2025山賊案絵日記(夏)   6月からは夏と親爺の独断。頁を改めます。



6/19
 未だ6月半ばを過ぎたばかりだが、酷暑日が続いていて、我が山里でさえ、昨日は30℃を超えた。
 寒ければ寒いで嘆き、暑ければ暑いでまた嘆く。親爺も老いて我慢が効かぬ。
 今陽光が射しこんで床に当たり、その部分の熱が居間の気温に影響しそうなので、遮光カーテンを閉めた。いっそ
のことクーラーを入れれば良さそうなものだが、まだ6月と云う事が気になって、入れる気になれぬ。
 まあ夕刻から夜にかけ気温は一気に10度以上も下がり、過ごしやすいを通り越して、肌寒くなる山里だ。
 流石に夜までムシムシと暑い真夏よりは幾分ましな、6月の酷暑である。
 オカカは朝涼しいうちにと、9:00オープンのスパーへ出かけた。
 親爺も早く更新をして、又ゴロゴロしよう。
 立山も全域快晴で、雪解けも急激に進む。


 紫露草は随分強い植物だ。このカンカン照りにもあまり萎れていない。ギボウシもまた元気だ朝晩のオカカの水まきが効いている。
 


6/18
 今朝も早く目が覚めたが、我慢して何時もの生活ペースに戻すよう、ベッドの中でゴロゴロしていたが、僅かに
まどろんだらしく、ほぼ何時もの時間に起きた。
 まだ左程暑くは無かったので、薄手の作務衣を着て居間に下りた。
 が、食事を終え、外に出て綺麗な庭を撮っている中に、頭頂部から陽に直撃され、堪らなくなった。家へ入り上
着を脱ぎ、Tシャツ一枚になりようやく一息ついた。6月と云うのに真夏である。
 我が山里ゆえ30度を超すことは無い様だが、昨日の最高気温は28℃、夜半の3:00には18.6℃であった。これは
我が山里の観測点でのデーターで、村内とは僅かに異なるかも知れぬが、大差はない。
 日中の気温と、夜半の温度差が10℃も有るので身体がおかしくなる。
 日中の戸外へは帽子をかぶらぬと出られぬし、5分以上は決して出ないようにしている親爺だ。
 空梅雨である。しかし湿度も低く、真夏のムシムシは無くてすっきりしている様な気もする。
 山水復旧で、毎夕オカカが冷たい水をたっぷり撒いているお陰で、庭の草花の元気な事。青々と葉を広げ緑の
色を空中にまで放っている様だ。
 オカカ丹精の庭である。


 生垣の間のバラが茂りすぎて剪定したら枯れてしまった。石段のわきのバラは元気に花をつけている。
 

 今朝の空には秋の様なうろこ雲。今朝は各地で広くこのような雲が見られたそうだ。

 


6/17
 朝、いつもより1時間早く起きだしてしまった。惚けたと云うより、勘違いである。
 寝ぼけ眼で、腕時計を見たらもう長身は30分を過ぎている。7:30だと勘違いしてのそのそ起きだして、洗面
歯みがきを終え、下の居間に下りて行った。台所で忙しく動いていたオカカが、掃除機を持って彼方此方掃除を
している。居間に親爺が居て軽いつま先立ち運動をしているのを見て、少し驚いて、早いね今日はと云う。親爺
はハッと気づいて時計を見ると、未だ7:00前である。
 ありや、惚けたな、1時間間違えた。とオカカに言うと、未だしたい事がいっぱいあるからその辺で寝てたら?
と云われた。
 どうにも眠気が抜けずすっきりせぬと思っていたら、時間を間違えていたのだ。
 何とも損した気分になるが、オカカの動きを見ていると手早く掃除をしたり、ごみを捨てに出たりと実に忙しく
毎朝、この作業が終わって8:00前後に起きだしてくるだけの親爺の知らぬ間に、すごい働きをしていたオカカ
にあらためて感謝したものである。
 9:30現在居間の室温が25℃を超えた。これは今日は暑くなりそうだ。
 これからどこまで暑くなるのやら・・・。


 紫陽花が垣根を超えて通りにも愛想を振りまきに出た。まだ花芽だが出て来たばかり。鉢植えはアメリカンブルーと云うそうだ。
 

 雷鳥がまだ登山客も少ない石垣に遊びに来る。
 


6/16
 山水と呼んでいるが、十村谷と云う不動山の中腹を流れる谷の、上流部にある十村谷の滝の落ち口に集水
口を作り、村の上手の家を中心に、数十戸程の家々に給水していた簡易水道である。
 昭和30年代中期には、芦峅寺の集落全体に給水する水道設備を設置し、村の水道として、町場にも負けぬ
村の水道が出来るまでは、この「十村谷の水」、或いは「出壺の水」と呼ばれる山水などいくつかの山水が村の
各戸に給水仲間組を作って維持されてきており、それらの山水若しくは谷水が芦峅寺の村の生活用水であった。
 旧家には井戸もあったが、山水、谷水は潤沢で、組仲間により厳重に維持管理されてきた。
 しかし水道の普及は芦峅寺村単独の水道であるため、基本料500円/月で、メーターに応じ我が家でも最高月
額1500円前後であった。その村の水道はつい10数年前まで使われていたのだが、流石に設備の老朽化が進み
村単独での維持が困難になって来た。
 立山町ではその頃、下水道の事業が進捗中で、村の下水道も整備される事になり、合わせて上水も全て町に
移管し設備更新してもらう事となった。
 当然安価な水道料とは行かず、下水と合わせ二人家族で4000円前後となった。まあ、それはそれで当然の事
なのだが、親爺たち年寄り組は、流しっぱなしで使える山水の魅力に勝てず山水の引水も昔通りに行って来た。
 特に冬季の散水融雪には無くてはならぬ山水である。
 更に簡単な濾過をすれば、日本茶は基よりコーヒーや紅茶を淹れる天然水としても使え、美味い。
 それで今日最期の配水確認を終え、半数になった7戸で15口を使う事になった。しかしこれは全戸ではなく、今
回の修繕必要となった給水塔の他にもう一つ別の給水塔もありそこから引水している家々はそのまま利用して行
く事が出来幸いである。
 だから十村谷の山水は、未だに何十戸かの家々で使われている。
 垣根のバラは今盛り也。


 綺麗な十村谷の水が完全復旧した。これで冬季の散水融雪も出来る様になった、筧の水が石の手水鉢に落ち、十村谷の水音を伝える。
 

 紫陽花の花芽も出て来た。


6/15
 今日も雨の降るやや肌寒い日だ。いかにも梅雨らしくしとしとと雨が降っている。鬱陶しい友未だ思わぬが
明日からは晴れが続き、気温もぐんと上がるそうだ。
 予報では30℃以上の最高気温が数日続き、その後も28〜29℃の日々が続く。6月だと云うのにこんな暑い
日が続くのかと思うとゾッとする。
 ゾッとすると云えばアメリカの大統領の最近である。
 不法移民の取り締まり強化に反対するデモを、州兵や海兵隊まで繰り出して鎮圧したかと思えば、今度は
3000人規模の軍事パレードだそうだ。
 明るい自由の天地アメリカのニュースを読むのだが最近は、この独善大統領になってからこっちの事々が
色々思い出され、これがアメリカのニュースか、ロシアか中国のニュース、或いは北朝鮮・・・と、暗然とする。
 歴代のアメリカ大統領でもこの人は特異だ。アメリカ国民が良くこの人を許していると、国民のレベルを疑っ
てしまう。世界の自由主義国家の旗頭がこれでは、アメリカ自体が世界から浮いてしまう。
 まあ、日本にも政治家は数多いるのだから、その方々に今後のアメリカとの付き合い方を任せるしかない
が、任せきれる政治家は居るのだろうか。
 梅雨の庭を眺めながら、考える。


 ディズニーランドで、パパママをお供にいっぱいいっぱい楽しんできた2年生のお姉ちゃん。


 今日は珍しくお家でゆっくりしていたけど、風船が膨らませる様になった年長さんのお兄ちゃん。


6/14
 親爺もとうとう惚けた様だ、昨日更新はしたのにアップするのを忘れていて、今慌ててアップしたが、昨日の
ホームのトップページが、今しがた書き直したばかりで、すでに今日の分に書き換えられたいた。

 何だか頓珍漢なページになりそうだが、昨日6/13付けの絵日記と食卓、写真部屋もデーターが残っていた
のでアップしておいた。6/13のトップページが欠落している事になったが、今更どうもできぬ。
 
ここで頓珍漢なHPのお詫びを申し上げます。・・・嗚呼惚けた惚けた・・・。申し訳ありません。
 で、今日の絵日記だ。
 と云っても左程の事もなく、大好きな自衛隊OGのやすこが何だか騒いでいるテレビを聴きながらキーボード
を叩いているだけだ。
 ショックが大きい。嗚呼惚けたくない。一寸マイナーな気分の土曜日、この辺で・・・。
 親爺の頭の中の様にぼんやりとした、暗い天気だ。


 テッセンがネットを這いあがり咲き出した横にオカカが隣からもらったミヤコワスレを植えた。雷鳥が石垣の上で辺りを見張る。

 


6/13
 外食と云っても色々あるが、本当に気に入った店などと云うのは数えるほどもあればよい方だろう。
 昔まだ現役時代、オカカの友人が富山の老舗料亭の娘さんだったことで、たまにいい店を見つけてはオカカ達
仲間を誘って食事会などをやっていて、毎月幾ばくかを積み立てして、年に一回の小旅行もしていた。
 確か、さるとり会と名付けた村の友達連で、四五人のママ友会であった様だ。
 で、その料亭の娘さんにオカカが教わってきた店に、大病をして1月半ほど入院して手術を受けた親爺の退院
療養中に、オカカが連れて行ってくれた。
 小体な和食店で、中居さんの客あしらいも丁寧で、最初はランチでカウンターで頂いたが、こちらの食べる速
度に合わせ、料理を出してくれ、しかも大将がじかに挨拶に出て、ほどほどの料理の説明も丁寧で、好感の持
てる方だったがとても若い方だった。
 親爺には大将と云う呼び方が何ともし辛く、何気なくマスターと呼んでしまったが、和食店のマスターもないもの
だと後々気にしながらマスターと呼んでいた。
 店へは月に1度の割で通い、普段はランチだったが、年に2〜3回はディナーと云った感じで通った。
 ほぼ八年間、律儀に通ったものだ。ここでの食事が本当に美味く楽しみだった。
 遠来の友人を連れて行ったり、娘たちは1度か2度連れていったし、長女の婿殿も連れて行ったような気がする。
 とにかく、此処の料理、店のしつらえ、打ち水に盛り塩まで、ことごとく気に入っていた。
 親爺が山小屋親爺専業となったあと少し足が遠のいたが、その中にこの店が北陸で唯一のミシュラン三つ星を
取ったと聞いて、親爺は少しも驚かなかった。が、その星の所為で敷居が高くなるだろうとは思った。
 マスター(大将で店主)自信はそうではなくても周りが放って置かぬ・・・・・
 で、結局富山にあった「日本料理山崎」は花のお江戸に移転して、今は予約のとれぬ店となっているそうだ。
 東京は京橋、東京駅からも近い。
 上京し、予約が取れたらマスターの顔を見に出かけようか・・・。
 立山も梅雨の中休み。


 今日お姉ちゃんはパパとママをお供に連れディズニーランドで遊んでいる。昨夜上京し近くのホテルに入った。
 東京のお兄ちゃんも先週、パパママをお供に熱海に遊びに言っていた。どこかの水族館でタカアシガニにビビった・・・。
 二人とも元気にすくすく大きくなっている。そろそろジジババ離れだが、孫が可愛い事は変わらない。
 

 水の戻った筧の水を受ける立派な手水鉢の横に鮮やかな鉢植え三つ。玄関の石段脇にも鉢植えが綺麗に花をつけている。
 

 垣根のバラも華やかには野を咲かせ始めて我が庭は花盛りである。
 


6/12
 アメリカと云う国は、何となく自由で豊かな持てる国であると思ってきた。戦後のやや落ち着きを取り戻した時期に
生まれた親爺は、戦後教育を受けて育ってきた世代だからか、学生時代には「米帝」などと大した意味もなく叫んだ
ものの、心の奥底には「自由で豊かな持てる国」と云う想いは何時もあった。
 世界一の豊かな国である事は今も変わらないが、最近のアメリカは「アメリカ ファースト」をスローガンにした全く慎
みのないエゴイストが世間を、否、世界を騒がせている。
 強大な力と、権力を持つアメリカ大統領に相応しい人格が欠如した独善的な人が大統領になると、州兵や海兵隊
までを動員して、自己を通そうとする。
 確かにこの国のデモも、暴動につながり易く、しかも店舗を襲い金品を略奪する行為に至っては鎮圧に武力を行使
せざるを得ない。
 そういう行動が権力者に武力行使の口実を与えることが、分かってい乍らも略奪行為に走るのは日々の生活にも
事欠く貧しい人々が多く、衣食足りずに礼節も知らぬと云う、人々が多いのだろうが、これも政治の貧困である。
 しかしその根本は不法滞在者である。
 不法滞在者が、自国の国旗を持って不法移民取り締まり強化反対のデモをするのは確かに馬鹿げた行為である。
そんなに大切な母国が有るなら速やかに帰ればいい。
 大統領の怒りも分かる。しかし大統領は大統領である。こんな不法移民は取り締まるべきであるが、地域に同化し
真面目に日々を過ごしている移民もいるに違いない。もう少し細やかな手厚いい対応をして、保護すべきは保護して
やらぬと、働き手を失う零細な個人企業も多くなる。
 大統領たるものはもっと太極を見つめ、国益にのみ拘らず全世界の警察官だった、世界から信頼され、愛される
大アメリカへと、大国の舵取りをすべきではないか。と、蟷螂之斧にも及ばぬ親爺の寝言である。
 アメリカの主導する戦後教育で、アメリカのホームドラマにあこがれて育った親爺の世代は、アメリカに対する愛着
も大きく持っている。
 岩ひばりである。


 テッセンが咲き出した。カモシカ除けのネットに絡んで綺麗に咲いている。大日も今日は見えている。
 


6/11
 北陸地方も昨日、梅雨入りしたと見られた。気象台の予報担当官にデアル。
 だから我が立山や山里も、2025年は6月10日に梅雨に入ったのである。で、早速朝から雨で、梅雨冷といった気温
である。10:00で18.9℃だそうな・・・。今日はシャワーという訳にはゆかぬ、暖かい湯につかりたい。
 最近米の話題が絶えないが、政府が備蓄米を放出して、アメリカからの米輸入もするそうだ。国内に米が不足する
のは今だけでは無いだろう。将来のコメの増産は見込めるのだろうか?
 周りを見ても米生産農家が次々と絶えていて、先祖伝来の田圃もどんどん放棄されている現在、だれがこの先の米
作りを担うのだろうか。
 米は主食であるという考え方はもう通用しない。主食と云うものが無い食生活が、日本にもずいぶん浸透している。
 先ずは米飯有りて、味噌汁とオカズがある日本型の食事も、欧米型の食事や世界各国の食事を取り入れることで、
米の消費量は事実減っている。「一日に4合の玄米と味噌と少しの野菜を食べ」生きてきた宮沢賢治の時代から見れ
ば、今は一人当たりのコメの消費量は「1日にお茶わん2杯ほど」らしいから1合ほどである。
 玄米4合は白米3.6合程だから当時(明治中期から昭和初期)に比べると28%の米しか食べていない現代である。
 それで体格は男女ともに良くなっている事を見ると、米以外の多種にわたる食物からの栄養摂取をしている事が良く
分り、米は今や主食とは呼べないことも事実であると分かる。
 だからマスコミは令和の米騒動などと面白おかしく大袈裟に騒ぎ立てるが、飢えて巷をさまよう人はいないし、子供も
ちゃんと食べている。(別の理由で食べられない子供がいることも事実だがこれは米不足とは異質の問題。)
 小泉農相が動き、備蓄米も出し、アメリカからのコメの輸入もしっかり実行し、備蓄米の目減りに当てて行けばよい
ではないか。それと古米とか古古米とか古古古米などと、鶏を真似ずとも「20xx年度米」と表記すれば良いではないか。
 その食味も殆ど問題は無いはずだ。炊く側に知識がないだけの話だ。工夫して美味しく頂けるものを古古古古古米
などと面白がっているようなマスコミが先ず愚かだ。美味しい米の炊き方などを記事にした方が信頼できるマスコミとな
るのだが。
 米の話となると、米は国の根幹、日本人の主食と米を崇め奉るかと思えば、古くなっていくのが当たり前の政府備蓄
米を、ココココッと鶏鳴の様な冠をつけてあざけったり、日本人にとって米とは何なのだろうかと考えてしまう。
 我が生活を顧みると米のない食生活は考えられぬ。がオカカと二人で3合の米は1日半、つまり三日で6合の米を食
べている事になるから、1日1合の米を頂いている平均的な日本人である。
 梅雨入りして咲いた垣根のバラは雨に打たれている。紫陽花はまだ花芽を持ったばかり。


 剱も徐々に夏山へと雪衣を脱いでゆく。


 紫露草は生き生きと雨の中に花を咲かせている。雨が止まずしとしとと降り続ける梅雨の二日目?である。
  


6/10
 まだ梅雨入り前の北陸地方だが、梅雨と云うのは明確な判断基準は無いそうだ。
 梅雨入りする前にしばらく晴天日が続き、その後しばらく雨や曇りの日が予想されると「梅雨入りしたと見られる」
という事になるのだそうだ。
 可成り大雑把にかいつまんでの書き方だが、五月末から六月中に、このような状況になるとと云った事だろう。
 だからしばらく続いた雨や曇りの日が、スカッと晴れてしばらく晴れの日が続きそうな予報が出ると「梅雨明けした
と見られる」事になるのだろう。
 梅雨といっても、長梅雨もあれば空梅雨もあり、可成り気分的で伝承的な季節なのかも知れない。まあそんな処
で、良いのだが、梅雨の風情と云うものもあって、ただジメジメ欝々とばかりでは梅雨もいたたまれない。
 降る雨に濡れる紫陽花など、美しく健気にみえるし、豪雨などは御免だが草花に降りかかる雨、大地を潤す雨は
まさに生命の根源であるのだろう。
 今日は一日雨の予報だ。買いだめの食料も豊富だし、外出も不要だ。間もなく大リーグ大谷の試合が放映される
し夜は巨人とソフトバンクの試合もある。いつも通りのんびり過ごそう。一年中のんびりしているが・・・。
 抱卵期に入っている雷鳥。剱を背にオスが辺りを見張る。


 我が庭の垣根にバラの蘇り もう咲かぬのかと思っていたバラが一気に花を開き始めた。


6/9
 一寸蒸し暑い日である。立山もガスが沸いて峰部は既にガスに包まれている様だ。
 下界は夏日で、6月下旬の気温だそうだ。山里でも11:00現在25.1℃の気温である。もう彼方此方で梅雨入りした
そうだが、明日からの天気予報傘マークが並び、北陸の梅雨入りもそう遠くは無い様だ。
 元気なのは庭の草花だ。皆生き生きして、我が庭のバラもかなり花を咲かせだした。
 ちょっとぐったりするのは親爺で、オカカは汗をふきふきだが携帯扇風機を手放さず、外で庭仕事だ。タフだ。
 親爺はもう使い物にならず、相変わらずのゴロゴロ。オカカに迷惑を掛けねば良しとしておこう。
 立山の歩道以外立ち入り禁止の看板も、雷鳥には適用されない・・・。


 我が庭で三つ並んだプランターは、今年もオカカが栽培してくれる唐辛子色々である。親爺喜ぶ!


 垣根のバラも花を開き始めた。
 


6/8
 今、夢枕獏の「東天の獅子・天の巻」を読んで居る。昔、親爺が子供の頃、柔(やわら)と云うテレビ番組があって
これは講道館の開祖、加納治五郎の若き日をモデルにしたテレビドラマだった。
 美空ひばりがこの主題歌、やわらを歌い大ヒットし、子供たちには主人公の矢野青年が使う技で悪漢が空中を舞
うと云う特撮?が受けに受け、一寸した柔道ブームを巻き起こしたものだ。
 で、今読んで居る本はその講道館開祖、加納治五郎から昭和の柔道家木村正彦までの大河ドラマ風小説なので
ある。幕末、明治初期には未だ様々な武術流派があった。しかしその後の政府の富国強兵政策の中、武術流派は
減少してゆく。剣術、柔術、槍術等々武術にも多種あるが、廃刀令以降、素手での戦いを想定して柔術、空手等が
台頭してくる。実際にはそんな単純ではなかったらしいし、未だに剣術道場もある様だから、一概には言えぬも現在
も世界的に大きな広がりを見せているのが、講道館柔道だ。
 東天の獅子はその講道館柔道を中心に置いた、明治から昭和の武術の流れを描く小説である。
 無条件に面白い。そして色々な人物が登場し、聞き覚えのある人も多い。
 親爺はその登場人物の一人、武田惣角に興味を持って、ちょっと調べて見たら、嘗て読んだ津田陽の「鬼の冠」の
主人公であった。再読しようと本を探したが、車庫裏の書庫は壁面一面にあり、とても探す気になれず、さりとて読み
たく、電子書籍で購入した。
 東天の獅子はまだ二巻ほど残っているので、その後に読もうと思う。楽しみが増えた。
 それにしても心ときめく本は少なくなった。つまらぬライトノベルなどと云うものは出版過多状態なのに…。
 立山も薄雲の中に雪解けの姿を見せている。


 わざと細くしてある筧の流れだ。下の手水鉢が久々に水を貯めている。


 隣のバラはきれいに咲き誇るが、我が垣根のバラはつぼみのママ・・・。


6/7
 昨日も今日も天気が良い。今日は少し雲が目立つ山里だが、9:00の気温は25℃弱である。
 昨日は10;15に家を出て、庄川の水記念公園にドライブがてら出かけた。高速を全く通らず、嘗ては音川線
と呼ばれた山道を通り走る。この道沿いにある蓬莱山と呼ばれるエリアには、クレー射撃場があったので、昔
から馴染みのある道路だ。しかし、現在は昔の面影はほぼ無い。射撃場も廃止になり、福光に移設されている。
 現在の音川線は所謂高規格道路に整備され、非常に走りやすい良い道になっていて県南西部と富山市を結
ぶ幹線道路となっている。
 まあ、そんなことで快適な下道ドライブ1時間余り、11:30頃には目的地の庄川水記念公園に着いた。
 ここは、美術館や,足湯や色々な施設も多い。が、親爺とオカカの目的はここにある鮎の料理屋「鮎の里」だ。
 ここで頂く若アユの塩焼きは、絶品!!なのだ。
 前回(昨秋)子持ち鮎を頂こうと出かけた時は満員で、入れなかったことも有ったので予約を入れて行った。
 親爺は子持ち鮎ももちろん好きだが、若鮎が一番好きだ。季節はやや早めだが冷凍鮎でもうまく焼いてくれる。
 今年もとても美味く頂いて来た。
 一人五尾ずつ、二人分の鮎である。美味いのなんの。来て良かったと思った。


 窓際の予約席でノンアルビールで喉を湿す。親爺は甘露煮と刺身のコース、オカカは天ぷらのコース。これに塩焼き鮎五尾がつくのだ。
 混ぜご飯にはスイートコーンが炊き込まれうまい。鮎の瀬越しの酢の物にはジュンサイも入り美味。吸い物も本格的。鮎の甘露煮も天
ぷらも極めて美味い。
 板場に新しい板前さんでも入ったのか、塩焼きは変わらぬ美味さだが定食の料理のグレードが上がった様な気がした。
 二人で、ビール込みで9000円ほど。物価高の中、隠居夫婦でも楽しめる価格だ。
 


6/6
 昨春から止まっていた山水が復旧した。給水塔は我が家の背戸にあるが、親爺が産まれる以前から
のもので、親爺は静かな夜になるとゴボゴボとかバシャバシャとかいろいろな音がこの給水塔から聞こ
えて来るのを、子守歌の様に聴きながら眠りについた。
 この給水塔の事を確か、ドンドコと呼んで居た様に思う。あるいは祖母が孫に給水塔を説明するのに
そう呼んだのかもしれないが、親爺は長ずるまでそう呼んでいた。で、それが村生え抜きの者なら通じる
から、意外と共通方言として定着していたのかも知れぬ。
 まあそのドンドコに昨日水が来て、我が家の山水は台所に流しっぱなしの蛇口と、家の前の黒いパイ
プの一本(庭の草花用)と飾りだけの筧にも流れが戻った。
 そして、来るべき冬には、最重要用途の融雪散水になる。
 ドンドコの音とともに戻った山水の流れだが、耳の遠くなった親爺にはドンドコの歌声が聞こえない。
 快晴である。久しぶりに庄川の鮎を食べに行ってくる予定だ。大日もすっきり。


 十村谷の山水が戻った。結構な水量で筧にも1年ぶりに水が流れた。
   

 垣根のバラも咲き始めた。


6/5
 若葉が茂った桜が、窓外に風に吹かれ揺れている。その傍らの栗の木も、間kw時と歯を揺らしている。
 PCの液晶画面ばかり見ている親爺にとって、窓外の緑が揺れる風景は目の休めにもなる・・・。
 まあ、何とも良い気候だ、もう長い間着すぎて、薄手のジャンパーより風通しの良くなったパタゴニアの
フリースをTシャツの上に引っ掛けて、快適に過ごせる気温だ。
 何だかここ二三日、頭が少しいかれて来たか。一つの事を集中してやれないのだ。
 やれにことはやれるが、時間がかかってしょうがない。ちょっと体調も問題もあるかも知れぬが、季節の
変わり目には大概体調を崩す様になった。
 体調が崩れると何処と云うことは無い。色々思いもかけぬところに不都合が出て来る。
 頭痛やのどのイガイガは勿論、熱が出だすと薬の世話にならざるを得ない。更に眩暈が来て寝込み、
数日を寝て過ごす事になる。
 それで何とか治ってしまうのも可笑しいが、父祖にもらった身体は結構強いのだろう。
 まあ古来まれなる年を過ぎて、何時お迎えが来ても良いようにと思っているが、どうしてまだまだこの世
には未練が残る。この未練は多分死の間際まで残る物なのだろう。
 立山もよく見えている今日だ。
 御前からの夕景。


 苦境は大日もよく見えるが、その後ろの雲が曲者だ。


6/4
 良い天気になり久々に青空も見えている。予報では3日ほど晴れるとの事なので、オカカが我家の墓の周り
に除草剤を撒いてくれた。
 我家の墓は祖父の石碑のそばに在る。祖父の石碑とは、昭和10年に人命救助の際の自らの命を捧げた事
を悲しみながらも尊い献身であるから、長く顕彰するとして当時の立山山案内人組合会長だった佐伯平蔵氏の
肝いりで建立された石碑である。
 我が家にとっては長く家の誉れであり、悲しみの記念碑でもあった。
 子供時分から祖母に幾度となく聞かされた祖父の、英雄譚は未だに我が心の裡に在る。
 この石碑は村の共有地にあり、祖父の碑の隣には同志社大学在学中に遭難死した三宅さんの碑もあり、更
に立山で修行中に命を落とした古い修験者の無縁仏の墓もある。
 我家の墓も離れた場所にあったが、母の年忌にこの石碑の横に、村の承認を得て移した。
 で、父が元気なころ、この石碑は土台からやり直し、隣の三宅さんの碑も一緒の土台に移し替えたのであるが
我が村には山岳遭難の碑はまだ二基あり、一つは板倉さんの碑で学習院山岳部OB会山桜会が手を入れてい
るしもう一基の水越さんの碑は剱沢小屋を営む佐伯文蔵家が管理している。友邦兄が旅立ってしまったので今
は里子姉が見ているのか、新平に申し送りされているのだろう。我が祖父の碑の向かいにあるその碑はきれい
に保たれている。また修験者の古い墓も草に飲まれそうだったが、最近はどこかの奇特な方々が手を入れ、綺
麗に保たれている。
 古い墓もやがて自然に帰る。碑も又記憶が途切れ自然に帰るのだろう。
 明念坂も緑に覆われている。


 真砂沢ロッジ、小屋開け偵察時の一枚。出入口は2m程の雪の下だったが、一部は出ていた。


 別山から真砂岳のたおやかな稜線と、その先は折立の登りを過ぎれば、雄山山頂に続く主稜線。


6/3
 朝から雨が降り、まるで梅雨に入ってしまったかと思わせる朝だ。庭の草木は皆緑の葉を雨に洗われ気持
ち良さげに見える。
 長嶋茂雄氏が旅立たれた。昭和の野球界の大スターで、王選手と二人ON砲と呼ばれ、子供時代から野球
にはほとんど興味を持たなかった親爺でも、王、長嶋の巨人軍選手は、他の野球選手とは輝きが違う特別の
選手と云う認識で見ていた気がする。
 野球も遊びとしてしたことは多いが、決して夢中になることは無く、三角ベース野球レベルで終った。
 それでも、長嶋茂雄と云う名は、日本国民の大半が知っているほどに知ってはいた。
 プロ野球観戦の面白さを覚えたのはつい2年3年前の事で、今はオカカともども巨人ファンで、試合のある日
はほぼ毎日見ている。
 今は大谷と云う世界的レベルの大リーガーも出ているが、日本プロ野球の昭和の隆盛を築いた人々がいて
こその今日であろう。
 国民的大スター、長嶋茂雄氏のご冥福を祈ります。


 ロベリアと云う花苗を鉢植えにしておいたら、こんなにきれいに咲き出した。勿論オカカの仕事である。


 別山に遊ぶ雷鳥。番で居るのだが雌はハイマツの下で餌をついばんでいる。


6/2
 今朝は温暖で穏やかな高曇りよりやや澄明な、薄い青空が見えるような天気である。
 そんな朝の静寂を破り、救急車の音が鳴ったが、近所の親爺より四つばかり下のHであった。酒、たばこは
ドクターストップがかかっていたが、玄関戸を開けてタバコを吸っている姿はよく見かけた。
 まあ、古くからの顔なじみである。何とか軽く済む事を祈ろう。
 親爺も何とか今の処医院通いだけで済んでいるが、最低限現状を維持したいと、毎朝リハビリ体操に励み
頭の体操とばかり、幾ばくかの文章を作る事を心掛けている。
 が、HPと云うのはコンピューターの基本的な仕組みと云うか、まあ入門者程度の事は知っておかねばならず、
更にネット上の事々についてもそれなりの知識と管理能力が問われる。
 親爺はこまごましたチェックが苦手で、今回もドメインの更新を失念していていきなりドメインの停止を食らっ
てしまった。これで2回目の失念である・・・。
 担当の若造に、次回からは直ちに停止しますと云われ、小腹を立てていた記憶があるから失念2回は間違い
ない。しかし担当者も口のききようを知らぬ。しかもその不快な言いようのママドメインをいきなり停止しやがって。
不快な気分だけが残り、これを書いて居たらあのやや高圧的な物言いにまた腹が立ってきた。と云ってもこれ
は前回の事で、今回は事務的なメールだけであった。むしろその方が腹立たない。
 歳はとっても勉強とは必要な事らしい。
 大日が薄いガスの向こうに見えている。


 昨日は黒部の孫が来ていた。ジジババの家も退屈になって来た様だ。東京はディズニーランドが日帰り圏内。昨日も雨の中、ママと行って来た。
 

 垣根にバラがようやく一輪咲き始めた。


 隣のバラはいよいよ見事になって来た。             だが、家のバラはまだ花芽を膨らませているだけだ。
 


6/1
 水無月朔日は雨で明けた。
 梅雨の季節なのに何で水無月なのかは不思議に思っていたが、陰暦でのことだからと深く考えなかった。
 が、一寸気になりだして調べて見たことが有って、水の無い月と云う読み取りは正しくないと知った。
 陰暦では5月に当たる水無月で、水田に水がみなぎる「水の月」と云う意味で、無は嘗て強意の「の」と云う
表音文字とされていたそうで、この伝で行くと巷で言われる神無月も又「神の月」で神々が皆出雲に集い不在
となる月で、出雲ばかりはこの月を神有月と云うとは、少々怪しい説となる。
 まあ、如何でも良いことだが、本当の処はそんなところなのだろう・・・。
 とにかく今日からは6月、快適な春の日は徐々に梅雨に向かうだろう。
 差し当たりり今日は梅雨の予行演習日だ。
 紫露草が雨に打たれている。雨の日曜日也。


 色濃くなった緑も雨に打たれている。


 この高山の雪が解け流れ富山平野の水田に水を漲らせるのだ。

 
 

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