、まだ瑞々しい。


 ドローンを上げたら薄いアイの先に瀬戸蔵の堰堤が見えた。


2/27
 温かくもないが寒さに慣れた体には寒く無い朝。10:00の気温が5.3℃有るそうだから暖かい日なのだろうか・・・。
 今年の2月如月は、実に長かった。如月など逃げるといわれるほど短く感ずるものだし、日も他日より1日2日短い。
 立春寒波と更にもう一つの寒波が、続けさまに襲い、長々と居座り大量の雪を降らせた。それ故長く感じたのは間違
いない。まあ雪には慣れているはずの我が山里でもあまり記憶にない雪だった。
 特に近年は温暖化により、雪の少ない冬に慣らされてきている。それ故ラニーニョやら、エルニーニョとやら云う猫の
鳴き声の様なニャーニヨー云うねばつく音の名が付いた、我が国の裏の海温変化が引き起こす現象に影響を受ける
偏西風蛇行とやらにより何やら変な天気が続くらしい。専門家のいう事だからそれなりに正しいとは思うが八卦見も同
じような事を云うから話がややこしくなる。
 まあ豪雪の冬は昔乍らにすぎて、漸く暖かい日にたどり着いた。もう何回か雪も来るだろうし寒い日もあるだろうが、
三寒四温である。
 解ける雪の量に比例して気分は穏やかになる。
 春山らしい相のかかった大日。


 縁の瓦が下を通る雨どいの水が凍り押し上げられて割れた様だ。ドローンを上げて見たが良くわからぬ。
 ただ大した被害ではないので、春に馴染みの瓦屋さんに手当てしてもらおう。


 折角ドローンを上げたがタイミングが悪く、綺麗な山は撮れぬ。


2/26
 今日は曇天で、お日様は顔を見せてくれない。雨雲がかかって空を覆い尽くしている。
 が、気温は氷点下にならず、たまに雨なのか霙なのかはっきりしないものが空から落ちて来るが、雪は刻々と嵩を減
らしている。
 気温は氷点下にならず、1℃を保っており、少しずつ上がり4℃か5℃位にはなるのだろうか。明日はとにかくハレの予
報マークが出ているから、雪は増えず減り続けるだろう。もうそれで充分である。
 三寒四温・・・こんなうれしい言葉が浮かんでくる。
 冬は終わり、春がそこまで来ている様だ。有難い。
 屋根の上の雪が見る間に減ってきている。我家の車庫。


 今朝の座敷側雨戸。敷居から20cm程うまっているようだ、出窓側はオカカが少しずつ雪をすくい投げ確り出ている。
 今しばらくは屋根からの落雪が有るので、この軒下の作業は出来ない。
 


2/25
 晴れた。温かくなってきた。待ちわびた今日である。
 今冬の大雪あるいは豪雪についてはもう書くまい。しかしその終わりが見え、春の兆しが感じられるようになった事は
ここに記しておこう。
 朝から陽が射し、強い陽光は雪に弾け飛び散り、体当たりを食らった雪面は徐々に嵩を減らしてゆく。長い軒先の氷
柱は順番に落ち、その後ろに控えていた氷柱の素たる雪もずり落ちてくる。
 いまだに1m半以上積もっている、車庫の屋根の雪は幸い躯体が頑丈な重量鉄骨であるので、全て屋根の上で溶かす
のが一番合理的である。じっと解け行く雪を眺めて居よう。
 庭の雪も屋根から落ちる雪が無くなれば、減る一方だ。意外と早く溶けてゆくだろう。
 平野部はこんな天気が続けば3日もかからず雪が無くなるが、我が山里はまだ半月以上かかるだろう。
 それでももう十分今日の天気に満足している親爺とオカカだ。
 太陽の光に手を合わせたくなる気持ちが良くわかる。


 青い空を背に雪を被った家々が、ほっと一息ついている山里だ。


2/24
 今年の二月には冬の神の意地悪で、雪国に暮らす人々はエライ大変な目に合った。雪下ろしを2回以上強いられた
我が山里のロートル共は、筋肉痛やら神経痛が出て見なゾンビの様な歩き方だ。
 親爺は力仕事が出来ぬので、精々家の中でゴキブリ亭主ばかり、それでも足はヨロヨロするしまあゾンビには変わ
りない。
 しかしこのしつこい雪も、今日まで。明日から暖かい春の気候に成って来るとの予報である。
 それを信じ、今日まで辛抱してきたのだが、天気予報はあまり当てにならぬところもあるから、多少の事は覚悟してお
かねばなるまい。所謂残心の心構えだ。
 と云っていたらまた降って来た。とんでもない気まぐれな冬神である・・・。
 我が家の出入り口はもうこんな状態。


 我が家の車庫の雪も増えたり減ったり・・・。一冬中頑張ってくれている。庭に落ちた雪もオカカが少しずつ片付けている。
 


2/23
 今日はもう雪の心配の先が見えた。まだ明日まで油断は出来ぬ様だが、一晩に30cm以上積もる事などはもう
無いだろう。
 雪の下でも生活は続くので、精々食い意地を満たし楽しんでやろうと、雪の合間を見て燭台を買い込みに町場
へでかけ、家ではゴキブリ亭主を極めている。
 まあ懐具合も有るので、贅沢は出来ぬが、手を掛ければうまく食える食材も多い。
 しかも寒い冬の生活に欠かせぬ、ストーブが萌えている。ここに鍋をかけて作る煮込みはうまい。
 まだこんなに雪が有る山里だ。


 部屋を暖めるストーブには、一日中鍋も掛けている。     今日は待望の青空がちょっとだけ広がった。
 


2/22
 もう大したことは無いと思っていた雪が、又強く降ってきた。8:00〜9:00の1時間で6cm降り積もった。
 9:00現在172cmの積雪也。雪は止まず降り続いている。
 まあ何時もの事だ。今冬の冬神は質が悪い根性悪であるから、最期の悪あがきも執拗だ。しかしこの悪あがき
も25日までとの事。天気予報もそれからは当分は晴れマークが並び太平洋側の天気予報のようになっている。
 今まで氷点下だった最低気温も、かろうじて氷点を超え、1℃か2℃になっているし、最高気温は二けたの気温
になってきている。
 まあそれからも雪が解け切るには尚半月ほどはかかるだろうが、解け行く雪は気にならぬ。
 暖かい春が恋しい爺であった。
 1時間6cmの雪。


 あと二日三日で春の兆しが来るという・・・雪は飽いてもう見たくない。


2/21
 雪がちらつき、何時の間にか2cm、3cmと嵩を増していた昨日までの空だったが、今日は薄日が差している。
 しかし今朝7:00の気温は氷点下7.2℃、可成り寒かった。10:00現在となってもまだ氷点下かも知れない。
 観測地点の数値がまだ更新されぬので、正確には解らない。
 居間の室温は床暖とストーブ、温風ヒーターを稼働して、漸く18.5℃をキープ。温風ヒーターはまもなく停止するだ
ろうが、ストーブと床暖は寝るまで焚いている。
 床暖と風呂はLPガスで、ストーブと温風ヒータは灯油である。屋根の融雪装置も灯油なので一冬の燃料費は計算
するのが嫌になる。とても年金だけの実入りでは払いきれぬ。
 物価高が家計を圧迫するのは若い世代も一緒だろう。声高に年金を上げてくれとは言えぬが、老人医療費の優遇
位は打ち切らぬよう願いたい。
 老人医療に手を出す前に、政治活動費、議員報酬の検討などをすべきである。庶民とはかけ離れた報酬を得てい
る政治家には、自らの報酬を削減する気はない様だ。庶民のレベルまで生活の質を落とし、初めて見えて来る諸物
価の高騰だろう。
 昔の生産者米価が消費者米価より高いと云った、農業保護は今や不要かも知れないが、有るものを価格操作の
ために隠ぺいするという行為は、自由経済の名の下に許されるのだろうか?
 金のあるものばかりが優遇される世界は、楽して金を稼ぐ詐欺事件や強盗事件までをも横行させている。大多数
の真面目に働き、自らの人生を汗と涙で築いて来た庶民と呼ばれる人々は悔し涙に暮れるしかないのか・・・。
 今日もぼやきつつ、雪の下から青空を少し見ている親爺だ。


 オカカがコツコツと少しずつ雪をすくって除雪しているので、我家の雪囲いのない家でも持っている。出窓も埋もれていない。
  


2/20
 東北の大震災の後頃からだろうか。テレビも新聞も皆、天候予想にかなり大袈裟と思える形容詞を多用する様に
なってきたと感ずる。
 それは一時にそうなったのではなく、徐々にそして近年は加速度的にその傾向を強めている。
 例えば地震後の津波などでは、彼の大災害をテレに中継で目の当たりにしたから、決して大袈裟とは思わぬ。声
のトーンを高くして、「少しでも高い所へ逃げてください」と叫ぶように連呼された放送などは当然だと思った。
 緊急を要する大規模地震災害や大洪水、土石流等の報道では「自分の命は自分で守ってください」と叫ぶべきで
あろう。
 親爺がここで一寸苦言を呈したいのは、昨今の天気予報である。
 かつて経験のない・・・、10年に1度の・・・、今季最強最長の・・・などなど。こんな言い方は果たして必要なのか。
 予想を超える・・・、過去にもまれにあった・・・、今季では強く長引く恐れのある・・・と云い替えが出来ぬのか。
 何処かのスキャンダル雑誌のキャッチコピーの様な大げさな表現が多すぎる。
 気象予報士は科学者である。科学者らしい表現を持って、視る素人衆にいたずらに不安を与えず、注意喚起をさ
せるような文言を選んで使用願いたい。
 今冬最強最長の大雪を降らせる寒波の中、「これが終われは暖かい春が来るだろう」と、じっと耐えて冬ごもり
している雪国の人々の気持ちも考えて発言すべきである。
 今季の強く長い寒波もソロソロ終いにかかっています。少し長引いても春が近づいています。
 親爺はそんな解説が聞きたい。


 雪に埋もれての生活は実に辛いものだ。特に高齢者には・・・。


2/19
 雪の峠は今日までとは、親爺とオカカが勝手に決めた事。屋根の融雪装置も停止して、後は自然融雪を待つことに
した。燃費の高騰にもよるが溶けた雪が庭に落ちるのが大変だ。せめてノマ止めと呼ぶ雪のすべり止めがほぼ全面に
施された大屋根の雪は上で溶かしたい。
 我が故郷にして棲家の山里は、毎年毎年雪にはひどい目に合うが、洪水や地震などの大きな災害は少ない所だ。
 日本全国どこに住んでいても、不測の災害と云うものはある。地震、雷、火事、オヤジならぬ洪水や土砂崩れ、台風
に最近は地盤の陥没などもある様だ・・・。
 だから今直面する自然の驚異、大寒波による大雪なども、やむを得ぬことなのである。と、自分に言い聞かせながら
長い長い2月を過ごしている親爺とオカカである。
 2月は逃げると言われるほど短く感ずる月らしく、例年なら親爺とオカカもそんな風に感じていたが、ラニーニャ現象に
よる偏西風の蛇行で、僅か半月余りの中に、10年一度の大寒波に2度も襲われているから、今年の2月は実に長く感
ずる。
 後9日で2月も終わる。早く終わってほしい2月である。
 今朝の我が山里の雪景色。


 オカカが晴れ間を見つけては雪をどかし頑張っている。


 こっちもオカカの努力のたまもの。出窓も姿を出した。


2/18
 今日は天気予報大外れ、良い方に外れたので文句はない。
 9:50現在青空も出、陽が射している山里だ。
 でも早朝は予報通り重く曇ったそらだった。昨朝〜今朝までに積もった雪20cm丁度。電線が重そうに垂れていた。
 どう見ても真冬の朝で、外は凍てついている。
 オカカがゴミ捨てに行ったが、オカカの長靴にはスノースパイクが装着してある。


 が、しばらくすると9:00を過ぎて陽が射し始め、青空が広がりはじめた。
 電線の雪はあっという間に解け落ち綺麗な青空が広がり始めた。大日も山裾を見せ、金毘羅宮のある打越山は青空を
背に聳えるクンビラーの峰かと見まごう程白く輝いていた。峰はともかくこんな青空が広がったのだ。


 勿論、10:00現在の今はもうどんよりとして来たが、大寒波長く居座ると云われる中での、一服の清涼剤だった。
 玄関の中には、次女がオカカの誕生日に贈ってくれた春の花を花瓶に立て飾ってある。これも又目を楽しませてくれる。
 


2/17
 昨日は村の総会があって、出席せねばならなかったので出たが、半日潰れた。で、更新をさぼった。
 天気予報は数日も前から第2回目の寒波到来を叫んでおり、実に誇大とも思われる注意喚起を繰り返していたので、
山間地に住む雪国人としては怖いので、今日の中に食料の買い出しだけでもしておこうと、町場のマーケットへ出かけ
た。が、途中もう雨が降り出して、町からの帰路には雨が霙、霙が雪と、家に帰って来た時にはもう水雪に変わってい
て、靴で出かけた親爺は閉口した。長靴で出かければよかった。
 まあ、食料は1週間以上たっぷり買ってきた(オカカ談)ので、後はまた雪の多くないことを祈りつつ時を過ごそう。
 幸い今回の寒波は前回ほど長く雪をバカ降りさせることは無い様な気がする。
 が、油断大敵。腹をくくってじっと耐えよう。
 雪国暮らしは老体にはきついものがある・・・。
 今朝早くはこんな空で、少し陽も射していた。車庫の雪もずいぶん減った・・・と云いあっていたのだが・・・。


 親爺とオカカの可愛い宝から写真が届いた。一年生のお姉ちゃんは7回目のひな飾りを飾り、年中のお兄ちゃんはパパママと一緒に香川旅行。
 お姉ちゃんはオルゴールのゼンマイが上手に巻ける様になったし、お兄ちゃんは金毘羅宮参拝、ちゃんと自分で登った。
 

 帰宅後また雪が降り出した。いやだいやだ。いい加減にしろ根性曲がりの冬神め!!


2/15
 快晴である。温かい陽光が射しこみ、温室効果で温まった物干場の暖気が、居間との仕切戸を開けると流れ込む。
 屋根の雪も落雪が怖く止めていた融雪装置以上に陽光が溶かし、後でドローンを上げて状態を見て見ようか。
 芦峅寺の現在積雪は150cm代になった。この調子でグングン嵩を減らしてほしい。
 この後また来るという大寒波、雪も来るのだろうが、もう多く降らぬ様祈るのみ。
 三寒四温と云う言葉が有るが、そこに近づくにもこの山里は大雪の三寒を経て細やかな四温を享受するだけで、春
にはまだまだ遠い様だ。
 久しぶりの白く輝く大日を見上げた今日である。


 昨日はオカカからチョコレートを貰った。2個もくれたので、大好きなウイスキーボンボンを一緒に食べている。
 


2/14
 昨日より幾分落ち着いた山里の雪だ。
 もう話題など雪限定・・・・・の山里暮らしである。毎日毎日雪が増えたの減ったのと、雪の嵩ばかり気にしている。
 気付けば今日はセントバレンタインデー、この年になれば全くと云っていい程関心も関係もない日だが、時の移ろいの
一つのイベントとして節分や立春並みに捉えている。
 あまりの話題のなさにバレンタインデーをネタに何か書いてページを潰そうとしたが、何も思いつかぬところを見るとこ
の手のイベントでは、我が友人の多くと同じく負け組メンバーだったのだろう。
 今外が急に明るくなった。陽が射して来たのだ。
 雪よ陽を浴びて溶けろ溶けろ。
 春の遊びの楽しさを語り聞かせてくれる母もとうに旅立ち、過ぎし戦の手柄を語らなかった父もすでに旅立ち、囲炉裏
火など時の彼方ではあるが、親爺の記憶の中には父母はもちろん祖母や囲炉裏火も鮮明に生きている。
 幾度この懐かしい人々に護られて長い冬を過ごして来たかもちゃんと覚えている・・・。
 だからこの地は離れ難いのだ。


2/13
 昨夜寝しなに4.8℃という高温で、寒くは在れど降雪が無いのでゆっくり眠れた。が今朝はその所為で6時前に
目覚めてしまい、外を見てがっかりした。
 また雪が降り出したのだ・・・。
 折角168cmまで溶けた雪も、9:00現在はまた175cmを超えた。止んだと思ったらまた降って来る。
 本当に質の悪い冬の神だ。村内では2回の雪下ろしをした家も多い。近年まれなことだ。
 歳をとるとこの村に住み暮らすのは難しい。
 12月から3月まで4か月間を村の外で暮らす事も真剣に考えてしまうが、先立つものが・・・。宝くじでも買うか。
 今朝、窓外を見ればまた降り出した雪に愕然。


2/12
 まだ左程でもないが、今日はこれから南風が吹き込み気温が上がるそうで、屋根の雪が庭江落ちるのが心配だ。
 夕刻から雨も降るそうなので、雪崩に十分気をつけねばならぬが、危険な山域へ入る事は無いというか無理だし
ただ屋根からの落雪に気をつけねばなるまい。今日は15:00頃から気温が上がりだし24:00には当地でも8℃が予
想される。その高温は雨を伴うそうで、益々雪を溶かし滑らせるから、屋根や山の斜面の雪は自重で動く、つまり
滑落する訳で、何とも物騒なものである。
 暖かく成って良いが屋根からの落雪が心配だ。
 落雪が溜り、庭に一山出来た。融雪装置を設置し使い始めて、雪囲いをしなくなったが、雨戸にまで雪が来た。
 これは来年には雪囲いを考えねばならないかも知れぬ。


 どっちを見ても雪だらけ、速く溶けて欲しいものだ。
 

 こんな雪の下での生活はもう沢山!!


2/11
 戦前なら天長節と云ったという建国記念の日であるが、建国記念日と云えぬところに政治家の誤魔化しを感ずる。
 親爺は建国記念日と云ってはばからぬが、今日のこの日に197cmの豪雪の下で、一生懸命考えて見た。
 日本には皇室があり、その皇室は1000年以上続いているのは確かそうだ。南北朝の様な二枝に分れてもまたどこ
かで統合され、例え養子縁組をしたとして、その生物学的な血は絶え、別の血筋へと移ったとしても、それは公認され
た系図の上では一つのものとして連なり現在の皇室に至っている。
 天皇家の基は神武天皇であると、だれがどう決めたかは知らぬし知る必要も無かろう。
 その天皇家はあくまで現在日本と呼ばれる国の、古くからの皇室で崇められて来た御一門でありそれが、連綿と現
在まで続く、世界一古い皇室なのである。
 以前はイキガミ様だったろうが、現在は国民の象徴として多くの国民から慕われている。
 女系の天皇の否定だとか、愚かな親爺でも納得できぬところもあるが、愛子内親王が次の天皇になってくれることを
心より願う一日本国庶民の親爺である。皇室典範の早急な快晴を望みたい。
 大雪の愚痴から久々に目がそれた。「天皇愛子」と云う玉璽が令和の次に出来る事を願う。


 来年は雪囲いを復活すべきかもしれないと考え始めた。雨戸の外と、出窓の外にも。
 


2/10
 降雪にすっかり心を塞がれて、欝々としている。
 山里の雪七尺の日々長し・・・で、72年間この立山の麓のやま里に生きている親爺もつくづくこの山の村が嫌になった。
 雪の多い日々には親爺は暖かい無雪地帯への引っ越しを真剣に考える。
 しかし、夏の暑い日にはああ涼しい山里でよかったと思い、引っ越し計画は毎回とん挫する。
 人とは何と易きにに流れやすいものか、とつくづく思うのだ。
 久々に我家から早乙女らしき山が見えた。
 雪下ろしをしてももう雪を捨てる場所がない。


 黒部も雪が降って、家の前の駐車場でカマクラ遊び。 東京は雪は無いが、那須までママの友達たちと出かけた。
 可愛い孫二人の便りにジジババの豪雪鬱も吹き飛んだ。
 

 とにかくすごい大雪だ。親爺も経験がない程の短時間豪雪(ドカ雪)だ。


2/8
 今日も雪が降ったり止んだり。すでに山里の積雪は218cmを記録している。
 やはり2mを超える雪は大変だ。その雪の下での生活など頗る辛いものである。雪はまだ粛々と降り続く。
 雪には慣れていて1mくらいの雪には耐性のある雪国人も、2mも降り積もりまだ止まぬ雪には鬱陶しさ以外何も感ぜ
ぬ様になる。
 後は止んでくれることを祈りながら体を縮め暮らすしかない。
 その暮らしのなんと不安で窮屈な事だろうか。外出もせず家の中だけで過ごす時間は長い。
 屋根から落ちた雪が積もり、壁を構築。車庫も見えぬ。


 外に向いた出窓も雪の壁が遮って鬱陶しい事この上ない。オカカが孤軍奮闘。玄関先の除雪に当たる。
 


2/7
 昨日は雪に押しつぶされそうで、気がめいり更新もとてもする気にならなかった。
 雪にあらがう体力が無く、唯々じっと閉じこもり、心配ばかりしているのだから気も滅入るはずだ。昨日は1日降る雪
を眺め過ごした。
 したことと云えば夕餉に焼き鳥丼を作ったことだけだ。後は軽い時代小説を読んだくらいか・・・。
 それでも暖かい部屋で、事もなく過ごせる。
 若い友人のモリヤに感謝。色々除雪を手伝ってくれるので本当に助かっている。
 少子高齢化、豪雪、切り捨てられた地方の山間地。廃れてゆくばかりである。
 こんな大雪の降る時はそんなことばかり考える。若い力が無いのは我が山里だけではない。日本全国が高齢化して
若い力が無いのだ。
 未来に活気が見えぬ。ああ、こんな欝々とした気分の原因の7割はこの大雪だろう。
 早く止め。春よ来い。
 融雪装置は効いている。もう一番弱くしておかないと雪が雪崩のように落ちる。
 家の屋根の雪は心配がない。


 融雪装置も負け気味で、屋根から雪がドンドン落ちて庭につもる。雪降りが続く間は必要最小限の対応しかできない。
 

 雪の積もり方が激しくて、居間の出窓から車庫が見えなくなった。


2/5
 この冬をなめていた天罰だろうか。我が山里の積雪は180cmを超える勢いだ。
 何とも長い冬だ。1月大寒からしばらく続いた暖日にすっかり騙された。立春過ぎに大きな寒波でこんなに大きな
雪になるなど、思いもしなかった親爺である。
 180cmを超えた積雪はこれで止んだわけではなく、このあとまだ続く。非常に長い期間にわたる寒波来襲なのだ。
 いやいや、これ以上積もると完全に想定外である。下手をすると物流が途絶えるかも知れないし、停電などに見
舞われると、もうこれは災害時の緊急事態に等しくなる。
 昔から続く雪との戦いだが、親爺などもう戦う体力も気力もない。モリヤや心平に頼んで、必要最小限の除雪をし
てもらっている。
 ともかく寒波が抜けて、雪が止み、太陽が雪を減らしてくれることを祈るのみ。
 居間の窓から見た豪雪の模様。まだ2日も降るそうだ・・・。


 庭の雪も雨戸に届いている。融雪装置で落ちた屋根雪が積もるのだ。石段もオカカが除雪した後から、直ぐ新雪が積もる。
 

 折角雪下ろしをしたイッチャン家も又たっぷり積もった。でもまだ雪下ろしはしなくていいだろう


2/4
 今朝はもう早々に新雪20cmを見た。
 折角雪を落とした杉木立や電線にもまた雪が白く降り積もっている。家々の屋根もまた雪の嵩が増えて重そうだ。
 立春は名ばかりとは、とうの昔に思い知っている。でも立春明けに来る寒波は嫌だ。
 家を温かくして、じっと籠っていればいいだけの話だが、玄関先の出入り口くらいは除雪が居るし、屋根の雪下ろ
しも雪を捨てる場所が無くなる。
 それでも降る雪を止める術は誰にもない。雪が過ぎるのを待つだけだ。
 雪に悩まされることのない場所に移り住みたいとも思うが、この年になって面倒だ。仕方なく雪の下の3か月を耐
えるしかない様だ。
 今年は雪が多くないとなめていると、必ず大雪になって慌てふためく。
 さて、これから本番となる立春寒波、どうなる事やら・・・。
 今朝の雪化粧。


 折角雪下ろしをした近所の家も、また新雪に覆われた。我が家の雨戸も融雪の雪が落ち積り間もなく雨戸に至る。
 


2/3
 年により違うらしいが、今日は立春だ。
 立春は嬉しいがその名を冠した寒波が到来する。立春寒波とはまた何と皮肉な寒波だろうか。
 クリスマス寒波、年末年始寒波、そして立春寒波・・・。
 小寒から始まり大寒となり節分で終わる寒だが、その寒中の寒波もいくつかあった様だが、特別の名づけは無かった。
 台風など番号名が必ず付くが寒波には着かない様だ。だからクリスマスや年末年始と云う名をつけることはあっても、
それ以外だと余り思いつかぬ。
 まあ、そんなことはともかく、立春寒波はどの程度の雪を降らすのだろうか。
 4日から10日までの1週間全てに雪曇りのマークが連続している。これはひょっとすると200cmクラスの雪になるかも。
 どうなろうと、じっとその雪の下で暮らすしかあるまい。
 今朝の、寒波来襲前の景色を撮っておこうとドローンを上げて見た。
 大日も薄く見えているが、立山もそんなに大きな雪ではない様だ。


 我家の車庫や庭にも雪はまだまだ残るが、此処に更に雪が積もるのだから、1週間後はどうなっているだろうか。
 


2/2
 本日は節分。雪も降っていないし高曇りながら気温も低くはない様だ。
 明日は立春だが勿論暦の上だけの事。山里も4日過ぎからまた寒波来襲で雪となるそうだ。
 今宵は豆撒き。昔は3人の孫を引き連れた婆様(母)が、豆を炒り、升にその豆を入れて子供たちにはオカカが折り紙
で作った小さな升に豆を入れもたせ、それはそれは賑やかに「福はうち〜福はうち〜、鬼はそと〜福はうち」という、福は
うちが三回に鬼は外一回の掛け声で、笑い転げながらバタバタと駆け回ったものだ。
 婆様の楽しそうな姿、それを見てにこにこしている爺様の姿、婆様では制御できぬ三人の娘の監督役のオカカ・・・。
 いやいや楽しい思い出で、今も親爺の胸に残っている。
 今や親爺とオカカの二人だけの我が家だが、豆まきの風習は3人の娘らにも受け継がれている様で、それぞれに真似
事でもやっている様だ。我家も小袋入りの炒り豆を、袋ごと部屋に撒いて豆まきの細やかな伝統の灯は絶えていない。
 恵方巻などと云う出自も定かならぬ巻きずしが、幅を利かせている昨今、それをほおばる事が伝統行事だと勘違いして
いる若い世代。世は移り変わり節分もどんな風になって行くのだろうか?
 日本の一地方の縁起担ぎの風習も、上手に商売に転化させ、全国に広げる商人の知恵こそ褒めるべきか。
 少なくとも親爺の知る節分にエホーマキなる食い物は無かったし、この先も要らない。
 綺麗に雪下ろしを終えた近所の家。近頃まれにみる綺麗な雪下ろしだ。


 我家の車庫の屋根の雪も嵩を減らした。          不動山もガスの中。気温が高いのだ。3℃程ではあるが。
 


2/1
 愈々二月になったが、まだまだ雪の下、寒い日々が続いている。
 明日が節分、明後日は立春だと考えると、心は幾分安らいで来るが、旧暦と呼ばれる(太陰太陽暦)暦法の季節
との誤差もあるらしく、中々暦通りにはゆかない様だ。それでも気は心ともいうではないか、能天気に生きている親爺
とオカカ故、まあ適当に解釈し、学者に後は任せておこう。
 9:45現在、陽射しが強くなってきた。これで雪も10cm単位でぐんぐん嵩を減らすだろう。
 喉風邪は治まった。食欲も出て来た。が、今朝は僅かに眩暈を感じた。例の三半規管のトラブルだろう。
 これはバタバタせず安静にしていれば治る。年に何回かある。酷い時は目をつぶっても眩暈を感ずる程だが、今回
はそんな事も無い。
 如月が着更着とならず穏やかな日々となるように願いつつ・・・。

 閻魔堂参道も雪に埋まっている。


 庭の積雪は屋根の雪が落ちたもの。雨戸はまだ開けられる。    大日が薄っすら見え始めた。
 


1/31
 睦月晦日となる。
 寒中の最も厳しい時期であるが、今年は大寒の日からしばらく暖日が続き、すっかり騙された。
 今年の雪は山雪が多く、我が山里は今度の雪で145cmの積雪が最大値を更新した。
 それにしても昔を想うと五尺に足らぬ雪、左程大騒ぎする事もあるまいが、この雪に強いはずの山里の村を支
えていたエネルギー源の若い力が消滅してしまっているので、耐雪力も大きく下がっており、五尺足らずの雪も大
きな負担になっている。
 その辺のことは親爺も実に切実な問題として、身につまされている。日々の暮らしの中の事々が次々と自力で
出来なくなって行くような気がしている。
 雪に埋まった玄関先の除雪、車庫の前の除雪、屋根から落ちて庭に溜まる雪の始末・・・。嘗ては朝飯前の事が
一日がかりでも出来ぬのだ。
 いずこも同じで、若い力は村から完全に消えてしまっている。辺りは老人ばかり。しかも日本のほとんどの地方で
同様の状況であるらしい。
 いたずらに寿命だけが延びても良いことは無い。
 健康寿命こそ重要だという前に、地域の産業政策などをどんどん打ち出し、地域活性化を真剣に考えて欲しいも
のだ。セクハラやらパワハラついにはカスハラまで。世の中で注目を集めるのは芸能界とスポーツ界だけ・・・。
 未来が見通せない。老人にも見通せる世の中は無いのだろうか。
 大雪の下に居るとつまらぬことばかり考える。
 屋根の融雪は正常稼働。ほぼ上々の効果。


 雪下ろしがまだな家も5割はあるが、まだまだ余裕だ。


 いやいや見事に雪に覆われた我が山里である。


 青空もちょっと顔をのぞかせる。2025睦月晦日也。


1/30
 又激しく雪が降り出した。9:25現在芦峅寺観測点の記録は、積雪122cm気温-0.9℃である。恐らく積雪は
今冬の最大値であり、これはこの降雪が止むまでさらに更新されるだろう。
 小林一茶の終の棲家が雪五尺、我が終の棲家は今年はこの上を行く事だろう。
 昨晩稼働させた屋根の融雪装置、ほぼ稼働しっぱなしである。12月の灯油代は7万を超え、1月も既に5万程は
かかっているだろう。暖房と融雪装置である。風呂と床暖はガスなので、別途だ。
 細やかな親爺とオカカの年金では実に心細い雪国の生活である。
 まあそういいながら食事もでき、酷く寒い思いもせず、ミサイルや爆弾を心配することもなく眠れるのだから、日
本という国は有難い。
 止まぬ雪は無い。解けぬ雪もない。気長に時を待ち健やかに日々を送れることを感謝しつつ春という楽しみを
待つのがジジババの仕事だ。
 こんな空の下、やがて来る春は天国のように思える。


 我が家の猫額庭はあっという間に雪の下に埋まってしまった。左を見ても、右を見てもとにかく雪がびっしり。
 

 出入り口の確保が山水を使えぬ今冬は大変だ。


1/29
 体調が良くなり、食い気も出て来た。今日の昼には買い置きのラーメンスープと作って冷凍保存してあった焼き豚
を使って、熱々のラーメンを作る積り。
 学生時代から馴染み今でも大好きなラーメン。まあ馴染み深い気安い食べ物である。
 これが食べたいと思うときは大概健康な時で、体調不良時には食いたくなることは少ない。
 親爺が一番好むのは、旧の中野大勝軒のつけ麺だが、我が地元の富山にも最近は富山ブラックなどと云われる
様になったが、”大喜の中華そば”があるし、昭和40年代では珍しかった白湯スープの”南京千両”という店もあって
何となく黒白の中華麺として人気を二分していた時期があったようだ。
 親爺は両方それぞれに好きだった。
 親爺には2人の従兄がいる。二人とも母の姉の息子だ。4歳年上がY、2歳年上がNで、歳も近く子供のころから可愛
がって貰った。
 その従兄のYは南京千両のラーメンが好きで、たまに連れて行ってもらった。
 もう1人のNは東京在住が長く、親爺が学生で在京中にはほぼ扶養家族のように世話になった。この従兄は親爺が
3年生になる時富山本社に転勤になったが、親爺帰省中には良く夜中のラーメン屋へ連れて行ってくれた。この時は
大概大喜の方だった。
 あれからすでに半世紀以上、幸い二人の従兄も健在である。互いに爺様になってしまったがたまには顔も合わせる
し、電話もする。今もNと話したところ。Yにも電話したが出ない。親爺以上に耳が遠く滅多に出ないのだ・・・。
 まあいいか、未だ近くに二人の兄貴分(親爺は滅多に兄貴として敬わぬ不出来な弟分だが)が居るだけで喜ばしい
事だろう。元気で長生きしてほしいものだ。
 朝起きた時はまだこんな感じだった。


 居間から見た窓外の雪、まだこの時は大した雪ではないが、10:30現在結構な降り方をしている。
 


1/28
 ここ数日少々弱り込んだ。何時もの気管支炎の様で、色のついた痰が少し出て来たので、嗽をするやら売薬の
薬でごまかすやらしていたが、一向に良くならず。ついに町内の耳鼻咽喉科の世話になった。
 熱は出ないが身体がだるく、飯が喰えないという親爺にとってはかなり重篤な症状が出ていたので、まあ年ととも
に食が細くなってはいるが、それを遥かに超える食欲不振で、小さな飯椀に1/3程の飯さえ食えぬ。
 これは昨夏の胃腸不良(ポリープ)以来の事で、参った。
 唯一食べて見たいと思ったのは干瓢巻位で、酒饅頭も1/3程なら食えたが、身体の力が入らない。
 で、昨日の耳鼻咽喉科となった訳だが、抗生剤の2回目の服用で効果が出、今朝はHPの更新も出来ている。
 しかし身体は正直だ。血中酸素濃度も普段通りに近くなり、何とも言えぬ不快感も軽減。
 後は薬をシッカリ飲んで、体を休めるばかり。
 体力は身体の仕組みが順調になれば自ずとついてくるものだ。70を超えて過度の訓練など「冷や水」だろう。
 とうそぶきつつ、親爺は今日もごろ寝で過ごす予定也。
 過日の霞だった日の徘徊からこっち、調子を崩した親爺である。


 体調不良の日々、干瓢巻3〜4本が洋右訳の一片食。 坂饅頭は大好きなのだが流石に1/3程も頂いただろうか。
 


1/26
 寒中の雪が少ないのに喜んでいたが、昨夜から今朝にかけて15cm程の新雪が降った。
 折角嵩を減らした雪がまた増えた。庭にも、家の屋根にも道路にも・・・。歓迎するのはスキー場位だろう。
 昨夜、村の役員会が有った。何度目かの役員をさせられているが、もう体力的にも精神的にもきつい。
 年度年度の村の会計報告や、立山雄山神社の会計報告まで、色々あって結構細かい。
 それを9つに分けられた組ごとに配布し、その組ごとの寄合をして認証し、それをその次の村の総会に持って行く。
何とも面倒な、隠居の身には煩わしい事々である。
 まあ、村が100軒余りで年収は1000万を大分超えるから、一寸した零細企業ほどの事はあろうが…。
 昨日帰宅してその寄合の案内状を作成しようとPCに向かったが、何とワープロソフトが入っておらず、ためらった。
 慌てて無料のワードを検索するも、オープンオフィスをすっかり忘れている。結局それを思い出すまで一時かかった
が、思いだしダウンロードするや物の5分もかからず書類が完成した。
 文章作成はホームページビルダーで毎日やっているから、問題はないが、ワープロソフトの存在をすっかり忘れて
いたのである。
 まあ、笑い話のような日々ではある。
 今朝の降雪後。15cm新雪が来た。


 折角大変な目に遭って雪を下ろしたイッチャンの家も又雪が来た。  我が家の車庫も…でもすぐ青空は広がった。
 


1/25
 少し昨日より寒い、雪のチラつく日だ。
 熱いコーヒーが飲みたいと思っていたらオカカが山口県のFさんから頂いた、高級コーヒーを淹れる準備をして居
間に入って来た。
 流石40年以上も夫婦をしていると以心伝心という事もたびたびある様だ。Fさんが送ってくださる珈琲は実にうまい。
 寒いとはいえ氷点下ならず、雪降りとは言えチラホラともならぬ雪空ならば左程気にならぬ。
 美味く暑いコーヒーを飲みながら、窓外を眺めやる余裕もある。
 昨日タブレットで、井上選手のタイトルマッチを見た。テレビがボクシングや格闘技をほとんど放送しなくなったのは
もう数年前からの事で、今度の試合もネットテレビで無償で観ることができたが、大画面で見たかった。
 井上選手が強すぎて、相手がなかなか見つからぬ様だ。様々ないきさつもあったのだろう。昨日の韓国選手も果敢
に挑んだが、実力差は1R当初から目に見えた。
 何とか4Rまで持ったが、最期はボディーと顔面へのフックで、ダウン。其れきりタオルが入った。
 強すぎて相手がいない。こんなことも有るのだと画面の中の井上尚弥という選手を改めて見つめた。
 雪が降るでもなく降らぬでもない天気。窓越し撮影だからボーっと見える。


 雪が解けたた娘らが作ったカマクラの跡が出てきた。


 花霞のかかった昨日だが、家の西側は青空が出ていた。


1/24
 朝目覚めて、洗面台に向かう時必ず横の窓から外を眺める。
 今は寒の中、しかも大寒を過ぎ4日目、まだ節分までは一週間以上ある、一年でも最も寒く雪も多い時期なのだ。
 時によれば、洗面台の横の窓は家の裏側の小屋根上に有るので、融雪で大屋根から落ちた雪がうず高く積もり
窓を塞ぐほどのことも有るのだが、今年は小屋根屋根瓦が見え、雪も少し見えるが窓枠の下である。
 で歯を磨きながら家の表側に面する、親爺部屋に行き、此処からも外を眺める。晴天時には大日が正面に見え
る位置で、東向きだから不動山もよく見える。
 今朝は一面のガス。どう見ても雪解け時期の花霞である。
 嬉しくなって、朝飯後すぐに軽4WDに乗って村はずれを一巡してきた。
 まさしく暖かい花霞だ。雪が減って霞となって暖かい外気に吸い上げられて、木々にまとわりついた霞は花芽を潤
し芽吹きの時を知らせる・・・。
 旧立山、道明念坂の横を通り、眼前の布橋の霞んで見えることに気付く。


 旧道に沿って布橋を廻り込む。谷から登るガスなのか、辺りの雪面から立つ霞なのか布橋はぼんやりと霞んでいた。


 辺りの雪原からは、雪が解け霞がかかっているように見える。まだ1月末の寒中なのに、もう3月の花霞である。
 


1/23
 曇天ながら今日も暖かく、9:00現在気温は3.2℃、積雪も減っている。
 20日の大寒から節分までのこの間が一番寒く雪も多いが、何の拍子か今年は暖かく親爺やオカカを喜ばせている。
 まあ、冬の間の山家の隠居暮らしなど、雪が話題の中心で、朝から晩まで「雪が少なくていいな」という話ばかり繰
り返している親爺とオカカだ。
 しかしそれで退屈せぬのが隠居暮らしの良い所。何かにつけて古い思い出話が蘇り、自分が忘れていたことを相
方が覚えていて、話が弾むこともしばしば。
 ”灯近く衣縫う母は春の遊びの楽しさ語る・・・・・囲炉裏火はとろとろ外は吹雪”という歌が、CMか何かで流れていて
覚えてしまったのは、親爺がまだ大学生だった東京でのことだった。
 18年間この情景に最も近い北陸の山間地で育った若者が、花のお江戸に移り住み初めて迎えた雪のない冬だった。
 雪や雪にまつわる全てが懐かしく、歌い手が誰だったか定かな記憶はないが、歌に心捕らえられた。
 今や半世紀以上の時を経てもそんなことを思い出す。
 これだけ雪が嫌いになった爺様なのに。
 雪は本当に少なくなった。


 立山は今日は見えぬ。


 不動の山も雪が少ない。


1/22
 大寒二日過ぎの今日も暖かい穏やかな日である。
 親爺やオカカにとっては、実に有難い事で、雪の降りしきる中で明日を心配しつつも何もできず、ただ籠っている
という日々なのだ。
 気温が10:00を過ぎて5.4℃、積雪もまだ70cm余りあるが、青空が広がり、温かい陽光が降り注いでいる。
 暖かいものだからごついフリースを脱ぎ捨てて、軽々とした服装で方も凝らない・・・。
 実に嬉しい日々であるが、果たしていつまでこんな日々が続くのか。どこかで冬の帳尻合わせに大雪が来るかも
知れぬなどと、かえって不安になってしまう。
 まあ、暢気に構えてこの暖かい日々を謳歌しなくては損だろう。
 暖かい温室効果の物干場から引き戸を開けて暖気を取り込み、外の青空や立山の峰々を眺める。
 今日も長閑な日、ゆっくりゆっくり時間が流れる。
 今朝のドローン写真。まだ立山には順光で陽が射していない。
 でも温かい雪解けの日の気配が溢れていた。


 昨日は屋根の管理をお願いしているMさんが午前中に来てくれた。物の小一時間で屋根瓦を修理、雨どいのごみ掃除までしてくれた。
 

 今日も我が村は平穏也。


1/21
 大寒から節分までの間は、一番雪が降る寒い期間の事だと思っているが、今冬は如何も違う様だ。
 昨日など日中はほぼ晴れていて暖かく、テレビでは寒修行の始まりを放送していたが、余り厳しい寒修行の様子は
撮れなかった様だ。しかも夜になって雪ならぬ雨が降り出した。
 山里でも春先の雨はよく降る。だが大寒の夜の雨などあまり聞いたことは無い。
 これも異常気象なのだろうか?専門家ではないので何とも云いかねるが、異常とは常ならぬ事であるから、この雨
も字面通りの意味では異常だ。
 屋根の融雪装置を手動で淹れたり切ったりするのは毎年の事だが、今年は大きな氷の塊を含んだ雪が小屋根に
落ちる時に、瓦を割った様だ。オートで稼働させておいてもこんなことは四六時中ある。
 で、結構目に付くので、昨日屋根の管理をお願いしているMさんに連絡をしたら、今日もう来てくれることになった。
 何かあるたびに、修理の依頼をする職人さんを探すのに苦労するが、このMさんは実に気軽に動いてくれ、しかも
丁寧で実直な対応をしてくれるので実に助かっている。
 仕事のできる職人さんとはこういう方々なのだろう。
 穏やかな大寒。冬衣を厚く纏った大日が見えている。


 昨夜の大寒の雨で、家々の屋根雪もずいぶん嵩を減らした。 杉木立も雪を落とし、軽々とした姿を見せている。
 


1/20
 愈々大寒の朝である。
 が今冬の大寒の朝は、雪こそそこそこに降って、村の家々も1/3程は雪下ろしをした様だが、温かく穏やかな天気だ。
 昨日は縁側の雨戸を開けて見た。縁側と座敷に陽の光が入り明るくなった。
 気をよくして、縁側に座り込み引き戸を開けてドローンを飛ばしてみた。青空の下真っ白な立山の峰々が輝いていた。
 今朝も縁側の引き戸を開けて見たが寒さは感じない。写真を何枚か撮り令和7年の大寒の景色を記録。本来なら来る
べき節分まで一番寒い日々を迎える入り口の日だが、この後の天気予報を見ると晴れマークも多く、少なくとも大雪を降
らせるような大寒波も予想されていないので、少し嬉しくなってきた。
 とにかく雪は嫌だ。スキー場も十分稼いだだろうし、もう春が恋しくてならぬ。雪は要らぬ・・・。
 大寒も穏やかな日にて冬忘る


 こんな大寒だったら気もめげるだろうが、今年は青空から暖かい陽光が降り注いでいる。
 


1/19
 昨夜は良く寝たが、夜更かしをして寝付いたのは1:30頃だった。朝は7:30過ぎまで寝ていたから、6時間は寝ている。
多分十分な睡眠だろうが、眠りが浅いのか、昼寝も1時間足らずしてしまう事が多い。
 昨日19:00過ぎに玄関チャイムが鳴った。以前親爺の母方の祖父につながる家の出だと云う中年男性が来て、自分の
出自を訪ねて歩いたのだが・・・という話だったので、招き入れ話をしたことが有った。
 まあ、間違いなく母の従弟の息子らしい。しかしその家は既に村を出て半世紀以上経っており、その後移り住んだ富山
市内のごみごみした場所の長屋風の処に住んでいたと記憶しているが、母や、母の実家日光坊とも殆ど付き合いはなか
った様だ。親爺には確かに遠縁にあたる男性の夜の訪問だが、ちょっと親爺の癇に障った。
 実はその前にも訪ねてきた事があり、親爺不在で面会を断った事が有った。
 今度は時間も時間だし、親爺が引導を渡すべく玄関まで出て、「N(この男性のルーツたる家の屋号)が又何の用だ?時
間を考えろよ。我々高齢者には夜中だぞ。」とやった。「この前は色々聞かせて頂いて・・・・・。」と今回は近くへ来たものだ
からよって見た、と云う様な事を言い、「電話番号を教えて頂ければ・・・」と云うのを制して「いやだめだ、電話番号などは教
えぬ。電話番号を誰にでも、はいはいと教えるようなことはしない。」とハッキリ拒否した。
 取りつく島のないケンモホロロな対応に戸惑っていたようだが、考えて見て頂きたい。
 数十年ぶりに自分のルーツを探して、この村に足を運んだ人には遠縁とは言え縁のある人として対応したが、色々話を
聞いてそれ以降も付き合いをしたいかどうかは、親爺の気持ち次第である。
 押しつけがましく時を置かず再訪、不在と断られ、夜間に又訪ね来る。それらの行動のすべてが親爺の癇に障る。
 ましてや電話番号を・・・。こんなご時世に無神経にも程がある。
 本人に悪気が有ったとは考えたくないが、常識のない事は否めない。ましてや初対面での親切に、勘違いして再訪を繰り
返すなど論外である。
 立山は今日も良い天気。そして温かい。前大日と奥大日が重なり見えている。


 結構な雪である。山水が断水しているので流せないから大変な今冬だ。 車庫の屋根も雪がずいぶん減って軽々してきた。
 


1/18
 昨日一日は体調不良で寝込んだ。別にどこがどうのと云う症状が有った訳ではなく、風邪の時の関節痛に似ただるさ
が続いた。
 前夜インナーダウンを着込んで寝て、寝苦しかったのは暑かったのかも知れぬと、、インナーは脱いでオカカ手製のウ
ールのベストを着て寝たら、ぐっすり眠れた。朝は少し寒く眠りも浅かったが、今朝はこの冬一番の寒さだった様だ。
 所謂放射冷却現象で、7:00には-5.7℃まで気温が下がった。
 朝から陽が出て。新雪面に弾け散る陽の光が賑やかで、心楽しくなる。
 体調不良もほぼ癒え、朝一番でドローンを上げて立山を撮った。
 我が家からの角度だと丁度鍬崎山の背後から陽が登るので、早い時間の立山は白衣を着ている上に低い位置からの
陽光が斜に当たるため逆光のように滲む。順光の立山を撮りたければ午後からの方が良い。
 でも待つことができない親爺であった。
 今朝の村の様子。立山に背を向けて取ると綺麗だ。
 道はバリンバリンに凍っているが、スキー場を目指す車が多く、もう十分安全に通れるようだ。


 地上高度を40m程まで上げれば立山はほぼ見えるが、剱と薬師は村の中からは見えない。


 常願寺川が凍ることは無いが、南側の日陰の中の細流は凍っているだろう。


1/16
 昨日の風邪っぽい症状は、熱も平熱だし取れたようだ。
 今日は青空が広がり昨日降った新雪に陽光が射し弾け窓外はまぶしくて目が開けられぬ程だ。山里とは言え標高は
400mあまりだから、雪目にやられることも無かろうが、まぶしい。
 昔のウサギ猟はこんな日が良いとされた。針葉樹林は枝から雪がドサドサと落ちるので、ウサギは比較的雪の落ちな
い見通しのきく落葉樹林にいる。しかも深い雪で動きがのろくなっている。だから捕りやすいのだ。
 でもスキーを履いているとはいえ猟銃を背に負う猟師の方も動きは良くない。結局運を頼りの猟だ。
 でもやはりこんな日は他の日よりも良かった。2羽以上の複数のウサギを捕り、意気揚々と帰途に就いたものだ。
 今は昔の話である。雪が降って喜んでいた頃だから、40代の頃のはなしである・・・。
 さて昨日は映画も観たし、今日は何をして過ごそうか・・・。
 外の明るさが嬉しい。


 不動の山の上部の広葉樹林、かつてのウサギ猟のエリアだ。


 よく降ったものだ。1月の寒中故当たり前なのだが。          我が庭も今年は山水が断水。
 


1/15
 昨夜ベッドに入ってから急にくしゃみが出て、何となくゾクゾクと悪寒が来た。
 やばい熱が出てきたかなと思って、インナーダウンを着込んでベッドに潜り込んだが、嫌なゾクゾク感はとれない。
インフルと云っても予防注射はしているし、人と会う事も滅多にない親爺である。で、市販の総合感冒薬を飲んで
ぐっすりと寝込んだ。
 今朝も何となく体の節々が痛いが、食欲も普通通りだし、のども痛くはない。様子ながめにカロナールを飲んでおいた。
 この後普段通り、居間にマットレスを敷いてその上で毛布を羽織り横になって過ごそう。
 床暖が心地よいはずだ。
 まあ、隠居ならではの治療方法。若い皆さんは速く医者へ行ったほうがよろしい。
 雪降りて山里の村は埋まりゆく


 折角昨日雪下ろしをしたイッチャン家にもまた雪が降り積もる。


 我が家の石段通路も、今年は山水が来ないのであっという間に白くなった。 どこもかしこも雪。流石雪国。
 


1/14
 オカカが買い物に出かけた。親爺は床屋に行って途中にあるGSで灯油料金を払ってきた。何とはなしに雪が少なく
なっているので、普段の生活に戻れたようだ。
 床屋は今となっては数少ない情報の拾いどころ。一昔前のスキー場の様子が様変わりしている旨聞いてきた。
 やはり県営ゴンドラが撤収されたのが大きい様で、色々痴愚h具になっている様だ。
 それでも今年は久しぶりに雪が多く降ったので少しは賑わった様だが、かつての様な潤いは期待できないようだ。
 古い知人も何人か旅立っていることを聞いたし、世の中はいろいろ変わっているのだ。
 我家の融雪装置の溶け残りも早く落ちてくれればいいのだが・・・。


 閻魔堂の石段脇に鎮座する不動明王。誰かが花を供えている。 冬の布橋。今シーズンはブルーシートで手すりを覆っていない。
 


1/13
 長女と婿どの方の姉妹とは仲が良い。何れも子育て世代で、様々な情報交換などをやっている様で、よく合同で彼方
此方へ出かけ、こどもたちをあそばせたりしている。
 で、昨日は立山山麓スキー場で我が孫にも初スキーを教えて呉れた様だ。
 親爺がもう少し体力が有ればいくらも教えたいのだが、オカカも体力の限界を過ぎると判断、若い連中に任せた。
 尤も、婿殿は勉学一筋だった様だが、SちゃんAちゃんはトモにスキーのレッスンプロの資格を持つ、元国体選手。昨日
送られて来たビデオを見ていても上手に教えている。爺や婆やママが教えるよりよほど良い。
 川向のスキー場は粟巣野スキー場が古く、その後極楽坂スキー場が出来た。
 その二つのスキー場の間に、富山県がゴンドラをかけて県営ゴンドラスキー場とし、その後も色々あって立山山麓スキ
ー場とか、言っていた時期もあるが今は何とかまた別の名を名乗っている。
 ゴンドラは県が手を引いて解体され、今はないがまあ何とかスキー場が運営はされているようだ。
 我が家のある山里から立山大橋を渡って行けば5分で着く。
 昔は知り合いばかりが多かったが、今は代替わりやら何やらで知人も少なくなった。
 もうスキーなどもとっくに引退しているだが、オカカともども第一ゲレンデで運動がてら毎日二三本滑ればいい。
 と、思っているだけデアル。
 アフタースーは雪遊び。



 

 東京の孫はまた伊豆に出かけた。もう畳連鎖案の様で、昭和の雷族のような恰好までさせてもらった。
 


1/12
 一時は117cmを記録した我が山里の積雪も、昨日の陽光に溶け、今は94cmになった。気温こそまだ氷点下だがこれ
から徐々に上がって来るだろう。
 今日も午後からは晴れマークが並び良い天気になるだろう。
 雪が減ってくれればこれほど嬉しいことは無い。スキー場は大喜びの様だがもう十分だろう。
 今日からは大相撲初場所が始まる。野球がオフシーズン故スポーツ観戦がめっきり減って、何となく寂しかったのだが
相撲が始まればまた半月ほどは、我が家の居間の桟敷席で観戦できる。
 郷土力士の朝乃山はまた休場。怪我が大きかったからやむを得ぬが、横綱なら許される休場も、大関以下ともなると
手加減なしに降格となり、我が本尊殿は三段目という訳だ。
 まあ、相撲協会の事は解らぬが、色々な不条理がまかり通る特殊な伝統世界である。伝統を守ろうとすれば無理が出
て来るのは相撲協会だけではなく、歌舞伎界、華道、茶道の家元制度等々まだまだあるのだろうが、伝統だからこれを
守るのが当たり前とは中々行かぬ社会になってきている事は確か。
 多くの価値観が有って、それが決して一つだけが正しいという事のない世界ならいいが、何でもかんでも好き放題と云う
のも又迷惑な輩が多く出て来るだろうし、まあ全てほどほどが良い。
 雪もほどほどで、もうすっかり飽きているので、これ以上降らぬでもよい。
 立山もすっぽり雪に覆われている。


 雪はずいぶん減って一段落。


 月が大日のうえに出ていた。


1/11
 今日は久々に雪が止み、青空が見える。
 眩しい陽光が低い位置から物干場の仕切戸やカーテンを抜けて、親爺の顔を直撃する。眩しくてくしゃみが出る。
 陽は射せども気温は上がらぬ。朝の放射冷却で、冷え込んでいるのだ。
 それでも午後にかけて、木に被っている雪も、屋根の雪も滑り落ち始めるだろう。
 親爺は古いカーディガン再生のウールのベストをフリースの下に着こみ、その心地よい温かさにうっとりとしている。
 また昼寝の時間が伸びるかも知れない。
 何事も無し。長閑である。
 もう少し綺麗に晴れたら、ドローンを上げて見るかな。まだ立山は見えない。


 マアこれだけ積もれば芦峅寺も面目躍如也。車庫前ではオカカが頑張っている。
 


1/10
 まあ、大雪だろう。1/10に117cmの積雪である。
 7日の昼過ぎから降り出した雪は、間欠的にではあるが、今日の早朝まで降り続いた。10:00過ぎの現在は雪も止み
僅かながら灰色の空が明るみ、惜しみながらちらちらと青空も見せている。どうやら三日半ほど降り続いた雪も一段落
した様だ。これ以上降らすと冬の神様も嫌われ、疫病神扱いとなるところだ。
 親爺も毎年冬の神様に悪態をついているが、まあ夏の神様(あまり聞かないが)よりは遥かに親しみがある。
 親しすぎて悪態もつきたくなる訳で、その分大雪と云うしっぺ返しを食らわされている。
 今、11:00少し前急に陽光が射しこんできた。嬉しい。
 雪もかなり沈み嵩を減らすだろう。
 まだこんな繰り返しは一月の余も続くのだろうが、春を待ち焦がれる気持ちはますます強くなる。
 これは今朝のオカカの仕事。車庫の屋根の淵を掻き落とし綺麗に片づけた。


 もともとはこんな風だったのだから、オカカも頑張ったものだ。向かいの高橋家を見る限りまだ雪下ろしは不要だ。
 


1/9
 雪が降り始めて三日目の今日だが、ついさっき一時的に日が出て30分間程だけ晴れて見せた。
 そのつかの間にドローンを上げて、我が家の屋根の積雪状態を確認してみたが、しきりに入れたり切ったりしている
融雪装置ではあるが、ここ三日は入れっぱなしであるので、効果はてきめんに出ていて、雪下ろしなどは全く縁がない
程には屋根の雪が減っている。
 融雪を入れていない家々の屋根も親爺の眼から見ればまだまだ雪下ろしなど不要だが、気の早い奴はソロソロ屋根
へ上がるかもしれない。
 ああ、又本降りになってきた。
 外の降雪を観ていると気が滅入る。春がだんだん遠ざかってゆくような気がする。
 雪を見て喜ぶのは余り雪に降りこめられる経験のない人たちであろう。
 それにつけても「雪見とはあまり利口の沙汰で無し」と江戸の昔から言われているのを思い出す。
 近所の大イチョウも大欅も冬枯れの枝に雪の花を咲かせて凍えている。


 若い友人のモリヤが、毎朝、親爺の車庫の前と玄関前の石段を綺麗に除雪してくれる。有難し。


 つかの間の晴れ間が出て、ドローンを上げて撮った今朝の我が山里の景色。立山は厚い雲の向こうだ。
 


1/8
 今日から雪が降り始め、可成り積もるだろうとの予報が出ていたので、昨日から医院やスーパーへ出かけ、当分薬や
食料で困らぬ様にして置いた。
 親爺もオカカも年が行った分、備えに気を付ける様になり、雪に降りこめられる日々も出来るだけ心配なしに過ごせる
様に心掛けている。
 まあ、二人で食う分だけなら、何とでもなるし、夜も凍えずぐっすり眠れるよう寝室とベッドにも工夫をしている。工夫と
云っても、温風ヒーターを焚いてその暖気をダクトを使ってベッド内へ取り込むだけのことだが、就寝前1時間程これをや
っておくと、温かくて直ぐ眠れるようだ・・・とはいっても寝床読書の癖は治らず、ついつい夜更かしをしてしまうのだが。
 まあ、外は吹雪いていても暖かい家で眠りに付ければ、何の不満もない。
 なるべく外には出ず、読書などで時を過ごすのが最近の親爺流越冬術である。昔みたいに鉄砲肩にスキー履きで野山
を駆け回る元気はないが、これはこれで落ち着いた良い時間である。
 若い頃読んだ本も今読み返せば別の本の様だし、電子書籍のお陰で本が実に手軽に手に入る。
 72歳になって冬の居間の周りには、そんな温かいゆっくりした時間のみが流れている。
 外は雪でも家の中に居れば温かく過ごせる。


 玄関先の出入り口の石段は除雪してある。孫たちが正月に遊んだカマクラはもう名残だけ。
 


1/7
 今まだ気温は高く、雨が落ちてきたりしているが、今夜半には寒気が入り雪が3日程続くらしい。
 そこで、まだ数日余裕はあったが、親爺は薬を貰いに掛かりつけの医院へ出かけ、一月分の薬を貰って来た。オカカ
も買い物に出かけ、今道路状態の良いうちにと食料を数日分調達してくるそうだ。未だ正月の買い物の残りも有るので
まあ、補充と云った処だろうが、備えがあれば1週間以上くらいは雪に降りこめられても平気で居られる。
 北陸のそれも立山の麓の山里暮らし。雪には毎年降られ苛められる。これは宿命だ。
 芦峅寺の山里に住み暮らしている以上雪との付き合いは避けられぬ。せめて冬だけでも暖かい所へ逃げ出そうと思う
事もあるが、この年になると知り合いの居ない処で暮らすのも寂しい気がするし、未だ思い切れてはいない。
 雪は随分少ないが、明日から3日程雪が降り続くかもしれない。


 山里から15分も車で下ると、冬枯れの田圃が広がり雪も全くない。


 庭のカマクラもほとんど潰れてしまった。               不動の山も殆ど雪がない。
 


1/6
 昨日で娘たちも孫たちも皆帰り、我が家はまた普段に戻った。
 寂しくも有れどホッとした気分もまた格別で、二人の可愛い孫の話をしながら、元に戻ったゆったりとした時間が流れ
て行く。
 いいタイミングで山口県のFさんからコーヒーが届き、ゆったりとコーヒーを味わっている曇天の山里の鬱陶しさも吹き
飛び、熱い馥郁たる液体が鼻腔に香りを残し喉を滑らかに滑り下りてゆく。
 胃の腑に暖かさが貯えられ、コーヒーの余韻が身体に染みわたる。
 ”珈琲の熱き一杯甘き冬”とスーッと頭に一句浮かぶ。俳句の出来はこの際関係なく、自分で満足。良い朝だ。
 今朝雨戸をあけ、縁側からドローンを上げて見た。雪が減って立山も良くは見えぬが雪は多く無さそう。


 娘らは庭先に鎌倉を試み何とか形になって一晩は持った。お姉ちゃんが来た元旦には半壊状態の鎌倉だったから室内でゲームで遊んだ。
 

 今朝の山里。雨が来そうだが、雪は少なくなった未だ松の内の越中立山芦峅寺である。


1/5
 すっきりと晴れはせぬも、雪も降らず気温も筆頃にが6℃程になり、走路の凍結もない。
 次女と孫は東京へ、末娘は松本へとそれぞれの帰途に就いた。
 今次女と孫を岩峅駅まで送り、帰ってきたところ。末娘も車で出発し、もう神岡を過ぎたと云ってきた。去年29日以来
久々に親爺とオカカの普段に戻った。
 少し寂しいがこれが親爺とオカカの日々であって、普段なのだから寂しがらずとも直ぐになれてしまうだろう。
 大日も少し見えていたが立山全域は見渡せない。
 正月も親爺とオカカにとっては、実質的にもう終わりだ。一寸今日は正月疲れをいやし、ゆっくりしよう。
 早乙女らしき山が気の間から見えていた。正月五日である。


 大日も山裾がかすかに見えているだけである。


 不動山の雪もずいぶん減った。我が家の車庫の屋根も本当に雪が少なくなった。年末年始の雪は例年並みだった様だ。
 


1/4
 正月三ヶ日も明けた。山里は昨日からの雪が10cm余り降り積もってお色直しをした・・・。
 まあ、今日から二三日は雪も降らず日も出るとの予報だが、明朝は東京の次女と孫も、松本の末娘も帰る。我が家は
一気に寂しくなりそうだ。
 まあ、又親爺とオカカの二人暮らしに戻る訳で、、普段に戻るという事だ。
 去年の元旦能登大地震の事を想うと一年経った今も心が痛い。この山里でも親爺は生まれて初めて震度5弱の揺れを
経験した。
 横揺れが強かった。揺れている時間が長かった。早く止んでくれと祈った。そして怖ろしかった。
 幸い我が山里には大きな被害は無く、神社の石の鳥居がずれてその下をくぐる事が出来なくなったのが一番大きな被
害だった。立山大権現が村の被害を一手に引き受けてくださったのだろう。
 ああいう思いはもうしたくないし、子や孫にもさせたくない。
 祈るしかない。


 東京の孫と過ごす正月に黒部の孫の初の年賀状。年賀状は作品として学校で作り、家へ持ち帰ったものをLINEで送ってくれた。
 


1/3
 幸いなことにこの元旦に大きな天災は無かった。只ちょっと、長女の車のトラブルで、初もうでラッシュの中身動き出来
ぬ芦峅寺から救出に向かえず、車が身動きできぬ様になっていた隣村、千垣の親爺の旧友Iさんに連絡、救助要請。
 Iさんは大変な目に遭った様だが、何とか救出、長女夫婦も孫も我家に無事到着した。
 Iさん本当にお手数をかけました。
 我が家の元旦は孫二人の合流で、大賑わい三姉妹のそろい踏みも加わって姦しい事この上なし。
 まさにカオス状態の中それでも平和に我が家のがんたんは暮れていった。
 去年は大地震で始まった事を忘れず、今年は何事もない日々が続くことを祈った。

 正月の我が家の座敷。お節も片付けた三日である。


 元旦の夜の一時。親爺とオカカは居間にて過ごす。幼きは幼きどちのものがたり・・・。親爺はまた母校の応援、が何と今シード外の順位だ・・・。
  


1/1
 新年おめでとうございます。
 親爺もオカカも恙なく新年を迎えました。東京の次女と孫、松本の末娘と揃い新年を迎えました。黒部の長女と孫も
今日婿殿と一緒に来る予定です。
 今年は穏やかな日々が続くことを祈ります。
 外に降り注ぎ新雪に弾け駆け回り賑やかな陽光のように、今日の元旦は大賑わいの我が家となるだろう。
 令和七年の元旦に相応しく、親爺が10年前の現役時代に撮った写真を掲載。


 我が家も仏壇に末娘が正月飾りをしてくれた。


 

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