2021山賊庵絵日記(秋~年末)  9月となりましたので項を改めます。   親爺 拝
                                                 明日から師走ですが、公は改めず年末までこのまま参ります。



12/31
 大晦日である。今年もコロナで明け、コロナは小康状態で終わろうとしている。
 色々あって、世界も大わらわだが、ゆっくりゆっくり元に戻るだろう。大騒ぎするような変化は、人為的なものでしか起き
ないだろう。大きな環境変化などヒステリックに叫んでみても如何ともしがたいし、早急に起きることは地震や火山以外は
無い様な気がする。
 落ちついて日々を過ごすのみ。なるようになる。
 来年と云っても明日。それでも良い年をお願わずには居られぬ親爺とオカカ。子や孫たちの未来のために。
 大雪に負けじと汗かく大晦日母を手伝う末娘


 孫二人明日はそろう孫たち。東京はもう我が家に来ており、黒部も明日は駆けつける。ジジババの宝。
 

 今は雪も少し小降りになってきたが現在積雪86㎝。間もなく1mとなるだろう。
 


12/30
 昨日はいい天気で、お陰で東京も松本も無事帰省した。昨夜から早速賑やかな我家だ。
 黒部の長女は明日パパの実家へ行って、年越しをする予定で、今日は孫娘と一緒に過ごしている。年末はパパが忙しい
様だ。正月には我が家に里帰り、一晩止まって行く予定だ。
 今日から雪の予報だが、山里はもう断続的に雪だ。折角ここまで解けたのだが、また元の木阿弥かも。
 明日は雪の大晦日。明後日は雪の正月となるだろう。


 孫息子はもうジジババの家には慣れきっており、どこにどんなおもちゃがあるかも全部知っている。孫娘は自宅で、自動販売機を自作した。
 


12/29
 昨日で雪が降り止んで、ほぼ半日ほど陽が射したから、道路はかなり雪も融け、通行に支障はなくなった。今日は孫息子
を富山駅まで迎えに行かねばならないし、松本の末娘が軽4WDをかって帰省するので、ここ二日ばかり道路情報ばかりを
気にしていたのだ。
 今日午後からは賑やかになる。次女、三女、に孫息子。家族が一気に5人になる。
 正月2日には黒部の長女も、孫娘と婿殿と一緒にやってくる。そうなれば8人家族だ。
 ジジは孫たちに何を食べさせようかと、そればかり考えているが、二人競り合って食べてくれるから嬉しい。
 まあ、これで正月4日に次女と孫息子、末娘が皆帰るまで、ジジババの大変な日々も続く。楽しく嬉しいが大変でもある訳
で、こればかりは「来て善し、帰っ善し」という名言の通りである。
 可愛い孫たちと過ごす時間がたまらなく嬉しい爺である。
 高曇りの空ながら、大日が見えている。


 庭も雪に埋もれて、屋根からの落雪が危ないので雪遊びはさせられない。
 

 閻魔堂の杉木立は随分雪を落とした。


12/28
 降った降った。約三日に渡る雪降りにはうんざりさせられた。これと云ってすることのない親爺だが、それでも降り続く雪
には飽きが来て、しまいには見るのも嫌になった。
 で、今日は止んだ。朝からお日様も顔を出したりしていたが、今は高曇り。でも白いものが落ちてこないだけで気分が良く
なる。居間の親爺とオカカにとって、雪ほど気を滅入らせるものはない。若いころは雪を待ち、昼休みの間もあらばこそ二人
でゲレンデへ駆けつけて、2滑り3滑りと楽しんだのは、30代後半までだろうか。親爺など暇があれば山スキーをつっかけて
鉄砲を背に、野山へ分け入ったのも40代後半までだったかもしれない。とにかく雪は嫌いどころか、待ち焦がれたものだっ
たが、今や高齢者と呼ばれる年になっては、もうだめだ。
 でも久しぶりに、明日東京から里帰りする次女と孫息子の出迎えに、富山駅まで行く予定なので、今日は町場のスーパー
まで、足慣らし兼道路状態確認のつもりで、オカカと一緒に出掛け、今帰ってきたところだ。
 まだ本格的な雪道ではないが、ノートe-power4WDは強い。電動ゆえのエンジンブレーキが最高に安全に効くし、スノータイ
ヤも新品故路面温度氷点下でもグリップが良く、4WDの効きも実感でき安定した走りができる。
 お昼過ぎの今、また薄日が射してきた。
 今朝ドローンを上げて、屋根の融雪の効きを確認。まあ良く効いている。


 山里は真っ白に雪に覆われてしまった。正月前にこれだけ降られるのは、やはり大雪だったのだろう。
 

 


12/27
 去年の里雪型の大雪に、県や各市町村といった自治体当局がかなり神経質になっている様で、この寒波も数年に一度の
強い寒波と位置づけ、万全の体制を敷いていたのだろう。思ったほどの降雪はなかった様だが、まだ終わったわけではない。
冬は始まったばかりである。手ぐすねを引ての臨戦態勢は、ぜひ継続していただきたいものだ。
 まあ、もともとが豪雪地帯の山里である我が芦峅寺などは、この程度の雪ならまだまだ痛くもかゆくもない。かくいう親爺な
ど除雪仕事にはもう戦力外通告を受けているので、口だけではあるが・・・。
 今朝の積雪55cm。一尺八寸という処だから、一茶のようにおらが村を「これがまぁ」と嘆くこともない。今のところはだが。
 どこを見ても雪。写真も変わり映えせぬ。


 立山も見えぬし、雪はまだ断続的に明日の夕刻まで続く。記録的な寒波とは思わぬが25日からもう三日間雪降りだ。
 


12/26
 今朝の写真を昨日の写真とほぼ同じアングルで撮った。縮小し、並べてみると雪気景色が際立つ。現在積雪45cmだから
こんな程度の雪など生活に支障はない。が、屋根に雪が積もり、木立を雪が包むと、景色は一変する。正しく冬景色。
 今朝の気温は-4.5℃。寒さも一入で、親爺は一番ごつい裏生地の付いたフリースを着込んでいる。小屋開けの剱御前
小舎にいた時のような着込み方だ。居間には床暖と反射式のストーブ、更に室温が15℃を割りそうになると温風ヒータのヘル
プも入る。屋根の融雪装置も昨日からフル活動だ。燃料代さえ覚悟すれば、屋根の心配は要らないが・・・。
 雪はまだ、今日も明日も降るらしい。
 

 昨日の朝の様子を娘たちが送ってくれた。パジャマのままプレゼントを見つけ大喜びの我が孫たち。
 


12/25
 クリスマスとは言えど、親爺とオカカの二人暮らしで、さほどにクリスマスを祝うとかという事はしなかったが、今朝は朝一で
ツリーの下のプレゼントを見つけ喜ぶ、孫娘と孫息子のVTRがLIVEで送られてきて、それで十分クリスマスを満喫した気にな
っている。
 イブの昨日はオカカが今年最後の閻魔堂仏事の当番で、参加していた。我が家はれっきとした仏教徒、イブも楽しんでも良
いが、閻魔堂の仏事もお手伝いしなくては。我が菩提寺の住職、光昭和尚が来て、仏事を行った。
 オカカはおそらく家内安全、そして孫たちの健やかな成長もお願いしてきた事だろう。
 如何にも宗教にこだわらぬ日本人的な、ありきたりの風景だが、これが日本人の優秀さの証明である。ある特定のことにこ
だわり過ぎると、それは執着となり、自らの価値観と異なるもの全てを否定するようになる。その最たるものが宗教だ。
 異教も敬い汚さぬ。それでいいではないか、各々生活文化が異なるように、宗教も異なるのだ。
 さて今夜からくる寒波に備え、雨戸を閉めよう。今のところ雪はまだ来ていない。



 我家の前やはす向かいの車庫の前を通ているのが旧立山道である。これを進み左へ曲がると閻魔堂の石段がある。
 その石段を登り切れば焔魔堂だ。
 

 閻魔堂の月ごとの法要。このクリスマスイブの法要は今年最後の法要だった。


 オンバ様(姥尊)も焔魔堂に祭られている。立山信仰は女人禁制だったが、その中の女人救済役がこのオンバ様。
 

 今日もスッキリせぬ天気。ああ、もう雨が雪に変わってきた。





12/24
 今宵はクリスマスイブとなる。師走もぐんぐん押し詰まって来た。
 三人の娘たちが子供の頃は、クリスツリーも飾って、オカカが様々なタペストリーや、飾りを並べ子供たちを喜ばせていた
ものだが、当然ケーキやクリスマスプレゼントの玩具の類も用意してあり、賑やかであった。勿論我が家は仏教徒、天台宗
であるし、オカカの実家も日蓮宗だったから、クリスマスなど本来は異教の宗教故関係ないはずなのだが、先の大戦での敗
戦により米軍の占領統治下におかれ、その6年余の間に、クリスマスが宗教色を抜きにして全国に広まり、定着した。
 間もなく70になる親爺でも戦後の生まれ、戦後の教育で育ったから、クリスマスには抵抗もなく、昭和30年代の高度経済
成長のなかで、クリスマスはハイカラな催しとしてツリーを飾り、ケーキを食べ、あわよくばプレゼントまでもらえる日と、当時
少年だった親爺の頭に刷り込まれていった。
 今やクリスマスは年末を象徴する催事である。我が孫娘も孫息子も、それぞれの家でクリスマスを楽しみ、次の楽しみはお
正月とくる。
 いやいや、平和ならではの事。良い事である。
 今朝は大日も見えていた。


 閻魔堂では今年最後の仏事が執り行われ、オカカはお手伝い。我家の窓にはクリスマスの飾りが置いてある。
 キリスト教も仏教もマホメッド教もヒンズー教も、一つの山、登り口や道が幾つもあるが、頂は皆一緒。有高僧の名言である。
 


12/23
 昨日は冬至だった。一年で一番夜の長い日だ。昔からこの日にはカボチャを頂くと病封じになると言われ、子供の頃から
好きでもないカボチャを食べさせられたものだ。我が山里では特に中風封じになると信じられており、子供の頃や若い頃に
は縁のないものだと思っていたが、70に喃々とする年になってみると、中風もかなり身近になってきているので、オカカが
昨夜煮てくれたカボチャは、一片食に一切れ、昼夜合わせて二切を食べておいた。まあ昔ほどではないが、カボチャは好き
ではない。
 で、今日は冬至の翌日という事だが、久々に晴れた。晴れたが放射冷却で、朝は氷点下の気温、寒かった。
 久々に物干し場から明るい光が射しこんできて、親爺の定位置のはす向かいからその光が射してくるものだから、カーテ
ンを閉めていても眩しい。恐らく太陽の位置が一番低いのだろう。
 冬が過ぎて春めいてくるころには太陽の位置ももっと高くなって、親爺の目を射ることがなくなる。今冬の入口にかかった
ところで、そんな先のことを想っていてもも仕方がないのだが・・・。
 青空の下は凍てついていた。今朝の山里だ。
 

 太陽の位置が低く、物干場から射す朝日は親爺の寝ぼけ眼に向かってくる。


 朝日の中の鍬崎山も白くにじんで見える。

 


12/22
 今日を入れて今年もあます処10日となった。コロナで明けた令和3年だが、年末のここにきて日本ではコロナは下火に
なっている。何が功を奏したのか、誰もわからないが、強いて言うなら生真面目で実直な日本人の気質が、この良い結果
をもたらしている大きな理由の一つであろう。
 確かにスピード感はなかったが、ワクチン接種も粛々と進んだし、厳密な管理体制で、間違えても「水ワクチン」などと云う
ごまかしもなかったのだろう、ワクチン効果が如実に今の状況に反映されている。
 これでコロナが収束したとは限らないが、世界に先駆け収束の方向に向かっている日本の現状は、世界に誇るべきだ。
 我々国民も、三回目の接種に向け、更に粛々と事を進めることで、オミクロン株も克服できることだろう。
 日本人で良かった。バカげた自己主張をするばかりでコロナ撲滅が進まぬ欧米の有様、接種されたワクチンの真贋が取
りざたされ、それが笑い話ではない東洋の先進国もどきの有様、貧困と混沌で予防接種もできぬ途上国・・・。
 日本人が日本人たる所以を以て、今日の美しき日本はある。
 そのことを今一度ゆっくりと考えてみたい。
 年末になって、少し真面目にもの想う親爺だ。
 辺りがガスに包まれた朝だ。


 このまま雪が少なく成ってくれればいいのだが、葉や雨が霙になって来た・・・。昔懐かしい土蔵。もう村内にも何軒もあるまい。
 


12/21
 今朝は3℃をわずかに超える気温で、昨日よりまた少し暖かい。積雪もかなり嵩を減らしている。
 今日はオカカが通院(薬貰い)で、町場まで出かけたが、道路も凍結はなく積雪も全く問題ない。帰りに買い物をしてくる
そうで、午前中は親爺が留守番である。
 周りを見渡すと殆どが、「高齢者世帯」である。向かいの家も背戸の家も両隣も・・・ほぼ大同小異の高齢者ばかりで、ほ
ぼ全員が近い年齢だ。
 我が山里は1組から9組まで、近所エリアごとに分けられており、村の事々はすべてこの組の単位で運営される。各組2名
の代表を村の役員として役員会に送り出し、役員会で諸々を決めるし、村の行事や勤労奉仕の担当も組単位になる。
 我が組は7組で、10数軒あるのだが、若い次代を担うものがいる家は1~2軒しかなくその他は全員高齢者世帯だ。で、今
数えなおしてみたら、村外へ転居した家も数件増え、漸く10件と確認できた・・・。
 これは我が組ならず何処も同じであって、我が芦峅寺の村も今や風前の灯火である。
 少子高齢化、所謂、田舎の限界集落化は日本全体の問題だろう。政治家と呼ばれる人々の誰一人としてこれに真摯に取
り組んでいる姿を見たことはない。
 我が子3人もこの豪雪の山里に、居つく事はなく新天地を他に求めた。
 

 オカカは町場から親爺に嫁ぎ、この地でもう40年近くを過ごしている。  


12/20
 昨日から比べれば、やや暖かい朝。気温は0.9℃である。積雪は43cm。これが根雪になる可能性が高い。
 昨日はほぼ一日降ったり止んだり、今朝は降っていない。
 テレビでも大雪と大騒ぎだが、そんなに言うほどのこともない。我が山里には雪に埋もれて暮らす知恵がある。但し、村を
上げての高齢化、除雪や屋根雪下ろしと云った体力仕事はもういけない・・・。
 とは言え何とか冬は越せるだろう。普段の連続の中で、知らぬ間に冬が過ぎることを願う。


 雪が降り出すと寒くてかなわぬが、孫にはうれしい遊び場。昨日遊びに来ていた孫娘はババのお手伝いが大好き。
 東京からは元気な写真、からっ風の中でボールをけって駆け回りほっぺと鼻の頭が真っ赤になった孫息子。
 

 さて山里はついにこんなになってしまった。 



12/19
 寒さであちこちが凍り付いている。雪も断続的に降っていて、冬は確かに始まっている。でもそれはまだほんの始まりだが。
 我が庭に積もった雪もまだようやく垣根の足元を30㎝程覆っただけだ。
 屋根が融雪装置で温められて、ドドーンと音を立てて落ちてくる雪もまだわずか。何時もの通り、冬の入り口は気が滅入る。
 今日は日帰りで黒部の孫がジジババに会いに来る。昨日来て一泊する予定がこの雪のせいで延び、日帰りになった。
 恨みは雪である。この雪さえなければ、我が山里は最高の場所なのだが・・・。
 まあ、年寄りのボヤキ、冬の始まりには付き物だ。


 一昨日の晩から降り始めた。


 今日はまだ、断続的に降っている。気温が低い。ずーっと氷点下だ。


12/18
 イヤイヤ本格的に降った。もう真っ白な雪の下だ。40㎝程も来ただろうか。冬が始まったという感じである。
 今日はまだ降り続いており、昼頃には止むらしいが、もうたくさんである。
 雪など少ないに越したことはない。むしろないのが一番良い。
 今日は籠る予定だったが、床屋に出かけ頭をサッパリしてくることにした。
 この雪の中、親爺は軽4WDでお出かけである。


 結構寒い。オカカは車庫前の除雪車の積み上げにひと汗流した。親爺はヤクタタズ!!


12/17
 まだ雪こそ来ていないが、いよいよ今冬が始まる気配だ。
 親爺にとって、寒くなっても雪がなければ冬ではない。雪が降って、山里も、そこの暮らしもすべてが雪の下に入った
時から冬が始まる。だから、今夜21:00頃から強い寒波が入り来て、今降っている雨が全部雪に変わり、そこここを
覆い尽くした後からが冬となる。
 その降った雪がまた解け切って、黒々としても、いくばくかの雪が日陰などに残り続け、完全に溶けてなくなって、草
花が萌え出る様になれば春だが、冬の始まりから春までは、我が山里ではおおよそ4ヶ月間は雪の中といった具合だ。
 最近はその4ヶ月間が幾分短くなって来たようではあるが、これが地球温暖化の所為だというなら有難いくらいのも
のだ・・・。
 まあ今宵から明日にかけ60~80cm積もるとの予報だが、最低40㎝は来るだろう。
 さて、覚悟を決めて雨戸を立てよう。
 降雪直前の山里だ。


 どんな雪景色になるだろうか。



12/16
 今日は妙に暖かい朝だ。体調がかなり回復した所為か、庭先に出て写真を撮った。二日ぶりに外気に触れたのだが、
屋内より外が暖かい。この時期は大体、寒波が襲来する前にはこんな暖日があるものだ。
 親爺、最近はテレビをほとんど見ず、タブレットでYouTubeをよく見ている。これは良い。自分の好みの動画を見つけ
出して、興味のあるものを好きなだけ見られる。
 一時イノシシなどの害獣の括り罠猟を見た。ずいぶんの数の動画だ。ついでは趣味の空ものラジコン、嘗て楽しんだ
飛行機やヘリコプターに勿論まだ現役のドローンなど。そしてもちろん料理、食べ物の分野。此れとて日本のみならず、
全世界の料理、あるいは食生活を見ることができる。
 で、次いではアウトドアーもの。此れとていろいろあり、2,3お気に入りが出来て楽しんでいたが、ネットサーフィンの
要領で色々渡り歩いて見ていると、同じジャンルの動画を上げている人たち同士が、真似た真似ない、嘘だ本当だと、
騒動を起こしている。まあ、そんな連中の見苦しさと云えば情けない程のもので、またこれを煽る外野がいて、そういう
連中の出しているチャンネルなどと云うものは、一時は登録していても即登録解除で見なくなってしまうものだ。最近は
女性釣り師のジャンルが姦しく不快。イヤイヤもちろんそんな中でも素晴らしいと思い今もフアンとして登録しているチャ
ンネルもあり、全てがというわけでは毛頭ない。
 大分の女性の田舎暮らしを釣り中心にまとめたわっさむチャンネルや、これはジャンルは違うが中国雲南省の女性の
食文化全般を紹介している
滇西小哥 Dianxi Xiaogeのチャンネル等は素晴らしいと思う。是非トライしてご覧ください。
 何せYouTubeも金が絡み、事務所を通して運営するほどになると、争いごとが起きる様だ・・・。
 インターネットは確かに世の中を変えてしまった。
 でも山里の景色はあまり変わらない。


 こんな景色に囲まれてボンヤリと時を過ごせるのがほんとの贅沢なのだろう。
 


12/15
 胃の具合が悪くならないので、食事を基に戻そうとしているが、僅か2、3日の事で、胃が縮んだかのように食が進まな
い。いや、喰いたいのだがまたあの鈍痛が来るかもしれぬと思うと、食えない。まあ、オーバーウエイト華々しい我が身、
これを機に痩せればよいのだが、中々、痩せたい腹回りなどは痩せず、腕や足が細くなる・・・
 それに力が失われる様で、動きがかなり緩慢になる。いけない!!
 で、また昨日からリハビリ(本人はトレーニングのつもり)の自転車マシーンで10分余り息を切らす事を始めた。
 その程度でもせぬよりはましなようで、昨日は体調がよかった。で間食が意識せぬ間に始まって、気付くとやや胃が重い。
 慌てて胃薬を飲む。腹の緩みもやや良くなり、胃腸風邪も抜けてくれると良いのだが、食事のとり方に十分注意しなくて
はなるまい。間食などの悪習慣も絶たねば・・・と、今はそう思っている。
 薄暗い曇天も山里。雪はほぼ融けた。


 外出した時、平野部のどこかの農家の庭にあった柿の木。木守柿というには実が多すぎるが、木はすっかり
冬枯れしている。実をもがなくなったのだろうか、このまま小鳥の餌に残しておくのだろうか。


12/14
 昨日の天気予報で、急激に今朝は冷え込むだろうと言っていたので、オカカが寒がりの親爺に電気敷毛布を入れて
くれた。だからベッドに入った時は心地よく温かかった。が、数分後には暑くなり、起き出して中温の設定を低温にして
心地よくなった。この電気毛布には電気タイマーがセットしてあり、21:00にON、23:30にOFFとしてある。まあこのく
らいの時間だけで、十分だと思う。布団に入る時に冷えたところへ入るのが一寸つらいので、それを緩和してくれるのが
この電気毛布の役目だ。そのうちに自分の体温で、温まって来れば後は不要だ。
 でも放射冷却現象で明けた今朝は、可成り寒かった。一寸電気毛布のヘルプが欲しかったくらいだが、起き出してス
イッチを入れる程のこともなかった。
 胃痛は良くなり今朝もみそ仕立ての粥を軽く一椀いただいた。が腹の緩みが未だスッキリせず、やはりこれは胃腸風
邪の所為なのだろうかと、今少し用心を続けようと思っている。
 戸外の気温が上がってきた様だ、薄く積もっている屋根の雪がドドッと音を立てて落ち始めた。
 雪景色で明るい今朝の山里。放射冷却とやらで至る所凍てついていた。


 少しお姉ちゃんになって来た4歳。ママのトレーニングマシンも玩具。2歳は男の子だけどままごとが大好き。
 

 不動山も真っ白に凍てついている。



12/13
 一昨夜胃痛で目が覚め、殆ど朝まで不眠状態となった。嘗て20代後半から40代後半まで、胃痛は持病だったが、何
とこれは胆石が原因だった。40代後半に悪化し、胆のう摘出手術を受け、1月半の入院のを経て、体力も半減したが、
胃痛はほとんど起きなくなった。で、50代半ばに健康上の理由からたばこを止め、ぐんぐん太り出し、遂には山歩きが
出来ぬ山小屋親爺となり下がり、60代半ばで山小屋親爺も引退し、現在に至っている。
 実に久々の胃痛だった。その不快な鈍痛には全く閉口し、昔なら水をラッパ飲みし、喉に指を突っ込んで吐き、胃洗浄
を行うという荒療治で、何年も過ごして来たものだが、今や70ひとつ前の年となっては、そんな荒療治に耐える気力も体
力もない。で、ほぼ絶食(粥を僅かに口にしたが)状態で、給水だけを心掛け、オカカがわざわざ出かけて買ってきてくれ
た胃酸過多の症状を抑える薬で、じっと一日絶えて、漸くほぼ胃痛は治まった。水と経口補水液だけで過ごした1日は可
成り参った。寝不足で、横になると寝てしまう。しかも水分補給ばかりしているので、小用の回数が普段の倍以上だ。夜
早々にベッドに入ったが、その頃は本を読む元気が出てきたが、いつの間にか寝込み、また小用に目覚め起き出そうと
したら足がふらつく。寝ぼけもあったのだろうがトイレまでの数mで、2度もつんのめった。足元が定まらぬ・・・。
 ああ年を取ったとしみじみ思う。
 でも今朝、薄いおかゆと一椀(6分目)に炒り卵を頂き、雪景色となった戸外の写真を撮ろうとウロウロす程の気力体力
は戻った。
 オカカがストーブでポトフを煮込んでいる。スープの味見をした。
 今朝は雪景色になった山里だ。


 オカカが昔、クリスマス用のタペストリーをキルトで作ったが、久しぶりにそれを出して、繕っている。
 嘗ては3人の娘用だったが、今は孫用だ。


 孫の写真の横にもクリスマスの飾り。二人とも元気にすくすく育っている。


12/11
 長女からの情報で、アドベントカレンダーなるものを知った。
 欧米では19世紀からあるものらしく、クリスマス(キリストの生誕)を待つ4週間の期間が、アドベントと云う特別な期間
なのだそうで、その日までを指折り数え待つのに、当初は単なるメモなどを壁に描く程度だったらしいが、様々な方法で
楽しみながら待つための趣向をこらし、ついにカレンダーに工夫をして商品化したものなどが出現したらしい。
 クリスマスが戦後、進駐軍の影響により日本にはすっかり根付いてしまっており、自らの宗教とは関係はないが、年末
のイベントとして抵抗なく受け入れられている。これは信仰心が薄いなどと云われたこともある、日本人のおおらかな特
性によるものである。
 もともとが八百万の神々を信ずる神道をベースに、異国の宗教である仏教を受け入れ、神道と融合し現在に至る日本
人の、宗教にこだわらず、信仰という美名の中の呪縛にしばられない、おおらかな性格は、日本が世界に誇るべき日本
人の美点であろう。
 故にクリスマスもバレンタインもハロウインも何でもござれで、若い人たちを中心に楽しんでいる。
 勿論、正月や節分やひな祭りや・・・・・日本独自の伝統的な楽しみも、決して見逃さない。天晴!日本ここにあり!!
 と、アドベントカレンダーから話がそれたが、チョコレートの会社からこれが出ているのを、孫が楽しみにして、毎朝この
カレンダーから取り出せるチョコが嬉しくて仕方ないという事だ。
 朝は晴れていた山里。冬には珍しい空だった。


 今朝もカレンダーをめくり新しいチョコをゲット!!       おいらはジジのクリスマスプレゼント開けたぞ~!!
 


12/10
 誠に静かな朝だ。雲がちで思い出したように薄日が射すが、寒くはない。とは言え外気温はせいぜい4~5℃だろう。
身体が寒さに慣れてきたのだ。尤も親爺など、暖房が利いて20℃程の室温の中にいてモノ申している訳だから、怪しい
ものである。
 ユーチューバーなどと云う職業があるらしいが、ネット上のYouTubeに動画を投稿して公開し、その動画が面白く興味
深いものであれば、閲覧者(不特定多数の普通の人々)自身でお気に入りに登録することができ、その人の掲載動画が
いつも見られることになり、閲覧者が増えて1万人、10万人ともなってくると、YouTubeからお金が振り込まれる様になる
らしい。これは主催者の広告収入によるものの様だが、詳細は知らぬ。兎に角お金が入ってくるという事で、話題性のあ
る動画や、確り企画された楽しめる趣味の動画など、多くのジャンルに分かれており、大方が10分前後のものだ。
 中には迷惑千万な馬鹿者の動画もあり、迷惑系ユーチューバーなどと云う言葉まで生まれているが、話題になりさえす
れば見てもらえるということであろう。
 まあ、玉石善悪混合という次第だが、それ故好きなジャンル、興味のある動画など、ほぼ無限の選択肢があり、それが
このYouTubeの目玉なのだろう。
 で、つまらぬテレビ番組を見るくらいならこっちのほうが良いと、親爺なども最近はこっちを見ている時間がやや増えた。
 最近面白かったのは、エスキモーの古い狩りのフィルムや世界のへき地とでもいえるエリアの、普段の食を紹介した動画
等で、所謂ネットサーフィンの要領で見てゆけばいい。が、中にはお色気売りの、表示テーマには何の関係もない動画など
があって、まあこれも愛嬌か・・・。
 兎に角面白い世の中、テレビのつまらぬバラエティーよりは、よっぽどこっちが楽しめる。しかも最近はこれらがテレビで
視聴できるのだから、本来のテレビ局の放送など、質が落ちる一方かも知れない。
 今朝の山里。


 鍬崎山も良く見える。



12/9
 久しぶりに青空が広がって、新雪をまとった立山の峰々が眩しく光り輝いて見える。
 子の晴天に誘われてドローンを飛ばしてみたが、少しボケて来たらしくカメラのキャップを外し忘れ上げてしまったものだ
から、ジンバル装置以上の警告が出て、慌てて下した。で、面倒くさくなってバッテリーを変えずに再度上げて見たが、もの
の数分でバッテリー残量警告、オートリターンとなってしまった。素晴らしいドローンではあるが、オートリターンの精度には
3m前後のばらつきがあり、広く安全な場所での飛行なら、必ず頭上に来るはずなので安心していられるが、家の庭先から
のずぼら離陸で、離陸ポイントこそナビシステムの認識を待って再確認し、庭のセンターに設定してあるものの、かなり不安
でもあったが、屋根の上に来たらしく、ここには着陸不能ですと表示が出、手動操作による着陸を要求してきた。こうなれば
簡単で、FPV画面を見て位置を確認し、操作すればよい。しかも大きな操作は不要で、誤差の±3m程度を動かせばいい
だけだ。で2mほどゆっくり水平に後退させたら、庭の直上6m程に出てきて、後はゆっくり着陸させて回収した。
 ドローンとは自立制御し飛行する物という意味らしい。空撮用の飛行物体をこんなに手軽に操れるのは素晴らしい事だ。
一昔、いや三昔程前に、自動巻き上げのフィルムカメラを大きなラジコン飛行機に搭載し、始めて取った航空写真は、上空
から撮った写真であることが辛うじてわかる程度の代物だったが、仲間と大騒ぎしてみたものだ。
 イヤイヤ昨日も今日も、昔ばなしばかり書いている。此れこそジジイの証しかも知れない。
 これは今朝の大日。手持ちカメラで撮影。


 ドローンによる撮影の二枚。立山方向に向けての1枚と富山方向に向けての1枚。良い天気だ。
 


12/8
 今日は雨が降り続いている。もしこれが雪なら大雪だが、幸い寒気は入っておらず気温は比較的高い。
 孫たちの熱も一進一退。下がったと思えばまた上がりで、やはり時間が立たねば治らぬ様だ。成長の通過儀礼、免疫を
幼い体に付けるために、誰もが通る道だとはよくわかっているはずだが、そこはジジババ孫可愛さが先に立つ。
 このまま年末年始を迎えられれば、誠にありがたいのだが、クリスマス寒波、年末寒波などと毎年のようにこの後の時期
に大雪が降る。
 我が山里は長い冬に対抗する生活の知恵を持っていた。いや、持たなくては山暮らしが出来なかった・・・と過去形で書い
ているが、これは今やその知恵も大半が失われた、あるいは不要となり忘れられたと言うことである。
 雪下ろしや雪囲いは冬の作業の最たるものだが、融雪装置が屋根に乗ればこれらは不要となる。除雪は昔はそんなにし
なかった。車が通らぬのが当たり前で、バスですら運休することが多かった。子供たちの通学路道が歩ければそれで交通
は確保されたことになり、もし村で病人やけが人が出れば、村中総出で道を踏み、橇に戸板を載せ、布団でくるんだ病人を
最寄りの富山地方鉄道千垣駅まで運び病院へ連れて行った。
 食材などは越冬野菜の大根などは、藁で作った塚に保存し一冬分を確保したし、その他の野菜類もそれぞれの方法で床
下やアマと呼ばれた中二階の物置部屋に保存され、担ぎの魚屋や、雑貨屋も週に1,2度は村中の家々を回ったし、猟師が
沢山いて、ウサギや山鳥の肉もちょくちょく利用した・・・・・。
 今は昔の話である。道路には融雪装置が付き、大雪で通行不能になるのは年に1日もない。むしろ整備の遅れている下界
の交通が止まり、店に品物がなくなる。だが、車を通すための努力は必要で、車庫前の除雪など昔はなかった除雪も多い。
 まあ、親爺など昔の暮らしを知っており、全く身に縛りのない隠居故、自らの体調管理だけを心掛け、冬を過ごせばよい。
 気楽なものだ。でも雪の心配ばかりしている・・・。


 雪ならぬ雨が降る。師走半ばにこの雨は・・・。

 


12/7
 東京の孫が熱をだして、昨夜から快方に向かっているとて、ジジババもほっとしていたが、今度は黒部の孫が熱を出した。
 ジジである親爺はただ気をもむばかり。両方とも立派な親がついているのだから狼狽えることもないのだが。
 で、最近の親爺は又仏壇に燈明を上げ、立山の神仏やご先祖様に孫たちの健やかならんことを見守り給えと、祈りを捧
げるのだ。
 どうも最近仏壇にお参りすることが増えた。何時の頃からだろうか・・・。
 祖母の旅立ちはもう50年近く前で、これは親爺にとって初めての家族の旅立ちだった。未だ大学を卒業したての秋で、猛
烈な悲しみに襲われた。心では常に祈りを捧げたが、仏壇の前に座るようなことはあまりなかった。
 そして親爺も自分の家庭を持ち、3人の娘に恵まれ、やがて母がやや早く旅立ち、父も10数年遅れで旅立って、今思い返
してみると母の旅立ちの後辺りからだろうか、仏壇の前に座り、聞きかじりの経を読む様になったのは。
 父が90の天寿を全うして旅立った時は、親爺も還暦をとうに過ぎ、長女も結婚していた。それ故か心静かに父を見送って
やれたが、仏壇の前に額ずく回数は増えたやもしれぬ。
 そして今や、可愛い孫二人の成長が楽しみな親爺。仏前に祈ることは孫の健やかな成長ばかり。
 我が山里の仏壇は古の立山信仰がそのまま残り、神仏の区別をしない。実におおらかなのだ。立山の神仏がともにおられ
わがご先祖様もそこにいるのだ。弥陀の浄土も高天原も一緒なのだ。
 「どうぞ孫たちを守らせ給え。」気付くと嘗て祖母が仏前に唱えていた文言を親爺も今、同じように唱えている。
 今日も雨交じり薄暗い天気の山里である。


 ガスが濃く成ったり薄く成ったり。不安定な空だ。


12/6
 今朝は6:30頃に目が覚めていたが、寒いのでストーブをつけてまた夜具に戻り、読書1時間余り。その後ゆっくり起き
出した。
 曇天、よく見れば雨。雨だからそんなに寒くはないはずだが、厚手のフリースを着ていても寒いと感ずる。
 今からが冬本番。身体も徐々に慣れてゆくだろう。
 大日ももちろん見えぬが、山裾が一瞬だけ見えた。心なしか雪が減った?様に見えた。


 あっと言う間にガスが出てきて閻魔堂の杉木立迄かかった。


 不動も隠れた。


12/5
 やや雲がちで、不安定な空ではあるがたまに陽射しも降り、寒くはあれど、徐々に気温も上がってくるだろう。
 今日はオカカが買い物に出かけた。親爺は二日連続で通院したので、今日の買い物は遠慮した。オカカによれば、親爺
が一緒だと余計なものばかり買ってしまうし、気ぜわしてくゆっくりと買い物ができない、のだそうで、まあこれでいいのだ。
 昨夜から雪が降って、今朝は止んでいたが山里はお色直し。また雪化粧してしまった。
 立山は晴れている様だ。
 朝起きて外を見るとこんな景色になっていた。


 大日が青空の下に明るく朝日を反射している。               剪定され垣根に括りつけられたバラの枝にも雪が積もった。
 

 昨日カラメルコーンに挑戦。意外なほど簡単にできた。上の方の黒いのがカラメルをまぶしたコーンだ。美味しい。


12/4
 昨日とはくらぶべくもない悪天の今朝。外はどんより鉛色、雨も降ったり止んだりしている。ただ、雨が降るくらいで、気
温はさほど低くないのが救いだろうか。外気温でも、5~6℃はあるだろう。室温はストーブと床暖で20度位になっている。
 昨日で年内の病院通いが終わって(月に一度の薬貰いだが)、気が楽になった。少なくとも正月明けまではどこへも行く
ことも無いし、精々買い物か、年末に来る孫の出迎えなどは楽しみな方に入るわけで、苦にならぬ。
 さて今日は何をして過ごそうかと、暢気に迎える朝は実に心地よい。勤め人の経験もある親爺だが、起きたくない朝の
方が多かった。まあ、山小屋商売一本になってからは、そんなこともなかったが・・・。
 孫がポップコーンが好きだとの事で、親爺もオカカもポップコーンは好きだし、色々なポップコーンにトライしてみること
にした。シンプルな塩味が一番なじみ深いが、キャラメルコーンやチーズをまぶしたものもある昨今で、ネットを見ていると
かなり簡単に作れそうだ。で、今から手軽なキャラメルコーン挑戦してみようと思っている。
 またその結果はお知らせします。
 薄暗い今朝の山里。雨が降ったり止んだりしている。


 庭の軒下にはまだ雪が残っている。屋根から落ちて固まった雪だ。  閻魔堂は周りを木立に囲まれて、屋根の雪もまだ落ちていない。
 


12/3
 今日も富山市内の医院へ出かけ、24h心電図を取り外し、検査結果を聞いてきた。
 幸い異常なしだが、やや脈が速いので、投薬の変更をしていただく。中性脂肪も高いのだが、これはしばらく様子観察。
 年相応にガタはあるのだろうが、取り立てて早急に治療せねばならぬようなことはなく、今まで通りの通院投薬で済む。
 正月休みにかかり、親爺の様に山里からの通院者の便宜も考えて頂いたのだろう。かなり多めの薬を頂いて帰宅。
 帰路素晴らしい晴天で、立山が光り輝いていた。
 帰宅し昼食後すぐにドローンを上げた。まあいつものドローン写真だ。
 今朝の不動山。


 かなたに見える小見集落と我が山里の間にはは常願寺川が流れる。
 

 着陸体制に入ったドローンが操縦者の親爺に向かって下りてくる。親爺例によって縁側で操縦。


12/2
 今朝は10㎝足らずの積雪で、富山市内の医院へ出かけるときはまだ雪が降っていた。が、眼科医もついでに受診し薬
を貰い、その前に装着した24時間心電図を、少し気にしながらも山里へ向け帰る頃は、すっかり青空が広がって、朝の山
里の雪が嘘のような晴天になった。もっとも積雪は一つ隣の村下からは全くなく、昨夜来の雪は山雪だった様だ。
 家に帰って一服していると、ガスで隠れていた立山もその雄姿を見せ始めた。
 純白の神々しい様な峰々が見え隠れしている。午後には姿を出すかもしれない。
 明日も通院。この心電図の結果診断と、丁度この後が正月にかかるので、少し余計に薬を貰って来ようと思っている。
 隠居は隠居なりに、受診やら薬貰いやらと忙しい・・・。
 今朝はまだ雪が降っていた山里。不動山も真っ白になった。


 融雪装置がまだ稼働せず。我が家の車庫前も轍が残るだけ。
 

 帰宅したころは青空が広がっていた。旧立山道も、富山立山公園線もまだ融雪装置が稼働していない。
 


12/1
 昨日は木枯らしならぬ、南風が吹き荒れ、我が山里も雪はなくなったが、わずか残っていた木の葉や、杉の枯葉が吹き
飛んで、そこここに散らばった。
 室堂で2mは積もったという雪はもう来春まで融けることもあるまい。アルペンルートも昨日で営業を終え、立山には人気
が絶えた。僅かに室堂ターミナルのメンテなどに残る、アルペンルートのスタッフだけとなるが、室堂の外は太古の立山に
姿が変わる。
 奥山は特に、来春以降の小屋開けまで、人気が全く絶えてしまうのだ。
 師走とはなったが、親爺とオカカの生活にはさしたる変化もない。ゆっくりゆっくり時間の流れに乗って行くばかり。
 今日は風は止んでまだ暖かいが、これからだんだん寒くなってくるだろう。


 孫に甘いのはジジだけではない。ババが買い込んだ玩具が増えている・・・。外は雪こそないが見事な冬枯れの景色である。
 


11/30
 昨晩は暖かく、寝苦しい程だったが、明け方から急ん冷え込んで、夜具から体を出して寝ていたらしく寒さで無が覚めた。
 もう一度夜具にもぐり込んで、寝たような気がするが、何時もの時間には起き出して、歯磨きをしながら窓外を見ると快晴
である。大日が真っ白になり光って見えた。
 食事を済ませ、今の親爺の定席に座り込むと、低い位置から陽光が射して、親爺の目を射る。親爺の定席が物干場の向
いなものだから、まともだ。オカカが薄い毛布を物干竿にかけてくれた。
 霜月も今日まで。明日からは師走。特段師ではなくとも、現役時代はなんやらかやらと慌ただしくなったが、今や隠居の身
ともなれば、浮世の喧騒をしり目に、正月に帰省し里帰りする娘たちに、美味い料理を食わせ、可愛い孫たちにお年玉をあ
げ、楽しい年末年始を過ごしてもらう準備だけが仕事らしい仕事である。
 これは毎年オカカと共同の「楽しい仕事」なので苦にもならず、何となく正月気分になって行くのが可笑しい。
 未だ何年かは元気で、この親爺とオカカの年末ルーティーンを守って行きたいものだ。
 大日が光り輝いていた今朝。


 昨日の鍬崎山ととなりの桃の老木。鍬崎は白く雪をかぶり桃の老木は勢い良く茂っていた葉が落ちた。
 


11/29
 早朝は霜が降り、あちこち凍っていたが、朝食を食べ終えた8:00過ぎには朝日に当たって、みな緩んだ。
 で、親爺は軽4WDに乗りこんで、そこここを一回り。写真も何枚か撮ってきた。
 今の時期にしか見られぬ、冬枯れの木の間越しの大日岳は、中々趣がある。
 これから来る雪の先触れのようなものだが、親爺には猟期の始まりの楽しい時期の先触れだったこともあるし、もう雪
など大嫌いな歳になっていても嫌なイメージはない。
 だが流石に最近は、何となくもの悲しい気配を感じてしまう。たぶん自分が人生の冬に足を踏み込んでいるからだろう。
 ガスさえかかっていなければ、毎日見える大日。立山連峰の峰々にあっても割と穏やかなイメージの山で、嘗て我が母
の実家、日光坊がここで山小屋を営んでいたこともあり、叔父とともにネパールの研修生を指導しながら、木道敷設整備
や、稜線部の登山道整備にも足げく通った山でもあり、更に親爺が40年間経営した剱御前小舎からも、間近にいつも眺
めていた大日岳である。故に親爺には特別の感慨を抱く山でもある。
 長い能書きになったが今朝の一枚である。


 閻魔堂のわきを走る旧立山道を通り、オンバダン(姥谷)に架かる布橋を横目で見つつ進めば、大日が正面に見えてくる。
 


11/28
 雪化粧もはげかかり、山里には間欠的な強い陽射しが降っている。
 立山は室堂辺りで結構な雪が来たようだが、下手にどこでもあたりかまわず滑ると、又大きな事故が起こりそうで気味
が悪い状態。雪を待ちかねた人たちの気持ちもわからぬではないが、まだまだスノーシーズンは始まったばかり。何も危
険な立山で無理に滑ることもあるまい。
 室堂周辺の山荘も皆、24日に閉鎖しており、突然吹雪かれた時のエスケープも、初心者にはままならぬエリアである。
そんな事を理解しているレベルの人ならまず大丈夫だろうが、それ以前の方々も多く見受けられる昨今故に恐ろしい。
 立山もあと3日で完全閉鎖。無事に終わることを願う。
 今朝は山里から立山はまだ見えなかった。


 青空はでてはいるのだが。


11/27
 山里に初雪が来た。昨夜は珍しく2度も小用に起きたが、雪には全く気付かなかった。朝寝を決め込んでいて、オカカ
に起こされて、寝ぼけ眼で見た窓外の雪景色に驚いた。
 まあ初雪と云っても、1cm~2cmしか積もっていないのでさしたることもないが、奇麗で、昨日とは景色が違う。
 写真を撮ったが物足りず、朝食後ドローンを上げて見た。
 僅かな積雪だから、きれいな雪景色というわけにもゆかぬが、そこそこ初雪の雰囲気は出ている。
 これが根雪になることは先ずないだろうが、今年もも又間違いなく冬が来た。
 不動山も雪が積もった。


 隣家の石楠花も真っ白に雪をかぶった。


 立山は全く見えない。


11/26
 今日も昨日同様、薄暗い曇天だ。
 身体が又、ずいぶん寒さに慣れて来たようで朝起きて直ぐ、火の気のない洗面所で洗面していても、湯が欲しいなどと
軟弱な気持ちが起きないし、うがい水など冷たくてかえって気持ちが良い。が、洗面を終え居間に入っていくと、一気に気
温が高くなっており、それでも20℃あるかないかなのだが、床暖効いて足元が暖かいので、ホットすることは間違いない。
 明日、半月ぶりに黒部の孫が顔を見せに来る予定なので、オカカが買い物に出かけた。
 親爺は留守番で、この項の更新でキーボードをたたいている。
 普段の日々の単調な繰り返し、大きな変化もなく、実にありがたいことだ。
 今朝、座敷の縁側から庭を見たら、花というものがすっかり無くなっていた。来春3月末頃に、ミニ水仙が黄色い花を咲
かせるまで、恐らく雪に覆われるのだろう。


 向かいの山には白いものが来ている。


 バラの枝も剪定され、垣根に寄り添って越冬である。


11/25
 今朝も薄暗く寒い朝。空は「裏日本」特有の鉛色の冬空で、薄くガスも漂っている。川向のスキー場の上部まで見えるが
そこには雪が来ていた。
 立山の方から雪はどんどん下に向かって下りてきている。山里が雪化粧するのも間もなくだろう。
 いよいよ冬だ。11月生まれの親爺には70回目の冬となる。所謂満年齢ならぬ、数え年で行くからで、親爺が初めて迎
えた1回目の冬は昭和27年で、親爺はゼロ歳だったのだから・・・・・。
 銃を持って雪の野山を駆け回れた頃には、冬は楽しい季節で、たまの雪下ろしも苦にならなかった。それが50を超えて
大きな病気をして体が言うことを聞かなくなって、銃が重いと感ずるようになってからは、雪の野山ともすっかり縁遠くなって
50代半ばには、ライフルから散弾銃、空気銃までの全ての銃を返納し、雪下ろしも融雪装置のお陰でしなくともよくなり、今
や親爺は雪が大嫌いになったので、寒い冬も仇のようなものだ・・・。
 でも最近は冬景色をドローンで撮影するのだけは楽しみにしており、山里の移ろい行く季節の中でも、これが一番清浄で
美しい景色だとは思っている。
 川向のスキー場に雪が来た。


 隣家のナンテンに、今朝は真っ赤な身を見つけた。


11/24
 イヤイヤついに来るべきものが来てしまった。寒い朝だったが、心構えも準備もできているので、外を見て雪がまだ降っ
ていないのを確認したが、あたりの山々がガスで見えぬ。
 多分雪が大分降りてきたなとは思ったが、目で見えぬので何となく安心していたが、そのうちみぞれが降って来た。
 で、慌てて買い物予定のオカカは、万年スノータイヤの親爺の軽4WDで行くことにして、親爺は暢気に構えていたが、この
ままノートe-power4WDをほっておくのも気が引け、重い腰を上げ、行きつけの中田自動車でスノーに入れ替えて来た。
 まあ、これで後は座敷の雨戸を閉めれば、我家の冬支度は終わる。屋根に融雪装置を入れてから雪囲いもしないように
なって、もう20年近く経っている。
 霙の降り出した朝だ。


 居間には床暖が入った。これで親爺がいつ昼寝しても寒いことは無い。


11/23
 今朝はいわゆる「朝ピッカリ」に騙されたが、天気はいよいよ悪くなってきそうだ。気温もいきなり下がり今日は最高気温
で7~8℃位だろう。いや、朝はもっと暖かかったのだが、だんだん気温が下がってくるのだ。
 昨日から、ヨータローにクリスマスプレゼントとして、ローラー・I・Wの本を送ろうと思いついて、電子書籍でも少し買い込
んであったので、シリーズの第1作目にあたる「大きな森の小さな家」を拾い読みしていたのだが、ついつい物語に引き込
まれ一冊読んでしまった。
 当時のアメリカ開拓者の生活を、読みながら、我が子供時代の暮らしが重なった。猟をする父、その獲物は生活の糧で
ある。寒い冬の暖かい暮らし、待ちわびた春の楽しみ、豊穣な秋の訪れ。
 イヤイヤ小学校3年生になっているヨータローに是非読ませたいと思った。
 まあ、現代っ子のヨータローだ。どんな反応をするかも楽しみだ。
 立山は当然もう雪が降っているだろう。こっちはまだ初雪には少し間があるだろう。


 雪が降ればこの木々にも白い花が咲き輝く。


 過日壊れた赤トンボ。修復しておいた。


11/22
 生暖かい気食の悪い日だ。南が突風の様に吹き、冬枯れの木々を揺らし、杉木立の枯れ枝を吹き飛ばす。
 視界が利くものだから立山も見える。大日の雪の付き方など見ていると、春から初夏の雪解けの頃の様だ。いったん初
雪が山肌を覆ったものの、そのあとが続かず、融けはじめ、そうみえるのだろう。
 昨夜も一昨夜も暖かかった。だが、明日からは寒気が入り寒くなるとの予報だ。立山は雪になるだろう。
 今冬は大雪になるのだろうか、去年は大雪だったと騒いでいたが、我が山里としては普段通り。決して大雪だとは思わ
なかったし、雪下ろしなども殆どの家では1回しかしなかった。
 我が山里の場合、大雪というのは、屋根の雪下ろしを少なくとも2回、場合によれば3回、4回ということもあって、大雪と
云うわけで、1回程度なら小雪ということになる。
 恐らく里雪の場合、雪の捨て場の確保が出来ず、除雪車の運航が制限されるということが大きいだろう。都市型の過密
エリアなど雪にも弱い。
 さて、親爺も空を眺めながら、スノータイヤにまず履き替えせねばなるまい。
 何とも爽やかさに欠ける生暖かい日だ。


 針葉樹以外、大半の木々は葉を落としてしまった。


11/21
 今日は穏やかな朝を迎えている山里です。昨晩も夜着を脱いで寝たほど暖かだった。明後日から寒くなると天気予報は
言っているが、今の立山を見ていると普段の年より雪の付き方が少ない気がする。ここへ寒くなって新雪がどっさりと降れ
ば、立山での初滑りも可能となるが、余り山慣れぬ人々が危険な箇所まで立ち入り、突然の新雪雪崩にやられるなど、か
なり恐ろしいことが現実にならぬことを祈ろう。
 まあ親爺など楽隠居の身の上、どんな遭難が起ころうとあまり関係はないのだが、長年の習い性で気になるのだ。それ
にニュースなどで見ると、状況が分かるだけに、何故防げなかったのかという悔しい思いが沸き上がる・・・。
 ふだんの年なら、もう真っ白になっている大日なのだが。
 

 ジジの大切な孫たちは、黒部は魚津水族館で遊んできたし、東京はお台場で松本から上京してきたユーキちゃんと大はしゃぎ。
 それぞれに楽しい土曜日を過ごしたようだ。
 


11/20
 昨日ほどではないが穏やかな朝だ。暖かいのが良い。
 昨日午後になって、心平を誘って近くの山を林道沿いに一回りしてきた。もう、猟期が始まっていて、外部のハンターが
芦峅寺周辺の大半が私有地、あるいは村の共有地となっている山々へ入っているそうだ。
 昔の親爺たちが若い衆時代の芦峅寺の山里には、名猟師が多くいて、身近な山々には目を光らせていたもので、その
頃は、猿や熊、カモシカなどもほとんど山里に姿を現すことはなく、猪や日本鹿などは姿を見たくても見られなかった。
 今は猪が芦峅寺どころか剱の山域まで入り、親爺が経営していた剱御前小舎の下の雪渓を横切ってゆく事さえあったが、
日本鹿まで現れ、動物の生息エリアも、温暖化により変わっている。
 そして当局により過保護にされた動物はかなり増え、やはり当局により猟銃所持規制を強化された芦峅寺の猟師は高
齢化と、その規制強化や手続きの煩雑化によりほぼ絶滅状態である。
 で、近くの猟場としての山々に興味を失った、芦峅寺住人は殆ど自らの所有する山林にも近づかぬので、それをいいこ
とに勝手に入り込み、山菜採りや猟まで我が物顔でふるまう悪質なものがいるらしい。
 まあ、それが一般常識の範囲で、狩猟法の範囲であれば、増えすぎる獣の抑止という意味でも文句を言うつもりはないが
度を越して来ると黙認できぬことになる。
 林道の立ち入りを規制するカギを壊したり、合いかぎを作るようになればもうこれは犯罪だし、無断で勝手に所有者のある
山林に踏み込んで猟をする事も許されぬし、猟期以外に熊穴を探る猟などは昭和の時代にもう絶えたはずで、立派な犯罪
である。
 こういうことが秘かに行われている形跡が、猟師が絶えた我が芦峅寺の山林であるとすれば、これは徹底的な当局による
取り締まりをして、摘発して貰わねばなるまい。
 火のない所に煙は立たぬ。素人集団の密猟など、危険極まりない。大きな事故を起こさぬ間に止めたが好い。
 昨日の月蝕。17:30頃だったかな。


 この閻魔堂のススキ原の中は猿のたまり場。

 


11/19
 今日も快晴。来週から天気は崩れるそうだが、まだ雪の気配はないようだ。そろそろ車のタイヤもスノータイヤに履き替
える時期だが、見極めが難しい。もうすでに行きつけの中田自動車さんにスノータイヤは発注してあり、過日社長から、入
ってるからいつでもいいぞ、と連絡をいただいた。親爺の車は全部この中田自動車さんにお任せだ。親爺はスノータイヤと
言わぬとピンとこないのだが、若い人にはスタッドレスとか言わぬと通用せぬ。スノータイヤで通っていたものを、なぜスタ
ッドレスなどと呼ぶのかはよくわからぬが、スノースパイクなどという言葉ももう、死語のようだ。法的に規制されたのでこれ
はやむを得ぬが・・・。
 晩秋の山里は少しずつ雪を迎える準備が進んでいる。


 手作りのサラミだが、外気で乾燥させたいのに中々気温が下がらぬ。右端は冷蔵庫乾燥で3週間。
その他はまだ1週間も経たぬ。


 昨夕薄暮時、大日方面に月が出た。90なんパーセントやらの満月?だったそうな。
 今日は140年ぶりの皆既月食が見えるかも知れぬ。


11/18
 所謂SNSの中でもLineは通信がメイン機能なので、親爺もオカカも利用頻度が高く、3人の娘たちとのやり取りは主に
これだ。便利だし、画像や動画も頻繁にやり取りできる上、テレビ電話なども無料で出来るから大したものだ。
 で、親爺とオカカは山里でのんびり二人暮らしだが、毎晩のように花のお江戸のど真ん中にいる次女が、孫と一緒にテ
レビ電話をくれるし、黒部の長女もちょくちょく孫の写真や動画を送ってくれるから、結構孫とのコミュニケーションも取れ
2歳半の東京など、暫く合わずともジジババを忘れることはないし、黒部は月に1、2度は我が家にママとお泊りに来るか
らジジババにはもちろん、近所の人や、通りかかる観光客にも「こんにちは」と声掛けし、場合によれば話込んでいる・・・。
 山里は今日も良い天気。でも辺りの木々は葉を落とし、秋が深まっている。
 猿が出て、庭に入り込みそうなので、玄関から玩具のエアガンで、BB弾を背に向け2発撃ってやった。距離数メートル、
命中!!狂ったように4匹の大きなサルが逃げた。負い矢をかけようと思った先に人影があったので、負い矢はかけなか
ったが、驚いて我家近辺へ暫く近寄るまい。来れば又見つけ次第痛い目に合わせてやろう。


 旅行中の写真がたくさん届く。遊戯施設はぼちぼちの人出で、貸し切り状態。思う存分遊んだようだ。
  
 
 宿に入る前に、東尋坊へも立ち寄るが、パパに抱っこばかり。漸くお宿に入った。広い部屋だね。
  

 勿論東京の孫もあちこちお出かけ。近くには公園も多いし、パパが黒いブーブーであちこちへ連れて行ってくれる。
  

 パパは優しい力持ち。おれはアンパンマンポコポコ(ポップコーン)が大好きなオニイちゃん・・・。
 


11/17
 今日は良い天気で、朝方は少し冷え込んだ。
 長女家族が親子3人で、久々の一泊旅行(隣県の遊園地)予定だったので、良い天気に恵まれてよかった。
 親爺は余りにも天気が良いので、ドローンを上げて撮影をしたが、1フライト目は見事に失敗、映像が全く撮れなかった。
で、2フライト目は慎重にやったのだが、天気が良すぎて操縦器画面が見えず、何かと操作しにくいので、家の中から操縦
する。これだとFPV画面は良く見えるが、機体を追っかけながらあちこち動かすには、死角が多くなり機体の高度もさほど
稼げぬ。まあ、それでも機体紛失や、墜落も嫌だから安全第一で撮影飛行。
 体調がすっかり戻り、午後からは久しぶりのインドカリーも作ろうかと思っている。
 これはドローンならぬ親爺のカメラ撮影。大日山頂に新雪が来ている。


 不動山の紅葉最後の輝き?今朝の雄山山頂カメラはすっかり回復。ちょっと拝借させていただいた。雪はまだ少ない。
 

 着陸進入に入ったドローンから、真下の写真。この辺りから慎重にアプローチして家の中に着陸。


11/16
 漸く風邪が抜けたようだ。体幹が確りとして来て嫌な悪寒がすっかり影を潜めた。肩も軽くなって、無意識のうちに背筋が
伸びるので、何となく全身に力が蘇ってきたように感ずる。
 こうなると親爺の場合、食欲がまず戻って来て、今までは三日もテーブルに置いてあったミカンの一山など、あっと言う間
に数が減り、菓子器に盛られた駄菓子も、たまに補給がいるくらい数が減り、これは皆親爺の腹中に収まっている。
 食事も楽しみになり、「○○は俺が作るよ」と料理を作ろうと云う意欲も沸き上がり、普段の親爺に戻るのだ。
 一番最後まで戻らぬのは、トレーニング(リハビリ?)を再開仕様という意欲で、僅かな自転車トレーニングも一寸敬遠気
味になったまま。まあ明日からでも再開かな?
 今朝は雨だったがそれも上がり、辺りも随分明るくなってきた。
 近所の大イチョウも間もなく歯を散らし切り、寒々とした冬枯れの木になってしまう。


 閻魔堂石段脇の紅葉が赤く染まりきっている。


11/15
 名古屋以来というよりは、それ以前から引いていた風邪だったのだろうか、とにかく親爺は子供のころから風邪をひくと
いつも、喉に来て熱が上がり寝込んでしまった。18歳の大学受験の頃も非常に重い気管支炎にやられ、2週間ほどを寝
込んだ記憶がある。
 その後も一緒で、大学時代もそんなことがあって、友人が交互に看病してくれたこともあった。卒業し帰郷てからも、普段
は頑強そのもので、村相撲では大関を張り(1年だけだったが)山小屋稼業を引きついで、山を駆け巡り、丈夫だった。が、
1年に一度はこの喉で発熱をし、耳鼻咽喉科のY先生に相談しても、「もっと若いころなら扁桃腺切除という手もあったが、
もう遅いし、親爺さん(親爺の父)からの遺伝で、扁桃腺が弱い人はいるものだから、その都度俺のところへ来いよ。」と
ハイライトをくゆらしながら言ってくれたものだ。
 優しかったY先生もとっくに旅立ち、喉の弱かった父も90歳の大往生を遂げ間もなく70の古希を迎える親爺は、未だに
年に1回か2回ほど、この喉風邪にやられている。
 約1週間、今回は比較的軽かったが、数日にわたる微熱の不快感には閉口する。
 決して無理をせず、少しずつ生活を基に戻そう。今日はまず風呂だ。もう4日間入っていない・・・。山小屋並みだ。
 秋の深まり行く山里。


 親爺の可愛い孫たちが、ジジの力の根源。今度はクリスマスのジジサンタとして何が欲しいか聞き出さねば・・・。
 


11/13
 名古屋から帰ってから、どうにも体の調子が悪い。喉風邪をひいていたのに長距離運転をしたからだとすれば、親爺も
焼が回ったものだ。と、生意気なことを言ってみても事実は否定のしようがない。
 医師の診察を受け、喉の炎症ですよ。風邪ですね。都の診察を受け、四日分の抗生剤と咳止め等を頂いて来たが、そ
の時は熱がなかったのに、その夜から微熱が出だして、鎮痛解熱剤も併用している。
 咳は止まり、のどのイガイガも消えたから、後は体がしゃきっとする待つばかりだが、関節痛閉口している。
 関節痛を、こちらでは「ホネヤミ」と言い、何とも具体的で症状を的確に表している言葉だと思う。
 今日は黒部の孫が3週間ぶりに来る。この孫の顔を見れば親爺のホネヤミも治ってしまうかもしれない。
 穏やかな天気だが、気温はそこそこ低め。大日も見えている。
 陽の光の当たり方で、不動山が今朝は奇麗だった。


 我が甥っ子の娘、六花(りっか)ちゃんだが、もう100日、お食い初めだったそうな。
 なんと無心でかわいい事か。親爺の義弟はもうメロメロだそうだ。解る!!



11/12
 昨日、町内の耳鼻咽喉科で受診し、薬を頂いて来た。受診した時は36度6分の平熱で、何ということもなかったのだが
帰宅して薬を飲み、喉が楽になったものだからぐっすりと昼寝をした。オカカによると3時間も寝ていたそうだ。
 が、その夕刻に何とも嫌な悪寒が来て、熱を測ると37度2分ある。で、夕食後もう一度薬を飲み、鎮痛解熱剤も飲んで
おいた。21:00前に夜具にもぐり込み、寝ようとしたが、昼寝が効いて居て寝付けぬ。仕方なく本を見たり、タブレットで彼是
見たりしている中に、オカカが寝室に来て、もう、23:00である。小用をして再度夜具にもぐり込むや眠くなって、そのまま明
け方まで寝た。
 今朝も体のだるさは残り、体温も36度9分とやや高めだが、喉はずいぶん楽になって、鼻水も咳もぴたりと出ない。
 起きてキーボードをたたていると、体も幾分楽になってきたような気がする。親爺はとにかく喉が弱く、風邪も先ず喉から
引く様だ。
 雨の山里である。秋も徐々に色あせてくる。


 閻魔堂への石段の紅葉もきれいだ。


11/11
 名古屋の親友宅への弔問で、更新を2日観さぼってしまった。
 久々の遠出だったから親爺はかなりくたびれて、少し喉がイガイガしていたのだが、咳が酷くなったのでこれから立山町内
の耳鼻咽喉科へ行って診察を受けてこようと思っている。
 まあ年だなと、自分でしみじみ思った。ちょっと前なら数時間の運転でこんなに疲れることはなかったのだが、今回は体調
不良もあったからか、とても疲れた。そんなに頑張ったわけでも無く、ゆっくりした日程だったのだが・・・。
 今日は雨の予報だが青空が見え晴れてきた。今朝はこんなに雲が多かったのだが。


 在りし日の我が友、トシ君。奥さんは元気で親爺とオカカの弔問をとても喜んでくれた。
 これは2012年の剱御前小舎出の一コマ。親爺より一つ年上で、何でも相談できる兄貴分だった。合掌。


 帰路、またせせらぎ街道を通ってみた。人出が凄い。紅葉はもう終わり気味。


11/8
 昨日は立山ガイド協会の記念式に出席。最後の座談会に引っ張り出された。まあ、大したこともしゃべることはできなかった
が、時間だけは持ち時間を超えてしまった様だ。様だというのは、話し出すと時間の感覚がなくなるからで、話も脈絡なく脱線し、
収拾不能になるのが親爺の悪い癖なので、まああんなものだろう。
 で、昨日は懐かしい顔にも出会ったりして、結構話もできたが、山を離れもう足掛け5年、山荘組合の理事長が、天狗平山
荘の賢輔親爺に変わっていることも知らなかった・・・。
 行き帰りの運転を心平に頼んだおかげで楽をしたが、こんなことさえ苦痛になるようではいけない。と、明日は過日病気で
旅立った名古屋の大親友、トシ君の家へ、弔問に出かける事にした。オカカと二人車で出かけ、名古屋で一泊して帰ってくる
予定だ。葬儀が緊急事態宣言下で、家族葬の様だったし、会葬できなかったので、心苦しかったのだ。奥方のヒーチャンも昔
からの山仲間。しばし、在りし日のトシ君を偲んで来よう。
 今日はいい天気で立山も良く見えていて、雪が少なく成ったのがよくわかる。が明日から天気は崩れそうだ。
 今朝はドローンを上げて撮影。


 我が愛しき孫たち。昨日の休みはそれぞれに楽しかった様だ。映画を観たり、家でままごとをしたり…
 

 今日11月8日は、今から65年前の昭和31年、日本国民の期待を一身に受け、晴海ふ頭から第1次南極観測隊が宗谷で
出港した日だ。今朝新聞の日付けを見て、思い出した親爺である。我家の宗谷ディスプレー。


 二軒隣の銀杏の木が見事に色づいた。この葉っぱが見な散り落ちるころ雪が来る。


11/7
 本日も快晴。今日は心平に運転手を頼み、隣の謙ちゃんと一緒に立山ガイド協会の100周年記念式に出席する。
 現立山ガイド協会の前身は立山山案内人組合で、その案内人組合の設立から起算し、今年が100年目ということらしい。
 我が家では、祖父、父、そして親爺と3代にわたりこの組合または協会に所属している。父は協会の初代会長でもある。
 で、現在の会長ター坊(佐伯富男の長男)に引っ張り出された格好ながら、恐らく山の会合に出るのも最後だろうと、腹を
括り、「和さん作務衣でいいから来てよ。」とター坊の許可も受け、本当に着慣れた作務衣で出席の予定。
 式典など改まった席はもともと苦手な親爺、歳をとって太ったのもあるが、スーツや礼服は、窮屈で、肩こり頭痛の原因と
なるのだ。
 登壇して座談会形式で何やら喋らせられることになっているが、自分の知ることであればその辺りはあまり苦にならぬ。
 むしろ、司会者が困るほどの脱線をしそうな気がする。
 まあ、今更人前で話すのも難儀なのだが、昔、爺様(父)やその仲間たちを、何度もこんな席に引っ張り出したこともある
親爺、文句も言われまい。
 今日も晴天、紅葉が盛りで秋の深まる山里だ。


 小屋閉め前にトモちゃんが撮った写真だが、雷鳥沢大曲あたりだろう。親爺には何百回も通った登山道だが、
最近ここを歩いている夢を何故かよく見る。剱御前小舎に向かう登りだったり、室堂に向かう下りだったり。


 昨日サラミを作った。これはまだケーシング(腸詰)したばかりの状態。これを低温乾燥し熟成させるのが本物。
 親爺は80℃以下の低温加熱をし、僅かにスモークした後、暖かいので冷蔵庫で乾燥塾生させる。


11/6
 快晴の朝で、土曜なものだから多くの車が立山へ向かうかと思っていたが、さほどでもないようだ。しかも称名の紅葉が
やや盛りを過ぎながらもまだ見ごろなものだから、称名へ向かう車の方が多いかも知れない。
 最近は何かしたいと思っても、なかなかさっと取り掛かれない。体の動きが悪くなったというよりは頭の段取り機能その
ものが低下している気がする。
 何かをやり始め、そのあとにこれをして、それからあれをやろうという気はあるのだが、やり始めた何かが思いのほかに
時間がかかるのである。すると、次にやるこれが面倒になって、そのあとの予定のあれなどは忘れてしまっている・・・。
 だから、物事がなかなか進まず、予定もなかなか消化できない。というと忙しそうだが、暇を持て余しているのが本当で、
ゆったり流れる時間の中で、動作がさらに緩慢になっているに過ぎない。
 全てを年齢のせいにするのは嫌だが、やはりこれは老化だろうか?
 またHPの更新だけで午前中が終わってしまいそうだ。
 良い天気の山里だ。


 不動の紅葉も悪くないが、昨日見てきた称名、悪城の壁の紅葉は桁違いに良い。
 

 雄山の山頂ライブカメラが復旧していた。これがあるから山の様子がよくわかる。
 画像を拝借。今朝の雄山主稜線から剱だ。


11/5
 昨日、薬貰いから帰って、午後も少し遅くなってから称名へ出かけた。紅葉が奇麗だとテレビなどで盛んに言っている。
 ミーハーな親爺とオカカ、車だと僅か15分である。が、車の多さに驚いた。平日の午後だが何と多くの車が駐車場に犇
めいていたことか。基より滝見台まで行く気はなく、新一郎の経営するレストランでコーヒでも飲んで来るかというつもりだ
ったのだが、こんな車では、いつものようにレストラン前に車を横付けするのも躊躇われ、下の駐車場の空いたところに
車を停め、写真を数枚撮って這う這うの体で帰宅した。紅葉はもう終わりそう。日の当たり方で美しさも天地の差が出る。
昼頃が良いのではなかろうか。こんな写真では面白くない。


 幾つもある駐車場の最下部ですらほぼ満車。


 が、今日はもう雨空。これから回復してくるかもしれぬが、紅葉自体がもう終わりそうだ。
 称名へ向かう車の音も少ない。そして何時までも暖かい秋だ。


11/4
 昨日東京の孫が帰り、無事パパの出迎えで家に着いたと連絡があり、先ずは一安心。オカカと二人コンビニで夕食を買い込
み家に帰った。色々なあと片付けのあと、一抹の寂しさに襲われたが、また気楽な日常に戻ったことも事実だ。
 明けて今朝は親爺の誕生日。69歳になった。60代最後の歳と思えば感慨深い。何とか70代に投入できるように頑張ろう。
 と、思う間もなく今日は月に一度の通院日。富山市内に出かけ血圧測定や、酸素濃度測定など簡単な診察を受け、1か月分
の薬をもらってきた。
 良い天気で、帰路立山が良く見えた。
 山里も秋が深まる。


 可愛い可愛い孫が二人、いつもジジの心を慰めてくれる。チョコアイスを食べるオネエチャンとおにぎりをほおばる坊。
 

 オカカと3人娘からのプレゼントが届いた。これで当分アマゾンで好きなものが買える・・・。
 有難う!!


 一番うれしかった孫からの歌のプレゼント!!
   


11/3
 孫たちが来ていて、東京の孫が今日までいるので、この2歳児が生活の主役となり、数日経った。
 今朝も早起きで、朝寝を決め込んでいた爺は、このかわいい孫に起こされた。家中をダダダっと駆け回り、ジジの膝に乗って
来る時は、パソコンをいじりたい時で、しかしこの孫にいじられると親爺のロートルパソコンは動きがますます怪しくなってしまう。
 未だ目を離せぬ年だから、ジジかババかママが四六時中目を配っているので、全てが孫中心に動くようになる。
 が、その楽しい日々も過ぎ去って、午後には富山駅まで送り、見送らねばならぬ。明日からは又親爺とオカカだけの日々。
 たまに黒部の孫がお泊りに来るが、それとて月に1,2度。最近はだんだんその間隔も広がって行く・・・。
 隣家の桃の木がすっかり色づいた。山里の秋が深まって行く。


 不動の山もかなりきれいになって来た。


11/2
 今日も雲がちながら雨も降らず、寒さも厳しくはない過ごしやすい日だ。
 我家東京の次女と孫がまだいるが、黒部も、松本も帰ってしまった。今はオカカが買い物がてら次女と孫を連れお出かけ。親
爺は留守番である。
 孫二人に3人の娘たちがそろうと、とても賑やかを通り越して、凄まじい様な騒々しさになり、親爺は孫の相手に引っ張り出され、
そこそこ忙しくなり、こそこそと自室に引っ込む事も出来ぬが、孫相手ならそれも面白く、疲れるが楽しい。
 が、楽しい時間というのはあっと言う間に過ぎ去り、気付くと終わっている。
 今日はまだ半日、東京の孫がいてくれる。でも明日には帰る。
 今日も比較的穏やかな、温かい日だ。大日もまだ見えている。


 「幼きは 幼きどちの ものがたり 葡萄かげに 月かたぶきぬ」佐々木信綱の短歌だが、我が孫にその歌を重ねて
見る年になっている自分に驚く。
 
”我が孫のふたり何やら語りおり何が欲しいかささ爺に言え”
 


11/1
 今日からは11月霜月となった。昨日、オカカは娘3人と孫二人とともに、射水市にある「遊び場」とか言う屋内児童遊園地に
出かけた。車で小一時間、幸い天気が良かったから屋内施設は空いていて、孫二人は思う存分遊んできた様だ。
 親爺は留守番で、家で夕食のつけ麺を仕込んでいただけで、チビ公たちの相手をせずに済んだので疲れはしなかったが、さ
てオカカはかなり疲れ、ぐったりして帰って来た。それでも孫には親爺同様甘く、大変だったけど孫たちが喜んで面白かったよ。
との事であった。
 黒部は今日は保育園、ママも勤務があるから昨日のうちに帰宅したが、車でなら山里迄1時間もかからぬ。またいつでも来れ
ば良い。東京のいとこや、ババとバイバイするのが寂しかったらしい。でも遊びたさに負け、ようやくバイバイしてきたそうだ。
 今日の山里もまずまずの穏やかな天気だ。
 

 ジジにハロウィンのクロネコの衣装を着て抱っこ。それから出かけた「遊び場」では二人でよく遊んだ。
  

 結構広い施設で、おさるの電車のような遊具もあるそうで、オネエチャンは個々の常連・・・。


 兎に角いろいろな遊具があって、一人1500円の定額で乗り放題だそうな。


10/31
 昨日は我が家へ娘3人、孫2人がやって来た。賑やかで楽しくて、飯も食ったか飲んだかわからぬ親爺とオカカだったが、今
朝も起抜けに機嫌の悪い黒部のオネエチャンがジジにべったりだった。ママに少し叱られたが、ジジがいるのでジジに抱っこさ
れ5分ほどでご機嫌も直り、東京の坊と一緒に機嫌よく家を駆けまわっていた。
 で、今日はオカカが皆を「遊び場」という施設に連れ出した。黒部の長女がいつも使っている、屋内の児童公園ののような施
設で、前からオカカと長女が相談してジジを除く6人でお出かけだ。
 黒部の孫に「ジジお留守番宜しく。バイバイ!」とフラれた親爺は、寂しい様な,ほっとしたような・・・である。
 黒部の長女と孫はそのまま帰宅するらしいが、次女と三女と東京坊は午後に帰ってくる。その夕食の準備は親爺が担当。
 つけ麺を作り食べさせるつもり。
 三女は明日松本に帰り、次女は明々後日3日に東京に帰る。
 山里はやや雲がちながら、いい天気だ。


 ハロウインの衣装を着て見せる黒部のオネエチャンと、腹ペコ青虫の帽子を脱がない東京の坊。ジジババメロメロ。
 

 雲が今は又増えてきた。

 
 


10/29
 さてさて今日も長閑に時が過ぎている。でも明日は次女三女が帰省し、黒部の長女もそれに合わせ里帰りをするので、我家
は娘3人に孫が2人と一気に5人が増える。
 賑やかでうれしいが、この連中に何を食べさせようかとオカカが頭を悩ませ、親爺も少しは手伝いをしようと、何か料理の下
ごしらえ程度を受け持った。今日はまだしも、明日は富山駅に次女と孫を出迎え、松本の三女は車で直接我が家に来るし、黒
部の長女も孫と一緒に車でやってくる。
 孫と遊びたい爺だが、体力があまりないから、最近は孫たちもジジ端物足りず、ジジと遊びたがらない。仕方がないから精々
孫たちの好みそうな食事をこしらえる役に回る。
 孫の相手はもっぱら末娘とバァバで、ジジはたまにお声がかかる程度で、まあそれで十分である。
 さて、今から少し娘たちや孫たちに食べさせる、料理の下ごしらえにはいろうか・・・。
 不動山も今朝の朝日に鮮やかな色を見せていた。


 保育園でもハロウィンの催しがあり、仮装して遊ぶそうで、オネエチャンはお姫様(衣装はパジャマ)東京のちび坊
は、大好きな腹ペコ青虫のコスチュームらしい。4歳と2歳。可愛いものだ。
 

 明日はみんな、山里のジジババの家に集合だ。


10/28
 寒く成って来たので、サラミを作ろうと準備していたら、肉を混ぜ合わせケーシングして、低温加熱をし乾燥させ、更に物干
場で冷気の中乾燥させようと思っていたのだが、生憎のことに昨日までは20度を下回っていた物干場の温度が上がって、今
朝はだめだ。で、ペーパータオルに包み、冷蔵庫で乾燥させている。このままであと1週間もすれば、カチカチのやや塩辛い
ドライサラミになって、忘れるほど放置しておくとうま味がさらにさらに増す。が固くもなるので、そこは好みのままに。
 最近気力がなくなり、ニート並みに家でゴロゴロばかりしているが、これはあまりいいことではない。
 でも昔の様に、あれもこれもと手を広げ過ぎてもどうにもならぬ。体力気力がついて行かない。
 で、年相応にやることを、日に一つ以上は決めて、やることにしようと思っている。もちろんこれは、すでに日課になっている
絵日記つけ(このHP更新)や自転車トレーニング以外にということで、例えば昨日のサラミづくりのような感じである。
 さて、今日は朝一でドローンを飛ばした。そしてこの後自転車トレーニング(リハビリ?)が終われば、午後からは「かえし」を
仕込もうと思っている。これが終われば一応今日のノルマは終わる。後はのんびり本を読んだり、ユーチューブを見たり。
 隠居の日々もこれで有意義に過ごしたいと思うと、結構大変だ???
 今朝の不動山。もう少しすっきりした天気で、青空が広がればもっときれいだろう。
 

 ケーシング(ケースに肉詰め)したソーセージを70~80℃で、30分ほど加熱乾燥して、冷めたら燻煙をかける。
 

 僅かに煙がかかればOK, もう一度スモーカーを閉じ、80℃前後で1時間熱乾燥させて、後は冷所で風乾するのだが、ペーパー
タオルなどで包み、冷蔵庫で乾燥させても良い。1週間で固くなる。後は好みのまま。
 


10/27
 秋篠宮家の御長女の結婚で、マスコミは大騒ぎだ。この恋愛結婚の障害になったのは、女性側の皇族という身分が第一
であったのだろう。こんなことを考えると、生まれながらの皇族女性には基本的人権すら認められていないという事が分かる。
 先ず、宮内庁というお役所の存在がよく理解できぬし、更に言うなら天皇制というこの制度も時代錯誤の様な気がしてなら
ぬのは、このオイボレ親爺だけだろうか?
 結婚は両性の合意にのみ基ずく・・・・・が先ず認められないのはなぜか?
 天皇を継ぐ者は男系男子に限られる・・・・・男女は同権なのではなかったか?
 子供のころから戦後教育で育った70歳直前の爺には、皇室という存在が先ず不可思議なもので、特段有難いという感情も
ないし、国民の象徴たる昭和、平成天皇陛下には優しい人格者との認識はあるが、今上陛下には幼少時代からテレビなどで
その成長の姿を見てきたので、特段の尊敬もない。
 国民に親しまれ、尊敬を受けるべき、国民の象徴たる御一族が皇族だとするなら、生まれながらの皇族には基本的人権も又
結婚の自由もないという事なのだろうか?
 皇統の継続という観点からはそれもやむを得ぬのだろうが、なにか絶滅種の保護のための種の保存のような気がして、皇族
と云う方々可哀そうな気もする。
 生まれながらに世の耳目を一身に集め、幼子の頃はいざ知らず、自我が目覚め、思春期を迎えても自然な欲求、要求すら第
三者から制約され続ける生活・・・・・。確かに食うことや暮らしは生涯苦労はないだろうが、それと引き換えの様に自由を奪われ
てしまうのだろう。
 変化を嫌う伝統的生活の中にも、避けられぬ変化はある。皇室ももっと大きく変化する時期は来ているようだ。
 不動山が色づいて、大日の雪は根雪になるだろう。


 未だ鮮やかな錦秋とはいいがたいが、これから色づいていく。


10/26
 オカカと二人朝から出かけ、インフルエンザの予防注射を受けてきた。親爺は高齢者だから立山町の指定医院で接種を
受ければ半額負担で済むが、オカカは約半年のことで全額負担となる。とは言え高々3000円の話、インフルに罹患して辛
い想いをすることを考えれば、転ばぬ先の杖で受けておくべきだろう。
 で、出たついでに、買い物などもしてきたが、どこへ行っても高齢者ばかり。勿論親爺もその仲間なので人のことは言えぬ
がまあ、周りへの気配りどころか自分が動くのが精いっぱいで、しかも車の運転もするのだから、そういう高齢者の多い施設
の駐車場などかなり危険である・・・。人のフリ見て我が振フリ直せとか、親爺も精々気をつけねば。
 今朝は視界は利いていたのだが雲が出てきて大日など覆い始めた。恐らく稜線部は雪だろう。


 イカ心平の悪戦苦闘の別山乗越越えである。
 小屋を閉め、出発。もう積雪の中だった。ズーッとラッセルが続き、ペースは上がらず思いのほか時間を取られた・・・。
 

 一生懸命登るのみ、延々とラッセルが続き、別山乗越、剱御前小舎まで9時間を要した。やっと電話が使え連絡が取れた。
 


10/25
 最近はユーチューバーという職業が成立するほど、ユーチューブがポピュラーになっていて、世界中の様々な動画がアップ
されるので、面白い。大概10分前後程度の動画で、勿論音声も入りかなり高度な編集もなされているので、観ていて面白く
また、何処かアマチュア的なおおらかさもあり、肩も凝らず面白い。
 中にはかなりナンセンスで、売名だけを目的にした最低のレベルのものもあるし、生真面目すぎて自分のポリシーを無意識
の中にだろうが、押し付けてくるようなものもあるのだが、選択して観るのは自分で、自由に選べるのが良い。
 親爺など趣味の模型や、所謂アウトドア系や、料理、狩猟、漁などの分野がほぼ90%で、後は格闘技の試合などを拾い観し
ているが、興味があって面白そうならジャンルを問わず観られる。
 で、暫くソータローのアウトドアチャンネルを面白く観ていたが、最近は田舎で一人で釣り暮らし、が面白くてそちらに集中し
ている。若い大分県在住の娘が、一人暮らしをしながら休日などを釣り暮らしに明け暮れるという設定で、坪庭程度の畑に挑
戦したり、キャンピングカーを自作したり、なかなか面白い。若い女性ならではの不器用さも愛嬌だし、時としては驚くような釣
技で素晴らしい釣果を上げるのも驚きだし、釣った魚はすべて調理していただくという姿勢も納得である。
 親爺など体力維持のためのリハビリの様な自転車マシーントレーニング中に、この大分女性のページを見ながらペダルをこ
いで息を切らすのが、苦にならなくなってきた。とにかく面白く好感の持てるチャンネルだ。因みに「わっさむチャンネル」でユ
ーチューブを検索するとすぐに出てくる。
 ソータローチャンネルと云い、わっさむチャンネルと云い、若い人たちが新しい形で自然に触れる姿が微笑ましい。その上の
レベルの狩猟関連では、「亀ゴローのネーチュアポケット」等も面白いが、この御仁、目つきが職猟師より鋭くなってきている。
一寸不要な猟を離れることをお勧めする・・・。
 いやいや撮影機器の小型化と高度な発達が、素人づくりの動画を可能にし、その発表の場をインターネットが提供してくれる。
 そういう限定的な意味では、なかなか楽しい世の中になってきた。
 60代最後の爺様にも、昔は考えられぬ航空写真がいとも簡単に取れる。


 しかも庭先に腰掛け、こんな格好で航空写真撮影だ。


 我が山里も秋色が深まった。


10/24
 朝一でオカカの手伝いをさせられ、ヤクタタズながらも頑張って、居間のカーペットの敷替えを終わらせた。
 当然親爺はグロッキーで、今はもたもたとキーボードをたたき始めたが、オカカは元気できれいに晴れた秋空の下、庭に
出て何か作業をしている。
 この絵日記は、ホームページ用なのだが、だからと言って特別なことを書かず、兼好法師の真似事、徒然なるままに・・・
書いていて、親爺自身の日記ともなっている。
 で、剱御前小舎時代のかなり古い時期からあるはずなのだが、今確認できるのは2009年位からで、それ以前も何年か
あったはずだが、サーバー契約を解除したり、バックアップを取り忘れていたりで、結局は過去10年余りの日記が残ってい
ることになる。
 それでも10年も年を重ねれば色々なことがあって、たまに読み返してみると、読み続けてしまうし、色々な忘れたことも思
い出したりする。
 今朝も親爺の又従弟マサが52歳で亡くなった時のことを偲び、数年後に描いた日記を見つけ、更についこの間亡くなった
名古屋の旧友、トシ君の元気な姿が掲載された日記も見つけた。トシ君はヒーチャンの旦那で、夫婦そろって親爺の大親友
家族ぐるみの親交のあった人だ。
 亡くなった時のことはこのページ(日記)にも書いたが、固有名詞は使わなかった。でももういいだろうとここに又固有名詞
で書き加えているのだ。
 日記というのは大事なものだ。これからも書き続けよう。
 不動山もわずかに色づいてきた。大日は雪衣をまとっている。快晴の山里だ。


 ”故郷の山に向かひて言うことなし故郷の山はありがたきかな”啄木の歌が心をよぎる。


 トモちゃんが小屋閉め直前に採ったみくりが池、まだ雪の前だ。


10/23
 近頃は、寝床に入る時間こそ22:00前後と健康的なのだが、昔からの癖で、それから2時間前後は本を読まぬと寝付
けない親爺なので、実際に寝入る時間は0時を少し回ることが多い。そのあとは真冬でもほぼ朝まで起きず眠れるのだが
どうにも眠りが浅いようで、朝がすっきりしないし、長々とは眠れない。
 若いころは例え徹夜して、ラジコン飛行機を組み立てたり、本を読み漁っていても、翌朝の眠気さえ取れれば平気であっ
たが、今は情けない昼寝が習慣になってしまっている。まあ、もう60代最後の年なのだから仕方あるまい。
 今下山してきた心平が立ち寄っていった。「ご心配をかけ申し訳ありません。」と、如何にも心平らしい律義さに、叱ってや
ろうと思っていたのだが、「無事で良かったな。」と声をかけて終わった。今日は土曜日、ヨータローも家で待っている。早く
帰ってやれと、追い返した。
 緑は今回随分心配だったろう。自分も学生時代山岳部だったし、その後の山小屋生活もかなり長かったから、山がよく
わかっている分心配も募るものだ。「あれこれ考えていると、いいことは考えず悪い事ばかり連想する・・・。」と自ら言いて
いた。まあ、お灸据えは親爺に任せて、労わってやればいい。心平もかなり疲れている事だろう。
 今日は雲がちな天気だ。朝まで雨だった。


 青空も見え隠れしているが、午後は晴れるだろう。山里もこれから秋色づいてくる。


10/22
 体が慣れたのだろうか、ストーブを炊いて室温は22℃だが、寒さを感じない。ストーブ側が少し暑い?様な気がする程。
 今日も快晴だ。この天気を狙って、今日心平が下山する。真砂沢ロッジでもそこそこの積雪があった様で、当初計画し
ていたハシゴダン乗越越えで黒部ダムに出る案は取りやめ、一番ノーマルな剱沢を上るコースで別山乗越を超え、室堂
に下るそうだ。
 まあ、当人も間もなく50歳。山もベテランで、年々落ちて行く体力は積み重ねた経験でカバー出来る。心配は要るまい。
 室堂乗越に来て、電話が通じれば親爺に電話が入ることになっている。「昼までに電話がないと、警備隊に連絡するぞ。」
と、発破をかけておいた。今朝6:00には小屋を出ているだろう。
 奥山組の殿を務めた心平。ご苦労さん。
 昨夜はかなり熟睡して、今朝まで一気に寝込んだ親爺だが、オカカもよく眠れたそうで、いよいよ体が寒さに慣れてきた
のかななどと、ノー天気に話している。
 オカカは買い物に出かけ、親爺はHP更新。何時もの日が繰り返されていく。
 立山は見事な晴天だ。


 可愛い孫二人からの便りが届く。ほぼ毎日届くから親爺もオカカも楽しみにしている。
 インフルエンザ予防注射我慢したご褒美をGET。  シャンプーを嫌がるので、鉄腕アトムに変身させたら大喜び。
 

 こんな程度の雪ではない。もう真っ白に雪がついているだろう別山。 オコジョが遊ぶ別山乗越を超せば一息で室堂だ。頑張れ心平。
 


10/21
 今朝は寒かった。歯を磨きながら晴天なので、親爺部屋から立山を見る。予想通り大日は真っ白だ。
 弥陀ヶ原もかなり前に白くなっていたのを、ライブカメラで見た記憶があるから、大日にはもっと前に雪が来ていたはず
だが、天気が悪く見えなかったのか、親爺がただ見逃していたのか、真っ白な大日に気づいたのは今朝だ。
 で、慌ててカメラに収めたが、朝で、逆光気味だ。それでも雪の来ているのはよくわかった。
 オカカと18日に郡上八幡に向かった時は、晴天だったから、案外その辺りで雪景色の大日は見えていたのかも知れぬ
が、とにかく親爺がそれと気づいて雪景色の大日に手を合わせたのは、今朝だった。
 9:20過ぎ現在青空が広がり、我が居間には物干場から強い陽射しが入り込み、暖かい。勿論ストーブも焚いているから
だが、室温は22℃ある。フリースを着て、前のジッパーを半分ほど下しておけば丁度いい。
 ストーブを炊くようになって数日、夜間がかかっているとは当然、煮込みの鍋がかかり、いいにおいを漂わせているのも
冬の居間の情景だ。
 未だ秋たけなわの山里だが、冬が立山に姿を見せて、これからはゆっくり時間をかけて、山里へも下りてくる。


 一寸ズームを大きくかけた。寒さが近づいてぞくっとした。


10/20
 昨日、一昨日は卯の花街道、せせらぎ街道をめぐり、郡上八幡で一泊してきた。昔から大好きな飛騨路でも、一寸
マイナーな裏道?なのだが、名古屋方面へ行く時に昔よく使った。寂れ方が酷かったのでどうだろうと心配したが、月
曜日にもかかわらず、途中にある道の駅などは結構な人出だった。但し交通量がめっきり減っていることは否めない。
 郡上八幡ではすでに何回か見ているので、特段見るところもないわけで、15:00前に宿へ入った。
 普通のホテルだが、郡上鮎のコースを食べさせてくれるので、それが楽しみだった。
 久々のドライブで、5時間ほど走ったので結構楽しかったが、疲れた。
 チェックイン後はゆったりと部屋のバスタブにつかり、疲れをとった。
 丁度この日、立山では剱御前小舎が小屋閉め。スタッフも全員下りた。
 剱御前小舎は来シーズンまで、冬眠する。


 朝焼けの剱を遥拝後スタッフは下山したのだろう。


 郡上八幡の鮎尽くし料理。これは親爺とオカカには量が多すぎたが、胃薬を飲みながらほぼ完食した。
 塩焼きと味噌田楽焼き                 飛騨牛ステーキ                  鮎の酢の物
  

  甘露煮を載せたそば                 コアユ天ぷら                     〆は鮎飯
  


10/18
 今日は昨日と打って変わった良い天気だ。で、6月に車を入れ替えてあまり遠出はしていないので、今日は久々に遠
出をして見ようかと云うことになった。
 昔よく走ったところが良いだろうと、飛騨路を辿り、卯の花卯の花街道をとおり、せせらぎ街道に出て、郡上八幡へ行
ってくることにした。
 郡上八幡も以前何度か訪れたが、そこに至るせせらぎ街道は、何度も通ったものだ。東海北陸道が出来てずっとご
無沙汰しているので、懐かしい。風の便りに随分さびれたとは聞いているがドライブにはかえっていいかも知れない。
 郡上の方で手ごろな宿をとってある。鮎のコースを食わせるらしい。楽しみだ。
 一泊のドライブ小旅行。たまには外へも出なくては、心身が縮みこんでしまう。
 低い陽射しが物干場からまともに居間へ射しこみ、カーテンで遮っても眩しい。


 もうストーブも欠かせない。今朝の室温は12℃。


10/17
 とうとう白いものが立山にやってきた。
 今朝は山里も結構冷えて、昨夜から雨だった。親爺は今になって夢枕獏さんの神々の山嶺を読み返し、懐かしいネパ
ールのあちこちや、ターメルの饐えたようなにおいまで懐かしく、読みふけっていて昨夜も22:00には寝床に入ったが、
00:30頃まで本を読んでいて、明け方も山の夢を見て目が覚めた。
 可成り寒いようで、まだ相の布団だが、それに丸まっていた。外の気温は12℃位だった様だ。今夜から冬用のごつい
羽毛布団にせねばなどとボンヤリ思っていたら、トモちゃんからのラインで写真が届いた。
 瞬間に、ああ初雪だなとピンと来て、見てみるとやはりそうだった。
 剱御前小舎は今日小屋閉めし、明日には下山と聞いているので、遅い初雪ではあったが、小屋閉めらしい気分になっ
たものだと、一人可笑しかった。
 昨夕は心平からも連絡があって、小屋閉め作業は捗っているが、「小さな物置を小屋石垣の中に作たので、完全に仕
上げてから下山します。」との事だった。雪が来るだろうことを予測して、ハシゴダン乗越越えで黒4ダムへ抜けるルート
で下山するつもりのようだ。
 立山ももう小屋閉め。雪が降ったらサッサと山を下りてくる事だ。
 おおー、小屋閉めらしい情景だ。


 山里も昨夜からずっと雨が降って、今朝はおそらく12℃まで気温が下がった。


 勿論、親爺はストーブに火を入れて、フリースを着込んで過ごしている。


10/16
 今朝起きたら、居間の隣のDKには温風ヒーターが焚かれていた。今朝オカカが起きた時の室温が14℃だったとか。
 親爺が起き出した時には温かく、普段通りの室温だったが、ストーブを炊いていたことには気付かなかった。
 山里もどんどん秋が深まり、周りの山々も色が変わってくることだろう。
 10月ももう半ばを過ぎた。昔ならごそごそと猟銃を引っ張り出し、来るべき猟期開幕に備え手入れに余念なかったも
のだ。11月15日の解禁までには、講習会やら何やら、面倒な事が多々あったが、銃を背に猟野をめぐる事に思いを
はせ、左程苦痛にも思わなかったものだ。
 今は昔の話、昔は20~30人もいた我が山里の、「鉄砲撃ち」の顔ぶれも一人二人と減って、今や心平を含め3人に
なってしまった。
 今朝の山里の空。
 

 4歳児も塗り絵大好き。上手だね。こっちも塗り絵に夢中の2歳児。上手だぞ!
 孫たちから毎日のように届く写真が、ジジババはこれが楽しみ。
 


10/15
 明後日あたりから天気が変わり、晩秋の寒さが厳しくなるとの天気予報で、今朝からオカカは大奮闘。座敷の押し入
れにしまってある温風ヒーターを出し、扇風機をその空きスペースに戻し、布団も今使っている相の布団から、冬用の
布団に交換し・・・。親爺などお手伝いと云ってもヤクタタズ、温風ヒータ二台を引きずり出して、座敷と居間にセットす
るだけで息切れをおこし、2分三十秒は座り込む始末。それを見かけたオカカが、もういいよ後はできるからと、親爺を
解放してくれた。
 力がなくなっており、持久力もなくなっており、普段のぐーたら生活がたたっているのは十分自覚している。まあ、情け
ない話だ。
 でも最近また自転車トレーニングだけは続けていて、いくらか体調も良いようだ。大好きな格闘技の試合や、昔々やっ
ていた投網や、渓流釣りや、銃猟の動画をユーチューブなどで見ながら、ペダルをこぐのだ。何となく息が上がり、血の
巡りも良く成るから、自分がその場にいて、その試合や釣りや鉄砲撃ちに参加している気分になる。そしてその動画の
中の若い人たちに、元気をもらったり、竿をもっと立てて、とか撃つのが早すぎるもっと引き付けてとか、大きなお世話
のアドバイスまでしているから、時間があっという間に過ぎ、トレーニングも面白い。
 さて今日は何を見ながら自転車マシーンに跨ろうか・・・。
 山里もいい天気。鍬崎が良く見えている。


 もちろん立山もスッキリ晴れている様だ。


10/14
 今朝朝一番でラインが届いた。長女からで、かわいいお弁当の写真が送られてきた。孫の遠足だそうな。
 恐らく4歳にして、人生最初の遠足で、このコロナ禍の中であることを考慮し、父兄同伴父兄同伴は無いが、近隣の
交流館へバスで出かけるとか。昨夜はそのことがうれしく、興奮気味でなかなかねなかったそうだ・・・。今朝はママが
早起きして作った弁当にまた興奮し、ハイテンションで保育園にお出かけしたそうだ。良い天気だ。人生初の遠足を、
心行くまで楽しんできてほしい。
 東京の孫も毎夜のようにライン電話で話しているが、最近は妖怪しりとりの歌がお気に入りで、まだよく回らぬ舌で、
一生懸命歌ってくれる。特に最後に、イッタンモメン、ン・・・マケタァ!!のフレーズがお気に入りで、顔で情けない表
情を作り歌う。可笑しくてかわいくていつも大笑いだ。
 立山ももう、奥地の山小屋は小屋を閉めて下山にかかっている。残すは室堂周辺の3軒ほどか、まあこれは山小屋
ではなく山荘、旅館といった施設だが・・・。これらはなお一月余り営業を続ける様だ。
 今年は雪が遅いので、うっかり奥地まで入り込んでも泊まれるところはもうない。テント持参なら話は別だが、いきなり
大雪に降られると身動きできなくなるのでご注意のほど。
 今日は、山里も立山も快晴だ。


 人生最初の遠足の孫と、本を読み聞かせのポーズで読む孫。二人の成長が親爺の生きがいだ。
 


10/13
 過日トモちゃんが日本山脈縦走という、昭和34年の読売新聞の主催した山岳イベントの古書を見つけ読んでいた。
 で、古い山の本が好きなら、いつのお世話になっている写真のお礼というわけでも無いが、親爺の山岳蔵書の中か
ら、何冊か選んで貸し出そうという話になって、先ずはトモちゃんのいる剱御前小舎にも拘わる「剱岳に逝ける人々」
と、立山の山案内人の原型に近いと思われる、信州の山人、「遠山品右衛門」の伝記小説を選んでおいた。
 勿論「喜作新道」の小林喜作の伝記小説や、志鷹弥三太郎伝(親爺の隣の大爺様)等という少々怪しげな伝記小説
もあり、結構な数の山岳書があるので、ぼちぼち読み進めば、ますます山に親しみを覚える事だろう。何せいわゆる流
行りのヤマガールとは一線を画する、力量の持ち主だし、山が好きでたまらぬ山女であるトモちゃんである。
 残念ながら今日は雨の山里。


 全くガス出回りが見えない。川向の山もガスの中。


10/12
 天気が悪くなってきて、気温も低くなってきた。あまり見たくはないが冬が立山では見えだしている。まあ、山里の冬
はまだ一月半ほどはみえないだろうが。
 今日は雨で、曇天だ。さてどうやって過ごそうかと考えている。
 小さな孫二人さえ、保育所でママがお迎えに来るまで頑張っているのだから、親爺も今更仕事はできぬも、趣味の
色々を楽しんで、少し外に出ればいいのだが、銃猟や、投網等はもう体力的に無理そうだ。特に銃などは返納してい
るので、また1から許可を取り直すなど面倒すぎるし、投網もなかなか漁協の許可が取れぬそうだ。
 それでは久々にラジコン飛行機でもと思うが、昔飛ばしていた場所がずいぶん変わって、気楽には飛ばせぬようだ。
 で釣りでもと思いながら、日が過ぎて、渓流はそろそろ禁漁だし、来年まで待つか・・・となる。
 で、買いだめてある最後の趣味のプラモだが、大物がかなり残っているので、中々着手する気になれない。
 とか何とか云ってるうちに又宝の持ち腐れになりそうだ。
 で、手に余りそうなやつを試しにメルカリに出してみようと、以前はモデルガンコレクション、ラジコンキット、などを出
品したが、ほとんど売れた。安い設定だから売れて当たり前だが、まあ持ち腐れよりは良い。
 さて、手に余りそうなプラモキットでも探してみるか・・・。
 山里も今日はこんな天気だ。


 何日か前の立山。


10/11
 気付けば、神無月ももう、1/3が終わった。如何云う訳か、コロナもここへきて可成り治まりつつある。ワクチン接種率が
6割を超えたからか、何分にも急激な新規感染者の減少である。専門家といわれる人たちにもこれがなぜかは分らぬ様だ。
 まあ結構なことである。緊急事態宣言も解除され、このままコロナが収束に向かってくれれば、経済活動も正常にもどるだ
ろう。これから先は目先の変わった、新しいニュースが流れることを期待したい。
 様々な歴史的背景はあるだろが、チベットを蹂躙し、香港を取り込み、もう持て余し気味の巨体で、さらに台湾という素晴ら
しい国家を、また取り込もうとする中華民国という国は恐ろしい国だ。決して中国人が恐ろしいのではなく、指導者という仮面
の独裁者が怖い。北朝鮮の独裁者、はたまたロシアでも独裁者が威を振るう。
 そこへもってきてタリバンだ。アフガニスタンはどうなるのだろうか。
 世界全体がインターネット網で緊密につながれ、世界中の出来事が即耳に入り目に見える。情報溢れる昨今だ。
 気にするなと云っても気になる情報ばかりで、庶民の中の庶民である親爺など、何が嘘で何が本当やらもわからず、ただ
おろおろしている。まあ、おろおろするだけで、他への影響などは薬にしたくてもないので、安全ではあるが・・・。
 で、結局ここへ戻ってくる、立山は今日はガスだが、山里は晴れている・・・・・。


 時間が経つにつれ、ガスが出てくる。


10/10
 昨日夜、あと1月の余命宣告を受けたと、親友の奥さんから電話が入った。前からステージ4の肺がんで、もう随分長い
間、通院や入院を繰り返していたが、気丈に仕事もまだ現役でやっていて、話をしていても弱音は吐かぬ男だった。
 最後に話したい人がいるかと、細君が訪ねたら、親爺ともう一人の友人を名指ししたという。
 虫の知らせか、親爺はすぐに声が聞きたくなり心の準備もできぬまま電話をした。「おい。何だかえらい話になってるじゃ
ないか。どうだ具合は。」というのがやっとだったが、電話の向こうから「俺は覚悟が出来てるから、いいんだよ。わざわざ電
話くれたんだね・・・。」といつもの優しい声だが、苦しそうな声が聞こえる。「なんだ苦しいんだろ、良いよ声聞いたから切るよ。
でもな、最後の電話じゃないぞ。又いい時に電話するよ。」「ああ。もう動けないよ。ちょっときつい。」「わかったわかった。いい
かこれが最後の電話じゃないぞ。じゃあまたな。」「ああ。ありがとう。またね。」・・・
 しかしこれが最後の電話になった。今朝8:14、この友は安らかに旅立った。
 ニ三日中にホスピスに移り、最後を迎えるとの話が、早々と今朝旅立ってしまった。親爺は長男からの電話連絡に愕然!
 結局昨夜の電話での話が、最後の電話になった。今生の会話となった。恨みはコロナだ。もう一度顔を観たかった。
 学生時代の山の仲間だった奥さんとの出会いから、お互いの結婚、家族ぐるみの付き合い、ともう半世紀の間に及ぶ付き合
いで子供たちもみな知り合いだ。
 今はこの良き友を心静かに送りたい。                       合掌

 我が山里は今日も快晴だ。


 ジジは孫に心慰めてもらっている。


 夕景が今は寂しく悲しく見える。


10/9
 昨夜は久々に祖母の夢を見た。子供の頃祖母の布団に一緒に寝ていた「バーチャンっ子」だった親爺であるから、祖母
は母に次いで、ある時は母以上に親爺の身近な存在であった。
 夢の中の祖母は最晩年の姿で、ニコニコ笑っていた。親爺は何のためらいもなく祖母と話していた。
 最近母の夢もたまに見るし、祖母の夢も昨夜見た。これはいよいよ「もうこっちへ来てもいい頃だよ。」というお迎えかも知
れない等と思ってみるが、「いや、もう10年はこの世にいたいから、ちょっと早いよ。まだ10年後にしてくれ。」と心の中で母
や祖母にお願いしておいた。
 そういえば父や叔父もたまに夢に出てくる。そして何か生前と同じように話し、笑っている。
 過去に親爺の身近にいた肉親や、中の良かった人たちは次々と旅立って、親爺は少し寂しいのかもしれない。
 人間の晩年とは、若くして旅立たぬ限り、長生きすればするほどオイテケボリを食ったような気分になるのかもしれない。
 そしてそれもまた老いの憂いとなるのだろうか。
 親爺にはまだ多くの先輩も友人も多い。親爺より年長の肉親もまだまだいる。まだまだあっちには行きたくもない。
 ふっと、懐かしい祖母の夢を見た夜の翌朝、親爺はそんなことを考えている。
 立山の賑わう土曜日もこれで今年は最後だろう。


 雷鳥の羽毛もそろそろ冬毛になるはずだ。              来春用の越冬燃料が並び夕日が落ちる。
 


10/8
 昨日は親爺にとって厄日だった気がする。
 大事な孫の病気は昨日もちょっと書いたが、結局腹風邪ということで、大泣きをしながら点滴治療を受け元気になった。
夕刻、娘から「おにぎりとウズラの卵を食べたけど、落ち着いたみたい。」と連絡を受け、親爺はすぐ仏壇に燈明を上げて
感謝したものだ。パパが帰宅するや、注射が痛かったと訴え、思い出し泣きしてパパに甘えていたそうだ。
 そんな話を聞いて親爺すっかり安心。心軽く寝についたのだが、22:41に関東で大きな地震発生。暫く気づかなかった
親爺だが、ラインが頻繁に交わされているので、見ると、東京の次女を心配した姉や妹がラインで安否を確認している。
 この震度5強の地震発生に、この時初めて気付き驚いて起き出した親爺、直ぐ情報を集めた・・・。
 結局、中央区の次女は全く無事で、パパも勤務明けで在宅していて非常招集もかからず、被害なしとの事でホッとしたが
最後まで孫可愛いだけの親爺の心胆を寒からしめた日であった。
 東京の孫はパパママの携帯の警報が鳴ったため、それで目を覚まし、寝室から脱出、24:00まで寝なかったそうで、今朝
は眠くてすこぶる機嫌が悪かったそうだ。
 黒部の孫は今朝はすっかり元気で、保育園は大事をとって休ませているが、お絵かきやら何やらと大忙しのようだ。
 良かった良かった。親爺は又仏壇に燈明を上げ、ご先祖様と立山の神仏に感謝をささげた。
 「どうか今日も無事にすごさせたまへ。」
 我が山里は静かな晴天だ。


 剱岳も顔を出している。立山の秋は刻一刻と深まり、やがて白いものに覆われた清浄な世界へと変わる。
 


10/7
 高曇りと云うか朝から見るとだんだん天気は良くなってきて、薄日が射したりしている山里だ。昨日よりは暖かい。
 黒部の孫が吐き下しでダウン。元気で食欲のある子だけに心配だ。保育所を休ませ、午後から近所の小児科に連れて
いくそうだ。ジジはもう心配でおろおろするばかりだがヤクタタズ。両親に任せ回復の知らせを待つばかり。
 何だかそっちに気が言って、日記も筆が進まぬ。こんな日もあるものだ。もう筆を置こう。
 別山が真っ青に晴れた昨日の午後だ。


 ある日の朝焼け剱。
 


10/6
 肌寒い朝だ。昨日までの晴天続きが嘘のように小雨が降りガスがかかっている。
 夕方トモチャンが送ってくれた写真で、今シーズン最後の空輸作業を報せてきた。親爺が剱御前小舎経営を引退してから
もう丸5年の歳月が流れようとしている。この時期の小屋閉めの事、越冬燃料や資材の荷揚げ、そんな常に知らず知らず計
算して、全体を把握していた事々を殆ど忘れてしまっている。聞けばわかるが、次がああしてこうしてという段取りの脳内予定
表がもう、薄ぼやけている。まあ、もう必要ない事ではあるが・・・。
 それにしても今朝は寒い。フリースを着込んでいるが火が欲しくなる。流石にオカカに文句を言われそうなので、ストーブの
火入れは我慢しているが。
 今朝はこんな山里だ。


 今年は16日の泊りが最終となるそうだ。もう小屋閉め間近の剱御前小舎に越冬物資が空輸される。
 

 来春小屋開け用の、発電機の燃料や、暖房用の灯油が越冬物資としてずらり貯蔵エリアに並ぶ。


10/5
 また今日も快晴だ。薬貰いに出かけた富山市内から見た立山も雄大な山の端を惜しげなく見せ聳えていた。正に太刀山
である。
 医院がすいていたので、薬貰い最早くおわって、気持ちよく秋晴れの田園地帯を通り帰宅した。早稲は殆ど刈り取られて
いたが所々刈り残されていたのは晩稲だろうか、黄金にたとえられる、濃い黄色が鮮やかだった。
 田園の風景はどこか懐かしさを掻き立てるものだ。
 我が山里でもかつては田を作っていて、村はずれには田畑が細々とあり、新緑時期の早緑や、秋の黄金色もありふれた
風景だったが、殆ど農業を継承する者がおらず、しまいには、それまで当地にはいなかった猪が出没するに至って、田は
誰も作らなくなった。更に野猿公も猛威を振るい、畑もほとんど撤退し、強固な防護壁金網ネットの装備で、サル如きには
負けじと頑張る幾人かの死守するだけになってきた。
 親爺も、亡き我が爺様も害獣駆除で、頭数制限はあったが、大分サルとも戦ったが、今やとっくに銃は返納し、傍観者とな
っている。
 それでも、害獣を退治する、2,3の駆除隊員はまだ村にいて、たまに村はずれから銃声がすることもある、我が山里だ。
 今朝も快晴。


 復刻版の昭和37年4月号「少年」は組み立て付録もついている。BOXのまま保管していたが、メルカリに出品した。
 そろそろ断捨離の時期だろう。

 

 昭和34年正月号の「少年画報」も同様・・・。まだまだ心は残るが宝の持ち腐れでは致し方ない。


 富山市内から望む立山連峰


10/4
 今日も快晴。紅葉が良いと言われる立山に向かう車の音が絶えない。
 ここにきてコロナも影を潜めているが、根絶やしになったわけではない。国民のワクチンの2回接種率が6割を超えた様
で、やはりその効果も出ているはずだし、塩野義製薬辺りでは、経口治療薬が開発され、実用化に向かっているそうだ。ワ
クチンでは出遅れた日本だが、経口治療薬という分野では世界に先駆けてほしいものだ。
 良い日が続いている。親爺もオカカとふらりと旅にでも出ようかと検討に入っている。


 秋晴れに 母の生家の 空き地見ゆ 老いの眼に 映る昔日


10/3
 今朝一番で見た雄山山頂カメラには、もう人影があった。御来光でも見ようと登ったのか、山は快晴だ。室堂辺りにも観
光客か登山客か、結構な人がいる。昨晩はどの小屋も、かなりのにぎわいだった模様だ。
 親爺は最近ユーチューブのアウトドアもので、群馬の青年の釣り、キャンプものをよく見ている。結構面白く、親爺も若い
ころにやった、川釣り、海釣り、投網を見て、興味深く面白く楽しんでいる。親爺は山小屋商売もあったし、銃猟にも血道を
上げていたので、人のことは言えぬが、どうやらユーチューバーということで趣味のこの分野を仕事にしているらしい。
 しかし、この青年は植物にも造詣が深く、親爺などこの分野では素人以下だから感心するばかりだし、かなりの悪食であ
る事も確かだ。喰う以外の魚はリリースするのだが、釣れぬ時には、アブラハヤや、すっぽんまで自分でさばいて、食って
しまう。そのさばき方もなかなか素晴らしい。
 そして、見ていて面白いのは、釣りが上手いわけでも無く、投網などは親爺の万年ビギナーの後継者にしたいくらいの腕
前だし、キャンプの技術に至っては今はやりの、キャンプ場でのキャンプレベルで、そんな中でたまにひどい目にあったりし
ても命にかかわるような危険な場所ではないので、笑って観ていられるところが良い。
 彼の渓流釣りは餌釣りとルアー釣りが大半だが、これにぜひ毛鉤を加えたら面白いだろう。短めの延べ竿1本に糸と毛
鉤さえ持っていれば、かなりの奥山の沢まで非常に身軽に入り込める。
 でもユーチューバーの彼はそんなに奥山まで入り込む事は必要ないのかもしれない。
 まあ、好感の持てる楽しそうな青年で、その仲間も又好感度が高く面白い。昔を思い出してしまう親爺だ。
 興味のある方はユーチューブで「ソータローのアウトドア」を検索してみてください。
 大日が良く見える。


  ”秋の庭 残れる花も 疎らなり” 
  

 山里は、佇まいこそさほど変わらねど、人口は300人を切ってしまっている。


10/2
 今日の立山は晴れているようで、多くの登山客や観光客が押しかけている。紅葉が見ごろを迎えているから、この土日
は天気に恵まれ、稜線の小屋もその奥の小屋も今シーズン最後の賑わいを迎える事だろう。
 弥陀ヶ原の下に雲海が広がり、山里からは立山が見えない今朝だ。それでも夜中から立山を目指す車の音が朝を過ぎ
るまで続いていた。
 凡そ2週間に一度、月に2度は遊びに来ていた孫だが、今日は新しく始めた習い事があって、来ないと言ってきた。爺は
少し寂しくてがっかりしているが、孫も4歳だんだんジジババの魅力は薄れていくのだろう・・・。
 毎晩ライン電話をかけてくる東京の孫が、2歳4か月で、少し会話ができる様になってきた。ジジが本を送ってやったら、
ママに促されて、「アリャトー(ありがとう)」とお礼を言う。そも前に髪の真っ白な絵を指さして、ジジ、ジジと云っていたのも
可笑しかった。
 まあ孫は可愛いが、やがて少しずつ離れて行くのだろう・・・ちょっと寂しい土曜日の親爺だ。
 立山は晴天、登山日和。別山から見るハマグリ雪渓。正しく蛤のむき身あるいはハート型だ。


 弥陀ヶ原の雲海で、立山は見えぬ。


10/1
 月が替わり10月となったが、今朝は立山も山里からは見えない。小雨も降ったり止んだりしているし、少し肌寒い。
 それでも明日からは、大陸から張り出す高気圧の下に入り、晴天になるそうだ。立山の紅葉もそろそろ見ごろなので、
明日、明後日の土日は立山の紅葉を見に出かけるチャンスかもしれない。
 まあ、今はなりを潜めているコロナ、いつ爆発し猛威を振るうかは誰にもわからないが、そんなことばかり考えていて
もどうにもならない。親爺など、もともと出不精なうえに、このコロナ禍で、ますます出なくなった。
 で、昨日も書いた通り、いろいろごたごたとやっている訳だが、折角6月に買い替えた車も、未だ泊りがけの旅行にも
使っていない。もう少し世の中落ち着いたらと思っているのだが。
 今朝の山里は小雨が降っていた。


 立山も見えない。


 昨日はこんなに良い天気で青空が広がっていた。


9/30
 いよいよ9月も最終日。昨日は新しい総理大臣も決まったし、色々な変化が時の流れの中で目に見えてくるだろう。
 今朝も素晴らしい秋晴れ。親爺も久しぶりでドローンを上げて、山里上空50m辺りから、立山を撮影してみた。更に親爺
は過日から電子書籍で読み返している、本間千代子さんの「アメリカの食卓」に出てきた、アングロアメリカンのローストビ
ーフなるものを真似てみる気になって、オーブンの代わりにオープントースター利用で、約600gのアメリカ牛の塊を、塩コ
ショウし、ガーリックパウダーもたっぷりすりこんで、175℃に設定したオープントースターに入れ、約30分加熱し、余熱で
20分ほど冷まし、作り上げた。
 ドローン飛ばしも面白いし、ローストビーフつくりも面白い。まだまだ他のいろいろなことも出来そうだ。老けこんでボンヤ
リと朽ち果てるにはまだ10年早い・・・と、疲れない程度に自分のペースでゆるゆるといろんなことを楽しむつもりである。
 さて、このページの更新を終えれば、自転車マシンでちょっとばかりのトレーニングもしなくては。
 遊びたいし美味いものも食いたいし、先ずは体力を落とさぬことだ。
 今朝の秋晴れのなか、山里の地上50m辺りから撮影した立山。


 眩しさを避けるために縁側の中に入り込んでドローンを操縦する親爺。 鍬崎山がすっきり見えている間は秋晴れがつづく。
 

 親爺が本間さんのレシピにできるだけ忠実に焼き上げた、ローストビーフ。オープントースターでも焼けるな。良いミディアムに仕上がった。
 



9/29
 最近親爺は何となく、タブレットでユーチューブを見ることが面白くなった。
 いや実に多士済々、面白い動画をじっくり根気よく編集して、公開している。
 親爺のことだから、狩猟や釣りのアウトドア系が面白く良く観ているが、本格的な職猟師に近い方から、どう見てもビギ
ナーで、「下手くそ!」と悪態をついてしまうこともあり、面白い。
 特に猟をして、それを解体し、食料として調理、食べるところまでしっかりと動画にしているものなどは一首の生活の記
録としての価値さえあるように見受けられるが、余りにも生真面目に更に哲学的なにおいまでするような動画に仕立てて
しまっては、つまらなくなる。その手の動画は猟を生活の一部としながら、獣を殺すのが残酷で、止を刺すシーンをモザイ
ク処理するなど、最近の過ぎたセンチメンタリズムに迎合し過ぎている。あるいはそんな目を気にし過ぎている。
 日常的に肉を食い、魚を食いしている人間が、猪や鹿などを仕留めるシーンをことさら嫌い、残酷だとは片腹痛い。
 日常口にする家畜(どうぶつ)由来の食品も全て、屠殺という過程を経てそこにあるわけだ。・・・と親爺、こういう話にな
るとやや熱くなる。特にクジラ保護の新興宗教団体よりたちの悪いグリーンピースなど、反吐が出るほど嫌いである・・・。
 閑話休題。
 さりとて若い女性がきわどい格好をして、お色気テーマなのかアウトドアがテーマなのか怪しげな編集動画もあったりして、
此方の方には、苦々しくは思えど、比較的寛容な親爺でもある。
 このユーチューブ、ユーチューバーという新たな職業、あるいは人々を生み出している。
 玉石混交、中には面白く素晴らしい動画も多いが、心打つ動画などはざらにない。その時々の徒然に覗いて見る一寸した
お楽しみである。それでも趣味や好みも多様で、選択肢が多く、インターネットの凄まじいまでの力を見る想いがする。
 朝焼けの中の剱御前小舎。
 朝焼けは、嘗ての親爺にとってゲンの良いもので、素晴らしい朝焼けのあった年は「小屋が儲かった。」???


 別山の山の端も赤く染まる。


9/28
 秋篠宮家の御長女の結婚について、マスコミは大騒ぎ。確か日本国憲法で婚姻は両性の合意にのみ基ずくと定めら
れているとすれば、なんでこんなに大騒ぎしているのか分らぬが、皇族という方々はこの憲法の定めの枠外に規定され
て居られるのかなと考えてしまう。
 突き詰めていけば、若い男女の恋愛ではないか。結婚したいというなら結婚させてあげればいい。30歳にならんとす
る立派な成人の二人には当然の権利である。
 が、方や皇族という特殊な立場の方で、もう一人の方は一寸、そのオッカさんに金銭トラブルがあるらしい。で、宮内庁
等という、余り庶民には縁のない役所が口をはさみ、本来ならプライバシーにかかわるような家庭の秘密も暴き、オアイ
テニハフザワシカラヌと、拒否したところから問題が発生した。
 御長女は皇籍を離脱し、それに伴う一時金も貰わぬと決意を固め、相手の方も米国でどんな経緯でどんな手回しがあ
ったかは知らぬが、それなりの職業に就く予定だとか。それなら何もとやかく言うことはない。二人ともただの日本国民に
なり、自力で生活をすることを決めたのだ。
 詮索するなかれ。見守り注視する必要もない。好きなように自由に過ごして頂けばいい。どうぞお幸せに。
 秋の山里は少し肌寒いが好い天気。立山も穏やかに晴れている。                         
 剱岳の夜明けだ。


 昨日の剱の夜明けをトモちゃんが動画で送ってくれた。 YouTubeにアップしたのでこちらへどうぞ⇒


 今日の山里。穏やかな天気だ。


9/27
 良い天気になった。今日はこれからドライブでもして、昼食でも食べて来るかと思っている。たまには作務衣やフリー
ス以外の服にも手を通し、窮屈な(親爺にとっては)思いもしておかねば、だらけ切った姿が当たり前になって、ますま
す出不精に拍車がかかるといけないし、車も運転しておかないと、年齢のせいばかりではなく運転技術も低下する。
 とにかく去年の金毘羅参拝を最後に、2泊以上の遠出は全くしていないし、病院への薬貰いか、たまの買い物に出る
くらいで、殆どを家でごろごろ過ごしている。コロナの影響が大きいが、引きこもりの傾向もないとは言えぬ。
 これではいけない、と、今更のように気付いた次第。
 晴天の今日、外気を吸って少しリフレッシュして来なくては、まだ引きこもりのジジイにはなりたくない。


 立山も今日は良い天気だ。


 叔母に大根の葉っぱを貰い、早速大根場のふりかけを作った。大量の葉っぱもやがて半分以下になる。
 鷹の爪、桜えび、削り節を混ぜ込み、醤油とごくわずかのみりんで味付けする。
 


9/26
 親爺が大学を卒業し、山里に戻った年の今日、親爺を一心にかわいがってくれた祖母が、親爺の腕の中で旅立った。
 居間でテレビを見ていて、心臓の発作に襲われ、親爺が抱きかかえたまま旅立ったのだ。昭和50年のことである。
 そうか、バアバ(親爺は祖母をこう呼んでいた。)が亡くなって、もう丸46年経つのか。しみじみと今朝はそう思った。
そして、今や自分が二人の可愛い孫に恵まれ、嘗ての我がバアバそっくりに、孫たちを甘いジジとして溺愛している。
 歴史は巡るというが、人生も巡るようだ。孫の成長を見守りつつ、我がバアバへの感謝も忘れまい。
 孫と云えば昨日は黒部の孫の誕生日。通う保育園の運動会もあって、忙しい一日だった様だ。ママにもパパにも。
 今朝は雨。しかも寒い。親爺はフリースを着込み、ズボンも分厚い生地のものに履き替えた。


 昨夕になって、運動会の様子や、誕生日のファミリーパーティーの様子を写真で送ってくれた。
 運動会は参加することに意義がある口で、競争ということを理解していない一人っ子だ。でも楽しむことは人一倍!!
 

 ママの手作りの料理は孫の好物ばかり。リビングのデコレーションもパパママが頑張った。今日はお姫様!!
 ジジババもこの写真を見て大いに楽しんだ。それにしてもこのケーキ中にマーブルチョコが入ってる・・・!
  

 昨日が良い天気で良かった。冷たい雨が降る今朝の山里である。


9/25
 気温も低く、朝までぐっすり休めたので寝覚めはいいはずだが、立山へ向かう車の音がかなり気になる程度。こんな
時、下手に窓を開けていると大型バスの通行がある度に、排気ガスのにおいが家まで入ってくる。我が家は通りから、
分岐した旧道に沿って一軒入っているのにこれだ。通りに面している家は、音も排ガスも大変だ。昭和の話ではなく、
令和の今の話である。
 が、きっと僅か二年ほどのコロナ騒ぎで、立山が静かになりすぎていて、それが当たり前になってきた山里の住人の感
じが、車などあまり通らない閑古鳥状態に慣らされてしまって居るのだろうか?
 とにかく天気も良く、素晴らしい登山日和だ。紅葉も見ごろになっている。立山駅のケーブル待ち時間は110分との事。
 山里の今朝。立山は快晴だ。


 さて、今日は、我が初孫の誕生日。4歳になった。ママとパパが夕べ二人で飾り付け、起きてきた孫は大喜び。
 早速ぎこちない手で4歳をアピール。ジジババからのプレゼントも今日とどくよ!!おめでとう!!!


 三田平に池のような水たまり。一時的なものだが美しい。この上部にはハマグリ雪渓。


9/24
 今朝は15℃を割っていたのではなかろうか?山里も肌寒いを通り越して寒かった。
 がこれは、親爺にはちょうど良い気候で、日中は24~25℃くらいまで上がるから、Tシャツの上に、相の作務衣か、
薄手のジャンパーをはおって過ごせば丁度いい。どっちも着やすく、脱ぎやすく、さらに着心地は軽やかで緩やかで、
窮屈さを微塵も感じさせない。これぞ普段着の極みである。
 もう少し寒くなれば、親爺にはフリースという強い見方があり、こんな軽快な防寒機能を持つ軽やかな衣類は無いだ
ろうと、年間10月半ば~5月頃まで、8ヶ月間はおせわになっている・・・。
 昔の年寄りが、どてらを着てうろうろしている姿が、我が身に重なってくる。
 秋の剱。これは別山から見た全容だ。剱沢最上部もほぼ全域見えている。


 チングルマ弾けて秋は深まれり” 秋の山には何とも表現しきれぬ憂いが漂う。
 


9/23
 今日は秋分の日、昼夜の長さがほぼ一致する日だ。そして彼岸の中日とも言われ、1週間ある彼岸の日々の真ん中
、今年なら20~26日の彼岸の中日で今日、23日と云うことの様だ。
 よく彼岸の日は墓参をするらしいが、我が山里ではそのような習慣はなかった。ただ、最近テレビや何かで彼岸の墓
参風景が良く出るので、何やら細かいことは分からぬもそれに合わせ墓へ出かける村人もいるようだ。
 まあそれは好き好きで、みな自分の判断ですればよいことだが、親爺は墓ならぬ仏壇をお参りした。
 昨日学生時代の親友、大分在住のAが孫と一緒に月見団子を作るビデオを、奥様が送ってくれた。髪は親爺以上に
無くなっているが、農作業で日焼けし、随分シャープになっているのに驚いた。もう10年ほども前、別府を訪れた際、会
って昔語りをしたが、その時は見事に太っていたのに、瘦せた。その痩せ方だが健康そうで、顔も若返った。額から下
だけを見れば、往年の草刈正雄もどきの良い男がよみがえっていて、驚いた。本人は「温泉に入ってるから健康じゃ。」
と、タバコもまだやめず吸っているそうだ。
 いやいや、親爺もちょっと刺激された。少なくとも5㎏は体重を落とし、筋力も少しつけねばと、しみじみ思った。もう無
理なトレーニングはできぬから、リハビリ程度には頑張ろう。
 秋の剱が穏やかに佇んでいる。


 何と、こんな山岳古書を、トモチャンが手に入れたそうだ。昭和34年に、西隊、東隊に別れた登山隊が、西は
山口県から、東は青森県からそれぞれ山に入り、山を縦走してそれぞれに富士山を目指す。そして日本最高峰
富士山頂で合流するという、イベントを読売新聞が企画し、毎日その紙面上で東西隊の動きを報じた。
 なんとその東隊には、南極帰りの我が爺様が、友人の越冬隊員佐伯富男氏と一緒に参加していたのだ。
 この本はその全記録で、我が家にも一冊あったが、紛失しており、親爺が後年ネットで探し見つけたものが今
我が家にもある。これはトモちゃんがネットで見つけ、購入したのだそうで、昨日あたりから読みにかかった様だ。
 山女の面目躍如!山にここまでハマれれば大したものだ。親爺の山岳蔵書、貸し出すことを約束した。
 深まる秋の剱御前小舎で、ゆっくり本を読むのも面白い。

 


9/22
 今日は頭上を寒冷前線が通過するそうで、朝から薄暗い曇天だ。
 昨夜は中秋の名月。昔我が家の婆様(母)がやっていたように、座敷縁側にお月さまを迎えるススキや団子を飾った
祭壇をしつらえ、燈明を立て月の出を待った。婆様のお供え物は、団子だけではなくて里いもや、茹でた枝豆などもあ
ったそうだ。でもその辺りは簡略化して、真似事で、雰囲気だけを味わえばよい。
 月は東の空から出てくる。我家からだと閻魔堂の杉木立の上に出る。が、その杉木立が大きくなりすぎて、その分月
の出は遅くなった。折角だからとカメラを三脚に据え、マニュアル撮影で、3秒ばかりシャッターを開放する設定にして待
っていると、奇麗な月が出た・・・と見る間に黒い雲が月を覆ってしまった。
 結局、名月を楽しむことはできなかったが、その雰囲気は十分味わえた。お供えの団子もいただいた。
 一寸した月見の雰囲気がある。


 月が出るや雲間に隠れた。残念だがそのあと頂いたお下がりの団子は美味かった。
 ”名月は 雲にかくれて 見えざりき 団子五つを やけ食いの下戸”


 こっちは月見よりハロウインの仮装が気になる!!  東京の保育園からこんなハガキが届いた。ジジババ感激!!
 


9/21
 シルバーウイークが終わり、立山の晴天はまだ続いている。
 奥地の山小屋にはあまり恩恵がなかったようだが、紅葉が本格化するこれからが、真砂沢ロッジや、仙人ヒュッテ
の稼ぎ時となるはずだ。
 心平からの電話によれば、剱沢ルート平蔵~長次郎間の雪渓がほぼ崩落し、夏道を通行していた抱きたいとの事
一部悪場もあるので通行には注意願いたいとも言っていたが通行には差し支えないそうだ。
 紅葉もかなりきれいになっており、見上げる別山尾根なども色づいているとのこと。この辺りはこれからが美しく紅葉
をする。ニ三日、真砂沢ロッジをベースに遊ぶのも面白いだろう。心平親爺の釣りや猟の話も聞けるかもしれない。
 立山も短い秋が終わればまた冬だ。


 連休明けの今朝は、秋晴れに恵まれた。


 寒い日が続いていたのに今日は暖か、生き残っていてよかったとバラの花と日日草が庭の隅。
 


9/20
 コロナウイルスに妨げられ、シルバーウイークという言葉を忘れていた親爺だ。
 嘗て、山小屋親爺現役だったころには、新しくできたこのシルバーウイークという秋の連休に、何度も助けられた
ものである。夏場最盛期の天候不順、予約満タンの土日と云えば台風やら、荒天でキャンセルの嵐、夏の売り上
げは非常に心細いものになり、親爺は帳面と請求書を見比べる時間が長くなる・・・と、やがて秋のシルバーウイー
クが来て、晴天に恵まれようものならお客様がどんどん入り、親爺の憂いもたちまち消えて、ほくほく顔で小屋閉め
を迎えられた。ある年など、8月の売り上げを9月の売り上げが越えた。夏山最盛期が一番の山小屋のはずが、シ
ルバーウイーク出現後は、9月はお救い月として位置づけできたのだ。
 コロナ以前の話である。
 立山は昨日かなりにぎわったそうだ。大半の山小屋は満室だっただろうし、テント場もかなりの混雑だったと思わ
れる。
 久々に聞く立山の明るい話題だ。
 トモちゃんが、わざわざ親爺が嘗ていつも眺めていた景色を切り取って、撮影し送ってくれた。


 今朝の山里から見る大日だ。高山性の朝ガスがかかっているのだろう。


 親爺久々にサラミを作ってみたが、気温が高すぎてつるして風乾出来ない。冷蔵庫に放り込んである。



9/19
 久々に立山駅が込み合って、ケーブル乗車待ち2時間の様だ。台風一過の立山は見事な快晴で、この好天は当
分続きそうだ。今になって秋の天気の安定期?らしい。
 立山の紅葉はそろそろ盛りとなり、10月の第1週くらいまで続くだろう。親爺ももう2シーズン立山の紅葉を見てい
ない。出不精も極まれりか。
 今日明日の晴天で、心平の真砂沢ロッジも少しにぎわいそうだ。剱御前小舎も今日は満室だとか。結構なことで
ある。コロナ前とか行かぬまでも、少しずつでもお客さんが戻ってくれれば、山小屋にとっても非常に心強い励まし
ともなる。
 快晴の穏やかな立山の秋を満喫していただき、どうぞ立山を忘れないで!!隠居親爺からもお願いします。
 恐らく弥陀ヶ原の下あたりで雲海になっていた雲が切れたのだろう。青空の下に大日が見える。
 今日の立山は快晴だ。


 穏やかな剱岳。今日はたくさんの人が登っている事だろう。


9/18
 恥ずかしながら、去年から続くコロナ禍で、親爺の出不精にもすっかり拍車がかかり、一日の大半を家の中でごろ
ごろと、過ごすだけとなった。その結果、完全な運動不足で自分でもハッキリわかるほど手足や体幹の筋力が衰え、
これは年のせいばかりではなく、普段の運動不足のせいだと強く自覚するようになった。
 正直なところ、その自覚はもうかなり前からあったのだが、何とかせねばという覚悟が決まらなかったのである。
 元来がずぼら出不精な親爺の事、ごろごろ過ごすことに全く抵抗はなく、本でも読んでいれば十分時を過ごせる。
 だが、好きな事なら徹底的に打ち込み、飽くことを知らぬという一面もあり、若いころの銃猟や、イワナ釣り、鮎の投
網漁などに血道をあげている間に、知らず知らず身についた体力、筋力にはかなり自信を持っていた。更に稼業の山
小屋商売もあり、コンスタンスに体力の維持もできていたのだ。
 が、長年の喫煙壁がたたり、さらに40代の末に体調を崩し、大きな手術を受け、50代に突入するや肺気腫も症状が
出始め、あれだけ好きだった銃猟も、イワナ釣りも、鮎漁も体がついて行かぬので、一つずつ止めてしまった。
 商売の山小屋業も、60に近くなる頃にはだんだん歩けなくなり、やがてはヘリの世話での入山下山となって、65歳を
もって山小屋親爺業も引退した。
 で、これからが自分の人生と見極め、すきなように過ごして来た数年であるが、70に近い今になって、好きなように
遊び暮らすにも、体力が求められることに再度気付いた。
 そして昨日から、半年以上止めていた、自転車マシーンのトレーニングを再開した。一番負荷のかかるレベルで、と
りあえず2kmを手始めに始めたのだが、二日目の今日、少し足が痛い。
 いつまで続くか怪しいが、まあ取り敢えず始めて見た。
 台風影響下の山里だ。


 明日はこんな天気を期待する立山だ。


9/17
 昨夜、居間で寝転んで本を読んでいると、ガタっという音とともに背中に揺れを感じた。地震だと直ぐに感じ、起
き上がってオカカと「揺れたな。」「揺れたよね。」と顔を見合わせた。直ぐテレビが18:42に能登半島で地震発生
の速報を流した。震度5弱だ。
 此方は大まかな震度で2だったらしいが、親爺もオカカも久々に地震というものを体に感じた。
 学生時代、東京で暮らした時は、かなり頻繁に地震にあった。1年坊主のお上りさんのころには驚いて、外へ逃
げなくて良いのか、判断に迷いおろおろしたものだが、駒込吉祥寺のそばの木造二階建てのアパートの近辺では
誰も騒がず、やがてこのお上りさんの1年坊主も、2年、3年となるにつれ、都の風に馴染み震度3程度の地震で
はオタオタすることも無くなった。東京での4年間の暮らしで、親爺があった一番大きな地震でも震度4位だったが、
年に1回くらいは、この程度の地震は有ったかも知れない。半世紀近く前の東京暮らし、記憶もかなりあいまいだ。
 アパートの大家の小母さんは、大正12年の関東大震災を経験していて、その時の「小娘」だったころの体験談
は良く聞かされた。その貴重な話ももう時のかなたに埋没して、確たる記憶はない・・・。
 台風やら、地震やら、大洪水やら「災害は忘れたころにやってくる」という。そういえばこのコロナ禍も大きな災害
に違いない。クワバラクワバラ。精々非常時の備えを怠るまい。
 そしてこの何にもない普段に感謝を忘るまい。
 普段の山里の眺めこそありがたい。


 休憩時間を利用して、山女のトモちゃんは内蔵助山荘を訪ねた。若主人ユカちゃんのほかにミチル母ちゃんも入山して
居たそうだ。親爺よりいくつか年上のミチル母ちゃん、元気だねぇ。山は秋色が深まった。
 


9/16
 快晴の朝を迎えている山里だ。秋の大陸から張り出した高気圧の下にいるからか、結構涼しく、湿度も低い。
 立山も文句なしに晴れているが、登山者の姿はあまり見ない。
 さて、連休だ。残念ながら初日は台風崩れの熱低が通過する影響で、雨風が予想されるが、2日目、3日目
は晴れマークで、親爺なら初日はどこかの小屋にはやくもぐり込み、悪天候をやり過ごし、二日目三日目に山
を楽しむ事だろう。
 この時期の秋晴れに恵まれた山歩きは爽快である。
 こんな山々をゆっくりと歩き回ることを想像してみるだけでも、心が軽くなる。まあ、親爺には縁のない話だが。


 8年前のスーパームーン。別山の尾根から月が出てきた、


 小屋の前も昼のように明るかった。


9/15
 今日は3か月に一度通っている富山市内の眼科に行ってきた。これで11月までは目薬も大丈夫だ。
 白内障手術をして、視力は戻ったが、普段、PCやらタブレットやら、読書やらと目を酷使している親爺なのので、
定期的な検診は受け続けている。もともと高眼圧症もあって40代からこの医院でお世話になっているが、車の運
転時にも目は最重要知覚器官なのでご用心というわけだ。
 さて眼科の検診は1時間もかからぬ。引きこもりがちな昨今なので、ゆっくりドライブも又気分転換に良いものだ。
 我が山里は22~23℃で、薄手のジャンパーでちょうどよいのだが、富山市内は24~25℃あり、長袖ジャンパ
ー(これはもう死語で、ブルゾンと云わねばならぬらしいが)では少し暑い気がする。でも高齢者は大概長袖だ。
 まあ、間もなくフリース万能の時期が来る。
 立山では空輸作業が昨日午後終わったそうだ。
 この連休の食糧、資材は無事搬送されたようだ。


 発電機用の燃料、ストーブ用の灯油も山小屋には欠かせない。


9/14
 今日は亡き父の誕生日。妹の婿殿が同じ誕生日なのでよく覚えている。
 昔は我が3人の娘たちが、爺ちゃんの誕生日というと外食に行きたがって、爺様は喜んでホイホイと家族を連れだ
した。といっても運転手は親爺で、7人乗りのファミリーカーに一家満載で、ファミレスなどへ出かけたものだ。
 親爺は自分が飲めぬから運転手も苦にならず、爺様、婆様、オカカに3人娘と、実に賑やかな一行で、騒々しいの
だがそんな中で一人酒を酌み、楽しげな爺様だった。帰路には本屋などへ立ち寄り、3人の娘たちそれぞれが好き
な本を買ってもらえる。食事も本も何もかも皆爺様の支払いだから、こっちは気が楽で、運転手さえやっていればよ
かったが、今は昔の話。婆様去り、爺様も去り、3人の娘は上二人が子を持つ母となり、末娘も大学職員として独立
7人家族だった我家が、親爺とオカカの2人だけになってしまった。
 まあ、正月や盆には、娘たちも懐かしい昔を思い出し我が家へと集まり、孫二人も来て大賑わいとはなるが、昔日
の爺様や婆様の誕生日のお祝いを思い出すと、これもやがて昔語りとなる日が来るのだと、少し寂しく思う。
 今日はオカカと二人、普段の生活だ。これが一番心休まる日々なのかもしれない。
 朝、立山方面は良く見え、大日もすっきり姿を見せていた。


 雲がちで少し薄暗い山里の朝だった。


9/13
 今日は亡き母の月命日、朝仏壇に燈明を上げお参をりをした。
 昨日孫が来ていて、「ジジ、なむなむしよう。」と爺を仏間に引っ張っていく。仏壇のローソク立てに小さなローソク
を立て、鈴(りん)を鳴らしたいのだ。
 そういえば9日の爺様の月命日をうっかり忘れて、お参りもしていなかった。それを思い出させてくれた孫と仏間に
行って、仏壇の戸を開いた。
 全く邪気のない孫の事、遊びでもいいのだ。孫がたてたローソクに火をつけ、線香を立ててから、「はい、いいよ。
チーンしてなむなむしてね。」と云うと。鈴を鳴らし、小さな手を合わせ「なむなむ。」とやる。
 これは親爺の下手なお経の何万倍の功徳があるだろう。我がご先祖様たちは、孫の無邪気な「なむなむ。」の祈り
をとても喜んでくれている事だろう。
 そんなことを想いながらの今朝の仏前での読経だった。
 亡き母の目から見れば、親爺も万年赤子だろう。その赤子の読む経は、多少間違えていても嬉しいに違いない。
 9日に忘れていた爺様の分も合わせお参りした。
 山里の秋はまだ気配が漂うだけかな・・・?


 昨日、我家の庭で無心に遊ぶ黒部の孫。間もなく4歳になる。 可愛いねのポーズは東京の孫、食欲が凄く、太って来た。
 

 初めて顔らしいものを書いてくれた黒部の孫。緑は「じじ」黄色が「ばば」。目と口がそれぞれの位置に描かれている。
 


9/12
 今朝は親爺の隣に孫がいて、一緒に朝食を食べた。クリームパンと目玉焼き、ウインナーにパイナップルが孫の
朝食。フォークで一生懸命食べるので、隣の爺はたまに手を貸す程度でほとんど一人で食べた。
 可愛いお話で、ジジが頭をなでて一生懸命聞いてやると、素晴らしい笑顔が返ってくる。いや可愛いものだ。
 最近はジジよりも、ババの方がお気に入りで、今もまだ9:30だが、ヒーバーチャン(親爺の叔母)の家へババと
散歩がてらに出かけて行った。
 この孫はヒーバーチャンが大好きで、我が家にはもうヒーバーチャンが居ないので、我が家へ来るたびに「ババ、
ヒーバーチャン行こう。」とせがむ。
 少し肌寒い朝だが、比較的穏やかな天気で、雄山山頂のライブカメラには登山者も結構見える。
 昨日久しぶりにドローンを上げてみたが立山方向は見えなかった。今朝は大日も良く見えている。


 上から見ると箱庭のような庭に、ジジ、ババ、そして孫が遊んでいる。 水遊び大好きな孫。ドローンで。


9/11
 朝起きて一番に目にした不動の山は、ガスにまかれて雨に濡れた姿だった。今日は曇りから晴れの予報の土曜
日、立山へも少しお客様が入るかなと思っていたのだが、出足をくじかれる雨だ。だが天気はこの後好転し、夕刻
からは晴れてきて、天気予報にもしばらく晴れマークが並んでいる。
 親爺が現役のころ、秋山の方が夏山より賑わい、売り上げも伸びたことが間々あったものだが、今は天気よりも
コロナという厄介者が、なかなかしぶとく居座って、まだまだ全世界レベルでの騒ぎが静まらぬのだから、そちらの
影響が、天気云々以上に大きいのは良くわかってはいるが。
 全ての観光地がそうであるように、立山も閑散とした状況が続いている。兎に角、今はまだ雌伏の時、コロナ退散
をじっと待つしかなかろう。来シーズンこそはと希望をつなぎつつ。
 不動の山がすっかりガスに隠れて、立山方面も見えぬ土曜の朝だ。


 庭のバラも数が減った。秋の寂しさとは、夏の華やぎの後ゆえの寂しさなのかもしれぬ。


9/10
 ヨータローも大きくなって、小学校3年生だ。毎日元気に、岩峅寺に統合された立山小学校へ通学している。
 我が芦峅小学校は児童数が減少し、もう10年ほども前に廃校(長期休校)となって、僅かな児童はスクールバス
で岩峅寺にある立山小学校へ通学している。ネパールクムジュンスクールとの交流などももう実質的には終わった
のかもしれない。
 そのヨータローが授業の一環としてタブレットを使う事になった。まあこのコロナ禍の中、リモート授業なども考慮
されての事だろうが、一人に一台タブレットが貸与されて、宿題もそれを家に持ち帰り、家のWiFi環境を利用しての
ネット通信を行わねばならない。
 恐らくどこの家庭でもWiFiを利用しているとの前提だろうが、まれにはそういう環境が家にない児童もおり、その場
合は、携帯電話回線利用のWiFi専用端末を合わせ学校から貸与することになっているらしい。
 で、心平が入山中で緑一人ではコンピューターをめったに使わない坂本家、一応WiFiの環境もあるのだが不調で
ヨータローのタブレット端末につながらぬ。で、緑も学校へ携帯WiFi端末の貸与をお願いしたのだが、「家に設備が
ある方にはご遠慮願いたい。全く設備のない児童も居て、数が限定されますので。」とすげない返事。
 で、過去2回ばかりヨータローは我が家へきて宿題をやっていたのだが、「これじゃヨータローが可哀そう。」と、緑
が親爺に相談してきた。正直な話、心平もみどりも岡山大学(旧国立一期校)の卒業生で、人並み以上の教養も知
力も持ち合わせているのだが、事コンピューターとかインターネットとかが絡むと、かなりの苦手。あえてこの辺りは
避けて生きているのではと思わせるほど関心がない。
 我が家にある使ってないWiFiルーターを持って行って、作動していないルーターと入れ替えたらあっという間に坂本
家のWiFi環境が復活した。
 心平や緑を相手にするより、これからはヨータローにいろいろ教えた方が良いだろう。
 さて、ヨータロー、今日もタブレット持ち帰りの宿題があるそうだ。
 大日の奥のさらに奥、真砂沢ロッジにいる心平父ちゃん、ヨータローは元気だぞー!!


 未だ生き残りの水仙が花を開いて朝日に向かっている。長月十日の山里。


9/9
 MRI検査は頸部動脈の状態を見るものだったが、結果異常はなかった。ホッとしたが撮影が午前中で、窮屈な
円筒の中へ、1時間も閉じ込められた。親爺は全く平気だが、閉所恐怖症の人などはこれはいけないだろう。
 朝からの検査だったのだが、結局午後の診察に回され、15:00になって診察結果を聞いた。これでは丸一日が
かりではないか。親爺かなりイラつくも止むをえまい。結果良しだったので、ほっとはしたが。
 年を取ると、あちこちがいけなくなってくる。哀しいがこれも世の習い。
 再来月には母が亡くなった年になる親爺だ。
 村内に住んでいた叔父は、「親の年まで生きれば十分」と口癖に行っていたが、叔父の母たる我が祖母が74歳
という、当時とすればそこそこの年で旅立ってしまった時、顔には出さぬも随分悲しげだった。で、結局それから四
半世紀の後、73歳という自分の母より1歳若い年で旅立ってしまった。
 我が母は69歳で旅立っている。今更ながらもっと優しい言葉がなぜかけてやれなかったのか、悔やまれてならぬ。
 優しい母であった、声を荒げることもない、包容力のある母だった。温和で誰にでも好かれた。その母も、自分の
母(親爺には母方の祖母)の生きた齢を越さず旅立ったのだ。
 そんなことをなぜか急に思い返し、懐かしい人々を思い返したりしている。
 さて、親爺にはいくつの天寿が与えられているのだろうか。まだ死にたくはない。孫の成長をもっと見守りたい・・・
 親爺も残された年月が、かなり気になる齢となって来た。
 山里は高曇りながら晴れている。立山は見えぬ
 

 親爺には可愛くてならぬ孫たち。黒部は美味しいものが大好きだし、東京は言葉が増えてきた。ああ、この二人の
先行きをもっともっと見ていたい。それが親爺の今の生きがいだ・・・。
 

 隣の庭のススキの向こうに剣山壮の車が見える。ヘリは飛んだかな?


9/7
 昨日は通院日。月に一度の薬貰い日だったが、診察のほかにレントゲン、心電図、超音波などあって、ほぼ半日
がかりだった。しかも明日は明日とてまたMRI検査も受けねばならぬ。親爺の健康管理を委ねている先生の指示で
あれば、それには従わねばなるまい。
 それやこれやで昨日は更新をさぼってしまった。
 今朝は朝一番でトモちゃんから写真を送ってもらった。初霜、初氷の剱御前小舎だそうな。
 例年より幾分早い気がするが、昔8月31日に雪が降って、富山気象台がそれを立山の初雪にするか、終雪にす
るか迷ったという笑い話もある位の高山での話だ。
 山里も今朝は15℃くらいまで気温が下がっていた。親爺はお陰でぐっすり眠れた。
 令和3年、別山乗越での初氷だ。


 初霜もご覧の通り。今年は紅葉も早いかも知れない。


 鍬崎山もはっきり見えている今朝の山里。過ごしやすくなったが、暑さが戻るという嫌な予報も出ている。
 


9/5
 先月末に、池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」全24巻を電子書籍で購入した。既に全巻普通の本では持っていて、
何度も読み返しているのだが、どうにも電子書籍に慣れてしまって、その利便性の虜になっているので、読み直し
たいと思うような本は、どんどん電子書籍でため込んでいる。
 さて、鬼平犯科帳、最初に読み始めたのは30代後半もしくは40代初めで、池波氏の見事に描き出す世界にハ
マったものだが、還暦をとっくに過ぎ、今や70を目の前に読み返すそれは、全く違った世界を展開して見せてくれ
る。本が電子書籍になったとて、中の文章が変わる訳はない。読み手の自分の展開する世界が違うのだ。
 40代後半の主人公、鬼平の気持ちがよくわかる。20歳そこそこの辰蔵(鬼平長男)の気分もよくわかる。そして
ちょくちょく出てくる、「老爺」、飯炊きだったり、門番だったり、茶店の親爺だったり、百姓だったりするが、この人物
の気持ちもよくわかるのだ。70に喃々とする自分には登場人物の年代はすでに経験済みだから、自ずと登場人物
全員の気持ちがよく呑み込める訳だろう。
 人間は立場立場で、考え方の違いもあり、生い立ちや持って生まれたものでも様々な考え方の差があるだろうが、
親爺が歳とともに自ら意識せぬままたどり着いた考え方や見方が、当然この何度目かわからぬ「鬼平犯科帳」の再
読に反映されている訳である。で、ハタと気付いた。古今の名作や、娯楽小説も、すべて、作者の紡ぎ出す文章と、
読者が個々にそれを読み取り展開する情景の合作で、一つとして同じ物語が展開されることは無いのかもしれない。
 親爺はもう4巻の読書に取り掛かっているが、まだ20巻も残っており、当分は楽しめる。残りを惜しみながらする
読書のなんと楽しいことだろうか。
 池波氏が旅立たれた年を二つ越えた親爺だが、健やかな頭でまだまだ池波作品を楽しみたい。既に電子書籍で
全巻持っている、剣客商売も仕掛人梅安も食卓の情景や男の作法、散歩のとき何か食べたくなって…等々の随筆
集、またまだ読み返して楽しみたいのである。
 青空が広がった。久しぶりだ。立山も晴れてくるかもしれない。


 大日も少し姿を見せ始めた。天気はまだ不安定だ。



9/4
 菅首相の引退宣言で、日本は大騒ぎ。この引退をだれも予想しなかったという風な大騒ぎだ。
 苦労人の菅さんの事、周りの状況をご自分で判断され、迫る総裁選に見切りをつけたものだろう。恐らく大方の
人はこの事態を予測していたはずだ。じたばたと内閣総理大臣の座に執着したくなかったのだろうし、正直嫌気も
さしていたのではなかろうか。
 何だか知らぬが、次期総裁選挙に名乗りを上げる人が次々と出てくる。この後はどうなるのだろうか?少なくとも
コロナ禍対策をしっかりとして、軌道修正できる強力な指導力を持った方を最大政党の次期総裁に選んで欲しいも
のだ。そんな人が本当に自民党内に居るのかどうかは知らないが。
 早く秋雨前線が消え、晴天が戻ってきてほしい。コロナが消え、元気な日本に戻ってほしい。
 晴れた日の剱はこんなに奇麗だ。


 残念ながら今日の山里はこんな天気。でも今少し明るくなってきた。


9/3
 涼しく気持ちの良い朝で、起抜けには青空が広がっていて気持ちよかった。が、あっという間に雲が増え、今は
もう、高曇りといった天候だ。
 昨日日テレ系で放映された、鳥人間コンテストを見て久々に飛行機が面白いと思った。また最後のフライトをし
た素晴らしい機体は、自己記録の更新こそできなかったが、40㎞を飛んだ。
 親爺は若いころからラジコン飛行機の趣味があり、独学故、数十機の機体を作っては墜落させたものだが、遂
には他人様にも作成から、飛行実技まで、ビギナーレベルでなら教えられるほどにはなった。
 ラジコン飛行機も日進月歩。親爺はラジコンヘリコプターにも手を出し、ホバリングから初歩的な飛行もマスター
したが、そこでドローンが出現。気付けば70歳に手が届く年となり、身体能力は視力、反射神経などなど衰える一
方なので、今はそれらの衰えを高度な技術で補ってくれる操縦しやすいドローンばかりで遊んでいる。
 とは言え飛行機への想いもなくなったわけではないから厄介だ。またラジコン飛行機に戻ってちょっと危ない飛行
をするのも躊躇われるし、プラモでせっせと懐かしの飛行機を作って遊ぶかななどと、鳥人間コンテストを見たばか
りに、飛行機熱がぶり返しそうである。まあ、プラモでではあるが・・・。
 一寸怪しげな雲はあるが、青空を背に大日が姿を見せた。


 プラモも作り始めると面白い。もう何年もプラモからも遠ざかっているが、これは昔からの親爺の癖で、またプラモ
に戻ったり、ドローンに戻ったりと、移り気なのだ結局・・・・・。機体は紫電改。菅野直大尉搭乗機だ。
 


9/2
 山里は今日も曇天で、たまには小雨もぱらつく天気。まだ9月2日だというのに残暑など全くない今年の山里で
親爺はかなり快適に過ごしている。
 暑いと寒いを秤に架けると、やはり寒いがマシだ。クーラーを使えば暑いもかなり軽減できるが、クーラーの冷
風では、冷えすぎるのか体調を崩してしまうこともある。寒気の中、反射式ストーブのジンワリした暖気で、寒さを
しのぐ方が心地よい。
 まあ、あと一月もすればそのストーブの世話にもなる事だろう。更には床暖も・・・。
 気の早い親爺である、9月2日に暖房のことを考えている。
 外はこんな天気で、湿度は71%、気温20度なのだから、僅かに肌寒さを感じている。


 多少ガスが湧いても、青空の見える山が恋しい。


9/1
 9月になったが、例年より秋が早くやって来ている様な気がする。
 今朝も雨が降る天気で、昨夜から窓を閉めていてもクーラーはいらない。今も扇風機すら回しておらず、親爺は
厚手の作務衣を着込み、しっかりと足袋型のくつ下まで履いている。
 この後の天気予報を見ても雨の日が多く、気温も20℃代が続いている。最高28℃最低23℃だと暑い日で、
23℃~19℃などと云う9月終盤のような日もある。
 秋の訪れが早いようだ。


 立山からはこんな草紅葉の写真も届いた。

 
 閻魔堂の木立にも雨が降りしきる。未だ長月朔日だが、肌寒い。

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