2026山賊庵絵日記(春)          4月新年度となりました。項を改めます。


5/21
 昨日はついついずぼらな誘惑に負け、ボケ防止にと続けているこのページの更新もサボった。
 これではいかん、まだら惚けが本ボケになってしまう・・・と今朝は心入れ替えてキーボードの前に座り、頑張っている。
 そう、がんばらないとページ更新も難しい。
 先ず日々穏やか過ぎて、変化もないからなかなか書く種も少なく、或いは皆無で、変化もない。徐々に体に来るガタ
位が変化で、実につまらぬ・・・。と、変化のない日々の繰り返しが続く事への感謝を忘れそうになっている自分に気付く。
 何という事だ、老いて身体も利かなくなった今、日々平穏な事程有難いことは無いのに。
 感謝の気持ちを、老いたりとは言え忘れるとは。いよいよ老耄の淵に立ったようだ。
 このページでも好き勝手なことを大量に書いて来たが、今更それを読み返し反省してもせんない事・・・・
 まあ、その日その時で気分は変わるもの、また親爺ごときの地位も身分もない老人の繰り言、影響もない。
 だから気楽に、この後も好きな事を書いていこう。
 只、平穏な日々の続く事に限りない感謝の念は夢忘れまじ事。これを常々念頭に置いて。
 雨降る、静かな木曜日である。
 不動山さえ雨に降り煙り確と見えない。


 庭の紫陽花が嬉しそうに雨を浴びている。


 天地は全て雨なり紫のの花びら垂れてかきつばた咲くとは、学校の教科書に出ていた歌だったろう。
こんな若い頭脳に記憶した歌は何故か70を過ぎた今も忘れない。窪田空穂と云う作者名は今調べた。


5/19
 今日も高曇りの天気だと思っていたが、弥陀ヶ原のライブカメラはすっきりくっきりとアイの(靄)の影響がない。
 室堂も、雄山の山頂もくっきりと見通しが利く。
 こんな山里も夕刻になれば、靄が切れすっきりしてくる毎日で、夕刻の空は真っ青、夕日が射すとそこいら一面が赤く
輝いている様になる。
 ここ数日、そんな天気ばかりだ。
 何故か首が寝違えてからこっち治らぬ。病院で診察を受けレントゲンも撮ったが、頸椎の摩耗に依るものではないか
との事。25日にもう一度診察を受ける。
 歳をとると、色々な症状がわが身に来る。今ちょっと困っているのは耳の遠さである。聞き取りにくいので、いい加減
な返事をする様になり、話が頓珍漢になる。だから会話が苦痛である・・・。
 次回の診察には、集音気を耳に入れて行こう。
 歳をとれば苦労も責任も軽減するが、別な苦労もまた増える。
 今朝の大日。


 玄関先は花盛り・・・・・。


 庭の隅で芝桜がきれいだ。


5/18
 いつの間にか5月も後半に入っている。
 猫額庭と名付けた、我が庭にも竹垣に花開いたと思ったバラが、今朝は豪華に花開き良い香りを漂わせていた。
 いつの間にか春も深まり間もなく初夏となりそうだ。近頃二日ばかりの気温を見ても、我が山里さえ24℃〜28℃と云う
最高気温が予想されている。
 これは町場では30を超えて、真夏日となる事は必定である。
 さっき外へ出て庭で写真を撮ったりしていたが、1,2分で背中に当たる陽光の暑さに降参した。
 親爺など軟弱の塊だから、直ぐに家に逃げ込み、風を通してある24℃程の居間で休憩。これなら熱中症に成らぬ。
 軟弱もたまには熱中症予防に役立っているのである・・・・・。
 今日は暑くなるかもしれない。フリースは脱いだ。
 竹垣の赤いばらが大きく開く、オレンジも一輪。良いにおいを漂わせている。


 今日の大日だがアイを取り去りAIで処理した。綺麗すぎるが大日だ。


 紫露草も咲いている。ひっそりと咲く花の美しさは格別也。


5/17
 最近テレビでニュースを見ることが殆どなくなった。
 災害のニュースや、大きな出来事の起きた時は、まあテレビにくぎ付けになるが、普段はという事だ。
 テレビで見ているのは、NHKの大河ドラマと朝ドラ、後は昔の花登コバコの作品の名残を残す金と銀と云う時代劇が
親爺オカカともに好きで、ビデオに撮って見ている。
 民放の気になる放送でもCMがあまりにも無神経、長すぎで、歌舞伎界の重鎮中村座に代表される現中村勘九郎の
一座のドキュメントなどはやはりビデオに撮ってCMを飛ばしてみる。
 処で、視聴率と云う言葉もうこだわる必要は無いのではなかろうか、恐らく大半がそんな見方をするだろうから時系列
での視聴率など全く当てにならぬ。
 という事はテレビコマーシャルなども、それ自体が面白く楽しいものでなければ誰も見ない・・・。まあ、昔からCMタイム
は手洗いタイムとも言われていただ。
 今日も快適な天気で緑に包まれた山里である。


 どんどん大きく成長する紫陽花だが、へコキムシ(クサギカメムシ)がこれを好みオカカが確認してみると、葉裏に沢山
いたそうで、色々調べたら卵を産み付けたりしここで繁殖するとか・・・。慌ててこのへコキムシが嫌うと云う薄荷油を買っ
てきて、水で希釈して散布した。他の草花にもたくさんいて、そこらにも散布してきた。効果のほどはまだ不明。


 温かい処ではとっくに終わっているだろうが我が家の細やかな芝桜は今盛り。これから徐々に広がっていくだろう。


5/16
 昨日は親爺の空物ラジコン〜ドローンまでの事を書いたが、親爺が最期に楽しんだ飛行機は、テトラと云うメーカー
の陸軍三式戦飛燕だった。20〜30クラスの機体だったが親爺はOS25にチューンドパイプを付け仕上げた。
 ラジコン飛行機道楽の最期の頃だったからそれなりの機体に仕上がって引き込み脚も装備していた。親爺の30年に及
ぶラジコン飛行機歴の集大成???だった。
 よく飛んだ。パワーが凄く機体の引きが自在で、離陸直後に急上昇も出来た。着陸も上手になっており、ススキの草原
に脚を引こめたまま下ろしたので、最期まで機体は損壊しなかった。車庫の2階の物置に10年以上置いていたが、最期
は経時変化でボロボロとなり、エンジンやプロポも一緒に廃棄した。自由自在に飛ばせた一番良い機体だった。
 さてドローンだが、昨日は書き忘れていたがDJIと云う大メーカーの機体に行き着くまで、日本の京商と云う模型メーカ
ーが出していたクワッドコプタ―なるドローンの走りみたいな機体をオカカに誕生日のプレゼントで貰い、半年ほどそれ
で色々訓練をさせてらった。しかし今から思うと稚拙な商品で京商お得意の広告宣伝に騙された気がする。
 でとうとう本格的なドローンに巡り合ったのはHUBSAN(ハブサン)と云う中国のメーカーのドローンだった。これは良い
メーカーだった。これで初めて操縦器の手を離せば空中静止すると云う、本来のドローンの機能を知った。それからはド
ローンの楽しさにハマって行く。ヘリコプターをホバリングさせることの困難さはラジコンヘリで嫌と云うほど知っている。
それがドローンは自律ホバリングが当然というのだから・・・。ハブサンでは機体も1機行方不明にしただけで、DJIの機体
に移った。ジンバル付きのカメラも驚くほど優秀だった。後は上空に上げ、どうにも操縦に慣れて行けばよい。
 また話が長くなる。今日はこの辺で止めよう。
 穏やかな心地よい土曜日、ゆっくり気楽に過ごそう。
 朝日に照らされバラ二輪、今年もいっぱい咲いてくれそうだ。


 立山では少し早く雷鳥が夏羽になった。そろそろ産卵期に入るが今シーズンはやや早いかも知れぬ。


 オカカが種から育てているバジルだが、双葉となるやオカカが間引きして小さなプランターに植え替えている。


5/15
 親爺はドローに行きつくまでに、若い20代の時からラジコン飛行機に夢中だった。その思い出は何度も書いたので
又初めて機体が思い通りに飛んだ時の感動は、ここには書かないが、そこに至るまでに何機も作っては墜落させた
という事は書いておこう。当時のラジコン機は大半がバルサキットで、どんなに慌てても1〜2週間ほどはかかった。
 仕事から帰るや自室に閉じこもり、飯だけは食べ、直ぐに自室へ戻りバルサとの格闘をした。まあ曲りなりにも骨組
みが出来、今度はフィルム張りに取り掛かる。アイロンを使い丁寧に張り、翼も胴体も、ゆがみを修正しながらアイロ
ンで仕上げた。その後はエンジン(昔は模型用の、エンヤ、OS等の小型エンジンが主流)、燃料タンク、その配管を終
え、リンケージに取り掛かる。サーボモーターと呼ばれる、受信機からの信号をうけて動作する部分がエレベーターや
ラダー、エルロン、そしてエンジンのスロットルにつながれ、何もない機体の可動部分を送信機から送られた信号通り
受信機が受け、サーボに伝えサーボが稼働し機体が遠隔操作されるのだ。
 で、出来た機体を車のトランクに入れ、河川の工事道路や、オフシーズンの不動スキー場などへ持ち込み意気揚々
と初飛行となる。
 約90パーセントの確率で、初飛行=即墜落、或いは離陸前に手投げで大破・・・。
 そういう事が1年近く繰り返され、その中結婚した。両家親族代表挨拶に立った叔父が「毎日仕事が終わると河原で
ヘタな岩魚釣りをしたり、飛ばない飛行機を飛ばそうとしたり、そんな呑気な甥でしたが・・・」と挨拶したのは今でもはっ
きり覚えている。
 その中、結婚後もオカカに叱られながらも、この趣味は続いた。子供が3人になった頃は「父さんのヒコーキ」は飛ぶ
けど事故だらけのヒコーキで一緒に飛ばしにつれて行く事も多かった。
 ネパールの標高3700mのシャンボチェの丘で電動機の飛行に成功したのが唯一のエッヘン記録かも知れない。
 零戦、雷電、隼などの旧帝国陸海軍機が一番よく作った機種だろう。マルタカの雷電は素晴らしく良く飛んだ。記憶が
あるが、OSの15クラスのエンジンが良く回って、気持ち良かった。着陸は草原に下ろし、ほぼ無傷で回収した。そんな
思い出が甦ってくる・・・きりがない。
 まあそんな流れが有ってドローンに行きついたのが山小屋親爺の最終盤の頃、知識がなくDJIの小型ドローンに行き
つくまでは紆余曲折が有ったが、高価乍ら一番信頼できるドローンメーカーとしてDJIを上げておこう。
 初心者と云う言葉が無いというか、ネットなどで十分な下調べをし飛ばせば、誰でも飛ばせるのである。
 長くなって、疲れたのでもう筆を置く(キーボードから離れる)。
 今日の山里は一寸アイが掛かり、遠景が霞む。


 我家の秘密基地に帰還するドローンから・・・。


 常願寺川の向こうには本宮集落が見える。


5/14
 余りくっきりと晴れてはいないが、風も無く穏やかな山里だ。立山も少し雲の多い晴れと云った天気である。風は
吹いているかどうかは良くわからぬが。
 気温も山里は18℃以上で、温かい。鮮やかな新緑が日に日に色濃くなってきて、心地よい緑に包まれて何とも穏
やかな気分になってくる。
 オカカが薬を貰いに富山市へ出かけているので、親爺は何時もより遅く起きだし、ノロノロと茶碗1/3程の飯に生卵
を掛けてすすり込み、朝食を終えたのが8:30ころ、片づけをして、薬を飲み居間に移動。一寸リハビリ体操?などを
10分程して何時もの席に着きPCを使いだした。
 HPに載せる写真を庭に出て撮って、更新作業に入ったのは9:30を可成り過ぎていた。もう11:00で、大谷の出る野
球中継が始まる。オカカも間もなく帰って来るだろう。
 不動山が緑盛り上がる様に見える。初か来る。


 少しアイが掛かり大日もぼんやり見える。


 オカカが植えたマルガリータ、後は親爺の好きな青唐辛子、パラペーニョ。今年も楽しみだ。


 紫陽花がすくすく育ち過ぎて・・・・・。


5/13
 春とは言え初夏の匂いのする天気である。
 大相撲五月場所は夏場所と云うらしい。旧暦では現在の6月半ば過ぎで立夏を過ぎているからだろう。
 古い暦を基準に各場所を呼ぶのは面白いが本場所が6場所もあると力士の消耗も大きいだろう。
 一月、三月、五月、七月、九月、十一月の各奇数月がその場所の正式名称となるが、実際には初場所、春場所、
夏場所、名古屋場所、秋場所、九州場所と呼ばれることが多い。
 初場所、夏場所、秋場所は東京での開催、春場所は大阪場所とも呼ばれる。他の二つはそれぞれ地名場所であ
り、これら六場所が大相撲の本場所として、その成績が地位、給金を左右するのだ。
 現在夏場所は、大の里、豊昇龍の二横綱休場で、最高位は大関琴桜、霧島の二人である。
 昭和ならぬ、平成ならぬ、令和の世では地位の上のものが下を叱るとパワハラとやらで許されぬ。呼び出しの世界
で、客のマスかなんかで食事をしていた新米を、立呼び出しが注意した時にこの連中が上へ「なぐられた」と申し出て
この立て呼び出しは腹に据えかねたのだろう、即辞職してしまった。
 そんなあたりからだろうか、何とも相撲が締まりなくなった。指導に暴力はだめと云っても、そもそも格闘技である。
 土俵の上でなら殴るけるは当たり前だ。と、思うが、それには節度がある。その見極めもつかぬ者が格闘者の訓練
など、怖いばかりだ。
 親爺もそれは納得できるが、ある程度(これが難しい)までの愛の鞭は許され、我慢を覚えさせることにつながる。
 大の里に物申す。横綱日下開山ともあろうものが、場所初めから休場とはこれ如何に。本当にがっかりしている。我
慢し無理をしても横綱が本場所を頭から休むなど、あり得ぬ。万全の体で相撲をとっている力士は何人いるのか。来
場所も休むなら引退を覚悟の事にしてほしい。
 自称?大横綱が何場所も休場して、復帰した後優勝し又休場など悪しき前例は日本人横綱には許されぬ。
 別に外人力士を蔑視する訳ではない、この場所の初日土俵を自力で降りるのはやっとのけがをした豊昇龍の態度
は付けッ人の肩を外して、痛む足で数メートル引き返し、土俵に頭を垂れ挨拶した姿が、横綱の矜持を見せた。
 この人は闘志むき出しで荒い相撲もとるが、横綱日下開山の心を確りと我がものにしている。大の里よ先輩横綱豊昇
龍にその心構えを学べ。勝ち負けは仕方ない。優勝できぬのも時の運だ。勝ち負けを越えた相撲を見てみたい。
 戸外は愈々濃い緑へと移ろってきた。


 保育所時代にけがで一寸横に向いた大きな乳歯が、ついに抜けた。口元が歯抜けなりにすっきりした。
 歯抜けが可愛い時期の写真。良かったね横向きの大きな歯が抜けて。


 夏羽に装いが変わって来た雷鳥である。時折翼を広げバタバタと生え代わる羽を振るい落としているようだ。
 


5/12
 喉がイガイガして、咳や痰も出る。熱はないが鼻まわりのグスグスとのどのイガイガで参った。
 オカカも同じ症状がでて、では町内の耳鼻咽喉科に行って来ようかと、午後4時近くに家を出て医院に向かった。
 午後だから子供たちが多く、それでも直ぐに呼ばれ、受診。喉よりも鼻が炎症を起こし、のどまで及んでいるとの事。
鼻をきれいに掃除していただき、鼻の吸入をして帰宅。オカカも同様で、先生曰く黄砂が来てるからでしょう。
 午前中は外科病院、午後からはオカカと一緒に耳鼻咽喉科医院、何とも忙しい日だった。
 で、このHPの更新もならなかった訳だが、一日文章を書かぬと、例え駄文ながら何か日課のトレーニングをさぼった
様な後ろめたさが有るのは可笑しなことだ。
 まあ、高齢者は何時も病院通いが多い。親爺の飲むべき薬も多くなり。旧友の天野が「俺なんか飯程薬飲んでっから
よ、それで腹いっぱいになんだっぺ」と電話で言っていたことを思い出した。
 「俺も一緒だよ、どれが何の薬か等考えてもいない。医者に言われただけ真面目に飲んでるよ」
 まあ若い時の仲間とは言え、どっちも70歳を廻って久しい。皆こんな調子である。
 体調が回復すること願っている。
 大日は黄砂の所為でぼんやりしている。


 お向かいのイッチャンとオトシさんの家の屋根も黄色くなっている。


 母の日の長女の贈り物はカーネーションの鉢植え。次女は文明堂のカステラ母の日バージョン、三女はジャージー種の
ミルクだけで作った高級アイス。
   


5/10
 快晴の山里。雄山ライブカメラで見る立山もスッキリと良い天気だ。登山者もずいぶん来ている。
 まあ、最近は積雪期でも装備が格段に進歩し、防寒具等も軽量高性能で昔とは違う事は確かだ。
 エベレストさえグループ旅行宜しく、自らルート工作するでもなく、自己の体調管理のみに専念し、兎に角ついてさえ
行ければエベレスト山頂に登頂できるわけで、しかし高所故誰でもという訳にはゆかず、脱落しても下山するときに落
命する事故も頻発している。
 が、これは登山隊として、自らルートを決め、ルート工作をし、荷揚げをしながら高度純化し、チームのうちの1人か
2人が頭頂をした頃の、登山隊による極地法登山とは明確に異なる。
 これで生計を立てているシェルパの中の優秀なメンバーが、ルート工作、荷揚げ、前進キャンプの設営等々を請負
客たるエベレスト登山者に貢献しているからこそ、年間数百人もの登山愛好家が頭頂できるのだ。
 今やエベレスト登頂者数は10000人を超えている。シェルパがその半数を数えてはいるが。
 ヒラリー卿とテンジン・ノルゲー氏の登頂や、植村さんや田部井さんの登頂と、現在の登頂では山は変わらねど質が
まるで違うのだ。
 コロンブスの卵の逸話を引くまでも無い。情報量のまるで違う世界最高峰登山でさえ現在はこのような状態だ。
 日本北アルプスの立山連峰においてもパイオニア期の登山は探検冒険の連続だったが、今はレクリエーションの範
疇に入るのだ。
 しかし、先人たちが命懸けで挑み、貯えて来た経験と情報を、余り軽々しく浅読みして、とんだ失敗をしてしまう事も
無いではない。自然は気まぐれであり容赦ない。
 今日は立山も良い天気だ。


 母の日やカーネーションの鉢一つ増え


5/9
 まあ、何時もの事だがいよいよ肩と首が痛んできた。夕べ又変な寝方をして首の寝違えが悪化したのだろう。こうな
るといよいよ週明けには外科へ行って診察せねばと云う気になる。
 昨夜は一晩雨だった。今は雨こそ上がっているが概ね曇りで時々青空が出て陽が射す。まるで親爺の左肩の痛み
の様な気まぐれな天気だ。
 黒部の孫娘も、東京の孫息子も今日からは休み。GWの疲れをいやす必要もないチビ達、親は疲れているだろうか
らさて、どうやって過ごしているだろうか。
 二人が帰ってちょっとホッとした気持だったが、また顔が見たくなって来た・・・。
 爽やかに青空が見えると思った次の瞬間、黒い雲がすぐかかって来る。不安定な天気だ。
 土曜日ながら立山もちと荒れ模様。室堂でもガスが濃い。


 新雪の直後、朝日を浴びる剱岳。


5/8
 孫たちと離れて暮らす日常に戻った。幾らかの寂しさはあるが、普段の生活の戻ったのだから直ぐになれるだろう。
 今日はオカカと一緒に買い物などに出かけた。
 左肩の不調で、外科にも行こうかとも思ったが、又通院とか言われると面倒だしもうしばらく様子を見る事にした。
 車の運転は全く問題ないので、ドライブがてら所用を一つずつ片付け、富山市内まで足を延ばして、筍なども買い
込んで帰宅した。
 オカカと二人で外出すると何となく普段に戻った気がするのも可笑しい。
 トモちゃんが送ってくれた、毎年今の時期ならではの写真。
 水田単作地帯である富山平野の田の水面に映える落日である白い大日の彼方に広々と広がる水田は立山の伏流
水がその命の基となっている。


 孫達に、ジジババからのこどもの日のプレゼントが届いたお姉ちゃんへは世界の名作選、お兄ちゃんへは光線銃。
    


5/7
 皆それぞれの生活の場に帰り、親爺とオカカはまた静かな日常を取り戻した。
 朝は孫の声で起こされ、二人で遊びだすとキャーキャーワーワードタドタ・・・と寝そべって本を読んでいる親爺の
傍を駆け回る。足音や声が近づくと、思わず身構えていないと急襲される。
 親爺は寝違えから来る左肩の痛みで、起きていると肩が痛むのでついつい寝転んでしまうので、オカカや娘達は
寝転んでいる親爺に気を使ってくれるが、孫二人はソンナノカンケイナイのである。
 その中、親爺の上から顔を覗き込んで、「ジジ、お小遣いはどうする」と孫にしては婉曲な言い回しでおねだり。
 まだ、一人1000円で、ごまかせるしそんなにお金に対する執着はない様なので、千円づつ渡すと、即座にそれぞ
れのママに預けている。
 でも最近はガチャガチャなども高くなって、実質はお小遣いを預けられたママたちの手出しとなる様だ。
 それやこれやで,日はあっという間に過ぎ今朝を迎えたわけだが、黒部にはこどもの日のプレゼントを届けて置い
たし、東京にも今日玩具が届くよう手配しておいた。
 孫の喜ぶ顔を想像しながら、寂しい五月晴れの今日を、静かに過ごしているジジバカである。
 雪解けの進む大日が良く見えている。


 長女から母の日のカーネーションが届いた。


 川向のスキー場続きの山も緑が日に日に濃くなってくる。


5/6
 もう30分余りで東京の孫を最寄りの駅まで送る。車が好きではない孫息子は電車や、バスなら平気なのだ。
 田舎ではそれはし少し無理があるが、花のお江戸ど真ん中では公共交通網が張り巡らされ、それで十分なのだ
ろう。パパの車さえ大嫌いなのである。
 まあ、その分ジジババは送迎に出なくて済む、或いはほんの短距離になるので助かってはいるが。
 三女は自分の車で、松本から来ているし、3時間半の下道の移動だけだから車が楽だ。
 兎に角、みんなが我が家に集合する今年のGWも終った。次は旧盆の8月だろう。
 それまで、親爺もオカカも日々長閑な毎日の繰り返しとなる訳で、少し刺激も受けないと惚けるから何処かへ旅に
でも出ようかと思っている。
 すっかり出不精になっているがこれではいけない、と思ってはいる。
 立山もGWが終わった。昨日は快晴に恵まれたが、一昨日は吹雪に見舞われた立山だ。
 剱御前小舎も昨日の朝は白く凍てついていた。


 楽しく遊んだ二人の孫達も、ジジに修理しておく宿題を残して、帰っていった。
 

 大日岳が新雪を脱ぎ捨てて、にこやかに下界の山里を眺めている。


5/5
 快晴の朝である。孫二人と、姦しい娘らに囲まれて、このページを更新しているが集中できない。
 オカカが食料の買い出しに出かけたので、親爺にはこのグループの統制は困難である事が良く分かった。主婦
の家庭における重要性を再認識する。
 良い天気で、朝から山を目指す車も多かったが、立山も今日は最高の天気に恵まれているだろう。でも新雪に覆
われているので、登山行動は慎重に。
 孫達はまだ朝なのでエンジンがかからず大人しいが、そろそろエンジン全開になるだろう。
 さて、親爺も更新を中止し、そろそろテーブルを開けようか・・・。
 山里もこどもの日に相応しい五月晴れである。


 遊び疲れれば、タブレットでゲーム。この時は静かだ。


 賑やかな玄関。久しぶり、正月以来。               いつの間にか緑の増えて来た庭。
 


5/4
 連休の中日ながら残念な天気也。山里からも立山は見えない。
 昨夜から3人の娘と2人の孫達が来ているので、頗るにぎやかだ。食事も起きて来る時間がまちまちだし、まあ
たまの休みの帰省中だからと、好きな様にさせている。
 孫二人もさすがに今は疲れて中休み。午後は長女が車で、高岡市のどこかへ連れて行くそうだ。三女は友達の
家に遊びに行っているので、夕刻帰って来るが、長女、次女は外で夕食を済ませて我家へ帰宅するそうだ。
 今宵も7人家族故賑やかであろう。
 立山は雪かも知れぬ。
 閻魔堂の石段脇に鎮座する不動明王。昔は村の中央にあったが、昭和30年代後半、もしくは40年代全般に道路
拡幅工事で旧道の閻魔堂石段脇の現在地に移動され鎮座された。


 我が祖父宗作の祥月命日の今日、親爺は祖父には玄孫に当たる孫二人を従え仏断を開けお参りした。
 子供好きだったという宗作爺、喜んでくれているだろう。


 シバザクラが随分勢い良く咲いている。


 今日は立山は見えない。


5/3
 高曇りで、この後天気も下り坂らしいが、山里も立山も視界は良く、立山の峰々も見えている。気温も高く10:00
現在で20℃を超えそうだ。天気が崩れても気温は下がらぬ様だ。
 が、昨日の朝方少し冷えたかなと思っていたら、トモちゃんから新雪が来たと写真が送られてきた。なんとは無く
その写真の雪景色に、今の時期はこれこれと云った同意を含む懐かしい心持ちになった。
 寝違いからくる首の筋違いが左肩に響き、もう1週間ほど経つのに治らない。
 昨日午後松本から帰宅した末娘が、全く同じ症状で腰まで痛くなったことがあるが、医師の投薬を受け治ったと
言っていたので、連休明けまで治らない様なら外科に行って来ようと思っている。安静が最重要との事・・・。
 今日はその末娘が、次女と孫息子を車に乗せて、黒部の長女の家に行った。
 去年新築した家なので、次女にもお披露目したかったのだろう。
 黒部の吉田科学館などで、孫息子と孫娘を遊ばせ、夕刻には全員で我が家に来る。
 親爺は今朝からシチューの下ごしらえに張り切っているが、年々感が悪くなりこれと云った味が出ない。
 まあそれでもファミレスクラスにはなっているので3人の娘たちも二人の孫も喜ぶだろう。
 親爺のGWの唯一に晴れ舞台である。オカカも食料補給の買い物に出かけた。
 小宵は賑やかになるだろう。ジジババ、3人姉妹、2人の孫。総勢7名のカオスである。
 ヤンジーが植えた庭のつつじが、旧立山道に面し二輪綺麗に咲いている。


 一昨日午後遅く降り始めた雪が、昨朝は御前山も綺麗に覆った。この時期はこれが本当の姿なのだ。美しい。
 

 不動山の東南には円城寺壁と云う壁がある。新緑に包まれた円城寺壁。


5/2
 今日は良い天気で、連休の始まり日とあって山を目指す車も多かった。
 親爺は首の寝違えから来る肩の痛みが長引き、普段は何ともないし、車の運転も平気なのだが、姿勢を変える
時に左肩が強烈に痛む事があり、うつむき加減だと良いのだが、嗽をしたり、目薬を射す時など首を後ろに曲げる
のだ難しい。
 昨夜、東京の孫が来た。車が嫌いで、電車かバスが好きな孫は、富山駅まで迎えに行ってもいやがり、最寄りの
駅まで富山地方鉄道で来る。で、電車の時刻に合わせ、千垣駅だったり岩峅寺だったりするが、元気な新一年生
の姿を嬉しく見て、嬉々として家へ帰って来た。
 今朝は、前述の首の寝違えで、起きだすタイミングを計っている時、7:00時ころには階下にだだだだーっと足音が
して、孫が起きだしたのが分かった。賑やかである。
 今朝は親爺の子供時代の紙飛行機に紐をつけ、当時はやっていたUコン機の真似事をしたことを思い出し、100均
で買ったジャンク紙グライダーにそれを真似て蛸ひもを1mほどつけて遊ばせた。今も喜んで遊んでいる。
 60年以上前の遊びでも、いまに通じることが面白かった。肩の痛みも忘れて孫とUコン飛行機ごっこをした。
 良いGW始まりだ。今夜は松本の末娘も来る。明日には黒部の孫もママと一緒に来る。
 我が家のカオスの始まりだ。
 新緑に鍬崎山も見えている。


 大分腕白小僧になって来た東京の孫。この飛行機に紐をつけ振り回すことを教えた・・・。


 山里の村外れには八重桜が数本あり、今、葉桜で花が散り敷く。普通の吉野桜はすでに緑はに覆われている。
 


5/1
 昨日キャッシュカードの明細書に記憶にない金額が引き落とされていた。
 カード会社へ連絡しようにも、昨今のカード会社は電話がかからない。かかっても音声案内で色々ボタンを押させ
られるだけで、何とかオペレーターにつないでもらえそうになったら30分待ちだと云われた(音声案内で)。
 全く無機質な鉄の対応であり非常にイラついたので、ホームページから取りつき、先ずカードの支払いを止め、新
たなカードを再発行する手続きをし、今回の被害状況を報告し、CTOOLAI*W+18888688954 (ISLANDS )と云う請求先に
付いて報告しておいた。他のページでもこの請求者についてのクレームが出ており、詐欺であるとの報告があったが、
貴方のIQを測定しますと云う様なページで、トライするにはログインしてくれとの事だったので、グーグルIDでログイン
しテストをしたが、最期のページで10円の請求と云うページが出たので、とっさに怪しいと判断し、支払い応諾はせず
頁を閉じた。どうもこれが手口らしい。今回の請求額は3点合計4610円で、被害額としては大きくないがこんな手口を
許せないし、ホームページでしか対応してくれないカード会社にも腹が立った。
 たまたま親爺はPC操作に慣れているからよかった様なものの、高齢者や、PC遣いの苦手な方は同様な目に合うと
カード会社は全く問い合わせには対応していないので、大汗を書いて腹を立てて、心配ばかり・・・。有名芸能人の高島
ちさ子さんや、やすこさんが恥を忍んでこんな話を公開していた。
 まことに腹立たしい詐欺師どもの横行である。世の中便利になり過ぎだ。でもこんな輩を許してはいけない。
 金額は少ないが許せない。
 グーグルIDは便利ではあるが、これでログインするときはカードの情報も漏れることを忘れてはいけない。
 親爺も猛省!!カード切り替えに伴う色々な手続きは親爺へのペナルティだ。

 さて、布橋灌頂絵の舞台となる、我が家とは指呼の距離にある閻魔堂、明念坂、布橋の写真を載せておこう。
 閻魔堂参道の入り口の石段は我が家から50m程の距離。旧立山道の左に石段、その奥に山門、そして本堂。
 布橋灌頂会は閻魔堂で読経、読経三昧(経文に酔うトランス状態?)に入った白装束の女人たちが導師に導かれ目隠
しのまま明念坂を下り、布橋を渡る。橋の中央で姥堂から出迎えに来た導師たちに導かれ姥堂に入り、更に読経、目隠
しを取ると突然姥堂の立山側の板戸が開いて真っ暗だった屋内に、立山連峰の神々しい姿が広がり、女人の身ながら
立山参拝をした事になり、免罪符(版木で刷った護符)を授けられる・・・・・。と云った儀式だった。
 一山と呼ばれる家(仙蔵坊、大仙坊、日光坊などなど)が持ち回りで主催したようで、一回の主催でカマス一杯の銭が得
られ次の主催の番が来るまで生計がたった等と言われた。
 江戸時代末期の廃仏毀釈ですたれ、何時しか布橋も落ち、昭和40年代に風土記の丘の指定を行けた芦峅寺に布橋が
再架橋された。布橋灌頂会の再開はそれより尚20年以上を経ての事である。
 立山博物館の主導で、村有志も協力したが、外部の方々が大勢入る様になり、村も想像以上の支出が有った様で、3年
に1回のイベントの様になり、現在に至っている。映画なども作られたらしいが親爺もオカカも見ていない・・・。


 山門をくぐり本堂があるが、その本堂に向かい右に入ると、石塔の並ぶ明念坂がある。明念坂の下は旧立山道。


 明念坂を下り旧立山道を横断し、もう一坂下ると布橋詰めに出る。布橋の先には古い芦峅寺の墓地があり、
そこを通り過ぎると姥堂の名残の姥堂基壇があり、立山の峰々が遥に望まれる。今は姥堂基壇の向かい側
に立山博物館映像資料館の遥望館(ようぼうかん)が建ち、姥堂で行われていた儀式の最終段階はここで行
われる。


4/30
 卯月も今日は晦日也。
 高曇りの空だが、まるで五月半ばの山の様な雪解けの早い大日岳が良く見えて、はッと今日が4月末日だと気が
付いた。
 何とも早い時の流れ。オカカ曰く「変化の無い日の連続だから」と。成程よくわかる。
 まあ、何事も無く穏やかな日の繰り返し故、時の流れが穏やか過ぎて、知らず知らずに茫洋と時を過ごしてしまっ
ていると云う有難い日々の裏返しである。
 歳を重ね、体のあちこちはガタが来て、それでも特に不自由なく暮らしていられるのだから喜ぶべきことなのだ。
 目下の親爺の悩みは、首を寝違えて、左肩まで痛い事。ネットで調べたら偽痛風と云うやつで、早くて数日、長引
けば月単位から年単位もあるそうだ。対処法は鎮痛剤やシップ、そして安静。そして医師の診断・・・。
 まあ、次の通院日まで様子を見よう。
 二、三年前にも同様の事が有ったが、知らぬ間に治った。その程度のものだ。
 今朝の大日。この時期としてはかなり雪が少ない。


 不動山の山桜も漸く終わった。画面右上葉桜になって未だ頑張っている。


 我が家の庭の隅の芝桜。徐々に範囲が広がっている。



4/29
 今日は昭和の日であった。
 寝違えから来る左肩の痛みに、ここ三日ほど悩まされているので、それに気を取られ、4月29日が何となく心に
引っかかっていたのだが、「誰かの命日だったかな?」と身近な親族の命日を思い出したりしていたが、はっと懐
かしい想いがある日だと思い至り、昭和の日だと携帯の電子暦で確認した。
 何たるウスラトンカチである事か、、一寸惚けたのではとガックリした。
 昨日、大分の旧友青井が「おお、佐伯元気か、あのなあ・・・・・」と懐かしい声で電話をくれた。何でも我が山里の
布橋灌頂会が映画になって、親爺はそれを観てはいないが、あちこちで上映されているらしい。
 立山信仰と云うキャッチフレーズで「おお、佐伯のやつの村の話じゃ。」とそれを見てくれた様で、それで電話をく
れたそうだ。
 青井が我が家を訪れたのは、卒業して間もない頃、もう半世紀前の事だが、赤い欄干の橋を覚えていたようだ。
 お互い話が頓珍漢な部分も有ったが、もう古希を過ぎて大夫間のある爺様二人の話であるし、昭和の時代に時
を共有した仲間である。話の内容などどうでもよい、声が聞けただけで嬉しいのだ。
 と午後になって、隠居特権の昼風呂に入り、湯上りで上着も脱ぎ捨てTシャツ一枚の処へ、村内に住む同い年の
ツネ、がウドを大量に持ってきてくれた。
 いやいや、毎年の事ながらこれも嬉しい。玄関先でひとくさりワイワイやって帰って行った。この竹馬の友も懐かし
い昭和の時を共有した仲間である。
 青井もツネも二人とも親爺よりはるかに元気だ。現役で畑などをやっているからだろうか。
 今日の昭和の日をしみじみとした気分で迎えているのも、この懐かしい連中のお陰だ。勿論昭和の時を共有した
仲間はまだまだ他にもいる。でも何時も連絡をとりあっている仲間の何と減った事か・・・。
 諸行無常とは言いながら、昭和も遠くへ去って行くのが寂しくてならない。
 これも昭和から見続けた景色だが、今は自力では見られない。優しいトモちゃんが送ってくれるから見られもし、
このHPに掲載も出来るのだ。
 別山尾根から足下に臨む大日の先に陽が沈む。
 

 今日の山里は曇り空。立山も上部の方は雪模様だ。


 曇り空で山裾がかすかに見えるだけ。


4/28
 昨日東北地方にも雨が降った様だが、山火事で大きな被害を受けているエリアの火の手はまだ治まってはいな
いのだろうか?
 消防の「概ね制御下にある」との発表だが、地下に潜った火がまた何時燃え上がるか分らぬと云う、山火事独特
の広範囲にわたる火の元の根絶が大変なのだろう。
 今まで雨が降らず、異常乾燥状態が続いたことがこの山火事の原因だったのだろうと想像するが、少しまとまった
雨が降れば、この山火事も鎮圧できるだろう。
 こういう災害の度に人間の力の限界を感ずる。
 今まで山火事の消火、鎮圧に夜も寝ず奮闘された、消防署、消防団の献身的活動に大きな敬意を捧げるものだ
が、恵の一雨の力の大きさにも驚く。
 どうにかこの山火事が鎮火されるほどの雨が降ってくれる様祈りたい。
 人知を超えた災害には、せめて祈る事しか出来ぬ老いの身である。
 別山の朝地吹雪の吹き騒ぎ


 平野では田に水を張り山映し


 庭の隅芝桜少し花萌えて


4/27
 今日は雨が降っている。晴天続きの後の雨故、ホッとしている。
 山火事が怖いし、水不足も怖いし、杉花粉も嫌だ。
 雨は草木を洗い枯れた大地を潤し、埃っぽい大気をも浄化してくれるようだ。
 山里では雨だが、立山は雪である。雄山山頂カメラに映る映像では、昨日までの登山客の踏み跡が新雪に覆わ
れ見えなくなっている。
 お客様の入れ込み具合はどうだったろうか。GW本番直前だから大した事も無かったかも知れぬ。今は外国の団
体客が圧倒的に多いらしい。
 親爺が現役の頃から、韓国の団体客が来はじめて、当初は習慣の差から来るトラブルも有った様だが、段々に
日本のマナーや、山小屋のシステムにも慣れて頂き、親爺の引退直前位には馴染みの韓国人客も増えていた。
 オーストラリアからのグループ登山は、親爺と仲良くなって何年も来てくれたものだ・・・。外国人登山客など今は
珍しくもないだろうが。何事にも事始めは有るものだ。
 もう少し降って欲しい雨だがもうやみそうな気配だ。


 庭の芝桜の細やかな色が目に入った。


 木々や建物の屋根や道路も、雨に洗われ少しすっきりしたような気がする。




4/26
 暖かい日曜日だ。立山も素晴らしい天気な様だからお客様でごった返しているだろう。
 稜線の山小屋、剱御前小舎に一の越山荘も営業を始めているだろうから、絶景を求めるなら是非電話で確認を。
 立山が混みあうのは山小屋が潤う事になるので、一向にかまわないが、山里も観光客がウロウロしだすとざわつ
いて、日曜が早く過ぎればいいと思う親爺だが、招かざる客であるへコキムシ(クサギカメムシ)もぶんぶん飛び回り
家の中にも入り込んでくる。
 昨夜も寝ようとしたところへ、これの攻撃を受け、手で払いのけようとして、何と左耳の耳たぶ付近に被弾した。
 凄まじい悪臭である。起き上がって明かりをつけ何処かへ潜んだ奴を捕まえようとしたが居ない。
 仕方なくトイレで小用をたし、部屋へ戻る途中で瀕死のやつを発見。こ奴屁の攻撃をするとたちどころに弱り込む。
 ティッシュで包んでトイレに流した。
 しかしこのおかげですっかり目覚めた親爺、しばし本を読み、2;00過ぎに寝ることになった。
 暖かい今日は10:00で既に22℃。昼食後に昼寝を1時間程すればすっきりするだろう。
 庭は、すっかり緑に包まれた。


 大日もややアイが掛かった彼方、すっきり聳えている。


 スイートバジルの種を撒いたプランター。発芽を心配したオカカだが、今はびっしり。今度は間引きの心配だ。


4/25
 明け方は久々に寒気を感じ目が覚めた。それでも布団にくるまると又すぐ寝込んで、朝までよく眠れた。昨夜は何時
もより1時間も早く寝てしまったので、矢張り早く目が覚めて、でもいつもの時間までベッドに居た。
 親爺の歳になると、何時もの生活パターンが崩れるのが何となく気になり、体調まで影響しそうな気がする。だから
まるで刑務所の囚人の様に規則正しい日々の繰り返しだ。まあ、気ままに自由で、他からの拘束は一切ないが。
 起床、洗面が終わると朝食で、これが8:00前後、朝食が終わると軽いストレッチ2〜3分したりしなかったり、で居間の
自分の席に座り、新聞は滅多に読まず、ネットでニュースを読む。
 その後は気分次第だが、このHPの更新に取り掛かり、たまには村はずれ位まで愛車軽4WDを転がし写真を撮った
りドローンを上げたりもする。トモちゃん入山で写真が手に入るので、それを眺めながら山にいる気分になったりもして
いられるしHPに載せる写真も圧倒的に増えたが、庭の写真や、季節の移ろいも載せたいから、親爺の生活パターンは
さほど変わらない。
 さてそのトモちゃんからの写真、別山尾根から撮った剱だ。手前に雷鳥が岩陰に居る。番だろう。


 地吹雪を避け岩陰に佇む雷鳥、一羽がもう夏羽になりつつある。雪に潜って砂浴びならぬ雪浴びか?吹雪を避けているのか?
 

 今日の我が山里は春の陽が射し長閑な日だ。気温はやや低い。



4/24
 暑かったのは一日だけで、段々涼しく?なって、昨夜から今朝など少し肌寒く感じた。
 その所為なのか睡眠は心地よく、今朝など目覚ましの鳴るのが煩くて、すっきり目が覚めるまでに5分くらい朦朧と
していた様だ。
 寒すぎると眠れず、暑いとなお眠れず、肌寒く、夜具の中で自らの体温を楽しめるくらいの気温と云うのが一番深く
眠れるような気がする。朝の目覚めに時がかかるなど若い時の様な気がする。
 山里も肌寒いはずで、昨夕の剱御前小舎では新雪が来て、真っ白になった。まあ、それはこの時期珍しい事では
ないが、何やら雪がかなり少ない気がする立山である。
 一昨日のトモちゃんのん入山時の、雷鳥沢の写真を見てもそう思った親爺である。
 大日岳を下に見るところまで高度を上げて、足下を見てもハイマツが出ている所が多い。


 一概には言えぬが鍬崎も雪が少ないし、地獄谷から大谷にかけても雪は少ない。


 今日の曇天かの不動山。山桜がまだ綺麗だ。山桜と云うのは下界の桜よりも花の命が長いのだろうか。
 


4/23
 いよいよ昨日トモちゃんが入山し、夕刻早速、写真を送ってくれた。
 親爺の思っていた通り雪が少ない立山である。今がまだ4月の奥山の小屋の小屋開け時期だとは思えぬほど、雪
はすくない。
 新緑の透き通るような昨日、山に向かったトモちゃんだったが、剱御前小舎にはいったあとは雪や霰が降った様だ。
 雪などにも会わず無事入山出来て良かった。
 昨日の朝はこんな新緑の輝く気持ち良い天気だった。


 雄山稜線が一の越のコルを超え浄土に続く。手前のみくりが池はもう僅かに水面を見せている。


 残念な事に生き残ったと思った閻魔堂石段脇の桜、伐採されてしまった。参道通過中に気が倒れるなどの事故
は、万一にも防がねばならない。これでそれは防げた。と、思って名残惜しい桜に別れを告げた。



4/22
 不動山も、昔は四六時中村の人が出かけていたが、立山町が町営スキー場を廃止し、その跡地を業者に貸し出
し、業者が大きなエアリアル、フリースキーなどのアクロバティックなスキーの施設をゲレンデ下部に作って以来、何
となく場違いな気がして村人もあまり行かなくなった様だ。
 山小屋荷揚げ用のヘリポートもここに併設されていたが、同様の理由で今は川向のスキー場へ依頼して使わせて
貰っている。
 まあ、村も限界集落。高齢化してあまり元気な人も居らぬ様になったから、不動の山へも用事は無くなった。
 たまに元気な婆ちゃんたちがワラビでも採りに行くくらいだろう。
 だが、我が家居間からも毎日不動山は見えている。下部の私設は見えぬのであまり気にもならぬ。
 今でも季節の移ろいを眺める大切な山だ。
 新緑と山桜の美しい不動山。


 山小屋への第1陣の荷揚げは、剱御前小舎だけになって、昨日午後遅く無事行われた。
 

 我が庭のスイートバジル、細かい芽を出した。もう少し大きく成ったらプランター内で植えなおしてやるそうだ。


4/21
 昨夜は明け方まで本を読んで、久々の徹夜だったが、2時間程は寝ていた様で、普通に起きた。
 が、流石にすこしボーっとしており、朝ご飯も食べられなかった。オカカは町の健康診断で公民館へ出かけ親爺は
留守番だったが、久々にトモちゃんが立ち寄ってくれ、帰宅したオカカも交えワイワイと話が弾んだ。
 大分の九重スキー場は人工降雪機の雪で3月末まで滑れたそうで、パトロールの仕事で頑張っていた様だ。気候
の良い大分は父上の故郷で、そこでゆったり過ごせた所為かトモちゃんは若返ったような元気な顔をしていた。
 今日は下界からの第1陣ヘリ輸送の日で、ヘリ輸送担当のトモちゃん、ヘリポートへ向かった。
 山里は良い天気、立山も良い天気なので多分飛ぶと思うが、山は晴天ながら風が強いそうだ。
 白馬のヘリ輸送も遅れているらしいので、さてどうなる事だろう。
 親爺、寝不足の割に元気なので、このページも更新している。
 新緑が滴り透明感の高い今日、気持ちが良い。
 不動の山の山桜が満開を迎えている。


 大日も新緑の山里の向こうに聳えている。春にしてはアイもかからず綺麗に見えている。


 川向のスキー場エリアも新緑に埋まっている。



4/20
 ここ2〜3日で、新緑が眩しくなった。
 とは言え山里の事、竹やぶもあるが筍はまだ早い様だ。それでも平野の竹やぶにはいつにない豊作で、タケノコが
ニョキニョキ出ているとのこと。
 富山市内町場に、「そよかぜ農産物直売所」と云うのがあって、そこでは筍が毎朝朝採りで並べられているとのこと。
 オカカと二人で直売所の開店時間9:30に合わせ9:00頃に家を出た。
 値段別に筍がずらりと棚に並び、他の野菜を圧倒している。より取り見取りで、1000円、700円、500円などと値札シ
ールが貼ってある。大きさによる区分だろう。全て朝採りなので辺りハズレも少なかろう。
 二人で頂くだけで量は要らないので、500円2本、小さい400円を1本買い込んで来た。山独活らしき独活も2本400円
で買い込み、帰路途中でスーパーにも立ち寄り帰宅した。
 まだ本格的ではないが広々とした田圃はこれから引き起こしされ、水が張られるのだろう。
 周りの新緑は今が盛りで、春独特のアイ(靄)が薄くかかった向こうには、立山の山並みが見えていた。
 春の野も春爛漫、温かく眠くなりそうな日である。新緑の明るさに目を覚まし安全運転で帰宅した。
 大日が見下ろす山里に無事帰宅し、オカカは早速筍を糠でゆでて、あく抜きに取り掛かった。


 まだ工作の手も入らぬ田圃の向こうに集落が見え、その向こうには立山が光っていた。


 姫蔓日日草が可憐な紫の花をつけている。我が庭も春。  村はずれの桜木もとっくに花を散らせ。葉桜となっている。
 


4/19
 10:00現在で17℃ほど。陽が射しているから体感温度はもっと温かく、丁度いい気候だ。
 午後からは少し陰る様だが、それでもストーブも消したし、床暖などはとっくに止めてある。親爺の衣装は冬のまま?
いやいや、フリースは薄手に変えてある・・・。
 思えば山菜(わらび)もオカカが採って来るのでよく食べたし、雪も全く見ないし、気にもならない。
 この雪からの解放と云うのは本当に大きいと思う。何をするにも、何処へ行くにも心配は半減する。雪国に生きた人
ならこの気持ちはわかってもらえるだろう。
 辺りに緑が見る見る増える。新緑に燃える山々も実に心地よい。
 もうだめかと思っていた閻魔堂石段脇の桜も確りと葉を茂らし始めた。


 ちょっと見に行ってくると家を出て、帰って来たオカカはワラビを採って来た。


 玄関先のつくばいに山水が流れ落ち、オカカの鉢植えも綺麗に並んだ。


4/18
 昨日と同じような高曇りで、気温は昨日より一寸低いだろうか。
 隣の剣山壮が、先の暴風で窓を吹き飛ばされたとのことで、今日入山したようだ。応急修理してくるつもりだろう。
 剱御前小舎が同様の被害に遭ったことは、親爺の代でも2〜3回あったが、剣山壮がやられるとは、どんな雪の積もり方
風の巻き方をしていたのだろうか?被害は左程のことは無いと思うが・・・。
 昔は剣山壮も、剱沢も、現在の剱御前小舎と同時期に小屋開けをしたものだが、剱御前小舎はともかく、剣山も剱沢も
小屋開けを遅くした。
 オープンしていてもお客様もあまり来ず、施設のメンテに経費がかかり過ぎ採算がとれぬのだ。しかもコロナ以降の山小
屋の運営は極めて難しくなったのである。
 山は静かに聳えている。


 我が家のタンブラーに撒いたスイートバジルが発芽した・・・赤丸で囲った処だが良く分からない。


4/17
 温かい高曇りの春の日だ。
 ついつい眠くなってしまうが、一寸また風邪気味で、夜は熟睡できない。
 ウトウトと昼寝をするとまた夜が眠れなくなるのだが、暖日の転寝は気持ち良い。
 黒部の孫が、ママと二人でディズニーランドに出かけている。昨夜の新幹線で東京着が20:00、それからホテルに入り
今朝は早くからディズニーに出かけている様だ。
 折角のディズニー、思い切り楽しんで来ればよい。ジジババも送られてくる写真を眺めて喜んでいる。
 東京はの孫は新1年生。今回は合流できなかった様だが、また別の機会にどこかで会うのだろう。GWには我が家に来
て6日間ほど滞在。その時には黒部も来るだろう。
 ジジも体調をコントロールし、可愛い孫たちとあそびたいものだ。
 今朝の大日。雪解けが早い。


 ムスカリ(ぶどうヒヤシンス)の鉢植えと、ナデシコとアリッサムの寄せ植え。玄関の石段に並ぶ。
 


4/16
 心痛む哀しいニュースが流れている。いたたまれぬ心持になる。
 そんな心を映すような、昨夜の雨であり、今朝もまだ濃いガスが我が山里に掛かっている。
 テレビはそのニュースか、頭がどうかしたのではないかと思われる様なトランプの、出鱈目な発言のニュースに限られ
た様に同じ内容ばかりを繰り返している。
 そんな中で、久しく目を通す事の無かった読売新聞の編集手帳に目を通した。
 オカカが「ショージ君」の作者が亡くなった様だよと、新聞を手渡してくれた。
 東海林さだお氏は非常に懐かしい漫画家だった。半世紀以上前の学生時代の一時期、この人の漫画に夢中になった。
 単行本が何冊か出版され、結構立派な装丁でも500円台で購入できた。勿論500円と云うと当時の学生には結構な金額
であったから、悩みながら買ったものだが、その貧しい生活を、学生ならぬ独身サラリーマンのショージ君に置き換えて読
んだのだ。近年はエッセイを書き綴っておられたが、東海林さだおの世界は変わらず健在だった。
 懐かしい漫画家が又お一人旅立たれた。マンガ世代と呼ばれた親爺たちの世代には寂しい。
 先には、つげ義春氏、そして今、東海林さだお氏。
 昭和の懐かしい人たちが、次々に遠くに行ってしまう。
 何とか命拾いした閻魔堂石段脇の桜。


 濃いガスで不動の山も姿を隠している。


 オカカがスイートバジルのタネをまいた。さて芽は出るだろうか。


4/15
 雪に降られ過ごした寒い冬もとっくに終わり、今や待ちかねた春である。
 食べたかった蕨の醤油漬けや、葉ワサビの辛味も十分味わって、温かい眠気を誘う様な穏やかな気候に身体も慣れた。
 卯月四月も半ばである。
 オカカと二人一寸旅に出ようかと、ほぼ一月も前から考えているのだが、決行の断が下せない。
 どうしても行かねばならぬ理由もないし、下手なホテルで窮屈な思いをするくらいなら、広々とした我が家でゴロゴロして
いた方が良い。
 あれを見たいこれが食べたいという欲求も無いではないが、行動を起こさせるほど強くはない。
 まあ、その中に出かけよう。それにつけても、例の地域クーポン券の発給以降、コロナが収まり、宿に人が戻り出してか
らこっちも、宿泊料金は酷く高くなり、そこで止まっている。
 諸物価値上げの折、やむを得ぬのだろうが、我々高齢者にはきつい値上げだ。
 それでも旅に身を置く時間は、何とも楽しいものだ。この楽しさが年々背を押して親爺とオカカを旅に誘ってくれるのだが
その誘いもずいぶん弱くなって来た様だ。
 大日の雪解け速き卯月かな


 古いネガから取り出した写真を高精細化し、時代相応のカラー化をした。
 昭和30年前半、今の打越山裏手にあった棚田の様だ。
 佐伯富男さんの撮影らしい。なぜ我家にネガが混ざっていたのか不明。
 父とは南極観測、日本山脈縦走なども同行した仲の良い友達だった。映っている人物も不明。


 大銀杏も新芽を付け緑がかってきた。            隣のヤンジーの庭に水仙が咲いている。
 


4/14
 オンバンダンつまりオンバ谷で姥谷の事だ。
 そのオンバンダンに掛かっている橋が布橋で、今の橋は、親爺たちがまだ学生の頃(中、高生)架けられたものと記憶し
ているが、それまでオンバンダンはゴミ捨て場にまで成り下がっていた谷であった。
 谷をダンと発音するのは立山の山人の訛りで、立山の谷筋は、殆どダン、タンと発音される。平蔵ダン、長次郎ダンなど
で、大タン、イケノタン等もある。
 これが信州では沢であり、これも信州山人の特異な呼称であろう。富山の山岳エリアでは谷、タン、ダンが多く、信州エ
リアでは沢、ザワがおおい。
 特に谷と沢を定義する必要もないからか、未だにそのままの呼称が使われているようだ。
 まあ、どうでも良い話だが、今朝布橋を見て、そんな事を想っていた。


 緑の芽を吹き出した木の向こうに鍬崎が雪衣を脱ぎだして映っている。


 墓地からも山は見える。墓に入っても山を見上げていたい我がご先祖様たちだ。


4/13
 松本では一山全体に桜が植えられた、弘法山古墳が桜の名所の様だ。標高600mを超える地故桜の満開も遅く、今盛り
を過ぎた処らしい。
 末娘が仲間と花見に行ってきたそうだ。以前親爺たちも行ったことがあるが懲りた。駐車場は常に満杯だし、うっかり山
へ入り込もうものなら、迷路の極細道が入り組み、花など忘れ大きな道に出た時は実にホッとしたものだ。
 地元人の末娘なら迷うことなくどこかの駐車場へ入れたのだろう。
 一山がすべて桜なり。


 宇奈月の音澤地区は古い伝統が良く守られている。獅子舞もその一つ。パパの会社の駐車場が休憩所を兼ね、ここ
でも一指し獅子が舞った。


 小三になったお姉ちゃん。お酒の瓶をもって獅子舞のパパや、おじさんたちにサービス。この地区唯一の小学生。
 地域が一体になって我が孫娘を見守ってくれているのが非常に心強い。
 

 新築なった家の駐車場でも一舞して、お祝いしてくれた。


4/12
 昨日庭の隅で見つけた姫蔓日日草だ。
 昨日も拡大した花を載せたが、如何にも小さい可憐な花であることを確認したかったのと、我が家の庭で雪の下越年し
て花を咲かせた最初の花だったからだ。
 去年まではミニ水仙があったがオカカが植え替えしようとして失敗したらしい。所在不明だ。
 そのミニ水仙が毎年花を咲かせていたと思っていたが、去年は咲いて居なくて一昨年が綺麗に咲いていたとバックナン
バーを見て確認した。
 花はと云うより、植物音痴な親爺である。


 昨日のオカカの収穫。ワラビ650g、葉ワサビ300g。しかしいずれもこの後の下処理が大変・・・。
 

 ワラビは重曹をふりかけ、熱湯を注ぎ一昼夜漬け込む。その後また水を取り替え濃い色に水が変色せぬ様になるまで繰り返す。
 

 葉ワサビは清水に浸しきれいに洗いごみをとり綺麗に整える。その後オカカの魔法でワサビ漬けが出来る・・・


4/11
 閻魔堂石段脇の桜も、どうもこれで終わりの様な気がする。意地悪く昨日も吹いた風に、唯でさえ疎らな
花をまた吹き飛ばされてもう言い訳程度の花をつけているばかりだ。
 元の大きな幹とも呼ぶべき二股の片方が折れ、大分力も弱っている様だ。下手をするとこれが最後の花
となる様な気もする。
 幹折れて 尚花咲かす 老い桜 古の夢 哀れなりけむ
 これはAI抜きの一首だが・・・・・。
 親爺の歌や、俳句など決して勉強したものではなく、又勉強しようにも頭が追っつかず、歳を理由に気ままに
その時々の気分でやっつけた代物ばかり。
 それでも楽しんで好き放題を言っている今に感謝している。
 今日はオカカが大活躍、ワラビ650gに葉ワサビも採ってきた。あく抜き等の後始末が増えて大変だが春を食う
楽しみが又巡り来た。
 我が庭に緑増えたり嬉しやな


 姫蔓日日草だそうである。庭の隅に見つけ嬉しくなった。


 不動山春の霞にちとぼやけ


4/10
 閻魔堂の石段脇の桜が下部で折れ、我が屋の車庫の隣にある剣山壮の車庫の屋根に落ちかかっている。
 屋根に被害は無いだろうが、折れたままで花を咲かせている。まだ本体と完全に縁が切れてない様だ。
 で、親爺は今朝になって、何時も喜んで取り上げている閻魔堂石段脇の桜に花が咲いているのに気付いた。
 花が咲いたとか云え貧弱なまばらなもので、今年は満開になる前に大風に吹かれていたから、これが精い
っぱいの開花かもしれない。
 まあ、それでもよくぞ咲いてくれた。この花を見て親爺は花見とする。
 ”風強くつぼみのままに飛ばされし花は何処に開くべき世ぞ"とAIの知恵を借りて詠んででみた。
 親爺では決して読めぬ一首だが・・・。
 閻魔堂石段脇の桜に捧げよう。


知らぬ間にと云えば隣家裏の大欅もいつの間にか芽吹いている。


 オカカの植えたビオラは我が家玄関の石段を飾る。


4/9
 今日は父の祥月命日である。仏前に灯をともし香を焚いてお参りした。
 昨日午後、父の好きだったルンビニー聖母像に床の掛け軸を変えた。親爺にすれば父への手向けのつもりである。
 仏壇の隣が床の間と、昔の飾り棚戸袋などの造作を壊し、隣の一間幅に仏壇スペースを作り、仏壇をそこへ移した
のだ。で、本来が奥の座敷で、元々父母が寝ともしていた奥座敷は、母の旅立ち後父一人で使っていたので、親爺が
段を下し大改修したのだ。
 父の反対は無かった。当時は半分は施設のお世話になっていた父だ。
 父が暮らしやすいようにベッドを入れ、元押し入れだったスペースにはトイレを作った。
 トイレ洗面台付きの部屋だから暮らしやすいはずだが、最晩年はそれも理解できぬようになっていた・・・。
 しかし本人は何も文句も云わずニコニコ笑って暮らしていた。
 春の日に眠るがごとく旅立てる父の最期の尊き静寂(しじま)
 爺ちゃん、しばらくこのルンビニーの聖母像掛けておくからなぁ。


 昨日は東京の孫息子の入学式。やっぱりランドセルが大きいね。パパママ一緒で良かったね。おめでとう!!
 


4/8
 本日は釈尊のお生まれになった日である。
 「天上天下唯我独尊」と両手で天と地を指しお生まれになったそうだから、普通ではない。普通ではないから尊く、仏
の道を生まれながらにして歩み、仏教の祖となられた。
 我が父宗弘は、仏事だとか寺参りなどそんなに好きな方ではなく、仏前に手を合わせた姿などあまり見たことがない。
 しかし、幼少時は祖母(母)が四六時中、仙蔵坊と云う立山中宮寺の流れを受けた寺の手伝いに出かけていたので、
門前の小僧で、習わぬ経も読んで周りを喜ばせた様だ。
 そんな父だからか、ネパールを訪れた時、親爺のいつも出入りしていた仏画店に同行したら興味津々で、摩耶夫人が
ルンビニーの池で釈尊をお産みになり、沐浴をする有難い姿が掛かれた聖母像が気に入り、買い求め、日本に持ち帰
ってオカカの実家(高岡)の義父の友人の表具師にお願いして掛け軸として、今でも我が家にある。
 今日は釈尊生誕の日。明日は父の祥月命日である。
 今日の中に長くかけっぱなしだった曼荼羅の軸を下ろし、聖母像にかけ替えよう。
 聖母様、1年生、3年生として新学期を迎えた孫たちも優しくお見守りください。
 光り輝く大日岳。


 庭がちょっと見ぬ間に緑が増えていた。


 オカカがビオラを植えた。色々な色寄せ植えだそうだが・・・。



4/7
 昨日とは打って変わった雨空也。大した雨量ではないが降りやまぬ。
 朝から体調が悪く、何処と云って何ともないのだが、何かしようと云う気にならぬ。
 昨夜はへコキムシが刈りたての我が側頭部をもぞもぞ這って、思い切り手でつかんだ所為でそのスカンクの様な悪臭
ガスに、手、側頭部、枕とその直撃を受け、寝付くまでその匂いは撮れなかった。
 そんな寝付き方だったからか、夜中に何回も目が覚めた。親爺は寝込むと先ず起きない質だが、昨夜が温かかった
所為もあって、全く安眠出来なかったのだ。
 で今朝になると何処とも言えぬ気だるさに襲われた訳である。
 まあ半日のうちその半分は寝て過ごし、今昼食を喰い終え、ほぼ通常となった次第。
 慌ててHPの更新に取り掛かっている。
 とは言え、こんな雨天である。気分は今一つスッキリしない・・・。


 ガスに巻かれた隠れ里の様な山里也。


4/6
 昨日とは打って変わった快晴の天気である。立山が春のアイも薄くくっきり見えている。
 早速ドローンを上げ撮影をした。ドローンはズームが効くがあまり使っていない。それでも物は試しと2倍ズームをかけ
撮影した立山の連峰だったが、光学ズームとは違い粒子が荒くなる。で、試しにAIを起動して高精細化を図った。
 まあ正直なところそれらしく高精細化されるのは素晴らしいが、味わいは・・・。
 出も古い写真を蘇らせたりと云う作業は、さすがAI である。
 昨日は竹ちゃんに助けてもらって、外れた網戸も開きの悪くなっていたサッシも一先ず修理を終えた。流石職人さんだ。
 タケちゃんは「タケムラ建工」と云う会社の代表で、山小屋への出入りで仲良くなって、山小屋の手伝いも良くしてもらっ
た。毎週山に上がって来てくれるので、助かった。
 今回も助けてもらった有難う。
 来拝山もよく見えている。温かい今日だ。


 大日剱を背後に、旧大山町常西用水の桜並木が綺麗だ。


 今日は天気も良く人影も見えずだったが、一昨日の暴風で桜は随分飛ばされた様だ


4/5
 昨日の台風級の大風の被害は、我が家の二階親爺部屋の網戸も吹き飛ばした。網戸は窓の手すりに引っかかって
大丈夫だが、それを何とかしようと窓を開けたが・・・開かない。何かほんの1週間も前には楽に開いていた窓なのにと
閉めたり、無理に開けりとしている中に、大きなペアガラスの戸が外れた。入れなおそうにも重い。
 幅は普通のサイズだが高さは1m50前後ある・・・。何とかかんとかやっている中に、元の位置に収まったので外れた
網戸は屋内に引っ張り込んで、窓も全部元の位置に戻し、日曜にもかかわらずタケちゃんに電話し、SOS。
 タケちゃんは時間を見て今日にも様子を見に来てくれる事になった。
 いつも余計な仕事ばかり作って、申し訳ないが、気心の知れた職人さんはもう数少ない。
 修繕一式お願いしよう。
 昨日の従弟の納骨式も暴風雨の中で大変だったが、光昭和尚によって滞りなく終わった。
 寂しくは有れど諸行無常である。安らかにと祈った。


 昨日オカカが目利きし、買い込んできた鯛のアラをたっぷり、下処理を終え親爺が煮込んだ。落し蓋で一気に煮上げる。
 

 最後は煮詰まった汁を掬いかけてに着けた。今夜の夕飯だ。


4/4
 朝、川向の床屋に出かける時、芳美橋と呼ばれる常願寺川を越える橋を渡っていると立山が結構はっきりと見えた。
 小雨までぱらついていたが、意外な視界の良さにちょっと驚いた。
 暖かく、雨も暖かい雨だ。
 サッパリして帰宅。今日は従弟の納骨の日だ。暮に亡くなり49日も済んでいるが、芦峅寺にある墓は雪の下だった。
 それで今日まで日延べしたのだが、天気が悪い。墓は遥望館の隣にあるので無雪期なら良い場所だ。
 安らかに眠れ。13:30に集合である。
 大日がかろうじて見えている今日だ。


 古い写真を綺麗に蘇らせた。雷鳥沢を登る祖父、佐伯宗作である昭和7年か8年頃だろう。スキーも背負っている。


 第1次南極観測に参加した父の写真。原版がリバーサル述べた焼きしか残っていないが、ここまで蘇った。


4/3
 久々の快晴で、オカカは朝から大張り切り。高圧洗浄器を持ち出して、外の石段や玄関先の石段に生えた藻を落とし
庭の大掃除を始めた。
 親爺など最初からあてにされてもいないし、当てにされてもどうにもならぬので、居間に籠って古い写真の整理などを
していた。
 整理と云うか、劣化した写真の修復などをAIの力を借りてやっている訳で、古い山の写真が見事によみがえるのは面
白い。自分の子供の時の写真や、昭和30年代の父の時代の剱御前小舎の写真も結構あるし、自分の幼い姿や、腕白
だった頃の姿まで、照れくさい程綺麗によみがえる。
 若い頃の自分の姿と云うのはどうにも照れ臭いもので、まだ大半は手つかずだが、そこそこ残っているのでその中に
ボチボチ修復など必要な写真は手直ししよう。
 こういう楽しみが出来ると、またしばらく凝ってしまう親爺だ。
 今日は天気も良くなった。明日からはまた崩れそうだが。
 大日が眩しく聳えている。


 戦前の写真だ。浄土川の渡渉風景だろう。結構な人数の団体登山だったのだろうか。


 やや不安定な天気だが、大日はくっきり見えていた。


4/2
 今日も雨だが比較的暖かい。
 雪だと片付けが大変だが、雨は自分で低い処へ流れ、川に流れて行ってしまうから、放っておくだけで良い。
 で、暇な上にさらに暇になった親爺は、古い写真を見つけてはAIで高精細化を試み、モノクロ写真の場合は色付けを
したりもして、喜んでいる。
 だが気を付けないとカラー化の段階で、AIが判別できぬ細かい部分などが勝手に書き直されることも有る。
 AIの限界も知ったうえで、楽しめばよい。
 すっかり記憶にない写真も綺麗に蘇ることはまちがいない。
 こんな雨の日は、そんなことでもして楽しんでいればよい気楽な親爺である。


 雨ならいくら降っても後始末の心配もない。


 何時も見える処に山が見えぬと寂しいものだ。



4/1
 もう新年度が明けた。早いものだ。
 今年3月はWBCやら大相撲やらと、スポーツ観戦の中に早々と終った。雪もほとんど降らなかったからかもしれない。
 親爺の村役員も2月一杯で終了。気も軽くなった所為もある。
 次の役員のツネさんやミノさんは大変だろうが、身体を壊さぬ様頑張って下さい。
 親爺は惚けてしまうと困るので、さてまた趣味の世界へでも戻ろうかと、色々考えている。実現するかしないか分からな
いが、愉しみでやるのだから、誰にも強制されたり、文句を言われることもない。
 ただ自分の気力が、どこまで持つかという事である。


 昨日は暴風雨の中、日本料理屋に予約をしていたのでオカカと二人4か月ぶりの和食懐石を頂いてきた。
 車で約30分、酷い空の中を走った買いが有って、非常に美味かった。
 先ずは先付。湯葉の上に海老と菜の花をあしらい葛餡でまとめてある。美味い!造りはマグロとヒラメ、富山の魚は美味い。
 

 蕪蒸しもとても美味かった。一寸のったワサビが効いている。 最後が折敷に彩りよく盛られた弁当風。菜飯と吸い物、デザートアイスもつく。 

inserted by FC2 system