2024山賊案絵日記(冬) 平成6年元旦



3/31
 暖かくなって、余り有難くないのはへこきむし(クサギカメムシ)の横行だ。
 何処に籠っていたものやら、こっそりと出てきて、そこいらをはい回る。しかもその名に相応しく、何かの拍
子に臭い体液を噴霧する。故にへこきむしなる名を冠されたのだ。
 昨夜も夜具の中で、常夜灯だけで電子書籍を読んでいたら、突然手に何かがぶつかって来た。瞬間に奴
だと分かる。こいつは這うだけではなく飛ぶ。匂いが無いのならつまんで捨てるが、匂いが手に着いたら堪ら
なく臭い。独特の悪臭である。
 そっと見回すが常夜灯の下では見えぬ。面倒になって布団の上を手で探りまわした。少しの匂いは我慢す
ることにして。と、突然匂いがし出し、枕もとのスタンドを点けると、わが手に叩き落とされただろう、床に這い
ずり回っているのが見えた。我が左手の匂いが凄い。こうなればただの虫一匹、ティッシュでぐるぐる巻きに
してごみ箱へ捨てた。
 寝ようとする直前のこのへこきむし騒動で、隣のオカカは寝息を立てているが、親爺は目が冴えてしまった。
 暖かくなればなったで、新たな邪魔者も出てくるものだ・・・。
 今朝も黄砂で辺りは濁った大気に覆われている。


 近景もどことなくぼーっとしているが、遠景になると黄砂が目に見える様に視界を暗くする。
 


3/30
 いよいよ温かくなってきて、昨夜は夜具の上掛けを外し寝たが、それでも暖かすぎるほどで、かえって熟睡
出来なかった。
 寒さに慣れ切った身体が春の陽気に順応するまで、ちょっと時間がかかるかも知れぬ。
 今朝はやけに景色がボーっとしている。春霞より一寸濁った様な大気だ。黄砂が来たと直ぐ気付いた。
 昨日から天気予報で黄砂の到来があると報せていた。何となく辺りが薄汚く濁っているような気がして、ドロ
ーンを上げていたが、早々に引っ込めた。
 昨夜オカカと二人プロ野球開幕戦を観た。巨人VS阪神の3連戦の一回目。
 久々に観たプロ野球、実に面白かった。野球にほとんど関心がなく、全く見なかった親爺とオカカだが、昨年
のWBC以来、すっかり野球の面白さに嵌った。
 所謂ミーハー的にわかファンであるが、段々選手の顔も覚え、ひいきの選手も出来て、面白い。
 試合放送回数の最も多い巨人が贔屓で、その選手も岡本和真や未だなかなか試合に出してはもらえぬ新人
ながら華を感ずる浅野、佐々木、投手では戸郷、大勢などが気に入っている。
 チームを超えてならヤクルトの村上も気になる選手だ。まあやはりミーハーなのだ。
 今日はオカカが大リーグの大谷の試合と、巨人阪神開幕三連戦の第二回目の放送を視聴予約した。
 親爺よりオカカの方が嵌っているかもしれぬ。
 黄砂が来てやや濁った天気だが、家の中では長閑な時間が流れている。
 中学恩師の家の解体が終わり、少し景色が変わった。


 ドローンを上げたが、黄砂が気になって直ぐに下ろした。庭掃除のオカカと相変わらずずぼらな親爺。


 この濁った景色は黄砂である。


3/29
 昼食を終えた今、青空が広がり始め陽も射して来た。
 朝方は雨で、今日は富山市内まで薬もらいの日であったので出かけたが、家を出る時には傘を持っていた。
 車庫まで10数メートル移動するだけだったのだが、濡れてゆくのも嫌だから。
 で、富山で受診、いつもの薬を貰い、帰宅した。家に着くまで雨はズット続いていた。
 温かくなった。雨が降っている今朝から暖かく、もちろん今はもっと暖かくなって来た。衣装も肌着の上に薄い
フリースを一枚だけなのだが、ストーブを消した居間の室温は22〜23℃あり、寒さに慣れ切った身には十分す
ぎる。
 いよいよ何度末も押し詰まり、事務仕事などはやたら忙しそうだ。仕事と言葉の付くものにはもう無縁な親爺
だが、信大に勤務する末娘など、大学病院という望まぬ部署に配置され、今や古顔になりつつあるが、帰宅が
遅く夕食など21:00を廻るらしい。
 朝は山も見えなかった。


 卒園式を終えた孫はママと外食。パパは東京に仕事。  東京の孫はパパにねだってドライブ。談合坂サービスエリアまで。
 

 黒部は杏里叔母ちゃんからケーキとプレゼントをもらった。宗谷が大好きな東京はまた宗谷へ操舵室がお気に入り。


3/28
 漸く暖かい日になってきた。
 今冬は確かに雪が少なく、2月はとても暖かい日が続き、大寒の間も異様に温かかった。絵に描いた
様な暖冬で、雪も少なかった。が、これで終われば記録的暖冬だったわけだが、そのあと雪は大したこ
ともなく、極端な小雪だったが、気温が上がらず3月はかなり寒い日が続き、もう四月と云う今まで、寒
かった。
 どうやらこの傾向は全国的なものらしく、桜の便りもずいぶん遅い気がする。
 去年はもうこの頃に山里より少し下流、車で15分ほどの旧大山町上滝地区の桜並木の花が8分咲き
で咲いていた。
 親自宅の庭でもミニ水仙が黄色い花を開くか開くまいかと、迷っていた。
 去年は今年より雪は多かったが、温かかった様だ。
 高校野球でお隣石川の星稜が今試合中。強い。阿南光を相手に大差をつけ終盤に入っている。
 今日は大日がきれいに見える。


 昨日の黒部の孫の卒園式。ママに貰った卒園証書を手渡し、大きな声ではっきりと「ママ有難う!」と言えた。
爺もババもそのビデオを見てさえ涙がでた。おめでとう。
 東京はちょっと体調を崩したが、元気。ヒー爺ちゃんが乗って南極へ行ったソイヤ(宗谷)が大好きでいつも
舵輪につかまって機嫌よく遊ぶ。オイラは今度は年中さんになるんだぜ。早くおなか治ると良いな。
 

 ようやく雪が少なくなった我が庭だ。


 中学時代の恩師の家もついに取り壊しが終わった。



3/27
 高校野球は面白いが、春の選抜大会と云うのは夏の大会より力が入らない。結局郷土の高校が選抜
されたりされなかったりで、我が富山県はされないことの方が多いからだろう。
 それでもお隣のよしみで石川の星稜などを応援しているが、今一つ自分が盛り上がらない。
 近年は職業野球のみならず、サッカー、バスケットボールなどの競技にも職業チームが出来て、まあそ
れでその競技がポピュラーになって競技人口が増えるなどという事になるのだろう。果たしてそれが良い
事なのか如何かは知らぬ。
 近年のオリンピック競技でも、馴染みのないスケートボードだとか、ついには路上でのダンスと云うイメー
ジのブレークダンスも競技にとして行われるとか。まあ愛好者には嬉しい事だろうが、親爺など見る気にも
なれない。世の中の多様性が認知され価値観がどんどん変わって行く。
 まあそれはそれで良いかもしれぬが、何処かで歯止めもいるのではなかろうか。
 男同士が結婚する。女同士で結婚する。どう見ても自然の摂理には適っていない。それでも子供が欲し
いと医療の力を借り子を生す。
 親爺には理解できぬことが多すぎる。
 日本の象徴たる天皇について、今上陛下の内親王たる方が何故天皇を継承できぬのか。
 それも親爺には理解の外である。
 男女同権を歌う憲法下で象徴たる御方の地位継承に男女不平等が有ってはいけない。
 来拝山もまた白くなった。弥生末の立山の山里である。


 我が家の前庭の名残雪もまだ解け切らぬ。


 僅かに青空も見えて、たまに陽光が降り注ぐが、大方は雲に覆われている山里の今朝である。
 


3/26
 今度4月に大相撲の富山巡業を見に行く事になった。読売新聞の販売店からの声がかりで、溜り席を
取ってもらった。
 本場所の切符は取りにくい、特に溜り席などコネが無ければ取れないだろうが、巡業相撲なら近場だし
可成り気軽だ。もちろん本場所のような真剣な勝負は期待せず、力士を間近で見たり、いろいろな余興
を愉しむつもりだ。
 親爺もオカカも名古屋の友達と一緒に、名古屋場所を升席で見たことはある。もう20数年も前だろう。
 高見盛りが売り出し中の頃だ。武蔵丸が結びで負けて座布団が飛んだ。
 富山巡業も一度、父や叔父たちを連れて行ったことがあったが、これは30数年以上前のこと、大乃国
が横綱で郷土力士琴ケ梅が関脇のころだ。地方巡業でも楽しめた。間近で見る力士は迫力があった。
 さて、今度は富山の駅裏にある富山市総合体育館で開催される。車で行くから駐車場が必要だが、親
爺はそう長く歩きたくない。そこで必死に駐車場を探し、予約できる駐車場を発見。上手く予約が取れた。
 会場から400m余りの処だから先ずは良しだろう。
 普段は600円ほどだが、その日は1500円取られる。まあ時間無制限、丸24時間借りだから高くはない。
 弁当も注文したそうだ。地方巡業だから溜りでも飲食出来るそうだ。気楽でよい。
 でもまた、いつか本場所でも見て見たいものだ。
 雨で鬱陶しい空模様の山里だ。
 まだ名残雪を屋根に乗せた閻魔堂。この雨で雪は無くなるだろう。


 突然こんな降り方もする。


 我が庭の雪も、間もなく解け切る事だろう。屋根の雪が落ちて堆積するから名残雪どころではない雪だが。
 


3/25
 雨なのに、小雨だからドローンを10分程上げてみた。
 まあ、僅かに雨滴が上部のカバーについていたが、回収後のドローンに異常はなかった。なにぶん自分
は雨のかからぬ座敷縁側に座り込んでドローン操作をしているわけだからあまり気にはならなかったが後
で撮影画像を自分のPCで確認したら、僅かながら100mの高度では雨滴が視認できた。
 まあ、最近のドローン技術は素晴らしく、僅か199g(バッテリー込み)の飛行体にありとあらゆる機能が
組み込まれ、自立安定し、操縦器を手放しすればそこでホバリングして止まり、さらにバッテリー残量を自
己計量し、或る程度になれば出発地点まで自動帰還するのだから素晴らしい。
 勿論150m未満の高度では1km余り離れても自由に操縦できる。指定高度を超すと違法となるらしいので
親爺はまだその高度を超えたことは無い。
 まあこれはバッテリー容量が十分な時の話して、これ以上大きなバッテリーは199gを超すので、凡そ10分
程度の飛行が遵法精神あふれる親爺の目安となる。
 まあ、それでも結構楽しめるから、親爺レベルの趣味の撮影ならまず不足はない。
 この程度の写真が撮れればいいのだ。


 立山は峰部がすべて隠れている。


 この土蔵は今はイッチャンのものだが、故鷹奥儀先生宅の敷地に建っていた。火事に遭いそうになったこと
があり、大いに火を恐れた先生。故に土蔵の壁には「水」と記されている。
 先生は非常な好人物で、向かいのドラ息子だった親爺も先生には可愛がっていただいた。
 退官後は長く芦峅寺総代を務められた方で、我が父とも大の飲み友達だった。


 来拝山の山裾に見えるのは昔の棚田の跡。


3/24
 暖かい日は気分もほころぶ。しかも孫が傍にいるから賑やかで一層気が高揚してくる。
 朝起きて来るときのパタパタと云う軽やかな足音。居間に爺を見つけ飛びついてきて一甘え、その可愛さ
は何物にも代えがたい。
 我ながらジジバカだと思うが、これも如何にも仕方ない。
 悪ふざけが過ぎると、ママに叱られる。ジジとしてはその位許してやれと云いたいのだが、ここはじっと我
慢。躾あるいは教育にジジが口をさしはさむ事は慎むべきと、頭では理解しているが叱られている孫がかわ
いそうで堪らない。
 親爺の大学時代の友人が大分にいるが、ご次男の家族と同居しており、3人の可愛いお孫さんも一緒だ。
 いつも奥方の発信するSNSでその様子を見て、堪らぬほど羨ましく思っているが、孫の教育には口出しせ
ぬのだろうか。皆さん羨む程の中の良さだが、それぞれの立場での我慢もきっとある事だろうと拝察する。
 ジジババの無節操な孫可愛いだけの口出しは、良くないことは解るが、それでもその無節操を抑えるのは
随分骨の折れる我慢である。
 月に一度お泊りに来るだけの孫と過ごす時間内すら、親爺はそんな我慢を強いられるのだ。
 いよいよ春に向かう温かさが来た。向かいのイッチャンとオトシさんの家の屋根もすっきりしてきた。


 ジジババの家は寛げる。今日はママがお出かけで午後は我が天下。職業体験のたこ焼き屋で可愛いタコ焼き小僧になった。
 


3/23
 まだ冬の項を改めず書いているが、親爺には4月からが春だという思い込みがあり、これが不都合な事も
特段ないからそのまま思い込んだとおりにしている。
 細かい季節の区切りなど、まあ大概意味はない。雪が降ったから今日から冬で、桜が咲いたら春かいなぁ
と云う程度のものかもしれない。陰暦の暦で過ごして来たままの節季が、いろいろ生活の中にもあるが、太
陽暦で生きている今、幾ばくかのずれを常に感じつつもおおらかな心で過ごしている日本人だ。
 細かいことは宗教と一緒で、現実的な不都合が無い以上、否定も肯定もせず過ごせば良い。
 別にどうでもよいが、昼間断食をする宗教や、おせっかいに自分の教義を押し付ける侵略的な宗教も色々
あるらしい。まあ、日本は八百万の神々に仏様までお力添えをして下さって、実に自由気ままに信仰をし、信
仰などそれくらいのものだと余り意に介さず生きているので、季節の移ろいなど思い込みと肌の感じで、春夏
秋冬を決めておけばよい。
 雨で雪が洗い流されている今日の山里だが、昨日午後からの快晴は立山がきれいで素晴らしかった。
 その写真は、山賊庵写真部屋に掲載。
 先ずは今朝の山里。


 庭も、通路の石段は毎日雪をどかす(山水散水融雪)。   屋根の雪が落ちてつくばいにドッサリと落ちている。
 

 庭は雪。オカカの誕生日に次女の送ってくれた花束は寒いからまだ元気だ。


3/22
 昨夜まで雪が降っていた。窓外は真っ白だ。
 さてこれは、今冬の終雪の作った雪景色と見るべきだろうか、それとも時期的には春先の季節外れの雪
なのだろうか。
 何方でも良いが、親爺の願わくばもう見たくない雪景色である。
 暖房の効いた部屋から窓外に眺めればそれなりの趣もある雪景色だが、弥生も終盤になってこの寒さは
全く迷惑千万、物価高の中で暖房費のかさむ事を思うだけでも寒くなる。
 雪国とは暮らし難い所である。親爺もここに生まれ育ったから、他所で生活することを思いとどまっている
だけで、歳とともにその辛さは親身に堪える様になってきた。
 が古希を過ぎた今、全ての生活の拠点がこの山里の地にあるのに、何処に移り住むことが出来ようか。
 気楽で、好き勝手なことをうそぶいて、大好きな山を眺め暮らしていける幸せを十分知ってい乍ら、事、雪
や寒さには悪態をつきたくなる親爺である。母に駄々をこねる赤子と同じである。
 陽が出て、徐々に気温も上がって来た。
 上手く母にあやされ機嫌を直した赤子のように、心まで温かくなってきた。
 軒から氷柱が下がり、向こうには雪景色が広がっている。弥生末頃の我が母なる山里である。


 これがきっと最後の雪景色だ。


 屋根から落ちた雪が庭にこんもりと積もった。           青空の見える空が嬉しい。
 


3/21
 新雪に覆われた弥生21日の山里の朝、寒さをこらえてドローンを上げた。
 ドローンの眼を通し見る景色は、決して肉眼では見られぬ高度からのものだから、長い間生きて来た親爺
にも、結構目新しい景色が見えて、毎日新鮮だ。
 まあ、親爺は空物のラジコン経験が豊富で、20代のまだ独身の頃から飛行機などを飛ばしている。だか
らラジコン操縦の飛行時間はかなり長い。しかし長いだけで操縦技術はあまり進歩しておらず万年ビギナー
ではあるが、操縦時間が長いから空物に対する度胸は据わっている?
 初てドローンを飛ばす人よりいくらかはマシと云うレベルだろうが・・・。
 飛行機、ヘリの墜落経験は数えきれないが、標高3800mのネパールクンブーエリアのシャンボチェ飛行
場のそばの丘で、電動ラジコン飛行機の飛行に成功したことも有る。まだ1990年代の初めだったと記憶し
ている。思えばこれが唯一のラジコン飛行機のほら噺の種であって、殆どは作って飛ばし7割の確率で着陸
に失敗し壊している。それでも諦めず続け、ドローンにつなげて今がある。70を過ぎ白内障の手術を受けて
も空撮を楽しんで居られるのは、馬鹿の一念ともいうし、下手の横好きともいういい言葉がある。
 もちろんドローンの技術的進歩の大きさ速さは、親爺の老化を補って余りあるのだ。
 クワッドヘリと云う名で、まあ今のドローンの前身とでもいう機体も経験しているが、ラジコン飛行機やヘリ
コプターは難しいがゆえに楽しく、のめり込み、下手は下手なりに楽しめるのだろう。
 あまりに技術が進み過ぎて、全部自動などという事になると面白くなくなるだろう。
 今朝は晴れていたが、新雪に覆われていた。


 昨日はこんな調子で雪が降り出し、やがては吹雪になった。     今朝は青空も見えて、親爺は早速ドローンを上げた。
 

 閻魔堂上空から見た山門と閻魔堂。


3/20
 昨日の夕刻、松江に帰省している心平から連絡があって、ご尊父様が旅立たれた事を知った。
 ずっと体調を崩し、入院されておられ、心平以下ミッチャン、洋平君の3兄弟が交互に松江に帰り、傍に
ついていた様だ。
 親爺も面識は勿論あり、芦峅寺へもヨータローが小さい頃、ご夫婦でほぼ毎月来ておられ、半月を共に
過ごし、半月は松江にて過ごすという生活をなさっていた。
 実に穏やかな方で、ヨータロー可愛いの一心で、松江から富山までをご夫婦で行き来されていたのだ。
 親爺とは年も近く、話もよく合った。10年程の短いお付き合いではあったが、今はご冥福を祈るばかり。
                                        合掌
 ガラス戸越しに見える今朝の山里。雨が降っている。


 今日は閻魔堂で祠堂経などの仏事の日だ。立山も見えてはいない寒い小雨の降っている山里である。
 


3/19
 昨日少し触れた中国の通販サイトTEMUだが、ずっとネットで発送からを見ていたら、昨日午前中に関空
へ着いて通関し、りんくう営業所(佐川)に集荷された。で、そのあとは佐川の追跡ページで見たが恐らく、
今日明日には我が家へ配達されるだろう。という事で、待てど暮らせど注文商品が届かぬという噂は、親爺
の注文に関してはないことが分かった。後は届く商品の品質などだが、これは日本でもいつも使っている中
国製品と同等であれば問題ない。
 何か親爺の体験と云うか、試しのTEMUでの買い物は、アマゾンや楽天の買い物より、商品追跡について
は懇切丁寧だったように感ずる。だが海外からの発送故時間はかかるしサイト上の商品紹介などはかなり
誇大で、引っ掛け的な写真掲載なども多くみられるから、要注意ではある。
 まあ値段的にもそれほど得でもないし、今の処アマゾンや楽天などの方が安心感がある分良いかなとは
思う。あくまで親爺の個人的感想だ。
 暇だからこんな阿呆な事も面白い。
 立山が比較的綺麗に見えている。杉が大きく育って我が家からはなかなか見えぬ様になった鍬崎山だ。


 常願寺川の河床は我が家敷地とは60m程の高度差。雪がずいぶん解けて水も多い。


 恩師宅解体工事もいよいよ重機導入で本格化してきた。      常願寺川から40mほど上がった場所は昔田んぼがあった。
 


3/18
 過日、試しと思って、最近かなり安い値付けで色々な商品をネット販売しているTEMUなるサイトを使って
みた。値段合計は3600円ほどで、普段履きの靴1足、ドローンのケースバックが注文品、送料込みである。
 多分拠点は中国だから、商品到着まで時間はかかる。18日から22日の間の到着で、佐川で届くらしい。
 商品の発送状況はページで分かる。
 1、パッケージ(荷造り)して発送 2、荷物は空港飛行機の出発待ち 3、空港へ到着・・・という事で表示
されるが、何処の空港へ到着し通関し、佐川に引き渡されるかではわからない。
 ただ、恐らく佐川にわたった後は、送り状の番号が知らされているので、佐川のページで確認できる。
 いろいろな悪評もあるサイトだが、中国の会社と云うだけで疑うのも短絡的すぎる。ネット上のうわさなど
流言飛語が大半で、面白がって騒ぐ無責任バカも多い。
 親爺も正直一抹の疑いも持たないわけではないが、年金暮らしゆえ安価なものに惹かれる心もまた否定
しがたく、親爺の小遣いで何とかまかなえる金額での試しである。
 品質云々になると日本国内製造製品が優れているが、普段使いのものは日本国内で販売され普通に使
って居るものでも、中国製が非常に多い。
 嘗て、中国製のドローンを中国のサイトから購入し飛ばした。性能もよく、機体価格は国内サイト販売の凡
そ半値だった。親爺はこれでドローン入門したわけで、説明書が英語版だったが、それは嘗ての海外での
仕事の経験でクリーアー、得した気分であった。
 しかも今やDJIなど世界に冠たる中国ドローンメーカーになっていて、日本にも拠点を構え、修理などにも
素晴らしい対応をしている。
 が、それは良かった事。さてこのお試しの通販サイトTEMUや如何に。
 今日の立山も見えない。


 我が芦峅寺の住人には非常に馴染み深い来拝山(通称ライハ)と不動山(通称フド)村内では通称で呼ぶことが多い。
 

 最近の解体工事は金がかかるはずだ。産廃法の厳しさが値を上げる。
 昔は家の解体は村中で出て、廃材は常願寺川で燃やした。燃やす場所も決まっていた。おおらかな時代だった・


3/17
 昨日の快晴の強い日光の照射で、雪が大分解けた。今度こそ山里にも春が来るだろうよ思っていたが、
天気予報は無情で、雨で寒い日がまたやって来るそうだ。今日は曇天で埃っぽい様な乾いた天気だが、気
温は高く寒さは感じない。
 昨日は北陸新幹線が敦賀まで伸び、新たに金沢-敦賀間が開通し営業に入った。
 富山と云うところは、丁度JRの東西の分岐点で、北陸新幹線が開通した時は東京まで、2時間10分で行け
るようになったが、大阪に向かうときは、直行便だったサンダーバードが金沢止まりとなり、富山から京都、大
阪へは金沢で乗り換えしなくてはならなくなった。
 まあ、個人的には不都合などない。親爺とオカカの旅は車だから。JRの電車はほとんど使わない。ただ、東
京への歌舞伎観劇の時に一度使ったくらいだ。それでも時間を指定されるのは性に合わぬので、駅に定時に
行かねばならぬし、座席も指定・・・気に食わぬのだ。
 こんな事を云うと、新幹線開通を心待ちにしておられた福井の皆さんに怒られる。
 素直に開通おめでとうございますと申し上げておこう。
 車庫の屋根の雪がついにゼロ、道が埃だって居るのがお分かりいただけるだろうか。


 立山はちっとも見えぬ。つまらぬ。


 でもまだ庭には雪が残る弥生半ば過ぎの山里である。

 


3/16
 東京の孫はすっかり風邪が抜けて、もう保育園に二日前から通っている。黒部の孫もインフルエンザB型だ
ったそうで、すでにA形には罹患した後なのに、又Bで罹患してしまった。
 出も昨日からようやく熱も下がり、食欲もほぼ戻って、元気になって来た。だが保育園に戻れるのは火曜日
からだそうな。そんな規定が出来ているらしい。今日は土曜日、明日明後日ともう二日、ママと過ごせば良い。
大変なのはママだが、こればかりは偉大な母の力が一番の良薬となる。(勿論父のかいがいしい介護を否定
する気はなく、父親とて母に勝る介護ができる人も多いだろう)
 とにかく二人の孫が風邪が抜け、元気な姿を取り戻したことが何よりもうれしいジジバカである。
 山里もここ二日ほど暖かく、晴天が続く。
 このまま春になってくれればいいのだが、又数日後冬型になって寒くなるらしい。
 本当に冬が終わり、4月の学生たちなどの旅行が終わり、GWに入る前にまたオカカと二人どこかへ行こうと
思っている。北陸応援割が何だかあっという間に予算切れになりそうで、北陸は地元故そんなにありがたくは
ないし、政府のお偉いさんに物申す。自分らの懐は温めず、本当に被災地の人々の事を考えたスピード感の
ある支援を考えてくれ。えらいさん同士の薄汚い足の引っ張り合いなど要らない。高名なるR女史よ、人をやり
込める時の声高さは十分見た。目の覚めるような政策論をならさらに声高くやっても良いが、揚げ足取りのや
りこめだけでは、やがてしっぺ返しが来る・・・と、脱線。
 政府の形だけの旅行支援など期待せず、身の丈に合った予算で数日の旅を計画しよう。
 それにつけても以前の全国旅行割の懐かしさよ!!
 眩しい程の大日見ゆ。


 ほぼ復調した黒部のお姉ちゃんと、完全復調の東京のわんぱく坊主。元気になってよかったね。
 

 まだジジババの家には雪が残っている。でも温かい。


 解体進む恩師の家。この家が無くなれば、どんな景色となるのだろうか。



3/15
 晴れ、温かくなってきた。
 ドローンをあげ、晴れた立山を撮ったが、機体が小さいため100mの高度を稼ぐと、目視していても,ちょっと
眼を話すと、再度視認するのがやや難しく、視力は矯正で1.2〜1.5はあるのだが、見失う。
 あるいは若い人ならそんなこともないかもしれぬが、古希を過ぎた親爺には難しい。
 で、ついつい手元の操縦器のFPV スクリーンを見ながら機体を操ることになるが、このスクリーンたるやスマ
ホである。これを見るときは眼鏡をはずし、画面を注視せねばならぬ。しかも時々又眼鏡をかけ外を見て機体
や何処と探さばならぬ。実に不自由である。
 せめて14インチタブレットくらいの画面ならいいのだが、接続するのにアダプタなどが必要になり面倒だ。
 まあ、当分頑張ろう。要は慣れだ。
 逸れやこれやで、撮ったしゃしんだ。立山が春独特の見え方で光っている。


 今日は閻魔堂で団子撒き(涅槃団子)の仏事が有って、コウちゃん事光昭和尚が来ていたそうだ。
 コウちゃんにしては珍しく、涅槃図の画解きをしたそうだ。コウちゃんの祖父秀胤大僧正は天台宗宗門議長を務めた人。
 


3/14
 東京の孫が高熱を出して、風邪と診断され心配していたが、ようやく治って昨日から保育所に通っている。
 ホッとして居たら、今度は黒部の孫が高熱を出し、今日で2日目だ。可哀そうに保育園の年長組で、お別れ会
や、特別給食を楽しみにしていたのに、それには出席できず、ママがついて大人しく過ごしているようだ。
 子供が熱を出して寝込んだ時の心配は、親爺もずいぶん経験した。普段は何でも左程オロオロすることは無
いが、子供の病気には人一倍心配性であるかもしれない。
 オカカはいつもどっしり構え、かいがいしい世話をズーッと続けたものだが、そんなことにはあまり役立たぬ親
爺は、ただオロオロするだけで、病院への送り迎えの運転ぐらいしか役に立たぬ。にもかかわらずただオロオロ
していた様だから、邪魔になったかもしれない。
 今でも孫の体調不良の知らせを聞くや、親爺のオロオロスイッチが入るのが分かる。
 親が付いているのだから、余計な事を言わず、じっと回復を願っていればいいのだが、中々そうはいかぬ。
 でも余計な口出しはなるべくせず、ただ自己完結でオロオロするだけに努力しているのだ。
 ジジバカもこれで辛いものでもある。
 春、雪解けの頃の立山。


 地上高度100mからの我が山里の村。


 我が家周辺。山村としては結構建て昆でいる。


3/13
 昨日は水雪ながら午後はかなり激しい雪が降り、今朝は辺りが新雪を纏っている。
 だが水雪であるので、降る後から屋根を滑り落ち、ドーンドーンと派手な音を立てていた。
 今朝もたまに思い出したように降るが、概ね曇り空である。気温はやや低い。10:00で1.8℃。氷点下ではない。
 朝から閻魔堂が賑やかだが、オンバ様(姥尊像)のお召変えと云う行事で、行事こそ縮小されているが、立山
信仰の中で連綿と、女衆を中心に受け継がれている行事である。
 雄山神社開山堂でお祓いを受けた、白布を玉結びせぬ赤糸で縫ったと云う衣装をオンバ様に着せ替える。
 詳しくは知らぬが、神仏習合の古のままの信仰に息づいているオメシカエである。
 10:00を過ぎた今薄日が射している。


 昨日は水雪が降ってはずり落ちていた。


 恩師の家も大分解体が進んだ。中の解体が終われば一気呵成に家は崩される。


3/12
 薄暗く断続的な小雨模様。しかし左程寒さは感じない。
 もう3月も半ばに差し掛かるころ、立山山中ならいざ知らず、山里にもう大雪の降る事はあるまい。
 そろそろ山小屋商売の連中も忙しくなるだろう。来月には奥地の小屋以外、稜線部では2軒の山小屋が、そし
て室堂周辺の山小屋風旅館が4〜5軒小屋開けであるらしい。
 スタッフの手配、小屋開け物資の手配り等々面倒な仕事が続く。
 雪の具合や、小屋の周りの状態、もちろん小屋の状態も、いろいろなことが心配の種である。
 親爺も毎年毎年同じことを繰り返したことだろう。
 特に若いうちは他業にも関わり、ネパール辺りへも足蹴く通っていたことも有り、50を過ぎる直前に患い、全快
はしたものの年々体力の衰えを感ずる様になり、山小屋経営だけの生活に入った親爺だから、64歳で引退する
までは、心平や、ヒデ君たち若い人の力を借りての営業だった。
 今は懐かしいが、あの時引退したことを悔いはしていない。
 約40年間の山小屋経営。山小屋仲間に恵まれ、楽しい事々も忘れられぬ・・・・・。
 また小屋開けの時期を迎えたが、それがついに自分には関わりなくなり、もう6年余。気楽ではあるが、やや寂
しさも感ずるこの頃である。一寸霞立った今日。


 時の移ろいの中、中学の恩師の家も取り壊しに入った。恩師は去年旅立った。名残の雪が寂しさを募らせる。
 


3/10
 今日は久々に寒くて目が覚めた。今朝の気温は氷点下0.4℃だから、取り立てて寒い等という事は無いのだが
寝相の悪さで布団のどこかに隙間ができ、冷気が入り込んで来ていたのかもしれない。
 お陰で、7:00前に目が覚めて、小用に起きだし又夜具に潜り込んだが、温風ヒーターのスイッチを入れた。
 が、眠れぬし、ここで二度寝したら起きられなくなる。昨晩寝しなに読んでいた内田百閧フ戦後日記Uをまた
読み始めた。で、温かくなって身体も温まったので、起きだした。
 起きて、歯磨きしながら窓外を見て驚いた。一丁前の冬景色だ。暖冬惚けの親爺には3月の景色とは見えなか
った。が、考えて見れば弥生尚1メートル越えの積雪など、珍しくない我が山里だ。
 ここが越中有数の豪雪地帯だったことを思い出した・・・。
 朝食後、部屋がまだ温まっておらず又寒くなって、オカカに使い捨てカイロを2枚背中に貼って貰って、その上
からフリースを着こんだ。それからもう1時間余り経ったが、今度は暖かすぎて困っている。外も青空が出て、日
が照りだした。また風邪をひかぬと良いが。
 今朝起きぬけに見た窓外の雪景色。積雪50cm余。


 昨日ディズニーシーから帰って来た黒部の孫。風邪で可哀そうにディズニーに一緒に行けなかった東京の孫。
 また何時でも行けるよ。早く風邪を治してね。
  

 我が家の庭もあっという間に真冬に戻った。


3/9
 昨夜から雪降りだ。朝起きて外を見るとそこそこの雪景色で、暖冬ならぬ平年の3月半ばを思わせた。
 上空に薄く青空が見えるような、薄い雪雲から降って来る雪だ、いかほどの事やあらん。最近は山里にも10
cm程の雪で大騒ぎする、首都圏のニュースが当たり前に届くので、昔なら話のタネにもならぬほどの雪まで
何やかやと大騒ぎする癖がついた。
 雪国越中の立山の麓の村で、こんなもの雪の中には入らぬ・・・とも言わぬがまあ騒ぐほどの雪ではない。
 親爺には、暖冬で今まさに来ようとしている春の有難味が薄れぬ様、大自然が降らせた配慮の雪の様に思
えるのだが。
 まもなく春だ。春先の雪解けの大地から顔を出すフキノトウを見つけた時のホッとするような嬉しさは、雪に
閉ざされて暮らして来た者には良くわかるだろう。
 フキノトウは好きではないが、1度くらいは頂いても良い。それは春の先駆けであるからで、好むところでは決
してないが。
 ああ、又窓外に雪が降り出した景色が見えている。


 二人そろってディズニーシーへ行く予定だったのに、東京の孫が風邪の熱で、久々の熱性けいれん。パパママ大慌てで
大騒ぎだった。で、黒部の孫はホテルの朝にそれを知って大泣き!!でもママと二人でディズニーを満喫してきた。
 東京の孫も、未だ熱は40度近くまで上がるが、意外と平気で遊んでいる。インフルやコロナではなくホッとしたが。
 

 山里の雪もこんなものだ。まあ、何という事もないが、これ以上降ってほしくはない。
 


3/8
 親爺のドローンはすごい。ドローン先進国と云われる中国製で、DJIと云う日本でも最も人気のあるメーカーの
ものだ。
 飛び立つときに一々帰還ポイントを更新し、離陸してゆく。それで機体を見失っても自動帰還モード(オートリ
ターン)ボタンを押すか、バッテリーが残り少なくなるか、電波が届かぬエリアに入るとこれが自動的に作動する
仕掛けになっている。
 親爺は家の庭から上げることが多いので、庭の竹垣の中の空間にオートリターンポイントを認識させる。ただ
し廻りには家々が建っているし、高い杉木立も有るので、侵入高度を37mと設定している。この高度だと何もな
いマッサラな空間が広がっているだけで、どこかにぶつかる心配はまずない。木立、家々の高さより数m以上は
高く設定している。
 で、何度か見失ってオートリターンボタンを押したり、自動でこのモードに入ったことはあったが、一番初期の頃
使っていたハブサン社の機体を一度ロスしたことがあった・・・。これとて折角近くまで戻って来たのを操作ミスで
我家の裏にやってしまって、結局川流れと云うお粗末だったわけで、機体個々の精度にもよるが±20cmほどで
正確に戻ってくる。
 だから、親爺が若い頃(20代〜40代後半)空物のラジコンに夢中になって、大金をどんどん突っ込んでいたころ
は夢想だにしなかったドローンで、無人航空機なのだそうで、つまり自律自動操縦の飛行機ということ。
 まあ様々なセンサーや、その小型化、電動モーターの高出力小型化、強力なバッテリーの開発・・・・・などなど
最新テクノロジーの結合体が、空を飛ぶものまで一般化し、往年のラジコン空物にはまった事のある、親爺たち
の年代のものも扱える夢の飛行機玩具として楽しませてくれているのだ。
 お役所が例によって口出しをし、余り世界にも例を見ない細かい規制を作っているので、とかく教条主義的官
僚主義が大好きなコッパどもが役人風をふかしこまる。日本でももっと規制を緩めれば世界に冠たる技術大国
お隣の大国には負けぬはずなのだが。
 今朝の我が山里の村。薄青い空が広がっている。


 オカカの作ってくれたハム玉サンドが美味かった。イラムティーが合う。


 閻魔堂の杉木立を超えると鍬崎山が見えている。


3/7
 降り積もった雪の勢いが悪く、細雪に氷雨は混ざった様な具合だったので、溶けるのも早く、今朝の陽射しで
もうほとんど解けてしまった。
 儚い春の雪という訳だ。ついに春になったかと暦の日付を見てニタニタ喜んでいる親爺だ。
 山小屋現役時代なら、そろそろ入山の段取りを考え、スタッフの手配もし、空輸の安全講習やら、役に立たぬ
形式だけのオヤクショとの会合やら何やらかやらと少しは多忙になったものだが、今は昔の話となった。
 が、今年は無理やり村の役員会に組み入れられてしまった。年齢的にもう無理なのだが、少子高齢化の付け
はこんな処にまで回ってきている。
 当番制なのだが、人がいないものだから1回やると8年程の間が有ったのだが、4年程になってしまった。
 任期は2年だが、行事の多い村故結構負担になる。それが嫌で村の外に居を移す若い衆も多い。こんな旧態
依然とした事はそう続くまい。まあ、かなり行事も縮小簡便化されて来ているらしいが。
 今更村おこしだの、活性化だの、身体が動かぬロートルばかりの山の村で何ができるのだろうか。一生懸命や
ればやるほど、住民の負担ばかり増えて、それを嫌い人が居なくなり、益々村はさびれるような気がする。
 雪が解けた。春の足音がする。


 物干場へ射す光が温かい。仕切戸を開ければ居間に暖気が入って来る。


 冬中縁側の飾り棚に放置してあった雷電。適度に薄汚れ歴戦の強者の風格がにじむ。外は立山が見えぬ。
 


3/6
 今月に入ってからほぼ毎日雪がちらついている。青空を見たのは3日の雛の節句だけで、しかも一寸だけだった。
 今朝も朝から降って見たり、止んで見たり、積雪が増えることは無いが、何とも女性的な思い切りの悪い冬の神様
である。まあ、女性と云うのはその分優しいから、豪雪に苛められることは無かったので有難かった。
 ただ、季節的に、そろそろ暇を乞う頃なのだが、如何なものだろう。いくら優しく穏やかでもそばにいると寒くて、やは
り温かい春の神様が恋しくなる。
 親爺の頭痛はほぼ治った。不思議なくらい症状や経過がネット上の後頭神経痛に一致した。大半がいい加減だと思
っていたネット情報も、提供している人により、非常に助かる情報であることも有る、と知った。
 まあ、でも大半はいい加減だ。親爺のこのページ以上にいい加減だし、中には詐欺も横行しているから要注意!!
 今何気なく、どこかで見た事のある婆さんだと、テレビでしわくちゃの手を見せている人を見て、しばらく考えたら、何と
松岡きっこだった。滅多にTV出は見なくなった人だが、少々驚いた。
 まあ、自分も同様年を取っていて、ついに今年から免許証の書き換えに、高齢者講習が必要になった・・・。がっくり!
 こればかりは順番、割り込みはしないが、余り後ろから押されたくもない。
 この冬の女神様、まだ数日は名残を惜しんでもいいぞ・・・。
 庭の隅の良く知らぬ木にも雪がこんもり積もった。


 今朝も雪が降っている。積もるような雪ではなくチラホラとだが、いつまでこんな空が続くのだろうか。
 


3/5
 4〜5日続いていた頭痛が、昨夜は比較的よく寝た所為か今朝はかなり良い。
 不愉快な痛みが薄れると誠に気分爽快となるもので、外に雪の気配がないので早速ドローンを上げて、ちょっと
撮影に失敗したので、2フライトもやってみた。
 何かやろうと云う気が起きるのは良い事で、昨日はアセトアミノフェン錠剤500rを使って痛みを殺していたのだが
今日は、市販の風邪薬で十分快適に過ごしている。
 どうやら症状がすべて当てはまる、後頭神経痛と云うものだった様で、上手くすると今日あたりで治るだろう。
 昨日一昨日は大半を、居間で横になって過ごした。今日もまあ似たようなものだが、朝からストレッチを10分ほど
やってみたし、ドローンも上げたし、この後は料理を試みる予定だ。
 今朝、地上高度109mまで上げて撮った写真が、どれだったかよくわからなくなったが、多分これだろう。
 不動山と立山の連峰だが、春のこの時期ならではのアイがかかって、少々ボーっと霞んでいる。


 これはかなり高度を下げカメラを下向きにトッタ我が近所だ。地上高度5〜60mだろう。


 これはもっと下ろして撮った閻魔堂と山門。モルタル仕上げの土蔵は、旧源次郎家のもので、源の地が標されている。
 


3/4
 ひな祭りの翌日は雪降りの朝。新たに10cm余積もって、現在積雪は32cm、気温は0.4℃だという事だ。
 昨晩になって黒部の孫娘から、可愛いひな祭りの様子が写真と動画で送られてきた。ひな祭りの歌独唱のおまけ
付きである。
 親爺もオカカも忘れている2題目(2番目)の歌詞までよく覚えていて、親爺もオカカも驚きながら聴き惚れた。
 6歳にもなるとこうもはっきり上手に歌う者なのか、いよいよ4月には1年生だ。
 もちろん東京からも色々写真や動画は届くが、腕白小僧ますます盛んなようだ。お雛様はオイラ知らないね・・・。
 こっちも年中さんになる。パウパトロールと云うアニメに夢中な腕白盛り。
 孫とは離れて暮らしているが、最近はいろいろと便利で、その成長が動画や写真でいつも見られるし、テレビ電話
もしばしばである。
 さて今日も本を読み乍ら、静かに暮らそう。


 おすましのお姉ちゃん。本当に大きくなったものだ。お雛様が嬉しそう。オイラはパウパトロールが良いね!子分のチュチュ達と見るんだ。
 

 ジジババはまだ雪の中・・・また孫たちが遊びに来るのを待っている。

 


3/3
 ひな祭りの今日だが、昔のような大きな飾りはせぬ。いや、出来ぬ。
 オカカの実家から贈られた、7段飾りのきらびやかなひな壇は、たたまれ、お雛様以下お道具に至るまで、専用の
檜の長持ち様の箱に収まったままである。その代わりにはならぬも、瀬戸物の小さな置物を、玄関先の飾り棚に並
べ、ひな飾りとしている。
 3人の娘たちはとっくに家を出て、各々独立している。長女の娘にはジジババからの細やかなお雛様を送ってあり、
最近は孫が小さなひな壇の前で喜んで写真を撮り、送ってくれるのが楽しみである。
 三日前から頭痛に悩まされている親爺だが、昔は左程頭痛に縁がないほうだったのに、身体も変わるものらしい。
元々頭痛持ちだったオカカの指導宜しく、薬を飲んで大人しくしている。今、10:00にカロナール300rを飲んだ。
 後は楽な姿勢で大人しくしていよう。本位は読める。
 ひな祭りに相応しい青空も顔を出した山里だが、気温が低く木々の雪も落ち切らない。


 玄関先の心ばかりのお雛様。


 寒い弥生三日で、氷柱も下がっている。
 


3/2
 考えて見れば土曜日の今日、昨夜から20数センチの新雪が積もったから、スキー場は息を吹き返したかと思うが
そうでも無さそうで、車も余り登らない。
 一昨日の夜、20:00頃から、花火の打ち上げがあった様だが、我が家は閻魔堂の杉木立が伸びすぎて、その花火
が見えなかった。昔は2階のへyから良く見えた記憶があるが、定かではない。
 そろそろスキーシーズンも仕舞で、さよなら花火かなと思っていたが、まだまだ、客が来そうだから客寄せの花火イ
ベントだったのかもしれない。でも、一昨日は木曜日、なんだったのかな?うるう日以外に何もなかったと思うが。
 と、どうでも良い事を考えると、まだ収まらぬ頭痛が又ひどくなりそうだ。
 今日は雪が降ったり止んだり。頭痛もあるし、静かに過ごそう。
 30cm足らずの雪に覆われた山里。この時期とすればやはり小雪の冬だ。


 我が庭はまた雪に覆われた。猫の額の庭なれど、四季の移ろいが見える庭だ。
 
 
 雪の降る山里はまたそれなりの風情もある。


3/1
 折角楽しみに待っていた花の弥生だが、朔日は雪降りで明けた。
 我が山里芦峅寺の積雪はもう10cmを超えた。例年だとメーター単位なのだが、2月の温かさを経験してきているだけに
期待した3月の幕開けの天気に、がっかりしているのだ。
 雪は今もちらちらと降り続いているが、余り寒くはない。まあ、三月の雪だ。
 でも立山は今から降る。今は雪が少なくても、小屋開け4月にラッセルをしたという記憶もないではない。
 まあ、雪降る戸外を見ながら、しばらくぶりに小屋開けの事など思い出していた。
 山里が又こんな雪景色になった。


 庭にまた雪が積もる。三寒四温と云うが、今がそんな時期なのか。寒々とした景色である。
 


2/29
 4年に一度の29日、オリンピック日とでも呼ぼうか。
 昨夜寝しなから、珍しく親爺が偏頭痛で閉口している。オカカが若い頃頭痛持ちで、好く寝込む程の頭痛に悩まされたが
今はもう、ひどい頭痛は起こらなくなった。
 親爺の偏頭痛も我慢できぬほどのものではないが、何とも嫌な感じである。
 でも、今朝から牛筋の煮込みが食べたくて、昨日オカカが買い込んできた牛筋を、下処理し、今ストーブの上で下煮込み
をしている。
 YouTubeで拾ったレシピで、やっている。もう1時間ほど下煮込みをすれば、後は調味料を加えて本煮込みとなる。かなり
手の込んだ煮込み方だが、その分美味そうだ。でも今日は一晩味をなじませるのにそのまま置かねばならず、頂くのは明
日になるだろう。今夜はオカカがまたいい加齢を仕入れたので、親爺の大好物のから揚げにしてくれるそうだ。
 今朝もドローンを上げて見た。立山が春独特の見え方で、アイ(靄)がかかった春山遠望だ。うっかりズームを掛けたまま
撮影したので、何やら皆画質が悪い。まあ、どうせHPに乗せる前に画を縮小するのでそれなりに見られるが。
 久々に立山が見え、頭痛薬も少し効いて来た。


 もうそろそろ営業の終盤に入った、粟巣野、旧極楽坂スキー場。


 明日からイワナ釣りも解禁だろう。まだ左程喰いは良くないだろうが。


2/28
 今朝は青空が少し見えて、立山の方角は明るいので、昨日から取り掛かっているドローンのソフトのダウンロードをした
新しいスマホでのフライトをしてみた。
 今まで親爺は以前使っていて今は使っていないスマホをドローン専用として使っていたのだが、何かと不具合も有るので、
今現在使っている、新しいスマホに、ドローン用のソフトをダウンロードして使う事にしたのだ。
 そして今朝、その初フライト実験をしたという訳だ。
 結果、さしたる変化も見られないが、それなりに飛ばすことができたのでホッとしている。
 何だかよく知らぬが、全くの他社が、同じ様な紛らわしいソフトを出しているため、知らずにそれをダウンロードして、英語
版で色々な設定をしたが、もう英語も日常会話レベルまで能力が下がって、しかも耳が遠いのもあってそれすら怪しくなって
いるが、文字であればまだ会話よりはましだろうと、いろいろな設定をしていたが、何だか、途中で可笑しな関係のないCM
が立ち上がったり、うっかりすると有料のPROと云うバージョンのソフトに切り替えさせようと誘導するから、気が向けない。
 非常に不審に思って、DJIを名乗るそのソフトの発信者に、日本語で日本語バージョンに切り替えたいからどうすれば良い
かと、チャット形式で尋ねたら、Our Program only English と帰ってきて、しばらくして日本語の返事がまた届いた。
 これはあきらかにDJIの会社ではないと思った。で、色々調べた見たら、他社のソフトがDJIを名乗り出ている。作動はやや
おかしい処があるから使用をやめDJI公式サイトから改めてダウンロードした、と云う記事を見つけ、親爺もそうした。
 いやいや参った。こんなことをしていて、昼寝も出来ず、本も読めず、ほぼ1日をつぶした。親爺は夢中になるとのめり込む。
そして諦めるか、解決するまでかなり時間がかかる。若い頃なら体力がそれをカバーしてくれたが、いまや集中しすぎると疲
れ込んで、その他が出鱈目になる。
 がこの結果、昼寝もせずに一つ事に夢中になっていたからだろう。夜は良く眠れたのだ。
 ルーティーンと云う馴染みない言葉を使うのはいささか抵抗があるが、親爺の生活もルーティーンを見直した方が良いよう
な気がしている。
 今朝の我が山里。ドローンのテスト飛行を兼ねて撮影。


 ちょっと薄暗いが青空は見えている。


 打越山(美し山)金比羅社への石段と鳥居が見える。


 打越山の後ろにはまた山並みがある。


2/26
 如月の日もだんだん終わりに近づいてゆく。もうそろそろ暖かい日が来るはずだが、一週間ほど前の暖日続きの日は
何だったのだろうかと訝しくなるここ数日である。
 寒い。雪もちらほらだが降っていて、我が山里が実は筋金入りの豪雪地帯だったのだと気付く。
 等と云っても如何だ、外には雪など積もっていないではないか。僅かに家々の屋根や木立や不動山が雪を被り、雪化
粧しているばかりではないか。
 ああ、人とは際限なく易きに流れるものらしい。この程度の雪に何をくどくど・・・。
 それにしてもさっきは青空が出て、暖かそうな陽射しも降っていたのに、今また雪に変わった。
 今朝雪が止んで、青空が広がったのだが今はまた雪だ。


 今に豆に凝っているオカカが、大納言の甘納豆も作った。これはまだ濡れ甘納豆だが、もう少し乾燥してグラニュー糖を
塗せば、しっかりとした甘納豆になる。このままでも美味い。


 青空がしばらく広がって、辺りの気温が少し上がって、靄が立った。これで気温が上がるかと期待したが、また雪だ・・・。
 


2/25
 過日暖かい日が数日以上も続いたので、身体が温かさに慣れて、耐寒力が弱まると懸念していたが耐寒力は結構
残っており夜などもそれなりに暖かく眠れる。
 だが、温かく眠れるのは耐寒力があるからではなく、夜具を工夫したり、ストーブを焚いたまま就寝する様にしている
からで、今朝の寒さにはもうめげている・・・。
 今日は朝から雪降りだ。しかも気温が下がっており、居間のストーブと床暖に加え、補助的に使っている温風ヒーター
もスイッチを入れた。
 戸外の写真を撮るにも外へ出る事は元より、窓や縁側の戸も開けたくない程だ。
 まあ、71歳を過ぎた身としては致し方あるまい。背中に懐炉を張り付けてもらい、何とか寒さを遣り過ごしている。
 見てください。これが今朝の山里の雪降り。寒いよ!!


 屋根がまた白くなった。


 庭もまた白くなった・・・・・。

 


2/24
 9:30過ぎにドローンを上げた。
 大体予想通りの雪景色で、残念ながら立山方面は明るいのだが、上部はガスに覆われて全く見えなかった。
 でもこの降雪翌日の雪景色もまた面白いものだ。
 が、予想以上に寒いので、親爺のずぼら流、縁側の戸を開けてそこから離陸させた。
 庭先である程度の高度を上げれば焔魔堂の杉木立の上空を通って、次の杉木立を越せば立山がすっきり見えるはず
なのだが、ガスで見えず、カラスと思しき鳥の群れに囲まれてしまった。機体を目視で上げているから、空中戦を見ている
ような気がするが、先ず体当たりなどはない様だ。でも不気味なので、一気に20m程急上昇(垂直上昇)させたら、流石の
群れもどこかへ飛び去った。
 そんなアクシデントがあったので、景色の撮影がちょっといい加減になったが、最大飛行時間で10分余、冬季など安全を
見越して7〜8分で下ろすことにしているので、適当に期待を常願寺川に沿って下流へ誘導し、我が庭に導き、縁側から屋
内に入れ、着陸させた。
 まあそれでも結構それなりに撮れている。
 で、そのそれなりを掲載しよう。離陸直後、閻魔道の杉木立の手前だ。


 立山はガスで見えぬがやけに明るい。晴れているのだろうか。


 常願寺川には笹濁りの雪代水が流れている。


 親爺もそんなことで、まあ、元気にのんびり過ごしている。ずぼらなドローン遊びだ。


2/23
 また雪で、せっかく積雪ゼロとなっていた我が山里も、又積雪3cmとなった。
 が、こんなものは雪の中には入らず、全く寒さも感じない。身体はすでにかなりの耐寒力をつけているし、親爺のような歳
になっても、精々使い捨ての懐炉を一枚背中に張り付けておけば、凌げる。
 それにつけても東京の天気予報の大げさな事、雪が降ると云うと大騒ぎだ。
 江戸の昔にも雪の日はあったはずだが、こんな大袈裟な騒ぎは無かったろう。ある訳はない。精々瓦版ぐらいがメディア
のすべてで、マスメディアなどと云うものはあり得ない。でも”雪見とはあまり利口の沙汰でなし”等と云う当時の寒さを愉快に
伝える川柳などが残っていて、江戸の雪景色が目に見えるような気がする。
 それに比べれば我が雪国の当時の生活はどうだったのか、北越雪譜(ほくえつせっぷ)に詳しいが、これは現代語訳でも
出ているので、面白い。
 今、テレビがことさら雪を大げさに言わなくてはならぬには、異常なまでの過密都市東京の機弱性がある。何につけドミノ
倒しの恐れがあるほどの過密状態が至る所にあるからだ。
 朝のラッシュ時間に一人がステンころりとやると、とばっちりを受ける人も多い事だろう・・・。
 我が山里ならスッテンころりとやって動けなくなっていても、見つけてもらえれば幸いなくらいの過疎が怖いのだが。
 世の中うまくゆかぬ。
 冬の寒さを猛暑の夏に、猛暑の暑さを酷寒の冬に、どうにかやりくりできぬものかと、愚にもつかぬことを考える・・・。


 杉木立も白く雪に包まれ、花粉の飛散が抑えられている。


 我が家の庭にも雪見ができる程度の雪がまた降り積もった。精々ガラス越しの雪見なら、少し利口の沙汰位にはならぬだろうか。
 


2/22
 月一の薬もらい日の今朝、雪が降り出して、あっという間に辺りが白くなった。
 この程度の雪では車の通行に支障はないし、我が愛車は軽ながら4WDである・・・と、車検で出ているのだった。が、オカカ
のノートも4WDである。オカカは昨日薬もらいが終わっているし、オカカの車で出かけた。
 道路は融雪装置が作動し、びしょびしょである。本当に融雪が欲しい時は水不足で使えなかったのだが、今は常願寺川の
水量も、雪代水の様に増えている。
 千垣集落を過ぎ、横江集落から富山平野のはずれとなり、岩峅寺、立山町と走るころには雪がいつの間にか雨に変わって
いた。
 かかりつけの医院で待ち時間もなく、先生の診察を受け、薬を貰って帰ろうと思ったが、かなり余裕のある時間だったので、
帰路途中にある眼科医院へも立ち寄って、視力検査、眼圧検査等々先生の診察を受け、帰宅。
 我が山里は結構積もっているだろうと思っていたが、家に着いた頃には雪も上がりそうになり、12:05現在、雪は完全に降
り止んだ。
 それでも昨日とは全く景色が変わった山里だ。


 庭もまたうっすらと白くなっている。


 不動山もまた雪化粧。初雪の様だ。


2/21
 今日は朝から濃いガスに包ま阿れ、雨がしきりに降り続いている。
 気温も6℃程だろうが、寒くは感じない。数日続いた暖日には騙されぬだけの耐寒力が身についている様だ。寒
さを感ずることは無い。
 しかし外に出てドローンを上げる様な空でも無し、暇な体がますます暇になる。
 で、オカカ不在の今朝ながら、コーヒーを淹れ、昨夕寝しなに手に入れた、内田百閧フ「東京焼盡」の電子書籍を
読み始めようとしている。
 昨夜の夜更かしが祟り、今朝も眠いが、せめて午前中は起きていないと、夜に眠れぬようになる。
 が、おそらく内田先生の本である、5ページも読むとぐっすり寝込んでしまうかもしれない。
 素晴らしい文章でつづられた随筆風の日記だが、当時の世相を、そして日本人が初めて経験した空襲爆撃と云う
異常事態が、生々しくも淡々と綴られている。らしい・・・。らしいと云うのは未読だから。
 一昨日もつ煮込みを煮て、鍋ごと冷蔵庫に寝かせてある。今夕は煮込みを主菜とした一片食を計画。
 長閑な濃いガスの中の雨の山里だ。


 珈琲は親爺の好きなグァテマラ。今は精々一杯を飲むばかり。  東京ショウジンである。興味深い百關謳カの一冊だ。
 


2/20
 2月も余すところ10日を切った。
 屋根雪の心配をするほどの大雪も降らず、寒さもそれほど厳しくはなく、暖冬小雪と云う言葉が実に素直に響く。
 親爺やオカカには本当にありがたい冬であった。
 しかし、もうすでに旅立っておられる東北出身の漫画家、エッセイストであった矢口高雄氏の「ふるさと」を読み返
していたら、何やら心細くなってきた。
 矢口高雄と云えば、釣りキチ三平や、バチ蛇ブームを作ったことでも有名であるが、氏の故郷は秋田県の山間地
であり、雪に降りこめられた生活を成人するまでそこで経験している。
 親爺たちより10歳余り年長である氏は、「ふるさと」の中で雪国を実体験に基づいて描いている。その内容が誇張
でない事は同じ雪国育ちの親爺にはよくわかる。
 が、氏の晩年に近い頃の作品で、当時健在であられた氏の御母堂と電話で話すシーンがあり、その会話は現在の
暖冬を予告していた。
 「昔の雪に閉ざされた冬は、今より多く雪が降ったからだ。機械で道を開けるという事以上に、先ず雪の降り方が違
っていた・・・。」と、御母堂が宣い、氏が「んだなぁ!」と納得するシーンだ。
 まさしくその通りだと思う。親爺も同意見だ。
 だから何やら、暖冬が有難いのに、心細くなるのだろう。
 閻魔道の屋根の雪も解け切ってしまって、今朝は雨が屋根を叩いている。


 雨の外の風景はまるで春先だ。


 我が庭の雪もこの雨で完全に解け切るだろう。


2/19
 今日も昨日同様暖かい日だ。
 車庫の屋根の雪がすっかり解けて、乾いた鉄板の上に埃が待っている。年に寄れ名未だ1m以上の雪があっても
ちっとも不思議ではない頃なのだが。
 暖冬を期待し、雪の降らぬ日々を有難いとは思うが、こうも早々と暖かくなると、矢張り気持ち悪い気もする。
 こんなことを親爺ごときが心配しても始まらぬが、大自然の気まぐれは怖いものだ。
 毎日時間がたっぷりあるのだが、中々何かを始めようという気にはなっても、実行が伴わぬ。
 昔は思いつくより早く体が動いて、じっくりと事を構え実行することは無く、やり始めてから慌てて準備不足を嘆いた
ものだが、その分多くの事を同時進行でこなす事も出来たかもしれぬ。
 今は、じっくり準備をして物事をなすことができるような気がするが、気力がだんだん薄れ、何もできない。
 これを老いと片付ければ簡単だが、それを否定する自分もいて、大きなジレンマの中で何もしないでいる。
 まあこんな状態ではあるが、まだまだやりたいことがあるだけ、良いだろう。
 雪解けの進む山里で、堂々巡りの愚にもつかぬことを考えている親爺だ。
 屋根の雪が解け切った我が家の車庫。


 庭先の雪も屋根の雪が落ち切って、後は解けるだけだが・・・。



2/18
 全く面白くない日だ。
 天気も中途半端だし、気温は20℃近くまで上がるそうだが、何やら気だるく眠気ばかり・・・。
 どうも悪い癖がついて、日中に昼寝などするものだから、夜の睡眠が浅く朝の目覚めが悪い、今朝もそれでオカカ
に叱られた。(で、面白くない日。)
 もともと学生時代は夜型だったけども、履修科目をうまく午後に集中させ、いくらでも朝寝のできるようにしていた。
 学校まで徒歩10分余り、速足なら5分と云うところがアパートだったから、親爺のアパーとは仲間のたまり場で、いつ
も賑やかだった。けど、大方は夕刻18:00前に帰ったし、それ以降に来る奴は泊組だった。
 まあ、楽しい学生生活、だったが、朝刊を読んでから寝る様な夜型生活、早くて正午の起床だったから、翌朝にバイ
トを持ってるやつらはそそくさと起きて帰って行ったものだ。東京のど真ん中で実におおらかな長屋のような暮らし、盗
られる物など何もない暮らしで、半世紀前の東京はまだおおらかだった。
 と、話は頓珍漢に飛んだ。
 昼寝の癖がついて夜の睡眠がおろそかになっている親爺の話が本題だった。
 もう今の11;00には少し眠気が来ている。1時間余後に昼食を頂いて、そのあとがツイツイ不覚の昼寝となり、30分
ほどで目覚めればまだしも、1時間余りも寝込む様ではやはり夜の睡眠が疎かになる。
 まあ冬の朝の寒さも理由だろうが、それを言い出すと春の温かさも理由となる寝坊だ・・・。
 さて午後からは何かに手を出して、眠ってなど居れぬ状況を作らねば・・・。プラモでもとりかかるか・・・。
 隼2型。機種機関砲が12,7oに改装され、ペラも3翅ペラとなっている。


 常願寺の水がずいぶん増えている。イワナが釣れそうだ・・・解禁日はまだだが。


 我が家の屋根の雪もほとんど落ちた、




2/17
 昨日寝しなは左程感じなかったが、気温は低くなっていた様だ・・・・・と思っていたら、いつも親爺が寝室で3時間
程だけ焚くストーブの、温度設定を最低にしていた様だ。オカカが部屋に来て「なんか温かくない」と云ったので気
付いた。何時もは15℃の設定だが、10℃(最低設定温度)になっていたそうで、きっとタイマーを弄っていた時に、
設定温度まで弄ってしまったものだろう。
 寝室での操作という事で、割と薄暗い中で操作し、しかも旧式なストーブなので、そんなこともある。
 で、温度を15℃に戻し夜具に戻ったら暖かくなった。
 寝そうになっていたのに、変な事でばたばた起きて出たりしていたら、眠れなくなって、本を読み始めた。
 内田百閧フ御馳走帳を読んでしまったので、何やら寂しく、次の本が見つからぬまま。隣の部屋の本棚に入って
いるはずの百鬼園日記帳を探して読もうかとも思ったが、枕もとに本を山済みする悪習慣は、電子書籍のお陰で
改善され、完全ではないがその本の山が邪魔になることは無いくらいになっている。
 で、大好きな百關謳カの文章をちょっと離れ、いったん中止していた現代作家の時代ものを読みだした。
 これはこれで面白く、結局3:00ころに寝落ちするまで読んでいた。
 で、今朝は寝起きも悪く、昼近くの今になってようやく頭が回るようになって、これを書いている。
 立山はガスで見えぬ。


 陸軍一式戦の前の97式戦闘機。これは陸軍初の定翼単葉全金属性の機体。格闘戦の強さは群を抜いた。


 不動山も立木の雪が殆ど解け、まるで初雪の頃の様だ。


2/16
 昨夜寝しなは雨が降って、屋根にしがみついていた残雪をすべて流し落とした。 
 処が今朝目覚めて見ると、屋根にはまた新雪が積もり、辺りの木立も雪に覆われていた。夜中か明け方に降り
積もったものと思われる。積雪量こそ2〜3cmだが。
 今日は叔父の祥月命日だ。父の弟で、母の妹と一緒になっていた叔父で、村内に分家して住んでいただけに、
そして男の子がいなかったから、親爺にイワナ釣りや鉄砲撃ちなどを教えてくれた親のような人だった。
 普段は温和で優しい叔父だったが、山へ入って山歩きをするときの叔父はスーパーマンだった。余人の追随を
許さぬ膝の良さ(バランス感覚が良くどんな岩場も悪場も平然とこなす能力を我が山人は膝が良いと表現した。)
又山スキーも名手で、叔父のトレースを付いてゆくと必ず、考え込んでしまう様な下りがあって、しかもそのトレー
スは樹木茂る崖をまっすぐ下っているのだ。親爺も若い修業時代に、幾度もそんな目に遭い、腹をくくって後に続
いて、ある時は背中の銃を木立にぶっつけて銃身を曲げてしまうしまたある時は着地点で大曲がりしている叔父の
トレースを直進して、大きな吹き溜まりに落ち、脱出に10分以上もかかると云うことも有った。
 でも徐々にそれが自分でも上手にできるようになった。所謂立山ガイド伝統の棒ズリスキーである。大きな荷を背
負っていたり、鉄砲を背に獣を追うための実用スキー技術であったろう。
 懐かしい叔父である。
 今日は閻魔堂の法要の日、叔父の祥月命日がこれに重なっている。
 やはり優しかった叔父は仏の性だったのだろう・・・合掌
 雪でまた白くなった我が山里。


 父が第一次南極観測隊員に選抜された時、「東京県人会芦峅會」より送られた油絵だが、今年春先だったか、下げて
いたひもが劣化し切れて下に落ち、ガラスも割れ額も少し痛んでしまったので、暫くオカカの刺繍を飾っていた額を借りて
下げていたのだがやはり親爺が子供のころから見慣れた立山の画ではない様で、寂しかった。
 で、昨日、注文していた特注サイズのアクリルボードと吊り下げようのワイヤーが届いたので、エポキシで修理した額縁
に立山の画を戻し、ワイヤーで居間の壁に飾った。額縁で絵が落ち着いて、親爺も父の往年の姿を思い出した。


 昨日は陸軍一式戦を載せたが我がプラモの原点はもう一つ、零式艦上戦闘機である。


 今日は法要の行われている閻魔堂も雪を被った。


2/15
 青空は昨日の半分も広がっていないが、気温は昨日を超えている。
 11:00で16℃を上回った。しかも観測点での話なので、ちょっと外へ出て見るとムワーッとした温かさを感じ驚いた。
 オカカは3月に一回の通院で、市内へ出ているがさっき混んでいて13:00頃にならないと帰れないと電話が来た。
 天気がいいと、寒い冬の間家に引っ込んでいた先輩方が、オロオロと病院へ出てくるのだろう。
 親爺は久々に飾りケースに入れたままになっている、10年前ほどのプラモをチェックして見た。暇つぶしにちょうど
の作業だが、矢張り埃をかぶらないケースの中に置いてあるからか劣化は見られぬ。
 ただ時間の経過の身が付け得る、重みのようなものが全身についていて、ぐっと気分が出ている。
 親爺のプラモの原点が、海軍零式艦上戦闘機と陸軍1式戦闘機隼である。
 特に子供の頃に読み親しんだ「大空のちかい」と云う戦記漫画ブームの走りのような作品で出てくる「隼」T型には
思い入れが大きい。三つ子の魂百まで、物語を思い出し直ぐにその世界に入れる71歳である。
 良い具合に古ずみ歴戦の機体の趣がある、と見えるのは親爺だけか・・・。隼T型は2翅ペラである。


 今日の屋外は暖かく、雪もどんどん解けてゆく。
 

 我が家の庭の雪も益々少なくなった。
 


2/14
 温かいを越えて暑い超暖冬日?の今日であり、親爺もまたトレーナーを脱ぎ、フリースも一番薄手に着替えた。
 天気は頗る良く、雪こそまだ残っているが、春先の気候である。
 山里の事ゆえ朝などは寒いが、日中のやや高くなった位置からの陽射しは暖か味を増している。
 今日はドローンもまだ飛ばしていないが、外が明るすぎて、スクリーンの画像がチェックできない。冬の乱反射の激し
い戸外では、専用のスクリーンカバーも役に立たぬ。
 陽が少し傾いた午後ならば良いかもしれない。
 今日はバレンタインデー、唯一無二のチョコをオカカから頂く。親爺の好きなウイスキーボンボンで、今年はモロゾフ
のウイスキーボンボンだった、砂糖がシャリシャリして、ちょっと辛いウイスキーが口中に広がる。
 下戸の癖に子供のころからウイスキーボンボンは大好きだった。
 さて今日は午後から久々にインドカリーを作る。ひき肉を使った所謂キーマカレーの予定。オカカが薄カツを揚げる
予定で、インド風カツカレーにする。多分美味いだろう。
 大日が眩しい今朝であった。


 しめ縄の位置を前面の神棚吊り台枠にしたら、祖父宗作が買ったという神棚が更にありがたくなった。この神棚は戦時中
火事にもあっており、恐らく彦叔父が抱えて外に出したのだろう。父は海軍航空隊、次男の叔父は予科練に入っていて、由
一の男は当時未だ13歳の彦叔父だけだった。この神棚は崩壊寸前、親爺がエポキシ樹脂で修理し、今に至っている。


 今年もまた、オカカからの唯一無二のチョコを頂いた。有難し。


 我が庭に雪もめっきり少なくなって、車庫の屋根の雪も例年になく軽々としている。超暖冬だから?
 


2/13
 良い天気の火曜日だ。昨日が振り替え休日の月曜だったので一寸混乱する。
 所謂ドッピーカンの今日、気温もぐんぐん上がって、親爺でさえトレーナを1枚脱ぎ捨てた。
 朝からドローン撮影だがいろいろなチョンボばかり。一つ一つ考え解決していくから少しずつは上手くなっていくだろう。
 今は手元スクリーンの画像を見ながらの操縦訓練中。でもやはり今までは飛行体を見ながらの操作がメインだったか
ら、FPV画像(以下、スクリーン)での操縦には恐怖が伴う。
 今朝は縁側からドローンを上げ、かなり上空まで上げて山の撮影をしている時、古い友人が散歩で通りかかり、声を
掛けてくれた。僅かの間だが、それで機体は視界没。「元気で居れよ。」と挨拶を返し、後はスクリーンを頼るしかない。
 機体をいったん常願寺川寄りに移動し、後は川に沿って右岸側を下って、凡そここだという景色を見つければ、右岸側
に我家が確認されるはず。で、適当と思しき処で機首を村の方に向けて、家を見つけ接近してゆく。かなり近づいたが如
何にも我家ではない。高度を下げそろそろと近づくと、、我が家より下手にある叔父の家だ。大きな家なので良くわかる。
で、落ち着いて機体をホバリング周りを見ると立博もある。と、ここでバッテリー低下のアラーム。速やかに帰還せよとなる。
 慌ててオートリターンを押した。自動帰還モードはいったん高度を上げ、登録地点上空に来てから垂直に降下する。
 スクリーンから目を離さずカメラを下に向けてどこの辺り上空化を見ていると、我が家の屋根が見え、高橋家の煙突が
見え、降下が始まった。と前の生け垣の辺りに下りてきたドローンを確認。ホッとして直ぐに手動モードで機体を誘導、縁側
に誘いこみ下ろした。
 まだ慣れぬから、結構スリリングである。が面白い。しばしトレーニングを続けよう。動画はこちら。
 今日の立山の峰々は神々しい。


 常願寺川右岸上空から本宮集落を見る。


 我が家辺りと見当をつけ下りたら叔父の家、立博も見える。一寸下手に来過ぎた。とここでバッテリーアラーム鳴動。


 慌ててオートリターンモードで帰還。あ、我が家が見えた。


2/12
 まだ連休の最終日で、今日は確か降り代え休日らしい。
 昨日はスキー場が賑わって、15:30頃から帰りのラッシュを避けて下がって行く車の列が増え始めた。 
 黒部に帰宅する長女と孫も、その時間に「混みあう前に帰るね。」と帰って行った。
 さて、その後はまた親爺とオカカの二人暮らしに戻り、少し寂しくはあるが気ままな生活が戻ってきた。孫がいると何か
と話題も多くなるし、孫の可愛いおしゃべりが楽しく心を和ませてくれる。だから孫が帰った後はホッとしながらも一抹の
寂しさを味うのは何時ものことだ。
 で、静かな時間は戻って来たので、漫画本を読み過ごした。
 AmazonのKindleで古い漫画本などを沢山、月契約のKindkeUnlimitedと云う安価な料金で読む事が出来るシステムがあ
り、そこで新しい漫画本にはほとんど興味がない親爺は、往年の名作漫画を探しては懐かしく読み耽っている。確か月々
1000円足らずだったろうか?
 で、今はそこで見つけた、矢口高雄の名作「おらが村」を読み始めている。以前、多分30代全般だった頃、初めて本で
めぐり逢い全部読んで、大切な我が蔵書(漫画だが)として車庫裏の親爺部屋の書庫に収蔵しているはずだ。
 いや何度目の読み返し赤解らぬが、電子化された書籍だから、スペースも取らず便利で、しかもタブレットのSDカードの
容量一杯に詰め込める。
 文字で読む無限の広がりを持つ小説と、絵で描かれる限定的世界の物語は違う様で同じである。
 表現手段に絵が加わることで、イメージは固定されるが、視覚から直接入って来る世界は非常に身近になる。
 だから良い漫画は良書を駆逐するではなく、凌駕する事も多い。
 で、今親爺は東北の寒村のおらが村で、孫が帰った寂しさもワスレ、しばし遊んでいるわけだ。
 今日も何事もなくのどかに時間が過ぎてゆく。有難い。
 青空も出てきた。


 黒部はババと雪遊び。嬉しくて大はしゃぎ。東京はジジが送った飛行機やシンカリオンの玩具で上手に遊ぶようになった。
 


2/11
 建国記念日である。政府が日本神話からのこの由来をもっともっと明確にすればいいのだが、中には非科学的だの
ぬかす愚か者どもが多いので、気兼ねしているのだろうか?ちっとも建国記念日らしくない。
 多くの国々が建国記念日を神話やら、伝説を基として決めているが、建国記念日などそれでよいのだ。
 いつの間にか、国として出来上がっていたというのが国である。それではいかにも格好がつかぬので、神話の出来事
や、伝説の一部を体系的につなぎ合わせ組み立てて、切の良い時を建国の日と決めたに違いない。
 まあアメリカなどのような新しい国は独立宣言をして建国日としただろうが、そんな国は少ないだろう。
 1000年以上も続く国で、そんな昔の事など、正確にわかるはずもない。
 とにかく政府が定めたのだから、「建国記念の日」等とあいまいな表記にせず、堂々と我が国の神話から取った、建国
記念日であると宣言すればそれでいい。
 クマから生まれた王や、カエルの卵から生まれた王でも国の祖であったとする国もあるが、それを否定しあざ笑うような
野蛮なことは決してしない。
 神話は自由で無限の広がりで何でもありの世界なのだ。
 神武天皇が生きていたとされる時期の事など、だれがこうだと断定できよう。神武天皇が即位した日などどこかに無責
任に書かれていたとすれば、それが矛盾しようが何だろうが、この日と特定すればいい。
 そして、建国記念日とすれば良いだけの話だ。
 孫が来て楽しい祭日。良い天気になった。


 ジジに見せても分からないけど、面白いんだよ・・・私の雪遊びはこちら。    オイラパパと二人ではま寿司で食事だよ。
 

 山里はまだ寒い。今朝は雪が舞っていた。



2/10
 今朝は高曇り。たまに陽射しも降るが、概ねが雲に覆われて、立山もわずかに大日の下部しか見えぬ。
 何だかここ2、3日、夢ばかり見て目が覚め、眠りが浅い様だ。夢は別に悪夢などではなく、子供たちの声が家中に響
き渡っていた頃での夢で、父母も生きており、内容は大した意味がないらしく記憶にはない。
 昨夜は幼い長女が熱を出した夢、オカカが看病していた。その前は何だか子供が遊び回りはしゃぐ家の夢で、その前
は父母がいるのが当たり前のころの夢であり、内容は殆ど記憶にない。
 ただ共通しているのは目覚める時に、俺とオカカと二人しかいないのだと云う一抹の寂しさ。
 何故なのだろうと、夢占いをする気にはならぬが、今年元旦の大きな地震と、被災者の皆さんの哀しい出来事を見続
けたことが、親爺の夢に関わっているような気はする。
 日々の何気ない生活の繰り返しの、何と有難い事だろうか。変わらぬ生活が永遠に続くことは無く、少しずつの変化は
必ずあるのが人生だ。
 だが、基本的に人は変化を恐れると云う。良いにつけ悪いにつけ必ず変化はあるのだが、そのいずれもを怖がるのが
人間だと云う。
 だから、父母はすでに旅立って、娘らもそれぞれに家を出て、各々の生活を送っている事が重々解ってい乍ら夢の中
では昔を見、目覚めて今の二人暮らしを認識し、一抹の寂しさとともに無変化に落ち着くのだろうか。
 今日は孫がお泊りに来る。眠くなるまでジジの布団に入り、いろいろな話をしてあげるのが楽しい。
 今宵はやや疲れ、夢は見ぬような気がする。
 大日も山裾しか見えぬ今日だ。


 新雪の朝、我が家からはこんな風に見えていた閻魔堂だが・・・


 昨日夕刻、ドローンで慎重に近づいてゆくと、薄暗い杉木立の中に佇んでいて少し有難く見えた。


2/9
 1月余りぶりに、明日は黒部の孫がお泊りに来る。小さなときは毎週来ていたが、それが2週間に1度となり、最近は
1月1度が精々だ。まあ、これも成長の証拠だろう。ジジババの懐より、友達と遊ぶ自分の世界が面白いのだ。
 前の下の乳歯が抜けて、永久歯が出てきたそうだ・・・あまり慌てて大きくなるなと云うジジの身勝手な想いは届かぬ。
 まだまだ駆け寄って抱き着いてくるが、1年生になるこの春は、嬉しくも寂しい複雑なジジの気持ちだ・・・。
 孫と云うと無条件にかわいいとは、十分経験済みだが、成長の早さに驚く。過日は東京の孫にさえ「ジジは年寄りだ
から走ると苦しくなるよ。」と云われてしまった・・・。
 この後明日用のラーメンのスープを仕込み、焼き豚と、メンマも煮なければならない。孫のリクエストだから力が入る。
 ドローンも飛ばしたいし、料理も楽しいし、ジジもこれで結構忙しい。
 瀬戸蔵(称名川と常願寺川の合流点)から大日岳山頂を一望する。航空写真ならではの一枚。


 昨日はオカカの誕生日。3人の娘たちがそれぞれに贈り物を送ってくれた。
 三者三様の品々。長女はカニ、次女はバラの花束、三女は銀座千疋屋のアイス。


 我が山里もかなり雪が溶けた。尤も最大で90cm余しか降っていない暖冬だ。


 雪解けが進むのか、常願寺川の水が増えた。


2/8
 朝一でドローンを飛ばしたが、撮影が全くうまくいかず露出オーバーの動画となった。
 だからここに切り取って掲載するつもりだった写真が全部だめ。補正も利かぬレベルだ。
 午後にデモもい一度確り設定をし直すが、思わぬところで下手をした。思い当たることは一つだけ。
 マビックミニ2を購入して、何フライト化したのち、同じモバイル機器を使って、古いミニを飛ばしたのだ、ちょっと操作が
おかしくなった気もしたが、気にならず最後には手元に戻り、回収した。
 で、今朝そのままミニ2を飛ばしたのだが、機体操作には何ら問題はなく、ただFPV画面の絵が白っぽいどころか、なん
だか完全露出オーバーの画だった。
 で、回収して画像をPCに取り込んだが全く前述のとおり露出オーバーで、使えなかった次第。
 一応弄った覚えのないカメラ設定を初期に戻してはおいたが、さて午後の試験フライトはいかに・・・。
 いい仕事を作ってしまった・・・。
 今朝の山里。これは手持ちのカメラで撮影。


 お熱が下がって、病み上がりで食欲が出てきた。偉いぞ!!      おいらは風邪もひかず元気でグランピングに行ってきた。でもちょっと
コンコンが出てるので今日は千葉のババが来てくれて、保育園はお休みだい!!
 二人の孫の便りが親爺とオカカの心を癒してくれる。可愛いものだ孫とは!!!
 


2/7
 オカカが買い物に出かけたので親爺は留守番。
 今朝は寝起きが悪く、朝起きてからしばらくは眠けが取れなかった。恐らく寝付くのが遅く、睡眠も浅いのだろうと思うが
ひょっとすると昼寝がいけないのではとも考える。
 昼に本を読み乍らウトウトし、ついには小一時間も眠ってしまう。こんな状況だから夜になって21:00代には夜具に入る
様にしているが、目がすっきりと冴えているので本をまた読み始める。この時間の読書が一番集中できる。
 で、気付くと御前様で、実際に眠りに就くのは1:00過ぎだろう。
 この時間に睡眠薬でも飲めば、朝まですっきり眠れるはずだが、もう少し早く寝ようと23:00頃に薬を飲むので効き目が
殆ど薄れ、眠れぬのだろう・・・。
 まあ、年を取っても毎日快眠と云う人もいるだろうが、大抵は眠りが浅くなるものらしい。
 今朝降った雪が、又裸の広葉樹の枝に纏いついていた。
 目覚まし代わりのドローンフライトで撮影した。
 

 立山の方向はガスの中だ。


 村の家々も屋根が皆白くなっている。


2/6
 昨日は一日中チラホラと雪が降り続いた。気付くと凡そ30cm穂とも新雪が積もっていた。
 落日とともに雪雲が切れたか、その後夜半には全く雪降りは止んでいたようだ。
 昨日はあまり外を見なかったが、今朝青空の下だとやれやれとほっとした気分で外を眺める気になる。綺麗だ。雪景色
が本当に綺麗だ等とはいかにも身勝手な人間の想いだが、それでも綺麗なものはきれいだ・・・。
 朝日の中の雪景色を、温かい居間のペアガラス越しに眺めた。


 思ったより積雪が多い様だが、痛痒を感ぜぬレベルである。


 半世紀前以前に4年暮らした東京、今は次女夫婦と孫が暮らす。その東京の大雪警報を、心配しながらも笑ってしまう親爺だった。
 


2/5
 いよいよ本当に寒さの厳しい時期は過ぎた。昨日は立春だったからで、これは暦の上での話である。
 我が山里の事だから、まだまだ安心はできぬが、雪は恐らく心配が要らなくなるだろう。と、言っていたら小雪が舞って
きた。今日は東京あたりでも雪が降るかもしれぬと、朝からテレビは大騒ぎだ。何でも雪の備えがないから、数cmの雪が
警報級の大雪となるらしい。
 雪に慣れ切った我が山里なら、10cm以下の雪など話の種にもならぬ。
 こんな大騒ぎをしながら、スノータイヤの着用を義務化せぬとは不思議である。12月半ばから2月一杯は東京都内の車
でもスノータイヤ(スタッドレス)をなぜ義務化せぬのだろう。せめて業務用車両だけでも義務化できぬものだろうか・・・。
 そうすればタクシーはスムースに動くだろうし、物資輸送の車もスムースに動く。そして雪が積もってるときはスノータイヤ
を履かず走行すれば違反という事で取り締まればいい。
 実に簡単な事なのだが、なぜしないのだろうか???
 我々雪国人は、12月にスノータイヤを装着して、3月いっぱいはそれを履いている。


 あられに切って干してあるお飾り餅(鏡餅)もソロソロ乾くかな。


 庭の雪もずいぶん無くなったが・・・


 親爺の背後では、ドローンの充電作業中。本体に操縦器に、FPVパネルとして使う古いスマホも。


2/4
 節分も終わり今日は早嬉しい立春だ。昨日の今日で、寒の中の寒さが春の陽気になる訳ではないが、立春と云う言葉
が温かそうで、気もほぐれる。
 昨日遅くまで豆まきを忘れていた。オカカが孫たちにラインメールを送ろうとして、突然気付いた。
 「豆まきした?」と書こうとして、「ああ〜、家が豆まき忘れてる!」となった訳だ。
 で、慌ててかねて用意の殻付き落花生を数粒ずつ、座敷と、居間と、玄関に撒いて豆まきとした。
 気は心、鰯の頭も信心から・・・。
 我が家に福が入り込み、鬼は外へ追い出された。
 昔の3人娘が小さい頃の豆撒きは、母が元気で、先頭に立ち行った。随分賑やかにやったものだ・・・・・今は昔の事。
 それでも豆撒きはちゃんとオカカが終えて、今日の立春を迎えたのだ。
 20:30を過ぎたころ、黒部の孫と、東京の孫がそれぞれの家で豆撒きをした様子が送られてきた。
 3人娘の育った山里の家は、まだ雪が残っている。


 パパが鬼役で、かなり思い切って豆を投げつけられている。
 

 東京もパパが鬼役。男の子は投げ方も強い・・・。


 最近親爺が読んでいる電子書籍。これは可笑しい!!

 


2/3
 寒い朝だったが、ごついいフリースを身にまとい、座敷の縁側の戸を開け、そこからドローンを飛ばした。
 立山がきれいに見えていて、縁側からは伸びすぎた杉木立が邪魔をして、大日しか見えぬが、ドローンカメラは立山
連峰の雄姿を高所からきれいに映し出す。その絵は、手元操縦器のFPVスクリーンにきれいに映し出され、動画だろう
が、静止画だろうが、好きな時に撮れる。まあ、大概は動画で連続的に撮っておき、後でその動画から切り取る。
 しかしきれいに撮っておきたい静止画も、高画質のカメラに切り替えて、カメラ宜しくパシャパシャと撮れる。
 まあ、便利なものだ。新型では更に2倍〜4倍のズームも使えるようになっている。尤もデジタルズームなので画質は知
れているが、楽しい。
 特別写真が好きなわけでもないが、長年の山小屋暮らしで多くの写真家と友達付き合いをし、いろいろな写真を貰った
り、写真展に招かれたり、大判の写真集を頂いたりするので、眼は肥える・・・が玄人の写真家と云うのは決して、写真の
ノウハウなど教えてくれぬし、割と癖のある人が多いので、心からの気の許せる写真家の友人はそう多くはいない。
 まあ小屋を引退してから、すっかりそういう人たちとも縁が遠くなったが、素人の写真好きも数多居り、未だに親爺との
付き合いが絶えぬ連中もいる。
 親爺もかなり癖のある方らしいので、未だに親爺とお付き合いいただいている連中は、とてもおおらかな気の良い人たち
ばかりなのだろう。
 今朝の山里は寒かった。


 雪も降らぬのに融雪装置を入れている家々の屋根まで、白く水蒸気が凍結していた。


 鍬崎山もよく見えた。


 大日も綺麗だった


2/2
 親爺は昔から、ゴロリと横になって本を読む。
 本を読むのに良い姿勢だとは思わぬが、これが親爺には長時間集中して読み込める姿勢だ。
 特に昨今単行本サイズの電子書籍リーダーが出てからは、夜早々と夜具に入り、あおむけに寝て読書するのが一番
楽で、読書に集中できる。
 これでは寝たきり老人予備軍だと、オカカが心配するのも無理はない。だからせめて午前中いっぱいは机に向かって
PC作業をし、なるだけ横にはならぬ様に心掛けているし、まあ、リハビリ体操程の軽いストレッチも欠かさぬよう努力して
いる。
 だが、午後になると、特に昼食後に昼寝をすることが習慣になっており、40分程度で目覚めればよいが1時間を超えて
寝込んでしまう事も間々ある。
 だから夜更かしが長くなり、0:30前に寝ることは滅多に無い。悪習慣の連鎖である。
 まあ、71歳を過ぎて老年に入っていることを自覚してはいるのだが、無理に若作りにしたり、元気に走り回っている先輩
がたも多い。が、親爺はそれを真似て元気に飛び回ろうという気はない。
 体調の問題、昔からの生活スタイルの問題などで、いまさら自分の生活スタイルを変えようとは思わない。
 許される範囲で美味いものを喰い、のらくらと本も読み漁りたい。たまにはオカカと一緒に旅に出て、あちこちをのんびり
と見て回りもしたい。後は孫たちの成長を見守り、甘いジジで孫と仲良く過ごしたい。
 とにかく傍から口を挟まれたり、物事を強制されるのは御免だ。
 好きな読書をし、孫との時を過ごし自分の好きな様に、許される限り気ままに過ごしたいのである。
 で、最近の親爺の読んでいるもの、8割が読み返しとなるが、電子書籍で読み返しているので気楽だし、最近の肌に合
わぬ作家の本など読む気に慣れぬ、偏屈爺でいいのだ。
 立山のふもとの村で、静かに老後を送る親爺だ。日々の何事もない自由な時こそ我が人生の至福の時である。
 昨日の小雪が、裸の木の枝に白く凍てついている。寒い朝だ。


 内田百閧フ御馳走帳も、池波正太郎のエッセイ集も親爺には座右の書だ。御馳走帳を初めて読んだのは多分30代。
池波正太郎も殆ど全作品を読んでいるが、読み始めは30代だったと思う。
 70を過ぎた今も何度読んでも読みごたえがあり、心にも美味いのだ。
 

 豊田譲氏も好きな作家。海軍兵学校出の匂い、満州国での幼少期の体験が戦前のうかがい知ることも出来ぬ時
を目の前に展開して見せてくれる。
 典座教訓は食い意地の張った親爺への戒めの書として認識している。読んでためになる実用書なのだ。
 

 猟人日記は好きではない(嫌いな)ロシア文学の中にあって、唯一親爺が楽しく読めるツルゲーネフの名著。
 株屋ギューちゃんの一代記は、親爺にとって忘れえぬ娯楽大作。もう何回読んでいることか・・・。
 と、一冊(器)のブックリーダーにこの数十倍の本が入っていて、何処へ行くのにもどこででも、好きな様に読
めるのだから素晴らしい。充電さえ忘れないでおけばプライベート図書館を持って歩いているようなものだ。
 便利になって、ペーパータイプの画面故目の疲れも最小だし、もう手放せない。
 


2/1
 山里の2月1日は雨で明けた。昨夜は屋根の残雪が音を立てて落ちていたから、昨夜から降り出した雨なのだろう。
 本来なら、まだ寒の中。大雪が降り続いていてもおかしくない時期だ。
 暖冬予報は当たり。小雪予報も当たりで、随分過ごしやすい冬だ。
 今年の1月は決して長く感じなかった。それと云うのも元旦の能登大地震発生で、親爺も71歳を過ぎて初めて震度5
と云う大地の揺れを、体験した。
 子供たちや孫も帰省していた正月に、のんびりした気分で始まった令和6年だったが、とんでもない大災害が発生し
てしまったのだ。
 我が山里に被害は殆どなかったが、正月気分もがんたん16:00過ぎまでの事。後は皆テレビの前で、PCのSNSで
どんどん入って来る災害の情報に、息をのみ、心騒がせた正月となった次第・・・。
 お見舞いの電話や、安否確認の電話など、沢山いただいて、気にかけてくださる人々に感謝した。
 まあ、のど元過ぎた出来事だが、被災地の皆さんのご苦労をしり目に、自分たちの生活は普段に戻り、しかしその
普段の有難さを今もかみしめる親爺であった。
 月は改まっても普段に戻れない被災地の皆様、どうぞ一日も早い復興を祈ります。
 雪の少ない、季節外れの雨が降る山里の如月朔日。


 不動の山も黒々としている。
 


1/31
 いよいよ正月も今日だけとなった。
 元旦に大地震を経験した、何とも言いようのない正月だった。
 昨日、能登の七尾の山間地で山小屋生活を送っておられる方のYouTube動画を見た。幸い家屋が倒壊するような
被害はなかった様だが、あの揺れの瞬間を動画に記録されており、何とも凄まじい画像だった。
 小屋内部は家具や、棚が倒れ、酷い様子、震度は5強だったそうだ。
 その揺れの瞬間に何を感じ、何を想っていたか殆ど記憶にないそうだが、その気持ちが親爺にも解る。
 こちらは震度5弱と云う揺れだったが、親爺にしてみれば思いもせぬ、かつて経験したことのない揺れだった。東京
の孫、松本の末娘も家にいて、揺れ始めたあの時、親爺は起き上がり玄関に出て、戸を開け外を眺めた。なぜそうし
たのかは今は記憶にない。
 車庫の電動シャッターを開け、「万一の時は車庫に全員避難だな」とだけ思い詰めていただけだ。
 そして我家に向かっている長女と孫に連絡を入れ、安否を確認した。もう数分で家に着くが、初もうでの渋滞の中で
10分余りかかって、家に着いた。
 その頃には揺れも治まっており、皆家に集合したので、心からホッとしながらも「万一の時は全員車庫に非難だ」とば
かり考えていた。
 黒部の孫、東京の孫が無邪気にはしゃぐ、その姿が心和ませてくれた。
 刻々と地震の状況が入って来る。その被害の大きさに心痛んだ。
 そのつらい幕開けの正月が、今日で終わる。
 幸運なことに被害も何もなかった我が山里だ。もう親爺にできる事など何もない。唯、一日も早い復興を祈るばかりだ。
 正月晦日の我が山里上空より立山方面を望む。ほとんど見えない。


 親爺、究極のずぼら操縦席からドローン撮影を楽しむ。


 この近辺で一番古いスキー場はこの粟巣野スキー場。
 昔は地鉄粟巣野駅から、スキー道具を肩に延々と急坂を登りスキー場に至ったものだ。


 その次が極楽坂スキー場。こことて本宮駅から3〜40分を歩いて原集落を過ぎスキー場に至った。


1/30
 温かい日になった。未だ位置は低いけれど遮るものがない日の光がまともに物干場に射しこんできて、その内部の
1.5畳ほどのガラスで囲まれた空間を温室効果で温めている。
 物干場は居間に隣接し、外に向かい建てだしてあり、ペアガラスの引き戸でしきられているが、その戸を開けて暖気
を居間に取り込むと温かい空気の塊が流れ込んで、天然の暖房となる。
 1日の中のわずか2時間余りのことだが、実に得をしたような気分になる。天然暖房は調整も何も効かぬが、何処か
らも請求書が来ることがない。
 居間の立山側(東)が我が家の正面になるが、そこには出窓があり、戸外の様子が良く見える。雪の状態も、杉木立
の雪の被り方や、車庫の屋根の積雪の具合が一目瞭然であり、雪降りの時はうんざりし、晴天の時は何とも嬉しい。
 今日は嬉しい気持ちで外を眺め、今冬の最高積雪記録が90cmだった時と今の積雪量を何となく比較し、別に物差
しがある訳ではないが凡その勘で、ああもう50cmを切る積雪だな、雪が半減したなどと目を細めている。尤も晴天
戸外を見るときは目を細めないと眩しいのもある。
 もう11:00に近い。でもあと1時間は暖かい空気が居間に流れ込む。
 山が神々しく我が山里を見下ろす。


 親爺の積雪量バロメーターの車庫だ。


 本当にいい天気で雪も少ないが、まだ1月、寒中である。


1/29
 今日は天気が良い。雪も解けている。
 昨日の夜、村の最小単位の組の寄合で、思いもせぬ村役員を押し付けられた。
 9組あるこの村の最小単位の組で、役員を2人ずつ出し、村の役員会とし、様々なことを決めるのだが、伝統的行事が
多くあり、これも年々縮小されつつあるのだが、人口が300人を切った少子高齢化の村で何ほどの事も出来ない。
 雄山神社祈願殿はこの村の精神的拠り所であるが、夏の例大祭、春秋の祭り、初もうでなどをこの役員会が仕切る。
 平均年齢が60を越し、身体が思うように動かぬ老人集団ではとても仕切れぬから、アルバイトを募集し様々な業者へも
外注し、売店での土産物販売や、お祓い受付、場内警備、整備等々をするのだが、暮から正月にかけて、これらの事に
拘束されるのが先ず堪らない。
 年に一度の正月で、泊まりに来て孫や子とともに過ごす時間を削られたくないし、肉体的にも人混みに出て、たとえ座っ
ているだけでも疲れ果てる老人が、何が悲しくて残り少ない時を神社の初詣事業に捧げなくてはならぬのか。
 こんなバカげた話はない。
 こんなことを昔からの伝統だとかと云って若い人々に押し付けるから、村から若い衆がいなくなる。
 今は殆どないが、ちょっと前までは「人足」と呼称して、共同作業に駆り出すことも多くあった。屋根の雪下ろし、用水路の
メンテナンス、初もうでの参道除雪・・・などなど。
 まあ、昨今は随分解消されているが、未だにこんなことをしている集落に、だれも住みたいとは思わないだろう。少なくとも
70を過ぎ人の多い処、人と群れる事が嫌いな親爺には。
 光り輝く山々がそんな親爺を叱っている様だ・・・。


 打越山と来拝山も青空の下だ。


 ドローンの高度からは常願寺川も良く見える。


1/28
 雪の心配をしないで目が覚めた。比較的ぐっすり寝たので割とすっきりしている。昨夜は少し風邪っぽかったが、これな
ら大丈夫だろう。
 外は明るく陽が射していて、久しぶりに立山も見えている。元気が出た。
 朝食後、日課の軽いストレッチをして、ドローンを飛ばした。
 まだズームの使い方に慣れず、ズームにばかり気を取られ飛ばしていると、かえっていい絵が撮れない。でも頑張って
なるべく機体を見ないで、FPVスクリーンで操縦する訓練をしている。まあ機体を見失ったらどうしようもないラジコン飛行
機やヘリコプターの操縦とは異なり、オートリターン機能も持っているドローンだから万一の時はそれを使うつもりだが、や
はりそのオートリターンにも限界があり、かつて何機かロストしている。
 が最近の機体が素晴らしい。オートリターンもある程度の広さがあれば指定した高度で頭上までは確実に戻ってくる。
 後は自分の機体発見能力?だけだ。近くに来て音も聞こえるのになかなか見つからぬことも間々あるので、とにかく手
元のFPVスクリーンで機体の位置を推定し見つける事に慣れねばならない。
 とかなんとか言ってもそれがまた面白いのだ。
 今朝の飛行も面白く、機体着陸で一寸ミスしたものの別に機体も壊れず、無事絵を撮り終えた。
 今朝の山里だ。


 我が家の近所も雪は落ち着いた。


 鍬崎とその裾二キロがるスキー場。


 ちょっとズームを掛ければ、旧極楽坂スキー場の第1ゲレンデ、第2ゲレンデが良くわかる。


大日も山頂部がまだガスっている。


1/27
 気付けば土曜日、楽しみにしていた大相撲初場所もあと二日。朝乃山は7日まで全勝だったので期待したが、玉鷲との
取り組みで土が付き、加えて負傷。我々地本ファンは全くがっかりした。
 まあ4日間休んで昨日から出場、8勝目の勝ち越しの星は得たものの、優勝争いに加わることもなく、ファンはまた失望。
 なんかまた、モンゴル軍団にしてやられた感が強く、親爺は決して人種偏見を持つものではないが、国技と云う相撲に
日本人の横綱もおらず、大関もおらず、全くふがいない事この上ない。
 相撲人気は白鳳の出現で地に落ちた。これはまぎれない事実だと親爺は思っている。
 北の湖、千代の富士、貴乃花など、強すぎる横綱の最盛期と云うのは相撲人気は振るわなかった。一人強すぎて面白く
無かったのが原因だろう。
 そこへもってきて、白鳳と云うモンゴル人横綱。優勝記録を塗り替え、日本人力士は歯が立たない。ひとり気を吐いたの
が稀勢の里、白鳳の連勝記録を止め、双葉山の記録を守り、自らも横綱になったが、日馬富士との相撲で大けが、横綱
の命を縮めた。
 日本の国技相撲も、強い日本人力士が生まれて初めて国技を名乗れる。
 相撲協会の可笑しな派閥、一門制度など解消する時期に来ているのだろうが、昔からの伝統と云う可笑しな仕組みに縛
られたまま、モンゴル勢に力負けし、理事長もモンゴル出身者に明け渡すことになるかもしれない。
 まあこれが国際化だといえば、日本料理店がミシュランの星を貰って喜んでいるにも通じる。
 日本と云う国土に生まれはぐくまれた、相撲、日本料理・・・だんだん本来の姿が分からなくなってゆく。その善悪などは
無いのだが、寂しさを覚えるのは禁じ得ない。
 ああ、またつまらぬ愚痴を書いた。この鉛色の空の下での爺の繰り言だ。


 庭にも結構な雪が積もった。


 それでも不動山もこの程度の雪で、小雪の冬ではある。


1/26
 雪は今日の午後には上がるだろう。
 我が山里の積雪は、観測点で約90cm。親爺の辺りの目測では7〜80cmと云うところだ。
 寒い寒い!朝から背中にホッカイロ(使い捨てカイロ)を貼って、親爺もオカカも山里の冬を過ごしている。
 もう明日からはしばらく雪の天気予報は無く、気温も高くなってきそうなので、目の前の積雪もさして気にはならない。この
雪も数日暖かい日が続き、温かい陽射しや雨でも降れば、あっという間に半減してしまう。
 そして間もなく2月である。節分、立春と暦も春めき、寒が明ける。
 2月も雪の降らぬ保証はないが、1月に比べればずっと少ないだろうし、長い冬も後半へと入ればしめたものだ。
 暖かい春が近づいてくる。ただそれだけでも気分が軽やかになってくる。
 と、外を見たら又止んでいた雪が降り出した。
 氷柱の下がる寒い朝はもう沢山だ。雪景色ももう見たくない。


 今朝も窓外にはこんな景色ばかり。


 積雪はまだ80cm程だが、もう雪には飽いた。


1/25
 結構雪が降った。この寒波で、23日夕から25日10:00までに、約60cmの新雪が積もった。
 これでスキー場は当分安泰だろう。またしばらくお客さんが雪を愉しめる。
 まあ、山里の生活も、ちょっとした除雪作業が増えた程度で、屋根の雪下ろしもまだまだ必要はないし、雪下ろしを
しなければ、下ろした雪の始末も無い。
 だから生活にさしたる支障はない。
 でも、屋根の融雪装置を2日ほど稼働させたので、燃料代が高くなっている分心配ではある・・・。
 まあこの程度の冬の雪なら、何とか我慢できる。
 隣は全自動で、ズーッと入れっぱなしの融雪装置だし、型も新しいから良く効いている。
 我が家はこの降雪の始まる、23日夕刻に自動スイッチを入れたばかり。でも棟は割れているし大分積雪も解けている。


 我が家の前には旧立山道が通り、これがT字路分岐で県道につながる。


 県道は村の真ん中を、宿場町のように通り、富山へと向かう。


 旧立山道に沿って、閻魔堂も在ったのだ。今の県道からは堂宇の側面にしか入れない。
 旧道沿いに石段がありそれを登れば閻魔堂だ。明念坂も旧道に下りる。


1/24
 大雪警報下の昨夜から今朝にかけ、約35cmの積雪だった。
 我が山里の今の時期とすれば、極々当たり前の降雪量だが、雪があまり降らぬ地方の人々には警報級の大雪な
のだろう。
 若い頃の親爺なら、朝から鉄砲を背に山スキーをつっかけて、ウサギや山鳥を求め、外に飛び出し雪まみれの日を
過ごし、嬉々としていただろうが、今は昔の話である。
 オカカと二人寒いので外へは出ぬ様に身を潜め、暖かい部屋で雪が過ぎるのを待っている。
 今朝の気温マイナス4℃、室温もようやく18℃まで上がって来た。
 除雪期の音が煩く、不愉快である。まあこれもやむを得ぬが。
 とにかくまだまだ、一茶翁にも届かぬ雪の嵩である。これ以上の雪は決して望まぬが。


 久々に稼働している我が家の屋根の融雪装置。居間の暖房も、反射式ストーブに温風ヒーター更に床暖・・・・・。
 これで今ようやく18℃・・・適温の20℃にはなかなかならぬ。
 

 庭もかなり雪が積もって、今日は縁側の雨戸を閉めた。


1/23
 大雪が降るとの事で、国交省まで乗り出して、警戒態勢を呼び掛けている。
 能登の大地震の爪痕もまだ確り残っていて、未だにいつ倒壊するかわからぬ家屋も沢山あり、復旧作業も大わらわ
なのだから、ここへ大雪が降ったら目も当てられないことは確かだ。
 だが、大自然は非情だ。そんな人間の事情など関係なく、雪も降るだろうし、大雪になって寸断されている道路事情
を更に悪化させるだろう。
 被害は全くなかった我が山里だが、大雪には慣れていると云いながらも、高齢化が進み若い力のない現状を見ると
大雪は何とも厄介なものだ。
 親爺などは我が身のみ気を付けて、他人の手を煩わさぬようオカカと一緒に静かに籠っておればよいが、勤めなど
を持っている人は、毎日の通勤だけでも時には命がけとなる。まあ、わが村の勤め人は数少なく、数えても冬季間の
外部への通勤者など十指を以て余るほどかもしれないが。
 さて、どれだけ積もるのやら、気まぐれな神のみぞ知る。
 ドローンの4K画質だと2杯しかズームが効かぬ。今朝の鍬崎と立山山麓スキー場。


 まだ雪も少ない我が家である。


 村下までよく見える。最奥に見える白い建物は旧芦峅小学校。


 常願寺川の流れも結構な水量だ。川向こうに見えるのは本宮集落。


1/22
 薄暗いが暖かい朝で、雨も降っていないし、明日からの降雪予報なので、雪のないうちの景色を撮っておこうと、ドロ
ーンを上げた。
 ガスがドンドン常願寺川から上がってくるようだ。
 新型のズーム付きの機体なので、どこかでズームをかけて良い写真を撮りたいと思うが、ドローンではそれも余りチャ
ンスは無い。と云うより、飛行中に落ち着いてズームをかけて撮影する技術的余裕が無いわけで、まだまだ慣熟飛行さ
せないと難しいだろう。
 まあその中にと、今はあまりズームを考えず飛ばして、機体を見ないでFPVスクリーンをだけ見て安全に飛行できるよ
うに訓練しようと思っている。
 親爺のようにラジコン飛行機やヘリコプターからドローンに移行した者は、飛行する期待を見ながらの操縦でないと、
何やら心細いのだ。でもこれも慣れだろう。
 精々頑張ろう。折角の楽しみだ。
 で、これは今朝のフライト写真。まだ来拝山にガスがかかり始めたばかり。


 で、機体の向きを川の方に代え進むとガスが上がってくる処だった。


 村下に向きを変え進むとガスの中に突っ込む・・・。


 急いで期待を村の上手に向け返すとガスは切れていて、機体速度を落とし、高度を下げ、閻魔堂
の方にソロソロと進んだ。ここは低速でFPVスクリーンでの操縦。


 くるりと機体方向を我が家に向け、進むと直ぐドローン本体が親爺の視野に入った。
 ここからはいつものラジコン操縦で着陸地点に誘導した。


1/21
 今日も雨が降っている。雪ではない大寒の雨。暖冬と云わざるを得ない。
 雪はすっかり解け、雪の心配のない冬など親爺たち雪国生まれの人間には、寒い春と何ら変わりがない。
 雪は積もり全て覆い尽くし、全てをふさぐから厄介なのだ。雪見など呑気な事を言っている人は、雪の怖さなど解ら
ない、知らない人なのだ。
 10センチ前後の雪にパニックになっている大都会など、我々雪国の人間にとっては阿保らしい位のものだ。
 まあ、今は雪も少ない暖冬を喜び気楽に過ごさせてもらっているが、もう一、二度は雪に埋もれるほどの積雪があ
るかもしれない。
 本当の春を迎えるには、まだ長い時がかかるだろう。
 今朝も雨降る山里だ。


 黒部のお姉ちゃんも東京のお兄ちゃんも元気で大活躍!? 美味しいドーナッツや、シンカリオンに夢中らしい。
 

 スキー場も折角の日曜日にこの雨では・・・。


1/20
 今日も鉛色の空で、僅かに小雨も降っている。
 思えば今日は大寒だ、だが、ちっとも寒くはなく、雪も20cm前後もあるだろうか。親爺にしてもオカカにしてもこんな
に雪の少ない大寒など全く苦にならない。
 道路は村内の一部日影エリアが凍っているだけで、後は全く富山市内まで雪は無い。
 だから、買い物も通院も美容院も、好きなように行ける。
 しかも、除雪などと云う全く生産性のない労働も強いられることは無い。
 今年の暖冬予報は大当たりと云っても良いだろう。
 多分だが、もう10日あまり過ごせば節分で、立春も過ぎると流石の山里も大雪に見舞われることは少なくなる。
 全くないわけではなく、2月末に積雪が一茶翁の記録を上回ることも珍しくはないが、滅多に無い。
 如月とて着更着との説もある様だから油断は出来ぬが、とにもかくにも大寒を過ぎれば気が楽になる。
 我が家上空から常願寺川方向を見ているが、屋根の雪も誰も下ろさない。


 大寒には、凡そこんなイメージの雪景色が当たり前なのだ。この景色は今冬過日のもの。
 

 だが今日はこの程度の雪景色で、シカも小雨が降っているのだから、我が山里の大寒とは思われない。
 


1/19
 昨日は薬もらい日で、富山市内の医院に出かけ、何となくそれだけで半日がつぶれてしまったので、帰宅してもずる
ずると過ごしてしまい、このHPの更新もさぼった。
 最近はこんなことが結構ある。
 もともとが自分のための忘備録あるいはボケ防止の日記のようなもので、何にも縛られずただ書いているだけだか
ら、更新をさぼったところで何処にも影響はなく、たまにこれを見てくれている知人、友人から親爺生きてるかと云うよ
うな連絡を貰うくらいのものだ。
 まあ、そんな程度のものでも、さぼったと思うと、軽いトレーニングだが、毎日しているリハビリ体操のようなものをさ
ぼったと同じ程度の後ろめたさがあるので、今日はまた一生懸命書いて見ている。
 昨日今日と比較的暖かいひで、雪ならぬ雨が降っている。
 明日が大寒だという寒中に、我が山里で雨とは、これはやはり暖冬である。けさも9;00で2.5℃あった。氷点下で
はない。
 雪もこの雨で、最大67cmあったが、今は30cm余りである。しかもこの数値は観測点で、村内の感覚では20cmも
あるだろうかと云うところだ。とにかく生活に支障のない雪である。
 が、一寸今日は薄着をしたので、鼻水が垂れてくる。堪らず背中にホッカイロを張っておいた。軟弱爺である。
 日陰や屋根に雪は残るが、道路は開いている。


 杉木立の雪も落ち尽くした。鉛色の空は冬だが、この程度の雪ならば備え万全の我が山里に支障はない。
 


1/17
 放射冷却で冷え込んだが、天気予報の通り良い天気になった。
 外は新雪にすっぽり覆われているので、陽の光がはしゃいで、大騒ぎしている様で、あちこちに照り返しては弾け
飛ぶ音が聞こえるような気がする。
 先ほどドローンを飛ばしに戸外へ出ようとしたが、戸外へ出るとFPVスクリーンが何も見えなくなる。そうなれば、自
分が今、何を撮影しているのかは分からなくなるし、機体を見ながらの操縦しか出来なくなるので、機体は外へ出し
たが、自分は玄関内に止まり、画面を見ながら操縦という事にした。
 ところが機体の位置を見ながら操縦するのに慣れ過ぎており、FPV(ファーストパーソンビュー、つまり機体の視線)
での操縦は慣れていない。親爺も空物(飛行機など)ラジコン操縦からドローンに入っており、中々ドローンのカメラを
通じての操縦には慣れない。競技用のドローンの操縦者などはゴーグルを通して実機に乗って操縦しているような感
覚で、複雑な狭いコースを可成りなスピードで飛ばすらしい。
 広い空間で、障害物がなければそれでもある程度の操縦は出来ようが、コースなどを作っての飛行競技はアクロバ
ット飛行のようなものだろう。とても親爺などにできる事ではない。
 が、少しはそういった操縦に近いものもやってみたいし、撮影メインだが、まだまだ初心者、これも万年ビギナーとな
る事だろう・・・。
 趣味でやっていることだから、それで良いのだ。まあ、老後の楽しみである・・・。
 と云いつつ、今朝の一枚。高度20m前後の、上昇中のドローンからの1枚。


 車庫前の除雪をするオカカ。着陸目前、降下中のドローンから。 地上カメラからの外の冬景色。
 

 2.5倍ほどのズームをかけて、粟巣野スキー場と立山の峰々。


 高度40m程から、今朝の我が芦峅寺。富山平野向きで。


1/16
 今朝も寒く、雪も60cm余り積もった。1月寒の中の我が芦峅寺の事だから、この程度なら当たり前で、雪もまだ
雪下ろしをすることもない嵩である。
 それでも暖冬と云う予報が出ているものだから、期待が大きすぎて、全く雪のない冬を夢見てしまっていたのでこ
程度の雪でもがっくりと、気落ちしてしまうのだ。
 それとここ数年気になるのは、天気予報も二言目には「今季最強の寒気」はまだしも、「かつて経験したことのない
XXX」等と云う表現が多い。
 これでは警戒を喚起するために、意図的に大げさな表現を選んでいるのではないかと勘繰らせるに十分だ。
 更に台風や津波、地震等に際しても「自分の命は自分で守ってください」と云う緊迫した(ヒステリックな)呼びかけ
は、不安を増長するだけで意味がない。「落ち着いて、安全なところへ避難してください」程度で十分ではないか。
 そんなことよりも、平時に「万一の災害に備え、避難場所などを確認しておいてください」と云う風な呼びかけを何度
も繰り返しておく方が良い。特に訳も分からぬ下らないCMの繰り返しを止めて、その分呼びかけを増やして置く方が
良いと思う。まぁ、コマーシャルを見せるために、つなぎの番組を入れている民放には無理かもしれぬが。
 雪も9:50現在止んでいる。
 午後は晴れ間は出ぬも雪は降らぬそうな。
 令和6年寒中正月16日の山里の雪景色だ。おお〜寒い!!


 割と重い水けの多い雪だから、屋根の淵へ垂れてくる。   いつもながらの我が山里の冬の景色。
 


1/15
 昨日は快晴だったのだが、今日は小雪がちらつく山里だ。薄暗い北陸の鉛色の空から白いものが落ちてくる。
 この情景は、寂しくけれど親爺には懐かしい。父祖から受け継いだ雪国育ちのわが身を想う。
 昨日は新しいドローンを上げて見たが、未だ慣熟飛行ができていないので、操作にもたつく。特にカメラの操作に
慣れぬので、遠景の立山にズームを掛けると、レンズは常にジンバルで水平が保たれているので画面から上部が
はみ出す。そうか、そのためにカメラの仰角俯角の操作ができるようになっていたのか。旧タイプでは俯角はコント
ロールできたが、仰角は出来なかった。
 つまり、ジンバルの自動コントロールとは別に、レンズを上向きにコントロールし、ズームを掛けぬと遠景の標高の
高い山並みは上部が画面からはみ出てしまう道理だ。
 イロハのイを昨日学んだばかりだ。通常のカメラ撮影なら、無意識にコントロールしていることで、人間の体と云う
のは実に高度な動作が出来るものだと感心する。
 今日は前述の通りの天気故ドローン飛行に向かぬ。次回の飛行では立山連峰のズーム写真をうまくフレーム内に
入れ撮りたいものだ。ただしズーム画像は光学ズームではないので少し荒くなるだろう・・・。
 昨日撮ったものもあるが、画質も良くきれいではあるが、思うようなズームの効いた写真は撮れなかった。
 今日こんな天気だ。


 実際の画質は4Kだ。これはかなり小さくしている。


 で、ジンバルで水平を保たままズームしたらフレームアウト・・・。レンズ仰角の調整はこの撮影後に理解してセットした。
 次回はもっときれいなズーム写真が撮れるだろう・・・・・。


 オカカが黒豆を煮て、その煮汁を咳止めにくれた。かなり効く。


 雪は10センチ余り増えた。まあこんな空だ、正月半ばなら当たり前だ。閻魔堂の前庭にも雪が降り積む。
 


1/14
 陽の光が雪面にはじけ飛ぶ明るすぎる冬の朝、外に出るにはサングラスが欲しくなる。
 もちろん今朝6:00の気温は氷点下7℃、道等バリンバリンに凍り付いていて、うっかりするとスッテンころりん・・・。
 オカカも一昨年の転倒で懲りており、靴には軽アイゼンの様なスパイクを必ずつけている。しかし良い天気だ。スキ
ー客が沢山スキー場へ向かう。
 雪が少なく、客も少なかったスキー場にとって、この30cm程の新雪は有難い。
 さて、昨日吹雪の中、親爺が欲しかった4倍ズーム付きのドローンが届いた。DJIマビックミニ2だ。発売から2年、
値段もかなり下がった。何とか親爺の細やかな小遣いでも、買えるところまで来たのでツイツイ購入。
 今まで使っていたマビックミニとの違いは、幾つかあるが、親爺にはカメラのズームが一番の魅力だ。しかもバッテリ
ーや、予備のプロペラも互換性があり、199g以下という条件をクリアする。
 昨日ようやく設定を終え、今日は晴天の立山を撮ろうと準備をしているが、さてどうだろうか・・・。
 近々それで取った写真も掲載できるかもしれない。
 気温が低く、まだ杉の雪も落ちないから、外は何ともぎらついて落ち着かない。
 氷柱の陰からそっと外を見る。


 これが新しく取り寄せた機体。まだ充電中。


 昨日居間でこのドローンを室内飛行させ、窓越しに3倍ズームで撮った外の吹雪。まあまあ写っている。


 庭の雪も貯まったし、通路は凍てついてピカピカ。冬らしい。      向かいの家も屋根の雪が増えた。
 


1/13
 雪の降る寒い朝だ。
 もう寒の中で、一年で最も寒く雪も多い頃だから止むをえまい。
 それにしても雪は少なく、多少寒くとも雪さえ少なければ生活に支障はない。そんな意味では今冬は実に過ごしやす
い冬である。あの元旦大地震さえなければと、未だに不自由な避難生活を送っておられる方々を想うと、寒いなどと云
っている自分が情けなくなる。
 被災地を荒らす泥棒がいるそうだが、一体どんな連中だろう。昔から火事場泥棒などと云う言葉があるくらいだから、
珍しくもないのかもしれないが、本当に許しがたい連中だ。しかも消防や、ボランティアを語って被災地に紛れ込むと云
う手を使うらしいから、ただでさえ混乱している被災地の人々の信頼関係を破壊する。
 信じあい助け合わねば生きて行けぬ極限状態の中で、これは一番恐ろしいことだろう。
 外を見たら本格的な雪が降り始めている。せめて被災地にだけは降るなと祈る。


 庭にも雪が積もり始めた。まぁ、平年から見れば雪は半分も積もっていないのだが・・・。
 

 閻魔堂の杉が高く伸びすぎて、鍬崎山が見えなくなった。


1/12
 喉風邪の症状は、市販の風邪薬でほぼ治まった。咳もわずかになり、気管支のイガイガも少なくなった。栄養ある
物を食べて(ちょっと食欲も無かったが、)薬を一日二回ほど飲もう。
 山のお客様だったFさんが毎年送ってくださる珈琲が美味く、ここ数日オカカに入れてもらって、飲むのが楽しみだ。
 やや酸味があり、熱湯より僅かに温度が低いお湯で淹れると、味がくっきりし香りもよく実にうまい。酒をたしなまぬ
親爺ゆえ、今少し若い頃は日に3杯も4杯も入れて飲んだものだが、面倒になって1杯ずつパックになったドリップ式
のコーヒーで、特にグァテマラを好んだ。が、最近は身体がそれを欲しなくなり、いつもはぬるい番茶が一番の好みと
なっていたが、Fさんや友人のHがくれる珈琲がある間は、オカカに頼んで淹れてもらい飲むのだ。
 もともと嫌いではないので、冬は暖かい飲み物が美味いから、コーヒーやネパールの連中にもらう紅茶をよく飲む。
 で、今はFさんのコーヒーを楽しんでいるわけだ。
 下の写真は近所にある、親爺が中学校の頃の恩師の家だったが、先生も老齢で旅立ち、子供らも村を離れ各々独
立しており、今年取り壊すことになったと聞いた。
 つい7,8年前まではご自身で屋根に上り雪下ろしをしていた姿が目に浮かぶ。肺気腫で力仕事が出来なくなった親
爺を心配し、「おいカズ、身体は大丈夫か?」と会うたびに声をかけてくださったものだ。
 懐かしい人々が次々旅立ち、その思いでのよすがも次々と姿を消してゆく。
 ”恩師住み暮らしたる家も人絶えて無住家屋と呼ばれ消えゆく


 閻魔堂もうっすら雪を被る。正月は仏事も少ない。      立山方面は何にも見えない曇天の今日だ。
 

 雪は少なく山水散水用のホースも利用頻度は下がる。
 


1/11
 多分、東京の次女の置き土産だろう。親爺は喉風邪を発症した様で、咳が出る。
 熱も出ぬし、食欲もまああるし、体調はそんなに悪くない。せきがでるばかりだ。で、龍角散を飲んだり、葛根湯を
用いたりして対処しているが、これで十分の様だ。
 去年も東京の孫の風邪を土産にもらい、この時は微熱も出たので、近くの耳鼻科医院で抗生剤を処方してもらい
直ぐよくなった。
 親爺の主治医の先生は富山なので、ちょっと酷いと思えばすぐそこへ駆けつけるが、軽い風程度なら市販薬か、町内
の比較的すいて、近い医院が便利だ。
 能登の被災者の惨状を見ると心が痛くなる。
 小さいお子さんを亡くした若いお母さんの話や、正月で帰省していた、奥さん子供さんをすべてなくした男性の悲痛な
話は涙が止まらない。
 加賀百万石を預かっている現知事の馳さんも、レスリングは強かったらしいが、能登の大災害の対応に向け、後手後
手と回っている様だ。
 せめて弱者である子供や老人だけでも、百万石城下のホテルなどすべての宿泊施設に協力を仰ぎ、今より少しは楽に
生活させてやれぬものか。
 段ボールのお家でもよい。ライフラインの整っているエリアで、今より少しプライバシーを保てるように、快適に過ごせる
様に、素早い対応を切に切に願いたいものだ。首長にはことをなす義務とともに、権限も与えられている。廻りを気にし
ている時ではない。思い切った権限を発動し大胆に手を打っていただきたい。
 能登の皆さん頑張って下さい。日本中が皆さんを心配し、僅かずつでも手を差し伸べています。
 日本と云う国は、皆さんの惨状を見逃すほど腐ってはおりません。


 屋根の上に青空が広がってきた。


1/10
 昨日テレビで、歌手の八代亜紀氏が旅立ったというニュースを聞いて、親爺もオカカも呆然とした。
 親爺の学生時代の親友、Aは八代亜紀の大ファンだった。当時20歳そこそこの大学生だったが、余り彼女のファン
はいなかったような気がするが、「えぇ〜お前ああいうタイプが好きなのか?」と云うと、「お前ら何もわかっちょらん!
あれが女じゃ。得も言われぬ女らしさがある!」とかなり本気で云う。
 フォークが全盛で、何となくインテリポーズ前面の女性歌手の数多いる中で、八代亜紀は若い世代にはそんなに
受けなかったのだろうか、それとも当時の親爺の周りのバカ大学生が幼すぎたのか。
 でも大ファンと自称していたA自信、それ程熱心なファンだったとは思わないし一人老成していたわけではない。
 壊れかけた感度の悪いラジオから流れ来る彼女の歌が、今から思うと質素で貧しかった当時の学生には、心に浸
みたのかもしれない。しかも彼Aも九州出身だった・・・。
 親爺が八代亜紀が良い歌を歌うと感心したのは、60に手が届こうかと云う頃。元来がはやり歌など興味が殆どない
親爺である。ましてや芸能界と云うところには殆ど魅力、興味を感じた事のない親爺である。
 が、昨今の全く理解できぬ、テレビから流れる音楽の中で、流石に昭和の歌は耳に馴染むし、聞いた覚えもある、
そんな中で八代亜紀と云うのは年齢的にも近いので、彼女の歌が良いと感じていた昨今だ。
 懐メロ、昭和の歌、などと我々の世代向けの番組では常連だったし、ハスキーなそれでいて澄んだ歌声は衰えを感
じさせず、心地よく聞くことのできる歌を歌っていて、素晴らしい歌手だと、旧友Aがファンだったことも今なら十分理解
出来るのだ。
 今や懐かしい姿のまま旅立ってしまったと云う、八代亜紀氏のご冥福を祈るばかりだ。
 山里の雪は随分解け杉木立も雪を落としたが、今はちらちらと小雪が舞っている。


 末娘が松本から大量の林檎を持ってきてくれた。信州リンゴは美味い。ジョナサンゴールドとシナノゴールド。
 後ろにあるティーポットは親爺の常用する番茶ポット。名付けてマイセンもどき。


 不動山の雪もすっかり解けた。


1/9
 新雪に覆われた後の快晴である。多分放射冷却でだろう、かなり冷え込んだ朝で、いたるところバリバリだ。
 もう小寒を過ぎ、寒の中であるから、この程度の冷え込みは当然なのだが、すっかり暖冬に慣れてしまって、耐寒
力まで無くなっている。
 親爺は背中中央と腰にホッカイロを張り付け、その上に一番ごついフリースを羽織っている。これで今日などは丁
度良い具合だ。いやいや、爺とホッカイロ、誠に相性の良い組み合わせである。
 雪が降るとスキー場の連中は喜ぶし、それはまた良い事でもあるが、除雪車の音と云うのは気が滅入る。
 除雪機の音も迷惑の代表だが、道を開けねば生きて行けぬ昨今故我慢している。
 必要最小限のライフラインの確保は、雪国にとって必要不可欠だ。
 能登の被災者の皆さんの窮状、観るにつけ心塞がる。
 復旧どころか救助活動すら遅々と進まない。複雑に入り組んだ海岸線、その奥に点在する集落。きっと地形的な
困難さもあるのだろう。
 救援作業の要請を受けて現地入りした知人曰く「道が寸断され、目的地に入るまでに予想以上の時間がかかった。
道路の復旧がまず課題だ・・・。」
 止まぬ余震の中で、怯え暮らす子供や高齢者だけでも、もっと安全快適な避難所へ移動させられぬものか。
 とにかくこんな時に一番頼りになるのは、自衛隊だ。全て自己完結できる軍隊ならではの特性が、こんな時に一番
発揮される。もっと大量の自衛隊を派遣し、復旧に弾みをつけて欲しいものだ。
 役にも立たぬ視察に来て、カレーを食って帰った国会議員など邪魔なだけだ。
 総理の決断の遅さ、無策さは役立たずそのものである。こんな人間が国のトップだとは・・・。
 雪に覆われ、立山を見上げ佇む我が山里。


 大日は今日はきれいに輝いて見える。


 オカカがお飾り(鏡餅)の餅を切ってあられにした。正月終わりの我が家の歳時記。


1/8
 今が冬だと思い知らされている今朝だ。等と云っても、実はたいした雪ではなく、33cmしか積もっていないし、
この雪も今日昼過ぎからは止む。いや、もう止んでいる。
 人間は易きに流れる。親爺もこの程度の雪に怖気着くようになったとは、一概に年の所為ばかりでもあるまい。
ここ10年ばかり、温暖化で雪が少ない年が多く、それに慣れてきて、雪国人では無くなりつつある。つまり易きに
流れてしまっているのだ。
 若い時分は雪を待った。スキーを用いた銃猟が楽しかったし、屋根の雪下ろしや除雪など、朝飯前で、スキー
をつっかけて、銃を背に雪山に飛び出した。
 猟期が終わると実に寂しく、3月になってまだ雪残る真川へ今度はスキー履きで、岩魚釣りに入った・・・。
 今は昔、年寄の昔語りというより、愚痴の様だ・・・・・。
 老いの身に、雪はもう邪魔者に他ならない。
 山をスキーで歩き回る力もないし、除雪などスコップを二振りすれば息があがる。
 ああ、もう沢山だ。これ以上は雪なんぞ要らない。


 毎年見慣れた景色だが・・・。


 30cm余りの雪など、この時期には少ないのだが。


1/7
 七草がゆの朝、山里は真っ白に雪化粧していた。
 昨夜、神棚のお供え(鏡餅)を下ろし、オカカは餅を切り、親爺は栗の皮をむき、柿を細かくちぎり、昆布を
裂き、蜜柑の皮をむいて千切った。これを七草がゆの草とするのは我が山里の昔からの習いだ。でもこれで
は5草にしかならぬので、黒豆と白菜を少し加えて、七草とした。
 栗の堅い皮をむきながら、昔、父がペンチを使いながら栗の皮をむいている姿を思い出した。
 オカカは今朝、鍋にこれらの草を入れ、米を1合入れて粥に仕立てた。塩味である。
 年に一度の、何とも不思議な香りと味の我が山里の粥である。
 70年以上、正月7日にはこのかゆを食べているので、親爺は美味いと感ずるが、オカカにはいまだに奇妙
な粥だろう。でもオカカももう40何年かこれを喰っているから、慣れただろうか・・・。
 これを頂くと正月が終わった気分になる。
 15日に鏡開きという事はなかったが、小豆粥を食べさせられた記憶がある。
 小豆粥の習慣は、もう忘れてしまい、我が家では食べておらぬが、どこかの古い家ではまだこの習慣が残っ
ているかもしれない。
 さて、雪景色の中で伝統の七草がゆを頂いた。この辰年の正月も今日まで。親爺には6度目の辰年である。


 我が家の車庫もうっすらと雪に覆われた。その後ろに見える杉木立や桜や栗の木々も白くなった。


 帰省中だった末娘に勧められて、買った海鮮福袋、約6000円で、以下の通り。
 ウニ100g いくら70g 大トロ、中トロ、づけ、ネギトロが各100g。
 多分安いのだろう。回線の価格など疎い親爺である。


1/6
 元旦能登大地震で明けた年の正月も明日まで、我が山里では明日には早々と正月飾り(鏡餅)を下げて
七草がゆの具にして食べ、正月を締めくくる。
 本来なら大雪の中で、もう雪は要らぬぞとぼやきつつ、春の温かさを夢見つつ啜る七草がゆなのだが、こ
の正月は全く雪がなく、日中はこの山里でさえ10℃を超える温かさの暖冬であった。
 親爺やオカカにすれば、温かいのより雪が少ない、あるいは無いのがより嬉しいのだが、やはり雪国の育
ちの所為だからだろうか白い雪景色が有って、初めて春を待ちわびる気持ちが強くなるような気がする。
 人間と云う者は無いものねだりの本能がある。
 あれだけうんざりした雪が、あるべき時にないとなると、嬉しくもあるが寂しくも感ずる。
 雪を乞うる訳では決してないが、少しなら見てみたい気持ちも否定しない。
 ああ、止めよう止めよう。下手な事を言ってドカ雪にでも来られたら堪らない。ましてや能登の被災地の方
もこれ以上雪にまで苦しまされる事になる。
 が予報は非情で、明日から明後日にかけ降雪の予報が出ている。大して長続きする雪ではなさそうだが、
救助作業、救援作業がこれ以上難航する事も予想され心配だ。
 いずれにしろ時の流れの中で事々は動く。年老いた親爺やオカカは世間に迷惑を掛けず自立して生きて
ゆく事が唯一の社会貢献かもしれない。
 正月が間もなく終わる。我家の座敷の正月飾りも今宵まで。


 雨戸をあけっぱなしの正月だった。庭の雪も僅か。          ガスに隠れる大日の微かに見える山裾に雪は見えるが。
 

 閻魔堂の前庭には雪は全くない。何とも春先の雪解けの頃を見る様だ。

 


1/5
 昨日は暮から1週間滞在した東京の孫と、6日間滞在した末娘がそれぞれの家に帰宅した。
 松本は車で自力帰宅だが、東京は富山駅まで送っていった。すごい混雑だった。
 夕方、それぞれに無事到着したと連絡があって一安心。夕食はお節の残りと、富山駅で買ってきた鱒ずし
で済ませた。
 オカカは大忙しだ。娘らの使っていた部屋の掃除やら、夜具の乾燥、片づけ、それに加え正月の食器など
も片づけに取り掛かり、生活を親爺とオカカの簡素なスタイルに戻さなくてはならない。
 親爺も少しは手伝うが、大きなものの移動くらいで、こまごました片付けなど全くの役立たず・・・。
 で、何とか生活は元に戻り、穏やかな日常へと帰り着いた。
 孫が帰って寂しさも大きいが、それと同じくらいの安堵感もある。
 いつものことだが、来て良し帰ってよし・・・。
 さて、親爺とオカカの何事もない日常が、また始まる。感謝をしながら。


 我が家の車庫も霜が降りて、今朝の寒さが目に見えた。でも、閻魔道の屋根の霜も皆、朝陽とともに溶けた。
 


1/3
 何とも凄まじい年明けを迎えた。
 能登半島大地震で、輪島、和倉等々親爺にもなじみ深い血が壊滅的被害をこうむり、富山県でも氷見市等
能登半島に隣接するエリアは被害が大きかった。
 富山県内の被害は石川県とは比較できないが、震度5と云うのは富山気象台観測開始以来の最高震度だ
ったそうだ。
 安政の大鳶崩れは記録に残っているが、今のような震度等という観測値は残っていない。
 本当に地震という事では被害がない県だった。
 それ故、今回の震度5は親爺も初体験だったし、その揺れの長さは非常に長かった。
 正月で家族が我が家に集合していたので、比較的安心して居られたのと、雪がなく屋根が軽かったのも幸
いしただろう。今は一息ついている。
 が、昨夕、羽田空港でまた信じられぬ様な、日航機と海上保安庁機の衝突事故・・・。幸い旅客機の乗客は
適切な乗員の誘導の元全員無事脱出したのが不幸中の幸いであった。海保機の乗員5人の殉職は心痛い。
 いやな年明けである。
 目出たいことを記念する年頭の日に、そして二日にと、震災、航空機事故と続いた。
 令和6年とはどんな年となるのだろうか。
 山里は雪もなく穏やかだ。


 我家の孫二人。お姉ちゃんは新品のアイパッドに夢中だし、お兄ちゃんは新聞を並べて新聞屋さん・・・。賑やかだ。
 

 仲良く遊ぶ二人。6歳と4歳の可愛い盛りだ。ババが買ってやったトランポリンも二人の秘密基地。神社鳥居は通行止め・・・。
  


1/1
 元日早々の地震で、71歳で初めて震度5弱を体験した。
 揺れも揺れだが、その長さ・・・。親爺が居間で慌てる家族に「おい。落ち着いて。」と偉そうに声をかけ、
ヨロヨロトと立ち上がり玄関にたどり着き、玄関ドアを開けて戸外の様子を確認し、閻魔道の杉木立や、
電柱が揺れ、電線も大きく揺れているのを、「早くとまれと」と心中祈りながら眺めて、ようやく揺れが落ち
着くまでには、1分もかかったような気がしたが、実は数十秒だったのだろうか、判らぬが非常に長く感じ
たことだ。
 家は10何年か前のリフォームで耐震基準をクリアしているが、築60年を経た古民家である。
 外壁をすべて構造合板で補強し、内部の壁もできうる限り補強しておいた事、雪が少なく屋根に残雪が
殆どなかった事など等を、とにかく先ず立山の神仏に感謝した。
 一昨日はこんな神々しい姿で山里を見下ろしていた大日。
 立山の神仏の加護を感ずる今日の地震だ。


 元旦の今朝、雑煮を頂き、今年の無事息災を祈った。        縁起物の三種。黒豆数の子、田作りをつまんだ。
 

 昨日の大晦日も例年通り、蟹づくしで夕餉を頂き、年越しそばを頂いて、行く年くる年を見て眠りについた。
  

 そして元旦の夕刻16:10、令和6年能登大地震が発生。親爺も人生初の震度5弱を体験した。
 家も家族も身内も皆、無事でこの災害をくぐり抜け得た事を立山の神仏に感謝し、この大災害で被害を受けられた
皆皆様に心よりお見舞い申し上げます。
                                          令和6年元旦




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