本日より新年度につき頁を改めます。
2025/04/01 親爺 拝
5/31
とうとう五月晦日である。親爺の頭の中では春もこれまで、明日には水無月となり、夏が始まる。
然したる根拠は無いが中学、高校と制服で過ごした青春期の入り口で、詰襟の上着を脱ぎ、ワイシャツ姿に
なる、衣替えが6月1日に決められており、それ以降は夏と認識していたからだろうとおもう。
あれから半世紀以上たっているが、古希を過ぎた爺様になってもその頃の感覚が残っているのだろう。
まあどうでもいい事だが明日から夏のページへ移動の予定である。
ページの移動には結構手がかかるが、まあそれもボケ防止の一環、頑張ろう。
こんな鬱陶しい今日の山里だが、孫が来るから嬉しい。
心平の真砂沢ロッジ、玄関まで2mほったそうだ。心平も50を過ぎて体力が無くなったと嘆くが、まだこんな
作業が出来るのだから、大丈夫だよ。
オカカ長女にもらったカーネーションの鉢植えを植え替えるそうだ。
5/30
今日の山里の気温は10:00現在で18℃である。かなり肌寒い天気ではあるが、穏やかである。しかし天気は
この後崩れて来るとの予報で、入山中の心平を心配していたが、電話をすると昨日下山して家に居た。
天気の崩れを察知して早々と下山したようだ。
最近大騒ぎのコメ不足だが、我が家は娘婿の大叔父が大きな米作農家なので、そこから毎年120kgを玄米
で安価な特別価格で購入している。
親爺とオカカの二人で食べるだけだから、一月5升つまり9kg有ればほぼ足りる。これで計算すれば年間108kg
のコメが有ればほぼ足りるのだが、玄米の歩留まりを考えれば90%だから120kgで丁度108kgとなる。
まあ、実際は蕎麦だったりパンだったり外食もあるから、更に少なくなるだろうがやはり主食は米である。
主食と云う考え方は日本人や米作の定着しているアジア圏では多いらしいが、麦を栽培するエリアでは栽培
収穫量が米と比べはるかに少ないので、食事は雑食で、主食と云う概念は希薄だそうな。
欧米では肉を多食するので、パンが主食と云う考え方は、われわれが米を主食とする概念とはかなり異なる。
地域地域で、食文化は大きく変わり、何からカロリーを接種するかと云う「食」の文化は多種多様であり、今の
日本は戦前と比べるとその多様性が大きくなり、コメが主食と云う概念は、恐らく希薄になりつつある様だ。
米が主食と考える親爺たちは、すでに高齢者に分類されている。
さて令和の米騒動、小泉二世が乗り出してきて如何動くだろうか。この人は少なくとも動かす力はありそうだ。
米の生産高が数年前からゼロになっている我が山里である。
隣のバラが赤い花を一つ二つ開き始めた。
5/29
二所ノ関部屋に初の横綱が誕生した。8年ぶりの日本人横綱だそうだ。
ではその8年前の横綱は誰かと云うと、稀勢の里であり、現二所ノ関親方なのだ。
稀勢の里が横綱になった時も何と19年ぶりの日本人横綱だったのだ。
初の外国人横綱は曙、その後、貴乃花(2代目)、若の花(2代目)と続き、武蔵丸、朝青龍、白鳳と来て、その
後が日馬富士、鶴竜と来る。武蔵丸以降鶴竜まで外国人横綱ばかりで、日本人横綱は19年ぶりに稀勢の里が
なるまで無かったのだ。
国技たる相撲に日本人横綱が不在の19年間、モンゴル勢が相撲界の頂点を席巻した。
相撲人気は低迷し、日本国技に相撲から日本人が目を背けだした。若貴兄弟の華やかな時代、相撲人気も
凄まじかったのだが、この一気に冷え込んだ19年間、モンゴルコネクションが存在し日本の相撲を奪おうとして
いるのではないかとさえ思ったものだ。
まあ、照ノ富士、豊昇流とまたモンゴルが2人続いたが大の里、大横綱を目指せ。
72代横綱の稀勢の里が二所ノ関親方として、愛弟子75代横綱大の里に土俵入りを指導する。
夢にまで見た子弟の姿である。
富山湾と水の貼られた水田が夕日に映える。立山からの眺めは素晴らしい。
今日も大日はようやく見えている。雪が日一日と減ってゆく。
立山連峰の峰々も日ごとに雪を減らし、夏の装いに変わって来る。
5/28
村はずれまで軽4WDでうろうろしてきた後、家へ帰って大リーグの大谷の試合を観ている。
今日は20本目のホームランを打った。リーグでももうホームランは最多で、今年のペースはやや早めの様だ。
長女を授かって、人生初の子育てで、今が一番大変な時期である。ベビーシッターを雇うとか奥さんのお母上が
応援に来るだとか、身体資本のパパの職業故パパの体調管理にも気づかいが要り、何らかの対策を取っている
だろうが、奥さんもしっかりしたスポーツ選手でった様だから、理解はあるだろう。
でも、大谷も子育ては参加したいようなタイプに見受けられるが・・・。
我が娘らも、職業婦人なので、婿殿たちも子育てには随分参加している。もちろんママ故の子育て主力は言うま
でもないが。
我が身を振り返ると、子育てはほぼオカカが主力、昭和の典型的な役割分担だった。今の世なら許されぬことは
当たり前であるが、あの頃はまだ男に甘かったのだ。
その名残が今の隠居生活でもほぼそのまま。まあ、オカカあっての我が家(親爺)である・・・。
濃い緑に覆われた今朝の布橋。
剱御前小舎では今朝までに新雪が5cmつもった。黄砂やら踏み後で汚くなっていた雪面が綺麗になった。。
前日も氷点下6℃まで下がっていてハイマツも凍り付いていた。
昨夜暖かかった山里から今朝は大日が良く見えたが、新雪は無い様だ。雪解けが進んだ。
5/27
かなりボサボサでむさくるしくなって来た白髪頭を、川向の馴染みの床屋で短く刈り込んでもらう。
すっきり爽やかになったので、出たついでと車を富山市内に向け、掛かりつけの医院を廻るも、眼科は臨時休業
だったので、内科医院に回り、血圧や血中酸素飽和度を調べてもらい薬を貰って来た。
まあ、これでほぼ半日はかかったのだが、行く先々で出会うのは老人が大半。こんな時も高齢化を思う。まあその
高齢者の中に自分も入っている事は百も承知なのだが。
昨夜は寒かったので、薄いシャツを厚手のシャツに代え、そのまま上着を着てげ掛けたので、気温が上がって来た
今は、もう暑く感じている。堪らず上着を脱いだ。
暑い日、寒い日の温度差も大きく、更に昼夜の温度差も大きい。だから鼻水は出っ放しだし身体もだるい。
風邪薬を飲むと幾分楽になると云うのは、このだるさも鼻水も風邪の所為だろう。
なんだかんだと通年して、体のあちこちが痛んだり、のどがイガイガしたり・・・どうも総合的に見ると老化という事に
他ならぬ。
さて、昼風呂にでも入ってリフレッシュしてから、ひと眠りと云うのも悪くない。隠居の特権だ。
山里はこんな天気で、立山もかろうじて見える。峰部にはガスがかかっている様だ。
綺麗だった芝桜も枯れた。バラが咲かない。何時もより雪に苛められたからか・・・。
5/26
今日は弥陀ヶ原の下部に広がる雲海に飲まれているので、曇天で肌寒い。
我が居間には温風ヒーターが稼働中だが、その隣には扇風機が並んでいる。日々の寒暖差が激しい。
親爺など温度変化に弱くなっているので、肩が凝ったり、鼻水が垂れたり、のどがイガイガしたりと、風邪の市販
薬は手の届くところに置いている。
今朝は寝違えで左首筋が痛い。左肩は放置していたら治って、今度は右肩が痛む。幸い足は何処も傷まない。
年齢とともに身体に衰えが出ることは自然な事なのだろうが、いざ我が身となって見ると実に不自由だ。
目は白内障の手術以降、車の運転時以外、子供のころから馴染んだ眼鏡が要らぬ程になった。歯はとっくに倭
人伝で、これも口に良く馴染み、固焼き煎餅だろうが干し肉だろうが不自由なく行ける。ただしガムはいけない。
で、目下の悩みの種は耳である。イヤホン型集音器を使っても馴染まず、矢張り補聴器の方が良いのだろうが、
面倒でいけない。眼鏡が不要となったら、補聴器か・・・・・。
何とも不自由なものである。
やがて懐かしい人たちの出迎えを受け、あっちへ住み替えをするまでコレはやむを得ぬことである。
とは云え未だ、あっちへ住み替えたいとも思いはせぬが。
緑濃く靄も濃い今日也。
東京の次女が、晴海埠頭公園からお台場の花火を観たそうだ。親爺はドローンの不死鳥にびっくり!!
孫は花火よりこのドローンが観たかったのだそうだ。
5/25
ガスに包まれた小雨の降る日曜日で、実に静かである。
今ドローンの登録再更新をしようとしたが、マイナポータルが上手く作動せず中止。もう飛ばす見込みのない機体
なので、登録抹消しようか、まあもう一度落ち着いて考えよう。
昨日模型飛行機に手を出したのだが、実はしばらく前まで動いていたはずなのに、送信機を弄ったら全てがおか
しくなり、設定を説明書首っ引きで弄っていたのだが何とか1機はほぼ復元したものの、最軽量機は受信機を弄っ
ている中にはんだ部分がとれてしまって・・・。一応付け直しはしたが動かぬ。で、こっちも一時休止。
どうも最近の複雑な機能を持つプロポセットにはもう理解の及ばぬ、ミキシングだとかデュアルレートだとかその他
があり、親爺の頭、古い知識ではついて行かない。
それでも懲りず又弄るのだが、これが良いボケ防止の脳トレになっている様な気もする。
まあ、暇な時間が有るから。読書ばかりではなく飛行機も弄り作って、孫の前で良い格好をしたいと頑張っている。
鬱陶しいガスで山も見えぬ。立山も全域で同じような天気だろう。
おお、おお、筋向いの車庫までガスってきた。
5/24
横綱と云う力士にとっては最高位の位は、嘗て存在せず、大関が相撲界の最高位だった。
吉田司家と云う、行事の総元締めの家が、江戸時代中期に、実力の秀でた大関に注連縄のような綱を贈った事
が横綱の始まりと云われるが、現在の様に大関の上位に位置付けされた、力士最高位としての横綱と云うのは明
治期に入って後の事らしい。色々な文献が出ているので調て見たら面白い。
親爺たちも物心ついて後、色々な横綱を見てきたが、初めて意識した横綱は初代の若の花だった。苦労人で、独
特の哲学を持ち、長男の事故死に遭遇し、歯を食いしばって首に大きな数珠を掛けて場所出場した人だ。
大鵬、北の湖、輪島、千代の富士、は親爺青年期の強い横綱たち。曙、武蔵丸はアメリカ人、2代目貴乃花、3代
目若乃花は兄弟横綱。
朝青龍以降の白鳳、日馬富士、鶴竜とモンゴルコネクションにやられっぱなしの年月が続いた(この時期は日本人
にとって暗黒の時代であろう)。特に白鳳の連勝記録は双葉山に迫り、時間の問題かと思われた時、稀勢の里がこ
れを阻止。親爺もオカカも泣くほど喜んだ。そしてこの稀勢の里が努力を重ね、ついに72代横綱となった時も涙を流
し喜んだ親爺とオカカだった。
しかしこの後の横綱は73代照ノ富士、74代豊昇龍と、またモンゴル勢が横綱を襲い、悔しい思いをしたものだ。
そして今場所石川県出身の力士、稀勢の里の愛弟子にして大関の大の里が千秋楽を待たず13連勝で優勝を決
めて2場所連続優勝となった。
これで75代目日の下開山はこの大の里に確定と云ってよい。嬉しい嬉しい嬉しい!!
この後も2勝を重ね全勝優勝とするも良いが、今までの相撲の様に、ぶちかましから出足を止めず一気に攻める
相撲を自分の型として、北の湖の様な強い横綱として君臨して欲しいものだ。
大日が見えている。雪がずいぶん解けた。
紫露草が花をつけだした。去年より遅い様だ。 今日は川向の山々も山の端まできれいに姿を出している。
5/23
山里は、立山の弥陀ヶ原の下部に広がる雲海の下に入っている為、今日もどんよりとした空の下で、昨日の様な
ガスに覆われた閉塞感は無いものの、辺りの山々も近い位置の不動山や来拝山は見えているが、川向の山々は
峰部がガスの中で見えない。
今年はこの豪雪の所為で、ワラビやウドや筍まで収穫する時期が遅れた。その伝で庭のバラも葉は青々と茂って
いて、花芽も持っているのだがまだ咲かない・・・と思っていたら、今朝2輪ほどピンクの花が咲いていた。
去年よりやはり1週間ほども遅いのだろうが、咲くことは咲いてくれたので嬉しい。
弥陀ヶ原の下の雲海が切れるどころか、ぐんぐん下へ下りだした。薄暗くなってきた山里だ。
すっかり緑に覆われた不動山。山里は緑に包まれ、大銀杏も大欅も緑葉が重そうなくらい茂っている。
5/22
釜ヶ淵地区の公民館で、飛び入りの町民検診の中、胸部レントゲンを撮ってもらっての帰路、濃霧に包まれていた
が、帰着した我が山里は、出がけは視界良好だったのに、村中ガスに包まれていた。
昨日のフェーンで、正午には30℃を超えた山里だったが、平野部の立山町町場は恐らくそれより2度以上高かった
だろう。今日は平野部でも朝の気温が20℃程まで下がったので、大気の飽和水蒸気量も一気に下がりガスが出だし
たのだろう。帰り着いた山里もガスに覆われていた。
昨日の夏日の予行練習の様な気温と比べると、今日は23℃程なので、作務衣で快適に過ごせる。
ガスって、向かいの家もぼやけて見える。剱御前小舎からの眺めの様だ。
山も今日はガスっているだろう。
熱風吹き荒れた昨日の山里だったが、立山は無風状態で視界もオールクリア。空輸作業が無事終わったそうだ。
今日の山里は濃いガスに覆われた。
5/21
初夏どころか真夏の朝の様だ。9:00の気温が29℃を超えた。フェーン現象で熱風も吹いている。薄手の作務衣
すら着ていられない。明日からは最高気温20℃程に戻るらしい。
あまりにも熱いので風呂を止めて今日はシャワーでいいやという事にした。夏に向けての予行演習である。
昨日も落語を聞きながら、寝落ち寸前にイヤホンをとって、寝込んだ。
落語もSNS上には多く、志ん生や志ん朝の親子の落語も聴き比べ?出来るし、往年の名人の十八番も聞き放題
である。東京に居た学生時代、新宿の末広亭へ二月に1度(経済的理由で)位は通い、文庫本の古典落語全集を
読み耽ったりして、可成り落語に嵌ったもので、卒業して寄席へ聞きに行く事は難しくなったが、高価なレコードを買
い込んだり、それをカセットに移し車で聞いたりと、落語はずっと好きであった。
最近は末広亭が新宿のごみごみした内にあり、人混みが凄いので、たまに上京した時に行くのは上野の鈴本辺り
が多くなった。オカカも寄席は好きだし、信太の寿司折でも喰いながら3時間程を楽しむのも良い。
でも、耳が遠くなって聴きずらいので、今は専らSNS上のものをイヤホンで聞く方が良い。ただしあの独特の寄席の
空気は味わえぬ。補聴器を作ろうか・・・・・。
大日が霞んで見えている。雪解けがどんどん進んでいる。
芝桜が綺麗に咲き誇り、庭の一隅だけが妙に華やいでいる。バラは何時もは花を開かせているのだが、漸く芽吹いたばかりだ。
5/20
富山県出身の落語家で立川志の輔がいる。NHKのためしてガッテンと云う番組の司会を長年務め全国的な知名度
の高い落語家だが、その高座は余り馴染みがなかった。
富山に居ては寄席などないし、たまにこの師匠が里帰りした時に、地元テレビ局などが県内のどこかのホール等で
立川志の輔独演会などをやる程度で、そのチケットもなかなか手に入らないし、開催されるホールなどどこにしろ車で
出かけるしかなく、駐車場もなかなか確保できない。という訳で、この師匠の噺は聞いた事が無かったのだ。
立川一門、談志師匠の愛弟子である。実力は相当なものだと思ってはいたが、聴くチャンスは無かった。
しかし最近になって、SNS上にチラホラと出ている様で、これはぜひ聴きたいと思っていて、ブルートゥースイヤホンを
試していて、非常に聞きやすく、夜具の中でも聴くことができるし、隣のオカカにも遠慮がないので、まあ、今更と云う話
だが、昨夜YouTubeで古典でも大ネタと呼ばれる「紺屋高雄」をじっくり聞いた。
想像よりだいぶ素晴らしくて、事に歯切れのよい江戸弁は、大分苦労して身に着けたものだろう。流石談志の弟子と
志の輔師匠を見直した。
決して龍角散の飲み仕草が素晴らしいばかりではない。この師匠の落語をもっと聞いてみたいと思った。
初夏を思わせる濃い緑が茂り始めた。
庭もだんだん初夏の庭へと緑濃くなってゆく。
5/19
いい天気で、オカカは朝一で我が家の竹林で筍を数本掘り採って来た。
その後あく抜きをしながらいろいろと同時進行で朝の仕事を片付けて行く。そして近頃買い込んだ充電式の高圧
洗浄機が気になって仕方なく、それを持って我家の墓へ出かけた。気になっている敷石の藻を掃除し、石灯篭の汚
れを落としたいと、頑張って出かけて行った。
何ともタフで、元気なオカカだが年相応の体調不良も抱えていて、頑張りすぎると心配になる。
それでは親爺がもっとしゃんとして、頑張って手伝えば良いのは解っているが、親爺はもう自分の体調管理だけで
ほぼ手一杯。寝たきり老人になってオカカの仕事をこれ以上増やす事だけは出来ない・・・。
まあ、老人の二人暮らしなど、どこの家庭も似たようなものだろうが、世の女性は強い。親爺などオカカに頼りっき
りである。
オカカが朝掘ってきた筍。直ぐにあく抜きを始めた。
自分の家の上棟式で、意味はよく分からないが従弟妹たちと大はしゃぎ。オイラはママと二人で、伊豆高原へ遊びに行った。楽しいよ。
大日岳の雪解けが進んだ。
不動山も緑濃く徐々に夏の山へと変わって行く。
5/18
昨日は無事上棟式も終わり、地区でも何十年ぶりかで行われる餅撒きもやって、地区のご近所さんたちにも披露
出来たそうだ。誠に目出たいことで、親爺もオカカも喜んでいる。
今朝は朝晴れていたのだが、ちょっと外出し戻ってきたらもうガスがかかり、立山も見えなくなっていた。
トモちゃんが写真を送ってくれて、それを見て立山も下り坂の天気だと思った。
でも、下山しながら送ってくれた写真を見ると、立山はまだ天気は悪くなっていない様だ。
最近村内にも観光客が多く、平日でもインバウンドが声高に団体で旧立山道を散策している。ただ通過してゆくだ
けなので、何という事もないが、ざわついていて落ち着かぬ。
京都などの観光地ではオーバーツーリズムの被害も出ている様だが、言葉のみならず生活習慣も大きく違う外国
からの大量の観光客を受け入れるには日本は狭すぎる???
経済効果は大きいだろうが、島国の日本である大量のインバウンドのもてなしには慣れていない。
ガスで山裾しか見えない剱。
山里は川向の山さえ見えなくなった。
ちょっと上品なアイスクリームは次女の母の日の贈り物。流石うまい。親爺の御相伴。
5/17
今日は長女の家の上棟式である。朝一番でその写真を送って来た。
長女、婿殿、孫娘の三人家族であるから、そう大きな家は要らない。カーポート付きのモダンな家になるそうだ。
昔は棟上げと云うと、建前(たてまえ若しくはたちまえ)と呼んでいて、我が山里でも親爺たちがまだ若い頃までは
村中から手伝いの人々が集まり、棟梁の指揮下で、材木を運んだり並べたりと色々の作業を手伝い、重機も使わ
ず棟上げをしたものだ。
今の我が家は昭和39年に爺様(父)が建てたものだ。その時の建前の様子を、おぼろげに断片的に覚えている。
母方の祖母が旅立つ直前の事で、我が家の祖母とは従姉妹同士で仲良く2人で、振舞い料理の手伝いをしてい
た姿を思い出す。
しかし建前に村中が手伝いに出ると云う習慣も、建築業者が重機を使い行うようになり、すっかり消えてしまった。
そして今では村内で新たな家が建つことがまず無くなって、建前の槌音なんぞ久しく聴いたたことが無い。
ともかく長女家族の家は、今日めでたく上棟式を行い、棟上げが終わった後では餅撒きまでするそうだ。
孫が楽しみにしている様だ。
雨の上棟式は縁起が良いと云われている。
芝桜苔むす石に何語る
春雨と呼ぶ暖かき小雨ふる 大欅大イチョウ共緑濃し
5/16
昨日の大相撲は朝之山が勝った。幕下相手故当然のことだ。
が寂しいことに朝之山と同年のライバルだった、北勝富士が引退表明をした。31歳である。朝之山も複雑な想いだろう。
しかし大相撲には素晴らしい気迫で、40を過ぎても衰えを見せぬ玉鷲が居る。モンゴルからはるばるやって来て、今で
も若い力士や、横綱大関を脅かすけれんみのない相撲が持ち味の大力士である。
衰えを見せぬ体が素晴らしいし、その気迫がさらに素晴らしい。
どうかこの人を見習い、頑張って欲しい我が郷土力士朝之山である。
良い気候で親爺もついにフリースを脱ぎ、作務衣で過ごしている。暑くもなく寒くもない、本当に良い気候だ。
今宵は我が家の竹林で採れたタケノコでオカカがタケノコ飯を焚いてくれるそうだ。
タケノコ飯にタケノコの味噌煮、ウドのきんぴら、ワラビの醤油漬け。山菜づくしの我が食卓也。
”竹の子の鍋二つ煮てウトウトす”
タンポポも綺麗に咲いていると、そこの草も刈れなくなる。山里は緑あふれる良い季節だ。
5/15
昨日郷土力士の朝之山が幕下相撲で負けた。大変ガッカリした。
この人は強い時は桁違いに強いのだが、全く予期せぬ格下の力士にも負けることがあり、それがトラウマになるのか
その力士を苦手とする事がある。
昨日の相撲も立ち合いから気迫に欠けた。可笑しな体制になってからジタバタしても遅い。幕下力士と云えどもプロの
力士である。日々精進を重ね体を鍛え、技を磨いている。
が、元大関、不運なけがで番付を下げたとは言え、相手は幕下だ。気迫を込めた立ち合いから隙を見せず前へ出れば、
そう簡単に負けるわけがない・・・。
この朝之山には大先輩にあたる同部屋の横綱、朝青龍がいた。一寸時期は異なるが比較的小柄だがその相撲は気
迫に溢れたものばかりだった。その気迫故荒っぽく、所謂ヒール横綱ではあったが、「体の小さい俺が、身体の大きな相
手を負かすには、一番一番相手を殺すほどの気持ちでやらないと勝てないよ。」とインタビューに答えていた記憶がある。
この大先輩の爪の垢を煎じて飲ませたい。今31歳、精々頑張って後5年が勝負だ。
その5年で何処まで上がれるものか、同郷の実力を秘めた力士に期待せぬ者はいない。
横綱、大関などとは言わぬ。せめて幕内に定着し、大物を食って欲しい。
花を楽しんだ桜は、花が散っても今は新緑に輝いて、又目を楽しませてくれている。
昨日6歳になった東京の孫。元気腕白それが一番。
4日前までは我が家に来ていて、黒部のお姉ちゃんと遊び回った。
5/14
やっぱり夢枕獏は面白い。昨夜はベッドの中で2時間程、陰陽師を読み始めた。随分前に読んだ本だが、すっかり筋
等を忘れており、所どころデジャブ―のような感じもあるが、面白い。
親爺の単純な頭が夢枕モードになっているからだろうか、面白くて寝落ちする寸前まで読んで居た。
今日も高曇りながら山里は良い天気で、暖かい。
10:00で、23℃程の気温だから温かいを通り越して、暑くなるのかもしれない。もちろんストーブは既に消してある。
葉ワサビを摘んで、ワサビの爽やかな辛さを味わって、ワラビを摘んで醤油漬けやら昆布〆で楽しんだ。さて、次に来
るのは独活で、これも村内の同い年ツネや心平からの頂き物で堪能した。で、まだ見ぬなと思っていたタケノコだったが
昨日オカカが買い物に出て、朝堀のタケノコ2本を買ってきて、あく抜きをし、今朝は味噌煮を作っているが、更に今年は
遅い山里のタケノコもついに出て、オカカが我が家の竹林から2本を採ってきて、味噌煮をしている隣であく抜きをしている。
何とも良い春也。親爺やオカカには最高の時季也。
青々と緑輝く中、オカカはタケノコの味噌煮を作り、隣で親爺はキャラ蕗を煮ている。
長い厳しい冬を辛抱した年寄二人に、天の与え給うたご褒美の食材。感謝しゆっくり味わい頂こう。
庭の柴桜も綺麗に咲き出して、我が庭も少し華やいできた。
今朝採って来た我家の竹林のタケノコをあく抜きする。 隣の鍋には昨日買い込んであく抜きしておいたタケノコの味噌煮が煮えている。
外は新緑が日々色を濃くしている。
立山はまだまだ雪の世界也。
5/13
昨夜1週間ほど前から、読み始めていた「沙門空海唐の国で鬼と宴す」と云う夢枕獏の作品四巻を読み切った。久々に
面白くて作品に引き込まれて読んでしまった。夢枕氏は「陰陽師」の著者であり、ファンタジーっぽい、或いは怪奇小説かも
知れず、と云った作風もあるが、ジャンル分けする必要はなく、ああ、陰陽師の作家といった印象の方である。
文章の切れが良く、読みやすい。
だから漢詩がちょくちょく出て来るこの沙門空海・・・も漢詩には全く縁のない親爺でも何とか読み飛ばすことなく、読み進
む事が出来た。実に壮大で、時空を超えて楊貴妃や李白、白楽天、などが出て来る。
怪奇現象も高大な綿畑の地中から突然兵馬俑が這い出して来り、猫が一家を乗っ取ったり・・・いやいや実に面白い。
作者が自身の作品のあとがきで、こんな重厚で壮大な小説は書いた本人が一番驚き見事だと感嘆しておられる。実にこ
の沙門空海・・・は執筆開始から完成まで17年間の時間がかかっている。それを聞いただけでも大作だと確信した。
シンプルな親爺である。今度は陰陽師を読み返そうと思っている。
暖かく、10:00には気温は20℃近くまで上がっている。
大日も稜線部は黒々してきている。
綺麗な新緑の季節となった。晴れ間にこの新緑を通り抜けて来る風は、青臭さまでが清々しい。春の女神の匂い也。
5/12
雨が降って、辺りが梅雨のような景観だ。庭の材木石の淵に柴桜が芽吹き始めたと云うので、写真を撮ろうとしたが外
へ出れば濡れるので、縁側から撮った。
庭の隅の押さえの様に材木石が立ててある。庭を改修した時に池を埋め、その脇にあった材木石をここに移したのは
元薬品会社の取締役までしながら早期退職して、実父の跡継ぎをした親爺の従兄である。
今朝見ると綺麗に苔むした材木石が存在感を示し、その下に芽吹いて来た柴桜はあまり目立たなかった。
まるで梅雨のような光景で、親爺の貧しい連想からチェリッシュの歌を思い出した。古都の夕暮れとか何とか云ったと
思うが、タイトルはよくわからない。で、チェリッシュが聴きたくなって。イヤホーンで今聞いている。
懐かしい曲だが、疲れた。聞くのも体力が居る・・・。エッチャンの高く澄んだ澄明な歌声とマツザキクンの柔らかい声が
上手に絡み合い、素晴らしい抒情詩を歌の中に拡げる。
しかし聞き手たる親爺は老いて、詩の中に情景を紡ぐ能力も廃れ、耳もいけなくなっている。
聞き手は老いても、詩は若い時のママである。
最近ごくまれに二人をテレビの中に見ることも有るが、所謂昭和の想いで番組である。若々しく作った姿が痛々しい。声
も往年のものではない。それでもチェリッシュはチェリッシュである。新曲は聞きたくない。往年の歌を今の声で聴きたい。
その方が老いた聞き手の耳にも心地よく響くかもしれない・・・。
石の庭小止みなく小ぬか雨ぬらすから・・・・・。シバザクラは今、萌出たばかりだ。
母の日のカーネーションの嬉しけり吾子抱けるごと花束を抱く
雨の降る新緑の山里である。しっとりと大気が澄んで、その中には僅かながら若葉の香も漂っている。
5/11
今朝から孫が一緒に居るので、賑やかである。
しかも二人の孫が同時に居て、次々と音がする。足音、話し声、叫び声・・・。
普段オカカと二人だけでの生活なので、孫たちが来ると云うと嬉しくなり、見ていると可愛いし、甘えられるとついつい
鼻の下が伸びて何でも願いをかなえてやりたくなる。
願いと云っても、お八つが欲しいとか、おもちゃが欲しいとかで、ジジババの力で簡単にかなえてやれることだけなの
だが、子供にとっては甘々なジジババだから大好きなのだ。
まあ、遠からずジジババのそんな魅力も時間とともに薄れ、ついには爺ババは面倒を見てやらねばならぬ存在にな
って来る。
カッコよく頼りがいのあるジジババで居るのもなかなか難しい事だろう。
時の流れには抗えぬ。孫はすくすく成長し、ジジババはユルユルと老いてゆくのが摂理である。
願わくばその摂理のままにできるだけ緩やかに、穏やかな時が流れることをを祈ろう。
大日もずいぶん黒くなって来た。
昨日は仲良く遊んできたようだが、今は小競り合いの最中・・・子供同士の世界もなかなか大変だ。
新緑のいい季節。今日は気温も山里では16℃ほど、ちょっと肌寒く過ごしやすい。
5/9
今朝は東京の孫に起こされた。
いつもこの孫は朝が早く、6時代には起きている。早速飯を食い、飛行機飛ばしに出かけた。
飛行機と云ってもゴム動力機。村はずれの立博の園地で十分遊ばせられる。平日だから観光客もいまいと思ってい
たがインバウンドらしき夫婦連れが散策していた。
件の飛行機はゴム動力ながら保育園児が遊ぶには十分。少し調整してゴムを巻いてやると、ひどい手投げでもそれ
なりに飛んでくれて、孫は満足していたようだ。
村はずれでゴム動力機を飛ばしたのは親爺も久しぶり。もう30年も昔に、一時期ゴム動力機に凝って、ピーナッツス
ケール機を作ってここで飛ばしたものだ。四十面下げた親爺が村はずれでゴム動力機を飛ばして喜んでいるのだから
奇妙な目で見られたかもしれぬが、村内の連中なので平気だった。
今は70を超えているので、隠居の暇つぶしの趣味である。孫を連れての飛行機遊びだから楽しいし、一目など全く気
にならぬのが良い。
自分で手投げしてよく飛ぶと嬉しい様だ。
明るい新緑の中気持ちの良い天気だが、午後には崩れるそうだ。
5/8
一昨日の立山はだいぶ降った様だ。山里の村でも一晩中かなりの雨が降っていて、朝まで少し残っていたから立山
も夜の間はゆきで、剱御前小舎辺りでは吹雪いたようだ。
昨日は天気が回復して、元気なトモちゃんは剱沢へ一本滑って来たそうだが、GW明けの新雪で、人もおらず、贅沢
に剱沢独占して滑れたと喜んでいた。随分爽快だった事だろう。
親爺が長年使っていたラップトップのPCが壊れた。電源が入らなくなったのだ。まあ修理も効くのだろうがwindows7
なので如何したものかと考えている。
昔日の一太郎や、使い親しんだソフトも多いが、写真データーなどはバックアップしてあるのでまあ、未練はない事も
無いので、しばらく様子を見よう。
今どきのPCは処分すると云っても、データーを完全消去してからでないと難しい。何とかハードディスクだけ取り外し
不燃物の小型家電で処分してもらおうか等とも考えている。
机に設置してあったラップトップだから配線が多く面倒だ。机裏の掃除だけでも結構な時間がかかる。
朝、二階の親爺部屋から大日を望む。未だ上部には高山性のガスが出ていたが、今はピーカン。
別山乗越はだいぶ吹雪いた様だ。剱御前小舎前の公衆習便所も凍てついている。
剱御前小舎裏側、剱沢側にも結構な雪が吹き付けた。
5/7
昨夜立山には新雪が降ったのだろう。室堂のライブカメラではまだ結構な観光客と思しき人が居て新雪を踏み楽し
んでいる。雄山山頂はレンズに雪がついて何も見えないし、弥陀ヶ原もガスに包まれている。
我が山里も昨夜は雨が結構降っていた。今朝まで少し残ったほどだったが、今は青空が出てきて、陽が射してきて
いる。
ワラビ採りのオカカが汗だらけになって帰ってきて、ワラビは1200gも採って来た。室温はストーブを焚いて19℃ほど
だが、オカカには暑いらしく隣の台所が涼しいと、そこでワラビを洗ったり、軽量したりとごそごそやっていた。
ストーブは消しても良いが、ワラビのあく抜き用のお湯を沸かしているので、そのまま。親爺は有難い。でも気温は
上がっているので、ストーブはそろそろ消しても良いだろう。
と、考えて見るとこの春は寒暖の差こそ大きいが、寒い日が結構多く。我が家はストーブの焚き方でそれが分かる。
天気予報も中々長期予報の方は当たらない。来週からは少し暖かいを通り越した暑い日が来るのだろうか。山里
の気温しか知らぬ親爺なので、平野部の気温とは2〜3℃低くなるのは仕方ない。
今朝はまだ雨が少し残っていた。
が、徐々に青空が見えてきて、陽も射して来だした。 オカカが又鉢植えを買ってきたサフィニアと云うのだそうだ。
今朝収穫のワラビ。しばし水につけ、綺麗にゴミなどを洗い流す。この後、重曹と熱湯であく抜きを一晩。
実に美味い、季節限定の山の幸也。
5/6
GW最終日となって天気が崩れた。
GWに行楽に向かった皆様も、多くの方々は今日は行楽疲れを癒す休養日としておられる事だろうから、かえって
こんな天気の方が気楽に休めるのではなかろうか。
新緑を小雨が濡らし、緑はいよいよ輝きを増し、しっとりとした清浄な大気が漂う。少し肌寒いくらいで、過ごしやす
い日だ。
毎日のんびりして過ごしている親爺ですら、こんな日は心落ち着く。
今更ながらだが、今日はゆっくりと過ごそう。
雨に濡れた新緑から人の心を安定させる様な気が出ている。
銀杏の緑も雨に濡れ生き生きしている。
昨日末娘とオカカが採って来たワラビ。半分は今朝醤油漬けにした。末娘に持たせる分だ。
5/5
今日は子供の日である。穏やかな良い日に恵まれて立山を目指す車も多い。
昨日帰った黒部の孫は、今日は黒部の従弟妹たちと、何処かへ出かけるらしい。東京の孫はまだ自宅待機中だが
ジジババからの子供の日のプレゼントが届くので、大人しく家で待機しているかもしれない。黒部の孫へのプレゼント
もすでにママが管理しており、今夕手渡されるだろう。
それぞれに細やかなプレゼントなのだが、こんな細やかなプレゼントが、幼い子供の日の思い出として大きく心に残
るものなのだ。ジジババもその孫の喜ぶ姿を胸に描いて、暖かい新緑の中、こどもの日を過ごしている。
平和な日本。この平和が有難い事を感謝し、思い思いのままに過ごせばよい。
先の地震などいつ降りかかるか分らぬ天災などに心囚われて過ごす時間も、心穏やかに過ごす時間も、同じ時間で
ある。折角の新緑の穏やかな時を感謝し、心穏やかに過ごしたいものだ。
異常気象、世界平和などに目をそむけはしないが、必要以上に騒がず、取り越し苦労もすることは無い。
時は移ろう。その時も親爺たちには幾ばくも残されてはいないだろうが、限られた時だからこそ愛おしい。
穏やかな新緑の朝。大日もよく見えている。
昨日、ジジババの家の帰路に立ち寄った運動公園で遊ぶ黒部。東京は熱も下がってママとランドセル選びにお出かけ・・・。
庭に生えて来たシバザクラの花。オカカが去年植たそうだ。 これは鉢植えのロベリアと云う花らしい。綺麗な紫の花だ。
5/3
見事な五月晴れの今日である。4日間続くこのGW後半の連休が始まるから、山小屋も少し混みあいそうだ。
立山といっても室堂周辺はもう観光客のエリアである。国際色豊かなインバウンドの世界と云ってもいいだろう。
このインバウンドシーズンは、雪の大谷が終わる頃には一段落する。
奥地の山小屋が小屋開け準備にかかるのは、6月半ば過ぎで、7月頭からは皆営業を始め、10月半ばまでは
営業を続ける。ほんの3ヶ月半の営業ではあるが、短期に大勢のお客様を相手にするから、色々な事が起きるし
楽しい事も、苦し事も多いので、実に濃密な時間となる。
親爺の頃は4月末から10月終わりころまで、7ヶ月足らずの営業だったが春の猛吹雪にやられ、小屋閉めの時も
雪の中を下山という事も何度もあった。
あの頃、小屋は11月の4日頃まで営業してたから・・・。今は昔の話でした。
さて皆さん、剱御前小舎止まりならきっと、今夕はこんな夕景に巡り合えますよ。
山里からも大日はこんなにきれいに見えている。
5/2
温かい日だが雲がちで、立山も見えてはいるが、何となく華やぎにかけている。
まあ、GWのどぎつい賑わいは元より望むものではないので、これはこれで良い日なのかもしれない。明日は
憲法記念日だという事が頭から出て来るのに時間がかかった。4日はみどりの日となっているが、みどりの日は
元々4月29日だったのではなかったか。昭和天皇の誕生日だったのが昭和天皇が崩御され、みどりの日となっ
たやに記憶している。しかし4月29日は昭和の日と変更され、5月4日が緑の日となったのだ。
この分だと今は単に振り替え休日扱いの5月6日も、やがて名が変わる可能性がある。何と変わるか知らぬし
それを予想する事は出来ない。
毎年毎年思う事だが、もうそろそろGWなどと云うのは考え直し、春の7日前後の連休を決めてしまえばいいと
思うのだが如何だろう。更に秋の連休も、これは5日程に決めて・・・・・。
春の連休。秋の連休。年末年始の連休(コレは8日程)とカレンダーに連休を書き込んで国民の休日とすれば
かなり落ち着き、休めるはずだ。
まあ親爺など年がら年中休みなのであまり気にはならぬが・・・。
暇を持て余してこんなことを考えている親爺だ。
若葉超し大日如来の山見上ぐ
銀杏も欅も葉を誇らしそうにつけざわめく。春が来た春が来たと今更に騒いでいる・・・。
5/1
実の気持ちの良い、正に五月晴れの今日、5月1日である。
山里の山々には新緑の木々がそよぎ、白く雪を被った立山連峰が遠望できる。
今日は実に良い日也。
オカカが友人宅のワサビ畑に葉ワサビを貰いに行って摘んできた。また葉ワサビの醤油漬けとするようだ。
昨日採ってきてあく抜きしたワラビを、昆布〆に作ったり、細かく刻んでなめ茸に混ぜたり、勿論醤油漬け
にしたりと、忙しい。
東京の孫が熱を出して、GWの帰省が遅くなった。それに合わせて黒部の長女と孫も日を少しずらす事にな
ったので、オカカの料理の予定も大幅に崩れてしまった・・・。
まあ、世の中そんなにうまくいくことばかりではない。予定泊見直しで、楽しめばいい。
3日からは末娘と、黒部の長女も来るから大筋は変わらない。ちょっと寂しいだけだ。
東京のちびに喜びそうな飛行機を注文しておいた。
大日もよく見える。良い日也。
昨日トモちゃんは剱沢を1本だけ滑って来たそうだ。ガッパ社長部隊が雪の下の公衆トイレを掘り出し成功。
剱沢も公衆トイレが使えるようになった。
4/30
卯月も今日まで。明日からは風薫る五月となる。当たり前の事だがどうもこれも怪しいそうだ。
気象の専門家と云われる方々には日本の四季が無くなるだろうとの意見が主流のようであり、これは勿論地球
温暖化という事に起因するのだそうだ。
昭和の発展途上の頃、公害と言われる様々な環境の悪化は、経済発展に伴う必然として多くは無視された期間
があった様に思う。
工場排水、生活排水が河川を汚染し、大都市部のし尿処理もほぼ河川若しくは海洋への投棄であった。
懐かしい昭和は活気あふれ、若い人々の熱気にあふれた時代だったが、今からは想像できぬ程不衛生で環境
問題も多い時代でもあった。
衣食足りて礼節を知る。この伝であろう。衣食足り生活も豊かさを謳歌するや、周りの環境が気になりだすのが
人間である。
汚い。臭い。健康に悪い・・・と気づく。
水俣病、イタイイタイ病等々工場の排水による広域なエリアの健康被害。スモッグ、ついには光化学スモッグ、な
どの大気汚染、更にオゾン層の破壊による地球規模の温暖化・・・などなど、ヒステリックな叫びをあげた少女の気
持ちも分からぬではない。
しかし現在これらの問題は、少しずつではあろうが人類の英知により改善されつつあるらしい。
目に見えることも身近にいろいろある。海洋、河川の水質改善、スモッグの軽減・・・。何分専門家ではない親爺
なので、これ以上書いても意味はないが、つまり何を言いたいかと云うと、騒ぎ立て無責任に煽るより、改善策はあ
り、現状改善されつつあることも多い事をもっともっと取り上げて欲しいのである。
いたずらに騒ぎ、改善策がないのは、ヒステリック少女やグリーンピースを名乗る狂信者と同じである。
長い冬が終わり、桜の季節も終わり、新緑の季節へと移ろう山里だ。
日々の大きな寒暖差でやや体調不良の親爺ではあるが・・・。
銀杏が緑に染まり、隣の大欅も葉をつけて来た。季節は新緑へと向かっている。
オカカが今朝30分足らずで採って来たワラビ約400g。今シーズン最後のワラビだろう。
オカカのお陰でよく食べた。
4/29
今朝はたまに陽も射したが、段々薄暗くなってガスがかかって来た山里だ。
山里は冬枯れの木々も葉を吹き出し、辺りは緑がだんだんと増え、我が庭もオカカがいろいろ手入れを始めた。
今朝もプランターに朝顔の種をまき、今年のものにはならぬがミニ水仙の球根も植えた様だ。
現在長年山から引水していた水がどこかでパイプが破れ来ていない。で、今冬の融雪水も使えず、今も水は来
ていない。老朽化した設備を直すにも労力は高齢化で期待できず、まあその中にという事で、放置したままだ。
昨日オカカが草g剛主演の「新幹線大爆破」という映画を、ネット配信の映画で観始めたので、親爺も何気なく
観ていたが、だんだん映画に引き込まれ2時間余りの映画を観切った。
いやいや、東北新幹線を舞台にした緊迫の映画で、観終わる頃には疲れ果て、その後微熱が出た。
天気の急激な気温差に加え、夜よく眠れず、腹具合もよろしくなく・・・いくつかの原因もあるのだろうが、老いると
はかくも情けないことも有ると痛感した。
昨夜はインナーダウンを着て寝たので比較的よく眠れた様だ。寒暖差に気を配り、こまめに衣類も選ばねば。
何とも情けない親爺である。
不動の山も新緑に覆われ、今日はガスがかかっている。
オカカが頑張って庭の手入れ。
今日は立山方面は見えぬ。
4/28
山里も暖かく、新緑の頃となりつつある。
世はGWで賑わっているが、今の処親爺とオカカには普段通りの時間が流れている。それでも立山を目指す車や
全く見知らぬ観光客が村中を歩いて居たりして、何となくざわついた気配は感じられる。
幸い今の処天気にも恵まれているが、本格的なGWの休日が並ぶ5月3日からは少しぐずついた天気の日もある
様だ。まあ天気予報での話だからどうなるかは分からない。
天気が売り上げに直結した、山小屋親爺業現役時代とは違い、隠居の親爺なので天気など気にすることも無い
のだが、長年の習いで未だに天気を気にする親爺である。
今、オカカが徒歩3分の我家の私有地で、ワラビを1kg程採って来た。ワラビの季節など短いので、気になって仕
様が無い様で、最近は二日も待たず出かけている。出かけるとは言えぬ近所なのだが・・・。
ワラビは暫く水につけてゴミなどを綺麗に洗い落とし、大きめのパットに並べ重曹を降り、そこへ熱湯を注いで一晩
おいてあく抜きをする。後は好きなように調理するが、癖がなく美味いものだ。醤油漬けが親爺の好物。昆布〆など
も美味いし、鰈煮つけの煮汁で煮る料理法(大分の友人のSNS)もあるらしい。美味そうだ。
春ならではの山菜料理、親爺も食うだけだが楽しみだ。
剱が青空に映える。岩と雪の殿堂と云うのが良くわかる。
山里から見た大日。雪が少なくなった。
心平がコゴミをくれた。
4/27
今日は山里も快晴。日曜日でGWに入っている様だから、朝から多くの車が立山を目指して上っていく。
親爺とオカカにとって、GWは5月の2日から。
夜に東京の次女と孫息子がきて、翌日は黒部の長女と孫娘、松本から末娘が来て、3人娘と孫2人の
5人がそろい、久々の7人家族になる。
婿たち二人は勤務の関係で来ない様だが、3日から4日、5日はGWのハイライトとなりそうだ。
6日には黒部の長女と孫が帰宅、翌日は今建てている家に入れる家具を見に行くそうだ。松本の末娘も勤務の
関係で帰宅、東京は翌7日に帰宅という事である。
普段は二人暮らし故これ以上ないほどのんびり過ごしているが、このGWは楽しい事この上なくも、食事のこと
から、段取りが必要で、親爺も少し奮発して米沢牛の焼肉をとりよせたり、オカカはオカカで小さい孫達用のお菓
子を備蓄したりと、準備も楽しんでいるのかもしれない。
とにかくこのGW、親爺とオカカにとっては家に居ながらにして娘らと孫たちを迎える、一大イベントとなる。
銀杏の新緑も綺麗だし、大欅も少し葉をつけて来た。気温も10:00で21℃を超えた。
不動の山は山桜の盛りだ。
オカカが指を毒虫に刺されながら頑張って採って来たワラビ。下処理が終わり今日は夕餉に出るだろう。
花の色のなかった庭に、ツルニチニチソウが花を咲かせた。薄紫の綺麗な花だ。
4/26
今年のGWはあまりぱっとせぬ。今日から始まりそうで、28日が平日29日には昭和の日だが、30,1,2はまた
平日で、3,4,5,6だけが連休だ。
上手く28日に有給を挟めば前半4連休が出来るが、30,1,2日は三日も有休を取れまい。精々2日か7日に
有休をくっつけて、5連休とするのが目いっぱいかも知れない。
昔の人は休日に対し、一抹の後ろめたさを持っていた。勤勉が道徳的基盤になっていたからだ。
又、基幹産業と呼ばれた土木建設業においては特定地方の作業員の多くが自家で農業もやっており、暦通り
の休みをとる事を有難がらなかった。これは雇用形態も日雇いで、働いた日には収入になるが休めば金は入っ
てこないと云う事も原因だったが・・・。
だからこの業種の連休など有ってなきがごとし。農繁期には休み、農閑期には土日だろうが旗日だろうが、出
勤したがった。いったいいつの時代の話だと云われるかもしれぬが、昭和50年代以降も平成の初めごろまでは、
こんな会社が結構多かったのだ。
週休二日、祝日休暇、夏季、年末年始休暇有などと云うのはつい近年の会社の話だろう。
親爺はもうGWも休暇も関係ない古希過ぎ人のことだから、GWには帰省してくる娘たちと家で過ごすだけ。
観光地や温泉地へ遊びに行くのは皆さんが仕事に忙しい日々を選ぶ。
休日やそれに類する日には、決してお邪魔はしない。
夕景の中の剱岳、もちろんトモちゃん撮影。
別山から望む後立の峰々。不帰の険、唐松、五竜・・・・・。
雄山主稜線。手前のピークは天狗山。その山裾の平に天狗平山荘も見えている。
4/25
ぼんやり山が見える朝だが、親爺がドローンを上げている間にオカカが近くの私有地にワラビを見に行った。
まだワラビは時期が少し遅れており、少ししか出ていなかったそうだが400g程も採取して来たので、醤油漬け
にして二人で頂く分には十分である。
ついでに傍らの清水の流れる溝に、葉ワサビが出ていたのも見つけそこそこ摘んできた。これも醤油漬けにす
れば辛い一丁前のワサビ葉漬けになり二人の食卓の彩を鮮やかにしてくれる。
ここ4、5年ほどオカカが葉ワサビや、ワラビに興味を持ち採取する様になったので、春の味が増えた。親爺な
ど喰う事には人一倍一生懸命だが、山菜の採集と云うのは昔から性に合わず、足で踏んで歩いても採らない。
それで、岩魚釣りや銃猟などとなると人が普通行かない奥地の谷や山へも分け入るのが大好きだった。鮎の
投網漁も夜討ち朝駆けの体力勝負で没頭した日々も懐かしい。何れもまあ今は昔の話ではある。
今朝は一寸ドローンを上げて見た。どうも機体が古くなり調子が出ない様だが問題なく飛行はする。
さてソロソロタイヤを履き替えに行く時間だ。
御前山三角点付近からの剱岳。トモちゃん撮影。
山桜の咲く不動山と黒く尾根が出て来た大日。
親爺も相変わらず元気づ、好きな事だけやっている。
芦峅の山里も新緑が萌え出て来て漸く人並みな春を味わっている。、
4/24
今日も薄暗い小雨の降る朝だ。
今日は月に一度の薬もらい日で、富山市内まで出た。途中までワイパーが要ったが町中へ入る時分は不要と
なった。
恐らく雲海がすっぽりと覆った格好になっていて、立山の山裾から富山平野までガスがかかっているのだろう。
我が山里は濃くガスがかかり、標高が下がるに連れ薄いガスとなっている様だ。
昨日と比べるとやや気温も低く、肌寒い程の天気だ。我が家の居間でもストーブが復活した。
体調も72歳と半になって健康寿命の平均値だそうだが、まあまあ良い方だろう。自力で移動できるし、車の運
転も支障なしだ。ただ、山登りや強度の作業はもういけない。下手に無理をすると身体を壊す。
親爺の周りには親爺より年長のスーパーマンが多すぎる。未だに毎週雪山にスキーツアーに出かけている強者
や、80を過ぎてなお現役の山小屋親爺を続ける強者・・・この方々が特殊なのだ。
上を観ればきりが無し、下を見ても切りが無し。他人に迷惑を掛けずに日々を生きて行ければ健康なのだ。
そう思うことにして、今日もゆっくり過ごす事にしよう。
昨夕の別山乗越からの景色。大日から下が雲海になっている。
山里はこんな天気で、小雨がぱらついている。
少し芽吹いて来た大欅だが未だ寒々と風になぶられている。
4/23
今日は天気が悪くなった。雨こそ降っていないがガスがかかって立山は全く見えていない。
完全に雪の心配はいらなくなって、車のタイヤもソロソロ履き替えねばならぬ。
閻魔堂階段脇の桜はあっという間に散りはててもう葉桜も末期となっている。その代わりと云うか大銀杏
がボーっと緑色に葉ををつけ始めた。
トモちゃんが入山したので山の景色が送られてきて、このHPも随分賑やかになっている。有難し。
山里もずいぶん暖かくなって、今朝も8:30まで寝過ごして、かえって体がだるい。
隠居暮らしも板につき、明日は薬もらいで富山市内まで出かけるが、それだけの事で、趣味に使う時間も
なくこのままでは頭が先に惚けるぞと心配になって来る。
プラモでも、ドローンでも良いのだが夢中で取り組めることが無くなって、頭もずいぶん回転が遅くなった。
まあ、精々このHPの文章だけでも書き続けよう。幾らかは脳のトレーニングになっていると信じて。
綺麗になった剱御前小舎だ。現経営者のマー君は親爺の長女と同い年。
閻魔堂石段脇の桜。今年も花を楽しませてくれた。
近所の大イチョウがぼんやりと緑葉をつけ始めた。
紫陽花が緑にぐんぐん育っていく。”雪解けて庭に緑の蘇り” 心平が剪定してくれたおかげで切り倒しを免れた柘植の木。
4/22
大分県国東に学生時代の親友が住んでいて、その奥方がSNSで、日々の暮らしを紹介しておられる。
先だってそのSNSで「お接待」という行事について紹介しておられた。
仏の里と呼ばれる国東には六郷満山と云う神仏習合の信仰があり、それは古い山岳信仰、天台宗系修験、
浄土思想の融合されたものだとの事。その伝統の中で、「お接待」という行事も受け継がれているそうだ。
当番制で6つの郷それぞれに接待所を設け、弁当など配ったり、子供らにはお菓子を配ったりとするのだそ
うで、お接待とか接待所などと云う言葉は、四国巡礼の中で聞いた事はあるが、立山信仰の里とされる我が
山里ではあまり聞いた事のない言葉であった。
ただ、年に何回かは立山中宮寺七堂伽藍の中、唯一の現存する閻魔堂で、それに類したことが行われて
いた様で、オカカにいろいろ尋ねたら、お彼岸の先祖供養の「祠堂経」を上げ昼食を当番の人が作り、持ち寄
り参拝者に振舞ったそうだ。ただしこれはオカカが嫁に来たての新妻の頃で、主導権はまだ姑たる母にあり、
その母の年代の人たちが取り仕切っていたからオカカは顔見世程度で、しかし我が母の旅立ちが早かったの
で交代は早かったそうだ。
その彼岸の昼食準備や、お召替えと呼ばれる姥尊像の白い衣の取り換え行事(神仏習合の色濃い行事)に
は参拝者全員に弁当を配っているそうだ。ただしこの弁当は業者に外注しているのだそうで、昔ながらの持ち
寄りや、厨房での共同制作は無くなっている。
閻魔堂行事などは殆ど村の女性たちの手で行われていて、男が口出しすることは無かった。だから詳細は
分りかねるが、嘗ては150戸を数えた大きな集落だったため、立山信仰は日本全国に信者がいたが、村内
の行事として行われていた小行事は村内だけで完結していたのかもしれない。
勿論大分国東の行事の様に、未だに連綿と受け継がれている行事は少数派だろう。
我が山村も伝統行事など、もう廃れる一方である。
剱御前小舎の小屋開け作業が進む。稜線部の雪が少ない。
不動の山の山桜が白く咲き、もう盛りを迎えている。 屋が庭の、ミニ水仙一輪のみ、健気なものだ。
4/21
一昨日は昼過ぎに3ヶ月ぶりに黒部の孫がお泊りに来た。小学校二年生になったが、身体が大きくなっただけ
で、基本的にはあまり変わっていない。英会話の外国人教師が来ているが、殆ど日本語が出来ないので頗るコ
ミュニケーション能力の高い孫娘が、給食の時のテーブルで隣に並ばせられたそうで、PTA参観日にその様子を
見たママはそのコミュ力を目の当たりにしたそうだ。「マイファーザーレッグイタイイタイ」とパパが地域の獅子舞で
足を捻挫したことを説明していたそうだが、その豊かな表情と、物おじせぬはきはきした説明で、先生には凡その
意味が伝わっていたそうだ。「リンカは私の日本語の先生」とママに挨拶してくれたそうだ。ママも一応英文科卒な
のだが、会話となると普段使っていない分とても流ちょうには行かない。親爺の得意なJannglish(じゃんぐりっしゅ)
の方が通じるだろう。
と云えば、孫娘のコミュ力英語も爺のJannglishの流れを汲んでいるのではとふと思った。英語など簡単な言語だ
と呑んで考えれば良い。あるだけの単語を駆使すれば文法などあまり気にすることもない。
人は語りかけられると言語はどうでも、幾分は解るものだ。必要最小限に意思の伝達など簡単だ・・・爺は孫の
赤ちゃん言葉を理解し、赤ちゃん言葉でこの孫と会話していた。
ジジの血を受け継ぐ孫の英語に期待しよう。
待ち待ちて漸く咲きたる桜花早花散らす待てと云いしに
地本のお祭りでパパの扮した獅子舞に頭をかんでもらって無病息災。ジジババの家に遊びに来て近所の枝垂れ桜に感激!!
深海魚が大好きになって、沼津の深海魚博物館に来たよ。トリックアートが凄い。
深海にはこんな魚がいっぱいだ。もうあんまりビビらなくなったね年長さんだから。
4/19
昨夕トモちゃんが我が家を訪ねてくれた。ヘリの荷揚げが遅れ、半日立山に入り足慣らしをして来たそうだ。
雷鳥沢辺りをうろつき足慣らし、その後稼いだ高度分だけ一滑りして来た様だ。去年の初ネパールの話も聞い
たが、又行きたいそうだ。隣へ通う様に行き来したネパールも、もうずいぶん行かないが、カトマンズよりも、クン
ブーがずいぶん変わった話に驚いた。もう18年も足を運んでいないのだから然もありなん・・・。
今オカカが葉ワサビを摘みに行って少し摘んできた。湿地で尻もちを搗き、そこが斜面なものだから起き上が
るのに苦労したと、汗みどろで帰って来た。収穫はスーパーのビニール袋半分ほど。水洗いして湯通しし、塩と
僅かな砂糖で揉みジップロックに密閉し冷蔵庫に入れたそうだ。オカカならではの早業也。
今日は3ヶ月ぶりに孫がやって来る。2年生になりたてだ。また可愛い話を聞くのが楽しみだ。
我が山里の桜もあちこちで満開である。我が山里にも本格的春の到来である。
庭の隅の水仙も絶滅は免れて、一本だけ花をつけた。 竹垣に絡みついているバラも小さな新芽をつけている。
鍬崎山も雪が大分落ち着いた。
4/18
今朝オカカのアッシー君で、立山町方面へ出た。
桜が散り、ほぼ葉桜になっていて、広々と広がる水田ももう引き起こされ水が張られている田も結構多かった。
我が山里の村はと云えば、漸く田畑の雪が解け、村はずれ、村内も桜が8分〜9分咲となっている。我が村内
の田畑と云っても、田は絶滅し全てが休耕田であり、幾ばくかは畑に転作されているが、元々が微々たる耕地し
かない山間地故、今は農家と云えるような家は無い。リタイア組が余りある暇を農耕に打ち込んでいるのみ。そ
れも増えすぎた野猿公やカモシカ、新手の猪との戦いの中でである。
昔は数多いた猟師も虫の良すぎる害獣駆除への駆り出しや、法律でがんじがらめの狩猟法、銃砲所持法にう
んざりして、高齢化して滅んだ。そんな中では後継者が育たなかったものだから、村の農地も害獣から守れない。
自然保護団体、学者先生たちが現場を知らずくちばしを突っ込み過ぎた。人が襲われているのにその害獣を
駆除すれば「自然破壊の手先」とされ、センチメンタルな「可哀そう」の声が大合唱。
ふざけるな、現場で獣と対峙する猟師(高齢化で若い人は殆ど居ない)がどれだけ苦労しているか知ってるの
か?自分が襲われても可哀そうだから殺さないでと言えるのか?
クマも猪もサルも立派な獣である。
家の中に入って来る熊、都会をうろつく本物の獣。酷い世の中になったものだ。
銃刀法も、狩猟法も四角四面の過剰な取り締まりと、法律遵守の教条主義ばかりでは、猟も出来ぬ、銃の取り
扱いも出来ぬ人ばかりになるだろう。
結果、増え過ぎた獣たちと平和な暮らしが出来るのだろうか。長い歴史の中で先人が築いて来た人間の安全な
生活圏はまもなく神話と化すだろう。
素晴らしい自然との共存には、弓矢や銃が大きな役割を果たして来たのだ。
浄土以南、立山は竜王、鬼、獅子・・・と続き薬師岳に至る。
富山ビューポイント??オンバダン(姥堂川)の流れがせめて見える様に枝打ちくらいは・・・。
布橋は見えるけどそのまたいでいる谷の流れも見える様にして頂きたいものだ・
4/17
我家から唯一眺められる桜が閻魔堂の石段の脇に咲く桜で、隣家の車庫の裏側に綺麗な花を咲かせている。
つい一昨々日に薄赤くつぼみが膨らんで、一部花が開いているのを観たばかりだが、ずっと曇天や雨降りの
日が続いていた所為で見逃していたのだろう。
快晴の今日は朝から暖かい陽光を浴び、もう七、八分咲となっている。辺りに杉木立しかないこの桜は、花芽
を吹くと直ぐに、小鳥たちがつつきに来るので、満開になっても左程豪勢な花の付き方は無い。
しかし背後に杉木立と、川向の残雪の山々が見えるロケーションで枝を広げ花をつけている桜は、長閑ではな
い春の心を、少し理解できるのである。”散り急ぐ桜気になる日々嬉し”
二週間ほど前までは雪解け具合ばかりを気にしていたのが、嘘にしか思えない。
今日はいい天気で、村はずれまでの一巡りで良い写真が撮れた。
貧弱な桜と笑うこと無かれ。山里の二メートルを超える雪に負けず咲き続けている桜だ。
オンバダンにはまだ雪が残る。雪解け水が谷を走っていた。
村はずれの駐車場に廻りの雪を知らぬげに花を咲かせた天晴桜。
4/16
今朝からまた曇天で、小雨がぱらついたりしている。
折角三分咲きぐらいに花を開かせた閻魔堂石段脇の桜だが青空の下のびのびと暖かい陽光を浴びさせてや
りたいものだ。
立山アルペンルートもオープンしたのは良いが、悪天候でバスは全面運休、今日も半日は運休と、幸先の悪
いスタートとなってしまった。天気に恵まれぬとこればかりは如何ともしがたい。
賢輔親爺の天狗平山荘も、導水パイプが凍結したか破損したかで水が使えず悪戦苦闘している。SNSで上げ
ている動画では、鍋他の容器に雪をとり溶かして使っているようだ。これで飲料水や調理水は賄えるがトイレが
水洗だからどうしようもない。ましてや風呂等は使えない・・・。
剱御前小舎のトイレはバイオトイレで、水は掃除で最小限使うのみである。だから融雪水ででも営業は出来た。
勿論風呂などは思っても居らず、小屋開け作業が終わって一段落した営業直前にでも、従業員だけが簡単な湯
あみが出来る程度だった。これは稜線の水なし小屋の話。
天狗平山荘は車で乗り付け出来る場所にある。天気さえ回復すればすぐ復旧する事だろう。
営業開始時期が早すぎるのではなかろうか?
一刻も早い給水施設の復旧を祈る。
山里の桜漸く3分咲き。一寸ピンボケ・・・。
天気は良くない。 オカカ高圧洗浄機で庭の掃除をもくろむ。
4/15
閻魔堂石段脇のさくらはつぼみを膨らませ、もう花を開き出していた。
雪の多さばかりにかまけて、身近にある桜木を忘れていたわけで、昨日何気なく物干場から外を眺めていると
くすんだ景色の中に桜色をボーっとにじませた木が在り、桜のつぼみが付いて花も開きかけているのに気付いた
次第である。
今朝その桜を見るのを楽しみにしていたが、卯月半ばの今日は天気が崩れて、桜のつぼみも開花している花も
ハッキリ見えてはいるが、青空を背にし、陽光を浴び輝くような姿は見えなかった。
しかし春を見せてくれた桜木である。何やら心嬉しい。
その中、もっといい写真を撮ってやろうと思っている。
豪雪を過ぎて目にせる桜花待ちて待ちて待ち待ちて観む
我が家の私有地の溝には清水が流れ、昨日オカカが本のひとつまみの葉わさびを摘んできた。
熱湯を通し塩と砂糖で揉んでラップに包み3時間、小鉢に移し醤油一振りして頂いた。
素晴らしく清々しい辛さが口中から鼻腔に抜けた。春である
親爺は牛コマで時雨煮を作った。今夜の讃岐うどんは肉うどん。 土曜日に来ると云う孫用に焼き豚も作る。これでまたジジのラーメンだ。
4/14
雨も上がり突風もやみ雲も切れた。
今日は青空が広がる、卯月半ばに相応しい気持ちの良い天気になった。
我が庭先の雪はついに解け切って、まあまだ幾分残っている処もあるにはあるが、我が山里も辺りの木々が芽吹き
桜もあと1週間もすれば咲き出すだろう。
暖かい陽光が降り注ぐので、戸外は家の中より暖かい。現在外気温は10℃程だろうが日向が温かいのだ。
明日にはアルペンルートが開通するらしいが、明日の天気は良くはなさそうだ。
天狗平山荘が水が出ないと困り果てている。大きな引水パイプのどこかが凍結してしまったか、破損したか・・・。こう
なると近代的な設備の山荘故大ごとである。
一旦入山すれば雪を溶かし水を作るところから始めねばならぬ、奥地の昔ながらの山小屋しか知らぬ親爺には、思
い至らぬ苦労であろう。賢輔親爺がんばれ〜!!
今朝雪解けの不動山を撮ろうと庭に出て、偶然航空自衛隊の戦闘機?の機影を撮った。凄まじい爺轟音だった。
黒部のお姉ちゃんは2年生。地元獅子舞のお祭りで楽しんだ。東京のお兄ちゃんはパパママと木更津へ。温水プールで滝修行?
我が家の庭も雪が完全に解け切った。
隣の謙ちゃん宅の庭雪も、もうすぐ解け切るだろう。
4/13
本日も曇天也。
突風に雨と何とも春らしからぬ空ばかり続く。気温は15℃程で雪こそ降らぬが春の気分は無い。
従弟の見舞いに行ってきた。道中には桜が満開だが、その桜を晴れ晴れと華やかに見せる廻りの環境が良くない。
青空もあたたかい南風もなく、曇天から降る雨に打たれた桜が突風にあおられている姿など情けないくらいだ。
まあ、タバコが吸えるくらいの従弟なので、そこはちょっと安心した。
帰宅後に、古い山の友人、森爺さんの来訪を受け、一しきり馬鹿話。山の仲間は良い。
さて午後は、昨日読み返そうと準備した、夢枕獏の陰陽師でも読み始めようか。
薄暗く雨の降る日に合いそうな娯楽作品だろう。
北側の庭には雪がほんの一かけだけ残っている。踏めば消えそうだが放ってある。立山もよく見えぬ。
4/12
一昨日からあまりぱっとせぬ空の下、奥飛騨経由で松本に抜け戸倉上山田温泉へ行ってきた。
初めてこの温泉地を訪れたのは50代半ばに、体調を崩し胆のう摘出手術を受け、長く勤務した建設会社を退職して
身体が戻った頃で、山小屋経営一本での生活に入って2年程経った頃だった。
すまじきものは宮仕えと古から言われる通りで、会社員など自由な時間は中々持てず親爺の様に加えて山小屋経営
などしているものだから、言うに言われぬ苦労があった。しかもネパール支店開設からネパール担当となり、会社勤務
も楽しくはあれど身体がもう一つ欲しい状況であった。その仕事の楽しさが身体を壊す事につながったのかも知れない。
一月半の入院中にいろいろ考え、社長には申し訳なく思いながらもお願いして退職。家業とも云うべき山小屋親爺業
に専念させてもらう事になった。
山小屋業は大変ではあるが、若いスタッフがもう自由な山歩きもままならぬような老いた親爺を助けてくれた。
時間は、たっぷりあり、空いた時間をゆったりと使う術も手に入れ、山小屋営業も仕舞った。
子育てもとっくに終わり孫が出来、その孫たちも大きくなってジジババ離れの時期に来ている。
嘗て、良かったお宿はいくつかあり、必ず再訪しようというお宿も多い。近くにある宿なら年に1回は訪れる事も出来る
が遠隔地にあるお宿は、中々そんなわけにもゆかぬ。
コロナと云う特殊な事情もあったが、今回訪ねた「旅亭たかの」さんへも10年ぶりくらいではなかったろうか・・・。
部屋だしシステムが個室食に変わり、和室にもベッドが導入されていたが、部屋付きの露天風呂も変わらず、勤続年
数の長い板長の、基本を忠実に守った和食の美味さも変わらず、心地よい宿りであった。
帰り着いた山里もまだ一つ天気が冴えない。
朝ごはんも豪勢だった。ゆっくり頂き大王わさびへ立ち寄った。そこはインバウンドの団体さんにびっくり。早々に退散。
山里も雪は殆ど無くなってきている。 我が庭の残雪もほんの僅かとなった。
4/9
今日は爺様(父)の祥月命日也。朝仏壇に燈明を上げ香を焚き手を合わせた。額に飾られた遺影が笑顔で
こっちを見下ろしていた。
小雨ぱらつく曇天の朝だったが、9:00を廻って薄日が射し始め、雨も上がった。予報通り晴天となるかも知
れぬ。
春だからだろうか、朝は眠たく、夜具から出るのさえ嫌だ。まるで若い頃の様だが眠りは浅いのでその気にな
れ場直ぐ起きられるが、夜具のぬくもりの中で愚図愚図してしまう。今朝など天気が悪く薄暗かったから一層だ。
昨日の夕刻、登山研究所に出向となっている山岳警備隊のK君が、文章を届けに来てくれた。
今や数少ない顔を覚えている山岳警備隊員だ。古い連中の消息を色々聞いた。若い人たちはもう顔と名前が
一致しないし、親爺たちと同年代の連中は退官して第二の人生を歩んでいる。
ゆっくり話を聞きたかったが、K君に時間がなく数分の立ち話で帰って行った。懐かしかった。
ガスのかかった不動山も何時の間にか雪が解けてしまった。
打越山もガスでピンボケ写真の様になっている。本当のピンボケだが。我が庭の最後の残雪。これぞ冬の名残也。
4/8
毎日すっきりせぬ天気が続いていて、綺麗な青空は中々広がらない。それでも気温は着実に上がっていて、寒さで
震えるような朝も晩も無くなってきている。
同じ富山でも海抜の低い平野では桜が咲き春を満喫している様だ。
我が山里は冬枯れの木が、ごつごつした枝を、高曇りの空に突き出したままで、新緑や花の話などまだ先だ。
雪は未だ、日陰や屋根から落ちてしまって固くなった軒下の雪などは残っているが、新たに空から落ちてくる分は心
配することは無くなった。それでも車のタイヤはまだ履き替えず、スノータイヤを履いたままにして置く。下手にタイヤを
履き替えた直後に、雪が降る事が間々あるからである。今更スノータイヤの減りなどと云う些末なことは気にしない。
山里の本格的な春は尚、一週間は後になるだろう。
寒々した景色の山里の今朝。
土日はスイミングスクール。お腹がすくからいっぱい食べる新2年生。ママと一緒にUSJ。年長になるお兄ちゃんは旅行大好き。
可愛い孫たちの写真に、ジジババは心癒される。
ジジババのお家はまだ寒くて、居間のストーブは焚いたまま。
4/7
今日も高曇りで、気温は高いが山はあまり見えない。
朝から大谷の出るMLBの試合を観て(親爺もオカカも何かをしながらの、乍族)、中継が終わる頃は(それが録画中
継だろうがライブだろうが)凡そ昼時となるので、それが土曜、日曜だと昼過ぎから巨人の試合が中継差されるので、
又その中継を見ながら(コレも乍族)午後を過ごす事になる。
親爺は大概、野球中継中はハイライトシーンとなる部分は集中するが、それ以外の大半の時間は本を読み乍ら、或
いはSNSで興味のあるものを見ながらと云う状態なのだが、オカカはちゃんと集中して観戦することが多い。
まあその辺りは互いに干渉することもなく、好きな様にすればいいし、又共通の話題も増えるし楽しみな野球である。
少なくともアメリカの独断専横大統領の自分勝手を是とするニュース番組などよりは面白い。それにつけてもあのトラ
ンプジョーカーに物申すことのできぬ日本の政治家にはガッカリである。
先の終戦後、日本が短期間の中に復興しアメリカの援助のもとに経済大国とまでなったことは、アメリカの恩恵はある
が、非人道的な無差別爆撃、ついには原子爆弾を使った日本の焦土化はアメリカのしたことである。戦後の日本復興
は、ある意味そのことに対するアメリカの贖罪であると考えることも出来ないことではない。
戦後80年、日本もアメリカにもっともっと物申すべきである。核の傘で守られているのは、地政学上アメリカの敵国と
仮想される中国、ロシアへの防波堤として日本を位置付けているからで、トランプと云うジョーカーに振り回されている
日本人政治家の皆皆さん、裏金や、不倫やら、収賄やらと足の引っ張り合いばかりしていても良いのだろうか???
過ごしやすくなった山里の、薄惚け爺さんさえそんな事を想う今日この頃だ。
庭も殆ど雪が解け切って、北側の庭も家の背戸へと通路が開いたので、カモシカ除けのネットを張った。
4/6
今日は曇り雨になっているが気温が高く9:00で13℃を超えている。
立山はガスでよく見えぬが、朝見た大日は随分と急速に雪解けが進んでいた。かなり上部まで木立が出て、青っぽく
見えていた。
室堂周辺の小屋(旅館)も順調に小屋開けが進んでいるだろうか?機械力が導入できるエリアだから速いだろう。
朝から暗い天気だが、暖かくて冬に慣れた体がだんだん耐寒力を減らしてゆく。
眠気がさし、居間でごろ寝を決め込むと直ぐに寝て、30分くらいは眠ってしまう。これがまた良い気持ちだ。
隠居爺様の身分故のなまくら生活だが、今更労働力として期待されることもないし、おそらく誰にも迷惑は掛かるまい。
お気楽生活も悪くないが、過ぎるとボケが来そうだ。流石に未だボケたくはないので、読書時間も多くして、文章の作
成も欠かさぬ様、このページ更新で頑張ろう。
大した文章も書けぬが、幾らか脳も使うし、指先も使うから、ボケ防止に役立っていると思いたい。
庭の南側の雪が解けた。我が家の庭は玄関への通路を境に、南と北に分けられる。板切れが放り出してあるのは物
干場のドアが雪に埋まり押さえられていたので、それを防ぐための堰板だ。今乾燥中。
北側の庭にはまだこれだけの雪が残っている。後3日程かな・・・。
川向の山々もだいぶ雪が解けた。
4/5
気持ち良く晴れた。山もよく見えている。
黄砂で汚くなっていた立山だが、その後来た新雪にカバーされ今の処先ず先ず綺麗だ。
室堂周辺の小屋(旅館)がもう入山したそうだ。今は各小屋除雪に取り掛かっているだろうが、機械力が使えるエリア
だから、全てて作業の昔とはずいぶん違ってきただろう。
奥地の山小屋は稜線上の、剱御前小舎、一の越山荘がGW前に営業開始する予定らしい。それより奥地の山小屋は
GW期間の営業は無く、夏季の営業が始まり10月初旬には閉鎖するようだ。
これ以上の情報は各山小屋のHPを参照するか直接問い合わせる事をお勧めする。
山里にも遅い春が来たが、山小屋の連中はまた雪の世界に戻る。商売とは言え大変な事だ。
立山の人もずいぶん変わったが、山は変わらない。
人間など山に比ぶべくもない小さな存在だと改めて痛感する。
部屋が暖かくなって、親爺は眠気を覚えながらそんなことを考えている。
隣の庭の雪も固く締まってなかなか解けない。ヤンジーが頑張って雪を突き崩している。
大日もよく見えている。
4/4
天気予報ではこの後晴れると云っているが、今朝から冷たい雨が降りしきる山里である。気温も3.8度と低い。
雪は殆ど解けてしまって、除雪の心配などは全くなくなったが、気温が上がらぬので寒い。それにしても奇妙な天気だ。
一時は夏日まで気温が上がって、桜も待ってましたと芽吹き慌てて花を開き始めたのに、その開花後にこの寒さだ。
春になったと衣替えし、夜具も上掛けを外し軽々としたところで寒さが又戻って来たのだから、親爺は薄いTシャツの
上にこっそりとインナーダウンを着込み薄手のフリースで過ごしているが、夜具に入ってもインナーダウンは脱げないで
居る。
春になって雪は解けたが、中々春らしい暖かさはやってこない。学者たちが言って居る様にいきなり夏の様な暑さに
なってしまうのだろうか。そして暑い夏が続き、秋が酷く短くなって秋の情緒やうら寂しさを感ずる間もなく冬となるのだろ
うか。そうなると嫌だし、予言の当たった学者共のしたり顔などもっといやだ・・・。
四季の移り変わりのある温帯の日本が、容易くそんな具合になっては堪らない。まことしやかな学者面も堪らない。
暖かくならぬ山里の春で親爺は、四季が無くなるかもと、ちょっと心配している。
岩峅字では桃も咲いているのに我が芦峅寺の山里は・・・。
未だ庭には雪が残る。
4/3
日本のプロ野球も、アメリカの大リーグも開幕した。
昼は大谷で、夜が巨人の和真を応援しながら、時を過ごせる様になった。親爺もだが親爺以上にオカカが嵌っている。
今日は久々にオカカのグループでランチをするそうで、大谷の打席を見ずに出かけて行った。
親爺は相変わらず、このページを書き、それが終われば野球を観ながら読書である。
読書と云えば秋と来るが、ここ数年の親爺には冬が一番本に耽溺できる季節になった。外の雪を見ながら引きこもる
のだから、全く予定も来客もない時間が多いからである。
まあ冬が終わって春となったが、親爺の本漁りはまだまだ続く。また読書には事欠かぬ良い環境が出来ている。
電子書籍である。僅かな重さのブックリーダーに数百冊の本が収まる。本屋に行かずともネット上で買える。無料の本
も多々ある。本が好きな者にはいい時代だ。
春ではあるが、まだだいぶ冬を引きずっている。
我が家の庭にも雪はたっぷり残っている。
一時期と見ればない様なものだが、子供が滑り台を作れるほどの残雪だ。
4/2
去年の冬は内田百闔≠フ「東京焼尽」を読み耽りつつ春を迎えた。淡々と空襲の日々を逃げ惑い、貴重な酒をどこで
手に入れるかなどと云う日常を書き綴った書籍は、妙に生々しさはなく、凄まじい焼夷弾攻撃の下でなお好物の酒にあり
着こうと苦心する姿などが、平時の物不足による苦労程度に書き綴られてる。この小心な大人物は、親爺の大好きなタ
イプの人物也。
この冬の終わりは、難波利三氏の「てんのじ村」を読み、余り馴染みのない大阪の芸人長屋の物語に遊んだが、その
後、再読に掛かった新田次郎氏の{槍ヶ岳開山}についつい没入して、寝る間も忘れ電子地図を広げ播隆上人の足跡を
追ったり、往時の道を想像したりと、以前は軽く読み飛ばした処にもこだわって読み込んだ。
他力本願の浄土宗は親爺の嫌いな宗派だが、そこの辺りも読み進むうちに、臨済宗や、他の宗派との絡みの中で、播
隆上人独自の境地が見えてきて、宗派などに囚われて読むべきではない本だと思った。
名号を唱えさえすれば死に臨んで仏が迎えに来る。と云う浄土宗の一番嫌いなところを、播隆自身が否定している。
何の努力もせぬ癖に他力本願でまじないの様にただ名号を唱え救われるなど、ありえない。
現生の苦しみの中でも精一杯生きようとする者に、御仏は極楽往生を許すのだ。生きなさい。生きる努力をしなさい・・・。
ということだった。天明の飢饉、天保の飢饉・・・。播隆の槍ヶ岳開山の時期には丁度この天保の飢饉が重なった。
長々と書いても仕方がない。親爺などの筆力ではとても書けぬ。
興味ある方はぜひ一読されんことを・・・。
大日がようやく見えた
昨日山里の村から15分程下りたあたりには桃の花が綺麗に咲いていた。
一昨日下山してきた心平が送ってくれた室堂の様子。み栗もまだ雪がびっしり。除雪はターミナルの方に取り掛かっている。
4/1
曇りで、小雨混じりの寒い年度明けとなった。
オカカのお供で町場まで出たが、雪は全くなく、寒いは寒いが桃の花が綺麗に、あちこちで咲き誇っていた。
我が山里も雪はめっきり少なくなって、家々の屋根や、村はずれの田畑の雪も激減して、30cm〜50cm程になっていた。
でも、屋根雪が落ちて堆積した我が家の庭や、雪下ろしをして庭に雪を落とした家々も多く、残雪はまだまだ残っている。
下の写真は、心平が大町側から黒四ダム経由で室堂に入山した時に撮影した黒四ダムの写真だ。水面が凍結し雪が
積もっている。
水位も冬の渇水期故下がっているがこれからの雪解け水で徐々に上がって来るだろう。
心平はカルデラ博の積雪調査の傭員で、他にも山岳ガイド連中も一緒に入山している。縦穴を掘って、雪の層を調べる
のだが、これで色々なことが分かるのだとか。
間もなく帰って来る事だろう。
山里もまだまだ寒い日が続く。
今朝の我が家の車庫だ。裏が閻魔堂だが、雪はきれいに消えた。下は2月15日の同じ車庫。
この時は立春寒波の終わりころで、217cmの積雪が有った頃だ。